目には目を、歯に歯を

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170126-00000037-jij-kr

昔盗まれたものなら、盗んで取り返しても構わない?
それって、「盗む」という手段の容認だろうか?一体、どういう法制度を持っているんだろうか?所変われば法律も変わる。驚きとしか思えないけれども、それはそれ、盗んだものを取り返すなら盗んでも構わない、という国だと思って、付き合うしかないんだろうなと思う。

私なりに思うには、まず韓国側から対馬のお寺に「この仏像は元々韓国のものですよね」と申し出る。対馬(日本)側は、もちろん最初は長年地元のものだと思っているから、難色は示すだろうけれども、韓国側が「そもそも、倭寇が盗んだものだから返してください」と粘り強く交渉すれば、日本人はおそらく折れる。折れた上に、それならば、お寺同士で付き合いましょう、対馬とお付き合いしましょう、と、友好関係を結ぶきっかけにする、こういうやり方もあるだろうと思うのだけれども、なぜそれをしないで、いきなり「盗む」になるんだろうか。

http://www.cnn.co.jp/usa/35079176.html

それ以上に驚いたのは、トランプ氏の「水責め」拷問発言だろうか。アメリカ合衆国大統領の発言か?というのが何よりも驚き。アメリカ合衆国が、ISと同じレベルに落ちようというんだろうか。

法を破る奴がいるなら、法律を変えればいい?
それでいいの?どこかに「倫理」なんていう概念はあるの?「法治国家」における「法」というのは、一体どういう存在なの?気に食わなければぶっ壊せばいい、そういうのが「法律」なんだろうか。

世界はどうなっちゃうんだろうか。

言葉が続かない。「水責め」よりも脅威なのは、世界に苦痛を与えているアメリカの「トランプ責め」による拷問だと思う。

 

トランプ氏の強さ

理解力かぁ・・・

http://www.asahi.com/articles/ASK1S7WNYK1SUTFK017.html

トランプ氏の「手強さ」は、半端ない。
日本でアメリカ車を大量に売りたいなら、右ハンドル車を作れ、と私は思う。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1096173230

僕が同感なのは、左ハンドル車が、右折も左折もえらく鈍臭い曲がり方をする時に、「何やってんだ、こいつ」みたいに感じたり、今はETCなのであまりないけれども、高速道路の料金支払いで、左側から右側にある料金ブースに、モタモタしながらえらく時間をかけて支払いをしている真後ろで待ってたりした場面で、「テメェ、モタつくんなら左ハンドルなんて乗ってんじゃねぇよ」と思っちゃった時なんかで、右ハンドルを日本に供給しないアメリカは、売れなくて当然だと思う。

という、ごく一般的なマーケティングの話題が通じる相手なら、それほど手強くない。

トランプ氏が「手強い」というのは、そもそも、日本は車が左側通行だと知らない可能性があるあたりで、そこから議論しなけりゃならないことが「手強さ」の根幹だろうか。
下手すると、あの人の場合には、「そもそも、車が左側通行だというのは、アメリカに対する嫌がらせだ」などと言いかねないあたりだろうか。こういう人、確かに世間にはあちこちにいるんだけれども・・・
僕なんか、こういう相手には勝ち目がないと思うから、議論するのを避けちゃうもんねぇ・・・とても「議論」で勝てる気がしない。最強だ。

 

アメリカ・ファースト

アメリカ合衆国の大統領が、アメリカを第一優先に考える。
それはもう、あまりにも当然のことなんじゃないかな、と思う。何の問題もない。

人だって、誰もが自分を一番大切にすべきだ。自分を大切にしてこそ、他人を大切にすることができる。ただ一応、私が「大切にすべき」と思うのは、「自分の心」で、心を汚さないことが一番大切だという意味だと付け加える。心さえ汚さなければ、モノやらカネやらが多少減っても「次」で困ることはないと思う。体が汚れたって、免疫がついたと思えばいいだけだとも思う。僕なんか、それなりに清潔にはされていたと思うけれども、今の基準で言えば結構不衛生な中で泥まみれで育っているから、多少というか、かなり不衛生な環境でもそう簡単には病気にはならない。え?「体を汚す」の意味が違う?その辺は、適当に解釈して下さい。でも、たぶん、同じ意味で解釈できると思います。

問題は、アメリカ・ファーストであっても、(ニュースを聞いてしまったのでついでに付け加えれば、イギリスも)じゃぁ、二番目との差はどうなのよ、という点だろうか。「二番目以降はどうでもいい」、ということだったとしたなら、それならば、アメリカ以外、イギリス以外の全ての国が、アメリカやらイギリスやらを相手にした場合には、別に敬意を払う訳でもなく、「どうでもいい国」として扱えばいいだけ、なんじゃなかろうか。

そこはそれ、政治でもビジネスでも同じで、表面的には相手に敬意を見せておきながら、形だけは整えて、内心、本質的には相手を大切にしない、なんてことは山ほどある訳で、それこそ、アメリカもイギリスも大国だから、そう簡単には無視できない。ただ、形だけは敬意を表して取り繕っておいて、内心とか実質ではアメリカやらイギリスやらの利益・立場なんかどうでもいいように、まず「自国優先」で振舞っても構いません、と、アメリカとイギリスが全世界を相手に宣言したと解釈して構わないんじゃなかろうか。「交渉なんて、する余地ないね!」っていう突き放し方を、してもらっても構わない、ということだろうか。力対力の関係になるならば、工夫次第でアメリカ、イギリス以外にも、素材なんかいくらだってある。「貧しさ」ですら「武器」にできると僕は思う。

悪いことに、白人至上主義すら見え隠れする人が偉くなっちゃったりしているから、黄色人種の自分としてはいちいち発言が引っかかる、そういう人の口数が結構多い。いや、中国がチャイナ・ファーストを口にしても同様の文句は書くと思うけれども、そういうことならば、世界中で「白人お断り」の人種差別が起きても構わないんだね、と、自分はそう解釈する。さて、地球上で白人が人種構成として主体となっている国は、どれだけあるのかな?

今時は、ネット社会だから、個人的にはアメリカ人にもイギリス人にも好きな人はたくさんいて、個人対個人としてならばアメリカ人にもイギリス人にも、特に何も不快な感情はないけれども、国家対国家でそうした立場が最優先ならば、日本の政治でも対米、対英で、譲歩などいうまでもなく、「思いやり」なんぞ、一切不要という立場で外交を進めて欲しいと、一「国民」として思う。もし安倍総理が「アメリカへの思いやり予算」なんて一言でも口にしたら、きっと僕は、猛烈な勢いで「屁理屈」をこねくり回すと思う。

飛行機やらインターネットやらで、地球が劇的に小さくなった、なんて、嘘だね、きっと。

飽和

東京電子専門学校の学生有志たちが、自発的に「パルスオキシメータ」を作ると言い出して、助言を求めてくれたので、自分にできる助言をした。Raspberry Piのプログラムも提供して、プロトから先の「医療機器の試作」を経験してもらった。
脈波が見られるところまではなんとかなる。問題はそこから先で、それはもう、学生が数ヶ月で簡単に「実用的」なレベルに到達できるならば、悪いけれども医療機器メーカーの研究者なんて要らないわけで、人間の持っている「個人差」という(一番厄介な奴を)たっぷりと経験してもらいつつ、それでも、学生としてはいい経験をしてもらったかな、とは思っていた。

そうしたら、年明け早々、お礼とか言って、バウムクーヘンとラスクを頂きました。ありがたく頂戴いたしました。ありがとうございました。

そんな気を使わなくていいのに。授業料を支払って、後は仕方なく学校に来ている人たちに教えるよりも、余程楽しい経験だから、僕も話をしていて楽しかった。こちらこそお礼を言いたかった位。
仕事というよりも、収入の目処さえ立つなら、地元で子供達にプログラミングやら、インターネット技術やら、タダでもいいから教えたいと思っているくらいだから。でも、生活できないから、とりあえず、黙っていますけれど。
今時なら、おじいちゃん、おばあちゃんにインターネット技術を教えて、どうやって自分の経験を世間に安全に発信したらいいかとか、そういう教室を開いてもいいかなとも思うけれども、そういう「学習塾運営」はノウハウがない。どなたか声をかけていただいたなら、喜んで講師をやらせて頂きます。(有限会社シグナリスに、お金は欲しいけれども。)

パルスオキシメータ「もどき」のプログラムですが、この年まで生きてくると、僕だって(吹かなくても飛びそうな零細企業の社長だって)それなりに「引き出し」は持っているから、話しかけてくれさえしたなら、いくらだって、この程度の助言も、プログラムだって提供できる。それに、一応はプロですから、「もっと、プログラムがこういう動作を」という要求が出たなら、対応するのは場合によっては、その場で修正できたりするし、どんどん僕を「使って」いただけたら嬉しいのだけれども。(と、言いつつ、一応は生活があるから、お金が要らないとは言わないけれども・・・。すんません。)

パルスオキシメータは、日本人の青柳さんという方が発明した。授業で何度も原理を教えつつ、感じるのはやはり、「動脈血は真っ赤だけれども、静脈血はどす黒い」という、目に見える「現象」から直感的に閃いて、この原理を発明したのかなぁ、という点だった。もう一つ面白いと思ったのは、人間の体のコントロールで、なぜ、赤血球は(健康人では基本的に)肺で100%酸素と結合するんだろうか、という点でもあった。

蟻などの生物の集団では、20%とかは「サボっている」グループがいるらしい。この「サボり」グループの比率、というのは、全体集団が増えたり減ったりしても、なぜか一定の比率を保つらしい。それは、電気工学的な視点で見ると「動作マージン」的な役割を果たしていて、なぜか「働き者」は100%にはならないのである。
ところが、「赤血球」は肺でほぼ100%酸素と結合する。そうして「飽和」する。自然現象の中で、この「飽和させる」動作と、飽和させずに「動作マージンを維持する」モードの違いは一体どこにあるんだろうか、という単純素朴な疑問の答えが、どうしても見つからないでいる。生き物っていうのは、本当に面白い。

子供の頃、五球スーパーラジオとかを作ろうとしたことがある。半田付けが下手だった。何が起きたかと言えば、「発振器」になってしまって、ブーンという音を出すだけでどうにも「ラジオ」にはならなかった。さすがに、今になれば何が起きていたかはわかるけれども、子供の頃にはどうにも解決できなくて、当時は親父が「教育には金を惜しまない」みたいな(子供の自分が求めていたものとはちょっと違う形での)溺愛のおかげで、1回は作る部品を買ってもらえたけれども、さすがにそんなに金回りがいい家庭ではなかったから、二度目を試すことはできなかった。(何度も半田付けのやり直しをしているうちに、真空管がトんだりして、秋葉原まで買いに出る電車賃をせびることもできずに、そのまま諦めた。)

発振現象は、帰還のレベルが適切でないことで起きる。学生相手に例え話をするのに、よく言うのは、野球というか(僕が子供の頃なら、田んぼでの三角ベースというか、)一塁から二塁ベースに全力で走ったとして、勢い余って走り過ぎて、いわゆるオーバーランして、そこから戻ろうとして走ったら、また勢い余ってベースを通り過ぎて、というような、「行ったり来たり」の現象なんだけれども、今時は「三角ベース」なんて遊ぶ子供がいないから、この説明では通じなかったりする。
もう一つの説明は、これも子供の頃、放課後の掃除の時間に、モップとか箒とかを逆さまにして手のひらの上に乗せて、バランスをとる遊び。手を右とか左とかに動かすと、重心と支点との位置関係が変わって、うまくすれば安定できるけれども、下手な子供がやると、勢いよく動かすから、手を思いっきり右と左を行ったり来たりした挙句に、落としてしまう、っていう奴。それを見事に、思いっきり左右に振りながら、粘って落とさずに、大きく右、大きく左と動かして落とさずに続ける奴。これが発振現象、なんだけれども、最近は僕も「例え話」が古すぎて、うまく伝わる気が全然しないのが情けない。

電気回路的には、帰還部分を見直せば直るケースが多いとは思う。そうすると、ラジオがラジオとしてきちんと動作して、電波から拾った耳には聞こえない信号を「音」としてきれいにフピーカートかイヤフォンから流してくれる。これが理想形だと思う。

ただ、「邪道」だとは思うのだけれども、制御し難い「チャンネル」があった場合には、そのチャンネルからの信号を「振り切らせてしまって」なんというか、白ベタというか黒ベタというか、勝手に振り切らせてしまっておくと、他のチャンネルに影響を与える心配が少なくて、扱いやすくなるという場合が、稀にではあるけれども、ある。これまで、何回か使ったテクニックだったかなと思う。

で、これというのが、実は人間関係にも使えるんじゃないかと思って、このページを書いている。
「怒りやすい人」というのは、日常的に、間違いなくどこかにいる。しつこいようだけれども、邪道でもあるし、余程コントロールに自信がなかったらやるべきではない方策だと思うけれども。(正論を言っただけで怒る人とかは、これしか方策がなかったりする、というのが、個人的な経験。)

発振現象を起こすまい(怒らせまい)として、心を配っても、無駄な場合には、むしろ思いっきり信号レベルをあげて(挑発して)、慢性的に「怒った」状態にしておけば、勝手に振り切れて制御しやすくなる。自分から勝手にフューズを飛ばして電源供給を遮断してくれたりする場合もある。

なんだか、最近、こういう制御方法しか使えないようなパーツも増えてるなぁという気もするけれども、とりあえず一個パルスを飛ばしてみたら、簡単に反応したパーツがあった。
そういうパーツが回路に組み込まれてしまったら、「安定動作」させるためにはむしろ振り切らせておいて、どういう動作をするかを予想しながら、思い通りの動作をさせるのが得策だと思う。振り切れている場合には、簡単に出力が予想できる。最近作った、赤外線の回路だったかなぁ・・・。忘れた。

本職のハードウェア屋さんからみたら、邪道以外の何者でもないだろうけれども、ソフト屋というのは、どれだけハードウェアに「癖」があっても、それなりに制御プログラムを書かなければならない訳で、初期化状態の時に何個かパルスを飛ばして、「この信号ピンは制御できない」と思ったら、むしろ振り切らせておいて、他の信号チャンネルに迷惑をかけないように制御する。これが得策だと思う。
こういうテクニックというのは、言葉で説明するのは簡単だけれど、結構周辺ロジックにバグを出しやすいから、あまりお勧めではないけれども、生産設備に限界があったりして、歩留まりに限界があるのに製品化しなければならない場合には、時として使わざるを得ないテクニックじゃないかなと、僕は感じていた。

ただ、難しいけれどもこの「振り切らせて」思い通りに扱うというのは、結構使い勝手はいいと思う。
例えば、勝手に居着いている癖に駐留経費を支払えみたいな、なんて、全然説明としては妥当じゃないなぁ、なんというか、フィードバックが過敏な信号線に、あらかじめオフセットで電圧「刺激」を飽和させておいて、うまくいけばフューズを飛ばしてその信号レベルをゼロに落とすような、そういう使い方はできないものかと、思ったりなんかした。「振り切らせて使う」というのは、自然界でも結構あるような気がしている。その方が安定したりする。

こういう「システム設計提案」というのは、だいたい組織に所属していると、上から「却下」される。ほとんどフィードバック抵抗が焼き切れているような製造品質の悪さが根にあっても、「なんとか使いこなせ」みたいな、無理難題。
そういうパーツを相手にロジックを組まなければならないとしたら、逆に飽和させちゃって、勝手に「トバして」おいて、そうすれば完全に反応が予測できるから、予測できている信号を相手にプログラムを組む。そういう制御プログラミングは、これまで何度か書いたように記憶している。
確かに、邪道っちゃ邪道だし、初心者とかには難易度が高すぎるかも知れないけれども、それしかない場合もあったような気がする。

逆の選択肢もない訳じゃない。まともな「入力」は与えない点は同じだけれども、何ていうんだろうか、「ヨイしょ」しておいて、一切「怒らせ」ない。出力を最下限に張り付かせる、みたいなやり方。一見、こちらの方が制御が楽だと思うかも知れないけれども、帰還抵抗が小さい回路の場合には制御は難しい。予想外の発振現象を起こしがちになるから、むしろ振り切らせた方が扱いとしては賢明だと自分は思う。

なんの話だったか、よくわからなくなった。パルスオキシメータの話じゃなくて、トノメトリの初期の試作でエレメントが15あった時の、製造品質が悪かった頃の対処方法だったかなぁ。

ただ、人体でも、電気回路でも、「飽和」させてしまった方が、動作の予測がかなり簡単になって、制御しやすくなるという点については同じだと思う。

なんでこのページを書こうと思ったかと言えば、バウムクーヘンのお礼でした。相変わらず、訳のわからない自営業の会社社長でした。

 

What does Donald Trump want?

He does not want Toyota to construct a factory in Mexico, and he wants investment only in the US. This will cause to attract many labors flow into the US from Mexico, and does he want this consequence also?

If he doesn’t want this result of what he says, it implies that he is such a person of lacking the intellectual property.

This is a tragedy of America, such a person like Donald Lump is becoming the president.

塞翁が馬

「視野の狭い」人が言いたいことを言う。
それができるようになったのが、インターネット普及の弊害なのかな、と思う。

例えば、相手のことを考えない悪ふざけが過ぎる小学生が、教師にこっぴどく叱られた。
的を得た指摘をすれば、子供の心にも届く。言われた子供は本気で悩んで、まず落ち込むかもしれない。
ところが、自分の子供が落ち込んでいる姿をみた親が、教師に「言葉の暴力だ」などとクレームをつければ、よほど覚悟がある教師でなければ、怖くて次から子供を指導できなくなる。
教育委員会や校長などが、冷静に、客観的な判断ができなければ、そうした親に迎合して、望ましい指導をしたにもかかわらず、その教師を攻めるかもしれない。本質的にどうなのか、その場の状況や、指導した表現やら、そうした内容を判断できる周囲の環境は、必要なのだと思う。
状況によっては、一見「言葉の暴力」に見える指導だって、その子の将来を考えたなら、転機にもなるものすごく重要なチャンスかも知れない。それを「有益」だと考えられず「暴力」だと断じるとしたなら、それは親の視野の狭さだと、教育現場の責任者の無理解だと僕は思う。

長期的な視点に立った「有益さ」の判断は、重要だと思うけれども、視野の広さや狭さは、基本的にはその人の「器」である場合が多いと私は思う。自分の視野の広さを自覚して、少しでも視野を広げるための努力をすることが、ある意味で、生きている意義だと思うのに、目先の感情的な判断に流されて、貴重な機会を失う結果になることは多いような気がする。

インターネットの技術の普及が、「衆愚」を助長しないことを願う。これはもう、技術の問題ではない。「衆愚に陥る」ことを防ぐためには、良質な情報を大量に発信することが重要だと思う。ここで「良質」とは、いわゆる「情報公開」で真実は何なのか、包み隠さずあからさまにすることも含まれると私は考える。「非難される」ことを恐れて、良質な情報の発信をやめることは、あってはならないと私は考える。(それができるかどうかは、環境の問題もあるなとは考えるけれども、)「良質な情報」の発信を心がける努力は、怠ってはならないのかも知れない。自戒の意味を込めて、そんなことを考えた。

(個人、として情報発信をしていた時は、あけすけの本音で、下ネタだろうが、中傷すれすれだろうが、歯止めをかけずに書いていたけれども、さすがに「会社の責任者、責任ある開発者」を看板に掲げて言葉を発信することになると、表現には制約とか、ブレーキがかかるな、と思った。でもそれは、たぶん、いいことなんだろうと肯定的に考えている。)
一定の歯止めがあるからこそ、持続的に書き続けていられる。自分は、そんなスタンスで言葉を発したい、そう言う人間でありたいと思った。

シグナリス再生

不思議なことの多い人生だった気がする。(まだ、人生が終わる訳じゃないけれども、振り返ってみて、という意味で。)

とにかく28年前から、自分はどういう立ち位置で、何をすべきか必死で模索しながら、WEBページを書き続けてきた。有限会社シグナリスは(今のところ)言ってみれば僕自身なので、会社のページをこうして書きながらも、会社とは切り離して、さらに一個人として延々と言葉を発し続けてきた。ある意味で、節目は一つ越えたと思う。自分がどんな役割を持って、あるいは何をしようとして生まれてきたかなど、終わってみなければわからないと考えている。余談ながら、その書き続けてきたページで、肉体の死がヒトとしての自分の死ではないと信じて、主張を続けてきた。つまり、肉体として「死」を迎えた後、「自分」に戻り、その後「今回自分は、何をしようとして生まれてきたのか」についての答え合わせができると信じている。その主張を書き続けてきた。誤解を招かないように、必死で言葉を選びながら続けてきた。

「節目を一つ越えた」というのは、僕が考える28年前からの因縁に、ある意味で決着がついて、ここから先、僕は自分の会社で「普通に」仕事に専念し、何か言葉を発し続けるという(ある意味で、とても)「訳のわからない」モードは終わらせても、もう何も思い残すことがないというところまで、書き続けてきたと思う。そして、結果も出せたと思う。

WEBというのは便利で、あっという間に「姿を消す」こともできる。伝えたい内容は既に十分に伝わったと考えているので、オリジナルの自分のサイトが「消滅」しても、考え方や言葉は残る。どこかにコピーも残っているかも知れないけれども、(無論、文責は負うものの)これ以上書き続けても同じことの繰り返しになるだけだし、28年前からの僕のやってきたことは、自分なりに納得した上で、終わらせてもいいかなと思い、あるきっかけで、一気に全面削除した。もう「書く場」がないから、そういう意味での情報発信はもうしない。

ここから先、僕は有限会社シグナリスを「休眠」ではなくアクティブな会社にするために、全力を集中しようと思う。

Aling Kap(パプアニューギニアの、とある現地語で「No Talk」(既に、話尽くしたね=「さようなら」の意味がある言葉)というWEBページをずっと書き続けていました。そのページを書いていたのは、私です。28年間の残像が残って、なかなか頭が切り替わらないかも知れないけれども、ある人の存在を伝えたり、その方のことを書くということも、もう二度とないと思う。書き尽くし、伝え尽くした。28年間の曰く説明し難かった僕の人生も、完全に節目をつけられたと思う。

「勉強会」にはずっと参加するけれども、あとは僕自身が「納得できる生き方」をするだけのことなので、他の人に伝えるということも、もうないと思う。今後は、仕事のことしか書かないと思います。