お化けが怖い・・・

NHKの渋護寺(シブゴジ)に反応。
師匠がこの番組をご覧になっていたら、絶対何か、講演会の内容なんかで、コメントがあるだろうなと思いつつ、取り急ぎ弟子の私が反応。師匠の講演会内容で、再三、「注意喚起」というか、僕らの心構えを説かれていた内容で、私程度の記憶からでもかなり自信のある部分だけ、抜粋。

まず、いわゆる「お化け」(=妖怪)の類は、人類の恐怖心からの妄想で、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だと言えます。ゾンビ?貞子さん?あり得ない。恐怖心を煽るエンターテインメント。これらの映画製作が、「誤った神の教えを解く」だとか、「人の心を惑わす」に該当するかどうかは、私にはわからないけれども、「エンターテインメント」を看板に掲げているなら、信じる方が未熟だと個人的に私は思う。

ただし、悪霊は実在します。それは、何度となく言われている。実際に訪れた人を殺すような悪霊が居着いた場所は、世界中に何十箇所も存在していて、師匠が浄霊した場所などは限られている。強い憎悪を抱いたまま死ねば、その人は悪霊になって、地縛霊とでも言うべきか、訪れた人を殺す場合もあるし、(詳細は、師匠が実際の浄霊経験を著書に書かれているので、そちらを参照して欲しい。僕が強引に会の規約を無視して、師匠のお名前とか著書をネットに出しました。指摘されたので掲載したWEBページは消したけれども、インターネットだからどこかに残骸が検索できると思います。ルールの範囲なら「無知という名の泉」で、検索して拾えるかなぁ。この書籍名なら、書いても規約に反していない気がする。ルールを破る悪智慧だけには、自信がある。話を戻して、)「あの心霊スポットはヤバイ」と言う場所は、本物がいる場所だとしたら、訪ねるのは止めるのが無難だと思います。おそらく、海外でも、ベテランのエクソシストの方でも命を落とされた方がいらっしゃる。映画もフィクションではない、と私は理解しています。

それ以外にも、どこぞの宗教が、「墓が死後の住居」だとかなんだとか、教えているもんだから、それを信じ込んで、古くは室町とか、新しいところで江戸時代あたりから墓石に住み着いた霊体さん、なんかがいて、その墓が土石流だとか自然災害で流され、「なんとなく形のいい石」になって河原に転がる結果になった。その河原の石をこの石綺麗、とか思って、拾って帰った方が、その墓石に染み付いた霊体の意識に取り憑かれた顛末、なんて言うのも師匠が著書に書かれている。(NHKに便乗した宣伝になってしまった感があるけれども、師匠の著書を買う金を払いたくないなら、私の伝聞で我慢して下さい。)

人間は本来「無垢」だと思う。僕もそうだけれども、権威が「こうだ」と教えこめば、簡単にそれを信じてしまう。それを疑うことが難しい。信じた内容が間違っていれば、天に戻るどころか、地獄に落ちるし、地獄に落ちるそれ以前に、この物質世界に漂流して(日本の仏教の考え方で言えば、「成仏できない」だし、キリスト教の考え方は完全には理解していないけれども、地獄に至る前の「煉獄」なんだろうか、イスラム教は本は持ってるけど本質を理解してないから、スルーして、)とにかく、現世に止まって、生きている人間に悪さをする。いや、亡くなったご本人は、「生きているつもり」なんだろうし、自分のありのままなんだろうけれども、「あなたのありのままは、迷惑極まりない」なんて言う隣人は、ご存知ありませんか?それがそのまま、霊体になる。
現生に止まって、「自分と意識の近い人」に働きかける。僕なんかは、いいカモです。酔っ払いが死んで、自分が死んだことを自分で理解できないと、酒飲みに取り憑く。酒を飲んでいい気分になりたい。その意識だけは(執着って言うんかなぁ)しっかりしているから、酒を飲んで今を忘れたい生きてる人間に取り憑く。そう言う「霊体さん」が「常連」にしている人は、泥酔していても霊体さんが体を操って時にはタクシーの運転手に目的地を告げて、自宅まで連れ帰って、カモに「また、よろしく」なんていう意識を送っているから、翌日もまた無事出社して、そうして終業のチャイムが鳴ったら即酒を飲みに帰社する、なんてしていても、取り憑かれた本人は結構無事だったりする。酒飲みの場合はその程度、だけれども、それが憎悪ということになったら、どんなレベルなのか、私は理解したくない。肉体を操って、誰かを殺す、なんていうことは、普通に起きているようにも、ニュースを見ていると感じる。

大川隆法氏。あの方は、紛れもなく9次元が肉体を持たれた方で、「釈迦」です。師匠がそうおっしゃっていた、だけではなく、もしかしたら僕自身、誰の「チンドン屋」を務めるか、もしかしたら、大川隆法氏の下に仕えようとしていたかも知れない。だって、釈迦の直属の部下ですよ?でも、頼れたのは、自分の「違和感」だけだった。ただ、間違いなく、あの方が書かれた最初の一冊だけは、上の意識を受け取って書かれた本だったと、師匠がおっしゃっていた。「太陽の法」だったかな。(それ「だけ」ね!)
汚れた心は、汚れた霊を引き寄せる。それを避けたいなら、自分の心をきれいにしなさい。それだけ、なのだと思う。「渋護寺」に出られていた住職も、おっしゃっていた。「南無阿弥陀仏」を唱えただけでは、憑依霊は避けられない。具体的に、私自身を例にして言えば、酒が飲みたい一心でいれば、いくら「南無阿弥陀仏」を唱えたって、酒を飲みたい心が優って、そういう憑依霊は簡単に私に取り憑く。取り憑かれたら最後、あとはもう、失禁しようが、道路に寝ころがろうが、勢いで崖から落ちようが・・・これ以上は、ご想像にお任せしますが、誰に取り憑かれるかは、運次第、ってな感じだろうか。小中学校の担任が誰か、なんていうのに、似ている気がしますけれども・・・。それが嫌なら、「酒を飲みたくてたまらない」自分の心をどうにかするしかない。
ただ、霊体さんの意識を引き寄せる、引き寄せない、それは、ご本人の意識次第。

師匠は、悪霊には気をつけないと怖い、ともおっしゃっていた。その点は別にして、普通の、いわゆる(自殺なんかの)自縛霊、とか(墓こそ自分の住処、みたいな)地縛霊、とか、(「人間、死んじまったら何も残らねぇんだよ」なんて本気で思った挙句の)浮遊霊、とかの方々は、自分の意識が共鳴しなければ、全く影響を受けることはないから、安心していてもいいんじゃないかな、と個人的には思う。自分で気づくまで、放っときゃいい。人畜無害。本人が時間を損するだけ。ただ、憎悪を持って死んだ悪霊だけは、別格。

私自身は、(もう、数え切れないほど書き続けた、盗聴とか盗撮のおかげで、)自分を守ろうとか、自分を良く見せよう、なんていう意識は、カケラも無くなった。お陰様で。「思いたいように、言いたいように、お好きに私のことを語ってください」なんていう心境は、やはりあの、盗聴・盗撮のおかげかも知れない。私を殺す?お好きにどうぞ。ってな感じか。私の私生活では、適齢期に結婚し損ねたし、子供もつくりそびれた。今のヨメは?ノーコメント。いや、俺、思い残すこと、何もねぇから。仕上げたい仕事はあるけど、出来なくたって、僕が困る訳じゃない。殺したいならお好きにどうぞ。そんなところか。そもそも、「自分を守りたい」と思うから、「恐怖」が生まれる。守らなければ、いいじゃん。それだけ。「何かが怖い!」羨ましい。守りたい自分の生活がある、なんて、素敵じゃない!?失うのが怖いのなら、最初から、持たなきゃいいじゃんか。

「お化けが怖い!」ですか?いわゆる妖怪はいないけれども、「霊体さん」たちはものすごく、多数、この世界に「残留」しています。知らぬが仏。知らぬか放っとけ。死ぬから放っとけ。死ぬから仏。
その「残留意識」に同調するかどうかは、我々自身の心の在り方次第、だと私は理解しています。意図的に共振して、「テメェ、何だこのやろ」なんていう喧嘩を売れる自信がないなら、あるものをただありのまま受け入れて、殺されようがなんだろうが、なされるがまま為されて、できることは全力でやる、ただそういう生き方をされたらいいのかなと、私はそう思う。その意識があったら、霊体さんなんて、一体も怖くないと思います。
以上。

きのこ狩り

キノコ狩りで亡くなった方が、今年はやたら多いとか。
70才代とか年配の方が多い。らしい。他人のことは笑えない。

今年は、完熟の梅が見事なくらい、たわわに実った。木に登って取れるところだけで済ませればいいのに、手が届かない、体重をかけられる枝がない先端の取り残しを、残さず取ろうと、狭い場所に三脚を置いて、三脚の脚を広げきれない状態で、バランスを取りながら取ろうとして、落ちた。頚椎を痛めてる。
冷えてきたら、足のしびれが出るようになった。治すよ、自力で治すってば。ただ、この冬は結構キツイと思う。時間がかかるようになった。それ以前に、ほんのちょっとでも状況が違っていたら、死んでいてもおかしくなかったな、とは思う。
欲張り爺さん、首の骨を痛めるの巻。

ときがわ町の西平のあたりにある農協の直売所(だったかな)で、以前、キノコフェアみたいなの、やってた。珍しいキノコとかがたくさん。ただね、出遅れて10時くらいに着いたら、残っているのは種類を書いた値札ばかりで・・・。まぁいいや。スーパーのパックに入っていない「得体の知れない食い物」なんて、買って来た日には、やたらと面倒なことになる。シイタケとか、エノキダケ、マイタケ以外は、食い物ではないということで、納得することにして・・・。僕の人生は、こういうことになってしまった。首を痛めるよりは、多少はマシな話か。でもなぁ、キノコに目がくらんで転落する人の気持ち、今はとってもよくわかる。

師匠がいつもおっしゃる。人間の実体は、肉体じゃないよ、意識体だよ。心を汚したら、いくら着飾ったってなんの意味もない。上の方々は意識しか見ない。なんてな話で。
「あれ、美味しそう」なんていうのも「適度」ならなんの問題もない。人生をエンジョイする、っていう意味では、肉体を持っているからこその楽しみ方もある。キノコを味わうのも、完熟の梅の甘さを味わうのも、肉体を持っていてこそ。肉体を持っているなら、生きているなら、楽しまなきゃ、もったいない。その点については、師匠のお墨付き、だと思う。
ただ、それが「欲」になっちゃうと、結局心を汚す原因になる。「欲」になっちゃったらまずい。

以前、勉強会の会員の方が、こんな話をされていた。ある日、自動販売機の釣り銭受けに、何枚ものコインを見つけた。「これは、儲けた!」と、内心喜んだらしい。次から、自販機で買い物をする度に、釣り銭受けに手を入れると、「また、あった。儲け!」なんてことが、何度も続いた。5回だか、10回だか、それが連続するうちに、「なんか、変じゃないか」と思い始めたらしい。もしかしたら、俺は試されてるのか?と思って、「儲けた」と思って喜んでいた自分の気持ちを見直して、師匠に直接確認されたらしい。そうしたら、師匠が笑って「そうだよ。」とだけ、返事をされたとか、そんな話を聞いた。
ぶっちゃけ、似たような話は自分も経験があるし、いろいろなバリエーションで話は聞くけれども、はっきり言わせてもらえば、師匠も試し方が、かなりエゲツない。あ、と気付いた時に思いっきり赤面するような経験を、それも、普通はあり得ないような偶然を、平気で突きつけてくる。確かに、ありがたいっちゃ、ありがたいけれども・・・

ちなみに、師匠の「そうだよ」の後は、釣り銭受けに手を入れても、もう何もなくなって、むしろほっとしたらしい。実は、これが「地獄」の再現経験らしくて・・・。肉体を持っている時に、本人の意識が「執着」しているって言ったらいいのかな、ハマってしまって抜け出せない「思い」があると、そしてそれが「物欲」だったりすると、意識体だけに戻ると外界からの歯止めが効かないから、似たような意識体の方々が集まって、本人が「これはおかしい」と気付くまで、その状況が続く。前にも書いた、セックスもそうだし、飽食もそうだし、夢の中でそれを続けている状況を想像したらわかりやすいかも知れない。そういうのは、本人たちは「天国」だと思っているかも知れない。人を殺すことや、奪うこと、騙すことに快感を感じる人たちは、そういう人たちどうしで、殺し合いを延々と続ける。「血の池地獄は、実際にあるよ。行ってみる?」なんて話もあった。価値観の違いで、傍から見たら地獄でも、本人にとっては天国、ってなことはあるかも知れない。結局、脳がなくなった「意識体」の状態で、「自分で気付くことが、どれだけ難しいか」ということの、ある意味で「課題」なんだろうとも思う。
僕が何で赤面したかは、書きません。自分のセコさだけは、悔しいけど、自信がある。

梅の実取りで、三脚から落ちて、頚椎を痛めた。これから寒くなる。今年は、結構シビレとか麻痺にも、悩まされそうだ。自戒の念を持ち続ける程度に、後遺症を残していただいて、感謝すべき、なんでしょうね。あの時に死ななかったのは、まだ生きて、何か仕事しろ、ってなことなんだろうと、解釈しておくことにする。

それにしても、と思う。肉体を持っているからこそ楽しめること、ってのは、ものすごく多い。キノコの味覚もそうだし。だけど、それが「欲」にならない、「欲しい」っていう気持ちに棹さして、安全を軽んじてしまうってのは、全く他人のことを笑えない、と思ってしまったニュースだった。

ただね。もう、今回やるべきことはやり尽くした、もう、思い残すことはない、と思えたなら、なまじっか、胃瘻か何か作られて、チューブに繋がれて生き続けるよりは、こうした事故で、サッパリと「人生を終える」ってのも、ありかな、なんていうことを考えるようにもなった。逆に言えば、肉体を抜ける際に、何も悔いを残さないように、今回自分で「課題」に掲げた内容だけは、きっちりと仕上げてから帰りたい。

愛情一本

チオビタのキャッチコピー、使わせていただきました。
レンタルDVDで、「ひるなかの流星」途中まで見てた。深夜、寝落ちするまでのお楽しみ。もう、無作為、ランダムにレンタルしまくっていて、このタイミングで、このDVD。「担任を好きになるって、ベタすぎねぇ?」ってな、セリフ。「なるほどね。」

極めて個人的に、大学教員を始めて以来、「嫌いな相手」がいないことに何となく気付いた。こっちだって仕事だから、ネチネチと「なぜ、こうしない」とか、「どうしてここがわからない」みたいに、絡む場面は少なくないけれども、嫌いな学生なんて、一人もいなかったと思う。いざ仕事だと思えば、全員に平等に愛情を注ぐことはできていたかな、と思う。
目を見て話す、なんてのは、普通にやってたつもりだし。思わず視線が胸に釘付けになっちゃった、なんてことが、なかったとは言わないけれども、ただ単に視線が釘付けになっただけで、他意はないです。セクハラだと騒がれなかった点だけは、感謝します。(なんの話だ?)

親父も、お袋も、たぶんそうだった。「どうしてわかってくれないんだ」というイライラはあったにしても、児童や生徒を嫌いになったことはなかった、と思う。自分の知っていることは、知ってほしい。自分にできることは、できるようになって欲しい。その辺は、たぶん、親父やお袋とも同じだと、今になって思う。親父やお袋の仕事は、僕も結構好きだったのかも知れない。ただ、どこかの学校で「悪いことをするに決まってる」とか決めつけられて、会社兼業届けの書類の不受理、なんていう門前払いを食らってから、専任の教員は無理だと思った。他にやりたいことがあるなら、新しく作りたいものがあるなら、学校の教員は無理だ。そんな話はもう、どうでもいいけれども、これって、言い訳なんだろうか?苦手な仕事ではなかった気がする。っていうか、いまでも非常勤は続けているのに、過去形にするな、ってか?

以前、Shift-In/Shift-Outを文字って、「Kirai-In/Kirai-Out(嫌いイン/嫌いアウト)を使い分ければ、大抵のことはうまくいく」と書いた後、なんとなくだけれども、師匠の講演会で、「好き/嫌いがあるなんて、贅沢だよね」という一言があった時に、この話題のことかな、と思ってしまった。僕自身は、「苦手な人」はいても、「嫌いな人」はいない。ただ、「嫌い」な勉強とか科目に悩まされている子供たちに、伝えたくて書いただけだった。「苦手」と「嫌い」は違うはずなのに、苦手が嫌いになるのは、どうしてなんだろう。

師匠の講演会で思い出した。訂正が一つある。6次元の方たちが「専門職として、一つの道で頂点を極めたら、次に肉体を持った時には、別の専門職として頂点を極める」と書いた部分。師匠は、「頂点を」なんてことは、一言もおっしゃっていないのに、またしても私は話を盛ってしまった。可能な限り幅広く様々な専門職で、その道を極める、というニュアンスならば、たぶん正しいけれども、「頂点を」というのは私が話を盛った。その試行錯誤を卒業することには、人に対する「好き嫌い」が一切なくなってくる。それは間違いないと思うけれども、6次元の意識体の描写の部分で、僕は話を盛ってしまった。ここは訂正します。この段落は、前後の脈絡と無関係な単なる挿入。訂正でした。以上、訂正終わり。

好きとか嫌いとか、口にできるのは恵まれている方だ。実際、仕事となったら好きも嫌いもない、やるべきことはやらざるを得ない。そういう場面を避けて通れる人生が、もしあるとしたなら、経験値としては「一回休み」みたいなものだろうか。何万回と肉体を持つ過程で「一回休み」で、数百年に一度の肉体を持つ機会をムダ遣いする、そういう「回」があってもいいのかも知れないけれども、もったいないなぁ、なんてことを感じるように最近なった。
でも、他人の人生には口は出さない。他人を惑わしてはならない、という鉄則。傍から見ていて何か気づいていても、自分で気づくのを忍耐強く待つ。何万回でも、何億年かけても。それが、あるべき姿だと思う。ただ、そうして本人が気づくのをひたすら待ち続けるにしても、それでも他者と接する際に、愛情を持って接することを忘れてはならない、それも、あるべき姿、すなわち、創造主が当たり前のように、期待されている姿かも知れない、と、最近は考えるようになった。

師匠が講演会でおっしゃっていた。イエス様が説かれた愛。なんでわざわざ説く必要があるの?と。そもそも、創造主は全ての人間に「愛」を持たせている。少なくとも、イエス様が説かれた「愛」は、誰の中にも持たされている。自然にしていたら、愛が出てくるのは当然だと、そんなニュアンスのお話を聞いた記憶がある。ところが、その「愛」が化けまくっている。

私はあなたを愛しています。直訳したなら、本意は「だから、私を愛してください、私を大切に扱ってください、私を特別扱いしてください、私の肉欲を満たしてください」そこまで解釈できるケースが少なくない、と私自身感じる。本来的には、神が持たせてくれた愛は、与える愛の方で、奪う愛とか、求める愛は、ある意味での欲望に他ならない、と、私は理解している。

誰かを好きになる。生涯のパートナーとして、自分にふさわしい相手として、相手にふさわしい自分として、相手を見極めて、一生を通じて不快感を感じることもなく、自然に一緒にいられる相手を選ぶ、という意味では、「好き」もいいのかな、と思う。それ以上に別な自分の欲望(肉欲もそうだけれども、相手に便乗した名誉とか、経済的な物欲とか)を被せてくるなら、「愛」も、「好き」も、なんだか欲望の発露みたいで、あまり「美しい言葉」には思えなくなってくる。

One for All / All for Oneなんてのが、スポーツのキャッチにあったっけか。いいね、と思う。自分の存在を、相手のため、誰かのために使うことができる。おそらく、7次元のエネルギーを持つ意識体にまで上がれば、当たり前のようにそれができる。呼吸するように周囲に対してできることをして、好きとか嫌いとかいう意識はほとんど持たない。(白状すれば、「好き」は何度かあった、けど。)
6次元の方は、つい自分の興味を優先する場面が少なからずある。5次元の方がたは、「これしかできないけれども、今自分はこれをやる」と考えながら、「できないこと」の重さに直面して、次からはなんとかしたい、と考えながら、「専門職に没頭する」6次元に上がる糸口を掴もうとする。4次元の方がたは、時には”America First”とか何とか言いながら、ひたすら自分だけがいいように振る舞い、生きることに必死になりながら、「もしかしたら、他人の立場を尊重することで、自分にとってもメリットがあるかも」ということに気づくことが、その方にとっての「進化」であり、5次元のエネルギー体に進化するきっかけをつかむ、そんな風に自分は理解している。「好き」とか「愛」とかは、案外、その「意味」の解釈の仕方で、その人の次元がわかる話題かも知れない。会話の中で相手が使う「言葉」の意味、真意に気付いた時に、何気なく、この人は何次元だと確信する場面がある、ことに、最近気付いてきた。

師匠が講演会で、これまで何度もおっしゃったこと。「究極の愛とは、自分を大切にすることだよ」という一言。ここでいう「自分」とは、「私という意識体」のことで、肉体のことではないし、物質世界での満たされた生活のことでもなく、「自分という意識体を一切汚さないこと」だと、私は理解している。
どういうときに、自分を汚すのか。「なんだ、こいつバカだな」と、本気で思ったなら、それだけで心に薄墨をつけ、刷毛で塗ったように、心に汚れが付く。「こいつ、憎らしい」と思えば、真っ黒の墨汁をつけるように、べたっと汚れが魂にこびりつく。肉体を抜けた後は、その汚れを落とし切るまで、肉体を持つ前にいた世界には戻れない。その洗浄室が「地獄」で似たような意識体の方々が、磁石で吸いつけられるように集まって生活する。周囲が見た似たような人たちばかりだから、「何かおかしい」と気づくことが難しい。
例えば、「××ホテルで朝食をとって、持ち物はルイヴィトンのバッグに、何ちゃらかんちゃらみたいな生活しかしないのよ」、ってな方がたは、意識レベルが似たような方々で集まって滞在するから、ある意味で、そこが地獄だと気づかないほど居心地のいい空間、でもあるらしい。セックスが全てなら、肉体を持った時の感覚の残像を引きずったまま、しかも意識体は疲れなんか知らないから、延々とその世界に浸っていられる。行きたいと思います?天国みたいに本人たちは思っていても、実は地獄。憎悪の感情に囚われた方々の場合には、地獄に行く前に、現世に留まってしまう場合も少なくないみたいだから、死んだことを理解して地獄に行くところまでに、まず最初の壁がある。
余談ながら、これも師匠が講演会でよくおっしゃる言葉。「生まれてから一度も、バ〜カ、とか、あいつ憎い、とか、自分を守る嘘だとか、思ったり口にしたりしたことないっていう人いる?いないでしょ?だから、全員が地獄に行くんだよ。」そこで、「これはおかしい」と気付いたなら、そうした汚れを落として、元いた上の世界に戻れる。その人ごとに汚れ方は様々で、似たような方々が集まる地獄に留まって、汚れを落としきるまで上には戻れない。ただ、本人にとっては、地獄というよりも、天国かも知れない。
究極の愛とは、師匠の講演では、そういう世界に自分を落とさないようにすること、だと、自分は理解している。念のため、師匠がよく講演会でおっしゃるのは「究極の愛とは、自分を愛すること」という表現が一番多く、「自分を大切にすること」という表現もある。ただ、ここでいう自分とは、肉体とか世間体ではなく、「魂」を指している点だけは改めて強調したい。

人を愛する、誰かのために何かをする、自分が大切に思う相手とか、自分自身の子供のために、できる限りのことをしてあげたいと思う、それらも全て「愛」だとは思うけれども、そうした「愛」は、動物もある程度持っているし、人間も当然最初から持たされている。そうした「性質」だと、私は理解する。「誰かのために」と、常に意識して行動するとしたなら、それは確かに「愛」の形かも知れないけれども、「究極の愛」とは(魂を汚さないという)「自己愛」だと、何度となく師匠の講演会で聞いた。

例えば、仕事で接点のあるすべてのお客様に、あるいは、授業に出席しているすべての学生に、まんべんなく「できることをする」、愛情を持って接する、口にするのは簡単だけれども、実際にやってみると、とてつもなくメンタル的なエネルギーを要する作業だと、経験されたことのある方はご存知だろうと思う。だからこそ、そうした経験を蓄積することで、例えばスポーツで「走り込み」をして体力をつけるように、メンタル的なエネルギーが蓄えられていって、何万回かの「肉体を持つ」経験の後で、「進化」して上の次元に上がっていけるのかな、と、自分は理解している。

何万回、と書いたけれども、「地球生まれ、地球育ち」の霊体さんたちは、魂として生まれてきてまだ数千万年しか経っていない。それなのに「もう6次元に上がった方もいるよ。」と師匠はおっしゃっていた。今回、創造主が試された「地球ならではの工夫」が、有効に機能していることの証明かもしれない、と、お考えだと、聞いている。これまでの星系では、6次元に上がるためには何十億年もかかっていたのが短縮された、らしい。何よりもまず、我々はこの「魂の進化のため」に肉体を持っている、持たされている、ということを知っておくことが大切なのかもしれない。

以上、一応自分の経験に基づいて書いていますが、骨格は「師匠の受け売り」でした。今度こそ、当分は仕事一筋。

各論

臨床工学については、僕はアマチュアだったのかもしれない。
内山明彦教授の下で、臨床工学を専攻していたと言っても支障はないと思うけれども、文部省の届け出上は「電子工学専攻」だった。僕が卒業してから「臨床工学技士」の資格ができて、内山先生などが資格設立に関与されて、まだ「体系化」はされていなかったと思う。勉強したって言っても、随分と不完全だった。だから、最低限仕事をするのに必要な程度は「門前の小僧習わぬ経を読む」で、医学についてもそこそこ、いい加減な知識は持っていたけれども、医学だって無論基礎をきちんと学んだ訳じゃない。

逆説的だけれども、だからこそ、いざ「臨床工学」で教えることになった時、必死になって体系的に把握しようとして勉強し直して、その「学んだ」プロセスを学生に教えられる。点を見つけて、点と点をつなげて、線にする部分を教えられる。その線と線とで囲み込んで、面を作る。そうなると、この科目は完璧、みたいに思わせることもできる。この分野については、学生が本気である限りは、ある程度教えることには自信がある。

そして、プログラミングはどうか、と言うと、どちらかと言えば、気がつけばプログラムが仕上がっている、そんな感じでもう、40年近くプログラムを書いて来た。最初にFORTRANのプログラムを覚えたのは17才の時だったから、40年を過ぎたか。で、一番「何でも思い通りに動いた」頃、20才代の頃は、ほとんど考えずに、直感的にイメージしたものが、勝手に指が動いて入力されていて、一気に書き上げる感じで、場合によっては30時間とかで一気に1万行とか、訳のわからない書き方をしていた。(今はもう、当時の10分の1も、パフォーマンスが出せない。)仕事にするには、この分野がたぶん一番僕には向いていた。ただ、サラリーマンになってしまうと、「余計なこと」が多過ぎて、プログラムを書くことだけに専念できる訳でもなく、それだけでパフォーマンスはやはり10分の一以下には落ちたかもしれない。(いや、その「余計なこと」が「仕事」にはとても大切だ、と、後になってから痛感したけれども・・・)

ところが、いざ、情報科学部で教えるとなると、「理論的」な基礎はないし、苦しんでプログラミングしている訳じゃないから、「教える」こと自体が非常に苦手で、「わかった!」に辿り着くまでのプロセスをうまく説明しきれない。この壁、結構厚い。実はいま、「教科書」を書いていて、9割方書き上げているのだけれども、校正のところで、もんどりうってる。伝わるかどうか、全く自信がない。伝わらなくても、教科書にはなるんだろうけれども・・・そんな悩みを抱える、今日、この頃。

師匠の講演会。例え話が難し過ぎて、なかなか答えが出せないけれども、いざ種明かしを聞いてみると「各論」が非常に多い。すごく具体的。

正しく生きなさい、清く生きなさい、どの宗教でもそんな感じなんだろうけれども、師匠の「講演」は、何も知らずに参加したら、「雑談」にしか思えない。テーマによっては「この部分を、こう解くんだよ」と言う解説が後からあるから、なるほどと、理解できるけれども、「総論」と言うよりも「各論」。直接「答え」を教えずに「例え話」しか講演でされないのは、「自分で答えを出すプロセスを経験させるため」だと、今は理解している。答えだけ教えてもらったら、肉体を抜けたらもう、次には役立てられないだろうし。

この「各論」を自分に当てはめてみると、ケースバイケースで、結構自分を変えるための役には立っているんだろうと思う。(結果を出せていないから、何とも言えないけれども・・・)15年前の僕と、今の僕が、もし「変わった」と言って下さる方がいらっしゃるなら、それは一つの「結果」かも知れない。けれど。

他人をリスペクトしながら生きる。「総論」としてはわかりやすいけれども、いざ「各論」になると、なかなか簡単じゃない。その「各論」部分に具体的なヒントを出してもらえる「宗教」は、自分があちこち顔出しした限りでは、なかった。実は、トラディショナルな宗教にも、いわゆる新興宗教にも、結構顔出ししたことがあったけれども、3回以上足を運んだのは一つもなかった。具体名は書きません。なんだか「綺麗ごと」ばっかりで、具体性に乏しい。
なんて言うんだろうか。仕事でいえば、売り上げ目標だとか、スローガンだとか、そんなことは口にするけれども、実際に具体的にどうするかについては一言も説明がない、実務能力が皆無、みたいな上司というか、とても、ついていく気になれない、そんな宗教ばかりだった気がする。
いや、ね、私に実務能力があるかどうかは、あくまでも例え話だから、そこのところは忘れてください。

結構、大変な話だ。新興宗教なんかよりも、「実用書」の方が役に立つと思えることもあるけれども、ただ、基本的に「人の実体は霊体だ」というのが根っこのところにあって、その上で、相手の意識(霊体そのもの)にどうやって働きかけるか、平たく言えば、「心を動かす」っていうんだろうか。そのための「勉強会」っていうんだろうか。僕にとっては、師匠と出会ったのは、(もしかしたら、僕は、師匠のチンドン屋を買って出るつもりで肉体を持った、かもしれないというのは、別にして、)やはり、良かったという気がしている。

ふと、そんなことを考えては見たんだけれども・・・

今僕が直面する「各論」的な課題は、プログラミングで、「そうか、わかった!」という導入を、どうやるか、なんだろうか。
「このやり方を、真似してみなさい」そして「こういう考え方で、自分のやり方で作ってみなさい」なんていう、そればかりだ、というのが、どうにも釈然としない。共著者の先生、というか、シラバスの原型を作ってくださった先生には、「小林流でいいんじゃないか」なんて、おっしゃっていただいたんだけれども・・・

ゴール目前で、なぜ、二の足を踏む?この残尿感、なんとかならんものか、と思いながら、今日も残り3時間を切った。

結局、各論っていうのは、方向性だけ示してもらって、一人一人が自分で試して、その人自身の個性で掴み取るしか、方策はないのかも知れない。だから、例えば5次元から6次元に上がる、なんていうのに、何万回も肉体を持って、他者を尊重することが意識体として当然のこととなり、「神」の実在を確信できないと、上がれない、そういうことなんだろうと自分は理解する。この「意識体のエネルギーレベル」の話、なんていうのも、いわゆる「宗教」では、誰も説かれていない気がする。あの人と、この人とでは、明らかにエネルギーが違う、なんてことは、洋の東西を問わず、誰もが感じることだと思うのに、「人は皆同じ」っていうのが前提になってる。そこが、自分には、師匠の講演で初めて「腑に落ちた」部分だった。脳に蓄えた知識は、死んだら消える、ってのに、「試験」を課す宗教もあるらしい。肉体の中身、魂を相手にしていない宗教は、肉体を抜けたら役に立たない。
なんども試行錯誤を重ねて、「意識」の中に定着した時に、初めて人は進化できる。そう自分は理解している。ましてや、6次元から7次元に上がる、なんて言ったら、今回は野球選手で頂点を極めました、今回は医者で頂点を極めました、それを繰り返して「まんべんなく」意識の中に「経験」を刻み込んでから、なんていうことだと自分は理解しているから、大変な騒ぎだ。それで、せっかく一つの分野で頂点にたどり着いても、そこでパワハラなんかやらかして、一気に落ちて、また4次元あたりからやり直す、なんてこともあるんだろうな 。偉くなったとたんに器が小さくなる人、みたいな。
「各論」の蓄積、ってのが、実は、師匠の講演内容を、今は、直接自分の仕事に活用できる、状況なのかも知れない。

なんて、今僕は、どっちの話題を書いているんだろうか。教科書の話か?師匠の講演会の話か?

こうやって、両方が入り乱れてしまって、意識が分散してしまうのが、やはり今の僕の、最大の「難問」かも知れない。いいや、考えるのが面倒くさい。両方引きずったまま、前へ進む。

一つ屋根の下

体育祭が無事終わった。一日中、コンビニと小川小学校のグラウンドを往復したり、あちこちのお店に出向いたり、確かに60メートル競争は棄権したけれど、筋肉痛が限界。(相当に、なまってる。)そこへ、打ち上げの懇親会では飲み過ぎて、もうぐったり。一歩歩くのもしんどい。

終わりぎわ、どなたかが面白いことをおっしゃった。「みんな、一つ家のだから。」だったかな。
4年も会計をやってると、いつも参加される方たちとは顔見知り。ようやっと顔と名前がほとんど結びついてきて、ご近所は、ほとんどどこのお宅とも顔見知り。
家族の中でも、それなりに相手の立場を尊重するのが家庭内での「一家安泰」の秘訣だとするなら、それぞれのお宅はそれぞれのお宅の「個性」があるものとして、尊重し合えるのは、地域全体の安泰の秘訣かも知れない。そうなってくると、地域が全体で「一つの家」みたいになってくる。

家庭の中でも、誰かが身内を思い通りにしようとしたなら、たった一軒の家の中でも「安泰」とは言えない状況になる気がする。ところが、地域ですら相手の立場をそれぞれが尊重できれば、地域全体が「一つの家」のようになる。それが「能書き」だけではなくて、実際にできているのが、日本の田舎のいいところかも知れない。

かつては、「村」と「村」とで、資源を巡って殺し合いの戦争があった。ほんの数百年前の日本は、そうだった。案外、世界中どこでもそうだったんじゃなかろうか。それが、今は一部の地域を除けば、必ずしも「戦争」が「当たり前の状態」ではない、その「地域」全体が「一つの家」のようになっている、そんな気はする。国内で「殺し合い」が起きないという意味では、日本は、ほんの数百年ほど前からは大きく変わり、日本全体が一つの「地域」になろうとしている。すごいことだ。
いつか、この延長で、地球全体が「一つ屋根の下」ならぬ、「一つの星の上」という感じになってくれたら、どんなにか素晴らしいことなのに、なんてことは、ついつい、思ってしまった。酔っ払ってると、気が大きくなって、夢想する内容も「ハメ」が外れてくる。

ここから先は、師匠の受け売り。地球は「地球」という一つの意識体が「霊体」という形で存在していて、「地球という星」は地球意識の肉体、ということになる。私たちは、「地球意識」の肉体である「地球」を構成する、「体細胞」のようなものであって、文字通り私らは「一つ星の上」を構成する運命共同体、なんだろうと思う。

僕らは、「私」とか「自分」という意識がまずあって、少なくとも今現在、私のこのページを「読んで」くださる方は、どなたも肉体を持たれている。その私たちの「肉体」は、視神経だの、胃袋だの、筋肉細胞だの、それぞれが「任務」というか「役割」を黙々と果たしている「独立した意識体」の「肉体」でまずあって、それらが寄り集まって「私」という個人の「肉体」を構成しているんだろう、と、私は理解している。

これが、「私」という「意識」や「私の肉体」に、階層的に、私の「下位の意識」「下位の肉体」が存在している下との関係の状態でもあり、また「私の上位の意識」や「上位の肉体」もまた存在している、そんな状態なんだろう。

その「上位」を辿っていけば、銀河系を創造した「意識体」が存在し、その「肉体」が銀河系宇宙、ということになるんだろうし、師匠は、銀河系宇宙を肉体とする「意識体」が間違いなく存在する、とおっしゃっている。自分は、それを事実として受け入れるところから出発した。

つまり、どこにいようが、何をしていようが、いま目の前で見ている景色はそのまま上位意識体の肉体の一部であり、何よりも私という存在そのものが上位意識体の肉体の一部でもある、ということになるんだろうか。どこか特別な場所でなければ、上位の意識体と意思疎通できないと、どなたかがおっしゃるのならば、それは間違いだと私は考える。特別な場所も特定の行為も一切不要で、ただ今私が存在しているだけで、言ってみれば、私は神の一部であり続ける。
もしも、どこか特別な場所や、特別な行為が必要だとどなたかが説いて、「神に近づくために、お金を払って、その特別な場所や、特別な行為に参加しろ」という話があるならば、それは金銭目的でしかないと私は考える。死刑になった麻原彰晃氏との違いは、人殺しを示唆していない点だけだとも思う。

なんてことを意識しながら隣人と接したなら、全ての人が「同じ星の上」どころか、同じ神の肉体の一部、であり、他人との接し方を考える上で、大切な基本的知識の一部になるんじゃないか、と自分は思う。

この文章を読んでいただいたって、僕は一円も請求しない。何のためにこんなことを書いているか、と言えば、僕自身が「できることは全てやった」と納得したいだけ、だと思う。それ以上でも、それ以下でもない。

嫌だね、酔っ払いは・・・広げる風呂敷がでかすぎて・・・

逃げます。決めた!

明日の体育祭、やっぱり走るのはやめておきます。今日、準備作業の際に、自治会の他の皆様にお詫びしておこうかと・・・

8:40に出走か?(体育祭の際には「出走」とは言わない?じゃぁ出棺か?)体が全然作れていない。無理そうです。設営を手伝った方用の朝ごはんのオニギリを買い出しして、設営を手伝い、飲み物用意してると、毎年アップする時間がほとんどない。だんだんと毛も薄くなってきたことだし、毛がないのが一番。もとい、怪我がないのが一番。無事これ名馬か?

気持ちが負けてる。逃げることを決めた。でも、逃げるは恥だが役に立つ、ってか?

ちょっと気持ちが楽になった。教材書いていても、ずっと引っかかっていたんだもの。

焦りまくり・・・

仕事が順調に・・・捗ってたら、こんなページ書いてないだろうな。

日本語を書く仕事。最初は楽勝じゃん、なんて思ってた。

初めて読む人は「予備知識」がない。知っている前提で書いていたら、読み手には通じない。ところが、何度か読み返していると、「予備知識」がないと、もしかしたら意味が取れない、そんなところが見つかる。書き直す。あ、ここも。結構、泥沼かもしれない。

授業でも時々やってることに、最近気づいてきた。「ここ、もう習ってるよね。」一度習ったからって、覚えているとは限らない。そこに戻る必要がある。問題演習なら戻れる。だけど、カリキュラムがあるなら、砂の上に建物を建てているのを承知で「新しい話題」を展開しなけりゃ、範囲をカバーできない。「教え漏れ」を残したままで国家試験を受けさせるのは、やはりまずい。ジレンマだ。

教材執筆の話。同じような、行きつ戻りつを繰り返していると、なんだかジリジリしてくる。何度も読み返していると、もう、内容の展開から何から、訳が分からなくなってくる。
落ち着け→→俺!

体育祭、雨になってくれと祈ってたのに、今度の日曜日、曇りで実行しそうだな。50歳以上の60メートル走。会計の用事がてんこ盛りだから、時間帯として出られるのはそれくらい。ところが、全く走り込んでいない。土曜日ごとに、夕方とか走ろうとすると雨が降り出す。走れねぇ・・・。すみません、軽く流します、ってことになりそうだ。ちょっと本気になると、足首とか捻りそう。ごめんなさい、準備不足。

3月頃に肺を痛めた。しばらく走れなかった。一ヶ月近く熱っぽくもあって、そんな中で梅の実採集を強行して、三脚から落ちて、首を痛めた。30分とか走っていると、左足が痺れてくる。明らかに筋肉痛じゃない。日常生活には支障はないけれど、やっぱり後遺症、あるみたいだなぁ。しかも、3月から7月頃まで、体調の様子見で、運動量を思いっきり減らしていたから、リバウンドした。結構お腹の脂肪が邪魔。さらに、やはり肺がまだ、回復不十分か。ほんの5km位のジョギングで、何となく酸欠っぽくなってくる。息が上がる訳じゃないんだけれども、明らかに、ワンランク体力が落ちた気がする。

走りたい。でも仕事しなきゃ。あぁ、結果が出てないよぉ!で結局、タバコはやめられそうにないなぁ・・・タバコ、やめたらいいのにと、どなたもおっしゃるけど・・・
落ち着け→俺!

やめときゃいいのに、小川和紙マラソン、また10kmの部、エントリーしてしまった。走れるかなぁ・・・今年は、1時間を切るなんて、絶対無理。とにかく、完走だね。たかが10kmだけれども。どんな形でも、目標がないと同じ走るにしても、やはり違う気がする。
この歳になって、「体力を落とさない」というのがどんなに大変なことか、今年は痛感した。無理したり、強行したりは絶対ダメだよなぁ。

文書起こしにしても、教科書作成にしても、ナメてました。心して掛かります。深呼吸。

いただき物の、インスタントのミルクティーを飲んだ。
こうして言葉にしてみて、ちょっと自分でも頭の整理をしつつ、からの一服。やはり僕には貴重な切り替えの時間だ。

喫煙所撤去

月が変わった。タバコが値上がりした。僕が今吸ってる奴は、30円の値上げ。30円ならまぁね、よしとして。
問題なのは、豊島区の公園内の喫煙所撤去。

昼休みとか、喫煙場所周辺に、非喫煙者っぽい人なんて、誰もいないじゃない。集まってくるのは、他人のことは言えないけれども、疲れ切ったご同胞の方々。だだっ広い公園の隅っこに吸い殻入れがあって、何となく、つかの間の無重力感っていうか、文字通り一息ついていられたのに。撤去か。

24時間連続血圧計の、データ解析ソフトを作っていた頃、何度となく自分の体のデータで解析ソフトのメンテをした。30年前だけれども、僕の体は夜間降圧で午前4時とか午前5時には、最高血圧90mmHg、最低血圧50mmHg、HR45位にまで血圧低下する。一方で、日中喫煙室と往復しながらソフトを書いたりしていると、最高血圧は160、最低血圧は90位にまで上がる。いわゆる、普段のリズムっていう奴で。
それが、業務出張のニューヨーク直行便のフライトで、待合室から到着後まで13時間以上、喫煙できなかった時は、毛細血管が全開だったんだろうな、たぶん、夜間降圧よりも下がって80/40くらいまで血圧が下がっていたと思う。(計らなくても、だいたい体感でわかる。)吐き気もすごかったけれども、意識もぼんやり。頭がぼーっとする、ってな感じで。

毎週火曜日は、たぶん、昼休みも近所の公園は喫煙所撤去だし、周囲に喫煙できる場所がないから、特に昼食後の血圧上昇の反動が出た頃、血圧が下がりまくって、90mmHg/50mmHgとか、80mmHg/40mmHgも覚悟しないと、ってな感じだろうか。水をがぶ飲みしてしのぐか、ってな感じになりそうな気がする。興奮すれば血圧は上がるけれども・・・

ちなみに僕は、安静にして横になっているだけなら、最高血圧70mmHg, 最低血圧40mmHgでも意識は清明でなんの問題も感じない。そう簡単には、意識は落ちないけれども、ただ、これだけニコチンを抜いて、血圧低下で授業をやるってのが、どうなることやら、初体験で・・・ま、なるようになるか。
ニコチン依存症とか、メンタルだけだと思っているんだろうし、特に行政なんて、体の問題なんて全く考えていないんだろうけれども、僕なんかこれだけ長いことタバコを吸ってると、抜けてくると、血圧は特に激しく下がる。行政がそれを無理強いするなら、仕方ない、耐えるか。

なんなんだろう。このキレイキレイな世の中。僕みたいに、タバコは吸うわ、酒は飲むわ、ってな人間は、人間のクズだとでも思っているんだろうか。そういう決めつけをするあなた方が、どれだけ綺麗な心をしているのか、なんてことは言いたい。ほら、今あなたは、こう思ったでしょう、なんてことを、思ったそばから言葉にして突きつけて、ほら、あなたの心なんて、他人を見下して、不安だらけで、偉そうに誰かをいたぶることで快感を感じているだけでしょう、なんて、意識した言葉をそのまま突きつけて、本気の喧嘩を売りたい衝動に駆られる。いや、そんなことが、もしもできたらいいな、ってな話だけれども。できないことを妄想しても、仕方ないな。

特に苦しかったのが、盗聴だの盗撮だのに悩まされていた頃。訳も分からない、私生活を根こそぎ表に出された。メニエルで左耳は聞こえなくなった。あれ、仕掛けたのは行政だろう?公安調査庁か?それとも、面白半分に根こそぎ表に流したマスコミか?絶対に、どっちか、あるいは両方だ。平気で悪いことするのは行政じゃないか?耐えたよ。普通に日常を暮らした。親友だと思っていた奴はクソみたいに常識的に人を見下してくるし、酒とタバコと、他に何が頼れたんだと、僕は今でも思う。

息苦しい世の中だ。ますます、東京なんて、台風に吹き飛ばされてしまえ、地震で潰れてしまえ、ってな気分になってくる。覚悟を決めて耐えるけど、最近、面倒臭くなってる。

ささやかな、くつろぎの場所が、なくなる。

もし僕が低血圧で倒れたなら、救急車は呼ばずに、タバコをその場で一服させてくれたら、30秒で復活すると思います。

脚色

間違えそうな予感がしていると思っていた。そうじゃなくて、どうやら既に間違っていたみたいで・・・
厳密に言えば、「厳密に正確な内容を書く」ことよりも、「伝わりやすさ」を優先した。そのために、「これを書くと、読んだ人が、『何言ってんだ、こいつ』と思いそうだ」と思った内容を、あえて、言い換えて書いていた。微妙にそれをやっていたつもりだった。ただ、改めて思い返してみると(読み返してはいなくて、記憶の断片を辿ってみて)もはや「微妙」の域を超えていた、ような気がするので、一気に、脚色した部分を訂正したい。

大河ドラマなんかでは、脚色はよくやっていると思う。ただ、あれは、エンターテインメントだから許される。相当に脚色があっても「これはフィクションです」の一言は出てこない。つい、そのノリでやっていたけれども、師匠の言葉については、それはたぶん許されないと思い返した。

まず、「南無」の意味について書いたくだり。微妙に、「嘘」にならない程度に書いたつもりだけれども、「南無」が、「私は〜に従います」の意味を持つ古代サンスクリット語だというのは、師匠の講演会で聞いた内容で、そんな予備知識は私には一切ない。(勉強会の他の会員の方が、さりげなく、チクっと伝えてくれたけれども、私は意図して微妙に100%師匠の講演会の内容だということを伏せて書いた。)事実として、私はOxfordのDictionary of World Religionを持っています。1998年ごろ買った。「なんでこんな本を、俺は買うんだろう」と思いながら、結構な金額の本を買って手元に持っている。何の為に?20年後の今は、使い道がわかったけれども、誰にそそのかされて「書いたい衝動に駆られた」のかは、自分でもわからない。ただ、古代語に関する知識は、全て師匠の講演会からきています。白状しておきます。結果的に、師匠が講演会で話されている「過去の宗教」に関する「知識」は、Oxfordの研究成果と矛盾しないで、かつ、それ以上に詳しいと私は思う。けれども、勝手に脚色したことは認めます。オリジナルは、師匠の講演会です。

次、6次元。僕自身は、「6次元はプロフェッショナル」だと書いた。ただ、師匠が講演会で伝えた内容は「6次元は、医者とか弁護士、あるいは大学教授だとかの専門職」という表現だった。これは、師匠の著書にも書かれている。私が講演会で聞いて理解している内容は、「6次元の人たちは、ただひたすら、自分自身の『高度な専門性』を追求することを目的として肉体を持っていて、いわゆる専門職に就く」だろうか。「プロフェッショナル」という言い方をすると、例えば、ビル清掃でも、食品製造でも「やり方」次第ではプロフェッショナルには違いがある、と私は理解している。微妙に、そうした方々が含まれてもいいように、表現を変えてしまった、けれども、やはり「専門職」と「プロフェッショナル」では指し示す範囲が大きく異なる。ということは、私は、師匠の言葉を誤って伝えたことになる。これは、もはや「脚色」ではなく、「明らかな間違い」になると思う。
こういう意図的な「脚色」とか、無意識のミスが蓄積されて、「経典」の解釈だとか、あるいは、イエスや釈迦の直近にいた方々の言葉など、伝言ゲームで、ほとんど原型を止めなくなった。その「原型をとどめなさ具合」も、講演会では何度か聞いている。間違いなくこれは、僕の「やっちまった」だと思う。

その次。これはたぶん、僕の指導霊さんが僕に意識を送ってくれたのかも知れない。間違ってるよ、と言われた部分。「今は、指導霊とか、守護霊とかが、間違った思いを持っても、止めるように、あえて静止しない」と、書いてしまった部分。言い訳を順にすれば、正しくは、「今現在は、指導霊とか守護霊とか、上での仲間がそばについている人は、2割程度まで減っていて、7〜8割はもう、守護霊も指導霊も、ついていない」というのが、師匠の講演会で、何度となく伝えられている内容。それを僕は、「ついていても、誤った行為を指摘しない」と読める書き方をした。
これは、意図的に「脚色」しました。

なぜか。
なぜ、かつては、ほとんどの人に指導霊や守護霊がついていたのに、今は7〜8割も指導霊や守護霊が「離れる」ことになったのか、というその「経緯」を書かなければならなくて、その「経緯」を書けば、「何言ってんだコイツ」と思われるかも知れない、それが怖かったから、脚色した。冒頭にも書いた「伝わること」を最優先したかった。

地球系霊団では、同じ意識レベルに属する8体の「霊体」(=ヒト)がグループを作っていて、ローテーションで順番に肉体を持っていた。

中には平気で僕みたいに掟破りして、肉体の意識を残したまま次の肉体に割り込んだ霊体さんもいるみたいだけれども。過去世の記憶を持って生まれた子供。それはそれとして、意味あるものとして拾い上げたい。「意識体の世界が実在していることの証明」として。それは別にして・・・

もし、グループの誰かが肉体を抜けた後地獄に落ちて、いつまで経っても上がって(戻って)これなかったなら、他のグループのメンバーが困る。ただ待つだけで、肉体を持てない。だから、自分の仲間が、できることなら地獄の深いところには落ちないように、そばに付いていた。ただ、ここに来て、そのルールが変わった。誰かが地獄に長居して、いつまで経っても上に戻ってこなかったとしても、どんどんと、次が降りても構わない、ということになった。そうならば、肉体を持っている「仲間」のそばに付いていて、「それはやめなさい」とか「じきに、こういうことが起きるよ」と、肉体を持っている人にそうした意識を送る必要はなくて、仲間であっても「落ちるなら落ちろ」と、ある意味で見捨てて、次に「自分自身が肉体を持つことの準備」に専念したらいい、ということになった。
通常なら、肉体を持つサイクルは、数百年になる。数百年も経ったなら、物質世界の状況は相当に変わっている。「今、『地上』はどうなっているんだろう」ということを知るために、言わば「下見」を兼ねて仲間に「指導霊」として付いていた、ということがあったらしい。そして、今でも「下見」はしているにしても、グループのメンバーが、「地獄に長居」するようなことをしでかそうとしても、自分たちはもう待つ必要がなくなったから、指導霊とか、守護霊とかして、ずっとついていて「見守る」必要がなくなった、ということだと、聞いている。これが私自身が理解した「守護霊や、指導霊がついていない人が、今はもう8割」の理由だった。そこを、僕は「イエスの再誕が近いからか」なんて感じで、脚色した。

なぜ「グループのメンバーが地獄から上がってくるまで待たなくても良い」なんてことになったんだろうか。理由は、「責任ある誰かが、決めたから」だと聞いている。そのように「霊界」に改革があった。誰が改革したのか。ここを書きたくなかった。

師匠は、勉強会での内容では、10次元「地球意識」とも、その上の「太陽系の意識」とも、さらにその上ともコンタクトができている。「創造主」ともコンタクトができる。その結果として、物理世界の物理法則も講演会で聞いている。師匠は「創造主」に極めて近い方だと、こんなこと、書いても普通に万人に「そうか、そうか」なんて、絶対に伝わらないだろうとも思った。だから、脚色した。
伝わり方を優先した結果の、私の暴走。「そんな馬鹿げたことがあるはずは、そんな奴がいるはずがないだろう」と、思う人が多いだろうと、勝手に「伝わらないだろうな」と思ったから、脚色した、けれども、私が聞いて、納得して理解している内容は、その「実在界の改革を行った」のは、師匠だ、ということだった。ここを僕は伏せて書いていた。伝わらないと思ったから、脚色した。

要するに、師匠は、イエスや、モーゼ、釈迦、アッラーよりも上、創造主に近い方だ、と言っているのに等しい。だから、書きたくなかったけど、脚色が過ぎると、私自身がヤバイことになる。だから、このページを書いた。読み手のあなたが信じる、信じないは、ご自由にどうぞ。私は、私自身の近未来を守るために、このページを書いた。

理由の説明が違うだけで、守護霊や、指導霊が付いていない人が、今はもう8割。そこは、事実として知っておいた方が、ある意味で「自分の意識と、自分の身を守る」のに役立つのではないかと思って、最初に書いた。その時に、勇み足で脚色をしてしまった。
突然に「プッツン」して、とんでもないことをする人の数は、まだまだ増える。

じゃぁ、指導霊が守護霊が付いている残りの2割は何なのか、ということになる。これも聞いている。残りの2割は「使命を持って肉体を持っている方々」。使命を持って肉体を持っている方々が、「結果」を出せないと、地球の未来が変わってくる。あるいは、そうした「使命を持って肉体を持つ」方々の親、だとか、教師、だとか、周囲の方々も通常は関係してくるから、守護霊がついている可能性は高い、と私は理解している。
この部分、脚色をしてしまった。

「神の思いを、誤って伝えること」は、自殺と同程度に罪が重い。それを「やっちまった」としたなら、気付いた時点で、速攻で「訂正」をかけるしかない。
もし、この訂正が間に合わなかったら・・・私が落ちるところまで、落ちるだけ、でしょうね。
他の「宗教家」の方々への皮肉ではありません。悪いけどそんな人たちがどうなろうが、僕の知ったこっちゃない。上から聞いた内容を聴き伝えているだけの真面目な方々の罪は、それほど重くはないと思うけれども、問題は「自分のオリジナル」を創作しちゃった方々だろうな、と思った。その創作には、伝言ゲームにおける「記憶違いのミス」も含まれる。その怖さを知っておくべき。
僕は、ただ、自分の落ちる深さが、少しでも浅ければいいなと思って、このページを書いた。以上。

確率

ついこの間(先々週かな)専門の3年生相手に説教してしまった。こんな感じ。
僕ら、教員はつい、合格率とかの数字を気にする。合格率90%。おぉ、すごいじゃない。なんて言って、10人のうち9人には「合格」という100%の現実があっても、落ちちゃった一人には「不合格」という100%の現実がある。確率というのは「事前」の予測だけれども、合格率のような数字は「事後」で、どんなに合格率が高くても、落ちちゃったら本人には「落ちた」っていう100%の現実がある。そうならないために、今、なんちゃら、かんちゃら。

強盗殺人で殺される確率。低い。でも、偶然、万が一、その被害者になってしまったら、そこには100%の現実がある。その現実が悲惨であればある程、あらゆる手段を用いて可能性が0となるように回避できるものは回避し、回避できないものは対策すべきなのが、賢明な判断だと思う。その「悲惨さ」がわからないならば、仕方ない。でも知っていて何も手を打たない、回避できるリスクは完全に回避することを試みない、のは、理性の弛緩だと思う。それは、交通事故でもそうだし、飲酒運転なんかは「根絶」とかいうのが、社会のコンセンサスだろうか。

そうは言いつつ、広島に原爆が落とされても、まだ大本営は戦争継続を考えていたらしい。大本営に完全に戦意を喪失させるためには、長崎は、不可避だったんだろうか。悲しい現実。人間の愚かさ、なのか。

そして、福島原発。人は死んではいない、のかな?甲状腺癌や、避難先での生活環境不適応はどうなの?そして、生活基盤を失った人がどれほどいるのか。あれってのは、「悲惨な歴史」ではないのかな?福島原発だけでは、経験としては不足なんだろうな。広島の原爆のように。

伊方原発。再稼働を認めたらしい。裁判所の判決文、笑った。日本列島は、どこで直下型地震が起きても不思議じゃないからね。リスク管理の考え方で言えば、万が一のリスクが大きすぎる場合には、そうした選択肢を絶対的に排除すべき、なのだと、私は理解している。飲酒運転と同じ。裁判所は、人口密度が低ければ、飲酒運転してもいい、なんて感じの考え方らしい。だから笑った。

日本人の理解力には、長崎の犠牲が不可避だったんだろう。福島の次は、どこなんだろうか。愚かさが、哀しい。

Android Studio

どうでもいいけど、atomあたりに集約できないのかなぁ。

どちらも無料だから、Androud Studioはありがたい。ですけどね、IDEごとに操作が異なると、この歳になると、「指が勝手に動いてくれる」モードの切り替えにも、すごく手間取っちゃって・・・

若い人たちにお願いしたい。IDEの操作コマンド、ctrl-Fみたいなショートカットや、コメントアウトのショートカットなどなど、「標準規約」を作ってもらえないだろうか、なんて思う。

「コーディング規約」もなぁ。規約レベルでプラットフォームにimportできると、キータッチ数は減るし、出来上がりも見栄えがいいし、とってもありがたいんだけど。

わがままで、ごめんなさい。自分でやるには、歳を取りすぎた。

6次元

書きたいという衝動に駆られている。
間違うかも知れないとか、今(仕事もせずに)こんなことをしていていいのか、とか、多少は意識をよぎるけれども、今日は、衝動に流されることに決めた。
だって、そういう生き方をしたくて、大学をやめたんでしょ?と自分に言い聞かせつつ。

6次元というのは、師匠の講演会の一つの「キーワード」かも知れないと考えている。
これまた、「キワもの」扱いされそうな話題だけれども、いわゆるUFO(未確認飛行物体か?)で地球に移住して来た人類(現在も、意識体としてはほぼ全員がここで暮らしている)は、全員が6次元以上だった。理由は単純で、UFOには6次元以上でなければ乗れない。アメリカにはUFOの残骸があるらしいけれども、「地球上には存在しない物質」で出来ている、そうな。(実際に存在するのか、都市伝説なのかも、師匠の講演会で話題として取り上げられたことがある。あの人は、知らないことがない人だから。隠し事しても無駄だし・・・)

UFO自体は、6次元以上の人ならば、誰でもが「作り出すことのできる乗り物」だけれども、「霊道」が開いていなければ無理。つまり、自由に「意識体」の世界と意思疎通できる程度に、一切の「汚れ」がなく、我々が陥りがちな「我欲」などは一切持たず、肉体を持っていてもその状態を維持できる6次元以上の人、という、極めて「ハードルが高い」状態でなら、実現可能な乗り物、ということになる。
UFOに拉致された人、というのがテレビに出ていた。テレビを通じての言動を見る限り、私でも6次元ではないと感じた。師匠は断言されていた。6次元に届かない人がUFOに乗るなんて、絶対に無理。意識体そのもののエネルギーが足りないから、UFOが移動したなら、そのまま取り残される。今も、池袋なんかに出かけたなら、ごちゃごちゃといる(いわゆる「成仏」できない)「浮遊霊」さんたちが、肉体を持っている人をすり抜けてしまって、意識のコンタクトが出来ないから、肉体を持っている側も「浮遊霊」さんたちも、どちらも気づかない、それに近い「すり抜け」で、UFOが飛んでも4次元、5次元の方は、乗れない。

詳細は師匠の著書を見ていただきたいけれども、地球系霊団を指導されて来た9次元の方々(俗名:モーゼ、アッラー、イエス、釈迦、孔子、ゼウス、アルキメデス(=ニュートン)、ゾロアスター、マイトレーヤ(=クザーヌス)、と、僕が俗名をよく知らない、アケメーネ、敬称略)10名を中心に、地球での独自の「霊団」を造ろうという話になったんだそうな。その際に、地球に移住して来た6次元以上の「霊体」(=ヒト)を元にして、5体の分身を作られた。言い出しっぺはアッラー(アール・エル・ランティー様)だそうで、実現したのは、他の星系でも経験があったゼウス(セオリア様)だそうな。その際に、実は創造主も関与されていたらしい。

こうした経緯で、6次元以上をベースに、その5倍の人数の4次元の「ヒト」が地球生まれとして誕生した。通常ならば、まず「霊体」としての基本的な教養を叩き込まれてから肉体を持つはずだったのに、地球系霊団の創造という「先」を、焦るともなく、何も起きないだろうと考えてしまって、どんどんと肉体を持たせてしまった、という経緯があるらしい。その結果、「意識体の世界」が「実」であり、肉体の世界は「仮」だという認識が反転してしまい、物質世界だけが世界だという認識が広まった。

この辺は、エンジニアとして耳が痛い話で、原子力開発なんてその際たるものだと思う。肉体の表面に「イボ」を造ってしまった。それを人類は「地中深くに埋めたらいい」と考えて、表皮を掘って真皮のあたりに埋め込もうとした。何も起きないだろうという、安易な発想。もし、そんな「寄生虫」がいたとしたなら、僕らヒトはどうするだろうか。それが「地球」なら、地球という意識体はどうされるだろうか。大陸ごと沈めること、くらいしか手段を持たれない。発生源となった大陸を沈めると同時に、その時の津波で、関係する施設を持つあらゆる大都市を水没させる、その程度しか、出来ないけれども、もう、その流れには、完全に乗っていると思う。もう、以前書いちゃった。埼玉県で言えば、川越のあたりまで津波が来る。他の県は知らない。(肉体を持っている師匠は、埼玉県民ですので・・・)たぶん、極転移は、その後だろうな、という気がする。

ロンドン、パリ、シドニー、メルボルン、以下省略。海抜50m以下の大都市は、「その時」におそらく全滅する。オランダ?大洋州の国々?国ごと?ごめんなさい、僕は聞いた話を書いているだけです。ただ、一石二鳥なんだろうなぁ・・・、あんな高次元の方の意識は、私にはわかりません。もしかしたら、鳥とか魚とか虫とか、その辺の生き物は、地球の意識をある程度直接に受け取っているのかも知れないけど。(生物学者に聞いてください。)それは「天災」ではなく「人災」だと私は思う。ただ、いくつかの「文明」というか「文化」は消失しても、それを造った「ヒト」の意識体までは滅びない。それを「教訓」として、次に活かせ、ということだと思う。何も活かせなかったのが、アトランティス大陸、ムー大陸、ゴンダアナ大陸、などなどなんだろうか。せめて、北アメリカ大陸だけは、そこから「教訓」を導き出して、人類の未来を考えるべきだと僕は考える。
国連のどなたかが、「アメリカ抜きで世界の問題は解決できない」とか話されたらしい。(元情報は検索しない。)そうじゃない、アメリカ抜きで世界の問題を解決するように、というのが、トランプ(あれは、たぶん4次元)を大統領にしたアメリカに対する、せめてもの「世界」の賢明な対応策だと、僕は考える。できる、と思う。どこの国も、負担が大きくなるから逃げているだけだ、とも思う。
話が逸れまくった。

6次元の世界では、ひたすら「専門性」を追求する。プロフェッショナリズムというのが表現として妥当なんだろうか。師匠の著書では、「大学の教授」(の一部)だとか、大企業の社長(のごく一部)なんかには、6次元が多い、らしい。極めて個人的に、随分昔に「展示会」で手厳しいお言葉をいただいた、20年前の「緑十字(ミドリ安全?)」の社長さんなんかは、間違いなく6次元以上だろうと、記憶を再生しながら思った。イチロー選手?井深大さん?6次元以上の方は、お会いしたらすぐにわかる。(自分自身が6次元以上でないと、わからないのかな?)そして、落ちない条件も、なんとなくわかる。「自分のこの判断によって、自分のこの行動によって、他人にどんな迷惑が及ぶか」という部分に、ものすごく神経が行き届いていらっしゃる方々。それを自分に課している「厳しさ」が、時には周囲を巻き込む。もしかしたら、その部分こそ、この「物質世界」を想像された、(あまり使いたくない表現だけれども)「神」が意図された部分かも知れない。

そうして、6次元までの「ヒト」をカバーしたならば、2σ(シグマ:標準偏差)というんだろうか、おそらく世界人口の95%以上は、カバーできる。その方々に、師匠の言葉ではなく、僕自身の言葉として書くならば、「自分は、周囲の人間を幸せにできるか」を、常に自問自答して欲しいと、伝えたい。6次元の方々には、実力を伴ってそれを実現する力があるはずで、そこに「私欲」を紛れ込ませたなら、今世間に話題を振りまいているパワハラの象徴のような、スポーツ団体のトップだとか、官僚組織の上層部だとかの醜態が浮き上がる。あれらは、仮に人間の社会で制裁を受けなくても、ご自身の「エネルギーレベル」が落ちて、次からはおそらく、4次元、5次元からのやり直しになると、私は思う。4次元、他人への気配りなど思いもよらない、ただただ、自分自身が生きるために必死な方々。日本とか欧米のような国ではなく、生きることに必死になる環境でしか、生まれ直しはできない。5次元、他人への気配りなどはできるけれども、エネルギー量が足りなくて、専門性のある仕事には就けない。専門性のある仕事についてしまうと、周囲に迷惑を及ぼしたり、職種によっては誰かを死なせたりもする。そうして、結局さらに落ちる。その(この世界特有の)シビアさが、肉体を持っている社会での基本ルールだと思う。機会は万人に「平等」に与えられているのに、だいたいが「我欲」で落ちる。

師匠の講演会からの表現で言えば、「創造主は、空気を人類に与えた。殺人犯だって、空気を吸うことができる。これこそが、創造主の与えた平等だ」という表現。この言い回しは、伝え方を間違っていないと思う。この言葉は、何としても伝えたい。ところが、そこに「我欲」が加わる。「土地の権利書」って、人類には「土地」は創造できない。「浮島」?大地と、その恵みがあってことその「浮島」でしょう?と思う。いや、論点がボケてるのは、わかってる。「6次元」のキーワードを中心にして、ただただ、書きなぐりたいだけ。

少なくとも、6次元まで上がれれば、いずれ「地球」が、その「肉体」としての寿命を迎えても、他の若い星系に移住はできる。ヒトに「寿命」があるのと同じく、地球にも寿命があることは、ご存知なんだろうか。ご存知ない方も少なくないかも知れないけど。トランプとか。でも、あるんです。あの人、「そんなのはフェイクだ」とか、言い出しそうだけど。もういいや。遅いし。

まとまりがつかない。「物質的な充足」は、むしろ、自身の次元を落とす原因になる。どんな形でも、「周囲のヒト」との接点を大切にし、「自分には何ができるか」を常に考え続けることは、ヒトでも、その集合体の「国家」でも、大切なことなのかも知れないと、つくづく思う。

偉そうなことは書けないと、自覚はしている。師匠は、講演会でしばしば「アルコールが入ると、実在界(霊界)からの意識を受け取れなくなるし、酔っ払っていい気分になりたい浮遊霊を惹きつけるから、ろくなことにならない」というお話をされていた。それなのに僕は、書かなきゃという衝動と、書いたら怖いという恐怖心と両方があって、恐怖心を消したくて、ここまでに7%以上の濃度のアルコールを1.2Lは飲みました。白状しておきます。気が小さい私です。「神様」は怖いです。蚤の心臓。ガラスの心。小心者の私は、割とアルコールには頼って生きているかも知れない。一つ前のページの、「重力の定義」もそうだったけれども(実は、一つ前から、だけれど)この6次元の話題を言葉にするのにも、凄まじい葛藤があって、「もしおかしなことを書いたらどうしよう」を忘れるのに、かなりの量のアルコールを飲んだ。情けないよなぁ・・・でも、とりあえず、誰にも迷惑はかけてない。内容に間違いさえなければ、何もまだ、問題は起こしていない。まだね。

終わる。怖い。でも、たぶん、続ける。どうか、「神様」は「実在」だと、まず、知って欲しい。それだけは伝えたい。変な新興宗教じゃない。申込書に、住所氏名を書く必要はない。年会費をいくらだとか、(桁外れな)額を請求されることはない。というよりも、僕のこのブログを読むだけなら、タダだし。

以上。

キログラム原器

キログラム原器の質量がマイクログラム単位で変化しているらしい。

臨床工学の「生体計測装置学」の授業の定番、「7つの基本単位」で(標準テキスト最新の第3版だけれども、どれだったか「古い」定義が掲載されていたのを、調べていて見つけたけど、どれだったっけか?)、長さ(メートル)も、時間(秒)も、アンペアも、ケルビンも、モルも、カンデラも、全部物理現象から厳密に「定義」できているのに、キログラムだけは「キログラム原器」が基準になっている。

質量の変化は計測できるのに、その元となるキログラムの量を、物理学では「定義」できていない。ということは、要するに「力」も、「エネルギー」も、現在の物理学では厳密に定義できていない、ということになるんだろう。この点についての「異論」はないと思います。定義できないから、原器を使っている。

僕の大学の時の卒業論文は、「ポジトロンCTの画像解析」だった。東大の斎藤陽一先生から、僕の指導教授の内山明彦先生に、学生を一人つけてデータを処理したいと「論文テーマ」を分けていただいて、僕はそのテーマを最終的には選んだ。第一希望ではなかったけれども。思えば、最初の就職先も、派遣国のパプアニューギニアも、第一希望が通ったことは一度もない。でも、結果的には、これで良かったと思える経験を随分してきた。ということは、いかに僕自身の「判断」が未熟なのか、ということだろうな。遅すぎないうちに、適切な方向に「転んで」流されまくってきて、良かったと今では思うけれども。

ポジトロン(陽電子)は、電子と質量が同じで、プラスの電荷を持つ反物質である。と、そこから始まって、理解するまで随分と勉強した気がするが、本当に理解できているんだか、なんなんだか。そして今では「電子」には「意志」がある、という話が量子論から出てきている。無論、「ヒトの意識」などとは全く違う種類の「意識」からの「意志」だろうと思うが、そうなってくると、なぜ「電子」は存在できるんだろうか、という疑問が湧いてくる。

雷雲の中では、プラズマ放電で大量の「陽電子」が発生していることが「発見」されたらしい。ということは、何もない空間にエネルギーを加えることで、「電子」も「陽電子」もペアで発生しているんだろうか。興味は尽きない。そして、発生した電子の質量は、エネルギーを、光速の二乗で割れば出てくる。(m=E/c 2)。この電子の質量は、(ということは、電子の発生に必要なエネルギーも)、環境によって変化するんだろうか?疑問だ。もし変化しないのならば、電子の質量はキログラムの「定義」になっていてもおかしくない気がするんだが、そうでないということは、例えば、磁場や、光量、温度などが異なると電子の質量も変化するんだろうか。(勉強不足だ。違う分野を歩んじゃったから、結構物理学も基本のところがわかっていない私。)

ただ、そうして考えてくると、俄然、師匠の講演会の内容のうち、自然科学系「物質世界の成り立ち」について触れられていた部分が興味深くなる。全て、現在の「自然科学」の話題と矛盾しない。それどころか、極め付けは「重力は、引力ではないよ、圧力だよ」という部分。ナンジャラホイ、なんだけれども、畳み込まれた空間のエネルギーが3次元という物質世界に投影された時に、どうやって「物質化」しているのか、その部分で「力」がどのように「質量」に働いているのか、あるいは「物質」が「力の作用先」として「質量」という性質をなぜ持つんだろうか。きっと突き詰めれば、何種類もの「力」の統一理論なんかも、いつかはクリアになってくるんだろうか。なんてことを、私は個人的に考えている。
特に、「霊」については、師匠は「意識を持ったエネルギー体」と表現されている。「神」についても言及はされているけれども、「高次元の意識体」という表現もよく使われている。そもそもが、「神」だの「霊」だのという単語を使うから、話がいかがわしい方向に向かう。「神」におすがりしたって、何かお願いしたって、何も叶わないと思います。ただ、僕らの「指導霊」さんたちは仲間として、時々ヒントだとか、手助けだとかしてくれている気がするけれども。(ただただ感謝。)「霊」ではなく「意識を持ったエネルギー体」、「神」ではなく「高次元の、僕らヒトのはるか上位に位置する意識体」と言い換えると、時々師匠の講演会は「物理の授業」のように聞こえることもある。私と同じバックグラウンドを持っている方々にも、参加願いたいけれども、無理だろうなぁ。何かさらに「新しい発見」があった頃には、僕も師匠も、もう肉体は持っていない気がする。それから興味を持っていただいても、もう間に合わない。

師匠の講演会での話題。今現在、「指導霊」とか「守護霊」がついていない人が、激増している、らしい。昔だったら、指導霊さんが「そんなことはやめなさい」と意識を送り、微かながらそれを受け取って、冷静になって、激情にかられての暴挙は働かない、そうした時代もあったのに、今は、「止める」方がいない。ある意味で見放されているんだろうか。自分のやってしまった行動の結果を、本人が実際に経験して自覚しなければ、進化にも理解にも至らない。だからこそ、もう敢えて「止めない」ようになって来た。それすらも、イエスの再誕に向けての準備の「始まり」なんだろうか、と、私は理解している。(違っているかも知れない。私の言葉を差し引いて、師匠の言葉だけ残したいのが本音なんだが。やはり注釈は必要な気がするから、仕方なく自分の考えも書いている。)だから、今後益々、激情にかられて「あんな程度のこと」がきっかけとなって人を殺したり、そうした事件は増えていくのだろう。「今後、そうした事件は増えるよ」ということは、師匠も講演会の中でおっしゃっていた。「なぜなのか」を多くの方に考えていただくように、「伝える」ことは、チンドン屋の仕事の一部かも知れない。そう思って書いた。(間違った解釈が存在しないことを、ただただ祈るのみ。)

話を戻す。
なぜ、「物質」は存在するのか、そこからアプローチしなければ、もしかしたら質量は定義はできないのかも知れない。

そして、いかに僕らはこの「世界」についてモノを知らないか、思い知らされている話題だった。

ギャップ

師匠の講演会の受け売り。
ヒトの意識体は、(たぶん、物理的にもマッピングされた形で、)4次元から9次元まで、6つの次元に存在する。あの人は何次元、という言い方は、具体的な固有名詞も含めて何度も講演で聞いているし、そのうちの一部は師匠の著書にも書かれている。既に、このページのバックナンバーでも書いてしまった話題で言えば、田中角栄氏は7次元。そして、9次元は別格。イエスキリスト、釈迦、アッラー、モーゼなどなどの方々は、最初から人類を指導するために、直接創造主によって創造された意識体、だと聞いている。それ以外の、我々その他大勢は、全ての人が4次元として、意識体として「生まれ」て、何度も肉体を持つうちに、経験を積んで、「進化」を重ねていく。ただ、同時に「退化」もあって、次元が落ちることもある。

この段落は、師匠の受け売りではなくて、私の考え。
超ひも理論では、3次元から上の空間は11次元目まで「畳み込まれて」いると読んだ。もう僕のトシでは無理だと思ったし、数式を辿る元気も無いから、直感だけで読んだけれども、畳み込まれている次元、ということは、コンボリューションだろうか。多重積分の結果が、次元の落ちたベクトル量になる。そこで起きる現象は、システムエンジニアの発想で言えば、マッピングとか、キャスティング。日本語にしたなら「投影」であって、そこから英語に戻したなら、プロジェクション。つまり、3次元の物質世界は、より高次元のエネルギー空間からの「投影」によって構成されている、その結果として、4次元から8次元という次元の異なる「意識体」が相互に意思疎通し、言葉を交わして、一緒に生活できる。

直前の段落の「私の考え」を受けて、師匠の受け売りから「私が考えた結論」は、(師匠も講演会で、ほとんど同じ内容のことを話されているけれども、結論に至るプロセスに私の考えがあるので、こうした微妙な書き出しをしているけれど、)創造主は、全てのヒト(すなわち、創造主と同じように、「地球」の意識とも違う、「電子」の意識とも違う、自分たち中心の表現で申し訳ないけれども、創造主と同じ「人格霊」としての意識を持つ意識体)を、最初は4次元として創り出しておいたけれども、まず自力で8次元までは進化して欲しい、とそれを意図して、投影(プロジェクション)によるこの3次元世界を創造された。と私は理解している。

そして、この話題の本題。何を「きっかけ」にして、このページを書いたか。ツタヤのレンタルで「マディソン郡の橋」を借りて、今見ていて、クライマックスか?クリント・イーストウッドと、メリル・ストリーブの朝の会話を見ていて、ふと重なった。(僕が、どういう生き方をしてきたかは、書かないけど。)
メリル・ストリーブの演じるフランチェスカのモデルは、おそらくは4次元か、5次元。クリント・イーストウッドの演じるロバートは、たぶん6次元。
この会話の断片。「地球を家とする」とか、「人生を数日で生きる」とか、あれやこれや、DVDを見ていて思った。心から理解し合えるはずがない。違うのだから。ただ、6次元なら4次元や5次元の感覚に「共感」を持つことならできるはずだ、とそう感じた。

この段落は、師匠の受け売りがベースで、私流の解釈が加わる。
4次元は、まず「肉体を持つ」ということがどういうことか、その経験をするために肉体を持つことを課題とする次元。この1文は、私なりの見解で表現を私の流儀で書き加えるけれども、5次元はいわゆる「いい人」で、「自分がこうしたら、この人がこう困るだろうから、こうしてあげよう」という気配りが、完全に身についている人。5次元以上は、当たり前のようにそれができる。けれども、4次元から見たら「偽善者」だとか「上から目線だ」とか「鼻につく」とか、自分にはそうした感覚がないから、5次元以上が当たり前のように周囲に気配りすることが、不快でたまらない。ここに、「感覚」的に埋めることのできないギャップがある。極めて、個人的な経験の記憶から。
6次元は、一言で言えば「専門職」だと師匠から聞いている。どんな仕事でも「プロフェッショナル」を目指すレベルで、一つの仕事で「極める」ことを毎回課題とする次元。ところが、「一番、誤りやすいのは6次元」だと師匠は講演会でおっしゃる。(以下、私の解釈)まず、他人を見下すようになる。わかりやすい例が官僚だろうか。あの人たちは「社会運営のプロ」だと思っているらしく、自分たち以外を「指導されるべき下賤の民」だと思っているのかもしれない。

これも師匠の受け売り、からの、私の表現。(いちいち、面倒臭いから、皆さん、直接師匠の講演会を聴きに来てくれたら話が早いのに・・・)創造主から見て、最も良くない「欲」は、「他人を思い通りに動かしたい欲」らしい。いわゆるパワハラか。創造主は、6次元の人が4次元や5次元の人に対して、「先輩」として、あるべき姿を見せながら、指導することを期待されたのかもしれない。ところが、ほんのちょっと専門性を高めると、すぐに大上段から振りかぶって、押し付けて、思い通りに動かそうとして・・・ってな具合で、どうも、「振り出しに戻る」人も少なくないようで。個人的に考える。「気配り」すらできないなら、4次元からやり直せ、ということなんだろうか。あるいは、「気配り」ができない時点で、意識体のエネルギーレベルが落ちて、5次元にすら戻れないことになるのか。「あ、この人たぶん」ってなことは、最近時々感じる。大丈夫。落ちても、よほど欲にまみれていなければ、また肉体は持てるから。

7次元まで上がると、そう簡単には落ちない。全ての人を平等に見ている。極めて個人的に、私は天皇陛下ともお会いする機会があった(青年海外協力隊の隊員は、みんな謁見しているみたいです)し、ソニーの創業者の井深さん、MITの教授、あの人、この人、普通のサラリーマン、そして、あの人、この人(アゲイン)、路上生活者、ヤクザ、元ヤクザ、自称右翼、パプアニューギニアの元強盗、などなど、誰とあっても自分も変わらないし、自分からの相手への接し方も変わらない。それだけは自信を持って。だとしたら自分の次元は、ということも考えるけれども、そして、8次元のあり方を描写できない時点で、だいたい見当はついてる。

私は「チンドン屋」なので、師匠の講演内容を、少しでも多くの人に伝えたい。その手段は人(勉強会の会員)それぞれ。直接会いに行く人もいる。私は、WEBページを使っている。
他にも、盛り込みたい話題、派生的に言及したい師匠の講演内容(だって、もう600時間は聴いてる)もあるけれども、論点がボケるので、これで終わる。

ギャップは、あります。それは当然。そのギャップを埋めるために、僕ら全てのヒトは肉体を持ってる。この点は、伝えたいと思った。

「マディソン郡の橋」を見て、こんな感想文を書く奴、絶対に他にはいないだろうな、とも思ったけど。

以上。

続編は是非、安部さんに

安部総理が、引退後は映像制作に関わりたいといってると、ラジオで小耳に挟んだ。(この表現、正しいか?)
これか。

是非、「怒り」という映画の続編を、作ってもらいたいね。まず全部見てからね。キャストにも圧倒されたけど、監督の才能にも凄みを感じた。

ロケ地はやっぱり、沖縄だろうな。

パスワード忘れた

ウエルシアはよく使ってる。地元に3軒もある。ポイントサービスのついたレシート受け取ったので、アプリをインストールした。どうせなら、割引情報使いたい。

ログインして登録していったら、「ご登録のTカードIDは、別のYahoo IDに登録されています。」とか出て来た。

Yahoo IDは、昔使っていたのと、ゴミメールに辟易して作り変えたのと、二つ持ってる。昔のだ、と思って、昔のYahoo IDで入り直した。

「パスワードが違います。」

なんとか、メールアドレスでログインした。パスワード変更をかけようとした。そうしたら、「現在のパスワードを入力してください」よく使うパスワード、「控え」をみると20位を使い分けていて、片っ端から入れたのに、全部違う!何を使ってましたっけ?「秘密の質問」意味ないじゃん。お袋の旧姓なんてもちろん覚えているし、ログインだってしてる。パスワードを忘れたから変えたいのに、「現在のパスワードが違います。」

ウェルシアアプリ、使うの諦めました。削除しました。割引情報?いいです、要りません。正価で買います!

どうせ、バカですよ〜だ。

平成35年

早々と免許更新を済ませてきた。平成35年まで有効、となってた。

考えてみれば、平成年号の場合も突然だったから、人によっては昭和66年くらいまで有効の免許を持ってた人とか大勢いたはずで、世間に「こういうものだよ」という共通認識があれば全然問題にはならないんだろうな、と思った。

ダイソーで来年のカレンダーも買った。もはや和号は入っていない。こうしていずれ、和号も形骸化するのかもね。なんだかもう、要らなくない?

情報屋さんたち、大変だろうなぁ、と他人事のように・・・

願わくば、ライブラリとかプラットフォームが賢く変換してくれて、何も考えずに最新版をダウンロードして更新をかけたら、勝手に新年号が表示されるようになりました、と、なっていますように。

夏時間ほどではないにしても、2ヶ月前の発表?何考えてんだとは思うけれども、夏時間が震度8クラスだとして、和号の対応も震度6強くらいのインパクトはあるんだろうか。

平成35年だって、平成40年だって、いいじゃない。それくらいの寛容が欲しいな。まず、役所がそれでも書類を受け付けることが何より大事だと思う。帳票系はやたらと手間がかかる。

バカな政治のおかげで、現場のプログラマがバタバタと倒れる、なんてことがありませんように。
合掌( -人- )

スパン

一つ前のページ、一気に過不足なく書き上げようと思っていたけれども、なかなかうまくいかない。
無駄に長かったか、と思いつつ、やはり授業と同じで、伝わる書き方と伝わらない書き方はあると思う。枕が長すぎるかも知れないけれども、80点。ただ、明らかに「結」の部分は失速した。書き尽くせなかった。もう、書きたいと思った文章は出てこない。一発勝負でコケた。

要点は一つ。地球も意識体で、「地球規模」の現象は人間の「意識のあり方」によって起こされている、と、それを伝えたかった。

それだけ書けばいいだろ、と思いつつ、いきなり「公式」だけ板書して「これ覚えて」ってやったって、ダメでしょ、と、ただそれだけの理由。自己満足でなければいいんだが・・・

問題は、タイムスパンだ。地球規模の現象だと、200年先など「もうすぐ」の話だけれども、僕らの感覚では「もう自分は間違いなく、ここにはいない」未来の話で、無関係と思われたなら意味がない。地球のスピンが変わるというお話も、どのくらいのタイムスパンなのかがわからない。何も起きなければ、このページも、単なるアホだ。もう開き直っているけれど。最初は数百年以内、だと理解していたけれども、もしかしたら、もう始まっているのかも、と思ってしまった。間違っていたらどうしよう。

あれね。ラジオで誰かが言ってたなぁ。持ち物に「死後裁きにあう」とか書いてあったら、絶対に盗まれないって。(そんなことを持ち物に書く人だと、思われたくないから、だと私は解釈したんだが・・・)僕も「近づきたくない人」にはなりたくないんだが・・・。それがあるんで、必死で「自然科学的になんちゃら」の伏線を張って、一応は自然科学系の人から突っ込まれても、反論できるだけの内容を、と思ってはみても、それはそれで煙たいし・・・、どう書いたら説得力があるんだ?って、もういいや。もう書いちゃった。

師匠が再三話された内容を、私自身の言葉で書けば「人間が心を変えなければ、こうした過去に例を見ない自然災害は無くならない。」ということだろうか。逆に言えば、人類が心を改めれば、自然災害もスケールダウンする。私はそう理解している。

ところが、今日も、ラジオでゴゴモンズとか聞いていると、ジジイババアの悪行がすごいみたいで・・・年をとって、マナーなし、礼儀なし、やりたい放題の話題がザクザク。嫌だなぁ、そういうジジイにはなりたくないなぁ。そういうババアには絶対にならないけど。

日本人の悪行。野生生物の輸入なんかもそうだろうけれども、臓器目当てなのか、人身売買などもマスコミがあまり扱わないだけ、のようにも思う。あるいは買春ツアー。オレオレ詐欺のような詐欺行為。ブラックで、社会的な役割を放棄したような企業などなど、日本にだって、知ったら日本人でいることが嫌になるような話題が結構ある。まず知るべきだと思うんだが。

アメリカ?ノーコメント。

他人の存在を自らに利するためだけに認識するような、文明のあり方。ネット社会のダークサイド。「国益」には土地だの地下資源だのが絡む。世界的な右傾化傾向。「まず自国の利益を考える。」そのこと自体は間違いではないと思うが、相手の存在とか立場を考えなければ、共存はできない。みんなが国粋に走ったら、地球規模で何が起きるんだか。日本は、というよりも、安倍総理は武器輸出三原則を廃棄した。この流れも、もう元には戻せないと思う。稀有の、上から大切に思われる資質だったのに。もう、壊れてもいい普通の国だ。

インターネットがこれだけ世界的に普及して、いわば黎明期。今、師匠の言葉を伝えなければ、時期を逸すると思った。かなり焦ってはいるが、焦って間違ったら、取り返しがつかないから、慎重であれと、一応自重はしている。
でも、僕なんかより、インターネットの普及による「悪弊」の拡散の方が、明らかにパワーも大きい。今後トランプのような国家元首が、ゾロゾロと出てくるのかも知れない。イエスが再誕する頃(師匠の著書に、書いてあったかなぁ、講演会だけだったかなぁ・・・)どんな世の中になっているか、聞いている。あまり楽しい話ではない。

サバイバル。モラルが喪失した社会で、自分が正しいと思う行動を貫くことが難しい時代になる、と理解している。が、やはり、もしかしたらもう始まっているのかも知れない。サバイバルと聞いて、ナイフを振り回す方の発想に走ったなら、その時点で終わっている。
こうして「師匠の受け売り」を書き続けることは、言って見ればオプションで、自分自身が流されずに生きることがはるかに大事なのは、理解しているが・・・

あれやこれや、思い出すと、全く自信がないけれども。師匠に出会う前は、ひどいもんだった。偉そうなことは何も書けない。ただ、少なくとも今からは、なんとか頑張るしかなかんべ。

焦ってるかも知れない。だからこそ、しばらくこうした話題を書くのは自戒しようという気が、すごくした。ちょっと勢い余って間違えそうな、悪い予感。加えて、仕事が気になる分、意識が分散してる。

長々と書いたけれども、要点はたった一行で冒頭に書いた。以上。

スピン

かなりの長文になると予感します。

授業で、MRI(核磁気共鳴)の解説をするたびに、「原子核のスピン」を「実演」するために水筒かペットボトルを持って、摩訶不思議な手首の動きをしているんだけれども、なかなか笑いは取れない。
考えてみると、原子核のスピンを倒す、なんてことがそれなりの磁場をかけて、電磁波を照射してなんてやりながらも、人為的に出来るなんて、すごいことかもしれないとも、時々思いながら話している。

ポジトロンCTで使用するγ線は、電子と陽電子の結合による消滅エネルギー。電子と中性子や陽子とでは質量が桁違いに違う。(2000倍くらいか?)実は、陽子線治療は、陽子の衝突のエネルギーなのか、陽子が衝突して核種が変わることによるエネルギーなのか理解していないけれども、陽子や中性子のレベルになると「消滅エネルギー」ではなく、核反応で核種が変わった際の差分を取り出すだけで、いわゆる「核分裂」「核融合」のエネルギーを取り出している。それだけ質量が大きい、ということだろうし、原子核一個を「消滅」して全部エネルギーに変えられたとしたなら、およそ、人類にコントロールできるようなエネルギーにはならないと思う。核分裂反応ですら、直接エネルギーを取り出すのではなくて、水を沸騰させる程度の使い方しかできていないのだから。

師匠の講演会の受け売り。もっと賢い方法は、1000年以内に人類も獲得する。ようやっと宇宙人が人類にコンタクトできる(宇宙人と聞くと戦争しか考えない思考回路が大幅に改善される)状態になって、外部の知識でそうした技術は地球にも伝わる。だから、処分方法が見つからない「原子力」に頼って核廃棄物を量産するのではなく、当面はそれ以外のsustainable energyに頼ったらいいのに、と思うんだが、根拠を証明できないから、聞く耳を持ってもらえないでしょうね。かくして、どうしていいかわからない借金を子孫に押し付ける行政がまかり通る。

話を戻す。「簡単には消滅させられないエネルギーレベルの物質」という文脈で書くならば、原子核の自転スピンを倒すのに、「こんな程度のエネルギーなの」という思いと、「数テスラというとんでもないエネルギーだな」という思いと、その両方がある。
ここまで、話の枕。以下が本題。

師匠の講演会の受け売り。ごく近い将来、地球の自転軸が傾く、と聞いている。このページの主題は、これです。似たようなことを書いているページは、世間にごまんとあるし、「あぁあ、また始まったよ」という方は、ここで読むのをおやめください。別に読んでくれなくてもいい。

師匠の受け売りがベースだし、その部分だけは絶対的に「正確」でなければならないと理解している。ただ、今日これを書こうと思ったのは、ふと、この話題を書かなきゃと思ったからで、自分自身の「理解」が相当に入り込んでいる。私の言葉を書くときは「私はこう考える/理解している」という書き方をする。その部分は、師匠の言葉と切り分けて欲しいと願う。師匠の言葉とは確度の桁が違う。(これも、話の枕か。)

地球物理学では、北極や南極の調査で、過去何度も地球の磁場の北極と南極が反転していることが確認されていると理解している。その反転の時期には、一時的に磁場や地球をカバーする電離層が弱くなる。
これは私の考えだけれども、地球内部のマントルの流れが変わるのだろうと思う。その結果として、磁場が反転する。まだ我々が知らない周期運動を地球はしているのかも知れない。

師匠によれば、かつて文献(聖書にもあったかな?講演内容を忘れた)に記されているような、「星が流れた」ように、夜空の星が「流れる」現象が起きて、地球のスピン、自転軸そのものが傾く。その時に空を見ている人たちは、星が一斉に動いていった、という感じだったんだろうか。思うに。ってか、感じるに。どういう動き方をするかは、私は理解していないけれども、日本は亜熱帯になる。現在、紛れもなく「文明」が非常に進んでいるあたりが、北極になる。(具体的な国名も聞いたけれども、それは書かない。)恐竜の絶滅の時にも、これに類した現象が起きた。隕石説は誤りだよ、と聞いている。(隕石の落下がなかった、などとは聞いていない。)あくまでも、因果関係の話。

で、私はそれは、まだまだ先の話だと思っていた。ただ、師匠の講演会ではなく、別の自然科学系の方から聞いた話。地磁気の磁気レベルが、近年異常な変化をしている、らしい。(データを見ていないから、知らない。)加えて言えば、「磁北」そのものの移動が激しくなっている、らしい。これも、根拠は確認していない。ごめんなさい、論文を書いている訳じゃないので、暇がない。昨今はほぼ積ん読になってる、IEEEとかAAASの学術雑誌を見たら、何か誰かの論文があるかも知れない。(もう、論文を書く立ち位置にはないのに、興味だけで学会会員を続けている。高い「趣味」のコストだ。あ、学会って言っても、例のナムミョーナンチャラじゃないです。)
それと、昨今の地震発生の頻度。明らかに、マントルの動きがおかしいよな、と思った。そこに、今日聞いてきた師匠の講演会の内容の一部が重なって、あ、これ、今日書こうと思った。
もしかしたら、地震発生とか、何か関連があるのかも知れない、と思った。

トランプ大統領が、「地球温暖化なんて、うそっぱちだ。温室効果ガスなんて、フェイクだ」とかなんとか言ってたらしい。自分に理解できないことと、自分に都合の悪いことは、全部「フェイク」にしちゃう人の言うことだから、聞き流して、ただただ、あの「迷惑」を低減するだけのために、全世界が協力すべき時、なんだろうけれども、ただ一点、トランプの言い分で「これは正しい」と思えた部分がある。

僕の師匠、たぶん、「ヒト」よりも上のレベルの意識体の意識やら、宇宙だの人類だのの「設計」レベルからの話題を、矛盾なく講演会で話されている。システムエンジニアの私が「矛盾なく」と必死で考え抜いて、10年がかりで結論しただけで、私がエンジニアとしてポンコツなら、信ずるに足りない話題だけれども。そう言う意味では、「×」と言ってもいい、と、漢字一つの単語を持ち出したい気分はあるけれども、この単語を持ち出した途端に、新興宗教だとか騒ぐ人たちがいるから、その単語は持ち出さない。取って喰いやしないから、直接話を聞いてくれたらすぐにわかるのに。そもそも、「私の病気を治してください」とか言って「おすがり」されても、「自分を救うのは自分しかいない」とか、突き放されるだけなので、宗教だと思って参加してくれたなら、お生憎様だろうか。

僕にとっては、そんな畏敬すべき方と、あのトランプで、主張に「共通点」がある、などと書くこと自体、不本意なんだが・・・

「温室効果ガスは、それほど現在の地球的規模の異常現象の原因ではない」と言う点が、その共通点。

トランプに根拠を聞いても、あの人は自分の発した言葉の「根拠」など一切提示できないヒトだから、今更確認しようとも思いません。アメリカ人の皆様方、ごめんなさい。大変失礼させていただきます。

師匠の講演会から私が考える「根拠」は、「地球も意識体」だから、「ヒト」とは意識レベルが異なるけれども、「意識」を持って人類に対処しているよ、と言う部分。
せっかく、起承転結の「転」まで来たのに、ここで一旦話題がそれる。

これまで、「人間」の実態は「意識体」であって、肉体は「意識体」すなわち「霊」の乗り物だと書いて来た。過去のページで、随分、これを書いてます。意識体が肉体を抜けてしまうと、「肉体」からの刺激は受け取れない。

だとしたら、死んでまもない霊体さんたちとかが、肉親に合図を送ったり、あるいは、迷ってしまった霊体さんたちが、時には酔っ払いに、時には職場でブチ切れた人たちに、時には家の中で鬱々としてこもる人たちに、憑依したり、あるいは、死ぬ直前に憎悪の意識だけに固着して、ポルターガイスト現象を起こすほどの悪霊になってしまった人たちの存在を、どう説明するの、と言うのが、自然科学的に考えて、おかしいと思いませんか?自然科学的なアプローチ、「現象」に対する「説明」の「整合性」の問題です。疑問に思わないだろうか。(え?それ以前?)

だって、「脳」がなくなったら、見ることも聞くこともできない。なぜ、この「物質」の世界で「モノ」を認識できるのだろうか。その答えは、やはり、師匠の講演会にあったと理解している。まず第一に、「意識体」は「意識」とは交信できる。「目」も「耳」も伴っていないから、いわゆる「見る」ことも「聞く」こともできないけれども、それを見ている人の意識は感知できる。僕自身が左耳はメニエール氏病で聞こえないから、状況によっては隣の人の話が全く聞こえていないこともあるけれども、分脈と表情から、ほぼ完全に何を言っているかわかるような経験は、何度もしている。それと同じだと思った。霊体さんたちは、生きている人の意識から、情報を得ている。

第二は、形ある「モノ」には全て「意識」がある、と言う講演内容だろうか。実証するには?前にも書いた。テレビ番組で、失踪したタクシーがどこにあるか、アメリカからの霊能力者が途中まで霊視した。その続きを師匠が講演会で話題にしていた。狭山湖に沈んでます。どうやって辿ったか。道路も、空間も、痕跡が残っている。人間は「嗅覚」と解釈しているけれども、警察犬は匂いだけではなく意識の痕跡も辿っている、とも、聞いた記憶がある。本当に狭山湖に、あの失踪したタクシー運転手とタクシーがあるかどうか、宝くじが当たったら、私が金を出すから、調べてください。机にも、椅子にも意識がある。無論、「人格霊」のような「意識」ではなく、どんな意識なのか私には想像できないけれども、「意識」として扱えるものがある。共通の説明でいうならば、「独立した自由なエネルギー体」の存在、だろうか。
話が収束しなくなるから、「独立」とか「自由」とかに突っ込まないでください。興味があるなら、師匠の講演会のCDをどうぞ。会員限定ですけど。お金さえもらえるなら、ってか、チーズケーキにコーヒー程度で、私が個人的に、師匠の講演内容を説明します。暇があれば。

超ひも理論では、宇宙は十三次元。縦横高さの三次元の上は、超ひもが絡み合った数フェムトメートル、数アトメートルあるいはそれ以下の近傍に次元そのものが畳み込まれている。人間としてのエネルギーレベルが上がると、「次元」が上がる。つまり、物質世界を説明する論理にマッピングされる形で、ヒトのエネルギーが説明できる。その「エネルギー体」の存在は普遍的であり、「ヒト」は創造主ご自身の「意識体」に近い「意識」として存在しているけれども、机も、椅子も、原子も、電子も、素粒子も、それぞれのレベルで「エネルギー体」にマッピングされる形で、それぞれの「意識」を持っている。これは京大の先生も推測されていた。上も同様で、地球は地球の「意識」を持っているし、その上の「銀河系」も銀河系レベルの「意識」を持たれている。銀河系宇宙が「肉体」を持とうと思って準備されて、始めたその瞬間にビッグバンが起こった、と私は理解している。僕らは、銀河系宇宙の意識に内包されている、と理解している。ビッグバン宇宙は、今現在合計で18個は存在している可能性があり、地球が帰属する「銀河」の外は、我々には計測することすらできない、と、私は理解している。この「師匠の受け売り」の部分は、突っ込まれたって、答えようがないけれども。

肉体を持っている世界で、僕らは全ての「モノ」を認識できる。ということは、電子や原子の「意識」を知覚することはできなくても、その「肉体」を知覚することはできる。だから、(話を戻すなら)霊体さんたちも、普通に「見て、聞いて」ということができているのだろう、と私は理解している。この説明、もう何年も考えて、師匠の講演会の断片をかき集めて、自分なりの答えを出した。
僕自身は、1000通り程度の組み合わせの if / then / elseの条件分岐の組み合わせなら、数分で「見落とし」とか「処理の自己矛盾」を指摘できます。職業病です。「お前、それは間違ってる、宗教だ」と騒ぐつもりがあるなら、顔と名前を出して、どこでも公開の論戦をやるから、お待ちしてます。(あ、いや、実際に論戦するとなると、仕事の都合もあるし、時間もないし、面倒臭いし、頼むから喧嘩を売ってくれるなと思いつつ、書いてみました。)

話を、「起承転結」の「転」に戻す。

地球は意識を持っている。人類がどんな考えで、どんな生き方をしようとしているのか、「結果において」ご自分の自身の肉体の上で生息している人類を育もうとする地球の意識が、現状をどう判断されるか、ということが大きいと思う。

この段落は、師匠の受け売り。暴風雨が地球上のどこかを襲う。汚れを全部吹き飛ばして、きれいに戻したいという地球意識が働いている。集中豪雨もそう。地表の汚れを洗い流したい。つまり、僕らの「生活のための手段」は、すべからく、地球意識から見たら「ゴミ」に見えているのかもしれない。

僕は、そう理解した。

だから、「なぜ今、こんなにも地球規模の災害が多いの」という答えは、「人類の意識が、汚れ切っているから」ということになる。と私は理解する。
だから、トランプ大統領の、「温暖化ガスの排出量は、関係ない」という主張は、結果において、必ずしも間違いじゃない。問題なのは、人類の意識の汚染だ、ということになる。人類が意識を変えなければ、もっと悲惨なことが起きる。結論においては、トランプさんはその真逆を言いたいのだろうけれども。

日本の、自民党の選挙戦。「国土を防錆するためには」で、自衛隊に関する議論がかしましい。「土地は誰のものか」ってな話題だろうか。地球上の土地のすべては、「地球意識」の肉体の一部であって、そこを、「ここは日本の領土だ!」って、どうなんだろうか、というのが私の考えの中にはある。

例えばね、私が「蚤」に僕の肉体を解放したとする。その「蚤」が、彼らなりの意識レベルで縄張り争いを始めて、「ここからここまでは、僕の領土だ」とか騒いで、僕に噛み付いたとする。まぁ、自分が居住を許した「蚤」だからなぁ。そりゃ、我慢するよ。ただ、「ここは俺の」「ここはうちの」ってな意識があまりにも伝わってきたら、どう思うか。「う・る・せ・ぇ、全部俺の肉体だ」と言いたい。体表面の鑿を全部洗い流すよ。当然でしょ?そう思いませんか?
いや、「間借りしてます、住まわせてください」ってな感じで、下手に出てくれたら、「そうか、わかった、使っていいよ」ってな感じになるかもしれないけど、縄張り争いやら、騒がしいのは、嫌だよなぁ。と、思いませんか?自分が蚤に肉体を貸す、とか、地球意識になったつもりで、なんてな比喩が、そもそも、イメージしきれないのはわかっているけど・・・他に伝えようがあるか?伝え方を教えてよ。

領土問題。争うな、とまず言いたい。パレスチナとイスラエル。「人間」が決めたルールを、住民個人が申請して、「どちらのルールに従うか」を登録させるだけで、共存できないのか?どっちも「人殺し」は容認していないでしょ?その程度で十分。
日本とロシア。「領土」にこだわって、何のいいことがある?だって、地球が寝返りをうったら、あるいは邪魔だと思ったら、北方領土そのものが根こそぎ海に沈むことだって、あると思うな。それは日本列島も同じ。中国大陸だって同じ。僕がこれを言葉にして、本当にそれが起きたら、パフォーマンスとしては面白いけれども、たぶんそんなことは起きない。(いや、師匠じゃないから・・・ってか、師匠は・・・以下省略。どうせ信じてはもらえない)僕らがその上に生きている土地というのは、そういう性質のものだと、これだけ地震が続いても、なぜ理解できないのか。

たぶん、もうあと、180年から190年後の間に、どこかの大陸が沈む。地球意識も我慢ならないんだろうな。あれの登場は、決定打だと思った。(師匠じゃなく、私が、ね。)「不思議」なことに、カナダやメキシコの国境は、多少は巻き込まれても、そこそこ軽症で済む。そうした「偶然の不思議」に、「意識」の存在を感じることができないなら、もう、ダメだこりゃ、ってな話題かな。もう、黙ってるから、勝手にやりたいようにやって、って、僕は思う。
特に、アレのTwitter。どうでもいいや。僕の子孫があんたの土地に移住することはない。だって、子孫がいないもの。
200年単位だから、数世代後には語り告げるでしょ?もしも、それが起きたなら、地球にも意識があるとか、人間の実体は「意識体」だ、とか、そうした話題を語り継いで欲しい。

ようやっと、「起承転結」の「結」だ。

地球規模の災害は、続くよ、という話題でした。
師匠は、何もおっしゃっていない。(引用は、かなりを占めているけど。)ただ、僕自身は、地球意識がかなり過激(過敏?)になっている気がした。それを、書いていいかどうか、一度は書こうと思って、3時間くらいかけて、これとは全く別の長文を書いてから消した。今回は、残せそうだ。特には、「やめろ」と言われていない気がする。その辺の感覚は、自分を信じるしかない。

もしかしたら、地球自身がスピンを傾けて、安定な方向に「定例行事」を行おうとしているのかも知れない、あるいは、原因と結果が別で、地表を思い切って掃除しようとして、スピンを傾けるのかも知れない。そんなことはわからない。これまでは、「まだまだ先の話だ」と思っていたけれども、また、地球意識にとって「すぐに」は数十年先かも知れないけれども、いまの「異常気象」は、温室効果ガス、地球温暖化による、言ってみれば、温泉饅頭の表の薄皮程度の(例えが悪かったら、ごめんなさい)ほんの表皮だけ、というレベルではなくて、もっと内在的に、内側からの大々的な変化が起きつつある、ということは、あり得る、と、僕は講演会で聞いたという話題を伝えたかった。

誤差?まぁなぁ・・・。自動機械で機械部品を加工するときの精度が、マイクロメートル単位。で、道路工事の「ユンボ」で地面を掘るときの精度は、数cm〜数十cm単位。ミサイルの着弾点。GPSを使ったって、数メートル単位。で、地球が寝返りをうつ、そのタイミング?誤差?どうやって、計算すんだよ。

僕は、ただ単に、書くだけ。読んだ方々は、どう考えて、自分のあり方をどう変えるか、そこは、お任せします。
長文でした。誤植はあるだろうな。ただ、チェックするために読み返していると、アップロードする勇気が削がれる。今回は、アップしてもいいみたいに言われている気がするので、読み返さずに、一気にアップする。

スピン

かなりの長文になると予感します。

授業で、MRI(核磁気共鳴)の解説をするたびに、「原子核のスピン」を「実演」するために水筒かペットボトルを持って、摩訶不思議な手首の動きをしているんだけれども、なかなか笑いは取れない。
考えてみると、原子核のスピンを倒す、なんてことがそれなりの磁場をかけて、電磁波を照射してなんてやりながらも、人為的に出来るなんて、すごいことかもしれないとも、時々思いながら話している。

ポジトロンCTで使用するγ線は、電子と陽電子の結合による消滅エネルギー。電子と中性子や陽子とでは質量が桁違いに違う。実は、陽子線治療は、陽子の衝突のエネルギーなのか、陽子が衝突して核種が変わることによるエネルギーなのか理解していないけれども、陽子や中性子のレベルになると「消滅エネルギー」ではなく、核反応で核種が変わった際の差分を取り出すだけで、いわゆる「核分裂」「核融合」のエネルギーを取り出している。それだけ質量が大きい、ということだろうし、原子核一個を「消滅」して全部エネルギーに変えられたとしたなら、およそ、人類にコントロールできるようなエネルギーにはならないと思う。核分裂反応ですら、直接エネルギーを取り出すのではなくて、水を沸騰させる程度の使い方しかできていないのだから。

師匠の講演会の受け売り。もっと賢い方法は、1000年以内に人類も獲得する。ようやっと宇宙人が人類にコンタクトできる(宇宙人と聞くと戦争しか考えない思考回路が大幅に改善される)状態になって、外部の知識でそうした技術は地球にも伝わる。だから、処分方法が見つからない「原子力」に頼って核廃棄物を量産するのではなく、当面はそれ以外のsustainable energyに頼ったらいいのに、と思うんだが、根拠を証明できないから、聞く耳を持ってもらえないでしょうね。

話を戻す。「簡単には消滅させられないエネルギーレベルの物質」という文脈で書くならば、原子核の自転スピンを倒すのに、「こんな程度のエネルギーなの」という思いと、「数テスラというとんでもないエネルギーだな」という思いと、その両方がある。
ここまで、話の枕。以下が本題。

師匠の講演会の受け売り。ごく近い将来、地球の自転軸が傾く、と聞いている。このページの主題は、これです。似たようなことを書いているページは、世間にごまんとあるし、「あぁあ、また始まったよ」という方は、ここで読むのをおやめください。別に読んでくれなくてもいい。

師匠の受け売りがベースだし、その部分だけは絶対的に「正確」でなければならないと理解している。ただ、今日これを書こうと思ったのは、ふと、この話題を書かなきゃと思ったからで、自分自身の「理解」が相当に入り込んでいる。私の言葉を書くときは「私はこう考える」という書き方をする。その部分は、師匠の言葉と切り分けて欲しいと願う。師匠の言葉とは確度の桁が違う。(これも、話の枕か。)

地球物理学では、北極や南極の調査で、過去何度も地球の磁場の北極と南極が反転していることが確認されていると理解している。その反転の時期には、一時的に磁場や地球をカバーする電離層が弱くなる。
これは私の考えだけれども、地球内部のマントルの流れが変わるのだろうと思う。その結果として、磁場が反転する。まだ我々が知らない周期運動を地球はしているのかも知れない。

師匠によれば、かつて文献(聖書にもあったかな?講演内容を忘れた)に記されているような、「星が流れた」ように、夜空の星が「流れる」現象が起きて、地球のスピン、自転軸そのものが傾く。どういう動き方をするかは、私は理解していないけれども、日本は亜熱帯になる。現在、紛れもなく「文明」が非常に進んでいるあたりが、北極になる。(具体的な国名も聞いたけれども、それは書かない。)恐竜の絶滅の時にも、これに類した現象が起きた。隕石説は誤りだよ、と聞いている。(隕石の落下がなかった、などとは聞いていない。)あくまでも、因果関係の話。

で、私はそれは、まだまだ先の話だと思っていた。師匠の講演会ではなく、別の自然科学系の方から聞いた話。地磁気の磁気レベルが、近年異常な変化をしている、らしい。(データを見ていないから、知らない。)加えて言えば、「磁北」そのものの移動が激しくなっている、らしい。これも、根拠は確認していない。ごめんなさい、論文を書いている訳じゃないので、暇がない。昨今はほぼ積ん読になってる、IEEEとかAAASの学術雑誌を見たら、何か誰かの論文があるかも知れない。(もう、論文を書く立ち位置にはないのに、興味だけで学会会員を続けている。高い「趣味」のコストだ。あ、学会って言っても、例のナムミョーナンチャラじゃないです。)
それと、昨今の地震発生の頻度。明らかに、マントルの動きがおかしいよな、と思った。そこに、今日聞いてきた師匠の講演会の内容の一部が重なって、あ、これ、今日書こうと思った。
もしかしたら、地震発生とか、何か関連があるのかも知れない、と思った。

トランプ大統領が、「地球温暖化なんて、うそっぱちだ。温室効果ガスなんて、フェイクだ」とかなんとか言ってたらしい。自分に理解できないことと、自分に都合の悪いことは、全部「フェイク」にしちゃう人の言うことだから、聞き流して、ただただ、あの「迷惑」を低減するだけのために、全世界が協力すべき時、なんだろうけれども、ただ一点、トランプの言い分で「これは正しい」と思えた部分がある。

僕の師匠、たぶん、「ヒト」よりも上のレベルの意識体の意識やら、宇宙だの人類だのの「設計」レベルからの話題を、矛盾なく講演会で話されている。システムエンジニアの私が「矛盾なく」と必死で考え抜いて、10年がかりで結論しただけで、私がエンジニアとしてポンコツなら、信ずるに足りない話題だけれども。そう言う意味では、「×」と言ってもいい、と、漢字一つの単語を持ち出したい気分はあるけれども、この単語を持ち出した途端に、新興宗教だとか騒ぐ人たちがいるから、その単語は持ち出さない。取って喰いやしないから、直接話を聞いてくれたらすぐにわかるのに。そもそも、「私の病気を治してください」とか言って「おすがり」されても、「自分を救うのは自分しかいない」とか、突き放されるだけなので、宗教だと思って参加してくれたなら、お生憎様だろうか。

僕にとっては、そんな畏敬すべき方と、あのトランプで、主張に「共通点」がある、などと書くこと自体、不本意なんだが・・・

「温室効果ガスは、それほど現在の地球的規模の異常現象の原因ではない」と言う点が、その共通点。

トランプに根拠を聞いても、あの人は自分の発した言葉の「根拠」など一切提示できないヒトだから、今更確認証とも思いません。アメリカ人の皆様方、ごめんなさい。大変失礼させていただきます。

師匠の講演会から私が考える「根拠」は、「地球も意識体」だから、「ヒト」とは意識レベルが異なるけれども、「意識」を持って人類に対処しているよ、と言う部分。
せっかく、起承転結の「転」まで来たのに、ここで一旦話題がそれる。

これまで、「人間」の実態は「意識体」であって、肉体は「意識体」すなわち「霊」の乗り物だと書いて来た。過去のページで、随分、これを書いてます。意識体が肉体を抜けてしまうと、「肉体」からの刺激は受け取れない。

だとしたら、死んでまもない霊体さんたちとかが、肉親に合図を送ったり、あるいは、迷ってしまった霊体さんたちが、時には酔っ払いに、時には職場でブチ切れた人たちに、時には家の中で鬱々としてこもる人たちに、憑依したり、あるいは、死ぬ直前に憎悪の意識だけに固着して、ポルターガイスト現象を起こすほどの悪霊になってしまった人たちの存在を、どう説明するの、と言うのが、自然科学的に考えて、おかしいと思いませんか?自然科学的なアプローチ、「現象」に対する「説明」の「整合性」の問題です。疑問に思わないだろうか。

だって、「脳」がなくなったら、見ることも聞くこともできない。なぜ、この「物質」の世界で「モノ」を認識できるのだろうか。その答えは、やはり、師匠の講演会にあったと理解している。まず第一に、「意識体」は「意識」とは交信できる。「目」も「耳」も伴っていないから、いわゆる「見る」ことも「聞く」こともできないけれども、それを見ている人の意識は感知できる。僕自身が左耳はメニエール氏病で聞こえないから、状況によっては隣の人の話が全く聞こえていないこともあるけれども、分脈と表情から、ほぼ完全に何を言っているかわかるような経験は、何度もしている。それと同じだと思った。霊体さんたちは、生きている人の意識から、情報を得ている。

第二は、形ある「モノ」には全て「意識」がある、と言う講演内容だろうか。実証するには?前にも書いた。テレビ番組で、失踪したタクシーがどこにあるか、アメリカからの霊能力者が途中まで霊視した。その続きを師匠が講演会で話題にしていた。狭山湖に沈んでます。どうやって辿ったか。道路も、空間も、痕跡が残っている。人間は「嗅覚」と解釈しているけれども、警察犬は匂いだけではなく意識の痕跡も辿っている、とも、聞いた記憶がある。本当に狭山湖に、あの失踪したタクシー運転手とタクシーがあるかどうか、宝くじが当たったら、私が金を出すから、調べてください。机にも、椅子にも意識がある。無論、「人格霊」のような「意識」ではなく、どんな意識なのか私には想像できないけれども、「意識」として扱えるものがある。共通の説明でいうならば、「独立した自由なエネルギー体」の存在、だろうか。
話が収束しなくなるから、「独立」とか「自由」とかに突っ込まないでください。興味があるなら、師匠の講演会のCDをどうぞ。会員限定ですけど。お金さえもらえるなら、ってか、チーズケーキにコーヒー程度で、私が個人的に、師匠の講演内容を説明します。暇があれば。

超ひも理論では、宇宙は十三次元。縦横高さの三次元の上は、超ひもが絡み合った数フェムトメートル、数アトメートルあるいはそれ以下の近傍に次元そのものが畳み込まれている。人間としてのエネルギーレベルが上がると、「次元」が上がる。つまり、物質世界を説明する論理にマッピングされる形で、ヒトのエネルギーが説明できる。その「エネルギー体」の存在は普遍的であり、「ヒト」は創造主ご自身の「意識体」に近い「意識」として存在しているけれども、机も、椅子も、原子も、電子も、素粒子も、それぞれのレベルで「エネルギー体」にマッピングされる形で、それぞれの「意識」を持っている。これは京大の先生も推測されていた。上も同様で、地球は地球の「意識」を持っているし、その上の「銀河系」も銀河系レベルの「意識」を持たれている。銀河系宇宙が「肉体」を持とうと思って準備されて、始めたその瞬間にビッグバンが起こった、と私は理解している。僕らは、銀河系宇宙の意識に内包されている、と理解している。ビッグバン宇宙は、今現在合計で18個は存在している可能性があり、地球が帰属する「銀河」の外は、我々には計測することすらできない、と、私は理解している。この「師匠の受け売り」の部分は、突っ込まれたって、答えようがないけれども。

肉体を持っている世界で、僕らは全ての「モノ」を認識できる。ということは、電子や原子の「意識」を知覚することはできなくても、その「肉体」を知覚することはできる。だから、(話を戻すなら)霊体さんたちも、普通に「見て、聞いて」ということができているのだろう、と私は理解している。この説明、もう何年も考えて、師匠の講演会の断片をかき集めて、自分なりの答えを出した。
僕自身は、1000通り程度の組み合わせの if / then / elseの条件分岐の組み合わせなら、数分で「見落とし」とか「処理の自己矛盾」を指摘できます。職業病です。「お前、それは間違ってる、宗教だ」と騒ぐつもりがあるなら、顔と名前を出して、どこでも公開の論戦をやるから、お待ちしてます。(あ、いや、実際に論戦するとなると、仕事の都合もあるし、時間もないし、面倒臭いし、頼むから喧嘩を売ってくれるなと思いつつ、書いてみました。)

話を、「起承転結」の「転」に戻す。

地球は意識を持っている。人類がどんな考えで、どんな生き方をしようとしているのか、「結果において」ご自分の自身の肉体の上で生息している人類を育もうとする地球の意識が、現状をどう判断されるか、ということが大きいと思う。

この段落は、師匠の受け売り。暴風雨が地球上のどこかを襲う。汚れを全部吹き飛ばして、きれいに戻したいという地球意識が働いている。集中豪雨もそう。地表の汚れを洗い流したい。つまり、僕らの「生活のための手段」は、すべからく、地球意識から見たら「ゴミ」に見えているのかもしれない。

僕は、そう理解した。

だから、「なぜ今、こんなにも地球規模の災害が多いの」という答えは、「人類の意識が、汚れ切っているから」ということになる。と私は理解する。
だから、トランプ大統領の、「温暖化ガスの排出量は、関係ない」という主張は、結果において、必ずしも間違いじゃない。問題なのは、人類の意識の汚染だ、ということになる。

日本の、自民党の選挙戦。「国土を防錆するためには」で、自衛隊に関する議論がかしましい。「土地は誰のものか」ってな話題だろうか。地球上の土地のすべては、「地球意識」の肉体の一部であって、そこを、「ここは日本の領土だ!」って、どうなんだろうか、というのが私の考えの中にはある。

例えばね、私が「蚤」に僕の肉体を解放したとする。その「蚤」が、彼らなりの意識レベルで縄張り争いを始めて、「ここからここまでは、僕の領土だ」とか騒いで、僕に噛み付いたとする。まぁ、自分が居住を許した「蚤」だからなぁ。そりゃ、我慢するよ。ただ、「ここは俺の」「ここはうちの」ってな意識があまりにも伝わってきたら、どう思うか。「う・る・せ・ぇ、全部俺の肉体だ」と言いたい。当然でしょ?そう思いませんか?
いや、「間借りしてます、住まわせてください」ってな感じで、下手に出てくれたら、「そうか、わかった、使っていいよ」ってな感じになるかもしれないけど、縄張り争いやら、騒がしいのは、嫌だよなぁ。と、思いませんか?自分が蚤に肉体を貸す、とか、地球意識になったつもりで、なんてな比喩が、そもそも、イメージしきれないのはわかっているけど・・・他に伝えようがあるか?伝え方を教えてよ。

領土問題。争うな、とまず言いたい。パレスチナとイスラエル。「人間」が決めたルールを、住民個人が申請して、「どちらのルールに従うか」を登録させるだけで、共存できないのか?日本とロシア。「領土」にこだわって、何のいいことがある?だって、地球が寝返りをうったら、あるいは邪魔だと思ったら、北方領土そのものが根こそぎ海に沈むことだって、あると思うな。それは日本列島も同じ。中国大陸だって同じ。僕がこれを言葉にして、本当にそれが起きたら、パフォーマンスとしては面白いけれども、たぶんそんなことは起きない。(いや、師匠じゃないから・・・ってか、師匠は・・・以下省略。どうせ信じてはもらえない)僕らが生きている土地というのは、そういう性質のものだと、これだけ地震が続いても、なぜ理解できないのか。

たぶん、もうあと、180年から190年後の間に、どこかの大陸が沈む。地球意識も我慢ならないんだろうな。あれの登場は、決定打だと思った。(師匠じゃなく、私が、ね。)「不思議」なことに、カナダやメキシコの国境は、多少は巻き込まれても、そこそこ軽症で済む。そうした「偶然の不思議」に、「意識」の存在を感じることができないなら、もう、ダメだこりゃ、ってな話題かな。もう、黙ってるから、勝手にやりたいようにやって、って、僕は思う。
特に、アレのTwitter。どうでもいいや。僕の子孫があそこに移住することはない。だって、子孫がいないもの。
200年単位だから、数世代後には語り告げるでしょ?もしも、それが起きたなら、地球にも意識があるとか、人間の実体は「意識体」だ、とか、そうした話題を語り継いで欲しい。

ようやっと、「起承転結」の「結」だ。

地球規模の災害は、続くよ、という話題でした。
師匠は、何もおっしゃっていない。(引用は、かなりを占めているけど。)ただ、僕自身は、地球意識がかなり過激(過敏?)になっている気がした。それを、書いていいかどうか、一度は書こうと思って、3時間くらいかけて、これとは全く別の長文を書いてから消した。今回は、残せそうだ。特には、「やめろ」と言われていない気がする。その辺の感覚は、自分を信じるしかない。

もしかしたら、地球自身がスピンを傾けて、安定な方向に「定例行事」を行おうとしているのかも知れない、あるいは、原因と結果が別で、地表を思い切って掃除しようとして、スピンを傾けるのかも知れない。そんなことはわからない。これまでは、「まだまだ先の話だ」と思っていたけれども、また、地球意識にとって「すぐに」は数十年先かも知れないけれども、いまの「異常気象」は、温室効果ガス、地球温暖化による、言ってみれば、温泉饅頭の表の薄皮程度の(例えが悪かったら、ごめんなさい)ほんの表皮だけ、というレベルではなくて、もっと内在的に、内側からの大々的な変化が起きつつある、ということは、あり得る、と、僕は講演会で聞いたという話題を伝えたかった。

誤差?まぁなぁ・・・。自動機械で機械部品を加工するときの精度が、マイクロメートル単位。で、道路工事の「ユンボ」で地面を掘るときの精度は、数cm〜数十cm単位。ミサイルの着弾点。GPSを使ったって、数メートル単位。で、地球が寝返りをうつ、そのタイミング?誤差?どうやって、計算すんだよ。

僕は、ただ単に、書くだけ。読んだ方々は、どう考えて、自分のあり方をどう変えるか、そこは、お任せします。
長文でした。誤植はあるだろうな。ただ、チェックするために読み返していると、アップロードする勇気が削がれる。今回は、アップしてもいいみたいに言われている気がするので、読み返さずに、一気にアップする。

人は変わる

いや、師匠の講演会の受け売り。何度聞いたことか。
霊体さんたちは脳ミソがもうないから、どこかを向いたらそこしか考えない。生きている人間の意識も、感覚や刺激を遮断したらそうなる。そこは、精神神経科の専門家に確認してもらっても、間違いじゃないと言ってもらえると思う。(説明の順番が逆か?)ところが、日常生活を送っている人間の意識は、1秒前と今とで違う、頑張るぞ、って言っているのが2秒後にはしなびたり。

国家は人の集まりで、人が変わるってことは、国家だって変わるっていうことかなと、私は思う。
何もかもが変わり続けているのに、柔軟に対応できないのは、何か、寂しいものがあるかな。
何を言ったって、過去の残像しか蒸し返さない、そういう相手に辟易している割りには、自分たちがそうだって気づかない。過去の残層しか見ないなら、今更話すことなんて何もない、と思うんだが。

ただ、国家の数は限られていても、人の数はとても全員とは話をしきれないほどたくさんいるから、面白いっちゃ、面白いかも知れない。過去の自分なんて全然知らない人と、知り合う機会がいくらだってあるからね。いくらだって新しい自分になれる。昔のことを、蒸し返されたって、無視し返したらいいだけ。(一応、シャレのつもりなんだけど・・・)

なんて話題を、つい書きたくなって、書いてしまった。どこかの誰かへ。時事ネタならぬ、ジジイネタでした。

CP932

半角カナでハマった。昨夜煮詰まって、ドロドロの頭で眠ったのが、今朝は比較的早い時間に解決したんで、一安心。

一難(パフォーマンスの悪さ)が去って、また一難(CSV::MalformedCSVError)、っていうよりも、こちらが本来片付けたかったトラブルの本丸。

結論:旧PC-9801時代から生き残っている半角カナの残骸:Shift_JISのencodingで対応しているものとばかり「錯覚」していたが、Code page 932はShift_JISの亜種であり、日本語版Windows拡張であり、Shift_JISのコードページには半角カナが含まれていないらしい。

Constant Encoding::CP932

MacJapanese, CP932, Shift_JIS の違いと Ruby での取り扱い

dest_str = src_str.encode(Encoding::UTF_8, Encoding::CP932)

で変換できる。たぶん、これで今回のトラブルは一通り解決した。若い人たち、PC-9801全盛期の文字コードなんて、知らないだろうなぁ。

ついでに書けば、既に絶滅したKI(Kanji-In), KO(Kanji-Out)付きのJIS漢字コードなんていうのもあった。なんていう昔話を始めると、延々と止まらなくなるのが「嫌われるジジイ」の典型で・・・。いいんです、WEBだから、嫌なら読まなきゃいいだけ。KI(嫌いIn)/ KO(嫌いOut)で括っておいて、そこだけ別処理すりゃ、大抵のことはうまくいく。

メモの文書を残す。予定表を更新する。1時間後の僕は、全然違う仕事のツールを開いている。そう決めた。という訳で、コーヒーを淹れよう!まだ10時ダァ!

基本のキ

sqlite3が遅い、と、ボヤいた。この調子だと、一週間走らせておいても終わらない。ググった。ここを見つけた。

【SQLite】で限界を極めろ!

そうでした。
uniqueに設計したcodeに、uniqueの宣言をしてなかった。
indexも作ってなかった。余りにもお粗末。
基本中の基本、基本のキでしたね。以前使ったDB設計ではスキーマを考えた時からindexはここに、ってやってたのに。

そう言えば、と思う。Ruby on Railsを実戦投入したのは、これが初めて。入門編みたいなところをうろちょろしていたから、ちょっと込み入ったSQLは全く書いてなかった。
やっぱり思う。商用のコードを書いて初めて、細かいところの理解が深まるし、この設計はダメだとか、ここは最初からこうしようとか、見えてくる。やっぱり経験か。ちょっと情けないけど、かなり実戦勘をつかんだから、よしとしよう。

migrationを一つ増やし、add_indexして、フィールドもunique指定してから、走らせ直した。これまで、トロトロと、数秒かかりでリレーション先をfetchし、なんだか、一件アップロードするのに数秒かかっていたのが、コンソール画面が見えないような猛スピードでかっ飛んでって、残りの3千件のデータが、一服して戻ってくる間にアップロード完了してた。

すっごぉい!なんだか、プロの仕事みた〜い。うっわ〜!

めでたし、めでたし。Windows版のsqlite3開発関係の方、カラんで、本当に申し訳ありませんでした。
m(_ _)m

ということは、Mac版のsqlite3は、自動でindex作ってくれているっていうことなんだろうか。改めて、有り難さを実感してしまった。

とにかくこれで、先へ進める。

学校現場でLINUXを

今、Macでこの文章を書いている隣で、WindowsのPCが必死でDBにCSVをアップロードしている。
プログラムはなんとか正常動作している・・・のだけれども、突然遅くなった。Windows版のSQlite3のリアクションが1秒にやっと1件フェッチするくらいにまで遅くなっている。普通だったら、1秒に最低でも数百件のレベルでしょ?いくらWindows Homeだとは言え・・・Professional版とか、Server機なら経験上数千とか、テーブルによっては数万件は処理できる。それが1秒に1件。画面表示を目で追えるほどのスピードに落ちてる。

LINUXでもMacでも、こんなことは経験したことがない。なんてことを書いている間に、2〜3秒に1行の速度に落ちた。1秒で数千行走るはずのコマンドなのに。
たぶん、SqliteのWindows版のdllが、うまくWindowsのキャッシュと整合していない、そんな気がする。
これ、SQLiteの無料版を出している方は責められない。だって、MacでもLinuxでも、こんなこと経験したことないもの。

もう、何年も前から同じことを書いている。学校現場でコンピュータを教えるなら、LINUXにすべきだ。たぶんだけれども、30代以上の年寄り連中は、マイクロソフト命で、それしか知らない。コンピュータって言えば、アイクロソフトだけ使えりゃいいと思ってる。ところが、今の20代以下は、たぶん、Android(スマホ)は使いこなしても、PCはあまり得意じゃないと思う。僕も、取引先の全てがWordやExcelを標準にしているから、自社ライセンスの残骸が残っているWindows機でかろうじてWordやExcelで読めることの最終チェックはしているけれど、もう、編集環境はLibreOfficeに切り替えた。OpenOfficeの後継版。理由は単純で、OSもタダだし、ツールもタダ。GUIも大幅に改善されてる。

僕は一人だから、せいぜい4万円程度か?安くなるだけだけれど、学校に100台PCを導入するなら、それだけでライセンス料が最低でも400万円は変わる。1000台なら4千万円。そこに、IT系の会社の中間マージンが入るから、1000台入れているところは楽に1億は余計な金がかかってると思う。
20代以下の子たちに教えるなら、LINUXベースにすべきだ。それだけで、人口2万人単位の自治体でのIT関連支出を、5千万円から1億円くらいは節約できる気がする。リスクを取らない日本人。モトは税金だろうに。金持ちばかりが、頭を使わなくても金で解決できると思ってる、そんな人たちばかりだからなぁ・・・確かに、教える側も楽じゃないけど、20代の子たちに主導権を渡そうよ。

LINUXは難しい?何言ってんだ。AndroidはLINUXがコアだって、知らないのか?スマホを使いこなしているなら、そんなこと言うな、と言いたい。

なんてことを、僕ら下賤の民じゃなくて、大学の教授クラスの人が文科省に言っても、聞く耳は持たないんだろうな。なんだか、ニュースを見聞きしていると、文科省に喧嘩を売るのは、トランプに喧嘩を売るより意味がない(売られた喧嘩の論点すら理解できない)そんな気がしている。

憂鬱だ。画面とにらめっこしている間に、もう1時になる。(Macの日本語処理が、「1時」を「1痔」と第一候補に出してきた。これはこれで、憂鬱。)明日は6時起き。(6痔起きじゃねぇぞ、どこの国が作ってる言語処理のコアだ!?)そういう喧嘩が通じない文科省。日本はもう、ダメじゃね?


追記です。

ロシアは確か、あの独裁者プーチンがWindowsを捨てる大統領令を出している。理由は確か、国家セキュリティだったと思う。僕は、(独裁者は嫌いだが)賢明な措置だと思う。

ライセンス料の理由で、情報教育にWindowsから離れる決断をした国も・・・あったかなぁ、希望的観測か?

金さえ払えばそれで済む、ライセンス料を無条件に受け入れる金持ちで、国家レベルで情報せキュリティに無頓着な(そのくせ、一切内部情報を外に出そうとしない)この国は、やっぱり、衰退の一途か。

うぎょぎょ

コーディングしていて、マイナーなバグを出して、2秒以内に原因がわかった時は、たぶん、ブニャーかフギャーで、2秒考えても原因がわからない時が、ジェジェジェ、じゃなかった、うぎょぎょ、か。

あれ、絶対にジェジェジェの2番煎じ狙いだと思う。(染まりやすい奴・・・)

律くん、退職願を出しちゃったね。
僕も何度かあのシーン、あったな。でも思えば、やっぱり、死ぬまでに少なくとも二つは、やりたかった。

一つは、あの盗聴や盗撮が始まるきっかけになった、まるで僕に予知能力でもあるかのような偶然が頻発したことがきっかけで、何かをしなきゃということだけは感じていたその何か。(仕掛けたのは僕じゃない。)何をどうしたらいいのか、全く方向性が掴めなくて迷走しつつも、たどり着いてみてわかった。師匠の言葉を、一人でも多くの人に伝えたい。そのためには目立つ必要もあったし、相手の覗き心、じゃなかった、好奇心を煽る必要もあった。「伝える」だけじゃなく、できることなら結果も出したい。
オマケがいくつもついていることもわかって来た。師匠の言葉を「正確に」伝えなければならなそうだ。もし間違っていたら、とてつもなく怖いことになる。でもそれは腹を括った。「結果」を出せるか?知らん。落ちるところまで落ちても、行けるところまで行くさ。

もう一つは、あれ、だ。あれを実現したくて、自営業が最短距離だと確かに思ったし、結局それで大学も諦めた。昔だったら、大学という場所が一番実現しやすかったのだろうけれども、今の大学は昔の大学じゃない。でも、辞めたからって、ジリ貧にはなりたくない。

何度も何度も、自分から「退職」した。
サラリーマンやら、専任講師も、金の心配がない点だけは楽かも知れないけれど、人間関係とか大変さも確かにある。ただ、辞めた以上は、今の方が明らかに経験量が多い、という状況は作りたい。肉体が死ぬ5秒前に「ああ、これで良かったんだ」と確信を持って肉体を抜けたい。そして、出来ることなら、エンジニアとして「あれ」を実現してから死にたい。でも、こちらは、出来なかったからといって後悔はしない。誰かが実現したらいい。そのための素材を一つでも多く残せればいい。

どうでもいいけど、佐藤健って、かっこいいよなぁ。亀梨和也とか、若い奴ら、とにかく、なんて言うんだろう。若い連中の言い方だと、とにかくカッケーっての?(何、このジジイは、張り合おうってのか?ベクトルが違うだろう?)個性派の俳優も多いし、日本映画も結構面白い。

でもやっぱり、自分はベクトルが違うよな。鈍臭くていいから、最後に「納得した」と思いたい。最後の2秒前に「うぎょぎょ」は避けたいね。

アイヌ語

日本の地名には、アイヌ語起源が少ない、と以前何かで読んだ。
北陸、島根、鳥取、近畿の地名でも、アイヌ語で解釈するとそのまま地形を表現するものが少なくなく、アイヌの方に地名を聞いてもらっただけで、それはこんな地形でしょうと答えてもらったその描写が、そのまま当てはまるケースが多くあった、と、何かで読んだ記憶がある。例えば、能登半島の能登。あれもアイヌ語起源だと読んだ記憶がある。別の場所かも知れないけれども、「せり立った山が海に落ち込む場所」という意味を、数文字の地名で表現している場所もあったと記憶している。

該当する地名は、関東にも、東北にもある。四国は知らない。不確かな記憶だが、確かそう読んだ。もしかしたら、縄文文化と弥生文化のせめぎ合いが何か関係しているのかもしれないけれども、僕にはわからない。

DIG(Disaster Imagination Game)の、講師の方が、「地名に気を配るように」とおっしゃっていた。例えば僕の住む自治会町内の地名の「蟹沢」は、通常の住所に出てこなくても、昔から使っている地名。沢ガニが住む渓流が流れている、と言えばそれも当てはまるけれども(但し今は、ドブとも言えるかも・・・)「蟹は、ハサミを持った生き物」というニュアンスを解釈すべきだ、というのは、歴史とか文学というよりも、言語学なのか人類学なのか、考えるべき対象だろうと思う。(すいません、いつどこで何を読んだのか、あるいは読まずに妄想しているのか、自分でもよくわからない。)

厚真町?アツは、今ちょっとググったら、Attusiで「オヒョウの木の皮の繊維で織った布、着物 」とか出て来たけれども、言葉には「語幹」があって、その配列で意味が形成される。さすがにちょっとググっただけでは無理かと思ったけれども、北海道に多くあるアツで始まる地名、厚岸とか、厚真、まだあったな、思い出せないけど、もうちょっと語源を辿って調べると、昔からの災害の歴史が地名に刻まれているんじゃないかと思った。いや、厚岸の地名、確かにアイヌ語の解釈の意味を聞いた記憶があって、なるほどこの地形か、と感銘した記憶がある。なんだろ、これはタモリさんに聞くしかないのかなぁ。思い出せん。ボケた。

いや、この意見は僕の意見じゃなくて、誰かの借り物だと自覚しているけれども、そうした主張をされていた学者が、確か何か本を書かれていたと思う。(使えねぇページだなぁ・・・。あれね、説明するのに、「あれを、こうして、チャチャっとこうすると、あれがピヨーんとなって、そこをパパパっと片付けると、あれがこうなるんだよ、わかっただろ」みたいな説明。通じてねぇよ、ってな話だけれども・・・)

そう言えば、「君の名は」の映画に、アイヌのカップルが描かれていたな、と思い出した。なんて書くと、「そうそう」というのは、僕以上に、ジジイ、ババアです。「何それ、『君の名は』の映画に、アイヌ人なんて出てる訳がない」っていうのは、若い人。なんか、その間に中央構造線みたいなギャップがあるよね、とは思う。どうでもいいけど、あの「君の名は」でのアイヌの方の描写、あんまし好きくない。

なんの話でしたっけ、って、地名をアイヌ語で解釈して見たら、もっと日本全国の地名を見直して見たら、ってな話題でした。昔の人が鳴らして来た警鐘を、地名もろとも、僕らは無視している、そんな気がする。

生まれた時からどんぶりめし

久々の半田屋。

半田屋さんのサイトから画像を引っ張ろうと思ったのに、ないんだもん。仕方ないから、数多のブログの中から、トップに表示された、仙台女☆オトクごはん さんのサイトから勝手に拝借。

すみません、ソフト屋のくせして、著作権意識が希薄で・・・でも、著作権だろうが特許だろうが、盗聴・盗撮して先に発表したらいくらだって勝手に取得できる訳だから、アメリカはなんで今更中国に文句言ってるんだろうって、不思議でならない私。いいじゃん、もう、勝手にどんどん使ったら!

この画像です!(写真のクオリティ高いね!いよ!仙台女さん!)

この子がかわいい!半田屋さんで、安く腹一杯食べるぞ、と決めた瞬間から、この子の顔がチラチラと脳裏をかすめた。癒されるでしょお?ねぇ?今日は、本気で疲れて、本気で腹減った。

今日は、納品。え?あ・・・Windows環境にRubyの最新版、2.5を入れたら、Sqlite3のgemが対応していなくて、Rubyの2.4で再インストールすればいいことに気づくまで3時間を浪費。加えて、therubyracerの残骸が何か悪さしているのか、と、「あさって」の方向を勘ぐって、Gemfileをいじくり過ぎたら、bootstrapがコケて、画面がグシャグシャになった。さらに、Windowsの「外字」トラップが不十分で、railsのエラー画面を出してしまった。あはは。タイムアウトで仕切り直し。でも、一応は動作するものをセットアップはして来た。使ってる雰囲気は出る程度に、WEBサーバ君が動作してるはず、です。

そんな訳で、疲れて、腹減って、思いっきりどんぶりめしちゃんに癒してもらいたくなった、ってな訳で、当初は370円のカツ丼だけのつもりが、レバー野菜炒め、唐揚げ、酢の物をつけて、700円も食ってしまった!さすがに、どんぶり飯する勇気がないです。でも本音で言えば、あとこれに、チャーハンと餃子とハンバーグと天玉蕎麦、つけたかったな。それでも多分、1500円くらい。豪遊!(そして、慢性的激太り)

一件完成!

某社向けのシステム、何とか仕様書通りに動作させた。

分野:業務効率化のWEBアプリ
ルーティングのパス:182
マスター+テーブル数:17
(データの9割以上が、他のシステムからCSVでimport)
コントローラ:19
app/views下のグループ数:21
印刷帳票群:4
工期:仕様策定の打ち合わせを含めて、2.5ヶ月

6月19日: 最初に「こんな感じのシステム」というお話があった、仕様書の初版執筆。
8月6日: 何回かのやり取りで「実装仕様書」が8割方Fix。
8月9日: 開発用のデータを一通り受け取った。
8月23日: 8割方の動作の時点でデモ。
8月30日: 仕様の最終確認、最終仕様Fix。
9月4日: 本日、コーディングと一通りのパスを通したランテストを終えた。

相手さんも中小企業、本当ならこの後「テスト手順書」と「テスト結果報告書」や、テスト用のコード(BDDなら最初に書くべき)を用意する必要があるんだけれども、もし「テスト関係」の文書を求められたら、今回の3倍の金額を請求すると思う。テストスクリプトを書かないから、トラブったらその都度対応という方法しかできない、けど、業務アプリなので「安さ優先」ということなら、ご理解いただくしかない。

けれども、たぶん、トラブらないと僕は思ってます。(かなりの数、トラップを入れてあって、トラップの発火とリカバリ動作はその都度テスト済み。)

さすがに疲れた。特に一昨日から二日風呂に入ってないので、自分の悪臭が自分でわかる。他にも仕事を走らせているので、これだけに専念していた訳じゃないけれども、まだまだいけるかな。ってか、他にも「期限」のある仕事が二つ。ふんばんベェ。

「うまい、安い、早い」の牛丼みたいだけれども、うちはそういう商売で活路を開きたい。生涯現役。

小仙波の伯父さん

母の兄弟姉妹の最後の一人が、亡くなった。葬儀に参列。
母の母は、本家の僕のいとこのお父さんのお母さんとは違う人だと聞いていた。母の兄弟姉妹、母の二人の妹は、二人とも母にすごく似ていて、法事で顔を合わすたびにドッキリするほど似ていた。三人とも母親は同じ。ただ、比較的母と親しくしていて、僕も子供の頃何度となく連れて行ってもらった旭町の伯母さんとは、母親が違うと聞いていた。母の本家の伯父さんはかなり若くして亡くなられていて、その本家の伯父さんと、旭町の伯母さんとは母親が同じらしく、母のすぐ上の兄である今日亡くなられた小仙波の伯父さんと、私の母とで、母親が同じかどうかが、ずっと疑問だった。こうした話を、父も母も、全くしてくれなかった。母が実家に寄り付かなかった理由が何かあったのかも知れない。
今日、本家のいとこに聞いて見たら、歴史的な話をしていただいて、長年の疑問が解けた。要するに、昔は女性にとって出産が命懸けの大事業で、出産で命を落とす女性が少なくなかった、ということらしい。大正時代どころか、明治時代を感じさせるストーリー。小仙波の伯父さんは、母にとっては両親ともが同じ兄にあたる方だった。
結局、今日わかったことは、僕の祖母は、父方の祖母も、母方の祖母も、どちらも後妻で、その前妻にあたる方はどちらも出産で命を落としていた、ということだった。昔は「家」を継続させることが至上命題で、後妻を娶るのが当然だったという時代背景もあるらしい。

この歳になってみると、親戚とのお付き合いというのは、面倒臭いというよりも、自分とルーツを共有する数少ない人たち、という気がしてくるんだが、そう感じてしまうのは、子供がいないからかも知れない。よくわからん。

それにしても、今日の葬儀は、自分にとっては初めてのパターンだった。なんだかすごく違和感があった。

古代サンスクリット語で、Namの意味は「〜の仰せの通りにいたします」の意味だと理解していた。英語だと、followとかobeyに近い。この状況で、これは変だろうと、すごく違和感があった。

念のために、Oxfordの辞典(Editted by John Browker, The Oxford Dictionary of World Religions, 1997)でちょっと調べてみたら、色々と書いてあったけれども、こうあった。(P678、全25行のうち6行を抜き出した。)

Names of God are approximate characterizations of some aspect of his nature, but Nam lies behind these approximations. How can Nam be known? Nam is within us, yet how can Nam be reached? Nam is at work everywhere, permeating the whole of space.

ヒンドゥー教、シーク教の調査に基づき、古代サンスクリット語から現代サンスクリット語に引き継がれた意味についての解説、ということになるんだろうか。
これは、私自身の解釈だが、古代サンスクリット語では「〜の仰せの通りにいたします」の意味だったのが、定冠詞的に、言ってみれば英語のTheなどのように、優れた指導者の名前や、教典の名称がその後に続く。その結果として、時代を経てNamそれ自体が「神性」を意味する単語としてサンスクリット語に引き継がれた、そんな気がする。

もしやと思ってAmenを調べてみたら、こうあった。(P56、冒頭のみ)
Amen (heb. “So be it.”) An individual or congregational endorsement of a prayer or blessing.

実はこれも、古代アラム語では「神の意に沿うように振舞います」で、ヘブライ語に引き継がれた(とここに書かれている) “So be it.”に意味が近い、と聞いている。南無も、Amenも、教えが解かれた当初は「神の(仏の/あなたの)思いに沿うように、教えられた通りに行動いたします。」(FollowとかObeyが近い)の意味で唱えられていた。言わば、決意表明だった。それが、何世代も何十世代も経るうちに、意味が失われて形骸化したのではないか、という気がする。

そして、日本の仏教での南無の解釈は、「おすがりします、助けてください」であるらしい。これはわかりやすい。室町時代など、戦乱、飢饉など苦難の中での衆生救済が前面に出て来た、ということなんだろう。おそらく、Amenも同じように変遷したような気がする。

師匠の受け売り。肉体を持っている間にできる「経験」は、肉体を抜けてからとは桁違いに多い。サラリーマンの通勤。電車の中で隣に誰かが立っている。そこでちょっとした「気を使う」だけでそれも「経験」だし、道を歩いていてちょっと体をよじって、相手とぶつからないようにする、それも「経験」。あれも経験、これも経験。肉体を抜けたら全く出来なくなる貴重な経験。その経験を、なんども繰り返すことで、ある時突然、自分のエネルギーレベルが上がる。肉体を抜けてしまうと、自分と同じ意識レベル、エネルギーレベルの人たちとしか意思疎通できない。考え方も同じ、行動パターンも同じような人たちばかりが集まっていると、ほとんど新しい「経験」はできない。だから、肉体を抜けている間は「進化」はできない。それなら、何をどう心がけて生きて(肉体を持って)経験したらいいんですか、と、それが解かれていたのが仏教の経典で、そうした古代サンスクリット語に忠実に翻訳は、ほとんど残っていない、らしい。

だとしたら、先週肉体を抜けたばかりの人に「蓮華経という素晴らしい教えの通りに行動いたします」と、いくら唱えても、もう遅いはずなんだが・・・。鎌倉時代、室町時代、隣人を殺して食って生き延びた時代なら、衆生救済でも良かったのかも知れないけれども、戦乱も飢饉もない現代の、このタイミングではもう、意味がないでしょうと、感じざるを得なかった。それが「違和感」の理由だった。

なんだか、思った。納期の直前まで、プログラムも書かずに「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と唱え続けていれば、立派なシステムエンジニアになれます、みたいな・・・。ついに納期が来ちゃいました。客先でも「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と唱えたら、「ご苦労様、請求書出しといて」と言っていただける。そういうのって、すごくいいなぁ。憧れる。だから広まるんだ。これで日本のプログラマ不足は問題が解決するね。

こんなことも思い出した。昔、アメリカ人の部下がいた時、来日して間もない彼が別れ際に「お大事に」と僕にいった。「え?俺ってビョーキか?」とまず思ったんだが、たぶん英語の”Take Care!”を日本語にしたら「お大事に」と書いてあったんだろうと理解。言葉の意味が変わった瞬間。

えぇと、これで僕の小仙波の伯父さんの葬儀がどんなだったかが、たぶんバレた。伯父さん、ごめんなさい。

でも、伯父さん以前ボヤいていた。母の一番下の妹が統××会で結婚して、しばらくしたら何十万円だかの壺を売りに来た。ウチにも来た。親父とお袋の対応を覚えているけど、それは書かない。その前後の法事で伯父さんにあった時に、「ウチにも壺を売りに来たんだよ、参っちゃうよなぁ」とかボヤいていたのに。別に、いいだけど。なんだか、故人の話ばかりだ。やめよう。(もう俺も、そういう歳か。)

蓼食う虫も好き好き。蓼食わぬ虫はギスギス。

今日から僕は納期まで、もうプログラムは書かずに毎日「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と、唱え続けようかと・・・

withyou 〜きみとともに〜

高校時代の友人が Facebookで「いいね」したページへのリンク

「こんな姿になっても…」若者へ樹木希林さんが直筆メッセージ

昔からの本を読むと およそ 同じことを言っている
自殺した魂は 生きていた時の 苦しみどころじゃ ないそうだ
本当かどうかは わからないけど
信用している

僕も、この点は師匠を信じてます。
死んでしまうと脳がなくなる。魂(=意識=心)だけになる。方向転換は容易じゃない。死ぬ直前の苦悶が延々と続く。と、理解している。

脳があるうちに、誰かの言葉に耳を傾けたほうがいい。


読み返して気づいた。

僕も、この点は師匠を信じてます。

どこか、信じていない点があるのか?そりゃぁね。宗教じゃないから。仮に「神様の言葉」として伝えられたって、実際に試して、僕自身の心が共鳴し、行動が改まるまでは信じているなんていう言葉は、容易には使えない。

そういう意味に解釈していただけると・・・

turbolinks

javascriptがどうしても発火しない。絶対にイベントは発生しているはずなのに。
だって、onLoadで拾ってる。トレースのためのalert表示を見る限り、実行パスは通っている。
ああしたり、こうしたり、悶絶。javascriptをわざわざcoffeeに書き換えても、同じこと。いや、気休みだと思っていたけど。

ダメだよな、俺。つくづく、javascriptを理解していない。とりあえず、javascriptは授業で扱ってないから何とかなってるけど、教壇に立つ資格ないよなぁ・・・いかんいかん、こうやって、だんだんと、自分を責め始める。
賽の河原の石積み。「ひとおつぅ、積んではぁ、ちちのたメェ・・・」ってな、積んでは崩し、積んでは崩れ・・・

で、ふと「rails javascript 動かない」で検索したら、turbolinksに関する記事がザクザク。
僕が今使ってる最新環境では
jquery-turbolinks (2.1.0)
△△railties (>= 3.1.0)
△△turbolinks
turbolinks (5.2.0)
△△turbolinks-source (~> 5.2)
jquery-turbolinks を turbolinksの前に書け、と状況は変わらん。明示的な再ロードでないと、javascript Eventが発火しない。
(↑ WordPressのインデントの取り方、わからんかった。全角スペースも消される。意図しない動作が多い。全てを理解するには、時間がかかりすぎる。苦肉の策。↑△は空白)

もしやと思って、application.jsの
//= require turbolinks
を削除。そしたら、見事、問題解決!しかも、「再ロード」のデータベースアクセス時間がほぼ半分に!
もしかしてだけど、もしかしてだけど、オイラの、じゃなくて、「キャッシュを見てスクリプトを実行しない誤動作」が発生しないときは、jquery-turbolinksと、turbolinksとで、処理が重複する、ってなことが起きていないか?という気がした。気がしただけ。調べてない。
結果的に、jquery-turbolinksは残したけれども、turbolinksだけを削除したら、動作時間が早くなり、正常動作するようになった。明らかに、この使い方は「非推奨」だろうと思うのだが、今回はこれでいく。納期に間に合わない。悶絶すること、半日。いや、今回は半日で済んだ。ネットのおかげ。

「発情期の野良猫」状態で、フギャー、ウギャーと騒ぎながらコードを組みつつ、そのうちに、「賽の河原の石積み」で完全に沈黙し、突然、ルンルン気分で、スキップでも始めそうなくらい陽気な気分になり、そしてまた、「野良猫状態」に陥る。

これを繰り返しながら、完成品に近づけていくことを、「スパイラル・モデル」と言います。(嘘です。)

初心者の相談から、ベテランのコメントまで、数多くの情報をネットに書き込んでくれている、不特定多数、数多くのプログラマ、システムエンジニアの皆様に、深謝いたします。おかげさまで、賽の河原を抜け出しました。
改めまして、合掌。(-人-)

SIDS/オンディーヌの呪いじゃないのか!

入園直後の乳児 昼寝時も緊張状態 「突然死」との関係調査へ
このニュース。

聞いた後、あれこれ検索していたら、こんなページを見つけた。
乳幼児突然死症候群は、原因不明の病気ではない

乳幼児の突然死は、いわゆるオンディーヌの呪い症候群で、呼吸停止から心停止に至ると、漠然と思っていた。
というよりも、きちんと調べたことはなかった。
緊張状態 → 心拍数 90 で、きちんと勉強していないのでよくわからないけれども、乳幼児はまだ成人に比べて、中枢神経系の制御も未成熟、冠動脈も未発達、かな、と仮定すると、新生児にとってのHR=90は、成人にとってのHR=150にも匹敵するんじゃないだろうか。だとすると、SIDSは、もしかしたら、中学生や高校生が、部活の激しい運動で心臓発作を起こすのと原因が似ていて、心筋の機能不全が主因か、と思えた。

そうなると、気になるのは「発汗」についての記述で、暑いからかく汗と、緊張状態でかく汗とは、成分が違うはず、だと私は理解している。もしかして、心筋の再分極過程における、ナトカリポンプの、電解質の回復が追いつかず、ナトリウムが失われてカリウム過多になるとか、その辺が絡んだりするのかもしれないと、ふと思った。

成人の心臓発作。機器を開発したいという話があった、ゴルフ場での突然死。主には賭けゴルフなどで、パットを外せば何万円だかなんだか、そんな緊張状態で亡くなる人が年間何百人だかいらっしゃるらしい。ここでも、「緊張状態でかく汗」がからむ。極度の緊張状態からのHR上昇も、想像される。

僕の学位論文。「運動負荷」と心拍応答から、心臓発作を予知する、というものだった。日常動作を解析して、そこから心臓への負荷を測定し、というデータをとるのに、一人分のデバイスが当時100万円。株式会社ジーエムエスの林さんから借りて論文に仕上げた。20年前。もっとデータを取るために、稼がねば、と思っていたけど、当時は盗聴とか盗撮とか、かなりメンタル的には壊れかけていて、ある意味仕事どころじゃなかった。

学位論文の元ファイルを開こうとしたら、当時のWORDのバージョンが古すぎて、ファイルが開けない。かろうじて見つけたのが、このファイル。20年前でも、拡張子BMPは大丈夫だった。拡張子DOCは、全滅。(なんとかして、変換、再生せねば。)

あまり認識制度が良くないけれども、椅子に座る動作で「座」、椅子から立ち上がる動作で「立」、歩くと画面に「歩」「歩」「歩」と表示される。階段を上がると「昇」だし、下りれば「降」。これを仕上げて、万人の動作を認識できるものにしたかったけれども、今ならAIを使うとうまくいくかもしれない。(もっといいデータがあったんだけどなぁ・・・でも、このファイルが当時の平均的な認識精度だった。チャンピオンデータは、学会論文には向くけれども、製品開発では「お飾り」でしかない。)

これだけじゃ不十分だと思ってはいた。今日、決め手は、もしかしたら、血中の電解質濃度だと思った。経皮的にISFETか何かで汗か、または血中のナトリウム、カリウムの濃度をモニターし、そこに体温や、HRを同時計測する。最初のうちは、HRのモニターから、心停止を起こしてからの緊急通報が精一杯かも知れないけれども、データが集まったら、AIで心停止を起こす前に、アラートを流せる。いわゆる「突然死」の原因が心臓発作なら、これで9割くらいは検知できるんじゃないか、っていう気がしてきた。すごく、そんな気がしている。

医療の現場なら、データを取るのは簡単だろうと思う。デバイスメーカーにとっては、どれも全然難しい計測技術じゃない。できることなら自分でやりたいけど、僕は身動き取れない。100万だって動かせない。誰か、ぜひやって欲しい。(いや、一応は自分でやる努力はした。ところが、科研費の申請を出すための倫理基準で「兼業届」を出したら、大学から「自分で事業をしながら科研費を申請するなんて、悪いことをするに決まってる」とか言われてしまって、馬鹿らしくなって大学をやめた。そういう人材が集まってる、文科省の役人の話だろう、と今でも言いたい。一緒にしないでくれ、とは思ったけれども、権力がなければどうしようもない。そうかと言って、コツコツと稼ぐには時間がかかりすぎる。
こうやって、元ネタ(元アイディア)は全部披露したから、ぜひ、どなたかに実現して欲しい。

稼ぎ頭の壮年の方も、乳幼児も、突然の心停止で亡くなる、なんてことは、是非、なくすようなデバイスを、誰か作って下さい。僕自身は動けないけれども、本気で聞いてくれたなら、研究計画も、デバイスの構成図も、無償で提供します。っていうか、この発想を理解して乗ってくれる人なら、たぶん、研究計画もデバイスの構成図も、このページの内容だけで作れると思う。そういう方々に、バトンを託したい。

日本が無理なら、もしまだ頑張ってるなら、MIT/Harvardのグループとか、イタリアの研究チームとか、海外の方でも、是非お願いしたい。日本語で書いてるけど、インターネットだから、なんとかなるでしょ?

試したらいいのに

トランプは不動産王らしい。よく知らんけど。
ということは、例えば、日本式のアパート/団地サイズの2LDKとかをアメリカで量産しても、売りさばく自信があるのかな。
一度住んでみたらいいと思うんだが、住んだことがなくても「俺なら売れる」と豪語するなら、それはすごい。賞賛に値する。それができたら、不動産王と認めてあげよう。

例えばアメ車(念のため、Automobiles made in USA)で、日本人が普通に通勤に使う道路や、普通の生活道路を、普通に走ったらどういうことになるかなぁ。一度トランプに試してもらいたいものだ。

どうだろうかなぁ、テストコースとしては、埼玉県の三芳町とか、東京都の練馬区とか、同じく東京都の台東区とか、その辺を指定しようか。(すみません、個人的に苦手な場所です。具体的に書かないと、と思って・・・)どこでも似たようなもんだけど。僕が買い物に出る時のルートでも、無論構わない。
トランプが1時間の運転したとして、最低でも一回脱輪するか、2箇所くらいはどこかを擦るか、いずれにせよ、無傷では目的地に辿り着けない方に、1万円賭けてもいい。(え?1万?うるさいな、文句言うな。)それどころか、日本人のジーチャン/バーチャンが日本車で使ってるルートでも、例えば、8km先の目的地に辿り着く前に、アメ車だとビビって、最初の3km位で泣きながらリタイアする方ってのに、3000円なら賭けてもいい。トランプがいきなり日本に来て運転したなら、絶対にアメ車だと無傷で目的地に辿り着けない。だから誰もアメ車なんか買わない、ってな理由がすぐにわかる。はずなんだけど、絶対にトランプはそんなことしない。腰抜けだもの。

不動産王なら、試してみたらいいんだ。日本製の、日本スタイルのアパートとか団地のスペックの住宅がアメリカで売れるかどうか。売るのは無理だと気づいたなら、多少は、アメ車が日本で売れるかどうか、考えてみたらいい。

それが理解できないなら、トランプに、ソクラテスの言葉を贈ろう。自分が何も知らないことを、知ろうともしていない。普通に日本に来て、アメ車で街中を走ったらすぐにわかることなのに。
“Remember pearl harbor.”か。当時の大統領がトランプだったら、日本の楽勝だったのに。
“No more Hiroshima/Nagasaki.”とは、相当にニュアンスが違うことが、理解できるだろうか。

お仕事モード

集中したい。集中します。集中するぞ!
と言いつつ、無音だと迷走状態。ラジオをつけたら、結局新学期絡みで、この時期が自殺のピークなんていう話題から、暴走してしまった。(二つ前のページ)「イジメかぁ」なんて思っていたら、つい、安原さんに雑誌をばら撒かれたことを思い出してしまった。(一つ前のページ)

いや、雑誌をばら撒かれた記憶が苦痛なんじゃなくて、日本兵の遺骨収集の話題、もうどうしようもないだろうと思いつつ、思い出してしまうと気忙しくなって、目の前の仕事に集中しにくくなる。
何とかなる時期に放置しすぎたんだと思うけれども、戦後20年、30年ごろはまだ、外貨の準備も不十分で、遺骨収集団の派遣とかいっても予算が付きにくかったんだろうし、国内経済最優先だったのかも知れない。そして戦後40年、50年、現地の状況がわかりにくくなって、中途半端なまま打ち切られようとしていた。

そう言えば、田所さんがおっしゃってた。「生物学的解決」つまり、遺族が一人もいなくなれば、問題は「解決」すると・・・厚生省はこの生物学的解決を待ってると・・・いや、僕が言ってるんじゃないです。田所さんがそうおっしゃってたんです。

そして戦後70年を過ぎて、個人的には僕は、ジャングルの遺骨はもう無理だろうという気がしている。個人的にはそう思うのだけれども、何か気持ちがざわついて、落ちつかない。気持ちがどうにも、ザワザワしてしまうんだけれど、だけどもう、どうしようもないでしょう?
もう少し、師匠のところで学んで、慰霊ではなくて浄霊が出来るようになったら、もう一度また、ニューギニア各地を回りたい、とは思うけれど、いかんせんあたしゃ、心が真っ黒けだからなぁ・・・

ロジックに集中するぞ!こういう時はどうしようか?ラジオ?クラシック?
ハードロックか、ヘビーメタルか、その路線でヘッドフォン爆音でいくか。
演歌とかムード歌謡じゃないとは思う。たぶん。

集中したい。集中します。集中するぞ!
(掛け声ばっかし・・・)

僕が、自称右翼の方に中傷雑誌をばら撒かれた話

標題が長いな。でも仕方ない。他山の石にして下さい、ってことで・・・

自称右翼の方、安原さんと言います。故人。責める気はない。僕のどこが悪かったかは、事の発端を僕が作った時点で理解していたし、どっちかと言えば好きなタイプかも知れなかった。安原さんの気持ちはわかるけれども、僕はその状況下で最善の策をとったつもりで、現地事情を理解していない安原さんには、僕がなぜそれが「最善の策だ」と判断したかを理解してもらえないことも承知で、あえて、やった。その結果もかなり覚悟していて、その上で、日本国内で、僕の悪口を散々書き連ねた雑誌をばら撒かれた、という話です。

埼玉県の加須市に、西村さんという方がいらっしゃる。パプアニューギニアのポポンデッタに拠点をお持ちで、戦友会の方。音信が途絶えていて、もうお亡くなりかと思っていたら、今年に入って、「西村さん、まだお元気でしょ?」という噂を聞いた。戦友会っていうことは、太平洋戦争に行かれて、パプアニューギニアから生還して、まだ存命。いや、確認していないけれども、もしそうなら、100才近くて、まだ海外で自活されてる?西村さんと、僕と、安原さんしか知らない状況があった。西村さんにはご理解いただいていたけれども、安原さんにはたぶん、通じていないと当時から思っていた。でも、自分を理解してくれる人が、たった一人でもいてくれたと思うと、それだけは、間違いなく心の支えになる。胸を張っていられる。

安原さんも、戦争遺族だと伺っている。お父さんを戦争で亡くされたとか。その後、日の丸を掲げて、大音響で街中で軍歌を流す、そちら系の活動をされるようになったらしい。ニューギニア方面遺族会の田所会長にあれこれ頼まれるようになって、遺骨収集に巻き込まれた。ポポンデッタ方面で見つかった遺骨の回収の事前確認で、西村さんとコンタクトを持った。西村さんの部隊は大半がポポンデッタで戦死されていて、戦友の遺骨を一柱でも多く収集したいという思いで、一旦は日本で事業を軌道に乗せられてからも、定年するくらいからニューギニアに足を運ぶようになり、ニューギニアに拠点を持たれるようになった、と聞いている。この話は、7割方、正確なつもり。
安原さんは、安原さんの支持者の方から集めたお金を投じて、西村さんの活動を支援し、その(日本兵の遺骨を収集したという)「成果」を、ご自身が主催されている活動で、雑誌などに編纂して、そこから先は知らないけれども、そちら系の活動をされるつもりだったのだろうと、私は理解している。
社屋の玄関先で大音響で軍歌を鳴らされ、スピーカーであることないこと言われると、ついついお金を支払っちゃう大企業の方は、多いらしいから・・・そっち系でも商売になったんだろう。

西村さんは、日本からユンボを持ち込んで、ポポンデッタ周辺の「道路整備」の事業を展開するつもりだった。そのポポンデッタ周辺の、海岸から内陸に向かう道路沿いでは、少なくない日本兵が餓死している。「道路に沿って地面を掘れば、絶対に日本兵の遺骨は出てくる」と西村さんはおっしゃっていた。問題は、その道路を掘るための州政府の許可を得て、合法的に「道路工事」を展開する手順だった。現地の人を雇用すれば、州政府の許可も得やすくなる。そうして、現地の人を雇用し、「日本兵の遺骨が見つかったら、届けて欲しい」と、そちらの方が西村さんの主眼だったのは確認するまでもない。ただ、現地の人を雇用するとなれば、お金の支払いが発生する。安原さんは、そこをご自身が負担する、自分にもこの話に噛ませて欲しい、と申し出て、話がまとまる寸前だった。
西村さんのご助言で、僕は、州政府と、周辺の村村の部族長を説得するための「契約書」の英文原稿を作成し、持ち込んだパソコンと電池で動作するプリンタとで、現地で印刷し、何度となく推敲していた。「これでいきましょう」という最終段階で、西村さんが、ボソッとおっしゃった。「これは、もしかしたら、現地の人にお金だけ巻き上げられる結果になりませんかね。」

お金を払って仕事をしてもらう、って言ったって、途上国の場合「勤勉さ」は日本とは異なるし、責任感も違う。適当にその場に絡んで、お金だけ請求してくることはよくある話、だと自分は理解している。これは、国によって、部族によって、状況は異なると思うけれども、ポポンデッタではその可能性が高いと、現地に住んでいる西村さんはおっしゃった。僕もそれは、同感した。加えて、遺骨を届けてくれた場合の謝礼にしても、掘った場所を現認できないと、現地人の遺骨を持ち込まれても、受け取りを拒んだり、謝礼を拒むこともできなくなる。無事に、思惑通り日本兵の遺骨を大量に収集する、よりも、現地人に金づるとして、毟り取られる方が多いんじゃないかと、現地での居住経験のある西村さんと、僕とは、合意した。

ここから先が、僕の悪い癖、というか、配慮もなく、癖が出てしまった部分。
仕事をしていて、ミスタイプだとか、そういう印刷資料は、修正版を作成したあとは、即時、破り捨てるのが僕の癖だった。実際、サラリーマンだった時に、ミスが残っている印刷物を、「裏紙」にしようと取っておいて、机の上にあったそちらのミスタイプの方を客先に出してしまったことがあった。営業さんに、平謝り。一度その経験をしてから、裏紙にできるもったいない紙でも、ミスタイプのものは、すぐに破り捨てる、という習慣を持ってしまっていた。

西村さんと話をしながら、「この文面は、明らかにやめた方がいいですね。」という結論に落ちつき、この、州政府だとか、現地の部族長だとかと、交渉する素材となるはずだった「英文契約書」(文責は全て僕にある)は、ボツにすることにした。スポンサーとして、お金を出すけれども、成果は日本に持ち帰るぞ、という安原さんの目の前で、僕は、一旦は印刷して、あとはサインし、相手のサインを求めるだけ、という契約書の印刷物を、破り捨てた。
その、破った瞬間の、安原さんの視線を僕は忘れない。その時はまだ、恨めしそうな目つきをしていただけだったけれども、その後、慰霊のツアーに同行しつつも、なんら「遺骨情報」も、「日本兵の遺骨の帰還」も、実績を残すことなく帰国した後の安原さんは、僕を恨むことに全精力を費やしたみたいだった。

僕自身には送られてこなかったけれども、ニューギニアがらみで僕と知り合った方々、一体どうやって調べたんだろうというくらい、あちこちに、僕の悪口を山ほど書いた雑誌を郵送して、送りつけたらしい。

ご苦労様です、と思う。だって、公安調査庁だか、マスコミだか知らないけれども、明らかな盗聴と盗撮で、僕の私生活を根こそぎ周囲にリークされて、なんだかもう、メンタル崩壊寸前みたいな状況で協力隊に参加した、その挙句の出来事だから、こんなもん、一度経験したら、屁みたいなもんで、当の本人にはそれこそ、蛙の面に小便くらいにしかなってない。そんな雑誌のバラマキのために、一体いくらお金を使ったのか、もったいないというか、ご苦労様というか・・・

若い皆さん、色々と、イジメを経験しなさい。一度経験して、乗り切ったら、信じられないくらい、強くなれるから。何か言われてもされても、「え?だから何?」だもの。誰もが乗り切ったら、そうなれるって。

安原さん、気持ちはわかる。だけど、それはあなたの理解不足。そしてほら、今現にこうやって、たぶん、あなたのお仲間が、フィリピンで騙されている。ちょっとくらいは感謝して欲しいな、ってな直談判は、僕が肉体を抜けてから、先立ってる安原さんと何とか接点を持って(たぶん、間にメッセンジャーが入ることになるんだろうけれども)安原さんに納得してもらえるように、話はつけようと思っている。

誤解を招く行動があったとしたら、安原さんの目の前で、契約書類の「ほぼ完成原稿」を、破り捨てる行為、だったと思う。「自分が心血を注いだこの契約書を、この小林が、破り捨てやがった、」と思っていたんでしょうね。だけど、言わせてもらえば、この英文を必死で考え抜いたのは僕で、西村さんと同じく現地事情を知っていたのは僕で、だから言いたかった。安原さん、生活してみて下さい、と。で、実際にその後、安原さんは西村さんのところでしばらく住んでいたらしい、と聞いている。そして、元々あった持病を悪化させて、その後何年もせずに、お亡くなりになった、と聞いている。

安原さんの遺志を継いだ方が、僕への悪口三昧のWEBページを作った。僕はそれを、僕自身への戒めとして、あってもいいと思っていたけれども、嫁がそれを見つけて、中傷だと騒ぎ立てて、WEBの掲載事業者に噛み付いて、掲載を削除させた。別にあっても僕は気にしなかったのに。理由がわかっていたし、安原さんが懐かしくもあったから。

当時僕は、大学の教材を(駄作中の駄作も含めて)ネットに全部掲載していたから、僕の名前で検索すると、いつもトップに僕のページがリンクで出ていた。その後、何番目かに、Googleにも安原さんのサイトが拾い上げられていた。わかってますって。小林は悪いやつだ、とんでもないペテン師だと。だって、自覚があるもの。僕がしてきた悪いこと、あれと、これと、相手(被害者)を巻き込むと申し訳ないから書かないけれども、結構ある。別に悪口三昧のページだって、当然のことでしょ、とも思う。削除させなくても、よかったのに。だって、表向きだけ削除したって、上には全部筒抜けで、何百億っていう霊体さんたちには全部(その経過の意識が)見えていたはずだから、ジタバタしたって、どうしようもない。(いや、見る見ないは本人次第だから、何百億ってことはないとも思うが。)

安原さんには、あとでじっくり、伝えたい。あなたの同業者が、フィリピンでやらかした。細かいところまで相手を知らなければ、安易に思い通りの結論なんて得られない、その点だけは、どうかわかって欲しいと、僕は思っている。考えている、じゃなくて、そう思っている。

若い皆さん、イジメってのは絶好の経験だと思って欲しい。見てよ、僕なんか。あの頃、それこそマ×ターベー×ョンまで全部、会社内の周囲に筒抜けだったかも知れないと思えて、苦痛そのもんだった。当時、メニエル氏病で左耳が聞こえなくなり、今でも左耳は聞こえない。メンタルが一度は崩壊して、今でも戻っているんだかいないんだか。それこそ、魔女裁判で十字架に括り付けられ、石をぶつけられた方が余程楽だったという気もする。心の痛みの方がキツイと知った経験だったかも知れない。

イジメの経験も、耐えなさい。必死で記憶を探せばきっと、その「キッカケ」とか「原因」とかは、たぶん見つけられる。間違いなくあると思う。それを自分で見つけて、イジメる相手を責めずに、耐えぬき、「キッカケ」とか「原因」を挽回する機会があるならば、自力で挽回に挑戦してみなさい、と言いたい。
ただ単にイジメられているだけの経験だって、それはそれで、得がたいものだと思う。耐え抜いて、ワンランクアップして、強くなったら、僕みたいになって、「あんたんとこに、街宣車回したる」みたいな脅しを受けたって、「ご自由にどうぞ」ってなくらいに、神経が太くなれる。(嘘だと思うなら、私をご自由にお試しください。お代は無料。)逆の言い方をすれば、イジメられなかったら、いつまで経ったって、ほんのちょっと「テメェ」みたいに息まれただけで、ビビっちゃう情けない大人になるだけかも知れない。(そういう大人も、見ていて、可愛らしいけれども。いい子、いい子(ナデナデ)。大企業の社長さんも、ナデナデ。)

安原さんから「あんたんとこに、街宣車回すぞ」という電話をもらった後、ご近所迷惑かなと思って、田所さんに電話した。ニューギニア方面遺族会の田所会長も、元ヤクザだから(戦争遺児で、自分の才覚だけで、戦後を生き抜いた方だけれど)、情報を提供してくれた。他のグループに「街宣車を動員する」ことを依頼するには、一千万近く金が動くらしい。それだけの金を動かすのは、大企業をビビらせて、キンタマのない総務課あたりから、一千万以上を回収する目処が立ってなかったら、そんな博打は打たない、と聞いた。ついでに言えば、そもそも、大した金を持ってないあんたんとこに、街宣車を回したって、一円にもならないから、誰も動かない。安心しろ、と。大きなお世話だ。

その時に、田所さんは、警察庁に問い合わせてくれたらしい。安原さんのところが、「右翼団体」に登録されているかどうか。登録はないから、安原さんは「自称右翼」だよ、と教えてもらった。なんだか、右翼も暴力団も、境界線が曖昧なのが今日この頃。

死にたいと思うほど、心を痛めるのは、人間として健全な証だと僕は思う。僕だって、自殺未遂経験者だから。

耐え抜いて、生き抜きなさい。ツッパれ。きっと君も、桁外れに強くなれる。そうやって、悩む君は、抱きしめてあげたいほど愛おしい。特に、女の子なら。(あ、すみません、ごめんなさい、ベキバキ!)そう、大丈夫、上には全部見ている人たちがいるからね。肉体を持っている誰かが一人もいなくたって、真実を知っている人は、上にいます。その人たちに、胸を張れないなら、自分で見つけて、改めればいいだけの話、だと、僕は思う。そして、自分に一切の非がないと思ったら、突っ張り通して、遊んじゃえ!

誤った知識

Nack 5の夕焼けヘッドラインで、黒田さんが「自殺するな」と呼びかけていた。

昨夜だっただろうか、やはりラジオで、夏恒例の怪談話が流れていたのだけれども、突っ込みどころ満載。
今日の話題は、100%師匠の受け売りですが・・・何となく霊を感じる程度の人があれこれ書くと、「群盲象を撫でる」的な状況になるから、この辺から誤った知識が拡散するのかも知れない。

幼い子供は、まだ心が汚れていないから、自分をあやそうとする霊体さんの姿が見えることがあるらしい。親父が死んで間もない頃、お隣さんの子供(幼児)が「おじちゃんが、こっちに手を振ってる」とか言ってたと、その子のお父さんが僕にその話をしてくれた。(親父、子供は好きでしたからね。)霊がそれだけはっきり見えるということは、それだけ心が汚れていない、ということで、そういう子どもは死んでも地縛霊になったりしないし、生きている子供にちょっかい出して「おいで、おいで、する」なんてことはなく、真っ直ぐ上に帰れるから全く心配ない、と私は理解している。でも、それだと怪談にならないんだろうなぁ。

大人が、「子どもが危険なことをしないように」作り話で、「あそこには子どもの幽霊がいて、おいでおいでするから、あの辺で遊んじゃダメだよ」と、教育的な目的で作った作り話がやがて一人歩きして、怪談のネタになったりするんだろうか。「群盲象を撫でる」どころではなく、見たことも触ったこともない象の話を他人にするような状況な気がする。
そうやって、幽霊を怖がったりしている一方で、「死んだらそれっきりで、霊なんざいねぇよ」と言う人も少なくない。自殺もその発想の延長の最たるものかも知れない。

霊体さんは、肉体を抜ける直前の「意識」の状態を引きずる、らしい。だから、死を目前とした人には、「後のことは心配ないよ、安心して。お疲れ様」と声をかける。その意識で肉体を抜ければ、大半の人はそれですんなり次に行ける、らしい。ところが、「死んじまったらそれで終わり」と思っている人は、自分が死んだことがわからないから、いつまでたってもウロチョロしている。普通の人も、1〜2ヶ月は家に留まっていたりして、「さて、帰ろう」が仏教の節目の四十九日頃にあたるらしいけれども、自分がまだ生きていると思っている相手は、始末に負えない。脳がない相手だからなぁ。この辺、「思う」と「考える」の間には、とてつもないギャップがある。

もっとも悲惨なのがやはり自殺だろうか。死ぬ直前の意識は、「死ぬんだ、あの電車に飛び込むんだ」と、それしか考えない、かなり「意を決して」という感じなんだろうか。そして、おそらくは「死んだら全て終わりだ」と思っているんだろう。そこが大きな間違い。電車に飛び込み、肉体を抜けて、しばらくすると「意識体」として覚醒する。その「肉体を抜ける」直前の意識は、「死ぬんだ、あの電車に飛び込むんだ」だから、結局「あ、まだ死ねなかった。次の電車に飛び込もう」と、もう意識体でしかないのに、延々とそこから無限ループに入る。もし、死ぬ直前に「辛い」という思いがあれば、ずっとそのまま、らしい。電車でなくて、七輪でも、首吊りでも、同じこと。

師匠が講演会でおっしゃってた。「だから、下りの電車に飛び込んだ人は、上りの電車には目も向けずに、延々と下りの電車に飛び込み続けて、それを何十年と続けている人もいる」らしい。原爆とかと違って、本人に100%責任があるから、自分で気づくまで師匠も放っておくらしい。(冷たいんじゃなくて、愛の鞭なんだろうと、私は解釈しているが・・・)死にたい、一番辛い、その辛さのピークの意識のまま、何十年とそこでループしたいなら、どうぞ、としか言えないんだが・・・。知らないってことは恐ろしい。
「人間なんて、死んだらそれっきり」という誤った知識(?)が定着してしまっていることが、そもそもの誤りの始まり、じゃないかと思う。

せめて、怪談屋が「死んだらそれで終わりじゃなく、全員が霊になる」(っていうよりも、そもそもが、生きている人も「霊体」が「肉体」に「乗っている」だけだから、霊になるという言い方もおかしいとは思うけれど、)という認識を広めるために、頑張ってくれたらいいのに、と思いつつ、怪談屋は怪談屋で、エンターテインメントビジネスだし、聞く側もエンターテインメントとして聞いているから、教育的な効果はほとんどないし、むしろ、誤った認識を拡散しているだけのような気もする。

ねぇ。自然科学的に解決して、「霊が見える機械」とか作れればいいんだろうけれども・・・それは当面無理だとして、せめて、騙されたと思って、自殺はやめた方がいいと、僕は思います。
一番悲惨な状態で無限ループに陥る。

宿題代行

憂鬱になるようなニュース
「夏休みの宿題代行」が、頼む側も、引き受ける側も、エスカレートしているようで・・・何を考えているんだろうか?
小中学校の場合には、教師が「宿題」を出すのは、「休み中も勉強をするように」ということだと思うが、僕らが大学や専門学校で「課題」を出した時には、「これを自力で解決できるようになれ」という目的を持って出している。(小中学校でも、無論その意味はあると思う。)要するに、自力でやらなきゃ意味がない。
出口に「国家試験」がある場合には、自力で課題を解けなかったら、国家試験の問題を解けない、つまり合格できないということになる。学校の「合格率」なんていう数字もあるけれども、最終的な「受益者」というか、やらないことで損をするのは「本人」で、なぜそれがわからないんだろうか、と考えると、結構憂鬱になる。

いや、理屈ではわかっているんだろうか。「自分で宿題をやらない、誰かのコピーするっていうのは、言ってみれば、お腹が空いたから僕の代わりにご飯を食べて来て、とか、オシッコ我慢できないから、私の代わりにトイレに行ってきてっていうのと全く同じで、意味がないよ」という説明をすれば、一応はわかったつもりになるらしいけれども、本当に理解しているのか疑問だ。
国家試験が出口にある学科やコースの場合には、自力でやらなきゃ、自分が苦しむだけだよと、それをしつこくいうだけで、丸写しのレポートを見ても、そのレポートを0点にするだけで特にペナルティは課していなかった。けれども、プログラミングなどで、学校にいる間にその(宿題丸写しという)「原因」と(実力がつかなくて国家試験に落ちるという)「結果」の、因果関係を実感させることができない学科、コースの採点は、最近、思い切り厳しい方向にシフトするようになってきた。どうしても気になってしまう。「丸写し」がはっきりとわかったレポートは、全て「不正行為に関する正規の手続き」の方に回すように、最近、なった。

目先、「提出する」ことで、「形式だけ整えれば、それで済む」という発想は、僕は、出来ることなら根絶したい。というよりも、本人や、組織にとっても「いい結果」にならないことを、学生のうちから理解させたい。

延長上に何があるか、と言えば、東芝だとか、川崎重工のニュース。技術的に問題があった時に、書類の数字だけ書き換えればそれで済む、なんていう発想がどこから来るんだろうか?それを経営陣が知っててやってる?そこが信じられなかったけれども、あ、全員同じだと思った。子供の宿題を代行業者に頼む親。そうして、「目先」のつじつま合わせができない立場になったらどうするんだろうか?書類を偽装する?それ以外の発想が出てこないんじゃないか?そういう親が、そういう子供を量産する。

僕には実際の子供がいない。ただ、もし自分の子供が宿題をやらなかったなら、もし僕に時間の余裕があるなら、提出日のギリギリまで、ついて教えて、自分で考えながら答えを出すまでそばでヒントだけは出すかも知れない。(自分の子供がいないから、そんなことを書けるんだ、と言われたら、反論できないけど。でも、学校でも家庭教師でも、時間と体力に余裕がある時は、そうして来た。)それで最終的にできなかったなら、「先生、終わりませんでした。夏休みの前半、遊んじゃったので、自分が悪いんです。恥ずかしいです」と、堂々と教師の前で言え、と、その「結果」を「恥ずかしさ」という自分の心で受け止めるような場を作らせて、その結果と、原因を本人に考えさせたい。大事なのは、そっちじゃないのか?

宿題代行に頼んで、形だけ整えたって、それこそ、東芝だの、川崎重工だのの「書類ごまかし」の原体験を作るだけじゃないか、という気がする。そういうガキは、親がいなくなってから、退職金を全額、会社に与えた損害の賠償に当てるような生き方をすることになるんじゃないか?いや、そうなるべきなんだ。どこかで痛い目に合わなきゃ、社会が迷惑する。新幹線、人が乗ってる運行中に脱線しなくて、本当によかったと思う。

宿題代行を頼むような親。人間ドックを受診する際に「私、人間ドックの結果が、多分とても悪いから、健康そのもののあなたが私の代わりに人間ドックを受診してくれないかしら」なんて頼み方をするのかね?それで、自分の名前で出てきた「人間ドックの結果」が健康そのものなのを見て、大喜びするんだろうか?同じことだとは思いませんか?いや、この比喩が理解出来ないような方が、たぶん宿題代行を頼む。その理解力のなさも、日本の将来が憂鬱な理由の一つだ。
会社で、仕事を1000万円で受注しました。ところが、納期ギリギリまで遊んじゃって、納期に間に合いそうもない。仕方ないので、短納期で仕上げてくれる会社に2000万円で発注しました。そんな会社あるか?(いや、あるかも・・・)金で解決できる、と思ったら大間違いじゃないのか?表面を取り繕った「辻褄合わせ」で世の中なんてなんとかなるという「成功体験」(?)を植え付けるだけで、その挙句が、あの東芝、川崎重工、それ以外の数多の大企業の不祥事などなど、だと、僕は思う。(いや、そんな気がして来たから、最悪「単位没収」になるのを承知で、不正レポートは全部見つけ出して、学生のうちに「そういう行為はやめろ」とわからせたい。)

9月1日に、子供自殺が一番多いらしい。死んだって、何も解決しないよ。
親にどう怒られようが、学校でどんな恥ずかしい思いをしようが、もし宿題をやっていないことが憂鬱の原因なら、開き直って「間に合いませんでした。」と、堂々と教師に伝えて、同級生の前で「恥ずかしい」思いをしなさいと、僕は思う。それは貴重な経験で、そういう思いをしておけば、納期に間に合わずにクライアントさんの前で頭を下げる時にも、多少は苦痛が軽減する、じゃなかった、「次からは、きちんと間に合うように、工夫しよう」と(いつかは)自分で考えるようになる、はずだし、親も、教師も、子供が「自分で考えて、自分で間に合うように行動を自制する」ようになるまで、忍耐強く、ただ「そうか、わかった。次からは、間に合うようにやりなさい」と、ただ待つことが出来ないものか、なんてことは思う。
思いっきり、恥ずかしい思いをして来なさい、と言いたい。大事なことで、次からはその「恥ずかしさ」を経験しないように、自分自身に刻み込め、と言いたい。宿題代行なんて、最悪中の最悪だという気がする。

そういう経験を一切しないまま、社会人になり、辻褄合わせは部下に押し付け、時には書類を書き換えて、それでなんとかなる、なんてことを、子供の頃から親に仕込まれた日本人が増えたら、この国は、もっと悪くなる。日本製は不安だから買えない、そういう時代がきっと来る、そんな気がする。

土地収用

南ア
土地改革巡るトランプ氏のツイートに政府反発

植民地政策の残骸:わずかでも植民地政策的な残痕が残る国は、どこも苦しんでいると思う。白人が暴力的に接収した広大な土地を所有する、それが正しいかどうか横から口を出せるとは思えない。民主的な手続きと、人種間相互の信頼関係を崩さない方法が求められることだけは、確かだろうけれども。

それはそうと、戦後の日本の土地収用。日本では、アメリカを中心とする進駐軍が有無を言わさずに、大地主の土地を小作に解放した。拒否はできなかったはずだ。

戦後直後の用地補償問題

詳細は省略して書くならば、南アフリカも、アメリカがやったやり方をそっくり模倣すれば何の問題もないんじゃないのかな?二束三文で「補償金」として値段を決めたらいいんだ。いくらトランプでも、アメリカ自身がやったやり方には文句はつけられんだろう。

それよりも何よりも、沖縄などの基地問題。

補償金の金額とか、色々問題があっても、それが「民主的な手続き」に則る限りは「betterな方法」として扱われるべきだろうと私は考える。ところが、「戦争」という暴力で、「勝者のみ正義」という民主的とは言えない手続きを経て収容した、日本各地の米軍基地の「土地」の補償問題を、トランプはどう考えるんだろうか。

日本としては、日米安保で、日本の安全保障にアメリカが金と兵力を出すっていうから、差し出している感じはあるんじゃなかろうか。それが、「アメリカファースト」でもって、その前提を見直すっていうんなら、そもそも論で、アメリカが日本の基地の土地を収容した問題について、(戦争という行為も含めた)手続きとしてどうかをまず、言及してもらいたいと思う。南アフリカに口を出すより、先にこっちの解釈について説明しろ、と言いたい。

小林が多い・・・

昨日、自治会関連の行事で連絡を取った相手が小林さん。親戚ではありません。そして今日、システム関連の打ち合わせで名刺交換させていただいた方が小林さん。ミーティング参加者4人のうち、2人が小林。

僕が、パプアニューギニアの青年海外協力隊に参加(平成4年度3次隊)した後の、最初の隊員総会では、隊員40人のうち、4人が小林。

首都Port Moresbyの小林さんは、モレスビーの小林さんだから、モレコバさん。ハイランドのMt. Hagenの小林さんは、ハーゲンの小林さんだから、ハゲコバさん。Manus島の小林さんは、マヌスの小林さんだから、マヌコバさん。そして、Vanimoの小林、私はバニコバ。モレコバと、ハゲコバと、マヌコバと、バニコバで、どれが一番いいか、なんて意味ないけど、すごい略し方だ。

バニコバでも十分短いと思うんだがさらにそれがだんだんと短くなって、やがてバニコになり、ついにバニーさんになった。僕がバニーさん?悪ノリした僕は、その次の隊員総会で、バニーの耳をつけて、網タイツでタブーを踊ったんだが、後からきた隊員の皆さんには、完全におカマだと思われたらしい。断じてそんなことはないのに。私は男には興味はありません。女にしか興味はありません。キッパリ!(って、この表現も相当に誤解を招きそうだ。)そもそも、おカマの皆様に失礼でしょうが。
えぇと、網タイツでタブーを踊る私を想像しちゃった方、食事中だったら本当にごめんなさい。

これも30年近く前、中毒薬物医療のシステムの仕事で打ち合わせをした際は、4人のミーティング出席者のうち3人が小林だった。本当に、小林は多い。で、今日名刺交換した方は、名前まで同じ同姓同名の方を他に2人知っている。一人は20年前の飲み仲間で、もう一人は学者さん。会話をしていて、小林さん、小林さんって、誰のことだか・・・その点、モレコバ、ハゲコバ、マヌコバ、バニコバは、わかりやすかった。(全て、実話です。)

なんで、殺し合いをモチーフに?

別に、戦闘の殺し合いをモチーフにしなくたって、いい映画やドラマは、いくらだって作れているじゃない。ハリウッド。

「戦争」をモチーフにして、「人間愛」を表に出そうとしたって、その中にある「殺し合い」の戦闘シーンで観客のカタルシスを得ようとする安易な映画は、やっぱり嫌だ。映画も、テレビドラマも、殺し合いを見るのは好きくない。影響力大きいもんなぁ。

なんて言いつつ、今だったら文句を言うなら「ゲーム」の世界設定だろうか。殺し合いをした挙句に、領土を広げる?誰が得するの?ってな文句は、ゲームのデザイナよりも、政治家に文句を言うべきなんだろうな。

トランプは、「下品」+「安易」で、リャンファン。
プーチンと習は、「安易」だけで、イーファン。

人殺しを命じて強制しただけで、犯罪にならなかったっけか?米中露には、そういう法律はないのか?野蛮だ。

そういうのをモチーフにするハリウッドも、安易な奴らは野蛮だ。下品だ。まるでトランプだ。

ハリウッドですら、いい映画はたくさん世界に送り出しているのに、トランプが幅を利かせている。

学校で教えちゃダメでしょ!

プログラミングで、調べ物をしていて、時々とんでもなく「初歩的」なことを知らなかったことに気づいて、時々絶叫する。

ロジックの組み方はわかる。属性とかも押さえてる。ところが、何と言っても「読み方」が、ほとんど頭に入っていないことに気づかされる。だって、プログラムは日本語とか英語と違って、「音」にして読まないもの。

例えばHTMLがらみの「読み方」だとか、厳密な定義とかを確認して、唐突に、「あれ、俺、大学の授業中にこれどう読んだっけか?」なんてのを思い出して、赤面し、絶叫する。

一番多いのが、尻尾を踏まれた猫状態、「フギャー」とか「ウミャー」とか・・・、etc. etc.
瞬間的にスイッチが入って、顔が真っ赤になり、そして「フギャー」。

いや、事務所内ならいいよ、誰もいないから。ところが、電車の中で「あれ?」と思ってネットに繋いで確認して、間違いに気付くと、(そこが電車の中であることを意識していれば、赤面だけに止まるのだけど、)とっさにやっぱり「フギャー」が・・・

黙って、Macの蓋を閉めて、次の駅で降りたい。たぶん、月に1〜2度はやってる。(集中するのも良し悪しだ。)

ダメだよ、こういう人間が大学で教えちゃダメでしょ、なんてことはしばしば思う。ロジック組むだけなら速いんだけどなぁ・・・
今日もまた、「こんなの、気の利いた中学生だって知ってるだろ」みたいなのが。

何を知らなかったかは、書かない。口(指?)が裂けても書かない!
でも、このページを書いたから、この件はもう忘れる。

自主規制

さすがに、一つ前は削除。自主規制。

いや、ネットの世界だから、一度書いたら実質的には「削除不能」だけれども。それを承知で書いて、そして消して・・・確信犯。

トランプの真似をしてみたけれども、あまりにも下品だから、やめた。本家のトランプは、自分で読み返して恥ずかしくならないんだろうか。という感覚がないから、ああやってトランプ流の発言を繰り返せるんだろうなぁ。あれがアメリカ合衆国の大統領。

それにしても、と思う。遺骨情報収集を手伝い、遺骨収集を手伝い、遺族会の慰霊の旅に同行して、あれ以来、時々人格が変わってるかもしれない。トランプがらみのニュースを見聞きするたびに、スイッチが入りやすくなる。気をつけねば。


フィリピンのニュースを聞いてから、遺骨収集当時の記憶がなんだかすごい勢いで意識の表の方に湧き上がってきていて、自分でもメンタルの収集がつかない。そうして思い出してみると、記憶違いが随分あったかもしれない。

田所会長に、なんだか「そこ、違ってるよ」と言われている気もして、僕が職場からの人脈で探したのではなく、田所会長のところに手紙で届いた、その手紙の送り主の村に行く算段を立てていた際に、職場の人たちに、第一次産業局の誰それは、どこそこの村の出身だとか、そうした話を聞いて、という流れだった、と思い出してきた。20年前の記憶だ。結構自分に都合よく化けているかもしれない。

なんせ、システムエンジニア隊員だったのに、任期中、コンピュータが壊れていた期間が1年以上あって、開店休業状態だった。職場には金がない、JICAを通じて手配するにしても、手続きには時間がかかる。結局、タウンのあちこちから「コンピュータが壊れたけど、見てくれ」的なお呼出がかかったりで、かろうじてSE隊員ぽい仕事はしていたけれども、他にすることがない感じだった。田所さんから「遺骨」の話が流れてきて、やっと「すること」が出来たような隊員生活だったことも、なんだか思い出して来た。

当時は、随分と感情移入していた。「あの辺で、銃撃されて倒れたから、この辺に埋めた」という話を聞くと、リアルにその状況を想像してしまい、居ても立っても居られない感じで、突き動かされるようにのめり込んでいた。

田所さんも懐かしい。噂では、渥美清さんのいとこらしいけれども(結構似ている)、ついにご本人に確認する前に、お亡くなりになった。ご冥福をお祈りしつつ、昨日今日と、ものすごい勢いで、当時のことを思い出している。田所さんがもし、あのフィリピンのニュースを聞いたら、何をおっしゃるだろうかと、考え込んでしまった。田所さんは、戦争当時の記録をかき集めて、部隊の移動と遺骨情報を照合してから僕に現状確認してくれと言って来ていた。なんだかね、田所さんの手柄を僕が横取りするような書き方をしてしまった気がした。記憶っていうのは、本当に化けるなぁ。

日本兵の遺骨

戦没者遺骨 “日本人の遺骨なし” 鑑定結果を公表せず 厚労省

思えば、有限会社シグナリスの唯一の社員、松尾君とは、パプアニューギニアでの不思議な出会いが重なったことで知り合った。お互い日本に拠点があったのに、なぜかPNGの、ポートモレスビーのドミトリ(隊員連絡所)は、まだわかるとして、ワウの山奥とか、マプリックのタウンとか、およそ日本人が普通は居なそうな場所でバッタリと出くわす(正確な場所は覚えてないけど)みたいな偶然が3回はあって、お互い、「なんなんだろうね」という流れで知り合いになった。
そういえば、ドミトリで他の隊員(OBを含む)とマージャンをしていて、誰かに「お前、役満狙ってるのか」みたいに言われた後の僕の一言「この手が役満になるなんて、オバQが大場久美子に化けるより難しい」なんて言った一言が、なぜか、マージャンの話が出るたびに、松尾君を含む当時のOBから蒸し返された。(そんなにおかしなことを言ったか?)えぇと、大場久美子を知らない方、ごめんなさい。今なら、浜辺美波のがいいけど、でも、みなみちゃんなら断然あだち充で、あだち充ならみゆきで、って、なんの話じゃ。

なぜか、遺骨収集の時にも出会ったんだな。確か、ワウの山奥。

あの時は、理学療法の隊員OBの方が同行していた。僕が「人の大腿骨では」と言ったら、「いえ、これは豚のどこそこの骨です」と鋭いご指摘が何度も。そんな中で、現地の人が持ってきた遺骨の中に、どう見ても子供の頭蓋骨みたいな大きさのがあって、「この一角のご遺骨、おかしくありませんか?これ、子供のですよね?」と言ったら、厚生労働省の担当者(玉川さん、だったと思う)も、「確かに」と、持ち込んでくれた方に引き取ってもらうことに同意して下さった。だって、掌に乗るくらいの大きさの頭蓋骨が一つ、成人のものと思える頭蓋骨に混じっていた。一つが怪しければ、その一群は全部疑われても仕方ないと思う。

そもそも、遺骨なんてもう、形が残っていないと実感した。唯一の例外がWutung(イリアンジャヤとの国境付近にある村)の砂浜から出た7柱のご遺骨で、僕の教育局の同僚(確か、マーティン・ネラだ、ダーツ仲間)の実家のある村からの遺骨。彼に村でおじいちゃんだったかお父さんだったかに確認してもらって、上陸してきた連合軍に日本兵が殺された時の話から、そこに間違いなく遺骨があるという情報に基づいて掘った。「ここに埋めた」という当時を知る村の長老が指差したその場所から、1mくらい掘ると確かに、7柱のご遺骨が確認された。すごい記憶力。砂地だったため骨がしっかり残っていた。金歯もあった。(金歯は、日本人の遺骨と確認する決め手だった。)そこだけが唯一の例外で、後の遺骨は、ほとんど土にまみれて、骨だいうことがかろうじて確認できる程度、大きくても数cm角程度の大きさにまで腐蝕していて、原型をとどめていた骨など、セピックからは他にはなかった。

あっと、もう一つ例外があった。これも、同僚の村で見つかった頭蓋骨。遺骨収集団が来るまで僕の部屋で預かっていた。僕が頭蓋骨と同居していた話は何回か書いたと思う。それ以外は、人の骨とわかるものは、セピックではほとんどなかった。

今にして思えば、理由ははっきりしている。セピックでは、僕の勤務していた西セピック州政府教育局の同僚から、人脈を伝って、州政府の産業局だとか、東せピック州の教育局だとか、さらには、民間ビジネスの知人の知人とか、知人づたいで確認を取ったから、かなり確度の高い情報だけが集まって、僕が掘ったほとんどの場所からは、クレオソート(正露丸?大半の日本兵が携行していた常備薬)の小瓶や、ヘルメット、飯盒などが確認されたから、日本兵だと疑うことなく収集した。ただ、ニューギニア方面遺族会の田所会長の遺骨情報収集の呼びかけに、手紙を書いてきた人たちからの情報は、情報提供者との「初対面」から始まり、遺骨を確認することになった。セピックを離れたら、僕はもうただの日本人で、あるいは「日本政府の派遣した遺骨収集団のメンバー」でしかなくて、彼らはまず「日本人」として僕に接して来る。

ポリシーとして、彼らが遺骨収集に「協力」してくれる限り、薄謝であっても「お礼」はすべきだと、ずっと主張してきた。戦友会の方達は、「お願いだから、戦友の骨を『買う』なんてことはしてくれるな」と、そうした押し問答もあった。『買う』んじゃない、だって、当時の日本兵だって、荷物運びを現地の人に頼んだら、謝礼はしたでしょう。(その『軍票』が、結局紙切れになったとしても、謝礼はしたはず。)だから、僕は今、情報提供者には謝礼はしたい。そう主張した。戦後長い間、一切現地の人を信じなかったがために、遺骨の情報を集められず、遺骨収集が何回も空振りに終わったんじゃないかと僕は思う。

ただ、言わせてもらえば、僕は半分は現地の人間(よく、Mangi Sepik(セピックの男)と言われていた)で、だから「金目当て」の話はほとんどブロックできていたけれども、日本から足を運んで、「謝礼をするから、遺骨を探して欲しい」的な話をしたら、現地人の骨が「回収」されるのは、ある意味で当然と言えなくもない気がする。だって、みんなお金は欲しいもの。「金が欲しいのはわかるよ。だから謝礼は払う。だけど、僕は、日本人の同胞を連れて帰りたいだけなんだから、日本兵の情報を提供してくれ」と、そこから入って、当時どんな状況だったか話を聞いて、その村に泊まったり(ってか、他に行くところがないから、泊めてほらうしかない)夜っぴて話をしたり、そこから入って遺骨情報を集めた。情報を集めてから(遺族会を通じて、情報を)厚生労働省に流して、正式なPNG政府の許可を得てから、遺骨を動かした。
僕も、厚生労働省の「日本兵の遺骨」回収は手伝ったけれども、少なくとも、セピックから集めた遺骨については、100%日本人のものだと思っている。ただ、悪いけれども、マダン近郊やら、ポポンデッタ、ワウ周辺なんかはわからない。人的交流がない人たちとの交渉だから。そもそもが、「見るからに人骨」的な遺骨は、僕が関与した20年前、戦後50年当時でも、もうほとんど探すのは難しいんじゃないかと思えた。ジャングルでの腐蝕は速い。プラスチックとか、金属とか、「腐蝕しない」と思われているものでも、湿度と太陽光があるとかなりの速さで劣化する。普通の保存方法だと、フロッピーディスクが2年もたなかった。遺骨もそうで、よほど条件が整っているか、そうでなければ、現地の風習で洞窟などに安置された遺骨でもなければ、50年も前の骨は、原型を留めていない。

ニューギニア方面遺族会の田所会長に、「また遺骨情報収集を」と言われても、ある意味でスルーしていた理由の一つは、「もう、無理でしょ」だった。ジャングルでは、原型を留めていないのがほとんど。

当時は、もちろん(僕が通っている勉強会の)師匠の講演会には参加していなくて、師匠ご自身もまだ、講演会活動は始めていらっしゃらなかった。まだ師匠のことを知る前だったけれど、僕自身は、遺骨の収集やら、慰霊のお祈りに同席したりしながら、「もし、まだここにいるのなら、僕に取り憑いてもいいから、ぜひ一緒に日本に帰りましょう。」という思いは投げていた。いや、実際何体かには取り憑かれたかもしれない。それでもいいから、魂には日本に戻ってもらいたかった。当時はそう思っていた。

今だったら、かなりはっきりと伝えると思う。「いつまでも、こんなところにいないで、真っ直ぐに上に帰ってください。次があります。今回の経験を活かして、再び肉体を持つサイクルに戻って、戦争のない世界を作るために、声を出してください。」そう伝えると思う。師匠と違って、僕には直接の対話はできない。(師匠が、直接の対話ができる証拠?あるけど、疑いのある方がいらっしゃるなら、どなたか実際に試してみますか?生きていても、心を読める人が存在すると、僕は思います。)
肉体は、「乗り船」に過ぎない。今でいうなら、魂がドライバで、肉体は自動車という関係。自動車は、いつかは動かなくなるけど、ドライバは新車に乗り換えることができる。そう、その比喩で言うなら、「みなさん、ぜひ新車に乗り換えてください。新しい肉体を手にしたら、声高に、戦争反対を叫んでください」とそれを伝えたい。いや、実際に、すでにそうされている「今時の若い子供たち」もいるだろうと、思う。(サイクル的には短すぎるけれども、当時の日本兵の指導霊さんたちが肉体を持ってきている時期だと、僕は思う。)

肉体にこだわったって、仕方ないと、僕は思う。ご遺族の方々、向き合うべきは、スクラップになった自動車(肉体)じゃない、その肉体に入っていた魂(その人の、心、意識、その方の人格)、つまりその肉体を運転していたドライバの方で、肉体の残骸をどれほど拾い集めても、供養にはならないと、僕は今は考えています。

そんなことは、どうでもいいけど、また、ニューギニアを、ブラブラと歩きたいなぁと、思いを強くした。松尾くんとの社員旅行。稼がねば!

サマータイム

サマータイムの議論がかしましい。情報システムの改修費用が数兆円に届くとか、届かないとか・・・

最近(ってか、もう十年以上)、WEB系のシステムに関わっていて思うことがある。
基本的に、WEBへのアクセスは世界中から可能なので、ファイルの”created_at”(生成日時)フィールドはGST(グリニッジ標準時)になっていて、そこにロケール(地域情報;日時の表現形式や、使用言語、タイムゾーン)を被せた時に、ローカルな日時に換算される、という設計が一般的だと思う。というよりも、英語圏などからのアクセスを想定していたら、当然日時はGSTになっていると思える。「考える必要がない」という理由で、JST(日本標準時)だけでシステムを設計する、(そうすることで、開発コストを下げたい)というのは、自分だったら発想として却下していると思う。大した手間じゃない。View(表示)部分でGSTからJSTに変換すればいいだけ、だから、その部分に若干の手間がかかるけれども、今時のWEB環境ではGSTからローカルタイムへの表示切り替えは、関数一つ使えばいいだけになってるような気がする。

で、そのGSTからJSTへの表示切り替え部分で、他の国ではすでに採用されている夏時間対応の切り替えの仕組みが使えて、時間の切り替え自体は結構簡単じゃないかな、なんて思ったりするんだが・・・もしかして、そうじゃないんだろうか?
表示部分には、それが「夏時間」であることを明示する必要もあるのか、ないのか、わからんけど。

銀行系なんか、国際的なトランザクションも扱っているだろうから、おそらくはGSTが基準になっていると思う。(関わったことがないから、知らないけれど。)航空機などのシステムは、GSTで設計しなければタイムスタンプが滅茶苦茶になる。(離陸後30分経って、着陸したら30分前に戻っていた、とか・・・ヴァニモからジャヤプラへのフライトが、確かこんな感じだった。陸路でも2時間程度の国境越えの路線。)
え?違うの、という疑問符???が頭の中にいっぱい。世の中、わからないことだらけ。

なんだか、そんなに心配する必要ないんじゃないかなぁ、なんていう気がする。いや、世間一般の情報システムを僕が知らなすぎるだけ、かも知れないけれど。もしGSTが基準になっていないなら、この機会に設計変更すべきじゃなかろうか。

人間の側としては、きっと数日の時差ボケがあるような感じかなぁ。ただ、思う。ブラックな企業では、残業時間が絶対に延びる。「もう、夜8時だ。でも外はこんなに明るい。まだあと3時間はいける」みたいな・・・悲鳴をあげるマイノリティが絶対にいると思うな。

個人的には、個別の就業時間とか、営業時間をズラした方が、社会的には楽なのかなぁとも思うけれども、情報システムとしては基幹となる時間表示を動かすよりも、個別の(取引先)の営業時間とかに「夏対応営業時間」フィールドを追加したりする方が、圧倒的に改修の手間とかコストはかかるんじゃないか、なんてことを思った。

でもね、もう僕が大規模システムに関わるようなことは、たぶんないと思うから、他人事かな。

オリンピックが議論のきっかけ?いや、昔は「体育祭」って言ったら「秋」が定番だった。真夏に運動会をやる学校なんて、どこにもなかった。(と思う。知らないだけかもしれない。)国によって「開催時期」を変えられるように、オリンピックそのもののルールを見直した方が、よほどコスト低減に役立つような気がする。
何よりも、日本の秋は、夏よりも訪れたくなる景色の場所が多い、ような気がするけど、もう遅いわな、こんな提案。

うちの会社の就業時間は、ウルトラ・スーパー・フレックスタイムだし。

支配

ラジオから遠ざかりつつある。歌詞のある音楽もダメ。仕事のまさたげ、じゃなかった、さまたげ。
無音にしたくなる時は絶好調中の絶好調だけど、ジャズから入って、マーラー、シベリウス、ホルストとか、その辺だろうか。どんな音を出していても、文句を言われないのがありがたい。(社長がOKすりゃ、大丈夫、とか、いやヘッドフォンすりゃいいだろう、とか、色々あるけど。)いずれにせよ、歌詞がある音楽、言葉が伝わってくる音は、今はダメだな。

唯一の例外が、定時のニュースだけれども・・・。イランの次はトルコ。相変わらず忙しい人がいるなぁ。
世界を支配するつもりなんだろうか。と思っていたら、宇宙軍創設で、軍事力で宇宙を支配するとか言い出しているらしい。アッチョンブリケ!(通じなかったら、ごめんなさい。)

「支配欲」が鬼門。支配対支配の構図は、最悪の結果を招く。どこか一つが「支配」を掲げても、おかしなことになる。それは個人も同じで、スポーツ団体のトップだとか、指導者だとか、まぁ、賑やかなこと。中央官庁でも、似たような感じか。
端的に言って、力(地位、経済力、武力、腕力)などで「他人を思いのままにしようとする」全ての行為は、その人間(あるいは組織)を堕落させる。師匠の言葉を変えれば、神の思いに反する行為、ということになるんだろうか。自由の対極か。
昨今は、「パワハラ」とかいう形で、個人のは社会的に抑えることができても、国家となるとなぁ・・・手に負えない。あとは、それこそ神さまにお任せするしか・・・
いや、創造の神様はたぶん動かない。(創造主が動くときは、人類全員が一斉に消されるときか。)ただ、我々からしたら十分に「神様」クラスの存在、地球の意識が動いてくれるのは間違いない、と思う。面倒ですね。「神様」って言ったって、レベルが色々だから。「上にバラすぞ」なんて言って、「上」って言ったって、係長級から、課長、部長、事業部長、常務、専務、社長、会長と、色々ですから。「宇宙空間を支配する」なんて公言したあの人、どのレベルの逆鱗に触れるのか、楽しみだったりして。(ただ、普通はタイムスパンが長すぎて、僕らの時間軸ではなかなか「出た結果」を直接結びつけられない。そこが人間の悲しいところなのかも。)

その昔、偉大な、尊敬すべき指導者がいらっしゃった。部長級かなぁ。6番目の天使だったその方は、6つの霊能力を駆使し、6つの大罪を犯した。666の数字で描写されるその方の名は、ルシフェルという。たったの一回で、とてつもない落ち方をされた。その大罪の一つが、「他人を思うがままに操った」という罪。その意識は、封印されても地上に届くほど強大で、今でも多くの人がその影響を受けている、らしい。その意識に影響されても、別に額に666の刻印ができる訳じゃないとは思う。だけど、ニュースを聞いてりゃすぐにわかりそうな気がする。あの人も、この人も。

「支配欲」で落ちる、なんて、普通の人にはできませんよ。他人を支配するだけの力がなければ、普通はできない。私なんか「お前をクビにしてやる」って言う相手がいないもの。自分しか。

「支配欲」で落ちるってことは、それなりの「上級課題」に取り組んでいるレベルの方々の失敗、なんだろうか。「支配」はダメでも、「統治」ならばたぶん、推奨される。模範とされる方々のお話は、師匠の講演会でも時々取り上げられる。ぶっちゃけ、社員からも尊敬され、社会的にも評価され、事業としても成功した事業者の方々のような、そんな方々は、このレベルの「課題」を少なくとも今回はクリアされた方、ということになるんだろうか。

僕のちょっとした自慢話。30代なりたて、血圧計メーカーにいた頃、東洋医学に興味をお持ちだったソニーの創業者井深大さんに、社長が面談を取り付けた。東洋医学の脈診の話題だった。社長に同行したのは、技術系では私と、あとは総務課長。元々は30分の面談枠だったのが、話をしているうちに、井深さんの目の色が変わり、後の予定をキャンセルしてくれて、トータル2時間くらい井深さんと東洋医学のお話をさせていただいた。井深さんは早稲田の大先輩だし、井深さんの書かれた本を僕は読んでいましたから。その本に書かれた話題から推測できる井深さんのご興味を二つほど、会話の中で取り上げただけ、だったけれども。いや、井深さんのお時間を、他の用事をキャンセルさせて、1時間半も余計にいただいた、って言うだけの自慢ですが・・・。
どうせなら、自分自身の仕事で自慢話をしたいですけどね。他人の褌で相撲を取らずに・・・

井深さんとか、松下さんが「支配」をされていたのか「統治」をされていたのか、僕にはわからない。だけど、下とか周囲から反感・反発を多く買ったなら、課題失敗の可能性は多大にある。どこまで落ちるかは知らないけれど。

花ミョウガ

ふと見たら、家の周囲のあちこちで雑草が幅を効かせている。それに気づいたのが先週。少しずつ草むしりをして、ようやっと今日終わった。ちょっとしたご褒美があった。

思えば、今年3月頃から体調を崩し、庭も完全放置。5月頃は最悪で、授業は一度も休まなかったものの、3週間ほどはかなりのハスキーボイスで授業をしていた。肺を痛めたその後は、ちょっと無理して梅の実を採取した際に三脚から落ちて、頸椎を痛めた、かと思った。(おそらくは、ほんの数十秒〜数分間程度だったと思うけれども、一度は両足の感覚がなくなり、やっちまった、健常者人生は終わったかも、とも思った。)二ヶ月が経って、この間整形外科で「経過観察は、もう終わっても、大丈夫でしょう」とのご判断をいただいて、5ヶ月ほど止めていたジョギングを再開したいと思った。(それなのに、この気温!)家の周囲の草むしりだとか、体を動かす作業を、やっとできるようにもなった。

少しずつ作業していって、最後は家の裏の、日当たりのあまり良くない、母屋と塀との間の幅2mほどの隙間。放ったらかしなんだが、完全に放置するとドクダミのジャングルになるので、ドクダミだけにはご遠慮いただくようにムシっていると、春は蕗、夏はミョウガのジャングルになる。それ以外の雑草も相当にムシったが、よく見るとミョウガが大量に蕾を出している。そうして収穫したのが、冒頭の写真。

千葉の大学で専任教員をやっていた時の、直属の上司、E先生が「ミョウガは大好物」とかおっしゃっていたので、当時だったらお持ちしたんだけれども。収穫して、こうして綺麗に洗ってみて、さてどうしようかと、悩むことしきり。

夫婦喧嘩のタネになるので、嫁には内緒。「こんな面倒な、どう処理したらいいかわからないものを、押し付けないで!」という、思いっきり迷惑そうな顔を、何度されたことか。梅、ゆず、フキ、三つ葉、イチゴ、そしてミョウガ、ことごとく喧嘩の原因。よく洗ってあって、ビニールパックに入っていないものは、食べ物ではないと思っている節がある。土がついたままのイチゴを見せたら、以前だったら絶対に食べなかった。梅やゆず、人に分けるなら、一つずつ丁寧に綺麗に磨いてからでないと、差し上げるのは失礼だと、これだけは絶対に曲げない。だから、ものすごく手間をかけている。僕が、「ざっと汚れを落とす程度で、後は一言添えればいいだけじゃない?」と、いくら言っても聞いてはもらえない。いや、僕の方が間違ってる?スーパーで売られている果物とか、あれ、全部、一つずつ一個1分とかかけて磨いてから売ってる?梅も、ゆずも、収穫するのを止めようかと、毎年悩む。毎年大騒ぎ。喧嘩腰。ざっと汚れを落として、そのまま分けたい私。全部磨くと言って聞かない嫁。豊作の年は、思いっきり険悪な空気になる。

ただ、フキも、ミョウガも、嫁は食べ物だと認識していないから、嫁を迂回すれば一切問題は起きない。

大した量じゃない。料理好きの知り合いっていうと、親戚筋のKさんと、後はEさんか。全部持っていって、使いたい程度の量をお取りいただくとして、自分でも少しググって、楽しんでみようと思う。(仕事に支障がない程度に・・・)

風習を変えねば

「不都合な真実」の続編を見ながら、次から次へと、突っ込みが・・・

死体を火葬しない文化が、どれだけあるだろうか。少なくともパプアニューギニアでは火葬しない土葬だった。アメリカのことはよく知らないし、ヨーロッパのことも知らない。(いや、過去世の記憶がもし正しければ、どちらもしてない。自信はないけど。)

疫学的には、たぶん、日本で火葬を法制化したのは、かなり正解だったと思う。感染症への不要な心配を減らす。ただ、現状の延長線だと、土葬された死体が過去になかった感染症の源になる危険性は、少なくないような気がする。そんな気がした。

いや、別に気にしてくれなくていいです。死体が多くの人々に免疫のない新たな感染症の根源となっていることが、実際に学術的に確認されてからでも、いいと思う。それでも遅くはない、とは、言う気は全くないが、学者は学者として生活を守る権利があると思うから。トランプの国民の人口の半数よりも、学者の生活が優先すると、私は思う。

相手はトランプだけじゃない。どこの国でも文化的慣習を変えるのは、極めて困難だと思う。(日本は、やったけどね。)


いや、最近ちょっと、考え方を変えたかもしれない。地球は全体としてもっと人口を減らすべきだ。目立つところでは、中国やインド。目障りなところでは、アメリカ。地球の「意志」は、我々の知識を凌駕している。その意志の元、導かれてトランプは大統領になったのかもしれない。

AKD砲の思い出が・・・

Nack 5の Sunday Lions。ゲストにデストラーデが登場・・・嘘だろ、と思ってNack 5のサイトを見たんだけれども、デストラーデの「デ」の字も書いてない。

まったくもぉ、どこの芸人だよ、それにしても、外人のしゃべる日本語の真似、うまいよなぁ、と思って、念のためGoogleで、「Nack5 デストラーデ」で検索したら、「サンデーライオンズ on Twitter」のサイトで、写真入り、動画入りのデストラーデを久しぶりに見た。いや、(ごめんなさい)甲子園のニュースよりも懐かしい。

秋山、清原、デストラーデ。西武の黄金時代。そういや、辻監督も懐かしい。名手の辻さん。守備を見ていて安心感のあった辻さん。
あっと、逆転!?ラジオの実況だもの。7対4。このまま突っ走れーと、(球場に足を運ばない)ファンからの応援です。

いや、ホームランって聞いて、デストラーデのガッツポーズを思い出した。そして、(ソフトバンクに行っちゃった)秋山のバック転・・・。お祭り男の清原(「おい、今打ったって、後の祭りだろう」、ってのもあった)。あ、いや、清原君、キレイになって、またメディアに戻っておいで!人生に「後の祭り」なんてないから、またどこかで活躍を見たいな。

聴くともなく聴いていて、ぶっ飛んだよ。Nack 5、Twitterもいいけど、サイトの記事にも、何か書いておいてよ。本当。どこのモノマネ芸人だよ、と思った。

Sunday Lions。取引先から送られてきた産業用デバイスの、仕様書を細かく読みながら、聴き流しつつ、つい、デストラーデに反応してしまった・・・

ライオンズ、ごめんなさい。今の若い選手の名前、わからないんだよなぁ・・・勉強不足で・・・。えぇと、ライオンズファンの彼女ができたら、改めて研究します。って、何を書いとる、この既婚者が!

温暖化と寒波

え、と思ったのは「地球が温暖化しているなら、この寒波をどう説明する」という、「不都合な真実」の続編での冒頭。

緩衝機能がうまく働かないから、変動幅が大きくなる。つまり、平均レベルでは上昇しながらも、暑い方も寒い方も、極端に触れやすくなる。あるいは、かたや干上がって干ばつになり、山火事や住宅火災で広範囲を消失する一方で、そのすぐ隣(アメリカのスケールだから、数100km離れていてもすぐ隣と言えると思うが)では、竜巻やら集中豪雨やらで水浸し、なんていうことが起きるのが、いわゆる「地球温暖化」の説明だと理解している。

で、実際にそれが起こったとしても、偶然だと主張するに違いない。何年も連続して、被災者数が数百万人に届き、産業自体が正常に機能しなくなって、初めて「もしかしたら、当たっていたのかも」と考え始める、程度じゃないだろうか。

現在の異常気象の原因(温室効果ガスの増加)の影響が完全に取り除かれるまで、70年とか80年はかかると思う。だって、「排出量」を1970年レベルに戻すのに20年近くかかる?その間、森林が減少して、サンゴも死滅し、吸収するものが激減した中で蓄積していくわけだから、大気中の温室効果ガスの濃度が1970年代のレベルに戻るには、もしかしたら百年近くかかるかも知れない。

とりあえず、トランプさんが正しいことを祈る。南極の陸氷が全部溶ける、なんてことは考えにくいけれど、部分的には、既に起きているらしい。海面レベルが1m程度上昇することは、既に確実な気がする。これが、「2mは確実」とか、「3mは確実」とか、じわりじわりと、「あ、やっぱり温暖化か」と実感する前に、「最大6m上昇する」つもりで対処するのが、賢明だ、とは思うが、賢明という形容詞をトランプさんに使っていいものか。

水商売

カルピス・ウォーターを当たり前に見るようになった。子供の頃、お中元みたいな奴でカルピスが届くと、ワクワクしながら井戸水で割って飲んだ。あの原液(っていうのかな、薄める前の濃い奴)も、今ドラッグストアで、ペットボトルで売られている。
「あ、これ一本で、500mLのペットボトル○本分、作れそうだな」と思いながら、僕は原液の方を買う。ケチですみません。でも、本当のケチは、カルピス買わずに水道水を飲むと思う。

その水道水。日本じゃ、十分に飲用可能なレベルの水道水が蛇口をひねれば出るのに、わざわざ、あちこちからの「水」が売られているんだよなぁ。あの物流コスト、どうなんだろう。

麦茶もそう。水出し麦茶の、乾燥してパック入りの、お徳用50袋入り、とか、58袋入り、とかが300円しないで(これも)ドラッグストアで売られているのに、若い人たち、ペットボトル入りの2Lのミネラル麦茶とか買う。運ぶの、重いだろうに。僕は、たぶん20年くらい前に買った麦茶用の、1.2Lくらいのガラス瓶(口が広くて、麦茶の乾燥パックを出し入れしやすい奴)に、(一応は、イオン交換樹脂のフィルタをつけてある)水道水で水出しして、そこからペットボトルに移して、凍らせたり、冷やして飲んだり、時にはそのまま飲んだり。個人的なコスパが、一杯あたりどのくらい違うか、暇な方はぜひ計算してみて下さい。それよりも気になるのは、物流コストだ。水に溶かしたペットボトルで流通させれば、重いし、運送費もかかるし、その分二酸化炭素の排出量もかさむ。水だって、そう。それを言ったら、お茶だって、カルピスだって。スポーツ飲料だって、粉末があって、粉末から作るのと、予め溶かしてあって、冷やしてある奴で買うのと、個人的なコスパがどれだけ違うか。それ以上に、実は環境負荷が桁違いに多い気がする。

こういうことを書けば、どなたかの営業妨害になる、ということは理解している。経済学の話題で、「無駄が利益を生む」という話を聞いたことがある。無駄という表現は誤解を招く。「手間を省く、誰かの手間を省くことで、利益を得る」と言い換えればいいのかな。例えば、粉末のスポーツ飲料を水で溶いて、それをペットボトルに移し替えるのに、僕は1分30秒もかけてない。2分以上は絶対にかけないけれど、1L分を500mL2本に均等に入れるのに1分は切れないなぁ・・・。僕のこの2分の手間。10袋だったら20分。これで、いくらくらい浮かせられるかと言うと・・・面倒なので、細かい計算しません。麦茶、日本茶、カルピス、みんなそう。
ざっくりと、僕自身の「作業時間」から換算すると、約1分程度の手間で150円くらいは節約できている(と思う、どこか見落としがあるかも知れないけど)。時間給に換算すると、9000円くらいになるはず。皆さん、金持ちだから・・・「調理済み」とか「ペットボトル入り」を平気で買う。うらやましい。ってか、考えたことがないのかなぁ。

経済学者に睨まれそうだ。その、個人の時間の、「時間給9000円分」は、どこに行ってるかと言えば、流通業、運送業、そして、「乾燥品」ではなく「すぐに飲める状態」で売っている製造元、そこいら辺で分配しているんだろう思う。それは金の話。そのプロセスでの二酸化炭素排出量を考えたとすると、そのツケがこの「慢性化した異常気象」に回ってきている。それを承知で、水をトラックに積んで、あっちからこっちへ、運び、水だけでみんなが儲かる。これこそが水商売。

アル・ゴアさんにすっかり感化されている感はあるけれども、「経済」優先で判断した挙句は、その経済活動が困難なほどの「生活環境」が待っていることは、覚悟した方がいいと思う。ってか、既に明らかに、誰の目にも今の気候は異常じゃないかな、と思うんだが。お茶の木が育つ、麦が育つ、牛が乳を出す、電解質を粉末にする電力を確保できる、そこが危ういのに、みんな生活スタイルを変えず、すぐに飲めるお茶、麦茶、カルピス、スポーツ飲料を求める。なんて書くと、僕の同級生も勤務しているあちこちの会社に、明らかに喧嘩を売ってるけど。でも、僕は、こう思ってます。環境負荷がバカにならない。

なんて書いていると、絶対に原子力関係者が色めき立つけど、悪いけど、もっとヤバイ話なのに、理解力がない人が原子力を推進する。福島県で、人が住めなくなった土地がどれくらいある?あの程度じゃ、原子力の危険性を主張するには不十分か。国土の2割くらい、人が住めなくなったら、多少は本気で考えてくれるんだろうかな。気候変動も、8月の東京都の最高気温の平均が42度くらいに、10年くらいの間にシフトしたら、もうちょっと、本気で「真の経済効果」を考えてくれるようになるんかなぁ。環境負荷を無視したら、経済活動が根こそぎ損なわれる、と言う議論が、多少は成り立つようになっているんだろうか。まだ通じない?

いや、何を書いても無駄かなと、僕は思う。その点では、僕はアル・ゴアさんとは違う。政治家じゃないもの。だって、ウチのヨ×、夏場の冷房の設定温度が18度で、部屋が25度くらいに冷えてるのに、まだ暑がっていて、そのくせ冬場は暖房の設定温度を28度にする。同じく25度くらいに暖まっても、まだ寒がる。どういう皮膚感覚をしているんだ、なんていう議論を何回しても、聞く耳持たない。あちこち開けっ放しだとか、文句を言えば、「あなただって、この間、あのドアが開けっ放しで」って、頻度が違うだろう、ってな反論は成立しない。っていうより、これまで5回は離婚を申し出たのに、最初の1回は「何それ」で聞く耳すら持ってもらえなかった。2回目も、流されたかも。3回目になって、ようやっと条件反射的な否定の言葉が返ってこなくなった。離婚を持ち出して、やっと聞く耳を持つ気になったか。それでも、「あなたが○×したら、近所に聞こえるように悲鳴をあげるから」という一言、あの一言で、僕はもうとっくに終わってたかも。その○×程度で悲鳴をあげられるのなら、触ることすらできない。以来、埼京線の満員電車の中で隣に女性がいる緊張感を、日常的に強いられている自分がいるのに、そもそも、自分が何を口にしたか全く何も覚えていない人だから、意思疎通ができない。って、何の話でしたっけか?
あ、そうでした。冷暖房の温度の話題。夏場の僕は25度だと寒い。冬場の僕は、15度でも暑い。体がそうなっちゃってる。そもそも、僕が他人と一緒にいること自体が無理かも。何だか、哀しい。って、再び、何の話題だ?

かくして、男は、水商売の女に走る。あっと、これで「標題」と噛み合ったので、これで私のグチのページを終わります。

今年の夏は、アル・ゴアの季節

トランプが大統領になってから見る、アル・ゴア氏の映画、「不都合な真実」はまた、格別だなぁ・・・

二酸化炭素排出量が1970年のレベルに戻ったとしても、蓄積された二酸化炭素が元に戻るまでの位相のズレというのは、何年くらいあるんだろうか。森林が破壊され、サンゴ礁が死滅して、二酸化炭素の吸収力はどの程度低下しているんだろうか。形ばかりの「温暖化対策」を行っても、気温の上昇傾向が止まるまでに、数十年とかかかるレベルに達していると思う。
学生に「位相」を説明する時に、太陽の南中高度と、気温のグラフのピークのズレを、僕はよく使う。モデルを簡略化し、地球の北半球で受け取るエネルギーが最大になるのを、6月下旬(夏至)とするが、気温のピークは8月上旬になる。この約一ヶ月半のズレは、関数系が積分になっていることによる。二酸化炭素排出量と気温の間の関係式は知らないけれど、単純な積分形だとしても、今現在、年平均気温がこれだけ上昇しているということは、明らかにピークはさらに先にあって、現在も変化が加速していると考えるべきだと、理解する。映画を見て、もしかしたら、二重積分形になっているんじゃないか、というような気すらしてきた。

映画の中で、アル・ゴア氏が言っていた。学者は、「気候変動は非線形的」だ、と。非線形系(システム)の「安定平衡」状態が保てなくなって、別の平衡点に移行する時に、系のリープが起きる。つまり、全く別の「安定平衡状態」に移行する。当然、その状態が何百年か続いて、人類の人口が極小化すれば、そこからまた元の平衡状態にリープして移行することもあるんだろうけれども、積分系の「結果」部分で、過去10年のような変化の加速が起きている以上、今後の10年は間違いなく変化が加速を続けると考えるのが自然かも知れない。

アル・ゴア氏が大統領になっていたら、どこかで流れが変わったかも知れない。けれども、トランプ氏を選ぶのがアメリカの民主主義だ、ということを、この「不都合な真実」の映画を見てから、じっくり考えるべきなんだろうな。おそらくトランプは、異常気象による米国内の死者数が1000人や10000人くらいでは、「地球温暖化なんて、嘘っぱちだ」という主張を変えないし、産業界もスタイルを変えない。死者が10万人、100万人になったら、もしかしたら、あのトランプでも主張を変えるかも知れない。死者が1000万人を超えなければ、アメリカの産業界はビジネススタイルを変えないような気がする。そして、アメリカ以外の地球全体が、その影響を継続して受け続ける。日本の総理は、そうなってもアメリカに尻尾を振り続けるのかなぁ。

もしかしたら、今年、熊谷はまた「最高記録」を更新して、日本国内42度の記録が出るかも知れないと、感じていたことを、この話題で書いておく。(熊谷じゃないかも知れないけれども。別に、日本一でなくてもいい。)

という議論は、自然科学系の人間なら誰でもできる話、だと思う。
師匠の講演会の話題から、追記する。地球も意識体だから、地球自身が、好ましくない変化は排除しようとする意識を持つか、あるいは、好ましくない変化を「元に戻そう」とするかもしれない、と思った。その結果は時として、かなり過激な「変化」になる、と聞いている。何が起きるかは、書かない。

アル・ゴア氏の映画の内容は、「事実に基づいた予測」であって、すでに10年前に指摘されていたことがいくつも起きている。まだ起きていないいくつかの事柄も、これから起きるだろうと思う。いや、僕自身、たったの10年でこれだけはっきりした「目に見える結果」が出るとは思っていなかった。

ただ、師匠の場合は予測ではなくて、予知だと自分は理解している。師匠が予知された「事件」が起きるのは、僕がもう生きていないくらいの未来、まだまだ先のことだと思っていたけれども、案外近いかも知れない、という気がした。それが起きた時、どんな馬鹿な政治家でも「考え方を変える」ことは、余儀なくされると思う。それ以前に、対応に追われて、対応できずに退陣する方が多いかも知れない。

長い付き合い

お気に入りのサンダルが、ついに限界

同じメーカーのほぼ同じスペックのサンダルをネットで見つけたので、買い替えた。昨日から早速愛用。

右のは、青年海外協力隊から帰国した翌年、1996年の夏に、ニューギニア方面遺族会のツアーアテンドの際「その気になったら全力疾走できるサンダル」として、大きな靴屋を数軒、探して回って買った。本気で走らないとならない状況なんて、数回しかなかったけれど、これも僕の大切な相棒。以来、夏、あるいはニューギニアでは必ずこれを履いていた。4度目かの補修をしようかと思ったけど、底のゴムがすり減っていて、接着面の面積が確保できないので、ついに断念。ほぼ22年間、毎夏ほぼ毎日履き続けた。明日は「廃プラ回収」の日で、ついにお別れ。新旧の交代です。新しい相棒、頼むよ。

思えば、地デジ対応の時に買い替えで出したテレビは、1982年型と1989年型があって、どちらも現役だった。今乗っている愛車は、今年で18年目になる。シャツとかスラックスも、古いのは1990年ごろ買った(いま再び着られるようになった!)のがあるし、色んなモノの劣化がすごくゆっくりだから、ついつい買い換えずにずっと使っている。とにかく、我が家で、特に親父が使っていたものとかは、なかなか壊れない。僕が事務所で使っている独身時代からの家電製品は、20世紀からのものが、あれもこれも、まだまだ現役。この調子だと、僕が死ぬまで壊れなそうな・・・

親父から相続したBMW。前回の車検前は、一ヶ月乗ってると冷却水が減って警告灯が点滅する、その間隔が3週間になり、2週間になり、という状態だった。車検の際に、「漏れるほどではないんですが、冷却水が漏れている感じで」と、ディーラーさんに伝えたところが、「小林さん、すごいことになってますよ」と。ディーラーさんの駐車場に行ってみると、BMWの下に緑色の水たまり、明らかに冷却水が完全にダダ漏れ状態になっていた。この状態の車に、僕は自走してディーラーまで乗って来たんだけれども、到着するまで全く目立った「漏れ」はなかった。着いてから、ついに力尽きるような感じで、ドバッと流血するみたいに、冷却水が水たまりを作った。「何だか、本気で頑張ってくれていたんだね」と声をかけるしかなかった。使っているうちにこういう感じになってくるから、もう手放せない。エンジンとかの心臓部が限界になるまで、たぶん僕は、この車に乗り続けるかも。

30年前(1年浪人、1年留年の院卒なのでこの年齢)、最初の就職先での新入社員の工場実習中、ラジオ体操第2の上体を前に降る運動の際に、コキっと音がして腰の椎間板が外れた。激痛。体を起こせない。痛くて痛くて脂汗が出る。近くの整形外科で診てもらい「椎間板ヘルニアです。元には戻らないでしょう」と言われた。痛い、けれども、職場の方にお願いして、130kgのリール運びの現場から、研磨工程のパートのおばちゃんたちと一緒の職場に移してもらって、意地でも実習は続けた。ところが、研磨したダイスを置いて、次のダイスを手にする作業で、上体を左右にひねる動作をしていたら、そこでまたコキっと音がして、嘘のように激痛が消えた。3週間だけの「椎間板ヘルニア」体験。この話をすると、「嘘だろ、そんなことがあるはずがない」とか言われる。ただ、この間、鼠径部のリンパにちょっとした違和感があって、腫瘍だと嫌だなと思って、日赤で調べてもらった。その時に「ついで」に見つかったのがこれ。(鼠径部のリンパは異常なし。)

実は今はもう、全く違和感がない。体が勝手に治ってくれたと思っている。(実際には、痛みなどの症状がキレイに消えただけだったみたいだけれども、結果オーライ。)今は「肉体は借り物」(細胞それぞれが、僕とは違う意識体)だと思っているけれども、感謝以外の何ものでもない。今年の5月、「肺ガンの一歩手前」と言われた肺炎というか、激しい肺の痛みは、今はもうカケラも残っていない。竹沢診療所にその時のレントゲン画像があると思うので、今と比べてもらったら差がわかりやすいと思う。たぶん、まだ多少「荒れて」いるだろうけれども、かなりキレイになってると思います。ただ、撮ってもらう機会は当分ないと思う。サンダルとか、BMWと同じく、僕は自分の体も信じている。限界までは、よろしく頼むよ、っていう感じか。

そうは言いつつ、これも長年の相棒のWindowsパソコン(Core i2)がもう、スペック的に限界。隠居してもらって、Core i5の中古パソコンを購入。メモリだけは4GBから8GBを追加して、12GBに増設した。13万円台のCore i7のハイスペックPCと、メモリ増設した、今回中古で(HD別で)1万3千円ほどで手配したPC。値段は10分の一程度だけれども、計算上のスペックは7掛け程度は出せるはずだった。

ところが、滅茶苦茶リアクションが悪い。タスクモニターをみると、システム割り込みが入りっぱなしで、Watch Dogが反応するという情けない状況。「せっかく買った中古PCが思うように動かない」と、先週の土曜日から、延々と悩み続けて(Macで他の仕事をしながら、)あれやこれや、ツールを試したりしていたのだけれども、もしやと思って、8GBのメモリを追加するのではなく、4GBと換装する形で、8GBへの増設だけにとどめて試したところが、もう、絶好調です。これも、昔の相棒の3倍くらいのスピードで動いてくれる。

いや、実はこのトラブル、ようやっと「解決」して、ホッとして、力が抜けてしまった。中古ですけどね。君とも、今後5年とかは付き合ってもらう感じかな。よろしく頼むよ。いや、本当はもっと長く付き合いたいんだけれども、業界のスペックの推移が激しすぎて・・・と言いつつ、いよいよダメならバイバイしようかとも思ってた。実は。

とにかく、えぇと、喜びのお裾分けです。嬉しい!

出会ってからしばらくは、お互い色々と、細かい部分を知り合うまでに時間がかかるってことなのかな。PC君、君もよろしく頼むね。(ヒトとの対話より、モノとの対話の方が楽だ、というネクラな私でした。「会話にならない」と思うと、そこで永久シャットダウン。この癖、なんとかならんかなぁ。)

台風12号

日照りで干からびていたから、農作物にはいい雨なのかなと思っていたら、何とも両極端な・・・

今日、小川町は七夕祭りだったんだよなぁ・・・花火大会は明日に延期。飾り付けをする人も大変だろうな。

なんていう、呑気なことを書いていて、被災地の方ごめんなさい。

仕事は・・・色々と新しいものを一度に試し過ぎて、若干の混乱が・・・
「過去の経験が通用しない」かぁ・・・

・・・ 点々々ばっかし。切れ味悪い。
ちょっと疲れた。慢性的な停滞状況。
気分転換が下手くそ。

文明考

死刑制度について、つい、突っ込んでしまった。
言葉を発してしまうと、リアクションというか、フィードバックが怖い。考えている訳じゃないのに、何か流れ込んでくる感じで、毎回僕は体感で、自分が発した言葉の解釈され方に振り回されている。そういう体質なんだろう、きっと。
あんまり、仕事に集中できないなぁ。天災にしても事件にしても、何もないのがありがたいけれど、つい反応してしまう。深くは考えない。これで良かったのかは、死んでから(肉体を抜けてから)じっくり反芻することにする。

生きること自体に、必死になる必要がない、そういう世の中になった。少なくとも日本では。
いや、昔っから、親のすねかじりというか、何も考えずにノホホンと生きていける羨ましい奴らは少なからずいたけれども、昨今はそれが当たり前になった気がする。サラリーマン制度、雇用制度の目指した姿なのか。
結局、「自分は何のために生きているのかわからない」なんていう結構重い課題を抱えて、迷走する若い人たちも増えたんだろうか。「食うために必死」なら、そんなことを考える余裕はなかったはず。(ってか、今僕はその「必死」の側なんだけれども)

言わせてもらうならば、そうした状況(生きる意味を考える余裕がある状況)こそが「望ましい社会の姿」かもしれない、とも考えている。師匠の講演会の話題。なぜ「通貨」は発明されたのか。「お金」を敵対視する宗教が少なくない、例えば「お金があるから人が欲に迷う」から「お金は罪悪だ」的な(だから、教祖様にお金を全部差し出しなさい、的な・・・)そういう宗教もある中で、師匠は短く簡潔に「お金」の存在価値を説明された。
「価値」を保存し、物々交換のための多大な労力を排除し、価値の評価を客観的に行うことで、生きるための「オーバヘッド」(間接経費、間接作業)を一気に小さくした。
生きる(=肉体を持つ)ということは、何層にも階層化されている「意識体の世界」(=霊界)では出来ない経験をする、ということ。私の感覚では、肉体がなくても意識体として生きている方々が少なくないから、「生きる」という言葉の使い分けが難しいけれども、とりあえずこのページでは「生きる」とは「肉体を持っている」という文脈で書く。
肉体を持つことによって、自分と「波長の合う」人たちと、だけではなく、あらゆるレベルの人と相互干渉することが可能になる。この「レベルが違う」というのは、別に「優れている」とか「劣っている」とか、そういうことではなく、ただ単に、「意識体」として生まれた時期が違うから、経験値が違うというそれだけのことで、レベルが低い人が「劣っている人」だなどという気は毛頭ない。例えて言えば、コンピュータ・ゲーム(RPGなど)で、ゲームを始めた時期が早ければ「経験値1000」なんていう人もいるだろうし、始めたばかりでゲーム世界に入り込めば、最初は皆「経験値1」あたりから始めるんだろう。それだけのこと。

現実問題として、自分よりも意識レベルの高い方と知り合って、その方の本気を伺うと「きれいごと」とか「絵空事」としか思えないような話題を列挙されることもある。しかし、それらを「実現」するための具体的な視野を持って、着々と進めている場合すらある。ご本人はごく自然にそれを語っている場合も、少なくない。あ、この人はそういうレベルの方なんだ、と自分は考える。ところが、そうした「自分の思い」を本気で伝えても、「何言ってんだ、このアホ、そんなこと出来るわけないだろう」とか、「カッコつけてんじゃねぇ」とか、そんな程度の反応しか返ってこないことも、少なくないと思う。わかりやすく伝えたつもりの比喩表現の解釈ですら、全く通じない場合も少なくない。
この年齢になって思うけれども、それは、自分の本音を伝えて、それを自然に理解してもらえる相手と、意識レベルが違いすぎて、全く通じない相手と、両方ともいる、ということで、それが「意識レベルの違い」ということなんだろうか、と思っている。相手に合わせて表現を変えなければ、意思疎通が出来ない。さらには、本音を伝えてもそれが全く通じないレベルの相手もいる。それがこの世界だ、と感じている。RPGのように、あらゆる「レベル」の人が強調したり、争ったりしている。わかりやすいのは、トランプ。

ところが、肉体を抜ければ、自分と同じ意識レベルの相手としか接点を持たないから、低すぎる相手に振り回されることもない代わりに、高すぎる方々がどういう考え方をするか、どういう生き方をするかを知る手段すらない。その両方を知ることができるように、意識体を無理やり「肉体」という「共通の舞台」に押し込んで、「ヒト」を成長(上のレベルに進化)させるために、この世界が神によって創造された、と自分は理解している。「ヒト」は「猿」の延長じゃない。創造された経緯が違う。

つまり、肉体を持つ(生きる)なんてことは、そもそも、容易じゃないように仕組まれているんだ。生まれてから死ぬまで、何一つ不自由なく幸せいっぱいで、人生の軋轢なんて全く感じませんでした、なんて方は、大方肉体を抜けてから、「あ、あれが出来たのにやらなかった、これも見逃した」なんていうことを後悔して、数百年に一度のチャンスを「一回休み」にしたことに気付くんだろうと思う。セカオワの歌の歌詞にもあったかな。

通常の感覚で言えば、「生きる」ということは「肉体を維持する」ということにつながる。食う。食うために働く。その部分に必死になれば、そのプロセスで人と出会って、自分とは違う意識を持つ人との接点を持っても、そうした方々の意識を取り込む余裕なんてまるでない。僕が生まれて育った昭和の中期(「戦後」がようやく終わった頃)は、そうした時代だったかもしれない。逆に、だからこそ人との接点が重要になって「生きている」実感を感じる側面もあった、そうした逆説的な解釈も、無論成り立つ。
今は「肉体を維持する」ことへの労力が、かなり低減し、ただ単純に制度に乗っているだけで肉体は維持できるようになってきている。他人との接し方に神経を遣う必要すらない。その結果として「何のために生きているんだ」という部分を関心事として意識する人が増えているんだと感じる。むしろ「意思疎通困難な他人と接点を持つ」部分に専念できるように、文明は発達して来たんじゃないか、と、僕は考える。

「自殺したいけれども、その勇気がないから死刑になりたくて人を殺した」という人は、マジョリティではないと思う。ただ、そこに至らないまでも「何のために生きているのか、わからない」という人は、少ないとは言えなそうだ。でも「いい点に気づいたね」と言いたい。「その答えを見つけること」自体に、まずは意味があるし、その「何のため」を実行したなら、そのプロセスにも全て意味がある。と、私は思う。

ただ、「このこと」がわかっていないと、何のためにヒトは文明を発展させてきたのか、という答えは出ないかもしれないと思った。その「このこと」というのは・・・
「生きる」ということは「肉体を持つ」という部分に限られていない。肉体を抜けてもヒトは意識体として「生きて」いて、その意識には「継続性」があって、肉体を持つ前も、肉体に入っても、その肉体から抜けても、「私は私」であり続ける。そして、肉体を持つ間に、様々なレベルの意識体と出会って接点を持ち、意識体の相互作用でエネルギーが大きくなれば、ヒトとしてのレベルが上がる(経験値が大きくなって、スケールアップする=進化する)。
そうした「仕掛け」があることは、感じ取ることが無理でも、知って欲しいと思う。この前提の理解がなければ、僕のこのページは論理的に成り立たない。

こういう話題を書くから、「あ、変な宗教だ」とか言われそうで、腹立たしいけれども、個人的には、自然科学としてヒト全般に当てはまることを証明したい、と思ったこともあった。私にゃ、無理かも・・・。「変な宗教に染まっている」なんていう言われ方には、反発したい。ただ、「マッド・サイエンティスト」扱いならば、甘んじて受け入れます。僕は最初から、この話題は「自然科学」だと思って書いている。

最後に要点をまとめたい。(論点が、どうズレているか、自覚がない。)
人類が「文明を発展させた」理由は、「生きる=肉体を維持する」という部分の間接コストを下げて、「生きて、少しでも多くの意識レベルが異なる人と接点を持つ」ことが出来るように、すること、じゃないかと思う。

死刑制度

「死刑制度 維持する必要ある」上川法相

死刑になりたいと望んで引き起された犯罪事件の一覧

死刑になるのが嫌だから人を殺さない、なんていう理性が働くような人は、そもそも、自分が生き続けることへの執着を持っている気がする。結果的に、そういう人は、相手も「生きたい」という思いがあるであろうことを前提に考える、と思う。その上での犯罪ならば、原動力は憎悪だろうか。

厄介なのは、自分が生き続けることへの執着がない、投げやりな人で、今増えていないか?時代が大きく動いている。簡単に生き続けられる世の中に変わって来たからこそ、犯罪の性質も変わる。当然、抑止するための視点も変わらなければならないはずだと思う。この人たちには、死刑は抑止力にならない。

犯罪の抑止力という文脈ならば、死刑よりも無期懲役で、「何十年でも自由を奪われたままで働け、自分のしたことの意味を何十年でも考え続けろ」と、その方が抑止効果があるんじゃないか、と個人的には思う。

歴史認識

日本は散々、中国やら韓国やらからこれを言われている。確かに、悪いことも随分やっては来たと理解するが、言いがかりも少なくない気はする。
ただ、中国に関しては、欧米などにも記録が残っている「史実」について客観的な判断を下してもらいつつあるようで、いや、「史実」を無視して感情論だけで押し切ろうとしても、不利になるだけなのは、中国人には理解できるんだろうと思うけれども、自分たちが「史実」を無視している(というよりも、学校でもあえて教えないことにして、虚偽の歴史を教えている)ことに、一般の人が気づいていない近くの国もあって、そちらはまだ、根深そうだ。ただ、感情論だけで押し切るつもりなら、国際的には、日本にとってそれほど気にする必要はないような気はする。信用を落とすのは本人たちだから。

で、決壊したラオスのダムはどこの企業が作ったって?日本じゃ、自然堤防は決壊しても、ダムの決壊はあんまり聞かんなぁ・・・で、ビルの耐震性はどうなんだろうか。「まさかあの国で大地震が」の、まさかは、今はもうどこで起きてもおかしくない。

イランとアメリカが、また不穏だ。というよりも、個人的な意見として、欧米人はもっと「歴史認識」すべきだという気がする。植民地支配は、日本が散々言われていることだけれども、植民地でなくても「契約」を著しく自分たちに有利にして、挙げ句の果てに国営化されちゃった「歴史」は、どこに行っちゃったんだろうか。

加えて、古い話だがパーレビ国王の支持。極めて個人的に、いわゆる「世俗化」の部分は、たぶん僕の考えはホメイニ師とは噛み合わず、神が与えてくれた「自由」を宗教が制約してはならないと、僕は個人的には理解しているけれども、幸いなことに生きている国が違うし、接点もないからただ単にそう思うだけ。ただ、パーレビ国王ご自身の放蕩や自国民への強権やらが、民衆の反発を招いていたのに、アメリカはそれを斟酌しなかったという部分は、大問題だろうという気がする。パーレビ国王の国民への接し方は、なんだか北朝鮮を彷彿させる。夕食をフランスから空輸させた、なんていう話もどこかで読んだ。そういう国王だったらしい。
そういう国王をアメリカが支持していたのだから、イラン国民の目で見たなら、おそらくアメリカが国王のイラン国民への残虐行為を容認し、ただ国王だけが贅沢することをアメリカが認めて、そして傀儡にしていた。その部分をおそらくは、アメリカでは教科書でも教えていない。当然、トランプはそんな「歴史」そのものを知らないだろうし、仮にアメリカの教科書でそれを教えていたとしても、それでもトランプにはそんな「歴史」の意味を理解できない気がする。
だから、いわゆる「共和党」の決まり文句で、「イランは悪い国だ」なんていう、アメリカ大使館事件以来のフレーズを蒸し返して、いい加減に終わりにすりゃあいい「対イラン経済制裁」の蒸し返しに躍起になっている。

世界的な貿易摩擦の元凶が誰かは、もはや全世界の懸念するところとなり、政治的にはあらゆる場面で、なんというか、「大国の論理」を平然と押し通すことが問題となっている。トランプ後の世界を元に戻すのに、一体何年かかるか、という状況じゃないだろうか。

温室効果ガスの問題については、もう随分前から指摘されていた。データも、かなりはっきりとしたものが揃っている。それなのに、「あんなのは嘘だ」みたいなトランプ・・・。日本では「つける薬がない」という表現で括る。アメリカと中国が動かないなら、日本でも42〜43度、中国でも内陸の大都市で50度越え、アメリカでは中西部で60度越え、なんてことは、想像するに難くない。米中はギネス記録更新に命をかけてるのか。ギネス更新の競争、有利なのは中国か。これまで温度計がなかったところに、設置すりゃいいだけの話。

そして、これら全てがいずれは「歴史」になる。きっと50年後には「民主主義の落とし穴」あるいは衆愚の好例として、世界中の教科書でトランプが取り上げられることは、想像するに難くない。

朝採り野菜

百均と郵便局に用事があった。
今朝、麦茶を凍らせようとしたら、冷凍のまま放置してあった梅を見つけてしまい、ついでにラッキョウ酢を買いに、外出。

なんとなく過ごしやすいな、と思ったけれども35度。昨日まで39度とか、駐車場だと42度とか、もう無茶苦茶だったから、ちょっと風が吹くと35度の熱風のはずなのに、なんとなく涼しい感じすらした。なんだか感覚が狂ってる。でも不快じゃないから、感覚も狂ってくれた方がありがたい。

事務所の冷房は30度で、(前にも書いたけど)人間ナメクジ状態だから、本人はちょっと風があるだけで涼しいんだけれども、周囲の人から見たらきっと、一番近寄って欲しくないアブラギッシュなジジイなんだろうな。ギトギトヌメヌメ。でも、事務所籠りの時には、周囲には誰もいませんから。

百均で、そうめんを見つけてしまい、梅干しと合わせて216円の衝動買い。しまった、この領収書、会社の経費に使えない。108円分くらいいいか、というズボラな私。事務所に乾燥食材のストック(炭水化物だと、パスタにそばに、ラーメンとか)が結構あって、なんだか2週間くらい「篭城」できそうなくらいになってる。生鮮野菜以外は肉や魚の缶詰もあるし、乾燥海産物、乾燥農産物などはかなりの量。水と火さえ使えれば十分サバイバルできるな、なんて思う。青年海外協力隊OBですからね。川の水でも雨水でも、普通にお茶に使ってたから、私なら平気。(帰国後の身体検査で寄生虫が出たけど。)

郵便局から、何となく農協の直売所に寄りたくなって、足を伸ばした。農協でキュウリとナスを衝動買い。キュウリ6本とソフトボール大のナスが2個で、それぞれ100円(本体93円)。それと、ハンドボール大の小玉スイカも250円で衝動買い。
合計450円の衝動買い。ナスとキュウリは、朝採り野菜みたい。
このまま値上がりしなければありがたいんだけれども、雨が降らないからなぁ・・・

事務所に戻って、ナスとキュウリをざく切りにしてフリーザパックに入れ、浅漬けの素(粉末)をかけて、揉んで、冷蔵庫へ。

それから衝動買いしたソーメンを、衝動的に茹で始めた。最近、和風出汁(粉末)とか醤油の使い方を覚えてきた。インスタントに、結構それっぽい味になってる。ついでに梅干し3個を衝動喰い。ソーメンを茹でている間に、冷凍の梅のフリーザーパックにラッキョウ酢を流し込んだ。ラッキョウ酢に漬けた梅は4パック目。3パック分は収穫してすぐに酢につけた。そのうちの一つを試飲。梅とお酢だけなのに、かなり甘い。梅がみんな完熟だったから、砂糖を全く使っていない、お酢を加えただけの梅なのに、甘い。カルピス位の比率で割ると、すごく飲みやすい。今年は収穫が普段より2週間くらい早かったけれども、ほぼ全ての梅が完熟状態だったので(まだ早いと思ってグズグズしていたら、梅がみんな赤くなってしまって)どれもこれも、甘い梅ばかり。この夏は、このお酢だけで乗り切れそう。

ソーメンが茹であがり、食べ終えた頃に、キュウリはもう食べ頃になってた。超浅漬けのキュウリを衝動喰い。
ナスは、粉末の和からしも加えた。まだ早いかな、と思いつつ一切れつまみ食いしたら、小ナスの辛子和えみたいな感じで、いい感じになってる。キュウリは2cmくらい、ナスは5mm厚のザク切り。
今、フリーザーパックからドンブリに移し替え、パソコンの隣に居座っている。

かなりの量の「浅漬け」が出来てしまった。「衝動買い」を後悔。
キュウリはいい感じで、6本くらいすぐいけそうなんだけども、ナスがなぁ・・・。最初のふた切れは美味しかったけど、すぐに飽きた。飽きない味に漬けるってのは、案外工夫が居るかも。その点、キュウリはこの季節、どうやっても美味しく大量に食える。ナスは、どうしようか・・・

そして、あれを加えて、これを加えて、ってゴチャゴチャやっていくうちに、すごい味になっちゃうんだよなぁ。
でも、自分で色々試してみると、結構「思い知る」ことが多い気がする。

jQueryにしても、node.js、Ajaxにしても、今一つ「理解」が浅い。エラーを吐かれた時に、内部で何が起きているのか読み切れない。今日は、煮詰まるばかり。ですけどね、いずれにせよエラーを出されるから調べて知識が増えていく訳で、やはり実戦投入は正解だったかな。

あ、そうだ。このナスにちょっとマヨネーズをかけてみようか。なんとなく想像はつくけど、やってみなけりゃわからん。

社会実験

朝のNHKニュース。小学生、中学生が次々と熱中症になったとのこと。
「命に関わるような危険な暑さ」という状況は、確かに理解できる。けれども、決定的な問題点が一つあると思う。

今の若い人たちの大半の「汗腺」の数が大人に比べて数分の一、ほとんど「汗腺」が発達していないまま大人になっているらしい。子供の頃からエアコンの効いた環境の中でしか生活していないから、汗がかけない体に育っている人が大半だと理解している。

昨日のラジオ番組。親たちが「子供がエアコンのない学校で、悲鳴をあげている。税金を払っているんだから学校にエアコンを設置しろ」という投稿をしていたようで、気持ちはわからんでもないけれども、絶望的な気分になった。今の若い人たち、特に子供たち、サバイバルできない子供が増えるだろうな、と思った。
悪いんだけれども、大人になれずに死んじゃう子供が増える、そんな気がする。環境適応能力を子供から奪っている、と思う。「お前は子供がいないから、親の気持ちがわからないんだ。」ああ、そうですよ。その通りです。だから、黙ってこの壮大な「社会実験」をただ見ていようと思う。
でもね、会社が若手の社員に「顧客回り」を命じたら、暑さの中で倒れちゃいました、なんてのが日常茶飯になりそうな気がする。

それは、免疫についても感じる。神経質なくらいに「キレイキレイ」にこだわる親。日常生活の中で自然に身につくはずの免疫力を子供から奪う。ほんのちょっとした食中毒で亡くなったり、そういう事例が増えるような気がする。僕の教え子にもいた。「原因不明」の感染症疾患。なんだか、あっという間に亡くなったらしい。まだ若かったのに。
あるいは逆に、免疫力が攻撃するべき雑菌が周囲にないのに、「免疫力のつく食材」なんかを与え続けた挙句、免疫系が激しく自分の体を責めたり、あるいは花粉症のような免疫系の暴走を簡単に誘発し、そのうち、「この子には、小麦粉アレルギーとお米アレルギー、とうもろこしアレルギーがあります」なんていう、食べられるものがないような人も増えたりするんじゃなかろうか。体が敵味方の区別をつけられず、ガンのような内部の異常細胞は味方と勘違いして攻めなかったり、その結果小児がんや若年性のガンが増えたり。さあ、どうなっちゃうんだろうか。口出しできる問題じゃないけど。

無論、暑さにしても雑菌にしても、暑くても我慢しろとか、汚い方がいいなんていうつもりはない。「適度」ってものがあると思うけれども、その「適度」を奪う、潔癖症な親が増えて、環境虚弱な子供が増えるんだろうな、とは感じる。はい、発言する資格のない私は、こうやってボヤくだけで、あとは黙って見てます。

Colonia Dignidad

「コロニア」という邦題の映画のDVDを借りた。見終わった。

昔だったら、濫読したいところだけれど、最近、目が疲れちゃって・・・(仕事で、プログラムを読むのが精一杯)あんまし活字は読みたくない。
美しい日本語を書きたいから、もっと活字を読みたい。若い子たちがとても読めなそうな難しい単語を並べて、自己陶酔したい気分はあるんだけれども・・・って、全然、そういう書き方してないじゃんか。
虚勢をはるのは、やめよう。
いや、でもね、高校時代(あの高校で)学年一位の偏差値70越えを記録した唯一の科目が、理系の僕なのに、あろうことか国語だった、という不思議な思い出があって・・・。やめよう、ウザい。でも、日本語は綺麗に書きたいんだけどなぁ。

なんなんでしょ。師匠の影響を受けて、というか、やっぱり自分の趣味か、最近映画にハマってる。それも、昔の濫読よろしく、ジャンルはなんでもありで片っ端から、目に留まったものをレンタルして、見ている。結構楽しい。

楽しいんだけれども、重かったのが、この「コロニア」という映画で・・・「宗教」の名を借りた「支配欲」の発露。こういう世界を作っちゃう人たちがいるから、「神」という単語を使うことにものすごく抵抗が出てくる。いやだなぁ・・・。僕が自分で納得している、師匠の講演会から感じている「世界観」は、全ての人間が「あらゆることを、自分の意思で行う自由」を与えられている、ということだろうか。

極論する。「あらゆることを行う自由」に、「人を殺す自由」は含まれているのか、という質問があったなら、僕はこう答える。「そんなもん、良いはずがない。だけれども、殺してしまう人は確かにいるでしょ?ついでに言えば、自分自身を殺してしまう人だって、いるでしょ?それが、良くないことだと、自分自身で理解して納得して、そうした行為をいつかは行わなくなることを、神は信じているから、黙って見守っている、と私は理解している。気付け!と。その本人が気付くための機会を与えるように、本人が気づけるように、一つでも上の世界を見ることができるように、周囲は助けてあげなきゃ。そして、殺したその本人には、自分の解釈した【自由】なるものが、必ずしも神の望んでいる自由ではないことを、自分で気付くための【自由】が与えられている、と僕は思う。」と、そんな感じなのかな。説明しがたいけれども、これが僕にできる精一杯の表現。

何に触発されてこのページを書いたか。疑問を持たれた方は、是非「コロニア」という邦題のこの映画をご覧ください。そして、師匠の講演会から僕ら会員が聞いたり学んだりしている内容が、果たして危険な思想なのか、反社会的なのか、疑問を持たれる方がいらっしゃるなら、僕はこの「コロニア」の世界を全否定しているし、師匠もこんな世界は考えていらっしゃらない、もしこの「コロニア」のような世界を考えているなら、僕がこうして好き勝手をWEBに書くなんていうことが容認されているはずがない、この「コロニア」の世界を全否定したい私の主張で判断をして欲しい、と思う。全ての人には「自分で、自分の行動を決める自由がある」と私は思う。(国によっては、制限しているみたいだけれども、)少なくとも神は、その「自由」を与え、じっと「結果」を待っていらっしゃる、と私は理解する。その「自由を与えた」ことが、「パンドラの箱」の比喩の、真の意味だと、私は理解する。

「支配欲」の醜さに、気付かない人が多い気がする。他人を自分の思い通りにしたい欲。その真骨頂のお二方が、昨日だか、一昨日だか、会談していたなぁ。いや、「支配欲」があっても、結果的に正しい判断をしているなら、まだ容認できるけれども・・・

ところで、全く下世話な話ながら、この「コロニア」を主演した女優さん、僕が以前知り合ったある人にとても似ていて、すごく懐かしくなった。ついでに言えば、主演した男優さんの雰囲気も、その人のご主人に似ていた気もして、ただただ、懐かしかった。こういう映画の見方も、あるんかなぁ・・・また、Home Brewのビールをご馳走になりたい気分に、ちょっとだけ浸っていた。

土砂災害危険地域

昼飯食った後、テレビを見ていてふと思った。

昔、日曜日に講演会に行ったりしていなかった頃、「噂の東京マガジン」だったかな、番組で取り上げていた「問題」に、この「土砂災害危険地域指定」の話題があった。と思う。たぶん。

どういう問題かと言えば、行政が「危険地域」に指定すると、土地や住宅の価格が下がってしまい、造成している業者などが損をする。だから、業者が行政に働きかけて「危険地域」の指定をやめさせたり、あるいは、売り抜けるまで待ってもらったり、そういう問題だったと思う。たぶん。
時代を考えたなら、場合によっては×力団の力を借りたりとか、そういうこともあったんだろうか。

今、どんな感じなんだろうか。行政は透明に、本来「危険地域」に指定するべき場所を、きちんと指定しているんだろうか。あるいは、意図的にランクを下げたりとかしていないんだろうか。

知らずに買わされた人たちも、いるんだろうか。あるいは、昔は「危険地域」なんて気にする人は少なくて、「あ、安い土地だ、ラッキー」みたいな感じだったんだろうか。もし行政が意図的に「危険地域」指定を遅らせたりして、結果的にそこに住むことになってしまった人がいたとしたら、行政は責任を取る必要はないんだろうか。

日本では「居住の自由」も憲法で保証されていて、どこに住もうが(ルール内で)勝手、ということはあろうけれども、何らかの詐欺的な行為で危険地域に住むことになった人たち、あるいは、科学的なアプローチによって昔から住んでいる土地であっても「危険性が大きい」ような土地から「危険性の低い土地」に移転することを、住民が希望したような場合に、何らかの支援とかはないのだろうか。

多くの人命が奪われてから「やっぱりあの土地は」なんていう、いわゆる「後知恵」は、後出しジャンケンみたいだし、便乗した議論みたいで、書いていて心苦しいけれども、特にもし「騙され」たりした人とかの場合、経緯によっては行政が何か、できることをすべきじゃないか、という気がした。

よく地形の話題などでは、「川が長い年月をかけて、この地形を」なんていうフレーズをよく聞いた気がするけれども、一気に1mとか(それ以上?)堆積するなんて、「長い年月」じゃないのかも知れない、という気がした。やっぱり、いつどこで起きても不思議じゃないんだろうか。

(暑い。それにお腹いっぱいで、頭がぼーっとして眠くなった。)以上

設定30℃

用足しの外から戻ったら、エアコンが効きすぎてる気がした。でも、確か一昨日も似たようなことを考えて、30℃に設定していた。これ以上あげられない。

30℃の設定温度で「冷えすぎてる」気がした、なんてのは、これが初めてかも。いかに外が無茶苦茶に暑いか。

今僕の車、エアコンが壊れてるから、ちょっとした拷問。熊谷ナンバーの凄さを、思い知れ!みたいな・・・

それはそうと、今日何行プログラムした?>> 自分
うるさいなぁ、今からやるよ。

なんか知らん、雑用ばっかしやってた気がする。あ、自治会保険なんてのもあったな。(もう忘れてる。)

自治会保険

保険屋さんから突然のお電話。
自治会会計として、保険料の支払いの手続き。そして、保険屋さんとの世間話。

これまでほとんどなかった「保険金/見舞金支払い事例」として、町内、自治会の集会で、集会中に転倒して骨折、あるいは、区長さんが回覧板を各隣組長さんに配布している最中に、やはり転倒して骨折、などの支払いが出ているらしい。今後、増えるんでしょうね、なんていう世間話。

区長会の年会に、参加できる時は参加した。日曜日は原則、師匠の講演会だけれども、日程が会えば、あるいは、近場なら戻ってすぐに参加したりできる。近場なら、朝の清掃活動に参加してから、講演会に参加も出来るし、「地元」というのはありがたい。
その「区長会」の参加者は、僕など、かなり若い部類で、80代の方とかもかなりいらっしゃる。無論、かなりお元気な若々しい方もいらっしゃるが、あまりそうでない方もいらっしゃる感じで・・・

加えて、自治会活動に参加する組長さんたちも、やはり高齢者が多い。息子さんとかが同居されていても、お父さん、お母さんが出て見えるケースが多くて、僕自身も親父が生きていた時は親父に出てもらい、僕は逃げていた。

6月30日に「自主防災組織リーダー研修会」なるものがあって、それに参加した。災害時の図上訓練(DIG;Disaster Imagination Game)に参加した。区長さんと「うちの自治会でもやりましょう」ということになった。自覚を持ってもらうためには、ここまでやらないと意識が徹底しない。一度、こういうのをやっておくと、いざという時の連絡や、お互いの声かけも、多少は違うような気がする。

と思いつつ、私の年代、まだ現役サラリーマンの世代の方々は、緊急時に地元にいるとは限らない。どうしても、リタイアした方々、地区の老人会の方々に、中心になって動いてもらわないとならなそうだ。
日中に大地震が来たなら、僕も区長さんも、地元に戻るまでが大変な場所に職場を持ってる。曜日によっては僕も地元にいるが、基本的には、僕だって忙しく客先を回って、システム受注の商談をこなすようになりたい訳で・・・あんまり「暇」だとは思われたくないんですけどぉ。事務所にいる時間が長いと、どうも暇だと思われている節もあるみたいで。
いずれにせよ、いざという時の「戦力」として期待されても、参戦することが難しいかも知れない。

町内の、(昔で言えば)超高齢の方々に活躍してもらうしかないんだが、こうして「転倒して骨折」のお話などを聞いてしまうと、なんだか、「役割分担」だの「自覚を促す」だの、こうした単語を持ち出すのが心苦しくなる。

でもなぁ、いざ緊急時となったら、高齢の方たちだけだとしても、互助活動として機能しないと、悲しいことになるかも知れないし。という訳で、「ぜひDIGをやりましょうよ、」と昨日も区長さんを焚きつけた。

具体的にっていうと、兜川の氾濫は、かなり考えにくい。上流の竹沢地区に集中豪雨があったとしても、この辺までは「土石流」はおそらく来ない。深谷断層帯などの震災による家屋倒壊。これも、この地区の岩盤の状態とかを考えると、確率的には低い気がする。
むしろ、想定した方がいいのは、富士山の噴火のような気がする。私の地元の関東ローム層は確か30〜50cm程度だったと記憶しているが、富士山の火山灰由来だと聞いている。火山灰が降って来た時に、公的支援が入るまでのサバイバルをどうするか、火山灰+雨で周辺がどうなるか、確率的には低いとしても、なんらかの想定は必要な気がする。
風向きによって、首都圏のどこかが機能停止することは容易に想像できるが、首都圏全体で見れば全てが「機能停止」するとは思えない。全体として「互助」が機能し始めるまでのサバイバルが問題になる。

自治会での備蓄など、雀の涙程度しか出来ない、とは思うけれども、皆無なのと、ほんの半日分、ほんの一日分だけでも「ある」のとでは、そのわずかな備えの有無が生存の境界となるかも知れない。半日分だけだとしても、公的支援の遅れをわずかでもサバイバル出来るように、考えるべきことは考えて、出来ることはやっておいた方がいいんだろうな、ということは考えた。

何かが起きそうだとしても、総理大臣とかは総裁選の根回しとかで、宴会をやっていそうだし。すみません、飲んじゃってました、アイ・アム・ソーリー、なんちゃって。

それ以前に、各家庭で数日分の備蓄を持ってもらうのが、優先するか。研修会ではそうしたお話もあった。家屋が浸水する、家屋が倒壊する、そうなってしまったら備蓄も意味はないけれども、そんな最悪中の最悪のことばかり考えていたら、何も出来ない。被災しなかった家屋の備蓄から、互助が機能することだって考えられる。備蓄のある世帯が多ければ、地区全体としてもサバイバル確率が上がる。火山灰が降ったら、おそらく相当な広範囲にわたって道路の復旧に時間がかかり、物流が途絶する。(鹿児島県あたりに、今の内に「指南」を仰いでおいたらどうかしら。)いや、自分の家の備蓄は、自分たちだけで使う、それだって構わない。互助っていうのは、強制する性質のもんじゃないから。田舎だから、その後何十年も、周囲に何かグチグチ言われるかもしれないけど。でも、自分の家優先は、本来他人が口出しできる問題じゃない。まず自分が生き延びてから周囲を助ける。当然それでいいと私は思う。

いざ、「噴火確率が高まった」なんていう警告のニュースが流れたら、モノが少なくなって買えなくなり、「本番」に間に合わないかも知れないから、確率が十分に低い間の方が準備はしやすい気もする。

そして、出来る範囲で出来る準備をしておいたなら、数パーセントの確率の事象に、いちいちオタオタしないのが得策、だとも思う。何も起きない確率の方が、はるかに高い。

で、その上で、じーちゃん、ばーちゃんたちにも、サバイバルの心得を自覚していただく、と。

転倒しにくい体になっていただく、転倒しても骨折しにくい体になっていただく、それはそれで別問題だけれども、独居の方が多いと、これも自治会の守備範囲になるかも知れないなぁ。

「イキイキ百歳体操」に参加しろ、と再三お声がけいただいているんですが・・・ごめんなさい、今僕は、システム開発を最優先してますので、自前の蓄えと、年金とで、悠々自適の状況が想定できるようになったら、そちらにも参加します。っていう感じかなぁ。こればっかりは、大した「公助」は期待できない。

「百歳体操」以外の話題については、会計の任期中は、しっかりと考えて、区長さんとか、相談役さんたちに相談して、場合によっては「前例」を作って、それから次の会計さんにバトンを渡したいと思ってます。

日本にいると・・・

何だか、わかった気がする。HTMLの透過性を考えたら、TempfileはASCII-8bitで保存するという基本設計は、十分に考え抜かれていた気がした。

そもそも、クライアント環境では、アラビア語みたいに右から左へ書く言語もあるし、Encodingをどうするかは、サーバサイドとクライアントサイドで扱うべき問題であって、透過性の担保がHTMLの責任か。

つい、日本語環境のことしか考えなくなってくる。鈍いなぁ・・・

ま、アメリカのことしか考えられないどこかの誰かよりは、たぶんマシかもしれないけど。
やっぱり、午前中が一番頭が働くのかも。(いや、トシかもしれない・・・)

RubyのTempfileで、Encoding情報が取れない・・・

表題どおり!

ruby on railsで、ファイルをアップロードさせます。受け取るファイルはTempfileクラス(テンポラリファイル)。

さて、Shift_JISで使う人、多いだろうな。でもUTF-8も増えてるはずだし、一応Encodingを調べて、EUCも含めた一通りに対応させよう・・・なんて思って、Encodingを調べて固まった。

ascii-8bitに変換されてる。既存のツールが使えない。どうしましょ!?

Shift_JISから変換されたascii-8bitと仮定して、Shift_JISに戻せばOK。UTF-8ならエラーが出るから、意図的にエラーを出させて判定するか?逆はどうだろう?UTF-8を想定して変換させ、エラーが起きたらShift_JISで変換させる、なんていう方法もあるか。でも、EUCだったらどうする?そんな人いないかなぁ。滅多にいないとは思うけれども、想定しなくていいのか?悩みどころだ。

昔、サザエさんの漫画で、こんな感じのがあったな。

「昼飯何にする?」「あの角を曲がって、最初にすれ違ったのが男なら、立ち食いソバ。女なら、カレーライス。」「もし、馬だったらウナギにしよう。」(池袋で?)

いや、EUCでファイルがアップされるなんて、池袋で馬とすれ違うくらいの確率じゃないのか?なんて、決めつけていいんだろうか。

それにしても、明らかにascii-8bitに強引に変換してるんだから、Encoding属性をどこかに持たせたっていいじゃない。ケチ!

まいっちんぐマチコ先生(化石か、あんた)

もういくつ寝ると夏休み

非常勤講師の学校の授業教材、なんとか夏休み前の分は、フィードバックをかけた上でも作り終えた。だんだん演習系が多くなって、定期試験は実施しない代わりに、毎回が真剣勝負っぽくなっている気はする。(切れ味は悪いけど・・・)
学校の先生どうしでも、「あと何回で、休みですね」なんて会話を、昔もよく交わしたし、今でも交わすかなぁ。休みが楽しみなのは、学生さんばかりじゃない。

ただ、その分、本業の方で「今日は、あれとこれとこれ」のような、時間刻みの目標設定を仕掛けないと、あまりいい結果にならない。頭の切り替えが面倒くさい。本業の方は、全く休みがない。こうして書くことが唯一の息抜きかなぁ・・・

サラリーマン時代は、とにかく日中は仕事にならなかった。「小林さん、外線入ってます」で、「はい、お電話代わりました。」「この度、マンションのオーナーさんを募集して・・・」うるさい。というのは、総務とかに文句を言えば、繋がないでくれるようになったけれども、こういうのもあった。
「あの、東北営業のSですけど」「はい、小林ですが、何か」「X大学のI先生が、お話ししたいとかいうことなんで、代わります。」「ロータス1-2-3なんだけど、グラフを作る際に・・・」使い方を教えてくれ、と・・・。ロータス1-2-3が何か、ご存知ない方は、気にしないでください。昔話です。
こういう電話を受けたあとは、元に戻るまでに小一時間かかる。「えぇと、何をやってたっけ・・・あ、そうそう、あれのデータ構造設計だっけか・・・このファイルが開きかけで、どこに手を入れていたっけか・・・ここのfor文を書きかけていた、何を反復しようとしていた?・・・そうだ、ここを含めて3箇所くらい同時修正しないと、ロジックが噛み合わないんだけど、どことどこだっけ・・・」全体像を正確に思い出せればOKだけれども、復元できないこともあった気がする。結局、スムーズに仕事になるのは夕方から、なんだけれども、夕方にはなんだかもう、気力が朝から半減している。そんなこんなで、仕事の効率は悪かった。会議が多い、なんてこともあったような気はする。で、結局社長は何を言いたかったんだ?みたいな。

今は自営業。全部が自分で管理。その代わり、この自己管理も難しい。テンションを上げることがまず最初の難関で・・・学校ってのは、ある意味「楽」かも知れない。教材の準備ができていて、あとは学生の前に立つと、勝手にスイッチが入ってくれる。そこはきっと、親父譲り、お袋譲りなのかも知れない。っていうよりも、生きた人間相手っていうのは、ひたすらマシンを相手に黙々と指を動かすのとは違う気もする。でも、授業が終わると、いきなり萎んだりして・・・凄まじい「ネクラ」が顔を出したりもする。

俺は、一体何のために生きているんだ?みたいな、ガキの頃からの重しのようなものが、全く外れない。「お前は、ただ生きているだけで、生きている価値があるんだよ」と、そういう接し方をしてくれた人が、いないもんなぁ・・・。あ、いたか、師匠がいたか・・・。でも、師匠だけだもんなぁ・・・つまらん。
あ、嘘です、ごめんなさい師匠。心にもないことを書きました。とってもありがたいことです。あ、「心にもないこと」なんて、つい嘘を書いちゃいました。つい本音が表に出ただけで・・・

やめよう、見苦しい。

心を裸にするのは簡単。でも、見られても何の問題もない、見られても何一つ恥ずかしくない「裸の心」を持つってのは、簡単じゃない。
本当に、見苦しい裸をしてますもんね。腹は出てるし。でも、見られることを意識しなければ、綺麗にしようとも思わない。

あ、夏休みが心待ちなのは、紛れもない本音・本心です。

余談ながら、3年ほど前の講演会で「本音」と「本心」の違い、というお題があった。まだ理解できてませんが・・・

deviseがコケた

rails version 5.2.0と、devise 4.4.3の組み合わせがうまくいかない。
routingパスがうまく生成されない。
devise_for userなのに、user_registration_path が registration_pathとして合成されてしまう。no method エラー?検索したけど、情報がうまく取れない。
何か、使い方間違えたかなぁ、コマンドに綴りミスは?

バージョンを戻す?「枯れた」組み合わせを調べておかないと、と思うんだけれども・・・
焦りすぎ!>>自分。
いや、きっと何かミスしてる。

いいかなぁ・・・ゴゴモンズとか聴きながら、マッタリと仕事しようか。(って、そんな余裕あるのか?)
残業150時間なんて感じのブラックなこの業界なのに、この緊迫感のなさ。自営ですからね。責任は最後は自分に返ってくる。

別のgemを探すか、バージョンを巻き戻して、リトライするか。でも検索したけどdeviseしか出てこないじゃない。さてと・・・

ちょっとコンビニまで、出かけてきます。戻りは夕方、って、おい!まだ昼だろ。

今、自分にできること

気が重い。自分は今、いわゆる「仕事」がきちんと出来ていないし、生活もきちんと出来ていない。
だからあまり書きたくない。しつこいようだけれども、自分の立ち位置として、書かなきゃならないんかなぁという気分で(勝手に思っているだけです)プレッシャーを感じて、書くかなぁ。
しかも、散々固まった挙句に、日付が変わってから・・・

いや、昔からよくある、たった一人で固まり続けて壁に向かってブツブツと独り言を呟くモードの私、からの、いきなり何かを書き始める私。

師匠の講演会の、受け売り。自分の言葉、自分の経験からの言葉が、どうしても引き出せない。それはそれで、話題の性質上仕方ないのかも知れない。だから、「自分の立ち位置として」と書いた。読み手の皆さん方が、師匠の講演会に来てくれりゃ、話が早いんだ。それでも、私が「師匠の受け売り」を書いて、多くの方々が呼んでくださりゃ、(師匠に破門されても、)それで本望。

こうして僕らが生きている(肉体を持っている)「物質世界」は、ある意味で「舞台の上」みたいなものなのかな、と思うことがある。もしも、同じ舞台にガブリ様やらミカ様やらが立てれていたなら、僕は「共演」できる。あの方々は「主役級」だから「劇」を展開させる言動を舞台の上で展開される。共演なんて言ったって、僕らはその後ろで「町民その1」を演じる程度の役回りでしかないにしても、それでも直近で主役級の方々の演技に接し、もしも直接セリフを交わす場面があるならば、演技を交わす場面があるならば、その主役級の方々の演技を直近で目にすることができる。そして、今この舞台の上には、70億の人々がひしめいている。

その舞台を、500億を超える方々が見ている。意識の世界の方々だから、我々の「舞台の上でのセリフ」は「言葉や行動」だけではなく、我々の「意識」に他ならない。つまり、僕らが今、誰に対して何を思って、何をしようとしたかを、舞台を見ている観客席の500億を超える方々は、全てわかって「次に何が起きるのか」を見ることが出来る。いや、興味がなければ見ないで、観客席ではなく、劇場の外の「自分の場所」で何かされているかも知れない。だから500億の方々が皆さん見ているとは限らず、興味のある方々は、見ているだけ、ということなんだろう。でも、出番の近い方、例えば、今生きている我々の誰かの子供となってこの「物質世界」という舞台にすぐに立とうとする方などは、かなりの緊張感を持って、展開を見守りつつ、タイミングを測っているのかもしれない。

観客席は、役者の「格」によって厳密に仕切られているから、一旦舞台から降りたら、格上の役者さんたちとは一切言葉も交わせない。格上の役者さんと共演できるのは、唯一舞台の上だけ。だから、この舞台の上に立っている経験というのは、とてつもなく貴重になる。自分を磨くのは、この舞台の上という場所でしかない。一旦降りてしまえば、自分と同じ「格」の人間としか一緒にはいられないから、つまり、霊格は何段階にも分かれていて、僕らよりも、数十億年、もしかしたら百数十億年も年上のガブリ様とかミカ様クラスの方々と「共演」する機会などそれこそ数十万年に一度あるかないか、だし、逆に(悪いけれども、僕はたぶん、地球生まれじゃないという気がするけれど)、地球生まれ地球育ちで、まだ数千万年程度の経験しか持っていない方々とも、舞台の上でしか、知り合うことはできない。それがこの「物質世界」なんだろうと、そんなふうに、感じた内容をまとめてみた。

だから「生きる」という表現は実は不適切で、誰もが永遠に「生きて」はいるんだと理解する。我々が「生きている」と感じている時間というのは、この「舞台に立っている」時間であって、舞台から降りてしまった方や、これから舞台に立とうとしている方々も、みんな生きてはいる、と理解している。そして、いわゆる「生きている」我々、言い方を変えるなら「舞台に立っている私たち」は、舞台を見ている多くの観客の存在を、まったく認知出来ていないということなんだろうと思う。

舞台からの降り方は、様々。新人の役者が舞台を荒らして、誰かを突き落とすこともあるんだろう。観客席からは、その見る角度によって、見ている高さによって、かなり先まで展開が見えているに違いない。そして、舞台を見ている時には「自分だったら、あれはもっとうまくできる」なんて思ったりするんだろうけれども、いざ舞台に立ってみると、何も出来なかったりする。役どころがわからず、目立つところに座ったまま何もしない人もいたりするんだろうし、結局、周囲の動きを見ながら、誰もが自分の役回りを模索し続ける。そうして、遅かれ早かれ、いずれは誰もが舞台を降りて、次の機会に備える。

そんな風にこの「物質世界」のことを考えてみた。

いきなり、比喩表現を終わりにするけれども、様々な理由で舞台を降りる方々がいる。不本意な方々もいらっしゃるでしょうね。でも、次はある。

災害で亡くなられた方々に対して、「ご冥福をお祈りします」という言い方を、便宜上したりした。でも、それがきっと不本意な「降り方」だったとしても、現実には僕は、「お疲れ様、今回は残念でしたね」程度しか、感じてはいなかった、というのが正直なところかも知れない。

肉体を抜けたなら、早い人で数日だし(僕の親父は、亡くなった翌日には僕の事務所でうろちょろしていた。癌などで肉体にとどまっていられなくなるような場合には、肉体を抜ける前から、すでに霊体に近くなっているらしい)、遅い人でも10日もあれば意識体として覚醒する。意識体として覚醒した時に、自分が亡くなったことがわかるような状態(日本で言えば、遺影が飾られたり)であれば、わかりやすいらしい。それを、10日後には、遺影も祭壇もなく、全てを片付けて、誰もその人が死んだことを話題にすらしなければ、自分が死んだことがわからなくて、迷ったりもするらしい。(自治会で対応する、独居高齢者の場合に、どうしたらいいんだろうか、なんてことは、私の立場では考えたりもする。役場で火葬して、民生委員さんや大家さんが借家を片付けたりした後に、ご本人が「覚醒」して、戻ってきたりして、ご自身が死んだことがわかるか、なんてことは、考えたりもしていた。)

災害の場合、「あ、もうダメだ」という意識が最後にあれば、わかりやすいんだろうと思う。僕は先月、三脚から落ちて、首を打った。あれ、落ち方が悪かったら死んでいたかも知れないけれども、落ち始めてから、頭(というよりも顔か?)を打つまでの、コンマ何秒の間に、間違いなく「あ」と思った。その時は何が起きたのか理解出来なかったけれども、落ちた後で「落ちた」ことはわかった。おそらく、肉体を抜けちゃったとしても、「何かが起きた」ことだけは、きっと理解出来ただろうと思う。水に流される、などの災害で、周囲に水が来ていたことがわかったなら、あるいは、家が潰される前に大雨が降っていたことがわかっていたなら、おそらく、「迷う」ことはないだろうと思う。

余談ながら、師匠は、広島と長崎では、除霊をされた。原爆の場合には、一瞬で肉体が消滅した方々もいらっしゃった。そうした人は、自分が死んだことがわからないまま、ずっと迷っていたらしい。まったく予期できない死に方と、一瞬であっても「予期」できた場合とでは、結果が大きく違ってくる、というように、自分は理解している。
舞台から降りた方が、次の準備にスムーズに移行できるかどうか、という視点では、核兵器などはたぶん最悪なんだろう。どこからか飛んで来た銃弾、流れ弾が頭に当たり、本人がまったく「何が起きたかわからない」という場合も、たぶん、迷う可能性は大きいと理解している。少なくとも10日程度は、それぞれの文化、宗教に応じて、「亡くなったことがわかるように」しておくことが大切、なようだ。日本の「初七日」の慣習は、実は大きな意味があったらしい。

亡くなられた方も、大変。もっと大変なのは、災害にあって、生き残った方々かも知れない。
ただ、生きていれば、当面は舞台には立ち続けられる。
「何か」が起きなければ、経験にはならない。お金に恵まれ、人間関係にも恵まれ、何一つ苦労がない人生っていうのは、案外、この舞台の上で「立木の役」をやっているようなものかも知れない、と自分は思ったりしている。(そうやって、自分を慰めていたりして・・・)
あるいは、権力やら金やらで、他人を強引に動かす、そこに何か舞台の展開上で重要な「目的」なんかがあるならば、観客席からは「なるほど」と見られるのかも知れないけれども、ただ単に自分のためにそれをやっているなら、(観客席は意識も見ているから)あいつは迷惑なやつだと認識されて、次はろくな役回しでは舞台に立てないかも知れない。

そういう、この「物質世界」のカラクリを、知った上で「生きる」(肉体を持っている)のと、知らずに生きるのとでは、経験としての意味合いが随分違ってくる気が、自分はしている。

どこかで「解釈」に間違いがあるかも知れない。いや、大きな間違いがあったら、きっと来月には私は舞台を降りていると思います。まだ舞台に立っているなら、それほど大きな間違いはない、まだ師匠に「破門」をされずに済んだ、ということだろうと自分は理解する。

そうして、今自分にできることは、この話題を書くこと、だけかな、と思った。

あと、蛇足。のような「追記」

肉体を持っている我々の「オーラ」の色を、あれこれとテレビで話されている方がいらっしゃるけれども、塗り絵じゃないんだから・・・。色とりどりなアレ、あり得ないです。細かい話は、機会を改めて。

噛みつくのは、もう少し自分の中で「確信」に変わってから。というよりも、逆襲にどういうクロスカウンターをあてるか、自分の中で固めてから、にします。いずれにせよ、間違った「知識」を拡散することの罪は、非常に重い。

とりあえず、以上

米朝会談

北朝鮮は、「アメリカが一方的に非核化を押し付けている」と主張しているが、トランプ大統領がどういう人か、まさか知らずに交渉していたんだろうか。

まだ相変わらず、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」などという妄言を吐き続けるんだろうか。

日本は、信義を重んじる。そもそも単細胞だから「あいつらは悪者だ」とか「あいつらは劣っている」と決めつけると、まるで聞く耳を持たずに差別的言動に突っ走る性向はあるが、一旦信義を交わしたら、おそらくトランプとは全く異なるリアクションを日本には期待できる。確実な見返りが期待できるはずなのに。
はずなのに、北朝鮮は拉致問題を軽視している。
そういうことだと、日本はおそらく、「最大限の経済制裁の継続」を、中国やロシアを含めたあらゆる国に主張し続けるだろうと思う。

交渉する相手は間違っていないと思う。終戦が最優先ですからね。ただ、信頼する相手を間違っている。

今、生きているということ

今日の非常勤の授業は午後から。テレビを見ていたら、ニューステロップ。
オウムの死刑囚7人に、死刑執行。
自分は思う。誰かの命を奪う権利は、誰にもない。無論松本智津夫にもないはずだけれど。
そして、他人のことは他人のこと。
でもなぁ、何て言うんだろうか、復讐心。相手に報復して溜飲を下げる。遺族の心情か。その気持ちも理解できてしまう。いいことなんだか、よくないことなんだか。理解はできても、自分の中ではそれを否定しなきゃいけない、なんてことも考える。何か「答え」を出そうとしても、自分の中で「腑に落ちて」いないことがらが多すぎる。

自分は一体、何のために生きているんだろうか。
なんてことを、全く考えずに生きていけられる、羨ましい人たちがすごく多い。僕はダメだった。十代の半ば、中学校の後半あたりから今に至るまで、絶え間なくこの疑問が頭をもたげる。
育ち方の違いだと思うな。この違いをお互いが理解し合うのは、不可能かも知れない。

何のために生きているんだろうか、なんてことを全く考えない方々は、いずれ、胃瘻をして、点滴チューブに繋がれ、大勢の人の介護の世話を受けながら、ただひたすら、生きるだけのために生き続ける。そういう選択肢を当たり前のように選べる恵まれた方々だ。僕には無理だし、理解できない。でも、違うから、わかり合えないのは仕方ない。

「つまらんことを考えてないで、さっさとプログラムを書け」
という、ありがたい助言をくれる自分も育ってくれて、まぁ、よかった。ようやっとこの歳になって・・・だが。でも、「つまらんこと」なのか?なんてツッコミは無用。言い方を変えよう。
今やるべきことの「優先順位」をしっかりと考えよ、と。これならいいでしょ>>自分。

この辺の切り替えをするのに、タバコという得難いパートナーが、頼れなくなりそうで、さてと、どうする。黙って固まるか。それとも、その都度パフェでも食うか?プリン・ア・ラ・モード・スペシャル・ローリング・サンダーとかね。

何のために生きてる?パフェを食うため。いいなぁ、この答え。銀魂パクリました。

電車の中。この辺は乗客も少ない。仕事をするには絶好の場所、でもあるけれど、景色を見ながら意識があっち行き、こっち行き。「アイデアの三上」の一つ、馬上か。今日は、ロジックには集中しがたい。そういう時は、テストスクリプトの単純作業。切り替えが大事。

それにしても、お前、重たいぞ。面倒臭い奴だな。自分 >> そうだよな、重いよなぁ。

最近、リバウンドしているもんで。

あ、表題も谷川俊太郎さんの詩集のタイトルのパクリです。

缶ピース

歌丸師匠、缶ピースを1日一缶吸ってたって?

ピースは香りがいいから好きだけれども、フィルター無しの缶ピースはさすがに吸うとむせる。
ニコチンとかタールとか、普通に売られているタバコの20倍とかいうレベルだと思う。確かに香りはすごく好きだけれど。そういう人は、他にも結構知ってる。

パプアニューギニアでは「新聞紙巻き」のが売られていたけれども、あれも相当に強かった。一本買うと、二口か三口で火を消して、一本で半日とか吸う。現地の人もそういう吸い方をしていたけれど、フィルタ無しはそんなにスパスパ吸えない。
しかも、1日一缶、っていうことは、僕らが1日一箱(20)っていうその2.5倍の50本。

結局、ニコチンとかタールの総摂取量とか、総刺激は、歌丸師匠の場合、少なくとも今の僕の喫煙の50倍近かったはず。

例えば、僕はカレーライスが好きで毎日食べます。
歌丸師匠は、カレーライスが好きで、毎日50倍カレーを食べます。そうしたら健康がどうもすぐれない。だからカレーライスは健康に被害がある。
って、そういう次元で物事を決めつけられている気がした。

確かに、喫煙はCOPDの原因ですよ!?だけど、比べる基準がなぁ・・・

ちなみに、パプアニューギニアにいた時に、日本から送ってもらった「カレールー」で、甘口のカレーを作って、同僚の家族にご馳走した。ところが、辛くて食えないという。他のニューギニア隊員に聞いてもらえばわかると思うが、少なくともセピックでは、彼らは辛いものは全く食べない。こんな刺激の強い毒みたいな食べ物は食べられない、とか言われちゃったよ。カレーライスだって、常食していない人には刺激物。

やっぱり、50倍カレーの被害をだしにして、普通のカレーまで全部禁止っていう、そういう騙し討ちにあってる気分は、どうしても否めない。

東京が、嫌いになった。こんな街、地震で潰れちまえ、とすらいう気分になってる。
そういう気分で西宮を離れたこともあったけど。


今日も無事、1日が終わった。読み返して、ちょっと日本語が変だけれども、まぁいいや。

今日ちょっと同僚と話をしていて、ふと「30倍カレー」の話をした。学生時代、高田馬場界隈でちょっと有名だったカレー店で、「辛さ30倍」のカレーを出す店がオープンして、完食したら無料みたいなのがあった。無論、1倍からスタートして、一つ「倍」を増やすごとに20円増し、とかそんな感じだった。それで、歌丸師匠のタバコをその50倍カレーに例えたつもりが、なんかやっぱり、日本語が変だ。でも、もういいや。どうせ、何を言っても、通じない相手には通じない。

それにしても、タバコ以外は全部「無罪」ってのが変だよな、とは思うけれども、世間は気にする標的、悪者を一つに絞り込むことで、精神的に楽になろうとしているんだろうな、とも思う。やっぱり魔女狩りだ。だったら無駄。もう、突っ込まない。これだけタバコだけを悪者にして、もし肺ガンの発生率が大して下がらなかったなら、よほど日本医学会はバカの集団だと思う。10年先を楽しみにする。でも、喫煙者全体への「精神的な慰謝料」なんて、一円も払わないだろうな。もし誰かが訴訟を起こしたら、僕も乗っかろう。統計的なデータが出てから、だけど。いや、10年後くらいなら、さすがに私も、まだ生きてると思う。たぶん。

何を言っても無駄。この壁は厚い。生まれてこの方、まず親。上司。社会。警察(公安か、マスコミか)?某大学。そして、ヨ×。でもって、東京都。
自分の意識の中で、不愉快な存在は削除したい。接点を持たなかったことにすら、したい。意識のシャッターを下ろして、あとはルールの範囲内で自分のやりたいようにやる。

疲れた。でも、どうでもいいや、と思いながら、一服して寝ることにした私がいる。

一区間ずつ・・・

東武東上線、変電所?のトラブルで、不通。
小川町は田舎だけれども、実は二路線が通っている。八高線で高麗川まで迂回。さてと、高麗川から先はどうしようか。高麗川についてから、様子をみて考える。

桂歌丸師匠が、お亡くなりになった。
COPDだったら原因はタバコでしょうね。これで原因がタバコじゃない、なんて強弁したら、いかに職種がエンジニアとは言え、もう医療関係とは仕事できないでしょうね。
ただ、歌丸師匠の場合には、ご本人が喫煙者だったはずだから、誰か他人を責めるということはないはずだけれども。

たぶん僕も、走れなくなったら、タバコをやめるだろうな。一ヶ月に1回程度でも、鈍足、超低速のジョギングでも、1時間とか2時間とか走ると、その後で、呼吸がすごく楽になる。気のせいかもしれないけれども、肺の奥まで空気が入る感じがする。低速ジョギングが出来ないでいると、閉塞性換気障害のような感じがだんだんひどくなって来る。最低でも一ヶ月に1回は走りに出たいんだけれども、野暮用も含めた日程の都合とか、雨だとかなんだとかで、走りに出られないと、COPDっぽくはなって来る。逆に、月に2回も走りに出られれば、確かに走っている途中、肺の奥の方からどんどん痰とかが出てきて、むせたりなんかもするけれども、走り終わってみれば、深呼吸が清々しい感じで、最高のリフレッシュにはなる。我流の健康管理。
逆に、走ることが欠かせなくなった、ってことは、それだけ汚れに対する「動作マージン」が小さくなっているんでしょうね。ってことは、さらに走れなくなった時は、年貢の納め時かも知れない。

それ以上に、思った。歌丸師匠、亡くなるちょっと前まで、高座に上がっていたっていうのは、すごい。
たぶん、僕は胃瘻などの、あらゆる延命治療を拒否します。もう肉体としての自力で生きられなくなったら、「引き上げ時」だと思う。できることなら、死ぬ直前まで仕事をしていたい。
歌丸師匠、散々「死に損ない」とかいじられながら、お見事でした。ちょっと、響くものがあった。

じゃぁ、何をやるはずだったんだ?何が僕の「生き甲斐」になるはずだったんだ?ほんのちょっとのことでも、何かがあると顔を出す、この僕の積年の「疑問」。

予定外、想定外の生き方をしているんだろうか。なんて思うこともある。目的地を目指して、当初の想定がコケて、仕方なく迂回ルートを模索しながら、それでも「迂回方法」があるなら迂回して、行けるところまでは行く。行けるところまで行ってから、次の選択肢を考える。

いや、案外僕自身が誰かの「迂回路」だったりして。誰かの「迂回路」。本命じゃないけど、目的地に到達するために、遠回りにはなるけれども使えるってな「迂回路」。いや、それでもいいけど・・・

師匠の講演会を聞いていて、考えたことはと言えば、「迂回路」も何も、生きているそのプロセスそのものが、生きている目的そのもの。肉体を抜けてから、次の「肉体を持つ」計画を立てる段階を考えてみれば、すぐにわかるかも知れない。「事を為す」のは、目的ではあるかも知れないけれども、その「事を為す」プロセスを経験することこそが、次への経験として役に立つ「目的」そのものなんだろう、と、講演を聞いて、頭じゃわかってるけど・・・

ふだん見ない景色、ちょっと新鮮かも。八高線の車窓の、見渡す限りの緑とか、雑然として、全然整理されていない、見るからに「家庭菜園」的な畑だとか、癒されるわ〜。
予期しない「迂回」も、前に進むための貴重な一区間。つなげていけば、きっと目的地にはたどり着く。いいんでないかい。(医院で内科医?違うってば・・・)

さすがにね、電車が止まっての「迂回」では、「目的地」はちゃんとありますから。
Navitimeの出番かも。

すごいね、東武の定期があるからふだんは朝霞台経由なのが、八高線・拝島経由だと、普段の経路よりも迂回路の方が、時間が短いことが判明。八高線もね、本数があれば東京都西部に出るには「最短」なのは間違いない。(JRは料金高いけど・・・)

見慣れない東飯能から先の景色。ここから先は、景色を楽しむ。

Coffee Script – バグレポート?

Coffee Script
ハマったぁ・・・

seq = [ “34”, “40.5”, “34”, “42.5”, “34”, “43.5”, “34”, “45.5”, “35”, “47.5” ]
console.log seq
pos = seq.shift(2)
console.log pos[0], pos[1]

期待していた動作は、
Array(40) [ “34”, “40.5”, “34”, “42.5”, “34”, “43.5”, “34”, “45.5”, “35”, “47.5”, … ]
34 40.5

ところが、実際の動作は
3 4
なぜか、一文字ずつ抽出して来る。
じゃぁ、って

pos0 = seq.shift()
pos1 = seq.shift()
console.log pos0, pos1

と書いたら、
34 40.5
になった。

これって、「仕様」か?わからん。
美しくない。でも、動きゃぁいい。でも、気持ち悪い。

子供の心の闇って

ニュース配信に反応。(反応しすぎ!)
拳銃が奪われ、学校が襲われた事件で、新たに襲撃を予告するネット書き込みがあって、授業再開が見送られたらしい。書き込まれたのは、企業のサイトだそうだ。

SEの立場で言えば、一般的に企業のサイトでは「発言者」を特定するメカニズムを持たない掲示板があるんだろうけれども、IPアドレスを保存してあれば「発言者」の特定につながるケースもある。「社会的な責任」として、書き込み元IPの保存などの仕掛けは、持つように設計すべきなんだろうな。自社への犯行予告などに対処するという意味でも。本当に嫌な世の中だ。

書き込んだ「彼」(「彼女」ではなく、「彼」だという気がするが)の気持ち、こういうのも、何となく「理解」できるような気はする。だいたい僕は、共感しすぎるのかも知れない。いいのか悪いのかわからないけれども、その学校に対する逆恨みなのか、「学校というもの」への逆恨みなのか。誰かを恨むことで自分を支えようとする、そうした時期は、間違いなく僕にもあった。

子供の頃から抱えている「心の闇」なんていうものは、大人になれば解決するかって言えば、全然解決なんかしない。そんな気がする。僕自身は、行きがかり上自分の恥部さえもほとんど全部曝け出している気がするけれども、いきなり「心の闇」ができる訳じゃなくて、必ず何らかのきっかけや、原因はあるものだと理解する。

よく言われる、交通事故を起こしやすい年齢は二十代前半で、後半になると「事故率」が低下するらしい。最近は、高齢者が加わっているらしいが。三十代に近づくと、徐々に客観視の能力が高まってくるんだろうか。自分の「心の闇」が自分だけのものではなく、割と誰にでもある「恥部」だということにも気づいて来る。

そうした「共感」から、「じゃぁ、一緒に犯罪を犯そう」という方向に向かうのか、「一緒に、自分たちの心の闇に立ち向かおう」という方向に向かうのか、結果は全然違って来る。という話題が通じるのは、ある程度「客観視」が出来るようになった人で、渦中にあって、もがき苦しんで、引きこもって社会と途絶している人たちには、なかなか通じないような気もする。

子供の頃、学校で受けたイジメや、辛い経験、あるいは親から受けた傷、とかを、どう消化していったらいいのか。僕などは、それらすべてを「経験」として、「感謝」に切り換えようと、「経験」として活かそうと考えるようにしているけれど、それだって、辛い真っ最中の子供たちには、言葉としてだって、たぶん、届かない。いきなりそんなことを言われたら、たぶん「無理だ!」って思うだろうな。

届かないとは思うけれども、やはり、思う。必死で考え抜いて、「自分にできること」に何があるか、何かができれば、他人はその「何か」で自分を必要としてくれる。自分を必要としてくれる「誰か」を見つけることができれば、ポジティブに、堂々と社会を生きることができるチャンスにもなるんじゃないか、という気がする。

きっと、NPOとか、そうした「心の痛み」を分かち合う場所とか、機会も、ネットなどで見つけることができるような気がする。「闇サイト」とか「暗い方」にばかり目を向けないで、上を向くきっかけになる何かを、探して欲しいと思う。

僕自身も、相当にドロドロした「心の闇」は書き出しています。僕のサイトのバックナンバーも、凄まじいページがあるとは思う。実は、可能な限り、最後はギャグにして、笑いにして落としたいんだけれども、なかなか心に余裕がなくて、笑いに落としきれていない。全然、笑いに落とせなくて、ドロドロのまま終わったページもあるけれども・・・

辛い思いとか、ひどい思いとか、色々あっても、世の中もっと悲惨な状況に置かれたりして「恐れ入りました」みたいな人はすごく多い。もっと、子供の頃から、そういう人たちの話を聞く機会を持つことも、「心の振れ幅」の「動作マージン」を広げるのには、役に立ったりするのかもね。わからんが。

こんな、ニュースを聞くたびに、いちいち心を動かしているようでは、未熟だなぁ・・・
ごめんなさいね。未熟は未熟なり、半熟の温泉卵として、死ぬまで美味しく召し上がっていただければ、とは思うことにしておきます。

適切な免疫力

今日はもう、プログラミングや教材作成、執筆モードで仕事が始まってる。
けど、昨日までに書いた内容が、どうしても気になってしまうので、吐き出して、スッキリしてから仕事に戻ろうと思った。

喫煙と肺ガンの話題が、気になったので書いた。矛盾する二つの内容。
ハウスダストとか(受動喫煙もそうなんだろうけれども)、空気が汚ければ、確かに肺を痛めるだろうから、換気などで空気はキレイでないと、ということがある。

その一方で、汚れのない環境に慣れていれば、免疫力がつかない、あるいは、「外敵」がないのに免疫力ばかりが高ければ、たぶん自分自身を攻撃する。結局「攻撃すべき外敵」と「攻撃する必要のない外敵」を、体が見分けていないことが原因、ということなんだろうか。

「心の勉強会」では、この辺の話題は「定番」で解釈出来ている、と思う。たぶん。
間違っているかもしれないけれども、僕自身の解釈は、汚れていようがなんだろうが、とにかくまず受け入れてしまう。心の問題として。その上で、取り込む必要のない汚れ、取り込むべきではない汚れは、心の中から追い出す。心にこの習慣があれば、体もそれを覚える。「意識」は階層化されている、と私は考える。その結果として、意味もなく体が自分自身を攻撃することがなくなる。短くまとめすぎて、伝われないかも知れないけれども、自分はこう思う。

ざっくりと言って、世間一般「まず、いきなり除外/排除」というケースが多い気がする。

この辺の判断が難しい。詐欺も多いから、「まず受け入れる」って言ってもそれは「鵜呑みする」ということではなく、「相手の言い分を一通り聞く」という解釈をして欲しい気がする。別に、受け入れるからと言ってすぐに「お金を渡す」のではなく、周囲に相談したらいいだけなんだろうか。一通り相手の言い分を聞いてから、「警察に相談」だっていいはずで、「まず受け入れる」こと自体、間違いじゃないと僕は思う。言いがかりみたいなクレームだって、たぶんこれでいけたんだろうと、昔を思い出しながら、そう思った。

以上、気なってしまった話題を、頭の中から unload(荷下ろし)して、仕事に集中したいための儀式でした。

単純素朴な疑問、からの結論

少し前のページで、喫煙人口の低下とがん患者の増加を並べた。
そうしたら、こんな意見があった。

「昔は、がん診断の精度が悪かったから、初期のガンなどを見落としていた。すなわち、見かけ上ガン患者の数が少なくて、喫煙者が多かった当時も、同程度のガン患者がいた。だから、喫煙者の多かった過去にも、多数の肺がん患者がいた。喫煙率が低下しても、ガン患者が増加したのは、がん診断精度の問題
これを、仮説[A]とする。

この仮説が正しいと仮定する。そうすると、下図の斜線部分は、発見されなかった「初期のがんなど」と言うことになる。

仮説[A]は、そうした主張だと考える。また「末期ガン」まで進行した患者は、当時の技術でもガンだと認知された、とも「前提」とさせてもらう。

ここで、次の仮説[B]を導入する。
初期のガンは、放置すればいずれは末期ガンまで進行する。
この仮説[B]がどの程度正しいかは、あたしゃ医者じゃないから知らない。が、私は私の側から仮説[B]を正しいものとして提示させてもらおう。

昭和40年当時、もしも多くの初期ガンの患者が見落とされていたとしたならば、時間の経過とともにその患者は「末期ガン」まで進行して、顕在化したと思われる。すなわち、もしも上の図の斜線部分が初期のガンだったとしたならば、いずれは「末期ガン」に進行したはず、末期ガンに進行して、当時の技術でも認知されたはずである。ところが、当時は「末期ガン」として認知される数は、ピークにの五分の一程度だった(対数グラフである)。
潜在的なガン患者が、統計の5倍はいたとする仮説[A]から、そのうちの「顕在化した数」だけが末期ガンもしくは、ガンだと診断できる程度に進行したガンであり、残りはどうなったか、と言えば「顕在化しなかった」と言える。どう言うことか。「表に数字として現れなかった初期のガン」は、「最後まで表に数字として現れなかった」すなわち、喫煙者数が多かった昭和40年ごろは、初期のガンは4/5が進行せず、初期のままに止まるか、もしくは消失した、と言うことになる。

すなわち、仮説[A]の当然の帰結として、結論[A]は、「喫煙者数が多ければ、初期のガンが進行しない」ということになる。この論理と、データの読み方、どこかおかしいですか?おかしかったら反論してください。

僕が導入した仮説[B]「初期のガンは、放置すればいずれは末期ガンまで進行する」という、これがおかしいかも知れない。ここが否定されるなら、仮説[A]→結論[A]は否定される。

以上を総括すると、もしも、このデータについての仮説[A]

「昔は、がん診断の精度が悪かったから、初期のガンなどを見落としていた。すなわち、見かけ上ガン患者の数が少なくて、喫煙者が多かった当時も、同程度のガン患者がいた。だから、喫煙者の多かった過去にも、多数の肺がん患者がいた。」

が正しいと仮定すると、データから導かれる結論は

仮説[B]「初期のガンは、放置すればいずれは末期ガンまで進行する」が誤り

か、もしくは

結論[A]「喫煙者数が多ければ、初期のガンが進行しない」が正しい

かの、いずれかの結論になると思う。お医者さんて、本当に面白いことを考えるな、と思った。僕らの如きヘビースモーカだって、こんな楽観的な仮説は立てないのに・・・

という皮肉はさておいて、しつこいようだけれども、言いたいことは一つで「喫煙が肺がんの最大の原因である」という、医学会の決めつけが誤りなんじゃないですか、とこの一点。もしここにしつこくこだわって、あの「単純素朴な疑問」のページに書いたデータに「別の解釈」を加えるなら、「別の反論」をさせていただきます。謹んで(ヨダレを垂らしながら)楽しみにお待ちしてます。

じゃぁ、何が原因だと言いたいか?「そこまで言うなら、テメェの意見を言え」と?それなら、ざっくりと四つ。

まず第一。住環境の変化。アルミサッシの普及による密閉空間に、お袋の場合にはハウスダスト。ざっくりと。体感した。以上。

第二に、日本人の総体的な免疫力の低下。キレイキレイな世の中ですからね。個体の雑菌に対する免疫低下もさることながら、ガン細胞のような体の中に発生する異常細胞に対する免疫も低下している。昔の人間免疫力を鍛えていたのは、体外から侵入する雑菌だったと思う。それが、昭和中期の「不潔な社会環境」と「今」の最大の違いだと思う。だから、悪いけれども、どれほど喫煙者を締め出しても、ガン患者の発生者数は高止まると思う。
「キレイキレイ」が大好きな親の子供は、親が衰えて面倒を見て欲しくなった頃にがんを発症するリスクが高い、気がする。
細かいことを言うならば、日本と比べて遥かに不衛生な国々との「発ガン率」の統計データがなければ、この点でのこれ以上の論証は難しいけど。

第三に、平均寿命が延びたこと。老化に伴って、他の死因に対するガンの相対的な比率が増加した。

そして、第四に、心の変化。これは、医者を相手にして、論証しきれる自信がない。人間の全ての体細胞は意識を持っている。つまり、人間の「心」が健全ならば、多少のことなら「癌化」なんかしない。僕はそう考える。ただね、実証も難しければ、論理的な検証も容易じゃない。僕ら、心の勉強会に参加していると、どうしてもここだけを強調したくなるけれども、確かにここだけじゃないにしても、少なくない比率で、現代人の「疾患」の特性として、これは無視できないと私は考える。

喫煙も、無論原因の一つだと、それは否定しない。僕は、喫煙が肺がんの原因にはならないなどと、そんなことは主張していない。「最大の原因じゃないでしょ」と、それを主張している。キレイキレイで、おキレイでないと我慢できない人にとっては、受動喫煙だけで、発病率は跳ね上がるかもね。心の問題と、もともと免疫力が低い部分が加わって、周囲の喫煙がトドメを刺している、それはあるかも知れない。だけど、そういう人は、誰も周囲に喫煙する人がいなくたって、ディーゼルカーの排気ガスだって同じ結果になる。
言わせてもらうなら、「責任転嫁」しているうちは、ガンなんて治らないと思う。(前述した、第四の原因)悪いのは全部他人。どうぞ、ご勝手に、そうお考えください。
可能性のある要因を取り除くのは大切だけれども、「喫煙だけ」じゃないでしょ、とそれが言いたい。

「喫煙」をマナーの問題として扱う、それはとても理解できる。だったらなぜ、「分煙」を考えないのか、そうならない理由が不思議だ。そもそもが、「三次的な間接喫煙」なんて議論になると、ppmのレベルで、そんなもんを問題にするなら、バ×アがつけてる香水だって問題にしろ、と言いたい。他人のことは言えないけど、人間として枯れてるから香水をつけるんでしょ?アレも相当に不快に思うことがあるのに、なぜ、そっちは問題にしない?あ、そうか、タバコじゃなければ、なんでもOKなんだ。

人間の体細胞は「意識体」だから、と。これを医者に「証明」するのは、限りなく困難だ。僕のALSの友人には、ゴメン、と言った。僕には止められると感じていたけれども、こういう「おかしなこと」をする自分をカミングアウトしたくなくて、「発病した」と聞いた時にも、すぐには「手当て」はしなかった。結果的に、進行はある程度止められているかな、と思う。あと、半年早かったら、彼の「会話能力」が奪われる前に、「現状維持」できていたかも知れない。
僕は、そんなにも「心がキレイ」な訳じゃないから、彼の体細胞を「元に戻す」ことは出来ていない。細胞がグレるのを止める程度は、結果として出来ているとは思う。彼のALSを治せたら、声を大にして、「人間の体細胞は意識体で、意識体として訴えかけることができれば、病気なんて全て治る」と、主張出来るんだけれどもねぇ・・・。いかんせん、僕自身、心が弱くて・・・

自分の体についてはどうか。僕の腰の椎間板ヘルニアは、28才の時、完全に腰の軟骨がズレていたけれども、自力で戻した。説明し難い。頚椎は?6年前のMRIの狭窄は、今回かなり改善していたな。転落事故での頚椎損傷の後遺症は、この一ヶ月でかなり改善しました。気温の上昇は大きいかも知れない。冬を越してみないとわからないけれども、今は両手とも痛みどころか、シビレも消えた。(一応、自分で自分に手を当てている。)ただ、時々、右手の指が硬直して動かなくなる。ただそれも、割とすぐに回復。完全に、上に守っていただいた感はあります。神様に感謝。だって、30年も前から、同じことを書いている。僕は、無宗教だけれども、無神論者じゃない。宗教なんかには属したくないけれども、神様の実在は絶対的に信じている。30年間それを主張し続けたご褒美を、今回いただいたかなと、それは思う。でも、これ以上、ご褒美をいただくような状況は、経験したくない。

なんとか、心をキレイにしたい。他に治したい知人はいないけれども、ALSの友人の彼を、なんとか元に戻したい。僕自身の心が、透明になるくらいにキレイになれば、出来るかも知れないのに、とは思うけれども、なかなか難しい。

透明どころか、我欲を捨てちゃうと、「金儲け」じゃないけれども、ビジネスのモチベーションがなかなか高まらない。仕事がどうしても、捗らない。

例えば、今回こうして、それこそ「日本医学会」にケンカを売るような内容を書いた。「反論」は大歓迎。書いた以上はコメントを受け付けたい、んだけれども、コメントを受け付けるようにした途端に、バイアグラ関係のBot書き込みが大量に舞い込んでくる。

この5,322件は、全部スペイン語のバイアグラサイトのBot書き込み。
止めてくれ、と言いたい。バイアグラなんて要らねぇよ。舐めんてんじゃねぇぞ、使い物にはなってるよ。使い道がないだけで・・・。俺が死んだ時にディジタル遺品になるあの動画群は、・・・って、一体俺、何を書いているんだ?ほれ、全然「心がキレイ」じゃない。

情けないよなぁ、肉体を持ってると、これだもの。食って肉体は維持したい。こんな俺だって、子孫は残したい。それが肉体を持つということか。でね、そういうのを全部消し去ろうと思うと、「仕事だって、しなくていいじゃない」という方に、意識が触れてくる。その先で「透明」になるのは、そんなに難しくない気がする。だけど、そうすると生活できなくなる。仕事でもお金を請求しない。ってな具合で、生きるための「欲」の使い方が、とにかく難しい。
ただ、思うけれども、この「あのために、生きるぞ」という欲が根底にあれば、悪いけれども、普通なら「肺がん」にはならないと、僕は思います。これが、前述した第四。

お袋は違った。先に死んだ親父のことを口にして、「お父さん、迎えに来て」とそればかりを口にしていた。これは、ご近所も親戚も、みんな知ってる。こういう意識だと、救いようがない。いいよ、俺に責任転嫁したって。だけれども、責任転嫁した挙句は、自分のガンが進行しただけだったでしょうにと、そういうことも思うけれども、そもそもが、何をどう指摘したって、ガンになる方々は、聞く耳を持たない方がとにかく多い。気がする。再び、俺、何を書いているんだ?

いや、僕のWEBページ、そもそもがマトモじゃないでしょ?
そもそもが、このページのテーマって、なんでしたっけ?「喫煙と肺ガン?」テーマから、ブレてるかなぁ。

こういっちゃなんだけれども、師匠は、5分あったら肺ガンを消せると思う。ってか、治してもらった方々が、何人もいらっしゃる。僕は、お袋さえ救えなかった。いや、ね、本気で誰かを好きになって(お袋とは、お互いどうしても心を許せなかった)、その好きになった子がもしガンだったら、前から後ろから患部に手をあてて、本気で治そうとするでしょうね。で、間違いなく、その手を当てる前に「絶叫」されて逃げ出されて、警察に突き出されて、裁判にかけられたりして・・・。チャンチャン、ってなことで。(何か、映画になる?)
話を戻せってば。で、医学会は、喫煙だけを悪者にして、真の原因からは逃げて、喫煙者をスケープゴートにして、自分たちを正当化している。と、僕は、思う。それだけ書きたかった。(本当に?)

お袋は、好きにはなれなかった。お袋に、心を解放できたと思うことも、なかった。でも、今でもやっぱり、「おかあさん」という独り言を、無意識に呟いてしまうことは、あるかな。

肺ガン、ねぇ・・・

testか、specか・・・

動物はCapibara、でもrailsのテストツールはCapybaraでしたね。どーでもいいけど。

FactoryGirlがFactoryBotになった。名称変更?
授業教材がこれで使えなくなったな。毎年書き直し、だったけれども。なんて話は、これもどーでもいい。

railsのgeneratorを使うと、Factoriesがtestの下に生成される。

spec/rails_helper.rbに
config.fixture_path = “#{::Rails.root}/spec/fixtures”
なんていうのがあったから、ダメ元で
config.factory_path = “#{::Rails.root}/spec/factories”
と書いてみたけど、ダメでした。

rails generate factory_bot:model hogehoge
create test/factories/hogehoges.rb

だもんなぁ・・・factoriesだけtestの下で、あとは全部specの下。気持ち悪い。

確か、一個前のバージョンまでは spec/factories/hogehoges.rb だったのに、generatorが使えなくなった?configはどこ?手作業修正?
改めてFactoryGirlの記事を見ると、 test/factories と spec/factoriesが半々な気がする。FactoryBotも同様だろう。さてと。

とっても、ヌルヌルして、ベタベタして気持ち悪い。気持ち悪いけれども、テストの自動化ツールだから、いわば賄いメシみたいなもんで、外に出す環境じゃない。

僕らは、結果を出してナンボ。最短、最速で確実に結果を出すためだったら、この程度のことは目をつぶるしかないだろうな。と言うよりも、ブランクのテストファイルはたったの4行だから、この程度は手作業でプランを組んでも全然支障はない。誤差30秒。ってことは、手作業でspecの下に作ればいいだけの話。

気持ち悪さよりも、結果を出すことだけが最優先。わかってます。はい。

それに、ブーイングが来る訳じゃないしね。


上記の記事を書いて、5分。何気なく開いたページを見て、ふと試してみた。

config/application.rbに

config.generators do |g|
g.test_framework = “rspec”
g.helper_specs = false
g.fixture_replacement :factory_bot, dir: ‘spec/factories’
end

で、解決した。どなたか存じませんが、ヒントを投げてくださった方、ありがとうございました。

単純素朴な疑問

喫煙者数の推移

喫煙者数は随分と減ってきた。ということは、肺がんの患者数も相当に減っているに違いない。

がん統計

ところが、がんの患者数はそんなにも減っていない。むしろ増えている。

喫煙者数が減っている時期にも、肺がん患者数は相当に増えている。

本当にタバコだけが原因なの?この統計は、どう説明するの?

なんてことを言ったって、どうせ聞く耳持たないんだろうけれど。喫煙者数が減ったのにがん患者が増えたってことは、逆に喫煙者を増やせばがん患者は減るんじゃないのか?このデータ。いや、ただ単に書いてみただけ。どうせ聞く耳持たないだろうし。


こういう話題を書くときは、「コメント」を受け付けられるようにしたいんだけれども、コメントを受け付けるようにした途端に、バイアグラのリンクだとかが大量に流れ込む。Captchaを使えって?すみません、面倒臭い。そのうちやります。

喫煙バッシングの記事をいくつか読んで見たけれども、問題にしている数字は数パーセント。そりゃ、その程度の弊害はあるだろうさ。ところが、この喫煙者の減少に伴う肺がん患者の増加のデータは、明らかに他に原因があることを示唆していると私は思う。ただひたすら喫煙者をバッシングする理由は何か?

たぶん、本当の理由を見つけられない医学の怠慢をごまかして、世間を欺き、多くのガン患者の方々に「恨むんだったら喫煙者を恨めよ」と、責任転嫁しているだけだろうな、という気がする。受動喫煙はまだしも、三次被害って、なんだよ。そんなに問題なら、肺ガンの患者数が、もっと劇的に減ってるはずじゃないのか?このデータが示している増加の原因は、なんなのさ。と言いたい。きちんと説明してから喫煙を問題視すべきじゃないのか?

なんて言ったって、無駄だろうな。もはや学問じゃない感じだし。

選択肢

時々僕は、自分が「正常」なのかわからなくなる。
え?おかしいに決まってる?あ、そうですか。そうやって決めつけていただけると、安心したりして。

そもそも僕がブログを始めたのは、もう20年近く前。部屋の中での独り言とか、部屋の中で書いたものが勝手に表に出て、 勝手に解釈された。きちんと「真意」というか、ある意味で自分の日常生活についての「言い訳」をしないと、メンタル的にも持ち堪えない気がした。
勝手にのぞかれ、勝手に聞かれて、勝手に情報を外に流されるくらいなら、自分から表に出した方が、余程精神的には落ち着く、というのが発端だったから、私生活をここまで書くか、というハードルはかなり低かった。というよりも、そこまで自分の「真意」とかを説明しないと、勝手に書かれて、勝手に解釈されて、職場でもまったく落ちつかなかった、というのが最初だった。

未だに、元に戻っている気がしない。なぜそんなことになったか?そんなこと知るか。僕が始めたんじゃない。自分なりの解釈はしているけれども、必死で納得しよういう心理はあるけれど、やはり何かおかしい。

だけど、そもそもが「個人」にこんなことをやって許されるくらいなら、それ以前に、公職にある人間はことごとく私生活まで表に出すべきだろうと、それは思う。私生活が無理だとしても、公金を扱う場面はガラス張りにすべきだ。これは今でもそう思っている。おかしいでしょう?一個人にやってることと、公職の人間がやってることが、逆じゃないのか。私人が公権力を相手にしたら、勝ち目がないのに、公権力側は嘘で固めて数億を動かす。

「家」というのは、衣食住の「住」だとすると、英語ではShelterだったと思う。シェルター。退避場所。外での危険から逃れて、自分の安全や安心を守れるはずの場所。そこがおかしくなった。
タバコに頼るのは言うまでもなく、あとは酒を飲んで「どーでもいい」気分になってから寝るとか、他に選択肢は思いつかなかったな。

いや、喫煙については、すごいことになりそうだ。長いこと付き合ってきた「戦友」が、いなくなるのか。
余談ながら、お袋は肺ガンで死んだけれども、お袋が死ぬまでの約2年間は、僕は千葉にいてお袋は独居状態だった。少なくともその2年間、受動喫煙なんて全くなかったのに、肺ガンを発症して死んだ。親父とお袋の部屋で、数ヶ月寝泊まりした途端に、僕も肺がおかしくなった。カビが原因だと思う。ヘビースモーカーの僕が、タバコでは全然平気だったのに、たったの一ヶ月でおかしくなり始めた。タバコだけじゃねぇだろと言いたいけれども、目的は喫煙者バッシングだから、いや、別居状態でも十年以上の受動喫煙が、なんて言われるんだろうな。いいですよ、悪いのはタバコだけってことにして、他の原因には全部目をつぶったらいい。それが肺ガン患者のためなんでしょ。前にも書いた。お袋がうるさいから、僕は真冬でも窓を全開で寝ていた。僕がプッツンした時の行動パターンの定番で、「うるさいな、わかったよ」と言って窓をバーンと全開にする。それが日常になった。お袋は、あのカビ臭い部屋で締め切って暖房をつけて寝ていた。何でもかんでも、タバコのせいにしないで欲しい。とは思うんだが、僕がタバコを吸ってるだけで、原因は受動喫煙とかになるんだろうな。

何を言っても無駄、かなと思う。世の中常に悪者探し。一度「あいつは悪者だ」と決めつけたなら、あとは何をやってやりたい放題。文句を言わせてすらもらえない。あの盗聴・盗撮、やってることが尋常じゃないだろうと言いたかったのに、主犯は公安関係なのか、マスコミなのか、全くブレーキが働く気配もなかった。

在日に間違えられたのか、革マル派だったか中核派だったか、あの手の過激派に間違えられたか、じゃぁ何?そういう人たち(悪!?)には、こういうことをやっても許されるっていうのが、世間の「常識的感覚」だったのか。どう考えても、誰かがそれを「おかしい」と思っている様子すらなかった。

と、思っていたら、二階幹事長が何か発言したって?「子供を産まないのは幸せだと、勝手なことを言ってる」って?ほぉ。

30代になったばかりの頃、もし、あの盗聴とか盗撮が始まらなかったなら、僕はどんな人生を選択していただろうか、なんてことも思った。あの状況では、結婚なんて考えられなかった。どなたか、新婚のご家庭で、私生活を根こそぎ盗聴・盗撮されても平気って言う方、いらっしゃいますか?
誰かが子供を持てなくなるようなことを平気でやってる方々が、何をおっしゃるのか。

なんだか、次から次へと、選択肢をもがれているような気がするなぁ。特に、公権力にある人たちは、一方的だよなぁ。「悪」を設定しさえしたら、あとは錦の御旗。

と言いつつ、僕の事務所は「喫煙可」です。とりあえず、仕事はできる。昔は昔。どうやって自分を引き戻すか。

いや、僕の「感覚」がもう、どうしようもなくおかしくなってるとして、それはもういいから、あとはどうやって「普通に」仕事をするか、そこが問題で、それができなければ、ますます選択肢が狭くなる。

さてと、もう忘れよう。

coffee script

読めない!自分が書いたコードなのに。
じゃなかった、何処かからサンプルを持ってきて、完璧に理解しないまま使ったコード、というのが正しい言い方か。全然、板についていないなぁ・・・
いつになったら、「道具」として使いこなせるのか、もう僕には、新しい言語をマスターするだけのアタマがなくなったか?トシか?焦るなぁ。

いや、J2EEでconfigurationのiniファイルのON/OFF設定だけで誤動作する、あのconfig地獄から比べたら、余程こちらの方が「意味のある停滞」だという気がする。だって、JSPだとかJ2EEの時のconfig設定は、一旦回避したって次のバージョンアップでまた条件が変わってしまうから、覚えること自体にまったく意味がなかった。ロジックに入って行くまでが大変だったし。

そもそもが、序盤なんてこんなもんだろ。2時間悩んで読み解けなかったら、本の執筆の方に仕事を切り替える。時分割多重。

なぜ、こんなページを書いてるかって?
一所懸命仕事をしているポーズ?はい、そうです。その通り。

あるいは、単なるグチともいいます。それが何か?
(吐き出し続けないと、メンタルがもたない。)
咳をしても一人。いや、咳してないけど。

喫煙所の全面撤去

サラリーマン時代、営業さんに散々ご迷惑をおかけした僕の問題行動。
システム開発の納期を聞かれて、「あ、それ、1週間で作れます。」ってな返事。
そうなんだ、実際に作れたんだけれども、前提があった。僕のメンタルのコンディションがベストなら、っていう前提で、ま、そんなこと、滅多になかったけれど。
営業さんだって、真には受けないから、多少そこに余裕をみて、お客さんに2週間とか、3週間とかで約束する。そこで、納期がかかった途端に、僕がメンタル的に潰れる。最悪ですよね。こんな迷惑な開発屋はない。本当に、どれほど多くの営業さんたちにご迷惑をおかけして来たことか・・・

今にして思えば、親父の「まったく、オメェはダメなんだから。」の口癖が、今でも時々なんだか僕のエネルギーを吸い取ってくる(あ、責任転嫁)。

20年位前かな、ハマったゲームに、「テトリスもどき」で、コインが上から降ってくる奴があった。対戦型。1円玉が5枚接しているとで5円玉になる。そうして上から降ってくるコインを最終的に500円玉にするとかするとそれが得点になり、自分のところで1円が5円、5円が10円、10円が50円、みたいな「連鎖」が起きると、対戦相手には「赤字」のコインが降ってくる。一枚でも赤字が混じっていると、それが「減点」になるような「対戦型」のゲーム。確か、こんな感じだった。

そのゲームで、どうしても勝てない相手がいた。「美味しんぼ」の「海原雄山」をモデルにしたキャラで、口癖が「バカめ」だった。こちらに赤字のコインが降ってくる時の「雄山」のセリフの「バカめ」が、最初のうちは気にならないんだけれども、ゲームが進行してくると、相手も「連鎖」を作って、雄山のセリフの「バカめ」が響いてくる。「バカめ」「バカめ」「バカ」「バ」「バ」「バカ」「バカめ」「バカめ」みたいな感じで、赤字連鎖ごとにこのセリフが流れる。この「雄山」にだけは勝てなかった。やってるうちに、だんだん思考停止を起こして来て、コインをどこに落としていいのかわからなくなって、壊滅的になって、負ける。セリフに負けた。どうしても、親父の「まったくオメエは」に重なった。この「雄山」が出てくると、一度も勝てなかった。で、ついにそのゲームをやめた。

情けないなぁ・・・、弱いなぁとは思う。完璧に思考停止に陥る。お袋が教員の共稼ぎで、「産休」後はお婆ちゃん子で、記憶を探る限り、子供の頃誰かに抱きしめられた感覚がない。後から聞いた話だけれども、ばあちゃんは「子供を押し付けやがって」と、お袋とは冷戦状態で、僕らともそこそこ距離を取っていたらしい。結果、心を開放して、なんの緊張感もなく誰かの体温を感じる、なんていう経験は、ついにほとんどすることなく、このトシになってしまった。(ツッコミ無用)ソープとかの使い方を、適当に覚えりゃ良かったんだろうけれども、意味もなく「真面目」だったりしたからなぁ。

で、僕にとっての「最後の砦」は、やっぱりタバコかなぁ。「酒」もあったかもしれないけれど。全部、メンタル的な「充足」ではなく、肉体が欲する方の欲望、だったのかなぁ。

可能な限り、過去の記憶をさらってみて、そこに師匠の講演会の内容を被せてみる。赤ん坊じゃないんだから、誰かに甘えて、それで「安らぎ」を得る、なんて、そんな妄想に頼れるほど、若くはない。「そういうのがあれば、もっと頑張れるかもしれないのに」なんてことを思っていた時期も、かなり長かったけれども・・・

人それぞれ、生まれ方も育ち方も違うわけで、少なくとも僕は、タバコの「一服」がなかったら、ほぼ間違いなく、どこかで40分とか1時間とか電車を止めてたと思う。東京都もそうだし、WHOもそうだけれども、どうしてそんなに「喫煙」を「悪」と決めつけるんだろう。そりゃぁ、あなた方は、もっと恵まれた育ち方をしたのかもしれないけれども、本当に、タバコの一服以外に「社会的に容認」されているrefuge(なんて訳すんだろうか、逃げ場?安息の場所?)のない人間だっている、っていう理解は、どこにもないの?喫煙者差別じゃないかと思う。「法律的には容認」されているのが、「社会的には容認されない」なんて状況なのか。

あれですかね?心理学的には「代償行為」とかいう奴?記憶を探る限り、他には何もなかった。失恋?挫折?そんなもん、数えきれない。親は「優しく容認」なんてことは一切してくれなかった。親に抱きしめられた記憶?ないなぁ。タバコを取り上げられたら、生きていくのが、キツイなぁ・・・田舎はいいけど、東京都はなんだか「お綺麗で、お上品で、家庭環境も恵まれた方々だけが住んでいい場所」になりつつあるような気がした。東京にある学校の非常勤講師の仕事、やめるかさぁ、そのうち・・・。

それでもね、冒頭の「営業さんに迷惑をかけた」記憶。いや、もう親父は死んじゃったから、今はそこそこ大丈夫。盗聴とか盗撮がなければ、実家に戻ることもなかったんだろうけれども、それも今となっては、無い物ねだり。そういう世の中なんだから、受け入れなかったらどうしようもない。結果的に実家に戻った。盗聴や盗撮とは別の、親父っていうメンタル的な「アレルゲン」に、自分が気付けなかっただけ。でも、終わった話。

今は、そこそこ、仕事はできている。納期は・・・一つだけ、本を書くっていう「初めて」の経験で、若干想定外で(いわば、業界知識の欠落があって、)書き直しに四苦八苦しているけれども、一通り並行作業はできている。頑張れるとは思うんだけれども、「喫煙所の全面撤去」は、キツそうだな。

いや、一切トラブルさえ起きなければ、そこそこ持ち堪えるとは思うけれど、何かあった時(システム関係で、トラブルが一切ない、なんてことはまず想定できないけれども、)納入先が東京都内、なんていう仕事は、請けること自体が無責任かもしれない。

生きにくい世の中だ。喫煙者差別じゃないか、と思うんだが・・・だいたい、差別する側の方々ってのは、自分が絶対に正しいと思っているから、差別される側の心情なんて、理解する気もないんだろうなと思う。「お前ら、生きている資格はない」とか言われているような気もする。死んでもいいや、なんてことは、数えきれないほど考えたことがある。

もっと違う育てられ方をしたかった、と、つくづく思う。あるいは、公安関係に文句をつける、なんてことを、なぜやっちゃったんだろうかとも思う。お上に文句をいうような人間は、生きる資格がない、のか。

仕事には、影響させたくない、とは思うんだが・・・しんどい世の中だ。


書いちゃってから、1時間も経って、唐突に続きを書かなきゃと思った。僕の心の闇を曝け出しちゃって、どうも申し訳ありませんでした。

心の闇をまったく持たない、「文科省/厚労省推奨」の方法だけで心の問題を維持管理できる方々だけの世の中で、僕みたいに心に闇を抱える人間は存在しない方がいい?

いろんな宗教が言ってたな。心をキレイキレイにしなさい、と。どこがどうキレイで、何がキレイの基準なのか、僕にはよくわからない。教えて欲しいな。あなたにとってのキレイは、僕には無意味だったりする。僕の喫煙を毛嫌いしていたお袋が肺ガンで死んだけど、自分が自分の寝室のカビとか化学物質をキレイにしなかっただけじゃないかと、数ヶ月前体感して理解した。責任転嫁も甚だしい。お袋があまりにもうるさいから、僕は真冬でも窓を全開して寝ていた。おかげで、暑さだけじゃなく、寒さにも滅法強くなった。あんたは、なんだよ。と、お袋に言いたいけど、これは八つ当たりだな。

苦しいときに逃げ場を見つけたらいけないんだ。それだったら、いわゆる医療における麻酔なんて、「悪」じゃないのか?全ての手術は麻酔なしで行うべきじゃないのか?痛みを誤魔化しているだけでしょ、神経伝達をブロックして?なんでやめない?ココロがキレイなら、痛みなんて耐えられるはず、なんでしょ?タバコを全面的に悪だと決めつけるなら、医療の現場から麻酔をなくすべきじゃないのか?違いを教えて欲しい。私のごときバカの能無しにもわかるように。私のココロの痛みを、客観的に示した上で、違いを説明して欲しい。

師匠は、汚れることも、苦しむことも、何一つ否定されない。神は、汚れて、苦しんで得た結果の価値を認め、結果を得る過程で逃げることすら許して下さっていらっしゃる、と私は理解する。あちこちの宗教では、許されないらしいけど、神は許してくださると、私は理解する。メンタル的な部分が基本だとは、一応理解するけれども。目先のキレイキレイ優先は、私の価値観とは相容れない気がした。一方的だもの。差別でしかない気がする。

結局、私は、私が生きたいように生きるだけだけれども。無論、大前提として、受動喫煙で誰かに迷惑をかけることは、可能な限り回避するし、でも、都内だってこの場所でこの時間なら、誰にも迷惑をかけないという時と場所もあると、断言できるのに、それすら認められない。喫煙はそれだけで「悪」なんでしょ?キレイキレイはキライ。

HAML – 永遠の35才!

HAMLってなんだよ ( ˘ω˘ )
るびぃ用のびゅう てんぷれえと えんじん?
HTML abstraction markup language
なんじゃらほい。

Ruby on Railsで、初めて「商用コード」を書いている。
Ruby on Railsで大学の授業を持って、7年?いや、そろそろ8年目?
それでも、商用で、Rubyで書いたコードでお金をもらう、ということは、これまでなかった。
結局、CかC++か、Visual Basicか・・・あるいは、Java, PHP

今回Ruby on Railsに踏み切ったのは、納期。VBで固めると、たぶんスムーズに捗って2ヶ月半。C#でも似たような感じだろうな。コード量が多い。対外的には4ヶ月と言うと思う。
Railsにテンプレート合成をやらせれば、3週間以下には圧縮できる。わかっていても、踏み切る勇気がなかった。「慣れた環境」から出たがらない自分。対外的には、工期2ヶ月。

より正確には、書いたのは初めてじゃない。IoTのコードで、2台のRaspberry PiのDuplex構成、2台のRaspberry Piをマスター/スレーブで二重化して、どちらかが生きていれば必ず応答するIOTのプロトタイプで、Ruby on Railsで外部インターフェースを固めたシステムのプロトタイプを、ほぼ3ヶ月がかりで書いた。
そうしたら、「プロトタイプを作って見せてください」と言ってきた会社さんが、その後「なしのつぶて」で、蒸発してしまった・・・。ただ働きという言い方も出来るけれども、うちは、自前で自由に使えるコードとして、多重化ラスパイのコアコードを書いて持ってます。ご用の方は、ぜひお声がけを!何とか、別に活用したい!IoT、かなり自信ができました。セキュリティも一通り理解してます。

でも、3ヶ月分の仕事が一円にもならなかったのは、かなり痛かった。いや、もっと辛いことあったから、この程度は気になっていないけれど・・・
ただ、いずれにせよ、これが「初めて商用を意識して書いた」Ruby on Railsのコードになった。
そして、今回は間違いなく「お金になる」システムを、Ruby on Railsで書き始めた。

で、Ruby on Railsを本格的に商用に使おうとした途端、何か調べるごとに、新しい言語、新しい環境、新しいエンジン、新しいgemの話題が出てくる。タフだ。無論、使わない選択肢もあるけれども、使わないのがもったいない話題も多い。

コードがかなり短いからなぁ・・・短さ、半端ない。erbからhamlに切り替えると、こうなるって、いや、ただもう、coffeeだけでも辟易しているのに・・・

知らない人が見たら、なんの話かと思うだろうな。
以下、全部、「言語」とか「環境」とか「エンジン」だとか、なんだかんだの「部品」の呼び名です。

ruby, rails, gem, yaml, haml, coffee, erb, scss, sass, dom, dojo, haiku, capibara, jenkins, rspec, factory …

それぞれが「独立した世界観」を持って、文法規則を定義し、用法やサンプルを書いていて・・・やっと、一つの世界観に馴染んで来て、次を調べるとまた新しいのが何か出てくる。いや、もう、いいけどさ。
毎週、1言語! あはは。(ヤケクソ)

この仕事を続けるなら、僕は35才!年齢を聞かれたら、35才と答えることにしました。

定年までもうあと、25年間は新しい技術を吸収し続けて、新しいものを作り続ける。その覚悟でやらなきゃ、突っ込めない。腹をくくったよ。コーディングの全盛期は無理でも、35才ならたぶん戻せる。と、思う。

ただまだ、HAMLのコードを見ても、なかなかHTMLがイメージ仕切れない。やっとcoffee scriptに目が慣れて来たのに、また新手のコーデイングスタイル。

!!! が、<!DOCTYPE html>になる?
え? なんだよこの、変態!
日々是絶叫

暑くて快適!

パプアニューギニアに赴任した後、最初はハイランド地方で語学研修があった。
標高が1000m以上あったと思う。結構、夜は冷え込んで、赤道直下とは思えない涼しさだった。
その後、任地に赴任。南緯2度。海岸から50mの職場。Vanimo半島。

赴任して最初の1週間、とにかく暑いと思った。これが2年間続く。参ったな、と思った。
日本の冬が恋しかった。まるで冷蔵庫の中のような気温。冷房の必要がない。あの寒さがとにかく恋しい、と思った。

ふと、「待てよ」と思った。日本の冬。春が恋しい、夏が恋しかった。ガンガンに暖房を効かせたような暑さ。裸になっても汗をかく程の暑さ。夏の熱気が恋しいことがなかったかい?あっただろう。

で、行って戻って、ここは「常夏の国」一年中暑い。どうだ、羨ましいだろう、冬の自分!ここはいいぞ、とにかく暑い。寒さなんか、カケラもない。ここは快適だぞ!

ってな訳で、ずっと「快適」なつもりで2年間の任期を過ごしました。
冬なんて、寒くてろくなもんじゃない。暑いのが一番。

って、んなはず、あるかいな。暑いものは暑い。でも、こう考えると少しは「これもいいかな」ってな気分になったり、ならなかったり・・・

いいんです。手に入らないものは、酸っぱいブドウ、ってなことにして、納得できれば勝ち!

世界を一つに

ワールドカップが盛り上がっている。日本人女性におかしなスペイン語を話させたとかいう話題で、コロンビア外務省が「お互いをリスペクトする」ことを主張する声明を出したらしい。いいね。ありがたい。そこまで気を遣っていただいて、かたじけない。

以前、インドネシアを旅行していたら、日本人旅行客が多い地域で、「タカイヨ、タカイヨ、カッテ、カッテ」と声をかけて来た現地の売り子の男の子がいた。誰か日本人が、嘘を教えたんだろうなぁ。日本人旅行客はニヤニヤしながら素通りしていたけれども、こういう「イタズラ」というか、恥ずかしいことだとは思うけれども、日本人も結構やってるような気がするし・・・偉そうなことは、たぶん、何も言えない。

「イタズラ」と「イジメ」の境界が、なかなかみんなわからない。相手の立場になって考えるだけ、なんだろうけれども・・・

師匠の講演会の話題。
人間の実体は「霊体」。キリスト教も、イスラム教も、ユダヤ教も、仏教も、「死後の世界」の存在を説く、つまり、肉体が朽ちてもそれで終わりじゃないよ、というところまでは、少なくとも「共通」していると思う。さらに「その次」について何も説いていないだけ。このままずっと、何も変わらないのかなぁ・・・。そうした「宗教」の「教え」については僕などは何もコメントする立場じゃない。僕はただ、師匠の講演会の内容で、自分が確信を持った内容について、書き続けるだけ。

仏教や、ヒンドゥー教では「輪廻転生」を教えている。ただ、おそらくシャカが直接言及した記述は記録されていないだろうに、仏教では「あらゆる生き物の生命を、尊重しなさい」という教えと、輪廻転生とが混ざってしまって、人間がブタとか、ミジンコにも転生するような教えになってしまった。ヒトの持つエメルギー量は、ヒトの肉体でしか受け入れられない。つまり、ヒトはヒトとしてしか、転生できない。この辺、いつか「生物学」で証明されてくれたら、嬉しいんだけれども、何百年先になるんだろうか。

で、ヒトは、何度となくヒトとして転生して、「経験値」を高めていく、説明が楽なのでRPGを引用するなら、「経験値」が上がってくるとヒトも「進化」する。その経験を積むのに、貧乏人も金持ちも経験し、記憶力の優れた肉体を経験したかと思えば、記憶力に劣っている肉体も経験する、場合によっては異性の肉体も経験し、障害のある肉体も経験し、スーパー金持ちも経験し、それによって「次につながる何か」を蓄積することで、ヒトは進化する。そのたった一つ上に上がるだけのプロセスでも、何万年とかかかる。目に見える一つの文明が滅亡しても、文明の興亡をまたいで、ヒトは転生し続ける。その過程では、日本人として生まれることもあれば、コロンビア人として生まれることもあるだろうし、生活環境そのものも、様々なものを経験し、それが済まなければ、なかなか「上の段階」には進めない。ということになるんだろうと思う。

何が言いたいか。例えば、習近平氏が前回はベトナム人で、次回はアメリカ人、ということだってあり得る。ドナルド・トランプ氏が次回はブルンジとかマラウィに生まれることだって、あり得る。「自分は、これを知らなかった」と自覚したなら、次に何を学ぶか、肉体を抜けて、地獄(Cleaning Chamber)を抜けた後のプア、じゃなかった、ピュアな魂なら、今回の反省からそうした課題を設定することは十分に考えられると思う。っていうか、僕がトランプなら、たぶん次は間違いなく経済的に恵まれていない環境(ブルンジや、マラウィの方、ごめんなさい)を選ぶと思うんだが、そういうバランス感覚がないから、ああいう大統領なんだろうなぁ・・・

僕だって、日本ばかりで生まれた訳じゃないと思うし、誰だって、みんなそう。たまたま、今は僕は日本人。その辺がわかってくると、生き方だって変わるはずだとは思うんだが、でも、やっぱり思う。人口の半数以上は、今現在、目先のことに必死で、こういう長いタイムスパンの自分を考える余裕がないのかもしれない。多くの宗教が説いているように、神様だって実在している。輪廻転生をイメージするのが無理でも、最低限、神の実在だけ、確信してもらえたなら、世界も随分変わるだろうに、とは思うんだが。

いや、師匠の講演会の講演内容、要所要所を、全文世界に書きたい気持ちはあるけれども、「行動し、考え抜いて自分が確信しなかったら、他人に伝えてはならない」と釘を刺されているから・・・(だから、なかなか書けなかった。)

ちなみに、三週間経って思う。僕の頚椎損傷、やっぱり、かなりダメージは受けています。今、時々、右手が動かなくなる。チョークを持つ指が硬直して、何度となく持ち直したりしているし、足の感覚もおかしい。(でも、こうした話題を書くときは、完璧にブラインドタッチで指が動く、その辺が不思議。)リハビリは自分でやります。方法はわかる。けれども、もしかしたら、上に守ってもらえていなかったら、車椅子生活の、重度障害者になっていたかも知れない。結果として、何事もなく日常生活をしているから、そんなに「深刻な状況」には見えないけれど・・・ただひたすら、神様には感謝するだけ。

国境線にしたって、「国家」意識にしたって、自分自身の帰属だってその都度変わる。この「その都度変わる」ことを前提に、発想できたらいいのにと、ワールドカップに思う。

父の日、後遺症

コーディングと執筆の単調作業。メリハリがつかない。気分転換に書いてます。

数日来(月曜日に、関西の大地震があってラジオの内容がシフトしたけれど、)父の日のニュースを聞き流していた。

僕はもう、父親になることはないだろうな。それはともかく。世間では、父の日をスルーされた父親も多かったみたいで・・・。何というか、ラジオはね、傷口を舐め合うみたいなところもあるから。

僕の耳にこびり付いている親父の口癖は、「まったく、オメェはダメなんだから。」だろうか。
どういう場面で言われるか。例えば、国語のテストで、送り仮名を間違える。例えば、「行う」なんていうのを「行なう」と書いてしまって、一つ間違えて、国語の点数が95点だったりすると、ニコニコしながら「まったく、オメェはダメなんだから。」というこのセリフが飛んでくる。
算数で、計算ミスが何箇所かあったりしても同様。
100回、1000回聞いたかもしれないこの口癖。じゃぁって、ミスしなくても「そうか」の一言だし。

今にして思うと、呪縛になって、親父が死んだ今でも時々聞こえてくる。そうすると、悪い意味で力が抜ける。決まって、「あぁ、俺はダメなんだ。」みたいになってくる。言葉による呪縛の恐ろしさ。

世間のお父さん方、こういう口癖は、やめましょうね。子供の一生を、きっと台なしにする。

今年に入ってのある日、ひょんなことから、親父が懇意にしていたOさんの息子さんと出会った。「親父がお世話になりました」と言ったら、そのOさんの息子さんも親父のことを覚えていた。「きっと、親父が喜ぶと思うので、遊びに来てください」と言われたので、昨日、自治会の用足しで町に出た後、その足でそのOさんの事務所に顔出しして来た。
あ、Oさんだ、と僕も覚えていた。Oさんも「ずいぶん、雰囲気が変わったな」と・・・。だって、親父に連れられてOさんの事務所に遊びに行ったのは、小学生の頃。10才前後の僕と、50代後半の今を比べて、変わるのは当然。だけれども、僕の中でのOさんは、重なった。お元気そうで何よりだった。それよりも、何よりも、親父が懇意にしていた理由がよくわかった。親父のことを、僕自身も次から次へと思い出した。僕の爺ちゃんのことも覚えていて、僕自身の家族の昔の話で、僕もあれこれと山ほど思い出した。だけれども、その一方で、昔話だけではないのが、やはりOさんのすごいところ、なのかなと思った。

親父が息を引き取る数日前、僕が親父に語りかけた最後の言葉は、「お父さん、僕はあなたの息子だったことを誇りに思うよ。」だった。親父、泣かせてごめん。尊敬はしていた。それは間違いない。

だけどなぁ・・・「まったくオメェはダメなんだから」の口癖だけは、やめて欲しかったと思う。
いまだに、時々、悪い意味で体の力が抜ける。特に、親父がまだ生きていた40代の前半までは、何をやっても「詰め切れない」ところが、自分にはあった。決まって、肝心なところで力が出なくなる。集中力が壊れる。

今は、親父の代わりが、ね。「そんなことはない」「何で、そんなこと言うの」「絶対無理」などなどで、取り付く島がない。もっと早くわかってりゃなぁ・・・
かなり「言葉」だけで左右される。なかなか、ドッシリとは構えられない。軽い輩だなぁ・・・

結局、何とか気分を切り替えるのに、最後に頼るのはタバコかなぁ・・・とにかく一服してリセットする。
長生きしたいとは思わない。自分のやるべきこと、出来ることをやり切れたと納得できるなら、もうそれで十分。積極的に死のうとは思わないけれども、生きるだけのために生きたいとは思わない。
でもタバコは、ねぇ・・・確かにこれだけ肺を痛めていたら、いいはずがないのは、わかっちゃいるけれども、そろそろね、仮に「あぁ、俺はダメなんだ」が大前提でも、それなりに踏ん張る他の方法を見つけないと・・・本当にいい歳をして・・・情けねぇ。まったく俺はダメだ、って、違うってば!(という、自分の中での掛け合い漫才)。
とにかく、一息入れてっから、落ち着いて考え直そう(振り出しに戻る)。

埼玉県の秩父方面に、とてつもない方がいらっしゃる。僕が「師匠」と呼んでいる方。
その方が講演で話される内容は、直接薫陶を受けている僕らが実践し、守って行かなければいけないんだろうと思う。もしかしたら、数十年単位、数百年単位で、少しずつ、ジワジワと広がって、読まれて、今後千年単位で残るかも知れない言葉の数々。
その師匠の存在を、一人でも多くの方に知っていただきたい。これはこれとして、すごい「目的」にはなり得る。

それとは別に、以前「心臓発作の予知・監視・通報システム」なんていうのを、人生のメインテーマに掲げたりもしていた。埼玉県のドクターヘリのお世話になりながら、そう言えば、あれ、どうなったっけか、なんてことも思い出したりしていた。

さてと、また、延々と続くコーディング、執筆の「単純作業」に戻ります。

クロロキン

抗生物質は、使い方が難しい。

パプアニューギニアにいた頃、マラリアの予防薬兼治療薬として、クロロキンを常備していた。予防薬として使うときは、毎週1回1錠欠かさず飲んで、一定の血中濃度を維持する、ということになるんだろうか。治療薬として使うときは、(記憶がもう、薄れている)初回2錠だか4錠だか飲んで、6時間後にさらに2錠とか、そんな感じで、最初の二日間に合計10錠とか結構な量を飲むべし、と言われていた。結局、僕はマラリアは発病はしなかった。ハマダラ蚊には結構刺されていたと思うけれども、村に入ったりすることがわかっている時には、事前に「予防用の服用」をした。ふだんタウンにいる時は、部屋の中で蚊取り線香を焚き、寝床には蚊帳を吊って、防蚊対策を完璧にしてクロロキンは服用していなかった。

ただ、僕みたいなクロロキンの使い方には、批判があることは知っている。中途半端にクロロキンを使うと、クロロキン耐性のマラリア原虫を鍛えるだけだと、そういうことだろう。とりあえず、僕は薬より自分の体力とか免疫力を信じたかっただけなんだけれども、使う以上は、完璧に使わないと、「集団的な免疫学」的には良くない。それはわかっていた。自分だけよけりゃ、それでいい、ってなことにはならない。予防接種を受けている人が多ければ、パンデミックは避けられる。そういう理論だと、自分は理解する。

肺炎的な症状が出たから、1回医者にはかかって、地元の内科の先生に肺のレントゲンを見てもらい、それから耳鼻咽喉科で、声帯とか喉を見てもらった。後は自己判断でビクシリンのジェネリックなのか、カンピシリンをネットで海外から取り寄せて、自己判断で、クロロキンみたいな使い方をして、とりあえず、一週間で肺炎の症状は押さえ込んだ。お医者さん曰く、タバコが原因で、肺ガンの一歩手前、みたいなレントゲンの診断。僕に思い当たったのは、部屋の中のカビ臭や防虫剤などの薬品臭。お袋がその部屋で肺ガンになったから、カビだと思った。あとは、ニューギニア的な自己投薬、自己治療。
咳は全く出なくなった。声帯は完璧、声は完全に出るが、まだ若干鼻声。肺(胸部全体)の痛みも完全になくなった。今週は、合計で2kmくらい泳いだけれども、息は全く上がらない。呼吸器、循環器は、ほぼ正常。これで明日、10km程度、ゆっくり時間をかけて走りきれれば、循環器はたぶん問題ないと思う。

ところが、微熱が下がらない。僕の平熱は36.2度。なのに「体温を測ったほうが良いかな」という感じがした時に計ると、36.8度とか37.2度ある。食事をしたりすると、一気に発汗して発熱して(風邪の時に、汗をかくと熱が下がる、っていうあのパターンで)ものの40分もしないうちに、大量の汗をかいて、体温が平熱に戻る。それが、仕事をしたり、あまり体を動かさないでいると、じわじわと熱っぽくなって、微熱が出て、「食べる」とか「体を動かす」とか、なんらかのトリガーがかかると、発汗し、一気に体温が一旦上がって、また平熱に戻り「あ、体は正常だ」みたいな状態に戻る。この繰り返し。

ずっとダイエットというか、摂取カロリーの総量を抑えていたためか、3月頃から5月頃にかけて、仕事の忙しさでほとんど全身運動もせず、タバコの本数も増えて、部屋はカビ臭く、一気に肺の状態が悪くなった。それに気づいて、寝場所を変えて、とにかく食って、薬を飲んで、考え抜いてコンディションを整えて、医者にも診てもらって、今ようやっと、マスクなし、(抗生物質以外の)薬なしで、日常生活していても、疲れない、困らない、普通でいられる状態に戻して、気づいてみたら4kg増量していた。
気合いを入れて食わないと、「汗をかいて、熱が出て、体調が元に戻る」にならない。減量と、仕事と、体調のバランスを、どうとるか、悩ましい。いや、デブに戻るのはどうでも良いとして、あと、「微熱」だけがどうにも解決していないのが、気にくわない。

ニューギニアにいた頃も、2回ほど、「3ヶ月程度続いた微熱」に悩まされた。原因はわからない。何かの感染症か、と思う。微熱以外の症状はなかった。「ちょっと、熱っぽい」以外には何もおかしいところはない。その時に頼ったのも、ビクシリン。あの頃は、(手持ちが少なかったから)一日1カプセルを数週間飲み続ける感じ、だったかなぁ(いや、数日に1錠、だったかもしれない)。それで、いつの間にか、微熱など出なくなった。

悩ましいのは、今回の「カンピシリン」の「やめ時」だ。何か「常在菌」の類が、まだ体の中で異常増殖している、のは間違いない気がする。できることなら、薬には頼りたくない。僕自身の免疫力だけで立ち向かいたい。けれども、中途半端にやめてしまうと、耐性をつけるだけで、かえって(年を食っちゃった)僕の体力だけでは解決できない事態になるかも知れない。

通常の方法では、対処できない事態に陥った。そこで、強硬手段に打って出て、抗生物質を使った。だとしたら、そこから先は、完璧に「原因菌」を潰し切るまでは、その手段を継続する、というのがたぶん正解なんだろうと思う。

なんだかね、薬なんかに頼るっていうのは、情けない気もするけれども、この「微熱」が続く間は、カンピシリンを使い続けるかな。用法用量は、お医者さんに・・・、すみません、相談しません。僕は自分の体の感覚と、なけなしの自分の知識に頼って、自己判断でやります。「死」んだらその時はね、「あぁ、また体を、潰しちゃった」と、それなりに、次への経験値として活用しようかと、思っています。

救急搬送される、なんていう情けないことをやっちゃった。大元は、こちらの「肺の感染症」だったかな、と思う。

大山鳴動、ネズミ二匹。二匹のネズミは、頭の黄色いネズミと、頭の黒いネズミ。

なんのこっちゃってか、微熱にうなされて、悪夢でも見とるんかいな、って?以下、悪夢にうなされての、話題。と、読んでください。

頭の黄色いネズミが、サラミを見かけて、躍り上がった。これで選挙に勝つ素材が見つかる。浅はかだなぁ・・・頭の黒いネズミは、「見せサラミ」をちらつかせれば、チーズの塊にありつける事を、知ってる。結局は、その構図だったなと思う。

ここから先、比喩はやめる。とても失礼になる気がしたので・・・

拉致問題。頭の黒いネズミが、どういう対処をするか、が、「大山鳴動」の試金石か、と思っていたら、案の定、「スカ」だったと思う。要するに、「抗生物質の集中砲火」が効いたんだと思う。「これ以上、経済封鎖を続けられたら、もはや存続できない」と自覚したから、いきなり「方針転換」を顕示し始めた。「本心」なのか「デモンストレーション」なのかの見極めが難しかった。
もし「本心」なのなら、「どんな不利な過去があっても、曝け出して、提示し、議論した上で最善の策を講じる」という流れに身を委ねただろうと思う。「本心」はそうではなかったから、「拉致問題」を「解決ずみ」だと改めて主張した。

なぜか。

前回の小泉首相の交渉の際に、帰国できなかった日本人は、相当に「恣意的」な選別があったにせよ、「北朝鮮の政権の内情」を知っているから、などが理由になって帰国から除外された可能性が高い、と私は考える。その後、頭の黒いネズミの代になってから、「追加」があった。

あの頭の黒いネズミが、「拉致した日本人」をオモチャのように扱った、という事実があった。あの頭の黄色いネズミの国ですら、ハリウッドで「絶大な権力を持った人物」が行った悪事が「ことごとく表に出て」大騒ぎになったりしている。こんな事実を表に出すことはできない、と、当然当事者は考える。その結果として、隠せるものは隠す、という心理が働くのは不可避だと思う。あの、頭の黒いネズミは、「人としての恥」という概念を知っている。だからこそ、それを表に出した時の自分を受け入れられない。その結果として、「拉致問題」は、おそらく、あの頭の黒いネズミが生きている間には、解決しない、そんな気がした。

およそ、「権力」を欲するものは、自分に対する相対的な弱者を虐げて、それによって快感を得る。その典型が二匹のネズミで、「不都合な情報」は「もみ消す」以外の対処方法を理解し得ない。拉致日本人で、まだ帰国できない全員がそんな目にあった訳じゃない。おそらくは、ほんの数人が、あの頭の黒いネズミの「俺は、日本人など何とも思わない」的なデモンストレーションのターゲットとなって、その記録が消せない(関係者の口封じができない)状況にあるがために、「拉致問題は解決ずみ」という立場を変えることが出来ないのだと、私は知覚する。(間違っているかも知れないけれども。)
加えて、あの頭の黒いネズミには、その事実を日本側に伝える勇気もなければ、日本から「スルー」されて「自分の領国の復活」を成し遂げられるシナリオを描けるとも思っていない。仕方なしに、もはや、「拉致問題は解決ずみ」と、可能な限り「公式な主張」を避けて繰り返すしか、方策がない。

この上、日本が「拉致問題」を解決するために、どんな方策があるか、と考えるならば、ネズミの駆除しか、ないんじゃないかな、と私は思う。まだ、時間がかかる。心苦しいけれども、拉致被害者のご家族の皆様が、ご存命の間に、ネズミは駆除できない気がする。

きっかけは、え?そんな程度のこと?なんだと思う。
あの、誰だっけ、あの事務次官が、「おっぱい触らせて」とか話したのが、記録に残った。日本だから、あの記録は消しきれなかった。某国だったら、「おっぱい触らせて」と言われた人間が、翌日には死刑になっていただろうなと思う。そういう状況での話題だと、私は思う。その発端は、と言えば、「権力を持った人間」の、「そんな程度のこと」の「おっぱい触らせて」的な、(頭の黒いネズミの場合には、もっと違う流れのように感じるが、)結果的には「そんな程度のこと」なのだろうと、私は感じる。そうした全ての事実を隠蔽したいがために、拉致日本人問題は、「全て解決ずみ」という姿勢を、一切崩すことはない、という気がする。
哀しすぎる、と思うけれども。

横田めぐみさんのお父さんと、お母さん、もしかしたらだけれども、1990年代後半、僕がなにがしかの「能力者」みたいな扱いで、盗聴とか盗撮で、私生活を根こそぎ表に出されて、メンタル的に潰れて、自宅に戻っていた頃に、一度、この埼玉県小川町の我が家の前に、お見えになったことがありませんか、という気がした。ニューギニアから帰ったあとだったような気もする。たぶん、「藁にもすがる」思いで、僕のごとき「藁」にすがるために、はるばると、わざわざ、私の家までお越しになったことはありませんか、と、僕の微かな記憶が言ってます。ちょうど、僕が「用足し」で家から車を出そうとしていて、ちょうど車の進路にご夫婦で立たれていて、車を避けるように移動されたところを、僕はそのまま、「通りかかった人が、車を避けてくれたから」という感じでスルーして、出て行った。たったそれだけの、ほんの数秒の接点だったけれども、その時にお見かけしたご夫婦のお顔が、テレビで頻繁にお見かけする横田さんご夫婦のお顔のような気が、ずっとしていました。それ以前に、そのすれ違った瞬間に、何か、猛烈に訴えかけるような「意識」を感じたのは確かで、その時にも、「あれ、僕は、この方達と、何か話をしなきゃいけなかったのかな」という気はしていて、「まぁいいや」でスルーしていた、それは、その時以来、ずっと気にはなっていました。

残るシナリオは、なんなんだろうか、と思う。

「責めはしない」それだけは確かなものとして、安倍総理の発言ではないけれども、洗いざらい、全てを日本に晒して、今生きている日本人は、一人残らず返して欲しい、それだけは、私も思う。
日本は、あのハリウッドの国とは違う。損害賠償だとか、名誉毀損の訴訟だとか、あの「訴訟大国」とは体質が違う。日本人を返してくれさえしてくれたなら、一切、過去の経過を責めることはないと思う。ただ、心を開かないならば、一切の関わりを持たない国であり続けることも、確かかな、とも思う。

安倍総理が、「拉致問題」について外交で、諸外国の「協力」を求めている。それに対して、あの頭の黒いネズミの国のコメントは、「安倍が妄動して」みたいなことを流しているけれども、要するに「効果がある」ということでしょうね。お気付きの通り。今度も続けるしかない。淡々と、全世界の「理解」を求め続けるしかない。それが正解だと思う。

あの「総論賛成」の政治劇。各論が何も決まっていない。

マラリアの原虫だって、あいつらバカじゃないから、クロロキンを大量に投与されると、「もう、攻撃はしません」的に症状を出さずに「なりをひそめる」ことはある。そこで、クロロキン投与をやめると、一気に元に戻って、というよりも、第1波よりも悪質に、凶悪に、高熱やら全身痛やら、もう、とんでもないことになる。

って、なんの話でしたっけか?

抗生物質とかは、やめどきが難しい。

微熱が出なくなるまでは、(今の僕の年齢では)飲み続けるしか、なさそうだ。

無断転載

とある「新聞」に掲載されていた、ジンバブエのジュニョル・カンディミレさんの詩を無断転載する。「世界女性の日」に発信されたメッセージにあった詩らしい。3月22日の日付。体調不良というか、気力が萎えていて、積みっぱなしになっていた。今日この詩に出会ったことに感謝。

朝っぱらから、こんな詩を読んで、ちょっとスイッチが入った。

「俺の目の黒いうちは」とか「絶対無理」とか、自分の使っている言葉の意味を知らないとしか思えない人たちがいる。そういう人たちの使う言葉も、こちらには言葉の意味がそのまま突き刺さるから、相手が意図していなくても、こちらはかなり傷付いたりする。
なかなか、慣れないなぁ・・・というよりも、全然慣れない。

「コンチクショウ」と思ったことがあった。そのスイッチが入った。僕は別に、ジリ貧になるために自営業になった訳じゃない。と思ったら、一ヶ月半続いた微熱が止まったよ。あら不思議。肺炎?たぶん、あと三日で完治する。気力の問題。

「社会を恨んでいた」とか言って、無差別殺人をしたガキがいた。勇気ある犠牲者の方に、哀悼の意を捧げます。そのガキに言いたい。恨む前にもっと社会を知ったらどうだ。
朝っぱらから、泣きそうになったよ。

以下、全文無断転載


I Am That Girl

I am that girl.
That girl who ought to be silenced,
That girl they warn their sons not to marry,
That girl who chose education over marriage,
Yes, I am that girl.

They said the pen is mightier than the sword,
I took that as the commandment for my journey,
A journey to the world of the not-to-be-known,
A world hidden from anyone who can be called a woman.
They silenced and pushed me into a deep dark forest,
A forest with no knowledge of the world,
The knowledge that is not allowed to be touched by women.

“So, they say”,
They screamed these words at me,
“You can’t”, “you won’t”, “you shouldn’t”,
They surrounded my existence with walls that hid me from my enlightenment;
I cried, I screamed, I tried to break down the walls, but they were too strong for me,
I tried to jump over, but they threw me back in as an outcast.
Why was I not allowed to gain knowledge?
Who is he that determines my fate?
The only crime I committed was to be a woman.
The punishment was to be someone’s slave all my life.
Will I ever be that girl?
My soul was tormented.
I searched for a weapon –
Something so small but so big.
I found a pen.
It became my voice,
A voice so loud that it broke the walls around me,
A voice that brought them down onto their knees,
A voice that I share with my fellow women who are still imprisoned in a world surrounded by darkness.
Yes, I am that girl.

時間対効果

朝鮮半島の非核化だとか、日本にミサイルが飛んでこないことの検証には、かなりの時間がかかる気がする。

コスト対効果、という考え方があるけれども、最も短時間に効果を出すために「最善」ではないとしても、何をすれば「最短」でそれなりの結果/効果が得られるか、「時間対効果」という視点も時には必要かも知れない。(有限会社シグナリスは、慢性的にこの判断に陥っているけれども・・・)

北朝鮮にとって、最も短期間に経済的な支援を獲得する方策として有効な手段の一つに、「拉致問題」を解決することによって得られる日本からの支援があるんじゃないか、という気がする。無論、北朝鮮がそう思わないなら話は別だけれども。

今後の展開として、中長期的には、日本からの投資も受け入れて、日本企業が北朝鮮で経済活動を行うような場面もあり得る。一気にそういう展開になったんだろうか。ただ、そうなった時に、前回の「拉致被害者帰国」の際のように、人骨ではない骨を送ってくるようなことがもし今後あったなら、そもそもがビジネスを行うような「信頼関係」は成り立たない。日本側が「北朝鮮はそういう国だ」と思えば、何も前には進まない。「信頼関係」ほど大切なものはないような気がする。

そもそもが、「なぜ拉致事件が起きたか」などは、金正恩氏の責任ではなく、金日成氏、金正日氏の時代の話であって、金正恩氏には「私は、この事件が起きた点については、無関係だ」と言い切ることができる立場にあると、私は思う。だとしたら、日本が、今更「北朝鮮」という国家の「過去の歴史的な責任」を蒸し返さない前提で、今現在、北朝鮮側が把握し得る限りの情報を日本に提供し、帰国可能な日本人がいるならば帰国させる、という措置を取ったならば、一気に日朝関係は改善する可能性があると思う。より具体的には、日本からの外務省関係者の派遣を受け入れて、その日本人官僚派遣グループが納得できるように現地踏査に同行して、この方の死亡は確認されたが、この方は帰国できる、と、日本側が納得できるように「拉致問題」を完全解決して欲しいと思う。それが出来れば、かなり短期間での日本からの「緊急支援」は可能になるんじゃなかろうか。

一方で、真逆のシナリオがあるとも思う。歴史問題は、厄介だ。日韓基本条約は、なんだか存在しなかったことにされてしまっている気もする。条約なのに。北朝鮮も同じ立場を取るんだろうか。もし、この条約が存在しなかったという立場を取るならば、日本側の拉致被害者や関係者の方々にとっては悲痛な結末が待っている気もするが、同時に、日本から北朝鮮への支援など一切行われないということは、日本人の国民感情として理解してもらう必要はあると思う。

日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約

もし、北朝鮮がこのシナリオ(日本は、一切朝鮮半島に賠償をしていないという立場)を選択するのならば、少なくとも「非核化」がIAEAなどによって(過去の「失敗」も考慮しつつ)今度こそ完全に成されたと結論付けられ、日本が「今後は、北朝鮮からミサイルが飛んでくることはない」と、決定的に納得できるまでは、経済封鎖も解除されず、当然、(少なくとも、日本からの)経済支援なども成されない、という展開もあり得ると思う。それなったら、経済制裁の解除に最短でも数年、場合によっては10年とか、かかっても、納得してもらうしかない。

こう言っちゃなんだけれども、日本人は「バカ」です。オレオレ詐欺を見たらよくわかる。「困ってるんですよ、お願いです、助けてください」とか言われると、つい真に受けて、お金を出したりする。それは肉親に限った話ではなく、「騙されている」ことがわかっていても、生活に困窮しているならば、金を出してやろうという方々は、戦後も数多くいらっしゃった。それが日本人の血脈だと僕は思っている。僕がこの国を大好きな理由の一つ。トランプなんかには、きっと理解できないだろうな。

もう一つ、加えて書くならば、「有限会社シグナリス」が会社として成立できたのは、いわゆる「在日」の方の企業から仕事をいただいたおかげだと、自覚している。仕事を通じての「結果」を僕は出せなかった。その方、その会社には、本当に申し訳ないと思う。その方、その会社に直接的にお返しはできないかもしれないけれども、日本に住む「在日」の方には、広い意味で恩返しができるならば、したい。何よりも、日朝関係がお互いの「信頼」に基づいたものになること、だけは、心から願う。

メンタル的には、極めて弱い私。当時は、盗聴・盗撮にも結構悩まされて、滅入っていた。逃げ場ばかりを探していた。高校受験(東京学芸大学附属高等学校の外部受験)に願掛けして、合格できたお礼で「高麗神社」への参拝を欠かさなくなった、あたりが、妙に公安関係の疑いの目を引き込んだ、なんてこともあったんだろうか。だって、毎年何があったって高麗神社には行っていたから。何が悪かったのか、僕にはわからない。いずれにせよ、盗聴・盗撮に苦しめられた頃は、仕事に集中するコンディションを作るのに、いつも四苦八苦していた。逃げてばかり。酒、ゲーム。

で、今はと言えば、実は4月の半ばから、肺炎を起こしていた気がする。専門学校の学生に、「授業でわからなかったことがあったら、自由に書いて」と言って毎回の授業でコメントもらっていた、その欄に、二週連続で「お大事に」とか「無理しないでください」とか書かれてしまった。(ありがとう。涙が出るくらい嬉しかったです。)それくらい、慢性的にひどい咳が止まらなかった。松尾くんが5月の連休中に会社に来てくれた時も、「咳が尋常じゃない」とか言われた。で、この「肺炎」の原因は、タバコじゃないです。

実は、自分だけ寝室を別の部屋に移した。両親が使っていた部屋に、一人だけねぐらを移した。それが4月の頭。ふだん換気していない、昔雨漏りがあった後、10年以上放置していたこともあって、かなりカビ臭く、しかも、私のスーツやらコートやらの「公的な」衣類のタンスでは、誰かが用意したこれでもかっていうくらいの「防虫剤」の匂いがあって、部屋中にカビと防虫剤の香りが充満していた、そんな部屋に、わざわざ、私だけ、寝床を移した。ところが、一ヶ月もそこで夜寝るようになってから、だんだんと咳がひどくなった。肺が痛くなった。5月の下旬にどんな感じだったかは、たぶん、専門学校の学生が目撃している。それで、風邪薬とか飲みながら、熱っぽいので風呂にも入らず、梅の実を採集するのに汗をかいて、汗疹の予防で薬を飲んだ後に、(もともとボーッとしていた頭が、さらに)ぼーっとして来て、三脚の足をきちんと確認せずに、落ちて、救急搬送される、なんていう事態に陥った。(情けない)

流石に、この肺の状態は自分でも何かおかしいと思って、ようやっと6月に入り、医者に診てもらった。胸部の直接レントゲン写真。お医者さんに「いつ肺がんになってもおかしくない」と言われた。っていうことは、一応は、肺ガンじゃなかったんだ、とまずは一安心。ちなみに、昨年の私の定期検診での肺の間接レントゲン写真は、かなりきれいだったから、タバコが原因なら、いきなりこんなに爛れるはずはなくて、これは、部屋のカビとかが原因の肺炎だと自己診断した。仕方なく、「家庭内家出」をやめて、しぶしぶ、嫁の隣の元々寝ていた部屋に戻ってから、一週間。
ネット通販で海外から買った抗生物質(ビクシリンのジェネリック?か、カンピシリン)と、L-カルボシステイン製剤が効いて来て、ようやっと、肺の炎症症状が収まりつつある。いざとなったら、ロキソニン(抗炎症効果を期待)も使おうかと思いつつも、なんとか二種類だけで、かなり体調が戻りつつある。今週一週間は、まだ肺炎のダメージが消えずに残りそうだけれども、今日はほぼ、8割方、復調しています。ようやっと、頭が働きつつあって、仕事になりそう。2ヶ月ほど、ロジックを組める感じでは頭が働かなかった。来週には、服薬も卒業したい。

親父が死んだ後、僕が今回の「家庭内家出」で夜眠った部屋で、お袋は親父の死後2年後に、肺ガンで死んだ。これほどのヘビースモーカーの私が、肺がんにはなっていないのに、潔癖症で、私を毛嫌いしていたお袋が、肺ガン、っていうのは、皮肉だと思ったけれども、今回よくわかった。親父とお袋の寝室は、今カビがひどい。僕ですら体調を崩した。親父が亡くなって、気力を無くしたお袋が、ろくに換気もせずにこの部屋にいたなら、体調を壊すのは当然、という気もした。とりあえず、タバコが原因じゃないと体感できて、一安心。

今回は、僕自身激しく体調を壊したし、それでなくても多くの方々に、ご迷惑をかけながら生きている。コンディションさえよければ、僕を活用してもらったら、結構結果を出せるような気がするのに、と思いながら、なんだかなぁ・・・頭数としてしか期待されていないような気もする。でも、頭数でもいい、自分にできることは、しっかりとやり遂げたい。

「有限会社シグナリス」が会社として成立できたのは、とある「在日」の方の会社のおかげです。少なくとも、僕はその恩は忘れたくない。

「直接的な責任」を持たない相手に、昔の話を蒸し返して、ゴチャゴチャ言い合うのは、やめませんか?「拉致」があったとしても、それを命じたのが金正恩氏でないならば、金正恩氏を責める事はできないと思う。

冷麺の本場は盛岡!

僕の断筆宣言は、禁煙宣言に限りなく似て・・・(いや、禁煙なんて、今やもう・・・)

トランプ大統領が何か言ったらしい。
北朝鮮への経済支援は日中韓の役割?トランプ大統領が示唆=韓国ネット「ほとんどが韓国負担になるだろう」「そもそもビジネスマンのトランプが…」

その韓国。

韓国全経連、日本自民党に「韓日通貨スワップ」再開を建議

このニュースは一体何?韓国は、継続的に北朝鮮を支援する心算らしい。ということは、日本が「韓日通貨スワップ」などを再開したら、それは自動的に北朝鮮を支援することになる。

と思っていたら、これ。

「日本は疎外、孤立」「拉致解決済み」…北が牽制、韓国も「北を疑うな」

この辺のニュースを足して3で割ると、どうなるんだろう。
(平均するなよ^^;;)

拉致日本人に関して、日本側にとって納得のいく答えが出なければ、通貨スワップの再開なんて、あり得ないだろうな。逆の言い方もできる。拉致日本人が帰ってくるならば、トランプのいうこともあながち的外れではないかも知れない。どっちに転ぶか、わからん。

冷やし中華の恋しい季節になった。コンビニで、つい食指が伸びそう。すき家のキムチ牛丼もいいけど、コンビニの冷やし中華は捨てがたい。そうなんだけど、コンビニで冷麺って滅多に見かけないんだよなぁ・・・

冷麺の本場は盛岡!それ以外の冷麺は要らないかもね。だからコンビニにないのか。いや、冷やし中華があれば十分。中国に「冷やし中華」ってあるんかなぁ・・・あったとしても、コンビニの冷やし中華で僕には十分。

どうでもいいけど、今日1日で、左手の痛みが、だいぶ取れて来ました。この感じでいくと、痺れもあと三日くらいで取れるかなぁ。希望的観測。

親父もなぁ、中学校の教員だった時、授業中に盲腸が破裂して、すぐに生徒に「自習課題」と「宿題」を出してから、校長室に行って病院に行く旨を伝えて、自分で車を運転して病院に駆け込み、破裂した盲腸の始末をしてもらったらしい。馬鹿みたいに痛みに鈍感なのは親父譲りか。単に慣れただけなのか、痛みそのものが取れたのか、自分でもよくわからないあたりが、親父譲りのバカかも知れない。

ガチガチと仕事して、ただ冷麺を食うだけのために盛岡まで日帰り旅行、なんてことが、気楽に出来る程度に、稼ぎたいもんだね。

事故の顛末

救急搬送で、しかもドクターヘリで川越の埼玉医大まで運んでいただくという状況に陥ってしまい、昨日(6月3日の日曜日)は地区の「河川清掃」の際に、近隣の皆様に「ご心配」いただくという状況になりましたので、改めて、自分で報告させていただきます。

6月2日(土曜日)夕方、梅の実を採集していた際に、三脚から落ちました。より厳密に言うと、三脚の支柱が、三点支持の形で角度が取れない狭い場所で、ちょっと不安定だったのだけれども「大丈夫だろう」程度のつもりで三脚に上って作業している時に、バランスを崩して三脚が倒れた、と言う事故です。木に上っていたのなら、たぶん、そもそもが不安定な状態なので、両足と片手のどちらかではバランスを取って、結構筋力を使いながら作業をしていたと思うので、落ちたりするほど、まだ年は取っていなかったと思う。三脚で、普通に「乗っているだけ」と言う感じだったのと、あまり「足場」に神経を使っていなかったのと、だいぶ汗をかいて、去年「汗疹」で散々懲りたこともあって、レスタミンを3錠飲んでいた、というのが、おそらくは決定的だったように思う。
レスタミンの「注意書き」には「服用後は、乗物または機械の操作をしないでください」と書いてあった。実際、頭がぼーっとしていたということはあると思う。

三脚が倒れて、落ちる際のほんの1秒程度か、何が起きているのか、全くわからなかった。(これが自動車だったら、急ブレーキなどは間に合わないと思った。)落ちる直前、運良く、お隣のSさんが犬の散歩で、我が家の前を通りかかっていた。たぶん、落ちて十秒もしないうちに、Sさんが「大丈夫ですか?」と駆け寄って来て、声をかけてくれた。顔から落ちて頭を打っていて、何が起きたのか、Sさんに声をかけられて、「あ、落ちたんだ」と気づいた。意識は飛んでいなかったとは思うけれど、(ずっと、意識は清明でしたが)状況把握は出来ていなかった。ところが、起き上がろうとしたら、足の感覚がない。足を動かそうとしても足がどこにあるのかわからない。どうやら、右足が南天の枝と三脚の隙間に挟まって、捻れていたようで、ある意味上の方で足が引っ掛かって、体重全ての直撃落下が避けられたみたい。Sさんが、ちょっと待って下さい、と右足を抜いてくれた。足の感覚が全くなかったので、「すみませんが、救急車を呼んでもらえますか」とSさんにお願いした。顔から血が出ていたので、Sさんは、ご自宅にタオルを取りに行ってくれて、そのまま救急に連絡を入れてくれた。僕は、足を抜こうと、立ち上がろうと試みていたけれども、どうにも足がよくわからない。(足を抜いてもらったのがどのタイミングか、覚えていない)足を抜いてもらった後、僕が庭で喫煙する際によく使っている「椅子」を近くに持って来てくれて、「座って待っててください」と言ってくれたのだけれども、立てない。
ただ、30秒から1分くらい、もがいていたような気がするけれども、そうこうしているうちに、ぼんやりと足の感覚が戻って、かなり危なっかしい感じではあるけれども、何とか立ち上がれた。最初「あ、やっちまった」と思ったのだけれど、「立てた」「歩けた」で、とにかくホッとした。ホッとしたけれども、救急には連絡をしてもらっていて、前述のような大騒動になった次第。
携帯電話は持っていた。ただ財布を持っていなかったので、救急が来る間に母屋に財布を取りに入った。伝い歩きではあるけれども、歩けた。

Sさんに寄せて来てもらったイスに座って、そのまま待った。
改めて思うけれども、顔面強打、後で見たら左足に打撲痕、結果から言えば、今左手にかなりの「痺れ」が残っていて、左肘から左の小指に向けて、時々痛みが走る。ただ、こうしてキーボードを叩いていても、支障はない程度に仕事はできる感じではある。ただ、その直後は、まだ全身が変な感じで、イスに座った後はとにかく待とうという感じで、ボーッとしていた。

その後は、救急搬送での救急車の中での救急の方の会話から「え?ドクターヘリ?」と思った。小川日赤あたりかと思っていたのだけれども、一度は僕も想定した「最悪の事態」を、救急の方にも想定していただいたんだろう。落ちて1時間も経たない間に、川越の埼玉医大の救急に着いていた。ドクターヘリでそばにいた方に、「もう今、川越ですか?あっという間ですね」と話しかけたら、「空は渋滞がありませんから」とのご返事。埼玉県の救急体制に、がっつりとお世話になりました。川越の埼玉医大でMRI検査までしていただいて、結局入院せずに、午後9時過ぎかな、自分で歩いて病院を出ました。嫁には連絡が取れず(土曜日は、携帯を忘れたらしい)、弟が迎えに来てくれた。

元々が「脊柱管狭窄症」というか、いわゆる「頚椎ヘルニア」持ち。埼玉医大の救急のDrが、頚椎の狭窄状況を診てくださったけれども、「事故」の影響以前に元々あった狭窄から、今回の事故で何か影響があって「左手の痺れ」の症状になっていると判断するのが妥当か、というご判断をいただいた。「歩けた」時点で「最悪の事態」が回避できたことはわかったのだけれども、とにかく落ちた直後、足の感覚が全くなかったので、ずっと不安はあった。「後になって何か出て来るかもしれない」ということもあり得ると思うので、今後1ヶ月くらいは念のため、首に固定具をつけておこうとも思っている。(見てくれの良し悪しの問題じゃない。それに、顔面に結構傷跡が残っているから、首に何かがあってもなくても、人相の悪さに大差なし。)埼玉医大のDrが、小川日赤への「紹介状」を書いてくれて、しかも、MRIのデータのDVDも持たせて下さった。深謝いたします。これを機に、(割と、どーでも良いや程度の投げやりな態度で付き合ってきた)首の脊柱管狭窄症とも、きちんと向き合った方がいいかな、と思い直しています。いや、本気で「足が動かなくなったらどうしよう」と考えるきっかけには、なった。

今回は、Sさん始め、小川救急の皆さま、埼玉医大の皆さまに、大変お世話になりました。
「30秒から数分で足の感覚が戻った」という経緯、もしかしたらだけれども、これも見えないどなたかにお世話になってしまったかも知れない、という気はする。それ以前に、落ちた際に直撃落下にならないような、右足が上に絡まった状態で頭部へのGがかなり緩和されていたのも、どなたかのお陰かも。親父がとても大切にしていた南天の木や梅の木だからなぁ・・・1m50cm程度の高さ、だけども、直撃していたら10G位は楽に頭にかかるから、間違いなく脳震盪を起こしていた。落ちたその時、ちょうど犬の散歩でSさんが我が家の前を通りかかっていた。なんという偶然。さらに言えば、松の枝とか、無造作に作業していると結構体に刺さっても不思議ではない枝が出ていた空間なのに、目に枝が刺さる訳でもなく、不幸中の幸いだらけで、この事故そのものに「どなたかのお陰」があったような気がする。ただ感謝。

余談ながら、会社のWEBページに私が出している私の家の住所を、Googleで入力すると、ストリートビューで表示されるのは私の家ではなく、お隣のSさんのお宅になります。えぇと、テロリストの方、私を襲うつもりでgoogleのストリートビューの表示を安易に信じると、そこは私の家ではなくてSさんのお宅なので、気をつけましょう。

お袋が家の中で動けなくなっていたのに気づいてくれたのは、2軒隣のIさんのおばあちゃんで、Iさんのおばあちゃんが「おかしい」ということでSさんのお宅のおばあちゃんと相談し、Sさんに救急を手配してもらったお陰で、お袋は救急搬送され「孤独死」は免れた。結局末期ガンがわかって、亡くなる2ヶ月前のことだったけれども、親子二代にわたって、Sさんに救急通報していただいてしまって、本当に大きな借りが出来た気がする。感謝に絶えません。

直接の原因になった気がするのは、「レスタミン」3錠か。頭がボーッとしていて、通常の反射神経とか判断能力とかが(三脚の足の固定を確認する部分も含めて)欠けていたのが最大の反省点。左手に痺れが残った程度で済んだのは、本当に幸運だった。車の運転だったら、他人を巻き込んでいたかも知れない。

ただ、それ以前に、そもそもが「もう、思い残すことがない」なんてことを書いたりもしていた。実際に、アグレッシブな、というかポジティブな「自分はこれをするんだ」という原動力みたいなものが、消滅しつつある「自分」というのが、最大の原因かなぁ・・・
こうして、一応は日常生活ができる程度の状況は保てている。30年来、左耳は全く聞こえない。左肘から小指にかけて、今かなりの「痺れ」が残っているけれども、こうしてWEBページを更新したり、プログラムを書くのには支障がない。今使える自分の肉体の「命」を、もっと大切にして、何が出来るか、もう一度丁寧に考え直すには、いい機会かな、という気もする。

心の勉強会。こういう状況で、かつて師匠からいただいたアドバイスは、「何をするか」ではなくて「自分はどうあるべきか」を常に考え続けなさい、だったかな。自分の言動の結果が、どれほど優れたものであったとしても、そこに至る自分の「心のあり様」次第では、上から見ていて、決して評価するに値しない場合だってある、と理解している。
「誰かのために生きる」なんて、おこがましい。何よりもまず、自分の心を汚さない様に。まず「自分を大切に」生きろ、と、理解する。その結果が、直接あるいは間接的に、自分の周囲の方にも、少なくてもマイナスな存在ではない様に、自分の在り方を考えたい。

いずれにせよ、しばらくは「言葉を発する」ことはやめて、丁寧に過去を振り返って、今現在や、これからの「自分の在り方」みたいなものをしっかりと考えていきます。

と、同時に、遅れまくっている仕事、自分にとってどんな意味があるのか、周囲との関わり方も含めて真摯に見つめ直して、きちんとした仕事の結果を出せる様に、自己管理に気をつけます。

ご心配いただいた皆さま、あるいは、助けていただいた多くの皆さま、本当に、ありがとうございました。

真実とか・・・

師匠の講演会で、「映画は、人の心の動きを学ぶのには、最適の教材だよ」みたいな話もあって、単細胞な私は、ここのところ、ツタヤのレンタルは音楽CDではなくて、映画なんかのDVDにはまっている。

色々と見てはいるけれども、ね、「真実」が上に筒抜けになっている、という前提では、成り立たない映画が大半だな。「嘘」なんて、上で笑って見てるよ。で、ご本人はバレてないつもりで上に戻ってからも、同じ「自己主張」を続けたりすると、呆れられて、誰からも相手にされななくなる。しかも、そうした「嘘」の原因は、大半が物欲、色欲、名誉欲、などなどだから、戻りたかった世界で相手にされなくて、他にはどこにも行くところがなくて、仕方なく向かった地獄(欲望全開)で長逗留して、仮に運良く何かのきっかけで「自分は間違っているかも」と気づいたとして、垢を落としきって上に戻った頃には、意識体としての「正味」がスカスカになっていて、元いた場所にはもう、戻れない。あぁ、落ちた、ってなパターンか。

やっぱりね、人間の実体は「意識体」で、今現在こうして肉体を持っている数十億の地球系人類の他に、霊体として存在して、(地獄にいたり、この世界に浮遊霊としてとどまっている方々は除外して)上に戻っている数百億の意識体から、見られているということを、知っておいても、損はないんじゃないかな、という気はする。

だいたいそもそも、嘘ついて、いい思いしたって、せいぜいその有効期限は肉体を持っている間だから、僕と同様にジジイと呼ばれる世代の方なら、せいぜいが数十年でしょ?ところが、その数十年の快楽のために、過去、何億年と積み重ねてきた進化するために積み上げたステップが、一気に数段階落ちることになる。人間の実態は、「霊体」だって、知っておいて、損はない知識だと思うんだけどなぁ。そもそもが、総理大臣とか、大統領とか、そんな「経験」を積めること自体が、極めて限られたチャンスになる。有意義に上の思いに沿って結果を出せれば、これでようやっと一階級昇級なんて感じなんだろうけれども、やることが派手だから、3階級くらい下に落ちてやり直せ、っていう話題が多すぎる。しつこいくらい書いているかも知れないけれども、中間指導層の壊滅的な崩落現象。

いや、否定したって構わない。だけれども、普通の倫理観で言ったなら、アメリカだって、日本だって、パプアニューギニアだって、嘘をついていいなんていう「文化」はないと思う。(アメリカや、ニューギニアに関して言えば、アモール様、イエス・キリストの功績かも知れないし、日本の場合には、多くの先人が執拗に言葉を伝えられて来た。日本の場合には、その成果かも。)でも、平気で嘘をつくバカが、何人もいる。わかっていないのか、それほどに、現世的な欲、ってのは、美味しいのかなぁ。あのバカ、今後10億年くらいは、人の上に立つ立場では、肉体を持てないだろうな。

いや、ニュースを見聞きしているほとんどの日本人が感じているのと、同じことを、上の方々も、つまり、どなたかが上に戻った時に帰りたい場所にいらっしゃる方々も、知ってはいる。しかも、心、すなわち「意識」がどうだったか、というレベルで、見ることのできる方々だから。こうして、肉体を持っていれば、「俺の支払った税金が、どうだ、こうだ」という議論になるけれども、上の方々の視点で言えば、「あぁ、あ」としか言いようがない。

素直であれ、正直であれ、っていうのは、イエス様も、ムハンマド様も、あれほどの方々にとっても、伝えようとして伝えても、結果的に誰も従っていなかったりする、どうしようもなかったことだから、私ごときにどうこうできるとは思えないけれども、無駄な空砲を打ちまくる僕の気質をご存知だったどなたかの人選なのか、それとも、師匠の追っかけを自認する私が、鉄砲玉のごとく、後先考えずに肉体を持ってしまった結果なのか、よくわからないけれども、言いたいことは、きっちりいうぞ、書くぞ、と思って書いた。

いや、書く。人を殺すのは、やめようよ。人のものを奪うのは、やめようよ。嘘をつくのはやめようよ。誰かを傷つけるのは、やめようよ。なんてね。意味ねぇなぁ。だって、イエスや、ムハンマドすら、必死で伝えられて、結果が出せなかったことを、俺ごときが書いたって、結果出せるわけ、ないじゃん。あのへんの、泥棒だらけの国を、見てみろってば。安倍どこが恥ずかしいんだ?

なんかもう、バカらしくなるようなニュースが、多すぎませんか?みなさん、安倍総理を見習わなくても良いから、宮川くんは見習おう。僕は、そう思った。若い人に期待するしかない。お願いだから、僕の言葉じゃなくて、師匠の言葉として、僕が伝えている言葉には、耳を傾けて欲しい。

各論

各論を書くのって、難しい。
ってか、おやじギャクのキレが悪い・・・「各論を、書くのって・・・」ダメだな、こりゃ。シャレになってない。

嘘をついた方々は、どなたも追い詰められているみたいで、往生際が悪いなぁ。なんだか、どのニュースも見苦しいというか、聞き苦しいというか。いつまで続くんだろう。日大は完全に自爆している気がする。
安倍総理も、もうあと一つか二つの新事実で、完全に自爆状態じゃなかろうか。
米朝会談までは、持ちこたえてほしいものだと思うが。シームレスな外交を切に祈る。

昨日のいわゆる「閻魔様」の話。例えの書き方が悪いなぁ・・・とんでもない誤解を招きそうな例えを書いた気がした。エネルギーレベルの違う意識体どうしの話。エネルギーレベルの小さい波動は、エネルギーレベルの大きい波動に吸収されてしまうから、近づけないし、「次元」が異なれば物理的な状態の「自由度」が異なるはずだから、そもそも「住む世界が違う」ということになる。イワシとマグロはないよなぁ・・・。単に食いたかっただけじゃないのか?

なんだか、とっても残尿感のあるページの終わり方になってる。キレが悪い。だったら、消せばいいって、そうやって「明らかな間違い」でないのを消してしまうと、「一旦表に出してしまった言葉」を訂正する際に、かえって面倒なことになるから、むしろ残しておいて、そこから「誤解があった部分に修正をかける」方がやりやすい。そもそも、嘘は書いていないし、比喩の展開があまり適切ではなかっただけだから。
嘘の場合にはね、嘘を誤魔化すために嘘を展開すると、次第にとんでもない化け物が育つ。経験がない訳じゃないから、わかるけれども、生きる選択肢を狭めるだけだから、やめた方がいい。若い方々はね、是非、何らかの立場を持ってから嘘をつくとどうなるか、よく見ておいたらいいと思う。

相変わらず「いっちゃってる人」的な話題。さらりと自然体で話を流してもらえたらありがたいんだが・・・

師匠がよくおっしゃる。「なんでみんな、霊を怖がったりするの?一人残らず、中身は霊だよ。」いえ、霊を怖がっている訳ではなく、突然霊が現れました、突然物陰から人が現れました、たぶん、どっちも怖い。そういうものではないのかと・・・霊は確かにいます。怖がるのは変でしょ?皆さんも中身は霊です、と、この話はもう、10回以上聞いた気がする。さらりと、あ、いるなと、それでいいんじゃないか、と。

「あの世」とか、天国とか地獄とか、いつの間にかどちらも誇張されすぎて伝わっているような気がする。どちらかと言えば、いわゆる「天国」の方が退屈な世界だという気はする。誰も「汚れ」がないし、見られて困るような心は持たないし、ある意味で裏も表もない。「意識を向ける」「意識をそらす」ということはあるように理解しているけれども、意識を向けて、相手がこちらに意識を向ければ、意思疎通はストレートだから、飾りはない。

天国ってのは「退屈」な場所だろうなと思う。「刺激」というのがないから。天国が退屈だという方にとっては、地獄はとても楽しい場所かも知れない。この世でこだわっていたモノゴトに、肉体を抜けてもこだわり続けている。それが意識の中で具現化されてくるから、いわゆる「血の池地獄」のような世界もあるし、ひたすら奪い合う世界もある。でも、本人たちはたぶん、熱中してやっているんだろうなぁ。
肉体を持って知覚できるこの世界は、刺激に満ちている。ここで「欲」の使い方を間違えると、とんでもないことになる、というのも、勉強会のメインテーマの一つで・・・。

私の立場で強調したいことは、たった一つ。医学的知識が、白人にも黒人にも、我々黄色人種にも、同じように当てはまるように、「霊」に関する現象も、生まれる前、死んだ後の世界も、自然科学的に「当たり前の自然現象」として存在している、と、それを示したかった。(できてないけれど。)「超常現象」とかいう言い方はおかしい。知覚できない人が多すぎるから、「いっちゃった人」の話になるか、でなければ、「宗教」にされてしまうか、どちらかなんだろうけれども、そうではない、いずれは自然科学の教科書で、「霊が知覚できない人」向けに「こうなっています」というのを教わるような、そうした話題に過ぎないと思う。
言わせてもらえば、波動方程式やらマックスウェルの方程式を解いて、量子力学的な世界の説明を出来る人など限られていると思うけれども、「素粒子が存在する」ことを疑う人はほとんどいない。そこが「自然科学」の「常識」に与えられた「世間の評価」だと私は思う。

一方で、神、天国、地獄などの単語は、宗教によって全く異なる説明が与えられている。師匠の講演会はそれらを再構築したものではなくて、上位の意識体から送られたものを、私たちが理解できるように伝えてくれているから、「改めて、神、天国、地獄の説明をし直している」と、私には感じられた。私は「無宗教」の人間だから、こだわりがないだけの話で、これも30年来同じことを主張し続けているけれども、私は「無宗教」だが「無神論者」ではない。このフレーズも、もう何十回となく書いた。最初に書いたのは、たぶん1991年か1992年だと思う。だから逆に、すんなりと受け入れられる。
別に、既存の宗教に対してどうこうというつもりはない。少なくとも、否定するのは私の役割ではないから、「こういう違いはある」という書き方はするけれども、それ以上のことは書かない。そもそもが、「既存の宗教」では全く説明のできていなかった部分が、相当に合理的に、繋がっている、繋げられるように、説明を書いたつもりだ。生まれる前と、死んだ後の世界は同じ。師匠の講演内容の説明は、もっと細かい。
この部分が、いずれきちんと「客観的なメカニズム」として受け入れられたなら、「生きていることの意味」がかなりはっきりしてくるのではないかな、と思われた。

最近、結構若い方々でも、僕のこのシリーズを読んでくださっている方が増えているような気がする。この「師匠の受け売り」シリーズ。しかも、海外でもね。しっかりと書かねばと思う。
不思議だなぁ、インターネット。

イスラム教や、カトリックを信じている方、ご自身の信仰を継続されても、問題はないと僕は考える。そんな中で、もし「なぜ人は生きているのか」とか、「なぜ不平等が存在するのか」など、きちんと答えてもらえていない問いがあるならば、師匠に投げると全部、各論レベルで細かい答えが返ってくる。
「なぜ人は生きているのか」は「なぜ人は肉体を持つのか」と読み変えます。肉体を持たなくたって、霊体としてはすでに「永遠の命」を持っていて、一時的に肉体を持っているだけだから。なぜ肉体を持つのか。エネルギーレベルの異なる様々な人たちの混在する世界を経験して、「考え方」の「視野」を広げ、そうすることで自分自身のエネルギーレベルを上げることが出来る。そのために、肉体を持っている。
その肉体を持つ際の課題が、人によって千差万別だから、条件だって様々。貧乏だとか、能力の有無だとか、そうした条件そのものが課題の一部だというケースがほとんど全てだと私は理解している。

イエスも、ムハンマドも、そもそも最初から、現在の師匠のように「生き方」や「人は霊である」ことを教え、伝えられた、と師匠から聞いている。それを「伝え続けた」方々が、いつの間にか「宗教組織」を作り上げてしまった。「国家」にまで組み込まれてしまった。
神も、天国も地獄も、知覚的ない人が圧倒的多数だから、「こうです」と言われたら「あぁ、そうですか」としか言いようがない。師匠のお話は、十分に「万人に理解できるもの」だけれども、それを私なりに、チンドン屋の流儀で書いているだけ。

話を「盛って」いないか?って言われると、そこはね。はい、盛ってます。でも、どこをどのように、どの程度というのは、書きません。これも、師匠にはバレてる。上にもバレてる。っていうよりも、僕は、上にそそのかされた気がする。実際には私がやったことではないことも、一部をさも、私がやったように書いている。だから、しつこいようだけれども、「どこをどのように」というのは、書きません。細かいことを言えば、他にも色々とあるけれども、でもね。上には全て意識を晒した上でやっていることだから、「嘘」だとは思っていません。「脚色」だとは思っています。(師匠のお話には、その「脚色」すらない。)

「嘘をついて」一番困るのは本人だから。それはたぶん、肉体を抜けた後で気づく。基本的には、つきたくない。

話が飛んで、中国が主張する「領海」を、米軍の艦船が通過したらしい。「航行の自由作戦」か。
国境なんてものは、いらないでしょ?というのが、上の意識だそうで・・・「そりゃまぁ、そうだ」という程度のご理解をいただければありがたい。でも、現実問題としては、それは難しい。

そこで、わたしら如きが「色」をつけて、あれこれと考え方を当てはめて説明しようとすると、きっといつか、それがとんでもない「間違い」の元になるんだろうと思う。この辺なんて、もっとも書きたいところの一つだけれども、書いたが最後、とてつもない「罪」を犯すことになる領域の一つでもあるような気がする。
そうとなれば、もう「原則論」を繰り返すしかない。「国境なんてものは、いらないでしょ?」僕ら、青年海外協力隊OBの立場だと、それなりに「こじつけ」はできるけれども、いずれ、インターネットなんてものが「国境」を無価値化してくるのを待つしかないだろうな、とも思う。

ICTがこのまま発展を続けると、いずれかのフェーズで「国境」が障害になってくる。もし、わたしに何かできることがあるとしたなら、「国境」が「障害」となるような、新しい概念やサービスを提唱すること、だろうか。一切、「神」とかいう概念を持ち出さずに。

閻魔様の話は、明らかに「書き損じ」た。でも、いずれ、修正する必要があるならば、修正するために残す。
終わる。以上。(今、仕事がもう、グダグダで、当面は書きません。)

閻魔様

いないってば。そんな人。閻魔大王なんて信じてるのは、日本とあとは中国?
似たようなストーリーってのはあるのかなぁ。キリスト教圏では、「最後の審判」でってな話か?どなたかが「全ての真実を知っている」という前提で、裁きを下す方を想定したんだろうか。イスラム圏の場合には、やはり、アッラーだろうか。えぇと、アッラーの神様、ちょっとした嘘をついたとかついていないとか、そんな細かいところに首を突っ込んでいらっしゃるのかどうか、僕は知らない。存じ上げない。

でも、もっと怖い話は、あるみたいで。

師匠の受け売り。我々が肉体を持っている間に経験した全ての事柄が、事細かに全て記録されている。「想念帯」という、それこそ我々が肉体に入った(受精卵レベルで)起点から、肉体を抜けた瞬間までの、ドライブレコーダーみたいなものが、僕ら自身(意識体)に付属して、存在している。人は、肉体を抜ける直前に、肉体を持っての記録として、ほんのわずかの時間に(40秒くらい、とか聞いたかなぁ)一生分の記録を再生して見る。意識の世界だから、言語表現も映像表現も、直接的に意識が拾うから、とてつもないスピードで全編を再生する。余談ながら、「想念帯とは何か」について、僕に突っ込まれても、そんなには正確には師匠の講演内容を再生できません。結構、講演中も寝てますから。この辺の話が好きな会員さんとかなら、かなり正確に説明できると思うので、詳細の解説は私以外の、師匠のフォロワーにお願いします。

個人的な、無理無理の解釈。DNAの二重螺旋には、凄まじい密度で遺伝子情報が畳み込まれる。三次元空間内で、一次元的な表現が畳み込まれる二重螺旋。ソリトンみたいな、「波動粒子」みたいな構造が、畳み込まれるのかなぁ・・・。そもそも説明が無理だと思うので、もう「自然科学的な解釈」はギブアップしたい。
200年前の誰かにドライブレコーダを見せて、説明しようとしても無理だと思う。いや、言わせてもらえれば、ドライブレコーダで使われている、固体ディスクの動作原理を説明できる現代人が、一体何パーセントいるのか。俺はできるぞ!あんたはどうだ、って、何を威張っているんだか。説明できないなら、それでも現代人か、っていう理屈は通じているんですよね?「想念帯」なんて、そんなのマヤカシだ、嘘八百だ、って、それを2000年後の最先端の知識を持っている方に主張してみたらどうだろうか。いや、その時の「最先端の知識」も、我々現代人の延長のはずだけれども・・・(何を言いたいのか、訳が分からなくなってきた。毎度のこととして)あなたに説明できないから、じゃぁ、ドライブレコーダなんてインチキだと言えるか、それと同じくらいに、想念帯だって存在するんだ、って、喧嘩するには、無理があるか。理解できない範囲を理解できた例えで説明するのは、無理だ。

話を戻して、誰も他人を裁かない。神ですら、裁かない。神の場合にはただ、見守るか諦めて全てを消し去るか、どちらかだと理解する。裁く、という概念を導入しなければ、ヒトは自分を律しえないとお考えになったどなたかが、「裁き」という概念を持ち込んだんだろうなぁ。その文脈で師匠の講演内容を解釈するなら、自分を裁くのは自分でしかない。

意識体の世界は、心がそのまま相手に見えている世界。お互いにそうした状況で、お互いに存在を認め合っている世界。だから、複雑な思考を理解できる人とできない人とでは、住む世界が異なる。言葉でお互いを理解し合うのがこの世界。概念が通じるかどうかで限界はあっても、少なくともお互いの存在は確認できる。この肉体の世界での意思疎通では言葉が全てだけれども、意識体の世界では、「心」=「思い」=「意識」がすべて、ということになる。

もともと、同じ世界にいた仲間たちのところに帰ります。「肉体経験が終わった。」あれですよね、西城秀樹さん、本当にお疲れ様。そしてありがとう。多くの人にそう思ってもらえたなら、安心して元いた世界に戻ろうとする。さて、想念帯(ドライブレコーダ)の記録は、自分なりに全部再生チェックをするから、自分自身で嘘をついていたことを忘れていても、肉体を抜けた後「意識体100%」になったら、もう全てを自覚せざるを得ない。嘘を言葉で伝えて誤魔化せるのは、肉体の世界だけ。肉体を抜けたら、もう誤魔化せない。さて、嘘をつきました、そのまま「あの嘘は、仕方なかった」と自分は思い、周囲の意識体には、その後の結果までくくりついて見えている状態で、上に戻りました。周囲はどう思うか。心を全て晒し合う状態で共存していたところに、肉体を抜けてホヤホヤの人が戻ってきた。ご都合で、かなりはた迷惑な嘘をついてきたことすら、筒抜けになっている。肉体を持っていた時の癖で、ご本人は隠せると思っている。どうなるでしょうか?相手にされない。居場所がなくなる。どこに行こうか、似たような人たちがたくさんいるところ。それが俗にいわゆる「地獄」だろうか。(様々な描写方法ができると思う。すみませんね、群盲象を撫でるみたいな説明で。師匠の講演内容から必死で再構築しているんだけれども。文句があるなら、直接師匠の講演を聴きに来て下さい。)

要するに、裁かれていると感じるのは自分。結果的に判断を下す際に裁くのは自分。周囲は裁いてなんかいない。単に無視するだけ。(いじめじゃないのかって?濡れ衣ならいじめでも、根拠があるならいじめじゃ、ないんだろうな。わからんけど。)

ちょっと、考えてみて欲しい。この説明は、日本人には通じても、ニューギニアの一部の部族の方々には通じない説明かもしれないけれども・・・、それでも日本人には通じると思うから書く。一日中仕事して、泥まみれ、汗まみれ、冷や汗まみれ、垢まみれで家に帰りました。自分は、とにかく風呂に入って、泥も汗も、冷や汗も、垢も、綺麗に洗い流しました。あとは明日に備えて寝るだけ、っていう時に、泥まみれで帰って来た家族がいました。その家族が「ただ今、帰ったよー」と、その泥まみれ、埃まみれの格好で抱きついて来たら、逃げませんか?ちょっと待て、その埃を落としてこい、と思いませんか?その埃が嘘。
汚れが落ちていて綺麗なのが当然だと思っているから、汚れているくらい当然自分で気づいているだろうと思うから、わざわざ指摘しない。汚れている側は、シカトされたと思うんでしょうね。嘘以外にも「埃」とか「汚れ」の種類があるんだろうけれども。「油汚れ」に「皮脂」に「醤油」「血液」「ペンキ」あれやこれや、様々な汚れがあっても、汚れを落とした側から見たら、十把一絡げに「汚い人」。

やがて、「元いた世界には、すぐには、そのままでは戻れない」と自覚して、汚れを落とすために作られた世界に滞在する。その決断を下すのは誰かと言えば、自分でしかない。閻魔様なんかいません、結果的に、いわゆる「地獄」しか自分には行く場所がないという決断を下すのは、自分だというお話でした。あるいは、アッラーの神様は、ジーザスは、そんな細かいところにはいちいち口を出しません、というお話でした。大丈夫。アッラーを欺こうと思ったら、そもそもがそんな細かいことは気にされていないから、騙せます。
ただ、記録は残っているし、周囲は知っているし、それを全く悪いことだと思っていないなら誰からも相手にされないし、アッラー(アール・エル・ランティ様)が黙っていても、自分でそれにいつまで耐えられるか、ってな話だろうと思う。

いや、自分はこんな低次元ではない、もっと次元が高いはずだ、と確信して、無理やり上に上がろうとして、できるんだろうか。私にはわかりません。ただ、イワシの群れを離れてしまった、「一匹オオカミ」ならぬ「一匹イワシ」が、マグロの群れに「仲間に入れて下さい」って行って、近づいて行くみたいなもんなんだろうか。うまい例が見つからないけれども、マイクロバブルみたいな小さいシャボン玉が(おぉ、物理の話題だ)濃度的に、表面張力のレベルでも安定している大きなシャボン玉に近づいた時、何が起きるか、っていう話に近いかも知れない。(イメージできない方は、是非実験して見て下さい。)答えは、聞いているけど書きません。

自分を大切に思うなら、背伸びは厳禁。いや、上に戻れば、たぶんみんな思い出すはずなのに。

結局行く場所がなくて、落ち着けるのは、同じような汚れを身にまとった仲間のいる場所。「地獄」ともいうけれども、「自分がついている嘘が心地よくてたまらない」という方にとっては、たぶん「天国」だと思う。どうぞ、いつまでもいて下さい。もう、戻ってこなくていいから。(いま、自分は嘘をついているという自覚のない、どなたかへ。)

忘れるところだった。「虚栄心」が根っこにあって、ただただ、自分を大きく偉く見せたいがために嘘をつき続ける人の末路は、もう一つあった。僕は聞いているし、多くの会員の方が、師匠の同じ話題を聞いていて覚えていると思います。
そもそもが、師匠の講演会の話題は、直接師匠の講演を聴きに来てもらえればわかる話で、私には説明する義理はない。興味がある方は、ぜひ、会員に聞いて下さい。あ、あの方々には、別の結末もあったな、とふと思い出しただけ。

師匠の講演会、あの人がそうだったんだよ、という実在の人物が、講演内容のエピソードから抽出した「検索語」の与え方を工夫するだけで、Googleで特定して「個人名」が得られてしまうところがすごいな、と思った。(要するに、エピソードは嘘ではない、ということで。)ちなみに、その方は、もはや「人格霊」としては存在していません。地獄よりも怖い世界。だと聞いている。

でも、誰も我々を裁かない。閻魔大王なんていない。アッラーも、イエスも、僕らを裁かずにじっとご覧になってる。
何よりも、自分で自分を裁けるんだから、とっても安心できますね。よかったですね。よかったですね。本当によかったですね。以上

 

Contents Control

NHKラジオ番組で、フェイクニュース対策の話題を扱っていた。
Fact Checkをどう行うか。「正解」は出ていないものの、インターネットが世界的な技術として成熟する過程で、避けては通れない課題なんだろうと思う。

思えば自分は、「インターネット」の草創期から、まずはEthernet/Gateway、OSIなどを通じて関与することができた。世界が大きく動く現場を生きることが出来たのは、得難い体験だったと思う。

同時に、「主記憶2キロビットのミニコンピュータ」だとか、スーパーミニコンのVAX 11だとかを使う機会があり、コンピュータ技術がまだ、芽を出したばかりの頃から同時進行でビジネスに関与することが出来た。ここでも「世界が変わる」状況を、リアルタイムで経験できた。一生を通じて、目立った変化などない時代も、かつては多かったのに、これだけ一気に世界が小さくなる時代に生きることができたのは、やはり「幸運」だとしか思えない。

いつの頃からか、「いつか、僕自身がサポートするべき人に出会って、その人の存在や言葉を、全世界に発信する時が来る」みたいな漠然とした予感は持ち続けて、結局そこから離れることが出来ずに、ビジネスとか人生の選択肢を選んで来た。直感による選択だったと思う。

馬鹿だよな、と思う。出会うかどうかわからない「師匠」を思い浮かべ、できるかどうかわからない「世界への発信」なんて大それたことを考えるなんて。「師匠」のことなんか一切考えずに、インターネットやコンピュータにどっぷりと浸かり、ビジネスを展開していたなら、もしかしたらそれなりのIT起業家になって、今よりもよほど「恵まれた人生」を生きられたかもしれなかったのに。(本気でそう思っているかは、あえてコメントしません。)

話を戻して、インターネットもコンピュータも、起承転結の「起」がようやっと終わって、「承」に差し掛かった程度なんだろうか。

防衛省だったか、ようやっと「サイバー防衛」に本腰を入れたらしい。国立の研究機関なんかも含めて、あらゆる研究機関の総力を上げなかったら、防衛なんか出来ないと思う。数千万人のIT技術のプロ、そのうちもしかしたら何十万人という単位の「悪意を持った攻撃者」が世界にはいるかもしれない。ちょっとした「標的型メール」配信なんかも含めたら、たぶんそういう数字になると思う。対応が遅すぎる。

変化を先取りする、ということならば、Fact CheckなどのContents Controlの技術が欠かせなくなるだろうと思う。Fakeニュースを信じる人がいる。デマが拡散する。そのデマの拡散過程で、悪意のない記事が断片的に切り貼りされて、悪意のある使われ方をされてしまう場合がある。何の過誤もないのに「加害者」になってしまうリスクがある。ネット「いじめ」で炎上する。
これら、悪質なFakeや、悪意のある誹謗中傷、あるいはリベンジポルノのようなプライベート情報のリーク、などなど、Controlし、排除すべき「情報」をどう扱うか、「サイバー防衛」と同じくらい重要だという気がする。

Contents Controlという考え方は、諸刃の剣だとも思う。例えば、某国政府のように、特定のキーワードを検索できないようにする、という使い方は、社会の成熟には有害だと思える。「表現の自由」は重視されなければならないにしても、Fakeニュースの拡散や、誹謗中傷などは「犯罪行為」だという認識を持つ必要があるような気がする。「犯罪行為を行う自由」は、ありえないと思うのに、「表現の自由」がFakeニュースの拡散による「悪影響」より優先されるという理屈が、私にはよくわからない。議論は成熟しているんだろうか。

子供の「いじめ」という表現。「いじめ」という表現が軽すぎるから、本格的な対応が出来ない。少なくとも、サイバー空間での「いじめ」の対策が取れるように、「裏掲示板」監視オンブズマンのようなNPO組織の活動も、必要かも知れない。

コンピュータ技術やAI技術は、これは純粋にテクノロジーの問題。ただ、インターネットに関しては、Contentsをどう「管理」すべきか、少しでも早く取り組まないと手遅れになるような気もする。社会科学系の話題として、対応を考えるべきじゃないだろうか。

余談ながら、公的機関が「一次情報」として良質な行政情報を(即時公開できるものは、可能な限り即時で)公開する、という慣行が定着しなければ、Fact Checkもスムーズに進まず、Fakeが横行するような「世界の混乱」は避けられない、とも思えた。

 

習慣性アルコール中毒

TOKIOの山口さんだっただろうか。
「酒のせいにするな」という声があったけれども、あれも痛いニュースだった。僕も、この「習慣性アルコール中毒」に該当すると思う。もう40年近く、だろうな。ニューギニアにいた頃すら、そうだった。現地の人に”Em i man bilong spak.”(あいつは酒飲みだ)と言われていたし。任国がイスラム圏だったら、違った自分がいたかもしれないけれど、こういう「もし」は意味がない。

師匠の講演会。アルコールは厳禁だと何度となく言われている。理由はいくつかあると、頭では理解している。アルコールが入ると「意識体」そのものが麻痺してくる。脳だけではなく「意識体」そのものが影響を受ける。それに、お酒を飲んで「いい気分になる」その肉体的な快感を求める習慣というのが、良くない。肉体的なものや物質的なものに何らかの「重み」とか「依存性」を持ってしまえば、その分本来意識体が持てる「ヒトとして持つべきエネルギー」の部分が減って、結果的に肉体を抜けた時に軽くなる。(この辺、もしかしたらカトリックとかイスラムよりも師匠の求めていることは厳しいかも知れない。)人間関係を構築する上で、必要だと自分で判断するなら、仕方がない部分があるにしても、それでも「私はお酒を飲みませんから」と断れば済む話でしょう?ということもある。
じゃぁ、タバコはダメじゃないの?師匠も喫煙者だけれども、別にタバコを吸っても意識体そのものは全く影響を受けないし、師匠の場合には上位の意識体からの意識を受け取るのに、タバコは一向に支障がないのに対し、アルコールが入っていると、ほんのわずかでも上の意識が受け取れなくなる。らしい。なるほど、と、頭じゃ理解しているんだが・・・

師匠には、明らかにバレバレなんだけれども、そこはそれ、「あくまでも自分自身で、ダメなものはダメだと判断しなさい。それが出来ないなら、勝手に落ちなさい」という、師匠の講演の「総論」での基本中の基本の部分で、あーしろ、こーしろと命じられない分、かえって辛い気持ちはある。

最悪なのは、自分自身の「意識体」が麻痺していると、「魔が入る」ことがある、という理由だろうか。実は数日前に「やっちまった。」飲んでいるうちに、過去の辛い思い出のようなものばかりが吹き出してきて、凄まじくネガティブな気分に陥った。過去の様々な出来事での恨みつらみが(一度は消化したつもりだったことまで)吹き出しかけたあたりで、「あ、魔が入った」と自分でも気づけた。滅多にないことではあったけれど、今の心のどこかに魔を誘い込むタネがあったんだろう。
普通だったら、そこそこアルコールが入っていても、(量さえ間違えなければ)論理的にもミスのないプログラムだって書けるし、文章がくどくなる傾向は否めないものの、一応は筋の通った文章だって、書けているのに。あ、「魔が入った」と自分で気付けたというのは、どっちだろう。今までは魔が入っても、自力では気付けなかった?

40年来の習慣。浪人時代を抜けて大学に入った頃、とにかく何をやっても親とか誰かに「認めて」もらえたことがなかった。オール5の成績を取っても絶対に褒めない親で、努力をやめればうるさく責める。恋愛だってうまくいったことなど一度もない。早稲田の理工だったから十分だろうって、第一志望ではなかった。自分を責めてばっかりの中で、酒を覚えて、アルコールが入るとすごく楽になった。それ以来ずっとの習慣。何とかやめなきゃ、と思い始めたのは、師匠の講演会に通うようになってからだった。
頑として、日が上っている間、外が明るい間は飲まないというルールだけは守り続けている。自治会のお祭りとかでは、適当に周囲に合わせているが、それ以外は日中は飲まない。
ただ、夜になって一日分とか、過去の記憶が吹き出してくると、もう一人でいると耐えきれなくなる。

僕は、いわゆる「鬱陶しいやつ、くどいやつ、しつこい奴」で、何だか変だと思ったら、特に仕事の関係だと、うるさいくらい文句を言うタイプで、黙っていることが出来なかった。当然、人間関係はそんなに潤滑じゃなかった。50代になって、最初から「どうでもいい」と思えるようになって、ようやっと「文句を言う」と言う行動パターンが抜けた。それでも、人間関係は難しい。師匠の講演会で、「様々な人との人間関係を学ぶ、それは肉体を持たなきゃ出来ない経験だよ」と、それを理解していても、露骨な敵意を向けてくる人がいると、激しく痛い。過去に何人も、一緒にいるだけで、露骨な敵意を感じてしまって、苦痛なくらいの人と知り合った。本当は、今でも一つずつ思い出して消化しなけりゃならない記憶が、未だに痛みを伴って思い出される。(今やっておかないと、たぶん地獄に持ち込む。)仕事関係だと、結局はそういう職場には居られないんだけれども。

もう一つは、知り合って間もないうちに、やはり明からさまな敵意というか、拒絶を激しく投げて来た相手。何とか、自分をわかってもらいたい、などと、もがけばもがく程、おかしくなったりする。過去の人生を振り返って、いかに自分の「人間関係」の導入部分が下手くそだったか、かなり自分なりに理解はして来たつもり、だけれども・・・。そうこうするうちに、自分の中で頑丈なシャッターが降りてしまって、はっきり言えば、自力ではもう、どうにも出来ていない。条件反射的に、相手が何も言わなくても、相手が「拒絶の言葉」を投げて来るような感覚を持ってしまって、一緒にいるだけで苦痛を感じる相手がいる。こうなると、もうどうしようもないんだけれども、毎日顔を合わさざるをえない相手だったりすると、どうしていいのかわからなくなる。どうして、最初の3〜4年の「そういう言い方はやめてもらえませんか?」という、こちらのお願いに耳を傾けてくれなかったんだろうか。もう、どうしようもない。

かなり、過去の自分の生き方の「過誤」を見つけて来たつもり、なんだけれども(師匠から厳しく言われている。いわゆる「反省」で自分を責めてはいけない。自分を責めればエネルギーが小さくなる。そうではなく、自分のどこに間違いがあったか、それを気づかせてくれた相手に、感謝しなさい、と。それができれば、相手も自分も、責める思いがなくなる、と。)、頭じゃわかっちゃいるけど、自力ではどうしても、この壁が壊せない。自分を守るな、という理屈もわかるんだけれども・・・あぁ、言い訳だ。
これも、課題なんだろうなぁ。盗聴や盗撮にも、結局は勝てなかった。最後はメンタル的に潰れた。あの頃は、一日でウイスキー1瓶くらいは空にしていた。今はもう、仮に今も続いているとしても「気にしない」ことで、なんとかなってはいるけれど、「課題を克服」出来たとは思えない。
でも、シラフで満員電車に乗るのなんかも、嫌だ。怖い。逃げてるけど、無理な気がする。

僕の母親のように、ただひたすら無関心ということなら防壁を作ることもなかった。お互いにただいるだけの存在だったと思う。必要に応じて、普通に会話はできた。いい思い出もあまりないけれども、悪い思い出もあまりない。ただ、敵意を剥き出しにして来る、そこまでいかないにしても、歩み寄ろうとしても激しく拒絶して来る相手、いい加減に自分も叩かれ過ぎて、ブロックが下ろせなくなってしまった相手に、自分がどう変わったらいいのか、やはりわからない。やりきれない時の逃げ場は、40年来変わっていない気がする。あぁ、もう逃げっぱなし。だけど、「あなたって、僕が何を言っても否定して来るよね」って言ったら、間髪を入れずに「そんなことはない」とかいう返事を返す人だったりするから、逃げる以外に他に方法があったんだろうか。

師匠の講演会の話題。やはり、書き続けたいな。全世界に発信し続けたい。毎日のニュースを見たり聞いたりしていて、「これは絶対に書かねば」という話題は絶えない。ようやっと、総論は書けた。あとは「各論」だ。この「各論」が難しい。断片的な伝え方をすると、誤解を招く。だから緻密に伝え続けたい。伝わり方が間違っていると感じたら、修正をかけたい。それは出来る気がする。
幸いなことに、師匠は「肉体の脳」で理解できる言葉で講演をしてくれているから、「意識体」が麻痺していても、他の人の「脳」に訴えるように伝えることは、プログラマの、あるいは教員の自分の経験から、たぶん出来るとは思う。

だけど、こんなダメダメな自分が師匠の言葉を伝えていて、いいんだろうかという自戒の思いは、ないはずがない。破門されるのも、時間の問題か。

もう、思い残すことは何もないけれど・・・(いや、ここ数ヶ月、この意識がベースにあるから、魔が入りやすくなってる。頭じゃわかっているのに・・・)決して鬱状態ではないんだが・・・

よかった。明日は授業がある。

ジェンダー

ちょっと、仕事に疲れた。
気分転換という訳ではないけれども・・・
これまで、「世間のウケ」があまりよくない話題は、避けてきたけれど、一応は書いておこうかと思った。師匠の受け売りの話題です。

基本的に、私たち人間は、何度でも人間として肉体を持つ。その過程で、特に肉体に入る際には何度となく「霊体」の世界とほんの数ミリメートルの受精卵の間を行ったり来たりしてエネルギー体を受精卵に押し込め、さらに「白紙」の状態の脳に基本的な制御を委ねるから、ある意味で「意識の不連続」が生じるのは、ほとんどの場合のようで・・・。前世を覚えていた子供が、世界では何人も話題になっているらしいから、稀ではあるけれども「意識の連続」は説明できるんだろうか。

私自身は、漠然とではあったけれど、自分が今回の課題として、何をするつもりだったか、必死で考え続けた。raison d’êtreなんていう言葉が消えなかった。二十歳代からずっと。重かったけれども、ようやっとこの歳になって、スッキリした。

ほぼ100%の方が、肉体を持つ前には「何をやるつもりか」決めてきているらしい。ただ、その内容はレベルによって異なる。だから、「肉体を持つこと」そのものを目的にしているレベルの方々も少なからずいる。それでも、それはそれで立派な「目的」だと思う。

ヒトの生命体は、最初4次元空間のエネルギー体として創造される。経験を積んでいくに従って、最終的には8次元にまで上がる。日本では空海とか聖徳太子、イスラム教を伝えたムハンマド、リンカーン、などなどの方々は、ヒトとして最も進化したレベルの8次元の方々。このレベルの方々になると、もはや「男」とか「女」とかの区別はなくなる。必要に応じて、女として肉体を持つこともあるし、それは「どんな仕事」をするために肉体を持つかによって選ぶらしい。ところが、基本的に、4次元から7次元までは「男」の霊体と「女」の霊体とは異なる。「霊体」のレベルで男女が別れている。そして、男の霊体は基本的に男となる受精卵に入るし、女の霊体は女となる受精卵に入る。

ただ、何度も肉体を持つ過程で、「あらゆる経験を積む」ことが求められていると、肉体を抜ければ理解していて、その都度課題を変える。(残念なことに、肉体を持った途端に、人生は一回限りだと誤解し、モノの世界に振り回されて、全く課題を消化できない方が、どんどん増えているようで・・・)そんな「課題」の中に、男の意識体が女として肉体を持ち、女のジェンダーで人生を全うする、あるいはその逆で、女の意識体が男として肉体を持ち、男のジェンダーで人生を全うする、そうした課題がある、と理解している。
そもそもが、「男として生まれるか」「女として生まれるか」受精卵に入る段階で「意識体」は知っている。知っていて入る以上、生まれた後の「性」が男か女かは、わかっているはずで、それなのに、男の意識体が女として生まれて来るならば、8次元の方が使命を全うする都合で女を選んでいるか、でなければ、まだ空海さんなどのレベルには到底到達できない未熟な魂が、異性として肉体を持つことを「課題」として選んでいるか、そのどちらかしか、自分には考えられない。

男の霊体が女の肉体を持つ、女の霊体が男の肉体を持つ、その際の違和感は理解できるけれども、「課題」でしょ?と自分は思う。師匠は簡単に心を読める。「性同一性障害」を主張する方の中には、男になったら楽かもしれない、女になったら楽かも知れないという、明確な逃避というケースもあるらしい。性的な倒錯、あるいは異性と理解し合う面倒臭さをただ単に回避しているだけの場合。おそらく、会えば師匠にはそれがわかるし、上にも筒抜けで状況は把握されている。私にはわかりませんが。だから、伝聞としてしか書けない。

LGBTの話題。

師匠の講演会に参加するまでは、私自身比較的リベラルに、「物分かりのいい」方の立場だった。ただ、霊体として、肉体を抜けている部分まで含めたサイクルの中で、どういう「生き方」をしているのかを考えたなら、今のLGBTの扱いは、必ずしもいい結果は生まないと思えた。男でありながら女の肉体を持って、女として生涯を終える。今のように性転換手術などが容易でなかった頃は、この「課題」は成立していたんだろう。それが、社会の物分かりがよくなり、性転換手術が可能になった結果として、肉体を抜けた後で、「また課題放棄をしてしまった」と、空振りを後悔するケースも多いと思う。そういう方は、また、男の霊体なのに女の肉体を選んだり、女の霊体なのに男の肉体を選んだり、また、何度でもそれを繰り返す。「課題をクリア」するまで、そうした課題設定を自分で決めて行う、と理解している。

男なのに、女なのに、なぜか異性の立場や都合などが、「理解できてしまう」方々と、「全く理解できない」方々の、両方がいる。その違いは、この「経験」の違いだと私は考える。

社会が完全に成熟して、「性別」ではなく、「社会的な性」であるジェンダーのレベルで、男であっても、女であっても、生きる上での困難さに大差がないということならば、残る「課題」の要素は「出産経験」くらいだろうか。これが、「その程度の経験」と呼べるものなのかどうかは、女性の判断にお任せする。逆に、男であることによる困難さ?あるんかな?よくわかんね。

先天性の奇形の方々。これも師匠の受け売り。何とかなりませんか、と相談を受けて、師匠は「何とか」できる。けれども、やらない。なぜか。先天性の奇形があることは、受精卵に入った時点で、霊体にはわかっている。それを敢えて異常のある肉体を選んだとしたなら、何らかの「課題」を自分で決めてきたはずだ、と私は理解している。師匠の講演で、「もし、私が治療して完全な体にしてあげたとしたら、間違いなく次に肉体を持つ際は、さらに過酷な課題を選ぶだろうね。」という師匠の言葉があった。今回の課題は、今回解決するのが、それが一番の近道なのだと私は思う。肉体を持つことの意味を、イエスも、ムハンマドも、誰も伝えなかったのかなぁ・・・。

学校教育現場でも、LGBTの扱いで「本人の主体的な意識」を尊重する、という方向にシフトしてきている。幸いなことに、私は非常勤講師になって、現場の責任ある立場からは離れた。もし、専任教員で現場にいたとしたら、もしかしたら、私はかなり保守的に上記のような考え方を本人に伝えたかも知れない。それは、もしかしたら、学校とか本人には「差別」として受け取られて、何らかの処分を下されたかも知れない。それはそれで、「一つの課題消化のチャンス」を逃したのかもしれないけれど、自分には師匠の言葉を世界に伝える方が重要だと思えたから、学校を辞めた判断に、悔いはない。

面倒な部分は、理解してもらえなくても一向に構わないけれども、全ての人は、自分の肉体を選んで来ているということは、知っておいていただいた方がいいように、自分は考えた。だから書いた。
最初の三ヶ月で、大体の決断を下す。「この肉体では課題を遂行できない」と思ったら、その受精卵に入り込むことを断念する。三ヶ月が「安定期」の目安だというのは、意識体の(こちらは、霊体が肉体から抜ける方の話題ではなくて、入る方の話題だけれども)サイクルの中で、説明できる。

話が逸れる。凍結受精卵は、まだ意識体が入り込むための前段階だから、「解凍」すれば妊娠は可能なんだろうけれども、いわゆる「コールドスリープ」というか、一旦意識体が中に入った肉体を「凍結」したなら、意識体は中に入っていられなくて、抜け出してしまう。そうなった時点で、解凍して元に戻しても「植物状態」になるように自分は考える。未来世界で「不治の病を治療しましょう」と、肉体を凍結保存された方もいらっしゃるらしい。「意識」とは脳の神経活動だ、と考える理解力不足の産物で、ある意味で、ダーウィンが創ったコメディのようにも思える。いや、実際に私は鼻で笑っている。

太陽系外の惑星に移住?光の速度で?まず、光の速度で宇宙船を動かすことが無理だと思えるけれども、コールドスリープして肉体だけ運んだら、植物状態の肉体が積み上がるだけだと思う。それならば、我々は「意識体」なのだから、肉体の制約から離れて神の思いに自分を預けて、高次元の意識体として「神の肉体」の中を自由に行き来した方が、楽しいように自分は思っている。
そんなことがあるはずない、と言う方のお考えを、否定する気は毛頭ありません。ご自由に、コールドスリープされたらいかがかと。
スクラップにしたいような肉体が、解凍されるまでじっと待ってるのかなぁ。僕だったら、さっさと見切りをつけて、次の「新車」に乗り換える方を選ぶけれども。(いや、金があったら、だけれども、って、車の話じゃないだろ。)

話が逸れた。「人は何度でも、人間として肉体を持って、生まれかわる」という話と、肉体に入る際には、「このままその肉体を選ぶか」どうかを、受精卵の三ヶ月くらいまでの間に自分で判断してから、決めて来ていると、その2項目の、師匠の受け売り。

LGBTに関する昨今の話題からは、逆行しているような話題の展開になった。だからこそ、一応は、書いておくべきだと自分は考えた。

以上。

あれやこれや

完全に暴走状態。いえ、書き尽くして疲れて眠ったら、起きていきなり仕事を始めます。私と仕事で関係を持たれている方、大丈夫です。自分なりのやり方で、コントロールはできてます。

意識が暴走している。僕は、師匠と違って「上の意識」は受け取れていない。たぶん。僕が受け取れているのは、おそらく僕の指導霊さんの意識と、おそらくは親父の意識だけ。ただひたすら、師匠の講演会の内容を反芻している。師匠の講演会に参加しようという方は、限られていると思う。その師匠の講演会の内容を、少しでもわかりやすく、少しでも多くの人が読める環境に流して、一人でも多くの人が、最低限「あの方」の意識や思いを知る、そもそもそれ以前に、「あの方」が実在していることを確信できるような材料を、一つでも多く提供すること、だと思う。一番厄介なのは、自然科学系の方々かな、と思ったので、というよりも、自然科学系の方々が一番厄介だとわかっていたから、僕は肉体を持って、軸足を自然科学に置く計画を立てた。インターネット、パプアニューギニア、医療機器、教育関係の仕事、盗聴と盗撮、全ての僕の経験が、一つに繋がって来た気がして、ようやっと「エンジン全開」の環境が整ったんじゃないかと、それも思った。

At Random.無作為、なんの脈絡もなし。全部吐き出す。

少し前に書いた公共交通機関の乗り物に、片っ端から撮像機器を取り付けたら、犯罪抑止になるんじゃないか、と書いた話題。書いてしまった後、何度となく、読み返してはいないけれども、自分の吐いた言葉を反芻した。師匠の講演会の話題。本来ならば、鍵がかかっていなくても、誰も盗まない。それが「当たり前」の世界のはず。画像記録装置があるから、犯罪を犯さないというのは、間違ってる。あるべき姿じゃない。だけれども、その一方で、師匠は講演会でこんな話題も持ち出されている。
「詐欺で、騙される人間と、騙す人間と、どちらが悪いと思う?」これ、言葉の断片だけを切り出すと誤解が生じると思うので、講演会の長い文脈を聞いて、あるいは、聞いた内容を正確に覚えている方だったら思い出していただけたならわかると思うけれど、「騙される」側の人間は、「感情に流されて、考えて検証するという意識がない」ことが問題だと私は理解する。人間は、本来ならば、相手の発する言葉や動作から、相手が何を求めているか、感情に流されずに、冷静に判断して適切な対応をするべき状況というのが多々あるのに、「騙された方々」は、概ねその「感情に流されずに、冷静に考える」という部分が出来ていない。その部分を師匠は、「騙される側が悪い」という文脈で話されたと、私は考えている。この「感情に流されて、状況を冷静に判断できない」結果として、時として戦争が起きたり、国家規模の殺戮事件が起きたりする。振り込め詐欺に騙される方々も、国家元首も、「感情に流される部分」があれば、問題の根は同じなのだと、私は考えた。
自転車が盗まれる。鍵をかけることによって、「盗もう」という人の出鼻をくじくことはできる。「鍵をかける」行為は、盗もうとする人に、犯罪を起こさせない行為、とも言える。自分の欲のためじゃない。他の人が落ちないための愛情、配慮、だとも考えられる。じゃぁ、(駐輪場以外に停めた自転車は別にして)自転車に鍵をかけるべきか、かけないべきか。答えを出すのは一人一人の自由だけれども、「鍵がかかっていないなら、盗んでも構わない」という判断をする人が総人口の20%以上は(国によっては50%以上は)いる現状では、現実問題として「犯罪抑止」によって「最低限の社会のルール」を経験させることも必要なのかも知れないと自分は考えた。全然、上級課題に進める現状じゃない。殺さない、奪わない、その程度のことが学習できない人が、とてつもない数いる。法律を活用して奪うことのは「正当な経済活動だ」と考える人は、多少は進化していても、人としてあるべき姿からはかけ離れているし、あの方の意識からは「十分に成長した」とはとても思えない、未熟な魂でしかない。
本来あるべき姿じゃない。だけれども、現在の地球では、「犯罪抑止」は現実問題として必要な行為なのか、という、行って、戻って、また行ってという結論にたどり着いた。この話題はもう、思い出さない。

言葉の重み。「あんな奴、死んじゃえ」と思った相手が、本当に死んでしまったことが、何回あるか。私は、とりあえずは片手で数えきれる程度。だけれども、何度もあった。そのほとんどが二十歳前。最後が、盗聴法を成立させた小渕総理。小渕さんの時は、何度となく、盗聴法そのものに猛烈な敵意を示した。(その理由?もう書きません。)その後は、そうした意識そのものを持たないように、かなり厳しく自戒もしているし、感情をむき出しにした「憎悪」の意識を持てなくなってきたのは、師匠の講演会に参加してから、だったと思う。
ただ、「昔ほどではなくなった」と自分で感じた変節点がある。「言葉」をストレートに解釈しなくなってから、意識が直接暴発することはなくなって来た。
前にも書いた。大阪に住んでいた頃、阪急電車で何回か満員電車の中で周囲の誰かの意識が、全くブロックできずに流れ込んで来たことがあって、辟易したことがある。上司から罵倒されている臨場感のある意識。昨夜の情事を反芻している女性一人称の意識。満員電車だと、もう身動きできない。ブロックもできない。以来、満員電車は極力避けている。今は、始発駅だから座れるし。ただ、その後は、あの頃ほど意識が流れ込んでくることはなくなった。以前と今と、どこが違ったか。決定的な違いは、「社交辞令」という「言葉」を、感覚的にも理解できて来たことだろうか。大阪にいた頃は京都人とも親交はあったけれども、彼らほど「言葉」に意味がない人たちは(すみません)いない。「どうぞ、お上がりください」という表現には、全く言葉としての意味がない。ほとんどがそうかも知れない。そして、その「社交辞令」は、京都だけではないと理解して来て、相手の発した「言葉」を、ストレートには受け入れないようになれたのは、たぶん、ニューギニア以後、だろうか。言葉そのものを「意味のあるもの」とは考えなくなってから、意識も流れ込まなくなった。おかげさまで、というべきなんだろうか。
肉体を持っている限り、「意識」だけで意思疎通できることは、普通はない。明確に私に意識を投げてくれたら、たぶん拾うけれども、普段は全く取れないし、時々経験する満員電車でも、昔のようなことは今は全くない。逆に言えば、それだけ僕が他人を信じなくなったから、だとも思う。言葉すら意味を持たない。これはある意味で、自分の人生経験で、得難い変節点だったかも知れない。
おかげさまで、というべきなんだろうな。今は僕は、金正恩さんも、トランプさんも、「憎む」ことができない。そもそもが憎めないし、加えて言えば、「お前なんか、死んじゃえ」と思っても、たぶん、何も起きない。昔と今と、何がどう変わってしまったのか、そこの違いを自分なりに読み解けたなら、もしかしたらということはあるけれども。

ピラミッド話。
ピラミッドは、人が作ったものじゃない。乾燥地帯における「貯蔵庫」として、UFOで飛来した、いわゆる「宇宙人」が作った。それを、「奴隷に働かせて作った」という説が今は主流なのか。
あれ、石の加工精度がどうなっていたか。今の技術で表面研磨ができるのはともかく、当時の工具だけで現存しているピラミッドの石を加工できたのか。できたとして、その熟練工を教育するのにどれだけの日数が必要となったか。そこに「熟練工」なんていう概念を持ち込まず、「誰でもいいから」でかき集めた奴隷が加工して、現存している精度の「石」を切り出せた、というシミュレーションが、まず、荒唐無稽に思えた。
次に、「石」の移送技術。映画なんかで、奴隷が「えんやこらさ」で運んでいる、そういうのを何編も見たけれども、運送会社の関係者の方々に聞きたい。あんなやり方で、石の「角」とか「面」とかに傷をつけずに運べるものなのか。移送途中にクラックが入って、いざ現場で石を積もうとしたら、突然割れたなんていう事態は起きないものなのか。直感的に思うのは、映画で見たような、あんな運び方をしていたら、石の「角」は取れるし、面には傷が入るし、下手すりゃ、自重でコロとの接触面に荷重がうまく分散せずに、クラックが入って、途中で壊れるなんていうのがすごい数あったに違いない、と思うのだけれども。建築工学系、機会工学系の方々、もしくは、クロネコとか、FEDEXの方々、どうなのよ。あれ、無理だと思いませんか。
そして最後が、石の積み上げ。クレーンがあれば、そこそこの精度で石を詰めるだろうけれども、奴隷に働かせて、図面を見て指示をだす技術屋がはいたとしても、測量機器もなく、かき集めの奴隷の方々に「積み上げ」をさせて、あの完成形を作れるもんだろうか。
そこまで考えて、シミュレーションをしなおしたら、奴隷の頭数とか、日数とか、根本的に成り立たないくらいの数字になる、つまり荒唐無稽だと、私には思えた。
あれ、いわゆる「宇宙人」の制作物、だと、師匠は講演で話されていた。こういう話題は、世間一般的には、眉唾で済ませられちゃうけれども、百歩譲って、UFOとか宇宙人は忘れていいけれども、奴隷に作らせるのが無理だ、っていう所に、技術的な検証は加えられないもんだろうか。考古学者だけじゃ、扱い切れない話題だと思うんだが。

そして、質量。
いわゆる「物理量」として質量。これは、三次元的な「物理」モデルでしか存在しないと、自分は感じた。ごめんなさい、自然科学に軸足を置く、と言いながら、今僕は、左脳は使わず、右脳だけで言葉を発しているかも知れない。もっと言えば、脳じゃなく、自分の感性だけで書いているかも知れない。
三次元空間では「物質」が存在する。ただし、(しつこいな)超ひも理論では「重力」の扱いが極めて厄介だったと思うけれども、少なくとも六次元以上では「質量」をもつ「モノ」の存在を否定しないと、理論が成り立たないんじゃないか、と感じた。考えてはいない。ただ、もし何か考えているとしたら、師匠の講演内容からの逆算。六次元は、神の実在を確信した方々の世界で、六次元以上でなければUFOには乗れない。UFOに乗るということは、神の肉体を自在に行き来できる、ということで、意識体としての純粋さがなければ、まず無理だと理解する。いや、神の実在は信じないけれども、宇宙には出たい、ということならば、亜光速で移動したらいいんじゃないでしょうか。ただし、肉体の「凍結」は無理。すでにアメリカなんかで肉体を冷凍保存している方がいらっしゃるようだけれども、肉体が「意識体」を受け入れ可能でないならば、その意識体は抜けざるを得ない。受精卵ならいざ知らず(受精卵に、どのタイミングで「意識体」がどのように入り込んでくるか、という話題も、講演会では細かく聞いているけれども、)一旦成熟した肉体を「凍結」したなら、それは、自動車事故で肉体が激しく損傷したのと同じで、普通の「意識体」さんは、入っていられなくなる。自動車事故、と書いたけれども、我々の「肉体」と「意識体」の関係は、運転している「自動車」と「ドライバ」の関係に極めて似ている。車が大破したら、ドライバはそこに留まれない。それだけの話か。
超ひも理論で扱う「質量」を、多次元空間に持ち込むのは、アプローチとして間違っている可能性が大きいと思う。重力場の扱いが、一番やっかい、なんだと理解しているけれども、むしろ、重力場とか「質量」は、多次元宇宙のエネルギーの投影として扱うのが正攻法だと、私には思えた。

次に、大槻先生。大丈夫です。神様、ちゃんと大槻先生の意識も読まれているし、ご本人がテレビでプラズマとかあれこれおっしゃっていても、大槻先生がちゃんと「霊」とか「神」の存在を信じていらっしゃることは、伝わっているみたいで・・・。ただ、営業的に、テレビであれこれ話されていることも、伝わっているみたいで。
自然科学っていうのは、デカルトの弁証法ではないけれども、「否定して、否定して、否定し切れないものだけを真実と認める」みたいなところがある。他に可能性があるならば、その可能性を潰すことが先になる。その辺の事情すらも、神様って方は、我々とは桁違いだから、完全に理解されているみたいでして・・・
だから、「不存在の照明」に対する「反例」をたった一つ示すために、モーゼ様とか、イエス様とか、(イスラム教徒の方、ごめんなさい、ムハンマド様は格下で、)アッラー様だとか、そうした方々が、あれこれと、「簡単には、神を信じようとしない人間」に対処するために、四苦八苦されてきた。(師匠もたぶん、四苦八苦されている。)僕は、全然苦しんでいませんけど。(仕事の納期が、気になるだけで。)
話がそれて、もしも僕が、ピンポイントで金正恩に(いわゆる「呪い」を)仕掛けて、あの人を排除出来たとする。でも、たぶん、拉致被害者の帰国には直結しない。あの国は、そんな単純じゃない。

さらに話が逸れて、北朝鮮。
僕が今一番気になるのは、在日北朝鮮人。韓国は、とりあえず脇にのける。事実とか理論とか、そうした議論は出来ないので、除外。拉致被害者が帰国できなければ、在日朝鮮人の方々が「割りを食う」と思う。順番逆だろう。拉致日本人が帰国すれば、日本国内の世論がかなり変わる。そうなりゃ、外務省の「人道支援」だって動けるのに、金正恩、今まで、北朝鮮がどれだけ在日朝鮮人のお世話になってきたか、理解しているんだか。

で、なんの話でしたっけか?呪い?重力場?

あ、支配欲。
これも、師匠の講演会で、過去600時間の間に、5回以上は話題になったと思う。(不確かな記憶ですが。)
人類が持つ、最悪の「欲」の一つが支配欲。ルシフェル様、偉大な天使が堕ちた時に、肉体を持たれたお名前が、モンゲール・アウル・サウタンで、6番目の天使が、6つの霊能力(予知、心を読む、人を操る、動物を操る、などなど)を駆使して、6つの大罪を犯した、っていう、あの、キリスト教と、イスラム教と、ユダヤ教の、共通経典に書かれている奴か。(間違っていたら、ごめんなさい。)
この支配欲。今の日本人が、一番気にしなけりゃならないのはこれ、だと思う。最悪のわかりやすいサンプルは、トランプだと思うけれども。
金正恩の支配欲と、トランプの支配欲と、この喧嘩、どちらが勝つか。ぶっちゃけ、頭のいい金正恩が負ける。トランプの方が頭が悪いから(バカ、って書くと、差別語らしいから「頭が悪い」と書いた)自分の行為の影響範囲を、より「読めない」のはトランプ。だから、なんでも出来る。そういう人が、過去何人も戦争を起こしてきた。この類の喧嘩は、頭のいい方が負ける。
誰がどんな支配欲を持とうが、僕はそれを「否定」する立場にない。神ですら、「否定」はされない。「いつか気づく」ことを、信じられないほどの忍耐強さで、待たれている。それを知らないのは、人間だけ。神ですら、人間を「支配」してはいない。あらゆる「自由」を与えられた。国民の自由を制約しているパンダの国があるけれども、あれは、かなり「問題視」されていると自分は感じる。おそらく、何を言っても通じないから、最後は「強硬手段」になるのかもしれないけれども、それは神様次第。私にはわからない。

米朝はどうでもいいが、拉致日本人を日本に返さなかったら、日本の総理は、トランプよりは賢いと思う。話題を変える。

全てのヒトは、自分自身の判断で、行動すべきだと、その「自由」を与えたはずだと、神がお考えだと自分は理解する。自分の経験から、他人に助言する程度は許されていても、明らかな誤りは「お前はこうしろ」と命じること。ところが、宗教そのものがそうした「神の思い」に背いている。「あなたはこうしなさい」と指図しない宗教がどれだけ多いか。って、宗教の話じゃない、金正恩の話だったっけか?訳が分からなくなった。バチカンも、金正恩も、バグダディも、どこが違うのか、よく分からない。この文脈では。
で、じゃぁ「自由」を勝ち取った国で何が起きているか。結局殺人に強盗。ヒトには、その程度の「自由」の享受しかたしかないのか。

で、何を言いたかったか。

別に何も。
いや、師匠にはとっくの昔にバレてるけれども、今日のこの文章、アルコールが入った状態で書いています。シラフだったら、僕は多分、全ての言葉を飲み込んで沈黙する。ガキの頃から、ずっとそうだった。何も言えなかった。話題が飛びまくっているのは、もう仕方ない。(黙っているだけで、いつもそう。)願わくば、一応は言葉として成立していることだけを祈る。

明日は、明日こそは、朝から仕事に全力集中したい。

結果

一週間が終わった。一つだけ、大幅に予定を遅れている仕事がある。その話題は、いずれ書く機会があるんだろうと思う。割り込み処理の最中にも割り込みが入る。疲れた。土曜の夕方。走りに出たら、膝と腰にきた。体が固まってしまっていて、ほぐしきれない。途中でUターン。妙な疲れ方だけれども、妙に充実している感もある。変な感じ。

しばらく前に見た映画。遠藤周作さん原作のあれ、です。信仰って何なんだろうかと思い出しながら走った。いや、異論があるのは承知で書けば、師匠の講演会では、時々直接ある方の言葉を伝えてもらうことがある。イエス、モーゼ、多くの方が、その方の「言葉」や「思い」を伝えようとした。内容は書けないけれども、感じたままに考えたことを書くならば、結果について極めてシビアな方だという気がした。(「方」という言い方はおかしいかも知れないけれども、人間の「意識体」の大元だから、やっぱり「方」なんだろうか。)

「その方」の思いに従って日常生活をしているならば、殺すことはもちろん、他人を傷つけることもないはず。自分が傷つくことがあっても、その原因を考え抜いて、自分を変えて行けたなら、必ず器が大きくなって上に戻れるはず。それが「結果」の一つだと私は理解している。誰かを傷つけるような言葉を発しない。自分を守るだけのための嘘はつかない。それら全てができていることが「結果」であり、肉体を抜けた時にその「結果」は歴然とする。逆の言い方をするなら、肉体を抜けるまでわからないかも知れない。

無論、私も(一応・・・、基本的には・・・)今自分が存在している、そのことだけで、その方への感謝の祈りはしている。(一応・・・と書いた理由?適当に推測してください。)けれども、別に特別の場所にいく訳でも、どこかに向かって頭を下げる訳でもない。相手が誰かを理解した上で感謝の思いを持てば、そのまま届く。で、実は形式的に「ありがとーございますー」なんて感じで思いが伴わない言葉だけ投げたりしていると、「鬱陶しいからやめろ」と言われたりもする。逆に言えば、届いている証拠なんだろうけれども。
結局、毎日どこかに向かって祈ってます、とか、そういうことではなく、日常生活で自分がいかに「あるべき」かを考えながら生き続けていくこと、その結果として、前述したように誰も傷つけることなく、一人でも多くの「異なる考え方」を受け入れて理解し、そして肉体を抜けて上に帰ることができれば「それが結果」だし、その「結果」が出せなければ、いくら「毎朝、神様ありがとうございますと、祈り続けました、」と言っても、一応聞く耳は持ってもらったとしても、事実として器が小さくなった分、「進化」ではなく「退化」してやりなおすことになる。なんとなくだけれども、最近その辺が妙に細かく理解できて来た気がする。何と言っても、我々自身があの方の肉体の一部だから、誤魔化せるはずがない。

決して、他の方の信仰を否定するつもりはない。ただ、今私が聞いて理解しているのは、こういうことだ、ということを書いただけ。なぜ、なんのためにという部分で根本的な違いはあるものの、やっていることには、遠藤さんが描かれた信仰などに重なる部分もある。

なんのことはない、仕事と同じ。納期が割れているのに、「ごめんなさい、今一所懸命やってます」なんて言い訳して、一応は聞く耳を持ってもらったとしても、それこそ、一刻も早くモノを仕上げなかったら「結果」を出したことにはならない。

最後まで「あの方」で通すつもりが、結局何ヶ所か例のあの単語を書いてしまった。走りながら、ぼんやりと考えていたんだか、感じていたんだか・・・。なんだか、これも仕事と似ているなぁと思った。ただ、それだけ。なんやかやと意識がそちらに向いてしまって、目の前に仕事に集中しきれなかったのは事実で、少しずつ、モヤモヤがスッキリしつつあって・・・多少は好転するかも。

ごちゃごちゃ書いていないで、すぐにも「結果」を出さなきゃならない仕事が一つあるんだが、走って来て体がほぐれて、他の優先順位が高かった仕事をなんとか片付けたので、これから集中します。今、生きていて、こうして仕事があるだけで、感謝。

空乏層

以前、電子工学の補修教材を書いていた時、「空乏層」を変換したら「食う暴走」と表示された。
以来、鉄板ネタとして授業で使っているんだけれども、「食う暴走」止まりで・・・

40年前か。黒羽先生の日本史で、「甘樫丘のトイメン(対面;麻雀用語)に」と言うフレーズ、「絶対に黒羽、ここでトイメンって言うぞ」と、生徒たちは結構授業中にワクワクしながら待っていて、黒羽先生がこの「甘樫丘のトイメンには」と言った瞬間、「キター!」みたいな感じになったのを覚えている。それ以外の部分は全部忘れているのに。(この程度で盛り上がっていたんだから、可愛いもんだな。)
僕のこの、ダイオードの「食う暴走」も、たぶん時間にして30秒程度の脱線なんだけれども、そろそろ語り継がれていたりして・・・だとしたら、わざとこれを外して、別のネタを放り込む、なんて工夫して、期待を裏切らないと・・・(あんた、なんのために授業をやってる?)

この空乏層、逆バイアスをかけても、電流は流さない。持ちこたえて、持ちこたえて、電流は流さない。
ちょうど、コンビニで「アイスまんじゅう」だとか、「エクレア」だとか、「チーズケーキ」だとか、あれやこれやと並んでいても、こうした逆バイアスには一切屈せず、頑としてタバコとコーヒー以外は買わずに出てくる。

ところが、妙に疲れていたり、逆バイアスが大きすぎると、一気にブレイクダウンを起こして、逆向きの大電流を流したりする。これを「降伏現象」と言い、ダイオードによってこの「降伏点」が決まっている。空乏層で食う暴走を起こす瞬間。

ただ、この現象を有効に使っている素子がツェナーダイオードなどで、飽和させてしまって、安定化電源などに使われている。(と理解している。)
いいなぁ、食う暴走で飽和させても、逆バイアスを解消すると元のOFF状態に戻り、リバウンドは起こさない。そして、使い方次第で役に立つ。

大切なことは、有効活用方法を工夫することなんだと思う。だから、全然気にする必要はないと思った。シュークリームとチーズケーキと、温泉まんじゅう。

このネタを単なる「食う暴走」から広げられない理由はただ一つで、ツェナー効果とアバランシェ効果だとか、きちんと理解していない。いつか勉強し直して、ちゃんと理解して、と思いながら、直接仕事なんかで関係することがないもんだから、先送り、先送りで、今に至る。突っ込まれたら、何も答えられない。学生時代にはもう戻れないし・・・。体型的にも。

聖地?

ユダヤ教徒っていうことは、モーゼが連れ歩いた方々の末裔?(以下、敬称略。)

いや、私は上司にだって食ってかかるから(だから、出世とは縁がない)、言わせてもらえれば、実弾を使って罪もない人を殺した時点で、モーゼの弟子を名乗る資格はないはずで、ユダヤ教徒であることを放棄してないか?もし、それでも頑なにユダヤ教徒を名乗るのなら、ユダヤ教は既に神の教えに背いた存在になっていると理解する。モーゼの教え方が悪いんだ。(いや、そうじゃない、「これがモーゼの教えだ」と伝えた人たちが伝言ゲームで教えの原型を壊して伝えるようになった、それだけのことで、モーゼは偉大な方だと聞いてはいるけれども。)

トランプはキリスト教徒?興味がないからどーでもいいけど。で、イエスは自らの責任は認めずに、他人に責任を押し付けろと教えたのか?あんなのがもしキリスト教徒を名乗っているのなら、(そもそも、十字軍の時点で完全に崩壊していた気がするが)イエスの教えなんかどこにも残っていないんじゃないか?
もしトランプが、キリスト教なんか信じていないと言うのなら、「私は神の存在など信じない」と明言したらいい。その方がスッキリするし、その後の扱い(扱われ方)も容易だと思う。そもそも、誰かが誰かを殺さざるを得ないような状況を作ることを、神が望んでいるとでも思っているんだろうか。と言う疑問を投げても、トランプの頭で質問の意味が理解できるとは思えないが。

今残っているのは、形骸化して、集金団体のビジネス集団として存在しているユダヤ教や、キリスト教。それを言うなら、仏教なんか戒名の相場が何十万とか、イスラム教だって宗教指導者が宗派間で争いを煽っているし。もはや、神の教えなんか宗教の中には残っていないんじゃないのかな。ユダヤ教もビジネス集団だから、トランプとは相性がいい訳だ。理解しやすい。

聖地がバッティングしている?一体どなたが、祈りを捧げるのに場所が大切だなんてことをおっしゃったのか。(ここは、僕も間違えた。一応素直に白状しておく。)ただ、私の場合には金銭は要求する気(著作権主張)は一切ないけれども、あの「聖地」なる場所は、ただ単に、信者から金を集めるビジネスを展開する上で、都合のいいエピソードがあった場所だ、と言うだけのことで、要するに登録商標が類似している程度の問題のように私には思える。宗教集団は、ビジネス集団だし。いや、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関して言えば、そもそも、教えを伝えた(意識をこの世界に送った)方が全部同一人物なのだから、商標が似通っているのも仕方なかろう。どの団体に献金するかが違うだけなのに、なぜ争う?不思議だ。

医学。人間の肉体を治療する学問では、キリスト教徒にも、ユダヤ教徒にも、仏教徒にも、イスラム教徒にも、同じ薬が使え、解剖学の知識は同じように適用できる。これは肉体の話。抗がん剤を使っていいかどうか、どこかの宗教で教えていましたかね?使っていいと教えてもらっていないなら、使っちゃいけないんじゃないの?じゃぁ、合成麻薬は?教えの中に何か言及はあるの?「教義に基づく判断」が仮にあったとして、それが宗教によって異なっていたとしても、結果は同じなのが人間の肉体。理由は単純で、どちらも神が創造したものだから、全ての人間に対して同じような薬効が発現する。
そこに収まっている霊体さんの振る舞いも、極めて自然科学的に共通していて、死んだ後どうなるかなんて、全ての人間に同じことが起きているはずだと考えるのが自然じゃありませんかね?たぶん、99%の人は(こうして肉体を持ってしまうと)理解できない領域になるから、いくらでも好き勝手を言える余地が生まれる。それで、ビジネスが成立する余地が発生する。

元々は、とてつもなくシンプルな話題だったはずだと思う。殺すな。憎悪するな。殺し合いが起きるような言動をするな。そんな簡単なことが、なぜできない。その理由もシンプルだ。神を信じていないから。事実と行動が全てを物語る。ユダヤ教徒は神を信じていない。

なぜ、トランプが大統領になったのか。考え抜いて私が出した結論。東日本大震災と目的は同じ。天災に見舞われた時、人は協力して困難を乗り切ろうとする。日本では「絆」というスローガンが掲げられた。人間自身がそうした判断をし、そうした行動を取ることができるように、天災は起こされている。
だとしたら、トランプが大統領になった理由と目的は、(一応はアメリカとイスラエルを除外して)全ての人々が力を合わせて困難を乗り切る環境を創り、宗教に頼らずに自発的に考えて行動し、異なる宗教、異なる国家の人々が、協力、強調しなながら、それぞれが住みやすい世界を作ろうと努力するようになる。そのための「素材」として、トランプは大統領になれたんじゃなかろうか、と私は今、考えている。

でなきゃ、あのバカが大統領になんかなれるはずがない、と私は思った。

余談ながら、誰かをバカにすれば、それだけで、どっぷりと心に垢がこびり付いて、それだけで地獄行きの切符になるそうでして・・・。私はもう覚悟しているけれども、地獄に行く覚悟がない方は、相手があのトランプであっても、「あのバカ」なんて言う思いを持つのはやめた方がいいと思います。それだけで確実に「地獄行きの切符」になります。でも、そうした思いを持つことが「人として誤っている心の在り方だ」と自力で気づけたならば(脳に頼るのはやめて、心に判断を委ねて、心でそう思えるならば、)地獄に落ちても抜け出すことはかなり容易になるらしい。なんて言う、この辺の話題は、様々な宗教で説かれていると思うんだが、誰も守っていないのなら、宗教と神の教えは別物になってしまった、と、自分はそう考える。

トレインレコーダ

新潟の事件、解決したらしい。
一本前の電車の運転手が、車を目撃していたらしい。近隣の方々、安心しただろうな。

タクシーなんかには、ほとんどドライブ・レコーダがついているらしいから、事故にしても事件にしても、画像解析すると何か見つかることとか、あるんだろうな、と思う。電車は、追突事故とかはないにしても、かなりのスピードで、かなりの範囲を移動する訳だから、電車が通過する時間帯の周囲の画像を、電車用のドライブレコーダのようなもので記録しておくと、結構「捜査情報」として役に立つんじゃなかろうか。正面や背面だけではなく、左右に向けての画像も記録しておくと、「動く目」としては結構な監視能力になるような気がする。ついでに言えば、都会だとバスの側面とかにレコーダをつけてもいいだろうし。いっそのこと、公共交通機関を全部「動く記録ポスト」にすれば、犯罪の抑止力にもなるんじゃないかな?なんてことを、ふと思った。

いや、監視社会は嫌ですよ。でも、公共の場だったなら、普通は「他人に見られることを意識して生活している」はずだから。家の中とかは、話が別。「のぞき」は、良くない。公権力だとしても、認められないとは思うが、その話は別。