人権感覚

トランプ大統領 緊急演説 軍の派遣も辞さず

ジョンソン首相、香港290万人に“市民権”を
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3995414.html

香港立法会、中国国歌への侮辱行為禁じる条例案を可決-反対1票
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-06-04/QBE9IWDWLU6G01

トランプ大統領、一転「軍を動員する必要ない」
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3995638.html

スパイクを打ちたがっている中国に、トランプが見事なトスを上げた。
イギリスがブロックに跳んだけれど、、間に合わなかったか。隙を見逃さなかった中国。一気に得点を決めた。
スパイクを決められてから、トランプは態度を変えた。今更遅い。もう、何を言ってもやっても、もう遅すぎる。

何を考えてるんだか。人権無視の中国よりも、遥かに人権を軽んじている自分に、全く気づいていない。
そうか、そもそも、最初から人権感覚なんて、持っていなかったか。

全てのアメリカ国民は、私が大統領として君臨するため、アメリカ合衆国大統領の所得を手にするために存在している。
まぁ、そんなところだろうな。

アメリカも、中国も、ロシアも、およそ人権感覚のない人間がトップにいる。中国では、選挙なんていう制度そのものがない。ロシアでも、民主的な選挙が行われているとは思えない。それなら、アメリカはどうなんだろうか。

アメリカ国民は、ああいうのが好ましいと思ったんだろうな。なんて、日本も偉そうなことは言えないけれど。

人種差別を容認し、世界中で軍事力を行使し、あろうことか、時には海外の要人暗殺を公然と認め、銃火器の使用を問題解決の最終手段とする。そういう共和党政権のアメリカには、国際社会との関係を絶って欲しい。

京都議定書やユネスコ、WHOばかりではなく、アメリカにはあらゆる国際機関から脱退して、鎖国して欲しい。

できることなら、トランプには、ツイートも演説もせずに、日がな一日、ホワイトハウスの中にこもってゲームにでも没頭していて欲しい。その方が、何か「政治」をするよりも、世界にとっては、遥かにいい結果が出ると思う。

食中毒並みに、罰則規定を

同じ感染症でも、食中毒と新型コロナとは確かに、発症のメカニズム、「感染」なのか、「割とどこにでもいる菌の増殖」によるのかなど、医学的には随分と違うかも知れないけれど、行政による対応、という意味では、食中毒に近い「対応」があっても、おかしくないんじゃないか?という気がする。

I型感染症。暗記用のゴロ合わせは、こんな感じでしたっけ?
1番南米で偉いペットは天然のクマ
「天然のクマ」とか、「クマは逃走(痘瘡)」とか、亜流は色々あるけれど。
1番(第一類)南米(南米出血熱)でえ(エボラ出血熱)ら(ラッサ熱)いペット(ペスト)は天然(天然痘)のク(クリミア・コンゴ出血熱)マ(マールブルグ熱)
https://鍼灸柔整国試.com/%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87%E5%88%86%E9%A1%9E/

段階があって、「届出義務」だとか、その辺の細かい違いが、医療関係の国家試験では問われたりしている。パラメディカルは、医学部だけではなくて、看護も、臨床工学も、柔道整復も、理学療法、作業療法も、薬剤師も、たぶん、ほとんどの医療職で、国家試験ではこの辺の「公衆衛生学」が出題されている。臨床工学の場合には、確か、食品衛生法は「出題範囲」に入っていないと理解しているけれど。

いずれも、食中毒と違うのは、「お店で感染」とは限らない点だろうか。「職場で感染」もあるみたいですしね。
でも、食中毒の場合には「食品衛生法」だったか、「営業停止処分」もあったんじゃないか、と思う。
新型コロナだって、市役所や警察が窓口を閉鎖したりだとか、実質的な「営業停止」はあるはずなのに、感染者が出ても「行政処分としての、営業停止」ではなくて、あくまでも「自粛」だという点だろうか。

何か、ルールの不備じゃないか?と思うのは、ここのところニュースで見聞きした以下のポイント
1. 感染者が出たとわかると、「営業できなくなる」から、自分が感染しても「職場」のことは話さない。(特に、夜の接客業)
2. 1と同じで、客が風評で来なくなることを恐れて、感染経路の追跡に協力しない。
3. 「自粛協力」による協力金くらいではテナント料も払えないから、一切自粛せず営業しているところがある。
こういうケースは、特に新宿歌舞伎町などの繁華街に集中しているみたいだ。

個人的に思う。これ、コロナではなく、もしエボラだったら、と考えてみると法律の不備が見えて来やすくなると思う。
もし、エボラ出血熱で、感染者の追跡に協力を拒んだなら、その行為だけで数十人規模の死者を出す。実質的に、「未必の故意」による「数十人の殺人」に該当するような気がする。それなのに「自粛要請」だけ?保健所は「指導」しかできないの?

感染者が出ていない状況での「自粛」は、仕方ないと思う。ただ、一旦感染者を出したなら、飲食店に限らず、罰則規定のある「期限付きの営業停止命令」は必要じゃないだろうか。警察や市役所、病院は、あくまで公益に基づいた「自主的な窓口閉鎖」を行うんだろうけれども、夜の接客業とかは、もしかしたら、感染者が出ても、隠して営業を続けるかも知れない。
感染者が出る前と、出た後とでは、法律的な「対応」がかなり違って然るべきだ、という気がする。

なんでこれを書くか。首都圏の一都三県は、一蓮托生みたいだ。だけど、埼玉の場合には、県南と県北とでは、感染者数だけではなく、景色からして違う。それを首都圏だっていうだけで、東京都に足並みをそろえるなんて、勘弁してくれと思う。ましてや、第二波の発生が、都心のビジネス街ではなく、歌舞伎町、いわゆる歓楽街だとして、その副都心の歓楽街での感染者の発生が原因で、埼玉の県北まで引きずられる、なんていうのは、やめて欲しい、僕はそう思った。
これは、国に言うことではなくて、埼玉県の県知事に文句をつけるべきところなんだろうけれど。

加えて、感染者が出ても、その感染者が追跡に協力しないと言ったら、「はい、そうですか」と「自主性」を重じて、保健所も引き下がる。それは「なし」でしょうと、僕は思った。ここ、周囲の人間のリスクも考えて、法律そのものを見直して欲しい気がする。

本質的原因

アメリカの暴動でよくわからないのは、トランプの言動は論外として、各州知事とか、市長などの発言で、(実際には言及していているのが、日本には報道で流れてこないだけ、かも知れないけれど、)デモ参加者が求めている「白人警官による、黒人への対応を、見直せ」というか、「警官による人種差別をやめろ」というか、その部分に直接言及している発言が、ない、ということだろうか。

トランプが言及しない理由はわかる。まず第一に理解力の問題。デモ参加者が「白人警官による黒人殺害」(結果的には、こう言うしかないんだろうが、)に対して、怒りをあらわにしている、と言う点を彼の頭では全く理解できていない。か、もしくは、第二に、気付いていたとしても、人種差別などあって当然と言う意識だから、その辺の主張を完全に無視して、デモ参加者は全員が暴動参加者であり、だから全員を軍隊による武力で鎮圧するという、それしか口にしていない。間違いなく、そのどちらかだと思う。
大半のアメリカ人が、それを容認していたとしても、日本にはほぼ実害がないし、(長引けば、日本の進出企業にも影響が出るか?)地球環境問題とか、貿易問題とは違うから、これ以上は突っ込まないし、その必要もないし。

ただ、あれ、日本だったら、日本の場合には、警察は都道府県の管轄だから、都道府県知事とかが記者会見などで、「今後は、警察官が、人種差別的な行動を取らないように、厳しく綱紀を粛正します」的なことを口にして、偉そうな人たちがずらっと並んで、頭を下げるだろうな。
ところが、アメリカの場合には、知事とか市長とか(どちらの管轄か知らんけど)、決して「警察」の行動に対して「謝罪」なんてことはしない、みたいだ。

日本だって、「警察を監督して、今後はこうした事例が起きないように・・・」的な発言がなければ、たぶん、マスコミが大騒ぎする。マスコミが大騒ぎしてくれると、一般人も便乗して怒る、的な感じかなぁ。逆に言えば、昔だったらマスコミが騒がないと、日本人はあまり気にしなかったのかも知れない。ところが最近は、マスコミが騒がなくても、SNSなんかで当事者が「こんなことがあった」的な書き込みをすると、それが拡散して、そのSNSの騒ぎをマスコミが拾う、みたいな流れになっている気がする。(おっと、これは日本だけじゃないか。)

いずれにせよ、その大元の部分に知事とか市長とかが言及しない(していると言うニュースが伝わってこない、)と言うのは、トランプだったら理解力がないからで済ませられるけれども、それ以外の、特に、民主党の知事とか市長とかだったら、何も言及しないと言うのは、やはり、それほど難しい問題なのか、と言う気がしなくもない。
もしかしたら、文化の違いで、基本的に「謝罪」はしないのがアメリカ流なのかも知れないけれど。トランプに噛み付いた知事さんだったか、市長さんだったか、トランプにすぐに「だったらすぐに鎮圧しろ」とかツイートされていたみたい。
日本的感覚でいえば、「デモ隊の皆さん、わかりました。警察官による人種差別的な行動について、規範を定めて、内規に違反した場合には厳しく処分するように、アクションを起こします。具体的には、何ヶ月以内に内規を制定し、一年以内に施行します。ですので、解散してください。」とか、直接的な原因に言及して対応を約束すれば、なんとなく、数日の間には鎮静化するような気がしなくもないんだが。

もしかして、それができない原因が、「人種差別」以外にあるのかも。

「人種差別」の方は、トランプがいい例だと思うけれども、アメリカ人の、特に白人の一部の中には、根深く「人種差別ウイルス」が常在していて、もし、知事とか市長とかが「人種差別的な行動は、処分の対象となる」などと発言したら、現場の警官から「なぜ、俺たちが、そんなルールに従わなきゃならないんだ」と、猛反発が上がってくる、警官がストライキを起こす、くらい、根深く、人種差別意識が浸透している。ということなんだろうか。

そうでない方の理由は、何なんだろうか?アメリカ人というのは、(トランプは、これにも該当するか、)ただ単に、自分の非を認めたり、謝罪するのが嫌いな国民性、ということなのかなぁ。

僕にとっての、???な疑問は、なぜ、州知事とか市長とかが、一番の本質的な原因に言及して、(たぶん、謝罪すべきは、ミネアポリスでしたっけ?その辺の行政トップだと思うけれど、)過去の「白人警官vx黒人」の図式の「過失致死」についての謝罪の言葉が出てこないのか、不思議でならない。

日本人の場合、(特に、相手がお客さんだったりすると、)自分が悪いと思っていなくても、とりあえず誤って、丸く済ませておこう、みたいなのが多すぎて、それはそれで問題かも知れないんだが。

なんだか、文化の違いを見せつけられている気がする。絶対に謝らない上に、最後は銃が出てくるのがアメリカか。いや、つくづく、日本に生まれて良かったとは思う。

kkk

トランプはアメリカのデモ鎮圧に米軍を投入するのか
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93572.php

アメリカもなぁ、香港に対する中国政府を全然非難できないじゃない。

僕がモノを知らないって言えば、やっぱり思い出すのはこれだろうか。

トノメトリの開発(開発っていうよりも、研究に近かった気がするけれど)をやってた頃、ソニーのワークステーション(確か、NEWSだったかなぁ)で、データ分析をやる、という名目で使っていた。(もう、その頃実は、半分以上仕事に集中できなくて、あまり仕事にはなっていなかったけれども・・・)潰れた経緯は既に何度も書いたし、愚痴になるからこれ以上は書かない。

そのワークステーションで、今でいう virtual environment構築というか、パスを切り替えてソフトの実行環境を最適化するコマンドとして、「小林の開発環境(Kobayashi’s Kaihatsu Kankyo = Kobayashi’s Development Environment)」の頭文字をとって、kkkというシェルスクリプトを書いて使っていた。
社長がMITとの共同研究を模索していて、MIT OBのHughさんをアメリカ側のサポートスタッフとして社員として採用していた。
Hughさんが来日していた時だっただろうか。僕がワークステーションの端末で kkk というコマンドを叩いたのをみて、Hughさん、顔を曇らせながら、「イクオ、kkkは良くないと思うよ。知らないかい?」みたいな感じで、ソフトとは全く関係ない話題を話しかけてきた。
Hughさん、クエーカー教徒だから、感情的な物の言い方は決してしない。ただ、かなり不安そうな感じだったのは覚えている。

知らなかったなぁ。いや、もしかしたら、ゴルゴ13の漫画で読んだことはあったかも知れない。今みたいに気楽にレンタルビデオなんて借りられる時代でもなかったし、今でこそ映画でkkkのシーンも見て、知っているけれど、当時はアメリカのそうした側面なんて、全く知らなかった。無論、知っていたら、シェルスクリプトにあんな名前はつけなかった。そして、知ってはいるけれども、未だにそうした人たちが、州によっては公然と活動しているということに、実感が持てていない。
二度目のアメリカ。一人でボストンの街中を歩いた、そのアメリカのイメージと、どうにも重ならないでいる。なんせ、僕のアメリカ滞在日数は、4回か5回の訪問を全部合計しても30日に満たないですからね。

その kkk が、トランプ大統領になってから一時期、活動を活発化させていた、というニュースを見たのは2年くらい前だっただろうか。当初から、ヒスパニックに対してはかなり差別的な言動を繰り返していたし、どうみても白人至上主義としか思えない言動を重ねて来た。

その背景に加えて、COVID-19による失業、ストレスが加わり、いくつもの要因が一気に吹き出した訳だから、これは一筋縄ではいかないと思う。白人警官の人種差別的な取り締まりのニュースは、かなり昔から結構流れていた気がするけれども、現場の雰囲気が僕にはわからないし、毎回「お咎めなし」みたいになっていたようにも記憶している。よくわからないから、これ以上は言及しないけれども、もし、アメリカが香港や、中東などに対して「人道的観点」などで介入するならば、足元のアメリカ国内で、もっと早い時期から、人種差別的な言動、特に警察などの行動を、それが「州政府の管轄」であったとしても、もっと厳しく律するべきだったのだろうと思う。
ところが、トランプはむしろ、人種差別などあって当然くらいの感じの人だし、その部分に抗議するデモも、これまで何度も起きていたと記憶している。その都度、「あのニュースはフェイクだ」とか、「誰かの陰謀だ」とか、そんな感じの受け答え。

これで鎮圧に軍を投入したら、二度とアメリカは、中国を非難できないだろうな。加えて、どう見てもトランプに、軍を投入する以外の解決策、ご本人の人間性に根差した、というか、いわゆる「政治家らしい」というか、ご本人の「人間力」による解決策が、あるとは思えない。

今まで、どの大統領も「解決」しなかった、というよりもできなかった、アメリカの一番根深いところの問題を、トランプが表面化させてしまったと思う。もっと早い段階で、人種差別路線を放棄したら良かったのに。下手したら、「正当防衛」と称しての銃の使用が、日常的にまかり通る事態にまで、転がり落ちるんじゃなかろうか。そうなったら、アジア系移民も無傷ではいられない気がする。なんせ、コロナは中国のせいだと公言している人たちだから、この黒人暴動に反発する白人側、トランプの支持者側から見たら、今度は「コロナは、あいつらのせいだ」と、アジア系住民が標的になる。トバッチリだと思うけれど。簡単には沈静化しない。経済活動の低迷に拍車をかける。などと、つい最悪のことを考えてしまう。

世界経済回復のシナリオから、アメリカの存在を除外すべきだと思う。
煽って、すみません。
でも僕は、暴力反対です。それが警官であっても、軍隊であっても。

や〜い、デブ!

昨日、久々の授業。4コマ、連チャン。(あ、麻雀用語だ・・・)

マスクをしていても、学生の表情はなんとなく掴めた気はした。それと、声も最後まで枯れなかったのは、良かった。数ヶ月ぶりの授業だと、いつも4コマ目には嗄れ声になるんだけど。

ただ、問題は、ずっと立って歩いて板書してって続けた後、小川町に戻って帰り道、なんていうんだろうか、インナーマッスルっていうか、体を支える奥の筋肉とか、足、特に土踏まずだとか、これまで筋肉痛になったことのない場所が、疲れ切ってるような、それを通り越して筋肉痛を起こしかけてるような、それが今日になってはっきりした「筋肉痛」になって出てきた。足腰の筋肉が、決定的に落ちてる。これはヤバい。

そして、もう、自分史上最高水準のデブ度。一目瞭然の外観。これはヤバい。

事務所のあちこちに「走りに行こう」とか、「ジョギング」とか、(モニターの周りにも、「これが終わったら走る」的に貼り付けたりもしているんだけれども・・・)実際にその仕事が終わると、ついそれを飛ばして別の用事に手を延ばすというか、「走りに行く」はひたすら無視。これは良くない。

「走りに行こう」は剥がして、「や〜い、デブ!」って張り替えようかなぁ、なんて思いつつ。

ありのままの自分を直視する。そして、その自分を認める。以上。(ちょっとちょっと、そこで終わったらダメでしょうが。)

「や〜い、デブ!」の張り紙はいいとして、認めたらどうするの?って、こういうことでしょうかね。「はい確かに私はデブです。それが何か?」と聞き返す。

(モチベーションが低い、ってか、テンション、低いなぁ・・・)

トランプに正論

日本の諺。「馬の耳に念仏」

EU WHO脱退意向のアメリカに再考求め声明発表
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200531/k10012452161000.html


追補

人は、「自分はこうあるべき」という目標を持って生きると、不思議とその目標を達成できるまでに、知らず知らずのうちに器が大きくなってくる、そんなことがあるような気がする。

逆も真なり。この程度でいいやと諦めたり、引いたりしていると、知らず知らずのうちに、その程度のことすら必死でやらないとできない程に、力量を落としてくる、そんなことも、あるような気がする。

かつてのアメリカは、世界の平和を守り、世界の人々の健康で安全な生活を我々が提供する、的な、「大兄貴分」的な意気込みがあった。時にはうざったくもあったりしても、やはり、頼り甲斐のある存在だったと思う。

それが、トランプ一人で大きく変容しつつある。

その「変容した先の、世界秩序」を想定して動かなければ、どこの国も、自国の国益を見損ねるという気がしてならない。

ファクターX

https://news.yahoo.co.jp/articles/3d4fe34fa5d956e9bfe8767dbe01ca6f49c6b14b
ファクターXとは?山中伸弥教授がサイトで仮説立て話題に。大阪府の吉村知事も「あるのでは」と言及【新型コロナ】

日曜日の僕は、「自然科学アタマ」じゃないので、悪しからず。

モーゼ様の時に、モーゼ様を信じた方たちは、ペストに感染しなかった、らしい。
同様に、神の実在を信じ、自分の感情を抑える術を知っていて、その他、etc. etc.(この「その他」を緻密に書けない状況だから、あまり大きな声では言えないけれども、って、ブログに大きな声も、小さな声もあるのかどうなのか・・・)

少なくとも僕は、師匠の講演会に参加するようになってから、インフルエンザのワクチン摂取は一度も受けていないし、感染もしていない。

人間の肉体の細胞は、その人の意識体の「意識」の影響を強く受けている。ウイルスは細胞の中に入り込んで増殖するけれど、(ここのところ、小さい声で・・・、)神の実在を信じ・・・etc.という意識でいるならば、私というヒトも実体は意識体。細胞にも「意識」があり、ウイルスにも「意識」があり、(それぞれの「意識」には、エネルギー量とか、波長とか、違いはあって、包括関係とかもある、にしても、)全てが神の大きな「意識」の中での動きになるから、「神が、そのヒトを望ましくない」と思われない限りは、少なくとも「ウイルス」には感染しないんだろうか、と解釈してはいるけれども、この表現は、間違ってるかなぁ。大筋は、多分、こんな感じに理解しているのだけれども。

こうやって書くと、じゃぁ、志村さんとか岡江さんは、そういうヒトじゃなかったの?なんていう話題になると思うけれど、あの方たちが亡くなられたおかげで、多くの人が自発的に「自粛」した。(自発的に自粛、って、なんか変だな。お腹の腹痛みたい・・・)おそらく、その影響もあって、爆発的感染を抑えられたのだとしたら、物凄い貢献をされたことになる。

上にいる頃の私たちは、(次元、というか、エネルギー量の違いに応じて、)いつ頃どんなことが起きるか、多少の将来は見透せているらしい。その中で、この時にこんなことをしようということも、決めて肉体を持ちに来ている、と、僕は理解しています。もしかして、あの方々は、あの死に方を決めて来ていらっしゃったのかも知れない、そんな気もする。そして、その目的を果たされて、日本社会に絶大な貢献をされた。という気がする。

他人に迷惑をかけたくない、日本人にはそうした意識が強い。「自分が、コロナに感染したら嫌だな」という意識ではなく、「万が一、自分がコロナに感染したとしても、他人には迷惑をかけたくない」という意識、おそらく、それだけではないと思うけれど、僕自身は、感染したとしても発症しないと宣言していますが、同様に、ある程度、師匠が講演会でお話しされた「モーゼを信じ切っていた者は、ペストに感染しなかった(というか、ウイルスが体内に入っても発症しない、という言い方になるのか)という、その「信じていた」条件を満たして、総体的にそうした方々が集団免疫を形成している可能性は、あるのかな、と、僕は思った。

しつこいようですが、今日の僕は、「自然科学アタマ」じゃありませんので、悪しからず。

人獣共通感染症

自業自得なのか? 実は私たち人間のせいで新型コロナウイルスの感染は拡大した?
https://news.yahoo.co.jp/articles/122c5b451c1dcc74de0cb93edee33306fe10eecf

この記事の内容に共感。

人間以外の野生生物は人類の食糧となるために存在している訳じゃない。ヒト以外の野生生物がほとんど見られないような国では、また新たな大規模感染症が発生する、と思う。ジャングルは、経済活動に邪魔なものではなく、多種多様な生命を育む貴重な場所だ、とも思う。

そうした「発想」が全く通じない方々に、発想を改めて欲しい気がする。

専門家会議

専門家会議の議事録が残っていないらしい。
こんな、何百年に一度の経験を、「情報が十分に得られない状態」から、何を判断基準に決断し、それらの決断のうち、(無論あと知恵だから、ある程度情報が豊富になってからの判断として、)何が無効だったか、初期段階でよりベターな判断をするためには、どういう対策をすべきだったか、などなど、「経験」として蓄積するためにも、議事録は克明に残すべきだったんじゃないか、と僕は思うし、そう主張している配信の記事もあった。

なんでなんだろうなぁ、と思うにつけ、要するに、常日頃から「行政」は、記録を残して、後日検証されても支障がない、ような行政判断を行っていない、だから、記録を残す習慣がない。というのが理由じゃないだろうか。だからつい、普段の癖というか、普段の会議のつもりで議事録を作成しなかったんじゃないかと思う。そうでないならば、野党なんかは、理由を追及すべきだね。

で、なんで、記録を残す習慣がない、いや、むしろ、積極的に記録を廃棄するような行政をして来たんだろうか。

推測するに、おそらくは、恣意的に、時には政府から、時には、官僚OBなどが天下りした産業界などからの「要請」に基づいて行政を行っていて、まともに記録を残せるような行政をしていなかったのではないか?100%とは言わないにしても、「大型予算」なんていうのは、大体外部委員会とか、外部の執行組織などに大企業などの関連団体からの人材が集まったりして、それで執行され、「国民一般」(中小零細など、産業構造の底辺も含めて)の声、なんていうのは届きにくい行政だったんじゃなかろうか。

典型的なのが、モリ、カケ、サクラに関する行政判断じゃなかろうか。あれなんか、まともな記録が出て来たと思っている国民の方、ほとんどいないんじゃなかろうか。一部の、SNSに盛んに安倍総理擁護での、誹謗中傷を書き込んでいる方々を除いて。芸能人を責めたって、なんの意味もないじゃない。

全廃しろ、なんて極論は叫ばない。大企業が中心となって動くことにより、効率化を図ったり、確かに、シャンパンタワーのように、下請けまで潤うような仕組みは確立されているのかも知れないけれども、それは大企業が「公益」を考えて動いた場合に限られ、そもそも「私企業」も「フィランソロピー」なんてのを掲げて行動することもある、っていうことは、本質的にはその真逆、自分の会社の利益を追及するために存在している訳であって、公益のために私企業が存在している訳じゃない。日本の場合には、割と「横並び」で、周囲への配慮を欠くと袋叩きに合うような文化が底流にあるから、まだそれでもなんとかなっていたかも知れないけれども、そうした「暗黙の了解」だけに頼って行政をするのは、どうなんだろうか、という気もする。

この時代、行政プロセスも、全て明らかにするようにして、最低でも20年位は保存すべきじゃなかろうか。紙媒体を電子化したらいい。そもそもが、WordとかExcelとかで文書を作成しているんでしょ?(LibreOfficeにすれば、経費削減になるものを。)だったら、電子化して保存するなんて、「余計なコストがかかる」どころか、紙媒体にして保存する方がよほど余計なコストがかかるような気もする。わざわざ印刷して、マジックで塗りつぶしてから、またスキャンする?いや、そもそも、塗りつぶすなよ、なんて思う。公的な金が流れている以上、私企業の名前、個人の名前が出たって、仕方ないんじゃない?議論するとしたら、プライバシーをどうやって守るか、っていうあたりで、「公開」そのものは原則「全部公開」じゃないかと、個人的には私は思う。

行政のあり方にも、突っ込みどころ満載の気がするんだけれども、野党がなぁ・・・。
与党でも、石破さんは主流じゃないから、なんて話があるし。「防衛」に関する主張、以外は、石破さんには共感する部分も多いけれど。
枝野さんとか、長妻さんとか、結構息が長い気がする。野党が決定的に欠けているのは、「具体策」を出すことかなぁ。

その「具体策」で、呆れてしまったのは「日本全国の高速道路料金を、一律千円」なんて奴。あの時のマニフェストなんて、なんの冗談かっていうのが少なくなかった。蜂蜜のシロップ漬けみたいな公約は要らない。国民を馬鹿にしないで欲しい。あの時は、トップが、そういう発想しかできない方だったような気もするけれど。

ブラックリスト

なかなか、PostfixAdminとPostgresデータベースの接続がうまくいかない。結局、Apacheは使わなかった。NginxでダイレクトにPostfixAdminに繋いだ。そこはうまくいった。あと最後の詰め。メールフォルダの設定で、コケてる。

で、ログをみたら、なんと、IMAPへの接続要求が、延々と繰り返されていた。

185.143.74.0/24 のイランから。IMAPデーモンへのアクセス専用みたいだ。元々、松尾くんがロシアからのポートを限定しないログイン要求が、気になってならないと言っていた分も、 /var/log/ufw.logに残っていた。194.26.29.0/24 から。

自分の設定エラーを確認しようと思っても、私が作業をしてから、ログファイルを開くまでの十数秒の間に、もう、大量のログが記録されて、自分の作業ができない。tailでファイルを開くと、あっという間に不正アクセスの記録で流されてしまっていて、自分の作業ができない。

以前、山のように中国から来ていたIP、ごっそりとWhoIs情報が削除された、正体不明のIPアドレスになって、相変わらず結構来ている。どこの国かはわからないけれど。

プッツン。頭に来ました。コマンドを叩いて、両者をブロック。

### tuple ### deny any any 0.0.0.0/0 any 185.143.74.0/24 in
-A ufw-user-input -s 185.143.74.0/24 -j DROP

### tuple ### deny any any 0.0.0.0/0 any 194.26.29.0/24 in
-A ufw-user-input -s 194.26.29.0/24 -j DROP

悪いけれども、/etc/ufw/user.rulesの ルール定義の冒頭に上記の設定を入れて、ロシアからとイランからのこの一連のIPアドレスは、全部ブロックすることにしました。もしかしたら、0/24はやりすぎかも知れないけれども・・・どうせ同じ穴のムジナだと思うから、まとめてブロック。

明らかに、ハッカーからの不正アクセスなので、このまま永続的にブロックし続けます。私は。

いずれ、時期を見て「WhoIs情報をわざわざ削除してあるIPアドレス」も、そのWhoIs情報がない、という理由だけで十分だと思うから、まとめてブロックします。(結構幅広く分散しているので、マスクも、0.0/16くらいになるかも知れない。)たぶん、国家規模でやってる。分析ソフトを書かないと、ブロックする範囲を絞り込めない。

もしかして、まさか、一般のプロバイダがWhoIs情報を削除するとは思えないけれど、もしかしたら、中国からのメールは、うちのサーバでは受け取れないなんていう事態が起きるかも知れない。ただ、メールを受け取る可能性のある人は今のところいない、はずなので、私はこの設定でやります。そういう国からのアクセスは、一切取れなくても構わない。

医学的根拠を

取引先から、問合せに関するメールの転送があって、その確認の電話があり、メールソフトを立ち上げた。昨日、オンライン授業があって、その時にメールソフトを落としたままになっていた。

余裕のある時なら、必要な処理はすぐにしているつもりなんだけれども、ソフトウェアの設定とか、プログラムのコアをいじっている時には、どうしてもメールの応対もできにくくなる。編集仕掛けのソフトは、ToDoファイルに作業内容を書き込んで、中断再開がしやすいように。ただ、メールの場合は、ちょっとカレンダーを見たり、内容を調べたりがあると、ついつい、後回しに。
今朝は、自治会、老人会の「回覧」の督促のお電話をいただくし・・・
その挙げ句、最悪な場合は、返信を忘れる。 —> 最近、「付箋ソフト」ではなく、物理的な付箋を画面の周囲に貼るようにした。そうしたらなんだか、僕のモニター、子供のかいたお日様みたいになってる。)

そうしたら、内村先生のFacebook投稿の通知メールが・・・。ニュースと同じで、つい読んでしまう。これは、割り込み処理。(誘惑に弱いなぁ。)で、何か考えちゃったりすると、今度はそれが気になって・・・(集中力もないなぁ。)

気になるくらいなら、すぐに吐き出して、忘れる。ということで、もう、速攻アップ。
この話題は、付箋にしない。

https://note.com/fujita244/n/ned7d60c55163?fbclid=IwAR2eUpu83_KAR4HWmKyty0KG_m8HObsOK_AClvY0GEvLpsu-fGy3sVx4j8I
京大・藤井教授、岩田健太郎医師、峰宗太郎医師の話を見比べてみた

以下、引用。

申し上げたように、「何が危なくて何が安全か」というのも、科学者がエビデンスを以て語れる範囲ってとても狭いんですよ。分かっていることははっきり発信、分からないことはもう「分からない」にして、今後、一生懸命探す。そして、みんなが当事者としてうにゃうにゃいろいろ試す、そういうことをしていかなきゃだめですよね。

正解はわからないです。

でも、絶対やってはダメなことがあるようです。

空間除菌です。

加湿器などを使ったりして、ミスト状にした次亜塩素酸水などの消毒薬を噴霧する、というものですが、これは本当にいただけません。

というのは、「空間」を消毒してウイルスを有効に不活化することができるという証拠はまずないんです。そして、さらに、こういった消毒薬はいずれも化学物質であって、人体に有害である可能性がある。

さて、ウイルスが空気中をただようこともあることから、「空間除菌」というのは、一見魅力的な発想であることは確かなのですが、何ひとつ有効性が証明されたものはありません。

次亜塩素酸水、二酸化塩素、オゾン、置き型や首からかけるカードのようなものまでありますね。いろいろ出てきますが、人がいるときにできるような「空間除菌」は意味がないですし、スプレーやミストで人や空間に吹きかける行為は絶対にやめなくてはなりません。被害が出てからでは遅いですから。

専門家がここまで指摘するのに最近、あちこちで見かけますね。

私は、消毒液吸ったら害があるだろうと思うので、避けるようにしていたのですが、それは良かったようです。

言葉を選ばず言わせていただけば、首からこの手の「空間除菌カード」とやらを提げている人は医師からは「あ、リテラシーの低い人が来た、注意しよう」と思われる目安になっていますし、ミストで消毒薬を噴霧しているお店は逆に感染対策が不安になります。

こうした最短の正解に見えるようなもの、しかも、科学的裏付けがありそうなものに、現代人は弱い。多くのニセ科学がそうした人間の心につけ込んで商業化されています。

専門家が皆で認識してしっかりと広報していることを、あえて逆張りしたり、それ以外の「ミラクル」な方法、つまり「神風」を、業者やメディアの宣伝で信じてしまっている。何か状況を改善したい、という思いが逆に働いてしまう。そういうところが我々の国、というか、おそらく人間には、どうしてもあるのですよね。

エビデンスを重視するあまりに、エビデンスの達成だけが正義になり、それを超えても緊急事態宣言が解除されなかったのは「罪だ」とまで指摘する科学者がいたり、普通の市民なのに集団ヒステリーに陥って自粛警察を始めたり、空気中に消毒液をばら撒いて安心してみたり、人間は、ある単一の価値に囚われると、極端に走りがちです。

是々非々、心に余裕を持って、一つ一つ解決していくしかないと思います。

危うく、僕も「空間除菌」は思いついた。ただ、調べる時間がなくて躊躇していただけ。書かなくてよかった。直感に頼りっぱなしなら、書いていたかも。

日本の場合には、まだ救われるのは、どこかの国に大統領と違って、科学的な根拠がない思いつきをツイートし、それを鵜呑みにした人が信じて亡くなったりする、なんていう事故が起きていないことだろうか。あの国では、全然懲りてないみたいだし。あれに比べたら、日本は遥かにマシだ。

マスコミにも、慎重になって欲しい気がする(数ヶ月前は、あれ?という内容も時々見かけた、)し、何よりも、誰もが「解説」を読むだけではなく、「オリジナル」の(さすがに、学術論文は難しいかも知れないけれど)根拠のしっかりしたものを複数箇所で確認してから行動するようにしないと、消毒液を吸いました、重症の中毒になって、一生障害が残りました、では「遅い」と思う。

アカウント削除

Twitterにラベルを付けられたトランプ大統領、SNS標的の大統領令に署名
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2005/29/news062.html

しばしば思う。Twitterにしても、Facebookにしても、よくサーバが持ち堪えているよな、なんて。随分昔、「天空の城ラピュタ」が日本でテレビ放映されると、「バルス」と叫ぶシーンで、見ている人たちが一斉に「バルス」とツイートしたもんだから、Twitterのサーバが落ちた(落ちたか、輻輳して繋がらなくなったのか、忘れたけど)なんて話を聞いた。以来、あの日テレ系のテレビ放映の「バルス」は、「バルス起きしメータ」と呼ばれて、サーバ性能の指標になってるとか、なってないとか。(滅茶苦茶、適当に書いてます。)

虚偽の自分を登録して、適当な話題を拡散する人も少なくない。そういう人たちに「警告」を投げないならば、訴訟リスクを抱える。

だとしたら、事実を自分に都合よく曲げてツイートする人たちに対して、SNSの運営会社は、アカウント削除する権限を行使するしかないんだろうな。

それが大統領であっても。だって、他に訴訟リスクを回避できないとしたら、それしかない、はず。

アカウント削除に対して、不当だという訴訟が起こされたなら、大統領令がアカウント削除の正当性を主張する法的根拠になると思う。

戯曲

これって、禁じ手だよなぁ、なんていう気もする。

20年以上前だと思う、学校現場で君が代の斉唱を「義務化」するとか、なんだとかで揉めた時、口を動かしていないと指摘されて、教員が懲戒処分になったなんていうニュースが流れていた。(記憶が正確ではない。騒がれて処分が取り消されたか、覚えていない。)

要するに、口を動かして、そっくり歌えばいいんでしょ、ということで、こんな話題を書いた。正確には再現できないけれど、確かこんな感じ、というお話を再現する。(内容的には、相当に無理があるんだけれど。)

これを書いた後、当時入り浸っていたスナックに、右系統の方が見えた。マスターとは馴染みみたいだったけれども、その方に、やんわりと「ざれごとも、ほどほどにしときな」的に言われて、以来、程々にはしていましたが。
けれど・・・今回は目的がちょっと違うので・・・


戯曲

(女が舞台の中央に走り込んで、止まる。すぐに、男が追いかけて、女の後ろに距離を置いて立ち止まる)

女: 「君が、弱っちぃように・・・」

(男、「違う」と叫びかけて、言葉を飲み込む)

男: 「ぃや、ち・・・」

(間)
(男、女の前に回り、何かを差し出して、女に見せ、これこれ、と無言で指さす)

男: 「ように、さ」

(女、男が見せた紙切れを、ひったくるように奪い取り、床に投げつける)
(男。しばらくして、女を抱き寄せ、さらにしばらくして、手で女の体をまさぐる)

男: 「戯れいいし、のぉ」

(女、しばらくして目を閉じ、小さく呟く)

女: 「いいわ」

(女、少しして、目を見開き、鼻をひくつかせる)

女: 「お隣って、骨鶏のムースまで」

(女、男を腕で押し離し、男の顔を睨みつけてから、退場)
(男、女を追いかけるように、退場)


えぇと、あえて説明はしません。まるで芝居にはなっていないかも知れませんが。わからなかった方は、セリフの部分だけをつなげてお読みください。

要するに、歌うことを強制され、声を出さなきゃ懲戒処分だ、なんて騒ぎになるくらいなら、「君が弱っちぃように」とか「戯れいいし、のぉ」とか「いいわ」とか、その辺のセリフや舞台を思い浮かべながら、思いっきり声を出して歌えばいいじゃんかさ、というつもりで書いたパロディでした。
(20年も前に書いた話題を、わざわざ記憶の片隅から引っ張り出して来て、しかも解説を加える、なんて、老けたね。俺も。)

日本語の場合には、漢字が使われている。漢字には、音が同じでも全く意味の異なる文字がいくつもあり、全く同じ音でありながら真逆の意味を持つ言葉を創り出すことは、簡単ではないかも知れないけれども、できないことはないんじゃないかなぁ、なんて思う。
(ってか、やっちゃったけど。)

歌うことを強制される。本人の思想信条に背く行動を強要される。僕は、そうやって自由を奪おうとする権力が大嫌い。
大嫌いだけれども、権力が権力剥き出しに、やれ懲戒処分だの、逮捕だの、拷問だのとしてくるとしても、心だけは自由であって欲しい。心の中では真逆のことを考えながら、音だけは「形式」に沿った音を出して歌を歌う。それでいいんじゃないのかなぁ。

暴力はよくない。無駄に逆らって、命を落とす必要だってない。心は自由だから、無論、こうした「替え歌」を作るだけで、15日以内の勾留なんていう国もあるみたいだけれども、もちろん、公にはせずに、ひっそりと裏で回し読みしながら、表向き「歌え、敬え」って言われたら、真逆の意味を思い浮かべながら、思いっきり大きな声で歌ったらいい。
僕はそう思う。

そうやって、大きな声で歌えるような、真逆の意味を持つ「歌詞」を考えるのって、楽しいと思いませんか?
どんな逆境だって、楽しまなきゃ。
言葉を発する以外に、僕には何もできませんが、応援しています。

えぇと、どこを応援しているかって、もちろん、「日本を」です。
僕がこのページに書いた話題は、日本以外のどこの国のことでもありませんので、そのようにお読みください。

緩和

神奈川)「長かった」 休業要請、神奈川は27日解除
https://www.asahi.com/articles/ASN5T7SKLN5TULOB00S.html

昼のNHKニュースで、全国知事会での黒岩さんの発言が流れていて、一部引用して突っ込みたかった場所があるんだけれど、記事を見失った。
「混乱が起きていない」ってな表現が気になった。起きて欲しくないのは「混乱」ではなくて「感染」でしょ?感染が起きていないかどうかは、まだ3〜4週間経たないとわからないでしょ、と言いたかったのだけれども、元記事を見失って、突っ込みどころがわからなくなった。

でも、基本姿勢は慎重みたいだから、いいのかな、なんて。(すぐに折れる、いい加減な私。)

大阪府の吉村知事に続き、神奈川県も、勇気があるなと思った。
誰かが突破口を開かなけりゃならない、としても、もし時期尚早とかだったら、「やっぱりな」と袋叩きにあうのが日本の社会。
どうか、大阪モデル、神奈川モデルで「成功事例」を出して欲しい気がする。

僕の個人的な見解。マスクをしているだけで、相当に感染の抑止になると思う。誰かが対策をサボって、それでも何も起きなくて、みんながそれを真似してサボるようになっても何も起きなかったなら、たぶん、その「サボった」対策は、あまり効果がなかった、ということになるんだろう。

医療現場の「対策」は、基本的に体力の弱っている患者を相手に「ちょっとでもリスクがあるなら全部排除する」発想がベースにあるから、一般の感覚からは「やりすぎだろう」的な部分もあるかも知れない。ただ、「感染爆発」が懸念された時の判断で言えば、結果オーライとしか言いようがない。
ここから先も、「こうでなければならない」というよりも、「結果オーライ」に収束すればいいんじゃないか、なんて思う。賭けですからね。結果が出てから、「あれは無駄だった」ってなったとしたって、わかっていない時点での判断としては、「仕方ないでしょ」と思う。

だけど、こうして、都道府県によって、独特の「個性」が行政なんかでも出てくると、本当に地方によって「住みやすい」とか、「魅力がある」とか、色々と分かれてくるんだろうな。中長期的に、東京以外の「地方」(神奈川も埼玉も、地方じゃないよな。僕も、出身地を聞かれると東京って答えるし)が、どんどんと、若者にとって「住みたい場所」「仕事しやすい場所」「魅力のある場所」になって来たら、いいな、なんて思う。

国旗・国歌

随分昔、もう20年とか30年前だろうか。
文部省が教育現場で、国旗の掲揚や、国歌の斉唱など、国旗・国歌を半ば「強制」するという騒ぎがあって、現場や、主に左系の方々から猛反発があった。僕も反発したクチだった。

ただ、僕の主張は一つ。「尊敬しろ、と強制されて『尊敬してます』なんて、嘘くさい。国旗や国歌が、誰からも大切にされるような国にする方が先だろうに。それをせずに、『尊敬』を強制する、なんてのは、いかにその国の中身がスカスカか、如実に物語っている。」

念のために書いておくならば、これは僕が、日本政府に対してかつて書いた文章で、僕自身の持っているハードディスクかフロッピー(もう読めなかったりして・・・)のどこかに、記録が残っていると思う。他のどこの国のことでも、ありません。日本の話です。

それが今では、サッカーでもラグビーでも、ワールドカップで、多くの日本人が感動しながら、日の丸を見て、君が代を一緒に口ずさむ。これが理想形でしょ?誰からも強制されていない。

同じことは、きっと、新型コロナの「自粛」でも言える。全員でなくたっていい。自覚のある人間が、自発的に考えて行動して、結果を出せれば、それが理想形だと僕は思う。

強制される、なんていうのは、要するに「強制されなきゃならない現状」があるから、だと思う。
例えば、街中でも平気でウン×や小便をしたり、痰を吐いたりする人間が多いから、「街中で、ウン×や小便、痰を吐くと罰金」なんていう法律ができる。そうした法律があるならば、そういうことをする人間が多い、という証拠だと思う。

もし、「国旗・国歌を尊重しろ」という法律ができたならば、その法律の存在そのものが、国民の大多数がその国旗も国家も尊重していないか、あるいは、その国家そのものに尊重されるべき実態がないことを、証明していることになると、僕は思う。

しつこいようですが、日本の話です。

軽犯罪法第1条第26項   (<==間違ってたので、後から訂正しました。)
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=323AC0000000039

PCR検査件数

別に、収束した訳ではないと思うのに、なぜか、収束したかのような風潮。

これまでデータを見ていたサイトが、全く繋がらなくなった。Facebookのシェアが2万で、Tweetが9271。完全に、サーバのキャパシティをオーバーしたみたいだ。

代わりに、これを見つけた。東洋経済か。東洋経済の記事は、比較的よく調べられていて、立場も明確だと思っていたけど、グラフもわかりやすい。(こうやって、書いちゃうと、さすがの東洋経済のサーバも、オーバロードを起こすか?)

https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

で、PCR検査の件数が微妙に減っている。医療現場から「調べて欲しい」という要請が減った、ということなんだろうか。グラフだけ抜き出すと、これ。

経済活動や企業活動を、社会的な重要性や、感染リスクなどでレーティングして、段階的に再開する方針は、良いと思う。

PCR検査も、緊急性や重要性でレーティングしたなら、今だからこそ調べられる対象もいると思うのだが・・・。具体的には、医療従事者や、高齢者福祉施設などの「全員」。クラスターが発生した場合に、病人も、高齢者も、重症化リスクが大きい。「たまたま、今のところクラスターの発生は確認されていない」としても、若い医療従事者の方やスタッフの方、あるいは若い介護士さんたちが、感染していないとは言い切れない。マスクをして、十分に配慮しているから、周囲の誰かが「発症」するような感染の仕方をしていないだけ、という考え方は、できないものだろうか。

検査件数に余裕が出てきているならば、今こそ、医療現場、介護現場のスタッフ全員のPCR検査を実施し、現場に「安心感」を提供する、あるいは、万が一、無症状もしくは、極めて軽症な「感染者」がいたとしても、クラスターになったり、誰かの発症で顕在化する前に、検査のキャパシティの許す限り検査を実施する、という発想はないものだろうか。

営業再開の優先度と同様に、PCR検査の優先度もつけて、(検査の現場の方は大変だろうけれども、)無理のない範囲で、検査のキャパシティの許す限り、検査をすべきだと思う。おそらく、優先度をつけるとしたら、こんな感じになるんじゃないか?

1. 症状の出ている患者
2. 症状の出た人の、濃厚接触者や家族
3. 濃厚接触者や、家族などから辿れる人たち。—> クラスターの追跡
4. 発症した患者を受け入れている病院の、担当スタッフ(この辺までは、既に定期的に調べているんだろうな)
5. 発症した患者を受け入れている病院の、その患者を担当していない他のスタッフ全員
6. 大手術を受ける予定の患者(万が一感染していた場合に、執刀医など医療従事者に感染させるリスクが高い)
7. 高齢者福祉施設のスタッフ全員(誰かが感染していた場合、クラスターとなり、高齢者は重症化しやすい)
8. 一般の医療機関のスタッフ全員(誰が感染しているかわからない、としたら、診察する医師や、病院スタッフは、高リスク群になると思う。)
9. 学校、保育園、幼稚園などの専任教員(三密を避けたとしても、閉じた空間で長時間至近距離にいるから、感染リスクはある程度高い気がする。)
10. 不特定多数の来客を、店頭などで接客する仕事。

10あたりから下は、際限がないし、適当に書いているだけだけれど、余力がある時こそ、検査の枠を広げて、摘める感染の芽は片っ端から摘んでおくのがいいような気がする。余裕があるなら、今こそ、このPCR検査の対象もランク付けして、検査件数は減らさない、という発想はいかがでしょうか。

数ヶ月、かなりの過労だったのだろうから、多少は「お休み」があってもいいかもしれないけれども、第二波を防ぐとしたなら、いきなり「不特定多数の全数検査」ではなく、段階的に、感染リスクなどの高い群から、継続的に段階的に「検査の範囲」を広げていくべきじゃないか、という気がする。

医療機関から上がってくる要請の件数が減りました。じゃぁ、検査しません、っていうのは、あまり賢明ではないような気がする。

誹謗中傷

この話題、僕自身は全く偉そうなことは書けない。何か書けば、そっくり自分に跳ね返ってくる。それは自覚しつつ。書く。
このページ、のっけから師匠の講演会からの僕の理解の話題。

「あんな奴死んじゃえ。」と思ってしまったこと。僕は、かなりあります。数え切れないほどではないけれども、まだ数え切れていない。特に、十代前半から三十代にかけて。思ってしまった結果、誰がどうなったか、かなり鮮明に記憶している話題もあるけれど、書きたくないので書かないし、思い出せてすらいない相手もいると自覚。
で、この「あんな奴死んじゃえ」は、思ってしまっただけで自分自身の意識を相当に汚している、と理解している。自分自身に対するその結果が明らかになるのは、肉体を抜けてから、だと理解している。極論すれば、思ってしまったこと、全てを自覚できるまで、いわゆる(本物の)地獄から出られない、ということだと、僕は理解している。念のために加筆するなら、この「地獄」というのは、意識の汚れた方々が、本人が自分の汚れに気付いて、自分で汚れを落として、上に戻ってくるまでの「隔離空間」のようなものだと理解している。今時の話題に便乗すれば、感染症に感染した方々が隔離されている空間のようなものだと、僕は理解している。

思ってしまっただけでも、これだけの結果になる。さらに、それを言葉にして、相手に突き付けたなら、結果がどうであれ、もしかしたら、実際に相手に対して殺傷行為を行った以上に、汚染されたものとして、汚れた魂として、深いところに隔離される、ということは、知っておいた方がいいような気がする。要するに、肉体を傷つけたとした、その肉体は、その方の「乗り船」というか、「仮の姿」でしかない。一方で、その方ご自身というヒトの実体は「意識」そのものなのだから、肉体を経由せずにいきなり相手の「意識」を攻撃しているのが、「お前なんか死んじゃえ」という「言葉」だ、ということは知っておいた方がいいような気がする。言葉を発した自分が、「不特定多数の一部」だから、バレない、とでも思っているのか、思った時点で既に、上にはバレていて、反省できない限りその後が確定していると理解しておいた方がいい。

なんて話題を、とりあえず僕も言葉にしてみた。それを、面と向かって直接伝えたとしたって、全然聞く耳を持たない相手がどれだけ多いか、このトシまで生きてくると、よく理解してはいるけれども、それでも、一応は書いておきたかった。

僕が、安倍総理を攻撃し始めたのは、「武器輸出三原則」を閣議決定だけで取り消してから。その時点から猛攻撃を始めている。世界が平和になるための一つの「方策」として、ヒトを殺傷する「武器」は、自衛のためにのみに使うけれども、攻撃のためには使わないし、輸出もしない。それを、あの人は、閣議だけで一気に覆した。それ以来、あの「武器輸出三原則」が復活するか、従来以上に海外移転を厳しくすることがない限り、僕は、安倍総理への攻撃を止める気はない。モリ、カケ、サクラ以前の問題。僕は、あの「武器輸出三原則」の時から、全く同じテンションで書いている。(反論があるならば、過去に書いて消したページも、復元はできる。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%99%A8%E8%BC%B8%E5%87%BA%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87

きゃりーぱみゅぱみゅさんが、いわゆる「検察庁法」への意見を書いたところに、いわゆるネトウヨの攻撃が集中した。その後の「芸能人だって人間だよ」という感じの発言にまで、非難が集まった。
曰く、なんだっけ「芸能人だけじゃなく、政治家だって、人間だよ」だったかな?

一言書かせてもらうならば、きゃりーさんが何を書いたって、株価は変わらないし、失業者が増えることはないけれど、政治家が馬鹿なことをやれば、場合によったら、連日何百人もの人が死に続けたりする。その、芸能人と政治家の違いが理解できない方々が、あまりにも多すぎる。場合によったら、政治家は、自国民や他国民を、数十万人殺すことができる立場にある。そうした方々の言動を、非難するということは、国民としては「自衛」のために不可欠の行為でもあるし、中国のように「政府への非難」を一切認めていない国ならば、国民が国によって殺されても全く文句は言えない結果になるけれども、日本は違うでしょうと言いたい。
決して、きゃりーさんを見下している訳ではなく、「政治家」の責任は、ずっと重いはずだし、政治家の暴走に対して「非難」を浴びせるのは、国民の義務だと僕は思う。

そりゃ、聞く耳を持たない安倍総理みたいな人なら、場合によったら、「非難」を通り越して、誹謗中傷、罵詈雑言に近い域までいくさ。言葉が通じないんだもの。はい、僕が書いているのは、「非難」ではなく「誹謗中傷」です、と開き直ってそれを公言した上で、僕は顔も住所も晒して、同じテンションで続ける。

つるの剛士さんが、安倍総理を擁護して、#安倍総理お疲れさまです。だったかな、そんな感じのハッシュタグをつけたツイートをされたとか。新型コロナ対策に関して言えば、こればっかりは、「先がわからない」話題だから、安倍総理の対応は、100点満点で、75点とか80点とか、そこそこの点数を、僕だったらつける。是は是だと思う。ただ、問題は、どさくさ紛れの検察庁の法案だろうか。あれだけで、僕の中では、コロナ対策の「お疲れさま」なんて全部吹き飛んでる。僕の中では、50点は減点している。満点の答案を落第させることのできる「減点」の幅。

賭け麻雀。僕もやったことはありますよ。「賭博」らしいから、お店で「徹夜」でやったりした時は、お店の方が玄関に鍵をかけて、外から人が入れないようにしてたな。学生時代、高田馬場界隈。でも、見つかったら、結構な処分があったみたいだな。
それが、同じことをやっていても「訓告」だけなら、車を運転していた時のスピード違反も、一時停止義務違反も、駐車違反も、(駐車違反は、場合によっては結構迷惑だったりするから、ちょっと別にして、)スピード違反だって、一時停止義務違反だって、全然、誰にも迷惑をかけていない、安全だって確保できているケースが少なくないんだから、全部「訓告」にしてよ、と思う。変でしょ、おかしいでしょ。検察の、ほとんどトップの方なら、訓告で済む、って。

それが、安倍総理の差し金ではなくて、検察庁本体の判断だったのならば、もう、当然のことながら、一般の国民には、あの「訓告」よりもはるかに軽い処分を全面的に適用すべきだ。「断罪する側の頂点」にいる人と違って、僕ら、生きるために必死で「スピード」出したりしてるんだから。
安倍総理、「あれは、内閣の判断じゃなくて、検察側の判断だ」っていうんでしょ!?だったら、その検察に、「国民にも、同様の判断をしなさい」と厳命すべきだ。できないの?だったら、嘘をついているんじゃない?

なんてことを、僕は思うもんだから、つい、安倍総理のあれこれには、食ってかかる。
(きゃりーさん、ごめんなさい、決してあなたを貶している訳ではないけれども、)芸能人と政治家が「同じ人間」って、確かに、ヒトとしては同じだけれど、責任とか、影響範囲は全然違うと、僕は思う。

話が、非常に逸れている。(安部の名前を出しちゃったから・・・)

誰かを非難するにせよ、誹謗中傷するにせよ、自分の顔と名前は晒せ。それができないなら、黙れ、と僕は思う。

Certbot

Certbot の設定も通った。とりあえず、今日試したかったことの一つが解決した。やった〜。って、なんだかNack5 で、大野さんが夕方のニュースを読んでるなぁ・・・

思えば、海外の認証局に申し込んだら「会社の実在証明」のところでえらく手こずって、その挙げ句、間違った鍵を送られた影響でサーバのhttpsが動作せず、さらに、PHPのバージョン更新で、ついにアプリが動かなくなった、という三重苦。別に、片手間にやってた訳じゃないんだけれど、抜本的に、「全部自分でサーバの設定をやる」と決めて、なんとかここまで来た。(次は、国家試験アプリの移植だ・・・。他にもやることあるけど。)

本当にありがたい。認証局の役割、してくれてるんですね。5回設定を失敗したら、1時間の利用制限がかかっちゃって、それで気がついた。「自己認証」ではなくて、コマンドを叩くだけで、認証局の設定をやってくれていたんですね。感謝。

https://certbot.eff.org/
Certbot

本当なら、寄付したいところなんだけれども・・・。もう、ピーピー言ってるもんで。私自身は何も出来ませんが、寄付サイトへのリンクを貼らせていただきます。このページをお読みになった方は、是非、ご寄付を。(無責任な奴め・・・)

 Donating to ISRG / Let's Encrypt: https://letsencrypt.org/donate
 Donating to EFF: https://eff.org/donate-le

Let’s Encrypt

EFF

松尾くんにも感謝だなぁ。彼がググりまくって調べまくって、見つけてくれた。感謝。

彼の住む家の方には、足を向けて寝られない。北枕になるから・・・ そんなことしたら、申し訳なくて。

ラッパー

昨夜、どうしても動かなかった部分が、今朝見直したらすぐに解決した。
ファイアウォールの設定で、”Nginx HTTPS”の、Sが落ちていた。
この見落としで、2時間は悩み、最後は疲れて寝た。こんなもんだよなぁ。さっさと寝りゃ良かったんだ。今更ながら。

Django の WSGI のデプロイで、gunicornを立てた。それを socket で Nginx につないで、さらに最終段階で Certbot を被せた。
(松尾くんが調べ上げて、組み上げてくれた。僕はトレースするだけで済んだ。)

ここに、 PHP を走らせて apache のデプロイを同時に立てる作業。Nginx をフロントに立て、Nginx に apache と gunicorn を 切り分けさせる形になる、はず。論理的には出来そうだと、一応目処は立てたんだけど、まだまだ、悩みそうだ。

加えて、 Django の ASGI も同時に走らせる。 ASGIのデプロイは、daphneを使う予定。結局、処理系 三系統を同時に走らせながら、フロントでは、「一つの窓口です」的な顔をさせたい。道のりが遠い。

昨夜悩んだのは、 gunicorn 単体では動いていたのが、ソケットにつないで、ソケット経由でポートの8000番につないだら、curlではソケットから取れたのに、どうしても、外からのアクセスが繋がらないことだった。
一旦、単体での動作確認を諦めて、松尾くんがパイプを通してくれた gunicorn / ソケット / nginx / Certbot という全部のラッパーを被せた段階での動作確認だったのだけれど、一度は動いていたはずなのに、動かないので頭を抱え込んでいた。今朝、とにかく動いたけど。

ファイアウォールの設定ミス。そして、gunicorn.socket での接続テストがうまくいかない理由もわかった。
たぶん、certbot が動きっぱなし、だったから、なんだろう。テストのやり方も難しい。単に certbot を止めるだけではなく、nginx の設定ファイルも、443番を使うか、80番を使うか、切り替えないといけないし。つながったことを試せたんだから、もう、ラッパーを剥がして下の層の出口で動作確認する必要はないんじゃないか、って、そういう訳にもいかないだろうなぁ。フロントに Certbotがいる、っていうことは、そこから nginx 、今度は gunicornじゃなくて、 daphne につながってる事を確認しなきゃならない。apacheも走ってくる。つなぐところの問題なのか、そもそも、socket に流れてきていないのか、それも試さないといけないし。
やらなきゃならないんだろうなぁ。やっぱり。

必要最小限の編集操作の記録だけ残したつもりが、都度調べた「解説」まで書き込んで行ったら、「設定手順」の手順書のテキストファイルがついに1000行を超えた。まだ半分も来ていない。やれやれ。

体の方は、体脂肪がついちゃって、走り込みどころか、ちょっと歩くと筋肉痛っていう感じになってしまったけれど、サーバエンジニアとしては、かなり「走り込み」が出来てきた気がする。もう一息。

かなりの長丁場なことはわかった。「区切りがついたら、走りに行こう」と思っていたけれど、区切りがつかなくても、走りに行こうと思います。このままだと、「過去最高体重」を更新するのは時間の問題。

貧乏学生の皆さんへ

仕事に入り込めないなぁ・・・。「脱線」する以前に、本線を走れていない。いいや。書いちゃおう。ってな訳で・・・

「コロナ休学・退学」に怯える大学生の困窮実態
https://toyokeizai.net/articles/-/348520

テレビのニュースで、手持ちがあと数千円。2合のお米で、薄〜いお茶漬けにして連日それを食べている、みたいな学生の談話が流れていた。

お勧めは、「乾燥芽ひじき」。100均でも売られているかも知れない。ご飯を炊く際にこれを入れるだけで、栄養価は随分と違う。100円で10回、20回と「栄養価の上乗せ」ができる。特に女子には「ひじき」はお勧め。
なかなか手に入らないかも知れないけれど、「ふすま(グラノーラ)」の粉末があれば、ご飯を炊く際に加えると、不足している栄養価が補える。「ひじき」を加えると炊き込みご飯風になるから、ふすまとかがちょい足しされていても、あまり目立たない。

生卵は、安いのを探すと4個で100円とかで買える。卵を3日一度くらい食べるだけでも、随分と体力維持には違うと思う。(パプアニューギニアでも、生卵は流通していたので、とても助かった。)葉物野菜も、季節によって安いのはある。

どうか、本職の管理栄養士とかの方々に、「週300〜400円の追加」程度で、健康を維持できる「ちょい足し」テクニックを広めて欲しい、気がする。以上

#きゃりーぱみゅぱみゅさんを応援します

俺、Twitterのアカウント、持っていたっけ?アカウント名が社名なので、暴れにくい。(別アカ、立てようか・・・)一応、会社の公式アカウントにするつもりだったので・・・

Facebookにも、書いているけれど、卒業生との繋がりも多くて・・・あまりプライベートな意見で暴れたくない。で、結局、こっちのブログ。

なぜ、これが「誹謗中傷」になるんだ?

誰かの意見を引用して、なんて思いつつ、Twitterの書き込みが激しくて、あっという間に更新されてしまう。大半の意見に僕も同感ですが、印象に残った一言、二言を、自分の言葉で書き換えます。内容的には「引用」ですが、

「批判」は「誹謗中傷」ではない。きゃりーさん(ひらがな、だったのね)の発言は「誹謗中傷」ではない。「非難」ですらないかもしれない。どう見ても。それを「非難」する人たちの書き込みは、本人は「非難」だと主張しつつ中身は「誹謗中傷」がほとんど。(引用したくないなぁ。)

この書き込みを「誹謗中傷」だと騒ぐ人たちは、安倍総理支持者、と言うか「日本、大好き」な人が圧倒的に多いようだ。なぜだ?こんな書き込みが続くと、俺、日本を嫌いになりそうだ。

テラハ・木村花さん急逝、現場に問う不幸の元凶
https://toyokeizai.net/articles/-/352379

言いたいことの大半は、既に多くの方が書かれている。同じことは書かない。

誰かを責める発言をするなら、実名を晒せ。僕は実名/社名どころか、住所までこのサイトから辿れる。こそこそと隠れて書かないで欲しい。本気の喧嘩をするつもりがあるなら、いつでも受けます。

そして、多くの「誹謗中傷」に晒されている方々に思う。どうか、お願いだから強くなって欲しい。耐えていれば、きっと流れが変わるから。

きゃりーちゃんも、頑張れ!どうか、みんな、頑張って。

医療体制

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200524/k10012443061000.html
緊急事態宣言 あす全面解除を諮問へ 政府 新型コロナ

まずは、良かった。ただ、気になったのは、ここ

医療提供体制も改善しているなどとして

受け入れキャパシティに対して、現在入院している人の数の数字、昨日だったかテレビで見たけれど、半分以下だったかな。

上げたり下げたりで、節操がないけれども、これが国公立病院ならば問題ないとして(ない訳じゃないけれども、いきなり経営難にはならないとして、)私立大学の附属病院とか、市町村立病院とかだと、「設備投資」に対する「回転率」が下げれば、当然経営には影響するんじゃないか、という気がした。

「回転率」ってさ、回転寿司じゃないんだから、できる限り入院患者で病室を埋めていたい(いや、きっと、経営サイドの本音でこれはあると思うけれど)という思いがあったとしたって、なかなか、声を大にして「患者さん、ウェルカム!」とは言えないんじゃないか、とも思った。
行列のできるラーメン屋。ラーメン一杯を1時間かけて食うやつは稀だろうし、早い人だと10分くらいで食べて席を開けたりするだろうし、「回転率」がよければ経営にはいい影響があるはず、だと、素人の私は考える。(素人、って、あんた一応、会社の社長だろうに。って、あたしゃ請負開発のエンジニアで、BtoCじゃないから。でも、請負にだって「回転率」はあるんじゃないか?・・・この話題は、ちょっと脇に退けませんか・・・話が前に進まないから。)

「医は仁術」とか言う。それをパロって、「医は算術」なんて言う言い方も、聞いたことがある。
どっちもどっちじゃないか?

「仁術」の「仁」とは、簡単に言えば「愛」だろうか。愛をもって医術を行って欲しい。とは、確かに思うけれども、医学とは「愛」です、って言われると、へそ曲がりな私は思う。医術は、医学的な知識に基づく「技術」(=スキル)とか「診断」(=判断能力)じゃないんですか?そこに「愛」を全面に出されても、ちょっと困る気がする。確かに、「愛をもって」医術を行って欲しい、とは思うけれども。医術=愛ではないでしょ、と思う。確かに、愛を全面に出されると聞こえはいいけれど、聞こえがいいから、単なる病院のキャッチフレーズに聞こえなくもないし・・・。貫く思い(バックボーン=背骨)に「愛」を持っていて欲しい、とは間違いなく思うけれど、医術は歴然としたスキルと知識の塊、だと思う。

「算術」の「算」とは、いわゆる算盤(ソロバン計算)(若い方、あまりこの表現は聞かないか。)で、採算とか、悪い言い方をすれば「金儲け」主義を皮肉った言い方、かなと思う。(若い方への解説でした。)
だけど、「病院経営が成り立たなくなって、廃業しました。結果として、この市には総合病院はなくなりました。」なんて話は、結構ないかなとは思う。地方に行けば、医者はいない、病院はない、設備を購入する金もない、年寄りばっかり多いから「金になる患者」が入ってこない。それでも「医者のいる病院が欲しい」って言うのは、「我がまま」になってしまう。算術は算術で、やっぱり必要じゃないですかね、とも思う。

コロナで話題になった人工呼吸器。現場でよく使われている機種がいくつかあるみたいだけれども、一昔前で、ちょっとした機械だと500万円した。今、どれくらい安くなっているんだろうか。数十万円まで下がっているんだろうか。これだけ「需要」が膨らんで、量産体制に入ったなら、あるいは、中国で量産をしているなら、たぶん、数十万円台にまで下がっているんだろうか。
本体がそれでも、いわゆる「呼吸回路」(合成高分子製の空気の通り道)は、ディスポ(使い捨て)ですからね。保険点数の設定計算がどうなってるのか知らないけれども、人工呼吸器一台買うにしたって、市中のクリニックには、かなりの決断が必要になる。安い買い物じゃない。加えて、ディスポの器具を使い回して、院内感染なんか起こしたら、マスコミの袋叩きの餌食になる。
だから、「医は算術」とか揶揄する声を聞くと、しっかりした「経営のバックボーン」がなければ、安定した医療行為は提供できないんじゃないですか?なんて言いたい気分も、ちょっとある。コロナ後、経済学部なんかに「病院経営学科」ができたって、おかしくない気がする。(って、俺が知らないだけで、既にあるか?)

ただねぇ・・・簡単な話題じゃない。
まず、医者を育てるのに金がかかる。医療設備を整えるのに金がかかる。陰圧の設備を整えるのだって金がかかるし、冒頭に書いた、「空きベッド」を一定比率確保しつつ、経営を維持するにも、それなりの資金力は必要になる。日本には、「分野ごとに最適な経済のプロ」を配置する、という発想がないから、仮に「病院経営士」なんていう資格を作ったって、年寄りは「そんな資格必要ない」とか言うだろうし、就職活動にもあまり役立たないに違いないのが現状だと思う。

長丁場、ですからねぇ。インバウンドの観光業を支える、なんて話になったら、「感染検査がきちんとできていない国」からの観光客だって、受け入れざるをえないんじゃないでしょうか。そうなると、地域医療の拡充は不可欠になるんだろうし、今はもう、悠長なことを言ってられない、待ったなしの問題になるのかもしれない。

きっと、例えば、東京以北で言えば、北海道は札幌、東北地方は仙台あたりにある程度の資源を集中させて、例えば東北だったら「重症患者は、とにかく仙台に集める」みたいな形で、東京一極集中からの「分散」を図るしかないんじゃないか、なんてことを、私は思う。(きっと、他にもまだたくさん、「解」はあるんだろうけれど。)

PCR検査体制を整えろと、さんざん僕も書いてきた。ただ、すぐに明快な答えが表に出てこないのは、この問題が根深いからだと思う。どこまで根深いか。日本の「医療体制」をどうしたいのか、そこまで遡る気がする。

医療は教育などと同じで、そもそも、すぐに目先の「経済的な利益」には結びつかない。当然、税金として集めた中から還流させて、医療機関とか教育機関などを「実装」する必要が出てくるし、その「実装」する主体が、日本では「私立」も少なくない。いわゆる「規制緩和」も関係するんだろうか。

ここから先は、「まだ、30年〜40年は、生きて社会生活を営む」つもりの人たちに、真剣に考えて欲しい問題かもしれない。

これまでの日本は、「公共事業」といえば道路建設とか、ダムだとか、新幹線だとか、そんなのばかりだった。少なくとも、それで雇用が確保された。国立病院なんかは、「赤字」のお荷物だった。だけど、そもそも、病院というのは「利益」を上げるのが容易な組織であってはならないとも思う。どう言う形で「地域医療」を充実させるのか。いわゆる「北欧型」の成功例は、よく引き合いに出されるけれども、そう言う「全て税金で賄う」ためには、徴収される税金の額も、日本に比べて遥かに大きい。
結構、テレビ番組なんかでも特集で組まれてたりしたから、調べようと思えば簡単だと思う。

そうして、本来的には若い世代の方々が「日本の医療体制はこうあるべきだ」と言う声を上げる。そうして、「実装可能」な具体的な日本の将来像の一部として、「日本の医療体制」の改革プランを出す。
それを、国会議員に働きかけて、法律として制定してもらい、官僚機構に、その改革プランを実行してもらう。

これが、本来的な「民主主義の流れ」に沿った医療改革なんだろうと思う。

ところが、「一般的な国民」は、「政治にお任せ」で、具体的な声を出さない。それをいいことに、日本の場合には、何かと官僚機構が「将来像」を(だいたい、ほとんどの国民が官僚集団と同じような「安定した生活」のもとに生きていることを前提として)描いて、それを内閣に裏で進言し、内閣はそれを受けて都合の良い「専門家集団」を集めて、さも「民主的な手続きのもとに進めました」的に立法し、実行する、と言うのが、これまでの流れだったと思う。

学生団体や、学生の支援団体が声を出す。数日前、水商売の団体がテレビで声を出していた。水商売でしか生活を成り立たせられない人たちだって、立派な国民だと思う。こうやって、誰もが声を出すことが当たり前になったなら、学問の現場でそれを「具体的なもの」として整理して、政治を動かす「声」に集約させていく流れが作れないものか、と思う。
この間、Twitterのメールでキャリーパミュパミュちゃんが(あの子の名前、口にしにくいだけじゃなくて、キーボードを叩いていても指を動かしにくい名前だなぁ・・・)検察庁法改正に関連して声を出していた。ファンが揉めるのは嫌だと、書き込みを削除されたのは、理解できるけれど、こうやってみんなが声を出すというのは、なんだか、嬉しい。
そうして、そうした「声」を国会や議会に送り出して「政治」を成り立たせていくっていうことが「当たり前」の流れだとしていくことが、何よりも大切だと思う。

そのためにも、若い方々には、もっと世の中のニュースを見て、聞いて、周囲の人の声を聞いて、「日本では、こういう医療体制であって欲しい」という具体的な形をまとめるところまで、勉強して、自分たちの「希望」をまとめていって欲しいな、と思う。

地方の観光業に従事していた方、インバウンド拡大で、観光業が「日本の主力産業」になるんじゃないかというところまで来ていたのに、いきなりの99.9%の減少。「安心感をもって」海外からの観光客を受け入れる、そのために何が必要なのか、是非、考え抜いて政府を動かして欲しいと思う。

長くなった。主題は、なんでしたっけ?
忘れた。あたしゃ、適当に書いているので、あんまりそういうのは、気にしないでください。

どうでもいいけど、ヤオコーで売られていた5食148円の醤油ラーメンは、案外うまかった。(調味料とかは、あれこれ入れたりしましたけどね。)

ApacheとPHPの熱い関係!

引越し先のサーバ、今、メインのwebフロントは、Nginx(エンジンX)が動いてる。後ろに、gunicorn と django。ただ、PHPも処理できないと、PostfixAdminが走らないようだ。そうなると、PHPを入れるのに、Apacheも入れる?

PHPを入れたら、設定ファイルが /etc/php/7.4/cli/php.ini と /etc/php/7.4/apache2/php.iniの2つに分かれていた。そっちの設定完了はいいんだけど、なるほどなぁ、って、apacheとnginxって、共存できるの?

いや、きっと、どこかで誰かが試して、やり方をネットに上げてくれているに違いない。信じて、Google先生に、お伺いを立てまくる。

一難去って・・・。
ホゲェ・・・

地域医療

自社サーバの、新規URLの設定中。
(客先のサーバにも転用可能な技術、だけれど。)

ググりながら、レファレンスを必死で読みながら、設定ファイルの書き換え、なんだけれども、最終確認はファイアウォールに穴を開けないとできない。(穴を開ける、っていうか、正規の設定、っていうか。)結局、動作確認ができない。実戦サーバだから、全部の作業に記録を残しながらの匍匐前進。疲れた。もう、無理、っていう感じ。ちょっと気分を切り替えて、寝る。

って言いつつ、昼間、突っ込みたかった話題を思い出した。

ICU等の病床に関する国際比較についての見解
https://www.jsicm.org/news/news200510.html

重症患者へ十分な医療を提供するためには「マンパワーのリソースが大きな問題」であることは間違いありません。

各都道府県別 ICUならびにハイケアユニット等のベッド数
https://www.jsicm.org/news/upload/icu_hcu_beds.pdf

論理を体系的に整えるだけの気力が残ってない。(それでいて、指先だけは動く、って、最悪の作文パターンだな。あれね、真夜中にラブレターを書いて、それを朝読み返した時の、「なんだこりゃ」感。)
誤解を生じたとしても、適当に、読み手の方でつなげていただくことを、期待します。

厚生労働省の基本方針は、「医療費削減」。
なぜ、医療費が野放図に膨れ上がっているか。それは、技術が進歩しているから。生かそうと思ったら、もう廃人状態でも「多臓器不全」のギリギリまで、相当な日数生かせると思う。

某X病院の医療関係者から聞いた話。(オフレコ話を書いてる。)
とある大企業の方で、会社に多大な貢献をしたので、「生きている限りは、毎月200万円を支払う」という終身契約を交わして会社を引退された方がいたらしい。その方、その某X病院に入院された。お金はあるから、無論個室の「いい部屋」(僕には想像できないけど、適当にご想像ください。)に入院。ところが、経過が悪く「ほぼ、植物状態」になった。ただ、ご家族の方が「終身契約」をご存知なので、「毎月、いくらまではかかってもいいから、とにかくこの人を生かしておいてください」と、その某X病院に頼み込んだらしい。結果、ECMOみたいな生命維持装置は無論、輸液管理から、何から何まで、使える機材を総動員し、体位を変えて褥瘡を防ぎ、とにかく「延命」したらしい。何年だか知らないけれど、随分長いこと生きていたらしい。病院にとっても金蔓。家族にとっても金蔓。その大企業にとっては「はした金」なんだろうかなぁ。本人にとってはどうなんかなぁ、とは思うけど、金さえかければ、そこまで生かせるのか、という感想は持った。

保険で、日本国民全員がこの真似をしたら、きっと、数年で国庫が破綻するだろうな。自販機に万札を何枚も入れないと、缶コーヒーが飲めない。

もっと、誰もが「どういう死に方をしようか」と考えないと、医療そのものも成り立たなくなりつつある気がする。

よく言われる「ポックリ死にたい」だけれども、だって、「意識はあります、周囲の会話も聞こえます、だけど体が動かせない、シモの世話から食事の世話から、全部他人任せ、全身丸裸にされて体を拭いてもらわないと、身体中痒くてたまらない、自分では何もできない、」その状況がいつまで続くのか、特定の病気と違って、老化は「回復」しない。だったら、「ポックリ」がいいな、という思いを持たれている方が結構いらっしゃるみたいだし、僕自身もその点には共感する。
だから、たぶん僕は、死期を悟って受け入れたなら、病院には行かないと思います。

逆の方も多い。よく聞くジョーク。
病院の待合室にて。「今日は、Aさん、来てないけれど、どうしたのかしらねぇ。病気でもしてるのかしら。」

「肉体の死」は「生命体としての自分の死」ではないんだから、肉体の死なんか、さっさと受け入れようよ、と僕は思うけれども、この点については、共感は求めません。納得するのに、ハードルは高いかも知れない。
本質的には、そうした意識を持つ方が増えれば、「無駄な延命措置」にかかる膨大なコスト、保険負担、国庫負担を削減できる、とは思うけれども、これは、厚生労働省とか、医療関係者の努力とは無関係の世界で、いわゆる社会のCommon Senseの領域(日本語の「常識」とは、ちょっと違うニュアンスで使っているけれど、)だから、今、このコロナに関連して持ち出している話題ではあるけれど、話題の「背景画像」の一部だと思っていただけたら。

本質的には「重症患者」とか「重篤な状態」というのを、「回復したなら、社会生活に復帰できる可能性が高い方」に限定した上で、救急救命とか、集中治療のキャパシティを議論すべきだと僕は思っている。(特定疾患だって、諦めるべきではないと思っている。)
だから、無意味な延命にかかるコストをこの議論に含めるつもりはない。
しつこいようだけれど、僕自身は、死期を悟ったら病院にはいきません。(なんて、書きながら、結局、自分で足を運んだり、誰かに通報されて、運ばれたりして。)

そうして、無駄な医療費の国庫負担が削減できるなら、あるいは、できなくても、医療関係予算を、地域医療の充実にもっと回すべきだと思う。
(やっと、表題の話題が出てきた。)

もし、インバウンドの観光業を復活させ、国際旅客運輸を復活させようと思うなら、海外からの旅行客まで含めた医療サポートを提供するだけの医療資源が、日本全国に万遍なく整備されている必要があると思う。インフラ整備だと思う。
ところが、インフラ整備と言えば、高速道路に新幹線。肉体労働が必要な分野だけに限定してきたのは、昭和の高度成長期の残像を自民党が引き摺って癒着しているからじゃ、ないだろうか。

医療関係者を育てるには、工学部以上に金がかかると思う。それは間違いないけれど、必要なインフラ投資じゃないんだろうか。新幹線を通したって、コロナ後は、無用のインフラになるかもしれない。維持費を賄えるのか。
困窮した学生を支えるために「国庫負担で資金を捻出した」のは、「一過性の対応」だとは思うけれど、持続可能な形で医学生の授業料免除くらいのことは、医療資源の充実には必要じゃないか、と思う。
加えて、「医者」になるのに、「やたらと偏差値が高い」っていうのは、意味があるんだろうか。「ほどほどに偏差値が高い」必要はあると思う。薬の名前や病気の名前を覚えていてもらえなかったら、困るもの。だけど、必要以外のスキルを入試で求めすぎている気もする。世界史要るか?本質的に必要なのは、「金になるから、社会的なステータスが高いから、収入が安定するから」という理由ではなく、「人の命を救いたいから」という人材を集めるための入試、なんじゃないかな、という気がする。そういう入試を実現するのは簡単じゃないと思うけど。一部の医科大学を別にして。
某医科大学では、毎回の教授会が「今月の外来診療報酬はいくらいくらで、いかにして外来診療患者数を増やすか」が話題だったりした、らしいけど。そういう大学附属病院では、コロナがあって良かったんじゃない?

結構な「極論」を書く。
地方自治体が、公立の医科大学の入学定員枠を拡大させ、その受け入れ態勢を整えるために、国が財政面でバックアップする、というのは、「コロナ後」の社会で経済活動を回すためには、必要不可欠にならないだろうか。

あ、と思い出した話題があった。

去年の10月に、中学校の同窓会があった。230名くらいの卒業生がいたのに、還暦を迎えた去年の同窓会で100名を超える参加者がいた、っていうのは、すごいことだな、と思った。それも、かなり遠方から参加してくれた人もいて、話しているうちに小学校の頃の顔まで思い出してきた。そんな中で、言葉を交わしたKさんがいた。

彼女は、吹奏楽部でクラリネットを吹いていた。僕も、アルトサックスとか、スーザフォンとか吹いていたけど、親父が部活の指導をしていた。その彼女が、社会人の入り口で、教員実習の時に、親父のところに行ったらしい。その時に、親父が僕の愚痴をこぼしたらしい。
「イクオのあのバカは、自治医科大学の入試で、3次試験の面接まで行ったのに、バカな受け答えをして、絶対にそれで落ちたんだ。」って、お父さん、そう言っていたよ、と話しかけてくれた。「どんな受け答えをしたの?」みたいな会話だったかな。その同窓会の時の会話。

引っ張っても仕方ない。ザックリと書いてしまえば、僕は一浪の時は、東大の理IIIも受けてました。(瞬間最大風速なのに、代ゼミの東大模試で、全国30位に入ったもんだから、舞い上がってた。嘘じゃないです。代ゼミで調べてください。あれ、駿台だったかな?)「もし、東大と、自治医大と、両方受かったら、どちらに入りますか?」えぇと、僕の「バカな受け答え」が何だったかは、適当にご想像ください。

いや、決して、「地域医療への貢献」を軽んじていた訳じゃない。僕自身が「何をやりたいのか」訳もわからずに、迷走していた。
師匠と出会って、ようやっと、「あ、これだったんだ」という「答え」は自分なりに導き出した。
どんなことをやりたかったのか。このページでも、もう既に書いています。

あの時、自治医大の「趣旨」に背く受け答えをした僕で、一医療関係者としての、地方医療への貢献は、何もできなかったけれど、今改めて、この話題を書くことで、地域医療の拡充には、貢献したい。

せめて、厚生労働省の役人の、背中に火をつける(違うでしょ、それはカチカチ山でしょ?)じゃなくて、火に油を注ぐ(意味が違うよ)じゃなくて、足下に火をつける(これで、あってるよな?)くらいの役割で、地域医療の拡充に、貢献したつもりに、ならせてください。(いや、まだまだ、やるけど。とにかく、しつこいから。)

誰かがやってる

ちょっと、疲れた。

ツール環境のセットアップは、玉突き。結局今、サーバにPHPを入れないと、という状況で、とあるコマンドを叩いたら、メッセージの中に以下の文言があった。

PLEASE READ: If you like my work and want to give me a little motivation, please consider donating regularly: https://donate.sury.org/

念のため、サイトに繋いだら、冒頭の一文はこれですもの。

The PHP packaging is time consuming and I do this mostly in my free time.

PHP言語の開発者?いや、Ubuntu aptパッケージのメンテナンスか?個人でやってる? Wao!

いや、それを言ったら、rubyだって pythonだって、あの部分を「誰か」がやって、この部分を「誰か」がやってるのに、一円も払わずに、当たり前のように僕らは使ってるけれど。

ごめんなさい、寄付する余裕はないんですが・・・感謝いたします。
(-人-)

そうなんだよなぁ、誰かがやってる。牛乳飲めるのも誰かが乳を絞ってる訳だし、誰かが道路を作って、誰かが・・・(いかん、ちょっと前の缶コーヒーのCMだ。あれ、好きでしたけど。山田孝之くんも。)

僕らも、あれだ。誰かが使ってくれると思って、何かを作る、ってな感じかなぁ。何かをやってりゃ、まぁ、それでいいのかも。

ってか、それ以前に、何かをやらなきゃ、食えないじゃんか。

仕事に戻ろ。

電子決済

昼のNHKニュースを聞いていて、ふと思った。一つ前のページ

でも、牛丼屋さんに入ったら、いきなり「住所と電話番号の記入をお願いします。」って、言われたら、客の立場だと、『おいおい』、っていう感じになってしまう。クラスター追跡が大変な訳だ。

現金決済ではなくて、電子通貨の決済なら、(虚偽の登録は別にして)最終的には金融機関の登録情報にくくりついて来る。ということは、クラスター追跡で「感染判明者」が電子決済で支払いをしていたなら、「どこのお店に、何時頃来ていた客は誰か」なんていうのが、決済情報から(論理的には)辿れるかな、と思った。

ただ、電子決済の約款などで、こうした目的での決済情報の使用には(たぶん)足かせが掛かっている、と思う。議論は必要だろうけれども、「自分の情報を、分析していい」みたいな、約款改定の「承認」チェックマークの登録を受け付けるように登録webサイトを改修して、個々の利用者の承認を得て、もし、自分が使ったお店で、同じ時間に感染者がいた場合には、メールなどで連絡通知をしてもらい、医療機関でも「接触可能者」として検査を受けられるように(医療機関で検査が必要と判断された患者、に準じて扱うものと)して、クラスター追跡を補助する、なんてのは、できないかなと、ふと思った。以上。脱線終わり。

フェイスシールド再び

しつこいな、とは思う。(実は僕は、かなりネチッこい。デバッグには役立ってるけど。身近な人は、案外その辺の性格をご存知だとは思うけれど。しつこい、くどい、鬱陶しい。)

夕方のニュース。大阪で営業再開した串カツ屋さんのニュースを見た。飲食店だからマスクなしは仕方ないとしても、フェースシールドとかもない。ごく今まで通りの感じだった。問題なのは唾液の飛散だから、「二度づけ禁止」を個別のボトルにした程度では、感染対策にはならない。と、僕は思う。

クラスター追跡のために、来店者の連絡先を聞くとかの措置は取られているんだろうか。なんだか、いきなり不安になった。たぶん、東京でも、日本全国どこでも、営業を再開したら、同じような感じになるんだろうと思った。
でも、牛丼屋さんに入ったら、いきなり「住所と電話番号の記入をお願いします。」って、言われたら、客の立場だと、『おいおい』、っていう感じになってしまう。クラスター追跡が大変な訳だ。

一昨日に、内村先生がシェアされた投稿
https://www.facebook.com/uchimura.naoyuki/posts/3143215889092458

その結果ほとんどの国で,現在見つかっている数の10倍〜数百倍の感染者がいる(TICR)と推定された.東京都での感染率は6.8%と推定され,これは慶応大学での6%のPCR陽性率とよく一致する.

その慶應大学の6%の記事は、これ。

慶応義塾大学病院 新型コロナ以外の無症状患者の6%がPCR検査陽性 院外・市中感染の可能性も
https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=69155

日本全国で約720万人が感染している、という推計値になる。東京都で感染率が6.8%ならば、約95万人。大都市圏という意味で、大阪も東京並みだとして推定するなら、大阪府が約60万人。その、かなりの人数が無症状。大都市圏では15人に一人が感染者、という推計値。それを考えると、(特に、海外からの方のような、顔立ちが違う方とか、)僕の街でもマスクをしていない人を時々見かけるけれども、絶対に、マスクをして外を出歩いて欲しい、とは思う。(結構、人口密度が小さくて、スカスカだから、あまり気にする必要はないのかも知れないけれど、それも、時間が経たないとわからない。)

その無症状の人が他人に感染さない保証はなく(まだデータがないだけで、もしかしたら感染させていないのかも知れない。今の段階ではわからない、)感染者の新規確認から追跡されて検査対象になり、初めて「無症状の感染者」として認識されるだけで、これまで把握されなかっただけだと仮定する。だとしたら、客の、あのマスクなし、フェイスシールドなしでの飲食店の営業は、かなりリスクが高い気がした。無論、マスクをしていたら飲食はできないから、だとしたら、取れる対策はフェイスシールドしかない。

大阪府の吉村知事。「子供じゃないんだから、自分でしっかりと感染症対策を取って営業を」と、僕には聞こえた。確かにそれはわかる。だけど「子供」もいるんじゃないかなぁ。対策をしている「ふり」だけで(十分な量の消毒液が確保できるのか、わからないし、)水、とは言わないけれど、アルコール濃度10%くらいにまで希釈して、「アルコール消毒薬です」とか・・・

別に、人間不信、って訳じゃないけれど、消毒液が手に入らない、だけど、営業しなければもう、後がない。立場を入れ替えたら、僕だって困ったらそれをやるかも知れない。ってか、たぶん、そうやって誤魔化して強引に営業すると思う。賭けです。来店者の名前を控えていないのならば、感染者の証言による「追跡」だけなら、「うちで感染したとは限らないじゃないですか。」とは、言える。
とにかく生活がかかっているから、営業を再開する、という方も、おそらくはいらっしゃる、そんな気がする。

とにかく、ウイルスに効果のある消毒薬の供給量を増やしていただいて、ということは思う。手に入らないもの。
こういう主張は、「人間不信」に根ざしているみたいで、非常に心苦しいけれども、営業再開した飲食店や、サービス業、いわゆる「不特定多数相手のビジネス」の、感染症対策が有効か、巡回して助言したり、消毒液のアルコール濃度とか、次亜塩素酸の濃度だとか、確認するような役割の人も、もしかしたら必要かも知れない。あるいは、フェイスシールドを、商店街で確保して配る、とか。余力のある方なら、NPOなどで、ボランティアでそれをやって、「商店街全体の安心感」を高めるのも重要かも知れないけれど、ビジネスでそれを行って、行政などから受託する、なんていう新ビジネスも成り立つかも知れない。

誰かが失敗しないと、「この対策が抜けていた」というのがわからない。大変失礼ながら、大阪には「先駆け」になってもらうんだろうか。第二波が、そこから出るのか出ないのか。私なんか、(これで4回目だけど、)飲食店ではフェイスシールドが必要じゃないかと書いたけれども、私のその主張が「スカ」=「ヤァい、おおはずれ〜」的な主張なのか、そうではないのか、とにかく結果が出てみないと、わからないなぁ。状況証拠があったとしても、断定的にそこがクラスターの原因だと特定できなかったら、フェイスシールドの有無でクラスター発生の源となったかどうかは特定できない。なくても感染発生しないなら、こんなありがたいことはないけれど。

東京の、指定解除は遅れる気がする。大型連休明けの影響がそろそろ出始める。結果として、増減の繰り返しか、もしくは微増状態で、もどかしい状態が続くかも知れない。(とにかく、ビジネス集中が激しすぎる。)もしそうなった時に、首都圏だけ「基準を緩和する」とかしたなら、首都圏の医療関係者は、疲弊し切った状態での持久戦を強いられる、そんな気もする。
結局、そうやって、タイムラグができて、大阪の思い切った「解除」でも、感染者の拡大が押さえ込まれている事がはっきりしたら、「緊急事態解除の条件緩和」も視野に入って来るのかも知れない。なんだかんだ言いながら、大阪は「実験台」になるような気がする。(ニュース映像を見ていて、そう思った。)

逆の視点もある。感染率が6%で、既に日本全国で720万人が感染している、として、計算すると、「無症状率」が約97.7%という数字にもなる。無症状なら、感染したって、ほとんど怖くない、という主張もできる。これで計算すると、(内村先生がシェアされた記事でも書かれていたけれども、)感染 –> 発症 –> 死亡で、「感染者の死亡率」は、0.011%程度、1万人に一人、という計算にもなる。実際のところ、どうなんだか。

その一方で、高齢者の重症化率は、70才代あたりから跳ね上がるから、第二波が出たならば、亡くなられるのは高齢者が最も多い、という傾向は変わらないんだろうな。とにかく、日本経済を崩壊させないために、経済を動き出させる。高齢者の方々は(僕らの年齢あたりから)覚悟は必要かも知れない。

なんにせよ、「自粛解除」の途端に、いきなり無防備になるのは、きっと全国一律かも知れない。

体温調節

日曜日、あまりにも暑かった。せいぜい28度とか、だったんだろうけれど。

あまりにも暑くて、扇風機を出した。そのまんまでいた。

今朝(午前中)、なんだか寒いなと思って、無造作にスイッチを入れたのが扇風機だった。(ストーブを置く場所と同じ場所。何も考えてねぇ・・・)しばらくして、あまりにも寒いので、よく見たら扇風機だった。(何やってんだろ、俺・・・。一眼見りゃわかるのに。The扇風機、って形、Theファンヒーターって形してるんだから。)

慌てて、ストーブと置き換えた。今日の午後、オンライン授業。なんだけど、体が冷え切っちゃってて・・・。昼のニュース聞いたら、ちょっと自転車で走り回ってこようかと・・・。注意力がない。無造作すぎる。

思えば、事務連絡メールも、すごく表面的な斜め読みだけで判断して、「先生、返事をいただいていません。」なんて督促されちゃって・・・
一つ一つの作業を、丁寧に、丁寧に。
文章はよく読む。そこにあるものが、何なのか、よく確認してから操作する。(この不注意さ、いつか、墓穴を掘りそうな気がする・・・)
—> しっかりしろ、自分。(寒いよぉ。体を動かさないと・・・固まった。
お袋も、こういう不注意がよくあったけど、全然笑えねぇ・・・)

子供の叱り方

結構、大きなニュースを見落としてるな〜。

WHO、米中対立激しく トランプ氏脱退示唆
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59299570Z10C20A5FF8000/

「そうやって、なんでもかんでも『嘘だ!』って言ったり、自分の失敗を誤魔化して、すぐに他人のせいにすると、トランプみたいになっちゃうよ。トランプみたいになっちゃったら、何百年も『どうしようもなく馬鹿な大統領』として名を残すんだよ。それでもいいの?」

インバウンド

7時のNHKのニュースを見ていた。(お腹がいっぱいで、ちょっとすぐに仕事をする気にならん・・・)

インバウンドの落ち込みが 99.9%って、観光業にとっては絶望的な数字じゃないか!
で、最大の問題は、観光地が日本全国に散っている、っていうことだろうか。東京や京都は、まだ大都市圏だからいいとしても、例えば日光とか、医療機関の受け入れ体制が不十分な地方の観光地ってのは、かなり多い気がする。

ビジネスでの来日はともかく、安心して海外からの観光客を受け入れる、なんていうことになったら、全国津々浦々、どこの都道府県でも相当数の感染者の隔離施設とかがないと、あるいは、PCRの検査設備がないと、相当にヤバくないか?(ここのヤバいは、昔からの意味の方です。)

だから、PCRの検査設備を充実させろ、って、そこに来るか、って、もちろん、その話題でした。

経済優先

遅い朝昼兼用(遅い朝食というか、早い昼食というか)食べながら、テレビのバラエティを見ていた。結局、コロナの報道を見てしまう。

1991年ごろだから、30年前か。最上級の麻酔器がターゲットとしていた手術室が、日本全国に300しかない、というのも今にして思えば肌寒い話。そのうち80室くらいは東京に集まっていて、あとは、大阪50、名古屋以下地方の中核都市に5〜10、あとは、県単位で2〜3室、という感じだったんだろうか。人工呼吸器自体はかなり普及していると思うけれど、ECMOとなると持っていない病院だって相当な数あると思う。

国立病院の統廃合で、国立療養所中野病院がなくなった際の議論は、確か「赤字の垂れ流しだから」だったと思うけれど、医療とか教育で「すぐに黒字」になるんだろうか?結局「経済優先」の発想は、今も変わらない。もしかしたら、「各県に2〜3室あれば十分だろう」が政治家の発想かも知れない。

国公立大学の「独立行政法人化」の際も、研究に国の金を出すのは無駄、みたいな議論が、確かにあった。どこかの総理大臣も、確か、「すぐに産業界に役立つ応用研究になら金は出すけれど、基礎研究は金にならないから絞る」みたいな話があって、某飲み屋で知り合った国立大学の先生方とか、物凄いブーイングだった。でも、結局「政治」に押し切られたんだろうか。

そして、新型コロナの今。一応専門外の人間の意見だから、適当に読み流して欲しいとは思うし、微妙に論旨が揺れてはいたけれど、あれこれ読んでいて、だいぶ揺れが収まった。「不安だから、私も調べてください」は、お断りしてもいいとは思うけれど、現場の判断で感染が疑われるケース、発熱などの症状が出ているケースについては、とにかくやはり、全数PCR検査を行うべきだと思う。

理由は二つ。一つは、比較的感染確率が高い群の中から「感染が確定」したケースを、ホテルなどに(表現は悪いけれど)隔離できれば、それだけ全体の感染者の濃度が下がり、感染抑制につながるから。自粛だけでは、経済がいずれ破綻する。どうしたって、ある程度は動かざるを得ない以上、100%の活動自粛はあり得ない。

第二は、やはり精神的な不安だろうと思う。不安があれば、「自粛」を叫ばれなくたって、遠出を控えたり外食を控えたりする。そうなると、業種によっては致命的な損害が出るというか、既に相当数出ていると思う。不安を取り除くには、「少しでも疑わしい時には、すぐに検査を受けて、医療行為を受けられる」という安心感を提供するしかない、と思う。コロナ以前だって、同じことだったと思う。何かあったら、病院へ行けばいい。そう思っていたから、誰もが平気で社会生活を営んでいた。そこの部分で、「熱があるのに調べてもらえない」なんていう話になったから、不安ばかりがどんどんと増殖する。だから、とにかく検査を、という話になっていたんだろうと思う。しつこいようですが、「不安だから、発熱も何も症状はないけれど、調べてください」は、余程余裕があるならばともかく、今はお断りする形で仕方ないと思う。

という議論は、かなり広がっていると思うのに、なぜ国は動かないのか。

金がかかるから。医療には(すぐに赤字になるから)金をかけたくない。基礎研究には(すぐに金にならないから)金は出さない。その発想が全く変わっていない。そのくせ、「助成金」は、国債を発行してポンポンと出す。タンクの底に穴が開いているのに、液面が下がったからって、上からジャブジャブ液体を注ぎ込む。タンクの底を修理するには、時間も手間もかかるけど、液体を注ぎ込む方は大した手間がかからない。それが、「長丁場」の対応なんだろうか。根底にあるのは、目先の経済優先だと思う。

経済界が「経済優先」を求めるのはわかる。どんな大企業だって、自転車と同じで、動いていなければいつかは倒れるから。規模が大きければ大きいほど、時として倒れ方も激しい。ただ、政治家が10年先、20年先を考えるのをやめたら、もう国に後がないような気がする。という議論も、どこかで耳に(目に)した。

それだけ色々言われているのに、全然方針を示さないってのは、どんな頑固オヤジなんだろうか。結局、モリ、カケ、サクラと同じで、関係者を全員不起訴にしてもらって、あとは国民が忘れてくれたらセーフ、っていう程度なんだろうか。だけど、自分の好きな有名人が亡くなっていたり、自分の親しい人が亡くなっていたりしたら、今度は、そう簡単には、国民も忘れないと思う。

実際、タンクの底を塞がなくても、絶え間なく上からジャブジャブ注ぎ込めば、全然不安はない、っていう人も多いだろうし。何度も何度も、10万円、20万円と配ってもらえれば、「ああ、いい政治家だ」と思う人も結構いるかも知れないけれど、本当にそれでいいの、と思う。

それと真逆のことをやったのが、福島の汚染水問題だろうな。流れ込む元を汲み上げて、汚染水を減らす手間をかけていれば(かなり初期の頃から、僕はこれを書いていたと思うけれど、)あんなに、汚染水のタンクが並ぶことはなかった。それが、もうどうしようもなくなって、慌てて議論をしている。

国債なんて、いくら発行しても全然問題ない、っていう議論もあるらしい。本当にそうなのかは、僕には素人だからわからないけれど、やっぱり、この国はどうなっちゃうんだろうか、と思う。

一応、フォローしておく。安倍総理は優れた政治家だと思います。トランプやボルソナロと比べたら。

Service chromedriver unexpectedly exited. Status code was: 127

Channel の tutorialを 進めた。

class ChatTests(ChannelsLiveServerTestCase):

のサンプルソースを走らせると、

Service chromedriver unexpectedly exited. Status code was: 127

このエラーが出て、どうにもならず、ググりまくったけれども、解決策の書いてあるページが見つからなかった。

けれど、もしかしたら、と思って

import chromedriver_binary

この、chromedriver_binary は、プログラムの中では一切明示的には使っていない。だから、このimport文には、「未使用」だと警告が張り付く。けれども、この1行を追加したら、一発で解決しました。

こういうのは、Qiitaに書いた方がいいのかなぁ。(アカウント持っていたんだけど、ずっと使っていない。)思い出したら、Qiitaにも書きます。(たまには、世間に貢献しないと・・・)

ブラックボックス

中身の仕掛けがわからないのは、嫌い。使っていて、中がどうなっているかわからないと不安だから、つい、「使うのが怖い」か、「使う以上は、きちんと調べる」か、どちらかに振れる。もう、今時「使わざるを得ない」方が多いから、仕方なし、調べまくって、Tutorialを読みまくってるけれど、去年あたりに使えるようになった技術とかって、まだ日本語になってないんだよなぁ・・・本気で疲れた。

新型コロナの話題は、さすがに、もう、素人が首を突っ込んで書いても意味ねぇよな、なんていう気分になってきた。

大学は、専攻を聞かれたら「電子工学」なんだけれども、内山明彦先生の研究室だったから、「医用工学」が一応は看板だった。卒業論文の時に、今はなき国立療養所中野病院のポジトロンCTの、画像解析を行うのに、国療中野方式は、Carbon-11のCO2をほうれん草に光合成で取り込ませ、それを経口投与する方式だったから、画像解析なのに、いやが上にも、コンパートメントモデルの論文を読まざるを得なかった。まだ覚えていたんだぁと思った。千葉の放射線医学研究所のポジトロンCTでは、Fluoro-Deoxy-Glucoseを使って、静脈注射していたから、減衰曲線の形が全然違う。その、立ち上がり遅延のある経口投与の血中濃度曲線のグラフ、脳内のグルコース分布との相関を計算するのに、「血中濃度の推移の影響」を校正するために、結構面倒なカーブフィッティングを延々と繰り返していた。今から思えば、対数をとって直線近似すりゃ、一発だったんだ、と思うけれど、40年前の僕の頭じゃ、無理だったと思う。

島津製作所の機械、だったと思う。制御用には Eclipseというミニコンピュータを使っていた。日中は、研究者の方が出入りされるため、放射線科医長の飯尾先生が、「夕方過ぎたら、自由に使っていいよ」とおっしゃって下さって、鍵も預けて下さって、夕方から夜中まで、Eclipseからのデータの吸い上げ、画像の再構成、データの保存などの、論文用のデータを取らせていただいていた。放射線設備というのは、被曝があるから、一般の外来からは離れた場所にある。放射線関係の他に、その「一般外来の患者が出入りする場所から離れた場所」にあるのは「霊安室」で、実は、そのポジトロンCT設備と、中庭を挟んですぐ向かいが霊安室だった。夜中が近くなった頃、トイレに行って戻る途中、「あ、今日は霊安室に明かりが灯っているなぁ」なんてことを思いながら、またコンピュータに向かっていた。

あの頃、画像解析をするために使わせていただいていた、東大医学部のVAX-11のミニコンピュータ、解剖学的画像のテンプレートとしてX線CTのデータも預かっていたんだけれども、日立製の磁気テープがどうしても読めず(今から思うと、当たり前で、日立フォーマットはとにかく独自過ぎて、IDバーストからバイナリで読み込んで解析するなんて、卒論生には難度が高過ぎたと思う、けれども、)斉藤陽一先生に「まだ読めないの」とか催促されて、ずっと英文マニュアルと首っぴきで試行錯誤を延々と繰り返していた。おかげで、英語力は相当に鍛えられた。加えて、訳のわからないバイナリのデータ列から、とにかく法則性を見つけて、仕様書なし、説明なしのバイナリを読み込む、なんて作業が全然苦ではなくなった。
でも、結局、フォーマットの違う磁気テープから画像データを吸い上げることができなくて、最後は、顔学会を立ち上げられた原島博先生の研究室のPDP11/34を使わせていただいて、読める形のデータを入手して、卒論に取り掛かった、のだけれども、とにかく、英文マニュアルとの格闘、仕様書のない、フォーマットの違うバイナリ列との格闘で、時間を浪費し過ぎて、結局、X線CTの画像はポジトロンCT画像に重ねることができなかった。

今の若い方達。Eclipseっていう名前のミニコンピュータがあったことなんて、ご存知ないだろうなぁ。VAX11とか、PDP11とか、ご存知だろうか。ざっくりと、当時数千万円したコンピュータと、同じ性能のコンピュータは、ワンチップで数百円になってる。その間に、僕のお腹には数十kgの皮下脂肪/内臓脂肪が蓄積された。だって、東大医学部の計算機室にあった、当時最先端の、512×512ピクセルで、256諧調の、「最先端」の画像表示装置は、500万円くらいしたらしいから、今と比べて、どうよ。512 x 512ピクセルで、256階調ですよ!?

ものすごい挫折の記憶だけれども、今にして思えば、完全に、仕様書なしのリバースエンジニアリングで、おかげさまで、結構鍛えられた。2年前、某社のNC工作機械の加工データのフォーマットを、仕様書が全くない状態で、通信データを読み込んでプロトコル変換をするプログラムを1週間で書いて、「試験接続」のその日に動作しちゃったことがあって、その日は、営業の方にお寿司を「なんでも頼んで」と言っていただいた。けれども、僕が好きなのは、イワシとかサンマとか、その辺ですからねぇ・・・。別に遠慮してた訳じゃないんだけど・・・。卒論を書いていた頃に苦しんだことが、今になってかなり役に立ってる。

念のために書いておけば、暗号化されたデータを解読するなんてのは無理。規則性のある平文だったら、バイナリでもかなり読めるとは思うけれども、もう、いい加減トシだし、仕様書を手に入れていただけるなら、それに越したことはない。

今また、ASGIとかredisとか、また、新しいのがゾロゾロと出てきて、苦しんでるけれども、この経験が役に立つ程度には、もう少し生きていられたら、ありがたいんかなぁ。さりげなくそういう技術を使って、アプリを書いても、製造業相手だと、あんまり高い金額は請求できないんだよなぁ。まぁ、いいかと思う。僕には、親父とお袋が残してくれた固定資産があるし、家とか土地を売れば、生活はできるだろうと思う。(買い手が付くかどうかが問題だ。)どうせもう、そんなに長い訳じゃないから、まぁ、いいかなとは思う。

新型コロナの話題に首を突っ込んで、あれこれと書いた。下手な鉄砲数打ちゃ、と思って書いたけれども、どれかヒットしたかなぁ。「数理モデル」の話題は、この「新型コロナに首を突っ込んだ件の、卒業論文」的な感じか。あれ、(読み返していませんが、)後から考えて気付いたことがある。
(1) 立ち上がり部分の x = A (1 – exp(-t/Ta))と書いた関数系、いわゆる遅延(latency)を一切考慮していないから、遅延を表現できる別の関数系を掛け合わせることが必要か、と思った。
(2) 立ち上がり部分の時定数には、人口密度、感染者の密度が、「比例」ではなく「反比例」の係数としてかかってくると思う。時定数が小さければ、立ち上がりが急峻になる。
(3) x = B exp(-t/Tb)と書いた減衰カーブ。「減衰」する原因は、患者の死亡か、もしくは退院かであり、ここでの感染者は隔離されていることが前提だから、この係数には、人口密度も、感染者数も、関係しないと思う。だけど、最初のこの話題を書いた時、こちら側の減衰カーブにもそれらが関係するような書き方を、たぶん、しちゃった。(面倒臭いので、読み返していません。記憶に頼っています。)あえて書くなら、現場の医療従事者の頑張り、とか、医療設備の充実度が、この時定数を小さくする。(時定数が小さいと、減衰のスピードが速い。半減期が短い。)
(4) 「関数系」と書いたけれども、立ち上がり部分の時定数 Ta も、減衰部分の時定数 Tb も、実際には時間と共に変化する t の関数、Ta(t)や、Tb(t)になるはずだから、シミュレーションするには、逐次の時定数(例えば、「外出/出勤自粛の割合」とか、「防護具の装着率」とか、「感染経路不明率」とか、「医療機関の飽和率」とか、そう言った指標を変えて、現時点を基とする微分方程式の解の傾きから、積分計算を行なって、変化を予測する必要があるんだろうな、と思う。説明は不十分だけれども、その辺のプログラミングというか、データ解析に慣れている方なら、僕の持っているなけなしの「医療系に関する知識」だけから、これまでに書いた内容だけで、かなり精度の高い「感染者数の予測」シミュレーションは可能じゃないか、という気がする。
(5) おそらく、だけれども、「マスクなどの防護具(他人への感染防止器具)の着用率」は、立ち上がり部分の係数に関係する。けれども、これが、純粋な「飛沫感染」ではなく「エアロゾル感染」の要素が強いならば、この「防護具着用率」は、係数としてあまり意味がなくなる、とも思えた。

最後の部分。(5)。一番気になっている。師匠の講演会の受け売り。
既に、空気感染で、致死率がほぼ100%のウイルスが存在している。ただ、現地にいる多くの医療関係者は、それをエボラ出血熱だと思っている、らしい。村が全滅していて、内出血でどす黒く変色した死体が村中にあった、なんていうケース。ここから先、師匠の講演会の受け売りの話題。
もし、地球意識が本気で「人口調整」を行うなら、このウイルスを世界に拡散させる、だろうな、と、僕は理解している。

人類自身は、地球環境の保全を「自力」で達成できていない。目先の経済が優先する指導者があまりにも多い。「人口調節」も全く同じで、野放図に「世界人口」が増え続けている。この流れを、どうやったら変えられるんだろうか、と思う。「強制執行」される前に、できることなら、人類自身が人類自身の将来を緻密に考えて、今できることを実行するしかないんじゃないかと思う。僕には難し過ぎて、「答え」は書けません。というよりも、誰かが出した「答え」を鵜呑みにして実行するのではなく、誰もが自分で考えて「答え」を出して、行動することが求められているような気がする。それは、「地球環境」だけではなく、「核兵器」でも全く同じ。さらに言えば、自国が「経済」だけのために輸出している「銃火器」が、どれだけ多くの人の命を奪っているか、その想像力を持てない国々。この辺の数字を、新型コロナの感染者数、死者数の推移と重ねてみたら、どうでしょうかね?表向き、死者数を誤魔化してWHOに報告している国々は、少なくないようだ。それは、我々肉体を持っている人間には通じる数字かも知れないけれども、上位の意識体の方々は、全ての状況を克明に察知しているということだけは、忘れるべきではないと、僕の立ち位置では書かせて頂こうと思う。

随分と、紆余曲折のある人生を歩んできた。もう、40年以上、「自分は何のために、何をすべきか」悩み、迷走し、今に至っているけれども、今、改めて思う。全てが一点に集約されてきたかも知れない。
もし、僕が書いた「新型コロナ」関連の話題で、客観的にも現実問題に応用可能な話題が含まれていたとするなら、それは良かった。ただ、そのこと自体が「手段」でしかない、と、今、気づいている気がする。

僕は、チンドン屋です。とにかく、目立つことが大事。一人でも多くの人に、見てもらいたい。見てもらって、何を伝えたいか。師匠の言葉。
訳のわからん奴が、訳のわからん事を口走っていたって、普通は誰も聞こうともしないし、読もうとも思わない。チンドン屋だったら、見ている人が「面白そうだな、行ってみようか」と思わせるように、クラリネットを吹いたり、笛や打楽器を演奏し、目立つ格好をしたり、そうやって街中を練り歩く。書いている内容の正確さ、どれだけ役に立つかという一点は、とにかく担保したい。過去の経験が、とにかくそこにつながったなら、良かったと思う。繋がっていなかったなら、後で(肉体を抜けた後、)散々自分を罵倒しながら、下で悩み続けることにします。

新型コロナに関して書いている話題も、コンピュータ関連でも、あれこれ(時々実力行使したりしなかったり、)その他全て、僕が書いているのは、一人でも多くの人の目に止まり、書いている文章を読んでもらうため。(長文癖は、改めないと・・・次回(肉体を持てたら、その時)はちょっと、考えておきます。親からも、他人からも、あまり認めてもらえない記憶がこびりついていて、必死で主張しているうちに、書く言葉の文字数が増えた気はする。)とにかく、読んでいただくように、自然科学系の話題でも、現実社会の問題に直結する話題に踏み込んで、書き続ける。それだけは、とにかく考えていた。僕自身の人生経験も、全ては「手段」で、師匠が伝えたい言葉を、一人でも多くの方に読んでいただきたい、それが僕の願いだと、自分なりに理解している。
念のために書くならば、別に、師匠にそうしろと言われた訳じゃありません。僕はいわゆる「追っかけ」で、生まれる前に師匠が肉体を持たれるととこかで聞きつけて、「それなら、自分はこれをやる」と、自分で決めてきた、と思う。親父は、過去3回は師匠と行き合っているらしい。それで親父に、頼み込んで子供にしてくれと、ネジ込んだかも知れない。間違っているかも知れない。答えあわせは、肉体を抜けてからやります。(違っていたなら、どこまで落ちるか、なんて、あたしゃ、落ちるのはたぶん、かなり慣れてるから。師匠に会う前の「本音」なんて、ひどいもんだったから。今世だって、「他人の迷惑なんか、知ったことか」ってのは、相当にありましたからね。)

その師匠の言葉の、とにかくこれだけは、という部分は、「ヒトの実体は、肉体じゃないよ。霊体であって、何度でも輪廻転生を繰り返す。そこに気づきなさい。」という部分だろうか。「ヒトとしてあるべき姿」は何なのか。今だけ良ければ、それでいい訳じゃない。他人が苦しんでいるときに、「あくまでも、自分自身が進化するという経験を積むために、その苦しんでいる他人に、自分は何をできるか、それを考えなさい」という、その辺に集約されると思う。数行で書き切れる内容じゃない。恐ろしく細かい。コンピュータのプログラム以上に、細かくて緻密だという気がする。ただ、その細かい部分を僕は把握し切れていないから、書けるとしたら、せいぜいこの程度だと思う。

お釈迦様(エル・カンターレ様、今、日本にいらっしゃるけど)の時代も、モーゼ様(モーリア様)の時代も、イエス様(アモール様)の時代も、言葉を正確に残すことが難しかった。そもそも、字を読んだり書いたりできる方が少なかった。ムハンマド様(ご本名を、存じ上げなくて申し訳ない、私が格下過ぎて・・・)の時代には、直接言葉を残されていると理解している。(問題は、解釈だ。)今は、こうして言葉を全世界に発信できる。師匠の許可があるならば、師匠が講演会で話された内容をすべて、活字にして全世界に発信したい、くらいの気持ちはあるけれども、師匠の講演会は、あくまでも、参加者に向けてのものだし、師匠は全くそれは望まれていないと理解しているので、書かない。ただ、「自分が実践し、これは理解できた、これは間違いないと確信した内容については、どんどん周囲の人に伝えなさい」というニュアンスのお言葉もあって、僕はそちらに該当する内容だけは、とにかく書こうと思っている。

超ひも理論の話題を持ち出したこともあった。自然科学を学んだ立場としては、自分の中でのマッピングはできているけれども、「確信」する域には達していないので、(勢い余って、思ったことを書いてしまったこともあるけれども、)やはり書けない気はする。意識体とか霊体とかを、「自然現象」として理解してもらえないと、話が全く進まないから勢い余ってしまった気もする。この辺は、やはり「科学者」を目指していたプログラマの、未練がましい悪あがきだろうか。

なんで、こんな感じの書き終わりになったんだろうかな、と、ふと思った。正直な話、師匠の講演会の内容は、これ以上はもう書けない気がするし、やっぱり、老いを痛感する機会が多い、ってことが背景にあるのかなぁ。「いつ死んでもいい、その心づもり」の延長かな、とは思った。
当然、これでページを閉じてもいいし、だけど、明日朝目が覚めたら、きっとまた、明日の自分は別に何かを考える。そうしたら、きっとまた何かを書きたくなる。ただそれだけのこと、なんだから、別にこれでいいじゃん、とも思った。

自然界のメカニズム。「科学者」は解明できたんだろうか。仮に、解明できなかったとしても、ブラックボックスとして、「こういう使い方をしないと、この機械は壊れるよ」という、最低限、その部分だけは理解しておく必要があると、思う。

長くなった。寝ます。

Go言語

腹を括って、Dockerのチュートリアルを進める。Getting Startedのサンプル doodleを落とし、中身を見てみたら、プログラムの拡張子が goになってた。

へ? もしかして、Go言語?(もしかしなくても、Go言語だろ?)

https://ja.wikipedia.org/wiki/Go_(%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E8%A8%80%E8%AA%9E)

なんだか、Cのような、Pascalのような・・・。それでいて、機能はOccumみたいなんかなぁ。(例えが古過ぎないか?)
Goなんて、勉強しとらんよ。どないしよ〜。ホンの400〜500mのお散歩のつもりが、20kmくらいの遠征になり、今度は、いきなり鎖場が登場した。

こんなもん、やってられるか〜!(<— いやいや、日頃の不勉強を恥じるべきだね。)
わかっちゃいるけど、なんだかもう、耐えきれない!気が遠くなってきた。

tutorialの連鎖 – Stack Overflow

やりたかった事は、ASGI をマスターすること。Tutorial サイトを見つけて開いた。見つけた。こいつで行こう。

https://qiita.com/d9magai/items/d7087caee7850ea24553

https://channels.readthedocs.io/en/latest/tutorial/index.html

channels を使っているらしい。 そういえば、Ruby on Rails でも、streaming では Channelクラスを導入していた。やるっきゃないか。 読み進めると、 channelsでは Redisを使ってるよ、と。 そういえば、Plotly-Dash も redis を使っていた。 Redis、この際だから Redis も tutorial から読み進めるか。

と その Channel の Tutorial。 Docker を使って、Redisをインストールして、tutorialを進めるから、Docker をインストールしてね、と・・・。Docker ・・・いつか、きちんと調べて、使えるようになっておこうかと、思っていたんだけれども、いつか、じゃなくて、今かよ。

ASGI –> channels –> Redis –> Docker と、tutorial がどんどん連鎖して、ちょっと爆発しかけている。今かよ・・・。先送りしていたのが、全部降ってきた。

ほんの400〜500m、せいぜい1kmも歩けば、目的地に到着すると思って歩き始めた。ところが、途中で「この道を通らないと、たどり着けないよ〜」ってのを、それぞれ3kmとか4kmとか歩かされる感じになってきて、全部歩いたら20kmくらいあるんじゃないか、ってなのが見えてきた。メゲた。今日中に出口に辿り着けるか・・・。

Stackが深過ぎて、overflowしそうだ。

ボヤいてないで、やるか〜!?

めんどいよ〜、しんどいよ〜、おかーさ〜〜ん。(はなまるき味噌)意味ねぇ〜

Threading

昨日の書きかけは、もう忘れます。というのも、僕の長文癖。結論で書く前に、書きたかったことを、伏線を貼るだけじゃなくて、そこそこ書いちゃってる。もういいや。(いい加減な奴。)忘れてください。

python / django で、daemonを走らせて持続的にポート監視をさせながら、その結果だけwebサーバで読み込む、みたいなことをやりたかった。昔はできた。昔ってのは、UNIXの4.3BSDを動かしていた頃、だから、僕がまだ20代だった頃。(古過ぎだろ!?)UNIXのシェルの pipe / fork を使って、プロセス間通信させて、バックグラウンドで走らせている デーモンに無限ループで仕事をさせて、表向きは、普段は知らん顔してるけど、必要な時にはその結果を受け取る、言ってみれば、OS のカーネルみたいなプログラム。Windows環境で、C言語で書くのなら、できた。

ところが、40代、完全に潰れて新しいものを何も吸収できなくなって、もう、javaでも、rubyでもpythonでも、とてもそこには対応できなくなっていた。でも、必要に迫られて、やらなきゃならない。さてどうしましょ。

最初に試したのは、django-background-tasks。確かに、バックグラウンドのタスクは走る、けれども、pipeが作れない。ググりまくった。そうしたら、queue.Queueなる、python自身が持ってるQueueが使えることが判明。これを、background-taskに渡そうとしたら、JSONのSerializableにできないから、渡せないと怒られた。シオシオのパー。
(えぇと、シオシオのパーは、「快獣ブースカ」でググって下さい。すぐに通じる人は、年齢がすぐにわかる。)

結局、django-background-tasksは断念。uninstall。そうなると、Celeryか、Redisか、という話になる。重いよなぁ、どうしようか、とページを読みまくっていたら、Queue + Threadingという、python自身のモジュールなのか、processのforkらしきことをやってくれる機能を発見。早速試したら、なんとまぁ、たったの2行で片がついた。

import queue, threading
pipe = queue.Queue()
threading.Thread(target=hoge_access, daemon=True).start()

たったのこれだけ。すっげぇ。これで、完全にデーモンが作れる。UNIX流で、in/outの2本のパイプを開いて、双方向にやりとりできることも確認。ポーリングさせているから、ほとんど、OSのカーネルを叩いている感じで細かい操作もできる。

やったね!思わずガッツポーズ。とりあえず、1日で答えが出せた。

問題は、あと、ASGIとどうバインドするか、だ。もしかしたら、ASGIを使う過程で、結局、CeleryとかRedisを使うことになるかも知れないけれども、そちらはWEBのサーバとクライアントの間の非同期通信だと、今のところ理解している。

これに、あとASGIをかませれば、webなのに、stand-aloneマシンのデスクトップで操作するのとほとんど差がない操作性を実現できる。と思う。

松尾くんが、plotlyは商用ライセンスの有償条件がかかってるんじゃないか、と心配していた。APIは使っていない、はずなんだけれども、再確認して、plotly社さん、本当にごめんなさい、今本当にカネがないもんで、ライセンスがかかっているモジュールが紛れ込んでいたら、そこの部分は自作して迂回します。(ごめんなさい!)

なんだか、ルンルン気分になっちゃったんだけど、相変わらず、時計を見たら、日付が変わる30分前。(このページの書き初めは、大体1時間前。)

しばらく、コロナの話は忘れます。仕事優先。

植物由来

今日のお仕事は、リファクタリング(書いたプログラムの、ゴミを取り除いて、論理構造をすっきりさせ、無駄な表現を書き直す、言ってみればプログラムの推敲作業。)あまり、効率のいい仕事ではなかったけれども。とにかく、1日が終わった。(日付が変わる。)

未だに、絶対的に、マスクとか、防護具とかが医療現場で不足しているらしい。増産しようにも、輸入に頼っているものも少なくないんだろうなぁ。中国次第か。なぜ、中国依存になったのか。
中国に生産拠点を移せば、とにかく安く作れると考えて、製造業がどんどんと中国に進出し、その結果、人件費の高い国内の企業は生き残れなくなった。そういう業界は少なくない。その挙句に、今回のコロナ騒動で、「部品、原材料が入ってこない」ということになった。元々は、国内で生産していたものが、「単価が安い」という理由だけで、海外にどんどん生産拠点を移した。

既に、そうした流れはあるんだろうけれども、「国産回帰」を促進すべきじゃないか?製造業も、考えるべきなんだ。特に、B to Cで、民生品など一般消費の最終的な製品を作っている企業。「悪いけれど、お宅の製品よりも単価の安い中国産を使うことにしたから、これで取引を打ち切ります。」この殺し文句。相当数の会社が殺されてきたように思う。

国産回帰による物価の上昇。これって、インフレーション要因になるのかなぁ??経済はきちんとした知識がないから、よくわからない。けれども、とにかく国産回帰を下支えする仕組みは必要な気がする。今は、あらゆる業種で、雇用の吸収を促進することが必要な状態だと思う。精神論はあまり好きじゃないけれど、(数字を出して、ビシッと相手を黙らせるのが好き、ってだけですが・・・)今、助け合いが何より必要だとしたら、「国産回帰」で多少物価が上昇しても、「あ、これで、誰かの生活が成り立つのかな?」と、スーパーの店頭に高めの商品も(「も」でいいと思う。「だけ」である必要はないと思う。)並ぶ、っていうのが、必要かも知れない。
なんてことを書いている僕は、どっちを買うか。余裕がないからなぁ・・・紺屋の白袴で、あればとにかく、安い方を買うと思うけど。でも、以前、サラリーマンで安定した給料をもらっていた頃は、「こっちの方が美味しい」とか「こっちが安心」とかで買っていた。落ちぶれたら、それなりの買い方に変わらなかったら、生き残れない。話が逸れた。

今は、かなり多くの企業が減収で苦しんでいる状況だと思う。そんな中で、雇用を吸収できるとしたら、「圧倒的に不足している物質」の製造なんだろうと思う。それでも、そもそも、このコロナ禍がいつまで続くかがわからないから、「正社員」として人を雇い入れるのには、二の足を踏む。だけど、通常だったら9時-5時で生産ラインを回していた会社が、今いる人員だけで24時間体制で製造ラインを回している。マスクの製造なんかは、そんな感じらしい。モノによっては、輸入100%なんていうのもあったのだろうと思うけれども、こうした「コロナ禍」需要に対応するための「人員補充」に、(矛盾のある表現だけれども、)「暫定的正社員」として、職を失った方々を受け入れることを、行政が「制度」の枠組みの中で制定して、一人でも失業者を吸収する事はできないか、と思う。
とかく、国の制度は「硬直化」していて、流動的な事態に対応できない。今こそ、それを変える必要があると思う。

って、表題から逸れてる。書きたかったのは、そこじゃない。
今は、「原油」相場が相当に値崩れしていて、プラスチックなどの原料のナフサなんかも、価格が下がっているんだろうか。

そうした中で、埼玉県の県北では割とよく見かけるドラッグストアが、レジ袋を「植物由来」に切り替えた。同時に、「マイバッグ」持参でなければ、レジ袋は「有償」になった。僕は、この判断に、100%賛同します。客として、受け入れます。
この「植物由来」これも、ナフサの価格が下がっている現状では、「単価の安いものを使っていない」ということになるのかも知れないけれども、そうではなく、「本来あるべきビジネススタイル」を考えるべきなんじゃないかと思う。

(やっと、本題に近づいた。)

ここまでは、一般の常識に許容される範囲の議論の展開。ここから下は、僕の「師匠」の講演会の講演内容に根差した話題展開。「また、訳のわからんことを書くな」とお考えの方は、ここまでで、どうぞ「御退出」をお願いします。

コロナ禍での、日本の死亡数が少ない理由の一つは、「他人に迷惑をかけてはいけない」というメンタリティがあると、僕は思う。だから、「自分の身を守るため」にはほとんど意味がなくても、「万一自分が感染していても、他人に迷惑をかけない」という意味あいでしかなくても、それを理解した上で、マスクをつける人が多かった、という点ではないかと思う。

新型コロナウイルスは、明らかに地球の「意識」が創り出したと、自分は理解している。その目的は、人類がどうあるべきか考えさせるための警鐘であり、エネルギーの浪費を防ぐための実力行使であり、あまりにも増えすぎた人口を減らすための「調節」でもあり、それらではないかと、私は考える。つまり、人類の大半が「他者の権利」を優先して考え、地球環境に負荷の少ない生き方をする」ことにシフトできるなら、「ある日突然、ウイルス感染者が新たに発生しなくなった。」なんてことも、あり得るのかなと、自分は考えている、けれども、まず、無理でしょうね。

今回の「新型コロナ」は予行演習に過ぎず、次には「エボラ出血熱」以上のウイルスが、もう、用意されていると理解している。読まれた方が、それを信じようが信じまいが、そんな事には僕は関与しない。ICUのベッド数が少ないとか、なんだとかかんだとか、「これ以上」に対応するのか、しないのか、読んでくださっている方々が、「あ、どうせこれは信じないだろうな」と思って書いているので、気にしなくても結構ですが、「人口調節」の意図がある以上、今回、十分な調整ができないなら、次が来ると思う。(つまり、どんどん感染して、死ねということか、と言われたら、はい、そうですと、僕は答える。)マクロにみたら、止めがたい。

(眠い。今日は、疲れた。まだ書き終わっていない。どうしようか。まだページの要点を書けていない。続きは、明日、目が覚めてから書きます。かなり中途半端なぶった切り方にんなったと思うけれど、これでアップします。表題に見合う論旨は、寝て起きてから、続きを書きます。

数理モデル(感染経路不明率について)

感染者数の推移のグラフ、直感的に、経口投与された薬剤の血中濃度の変化に似ていると思った。

コンパートメントモデル解析の一般形。(「半減期」という概念が成り立つあらゆる分野に共通すると思う。)
上昇部分は、最初の一定時間は x = A ( 1 – exp(-t/Ta) ) の形で近似されて、途中でフラットになる。血液透析の「拡散」も同じ関数系で、「物質の移動量は濃度に比例する」形の微分方程式の解、だったと思う。

薬剤の血中濃度の場合には途中から、「代謝」による減少の影響が出てくる。この部分は、y = B・exp( -t / Tb ) の形になると思う。結局、その両者を掛け合わせた形で、以下のようになる。(すみません、論文書いてる訳じゃないんで、厳密な式のトレースはやめます。たぶん、これであってるかなぁ。古い記憶を探っているだけ。)

http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/lab/dds/edu/dl/sample/pk.pdf
【薬物動態学】

なぜ、この形になるか。intake(薬物の取り込み)の部分は、ちょうど感染者が、周囲の複数の感染者に感染させ、その「拡大再生産」が繰り返される部分で、系に一切介入しなければ、最終的には、国民全体のうち(人口密度分布の形にもよるだろうけれども、どこかの国の大統領が口にしているように、)7割とか8割とかが感染し、その後、ほぼプラトーを保ちながら微増を続ける、という関数系のモデルになると思う。これは、数理モデルとしては、「感染するに任せて、対策しない」場合の想定で、「外出制限の全面撤廃」もこれに相当すると思う。

深刻なのは、その爆発的増加の過程で医療機関が飽和して、通常なら措置によって重症化しない他の疾病の治療ができなくなるため、医療資源が乏しい国で介入せずに経済活動を再開させて、この7割とか8割感染の状態になると、ただ単に新型コロナの致死率が10%とか15%に跳ね上がる危険性があるだけではない、ということだと思う。つまり、B国の場合には現在の致死率が7%だけれど、これが10〜12%程度に跳ね上がり、加えて、他の通常なら深刻化しない疾病での死亡率も跳ね上がって、最終的には、国民の10%から15%が死亡する事態を招くような気がする。A国の場合には、医療資源は豊富とされているものの、既に飽和している地区もあり、その「飽和状態」が全国に拡散すれば、現在の致死率6.1%がやはり10%程度に跳ね上がり、いわゆる医療崩壊からB国と同じ状況に陥る危険があると考える。これは、「外出制限の全面撤廃」の場合。

外出規制を行った場合、つまり、「感染率が濃度に比例する」というその濃度の部分が、「接触制限」によって小さい数字に押さえ込まれた場合。
現在の日本での致死率は4.3%らしい。医療機関が飽和していないならば、一定期間を経過して「退院」することで、「感染者数」は減少に転じる。これが、y = B・exp( -t / Tb ) の関数系の部分になる、と思う。

電気屋は時定数で考えた方が考えやすい。薬理学系とか、核物理学の場合には「半減期」の方が考えやすいのだろうと思う。また、一般の方も「2倍になるのに何日かかるか。」(増加する時の立ち上がり部分の「半減期」の逆の概念で、「倍増期」とでも言うんだろうか。「負の半減期」だと言葉としてわかりにくいかも。)減少する時には、「新規感染者数が半分になるのに要する日数」が、この時定数 Tb から計算される。逆に、その「新規感染者数」のグラフから、この  Tb が計算できる。

https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/

日本では、中国のような「外出規制」はできない。銃を持った武装警官が町中を巡回している映像を見たけれども、あれは、日本では無理だろうと思う。但し、中国のように「把握されていない感染者」(Spreader)の動きを完全に封じ込めることができるならば、理論的には、間違いなく2週間程度、最大でも1ヶ月程度で「新規感染者の発生」をゼロに抑え込めると思う。現実問題としては、社会インフラを支える人、医療従事者などは動いているから、ゼロにはならない。それが、減少部分の関数系の時定数、Tb の値に影響してくる。

そして、「段階的な経済活動再開」を考えた際にも、このTbや Taが大きくなり、一定比率を越えれば、「新規感染者数」は減少から増加に転じる、そういう数理モデルに作れると思う。

Ta や Tb は、「新規感染者数の推移」から、推定できる。あくまでも数理モデルとして。そこから「現実の何かの係数」へのマッピングは別にすれば。たぶん、だけれども、「代謝」とか「減少」に関係する時定数 Tb は、「把握されていない感染者」つまり、Spreaderの濃度に比例する。この値が小さくなれば、「新規感染者」は一気に減少する。大きいという事は、減少が緩やかになる、という事だと思う。
おそらく、人口密度も時定数には「比例係数」としてかかってくる気がする。例えて言えば、一番わかりやすい例としては、薬物の intake / wash-out での、心拍出量に相当するような要因、になると思う。

「把握された感染者」は、クラスターとして「隔離」される。隔離されれば、 この数理モデルでいえば、把握された時点で Ta や Tb の増加に寄与しないことになる。つまり、ピンポイントで特定することが何よりも大切、ということだと思う。感染経路が不明な人、は、どこかで一定濃度の Spreader に接触したと考えられる。それは「濃度」で扱われる。しかも、検査件数が増えないから、取り除けない。

つまり、「経済活動再開」を推進しても、「新規感染者の減少」を成し遂げるためには、とにかく、「感染者の徹底的な調査」が必要となり、そのためには、現場の医師が「疑わしいから調べて欲しい」という患者を、徹底的に調査することだと思う。「不安だから調べて欲しい」は無視していいと思う。そうではなく、「発熱があります」もごく早期の段階から調べることが必要だと思うし、法医学からの要請だとか、「コロナに感染していることが疑われる正当な理由がある」ケースについては、即時、全数調査するだけの態勢を整えるべきだと思う。

そのためには、精度の低い「抗体検査」で「全体的な感染率」を推定するのではなく、精度の高いPCRの実施件数を増やすしかない、ということになると思う。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200515/k10012431091000.html
コロナ抗体検査 「偽陽性」含む可能性高く感染者数推計できず

キットによって陽性となった割合は異なりますが、東京では最大で0.6%、東北では最大で0.4%が陽性となりました。

ところが、新型コロナウイルスの感染が広がる前と比較するため、去年初めの関東甲信越での献血の保存検体も調べたところ、最大で0.4%が陽性となったということです。

何を見てるか、わからないじゃない。これで1万人調べて、何がわかるの?アベノマスク以上に、役に立たないと思う。「結局、わかりませんでした」ってなると思う。これを考えたのは、厚生労働官僚か?お茶を濁すことしか考えてねぇ。

小池都知事が感染経路が不明な人の割合を50%未満、という数字を出した。
「経済活動再開」を焦る気持ちは、よくわかる。ただ、直感的に言って(最近、直感に頼る発言が多いなぁ・・・)この数字、高すぎると思う。これで「規制緩和」を判断したら、比較的早期に増加に転じるような気がする。やってみなければわからないから、おそらく見直されることなく、この数字で判断するんだろうな。それは仕方ない。

なんとなく、2割とか3割とか、その辺の数字になりそうな気がする。その根拠。なんとなく、喉元まで出かかっているというか、例は悪いけれど、でかかったウン×が、もうちょっとでヒリ出せそうなのに、最後の最後でどうしても出てこない(深夜ではありますが、食事中の方ごめんなさい、)なんか、そんな感じで、詰め切れていない。けれど、時間さえかければ、データから追い詰められる気がする。(朝出なくても、昼飯を食えば、押し出されて出てくる、ってな感じかな。今は、漬物のお陰で、快食快×ですが。)

もしかしたら、だけれども、「人口分布(人口密度)」に、「感染経路不明率」や、「新規感染者数の変動」などを加味して、Ta や Tbの、地域ごとの実測値を出せないものか、そして、その数値を使ってシミュレーションをして、どの程度の「感染経路不明率」ならば、どの程度まで規制を緩和できるかを、弾き出せないものか、と思った。

人の移動を、最低でも7割削減、できれば8割、とした、その根拠となる数理モデルは、たぶん、コンパートメントモデルだと思う。
あるいは、拡散方程式を使ったのかなぁ。(関数系は、同じものが出てくると思うけれど。)

拡散方程式
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%A1%E6%95%A3%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F

第一波はある程度抑えられたとして、第二波、第三波を抑えながら、全面的な経済活動を再開させていくためには、「感染経路不明率」をどの程度に抑える必要があるか、すみません、(あたしゃ、ひたすらプログラムを書き続けないと、滞納している税金を支払えない身分なもので、)私はやりません。(きっぱり。)

ここまで書くのが限界。緻密に考えようと思うなら、1週間とか2週間、とにかくこの話題だけを考え続けて、数理モデルを実際にシミュレーションで動かしてみて、データをかき集めて入力して、それでカーブ・フィッティングさせて出てきた数字を眺めて、ってやらないとならないと思う。無理。

でも、それをやれば、PCR検査件数を増やさなければならない理由を、やりたくない人たちに、突き付けられると思う。
でもなぁ、安倍総理とか、管官房長官とかが、「所詮は、シミュレーションでしょ」とか、切り捨てられて、結局、意地でもPCR検査件数を増やさない方に走りそうな気がする。

それならそれで、別にそれでもいいけど、だったら、もうあと、4回か5回、10万円を配って欲しい。

レミング

レミングの集団自殺は、科学的には「迷信」であるらしい。

“死の行進”で知られるレミング、実は自殺するほど馬鹿ではなかった
https://logmi.jp/business/articles/145941

だって、想像してみてよ。こんなにも食いしん坊なおでぶちゃんたちが、1つの場所に100匹も200匹もいたら、どんなにたくさんの食物があったとしてもすぐになくなっちゃうよ。

そして食べるものが無くなったら住む場所を移動しなきゃならない。遊牧民のようにね。

ただ、なにしろ彼らはものすごい数だから、誰にも見つからずにこっそり移動するなんてのは無理な話さ。物凄い大移動だ。

川があったっておかまいなしさ、彼らは喜んで飛び込むだろう。そして向こう岸にあるであろうおいしい草食べ放題ビュッフェを探しに行くのさ。

米ウィスコンシン州最高裁「外出規制は違法」 即座に解除
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59135160V10C20A5000000/

米大統領、ウィスコンシン州の外出禁止違法判決を称賛
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-usa-idJPKBN22Q3PA

https://www.bbc.com/japanese/video-52252115

感染経路不明率

「コロナ 感染経路不明 グラフ」でググって、ぼんやりとデータを眺めていた。

増える「感染経路不明」 調査協力しない人も「どこに感染者いるか分からない自覚を」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/209987

緊急事態宣言、小池知事「早期決断を」 対応急ぐ東京都
https://www.asahi.com/articles/ASN457363N45UTIL01L.html

いくつかのサイトを読んでみたけれど、そして、大半が1ヶ月遅れ以上で「最新」のものは目にしていないけれど、感染経路不明の患者がいる、ということは、やはり「全くコントロールできていない」ということになるような気がする。

原因は、何なんだろうか。やはり、PCR検査のキャパシティが小さすぎることにあるような気がする。現場の(保健所ではなく)医師の側の判断で、「検査が必要」とされた検体については、とにかく調べることができるまで、検査のキャパシティを増やすべきだと思う。公衆衛生学の専門家が、これ以上の検査は不要とか、書かれていると、どこかで読んだけれども、本当なんだろうか。「感染経路不明」がいる、ということは、常に爆発的な感染拡大のリスクを抱えていることになるような気がする。

誰もが「自分が感染することを恐れている」から、経済活動が萎縮する。感染経路がほぼ把握できているならば、「あ、自分はそこには行っていない」し、「それ以外の場所から感染する心配は、要らない」と自覚できるから、ある程度、行動半径を広げることができる。

医学はともかく、経済はかなり「社会心理」で動いているような気がする。それは、バブルの発生でもそうだし、バブルの崩壊でもそうだし、「社会心理」を鎮静化させることができるなら、必ず経済は上向くと思う。そのためには、(医学的な観点で、これ以上PCR検査を増やす必要がない、という主張に、正面切って論駁できる材料を、今僕は持っていないけれど、)少なくとも、社会心理の上では是が非でも検査件数を増やして、感染ルートがきちんと把握されているな、と、実感できる状況を作って欲しいと思う。それがなければ、どれだけ緊急事態が解除されても「安心感」にはつながらないし、その結果として消費は上向かない。また、経路が把握されていないから、どこかでクラスターが発生するとも思う。

「感染経路不明率」について、数字の目標を掲げるべきだ。もし、その目標が達成できないならば、達成できるように、PCR検査の対象を広げるべきだと思う。

このコロナ禍。「あれで、お父さんの勤めている会社/お父さんの会社が倒産しました」「お母さんが解雇されました/お母さんのやっているお店が潰れました。」なんていう話は、ボチボチ、かなりの数になっていると思う。経済活動を萎縮させている原因の一つは、「原因の徹底究明」をのらりくらりとかわしている、行政のトップにあると思う。

別に、「モリ、カケ、サクラ」の徹底究明なんて、この際どうでもいい。誰も死なないから。だけど、その「モリ、カケ、サクラ」のノリで「徹底究明なんてやめてくれ」と思っているなら、さっさと行政トップから降りて欲しい。自発的に降りて欲しい。トランプほどじゃないにしても、邪魔だと思う。なぜ、検査件数を増やすような号令を出せない?誰かが、仕事を増やすのを嫌がってる?仕事を増やす以上、人を増やす方策なんて、考えればいくらだってあるだろうに、なぜ、考えない?考えもせずに「人を増やすのは無理」と言ってるなら、行政トップのクビをかけて(バレた時に、野党から吊し上げられるのを覚悟の上で、)「過労死覚悟で検査件数を増やせ」、と、なぜ号令を出せないんだろうか。「経路不明」なんていうのが多すぎるから、誰もが、怖がって、萎縮して、今までの経済活動をできなくなる。その「感染経路不明」の最大の原因は、PCR検査の処理能力を増やさない、増やそうとしない、安倍総理の責任だと思う。「経済が萎縮する原因」の「不可抗力ではない」、つまり、「対処可能なのに対処しなかった」原因の一つを、安倍総理が作っている、という自覚は持って欲しい。

僕ら、システムエンジニアは、納期直前になると、もう、睡眠時間なんて削って、ひたすら試行錯誤、コーディング、テストを繰り返す。しばらく前も、還暦を過ぎたのに、二日連続で睡眠時間が2時間未満、なんてのをやってしまった。(今の僕には、これが限界。)PCR検査の現場に、ジジババしかいないなら、若くて活きのいいのを、国の財政補助で雇わせたらいいんだよ。無論、適性検査は必要だろうけれど。なぜ、何も手を打たないのか、不思議でならない。

このコロナ禍、リーマンショックと同様に、あるいは、世界恐慌と同様に、100年単位で語り継がれるだろうと思うし、教訓としてはさらに長い期間にわたって「教科書に掲載される」ような事態になると思う。そんな中で、

「何年何月の時点で、安倍が、この決断をしていたなら、XX万人が貧困層に転落することなく生活していたであろう。然るに安倍は、国立XXのXXの意見に逆えず、客観的な状況判断を見失って、PCR検査体制を諸外国並みに引き上げる決断ができなかった。これが致命傷となり、日本国民の多数が、感染経路が把握されない『正体不明』のウイルスの存在に怯え、国が推奨する『自粛』に素直に従った。その結果として、社会を支える底辺の経済活動が決定的に衰えをみせ、日本経済は急速に衰えることとなった。」
なんていう記述が、数十年後の歴史の教科書に書かれるのが、目に見えて来たような気がする。

ぶっちゃけ、今のままなら、本当にそうなると思う。この文章は、僕のスタイルではありません。高名な経済学者なのかなぁ。ボチボチ、また下りようとしている方が、下を見ていての感想、なんていう気もするし、「あ、これを伝えることができる」とお考えになられたのかも知れないし。(あ、適当に書いてます。ハッタリかましていると思って、無視してください。)

いずれにしたって、「歴史」は常に不確定だから。全て、我々の「決断」と「決意」次第。こうやって、日付が変わっても書き続けていて(仕事があるから、書き始めが遅かっただけだけど、)、アレにも言葉が通じて、何か好転するかなぁ。

実験協力依頼

実験協力依頼、なんて書きつつ、論文は書かないし、謝礼は出さないし、誰が読んでるかわからないから、適当に書いているだけだけど。

しつこいな、と思う。これで同じ話題を持ち出すのは、3度目。どういうことか。

飲食店が夜の営業を再開する際に、「フェースシールド」を貸し出すとか、使い捨てで客に提供して、唾液の飛沫対策を講じる、そうした「実験」に協力してくれるお店はないかな、ということ。

「フェースシールド」は、マスクに比べたら唾液の飛沫をブロックする効果は少ないと思う。ただ、それでも、無防備にマスクを外した状態で飲食をするのに比べたら、少なくとも正面とかに飛沫が飛ぶことは、かなり防げるような気がする。つけたまま飲食できるマスクがあったとしたら、それは既に、マスクの役割を果たしていないことになると思う。形状を工夫すれば、食べやすく、サイドへの飛沫もある程度防げるものは作れる気がする。

そうして、「フェースシールドあり」で営業を再開した店で、クラスターが発生せず、「フェースシールドなし」で、クラスターが発生する事例が起きたりして、「違い」が明確になってくれば、飲食の際の「フェースシールド」の着用で、外食店での新型コロナの感染拡大は防げる、という「実証結果」が積み重なって、(ここがポイントだけれど)もしかしたら、客も安心できるし、店側も安心できるし、今まで通りの営業ができる、ということになる。安心感さえあるならば、100%ではないにせよ、今までのような「おっかなびっくり」ではなく、そこそこ客足も戻るんじゃなかろうか。

飲食店で効果が確認できれば、観光業なんかでも、かなり「堂々と」、「来ないでください」から「来てください」にシフトできるような気がする。無論、それでも、いわゆるソーシャルディスタンスは必要かも知れないし、食事していない時のマスク着用は、ほぼ「義務化」に近い状態になるのかも知れないけれど。

つまり、「実験協力」のメリットは、「実験に成功」したなら、少しでもコロナ以前の「客足復活」に近づけること、ということになります。

もし、効果が確認されたとしたなら、マスク同様に「マイ・フェースシールド持参」が定着して、それが一般常識になるかも知れない。そうなれば、使い捨てのフェースシールドを店側が用意するコストは、かなり低減する。

こういうのは、やってみなきゃわからない。誰もやらないなら、効果は確認できない。だから「実験協力依頼」と書いた。

僕には、何のメリットもないけど。そして、しつこいようだけど、論文を書く気もないけど。ただ、飲食店とか、観光業とかで、客足が戻ればいいな、とは思う。

django_plotly_dash

ほぼ10日間、試行錯誤に潰した。けれども、相当に細かいところを自由に設定できる感じになって来た。この話題に関して言えば、出口が見えて来ました。

問題は、ライセンス。松尾くんが下調べした時に「有償の条件がかぶさってるよ」と言っていたので、これ、使えないのかなぁ、なんて、かなりガッカリしていたんだけれども、粘って検索しまくって、このページを見つけた。

https://community.plotly.com/t/pricing-and-license/9714

これって、自分で全部プログラムするならタダで使っていい、っていうことですよね!
いよ、太っ腹!(いや、腹が太いのは、俺か・・・)

なんだか、本当に嬉しくなる。開発された方々に、心から御礼申し上げます。

ASGI(Asynchronous Server Gateway Interface)の技術に、正直度肝を抜かれた。
開発マシンをサーバに仕立ててのテストだと、これがwebだなんて思えない。一昔前に、携帯電話では「合唱」はできないよ!(ループバックの遅延時間が問題になるから)なんて学生に話した記憶があるけれども、今はもう、とんでもない。おそらく、4Gあたりから人間の感覚で認知できるような遅延は発生しなくなった。そのスピードを、余すことなくweb技術に使えている。

思えば、20年前、引きこもり中年というか、気力というものがカケラもなくなっていた頃、CGI(common gateway interface)すら理解する気力も、何かを試そうなんていう気力すらなかった。それが、WSGIから今は、ASGI。plotlyや、dashの技術もすごい。open sourceだから、「答えは、ソースコードに聞け」っていうことですね。ソースを読んだら、使い方がかなり見えて来た。なぜ、ソースコードを読もうと思わなかったんだろうか。僕自身、ここまで実戦復帰できると思っていなかった。こういうところを親父やお袋に見てもらって、安心してもらいたかったなぁ。(たぶん、見てくれてはいるか。)

30年近く前は、Windowsを売りに出した某社が、バージョンアップする度に「プログラマ向けのレファレンスガイド」を十万円近い価格で売りに出した。必要なのは数行なのに。分厚い百科事典みたいな本が届く。辟易していたのは確かだけれども、今のこのオープンソースの環境。開発された方々、食っていけるのか心配になってしまう。

表題から逸れるけれども、オンライン授業なんかが一気に広まって来て、貧困家庭の子供たちのディジタル・ディバイドが進む、なんていう話題が出ている。コンピュータが一人一台には程遠い。だから、もう、10年以上前から同じことを繰り返し言ってる。LINUXのPCにシフトすればいいのに。数え切れないエンジニアの方々が、プラットフォームを支えている。(国は、見て見ぬ振り、なんだろうな。)Raspberry Piには、かなりの亜流が出ているけれども、Raspberry Pi(もどき)をコアにして、高くても1万円程度でオンラインの会話までできる周辺機器を一体化させて(カメラをつけたら、1万円は厳しいかも)家庭用の廉価版の「コンピュータ」を普及させたらいいのにと思う。7万円台のWindowsのコンピュータと同じことができるのに、1万5千円のLinuxのコンピュータを国産で普及させる、なんていう発想がカケラもなくて、貧困家庭にも7万円台のWindows PCを配布させないと、オンライン社会が成り立たないとか、大騒ぎする(ことになる)。日本は金持ちだから、どうでもいいっちゃ、どうでもいいけど。話題が逸れるなぁ。

django_plotly_dashで、ちょっと手を加えたら、オンライン会議システム、もどきのプロトが作れた。めっちゃ疲れたけど、今日はかなり感激した。


一呼吸おいて、なんでこっちに話題が逸れたか、理解した。発展途上国だ。

世界の工場である中国や、中国を追いかけるベトナムやタイにハードウェアは頼る必要があるかもしれないけれども、OSとかカーネル部分だけなら、圧倒的にLINUXで固めると、既存のWindows PCと遜色のない「パソコン環境」が作れる。それも従来の5分の1くらいの価格で。

子供たちに「情報技術」の教育を行うなら、最初からWindowsベースではなくLINUXベースの環境を強引に導入すべきだと思う。最初の数年は、教育現場から悲鳴が上がるかも知れないけれど、コンピュータは「道具」だから「慣れ」の問題だけ。早ければ2〜3年。遅くとも4〜5年経って、教育現場が慣れて来たなら、圧倒的にコストベースで低水準に「教育用機材」を整えて、貧困家庭にも一人一台のコンピュータを配布できる状況を作れると思う。こういうストーリーを展開するとしたなら、主導的な役割を果たせるのは、台湾か、(中国は、政治が閉鎖的すぎる、)ベトナムか、タイ、かなぁ。是非、20年後は、日本をぶっちぎっちゃってください。


さらに一呼吸おいて、(っていうか、2本目を吸ってから、)気付いた。これは、Googleがやるな。このコロナ禍で、世界中が「オンライン」にシフトしている以上、端末需要は激増するはず。AndroidはLINUXベースで、確かgoogleはライセンス料は取ってない、(本体価格に組み込み済み?かなぁ・・・すみません、調べませんけど、)よねぇ。いずれにしたって、普及率は半端ないもの。

貧困家庭の子供が、オンライン授業を受けられる端末を配布するために、政府が用意すべき金は、モニター(画面)込みで子供一人当たり200米ドル、なんていう端末を作れないもんだろうか。(通信インフラは別にお金がかかると思うけれど。)

イギリスで、鉄道職員に唾を吐きかけて、感染させて殺した人がいたらしい。どんなに国が豊かだって、心の貧しい人は数え切れないほどいる。そういうのは、「教育」だけではどうにもならないとしても、教育で変えられる部分も少なくないと、僕は思うし、信じたい。そのための端末。期待するのは、Googleとか、台湾政府とかタイ政府とか、ベトナム政府とか、やっぱりその辺かなぁ。

ICU設置数 / ECMO

僕が血圧計メーカに勤めていた頃、他の事業部に「ドレーゲル」の麻酔器を輸入販売する部署があった。

https://www.draeger.com/ja_jp/Hospital/Portfolio/Anaesthesia-Devices
Drägerの麻酔器

かなり高性能な麻酔管理の機械で、長時間の手術への対応とか、正確な情報提供とか、医師の負担軽減とか、考え抜かれた「最上級の機種」の普及や、販売を目指していた同僚がいた。その時に、彼が言った一言。漠然と覚えていたけれども、今になって意味を反芻している。
「対象となるオペを実施する『手術室』のターゲット数は、日本全国で300で、とにかくそこに徹底的にセールスする。」

ふ〜ん、日本全国で300。300箇所も回るの?大変だなぁ、頑張れよ、同僚(Tさん)。

今、改めて思う。「最高水準の手術を行う手術室」が、日本全国で300しかない。(30年近く前、だけれど。)
今現在の、人口十万人あたりのICUのベッド数が、日本では7.3。ということは、ICUのベッド数は、約8800?程度?新型コロナの感染者数は、日本でこそ16000人だけれども、海外では重傷者が遥かにこの数を超えている。

https://diamond.jp/articles/-/233783?page=2
日本のコロナ医療の弱点、「集中治療ベッド数」はイタリアやスペイン以下

パンデミックがもし起きていたら、このベッド数が少なすぎることは、マスコミ報道でも言われている通り。
まぁ、死者数が少なく押さえられているのは、いいことかも知れないけれど。
言いたいのは、「増やせ」ってことか?って、医療機器メーカにいた立場でいえば、それもあるけれど。

その一方で、真逆の感覚も持っている。

こんな状況でもブーブー騒がずに黙ってお上の言うことに従って来た国民の生活感覚の中には、(おそらく、江戸時代くらいにまで遡る)「諦めて、死を受け入れる」なんていう感覚があったような気がする。それが、過去30年位の僕の記憶にある中で、激しく変化して、「自分がなんのために生きてるか、なんてことは関係ない、とにかく生きていたい。それを支えるのが国の制度じゃねぇか!」という意識が強くなったような気がする。

こういう言い方をしたら悪いんだけど、「自分が、今回、なんのために生まれて来て、生きているか」を意識できないなら、はっきり言って、生きていても無駄だと思う。さっさと肉体を抜けて、(一旦、下に落ちてから、)上に戻って、せめて、自分自身が、自分で自分に課した課題くらいは思い出せるようにして、次に肉体を持つには、どうしたらいいか、よ〜く考えてから、また肉体に収まったらいい。これが本音に近い。
例えば、医療従事者に向かって「近寄るな」と叫んでいる人たち。「あんたが生きていて、誰かの幸せにつながってるの?誰かの役にたっているの?自信を持っては何も言えない?それだったら、さっさと肉体を抜けて、上に戻って、考え直したら。」なんてことは、思うし、面と向かって医療関係者は私に近づくな!なんて言われたら、僕だったら、きっと言葉にして、相手にぶつけている。「医療関係者に近づいて欲しくないなら、絶対に病院には来るな。」(話が逸れるなぁ・・・)

死を受け入れる、ていうことは、悪い意味ではなく、必要なことだと僕は思っている。それを自覚して、初めて「生きている意味」を考えることができるし、身近な人間と一緒にいられる「幸せ」を実感することができる。突然の「死」に狼狽したならば、それまでの「無自覚」を痛感すべきだと思う。という、このトゲのある表現が突き刺さる方は、おそらく既に近親者の死を経験されてしまった方々で、今世においてまだ経験されていない方には、このトゲのある言葉を、どれほどの言葉の猛毒に切り替えたとしても、おそらくは通じない。想像できないものか。
自らの(肉体の)「死」を意識せずに、その生きている実感をできる方がいらっしゃったら、それはすごいことだろうと思う。間違っていたっていい、とにかく「これだ!」と思ったら、それを追求することが大切なんだろうと僕は理解している。

ECMO(体外式膜型血液酸素化装置)は、臨床工学の枠の中で教えていた。
ある病院実習先の技師長さんから、「ECMOが稼働する状況が起きたので、もし、学生に見学させたいならば、見学を受け入れできます」というご連絡をいただいた。ECMOは、新型コロナ以前は、「延命機器」として使われるケースが多かったと思う。どういうことか。肉親が遠方に住まわれている場合、「今なら、まだ、体温があります、生きています」という状況を維持しつつ、その状態で患者の肉親の方に面会させて、その上で告知する。「この器具を外したなら、生命活動が停止します。装着したままならしばらく生きているでしょうが、もう、元のように、機械なしで生きていける体の状態ではありません。」(どういう告知をされているのか、想像に余りあるので、書けない。)「最後のお別れをしてください。」その「生きている間に、会える」というその状況を作るため、だけに使われるケースが多かったように聞いている。
まさか、テレビのニュース報道で ECMOが何度も登場する状況になるとは、当時は想像すらできなかったけれども。

ただ、ECMOが「単なる延命装置」ではなく、「急性症状」に対する「治療機器」として(「延命装置」ではなく)使われた、というのは、開発された方にとっては、これこそ目指していた状況、なのかな、とも思う。つまり、COVID-19の場合には、ECMOは、「使われた患者が、再び社会復帰するのに役立つ装置」であり得た、ということなんだろうか。

その程度の位置付けだから、日本全国にECMOが何台あるか。4桁どころか、3桁、もしかしたら、メンテナンスされていて使えるのは2桁台の台数しかない、そんな程度の台数じゃないのかな?という気はする。

でも、そもそも「延命」って、一体なんの意味があるの?誰か、教えて欲しい。

「死を受け入れる」そのことの意味を、かつての日本人は知っていたんじゃないか、という気がする。だから、ICUが少なくとも、ECMOが少なくとも、PCR検査の環境が不十分でも、(三つ目は無理があるな)ほとんど問題視してこなかったんじゃないか、という気がする。

その一方で、「今、肉体に収まっている」ということは、絶対的なチャンスだ。誰もがそれを漠然と感じているからこそ、ひたすら生き続けることに執着するんだろう。ICUが少ない、ECMOが少ない、PCRの検査件数が不十分。それらにまとわりつく、あらゆる「主張」は、(自分がなぜ今、生きているのか、なんてこととは無関係に)「生きていたいから、なんとかしろ」なんだろうと思う。

考えれば、考えるほど、そのどちらも正しく思えてしまう。僕には、答えが出せそうにない。このページを読まれた方が、何をどう考えるか。それも、イメージしきれない。

改めて、人の死って・・・

親父の葬儀の日の朝の話。初めて書く話題。

親父に生前、「俺関係の連絡先とか、お前たちに読んでもらいたい文章とか、この中に入っているから」と、USB外付けのハードディスクを渡されていた。
葬儀の日の朝、参列して下さる方に何か渡せるものはないかと見ていたら、親父がボランティア活動をしていた相手(話題の性質上、どういう活動かは伏せますが)へのフォルダを見つけ、その中の「手紙」というタイトルの入ったファイルを見つけた。

「あ、これは親父が渡して欲しい奴かな」と思って、ほとんど文面を読まずに印刷をかけた途端に、いきなりプリンタが異音を発して紙詰まり+クラッシュした。これまでそんなこと、一度もなかったのに。そして、その後も一度もそんな現象は起きなかったのだけれど。

改めて、そのファイルの文面を見てみたら、人間関係の結構ドロドロとした話題が書かれていて、相手を諫めるというか、責めるような感じの文章が書かれていて、読んでみて気付いた。これは、書いたけれども渡さなかった手紙だ。
「父さん、わかったよ。この手紙は渡さないから。」

プリンタの電源を一旦切って、入れ直し、その後「子供たちへ」と書かれたファイルを、弟たちに渡そうと思って印刷した。その時に、なんとなく暖かい感じがして、あ、親父、今いるんだねと、はっきり感じたし、全ての機器が正常動作。同じ感覚は、お袋が息を引き取る数時間前から病室で感じていた。お袋に「母さん、親父が窓際に来てるよ」と言ったら、お袋、意識がはっきりしているんだか、していないんだか、とにかくわずかにうなづいた。あ、感じてるんだねと思った。

後で、師匠の講演会で聞いた話。癌なんかで死期が近づいてくると、だんだんと「霊体」に近くなってくるから、周囲にいる人の意識も受けてしまうし、お袋と親父みたいに、来ている霊体の存在もはっきりと分かるようになるんだろうと思う。だから、「この人、遺産をいくら残してくれるかしら」なんてことを思っていると、その意識はそっくり、死にかけている相手には伝わっていると思った方がいい。みたいだ。

親父の場合には、もういつ肉体を抜けてもおかしくない状態が数日続いていたから、逆にそうした状況からだと肉体を抜けてからの「覚醒」も早かったんだろうな、と思う。どんなに長い人でも10日もあれば、はっきりと「意識体」として覚醒するらしい。普通は1週間程度。だから、昔からある仏教の「初七日」という法要は、実は、肉体を抜けた意識体の方に、「あなたは死んだんですよ」と伝える上では、かなり重要な意味があったらしい。同様に重要なのは、仏教の四十九日の法要らしい。大体、その時期に地上で自分が生きてきた期間に接した相手が、自分のことをどう思っていたのか、大体把握して上に戻る、らしい。(上というか、下というか・・・)なんていうか、「あいつ、馬鹿だな」と思っただけで、自分の心に薄墨でさっと塗ったように汚れが付く、らしい。それだけで、まっすぐ上には帰れないものらしい。だから、実際にはほとんどの方が、まず下に向かうらしいけれども。

話題が逸れた。とにかく、そんな感じで、葬儀の日の朝から「親父が一緒にいる」感じがしていたから、葬儀が無事終わって、親族やご近所さんが集まっての会食も終えて、「さぁ、父さん、帰ろうか」なんて思いながら式場から出ようとしたら、葬儀会社の方が慌てて声をかけてきた。

「施主さん、施主さん、ちょっと・・・。お父さんのご遺骨を忘れてますよ。」

あっちゃぁ〜。やっちまった。「だって、親父ここにいるのに」とは思ったし、その思ったことは親父には通じていたと思うけれど、世間的にはねぇ・・・。
そんなに家族関係がモメてた訳でもないのに、親の遺骨を葬儀場に忘れる奴って、僕の他に、何人ぐらいいるんだろうかなぁ・・・
(ちなみに、親父の葬儀の頃は、まだ師匠の講演会には、数回足を運んだ程度でしたし、当時は、まゆに唾をつけて聞いていた。)

もうあと何年かしたら、あるいは、もしかしたら十何年かしたら、あるいは、もしかしたら数十年したら、親父に直接聞こうと思っている。「父さん、あの時どんな顔してた?」

亡くなられた方々、亡くなられてすぐの時期には、必ず、ご家族の側にいると思います。(もしかしたら、ご家族の方ではなく、別の家庭の方に行ってるかも知れないけど、そんな家庭の事情なんて、この際だから、無視します。)おそらく、大半の方が、「私のことは心配しないで、前を向いてしっかり生きなさい」と伝えて下さっていると思います。(余程、性格のねじれた人でなければ。)そして、こちら側が、自分を守る意識(自分を正当化したり、誰かを拒絶したり、自分を誤魔化すためについた嘘を、事実だと自分に言い聞かせて信じ切っていたり、そうした意識)がなければ、たぶん、多少なりとも亡くなられた方の意識を受け取れるんじゃないかなと、僕は思います。

人の死は、亡くなられた方の「人格の喪失」では全くなくて、単に「肉体」という乗り船から降りられただけ。残されたご家族の方がそのことを意識できなければ、亡くなられた方が心配で上に(下に?)戻れなくて、結局迷い霊というか、いつまでも次に進めなくなると思う。

いつか、自然科学の枠組みの中で、こうした「霊体」の存在を証明できればいいのに、とは思うけれども、まだ何千年か早いのかなぁ。

トランプみたいなのが「当たり前」にはならず、地球が「リセット」される、なんてことがないならば、もしかしたら二千年もしないうちに、自然科学がそこまで踏み込んで扱えるようになるんだろう、と僕は理解しています。

寂しさは、理解します。ただ、「悲しみ」は、ちょっと違う気がする。心を澄ませれば、必ず、相手の意識を受け取れると思います。(相手が、意識を送ってきてくれているならば、ですが。自分が思っているほどには、相手が思ってくれていない、なんてケースは、ザラみたいだから。)

なんだか、なぐさめているんだか、励ましているんだか、コキおろしているんだか、訳がわからなくなって来たけど、書きたいことは書いたから、このページ、終わりま〜す。

(ちょっと待った、親父の遺骨を忘れた話、以前一度書いたことがあるような気がして来た。)

分業態勢

ニュース配信でこの記事を読んだ。

「PCR検査せよ」と叫ぶ人に知って欲しい問題
https://toyokeizai.net/articles/-/349635

――多くのメディアでは検体採取を行う保健所の話ばかりで検査の現場の話はあまり出てきません。検査をする技師には専門性と熟練が必要だそうですね。

マイクロリットル単位で何種類もの試薬を順番を間違えずに加えるという根気と技術力の必要な仕事だ。キャラクターの問題もある。私は長く見てきているし、部下を適材適所で配属しなければならない立場なので、向いている人と向いていない人の違いがわかる。長期間根気よくコツコツと取り組める人でないと向かない。

テレビのコメンテーターになっている医師たちが、「(簡単ですよとは言わないまでも)私も研究で何百回となくやりましたが」とか、「人をかき集めて訓練すればできますよ」などと言っているのを聞いて、正直、腹が立ちますね。現場を知らない、完全に上から目線。「検査技師なんて」という一段下に見る感じも透けて見える。

 

人をかき集めて訓練すれば

すみません、これ僕も書きました。ごめんなさい。ただ別に上から目線で「簡単な仕事だろう」なんていう意図はありませんでしたが・・・

ただ思う。分業態勢は組めないものか。

例えば、漫画家。漫画を書く中心になる人もいれば、背景を塗る人もいる。ゴルゴ13なんて、調査をする人、シナリオを書く人、すごい分業態勢でシステマティックにあの作品を出しているらしい。プログラミングもそうで、比較的経験の浅い人に任せられる部分もある。コアになる部分だけ技師の方が担当し、比較的ハードルの低い、多少練習させればできる部分を人に任せて、少しでも負担を軽減させ、分業態勢は組めないかと思う。

自動車とかコンピュータなどの製造ライン。あれも、組み立てる順番とか、かなり細かいスキルが必要になる部分が確かにあるし、部品や工程によっては、多少慣れて「不良品」を出さなくなるまでに数年かかる部分もあるだろうけれど、その一方で、新人に任せられる部分もあると思う。一から十まで全部技師の方が行う、という「通常態勢」の発想ではなく、「緊急事態」である以上、態勢そのものを見直す必要があるような気がする。

何種類もの試薬を順番を間違えずに加えるという根気と技術力の必要な仕事

これ、自動車なんかだと、何万点という部品の、取り付ける順番と位置を間違えずに(今時は、ロボットが活躍しているにしても、)人が作っていた。誰それが試薬を入れたら、それを自分が受け取る。自分が試薬を入れたら、次の誰それに渡す。とか、「順番を間違えない」部分は、方法次第では分業可能だと思う。μL(マイクロリットル単位)の試薬を、正確に手作業で測定できるか、に、ついては、機材の補充で対応できるならば、その部分だけサポートする機材を入れる、とか、適性検査で、こうした作業に向いている人は必ず見つかるはずだと思う。

扱いを誤ると、感染のリスクがある。確かにそれもあると思うが、例えば半導体製造のラインで作業を行う方など、空気中の浮遊粒子の数が極めて少ない環境を守りながらの作業、など、現場の教育で、そんな何年もの経験を積まなくても習得されたりしている訳で、PCR検査がとてつもなく特別な作業だから、人を増やすことは無理だ、という主張は、根拠に乏しい気がする。無論、そうしたベテランでなければできない作業工程があったとしても、分業して負荷を軽減し、人を増やして検査件数を増やすことは可能だと、僕は考える。きっと企業向けの「生産性向上」の方策なんかで、適用できるものが少なくないと僕は思う。

――日本のPCR検査件数が海外よりも少ないという批判が多いのですが、専門家会議の資料でも、「制度的に、地方衛生研究所は行政検査が主体。新しい病原体について大量に検査を行うことを想定した体制は整備されていない」とあります。

そう。システムとしてつくってこなかった。だが、今、海外と比べて少ないとか、これまで何やってたんだとか、過去を振り返って騒いでばかりいる。ないものねだりではなく、今あるものとこれから先を考えなくてはならない。そこで、検査の人材養成はそんなに簡単じゃないですよということは言っておかないといけない。無理すれば、今年の冬にもういちど大流行したときに検査が追いつかず「検査崩壊」が起きる可能性もある。

「長期戦覚悟」なら、システムを構築しなければならないはずで、これは行政トップの決断が必要なんだろうな。これからどうするのよ、と思う。現場に文句を言うこっちゃない。行政トップが、過去4ヶ月、何を見て、何を判断してきたか、なんだろうと思う。検査の重要性は、少なくとも2ヶ月くらい前から言われているはずなんだから、「今できません、だけど、現状の態勢の延長でやります。」だとしたら、あまりにもトップが無能だと思う。海外と一桁近く違う。

いや、ようやっと、一桁違いまでになった。以前は二桁近く少なかったと思う。海外でできることが、なぜ日本ではできないのか、疑問でならない。この際だから、謙虚に、韓国や台湾とか、ドイツとか、そういった国のやり方をそっくり真似してみたらどうなんだろうか。

死亡者に関していえば、日本ではちゃんと把握をしている。肺炎で亡くなる人はそんなに増えていない。

これに関しては思う。ちょっと資料が古いけれども

平成22年人口動態統計月報年計(概数)の概況/統計表/第6表 死亡数・死亡率(人口10万対),死因簡単分類別
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai10/toukei06.html

この表に、
死因簡単分類コード: 18000: 症状,徴候及び異常臨床所見・異常検査所見で他に分類されないもの : 61,801人(平成22年)

と言うのがある。いわゆる「不審死」というんだろうか、死体として発見されて「調べてみなければ死因がわからない」ような(この辺、元記事を探したけれども、見失った。表現/用語の使い方が間違っているかも知れないけれど、)ケースは、年間8万人という数字を読んだ記憶がする。癌によって亡くなられる方の数の5分の1程の方の「死因」がはっきりしていない、という現実がある。決して「ちゃんと把握されている」状況ではないような気がする。調べていない訳だから、その中にコロナによる感染者が何人いるか、不明のままになる。調べなければ、感染の実態は把握できないと思う。

そういう死者の死因に、新型コロナが関係しているかどうかを、今後調べるのか、調べないのか。確か、法医学関係の学会関係者が何か書かれていたように記憶しているだけれども、やはり記事を見失った。記憶が不確実なので言及は避けるけれども。

こうして、どなたかの書かれた記事のごく一部分だけを抽出して引用するのは、あまり良いことではない。文脈を失って誤解を招きやすい。ただ、全文引用となると、ただでさえ僕の書く文章はまとまりがない長文なのに、収拾がつかなくなるので、どうか、元ページをご参照ください。もう数箇所、引用させていただく。

発症前の感染者がどんどんうつしているという話をする人も、そうしたデータを示していない。データがない中で誰がどういう根拠で決めているのかわからない。

以前、「把握率」は「把握できない」という話題を書いた。水面下にどの程度の感染者がいるのか。水面下である以上、データは示しようがない。ただ、「感染経路不明」の患者数がどの程度の比率でいるか、という数字から推測するしかないと思う。そして、「感染経路不明」がいる、ということは、過去のSARSなどの教訓から、Super Spreaderの存在は「想定」しておく必要がある、とも考える。

Super-spreaders in infectious diseases
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1201971211000245

あらためて検査の目的は何かということを、はっきりさせてほしい。臨床(患者の治療)のためなのか、感染管理をしたいというのか、疫学調査をしたいというのか。

マスコミや、一般の方が騒いでいるのは、「コロナが怖いから、白黒はっきりさせて欲しい」だろうな。
私個人の考えとして、現実問題として、怖がりすぎだと思う。以下の部分は、私は完全に同意見。(切り貼り引用で、本当に申し訳ない。)

重要なのはマスクと換気。一般の人が着けているマスクは防御には不十分だが、ウイルスを人にうつさないという意味ではすごく効果がある。極端な話みんながマスクをしている状況なら怖いことは何にもない。

実際に、そんなに怖い状況じゃなかったのに、「恐怖に対する生理的反応」が強すぎて、「怖いから、念のため調べて」が少なくなかったんだろうという気がする。そこまで応じなければならないとしたら、検査の現場もたまったもんじゃないだろうから、お断りするケースも出てきた。そんな中で、実際には感染していたのに検査を受けられずに亡くなられた方の話題をマスコミが取り上げた。やはりここでも「感情的な反応」をしてしまうと、この方が指摘される「検査崩壊」に突っ走るリスクは、今現在も隣り合わせなんだろうと思う。

亡くなられた方のご家族の神経を逆撫するような表現になって、申し訳ない。臨床工学の学生の「国家試験合格率」の話題を学生に持ち出す際に、「僕らは、合格率87%とか、そういう数字で論じる。ただ、試験を受けた本人にとっては、合格したか、不合格だったか、100%か0%の現実がある訳だから、落ちた方には申し訳ないけれども、あくまでも僕らはその数字を目標にしている。」という話し方をした。致死率が2%とか3%とか、数字を論じる時、不幸にして亡くなられた方にとっては、「亡くなった」という事実しかない、100%の現実に直面されている訳だけれども、社会の大きな流れの中で考えた時には、とても冷たいようだけれども、やはり、2%とか3%とかいうのは、「小さい数字だ」と論じざるを得ないと考えます。神経を逆撫して申し訳ないけれども、致死率が2〜3%という現実に即した判断は、重要だという気がする。現実的な判断をしなければ、医療崩壊や、検査崩壊のリスクは、常にあると思う。

その上で、経済活動は再開させなければ、日本の社会システムそのものが危なくなる。

「みんながしっかり、マスクさえしていれば、それだけでかなり安心できる」という共通認識を持って、なんでもかんでも自粛ではなく、ポイントを押さえて、(例えば、ナイトクラブとか(すみません、僕は行ったことがないので報道だけに頼って中の状況を想像して書いていますが、)居酒屋とか、会話(つまり唾液)が飛び交う場所は、過去のような形態での再開は極めて難しいと思うけれど、)あ、マスクさえしていれば、これとこれは、全然心配ないんだ、という業種、業態からどんどんと「正常化」させていく必要があると思うし、”Stay Home”から「正しく恐れよう」と、そちらにシフトしていく必要があると思う。そのためには、セーフティネットが正常に機能していることが大前提になるし、十分な検査態勢を整えることも、絶対的な条件になってくると、理解している。
とにかく、「検査を受けられなかったから、対応が遅れて亡くなった」というケースは、ゼロに抑え込めるということが、一つの「目安」になるような気がする。

水がこぼれそうなコップがあったとする。その水がこぼれると、床にある高価な絨毯が台無しになる、と恐れて、床に防水シートを敷いたり、雑巾を用意したり、そうやってみんながパニックになっている状況を想像してみて欲しい。もし、水がこぼれそうなコップのすぐ下に受け皿を用意したら、それだけでかなり安心できるはずだと思う。その「コップのすぐ下の受け皿」の役割を果たしているのが、布製も含めたマスクであったり、フェイスシールドだ、と僕は思います。
みんながマスクをしていたなら、それで安心して、経済活動を再開すべきだと思う。そして、万が一こぼれてしまっても、床には防水シートもあるし、雑巾だって用意してあるし、それが、セーフティネットとしての、検査まで含めた「医療制度」なんだろうと、そんな気がしている。

相変わらずの長文だねぇ・・・。
ここまで読んで下さった方、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

再起動に向けて

今日は暑かった。いきなりの発汗で、まだ体温調整がうまくできていない感じだった。
ちょっと待て、汗からうつったりしない?

新型コロナの感染ルート 汗・尿・便からもうつるのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/adf2d2676fb7cf6bd69adb13aa2f95c834385f94

「汗による感染は理論上、あり得ません」

良かった。「理論上」ではなく、データが欲しい気がするけど、理屈はわかる。データをとるのは、無駄な労力だろうな。

そのサイトからのリンクで、これがあった。

島田眞路山梨大学長、杉村太蔵氏の「日本の死者数は少ない」発言にピシャリ…「PCR検査しないでどうやって分かるんですか!」
https://news.yahoo.co.jp/articles/296247c3a2b72154e491a14a9a9356b1f42fc251

PCR検査には、いくつもボトルネックがあるみたいだ。
まず、検体採取。鼻の穴に綿棒を入れるのは、「医療行為」だから医者しかできない。それを厚生労働省は「歯科医師」にもできるように、特例で、なんちゃら。
だって、なぁ、お金をもらって耳垢掃除をする、ってのも、「医療行為」だから、家族など身内以外は医者しかやっちゃいけないんでしょ?これがボトルネックの一つだと言われても、釈然としない。じゃぁ、爪を切るのはどうなんだろう。床屋で鼻毛を切ってくれたりするのは?ハサミの先端が鼻の中に入った瞬間に、「医療行為」になるんだろうか?

PCR検査、ボタンを押せばそれで済むってのは間違いだと、臨床検査技師の方が何か書かれていた。これはなんとなく納得できる。ただ機械の台数を増やせばいい、訳じゃない、それもわかる。現場が大変だ、それも理解できる。
ただ、他の国でできることが、日本でできない理由がわからない。「政治」や「行政」が原因なんでしょうかね。つまり、「医療行為」の縄張りというか、管轄というか、既得権は手離したくない、とか。なぜ、せめて韓国程度の検査が実施できないのか、その理由が釈然とはしない。

せめて「コロナ対策の特例」として、1〜2日程度の「講習」を受けてもらって、検査の実施件数を増やす、ということはできないものか。「偽陽性」や「偽陰性」の問題があったとしても、「検査件数を大幅に増やします。その代わりに、ベテラン以外の人が機器を操作すると、偽陰性の発生確率が、大まかに何割増え、偽陽性の発生確率が大まかに何割程度増えますが、それでもいいですか?」と、それを承知してもらった上で、大幅に(このコロナ禍で、仕事にあぶれた人たちを)国が雇い入れる。
精度が落ちたとしても、逆に、検査できる人の数を大幅に増強できるなら、2箇所で検査をやって、結果が一致しないなら3回目をやるとか、精度をあげる方法はあると思う。「精度が低い技術」で「精度が高い結果を出す」時の常套手段。やはり、検査件数は増やすべきだ、という、「妥協しない」方の肩を持つべきなのかなぁ。

新型コロナウイルス蔓延が引き起こす「死因不明危機」(4月29日追記あり)
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20200419-00174073/

感染不明の遺体 検査必要も対応できず 遺族に返されるケースも
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200426/k10012406511000.html

個人的な意見として、とにかく「経済」を回さないと、生活が困窮する人の数が激増する。行政による「手当」だけでは、長丁場は乗り切れない。ということは、今後も継続して「新規に感染が確認された人」が、常に一定数現れることを想定した上で、社会活動を再開せざるを得ないと思う。

ただ、検査件数を増やさない、増やせない、となると、この「原因不明の変死者数」が増加する、という形で、コロナ対策の「数字」は優秀だけれども、なぜか、変死者数が激増しました、ということになるんだろうか。
でも、それって、そんなに「悪いこと」なのかなぁ。原因がわからないってのは、気持ち悪いけれども、死は死であって、その事実が変わる訳じゃない。

なんとなく、モリ、カケ、を思い出した。うやむやにしてしまえば、いずれ世論は黙る。それでまた、自民党の圧勝。「検査」ってのは、「現実」を白日の元に晒す行為だから、安倍総理が一番嫌う分野の話、なので、「検査件数を増やすのは無理です」という専門家の意見に、全面的に乗っかっている、ということなんだろうか。
日本がいつの間にか「武器輸出可能な国」になった。そんなことは一向に気にしないのが、安倍支持層ですからねぇ。変死者は増えているけれど、コロナによる死者は抑えられています。「あぁ、そうなんだ。良かった良かった、安倍さん、すご〜い。」に、軟着陸しそうな気がしなくもない。
なんだか、異様に書くテンションが落ちた。もう、ずっと、長いこと安倍総理非難を展開していたけど、全然変わらないもの。私個人は、もう、安倍総理に噛みつくのに疲れたし、それでも安倍支持が減らないから、なんだか、どーでも良くなってるところもあって、「変死者が増えてもいいんじゃない?」なんていう気分は、実を言えば、結構ある。

もし、そうならなくて、きちんと検査しろという声が膨れてきて、それでも、医療の「縦割り」を頑固に守り抜こう、っていうことなら、申し訳ないけれども、医師も、臨床検査技師も、過労死覚悟で限界まで治療にあたり、検査件数を増やす、っていうことになるんだろうな。

まだ、ゴールデンウィークの結果は出ていないけれども、たぶん、第二波は来ると思う。それが小さいか大きいかはわからないけれども、たぶん、10日後くらいからまた、「新規感染者数」が増加に転じると思う。今日から、「経済活動の再開」に転じてきた。それをしなければ、この日本で餓死する人が出てくると思う。あるいは、食うに困っての犯罪など、今までの日本では考えられない水準での犯罪が増えてくるとも思う。「できるところから、経済活動再開」は不可避だという気がする。ただ、その副作用として、第二波の立ち上がりに被せるように、経済活動再開を原因とする増加が、今月下旬から加わるのも、避けがたい気がする。問題は、その大きさが、第一波より低く抑えられるか、どうか、じゃないか、という気がする。そうなった時に、クラスター追跡のためには、現状よりもさらに検査件数を増やす必要があり、増やせないなら「感染経路不明」が増えるだけ、という気もする。
安倍総理は気にしないと思うけど。なんでも、あやふやにして、誤魔化して済ませるなら細かく「調査」させない。それと同じで、検査しなければ、数字は小さいから。
でも、別にいいじゃん。既得権は手放したくないし、仕事が大変になるのも嫌だ。そういう気持ちも、すごくわかる。絶対に、「なるようにはなる」から(「知ってる人は誰でも知っている」と同じくらい、自明の理だ。)ごちゃごちゃと悩まなくたって、いいんじゃない?加えて言えば、致死率が高いのは高齢者と、持病がある人たち。もう、十分生きたとは、思えませんかね。

極めて個人的に、僕はもう、ほとんど思い残すことはないです。死を受け入れる、っていうのは大切なことだと思う。
餓死を避ける、コロナを避ける。生きるためにできる努力は、全力でやる。それでも、いつか必ず人は死ぬ訳だし。僕の肉体も、間違いなく死を迎えます。

高齢者の方で、ラジオなんかで時々聞く愚痴。あっちが痛い、こっちが痛い、歩くのが大変だから買い物にも行けない、生きていても面白くない。死にたい。そう言って愚痴る割には、コロナは怖い。次があるんだから、そんなに、あちこち痛くて生きているのが嫌なら、積極的にコロナに感染したら良かろうに。

Covid-19で死ぬなら、そんなに怖くないと思いますよ。限界を超えると一気に脳が酸欠になるから、酸欠になり始めたあたりはしばらく苦しいと思うけれど、何時間も続かずに、意識を保てなくなる、と思う。苦しさが抜けたあたりから、たぶん「眠気」に近い感じになると思う。そこから先は、自分ではもう動けない(意識がないんだから)から、ポックリと死ねる。
それが、癌とか、全身大火傷とか、大怪我とかだと、意識がはっきりしたまま激痛が何日も、場合によっては何年も続く。それに比べたら、こんな楽な死に方はない、そんな気もする。

看護師への差別、新潟県でも
https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20200429540613.html

こういう時だから、人間の本性が明け透けになってくる。

町内の回覧板を届けたとき、隣人は指先でつまむようにして受け取り「ウイルスが怖いからこれからは来ないで。町内の会合にも来ないように、ご両親にも伝えなさい」と言い放った。

こういう人が、世間には大勢いると思うけれど、いいんじゃないですか?まさか自分がコロナに感染した時に、病院の世話になるつもりはないんだろうから、病院以外の場所に自己隔離して、静かにひっそりと「変死」したらいい。医療行為を受けなければ、さほど苦しまない、意識が落ちたらすぐに死ねると思います。癌よりは、ずっと楽だと思う。是非。

こういう一言、っていうのは、僕みたいな憎まれキャラじゃないと口にはできないとは思うけれども、僕だったらこういう。

「私は、医療職をやめるつもりはありません。もし、あなたが本気でそうお考えなら、あなたが新型コロナに感染しても、絶対に病院には来ないでください。」

いや、もっとうまい伝え方があるかなぁ。そう言えば、「伝え方」のノウハウを書いているサイトもあった。お知恵を拝借して、医療関係者を助けて欲しい。僕も、表現方法の勉強をしたい。

データ考

一応、僕の会社の名称:シグナリスは、英語表記のロゴでは Signalysis = Signal Analysis(信号解析)の 前半の Signa と後半の nalysisを繋いだもので、「信号解析」、「データ解析」は本業に近いかな、と思う。プロフェッショナルとして、これだけは一切譲歩したくないのはプログラミング、システムエンジニアリングだけれども、最近は(ってか、もう何十年もずっと)「最先端技術」に追いつくのに、ヒーヒー言ってる。還暦を過ぎて、「食えりゃいい」レベルで妥協しようよ、と思いつつ、やっぱり、「それは知りませんでした」とか「わかりません」って答えるのが、嫌なんだなぁ・・・。性格を変えないと、楽はできなさそうだ。

ちなみに、普通に読めば シグナリシスなのに、なぜシグナリスなのかは、あまり聞かれませんが、医療データの解析が本業だったのに、「社名が最後、シス=(死す)で終わる」のは嫌だな、と思ったから。だから、「後の方のシ(=死)を取った」というのが理由です。

あまり深く考えていなかったけれども、師匠の講演会に参加するようになって、「肉体の死」は「意識体の死」とは無縁で、意識体の方は、余程のことがない限り(余程っていうのは、ルシフェル(様)レベルの落ち方、)消されることはない、ということだろうか。(すみません、サタンが消されるのは、まだみたいです。ルシフェル様の意識体が消される時期の話は、聞いていますが、それは書かない。でも、どうしてこう、いつもいつも、話が本題から逸れるんだろうか。僕の悪い癖だ。)とにかく、肉体の死は、意識体の死ではないと、私は理解したし、感じてもいるし、そうした意味では、「後の方のシ(=死)」は、自分の中では取れたな、と思う。この社名で良かった。(最大の課題は、ビジネスとして存続させることでしょ!? –> 自分)

相変わらず、話の枕が長い。(今日は、この程度で済んだか。多少は成長したか?もっと成長しろよ –> 自分)

内村先生のFacebook のタイムライン
https://www.facebook.com/uchimura.naoyuki/posts/3113921838688530?notif_id=1589003469447767

「コメント欄も含めて読みたい」とあったので読んだ。(一旦、Facebookでシェアしたんだけれども、コメント欄まで含めたシェアができていなかったので、Facebookの方でのシェアは、諦めた。ただ、「公開」だから、こちらで引用できれば、それで十分かと思った。)

一つ話題を挟む。臨床工学の学生に、国家試験対策で(ボランティアだなぁ)2月の定期試験後の休講期間中に、直前補講をやっていた時、参加した学生から質問があった。どの数字だったか忘れたけれども、昨今話題の呼吸器系で重ねると、こんな感じの話題。
「先生、この、I型呼吸不全(酸素化障害)の判定基準なんですが、PaO2が60mmHg以下で、こっちの本で見ると等号が入っているんですけど、こっちの本で見ると、等号がない不等号で、等号が入るんでしょうか、入らないんでしょうか。」という感じの質問。
僕の答え。
「あのね、60mmHgっていう数字は、あくまで目安で、区切りのいい数字でしょ!?生体データっていうのは、個人差が大きいから、工業製品なんかと違って、『これが判定基準だ』なんていう決定的な数字はないんですよ。あくまでも、『このレベルまで落ちたら、呼吸不全という診断にしましょう』という目安として出している訳だから、そこに、等号があるか、ないかなんて、全然問題じゃないし、その等号の有無を聞いてくる問題を作るような馬鹿な医者はいないと思うから、とにかく、等号なんか気にせずに、60mmHgという数字だけ、しっかり覚えればいいから。等号の有無なんか、気にしないで構わないと思いますよ。」確か、こんな感じだった。
念のため、もう一度書けば、その時の質問は呼吸不全の判断基準ではなかった。何か思い出せないから、思い出せないと書けないので、呼吸不全を引き合いに出しただけです。

さらに言えば、アシドーシスとアルカローシスの基準、正常範囲は 7.35<pH<7.45 であって、 7.35以下はアシドーシス、7.45以上はアルカローシスだけれども、これも、本によって等号があったり、なかったりする。なんていう以上に、7.4 ± 0.5 っていう数字自体が、区切りが良すぎると思いませんか?世界中の「健康と思われる」全ての人間の血液データを採取して、平均したら、きっと、例えば、(かなり適当に書きますが、)7.3905812 ± 0.41523(2σ) だとかなんだとか、もっと「区切りの悪い数字」が出てくるはず、だと思うけれども、そもそもが、生体データっていうのは工業製品と違って、バラツキが多すぎるから、相当にデータ数を増やしても絞り込めない。その「全ての人間」のデータを取ることが可能だとしたって、今年は 7.3905812 だったけれど、去年は 7.4205166だった、とか、そもそもが日内変動だってあるデータだから、細かくすること自体にあまり意味がないような気がする。ただ大切なことは「目安」を定めること、だと思う。数字には、それ以上の意味がない、と僕は思っている。
ただ、それなのに、「診療点数」の請求で、等号の有無にこだわる方々がいらっしゃるから、また学校現場でも、等号の有無で○×を判定するような問題を作る先生がいて、そうした教育を受けているから、学生がこういうのを気にするように育っちゃうんだろうけれども。

最近のわかりやすい例として言えば、「6月1日、緊急事態宣言解除説」の、その6月1日という日程は、どこから出て来たの、という話題。「区切りがいいからでしょ」って、正しくそれだと思う。あれね。4月1日に「新年度が始まる」っていうのと、全く同じ。単に区切りがいいから。それ以上の意味のない数字とか日付。(追補:物理学中心の「境界条件」の話題は除く。)

話を戻す。僕自身のPCR検査についての見解?

1月、2月、3月と、とにかく検査件数を増やせ、と書いた。だって、統計的な扱いができないほど少ない数字だったから。でも、4月はそれ程強くは書いていないか、もしかしたら書いていない。5月も、あえてPCR検査に言及したのは、このページが初めてかな?時間が経過して、その「時間軸」に添ってのデータが出ている。検査件数の不備は、マクロにはカバーできる状況だという気がする。

トレードオフという考え方がある。僕がこの「トレードオフ」なる単語を最初に聞いたのは、社会人1年目、住友電工での直属の上司だったK主任研究員からだった。この単語を知らない方は、「トレードオフ」でググって下さい。このページで言いたいことはただ一つ。件数を増やすことができない「現実的な要因」があるのならば、ある程度の妥協はやむを得ないし、与えられた条件の中で最適な判断を下せるように模索すべきだと思う。

PCR検査の「数字が信用できない」それは確かだけれども、内村先生のFacebookのシェアに対するコメントで「偽陰性」の患者に対するイギリスの医師の話題が掲載されていた。日本だったら、これは「門前払い」か?数字は数字でしかない。現場の判断は、少なくとも医療現場なら、医師に委ねるしかない。それを数字とか、「陰性か陽性か」で縛る。制度的な問題の本質は、ここにありそうな気がする。「患者を救う」ことが至上命題ならば、そのために最善と思われる医師の判断を優先して、それを容認する制度が必要だ、と僕は思う。

逆に、ここで日本医師会に、あるいは厚生労働省に喧嘩を売るなら、「医師」は医療現場では「オールマイティ」で、全ての医療行為を行うことが「医師」には許されている。その他の「医療職」は、薬剤師であれ、看護師であれ、臨床検査技師であれ、臨床工学技士であれ、診療放射線技師であれ(すみません、すぐに思いつかないので、以下省略とさせていただきますが、)大半の「関連法規」を読むと、「医師の指示の下に、これを行う」というのが記載されている。
東京一極集中と同じで、あまりにも、「医者」と「それ以外」を切り離し過ぎている気がする。だから、検体採取は医者しかできないってか?アホかと思った。なぜ、そこまで「現場」の他のスタッフを信頼できない制度を作る?

法律でも同じことが言えそうだ。「弁護士」資格は、法律に関してはオールマイティ。「司法書士」だとか「行政書士」だとか、「不動産・・・」(以下省略)とかは、極めて限られた法律行為に限定されている。それなのに、弁護士だけはオールマイティ。

ここでまた話題が飛ぶのが、僕の悪い癖ですが・・・例えば、耳掻き。
親が耳掻きを持って、子供の耳糞を掃除してあげる。これは、法令違反にはならない。けれども、「耳垢掃除します」なる看板を掲げて、家族ではない他人の耳糞を掃除してあげると、これは「法律違反」になる。なぜならば、他人の耳の穴に綿棒とか、耳掻きを突っ込むのは、「医療行為」になるから。アホとしか思えない法律だと思うけれども、これが現実。当然、誰かの鼻の穴の中に綿棒を入れて、その「掻き取り方」とかにノウハウはあるにしたって、そんなもん、ちょっと練習したらかなりの人にできそうな気がするのに、耳糞彫りと一緒で、医師免許が必要なんでしょ?(理解が間違っていたら、ごめんなさい。)臨床検査技師も、できない、のかなぁ。法令改正で、数年前に臨床工学技士の「気道吸引」が、できるようになった。現場の声が上がると、その都度、それに押されて法令改正をする。後手後手すぎる。もっと大胆に、法律を見直す必要があると思う。要するに、「医者」だけでは手が足りないから、この程度の仕事は「他の誰かが手伝ってよ」っていう感じになると、その都度、その部分だけ法律を見直す。それが日本医師会とか、厚生労働省の基本姿勢でしょ?

その挙句に、医療現場では、とにかく「医師」だけにかなりの負担がかかる。検体採取が「医者」にしか出来ないから、検査件数が増やせない。「これ以上、検査件数を増やすな!」それはそもそも、そういう法律を護持してきた、日本医師会とか、厚生労働省に根本的な責任があるような気がする。そうやって「医者」の「権利」を守ってきたんだから、過労死しようが何しようが、「医者」が、その「権利」に付随する「責任」を果たせ、という主張も、展開しようと思うなら、できる気がする。(しないけど。)

「文鎮型組織」なんていう言葉を聞いたことがある。書道の「文鎮」は、日本人には通じますよね?「つまみ」がある以外は、重みが横一線に均等に分散している。つまり、「社長」とか「学長」だけに権限があって、それ以下は、部長とか学部長だろうが、平社員、下っ端の教員まで、全員が横並び。そういう組織のこと。案外、「医療現場」はその「文鎮型組織」じゃないかとも思う。つまり、何があろうが、責任を取るのはその頂点にいる、社長、学長、医者、などなどだけでしかあり得ない、そういう組織のことだと、僕は理解している。権限を委譲しないなら、全部責任をとれ、過労死しようが何しようが、PCR検査を増やせ、そういう論法も、展開しようと思うなら、できそうだな。

相当に、論点が逸れた。

時々、元大阪府知事の橋下さんをテレビで見かける。「これは、政治が決めるべき問題だ」と、正しくそうだと思う。だって、細かい数字なんて、現実問題としてあまり意味はないんだもの。「指標」とか「目安」レベルでの判断しかできない現実がある以上、その枠の中での「決断」だって、あながち誤りとは言い難い気がする。

前に、全文無断引用したページの一節。

(※大規模検査が必要ない理由に関しては、調べていただければ感染症や公衆衛生の専門家の方々の意見などたくさん出てきます)

公衆衛生の専門家、っていうことは、当然、統計にも詳しいはず。特に、医療に特化しているならば、工業製品ではない、ヒトのデータの扱いにも慣れていらっしゃるはず。「今使える指標」だけで、とにかく「感染が、どういう状況で起きると言えるか」という、数字ではないメカニズムの方により着目して、決断しなければ、日本経済そのものが、かなり危ないと思う。日本経済が危なくなれば、医療現場の防護具も、薬も、ディスポの医療機材も、現場では手に入らなくなる。マクロな判断が必要だと、僕は思う。WHOの危惧は、それはそれとして、日本は日本の現場に則した判断をすべきだ。

データは、間違いなく必要だと思う。ただし、現実問題として得られるデータが限られている現状で判断しなければならない場合もあると思う。その原因に「制度」があろうが、「誰かの傲慢」があろうが、そんなことは関係ない。はっきりしているのは、「これだけのデータしか使えない」という現実だと思う。
そこから先に必要なのは、「政治的な判断」かも知れないし、もっと「データ」の下に潜む「潜在的な要因」を洗い出して、定性的な分析を徹底的に進める専門家の知恵、かも知れない。

マスク忘れた

ここんところ、連日、新しいテクニックを試して、「雛形」を書いている。最後の詰めが思い通りに行かなくて、「あ、店が閉まる」と思って、ドラッグストアに駆け込んだ。(ってか、移動は車だけど。)店に入る直前に、気付いた。マスクをつけるのを忘れた。

なんで気付いたか。お店の入り口に、「本日、マスクはありません。入荷時期未定」と、でっかい字で書いてあったから。気付いたと同時に、閃いた。何か言われたら、「すみません、マスクも買おうと思って来たんですけど・・・」って答えよう。

すっごい違和感。周囲の人はみんな(と言っても、時間帯の都合で数名だけど)、マスクをしている。俺も、ちょっと前に何か書いたよなぁ。「あの人たち、マスクをしていない」って、このブログで文句を書いた。ブーメランが帰って来た。やっちまった。大丈夫、僕は感染していません、なんて、言い訳にもならない。誰も聞く耳を持ってくれないだろなぁ・・・。

ただ、僕の体じゃウイルスは増殖しないし、誰にも感染させないと思います。嘘だと思うなら、いつだって人体実験に体を提供します。新型コロナウイルスを僕の粘膜にこすりつけてみて下さいな。それで経過観察してみたら?いつでもどうぞ。ちょっとしたことで、誰でもなれる「特異体質」。ただ、説明したって世間には通じないから、とにかく、マスクは忘れないようにします。見た目が大事。(僕の、インフルエンザ・ワクチンの摂取記録を見てもらったら、すぐにわかると思うんだけど、直接的な証拠にはならないな。大学教員時代、実習も担当していたから、結構な人数とかなりの至近距離で仕事をしていたけれど。どうでもいいや。)

で、ドライブがてらの買い物から戻って、修正かけたら、思い通りに動作した。若干予定時間はオーバーしたけれど、今日の課題はクリア!

ようやっと、Python / Djangoで、C言語、Basic、PHP、Java、Rubyなんかと同じ程度に、イメージしたらかなり思い通りに動かせるようになって来た。1年かかっちゃったかなぁ。

感想は、たった一言。老けた。(ただ、忘れっぽいのは、昔から。)
ついでに言えば、思い通りに動くようになって来て、Python / Djangoを使っての仕事そのものへのテンションも、少し高くなって来た。
自然言語なんかでも、通じるようになると、話すのが楽しくなってくる。自分でも、単純なメンタリティをしてるな、とは思う。

Long Life Milk

WebP導入の愚痴を書いた後、コーヒーを飲んでいたら、唐突にあることを思い出した。Long Life Milk

パプアニューギニアの、電気の通っていない山間部の村落でも、小さな「売店」はあって、缶詰やタバコ(タバコはないこともある)、そして、お店によっては Long Life Milkを置いていた。無論、NesCafeや、お米。一番人気はMiloだったかなぁ。電気のない山奥で、牛乳が飲めるって、すごいと思った。

Long Life Milkは、味も見た目も、ほぼ普通の牛乳。(味覚音痴と言われたくないから、ほぼ、と書いたけれど、効き牛乳をされたら、僕にはたぶん違いがわからない。)記憶があやふやだけれども、賞味期限が1年近く(1年以上?)あったように覚えている。

https://www.dairy.com.au/products/milk/long-life-milk

牛乳を、廃棄処分にするとか、しないとか。これもやはり「設備投資」は必要になっちゃうんだろうし、僕の思いつくことって、設備投資が必要なことばっかり。役に立たないアイディアばかり出している気はするけれど、こういう選択肢もないかな、と思った。
もし、牛乳のパッキングの製造ラインで、温度や時間を調節するだけで「Long Life」にできるとしたら、1週間くらいの突貫工事で対応して、官公庁も緊急検討して、「産業保護」の視点で「特例承認」とか、できないもんでしょうかね?ただ、日本の場合には、最大のボトルネックは「消費マインド」かなぁ。「生鮮」でないだけで、買わなかったりするかも知れない。それならば、1割程度安くする、とか、何か付加価値をつけるとか・・・

使えないアイディアばかりで、すみません。枯れ木も山の賑わいですから。(この使い方、間違ってないよな。)

それにしても、仕事中に突然訳のわからないアイディアを思いつくのって、勘弁して欲しい気がする。集中力のねぇ奴。

WebP(ウェッピー; weppy)

WebP。2010年にGoogleが提唱。高圧縮効率の画像フォーマット。

へぇー。(今更、へぇーって、お前、それでもプログラマのつもりか・・・)
だって、知らなかったんだもん。初めて見かけた。

使わなきゃ、ならなくなったみたい。
それはいいとして、僕が使っているツール群、どれ一つとして、WebPに対応していない。今更、環境構築のやり直しか?

やれやれ

WebCamera + OpenCV / Zoom

過去2回ほど、英文の「脅迫メール」で、「お前のコンピュータのカメラを、私はハックして、お前の画像を取得した。お前のWEBアクセス履歴や住所録も、抜き取らせてもらった。いつでも外に晒せるぞ。それが嫌なら、ビットコインで、いくらいくら支払え」というメールを受け取ったことがある。

一度だけ、突然Windows PCの電源が、ネットブートで立ち上がる現場に居合わせて、かなり焦ったことがあった。というのは、レンタルサーバをやめて、社内LANに繋がったWindows機をサーバにして、会社のページをそこに移そうかと、試行錯誤したことがあって、その時にルータのポートに穴を開けたことがあって、そのまんまにしていた。慌てて閉じた。スキャンして、侵入されたかも知れない。一度居合わせたけれども、それ以前にもアクセスされていた可能性は皆無ではない気がする。

ただ、実を言えば、windows機は作りかけ、あるいは、納入前のアプリの動作確認用にしか使っていなくて、カメラがついていないどころか、個人情報さえ全く入っていない。だから、冒頭の脅迫メールも、アホか、と思ったから無視していた。

今回、Zoomで、カメラ画像を外部に流した。クライアントはZoomアプリで動作させているけれども、基本はリモートからの切り替えも可能な構造になっているみたいだ。どうなってるんだろう、というか、どうやってるんだろうと思って、OpenCV / Pythonで、Streamingのアプリをネットから落として、動作確認してみた。「クライアント」と言いつつ、ミュートの切り替えとか、画像を流す、流さないなどは、ローカルにインストールしたZoomアプリでやってるんですね。

PyCharm の Terminalからサーバを立ち上げると、OpenCV の cv2.VideoCapture(0)ではエラーは出ないものの、カメラのアクセスランプが点灯せず、readでエラーが出ちゃって動作しない。ちょっとググったら、今日はすぐに原因がわかった。Macの ターミナル.appからのアクセスなら、Mac OSから「ターミナルからのカメラへのアクセスを許可しますか?」の確認の表示が現れて、一発で動いた。システム環境設定を見ると、Zoomアプリと、ターミナルアプリには、カメラへのアクセス許可がOKになっている。アップされていたサンプルプログラムが、単純明瞭で、ダウンストリームだけなら、サーバとして画像を流すまで確認するのに、作業開始から40分かからなかった。Intel の OpenCVは、秀逸だ!

ポイントはここ。Mac OSがカメラへのアクセスを許可しているのは、Zoomアプリ(僕がOKしたから)と、ターミナルアプリだけであって、bashにはアクセス許可を出していない。ターミナルからのアクセスがOKでも、仮に、僕のMacのファイアウォールが破られて、リモートログイン(許可していないけど)された、としても、カメラにはアクセスできないし、「書類」フォルダにもアクセスできない。こまめにOSをアップデートしたけれども、よく考えてられて作られているよな、と思った。

Windows 機については、調べていないのでわかりません。お客さんに聞かれたとして、お金になる話だったら調べ上げてきちんとお答えするとか、思うし、自信を持って知っている知識は出し惜しみしないけれど、知らないから書けない。今は書かないし、調べる気もない。

LINUXをプライベートのデータ管理に使っている、なんていうのは、プロだけじゃないかという気がする。LINUXは、少なくとも、Mac OSと同程度にセキュリティ強化できるけれど、一般の方はまず使っていないだろうな。Windowsについては、わからないのでノーコメント。

いずれにせよ、Zoomとかの会議システムを入れても、Mac OSの場合には、ハッカーを名乗る脅迫メールは「単なるハッタリだな」と簡単に片付けて、全く支障がないなと、一応、プログラミングの立場から確認してみました。


追補: 今、すごい勢いで Zoom とか使われている気がする。アプリが動いている状態だと、サーバ側のエミュレータには反応するかも知れない。じっくり考えて、あれこれ試さないと(その気はないけど、)乗っ取り方はすぐにはわからないけれど、リモート会議のアプリは、使わない時は確実に「動作停止」させておかないと、ちょっと危険があるような気はした。

Facebookから

高校時代の友人 F が (リンクを貼った時点で名前が出ちゃうな・・・イニシャルにする意味あるのかなぁ・・・、)この記事をシェアしていた。原発問題の取材を受けた東大の先生も、NHKの編集に憤慨されていた。マスコミの取材は、編集によって「発言内容」が化ける。このS医師、Fとのつながりで、なんだか面識があるような気がしてならないんだけれど、どこでどういう形で会ったか全く思い出せない・・・

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1235390466813097&id=100010264668180

閲覧範囲が「友達の友達」:彼の悲しみは、僕の悲しみ。このページの最下部に、全文無断引用します。クレームがついたら消します。

こちらは、いいニュース。内村先生から。シムデシビルはアメリカで使えばいい。日本ではイベルメクチンを使えばいいのでは?

それにしても、抗寄生虫薬がウイルスに効果がある、とは・・・。自分の持っている「常識」なるものが、いかにいい加減か、思い知る。黙ろうよ(→自分)。

元東北大の柳澤先生からの情報。大村先生がノーベル賞を取られた抗寄生虫薬です。ほとんど副作用なしで世界で使われているはずです。国立国際医療研究センターの岡崎先生からイベルメクチンの有効性の論文を教えていただきました。図を見てください。圧…

内村 直之さんの投稿 2020年5月6日水曜日


本日テレビ朝日の朝のニュース番組グッド!モーニングで私がコロナウイルス診療に関してインタビューされたものが放送されました。

昨日の朝、テレビ朝日の方から取材の依頼が来て、夕方にzoomを用いたリモートでの取材という形で依頼を受けました。

取材の依頼内容としましては、コロナウイルスへのヨーロッパ と日本の対応に関して現場の生の声を聞きたいとのことでしたので、専門家でないので一医療従事者の声としてしか答えられませんとお断りした上で取材に応じさせていただきました。

が、編集で取材内容とはかなり異なった報道をされてしまい、放送を見て正直愕然としました。

取材では、ヨーロッパ での感染状況に関して、私がベルギーから日本に戻ってきてコロナウイルスに関する診療をするに至った経緯、帰国時に感じた日本の診療体制に関する率直な意見、また日本で再度働き始めて1ヶ月ほど経って現場はどう変わったか、現在の現場の様子、日本のPCR検査への対応に関して、現在医療現場で必要とされているもの、最後に一言、という感じで40分程度質問に答える形で進んでいきました。

その中でも、PCR検査に関してはこれから検査数をどんどん増やすべきだというコメントが欲しかったようで繰り返しコメントを求められましたが、私は今の段階でPCR検査をいたずらに増やそうとするのは得策ではないとその都度コメントさせていただきました。

確かに潤沢な検査をこなせる体制というのは本当に必要な方に対してはもちろん必要です。
ただ、無作為な大規模検査は現場としては全く必要としていない事をコメントさせていただきましたが完全にカットされていましました。
(※大規模検査が必要ない理由に関しては、調べていただければ感染症や公衆衛生の専門家の方々の意見などたくさん出てきます)

カットだけならまだいいのですが、僕がヨーロッパ 帰りということで、欧州でのPCR検査は日本よりかなり多い(日本はかなり遅れている)といった論調のなかで僕のインタビュー映像が使用されて次のコメンテーターの方の映像に変わっていき、だからPCR検査を大至急増やすべきだ!というメッセージの一部として僕の映像が編集され真逆の意見として見えるように放送されてしまいとても悲しくなりました。

また、現場の生の声として、物資の手配と医療従事者への金銭面や精神面での補助に関しても強調してコメントさせていただきましたがそちらも全てカットされてしまいました。

物資の手配に関してはたくさんのコメンテーターの方が繰り返し言っているのでまだいいのですが、最前線への医療従事者の方には危険手当のような補助がないと続かないということは強く言わせてもらったつもりです。

家族などへウイルス感染を持ち込んでしまうことを恐れて1人病院に泊まったり、病院の近くにホテルやマンションを借りて自主的に隔離をしているスタッフも知っています(もちろん自腹です)。

愛する家族子供とも会えずに、身体的精神的な負担だけでも計り知れないのに、金銭面な負担までのし掛かるのは本当に残酷でしかありません。

医療者のプロフェッショナルとしての気概だけで現場を回すのには限界があると思い、そういった部分に行政などからサポートを入れて欲しいと強くコメントさせていただきましたが、全てカットになってしまい本当に悲しい限りです。

忙しい最前線の医療スタッフは取材に応じる時間も気持ちの余裕も全くないです。
僕はたまたま非常勤として働いており時間があったので現場の生の声を多くの方に知ってもらえればと思い取材に応じさせてもらいましたが、実際には生の声すら全く届けることは出来ず不甲斐ない気持ちです。

メディアの強い論調は視聴者に強く響き不安を煽ります。
情報が過剰な現在で、どうか正しい知識と情報がみなさんに行き渡って欲しいと切に思いました。

正しく伝えるって難しいですね、、、。

出荷量調整

すぐに対応できる話題じゃない、とは思うけれど。

僕は、「半額」シール漁り。ずいぶん前に、ウエルシアの半額ワゴンに「超濃厚 バター醤油ふりかけ」っていうのがあって、それを買った。かなり良かったけれども、商品棚にはないんだなぁ・・・。味はしっかりとバターだし。

フリーズドライ製法、っていう奴だろうか。あまり見かけない、って言えば、「野菜チップス」で、これも、随分昔書いた記憶がある。廃棄する野菜を廃棄しないで、全部、フリーズドライというか、ポテトチップスみたいな、というか、乾燥保存の技術で全部保存できるようにしちゃう。
新ジャンルにならないかなぁ。本当に、どうにもならないのだけ、コンポストとかで処理して「肥料」にする。あるいは、「煮込み」の材料にして、その出汁をさらにフリーズドライにして、流通させちゃう。

今朝、っていうか、日付が変わったから昨日だけど、朝テレビでみたニュースで(あ、時系列の記憶が狂ってる。昨日でもなかったかも知れない・・・)学校給食が「停止」になって、牛乳の処分に困っていると。こういった、「液体」の食品を、乾燥食材にする技術、とかって、ないもんだろうか。果実のジュースもそうだし、「見た目」にこだわる大都市圏の消費者は、見かけのきれいなものしか買わない傾向があるみたいで(案外、決めつけのような気もするけど、)そうでない部分を、生産地の農協の直売所なんかで売るだけじゃなくて、乾燥食材として全部加工して、一切生産現場での「廃棄ロス」がないように、できないものかなぁ。

牛乳やヨーグルトを、普段の2倍買いましょう、そうして、生産農家を助けましょう。その気持ちはわかるけど、(僕の好みは、ヨーグルト系だけど、)普段の2倍なんて、飲めないもの。別に、牛乳を飲んでお腹を下す、なんてことは僕はない。けれど、さすがに2倍飲んだら、どうなるかわからない。

何か、牛乳だけは「乾燥製法」が使えない、根本的な理由があるのかなぁ。最近、安い「乾燥青汁」のスティックが出回っているけれど、あんな感じで、スティック一袋を水に溶けば、2倍濃縮の牛乳、コップ1杯分になります、みたいな奴、作れたらいいのに。保存期間が、きっと、二桁か三桁上がると思う。乳幼児用の「粉ミルク」なんてのは、製法が違うのかなぁ。

牛乳を保存できるように加工するなんてことは、昔から誰もが考えていたのかも知れない。すみません、「なぜ今、それがないか」を調べずに、書いてます。知らないから、考えようがないので、この話題、これで終わり。以上。

フェイスガード

一応、私がイメージしているフェイスガードは、こちら ↓ です。

こちら ↓ では、ありません。これでサングラスをつけていたら、ちょっと目的が違う気がする。
https://www.monotaro.com/p/4195/6164

無論、これ ↓ でもないし。

https://product.rakuten.co.jp/product/-/2a838810137f419b5c6586545904f42e

ググったら、結構な勢いで「手作り フェースガード/フェースシールド」のページがあった。

ただ、私個人の考えとしては、感染者が職場に一人いたとして、その人がマスクをせずにおしゃべりとかしていたなら、「エアロゾル化した飛沫で、ウイルスが3時間程度は生き続ける」と仮定したなら、フェースガード+マスクでも感染は防ぎ切れないと思う。全員がマスクを着用していたなら、仮に誰かが感染していたとしても、感染する確率はかなり下がるとも思う。フェースガードで効果があるのは、たまたま目の前にいる人が感染者で、その人がマスクをしていないような場合、だけ、なんじゃないかなぁ・・・なんて思ってしまうのだが。理屈の上では、というだけで、検証してみないと、わからないけれど。

マスクと同じで、私が思うに、一番「役に立つ」のは、万が一自分が感染していたとしても、他人に感染させないための道具、として、だと思う。ただ、「自分のため」じゃなく、「他人のため」と思った途端に、みんなつけなくなったりして・・・(それだと、いつまで経っても経済活動自粛だと思う。)

僕が思うのは、とにかく、レストランとか外食産業で、「食事しながらおしゃべりできるフェースガード」が作れないか、と。食事中などは、マスクはできない。それでも、食事しやすいフェースガードがあれば、万が一、どちらかが感染していたとしても、一定量の飛沫がブロックできて、やはり、感染確率はかなり下げられる気がする。
もし、ある程度効果があるならば、外食店で来店者に、手指の消毒をしてもらった後、フェースガードを貸し出して(使い捨てじゃないんかい・・・)食事中にはフェースガードをしてもらうと。それで感染確率を下げて、なんとか「通常営業」に戻せないか、なんてことを思う。
普通の状態だと、こんなものをつけての食事なんておかしいかも知れないけれど、お店の存続がかかっているとしたなら、客につけてもらっても、みなさん納得するんじゃないか、という気がするんだが。

観光地なんかでも、使えるかもしれない。無言のまま、黙々と観光地を歩く、なんて、何のための観光だか、よくわからなくなる。
こういうのをつけて、感染を防いで、屋外空間なら、多少は人で溢れていても、それほど他人の飛沫を気にしなくて済む、としたなら、観光業の再起動にも役に立つんじゃないか、とも思う。

あるいは、野球とかサッカーなんかの屋外競技。高校総体が中止になったんでしたっけ?座席の間隔を開けて、フェースガードをつけてもらって、それでクラスターの発生がなければ、効果を実証したことに・・・なるかなぁ、ならないかなぁ。
どこかの屋外でやるスポーツ団体、博打を打って、フェースガード貸し出しか何かで、観客を受け入れての競技を再開してみません?もし、クラスターが発生しても、あたしゃ、責任なんか、とりようがありませんが。

他にも、いろんな業種で「通常営業再開」に向けて、何か対策はないか、なんて思う。

例えば、ライブハウスなんかでも、観客全員にこれ ↓ で参加してもらうことで、再開するとか・・・

マスク

医療現場の場合には、患者の誰がどんな感染源になるか、見極めることができるまで、油断できないから、「マスクの表面に、感染源が付着している」ことを意識する必要がある。医療関係者のこの発想は、間違いないと思うけど、我々が生活している中での、我々が手に入れることのできるマスクでは、そもそもマスクのグレードが違うから、マスクに関する説明には、間違いが多いと思う。

主題は、これじゃない。言いたいことは、ただ一つ。

「自分を守るため」ではなく、「他人を守るため」に、自分自身がなんらかの行動(マスクを装着するなど)を起こさない限り、自分の生活を守れない、っていうことだろうか。

意識が「他人を守る」ことに向かないならば、自分の生命も財産も、危うくなる。

こんなに分かりやい「実践l課題」はないかも。

分散

一体、いつから東京や大阪に人が集まり始めたんだろうか。なんて話はどうでもいい。

結果的に、(聞いた話では、)全国各地の食材、例えば海産物などは、とにかく一旦築地に送られ、そこから地方に再び送られる、なんていう流れがあったらしい。情報の流れもそうだし、道路ですら、今でこそ「環状道路」が整備されつつあるけれども、とにかく一旦都心に入らないと埼玉から神奈川に行けない、そんな状況だった。

結局、「築地」っていうか今は豊洲か、「日本の台所」が一ヶ所であるのはおかしい。例えば、札幌、仙台、東京、(もしかしたら、新潟)、金沢、名古屋、大阪、(中国/四国のそれぞれどこか。詳しくないので、ごめんなさい、)福岡などに「豊洲」に匹敵する食料品の集散地を作り、もし、「一旦東京に集めて」なんていうモノの流れがあったとしたなら、そうした集積地にを分散して、集中させる(分散して、集中、って、なんだか変だけど)そういう拠点が必要じゃないかと、思う。既にあるかも知れないけれども、より「豊洲」の機能を肩代わりさせて、物流の流れを最適化すべきじゃないか、なんていう気がする。
もし、そうした「拠点整備」が必要になれば、そうした地方の「中核都市」の雇用は拡大すると思う。大勢の人が必要になる。

地方の受け入れキャパ。案外、高齢化なんかで「廃屋化」している家とかもあるかも知れない。使えるなら「整備」するとか、老朽化しすぎていて取り壊すしかないなら、権利を地方自治体なんかで買い上げて、新築にして貸し出す、あるいは、その「買い上げて貸し出す」こと自体が、一つのビジネスになって、地方での人の受け入れキャパを増やすかも知れない。それは、とんでもないど田舎でも、同じことが言えると思う。一次産業の再生。
加えて、カーシェアとか、自動車が「財産」ではなく「機能」になって来た気がする。だとしたら、住宅だって同じように「機能」として使えるような、シェアハウスとはちょっとニュアンスが違うけれども、「家族」が今までの持ち家や借家なんかと同じようにプライバシーを保持したまま、簡単に引越しできるような形で住める住宅供給、なんていうのもアリじゃないか、という気がする。特に地方は、そうした形で都会から人を還流させて、受け入れる流れが、できてくるような気もする。

例えば、基本テレワークで、全員が会社に集まるのは、月に2回、とか、そんな感じだとしたら、「本社事務所」自体はかなりコンパクトで、集まる時だけ「会場」をどこかに借りたり、そういうケースも出てくるんじゃなかろうか。

電力消費。とにかく、首都圏に電力を集めていた。「工業地帯」もそうだけれど、魚や野菜と同様に、電力も「地方」で作って大都市圏に送る、特に原子力発電なんかはそうだったと思う。(原子力が本当に安全なら、なぜ、人口の比較的少ない地域に作ろうとするのか、不思議だ・・・、いや、不思議じゃないけど。どこかに嘘がある。とにかく、)電力ですら、地方で作って、大都市圏に集める。電力っていうのは、「送電」するだけでかなりのエネルギーのロスがありますからね。電力自体も東京に集めるだけで、無駄があったと思う。青森で取れたマグロを一旦東京に送り、そこで買い付けて、秋田あたりに送る、なんて無駄。エネルギーロス。電力を東京に集めるだけで、それに近いロスがあったと思う。

電力の消費地を全国に分散させられるなら、風力や太陽光発電のような「小規模発電」をグリッドで管理して、エネルギーの地産地消をやりやすくなる。加えて、「送電」によるロスが減少するから、それだけでも環境負荷が小さくなる。(スマートグリッド、で検索)経済産業省、既得権から一切そういう方法を認めない人たちがいるんだろうな。

そうして考えると、地方で「人を受け入れる」体勢が整えば、新しい雇用も、相当な規模で創出できる気がする。

新幹線。1車両に数人なんてケースがかなりあったみたいだ。昨年の台風19号で、北陸新幹線の車両がかなり水没したらしい。新規の発注なんかしないで、(車両会社の方ごめんなさい、)他の新幹線から車両を回したら?なんとか新幹線は○×系、なんて、こだわる必要があるのか?JRにとって、新幹線、特に、東海道山陽新幹線は、稼ぎ頭だったみたいだけど。
本来なら、地方の在来線の利用率が高まるような「政策」で、経済活動による「環境負荷」の軽減、というか、日本経済の「機能分散」を進めるべきだったんじゃないか、と僕は思う。徒花。

すみません、今日は、結構仕事が捗った。ちょっと疲れて、言葉を端折りすぎてるから、読み返して、途中が抜けて、飛躍しすぎているみたいに読めるけど、加筆修正はしません。別に、(師匠の講演会の話題には一切触れていないから、)伝わらなくても、全然構わない。これは僕自身の主義主張。
電力のスマートグリッドも、人の流れも、物流も、全て同じ発想で、「拠点分散」を行うことで、コロナの感染リスクを抑えた上で、経済活動の回復を図れるような気がする。今までのような、東京一極集中に戻そうとしたなら、とんでもない愚策だと思う。コロナのお陰で、議論を展開しやすくなった。
というよりも、30年近く前も、似たような話題を書いた記憶がある。ただ、当時は、僕自身も人生経験が少なかったし、知らないことも多かった。あまり説得力のある書き方はできなかったと思う。(今でも、そうかも知れない。)霞ヶ関の機能を、大胆に、都道府県レベルに「移譲」して、その地域の実情に合った施策が取れるようにする。例えば、北海道は単独で「緊急事態宣言」を行った。その「緊急事態宣言」の発令母体が、国であろうが、地方自治体であろうが、同等の「法的拘束力」を持つように、その一点で、立法も行政も考えるべきだったんじゃなかろうか。今からだって、間に合うなら、そうした「再度の法改正」があったって、いいと僕は思う。
言わせてもらうなら、霞ヶ関や大手町一帯、あるいは、品川、渋谷、新宿が、地震であっという潰れて、完全に機能停止しても、日本全体ではほとんど困らない、そうした「行政機能」の分散を行うべきだったんだ。

霞ヶ関も、あれだ。多くの一流企業が、とにかく、クソ高い都心の一等地に「本社」を持とうとした。それを維持するためのエネルギーコストなんて、全然考えていなかった。同様に、地方ごとの事情などあまり考えずに、霞ヶ関は、とにかく「中央集権主義」に走ったんじゃなかろうか。以前書いたページの比喩で言えば、どちらも、子供が手放そうとしないゲーム機と同じだったんじゃないかと思う。
「親」が取り上げようとして、強制的に手離させようとしたのがコロナ禍だと、僕は思う。ここで気付けなければ、次はさらに過酷になる。

マクロにみた、GDPとかGNPとか、そういった指標が問題なんじゃない。一人でも多くの人が、きちんと収入を得られて、納得した生き方ができる「日本という国の、生活環境」が大切なんだと、僕はおもう。「経済のV字回復」なんて、僕は、要らないと思う。敢えて言わせてもらうなら、V字回復してもらわないと困るのは、資産家だけじゃないかな。(安倍さんも、麻生さんも、そっち側だけど。)僕らは、明日食えたらそれで十分。

発展途上国に、どれだけウイルスが残るかわからない。ということは、インバウンドの観光業とかのV字回復など、不可能に近い。突破口を開くなら、マスクばかりではなく、より快適に、より「飛沫の飛散を確実に防ぐ」防護具の開発だと思う。マスクと同じように、あるいは、より快適に飛散を防げる防護具が安価に手に入り、例えば、観光地の「入域」の際にそれを配ることができるなら、観光業もある程度の回復が見込めるように思うし、同じ防護具を「食事」用に開発できれば、外食産業なんかも、そこそこ回復できるんじゃなかろうか。僕はそう思っている。

マスコミも、もうちょっと考えて欲しいと思うのは、「自分を守る」のか「社会を守る」のか、その辺だろうか。まず「社会」を守れなかったら、帰属している僕ら自身の「自分」も守れない。社会を守るために「マスク」をつける、なぜ、おかしな解説がまかり通るんだろうか。
一方で、「密室を避けよ」と、「三密を避けよ」という。その一方で、新型コロナは飛沫感染だから、エアロゾルはない、なんてことをマスコミが流す。今日、「新型コロナウイルスは、エアロゾルの状態で、少なくとも3時間は生存している」的なニュースを読んだけれども、「密室」が危ないなら、当然想定される「コロナウイルスの性質」だと思う。それなのに、「エアロゾルにはなりません」と、マスコミが流す。おかしいと思う。「エアロゾル化する」のか「しない」のか、研究成果を収束させて欲しい。エアロゾル化しないなら、密室だって、マスクだけで99%以上、問題ないでしょ?加えて言えば、「まだわかっていないこと」を、断定的にマスコミで流すのは、やめて欲しい気がする。社会が混乱する。学者ですら、「なんでこんな結論が出てくる」的な話題は多い。
マスコミってのは、個人の私生活を根こそぎ外部に流すことに抵抗感を感じない人たちの集団だから、大した責任感なんてないに違いない、なんていう皮肉も、一言だけ書きたかった。だからもう、書いちゃったけど。

話が逸れて来た。まとまらない。
今日は、自分の仕事で、かなり捗った一方、滅茶苦茶、頭が疲れた。もう寝る。まとまってないけど、終わる。それでも、この内容でアップロードする。以上

病院という場所

自律神経系のソフトウェアを書いていた頃、何度となく、プログラムの開発や修正の関連で病院を訪れた。
もう30年近く前。

その頃親しくしていただいていたお医者さんに、エレベータの中で一言言われた。
「あ、そこ、痰がついてるよ。病院っていう場所は、患者さんからの病原菌とかがどこについているかわからないから、汚い場所だっていうことは、気にしておいた方がいいよ。」

その話を、高校時代の友人のFに話したら、彼はこんなことを言っていた。
「俺に言わせたら、外から病院に来る人の方が、一体どんな雑菌を持ち込むかわからないし、(常在菌も含めて、健康なお見舞いの訪問者も含めて)外から来た人間は、原則雑菌を持ち込んでいると考えてるし、外から来た人間の方が余程汚いと思うよ。」

感染症に関して言えば、きっと両方正しいんだろうと思う。(素人考えです。)

一部のマスコミが広めた「マスクの意義」で、自分の身を守るためにマスクをしよう、って言うのは、なんとしても訂正して欲しい気がする。自分の身を守るため、よりも、自分が感染源にならないためにマスクを着用する。その辺の認識は、共通認識として徹底してもらった上で、外出時や、家庭内でも会話をする時はマスクを着用しようと、そちらを広めて欲しい気がする。
その辺さえ徹底できるんなら、なんとなくだけれど、先が見えた気がする。(それにしても、マスクの流通が・・・)

僕のブログ、ふと見たら、ほぼ毎日、何かしら書いていたみたい。書き尽くしたかなぁ。いや、適当に何か思い浮かんだら、また何か書くけど、テンションが一段下がった。プログラミングに専念しようと、強く思います。

地方自治体ごとに、規制が変わってくるんだろうな。僕の町の場合には、東京とか、川越以南の、比較的感染者数の多い地域に通う人も少なくないし、当面「不要不急の外出は」ってな感じだろうと思うけれど、長引けば「東京にいたら、ビジネスにならない」と感じる会社から、地方への移転も増えてくる気がする。東京なんてオフィスビルの賃料だって高いと思うし。都心なんて、面積にもよるだろうけれど、ワンフロア月額1千万円なんて、ザラでしょ?それでいて、テレワーク!ご愁傷様。
何が悲しくて、そんなに都心に拘って、都心にこびりつこうとしているんだか、なんてことを、あたしゃ、思ってしまう。田舎もんですからね。全く同じことを、ニューヨークにも感じている。
(あ、そうか、東京都の場合には、徳川の埋蔵金を握っているから、ほぼ無尽蔵に、何年続いても家賃保証ができるんだろうな。って、「翔んで埼玉」ネタがしつこくないかい?いや、「翔んで埼玉」の二階堂ふみちゃんの健気さや、「エール」のキャラを、つい、小池さんのキャラと比べちゃって・・・「密です!」だもんなぁ。当然、家賃保証くらいはするだろうな。)
「蜜です!」に、「そこら辺の草を食って、生き延びるぞ!」みたいな二階堂ちゃんが出てくるゲーム、誰か作らない!?

鳥取県知事を勤められた片山さんが、確か何か、おっしゃってた。ネットで拾おうと思ったんだけど、これしか見つからなかった。

この国はどこへ コロナ禍に思う 元鳥取県知事・片山善博さん 安倍首相の差配、ピント外れ
https://mainichi.jp/articles/20200414/dde/012/040/036000c

有料記事らしく、このお話の後だったか、もっと後の別の日のご発言だったか。すみません、金を払う余裕がないので、この後の記事は読みません。

いずれにせよ、これを契機に地方への人の移住は増えてくる気がする。一旦収束しないと、諸手を挙げて歓迎という訳にはいかないだろうけれど、マクロに見て、トーキョーを支えるだけのための、無駄なエネルギー浪費は是正されてくると思う。
確か、「地方再生の好機」だというようなご発言はあった、と、記憶している。

大都市圏の「出口戦略」なんて、当面は後追いで、どこに出口があるのかわからない状況は続くと思う。アメリカほどではないと思うけれど、結構無自覚な方も多いみたいだし。ただ、日本人はそれでも、「集団」を意識する性向が強いから、そう遠くなく「出口」も見えてくるに違いない。
その間に、地方は地方で、いかに「大都市圏」から、ビジネスや、人を受け入れていくか、大都市圏ではこの傾向が半年以上続くことを想定して、2年とか5年スパンの中期戦略を練ったらいいんじゃないか、っていう気がする。っていうよりも、「テレワーク」メインへの流れは、今後定着するだろうから、そうなったら、都心のオフィスビルなんてどうなることやら。

ってか、片山さんのご発言もそうだけど、地方の道府県知事の方々とか、既にそうした想定で動いていらっしゃると思うし、そうなったら、素人がゴチャゴチャ書いたって、意味ない。

ボチボチ、僕は、コロナの話題は卒業します。(それでも、何か唐突に思いついたら、書くかも知れないけど、)一旦頭の中からコロナの話題を追い出さないと、ってか、プログラマ流に言えば、パージしないと、仕事に集中できない気がするし。

1日も早く、医療現場の最前線で奮闘されている方々が、安心してご自宅で、ゆったりと過ごせる日が来ることを祈ります。

それでもねぇ・・・身近な人間が一人とか二人とか死なないと、事態の深刻さを理解できない無自覚な方々は、一定比率でいる気がするし、当然、それを想定した上で政治家は政策を練るんだろうけれども、大都市圏では、当面「ドラスティックな改善」なんてのは難しい気がする。

医療関係者の皆様、どうか、ご健康には気をつけて、頑張ってください。感謝いたします。

フェイスシールド

プログラムの移植作業をしながら、一服してタバコを吸ってたら、ふと唐突に思いついた。
忘れないうちに書いちゃって、さっさと忘れようかと思う。(集中力が、ないんだよなぁ・・・)

しばらく前に、テレビで、医療現場のお医者さんが「フェイスシールドが手に入らないから、文書を入れるクリアフォルダ(たぶん、ポリプロピレン?)を切って、自作してます」とか、紹介されていた。頭にバンドで止めて、顔の前面を覆い、飛沫がかからないようにするフェイスガード。「飛沫がかからない」ようにするのか、「自分の飛沫を飛ばさない」ようにするのか、医療用の場合にはたぶん前者なんだろうけれども。

今時、レストランとか外食産業は大変だなと思う。実際に思うのは、居酒屋でも食堂でも、(コロナ以前の)大勢で集まって「会話」をしながらの宴会とか食事だと、飲食物を入れるのも口だし、言葉を発するのも口だし、食事中などは特に唾液の分泌も多くなると思うから、余計に飛沫が飛びやすくなるんだろうと思う。おそらく、一番拡散した状況が、宴会や、会食じゃないか、と言う気がする。

普通の会話なら、マスクをしていれば飛沫はかなり抑えられる。ところが、食事中はマスクを外す。どうしたって、飲食物を口に入れる時はマスクを外すしかない。その結果、食事中の「会話」は、感染拡大の主な要因として残るような気がする。

そこで、ふと思った。あのフェイスシールド、クリアフォルダを切って、顔の前面をカバーする「食事中専用の、感染予防具」を作ってみたらどうかな、と。クリアフォルダ型の透明フィルムなら、お互いの顔も見えるし、マスクを外していても、口に密着している訳ではないから食べ物を口に運ぶこともできる。(フィルムの角度や向きによっては、ちょっと窮屈かも)なおかつ、おしゃべりしていても、飛沫はシールドでブロックされるから、遠くには飛びにくくなる、はず、だと思う。

これで、「食事中」の飛沫の拡散に対して効果があることが証明されたら、こうした「感染予防具」の使用や、客が入れ替わるごとのテーブルの滅菌(次亜塩素水などか?)などを条件にして、レストランなどの外食産業の「条件付き営業」を認めたり、できないかな、なんて思った。

無論、今のようにまだ、毎日多数の「新たな感染者」が確認されている状況では、「そうまでして外食するか?」みたいな空気はあるから、結局「出前」とか「持ち帰り」に対応してもらうしかないんだろうけれども、とりあえず、思いついたので書いてみた。

むしろ、若い方たちに、ウーバーイーツみたいな、「運ぶ人」と「これまでは、客の来店を待っていた飲食店」と「飲食したい客」の三者を結びつけるマッチングアプリか何かで、外食産業を応援してもらい、また、仕事が見つからない人には「運ぶ人」として何がしかの収入を手にしてもらったり、今考えるべきは、そちらなのかも知れないけれど。

「新しい行動基準」だったか、「会話をする時は、家の中にいてもマスクを」と言うのがあった。これ、すごく重要だと思った。
普段、外回りの営業なんかをしているお父さん、どうしても出勤せざるを得ない方たち、家で子供と遊ぶ時くらいはマスクをせずに、なんて思っていると、自分が感染していた場合のリスクを考えたなら、家にいても、家族に接する時には絶対にマスクをつけるべきじゃないかな、なんて思った。一言も言葉を発さないなら、話は別ですが。

コロナ後の社会。どう変わるんだろうか。案外、結構オシャレなフェイスシールドとかが流行して、マスクばかりでなく、観光地なんかでも、見渡す限りフェイスシールドをしていたりなんかして。(そりゃ、ないかな?)

何度もしつこいようですが、私のは「下手な鉄砲」ですから。ただ単に手数が多いだけ。

アリとキリギリス

最近、とにかくアホになったと思う。以前、普通に作業していた手順が思い出せない。
今、XAMPPを開いて、PHPのアプリ(弊社の「臨床工学技士国家試験、学習システム」)を移植しようと、旧仕様の編集を試みている。
python/djangoの環境に、完全シフトする、と松尾君と相談して決めた。コツコツと、あらゆる要素技術を試しながら、かなり覚えて来た。
さて、「古いシステム」を開こうとして、ソースの居場所は思い出したけれども、手順が思い出せない。って言うか、文書がない。作業手順を書き残していなかった。
XAMPP自体がバージョンアップした際に、開発環境を書き換えた。最も新しいコードが2017/7/25の編集になっている。その後、手を加えていない。
無償環境だけではなく、有償の環境でも(一応、予告はあったものの)突然サービス内容が変わったりした。慌てふためいて、対応作業をした、その際に、作業手順を記録していなかったから、記憶を探ってみても、古い手順と新しい手順とが混在していて、どーしようもない感じになった。

教訓:どんなに慌てふためいていても、記録は克明に残すべきだ。特に、作業手順。(–> 自分)

gitの利用関係では cherry-pickなる機能が追加されていて、「無駄な操作」の記録は消して、有効だった操作の記録だけを残せればいいのだけれど、このcherry-pickはプログラム本体の編集の話だから、作業手順についてのアレコレは、ちょっと応用が面倒臭い気がした。逆に、記録を残そうとして全部書いていると、結果的にうまくいかない手順まで書いてしまって、それでまた、ドツボる。
しゃーねぇ、これから「記録」を作る。記録を残す手間をはしょったばかりに、余計な「試行錯誤」が加わってしまった。

話の枕が、話題の「主題」と無関係だ、と言う、相変わらずの私のブログスタイル。(しかも長文)

新型コロナ、弱点は太陽光? 高温・多湿でウイルス減少―米実験
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020042400741&g=int

確かに、太陽光にウイルスは弱いだろうな、とは思う。ただ、高温多湿の地域は、発展途上国などが多い。検査体制が整っていないから、実際の感染数よりも遥かに確認数が少ない可能性があると思う。それでも、報告がある点に着目すべきだと思う。

それでも、現実問題としてこれから夏場にかけて、太陽高度が上がり、紫外線の照射量が増えれば、屋外でのウイルスの生存寿命が短くなって、数字が小さくなる可能性はあると思う。このことによる「錯覚」が、怖い。

何を言いたいか。「感染症対策」に効果が出ていると、誰もが思っている数字が、実は、気温の上昇や湿度の上昇に関連する「結果」であったにも拘らず、その因果関係を示すデータが乏しいから、「我々の感染症対策は、効果があって、成果が出ている」と錯覚することが、何よりも怖い。
「感染症対策」は、無論行っている。その一方で、夏場にかけて北半球では紫外線量が増加する。感染者数が減少した時に、どちらの影響が大きかったか、北半球のデータだけでは判定が極めて困難、と言うことになると思う。ここから先、南半球のデータとの比較が欠かせなくなる気がする。

面白いから、またイジろう。大統領再選しか考えていない楽天的なアホが、「夏場にかけて」何ちゃらと発言し、感染者数の増加に歯止めがかかったとする。逆に、紫外線量の増加が主因であったとしても、「私が大統領として指揮をとった成果」だとか、主張するだろうな。あの人、自己矛盾なんて気にもかけていないし、そもそも自分の発言の矛盾にすら気付かない人だから。もし、新規感染者数の減少の主因が紫外線量だったとしたら、秋口から増加に転じ、ちょうど大統領選の頃には、増加の勢いが最大に達するかもしれない。さて、どうするんだろう。

要するに、夏の間に「感染者数が減った」と、「我々の対策の成果だ」と主張して大喜びして、経済活動を大々的に再開しました、ウイルスもそんなには暴れません、見かけ上「新規感染者」が激減した、として、そこから冬になって、慌てて「活動規制」をかけても、もう遅い。キャリアの数が爆発的に増えた状態で、ウイルスが活性化する環境に突入することになる。

こう言うシナリオも考えられるな、と思った時に、あ、これは、「アリとキリギリス」だと、思った。だから、この表題にした。

夏の紫外線で、本当に「根絶」できるならいいんですけどね。データがない以上、何か言える科学者はいないんじゃないか、と言う気がする。(データもなしに発言する、私みたいな人間は、学会では普通は相手にされない。)あ、大統領ってのは科学者じゃないから、どんないい加減なことを言っても許されるのか。とりあえず、南半球の状態に着眼すべきかも知れない。

vmware tools

木曜日の法政の授業教材、書き終えた後、サンプルコードが長いので、VMwareの仮想マシン: UbuntuのゲストOSから、Macのホストに手渡そうと、思った。

ところが、 /mnt/hgfsを開くと、共有ファイルが何もない。VMware Tools自体は走っている。さて、どうしましょ。ググりまくった。一旦、uninstallして入れ直ししようと思ったのだけれども、さて、インストールパスが見つからない。

sudo find / -name "vmware-uninstall-tools.pl" | grep vmw

にゃんにも返ってこない。へ?

なんだかんだで、入れ直しできずに1時間、2時間。

やっと辿り着いたのが、kashiさんという方のページ

http://verifiedby.me/adiary/0118

sudo vmhgfs-fuse -o allow_other -o auto_unmount .host:/ /mnt/hgfs

動いた。shareが見えた。この .host:/ というファイルシステムが、よくわからない。ググり方すらわからない。仮想マシンのホストだもんなぁ・・・。理解するのを諦めました。

Ubuntu 18.04.3を使った昨年の秋学期の時は、何もしなくても共有フォルダはスムーズに共有できた。それが、Ubuntu 18.04.4になってから、黙っていたら何も見えなくなった。推測するに、allow_otherなんてオプションがある、ということは、セキュリティ関連の権限強化なんだろうか。

教材を書き終えた時は、まだ日も高かった。アップしてから、庭の草むしりしようかと思っていたのに、気付いたら、夕食を挟んで今はもう午後9時。

この kashiさんに、感謝。もし、あなたがいらっしゃらなかったら、もし、あなたがこの記事をアップしてくれていなかったら、明日もウダウダしていたでしょうね。ありがとうございました。
m(_ _)m

こういう感じで、想定外に1日とか2日とかロスするのが、一番精神衛生によくない。うまくいかなくてイライラしながら、結局夜寝ると、嫌な夢を見るんだわ。

同居人が言うには、昨日の朝方、僕が寝言で「アメリカンドッグ3本」とか言ったらしい。しかも2回。どんな夢見てたんだろう。だけど僕は、アメリカンドッグは、あまり好きじゃない。あの周囲のパサパサした 「The 小麦粉」みたいな奴が要らない。フランクフルトは好きで、昔高速道路の移動中の休憩では、必ずと言って良いほど食べてたけど。(体型が変わってから、かなり我慢してます。)今でもその好みは変わってなくて、コンビニのフランクフルトは見かけるたびに、じっと我慢。なぜ、アメリカンドッグ?どんな脈絡の寝言だったんだか。気になる。

でも、今夜は普通に眠れそうだ。改めまして、kashiさん、ありがとうございました。

生理学的シャント

この話題は、大学院生の頃「Fick法による心拍出量計測」に関連して、恩師の内山先生が大学院のゼミの際に話して下さった内容を元にしている。
僕の記憶では、ゼミで、この時の研究発表をしたU君は、郵政官僚になっちゃったけど。いや、特許庁に行った彼だったか・・・。二人とも、医用工学からは離れた。

大半のお医者さんは熟知されていると思うけれども、「肺の死腔(シャント)」とは、ガス交換に寄与しない領域のことで、解剖学的シャントと生理学的シャントの2種類がある。解剖学的シャントについて解説すれば、口から肺胞の奥に至る気道で、いわゆる「気管支」のように気道の分岐が何回もあり、23回目の分岐で肺胞細胞に至る。この分岐が17回目を迎えた先は、気道自体が「ガス交換機能」を持つ。その手前までは、単なる空気の通り道でガス交換能力を持たない。この「単なる空気の通り道」の容積が、成人の場合で150mLある、とされている。これが解剖学的シャント、ということになる。

一方で、生理学的シャントは、血液と重力の影響で発生する。立位の場合、肺の下の方には重さで血液が多く貯留し、空気が入りにくくなって、ガス交換ができない。逆に、肺の上の方は、血液が下の方に集まってしまって、空気の出入りはあってもガス交換するべき血液があまり流れ込んでこないため、ガス交換ができない。つまり、立っている場合には、肺の上でも下でもない領域でしかガス交換がうまくできない。これが肺の「生理学的シャント」になる。ところが、寝る=仰臥位や、伏臥位の場合には、肺の前後の厚み、つまり20cm程度の範囲が「重力による影響」の領域になるから、上体を起こしている状態からは生理学的シャントが激減して、肺のかなりの部分が「ガス交換可能」になる。
つまり、肺の場合には、姿勢によって「ガス交換」の効率性が大きく異なる。国試対策の授業中に、学生によく話した。(ワンパターンかもしれない。)昔からよく言われる、「体を休めるためには、横になっていなさい」っていうのは、肺に関して言えば、姿勢を変えただけでガス交換効率を変える効果があるんだよ、と。

なんとなく思った。褥瘡の発生に似ている。血液の貯溜を回避する。体位変換が有効。新型コロナの病理的な作用機序で、致死的な影響を持つのが「肺の微小血管の梗塞」だとしたなら、褥瘡に対応するのと同様に、頻回に体位変換を行ったら、どんな効果があるだろうか。

内村先生がFacebookでシェアされた内容を、いくつか前のページで引用させていただいた。以下の部分。

酸素吸入しても改善に乏しい患者50名を対象として,腹臥位の効果を検証した.酸素吸入しつつうつ伏せになってもらったところ,うつ伏せ前84%(四分位範囲75-90%)が,5分後には94%(90-95%)に改善した(P=0.001).ただし13名(24%)では効果がなく, 24時間以内に気管内挿管された.Acad Emerg Med. April 22, 2020.

これは、仰臥位がどうこう、伏臥位がどうこう、という、そういう問題ではなく、「血栓が形成されていない、新鮮な、血液の貯溜が起きていなかった領域を、体位変換によってガス交換可能な領域として提供した」ことによる「改善」と考えることはできないだろうか。

日本とか、先進国の場合には、ヘパリンにしても、フサンにしても、当たり前のように入手できる。それが、発展途上国や後進国ではできない。薬剤投与によって「血栓形成の問題を解消」することができないならば、頻回に体位変換を行うことで、救命率を上げられないか、と、そう考えた。
我々人類は、すべからく、地球からの重量の影響を受けている。我々の肺は、「水を入れた、コンビニ袋」のような状態で、ガス交換を行っている、そう考えてみたら、生理学的なシャントの何たるかをイメージできると思う。血小板が凝血塊を形成する条件の一つに、「血液の滞留」があると思うけれども、薬が使えなくても、看護師の数が足りている国であるならば、「頻回な体位変換」が救命率を上げる効果があるのではないかな、と、私は思った。(すみません、僕は医者じゃないし、医学部の教育も受けていないから、知識がどれほど正しいか、自信はありませんが。)

以上。僕は、僕が感じたことを書いただけ。理解が間違っていたら、本当にごめんなさいとしか言いようがないけれども。

マスクは使い捨てにすべきか?

一つ前の話題の、延長。

地元の農協に行ったら、地元以外のナンバーの車が半数近くを占めていた。子供連れで、マスク着用でない人の姿を多く見かけた。マスクをつけないなら、来ないでほしい、と思った話。

ただ、マスクは手に入らない。そのマスクの目的は、医療現場の「スタンダードプリコーション」と、基本的な発想は同じで、「自分が感染しないため」ではなく、「自分から相手に感染させないため」であり、その機能は有していても、「自分の身を守る」機能があるものは、ほとんど流通していない。

やっと、「経済活動再開」の話題が出て来たものの、行動が改まっていない人がいる、と痛感した。「感染者比率」が高い地域から低い地域に「移動」して来た場合には、「自分が感染源になる」可能性は、絶対に考えておいて欲しい。それは、うちの地域では、東京や県南に仕事に出ていく人たちも同様だと思う。そして、ウイルスを地元に持ち込まないためには、「地元にいる間」あるいは「感染比率の低い地域に訪問している間」は、マスクを着用していること、だと思う。

さらに言えば、(うちの地区の自治会長みたいに、県南の)感染者比率の高い地域に仕事で出ている人は、家庭内でもマスクをしていた方が、万が一自分が感染していた場合の家族への感染は、かなりの確率で防げると思う。
「家に帰った」から、安心してマスクを外せる。違うんだってば。マスクは「自分が感染する」リスクを下げるのではなく、「周囲に感染を広げるリスク」を下げている。つまり、家族への感染のリスクを下げることが目的なら、東京などに職場がある人は、家にいても(使い込んでヨレヨレのマスクでも)マスクをすべきなんだ。

普通に手に入る、せいぜい「花粉症対策」程度の目の粗さのマスクだと、外からの侵入を防ぐ機能はないから、「汚れ」があるとしたら、考えなくてはならないのは「自分の飛ばした飛沫」が「内側に付着している」ことだと、僕は考える。それを「汚れ」だと思うなら、自分の体がどれだけ汚れているか、自分を「汚れの塊」だと感じて判断したらいい。そもそもが汚れている体から出た飛沫が「内側に付着」しているだけなのだから、(確かに口腔内は雑菌の巣窟で、ウイルスと違って雑菌はマスクの内側でも増殖するけれど、)それは洗い方、メンテナンス次第で落とせる。ということは、一回で使い捨てにする必要など、ないのではないか?

「感染拡大防止」のためには、とにかく、マスクはつけて欲しい。それだけで、ずいぶんと違うと思う。

ところが、「自粛」なんてせずに、出て歩く、そういう人ほどマスクをしていない。こういうのは、(なんだかほとんど意味のないマスクの扱い方を、散々テレビで放映していたマスコミなんかが責任を持って、)「あなたがマスクをつけなければ、日本経済が破綻する」くらいのキャンペーンで、「マスク装着」を訴え続けて欲しい。

その際、ここで問題になるのは、自分自身の口腔内にいる常在菌であって、ウイルスじゃないから、エタノールや次亜塩素酸である必要はなく、通常の「殺菌効果のあるもの」で十分だし、「こういう洗い方をすれば、繊維がヨレヨレになるまで使い続けても、十分に、世の中にとって意義があるし、あなた自身にも悪影響はありません」という、そういうマスクの洗い方を、啓蒙して欲しい。

まるで、自分を守る効果があるみたいな報道をしていたマスコミは、責任をとれよ。と私は思う。

マスク着用希望

農協の直売所に、ぬか漬け用の野菜を買いに行った。

途中すれ違った車に、「熊谷」ナンバー以外が三分の一を占めていた気がする。大宮、所沢、練馬、川越、正確には数えていないけれども。そして農協の駐車場。ほぼ半数が「熊谷」ナンバー以外。おっと。

来るなとは言わない。ただ、マスクを着用していない人がかなり多くて、おそらく、「この辺の空気は綺麗だから、マスクは要らないだろう」とでも思っているのか。違いますって、マスクは、あなたが感染しないために着けるのではなく、他の人に感染させないために着ける。マスクを付けないことで、あなたが、この辺の綺麗な空気を汚染しているんだ、と僕は言いたい。

確かに、確率的にはかなり低いし、飛沫が飛んでくるほど近くには行かないから、「ほぼ実害はない」とは思っているけれども、でもやっぱり、その無頓着さが気になった。

テレビの番組なんかで、「マスクの表面にはウイルスが付いているから」とか、そういう情報を流すのは、勘弁して欲しい。普通のマスクだったら、全く意味ない。普通のマスクの表面にウイルスが付着していたなら、ほぼ間違いなく既に肺に入っていると思う。そうじゃない、万が一自分が感染していたとしても、他人に拡散しないためにマスクを着けるんだ、と、だからマスクしろと、そっちを強調して欲しいと思った。スマホの配信ニュースなんて、「ドアノブでウイルスが増殖する」って、どんなドアノブだよ。生きた細胞でできているドアノブ?鳴いたり噛み付いたりするんじゃないか?

大宮に、所沢でしょ?これだもの。 ↓↓↓

https://www.pref.saitama.lg.jp/a0701/covid19/jokyo.html

僕は、「今は来ないで」などと、声高に主張するほど強硬な意見は持っていないけれども、ただ、これだけ「おうちにいよう」と叫ばれているのに、子供連れで出かけてくる人と、マスクをつけない無頓着な人は、相関するような気がした。そうなると、やっぱり「来るな」ってなっちゃうのかなぁ。

シムデシビル

再び、内村先生のFacebookから

経済活動の再開のために一刻も早いワクチン,治療薬の開発が期待されますが,その承認は純粋に科学的根拠に基づいて行われるべきです.なぜなら背速な薬剤承認は,患者の命を縮める恐れもあるためです.

https://www.facebook.com/uchimura.naoyuki/posts/3095696703844377

表題とは無関係ですが、気になったので拾い上げました。

酸素吸入しても改善に乏しい患者50名を対象として,腹臥位の効果を検証した.酸素吸入しつつうつ伏せになってもらったところ,うつ伏せ前84%(四分位範囲75-90%)が,5分後には94%(90-95%)に改善した(P=0.001).ただし13名(24%)では効果がなく, 24時間以内に気管内挿管された.Acad Emerg Med. April 22, 2020.

当該論文の紹介記事。昨日紹介した記事では、「3種類の、どこの病院でも手に入れやすい3種類の薬剤のカクテルの効果が期待される」となっていた。どうしてもシムデシビルを使いたいなら、偉い人たち、有名な人たちから順に、ということでいいんじゃないでしょうか。

◆治療薬(2).米国FDAが緊急認可し,厚労省が「特例承認」を行うレムデシビル(ウイルスRNAポリメラーゼ阻害剤).4月18日の記事で紹介したように,先行する臨床試験で有効性が期待できたものの(NEJM. April 10, 2020),対照群がないため評価が難しい状態であった.今回,武漢の10施設で行われたランダム化比較試験の結果が報告された.組み入れ基準は18歳以上で,発症から12日以内,低酸素血症と画像上肺炎を認める症例とした.治療群(静注10日間):プラセボ群=2:1で割り付けられた(158名:79名).主要評価項目は臨床的に改善するまでの日数で,改善の定義は,6段階スケールで2段階改善するまでの日数,もしくは退院までの日数のいずれか早い方とした.主要評価項目は両群間に有意差なし(治療群:プラセボ群=21.0日:23.0日,ハザード比1.23)(図5).死亡率も有意差なし(14%:13%).患者発生が減少して予定人数が集まらず,統計的検出力が低下したことを考慮しても,PCR検査によるウイルス排出量や,28日後のPCR陰転化例の割合にも有意差なく,かつ治療群では有害事象のために中止した患者が多かった(12%対5%)ことから,明らかに失敗だろう.→ 米国立アレルギー・感染症研究所(NIAD)は,レムデシビルは回復期間を短縮する(11日対15日;P<0.001)とプレスリリースしたが,論文は未発表.こんな中途半端な状況で日本は本当に「特例承認」するのだろうか?にわかに信じがたい.

 

抗凝固療法

内村先生のFacebook 投稿

引用したかったのはここ

また、病理組織学的検討から、COVID-19感染症にともなう血管の炎症所見が明らかになるにつれ、COVID-19は血栓症・血管炎という全身疾患としての位置づけに変わりつつあります。

と、ここ

致死的な肺炎自体、当初は肺炎という位置づけでしたが、複数の貴重な剖検例での解析から、肺の微小動脈の血栓であることが明らかになり、重篤肺合併症の治療には、抗ウイルス作用のある薬剤(アビガン、レムデシビルなど)に加えて、ヘパリンなどの抗凝固療法とフサン(抗凝固作用に加えてCOVID-19の細胞内侵入阻止作用あり)、およびアクテムラ(サイトカインストーム改善の抗IL-6製剤)の3剤からなるトリプルテラピーを同時に行うことにより救命率を改善することが期待されています。

いろいろなことをするウイルスなんですね。こんなの、これまでにいなかったのではないでしょうか。いろいろな治療が役に立つことを!これに関する平井愛山先生のコメントをつけます。皆さん、おはようございます!COVID-19の病態が、各国の研…

内村 直之さんの投稿 2020年4月29日水曜日

 

パルスオキシメータ

パルスオキシメータ

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なんだか、売り切れが多い。

さっき聞いた、昼のNHKのラジオ

朝異変なく 夜死亡で発見 自宅療養の57歳男性 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200502/k10012415441000.html

未確認のコロナ感染者が、一体どれだけいるか。わからない現状では、体温を測って高いとか、Covid-19を疑わせる症状があるなら、パルスオキシでSpO2の測定を行うべきだと思う。この方、もし朝パルスオキシで測定していたら、96%とか95%になっていたんじゃないか、という気がする。体を動かさずにじっとしていると、相当にSpO2が下がっても酸素需要そのものが小さいから、「苦しい」とか「異変」を感じない可能性があると思う。
自分の身は自分で守る、としたなら、SpO2を測定して、96%以下になって来たら、躊躇わずに医者に相談すべきだと思う。(この数字、私の体感です。正確なところは、専門家に指標を出してもらわないと・・・)

ただなぁ、自分の身は自分で守る、と言いつつ、売り切れじゃなぁ。高い価格帯の2万円台の機械とかは、全部は見ていないけれども、発売予定日:6月15日とか、なかなか手に入らなくなって来たのかも。

PCR論争に寄せて─PCR検査を行っている立場から検査の飛躍的増大を求める声に
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/t344/202004/565349.html

内村先生が Facebook でシェアしていた記事を、こちらで引用。
内村先生がシェアされる記事は、いつも興味深い。

実は、これを読んで、PCR検査を受ける以外に、パルスオキシメータで自分の状態を把握する、(完全に代替手段にはならないけれど、)補助的な判断方法として、パルスオキシメータを使えないか、と書こうと思って改めて「価格.com」に行ってみたら、結構な勢いで売り切れている感じだった。

僕の家にあった体温計、LR41のボタン電池がどこに行っても売り切れで、ネット通販でも「在庫なし」とかなってるもんだから(もしかしたら、世界的に需要が高いのかも知れない)体温計測は、ほぼ諦めてます。(ドラッグストアで、新しく体温計を買う、ってのも手かも知れないけど、マスクですら手に入らないし・・・)サーモパイルを買って来て自作するか?(キャリブレーションは、どうすんのよ。数字が出ないじゃんか。)

パルスオキシメータで、売り切れていない分に「発売予定日:6月15日」とあった。ということは、新規参入だろうか。
コロナ禍の、顕在化していない「水面下の実態」がある程度見えてくるまでに、数年かかるような気がする。だとしたら、関連ビジネスに「転向」できる会社は視点を変えてサバイバルするのも、方法の一つかも知れない。「家庭用体温計」の普及率は無理だとしても、もしかしたら「家庭用血圧計」と同水準の普及率になるかも知れない。
なんとしてでも、経済を回さないと。

記事にあった一言。

一方、素人のコメンテーター、怪しげな専門家は論外として、

もしかして、私なんかこの後者に該当するかもなぁ・・・。黙った方がいいのかも。
すみません。現場経験はありませんから、割り引いてお読みください。

学習課題

グレタ・トゥーンベリさんが「温暖化ガス排出」に声を出した時に、共鳴する若者が大勢いたと同時に、猛反発する産業界の声があった。「温暖化ガスの排出抑制なんて、そんなことをしたら、経済が大変なことになる。」
私なんか、(もう、20年以上、ネットに書いているし、その前は、隠しようのない状況で言葉を発してきたし、)全部残ってもいいように書いてきたつもりなので、ほとんどブレずに、ずっと同じことを書いていると思うけれど、環境への配慮は最大限にすべきだという主張はしてきたと思う。ただ、さすがに私も、グレタさんほど強硬には主張できなかった。経済が成り立たなくなれば、多くの人の生活が困窮する。だから、産業界が成り立つようなやり方を考えながら、とにかく、段階的に「削減」に向かうべきだとは思っていた。

けれども、こんなことになっている。もう、否も応もなく、ほとんど「強制終了」みたいな感じで、強烈な勢いで温暖化ガスの排出にシャットダウンがかかった。どっちが原因で、どっちが結果かはともかく、「温暖化ガス排出抑制」に付帯すると考えていた「産業界のブレーキ」が一気に現実化した。グレタさん、今の社会の状況を喜べる?

最大の課題は、ここからの「再起動」をどうするか、なんだろうと思う。
このページは、グレタさんや(すみません、日本語で書いていますが、)グレタさんに共鳴した、世界中の多くの若い方々に、読んで欲しいと思って書きます。

もう、しつこいくらい書いているけれども、人間の実体は「肉体」ではなく「意識体」で、肉体が消滅しても意識は継続する、ということは、しっかりと考えておいた方がいいと思う。一般に言うところの肉体の死は、ヒトの死ではない。確かに、親しい人と会話できなくなれば寂しいけれど、どんなに遅くても10日も経てば、相手は覚醒してこっちのことを見ていると思っておいた方がいい。生きて積んだ「経験」こそが、自分自身の次の「人生」に引き継げる最大の財産だと考えるべきだと思う。

僕は師匠と違って、「見えたり聞こえたり」ということはないけれど、感じることは少なくない。僕の親戚、子供の頃何度か遊びに行った方の法事では、通夜の時には感じなかったけれど、葬儀(告別式)の時には、式場に来ていた気がした。僕の親父なんて、葬儀の日の朝、(当時は親父も使っていた)僕の事務所で準備していたら、すぐそばをウロチョロしていたみたいだし。そんなもんなんだって。

生きている間にどれほど「贅沢」な生活をしても、その「蓄積」は、肉体を抜けたら何の意味もない。むしろ、そこに執着していたなら「害」にすらなる。だから、「生きるために必要」な以上のものを求めようとしている方々の主張は、断固として却下しても構わないと思う。相手のビジネスが根こそぎ崩れるような提案をしても、良心を痛める必要もないし、むしろ感謝して欲しいくらいに考えても、いいかも知れない。

ただ、そういう(特に某国に多い、あるいは、最近勢いを増した某国に増えてきた)富裕層、以外の、大半の人は、生きるために必死で仕事をして、そこで得た収入で子供を育て、次の世代にバトンを引き継ごうとして来た。

そうしたビジネスでは、これまでは「悪いことだ」なんて考えもせずに、無駄に大量のエネルギーを消費して来た産業も少なくない。そうした、「生きるために必死になっている」人たちのビジネスを、どう再起動していくか、が最大の問題なんだろうと思う。

「デスクワークが中心」だったら、社員全員がマスク着用で、社屋に入る前には、必ず「アルコールで手指を消毒する」とか、「社員共有」の、例えば、コーヒーサーバー、ティーサーバーだとか、自販機のボタン、エレベータのボタン、そういった多くの人が触れる部分を定期的に消毒するだけで、かなりクラスターの発生を抑えて、事業再開の目処を立てやすいだろうと思う。
これ、若い、まだ高校生、大学生くらいの人たちを想定して書いています。是非、調べて欲しい。今はGoogleがある。多くの大学関係者が、ご自身の専門の情報発信をされている。素材は、数え切れないほどある。「どの程度が安全か」是非、自分自身で調べて見てほしい。そうして、「暇のない」会社経営者たちに、「研究成果」を発表して欲しい。

文部科学省に強制された「夏休みの自由研究」じゃない。研究者の道を志したり、自分が今一番興味のあることを追求しようとして「研究」をする、それと同じことを、「言われたからやる」んではなく、自分自身が「世界を救う」つもりで研究できる。今は、そういう時代なんだと、すでに感じていると思う。調べて「具体策」をどんどんと、提言して欲しい。

グレタさんだけではなく、日本でも高校生が声をあげたらしい。「9月入学にして、全国平等に」

この「平等」の意味も、しっかりと考えて欲しい。地域ごとに、メリットも、デメリットもある。このコロナ禍が、最低でも5年はくすぶり続けると想定した際に、大都市と地方とで、何がメリットで、何がデメリットなのか。私の考えはもちろんあるけれども、それは書かない。是非、若い人たちが考えて、「なぜ、9月入学に反対する大人がいるか」その理由を、「研究」して調べ上げて欲しい。きっと、生涯、だけではない、次にもつながる貴重な経験になると思う。

まず、「感じたことを言葉にして主張する。」とても、いいことだと思う。それがなかったら、世の中良くならない。(某K産党が、国民の発言を抑止している国では、社会の改革は頭打ちになる。それは歴然としているけれど、日本は違う。)まだ学生なんだから、無責任でいい。責任があるのは、権限のある大人だけなのだから、無責任にどんどんと発言したらいい。(僕なんか、この年齢になっても、全く「権限」とは無縁だから、平気で、どんなことでも言葉にできている。あんまり、いいこっちゃない、とは思いますけどね。)

ただ、反対する人がいるでしょうね。反対されたら、スネたり、いじけたりするのではなく、「なぜ、反対するのか」を考えてみて欲しい。必ず、理由があると思う。「温暖化ガスの排出抑制」が進まなかったのも、そこに原因がある。
この話題、もう、20とか、30とか、あれこれと書きたい話題が湧いて来ているけれど、それを持ち出すと「主題」がぼやけるから、我慢します。
(「今は、我慢の時」ってか?)

おそらく、若い方々の、自分の親とか、周囲の人とかで、このコロナ禍でビジネスが成り立たなくなって、「どうしようか」と困っている人もいると思う。
テレビのニュースで、「マッチング・アプリ」を立ち上げた若い人がいたと、伝えていた。その人のアプリで、もう、客がいなくなって、どうしようもなくなった「旅行業界」から、「漁業」に人を斡旋した、そうした事例を伝えていた。これって、すごいことだと、僕は思う。

「社会を変える」のに必要なのは、「制度設計の緻密さ」だと、僕は思っています。
この発想は、僕がシステム・エンジニアだからかも知れない。だけど、あらゆる条件を考え尽くす、そうした週間は、どんなビジネスにも役立つスキルだと思うし、行政府や立法府の方々に、そのスキルがないなら、「さっさと仕事をやめろ」と、僕は思っています。そう言われないように、考える習慣を是非、身につけてほしい。

今の状況で、年寄りは答えを出せないでいる。せいぜい、思いつくのは、「一体、いつになったら元の仕事を再開できるか」程度で、(やり方も含めて)「どう仕事を変えようか」という発想の方は、ほとんどいないと思う。

もし、「9月入学」を主張した理由が、「いい大学に入りたいから」だったとしたなら、一度考え直した方がいいと僕はおもう。もし、「大学に入って、自分はこれをやりたい」という目的が明確なら、全く否定はしない。とても、いいことだと思う。ただ「目的」を探したいから、「大学に行く」ならば、順番が逆だと思う。「目的」を探すなら、今のこの「コロナ禍」の社会の、周囲のオトナたちを観察したらいい。「誰かが困っている」なら、そこには「ビジネスの種」があると思う。あ、この人、こんなことに困っているんだ。という問題を解決する手段を考えたなら、それが普遍的なら、おそらく需要はあるし、「大学」なんかいかなくたって、「目的」は達成できる。そうして、その「目的」を達成するために、さらに深い知識が必要となって、その知識を得るために「大学」に入ろうと思うのなら、「いい大学」でなくたって、結構優秀な教員がいたりする。

僕の長文癖。言葉がまとまらなくて、ごめんなさい。ただ、書いた内容を記憶を辿って思い返すに、「これを言いたい」という表現は、分散してはいるけれど、すでに書き尽くしたと思う。

最後に一言。(たぶん、一言にはならないけど、すみません。)
「目的」とか「理由」とか「原因と結果」とか「必然性」とか、そういった様々な要因を考え抜いて、「どうしたら、何ができるか」を考えてみて欲しい。

是非、「パラダイムシフト」なんていう、カタカナ言葉の意味を知って欲しい。今は、その時だと思う。日本語にしたら、「価値基準の変容」だろうか。まず、日本語力を鍛えないと(脳ミソの中に、「概念」というものが形成されないから、)外国語の単語も、きちんと意味が理解できない。今は、これまで「安泰」だと思っていた「土台」が崩れた、その「歴史的瞬間」だと考えてみたらいい。
この時代に、何かを試せる、なんて、数百年に一度しか経験できない現場に、肉体を持った、その「幸運」を考えるべきだ。

なぜ、「いい大学」に入りたい?きっと、答えは「いい就職先が見つかるから」というのが、一番多いだろうな。ところが、これまで「いい就職先」だと思っていた会社の倒産が相次ぐ。おそらく、そうなると思う。
これから先、「地球環境」に配慮したビジネスが展開される、そうした会社は、仮に今あったとしても「いい就職先」にまでは育っていないと思う。そうした産業を育てるのが、自分たちだと、是非考えて欲しいし、そして、「具体策」をいくつも、提示して欲しいと思う。

日米の違い

アメリカの「経済活動一部再開」の映像が流れていた。「資料映像」ではなく、「今」を伝えたものだとしたら、気づいた点が一つある。マスクをしている人がほとんどいなかった。

マスクは、世界的にも品薄ということがあるんだろうけれども、マスクの意義は「万が一、自分が無症状のキャリア」だとしても、スーパースプレッダー(Super Spreader; 一人で十人にも二十人にも感染させる人)にならないためには、重要ではないかと思う。日本人は、昔から「マスク」をつける人が多い。今時なんて、(なかなか手に入らないのに)かなりの人がマスクをつけている。その成果は数字に現れていると思う。アメリカでも、民主党の州知事が「マスクも付けないで集会するなんて」と訴えている映像がやはりニュースで流れたけれども、これは、かなり危険だという気がした。

現在の新規感染者数の減少傾向が、気温の上昇、とか、環境要因が絡んで(北半球では冬から春への気温の変化によるのか、そうでないのかは、数年経ってみないとわからないと思うけれど、)「対策」以外の要因で減少しているとしたなら、「対策」の効果を論じるのは難しい。それでも、日本の場合には2月3月も「自粛」であって「禁止」ではなかった。それにも拘らず、アメリカよりも遥かに人口密度が高いのに、かろうじて爆発的な感染の一歩手前に留まっているのには、マスクの着用の効果は、あるんじゃないか、という気がする。

直感的に、アメリカはPenetration Phase(全国隅々まで浸透させるフェーズ)に突入した、何か、そんな気がした。

元の生活

「きっと、元の生活に戻れますから、今は我慢して、おうちにいましょう。」

確かにね、普通に仕事に行って、普通に人と会って、普通に仲間と遊んで、そういう生活には、きっと戻れるとは思う。
ただし、「元の状態」に戻してはいけないものがあると、私は思う。

昨年の「経済活動」の延長では、今の若い人たち、さらにその次の世代には、豊かな自然環境も、資源も、残せない状態だった。地球環境を「持続可能」な方法で守ろう、と、いくら声をかけても、「現状維持」から抜け出せない産業界からは、「そんなことをしたら、生活が破綻する」と反対の大合唱で、一切、方向転換ができない状態だったと思う。つまり、我々人類の、次の世代に今の地球を引き継ぐことが、限りなく不可能に近かった。しかも、それを我々人類自身の判断と行動で、改善することは、ほぼ不可能な状態だった。

だから、今の状況を「強制的」に創り出した存在がいらっしゃると、僕は思っています。思っている、というか、感じているという方が正確な表現かも知れない。言ってみれば、あれですね。ゲームばっかりやって遊んでいる子供がいて、その子供自身も「こんなにゲームをやってたら、勉強ができなくなって大変だ」と、頭じゃわかっているのに、全然「やめる」とか、やめないまでも「時間を決めて、限られた時間だけ遊ぶ」なんていう「理性や自制心のある行動」が取れなかった。として、それを見かねた親が、ゲーム機を取りあげたり、壊したりして、子供の行動を改めさせようとした。僕は、そんな気がしています。これって、親の暴力だと思いますか?それとも、親の愛情だと思いますか?

せっかく「ゲーム機を取り上げた」のに、「元の状態に戻そう」として、また、友達に頼み込んで借りてくるとか、同じことを繰り返したら、その親はどうするか。なんだかそんなことを考えている。

人類が帰属している「地球」という意識体にとって、他にも問題がある。例えば核兵器。自分の肉体の上で放射性物質をばら撒かれて、地球の意識自体は「生命体」を育もうとする(細かく言えば、この表現は不適切かも知れないけれど、)そうした意識で全ての(物質的な)生命活動を支えているのに、人類だけはそれを壊すことに、なんの罪悪感も感じていない。日本だって「核兵器禁止」に参加しない。これも、産業行動を「持続可能な方法」に切り替えるのに躊躇しているモラトリアム(債務支払い猶予)と同じで、口先だけで一向に動こうとしない、日本的な表現だけれども「ぬるま湯から出ようとしない」から、思い切った手を打ってきた。核兵器に関しても、新型コロナと同じように、何も変えなければ、現状の延長ではどうしようもない状況に人類を追い込む気がする。

日常生活は、昔のように戻す、それでいいかも知れない。ただ、この機会に「消費行動」のあり方、資源の使い方、「安全保障」の考え方、教育のあり方(途上国の教育水準への配慮)、資本の再分配、ありとあらゆる項目で、大胆な「方針転換」をしなければ生き延びることが困難な状況に置かれていて、これほどの「好機」はないんじゃないかと思うのに、「元に戻す」なんて、無駄な努力だと思う。「無駄」という表現は不適切かも知れない。「無駄」だと、単に「無害」な感じだけれども、「有害」な努力だと思う。

親から、ゲーム機を壊されました。なんとかして、元のようにゲーム三昧で遊ぼうと思うのに、どうやっても取り上げられ、(親自身も我慢して)家中からモニターが撤去されたり、挙げ句の果てに、夜9時になったらブレーカーを落とされたり、どんどんと強硬手段を取られるようになった。頭にきた子供は、「こんな家、家出してやる」と家から出て行きました。
言ってみれば、地球環境を散々破壊して、こんな星には住めないと、「地球外の惑星」に移住を試みた、みたいな話だろうか。

どこの家庭でも、子供がそういう行動を取ったなら、親がある程度強硬な態度を取らざるを得ないことはわかるから、そうやって「家出」してきた子供を見つけたら、親元に戻そうとするだろうな。(DVを除く。)そもそも、「子供」は「親の経済力」から離れたなら、生活できない。誰にも頼るのが嫌なら、家出した子供は、餓死するかも知れない。

「親子関係」というか、地球と地球人のような関係は、地球だけではない。家庭があるのは、我が家(地球)だけではなく、ある程度人類が成長すれば訪問できる距離に多くの「家族」がいる。どこの家庭も、友好的であるらしい。というのは、崩壊した家庭は文字通り「崩壊」して消え去っているから、今社会(宇宙)に存在しているのは、友好的な家庭しかない。
ところが、例えば、スターウォーズなんかみればわかる通り、地球人というのは、「よその家庭は、親が子供を食べたり、うちに泥棒に入ろうとしたり、絶対にそういうことをしたり、考えたりしている。だから、よその家庭の人を見かけたら、敵だと思いなさい」と、そういう発想がまかり通っている。大半のSF映画がそうでしょ?「宇宙人」は敵。地球人類は、まだ十分に成熟していない。だから、「外の家庭」のことがまるでわかっていない。「親」つまり地球は、外の世界のこともわかっている。地球外の「家庭」では、子供が十分に成長して、社会性を持って行き来している。そして、「地球」という「一家」では、「外の世界は、無法地帯だ」という発想がまかり通っていて、逆に外から見たら、万が一にも「地球」に近寄ったら、殺されて解剖されるか、そんな扱いしかされない、と、理解しているから、よほどの物好きでなければ近寄れない。

子供は親元を離れたら生きていけない、という比喩は、子供を地球人、親を地球だとしたなら、実は単なる比喩ではない。僕らは、「地球」という意識体の細胞として、地球の資源を利用しているだけではなく、地球の意識体の中でしか物質的な生命活動を維持できない、生きられない、そういうものだ、と理解している。
この子供の地球人が成長したとする。(ちょっと、比喩を間違えたかな。人として成長しても、「親」(地球)にはなれないから。大人になっても、地球との「親子関係」は変わらない。)成長して大人になると、他の家庭も包括している、もっと広い「社会」が存在していることを知る。多くの家庭が「社会」の中に点在して存在している。その「社会」を構成させている、もっと桁の大きい「意識体」が存在していることを「確信」する。我々人類の立場から言えば、この「多くの家庭を帰属させている、さらに大きな社会」を統括している「意識体」こそ、我々にとっても「造物主」であって、いわゆる「創造の神」ということになるんだろうと思う。
この「創造の神」の存在を確信して、初めて、「地球」という「親子関係」を離れて、もっと大きな肉体、つまり「創造の神」の肉体の中を移動できるようになる。それが、この「親子関係」の比喩で言えば、「大人になる」ということ、なんだろうと思う。地球で生まれた子供も、大人になったら、地球という「家庭」を離れることができる。その絶対条件の一つが、「創造の神」の肉体を意識すること、つまり「創造の神」が存在していると「確信できること」なのだと思う。
表向き「神様なんかいないよ」とボヤいている人でも、実は「神様はいる」と確信している人たちが、相当数(数億人という単位で)存在している。その一方で、本気で「神様なんかいないよ」と思っている人が、圧倒的多数を占めているのが、この地球、ということになるんだろうか。要するに、「子供」が圧倒的多数を占めていて、その「子供」に民主的な投票をさせているから、トランプなんかが大統領になる。それがこの星の現状だと思う。

どこまで、正確に伝わるか、自信がない。もし、正確に伝わらなかったなら、それは僕の責任、ということになるだろうと思う。ただ、それでも、地球の資源をどう使っていくか、日常生活をどう変えれば、「持続可能」になるのか、そこをきちんと考えずに、コロナ禍と向き合っていたなら、たぶん、今の程度じゃ済まない、そういう事態が起きると思う。

「元の生活」に戻っちゃいけない。そういう側面もあるんだと、それだけは伝えておきたい。

ビデオ教材

YouTube の Tutorialを見ながら、作業している。

所々、止めて、ダウンロードしたり、プログラムを修正したり、英語がうまく聞き取れなかった部分で戻ったりしながら、「お勉強」中。

「もうマスターしたぞ」と思っていたモジュールが「進化」してくれていて、(ありがた迷惑、っていうのが本音)その部分の「お勉強」のやり直し。黙ってダウンロードすると最新版が入ってくるから、どうしたって動作が変わる。無論、バージョンを固定にはできるけれども、それをやると、新しい要素を入れる際に、ごっそりと書き直しが必要になったりする。この業界の宿命なんだろうな。新しいものが多すぎて、疲れる。

ふと思った。法政大学から「ビデオ教材」にするか「オンライン授業」にするか、メールの返信を求められた時、僕は躊躇わずに「オンライン授業」を選んだけれど、よくよく考えてみると、「ビデオ教材」なら、何度でも「見直し」ができるし、聞き直しもできるし、止めることもできるし、こっちの方が、学生にとっては便利だったんだろうか、なんていう気がした。唯一違う点は、その場でフィードバックを受け取る部分で、もし、それがないなら、ビデオの方が絶対にいい。

そうなってくるとね、「いつでも」良い訳だから、理解力のある人だったら、数日で、全教材を辿って「単位ください」みたいなことも出来たりするのかも。昔だったら「定期試験」で点数が足りないと「留年」とかもあったけれど、「オンラインテスト」で点数が足りなくても、教材を見直して、何度でも「追再試験」を受けられる気がするから、「留年」なんてのがなくなる、っていうか、そもそも「学期」という区切りが要らないかも知れない。それ以前に、「オンライン授業」だったら、海外からだって受講はできる訳だから、「学校」そのものが要らなくなるかも知れない。必要なのは「制度」だけになる。通信教育では”Schooling”なんていうのがあって、たまに、どこかの「校舎」に出かけていくけれども、「学校」が必要だとしたら、小中学校では「集団行動を学ぶ場所」だけになるのかも知れない。高校スポーツも、大学のスポーツも、学校から切り離されたりするんだろうか。「学習」と「それ以外」で、明確な線引きが必要になるかも知れない。

なんて考えると、この変化を、まともに受け止めたら、教育制度が根底から変わりそうな気がする。少なくとも、発展途上国の地方の村落などで、「学校」の敷地の確保や「教員」の確保に四苦八苦している地域でも、「都会の授業」を受けられる。もしかしたら、「コロナ後」は、必要最小限の投資だけで、低開発国や発展途上国の教育水準は、劇的に向上するかも知れない。日本とか、下から数えた方が早い方のランク入りしたりなんかして。日本の役所って、頭の硬い人たちが多いから・・・

なんて、発想がワープしてしまった。

とにかく、「新しいこと」を覚えるのは「概念」から掴まないといけないから、疲れる。ちょっと一服のつもりが、つい、コーヒー、トイレ、二服目、そしてブログの更新と、脱線中。戻ろう。

ホゲ、モゲ、フガ、ピヨ

今日はもう、仕事になんねぇ。アタマ疲れた。YouTubeのtutorial 動画を見ていても、集中できない。
大した意味のない話題をば。

30代以上のプログラマ以外には、何の話か通じないだろうなぁ。
30代以上と書いたのは、これ。

悲報:プログラムサンプルの「hoge」が通じない時代が来た
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1506/19/news043.html

そうなんだぁ。hoge, moge, fuga, piyoは、とにかく「意味がない」ことをはっきりと示した「変数名」。
Asciiとか、Softbankとか、Interfaceとか、その辺の、プログラミングやマイコンを扱う雑誌が出版されて、15年位経った頃から見かけるようになったと思う。

この脱力系のネーミング。割と神経をすり減らす稼業だから、結構受けたんだろうなと思う。それに、「明らかに意味がない」から、実際にそのサンプルプログラムを使うときには、hoge を customer_nameだとか、debit_totalとか、そんな感じの意味のある変数名に置き換えましょうね、という暗黙の約束事で使われていた、と理解している。
結構、楽しい文化だったと思うんだけどなぁ。

20年ちょっと前、会計ソフトをやってた時、上級SEのKさんがぼやいていた。「新人に、この部分をコーディングしろ」と言ったら、hoge, fuga, piyoが満載のコードを書いてきたので、「お前、何考えてんだ」と問い詰めたそうな。サンプルのまんま、変数を置き換えずにコードレビューに持ち込んだ。そりゃ、上司は面食らうわな。そういう世界でした。

僕らが「初めて物語」に近い年代を「生きた化石」、みたいになっている他の例としては、「オタク」があるかも知れない。

今でこそ、秋葉原はAKB-48の本拠地というか、アイドル系の聖地みたいになってるけど、今ほど通販が普及する前は、秋葉原はなんでも揃う電気・電子部品の聖地だった。ラジオとか無線とか(一緒か・・・、)あるいはラジコンとか、電子工作とか、そう言った電気・電子が大好きな理系少年にとって(少女はまずいなかった、)ここに集まってくる人たちは「同志」というか、仲間だった。例えば、6502のCPUチップを買いに来た同年代の人が隣にいたら、「お宅は、6502系ですか?私は80系の方が使いやすいと思うんだけど、どうでしょうかね?」みたいな感じで、初対面の相手でも臆することなく話しかけて、「同じ興味を持っている仲間」の輪を広げたりしていた、その、話しかける「お宅は」という表現を、何かの雑誌の記者が、「秋葉原には、オタクと、見知らぬ人に話しかける、根暗の異人種集団がいる」みたいな感じで、(何か、Aeraとか、その辺の雑誌だった気がするけど)取り上げられて、以後「オタク」という表現が一人歩きを始めた、と記憶している。Aera系のバックナンバーを調べたら、オタクの最初は、絶対に見つかると思う。

オタク文化それ自体は、もっと古い。井伏鱒二の「ロクタル管の話」という文学作品に、やはり、こうした「根暗の理系男子」の心情を描いた作品があって、その作品の中に「オタクは」という声かけがあったかどうかは覚えていないけれども、今書評を見ると、まさしく「オタク文化」のルーツを見ることができる。

これが、釣り道具屋とか(例えば、ハマちゃんと社長とか)、ゴルフ道具屋とかで、「オタクは、ルアー釣りですか」とか、「オタクが手にされている○×社のスプーンは、癖がありませんかね?」みたいな感じで話しかけても、きっとAeraの記者はスルーしたんだろうな、と思う。電気とか電子とか、ラジオとか、ちょっと「ハードルの高い」理系の趣味にハマっている若者を、多少やっかんで「オタク」と呼んだのに違いない、と私は推測する。

次の話題、ネットに書くのは、過去20年に2回くらいあったと思う。ですが、笑いが欲しいこのご時世ですからねぇ・・・。

血圧計のプログラムを書いていた頃だから、もう27年位前、かなぁ。
当時の主流は、C言語だった。

ただ、C言語に流れた多くの方は、FORTRANという言語で教育を受けていて、FORTRANでは Integer(整数)の頭文字であるIから、Nまでで始まる「変数名」は、省略時解釈で「整数」という約束事があった。つまり、ループ変数は、Iとかが一般的だった。
その流れを引き継いで、C言語でも

int i;

という、整数変数の i を宣言する書き出しのサンプルプログラムが、ほとんどだった。使う時は、

for(i = 0; i < N; i++)....

という書き方で、主にループに使った。
それが、プログラム言語の処理系が構造化文法をサポートし出して、

while(TRUE){
    if(condition) break;
    ......
}

のような、プログラムを読む際に、より条件がわかりやすい while 文とかが現れ始め、こちらの方がより読みやすいとされるようになった。

その頃、同僚の(確か、種子島のご出身だったと思う)I さんに話しかけられ、「このプログラム、なんで動かないんだと思う」みたいな感じで、聞かれて、コードを読みながら、「原因は、これじゃない?」みたいな会話をしていた。その時に、ふと気付いた。

「Iさん、ここで宣言されてる、 int i; の i は、使っていないんじゃない?」
「あ、本当だ」
「これ、アイは要らないよね?削っちゃったら?使ってないもん。」
「でもなぁ、なんか、これを書いておかないと、使うかも知れないし。」

「このアイは要らないと思う。だって、アイがなくたって、ヤリたいことはできてるじゃない。」
(この辺から、Iさんが、ニヤリとして、)
「いや、アイはやっぱり、必要だと思う。アイは欲しいな。」
「アイなんか、要らないよ、だって、ヤリたいことができてるんだから。」

(お互い、完全に別の意味に気づいて、ニヤニヤしながら会話を続けていたら)アナログ系の回路設計をやっているNさんが通りかかった。

「お前ら、真っ昼間っから、なんちゅう会話をしとるんじゃ。」
「いえ、プログラムのデバッグの話で・・・」(だって、本当にそうなんだもん)

それだけですけどね。「別の意味」がわからなかった人は、気にしなくて結構です。
そんなこともあったなぁ、っていう思い出でした。

今時は、もう、昔だったら30行くらい気合を入れてコードを書いていた部分が、たったの1行

file.open(...)

だもの。時代はとにかく変わった。嘘でしょ、ってくらい、楽になった。この後の話題は、ネット初公開。

僕が社会人となった一年目。最初の就職先の住友電工での、電子技術研究所の研究部長から、懇親会で聞いた話。
書いたプログラムを、紙テープに落として、それをアメリカに空輸し、機械語にコンパイルしてもらって、機械語になった紙テープを受け取るまで、約1ヶ月、100万円近くかかったらしい。もし、たった1行でもバグがあったら、それで、1ヶ月+100万円が吹き飛ぶ。そういう時代があったらしい。
それがね、今では、例えばRaspberry Piなら、コンピュータ本体が4千円で、実行して結果を得るまで2〜3秒。コストは1円しないと思う。すさまじい技術の進歩。いい時代なんですよ —>> 若いエンジニアの方々。

当時はまだ、「バグ」という認識というか、「とにかく、人の書いたプログラムには、どうしてもバグが出る」という認識など、社会になかった。この話をしてくれたK部長。警視庁(つまり、東京都の)初期の交通管制システムの、信号機制御のプログラムを担当されていたらしい。
納入の際に、「万が一、動作不良(「バグ」も「不具合」も、今なら通じる言葉だけれど、当時は通じなかった)があった際には、すぐに修正いたします」みたいな(余計な)一言を口にしてしまったら、相手の警視庁の担当者の方、「貴様ら、欠陥品をこの警視庁に納入するのか」と激怒されたらしい。

本当は、いけないんだと思うけれども、どうしたってバグは出る。「不具合」は、ヒューマンエラーで避けがたい。そうした事例が蓄積されたお陰で、世間一般で、プログラムには「バグ」とか「不具合」ってのは、あるもんだ、という認識も広まってくれた。お陰で、この仕事も、ずいぶんと楽になった気はする。だから、このトシになっても、まだ続けていられる。

本当は、あんまりいいことじゃない、とはわかっていますが。(だから、自動テストも、必死で実戦投入を模索している。)

相変わらずの長文ですね。お読みいただいて、ありがとうございました。

今日は、「昭和の日」だったみたいですね。昭和は遠くなりけり。

anaconda 再び

pipだとインストールできるのに、anacondaだとできないモジュールがある。

一旦入れて、後からuninstallすればいいや、なんて安易な考えでpipでインストールしたところが、関連するモジュールを引き連れて入ってきて、 mac のnative環境の pip listが40近くに膨れ上がってしまった。どれと、どれとが関係しているか、今のところ全く把握していないから、消すに消せない。uninstallしても、入れてくれる時は一気に入れてくれるのに、消す時は一つ、本体モジュールだけ。
え〜?な〜に?これ全部、調べろっての?やだよ〜、そんなの。

いや、使いたいのはdjangoからだから、それで調べると hoge を入れたいのに、django-hogeでなければ、ダメだったり、その django-hogeがpipだとインストールできるのに、anacondaだとできなかったりで、一昨日の夜中あたりから試行錯誤している「環境構築」作業が泥沼化してきた。

今ちょっと、こんな感じ

画像出典: https://www.irasutoya.com/2014/03/blog-post_2687.html
「かわいいフリー素材集 いらすとや」さんから

ホゲと、モゲと、フガが、頭の中で渦巻いてる。


ついに、仮想環境 Hoge は、サーバすら立ち上がらなくなった。
よって、削除を決意。 native 環境と、他の仮想環境は、無傷だった。それだけは救い。

考えてみたら、別に anaconda に頼らなくても、virtual-env があったな。そっちでやってみる。virtual-env の時は、pipですからね。

わかってますって。きちんと、tutorialを全部読め、ってんでしょ!?だけど、全部読んでたら、たぶん 合計で 2000ページは越えると思うな。
いやだよ。絶対無理。


め〜っけ! YouTube に Tutorial の動画が上がってた。
但し、英語で50分。結構早口。

でも、これで泥沼を抜け出せそうだ。情報提供者に、多謝、多謝!

訂正しません

昨夜書いたページ。なんとなく、突っ込まれているような気がしたので言葉を補う。

日本語の言語感覚が鋭い方、「琴線に触れた」と書いた部分が「逆鱗に触れた」の間違いじゃないか、と・・・
ここ、これで合ってます。使い分けを間違えてはいません。
もし、逆鱗に触れていたとしたら、こんな生やさしいレベルじゃないと思う。

まず、致死率が低い。しかも、将来のある若い方の致死率は特に低い。
資源、エネルギーを使って移動するということが、どういうことなのか、「不要不急の外出」という言い方があるけれども、何が必要で、何を急ぐのか、考えさせてくれている。どういう形で人と接するべきなのか、考える機会を与えてくれている。

いずれは僕も該当すると思うけれども、高齢とか持病があるとかで、コロナ禍での「致死率が高い」とされる方。感染したら死ぬんじゃないかと怯えている方も多いと思うけれど、死ぬのは誰にとっても時間の問題じゃありませんか。考えることがあるとしたら、「本当に自分は、やるべきことをやって、生きてきたのか」あたりじゃないかと思う。納得する人生だと思ったなら、受け入れたらいい。素直に、自然に受け入れられたなら、すんなりと次へ移れると私は思う。納得できない、「やるべきことをやって来なかった」と思うなら、もしまだ体が動くなら、少しでも「やり残し」を減らせばいいだけだと思うし、もうできないと思うなら、「やり残したまま、死に直面したら、こんな気持ちになるんだ」とシミュレーションしてみて、せめて、次に肉体を持った時は、若い時からテキパキと、「自分はこれをやるんだ」と動けばいい、その思いを自分自身の魂に刻みつければ、それだけだって、とても有意義な経験だと、僕は思う。いつ、どのタイミングで、何ができる時に、それをしなかったか。それを一つ一つ思い出すだけでも、とても有意義な経験になるらしい。私はそう理解している。

経験するべきことは多いですからね。まず、周囲の人との人間関係がうまく構築できるようになったら、次は教師とか、次は医者とか、時代時代によって職業の種類は変化すると思うけれども、次は法律家とか、次は政治家とか、何回かの人生でそうした職業経験を積めば、そうした職業ならではの発想法が魂に染み付いてくる。そして、あらゆる分野での経験を積んできたら、たぶん、そこからさらに上級課題を積むことになるんだろうと思う。何かに執着していると地獄に長逗留するみたいですからね。回数を増やそうと思ったら、地獄にいる期間は、短ければ短いほどいい。「こだわり」なんていうのも一種の執着のようだし、「自分は健康でありたい、健康ならそれでいい」という、それすらも「こだわり」というか、一種の「欲望」であるらしい。「健康」というのは「結果」であって、「目的」ではないのだと、私は理解している。細かすぎて理解が追いついていない部分もあるけれど、そこは書きようがない。

結果において、「地球環境」にとっても、良い結果になっている。
その辺のところを考えてみると、これ程緻密に計画され、温情に溢れた「教育的指導」は、ないんじゃないかという気がしている。「排除にかかっているんじゃないか」と書いたこともあるけれども、やはり僕ら人類は、地球にとって「自分の細胞の一部」として大切にしてもらっているんだなと、そんな気がする。だから、やはり「逆鱗」ではなく「琴線」。本気で「指導」してくれていると、僕は思う。

俺って、頭悪いよなと、何度となく思う。
一つ前のページのAnaconda

確かに、何かで、anaconda環境でのインストールは、pipではなくcondaだと、どこかで読んだ。読んで頭の片隅に知識としては入っていたはずなのに、思うように動作せずに、調べまくって「あ、これか」と気付いてみたら、「この説明、読んだことある」と思い出した。全然、実際に使う場面で、結びついていなかった。
ポケットの中に鍵が入っているのに、「あれ、鍵をどこに置いたっけ」と、家中探し回って、出かける時間が来たのに見つからず、「だめだ、遅刻だ」と諦めて、ふと、ポケットに手を入れたら、そこに鍵があった。みたいな。このポンコツ加減。自分でも嫌気が刺す。

とにかく、私の場合、これが多いんだわ。だから、大学なんかで授業をやっていても、時々、ど素人でも知ってるような「知識」がスコーンと抜け落ちていて、たぶん、学生なんか「え?先生、何を言ってんですか?」みたいに内心思ってるかも知れない、そういう「無知」を曝け出す。知らない訳じゃないんだけれども、その部分の歯車が噛み合っていないというか、自分の行動パターンの中で、「点」と「点」が結びついた「線」になっていない。結局、今回のanacondaみたいに、あーでもない、こーでもないと、剃ったもんだした挙句に、「あ、これだったのね」と、やっと気づく。今は時々、こうやってネットに晒しちゃってるけども、実際にはもっと多い。
転びまくって、コケまくって、40年。その挙句の今だから、全然偉そうなことは言えない。とにかく、「知識」の関連を結び付けて「理解」するまでに、ものすごく時間がかかる。たぶん僕は、他の人よりも「理解力」が劣っていると思う。

教科書を一冊書いた。けれども、いつどんなボロを出すかと思うと、もう、気が気じゃない。

C言語なんかは、もう何十年と使ったから、「枯れて」もうボロの出しようがない感じだけれども、RubyもPythonも、「知らない」ことも多いし、結びついていないことも、もの凄く多い。今はただ、「使う場面」を少しでも増やして、リアルな環境で、1日に何回コケることができるか、なんだろうなぁ。

どうやら、僕にはこういう生き方しかできなさそうだ。間違っていたなら訂正すべきだ。ただ、冒頭の話題には、訂正する余地はないと思ってます。以上。

anaconda

gitの環境が切り替わったのも、しばらく悩まされたけど、またおかしなことが起きた。

gitが切り替わったのは、何かの設定の時に .bash_profile の PATHの追加の際の注意不足、だったんだろうけれども、今回のは anaconda の(う〜ん、俺が使い方を把握しきっていないから、かなぁ) 動作がおかしい気がした。

$ conda activate HogeHoge

で、仮想環境を HogeHoge に切り替えた。その環境下で

$ pip install fuga_module

をインストール。ところが、

import fuga_module

で、

ModuleNotFoundError: No module named 'fuga_module'

が出てしまった。

$ pip show fuga_module

とコマンドを叩くと、

Location: /Library/Frameworks/Python.framework/Versions/3.7/lib/python3.7/site-packages

が表示された。一方、

>>> import sys
>>> import pprint
>>> pprint.pprint(sys.path)
['',
 '/Users/kobayashi_ikuo/anaconda3/envs/HogeHoge/lib/python37.zip',
 '/Users/kobayashi_ikuo/anaconda3/envs/HogeHoge/lib/python3.7',
 '/Users/kobayashi_ikuo/anaconda3/envs/HogeHoge/lib/python3.7/lib-dynload',
 '/Users/kobayashi_ikuo/anaconda3/envs/HogeHoge/lib/python3.7/site-packages'

システム環境のパス変数は、anacondaの管理下で、仮想環境に切り替わってる。

brewでインストールすると、インストール先は

/usr/local/Cellar/git

とかになるんだろうけれども、仮想環境に入っていて、pipのコマンドを叩いたのに、

/Library/Frameworks/Python.framework/Versions/3.7/lib/python3.7/site-packages

にインストールされちゃったら、仮想化の意味が半減する。俺、何か、コマンドを覚え間違えてるのかなぁ・・・何の理由があって、pipコマンドが仮想化環境の外にインストールするんだろうか?わからん。pip使っちゃだめ、なの?

結局、いつもながらの力技。ってか、ワンパターンの対処方法。~/.bash_profile を編集するか?結局ここに、$PYTHONPATH を書き加えて、仮想化環境に入っていても、/Library/Frameworks/…を参照するようにするか?そんなことしたら、仮想化の意味がなくなるよなぁ。暫定的に試したいだけだから、わざわざ仮想化したのに。native環境に入れられちゃったら、意味ないじゃんか。

anacondaで、仮想環境をactivateしても、 pip install を実行する際には、何か別の呪文が必要なんだろうか。たぶん、anaconda の説明をみると、どこかに書いてあるんだろうなぁ。

この「呪文」を調べる作業が、一番疲れる。今日は、もう、あがりま〜す。

ウィンガーディアム・ラビオーサ、なんかだったりして。


後からググったら、ウィンガーディアム・レビオーサ、でした。この類の記憶違いが、絶対に、どこかにあるんだろうなぁ。pipだったと思っていたのが、実はエレキバンだった、とか・・・


めっけた。

Anaconda環境にpipでパッケージをインストールする

https://qiita.com/mckeeeen/items/d4cbe4a16a102157f40c

いや、確かに、最初の頃こんな説明読んだ気がする。そうなんだけど、一旦こうやってコケてみないと、覚えないんだよなぁ。

pip install fuga_module

じゃなくて、

conda install fuga_module

だったんだ。一度はどこかで読んだのに、実際にコケないと覚えられない。

すべての「重要事項」でコケ続けて、一通りマスターするまでに、どれほど時間がかかるか・・・

ただね、プログラミングや、エンジニアリングの場合には、すぐに何度でも試せますからね。まだいいかも。
これが人生かけた勝負だったり、生きるか死ぬかにつながる判断だったりすると、一回の人生でやっと一つ覚えられる、くらいの感じだから(一度で済めばいいけど)、なるべくその都度「身に染みる」ようには、したいなぁと、思いますです。(「したいなぁ」って、「します」じゃないんだよなぁ・・・)

せめて、今回の新型コロナで、多少は「経験」になりますように。喉元過ぎれば、なんて感じになる気もするし、そうしたらたぶん、次が控えているとも思うけど。どんどん、スケールアップしてくるからなぁ・・・

もう、頭がプログラマとか、システム・エンジニアじゃない。師匠の講演会。

一つでも多くの「経験」を積むのに、一番確実な方法は、一回でも多く肉体を持つ(生まれてくる)こと。そのためには、少しでも地獄に落ちている期間を短くすること。そのためには・・・、ここから先は、「うるせぇな、そんなこと言われなくたってわかってるよ」と言い返されるのがオチだから、もう書かない。なんぼ書いても、聞く耳を持ってもらえなかったおかげで、どなたかの琴線に触れてしまったみたいだし。トランプだけじゃないと思うけど。

とにかく、肉体を持った回数が多ければ、山ほど「呪文」を知っていて、きっと、「なんで、あんなことができるんだ」とか、「何で、あんなことを知ってるんだ」みたいな、魔法使いみたいになれるんだろうな、と、僕は思います。目指してはいるけど、なかなかねぇ・・・。この「地獄に落ちる期間を短くする」ってのが、最大のネックだろうなぁ。ただ、僕はそこを目指します。他の人は、どーでもいいと思ってます。すみません。

マスクと熱中症

マスクをしていると熱がこもる。こまめな水分補給も、マスクが邪魔。

朝昼兼用の食事をしながらテレビを見ていたら、その時のマスクの外し方を解説していた。(あんまり、昼日中からコロナの話題は書きたくないんだが、気になったから、すぐに吐き出しておこう。)ポイントは、これだろうか。

「マスクの表面に触れてはいけない」(ウイルスが付着しているから)
「マスクをズラして飲むのは、NG」

この部分について、ちょっと考えてみた。

不織布マスクの性能と使用時の注意
https://www.env.go.jp/air/osen/pm/info/cic/attach/briefing_h25-mat04.pdf

医療従事者が、自分の身を守るために用いるN95のマスクは、0.3μm(300nm)を95%遮断する。民間には流通していない。
花粉症対策のマスクは、約30μmの粒子(大きさ100倍)をカットする。

PM2.5は、文字通り 2.5μm程度の粒子。
飛沫の大きさは、通常は3〜5μm程度らしい。
また、花粉の大きさは、30〜40μm程度らしい。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の電子顕微鏡写真(走査電顕写真追加)
http://www.tokyo-eiken.go.jp/lb_virus/kansenshou/virus_gazou/sars-cov-2/

この写真で見ると、SARS-CoV-2の大きさは、90nm〜100nm(0.09〜0.1μm)程度だろうか。

つまり、花粉症対策のマスクは、ウイルスに感染しない目的で使用しても、全く意味がない。
通常のPM2.5対策の不織布のマスクでも、あまり効果が期待できない。
サッカーのゴールネットで、野球のボールをトラップしよう、という感じだろうか。いや、サッカーのゴールネットで、パチンコ玉をトラップするくらいの感じかな。

ウイルス対応: PFE(約0.1㎛)の試験を行い、99%までのフィルタ捕集効率を表記

これって、N95よりも細かい?つけて10分歩いたらどうなるだろうか。臨床工学の卒業生の話では、N95は、つけているだけで息苦しいとか言っていたけれども、それよりも細かい。横からの侵入を防ぐために「目張り」とかしたら、もう、体を動かせないんじゃない?

このマスクならば、前述の「マスクの表面には触れてはいけない」とか、予防効果があるだろうけれども、マスクをつけて通勤したり、買い物したりしても、全然息苦しくないようなマスクならば、サッカーのゴールネットで蚊の侵入を防ごう、という感じで、「予防」には全く意味がないと思う。

「表面にウイルスが付着している」(サッカーのゴールネットに、蚊が付着している)ならば、間違いなく既に大量に吸い込んでいると思う。

ただ、飛沫の拡散を防ぐには、ガーゼのマスクでも意味があるようで、この実験映像は見たことがある。つまり、相手がマスクをしていてくれたなら、相手が仮に感染していても、こちらはかなり安心できる、ということになると思う。(問題は、握手とかの接触か。)

つまり、マスクの着用を「予防」と考えたらあまり意味がなく、「万が一、自分が感染していたとしても、周囲の人に感染させないため」にマスクは着用する、というのが大切なんだろうと、私は思う。
そう考えてみると、「予防効果がある」と思っている人がかなり多く、そうした「解説」も多いのには、すごく違和感を感じる。

でも、それはそれでいいのかな、と思う。
自分のことしか考えない人が少なくない。そういう人は、「自分が感染しない、予防に効果がある」と思っているから、マスクを買い占めたり、マスクをつけたりしているんだろうけれども、自分のためじゃない、周囲のためにマスクをつけるべきだ、なんて言われたら、「そんな面倒なことはしない」とか、なっちゃうかも知れない。「他の人に迷惑がかかるから、マスクをつけましょう」なんて、正しい考え方を広めると、逆にマスクをつける人が減ったりなんかして。「自分の身を守る」だけのためにマスクをつけている人、絶対にいると思うな。
(性格がねじ曲がっていて、すみません。)

予防するなら、やはり手洗いや、ドアノブ、テーブル、パソコンのキーボード、タッチパネルなどの消毒が一番なんだろう。

そして、思う。最前線で奮闘してくれている医療従事者を「守る」ために病院にマスクを送るならば、N95か、PFE(約0.1㎛)で99%カットの水準のマスクでないと、あまり意味がない。

一般論として、医療関係者の基本的な考え方は、「医療従事者側から、患者への感染防止」の視点からの滅菌消毒などが多いと思う。「患者から医療従事者を守る」視点が必要になるのは、感染症病棟などだけだったのではないかと、推測する。だから「Covid-19の患者は、一般の病院では受け入れられない」ことになった。
その「患者への感染防止」のためのマスクも不足している訳だから、受け取っても全く無意味ではないとは思うけれども、「医療従事者の身を守るためにマスクを送る」ならば、スペックは考える必要がある気がする。

正しく恐れる(おしゃべりしない)

東京の平日の朝は、相変わらず、電車が混んでいるらしい。(出掛けてないから、知らないけど。)時間帯によっては、満員に近いようだ。(知人の話による。)
それにもかかわらず、以下のようなグラフ。ある程度混雑した電車は、感染源になっていないのかも知れない。

引用元:日経新聞:東京都、26日の感染確認は72人 13日ぶりに2桁
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58515950W0A420C2CZ8000/

これは、何を意味しているんだろうか。

小池百合子知事は都の配信動画で「まだまだ気を抜くわけにはいかない」と強調した。

そりゃそうだ。確かにそうだけれども、(検査件数が十分ならば、)現状のままでも「収束」に向かうだけの「対策」が、既に効果を上げていることを意味する数字だと思う。また、日本のやり方だと、決してゼロにはならず、下げ止まった状態で散発的に各地でクラスターが発生するんじゃないかと思う。今のままだと「コロナ怖い」で、経済活動の「自粛」や、「気分的な落ち込み」がズルズルと、半年とか一年続くことになる気がする。

案外、若い女性の感染者数が多い。これは何を意味するか。
僕は「おしゃべり」だと思う。新型コロナの感染者数の性別、年齢別のグラフと、「どの年代の人が、どれほど『おしゃべり』しているか」を重ねてみたら、面白いかも知れない。男性でもいるけれども、営業系でなければ、女性ほどではない気がする。営業マンなんて、全年齢層に均等に散っているけれど、グラフはそれに似ている気がする。

今年の1月、松尾くんと営業の方と、食事を一緒にする機会があった。座った位置関係で、松尾くんの口から飛び散る「唾」が、外からの光線の関係で気になるほど鮮明に見えて、(これは僕も、学校で授業をやっていて、結構唾を飛ばしているな、と思ったことがあったけれども、)おしゃべりってのは、こんなにも唾を飛ばすんだと、痛感した記憶がある。光線の関係で、結構見えるもんだなと、その時は思ったけれども。

日本語でも、あれ、なんて言うんでしたっけ?爆発音?カ行、ガ行、タ行、ダ行、パ行、バ行の音、なんかは、口腔で(舌によるのか、口唇によるのか)とにかく唾を飛ばすような「発音」しかできない。空気の流れを一旦遮断して、爆発させるように子音を発声する。それは、ほとんどの自然言語に共通すると思う。おしゃべりしていたら、どうしたって、唾が飛ぶ。それなら、マスクをしたらいい。それができないのが「食事」だと思う。食べ物を口に運ぶ時だけマスクを外し、食べ物を口に入れたらすぐにマスクをして、会話をする。そうして、普通におしゃべりする、そんな人いるか?いないでしょ?それが一番顕著なのが、外食産業、特に、「夜のお店」で、アルコールが入った時の会話であって、そこで、激しく「飛沫感染が起きた」と言う気がする。その「飛沫感染」の一番の根本を、一つ抑え込んだ成果が出ているんじゃないか、と言う気もする。飛沫が飛ばなければ、吊り革だって、手すりだって、大してウイルスは付着しない。
会食の際に、一緒に食事した相手だけが問題なのではなく、客の入れ替えの際に、もしレストランや食堂の方が、ウイルスに効果のある消毒液でテーブルを拭かなければ、ウイルスは付着したままになる。前の客が感染していたら、次の客も、その次の客にも、感染するリスクは高まると思う。数日前のニュース配信の記事で、細菌とウイルスの区別の付かない人が書いた記事が流れてきた。もしかして、ウイルスに効果のない「消毒液」でテーブルを消毒して、「うちは対策してます」と思っているお店があったとしたら、危険だ。

無防備にマスクをつけずに、井戸端会議をしていたら、「無症状の感染者」からの感染が起きる。それが顕著なのが女性ではないか、と言う気がする。あくまでも、数字から(と、僕のこれまでの人生経験から)の判断だけど。案外「感染経路不明」には、それが多かったりしないか、と言う気がする。20代の女性が多いのは、おしゃべりが好きな人が多いから、というのも、理由の一つではなかろうか。(見てるとね、集まるととにかく、おしゃべりしている人たちとか、いますから。)

逆に、朝の満員電車。「おしゃべり」はあまり聞かない。どなたも、黙々とスマホを操作したりしている。飛沫は出なさそうだ。夕方の電車は、ちょっと事情が異なる。職場などで一緒になった人と、おしゃべりしながら乗っている人もそこそこ見かける。今はマスクをしているから、それだけでも効果があるのかも知れない。これだけ「混雑した電車」の環境が改善していないのに、新たな感染者が減少している、ということは、「単なる人の密集」だけでは、リスクは低いということを意味しないか?

話が飛びます。

心臓外科医とか、脳神経外科医。あの方々、「腫瘍が神経細胞や血管に絡みついた、厄介な症例」とかも、日常的に手術で取り除いていらっしゃる。それこそ、神経の張り詰めた現場なんだろう、と思いきや、患部の「一番、面倒な部位」まで、切開したり、手術器具を挿管したりするまでは、手術室にBGMをかけたり、雑談したりしながら、結構リラックスしながら手術をされていて、それが、「ここ一番」で一番面倒で、厄介なところに差し掛かったなら、すごい集中力とか、それこそ、「ゴッドハンド」とか言われるような手技で病巣を摘出したり、されている。らしい。僕は、オペに立ち会ったことは数回しかありませんが、なんか、そう感じました。物凄いストレスか、と思いきや、「見極めて」いらっしゃるんだろうと思う。「ここは、気楽に切っても大丈夫」(無論、経験の裏打ちがあるんだろうと思う)、とか、「ここが、クリティカルだ」と、緊張の度合いを調整されているのかな、と僕は理解した。(もし、例の持ち出し方、表現に問題があったら、ごめんなさい。)

何を言いたいか。コロナも同じだと思う。「この一点に、気をつけるべきだ」と、そのピンポイントを、一刻も早く見極めるべきだ。
確かに「三密」もそうだけれども、おそらく、「密室」ではない解放空間であっても、井戸端会議で、マスクもせずに立ち話をしていたら、飛沫で感染する確率が高かったりするかもしれない。逆に、パチンコなんかでも「会話禁止」にしたら、かなりリスクは下がると思う。でも、「会話禁止の飲み会」とか「会話禁止の会食」とかって、あり得なくありませんか?「発言禁止の会議」とか。

「条件をつけて、経済活動停止」を解除していく、って言っても、実際には、そのための「ルール」を守らない人が少なくないですからね。自分だけなら大丈夫、と考えがち。そう考えると、さすがに今はまだ、時期尚早なんだろう、とは思うけれど、医療崩壊のリスクが低減してきたら、経済活動再開の「条件」などを、細かく調べるべきかも知れない。

別のケースもある。トランプがクロロキン(マラリアの薬)に言及したら、それで死んだ人がいたらしいし、それがあるから、今回の消毒薬の注射についても、トランプを信じてそれで死ぬ人が、出るかも知れない。根底にあるのは、「学者の言うことなんか、信じない」ってのを世間に広めて、そう主張するトランプを信じている人たちがいる、っていう、これは別パターンの脅威かも知れない。日本では、まず、これはないような気がするけれど。

今、統計がないですよね?SARS-CoV-2の感染による直接の死者数と、その「経済的な影響によって、経済的に生活できなくなって死んだ人の数」との統計。さすがに、まだ「餓死」にまでは言っていないにしても、既に手持ちのお金が尽きた人はいると思う。
今、有効な「判断」を下さなかったら、後者が前者を上回ると思う。発展途上国では、時間の問題だという気がする。アメリカや欧州のような、爆発的感染が顕著になっている国では、先進国であっても、対策次第では、後者が前者を上回ると思う。

「こうしたルールを守っていれば、経済活動を維持したままでも、新型コロナを押さえつけられます」と、その指針を国民は求めていると思う。
その「ルール」を、公表して、国民に協力を求めても、一向に理解せず無視する人たちが、1割程度はいると、それも想定してシミュレーションすべきなのかも知れない。それでも、「正しく恐れて」、ピンポイントで、「これと、これは気をつけよう」とクリティカルな部分は「自粛/禁止」だと行動を定めて、それ以外は、「大丈夫ですよ」と、(一定程度のリスクは覚悟の上で)伝える。経済の停滞は、凄まじい状況だと思う。

交通事故死亡者数。2019年が3215人。1日あたり8.8人。
今日が、今年119日目、か。実際の統計は拾ってないけど、統計上、今日までに1000人以上死んでる計算になる。

「交通事故死者」は、事故から24時間以内に死んだ人の数だから、延命措置とかで(それこそ、人工呼吸器、ECMOなどなどで、)25時間生きていたら、それは「交通事故死者」ではなく「重傷者」にカウントされる。それだけ「死者数」が少なめにカウントされているのに、既に1000人死んでる、っていうことだろうか。僕の理解では、これは「ほぼ即死、もしくは、事故の時点で、トリアージで言えば黒」の人だと思う。
※:トリアージの黒:直ちに処置を行っても明らかに救命が不可能なもの、又は、既に死亡しているもの。
1ヶ月以内に枠を広げた統計は、みていないけど。

交通事故を防ぐのに、どうしたらいいでしょう。一番いいのは、”Stay Home”でしたっけ、「おうちにいよう」だろうな。外に出なければ、絶対に交通事故には合わない。(いや、外から車が突っ込んできた、なんて話もあったから、絶対ではないか。)それなのに、こんなに人が死んでるのに、なぜ「おうちにいよう」って叫ばない?
思うに、「交通事故」のリスクは、もう「慣れてしまったから」ではなかろうか。

持病のある方や、高齢の方は、怖いでしょうね。でも、目の見えない方とか、かなりのリスクをおかして「日常生活」をされていたりする。

今、新しい感染者が出ると、「誰と会ったか、どこに行ったか」を、根掘り葉掘り聞かれる、と噂に聞いた。
その方々の、「行動パターン」も聞き取り調査して、ビッグデータというか、分析してみたらどうだろうか。

案外「会話禁止」にするだけで、リスクが下げられたりするかも知れない。

観光地なんか大変みたいだ。「会話禁止の観光」が成り立つのかどうか、私にはなんともわからないけれども、「入域制限」の他に、「会話禁止(もしくは自粛)」の条件をつければ、観光の行為そのものでの感染リスクが下がるとしたなら、観光業の再開も「一定の条件下」で視野に入ってくるかも知れない。(ただ、「会話禁止」で観光してもなぁ・・・いや、だから、3月の連休は、感染者増加の原因になったのかも知れない。)

僕は、そう簡単には「ゼロ」にはならない、ましてや「封じ込め」なんて、海外の途上国まで含めて封じ込めなかったら、不可能で、何年にもわたって「SARS-CoV-2と共存」の状態は続くような気がする。「夜の街」が復活するのは、限りなく不可能に近い気がするけれども、それ以外のビジネスは、なんとか再開の道を模索できるような、データ解析を進めて欲しい気がする。


追補

「自粛」破りのパチンコ店がある。私の考えでは、店側がレバーなどを細かくアルコールで消毒し、客に「マスク着用」と「会話禁止」を求めたなら、クラスターは発生しないと思う。いや、だから黙認しろとは言わないけれども、「実験材料」にはなる気がした。逆効果だったんでしょ?「あの店はやってる」とわかったら、かえってパチンコ中毒の人が押し寄せた、みたいに、(僕は見てないけど)そのニュースを見てた同居人が言ってました。(失礼な表現だな。)

北海道の第二波。行動分析をすべきだ。「ライブハウス」なんかの場合、客が声を出すケースが少なくない、と思う。一緒に歌うみたいな。(行かないから、よくわからないけど。)だから、いくつかのクラスターの原因になった。今回は、なんだったのか。

クラシックのコンサートはどうか。あれはもう、咳一つしただけで、隣の人に睨まれたりしますからね。親父やお袋と、N響コンサートに行ったのは、忘れがたい思い出。マスクをしていたら、案外、クラスターは発生しない気がする。歌舞伎は?「発声禁止」なら案外可能かも。相撲やスポーツ観戦。これはもう、みんな声を出すからなぁ・・・

もし、「コロナが完全に鎮静化するまでは、声を出さずに参加する」ルールで、クラスターが発生しない事例が確立されれば、案外、コンサートなんかもクラスターの原因にならなずに、再開可能かも知れない。どなたか、突破口を開きません?責任は負いませんけど。万が一、クラスターの原因になっちゃったら、もう、ファンあってのビジネスとしては、致命傷でしょうけど。

前述の、自粛破りのパチンコ店。もし万が一、クラスターが発生したら、刑事訴訟は無理でも(未必の故意による殺人罪、は無理だろうな)、民事訴訟(損害賠償請求)の対象にはなるかも。客がリスクを負うだけではなく、もしクラスターが発生したら、(日本社会は「ムラ社会」ですからね、)店側も、相当なリスクを負うと思う。

動作マージン

昔のことになるけれども、1km泳いだり、10km走ったり、それが全然苦でなかった頃、日常動作に必要な筋力が3だとして、10位の体力があった、と思う。
日常動作とは、まだ7のマージンがあり、日常動作が大変なんてカケラも思わなかった。

それが、運動不足なんかで筋力が落ちてきて、5くらいになっても、まだ2のマージンがあるから、「体力が半分に落ちたこと」すら気付かない。
筋力が4くらいに落ちてくると、そろそろ、たかだか日常動作なのに「全力」に近い状況が出てくる。
そして、3まで落ちてくると、日常動作の全てに「全力」が必要になってくる。

今自分がどのへんか。4〜5の間か、と思いたいけれども、少し体力をつけて、6とか7くらいまで戻したいような気はしている。

何が言いたいか。元々10あった体力が5まで落ちても、ほとんどの場合、日常動作だけでは全く気付かない、ということだろうか。

慢性腎不全。指標となるのはGFR(糸球体濾過量)だろうか。正常値は100(mL/分/1.73㎡)近くある、とされている。年齢によっても低下するらしいが、これが低下してきて、軽度~中等度低下(45~59)くらいまで下がっても、ほとんど自覚症状はない、らしい。普通は、気付かない。

これが、中等度~高度低下(30~44)あたりになってくると、疲れやすいとか、はっきりとした自覚症状が出てくる、そうである。(あたしゃ、医療関係者じゃないから、細かいところはわからない。ただ、医療関係者の国家試験の、試験勉強はサポートしていたけど。)この辺になると、透析の一歩手前。もう元には戻らない。実に、腎臓の機能の6割から7割が失われるまで、「異常」を感じない、ということになる。
それで、健康診断などでGFRを調べて、予備軍になる前に、警告を投げて、生活習慣を改善してもらおうという取り組みがある、と理解している。普段から、GFRを調べていなかったら、「つい、この間まで全く問題がなかったのに、突然悪くなった」という認識になるものの、実は、長い時間をかけて、じわりじわりと、低下してきたのに、気付かなかった、ということではないか、と思う。

自宅で療養中のSARS-CoV-2感染者で、Covid-19軽症者の状態が急変する、という話題があるけれども、本当に「急変」なんだろうか。
SpO2(パルスオキシメータで測定した動脈血酸素飽和度)が96%位に落ちるまで、普通は息苦しさも感じないし、日常動作にもほとんど支障がないと思う。動作マージンで余裕がある。
私自身の数字で言えば、30代、血圧計のソフトを書いていた頃は、99%〜100%だった。長年の喫煙の影響なのか、50代、普通に生活している時に測定すると、だいたい98%。振れ幅は、97%(喫煙直後)~99%(階段を下から駆け上がった後、など)の範囲に入っていたと思う。これがもし、96%に落ちたとしても、「やや息苦しい」程度だと思う。
実際、息を思いっ切り吐き出して呼吸を止めてじっとしていても、すぐにはSpO2は下がらない。30秒以上98%以上の数字を示している。それが、ちょっと苦しいかな、と感じるあたりで97%に下がり、そこから先は、じわりじわりと、数秒ごとに96%, 95%と下がり、そこまで落ちると一気に数字が落ちてくる。動脈血中酸素分圧の80mmHgは、個人差があっても、苦しいと感じる前後の数字ではないかと、私は理解している。(こういうのは、現場の呼吸器系の医師に聞いてもらわないと、正しい認識は持てないけれど、私自身の体の数字で言えば、こう思います。)

SARS-CoV-2の増殖で、肺内部のガス交換の有効面積がじわり、じわりと、少しずつ失われても、動作マージンの範囲内でSpO2が97%とか98%なら全く「自覚症状」がない。ただ、私のような喫煙者ではなく、元々99%あたりの数字だった方が98%とか 97%まで落ちていたとしたなら、自覚症状が全くなくても、実は、肺胞の有効ガス交換面積が既に20%とか40%とか、かなり失われているという判断をすべきではないか、と思う。それが、ガス交換面積が60%とか80%とか失われると、SpO2も95%程度まで下がり、ここで初めて「急変した」という判断になる。ということではないかと、私は推測する。実は、「急変」ではなく、じわりじわりと機能が失われても表面化せず、動作マージンを使い潰したところで初めて「苦しい」となる。
仮説です。無責任に書いています。ただ、「軽症患者」でも、入院されている患者さんならSpO2の推移とかを記録しているはずだし(もしかして、点数にならないから、測定してないとか・・・そんなことはないと思うが)、予後や転帰との関連を、統計的に調べるのに足りるデータが取れているとしたなら、自宅療養や、ホテル療養の患者さんのSpO2を測定することは、「数日後の急変」を予測するのに、有効ではないか、という気がする。

下手な鉄砲数撃ちゃ、です。どれだけ正しいか、これはもう、本職に判断してもらうしかない。
私が正しいことを書いているか、否か、ご自身で調べてご確認ください。私は、自分の考えを書いただけであり、全ては「推測」です。


追補です。血圧計の制御プログラムを書いていた頃、「アラーム設定」の動作を確認する都合で、 SpO2のアラームを発生させるのに、息を止める、ということを何度もやっていたのを思い出した。無論、90とかに設定すると、もう、死ぬほど苦しいから、数字は高めに設定するけれど、それでこれらの数字の変化は印象に残っている。

同様に、血圧のアラームも自分の体で「高血圧、低血圧」の数字を「出して」試した。上げるには、バルサルバ反射というか、思いっ切り「胸腔内圧」を上げて循環血液量を下げ、血液を大静脈に溜め込んでおいてから呼吸を解放すると、最初は、一気に血圧が下がるものの、その後、数心拍の間に、一気に上が50mmHg近く跳ね上がる。これで、血圧を「上げた」。下げる方は、腕を上げたり、こちらも色々と工夫はしたけれども、結構色々とやったような記憶がある。トノメトリは、手首の回転に弱く、支えている骨を逃すような捻り方をすると、センサーの当たり方が変わって30mmHgくらいはすぐに下がる。

私には、自分の体の数字しかわからないけれども・・・普通の体をしている、とは思っていますが。

 

情報発信は正確に

あんまり、偉そうなことは書けないんだけど。僕もかなり粗忽だから。

ちょっとひどいなと思ったニュースサイトがあった。
「家の中でウイルスの付着場所5選」のようなタイトル(変えています。)

1. ドアノブ、 2.洗面所の水栓金具、 3. 手を拭くタオル、 4. 冷蔵庫の扉、 5.ダイニングテーブル
これはいいとして。

気になったのは、記事の中で何度も、例えば、「手を拭くタオルは、ウイルスが付着して増殖しやすい場所です」みたいな書き方をしている。
明らかな間違いです。ウイルスは、細胞の中でしか増殖できないから、タオルでも、ドアノブでも、ダイニングテーブルでも、付着はしても増殖はしません。これを書いた方、明らかに専門外。細菌とウイルスを区別できていない。

加えて言えば、例えばマラリアは原虫だから、ウイルスでも細菌でもないし、種類が違えば効果がある薬品の種類も違ってくる、ということになると思う。「殺菌消毒」で、増殖する細菌に対して効果がある医薬品が、ウイルスに対して効果があるとは限らない。たまたま、アルコールはウイルスに効果がある、と考えた方がいいと思う。

この時期、不安から様々なニュースをすがるように読む。正確さには気をつけるべきだろうと思います。(–> 自分)

トランプは天才だ

消毒液注射でコロナ治療? トランプ氏提案、専門家は全否定
https://www.afpbb.com/articles/-/3280263

すごいなぁ、こんなことを思いつくなんて。
トランプ大統領を見直した。あの人は天才だ。

まず、ご自身の体に、確実にウイルスを殺せる量の消毒薬を注射して、実践してみることをお勧めする。いや、絶対に試して欲しい。

きっと、とてつもない効果が現れて、(イスラエル以外の)世界中が大喜びし、トランプ氏の勇気ある行動に、大絶賛することだろう。

経済活動再開

僕や松尾くんは、普通に仕事をしている。
元々、穴倉ごもりの仕事スタイルだから、ほとんど影響ないのだけれど。

トランプの言う経済活動再開なんかは、今やったらすごいことになるだろうな、と思った。あの人が緻密な検証の上で物事を判断しているとは思えない。
政府が経済指標を平気で操作する国が、経済活動を再開しているけれど、実は、今、結構大変なことが進行しているような気もする。

ただ、十把一絡げに「経済活動再開」と言う表現は、なんだか議論が余りにも荒っぽい気がしている。
僕や松尾くんは、ほとんど仕事の上で直接「人と会う」リスクはない。確かに、「打ち合わせ」で出かけることはあるけれど。
例えば、農林業なんかでは、屋外の畑仕事、山での仕事に感染リスクはほぼゼロだと思う。
ビニールハウスなんかだと、空気が籠るから、一緒に作業をしている人が感染していると屋外よりもリスクは高まるかも知れない。
けれども、不特定多数ではない。

医療現場は、感染リスクがどれだけ高くても、クラスターが発生していない限り医療行為を続けるしかないんだろうな。それは除外して。

ニュースを見ていると、夜のお店でのクラスター発生とかが多い気がした。僕は細かいデータは見ていない。ただ、1万人以上の感染者がいて、少なくとも4割程度は「感染経路」が把握されているとしたら、「感染リスクの高いビジネス」はある程度特定できるのだろうと思う。

パチンコ店。クラスターが発生した「事例」はあるんだろうか。確かに、閉じた空間で、隣の台との距離も近い。けれども、居酒屋との決定的な違いは、会話があるかどうか、ではないか、と言う気がする。多くの人が言葉を発さない、としたなら、あとは、(あれ、なんて言うんだろう、呼び名を知らないけど、)レバー(かなぁ?)っていうか、ボタンっていうのか、その辺の手に触れる部分だけ店がきちんと消毒しているなら、結構感染リスクは下げられるかも知れない。「遊興施設」だから、という理由だけで色眼鏡で見るべきではないと思う。観光地についても、同じことを感じている。

確かに「事例」というか、状況証拠としては、3月の連休から2週間後に、感染者数が増加に転じた。不特定多数との距離が近い機会が増えたから、だと思うが、レベルがそれほど高くないから、「爆発的な増加」までは避けられたような気がする。増加率が小さい。その理由が理解し切れていない。

話の枕が長い。何が言いたいか。業種、業態によってレベル分けすべきだ。その業種、業態ごとに、細かく「注意事項」を規定して、「自粛要請」にしても、「エビデンス」に基づいて行うべきだと思う。
例えば、なんの根拠もなく書くけれど、レベルを1〜4に分けるとして

レベル1: 屋外仕事の農家、作家、プログラマ、家内制手工業の個人事業主、など「出勤」する必要のない仕事、屋外の道路工事や、建築作業
レベル2: ビニールハウスなどでの農作業、道路に面して内部に飲食スペースを持たない対面販売の小売店舗、(視野に、十数人しかいない)観光地
レベル3: レストランや食堂(閉じた空間)、入域制限のない観光地(視野に、百人はいる程度)、スーパーマーケット、高齢者・障害者の介護施設、パチンコ店
レベル4: ライブハウス、居酒屋、屋形船、ナイトクラブ、観光バスによるツアー旅行、医療現場

だめだ、具体例の「例」すら思いつかない。ただ、「会話が多い」とか、「換気の程度」とか、平均的な人と人との間隔、など、細かく条件を抽出し、ビジネスの業種、業態、現場の種類ごとに感染リスクを区分けし、感染事例に基づいて、感染リスクのレベルを分けるべきだ。(エビデンスに基づいて。)

次に、「社会機能維持」の必要性に基づいて、「活動継続」の必要性もランク分けすべきだ。例えば、医療現場など、どれほど感染リスクが高くても「営業自粛」にはすべきではないと思うし、事業継続の「必要性」も、ランク分けすべきだ。無論業界団体などから意見は出るだろうけれども、その「必要性」には「雇用の維持」など、純粋な「感染リスク」などから切り離された、業種業態ごとの状況が反映されるべきだと思う。例えば、「大企業」とか「公務員」などは、「出勤」を抑制しても母体の資産規模のおかげで、すぐには「無給」にはならない。ただ、規模が小さくなればなるほど、「事業を継続」しなければ、生活できない。

「一匹狼の協同組合」なんて表現があって、「協同組合」を作った時点で、「どこが一匹狼だ!」なんて話もあるけれど・・・乳幼児と同じ。体が小さいほど、今回のリスクには弱い。協同組合の代表に、立場を主張してもらうしかない。

NHKのニュースで流れていた。大手元請が工事を軒並み止めた。元々、下請けの都合など考えないのが通例だと思うけれども、その結果として下請け企業の倒産が連鎖的に起きれば、今後はどんな工事も「下請けが見つからない」事態に陥ると思う。結果的に大手元請も、仕事を受注できなくなる。むやみやたらと「コロナが怖い」ではなく、感染リスクの程度を見極めて、事業継続を判断すべきだ。そのためにこそ、「感染リスク」の業種業態ごとのレベル分けや、「リスクを下げるための条件」を、きめ細かく提示すべきだと思う。それをしなかったなら、致命的に、経済活動の構造そのものが破壊されると思う。

今は、観光業も、宿泊業も、ファーストフードのチェーン店も、百貨店も、「不特定多数」を相手にするほとんどのビジネスで、「どのお客様も、感染者かも知れない」想定で動かざるを得ないのだろうと思う。
日本経済が生き延びるためには、「客が感染者であったとしても、必要最低限のリスクでビジネスを継続するために、対策すべきこと」を見極めて、とにかく、全面自粛ではない方策を考えるべきではないか、と私は思う。「正しく怖れよ」という原点に返って、冷静に考えるべきだ。業種・業態・「営業方法」によって、リスクはかなり違う。

不謹慎かも知れないけれども、弱い生き物の捕食行動を思い浮かべた。普段は巣穴の中で生活している。それでも、食べ物を得るためには、巣穴から出なければならない。その際に、自分自身が他の生き物に捕食されてしまう、そうしたケースは、数え切れないほどある。
自分が、他の生き物のエサになるのが嫌ならば、穴倉に籠もって、出なければいい。だけれども、出なければ、餓死する。
今、人類が置かれている立場が、正しくそれだと思う。

「経済活動を再開」する以上は、一定以上の確率で自分が感染し、なおかつ、自分自身や周囲の人間が死ぬことも覚悟すべきだ。動物はその上で「捕食行動」を行う。
大丈夫!その動物も、人間も、「意識体」としては存在し続けて、次にまた肉体を持つ機会があるから。しつこいくらい、書いているけれど。そもそもが、「死んだらそれで終わり」みたいに考えて、「死ぬまでに、稼げるだけ稼いでやる」みたいな、金しか考えない人が増えたから、「誰か」がこの事態を引き起こしたと、僕は思っている、けれど、話題がそれた。元に戻す。

安倍総理には期待できない気がする。利害の調整しかできない人だもの。台湾の蔡総統とか、ドイツのメルケル首相とか、あるいは、ニューヨークのクモオ州知事とか、その辺の方々に、是非、この「レベル分け」とか「ランク分け」とか、さらに、その「レベルとランクの組み合わせ」による「経済活動再開」のための、「注意事項」とか、指標とか、そう言ったものを打ち出してもらって、日本はそれを真似すればいいだけのような、「お手本」を示して欲しい、そんな気がする。
(だったら、日本語で書くな、英語で書けって?いや、そんなことしたら、3倍は書くのに時間がかかるから、いやです。)

自民党の誰かが「(緊急事態宣言を解除するための)出口戦略」とかホザいていた。あの政党の危機感のなさ。頼むから、1年先、2年先の話を持ち出すのはやめて、「今」のことを考えて欲しい。

俺は、もう20年以上、自民党や自民党議員には投票してない。でも、あの人たちがこの国を仕切っている。多数決ですからね。だったら、この国の経済が壊滅しても、そこに僕の責任は一切ないと断言できる。安倍一味に投票した人たちは、責任を感じてください。責任を感じたなら、できることをやってください。

宿泊業

旅行業界の地崩れ的な危機は、もう、避けがたい気がする。なんだか、僕も旅行は好きだし(一緒に行く相手によるけど・・・)是非多くの海外の方に、日本に来てもらいたかったから、残念。

ただ、宿泊業界は「観光客」から、「一時受け入れ施設」としての業態の転換が可能なのかな?行政のバックアップが必要。新型コロナの「軽症」の感染者の滞在先。

これ、英語の語源の話題として結構出てくると思う。HotelとHostel, Hospitalは同じ語源。滞在者を受け入れて、もてなす。人の移動が頭打ちになったのなら、「感染者の受け入れ」のために、何をすべきか、何ができるかを考えて、業態を転換するなり、あるいは、行政側が「軽症感染者の受入施設」を探しているなら、それに応募して、「滞在先」としてのメタモルフォーゼができないのか、とも思う。(すみません、カタカナ語使っちゃった。でも、これが一番しっくりくる。「サナギからの脱皮」みたいなニュアンスも、確かあったと思う。)

コロナだけじゃない。ここから先、都会で仕事が得られない人は数百万人単位で出てくると思う。「実家」があるならともかく、「とにかく、仕事にありつきたい、ネットで見ていたら、この仕事、全然求人が埋まっていないじゃないか」なんていうのを、ネットで見つけて、その土地に移住したいと思う人も出てくるかも知れない。

感染者に移住されたら、怖いですよね。だったら、「我が県に移住したいなら、とりあえず、ここに2週間滞在してください。」ってな、受け入れ先を、(コストがどの程度かかるかわからないけれど、)行政で提供して、その受け入れ先として、観光客が来なくなって閑古鳥が鳴いている「宿泊施設」を斡旋する、なんてことはできないものか。無論、コストは「県民負担」だけれど、その「宿泊施設」には収入がある。その2週間が過ぎた後、どこに住むか。空き家というか、「空洞化」している地区というのは、日本全国、かなりありませんか?このマッチングも、基本的には行政でないとやりにくい気がするけれども、行政が何もしないなら、法律の抜け穴を探して、民間のNGOやNPOがやったらいいと思う。ってか、行政が「財源がないから何もできない」と思うなら、いわゆる「規制緩和」というか、条例を改正したり、法律の抜け穴を公認する「条例」を作ったりして、受入枠を広げるようにして、地方にもっと「人を移す」ことはできないかな?

旅行業。致命的な打撃を受けてると思う。最低でも、一年は覚悟すべきだ。東京オリンピックを計画通り開催したいがために、初動が遅れに遅れた。その最初の2ヶ月の判断だけで、1年以上の影響は出ると思う。(検証する気はないけれど。面倒だから。)だったら、もういっそのこと旅行業とか、観光業には(一時的に)見切りをつけて、東京などの大都市から、受入意志のある地方への、人の移動の斡旋に、業種、業態を転換する、なんてことは、できないものか、と思った。

ただ、それだけ。


どうでもいいけど、タビックスのT さん、ツアーのアテンドをやめて、会社も辞めたって聞いたのは、21年前?かなぁ。パプア・ニューギニアで、ツアーのお客さんから「日本語、お上手ですね。」とか、言われてましたよね。日本人なのに。

パルスオキシメータ・追補

なんだか、専門学校での授業をやってるような気分になって来た。一つ前の話題の追補。

パルスオキシメータは、生体組織の吸光特性を利用しているから、その吸光特性を変化させるようなものがあると、正確な測定ができない。入院した経験のある方はご存知だと思うけれども、医療現場では指先に装着するタイプが多いと思う。その場合、マニキュアなんかを塗っていると、全く正確な数字は出ない。

他にも、鎌形赤血球とか、色々と条件はあるけれども、マニキュアは絶対ダメだと、そこだけ追加します。ここから先は、専門家の意見を聞いてください。

パルスオキシメータ

軽症・無症状者は原則宿泊施設で療養 自宅で急変相次ぎ厚労省
https://mainichi.jp/articles/20200423/k00/00m/040/226000c

自宅療養の場合、保健所が1日1、2回、患者に電話などで体温、せきなどの症状の有無を聞き取り、悪化したらすぐに入院してもらう流れになっている。だが、厚労省が宿泊施設には置くよう求めている血中酸素濃度を測る機器「パルスオキシメーター」を使えないなどの課題がある。

何をコイてんだべ。

「パルスオキシメータ 価格」でググればすぐに出てくる。
https://www.google.com/search?q=%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E4%BE%A1%E6%A0%BC

安いのは、2700円台。高くても5000円しない。
一昨年だったか、専門学校の学生が、文化祭の発表にパルスオキシメータを自作したい、とかいうので、作り方とか説明して、とにかく波形を出すところまではこぎつけた。そこから先は、血中濃度を実測しての結果と係数計算で対比しながら校正テーブルを作らないと数字は出せないから、医療現場とタイアップしないと難しいかも知れない、と伝えた。その時の回路パーツの値段は、400円くらい、だった。ただし、他に、Arduino と パソコンを使ったけれど。組み込み用チップでプログラムしたら、電気・電子部品の価格は全部合わせても500円に届かないと思う。量産品なら、ケーシングとかを除いて(型代が高いだろうな)100円、200円の世界だと思う。だから、民生品として2700円とかで売りに出せる。
それが、「自宅では使えない」?って、何を言っているんだ?買って、貸し出せよ!

っていうか、これだけコロナが蔓延したなら、体温計と同じく、買ったって大したことない。個人で持っていたって、全然贅沢ではない値段だと思う。

「自宅で測ったら、SpO2(血中酸素飽和度)が95%でした」と医者に伝えたなら、間違いなく「即入院」の判断をしてくれると思う。大慌てだと思う。

思えば、オシロメトリックの血圧計が安くなった。2000円台がある。血圧計はエアポンプが必要だけど、パルスオキシは電気部品だけで作れる。需要さえあるなら、パルスオキシメータは1000円台でも売りに出せると思う。

僕は、タバコをやめて安静にしていると、滅茶苦茶血圧が下がる。(昔は、だな。今はかなり高めになってる。運動不足が著しい。)上が70mmHgとか80mmHgとかに下がるもの。さすがに、最高血圧が80mmHgを切ってくると、立ってもふらふらするというか、それでも無頓着な私は、夏場に脱水して、年に1〜2回とか、こういう血圧になってる。で、医療現場で「上が70mmHgを切りました」とか言ったら、やはり主治医が大慌てで飛んでくると思うな。パルスオキシの数字が95%を切ったら、かなりヤバイと思う。普通なら、苦しくて意識が朦朧とするレベルじゃなかろうか。持続的にそうなったことはないから、よくわからないけれども、学生に「喫煙者なんかは、息を止めていると割とすぐにSpO2が下がるよ」と、実演して見せた。今はもう、1分息を止めていたら、すぐに下がるね。(タバコ、止めりゃいいのに。)95%を切ってくると、そこから先は下がるのが速い。7〜8秒くらいで90%を切り、パルスオキシが出す数字は、実際の血中酸素飽和度の数字から5秒くらい遅延があるから、もう限界、っていうところまで息を止めて、それから呼吸を再開すると、90%を切ってからさらに5秒くらいの間に、一気に80%を切り、70%を切り、60%台にまで落ちて、その辺で、5秒前には呼吸を再開しているから、(一応健康なんで)一気に100%近くまで回復する。

なぜ、そうなるか。ニュース報道とか、パルスオキシメータの販売サイトの表現を見ると、「血中酸素飽和度」ではなくて「血中酸素濃度」と書かれているのもあるけど、それは、とんでもなく大きな間違い。
その二つの指標は全く比例しない。医者に、その二つの用語を混同して伝えたら、全く状況が伝わらない、と思う。

健常者の血中酸素分圧が100mmHg程度だとして、その時の酸素飽和度が100%だとすると、酸素飽和度が90%まで下がった時には、酸素分圧は60mmHgくらいにまで下がっている。95%を切ったあたりで、血中酸素分圧(濃度)は80mmHg前後まで落ちているから、「苦しさ」を実感するレベルになっていて、この「濃度(分圧)」と、パルスオキシの出してくる「酸素飽和度」は、比例関係にはなっていなくて、S字カーブになっている。酸素分圧60mmHgは、もう、完全に「呼吸不全」の状態。(でも、飽和度は90%程度)だから、パルスオキシの表示が90%を切った、っていうことは、手当てをしなければ一日以内に死んでもおかしくない(その前に、脳死になるかも知れない)レベルだ、ということになるかも知れない。

「自宅では使えない」どころか、ネット通販で3000円出せば買える。
コロナの蔓延がここまで来たら、パルスオキシも増産してもいいかも知れない。

 

gitの言語設定、顛末記

作ったプロジェクトのrootで、git initのコマンドを叩いたら、こんなメッセージが出て来た。ベトナム語らしい。

Khởi tạo trống rỗng kho Git trong /Users/kobayashi_ikuo/PycharmProjects/HogeMoge/.git/

ベトナム語なんて設定した覚えは全くない。 printenvで環境変数を見ても、それらしき記述がない。ってか、これは git の吐いてるメッセージだ。ならば、gitの言語設定か?

と思って、ググるんだけど、git と「言語」を組み合わせると、言語の方は、javaだのrubyだのpythonだの、プログラミング言語の話題ばかり出て来て、自然言語の設定が探せない。「日本語化」だと、Windows環境の話ばかり。

set LANG=ja_JP.UTF-8
効果なし。

gitにメッセージを組み合わせたら、commitメッセージの設定の話ばかり。メゲた。解決策も、検索方法も思いつかない。どう対処するか。

案1: git からの表示言語の設定方法を探す。一晩でも1週間でも。
案2: 僕がベトナム語を覚える。
案3: 見なかったことにする。

さて、どうしましょ。


$ git –version
git version 1.8.2.3

案4: gitを更新する。

$ brew upgrade git
–> 変わらん。

ググったら、こちらは出て来た。

[Mac] HomebrewでGitアップデートできないエラー => Error: The `brew link` step did not complete successfully The formula built, but is not symlinked
副題: HomebrewでGitのバージョンをアップグレードしたのに git –version で確認するとバージョンが変わらない件

これだ!と思ったら、やっぱり変わらん。

$ which git
/opt/local/bin/git

あれ、/usr/local/bin/gitじゃない。

$ PATH

optが先。usrが後。 /opt/local/binを見る。これがいた。

-rwxr-xr-x 1 root admin 1612160 6 6 2013 git*

/usrを見る。

lrwxr-xr-x 1 kobayashi_ikuo admin 14 4 23 18:16 git@ -> ../git/bin/git

結論。

$ sudo rm /opt/local/bin/git*

を決行!(怖いね、このコマンド)

$ git –version
git version 2.7.1

通った。でも、最新のgitじゃない。半歩前進。 brewしたのは 2.26.2 とかなってる。

でも、とにかく変わったはず。再度挑戦

$ git init .
Initialized empty Git repository in /Users/kobayashi_ikuo/PycharmProjects/HogeFuga/.git/

英語だ。当面、これなら問題ない。でも、明らかに

$ brew link --overwrite git

この結果が正しくない。どうしましょう。

ここで最後に、案3を決行!

案3: 見なかったことにする。

もう、そんなに暇じゃないもの。でも、Qiitaがなかったら生きていけない。

Qiitaのあまたの執筆者様に、深謝。

m(_ _)m

コロナシフト

昼日中からコロナの話題を書くなんて。

3時間目の授業が終わった。オンライン授業初体験。終わってから画像配信を止めて、チャットを開いてもらっていたのをそのままにして、一服してトイレに行って戻ったら、5分経っても「チャット」に質問を投げて、返事を待っている学生が2人いた。「返事が遅れてごめんなさい」と前置きしてから、返事を書いた。

振り返ってみて、明らかに違うのは、普通なら僕が学生の顔を見ながら話をして、自分の話している姿は見ない。けれども、オンラインでは、学生側はミュートにして「挙手」したり「手を叩く」アイコンの表示はできるけれども、顔画像を配信しないから(プライベートな空間が出てしまうから、だと思うけれど)自分の話す顔と、学生の顔の代わりに学籍番号が表示されている分割窓を見ながら、1コマ分話した。ここは、慣れるまでかなり違和感があった。でも、それ以外は、普通の授業とどこが違うのか、なんて思ってしまった。

通常だったら、片道2時間弱かかるから、1コマの授業でもほぼ一日潰れるのが、授業時間だけの拘束、というのも、かなりありがたいかも知れない。そうは言っても、初めての経験で、しばらく惚けていた。すぐに仕事には切り替わらなかった。

木曜日の3限。内村先生とお会いできないのも、ちょっと寂しい。と思っていたら、内村先生がFacebookでシェアしたというメッセージが、メールから流れた。

http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html
コロナ後の世界 – 内田樹の研究室

一気に読んでしまった。それで、こんな昼日中からのコロナの話題のアップロード。

次の一節は、全く笑える話ではないけれど、笑うしかなかった。

一つには、東京オリンピックを予定通り開催したいという願望に取り憑かれていたからです。そのために「日本では感染は広がっていない。防疫体制も完璧で、すべてはアンダーコントロールだ」と言い続ける必要があった。だから、検査もしなかったし、感染拡大に備えた医療資源の確保も病床の増設もしなかった。最悪の事態に備えてしまうと最悪の事態を招待するかも知れないから、何もしないことによって最悪の事態の到来を防ごうとしたのです。これは日本人に固有な民族誌的奇習です。気持ちはわからないでもありませんが、そういう呪術的な思考をする人間が近代国家の危機管理に当るべきではない。

次の一節は、非常に共感。なんとか、「中産階級の没落」だけは防いで欲しい。

コロナ禍がもたらした最大の社会的影響は「中間層の没落」が決定づけられたということでしょう。民主主義の土台になるのは「分厚い中産階級」です。しかし、新自由主義的な経済政策によって、世界的に階級の二極化が進み、中産階級がどんどん痩せ細って、貧困化している。
コロナ禍のもたらす消費の冷え込みで、基礎体力のある大企業は何とか生き残れても、中小企業や自営業の多くは倒産や廃業に追い込まれるでしょう。ささやかながら自立した資本家であった市民たちが、労働以外に売るものを持たない無産階級に没落する。このままゆくと、日本社会は「一握りの富裕層」と「圧倒的多数の貧困層」に二極化する。それは亡国のシナリオです。食い止めようと思うならば、政策的に中産階級を保護するしかありません。

政治に期待できないとしたなら、この「中産階級の保護」を「一握りの富裕層」や「基礎体力のある大企業」に手助けしてもらうしかない、と私は思う。YOSHIKIさんの「寄付」を売名行為だと責める人がいたらしいけれど、結果が全てだ。今考えるべきは、「目的」と「手段」と「効果」だけだと思う。

コロナ禍で、消費が落ち込む一方で、極めて限られた(ごく狭い)医療関係を中心に膨大な需要が膨れている分野がある。マスクの生産もそうだろうし、防具服も、人工呼吸器も、ECMOも。あるいは、通販が多くなれば物流にも人手が足りなくなるし、スーパーマーケットもスタッフの数が限られて悲鳴を上げているらしい。「配達」が増えてくるなら、配送関係への人手も必要になる。

そうかと言って、恒久的な雇用は難しい。だとしたら、例えば(暴論だけど)スーパーマーケットと、パチンコ屋とが「事業提携」して、パチンコ屋は、スタッフをスーパーに「派遣」して「雇用」を守り、スーパーマーケットは、保育園が子供を預かれないことで足りなくなっているパートさんの数を補う。コロナ禍が収束したら、提携解消してそれぞれがまた、元の状態に戻ればいい。こういう乗り切り方は、できないものかと思った。もっと大胆に、「居酒屋」から、「後継者のいない田畑を持つ農家」に人を派遣するとか(その地域で閉じている形でないと、今は難しいかも知れないけれど、)とにかく、今まで「人が集まらない」と言われていた業種、業態に、「この状態が1年も続いたら、廃業だ」という業種、業態から、「時限付き」で人を斡旋して、とにかく雇用を確保する。何か、こうした方策は取れないものかと思った。

下手な鉄砲です。乱射してます。乱暴な議論ばかりだけれども、僕は、アイディアの「質」ではなく「手数の多さ」でやってます。

引用元の冒頭の一節。

「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。

僕は、僕自身の立ち位置でしか言葉にできない。「環境負荷」を可能な限り抑えたシステムの構築が必要だと思う。資源の浪費ではない、としたら、生産と消費が可能な限り物理的に近い状態が望ましいに違いない。

可能であるならば、「コロナ禍」への対策が、同時に、「コロナ後」の世界への移行プロセスを兼ねられて、経済活動の萎縮を可能な限り防ぐ、そうした議論がそろそろ出て来てもいい頃ではないかと、僕は思う。僕は「コロナ後」の「あるべき姿」についても、書き続けたい。新型コロナは「目的」があって我々にもたらされたものだ、と思うから。

同時に、忘れてはならないのは、「独裁」を防ぎ「民主主義」を守るためには、一人一人の行動と発言が何よりも大切だ、ということだと思う。引用元の文章にも、その話題があった。そして、「一人一人の行動」で、今現在最も大切なことの一つが、”Stay home”なのかも知れない。

人間関係

新型コロナ 軽症で自宅待機の50代男性死亡 埼玉
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200422/k10012401031000.html

自室で死んでるのが見つかるケース、なんて、昨日書いたばっかりの気がする。展開が速すぎる。
このケース、増える気がする。同居する家族がいると、感染させまいと苦慮するにしても、気付いたら死んでたなんてなる前に、たぶん、救急車を呼んでもらえる。(日頃のDVの逆襲で、放置されたりなんかして。)ただ、一人暮らしだと、とにかく病気は心細い。

ただ、一番心配なのはこちら。

年間8万人も! 行方不明者どこに消えるのか
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/152005

30代以下が半数以上。住民票から辿れないのか、とも思うけれど、転出先に届け出ない、いわゆる「住所不定」だろうか。
ということは、「住民基本台帳」に名前がないはずだから、10万円は受け取れない。何らかの理由で、実家に戻りたくない、なんてことがあるんだろうか。こういう人たち、案外、夜の仕事なんかも多い気がする。(先入観ですが。)その夜の仕事は、申し訳ないけど、感染拡大防止には協力してもらいたいし、そうなると、行き場もない、逃げ場もない、収入もない、となる。

サラ金は、それなりに身元確認をしていると思う。闇金については、知らない。牛島くんシリーズみたけど、細かいところは忘れた。
生き延びるために、サラ金、闇金から金を借りても、長引くから返済は難しいと思う。ハローワークなんかは、住民票なんかの確認をするんだろうか?した方がいい?しない方がいい?それすらも、よくわからなくなってくる。
生き延びるために、オレオレ詐欺のような闇バイトに流れる、そこまで開き直れずに、気力をなくしたら、感染していなくても家で餓死するしかなくなる。この日本で、このケースが激増するとしたら、やはり、日本ってどういう国なのかと思ってしまう。
詐欺でもなんでも、とにかく生き延びろとは思う。

今は、地方でも、とても都会からの人口の流入は受け入れがたい。
感染のリスクさえ考えないのならば、一次産業でも、配送の仕事でも、地方で受入可能な職業は結構あると思うし、住居にしても「空き家」は日本全国に相当な数あるはずで、行政が、何らかの形で(法的根拠を持って、)空き家の「住」と、「職」を斡旋できればいいのに、と思うのだが、今は動けないだろうなぁ。というよりも、今動けないなら、おそらく1年近くは今に近い状況が続くような気もする。

このコロナ禍で、「都会にさえ出ていけば、何とか適当に一人で暮らせる」という理由で、安易に「失踪」するケースは減るかも知れない。どれくらい減るか、来年、失踪者の統計をみてみたい。ただ、既に出て来ちゃって、大都市(たぶん、東京、大阪だけではなく、福岡とか、仙台とか、新潟とか、そのレベルまで含めて)に流れ着いて、住民票を移さずに生活していたような人が、毎年8万人分×数十年分、いるような気がする。全員が大都市とは限らないけれど。

こうした方々の孤立死、洒落にならない数で増えそうな気がしてならない。

しつこい位書いているけれど、「人生は一度きり」じゃない。確かに、今回の人生は今回限りで、2度と同じような人間関係も持てなければ、2度と全く同じ経験はできないんだろうと思う。今回の人生で知り合った人で、今回が最初で最後、なんていう人も、結構いるかも知れない。そう考えると、「一度きり」のような気もするけれど、自分という人間は、普通は、また何百年後かに肉体を持つ。

周囲の人と人間関係を持つのは、面倒臭い。もういいや、死のう。そうやって死んだら全てが終わりだと思ったら大間違いで、おそらく、今生きている多くの方々が、今回のコロナ禍なんてチョロいくらいの経験をされて来ているはずだと思う。それなのに、前回も逃げた。今回も逃げる。それだと、全く進歩がないとは思いませんか?せめて、「もしかしたら、次もあるかも知れない」くらいの可能性は考えてもらえないものか、と思う。

行政は冷たいかも知れないけれど(地方に来ると、なんとかしたくても財源がなくて何もできない、感じかも知れないから、冷たい訳じゃないかも知れないけれど、(僕には、広島県知事を責められない気がする。))NGOとかNPOとか、救いの手を差し伸べようとしてくれる方々は、たぶんいる。この際だから、闇バイトでもいい、とにかく、新たに「人間関係」を模索して、生き延びて欲しい気がしてならない。

無題

イスラエル・ネタニヤフ首相、続投へ 与野党が連立合意
https://www.asahi.com/articles/ASN4P2SHNN4PUHBI001.html

政権合意は、中東和平をめぐって、パレスチナ自治区の一部であるヨルダン川西岸のユダヤ人入植地などについて、イスラエルへの併合に向けた法改正の議論を容認する内容となった。パレスチナ自治政府のシュタイエ首相は「2国家解決の終わりを意味する。国際法に基づいたパレスチナ人の権利を奪うものだ」と反発している。

これ、ヤバイんじゃないかと思った。
同じニュースが、時事通信や日経の記事で、Googleの検索トップに出ていたけれども、パレスチナ問題に触れたのは、NHKと朝日だけだったかな。

日経や、時事通信の視点は、イスラエルの動向そのものなのかも知れない。
僕の視点は、日経とも、時事通信とも、朝日とも、NHKとも違う。
いいじゃない、「多様性」ということで、こういう訳のわからんことを書く奴が一人くらいいたって。

去年の10月あたりから、地球そのものが「人類排除」にかかっているような気がした。厳密に言えば、人類を滅ぼすということではなく、限りなく「警鐘」に近い実力行使のような気がする。

その気があったなら、とっくに地球は「人類のいない星」になっていたと思う。過去に何度となく、「文明なるもの」を消滅させる騒ぎはあって、その都度文明の足場を奪われて、知の継承すらできなくなり、原始的な生活から再生せざるを得なくなった、その何度目かが我々なんだろうと、私は思う。例えば、今、通信媒体も、紙も、何らかの理由で一気に失われたら、親は子供にどうやって「知の継承」を行うか。それが、何世代か続いたら、原始生活が人類のスタンダードになると思う。そうなって欲しくないから、書いている。
今でも、色々と「伝承」は残っていると思う。「摩訶不思議な痕跡」は、いくらだってある。エジプトのピラミッドにしても、ナスカの地上絵にしても、それらについての「師匠の解説」を、僕は書かない。書いたって、「何言ってるんだ、こいつ、変な宗教にハマりやがって」がオチだと思うから、書かない。けれども、時系列に並べての辻褄はきっちりと合っている。プログラマ的な判断ですが。

いいですよ、世の中論理じゃない。サラリーマン時代、社長に「こうやれ」と言われたもんだから、思わず社長に「社長、それは物理的に無理です」と答えたら、「そんなもん、言い訳にならんがや」と一蹴されたことがあった。確かにね、発明とか、発見とか、そういうブレイクスルーを簡単に作り出せれば「絶対に不可能」とは言いませんが・・・。「物理的に無理」にも、色々とあって、・・・って、私、何の話を書いていましたっけか?
いいや、私なりの「論理的整合性」とか「緻密さ」とかで判断して、それを他人に伝えても、結構「一蹴される」ことは多かったから(伝え方の問題か、枕が長すぎるとか、)人類史の話は忘れてください。(ってか、もっと訳のわからない話題に突入する。)

地球がどういう意識体か、師匠の講演会で色々と伺っている。ただ、この段落に書くのは、私個人の見解。師匠の講演会に参加している我々自身の「意識」は、何かと上からも見られているようで、要するに、僕らが考えていることは、ほぼ全て上に漏れているんだろうな、と、そんな気がしている。相当に、色んなことがバレてる。ということは、僕らが日常見聞きしている多くの出来事も、僕らが意識した時点で、上に伝わっている、ということかな、と思う。
要するに、僕らは、師匠の講演会に参加し、上の方の意識がどんな思いなのか、そんな感じの話題を聞きながら、実は、かなり詳細を明確に伝達するアンテナというか、プローブの役目を果たしているのかな、なんてことを、昨年辺りから考え始めた。加えて言えば、今はもう、テレビのニュースに、You Tubeに、膨大な量の「詳細情報」が世界規模で伝わって来ている。それら全てが、おそらくは、地球意識にも伝わっているんだろうか、なんてことを思った。

平和に共存する生き方を模索しろ、と、それはある意味で「至上命題」だと思う。殺し合うなんて、論外。要するに「武力」に頼る発想を人類が持ち続け、それが、やれ、宇宙戦争だの、宇宙軍創設だの、そこまで来たら、もはや「我慢の限界」ということだと、僕は思う。

地球と我々の関係は、私たち自身の意識と、私たちの体の細胞の関係に似ていると、私は理解している。私が私の体の細胞に、感謝の思いを伝え、「間違った意識」を持たない(かなり細かいから、具体的説明は割愛)限りは、少なくとも「原発性」の病気にはならない。他人の意識をほとんど読んでしまう人は、他人の意識のおかげで病気になるみたいですが。ところが、体の細胞が勝手に、僕らの意識を無視して、リンパ液を勝手に燃やすわ、カルシウムは勝手にあちこちで結晶化させるわ、イスラエルみたいに浸潤性の増殖を果てしなく続けるわ、それを僕ら自身が自覚した時に、僕らは自分の体にどんな措置を施すだろうか?今、その「措置」に取り掛かられている、という自覚を、どうか持って欲しい、と思う。私は私自身の責任で、私自身の言葉として、これを書きたい。万が一、表現に誤りがあったとしても、それは師匠の講演内容を「解釈」した私の誤りで合って、全て私の責任。

安倍総理が、「武器輸出三原則」を閣議決定だけで破棄した時に、僕は、猛烈に反発した。相当な勢いで言葉を書いて投げつけた。たぶん、届いていなかったんだろうと思う。結局、なし崩し。それ以来、一貫して「武器輸出、アメリカの軍事支援」の立場で動いている。もういい。今、蒸し返したけれど、そういう安倍総理を選んだのは日本人だから、日本人全体がそれなりの責任を負うべきなんだと思う。これ以上、蒸し返すのはやめよう。

ロシアのプーチンさん、あの人、習近平とはかなり「色」が違う気がする。(なぜ、一方を呼び捨て?)微妙だからなぁ。ロシア人の責任、中国人の責任。民主主義国家でなければ、国民に責任はないはずなのに、なぜ?そんなもん、あたしにゃわからん。どういう意図があるかはわからないけれど、極めて「合目的的」であることだけは、間違いないと僕は思う。なんてことを書いても、「宇宙軍」の軍拡競争は、このコロナ禍の下でも着々と進められるんだろうか。できることならば、僕は、その状況を極力正確に、全部、上の意識体に伝えたい。(できることならば、ね。たぶん、できないけど。勝手に見られる分には、どうしようもないけれど。)

上から下まで、全ての人が同じ責任を負っている、とは思うけれども、影響が大きいのはやはり、地位が上の人か。やはり、いちばんわかりやすいのは、トランプだろうと思う。アレが何かをいう度に、共鳴して「アマゾンを焼き払って、何が悪い」とか、「石炭輸出にギャーギャー騒ぐなら、援助を止めるぞ」とか、そういうことを言い出す国家元首が現れる。そして、最後に、そうした国家元首を選んだ国民が、その責任を負う。わかりやすくて、いいじゃない。「いいね」を一つ。

じわりじわりと、周辺に「植民地」を広げていく「浸潤性」。世界中のユダヤ教徒が、イスラエルを支持しているんだろうか。「全身転移しやすい。」軍事力があって、「浸潤の速度が速い。」

毎年、臨床工学技士国家試験の直前、ポイント整理をやっていた。
「悪性腫瘍」と「良性腫瘍」の違いは、なんでしょうか。「膨張性ではなく浸潤性」「速度が速い」「全身転移しやすい」イスラエルじゃん。地球全体がイスラエル化したら、人類は滅びるね。

ここのところ、ずっと、コロナにトラップされてる。その割には、この話題は、コロナから離れたな。今後1ヶ月、とにかく重点的に「守る」ことが必要なのは、一般の医療機関と、高齢者福祉施設か。これって、書きましたっけか?僕はそう思う、っていうだけですが。
これ以上、コロナを拡散させないためにも、産業界も総力を上げて、消毒薬、防護具を末端まで(小さなクリニックまで含めた)医療機関に送り届けるべきだ。全世帯にマスク2枚なんかよりも、遥かに効果があると思う。(ついでに言えば、体温計の電池。LR41が絶望的に、どこにもない。僕は近所の店の店頭で見ただけ、ネットで検索しても「在庫切れ」ばかり。実態はどうなんだろうか、これ以上調べる気はないけど。国内生産していないのか?医療現場で使われている体温計の電池、あるいは、パルスオキシメータの電池(こちらは、単3とかか?)。現場で、体温を測れなくなったら、結構大変だと思う。ある程度寿命があるものだから、急には必要ないとしても、増産すべきだと僕は思う。長期間にわたっての需要が大きい。)

漏れがちなのが、高齢者福祉施設。予算が少ない、ギリギリの人数でやっているところが多いから、受け入れるために、スタッフ一人当たりが担当する高齢者の数が多いところもあると思う。ここにも、重点的に、消毒薬やマスクなどを届けるべきだと思う。

外れて欲しい予想だけれども、小規模な医療機関や、高齢者福祉施設が7割以上を占める形で、全国で、クラスターが数十〜百近く、1ヶ月以内に発生すると思う。そこを感染源として、クラスターが発生した医療機関、高齢者福祉施設を中心に、その地域で二次感染、三次感染が起きる。

もう一つ、既に、感染したり、あるいはしていなくても「孤独死」している/しかけている若年層や、高齢者の「独居者」が、結構な人数いると思う。「生活保護を申請する」とか、「行政に頼る」とか、そういう発想を持たない、地域との繋がりも持ちたくない、そういう「独居者」(中年でもいるか)が、大都市ほど、少なくない気がする。何を求めて都会に出たのか。
地方でもいると思う。なんてことを書くと、民生委員のIさんなんかには、「やめてよ、そんな話を振るのは!」なんて怒られそうだ。

よく言う、ネットカフェ難民とか、路上生活者とか、必ずしも教育水準が低い訳じゃないと、僕は思う。要するに、周囲と噛み合わないんだわ。だから逃げる。逃げた結果の、ネットカフェとか、路上生活だと思う。
「仕事がない!」と、死にかけてる人たちに、仕事を与えたら?きちんと防護服を提供し、1日程度の簡単な教育を施して、「PCR検査の検査員」とかに雇ったらどうでしょうか?医療職でなければできない?それは法律の問題でしょ?員数が確保できない、一方で仕事がない人がいる。「再教育」して、1日で「臨時PCR検査員認定講習修了証」とかを発行して、手伝ってもらう。そういう方策って取れないものか?要するに、ミスマッチング、なんだ。

あれこれ、思うことが再現なく湧いて出て来て、止まらない。とりあえず、昼間は仕事になってる。
どうせ、また夜になると、このコロナの話題にトラップされる。いいです。とことん、付き合う。
もちろん、読み手の皆さんは、僕に付き合う必要はありません。

僕と付き合ってください。「あなたには、もっといい人がいると思います。」そう思って読まないとか、「馬鹿いってんじゃねぇよ」って、一言で、ぶった切るか。
あ、読まなかったら、この段落まで、来なかったか。
どうも、お付き合いさせてしまって、大変申し訳ございませんでした。

ってか、僕のはWEBサイトだから、マスコミと違って、読んでるのは僕のページに訪ねて来て、開いた人だけじゃない?僕の責任じゃない。

何てことを書いてるんだ。ごめんなさい、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いんです。

本当に、毎度毎度、長文だねぇ。この文章全体の主題を、1文字でまとめられなかったものか。

あ!

Gem::ConfigMap is deprecated

なんか知らないけれども、atomをインストール後、

rails new sample

で、突然VMwareが固まった。仕方なくて VMwareの強制終了。

一旦、Mac自体を再起動して、VMwareを再起動。そうしたら、ログインできなくなった。パスワードエラー。こんなことって、あるの?

念のための、途中までセットアップ済みの仮想マシンから、作業をやり直し。

今度は

sudo gem update –system

をやめた。これを実行すると、2.7.6 –> 3.1.2になる。これをヤメて、gemは 2.7.6のまま。他の作業は通常通りにやったら、Warning が全部消えた。やれやれ。

良かった・・・問題は、 rails new がうまく動くか、だ。
gem自身 のバージョン情報が、何かおかしいみたい。ruby を 2.5.0に戻そうとしたら、そんなのないって蹴られちゃったし。これで行くか。

pythonは一切問題なし。pyenv はいいとして、最初、gemではなくて rbenvを疑ったので、rbenvはなし、でセットアップノートを書いた。

いいか、これで。


>> そうしたら、ログインできなくなった。パスワードエラー。こんなことって、あるの?

わかった。キーボードレイアウトを日本語に切り替えるために、日本語環境をセットアップした。そうしたら、フォントも、フロントエンドも一緒に入って来た。もしかしたら、パスワード入力の場面で、カナ漢字変換モードになってしまっていたかも知れない。

あ〜、せっかちで、短気だから、「ダメだ、壊れた」と思って、削除しちゃったよ。

でも、どっち道、Warningは山のように出ていて、updateは簡単なのに、downgradeは面倒だから、これで良かったのかも。


追補の追補

同じところで、再び固まった。

Installing sassc 2.3.0 with native extensions

と、思ったら、3分位固まった後、再開。何なんだろう。念のためググったら、 Qiitaに書き込みがあった。

Rails new したらこんなメッセージが表示されたので、調べてみた
1.【chromedriver-helper is deprecated after 2019-03-31.】
2.【Ruby Sass has reached end-of-life and should no longer be used.】

長いタイトルだ。そぉか。わかりました。

tzinfo-dataの記述をコメントアウトしたら、Warningも全部消えた。

本当に、4月と9月は、obsolete と deprecatedに振り回されてます。

もう本当に、ネットに情報を上げてくださる方々、深謝いたします。

m(_ _)m

ちょっと見ない間に・・・

恒例の授業教材更新。rails 2の時から、毎年やって来て、現在rails 6。

昨年9月、秋学期の時はすんなりと準備できた。ただ、僕が用意したVMwareの仮想LinuxマシンをUSBでコピーしてもらう、という「緊急退避」ができたので、まだ「困る」ことはなかった。今回USB配布はできない。ただ、3.89GBですからねぇ・・・USBで配れない、としたら、Google Driveに上げちゃっていいものか

念のため、setup note.txtを用意することにした。ところが、

gem install rails

で入って来たのはRails の 4.X。何だ?

gem install rails -v ‘5.2.1’

で、強引に5を入れようとしたら、出るわ出るわ、deprecatedのメッセージに、とどめは懐かしいnokogiriのエラー。

擦ったもんだして、ググりまくって、ruby-devを追加インストールし、なんとか入ったら

Rails 6.0.2.2

秋学期の時は、すごく楽に入ったのに。しかも

/usr/lib/ruby/vendor_ruby/rubygems/defaults/operating_system.rb:10: warning: constant Gem::ConfigMap is deprecated

これが大量発生。Warningだ、Errorじゃない。でもなぁ・・・この画面を学生に見せる?

今年から、二刀流。 ruby on rails と python / django。どんな展開になるか。欲張りすぎて、要点が伝わらないことは避けないと、と思うが・・・ python /djangoだけにしようか。

自分がセットアップするのなら、まだいいとして、学生にこれをやらせる。その場で画面を見れば、コマンド一つで解決できる問題でも、スクリーンショットをメールで送ってもらって、とか、やはり、教室でないとやりにくい作業が多いからなぁ。

いきなり憂鬱になった。Python / djangoのsetup noteも、英語に書き換えないと、っていうか、バージョンが上がってるから、全部チェックし直さないと・・・

スッゲェ、やること多いじゃんか。何のんびりしてたんだろう。

拒絶

今日もNHKのニュースでやっていた。
看護師の子 保育園が拒否 医療関係者への差別や偏見 各地で
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200418/k10012393931000.html

私の理解では、これこそが新型コロナの本質的な原因だと思う。

私はトランプを非難しているけれども、一番影響が大きいから真っ先に非難しているだけで、私自身も含めて人類のこうした「拒絶」の意識が、不快でならない方が、再三にわたって警告を投げて、ついには、警告から排除に移った、と私は理解している。

僕も、医療関係者じゃない。医療機器は関係したことがあるし、その立場で医療関係者の卵を教えたことはあるけど。
ただ、あの人たち医療従事者の「清潔」とか「不潔」の概念は、一般人とは全く異なる、ということは知っている。「清潔」は医療現場でのイロハの「イ」だと思う。手術の前には、手術に使う機材はもちろん、滅菌された手袋の下の手まで、念入りに時間をかけて(それも、十数分というレベルで、手を洗い続けて)消毒する。

臨床工学の学生は、病院実習で人工心肺装置を扱うオペを見学する。初めて生身の体を切るオペを見ると、貧血を起こしたり、失神する学生もたまにいるようだ。ある臨床工学の技士長さんに言われた。「倒れてもいいけど、前に倒れて『清潔』(滅菌済み)のものに触れられると、滅菌のやり直しになるから、後ろに倒れるように突き飛ばすからね。」冗談かと思っていたけれども、どうやら冗談じゃないらしい。それくらい、「清潔」には神経を使っている。
こういう部分は、テレビのドラマなんかじゃ扱われない。地道な作業だ。

無論、感染症となったら今度は自分自身が危険に晒される訳だから、さらに神経をすり減らして仕事をされているに違いないと思う。自分が感染しない、ということは、自分が感染することによって他のスタッフや患者に感染させる、そのリスクを回避する訳で、ただ単に自分自身を守るだけではなく、やはり最後は患者のために、相当に神経を使って頑張ってる。と私は理解している。

そういう苦労を、全然察することもしないで、感染もしていない看護師の子供を「拒否」っていうのは、あちこちで非難は出ているけれど、やはり、人間としてどうかな、と思った。

冒頭に書いた。トランプは、「アメリカ・ファースト」を口にしたけれども、「ファースト」ということは、二番目に相手のことを考えるのか、と言えば、全然そんなことはなくて、あくまで「交渉」を成立させるために必要最低限の譲歩をするだけであって、実は相手のことなど全く考えていない。だから、本音は「アメリカ・ファースト」ではなく「アメリカ・オンリー」だと、私は感じている。アメリカ以外の利益の全てを拒絶している。加えて、金のためなら自然環境をどれだけ汚そうが一切気にしないと、そう解釈できる言動を繰り返していた。
真に「アメリカ・ファースト」であって、次には相手のことを考えるという姿勢ならば、それは国家元首の姿勢として至極当然でもあるし、なんら非難されるべきことではない。私はそう考えている。ただ、トランプの場合には「アメリカ・オンリー」が本音だと思う。

ただ、どうやらそうした発想の人間は、トランプだけではないようだ。この保育園の関係者も、トランプと大差ない。念のために書いておけば、「アメリカ合衆国の大統領と大差ない」と言ってるんだから、決して悪口を書いている訳ではなく、褒められていると思っておいて下さいな。

あたしゃ下賤の民ですから、上位の意識体の考えることなど、とうてい理解が及ばない。ただ、我々人類などよりも遥かに合理的で合目的的な判断をされているように感じる。大震災も、ハリケーンや台風も、そしてこの新型コロナの感染も、「目的」があって起きた、と私は理解している。

しばしば、「この新型コロナとの闘いに人類が打ち勝ったなら」なんていう表現を聞くけれど、戦って勝てる相手じゃないと思う。火山の噴火と喧嘩しようってのに似ている。仮にその「目的」が理解できたとしても、僕らにできることは、被害を最小限に食い止めるだけ。防災が無理でも減災なら可能かも知れない。それだけだと思う。その「被害を最小限に食い止める」ために、必死で働いているのが医療関係者だから、サポートするために、「自分に何ができるか」を考えたなら、医療関係者の子供をむしろ積極的に預かる気がする。

誰かのために、自分のできることをする。それは、第一義的には、「自分の心」を守ることになるんだろうと理解している。そして、副産物として、例えば、医療関係者の子供を預かることで、医療関係者の方々が社会全体への感染拡大を食い止め、翻ってそれが自分自身の感染から自分の身を守ることにもつながる。第一義的の方は、別に信じてもらえなくても構わないけれど、この「副産物」の方は、ちょっと考えたらすぐに合点がいくんじゃなかろうか。それすらも、理解できない。ただ目先だけ、「自分オンリー」に走る。それが結果的には自分の首を締める。何かと言えば他人を拒絶する。その「人類の意識」が、どれ程上位の意識体にとって不快か。想像できないかなぁ。

こうして新型コロナに「解説」を加えることが、師匠の言葉に接している自分にできること、かなと、思っている。大地震も、コロナも、全部「解説付き」ですからね。
「目的」があって生み出されたものだとしたなら、その「目的」が果たされたら、早晩に収束するかも知れない。では、その「目的」はなんなんだ、ということになるんだろうか。
自分のことしか考えられない生き方の人が、普通に生活していて、実は他人の立場を考えることで自分の人生すら豊かになる、ということに気付いて腑に落ちるまで、何千回も輪廻転生を繰り返すらしい。今回、コロナ禍に「解説」をつけることで、多少なりとも、「目的」が達成されて、早晩にコロナ禍が収束してくれたらいい、とは思うんだが。

ぶっちゃけ、モーゼ様に、イエス様、ムハンマド様、ああした歴々たる方々が教えを説かれても、その挙句の現状だから、私なんかが何を書いたって、きっと通じない、そんな気はしている。ってか、私が今やってることに意味がある、なんて、どんな自惚れだよとも思う。
それでも、今自分にできることをやる、としたら、この程度の「解説」の伝え書きが、精一杯かな、と思った。そう思ったから、書き続けている。
加えて、もし間違っていたら・・・。

早く、自分の「仕事」100%に戻りたい。

LR41

こういうご時世なので、一応自分の平熱を知っておこう、と思って体温計を探し、引っ張り出したら、電池が切れていた。

仕方ないので買いに出た。コンビニに・・・ない。ヤオコーに・・・ない。100均でもない。3カ所回って諦めた。明日、別のところも回ってみようか。でも、念のためだからなぁ。不要不急っていう訳じゃないし。

おそらく、電子体温計、どこのメーカーも似たようなスペックで、同じようなボタン電池を使っているから、もしかしたら、どこへ行ってもLR41が切れていた、っていうのは、この「電子体温計需要」なんだろうか。だとしたら日本人って、真面目っていうか、なんというか・・・。マスクの入手は、もう諦めてる。とりあえず、2枚をずっと洗って使い回し。消毒薬も手に入らない。体温計は電池切れ。
よく分かったよ。自分の体力を信じて、体温は計らんし、手は石鹸で洗う。マスクもずっと使う。仕方ないでしょ。そう言えば、アトピーと花粉症で、マスクを箱単位で持ってる人が身近にいるけど。学校で授業が始まったら、頭を下げて、新品をいただくか・・・。

アメリカがすごいみたいだ。「仕事をさせろ」ってか。ニューヨーク以外でも感染爆発が起きるのは時間の問題だろうなぁ。特に共和党の州知事のところ。1ヶ月後にどうなるか。

究極の2択なんだろう。「仕事にならないから、金がなくて食うに困って死ぬ」か、「それなりに経済活動を続け、その結果感染者数が減少せず、医療崩壊から感染しても高度医療を受けられず、死ぬ」か。後者はすぐには訪れない。前者の方が直近の問題として切実だから、デモが起きた。国民性の違いか。
今日のNHKニュースで、23歳、仕事がなくてネットカフェ寝泊まり、という人と、連絡が取れなくなった、と言っていた。多分、闇バイトで、詐欺の受け子とか、そういう方に流れたんだろう。表立って騒がずに、そっちに走る(たぶん)。日本的だなぁ。あの手の詐欺が多いのも、国民性か?

韓国や台湾で、封じ込みに成功しつつあるみたいだ。新規の感染者が確認されない状態が2〜3週間続き、あるいは1ヶ月続いたら、経済活動の完全解禁が可能になるに違いない。ただ、緊急事態の解除が早過ぎれば、すぐに再燃する。どうなるか、注視したい。成功のモデルケースとなって欲しい。手本があれば真似ることができる。

同じように「新規感染者がゼロになった」と主張している国もあるけど、国が情報操作しているとしたなら、あまり信用できない。武漢の封鎖解除が早過ぎたのか、適切だったのか、これも2ヶ月後にははっきりした結果が出るんだろうと思う。同時に、数字の操作があったなら、それも結果として暴かれる。

リーダーシップは異なるけれども、トランプの場合には独断専行で、安倍総理の場合には優柔不断で、結果的にどちらも「経済優先」の選択肢を取っている。日本では「外出禁止」ではなく、「自粛の要請」に留めているから、経済活動の「息の根」は断たれていない、けれども、その結果として感染の抑え込みは不完全になり、結果的にこの「停滞状況」が1年とか2年続くことになるんだろうか。日本はある意味で、「仕事がなくて金に困って、死ぬかも」知れない状況が、じわりじわりと長期化しつつ、「医療崩壊も防げずに、高度医療は受けられない人が多く出てくる」ような、「両方取り」の状況を作りつつあるような気もする。
状況によっては、動きを封じるならば、罰金を伴うなどして、一気にやるしかないかも知れない。フランス方式というか、「外出の理由」を記入した書類を携帯し、それが適正でなければ罰金、みたいな厳しい措置を取らなければ、V字回復に転じる「底」に到達するまでにかなり長い時間がかかる気がする。中途半端な気がしてならない。真綿で首を絞めるように、じわりじわりと、医療崩壊のレベルが高まって来る。「短期決戦」は徹底しなければ、「長期化」すると思う。結果的に、「両方怖い」ために「両方」のリスクが高まっている気がする。

ただ、東京都の「新たな感染確認」の人数の推移が、思ったより低水準に抑えられている。2週間前に僕は、今日の新規感染者数が850人から1000人位、と書いたように記憶している。今のところ、かろうじて200人を超えた日があった程度、というのは、「想定外」に持ち堪えている気がする。日本全体でも「前日比+177」というのは、かなり「結果の出ている数字」かも知れない。これが、「日本人の生真面目さ」によるものだったら、今のような「自粛要請」だけでもいいのかも知れないけれど、気を許せば増加に転じるかも知れない。

このサイトから

https://gis.jag-japan.com/covid19jp/

日別増加数は、明らかに減少に転じてはいる。この数字「頑張って、今の自粛を続けましょうよ、きっと良くなる」という読み方は、確かにできる。ただ、アメリカに見られるような「我慢の限界を超えた」騒ぎになったら、元の木阿弥かも知れない。

今週、法政大学の大学院で今年最初の授業。最初の1回は大学で行う(のかなぁ)として、オンライン授業になるかも知れない。現時点での予定では、5月11日には、池袋の専門学校で、今年最初の授業。5月頭からの「緩やかな、規制解除」が、裏目に出ないか、かなり心配は心配だ。

この先、「正しく怖れよ」という姿勢で、「経済も、命も」という模索が必要になるのかも知れない。綱渡りだ。「大多数」が自覚して行動できるなら、両立はできるのかも知れない、その一方で、「一定水準」以上が無自覚に行動するならば、かなり強権的な「禁止」的な措置を取る必要があるとも思う。結果次第か。

いずれにせよ、あれですね、日本人の「国民性」がダメダメなら、「自粛」ではなく「罰金を伴う外出禁止」くらいやらないと、封じ込めはできない。「体温計」を用意して、自分の健康に留意しよう、くらいの意識の高さがあれば、もしかしたら、イケるかも知れない。

昨今、「都道府県を超えての移動を自粛してください」となっている。ただ、頑張って、もし今月中に日本全国の「新規感染者数」が二桁に落ちたら、地方で都心からの「移住」の受け入れも考えるべきではないか、という気がする。確率的には、かなり低下した数字だと思う。

若い人も、都会とか、繁華街なんかでの接客業、大都市でのオフィスワーク、などばかりに目を向けずに、地方での一次産業、二次産業に目を向ける人が、一人でも出て欲しい。都道府県を超えてのハローワークなんかの連携、というのは、考えられないものだろうか。行政がやらないから、NGOとかNPOが頑張らざるを得ない。日本全国の経済活動を均衡させるべきだ。同時に、うちの町でも結構見られるけれど、「空き家」対策。なんとか斡旋して、移住者の受け入れを、どこかの段階で企画できないものか。心配なら、体温検査でも、ウイルス検査でもしたらいい。なんだか、そんなことを思う。林業での受け入れもあると思うな。きっと、大都市の「花粉症」の方々からは感謝される(かも?)。

NHKのこのサイト

医療崩壊の危機迫る
新型コロナ対応のベッド数と入院患者数データ

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/medical/?utm_int=detail_contents_news-link_001

新型コロナ対応のベッド数が、三重県、香川県、佐賀県で24。今後長期的にどうしていくのか、というのは、今言っても仕方ない。日本全国、どこに行っても同じような医療サービスが受けられる「均衡の取れた」施策というのが求められる気がする。やっぱり、都道府県ごとの「財政規模」に依存するんだろうかなぁ。その根幹にあるのは、やはり人口分布の不均衡だろうか。

日本人の悪い癖。喉元過ぎれば熱さを忘れる。大都市一極集中の弊害、今のところ、首都封鎖には至っていないけれども、(言わせて貰えば、3.11に台風、新型コロナ、さらにまだ次も想定すべきだけれど、)うちの会社はここ、と、地方に転出して「企業城下町」を作ったらどうなんだろうか。雇用も均衡させる。

過去、1ヶ月、重点的に絞ったのはおそらく「夜の接客を伴う飲食店」だったと思うし、その効果が出てきている、という気がする。これは気を許せば、再燃すると思うから、日本全体での「新規感染者ゼロ」が1ヶ月とか続けば別として、そうでないなら、やはり半年くらいは続けざるを得ないんじゃないだろうか。

さすがに3月の連休での「気の緩み」に懲りて5月のゴールデンウィークでも、きっちり「自粛」できるとしたなら、今後1ヶ月、最も警戒すべきは、「中核ではない医療機関、自営業的な病院やクリニック」からのクラスター発生、あるいは、「高齢者福祉施設からのクラスター発生」だろうと思う。この辺に重点を置いた対策ができれば、抑え込みはかなり「成功」に近づくかも知れない。

あくまでも、日本人が生真面目なら、という前提だけれども、「経済も、命も」の「両方取り」が、良い方(どちらも、そこそこ)に留まるか、悪い方(どちらも、最悪)に転ぶか、「禁止」ではなく「自粛」に留めていることが、どちらに転ぶか。

僕ら次第、ということなんだろうか。

トランプ

トランプ大統領 米国内死者の予測を大幅に下方修正 成果と強調
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200418/k10012394231000.html

楽観的に考えたいよねぇ。誰の差し金だろ。

アメリカ国内での死者が6万5000人を上回ったら、それはトランプの責任だ、っていうことかな?それを言いたかった訳ね?
何を根拠に、何を主張したいのか、そこがよくわからないのが、この人かも知れない。
この発言、よく覚えておくべきだな。どうなるか、見てみよう。

極めて個人的に、地球意識を限界まで刺激した主導的な役割をしたのがこの人だと思う。
トランプに迎合した多くの国家指導者がいて、だから、トランプ一人の責任ではないと思うけれど。
もし僕が、地球意識の立場だったら、そんな気がする。

地球意識も、さらにそれよりも上の神様とか、何もカードを持っていないと思ってるんだろうなぁ。
人類が最高の存在で、核爆弾が最高の兵器で・・・発想としては、そんなところかな?どうぞ、ご自由に。
本気でカードを切られたら、こんなもんじゃ済まないと僕は思う。

ビートルナッツ

ビンロウ樹の実。パプアニューギニアでは、嗜好品として噛んでいる人も少なくない。

パプアニューギニアでの感染者数が2、という数字を見て、思わず、「調べていないんじゃないか」と思ったけれど、そういう「先入観」は良くない。もし、そこそこ調べていて(PCR検査件数の、分母がわからないから、「感染者数」だけ見ても実態がわからない、けど)調べていてこの数字だったら、やはりちょっと驚くべき数字かも知れない。

僕も、ニューギニアにいた頃は、TPOで使っていた。ビートルナッツを出して、これに、ダッカに、カンバンをつけて噛むと真っ赤に変色する。主には、戦時中の遺骨情報収集の関係だったけれど、初対面の人と会ったりする際に、ブアイを噛んでいると、「お前はニューギニア人か」とばかりに、一気に打ち解けてくれる。加えて、ピジン語を話すから、ハフカス(半分現地人)扱いで、どこのコミュニティにも入っていけた。

注釈が多すぎて、文章が読みにくいので、解説を分けた。
ビートルナッツ:ピジン語では、ブアイ、英語でビートルナッツ、日本語では「ビンロウ樹の実」
ダッカ:ピジン語、英語ではマスタード、辛子の実の一種か
カンバン:ピジン語、英語ではライム(綴りがわからん)、日本語では石灰?;貝殻を砕いて焼いた粉?

このビンロウの実、台湾にもあるはずで、嗜好品として使われているかは別にして、その台湾で、「新型コロナの新たに確認された感染者」が、ついにゼロになった日があったと、ニュース配信で流れていた。これはすごい。SARSの経験が活きた、とか、武漢初の情報を中国語で読んで、対策の際に参考にできたとか、色々と書かれていたけれども、ニューギニアの2人という数字が妙に引っかかっていて、唐突に、台湾でもビートルナッツがあったな、と思い出した。

このビートルナッツ、たぶん、強烈なアルカロイドだと思うけれども、彼らも噛んで出てきた真っ赤な(ライムやダッカと反応して真っ赤に変色した)唾液を飲み込みはせずに、街中どこにでも吐き出す。ところが、僕ら「素人」は、ついつい、一部を飲み込んでしまうんだわ。そうすると、ちょうど初めてタバコを吸った時みたいな感じで、顔面からまず血の気が失せて、次にカーッとなる、というか、なんなんだろうか、僕の場合には「気分がいい」という訳ではなく、とにかく、(お酒に近いかも)交感神経刺激みたいな感覚になり、それが10分とか15分続く。そんな感じだった。2回か、3回、調子に乗って噛みすぎて(「あぁ、お前もブアイをやるんだ」と、現地の人が喜んでくれるもんだから、つい、一緒になって噛んでいて、)後になって、たぶん、激しい低血糖・低血圧のような感じに襲われて、30分くらい動けなくなったこともあった。どんな薬理作用があるかは知らないけれども、強烈なアルカロイドだな、という印象は残っている。
僕は、お酒を飲んでも、そんなにメンタルが変わる訳ではなくて、ただ、酔っ払って「現実逃避」したいだけ、みたいな感じから「習慣化」した感じで、ビートルナッツも、ほとんどメンタルには影響されなかったけれども、この感じ方は個人差があるかも知れない。ハッピーな気分になれる、と言っていた人もいたけれど、それはお酒もそうかも知れない。(実を言えば、僕は、お酒を飲んでも全然気分は変わらない。ただ、細かいことがどうでも良くなる気分で、ストレスがすごく楽になる、それだけかも知れない。)いずれにせよローカルな「嗜好品」で、日常的に使っている人も少なくない。当時の僕の直属の上司(州政府教育局の、事務次官)は、「禁断症状」を訴えていた。(IWさん、まだ生きてるかなぁ。生きていたら会いたいなぁ。当時の同僚、みんな、再会したい。)
余談ながら、お酒っていうのはエタノールで、濃度が濃ければウイルスに対して効果がありますからね。ただ、血中濃度は、とても滅菌なんかできる濃度じゃないけど。

ニューギニアで感染者数が少ない、というのを見て、可能性を三つ考えた。
1)  PCRの検査設備がなくて、そもそも、大した人数を調べていない。
2)  高温多湿:(でも、一番人口が多いPort Moresbyはサバンナ気候だし、ニューギニアで人口が集中しているハイランド地方は、おそらく、エチオピアなんかに近い、一年中「過ごしやすい気温」で、それほど「多湿」でもないから、該当するのは僕のいた任地、北側の海岸部だけだろうと思うので、あまり該当しないかも。)
3)  ビートルナッツを思い付いたけれど、何か「特異的な原因」がある。

ビートルナッツがあるのは、台湾もそうだけれども、東南アジア全域で結構「植生」はあるみたいだ。ただ、その実を「嗜好品」にしているかどうかは、その土地の文化次第。で、それではと思って、タイやベトナムに(結構工業化が進展しているから、もしかしたらPCR検査の設備も十分かも、と思って)注目して、数字を見てみたら、タイが感染者数2700で、死者数47、ベトナムで感染者数268で、死者数0。台湾の場合には、感染者数395、死者数6。
統計的な見方として、もしここに、「ビートルナッツ」を習慣的に使っている可能性があるか、どうか、という視点で「有意差」を見たら、どうなるか。何か、あるかなぁ、なんて思ってみた。

念のために書いておく。品質管理なんかでよくやる KJ法の考え方です。あらゆる「思いつき」を全て明示的に言葉にして、書き留めておく。最初から、一切除外はしない。その延長で、とりあえず、可能性として書いてみた。

もし、突破口を開く可能性があるなら、台湾、ベトナム、タイとかで、感染者で「ビートルナッツ」を嗜好品として使っていたかどうか、なんていうのを、統計的に調べてみたら、「無関係」となるか、感染、発病率に「有意差がある」か、現時点での数字で、研究結果は出せるような気がした。
ですが、単なる思いつきです。下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる、かも知れないノリで書いてみました。

その延長で考えてみると、東洋医学の、いわゆる「漢方」の医薬品は、なんで治験から除外されているんだろうか。前にも書いたダスモック、漢方薬としては清肺湯という名前なんだろうか。気道の粘液の分泌を促すらしい。だとしたら、感染初期の段階の陽性患者に投与して(というか、そもそもが、市販の医薬品だから、自分で試せる)粘液の分泌が促されるなら、ウイルスが肺の奥や、呼吸器の気道で「細胞内」に入り込んで定着し、増殖するのを抑える効果も期待できる気がするんだけれども、漢方はナシなんですかね?市販医薬品なんて、問題外?
そういう先入観を捨てて、試せるものは全部試すくらいの勢いで調べてみたらどうなんだろうか。
これも、前にも書いた、3年位前、僕は激しく肺炎の状況になって、ヘビースモーカーだと告知したら、医者からやめろ、と、「レントゲンを見たら、肺癌の一歩手前だ」と言われたけれども、それはだって、あまりにも肺の炎症が酷くて、だからやっと思い腰を上げて医者に診てもらった状況だっただから、当然でしょ!と思った。その2年後で、去年の癌検診の間接レントゲンは、「異常なし」ですからね。僕には、龍角散で十分。僕の場合には、龍角散を思いっきり吸い込むだけで、肺の奥から痰が出てくる感じで、割とすぐに、走っても息が上がらない感じになってくる。なんで、こういう「市販品」の薬効を、医者は除外するのかなぁ。ってか、一般に売られている薬っていうのは、点数になりませんからね。だからでしょ?この状況でも。

データを見ていると面白い。そう言えば、「感染者数ゼロ」の国があった。北朝鮮。どんな「特異性」があるか、調べてみる価値が・・・。僕は、ノーコメントですけど。

三毛以上

ToDoのリストを見ていたら、メモ書きで

「三毛以上の処理がまだ」

と書いてあった。ナンジャラホイ?って、そうか、すぐわかるよな、こりゃ。
売上処理のところです。

だからなんだ?いや、もう他に、特に書くネタがないもんで、つい・・・

究極の二択

経済活動を再開しないと、食っていけない。だから動く。あるいは、トランプなんて、すぐにでも「経済活動の再開」を宣言したいに違いない。
ただ、そうやって人が動き出すと、まだ、全然減少には転じていない感染者数が、一気に増加する。
要するに、あれですね、病気で死ぬか、仕事がなくなって飢え死にするか、その二択を迫られている訳だ。

その実感がない人って、多いんだろうなぁ。いや、中小か、大企業かを問わず、上の方にいる方々は、もう、切実な問題で、(業種によっては)これが1年続くなら首をくくろうか、っていうぐらいの状況だと思う。今のままなら、間違いなく1年以上は続くと、僕は思う。でも、雇われている側は、自分が金を稼ぎ出すっていう実感がなくて、仕事にありついて、貰える金で生活するだけだから、実感できないのは仕方ないのか。年金生活?何も手を打たなければ、(っていうか、打つ手があるのかが問題だけど、)企業年金も危ないと思うな。かなりの大企業でも、業種業態によっては、母体が危ないと思う。その実感がないから、動きまくるんだろうと思う。いずれ、嫌でもわかる、と思う。

嫌なことを書く奴だな、とお思いでしょうね。お前はどうなんだ。いや、僕はもう、今死んだって、思い残すことがないもの。執着したいものなんか、何も持っていない。ただ、今生きている以上は、生き続ける意志は無論持っている。そして、仕事も続けて、関係先に迷惑をかけないことだけは、考えている。ただ、死んじゃったら、やっぱり、ごめんなさい、なのかな?でしょ?どうしようもないもの。だったら、受け入れるだけじゃないかな、と、そう思っているだけ。それができない人、相当に多そうですね。

別に、新型コロナに限った話じゃない。「あぁ、だめだ、もう死ぬんだ」と自覚し、そして死ぬ瞬間というのが、誰にも訪れる。その意識を持つ余裕もないのが、仏教でいわゆるところの「無念」なんだろうと思う。(原爆なんかで、突然肉体が消えた、みたいな。)「残念」とは違う、と理解している。「残念無念」は慣用句ですけどね。どちらも仏教用語だと私は理解している。他の宗教については、同じ概念があるか、よくわからない。ただ「その時」のことを、考えたこともないなら、一度は考えてみたらいいと思う。「後悔」したくないなら、今、納得のいくように、できることは全てやり、全力で生きるだけ、だと思う。「死にたい」人については、何も言いません。自殺したら楽になると思ったら大間違いで、肉体を抜けても死ぬ直前の意識のまま「意識体」として行動を繰り返すから、例えば、電車に飛び込むなら、何度でも、同じ場所で「意識体」だけになっても電車に飛び込み続ける。私はそう理解している。あえて言います。自分の判断で、自己責任だから、やめろとは言いません。あくまでも、自分で考えて「どうすべきか」答えを出すだけ、なんだと思う。私はそう理解している。
いずれにせよ、「死ぬ直前の意識」なんて、私だけではなく全ての方が、思い出せないだけで、もう、何千回、何万回も経験しているはず、なんだけど、思い出せないんだろうな。それは、「今、生きていること」の意味を考えても、同じだという気がする。だからあえて書く。新型コロナウイルスなんて、何が怖いの?

「正しく怖がれ」という言い方があった、と思う。あれ?「正しく怖れよ」だったかな?どうでもいいけど。
東京都内だって、夜の繁華街とかを除けば、日中、普通に生活しているなら、見知らぬ人といきなり抱き合う訳じゃないでしょ?よく言われる「三密」を避ける、それだけで、感染確率はおそらく十万分の1程度だと思う。今回、ピンポイントで指摘されている夜の居酒屋とか、イベント会場、なんかだと、その確率が上がるけれども、それでも、数千から数百分の一、程度の確率だと思う。(でも、確率が3桁違う、っていうことかな?)ただ、数百分の一、っていうのは、当たって欲しいと思っているときには低い確率だけど、当たって欲しくない時には、結構高く感じるかも知れない。その意味では「怖れる」べきなんだけれども、でもやっぱり、確率自体は同じ。数百分の一、っていったら、このど田舎の僕のいる自治会でも、一人は「当たる」っていう確率ですからね。都心のマンションだったら、二人か三人はビンゴ、っていう確率だから、当たって欲しくない時には、結構高い。だから「三密」は避けるべきなんだ、と思う。でも、それ以外だったら、方法次第ではかなり確率は下げられる。宝くじの、下から2番目が当たるくらいの確率かな?

誰が触ったかわからないものを触らざる得ない場合には、使い捨ての手袋をして、外す時には、絶対に表面に触れないようにして必ず捨てる。(今だったら、ゴム製でも、リサイクルプラスチックじゃなくて、燃えるゴミにすべきだと思う。)ペンキ塗りなんかのために、100枚入数百円で売られてます。それだけで、確率を二桁か三桁は下げられると思う。それだけで、宝くじで言えば、1000万円程度が当たる確率に近くなる。(当たって欲しいなら、とてつもなく低い確率。)しつこいようだけれども、当たって欲しいか、当たって欲しくないかで、感じ方は真逆になると思うけれども。

本当に、気分次第なのになぁ。外出するな?うちの町の人口密度なら、普通に外食するくらいなら、ほぼ大丈夫だと僕は思うんだけれども。都会は別にして。

しつこいようだけれども、僕は感染したかなと思っても、家に籠もって医者にはかからない。それで死んだらそれでいいかなと思っている。そういう人間の書いていることだから、そういう尺度で読んでもらえたらいいかな、と思いますが、もう、「医療崩壊」も「受け入れたら」いいんじゃないかな、と思います。

私は死にたくない!そう思っている方、いらっしゃいます?そんなこと、可能だと思っているの?(肉体生命の話ですが。)「私は、自分のやるべきことは、これまでにきっちりと、やって来た。周囲の人とも十分に意思疎通してきた。だから思い残すことはない。」と、そういう方は、死を受け入れて、仮に感染したかなと思っても、病院の手を煩わさないのが「正解」かもしれない。(けど、案外、そんな人っていないかなぁ。)
大丈夫ですって。間違いなく、肉体を抜けても「意識体」は、状況によっては、自分の肉体の火葬/土葬の瞬間すら見ていて、「あぁ、死んだんだ」と思ったなら、次のステップに進める。今生き残っている人は、全然気にする必要はない。私は、そう理解している。この機会だから、若い人も含めて、「自分は、どう生きたいか、生きたかったか」を真剣に考えてみる、ていうのは、意味があるんじゃないでしょうか。

最後に主題。
もう、人工呼吸器は、まだ子供が社会人になっていないとか、そういう若い人たちに譲って、年寄りは自分が新型コロナに感染しても、医療には頼らず、自力で回復したならそれで良し、回復せずに肉体を抜けたとしても、「あぁ、これで良かったんだ」と思えるように、これまでの人生を見つめ直し、覚悟を決めて生きる、と、そういう発想も大切じゃないでしょうかね?そうしないと、まだ先のある若い人の命を犠牲にするかも知れませんよ?

「俺は、まだ俺の人生に納得していない!」そのセリフ、30代の人が言うなら、私なら許す。けど、50代以上の人が口にしたら、「テメェ、何をわがまま言っってんだ!」と、状況によっては、相当な勢いで食ってかかると思う。(直近では、トランプ、安倍以外には食ってかかっていないと思いますが。)

最低限の経済活動を続けるために、「正しく怖れよ」ということがあると思うけれど、もう一つ、言いたい。「静かに、受け入れましょうよ。」

手袋

雨の日に、スーパーマーケットに入店する際に、傘が濡れていると店内のフロアが水で滑りやすくなる、っていう理由だと思うけれど、スーパーマーケットの入り口にビニール(素材は知らない)の傘袋がよく置かれていた。あれ、一枚あたりの単価は、相当に安いんだろうな、と思った。レジ袋と比べて、どうなんだろう。
あれと同じような素材の手袋が、水漏れボンドとかの、ホームセンターで売られている家庭用の補修剤の「オマケ」で付いていた。単価は、かなり安いと思う、けれども、多分中国製だろうなぁ・・・日本国内で作れませんかね?

「正しく恐れよ」という話題があった。新型コロナ。ポイントさえ抑えていれば、感染するリスクはかなり下がる。そのポイントを抑えることが大切だとしたら、傘以上に、(これは、適当に書いているだけ)スーパーの入り口に、あの手袋を取れるようにしておいて、「買い物の際には、使い捨ての手袋をご使用ください」なんて感じでやる。傘でできるなら、手袋でできないはずがない、と思った。

考えないから、漠然と怖がって、萎縮して経済活動が停滞するんだよ。ポイントを押さえて、「ここさえ気をつければ大丈夫」っていう、その「安心材料」を一つでも多く流す、っていうことは、マスコミにお願いしたいんかささ。

以上。ただそれだけ。

飽和

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200414/k10012385701000.html

クオモ知事は今月11日までの6日間、700人台で推移してきた1日当たりの死者が、12日には671人に減少し、「最悪の状況は終わった」と述べました。

直感的に言えば、医療崩壊が起きて、病院が飽和状態なんだろうと思う。飽和している、ということは、入院患者はそれ以上増えようがない、ということだと思う。病院での死者の数も一定の水準で頭打ちになる。この死者の数が、病院での死者の数なのか、それとも、医療機関に受診する機会がなくて亡くなられた方も含めての数なのかで、意味は変わってくるような気がする。「原因不明の肺炎」で自宅で亡くなられた方、新型コロナにカウントされていないという配信ニュースもあった。

病院が飽和している、ということは、病院以外に、行政などで把握されていない感染者が存在していることを意味すると思うし、そうした社会全体での死者数の推移がどうなっているか、データがなければ「好転」は判断できないような気がする。そもそも、厳戒態勢では把握の方法が限られるかも知れない。数字の読み方が問題だ。

日経の世界感染者マップで見ると、パプアニューギニアの感染者数は2名。死者はゼロ。どうなんだろうかなぁ・・・。ニューギニアにPCRの検査設備はあるんだろうか?オーストラリアの感染者数で6440人。シンガポールで3252人。ということは、それらの地域とはそこそこ人の移動もあるし(あったし)、この2名という数字をどう読むかが問題だ。検査できなければ、感染者数はゼロだし。

欧米の感染者数が多いんじゃない。欧米の検査件数や、病院での受け入れのキャパが大きいから、飽和レベルが大きい。仮に、PCRの機械が1台しかないとして、その1台で1日に5人の検査がやっと、だとすると、国全体の感染者数が一桁とか二桁、ということだってあり得ると思えた。問題となるのは「把握率」かも知れない。把握されていない、っていうことは把握されていない訳だから、把握率は弾き出せない?って、俺、何を書いてるんだろう。意味、通じてます?どうでもいいけど。

そう考えてみると、連日のように報道されている「今日新たに確認された感染者の数」というのは、検査能力のキャパで一定の水準で飽和するかも知れない。飽和した上でなおかつ上昇を続けるとしたら、水面下の感染率の拡大を意味するんだろうと思う。まだそこには至っていない、ように思えるけれど。上昇のペースが鈍る原因には、この検査キャパの飽和もあるかも知れない。「感染ルートのわからないケース」は、「わからない」んじゃなくて、受診したのに検査してもらえなかったケースが、把握されなかったため「不明」になったり、「感染者ゼロの地域」になったんじゃないか、と思えてきた。

日経の世界感染者マップで、あちこちの国の数字を見ていると、「感染者数」はGDPに比例しているような気がした。検査能力に比例した数字になっているんだろうと思う。ってことはだ。世界全体の感染者数が201万人。この数字に意味があるのかよ、って思えてきた。感染者数のマップ、だけではなくて、PCR検査のキャパシティ・マップがないと、数字が読めない。

希望的観測

「5月上旬までには、緊急事態宣言を解除できる」ように、「外出を8割削減しましょう」という流れなのかな。

法政大学で知り合った内村先生が、「新型コロナ感染拡大を抑える科学コミュニケーション有志のグループ」への「いいね」を求めるリクエストを投げて来た。
そのタイムラインからの転載。

「外出規制」を解除したら、その解除から「数週間後」には、再び感染者数が増加に転じる。アメリカでも、ジョンホプキンス大学の関係者が同様の警告を投げている。

少し前のページにも書いた、Washington Postの記事から転載させていただいた図。

日本は、この一番右のモデルを模索し、「緩やかな外出規制」をかけているけれども、多くの人が怯えて、経済活動が致命的に萎縮している。その結果、観光ビジネスや、イベント関係、飲酒を伴う飲食業などには致命的な状況が続いていると思う。一刻も早い「解除」を求める気持ちは、痛いほどわかる。
あたしゃ、もう、20年も会社の「超低空飛行」を続けているけれど、それは、松尾くんと二人だけの会社だからできていることで・・・、もう後一人社員がいたら、とっくに潰れていた。いや、めちゃくちゃ優秀な奴だったら、話は別だけれど、そういう優秀な人を、うちみたいな零細に引き摺り込みたくないからなぁ。

話を戻す。1日も早い「解除」や、「新型コロナ禍からの脱出」を求める気持ちは、とてもよくわかる、けれども、現状がどんなに短く見積もっても、最低でも1年は、現状よりもさらに悪化した状況が続くと思う。この一番右の「一見、コロナを抑え、感染者の拡大を抑え込んでいる状況」が成功すればするほど、長期に亘ってこの「慢性症状」が続くと思う。順当に見積もれば、10年は続く。ワクチンが開発され、効果的な治療薬が開発されれば、別のシナリオが成り立つと思うけれども、それは「れば、たら」だと思う。「れば、たら」に頼って、政治を行うのか? –> 安倍政権

危惧するのは、安倍総理が金融機関の関係者を集めて、「無利子、無担保での融資を拡大して、困窮する産業界を助けて欲しい」という要請。楽観的なシナリオで、数ヶ月でこのコロナ禍が収束するという前提で「無利子、無担保での貸し出し」を行うと、何が起きるか。
「数ヶ月でコロナ禍が収束するなら、とにかくその間凌ぎたい。」と、融資を受ける。数ヶ月経っても収束しない。また追加融資を受ける。結局、現状が悪化する一方で、一向に好転しない。その挙句に、廃業や、倒産を決意した。その時に融資はどうなるんだろうか。借りた側からしたら、廃業と同時に「自己破産申請」を出すしかないだろうと思う。この自己破産が大量に発生したら、融資をした側はどうなるんだろうか。「金融機関」だからなぁ。その融資の補償を国が行うんだろうけれども、「事業継続」のために多くの会社が「無利子無担保」で金を借りたとしたら、その総額はおそらく、数百兆か、もしかしたら、数千兆の桁に届くと思う。安倍総理は「短期間でなんとかなる」という楽観的観測で、金融機関に「無利子・無担保」での貸し出しを要請したんだろうけれども、その「楽観的観測」が成り立たないとしたら、国は「金融崩壊」に責任を取れるんだろうか。
業種、業態に依るだろうけれども、相当数の事業者が廃業か倒産に追い込まれると思う。そこに「事業継続」のための「融資」を要請したら、挙句にどうなるだろうか。私だったら、どれほど非難されようが、業種、業態によっては、支援を拒むと思う。そのために、業種、業態を選別するための「専門家」を召集し、「コロナ禍」が10年続き、現状以上の「外出規制」が10年続いた場合に、生き残れない業種、業態と、生き残れる業種、業態との線引きを行って、暗殺されようが、「救済するな」という選択肢を取ると思う。
近いことは実際に、やりましたよ。学生のレポートの、不正行為。可能な限り「警告」に留めたけれども、2回目をやったなら知らない。不正があったなら、とにかく本人に通告するところまではやった。もし僕が専任教員だったなら、2回目があった学生の「停学」処分に結びつこうが、冷淡に、突き放したと思う。

ドラ息子が、仕事もできずに家に引き篭もった。それでも「会社ごっこ」は続けていた。支払いがあるから、どうしようもなくなると、親に無心した。優しい親父は、その都度、用立ててくれた。その恩も返せず、いいところも見せられないうちに、親父もお袋も亡くなった。そのドラ息子は私です。もし、あの時、「お前が、生き方を変えない限り、金は出せない」という対応をされたなら、どうなっていたかなぁ。結局、親父が死ぬ間際に、「今、話としてきている大学の専任教員の求人を、受けろ」という至上命題に応えて、(応えざるを得なくて)僕は大学教員になった。優柔不断の私。
その大学も、直属の上司からの3回の「准教授推薦」を、大学の上層部に蹴られ、「科学技術研究費」の申請のための「コンプライアンス」のために、「自営業の兼業届」を出したところが、「悪いことをするに決まっている」という理由で、「コンプライアンスのための申請書類」を「不受理」とされた。この時点で、もう、この大学には居られない、どうしても勝負をかけたい研究テーマ(心臓発作の予知・監視・通報システム)があるなら、自分で稼ぐさ、と、大学を辞めた。その決断に後悔はない。見切りをつけた。
そして、結果的に、プログラムを書いても、書いても、営業に結びつかない状況が8ヶ月続いて、完全に手持ち資金が底をついて、税金の滞納が慢性的に続いているけれども、それでも僕は、後悔していない。今現在は、とにかく、営業には結びついているもの。それだけだって、明らかに好転している。この低空飛行でも、「好転」は「好転」だと自分に言い聞かせている。

「見切り」をつけるのは、大切だと思う。特に、結果的に「見切り」の時期が早ければ早いほどいいとしたなら、もう、初期の段階で決断する方が、傷が少なくて済む。新しい場面での、転換後の展開が、早くスムーズに進む。僕の場合には、あの大学に長く居過ぎた気がした。2回目に「准教授推薦」を蹴られた段階で、さっさと辞めていたらよかったと思う。経営体質はそう簡単に変わるもんじゃない。同様に、僕自身の性格も、そう簡単には変われない。相性の問題だから、世間でよく言う「離婚へは走れ」と同じで、見切りはとにかく大切だと思う。
ところが、「楽観的観測」が幅を効かせると、判断ミスが悪化に拍車をかける。

国民一人に10万円をばらまく?いかにも公明党的な発想だと思うけれども、一年間現状が続いたとして、一体何回ばら撒いたら間に合うんでしょうかね?母体となる団体が「自力でなんとかしなさい」という思想じゃない。「念仏さえ唱えていれば、助けてもらえる」という思想だから、「公明党さえ支持してくれたら、ずっと、この状況が10年続いても、困ったらすぐに、国民一人に10万円を出しますよ」ってな感じだろうか。やれるもんなら、やってみろ、ってば。
確かに、最初の1回は、必要とする方々が少なくないから、やっても支障はない、というか、なんらかの支援は必要だと思う。但し、条件をつけるべきだ。現状が10年は続くという想定で、「なりわい」を変える覚悟で、決断するための資金にしなさい、というのが理想型かもしれない。

とにかく、「希望的観測」を捨てて、「今のままだと、ジリ貧だ」と思ったなら、最初に「事業立ち上げ」を決めたのと同じ以上覚悟で、「事業からの撤退」を決断すべきだと思う。

それなら、どこへ行く?

テレビのニュースでやっていた。「旅行業」の会社の社員が、社長が「副業」を認めてくれたので、副業としての漁業でシラスの選別をやって凌いでいる、と。第一次産業、第二次産業は、慢性的な人手不足。地方に目を向ければ、求人はいくらだってある。なんだったら、耕作放棄された農地を耕す権利を全面的に手に入れて、農業に転身する、なんていう選択肢も、いくらだってあると思うし、それは、林業も漁業も同じだと思う。「生きるための必要なもの」の生産は、決して、需要が絶えないと思う。柔軟に、転身先を探すべきだ。無論、「現状にしがみ付く」のも、自己責任、自分の判断だと思うけれど。もちろん、それが良かったという人だって、10年後に出てくるかもしれない。どちらに転ぶかなんて、誰にもわからない。社会は、人と人との関わりで形成されてくる。「占い」とは無縁の世界だと思う。

大企業、三菱系のどこかの会社だったかな?本社機能を、都心から近郊に移したらしい。今くらい通信インフラが整備され、さらに、災害があってもメンテナンスしてそれなりに「復旧」する能力も維持できているのなら、地方都市なら地価も安いし、都心から出ていくのも価値の大きい選択肢だと思う。大企業だったら、一つの都市を「企業城下町」にしたらいい。雇用の確保で頭を抱えている「地方」はいくらだってあるし、おそらく歓迎される。

コンビニ袋の削減、なんていう「環境負荷」の低減は、ここに来て一つの流れになっている。森林伐採なんてのを平然と奨励しているところ/あるいは、地球環境汚染なんて、フェイクニュースだと豪語する大統領を抱えている国なんかは、大規模火災に、コロナ禍、それに加えた、第三段、第四段が控えていると思うけれども、日本はそこまでひどくない。レジ袋削減にしても、資源のリサイクルにしても、頑張っていると思う。(処理しきれない産業廃棄物の海外輸出、は、なんとかして欲しいけれど。)

思惑としての次の一手(誰の一手かは、このページでは蒸し返さないけれど)。「人の移動」というエネルギーの浪費、環境負荷の低減を今こそ実現すべきじゃないか、と、私は考えている。
「いずれ、元どおりになるさ」という楽観的観測が、通用しないと気がつくまでに、3ヶ月で済むか、1年かかるか、それは個人差があると思う。ただ、コロナ禍は、フェイクニュースでもないし、たちの悪い白昼夢でもない、現実だということは、直視すべきだと思う。

ついに、オンライン授業か・・・

法政大学、情報科学部からのメール。

こんなタイトル
【法政大学 情報科学部・情報科学研究科】オンライン授業の進め方について

今年の 「WEBシステム開発」の授業の題材、「オンライン授業システムの開発」にしようかな。と、言いつつ、WEB系については予備知識がほとんどない履修者もいるから、一足飛びは無理にしても・・・

なんてメールを、ポップアップから慌てて拾って読んで、ついでに他のメールも開いていたら、元同僚のU先生のFacebookにこんな投稿があった。

最初にお断りしておきます。コメント欄に、こんな方がいらっしゃった。

Hと申します。風刺動画として優れたものと存じます。が、ヒトラーを風刺するのは止められたほうが良いです。ドイツ人、ユダヤ人の方が見たとき、大変不快に思われることが一般的ですし、世界的にみて「品がない」と判断されます。
外国人の方でコメントをあげていますが、変にシェアで広がらないうちに投稿を落とされた方が良いと思います。差し出がましいことを申し上げているとは思いますが、ご容赦ください。

それは確かにそうなんですが、やはり、この「笑い」の毒には敵わない。(1分55秒)私も爆笑しました。

To German people and Jewish people, first, the following short movie may be very offensive and may stroke your nerve.  However, Japanese subtitles are criticizing our government, and widely make our laugh (as many viewers responded,) and greatly de-stress ourselves.  We really need this kind of stress relief in this severely suppressed time.  So, please forgive me to share this movie.

https://video-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t42.9040-2/91224165_551631208823522_8759954454414884864_n.mp4?_nc_cat=102&_nc_sid=985c63&efg=eyJ2ZW5jb2RlX3RhZyI6ImxlZ2FjeV9zZCJ9&_nc_oc=AQkG3-l2FIaFE4t8OxWB-n25UJhe8ao7GR4XwdPwMssPghScZAoYMrA47prHK73zMj8&_nc_ht=video-nrt1-1.xx&oh=0d991814864611367a6fea698788012f&oe=5E96D4EE

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シミュレーション <-- Washington Post記事から

この説明がわかりやすいと、書き込みがあった。

https://www.washingtonpost.com/graphics/2020/health/corona-simulation-japanese/

コロナウイルスなどのアウトブレイクは、なぜ急速に拡大し、どのように「曲線を平らにする」ことができるのか

以下のような書き出し。ご厚意に甘えます。

ご理解ください。
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端的に言えば、こういうことだろう。

日本はこのグラフの右端を目指している。医療崩壊を避けたい。実際には、右から2番目のような推移になるかも知れない。
中国の武漢封鎖のモデルは、左から2番目のような形になるか。そして、全世界で大都市のスラム街や、発展途上国などは、実質的に一番左のような推移となるのか。ピークまで半年とか1年かかるかも知れないけれど、相当な感染者が出るように思う。低栄養状態の子供たち、食糧不足が深刻な地域などは、死亡率がかなり高くなるような気がする。それで、全世界の死者が「億」に届くと思う、と書いた。

詳細を端折って、乱暴な議論をすれば、2年後の世界、一定数の死者を出した後、世界の低開発国は一番左のグラフの右端までの状態となる。つまり、生き残った全員が「回復者」か、もしくは、免疫獲得者。欧州などの「集団免疫」の場合では、右から2番目のグラフの、一番右端の状態、すなわち、感染者数はかなり低い水準に抑えられているが、全人口の3分の2程度は「回復者」か、もしくは、「免疫獲得者」で、3分の1の「未感染者」は、「免疫獲得者」や「回復者」によって感染のリスクを下げた状態で守られることになる。日本で、「封じ込め」に成功したとして、2年後は一番右のグラフの、右端の状態。ざっくりと、国民の5%程度が「感染者」で、8%程度が「回復者」もしくは、「免疫獲得者」、人口の大半は「ウイルス未感染者」であり、かつ、海外のような「アウトブレイク後」の「免疫者数」が国内にいないため、その後数十年にわたって、自国を世界から隔離しなければ守れない、そんな状態になるかな?と思った。

だからと言って、どれほど私が馬鹿でも「感染爆発を防ぐな」などという結論を出す気はない。医療従事者の模索する「最適解」は、ワクチンの開発を急ぎ、可能な限り、全人口にワクチン接種をすること、なんだろうと思うが、これほどの規模の拡大をしたら、どこでウイルスが変異をするかわからない。(それでも、可能性があるなら、模索すべきなんだろう。)

と、ニュースを聞いていたら、このニュースが入って来た。

トランプ米大統領、WHOへの拠出を停止 新型コロナ対応で批判
https://www.cnn.co.jp/usa/35152387.html

トランプには、つける薬がない。トランプはアメリカだけ考えていたら済むが、誰が全世界の「感染状況」に対して対策を講じるんだ?WHOが機能停止したら、おそらく半年後には「全世界で、原因不明の肺炎(調べればおそらく新型コロナ)による死者が急増」という事態になるんだろうし、トランプがその「戦犯」になると思う。

ニュース配信を読んでいると、昨年12月に、アメリカ国内で「新型インフルエンザと思われるが、激しい肺炎を伴う症状の患者」が何例か確認されていたらしい。同じく昨年12月頃から、イタリア北部でも「原因不明の肺炎」の発症が確認されていたらしい。原因がわからないため、ニュースでも大きな扱いにならなかった。

それが中国の武漢では「新型のコロナウイルス」ということで原因が特定され、そのウイルスのサンプルを使っての検査が、全世界で、アメリカでも欧州でも可能になった。そうして、そのサンプルを用いて「アメリカで初めての感染者が確認された」わけだが、その「新型のコロナウイルス」として確認された時点で、既に、欧米でも「原因不明の肺炎」は、現場の医師が首をひねりながら、何例も確認されていた、ということではないか、という気がする。そう考えれば、感染の急激な拡大も説明しやすい。「確認されていなかった」だけで、既に拡散し、発症しても「原因不明の肺炎」という扱いだった、だけではないか、という気がする。

だから、中国の責任だとか、WHOが中国寄りだと責める前に、「新型ウイルス」の可能性を模索しなかった自国の責任も、多少は考えるべきなんだろうと思う。

また、模索して、新型ウイルスとして危険性を指摘していたとしても、トランプ自身が「そんなのはフェイクだ」とか、「1ヶ月もあれば収束する」と、素早い対策など取らなかった可能性の方が高いと思う。WHO以上に、トランプの方が能天気だったと、私は思う。完全なる責任転嫁だ。

以上、昼休み終わり。