拉致問題

なんとなくだけれども、北朝鮮情勢、膠着状態を抜け出して、動きがあるのはいいことのような気がする。よくぞ、核実験やらミサイル発射を強行してくれた、という感じだろうか。
中国が本気になってくれたのは、実にありがたいと思う。

何よりも、トランプの存在は大きい。
なんというか、目には目を、じゃなかった、破れ鍋に綴じ蓋、は、違うなぁ、枯れ木も山の賑わい、は全然違う、あ、そうそう、毒を以て毒を制す、でしたっけか、やっぱり、金正恩にはトランプ。
トランプさんは偉大だ。その存在だけで十分に偉大。効果絶大。

のらりくらりというか、拉致問題について何を言おうが、何もする気がない、そもそも、日本なんて相手にしていない。その突破口が開いたんじゃないだろうか。
あとは、この状況の中で北の核、ミサイルから人道問題・拉致問題をどうやってねじ込むか、落とし所の「条件」の中に、どう組み込むかということなんじゃないか、という気がする。

北朝鮮がASEANに仲裁を求めたらしい。ASEAN?全てが北朝鮮と国交を持っているらしい。岸田さんの活躍に期待します。

今週のミサイル発射も失敗したらしい。北朝鮮国内に落ちたとか。どういう噂が広がっているか、これは見ものだ。

それはそうと、北朝鮮からアメリカ本土をミサイル攻撃するならば、どう考えてもロシアの上空を通過すると思う。ハワイ攻撃なら日本上空だからロシアの上を通過しなくても済むけれども、北朝鮮の「挑発」の文面を読む限り、やはりアメリカ本土攻撃ならロシアの上空通過は不可避な気がするんだが・・・ロシアは容認しているんだろうか。
いざ「戦争」になったら、ぶっつけ本番でアメリカ本土にミサイルを発射する?ぶっつけ本番に失敗したら、ハバロフスクだとか、沿海地方のウラジオストクあたりに何発もミサイルが落ちたりなんかして・・・。ロシアは、どうぞどうぞ、ってな立場なんだろうか。プーチンさんは、北朝鮮には寛容みたいだから、ウラジオストクの市街地に落ちても何も言わなかったりするかも知れないけれど。

3回連続で失敗しているから、そろそろまた、ムスダンみたいな「安定」な奴を試すのかなぁ。いっそのこと、毎週1回、10発くらいずつ、半年くらい続けて発射実験してくれたらいいのにとも思うけれど・・・これは、「どうぞどうぞ、」じゃないでしょうか?日本としても・・・

で、アメリカ本土攻撃を想定して北東方向に発射するとして、例えば完全に空中分解せず制御不能になって、国後島あたりに着弾するとしたら、どうなるんだろうか。
自衛隊機はスクランブルする?当然ロシア軍もスクランブルするだろうけれども、制御不能になったミサイルの迎撃なんて、(いや、Top Gunのトムクルーズさんならできるだろうけれども、映画の話は置いておいて・・・っていうか、古いなぁ・・・、話を戻して)現実にできるんだろうか?自衛隊とロシア軍とで面倒なことにならないか?北海道なら自衛隊、サハリン州ならロシア、だけれども、北方領土だと相当にややこしいことにならないか?なんて思ってしまった。こういうのを、杞憂という。のかなぁ。

プーチンさんは北朝鮮には寛容ですからね。ウラジオストクの市街地に「失敗作」が落ちても、「しょうがないなぁ、め!」とか言って済ますんだろうか。どうでもいいけど。

ロシアの場合には、まず、暗殺だの弾圧だの、もしかしたら「拉致」だってやってるかも知れない、っていうイメージが先行していて、現実問題として安倍総理が「拉致問題解決への協力」を求めたって、そもそも自分の国がやってることについて、他国を責めるなんてことができるはずがないから、無駄だろうという気がとってもしている。ロシアについては拉致問題に関しては期待薄だけれども、ASEANとか、中央アジアとかなら、日本が「全方位外交」で培った信頼関係を、この機会に最大限に発揮して、是非、この「ミサイル問題」の中に「拉致問題」をねじ込んで欲しいと、期待してやまない。
全方位外交に関して言えば、僕の同期の青年海外協力隊員もあちこちに行ったし、先輩・後輩、大勢が(ぶっちゃけ、何の役に立たない僕みたいなポンコツも結構いたかも知れないけど、)少なくとも人的交流だけは必死でやってきたと思う。
別に、イスラエルだって嫌いじゃない、けれども、同時にイランだって(僕の知人にはユダヤ教徒もイラン人もいますが)嫌いじゃない。どうか、安倍総理には、アメリカべったりではない、全方位外交を堅持して欲しいと思う。

そうして、ねぇ・・・横田めぐみさんのお父さんやお母さんを初めとして、拉致被害者やご家族の方々には、何とかして、いい思いをさせてあげたいよなぁと思う。

そんな訳で、「北朝鮮を絶対に挑発してはならない」という「定石」が存在するらしいけれども、僕は、(こんな、一個人が何を言おうが無力だろうけれども、)北朝鮮を煽るのは、止めない。金正恩さんの個人の性癖を(無論、いい加減な推測以外では有り得ないけれども)テキトーに書きまくることも含めて、トランプ政権に便乗して、煽って、煽って、煽り続けようかと思う。

だって、トランプにしたって、金正恩にしたって、「火遊びはやめなさい」なんて言ったって、聞く耳を持つとは、とても思えない。「拉致問題」に「人道的に、真摯に対応してください」なんて懇願したって、どうせ聞く耳を持つはずがない。
あの人たち、同類項だもの。

更新プログラムを構成しています・・・

胃の胃痛が痛い・・・頭の頭痛が激しく痛い・・・久々に・・・。いや、書いてみただけですが・・・

昨日の大学院の授業。「これなら大丈夫だろう」と準備したScientific Linux(Cent-OS)のライブラリが足りなくて、rails generateが動かない。約2名、ごめんなさい。

いや、先週既に綿密にテストした仮想マシンは用意していたのだが、MacのFusionで作った際に「仮想ディスク」という名前の仮想ディスクを作ってくれていた。そのファイル名がUTF-8で、VMWare Workstation 12互換のはずが、設定ファイルで指定したファイル名はそのままに、なぜか一方だけがShift-JISに自動変換されていて、噛み合わない・・・。コケたのは先週。デフォルトで「次へ」と進めた私が悪い。全項目チェックしながら設定していけば良かったのに、微妙な手抜きが命取り。というか、Windows上で試さなかった私が悪い。

そこで、昨日のためにWindowsのWorkstation 12上で改めてLINUXマシンを作成。ところが、私が作業を焦ったため、ライブラリが抜けていることのチェックが漏れて、授業中に動かない学生が1名。「緊急退避」用になっていない。私の不注意です。重ねてごめんなさい。自己嫌悪。

さすがに大学院生。自力でサバイバルした人たちは待ち状態で、進度がまちまちの学生に対応していたのだけれど、教材はIDEのNetBeansで書いていたところが、誰一人NetBeansは使っていない。(使ってもらって対応する予定だった人は、上記の状態でそれ以前にコケていて・・・)Atomが主流派か。EclipseでもなくGithubのAtom。想定していませんでした。ごめんなさい。(何度目?)

で、LINUXもUbuntuに慣れた人が大半なのに、私が準備したのはCent-OS系のScientific Linuxで、セットアップのコマンド体系がクラスの中で二分。この際だから、改めて、今度こそMacじゃなくて、Windows上で、Scientific LinuxじゃなくてUbuntuの仮想マシンを作ることにして作業開始。途中まで順調だった。

ところが、夕方から急に仮想システムのパフォーマンスが悪くなる。aptでアプリやライブラリを取りに行く。突然早くなったり、遅くなったりしだして、その後はどうしようもなく反応が鈍くなった。何が起きたんだ?

terminalでexitを叩いても、文字が表示されない。アイコンをクリックしても、何も反応しない。頭を抱えて一服して戻って画面を見たら、5分くらい前に叩いたコマンドが表示され、しかも別の文字列とつながって(一部の文字がバッファーされずに消えて)くっついて実行されてエラーになっていて、そうしたら、突然10分くらい前にアイコンをダブルクリックしたアプリが起動した。

さらに「鈍さ」が増してくる。一旦ゲストOSを抜けて、ホスト側に戻ろうとしたけれども、ホストも反応していない。開いていたFirefoxがエラーメッセージを出してフリーズ。作業メモを書いて編集中だったテキストファイルは保存しようとしたら、「無題」からだったのでファイル名入力のポップアップが開くはずが、そこでも固まって「応答なし」

絶望的な気分で、意を決して電源ボタンの3秒押し。やりました。そうして再起動。

そうしたら・・・「Windowsを更新しています」とか出てきた。あ、これか・・・

そう、バックグラウンドでWindowsの更新がかかっていたらしい。その状態での3秒押し。クラッシュしていないことを祈りつつ・・・
ホストがクラッシュから回復したとして、ゲストOSのUbuntuもライブラリのインストールの途中で強制終了しているから、何がどうなったか、めちゃくちゃ憂鬱な気分。
ってか、Windowsの自動更新をOffにしたら、それはそれでかなり怖いし・・・そうかといってONにしておくと、こういうことが起きるし・・・

Windowsからはのんきに「更新プログラムを構成しています」とか表示されている。と、このページを書いているうちに、どうやら無事、Windowsの起動はしたようだ。次は、Ubuntu。と思っていたら、起動ログに凄まじい量のエラーメッセージが吐き出されていた。どうやら仮想ディスクの分割ファイルの一つが破損したみたいで・・・

いいや。またやり直します。だって、Windows上での作業だもの。いつだって、こんなことばっかりだったじゃない。そもそも、元はと言えば僕の最初の作業が不注意すぎた。自分で使うならすぐに対応できる、という安易な姿勢が元にあって、新学期始まったのに教材として配布する神経質さがあまりにも不十分でした。というか、ここんところ試作の繰り返しばかりで「お客様に提供」モードに全然突入できてないから、緊張感が全くなかった。これが敗因。

昔(学生時代)雀荘でよく歌った替え歌を思い出した。
美空ひばりさんの「徐州徐州と人馬は進む」の節で「裏目、裏目とドツボにはまる。」
この替え歌、この次があったんだよなぁ、確か・・・もう忘れた。この後が思い出せない。

Ubuntuのセットアップは、午後4時くらいの作業からまたやり直し。6時間損したか。いいです。先送りします。仕事が全然捗らない・・・汗

こんな日もあるさ。と、思うことにしました。反省すべき点、多すぎ!
気を取り直して、ってもう午後10時だし・・・

理解不足

日曜日の夕方、NHKのラジオにアグネス・チャンさんが出ていて、シリア難民のキャンプをヨルダン、トルコなどに訪ねた話をされていた。
自分の理解不足を思い知った話題。

難民とはrefugeeであって、避難民だと思っていた。つまり、一時的に母国を捨てていても、戻れるようになったら「帰還」する人たち、だと理解していた。そうしたら、どうやら違うらしい。「母国を捨てて、母国から退避してきた人」であって、「戻る」という想定はないのが「難民」であり、一時的に退避してきているが、いずれ戻るはずの人たちは「避難民」だと。アグネスさんのお話から、そう理解した。だから、ヨルダン政府は、難民としてではなく避難民としてシリア人を受け入れていて、そのために難民キャンプが正式なキャンプにはなっていないため、ユニセフも支援ができない、というような話だったと私は理解した。
知らなかった。

私は、難民というのは、戻れるようになったら戻るものだと思っていた。無知なのに、あれこれ書いてしまった。もっと、池上さんの番組とか見ないとなぁ・・・とは思ったけれども、そもそもがあまりテレビを見ていないし、(ほとんどラジオが中心で)テレビのある母屋には、寝るのと食事以外は居着いていないし・・・。無知でした。理解不足でした。きちんと理解していないのに、考えたことをあれこれ書いてしまって、読んでくださっているみなさま、申し訳ない。ごめんなさい。

ただ、それならと思ったことがある。フランスもドイツもヨーロッパが、難民受け入れはキャパシティの限界だと悲鳴をあげているらしいが、その「難民」が永住を前提としているのならば、仕方ないんだろうなと理解したけれども、もしその「難民」が「避難民」ならばどうなんだろう。

正確なrefugeeのニュアンスを理解できていなかったから、こうした私の誤解があったけれども、正確に表現するならば”permanent refugee”と”temporarily refugee”と、使い分ける必要があるんだろうか。ここまでの文章で、難民は”permanent refugee”を意図し、避難民は”temporarily refugee”を意図して書いた。英語のニュアンスを私が正確に理解している自信がないが、”refugee”の他に、国連などで”evacuee”を別途定義して、”evacuee camp”の支援も国連として正規に扱うというのは、一つの「受け入れ枠拡大」の打開策にならないだろうかと、ふと思った。
フランスもドイツも、refugee campは将来コストを考えたなら確かに無理があっても、そうではなく、evacuee campならばまだ、国民の一般的な理解も得やすいんじゃないだろうか。
(日本語だと、「疎開民」キャンプになるんだろうか。)

日本はシリアからは遠い。だから、シリア難民は他人事だと思うけれども、北朝鮮は近い。
北朝鮮難民は、どういうことになるんだろうか。とふと思った。日本には朝鮮総連もある。

突然話題が変わる。
そもそもが、国民を「愛して」いる政治家がどこかにいるのか、ニュースを見聞きしていて肌寒い限り。大半の方が、自分の生活のために政治家をやっているようにしか思えない。良くて、国民に対する義務感であって、義務感や責任感を持っている政治家ならば十分に容認できるけれども、それですら少ない気がする。
最悪ではないにしても、「勘弁してよ」というのは、自分の主義主張に賛同者が多かったなら、政治家になれると錯覚している人。トランプはこの類かもしれない。
そして「最悪」なのは、自分の支配欲を満たし、欲望達成のために、あるいは、政治家になったことによって得られる利益が目的で政治家になった人。
なんとなく、これって4段階評価だろうか。カテゴリー1が「国民を愛している政治家」で、カテゴリー4が「支配欲の権化」、カテゴリー2は一応責任感があって、カテゴリー3は器じゃないのに大衆迎合がうまくて政治家になった人、なんて感じだろうか。なかなか見抜けないんだよなぁ。
いくら国民を愛していても、実力がなかったらどうしようもないのは確かかも知れないし・・・一言で「国民」って言ったって、極右もいれば極左もいる訳で、その両方を愛せるかってな話だろうから、カテゴリー1はいなくて当然かも知れない。

アサドは、カテゴリー3から、カテゴリー4にシフトしたタイプかなぁという気がする。
ただ、金正恩は違う。最初からカテゴリー4になるしか生きる道がない状況で生まれてきた。その前提で解釈しなければ、金正恩を理解できないと、ふと思った。

中国にしても、ロシアにしても、カテゴリー2の方々が政治をやっている気がするから、まだ安心感がある。安倍さんにしても一応は責任感はありそうだし・・・

昨日の「朝鮮軍85周年」関連の報道で、確信を持ったことがある。テレビのコメンテーターだったか、「北朝鮮情勢に詳しい人」が何かを話していたけれども、生まれてこの方、一度も「安心」したことがない人間が、あれほど執拗に「手を出したら、お前ら痛い目に遭うぞ」と発言するというのは、どういう心理か、テレビから流れたコメントにかなりの違和感を感じた。
心が満たされたことがない人間が、あれほど口数多く言葉を発する、あるいは、国営通信などを通じて過激な言動をする、というのは、どういう精神状態か。同類項としては、手に取るようにわかる。テレビでコメントできるほどに社会から評価された人には、おそらく理解できないだろうけれども、痛いくらいどういう心境であれらの発言をマスコミに流したか、伝わってくる気がする。(シンクロしちゃった気がするくらい・・・)確かにまず、承認欲求っていうのはあるだろうけれども、それだけじゃない。

先週、協力隊OBでうちの社員の松尾くんと、夕食を一緒に食べながら話していた。彼は「一体、北朝鮮はなんのメリットがあって、あんな挑発するんでしょうかね」と、よく話していた。
対外的になんのメリットもないことは、金正恩も理解しているはずである。あれら全ての「強硬発言」は、対外的には仕方なく流しているものであって、基本的に金正恩の言動は、大半が国内向けだと思った方がいいと思う。今回の85周年関連も、同じだという気がする。
彼にとって国民は「制服すべき敵」であって、まず自国民を制服して、自分自身の「絶大なる権力」を固めるために、核実験、ミサイル発射など全ての「挑発行動」を行なっている、という理解から考えるのが妥当だと、僕は思う。「日の目をみたことがない」人間の心理は、陽の当たる道を歩んでいる方々には、おそらく理解できない。形式的に朝鮮戦争はまだ終わっていないから、だからアメリカなのであって、アメリカである必然性はないと思う。
ということは、たった一発でもアメリカからのミサイルなどが北朝鮮国内に着弾したならば、彼の権威はそれで消し飛ぶ、もっとも恐れているのはそうした「国内に危機が及ぶ状況を作ってしまった国家元首」になることだろうと思う。だから、昨日前後、あれほどまでに「攻撃のそぶりを見せたら、核攻撃でなんちゃら」と、鬱陶しいくらいにメディアに発言を流した。なんとなくだけれども、あれは恐怖の裏返しじゃなかろうか。
いかに、国営メディアで無視しようとも、一週間もあれば口コミで北朝鮮全土に「アメリカからのミサイルが着弾した」ことが噂として広まる。一週間あれば、おそらく9割の北朝鮮国民が着弾を知ることになり、そうなったら、核実験だとか、ミサイル発射などで広めてきたイメージが逆の意味を持ち始める。

白馬に乗って疾風するプロパガンダ映像を流したのは、正恩ではなくて正日の方だったか。それこそ、金正恩は、あの太った体型がトランスフォームしてロボットのようになって、アメリカを打ち砕く、そうした映像を制作して国内に流したい位の思いなんじゃなかろうか。もしそんなことをしたら、アレとしか思えないけど。(いや、髪形についてはコメントしませんが・・・)
正日が始めたナマズの養殖だとか、空軍パイロットに腹一杯喰わせるために養豚場が「後方基地」として作られたと、国営放送で流した、その意図はなんだったか。(その映像を流すメリットがなんだったか。)まさか、対外的なアピールではあり得ないでしょう?国内にどんなメッセージを出したかったのか、とてもわかりやすかったと思う。それほどに、国内の「見えない」反対勢力に怯えていると考えるべきだという気がした。

僕ら異教徒から見たら、シーア派かスンニ派かなんていうのは、どちらがどんな主張なのかその違いすらよくわからない。ある一線を超えてしまったら「違いが何で、共通点が何か」などは問題ではなくなって、排除することしか考えなくなるんだろうか。金正恩は、あの人の一連の言動は「尊敬(敬愛)されたい」というのがあると思う。中高生のヤンチャとどこが違うのか、というくらい、方法を間違えている気がするけれども・・・
でもそれは、傍目八目であって、当事者になっちゃうと、なかなかわからないものだよなぁと自戒。

スマホのニュースに、アメリカの論客の「戦争にチャンスを与えよ」っていう記事が配信されて来た。日本人にそれを流すなって。そもそもが「自衛隊による敵基地攻撃」の是非の次元で議論が紛糾しているし、僕自身も「敵基地攻撃賛成」と喉まで出かかっている。安倍さんだって、憲法9条を無視はできないはずだと思う。
だけど、たったの一度「例外」を容認してしまったら、太平洋戦争の反省は一体なんだったのかということになると思う。頑なに、「それはあり得ない」という立場を貫く以外、太平洋戦争で亡くなられた数え切れない方々に申し訳ない。日本人ばかりじゃない、中国でも韓国でも、ロシアでもヨーロッパでも、アメリカ人も、オーストラリア人も、(ごめんなさい、以下省略)世界中で数え切れないくらい人が死んだり虐げられたりした。ニューギニアで遺骨収集を手伝ったけれども、「敵基地攻撃賛成」なんて立場に回ったら、僕は二度とニューギニアに足を運べなくなってしまう気がする。

それならば、「話し合いによる解決」ってことになるんだろうけれども、じゃぁ一体何を話し合うんだろうか。話題ねぇ・・・。

ナマズは、唐揚げが結構美味しい。

引き算はできない!

コードを書いていて、しばしば思うことがある。
あるロジックを組み込んで、それを使ってコードを書き、途中でそれを大幅に書き換えなければならなくなった場合(理由は様々で、自分が勘違いしていた場合もあれば、お客様の気が変わったり・・・、)明らかに一旦そのロジックを「取り外し」て、全体を書き直さなければならなくなったりする。

ただ、よりコアに近い部分で書いたコードは、もはや「引き算」して「なかったこと」にするのはほぼ不可能で、別のロジックでラッピングして(包み込んで)無理やり対応させたり、そうした「逃げ方」で実装して納期を間に合わせたり、工数を減らすということをする場合が少なくない。

一度作ってしまったものは、プログラムのような「人工物」でも、引き算でなかったことにするのは困難だと思う。

もっとはっきりしているのは、例えば料理。
事務所で「間食用」に炊飯ジャーの煮込み料理を作っている。野菜たっぷりのコンソメのスープだったり、煮豆だったり、今週はモツ煮。
作り始めでは割と澄んだ味をしているのだけれども、(悪い癖で)途中から別の具材を投入したくなって、入れる。例えば煮干し。粉にして投入すると、かなりの頻度で味をぶち壊してしまって来た。(勉強不足とは思うけれども、事務所での料理は、そんなにリキを入れている訳じゃないし・・・)ひじきなんかの海産物も、栄養を補おうと思って投入すると、かなりの頻度で失敗する。

そう、「引き算」は料理の味付けでは絶対にできない。こうなると、もう、例えばコリアンダーを入れて見たり、シナモンをちょっと入れて見たり、「足し算」に「足し算」を重ねて、最後はどうしようもなくなって、カレー粉の大量投入、というのが、昨今のよくやるパターン。味噌も最後の手段で使うかなぁ。
でもね、栄養だけは間違いなくたっぷりで、その頃にはほぼ50品目くらいの「煮込み料理」になっているから、「体にはいいぞ」と言い聞かせながら、最後まで食べ切るんだけれども、青年海外協力隊OBとは言え、人工的にできちゃった「不味さ」だから、時として拷問に近くなる。(マゾか、俺は・・・)

次の話題は、もう何度も書いた。もう20年以上前、医療機器メーカにいた頃、展示会に「生体シミュレータ」のソフトウェアが展示された。外科手術の投薬管理のシミュレーションで、降圧剤だか何だか、会場に見に来ていた人が「1000単位」を投入すべきところを「10000単位」とか入れて、そうしたらシミュレータ(患者さん)の心電図がフラットになってしまった。(つまり、亡くなる一歩手前)
ところが、その後降圧剤を「-10000単位」とか投入したら、まだ心電図が復活した、という夢のような話。やっちまった医療過誤を「引き算」したら復活しました、みたいな話。できたらいいんでしょうけどね。料理の引き算と同じく、相当に難しそうだ。ってか、できないんじゃない?

似たようなことは、さらに多い。
他人に吐かれた暴言。思いっきり傷ついたりする。後から謝罪されたって、前言撤回されたって、一度傷ついたものは元には戻りませんよ。大人だから、思い出さないようにしていたって、何かあると、ふと意識の前面に躍り出て来たりする。言葉だけじゃない、行動だってそうかもしれない。
通常は「言動」という形で一括りにするけれども、絶対に「引き算」はできない。
対処方法は学んで知っています。こういうのが意識の前面に出て来た時がチャンス。それについては、書きませんが。

一般論として、これもラッパー(wrapper)を被せて、現実に悪影響がないように対応することはできるかもしれないけれども・・・

さて、長すぎる枕の果ての本題。
ISISがついに終焉か?
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/04/isis-109.php

で、思うことは、なぜISISが発生したのか。イラク戦争とか、対アルカイダ掃討作戦での「戦犯」への対応、アブグレイブ刑務所とか、グアンタナモ収容所などでの「扱い」が次のISISの種や芽になったのではなかろうか。ネット検索ですぐには見つけられなかったけれども、以前テレビ番組でバグダディは他の創設メンバーと刑務所内で会ったというような内容をみたような記憶がある。そうした刑務所内での非人道的な扱いが、アメリカを中心とした「欧米」への憎悪となって、イスラム国に発展したと、私は、ざっくりとではあるが、そう理解している。

もし今回のISIS後、その「残党」と呼ばれるような人たちが捉われて、収容されるようなことになった際には、是非とも、あくまでも人道的に扱い、「洗脳」を解くことが困難だとしても、罪を償う意志があるならば、あくまでも「社会の一員」として受け入れて、人道的な虐待や、(それこそ、イスラム法で定める(?))拷問のようなパニッシュメントは絶対に避けて、これが次のアルカイダや、次のISISなどの伏線となることだけは、絶対に回避して欲しいと思う。

「あいつらは、悪い奴らだ」なんていう言い回しをどこかの国の大統領は好む。世の中そんな単純じゃないと思う。「悪い奴らだ」と決めつけられれば、本当に「悪い奴ら」になる場合だってある。というか、そうやって「勧善懲悪」的なヒーロー気取りで、過去何回も「犯罪者」を創造して来たんじゃない?と、私なんかは思ってしまう。バグダディなんて、明らかにその一人じゃなかろうか。

世界は、ISIS前には二度と再び戻れない。引き算はできない。別の要素を加えて、なんとか味を整えて、社会全体と調和する形にしていくしか、方策はないと思う。足し算しかできないのである。

問題は、何を加えるかで、やり方を一歩間違えれば、絶望的な状況になる。
シュールストレミング(でしたっけ?)みたいな(話しか知らないから全く想像できないけど)、それ一品を加えただけで「決定的な破壊力」を持つ要素もあるんだろうし、ジョロキアみたいな隣国もあるし・・・

私の料理の場合には、最後は味噌煮込みか、またはカレー、という「逃げ方」の定番があるけれども、地球は200品目、500品目のごった煮スープですからねぇ。

国家、言語族、部族、宗教宗派などなど、何品目なんだろうか。

 

変わり続けるrubyとrails….

ruby 2.4.1をインストールしたが、微妙に2.4.0の残骸が残っている。
そうしたら、railsからこんな警告が出るようになってしまった。

warning: parser/current is loading parser/ruby24, which recognizes
warning: 2.4.0-compliant syntax, but you are running 2.4.1.
warning: please see https://github.com/whitequark/parser#compatibility-with-ruby-mri.

今のところ、僕はruby on railsでは商用コードは書いていないから、影響はまだないけれども、法政大学の授業教材では、毎年大幅な書き換えを余儀なくされている。
仕事なら、バージョン凍結して、rails 3.2のままやります!とかは「あり」なんだろうけれども、大学の授業教材で1年前のバージョン、3年前のバージョンとかを取り扱っていたら、あまりにも野暮ったい気がして、結局「見栄」というか「プライド」というか、up to dateなところを見せようとして結構な時間を使っているかもしれない。

Ruby on Railsのユーザ会とかにも積極的に参加して(いや、同じ環境を使っているプログラマの方々との接点を持ちたいというのは、あまりにも私の場合「我が道を行く」が過ぎていることを自覚しつつ)、世間の常識からズレないようにしたい。Pythonについても、ユーザ会などの場に顔出しを模索したいと思う。

Qiitaには随分お世話になっています。
http://qiita.com/jnchito/items/9f9d45581816f121af07
ここをみて見た。
いや、僕自身も何編かQiitaには投稿しているけれども、今回のWarningは絶対に避けて通れないと自覚しつつ、社会貢献というか、調べて原因がわかったらQiitaに投稿したい。

Qiitaですが、エンジニア採用のキャッチを読んで、ぶっ飛んだ!
https://increments.co.jp/jobs/engineers/?utm_source=qiita&utm_medium=header_news
「世界の進化を加速させる力を求めています」

Railsの面白さは、多言語化の簡単さにもあるかもしれない。秋学期では、日本語と英語、フランス語と中国語簡体字の環境の切り替えを授業中に紹介したけれども、今回の春学期では日本語と英語、そしてスワヒリ語のWEBの切り替えを紹介する。教材を書く都合で見ていたら、ありました。スワヒリ語の言語辞書。
half_a_minute: nusu dakika
less_than_x_minutes:
one: chini ya dakika 1
other: chini ya dakika %{count}
こういうのが、簡単に組み込めてしまう!もう、20年前には想像すらしていなかった。これは、「良い変化」か「悪い変化」か?愚問でしょ!明らかな「世界の進化」だと思う。

無論、コンテンツそれ自体は自分で辞書を用意しなければならないから、翻訳できる人がいなければ、その言語を知っている人がいなければ、きちんとしたものは作れないけれど。でも、そういう人がいたらすぐにできる。そして、そういう人が東京には何人もいる。

それにしても、と思う。
この爆発的なWEB技術が恐ろしく「独自の進化」を遂げていて、今時はもう、国境とか国家っていう概念をすっ飛ばして、海外と繋がっている。それに連れて「経済活動」も、どんどんボーダーレスになって行くのが「激流」の方向性なんだろうと思う一方で、破壊的な勢いだから、「保守的」な反動が出るのは避け難いんだろうな、ということも確かに感じる。
ただしかし、ペンス副大統領の一言「平和は力によってのみ初めて達成される。」にはなんだか、猛烈な反感を持った。
http://www.sankei.com/politics/news/170419/plt1704190010-n1.html

対北に限定した言い方なんだろうか。そうだとしても、「力」によって「永続的な平和」はなし得ないと私は思う。「時代遅れの国家元首」が一体世界に何人いるんだろうか。そして、誰がそれに該当するんだろうか。
いかなる形でも「決して自分は相手を攻撃しない」その前提が成り立つならば、いずれ「武力」が不要な世界になると信じたいし、今のWEB技術が「生まれた時から存在している」世代からは、そうした世界観を持つ人がきっと大勢出てくると思う。そうなった時に、世界が劇的に「平和」になることを信じたい。

武器の輸出入で、国内で要らなくなった原発技術の輸出で儲けようとする人たちが、「奴隷商人」と同じように見られる時代が、きっと来ると信じたい。

「冷戦構造」の残像を引きずっている方々が、世界をどんどんおかしくしている気がする。フェードアウトしていただきたいのに「保守的」な反動が強くなれば、トランプどころかもっと閉鎖的な国家指導者も「民主的」に選ばれるようになるんだろうか。
経済に引きずられて体は右を向いているのに、頭は左を向こうとしている、そういう自己矛盾を内包していれば、いずれは「おかしく」なる気がするし、そうした「保守回帰」がどういう結末になるのか、やはり、何カ国か「反面教師」になっていただきたい気もするが、何と言っても、海を挟んだお隣が北朝鮮というのは、どうにもならない。北朝鮮だけは、体も左を向いているから、確かに「自己矛盾」はないけれども、「平和は力によってのみ初めて達成される。」という主張が当てはまってしまう相手なのかも知れない。
あんなになるまで甘やかした中国の責任じゃないかという気がする。本当に、中国に何とかしてもらいたい。

日本では、政治に興味を持ってくれている若い人たちが増えているような気がする。「投票したって何も変わらない」じゃない。「投票しなければ何も変わらない」と考えるべきだと思う。選ぶ基準はきっと、二通りなんだろうな、と思った。

まず、「具体的」な政策、「具体的な根拠」のある主張をしてくれている政治家。

あるいは、若い人たちが何らかの(世界を変えるような)「具体的なアイディア」を出した時に、それを柔軟に取り込んでくれそうな政党の政治家。

若い人たちの人口比率は、どんどんと下がっている。当然、「年寄りにとってメリットのある政治」がまかり通りやすくなる。それを防ぐためにも、どんどんと「政治行動」(投票)をしてもらいたいと思う。それが結果的に「世界は一つ」的な感性が政治の表舞台に取り上げられることにもつながると、信じたい。

悪い癖だ。またしても、話がバカみたいにでかくなった。

MySQL/XAMPPがよく落ちる

何か、ここのところ、MySQL/XAMPPがよく落ちる。

気がつくと、データベースアクセスが出来なくなって、XAMPPのManagerの画面を見ると

MySQL Database    Stopped

となっている。何もしていないのに・・・(いや、何かあったのは間違いないんだけれども、通常の操作しかしていないはずなのに・・・)

で、伝家の宝刀

/Applications/XAMPP/etc/my.cnf

に一行追加。

innodb_force_recovery = 1

これでうまくいくかと思いきや、エラー終了。ログを見る。

2017-04-14 14:50:38 12253 [ERROR] InnoDB: Unable to lock /Applications/XAMPP/xamppfiles/var/mysql/ibdata1, error: 35
2017-04-14 14:50:38 12253 [Note] InnoDB: Check that you do not already have another mysqld process using the same InnoDB data or log files.

これかなぁ・・・。システムプロセスを表示

ps -aef | grep mysqld

起動していないはずなのに、デーモンが起きてるっぽい?落ちたんじゃないのか?デーモンのゾンビなんて、いるのか?(しまった、再起動する前にコンソール表示を記録しておくんだった・・・)

デーモンもゾンビも、歴としたSEの用語なんだけれども、知らない人が見たら何を気持ち悪がっているのか、と思うんでしょうねぇ。

正常起動なら、以下のようになるはず。

74   963   607   0  3:20PM ??         0:00.72 /Applications/XAMPP/xamppfiles/sbin/mysqld –basedir=/Applications/XAMPP/xamppfiles –datadir=/Applications/XAMPP/xamppfiles/var/mysql –plugin-dir=/Applications/XAMPP/xamppfiles/lib/mysql/plugin –user=mysql –log-error=/Applications/XAMPP/xamppfiles/var/mysql/FooBarZot-no-MacBook.local.err –pid-file=/Applications/XAMPP/xamppfiles/var/mysql/FooBarZot-no-MacBook.local.pid –socket=/Applications/XAMPP/xamppfiles/var/mysql/mysql.sock –port=3305

この現象、今月に入って確か3回目。今週2回目。結局、こういう時はどうするか・・・言うまでもなく、Macの再起動。そうしたら、上記の通り無事動くようになってくれたんだけれども、何が起きたのかがわからない、って言うのがとても気持ち悪い。

たぶん、3度あることは4度ある。

ちなみに、今使っているXAMPPは、Vers 5.6.11-0。最新版のサイトを見たら

XAMPP 5.6.30, 7.0.15 & 7.1.1

の三本立てで・・・おい、Vers. 6はどうした。こういう時に悩むのは、これは一体、「深入りして調べる」べきことなのか、それとも「結果オーライ」でスルーしちゃってもいいことなんだろうか、って言うあたりだろうか。

当面、XAMPPは開発ツールだし、デプロイ環境じゃないから、「見なかったことにして忘れる」を選択。(深入りしても、どうしようもない場合の方が多いし。)

それにしても気持ち悪い現象だなぁ。落ちたはずのデーモンが、プロセステーブルに残っている?ファイルをロックしたまま?SQLにバグがあったって、普通デーモンは落ちないと思うし・・・何が起きたんだろう?

さてと、4度目が起きちゃったらどうするか?また、force_recoveryをセットして、リブート?それで逃げ切れることを祈りつつ、この体にまとわりついた不快感を無視することに決めた。この辺の話題、ググってもあんまりヒットしない。ってことは、「リブートして解決するなら、それでいいじゃん」って言う程度の「問題」なんだろうな、と、決めつけることに、決めた。(煮えきらない私。とっても気持ち悪いけれども・・・他にやること、あるでしょ!って言うことで・・・)

先週は、Eclipse/Aptanaのセットアップでハマった。無料の環境にお世話になっていて、「無料」であることが当たり前みたいに感じてしまっているけれども、Oracleにしても(InnoDBもJavaもOracleに吸収されちゃって)ビジネスモデルとして成立させるのは大変なことだと思うし(いや、Oracleさんは金には困らないに違いないと言う気もするんだが・・・)「無料」のツールを使って、月額数百円を払ってもいいと思う人を相手にする。Googleさんのワンクリックいくらも、「塵も積もれば山となる」という世界なんだろうか。なんだか、この「ソフト開発」の世界の変化に、もしかしたら、私はまだ感覚的について行けていないような気が、すごくした。

無論、ガチガチにOracleさんのDBを使う大規模開発の孫請けにSEとして参加すると言う選択肢もあるだろうけれども、非常勤講師をやっていて、フルタイムで参加することが困難、という時点で、全ての非常勤講師を辞めると言う決断が突きつけられるから、残る選択肢はこっちの世界でしょうね。「昔ながらのソフト開発」は、選択できない選択肢になってしまったかも知れない。

この話題、たぶん、だけれども、とっくの昔に確認されて、バージョンアップで解消された問題、のような気がしてきた。調べる時間コストを割愛することにする。

こだわらなきゃいけない話題と、こだわっちゃいけない話題の切り分けが、出来ていないんだろうなぁ・・・という独り言でした。スピードが勝負の世界になってきているかも知れない。

で、書き忘れていた。

中国が金正恩をコントロール出来なくなっているのと同様に、プーチンもアサドをコントロール出来なくなっている。
たぶん、金正恩がらみのニュースを見ていたアサドが、触発されたんだろうなぁ。相当に「追い詰められた感」があるのは、わかるけれど。
もうあと、ほんの一押しのような気がするんだが。

鴨緑江の鉄道橋封鎖は、もう不可避だと思う。中国がどう動くか。
アサドに対しては、トランプにはまだ期待できないとして、安倍総理がサウジのアブドゥルアジール国王に連絡を取りながら、ヨルダンのアブドラ国王と直接交渉で、何ができるか相談したら、たぶん出来ることがあるような気がする。あると思う。

安倍総理は、力づくで解決することにしか頭が向いていないというか、武力行使が不可欠だと思っているけれども、そうじゃないでしょと思う。ヒトは生きて行くために必要なものが、あれやこれやとあって、ヒトとして生活の原点から発想したら簡単に答えは見つかるはずだと思うのに、金持ちというか、権力者というか、そういう人たちはチョークポイントがどこにあるか、まるでわかっていない。
なぜ、国家権力へのチョークポイントを締めることで、武力を行使せずに相手を落とすか、そういう発想にならないのか、と思う。
手の内は明かさない、でしょ?

イギリスは、あんなだからなぁ。ジェームズボンドの活躍は全く期待できない。
トムクルーズさんに頑張ってもらうしか、なさそうかなぁ。次回作に期待。中朝国境。

NetBeansデビュー、シビリアンコントロール、そして爆撃

長い一週間だった。疲れた。書きたいことが山ほどありすぎて・・・

まず、NetBeansデビュー。今週は火曜日からずっと、大学院の授業で使うRuby on Railsのセットアップ手順書を、英語で書いていた。一日、長くても二日で終わる予定だった。ところが、今日にずれ込んでしまった・・・四日間も浪費。
学部生相手の授業では、もう懲りているのがまず、Minixの時のCygwin。セットアップからやらせたら、100人近い学生で落伍者続出で、どうにもならない。迂回策として、FD(初期の頃、まだ学生のPCにCDドライブがなかった頃)配布しようとしたら、全部で30枚とか・・・。その後、仮想OSとしてBochsを使ったけれども、若干の改善だけ。当時に比べてほんの15年程度の間に、メディア事情は恐ろしく進化した。最終的にVMwareにLINUXを載せる形で落ち着いていたけれども、最後の方は逆に「安定」しすぎて学生の勉強にはならない、という気がしてきた。
そこで、今年からは大学院の授業だけだから、VMwareをメインにするのではなく、MacOS-XでもWindowsでも、ネイティブ環境でRuby on Railsの開発環境を整えさせるところからやろうかと、決心して、(最悪の場合のEscapeとして、LINUX on VMwareも用意しつつ、)LINUX on VMware, MacOS-X, Windowsの三本立てで、Ruby on Railsの開発環境のセットアップ手順書を書いていた。

まずつまずいたのが、gemのインストールの際の、ライブラリのバージョン。例のnokogiriのglib2とかxsltとかのバージョン回避の裏技に辿り着くまでに、8時間以上、あぁでもない、こぉでもないと、試行錯誤と検索の繰り返し。で、それをクリアして、LINUX, Mac, Windowsそれぞれ無事、rails 5.0.2のインストールまでは漕ぎ着けた。
Aptanaは、Javaの「純正環境」と、今はとにかく整合性が悪い。2〜3年前から、JavaをアップデートしろというJavaからのポップアップに迂闊に応じてしまうと、ファイルを編集しようとした途端にAptanaが落ちる、という現象が続発。学生からのトラブルにも、うまく受け答えできない時期もあったけれども、ようやっと昨年、Javaがらみで回避できることを見つけた・・・のに、やはり、純正のAptanaは落ちる。迂回策として見つけたのは、EclipseのAptana Plug-inだった。これは、半年以上、かなり快適に使えてきていた。そう、一昨日(作業開始から二日目、)Aptana Plug-inの読み込ませ方の手順を書いて、終わるはずだったのに、あろうことか、aptana.comのサーバが応答しない。
水曜日夜。もう、諦めて、スポーツジムで結構体をイジメてから、寝た。翌朝起きたら、aptana.comは応答するんだけれども、download.aptana.comなんてサーバは、どこにもありませんと、何回やっても突っぱねられる。さてと・・・とりあえず木曜日、外出する用事があったから、別の仕事の「文書作成」を用意して、次の仕事を先に割り込ませたけれども、やっぱりAptanaはもう終わったか・・・。

それで仕方なし、6年近く教材で使い慣れてきたAptanaに見切りをつけて、(厳密に言えば、AptanaアプリはJavaとの整合の問題でもう使いたくなかったけれども、それでも、せめてEclipse環境でAptana Plug-inを使いたかった、という未練を断ち切って、)NetBeansを使うという決断でLinux/MacOS-X/Windowsの三本立てで、NetBeansを使う前提での教材の書き直しをして、気づいてみたら、もう、金曜日の夜中になっていた・・・という次第。

NetBeans? Eclipseは割と「無色」だから好きだったけれども、NetBeansはガチガチにOracleのもんだから、どちらかと言えば避けて通りたかった。Windowsが嫌いなのと同じ理由。なんでそんなに、WindowsとかOracleとかを毛嫌いするか?理由は簡単で、開発者に負担を求めすぎるから、です。今時、「ソフトウェアは只が当然」的な風潮があまりにも強くて、「月額500円」っていうと「先生、それは高いよ」とか言われる。しかも、無償のユーザほど「糞みたいなソフトだ」とか好き勝手をネットのコメントに書くのが当たり前で・・・。エンドユーザから金が取りにくいなら、せめて開発ツールも只でないと開発を継続できないのに、Windowsがらみは道具を揃えるだけで数十万円は当たり前だし・・・。で、気がついてみたら、もう僕はWindowsベースの開発からは、完全に離れていた。Windowsはもう要らないと僕は思う。Androidがあればいい。Windowsはブラウザのランチャーとしてだけ存在してくれたら、それでいい。でなければ、APIとか開発ツールを全部無償にして欲しい。せめて。Apple並みに、年額1万円程度に抑えて欲しい。それができないなら、ブラウジングプラットフォームに成り下がって欲しいと、僕は切に願う。世間一般の思いがそうなってくれたら、僕ら貧乏な開発者もまた、Windowsに向かい合える。

本当は、医療用の、医学研究者向けのアプリを開発する、という本来の自分の興味に戻りたい。ところがねぇ、医者という業種は、1億8千万円する機械を2千万円に値切った挙句(2千万円を値切るのではなく、2千万円に値切る、です、)それを踏み倒しても平然としているという、そういう人種の集まりだから、これまた、ソフトウェアで商売するなんていうのは、東芝とか、日立とか、そういうバカみたいに金を持っているところでなければ、IT絡みの相手としては難しい気がする。「ビジネスモデル」まで考えたなら、どう考えても、成り立たない選択肢を選んじゃったかなぁと、そういう後悔はもうずっとしていたけれども、一旦大学の先生になったら、おそらく厚生労働省の天下りならそういう裏事情を知っていたんだろうけれども、文部科学省の天下りなんて、学問分野ごとの裏事情なんか何一つわからないで、偉そうにしているだけで、これも大学に足場を置いてなんとかしたいという道が、ふさがった。さてどうしようか・・・。その挙句が、今、だったかな。

当面、Embarcaderoのツールを使おうかと、(お世話になった、医療用アプリのディストリビューションでものすごくお世話になった、)某社向けのアプリを、再稼働したいし、その最短距離のツールがEmbarcaderoなんだけれども、やっぱり十万円前後、かなぁ。道具代。10年以上、平均週14コマ、それなりに意味のあることを話し続ける大学の授業をやって来て、(ヨメは何もしないし)かろうじて年収500万はキープしたけれども、一切、システム開発の備蓄はできなかった。(なんだか、訳の分からない健康サプリの備蓄は、めまいがするほど台所にあるけれども・・・)結局、ゼロからの出発。

頭を整理したい。明日、のんびりと、2〜3時間かけて、20kmほど走って来ます。Ruby on Railsの環境のセットアップの、教材まで含めた準備が終わったら、次はPHPのWebアプリの、試作が終わったばかりの文書執筆。次も同系列のアプリのメンテナンスで、その次はRaspberry Pi/Arduinoへの、PICからの組込みアプリの移植。(PICではキャパが収まらなくなった。)で、その次は、Embarcaderoベースで、その昔書いたBorland C++のアプリを現在のWindows 10の環境へ移し替えつつ、脱Windowsを模索する。今時の若い医者は、PCがメインなんだろうか、それとも、スマホにタブレットが、メインの「仕事の道具」なんだろうか・・・。なんてことを考えながら、やたらとイライラしていた。

その間に、聞いていたニュースが、やれ、テロなんとか法案。あれは、最悪でしょう。僕は、言いたいことがあったら全部言ってしまう人間だから、30年近く前、学生運動の過激派残党と間違われたんだろうと思う。おかげで、私生活を台無しにされた。詳細はもう、かつて、今は自分では消してしまったブログに1700編以上書いた。もういい。
端的に言って、いみじくも安倍総理が昭恵夫人の件で「何もやっていないことの証明は、悪魔の証明と言って、無理です」とか言っていたけれども、その「何もやっていないことを証明しろ」とか騒ぐのが、国家権力、特に警察権力だと思う。一番わかりやすい例は、おそらく痴漢の冤罪だと思う。「俺は何もやっていない」と、いくら叫んだって、一度駅事務所に同行して、そのまま警察に連行されたら、「すみません、私がやりました」というまで精神的な拷問を受け続けて、全く解放してもらえないらしい。せめて、「安倍総理が言っていたでしょ!?何もやっていないことの証明なんて出来ないんだから、総理大臣ですら出来ないって言ってることを、なんで私がやらなきゃならないんですか!」という論法を警察権力が受け付けてくれないことには、あんなテロなんとか法案なんて、成立したら、人生を滅ぼされる人間がゴロゴロ出てくる。
私の場合には、私生活を根こそぎ表沙汰にされる程度で済んだけれども。若かったですからねぇ、盗聴盗撮されているとわかっていても、オ×ニ×はやめられなかったなぁ。だって、自宅で抜かなかったら、仕事場でだって、いい女がいたら欲情しちゃっていたもの。で、その×ナ×ーが盗聴盗撮で外に漏れていたって、僕は女じゃないから、一円にもならなかったけれども・・・。まぁね、一時期精神的にボロボロになった程度で済んだ。
どうせ、国家には賠償なんてする気もないだろうし、一般国民には押し付けていることを、総理大臣は平然と逃れる。それが日本も含めて、「国家」の現状だと僕は思う。
それにしても、やっていないことを「やりました」というまで拘束する、それを一般人に押し付けるなら、なんで安倍昭恵さんには強要しないの?それが不思議だ。忖度っていう奴ね。

で、シビリアンコントロール。安倍総理も、トランプさんも、直接的な国民の選挙で選ばれていますからねぇ。いきなり爆撃しても、それは「国民の付託」に基づく訳だ。そうなると、空爆したって、「国民の総意」として承認済みっていうことになる訳だ。それで民間人が犠牲になれば、そうした権限を与えた「アメリカ国民」とか「日本国民」が逆恨みされたって、仕方ない話だよなぁ、と思う。今回は、軍事施設だけが対象だったから、民間人の死傷者は出なかった、との「当局発表」。額面通りに、聞いておきますか。

アメリカも、なんでロシアみたいにうまいことやれないの?元KGBの凄さ、っていう奴なんだろうか。「ロシアは一切関与していません。」なんて、アメリカは反論できないんでしょうね、外交予算の大幅削減。トランプさんには「地道な情報収集努力」なんていう言葉の意味は通じない。安倍総理も、似たり寄ったりか。
ロシアの真似をしたらいいんだよ。
ある日突然、「鴨緑江に第二破断橋が出現しました」なんてね。これが一番手っ取り早い。白頭山から豆満江側は、ロシア国境に到るまで五つしか橋がかかっていない。数百キロあるだろうに・・・。物流としての容量なんて、タカが知れている。主力は、鴨緑江沿いだろうけれども、鉄道の輸送能力っていうのは、やはり「主力」だから、あれが「第二破断橋」になったら、かなり実効性があると思うな、っていうか、こういう戦術は2000年以上前からの定番だと思う。それを、ね。ロシアみたいに、「あ、知りましぇん、」みたいに、証拠も残さずに実現する。この辺がプーチンさんの表と裏の、両方の顔を持つ男の凄さなんだろうか。トランプさんも見習わないと、ね。「凄い男」に憧れるトランプさんには、プーチンさんが、お勧めだと思う。

それに後は、さり気ない北朝鮮の外貨封鎖だろうな。トランプ政権には、そういうスタッフはいないのか。

疲れた。これで、(かつて、全学連の末裔と間違われたのか、マ×タ×ベ×シ×ンまでマスコミに実況されたかも知れない、メンタル的にボロボロな私の、)言いたいことは、全部書き尽くしたかな。

寝ます。日付が変わってしまった。明日は、NetBeansと格闘しつつ、英語でのRuby on Railsの教材執筆。
えぶりわん。羽生あ、ぐっど憂行くエンド。

リクライニングとマニュアル

吉本新喜劇のお笑い芸人の小藪さんが、なにやら新幹線だか飛行機だかのリクライニングを倒した時に、後ろの席の人に怒られたとかで、座席の倒せる範囲を設定しろとかネットで話題になっていた。

こういう話題を聞くと、必ず思い出す協力隊の時の経験が一つある。
現地の人と、ではなくて、先輩隊員との話題だった。赴任して最初の隊員総会(兼、半年一度の健康診断)の際に、僕が「マニュアルが欲しい」という話題を持ち出した。
赴任して間もなくは、結構やることがある。職場での挨拶などの他に、電気の申し込み(システムエンジニア隊員は、通電時間が限られていたとしても、ほぼ電気が使える任地になる、)電話の申し込み、銀行の口座開設(開設したらすぐに、現地の調整員事務所に「生活手当」(当時で、日本円換算で約月額2万6千円くらいかな)の振込先口座の連絡、などなどで、やたらとやることが多いのは日本国内の引越しと一緒。それで、「銀行口座の開設だとか、手続きの流れのマニュアルを用意したらいいんじゃないか」と意見を言ったら、古株のIさんに猛烈な反対意見を言われた。

Iさんの意見は、何が必要かは一人一人違うし、必要だと思ったら、自分で現地の人と言葉を交わして、教えてもらえ、それだけ言葉が話せないなら、話せるまで自分で訓練しろ、マニュアルよりも、周囲の人間にとにかく相談しろ、そうやって、周囲の人間とのコミュニケーションが取れないなら、隊員失格だ!という趣旨だったと思う。

まぁねぇ・・・今にして思えば、確かにそうだと思う。技術の移転以前に、人間関係の構築。これができないで、打ちひしがれて帰国する隊員も少なくないと思う。で、もしかしたら、日本人はこれが結構苦手なのかも知れない。小藪さんの意見を見ていて、そう思った。

ほどほどの距離の取り方、というか・・・そもそも、ルールというのは、パブリックの場であっても一対一になったら、自分と相手との距離感で決まる、という気がする。
公共の中での「自分と他人」から、一歩踏み込んで言葉を交わしたら、いきなり「友人」にでもなってしまう、とか、「自分の領域に踏み込んでくるな」とでも感じているんだろうか。
他人でもないが、友人・知人でもない、確かに通りすがりの「他人」ではあるけれども、一時的に「今」、ほんの数時間でもお互いが不快にならないように、距離感を調整しましょうと、そういう状況になってしまった隣人というのは、日常で山ほどある。電車の座席で隣に座った人だって、そうだと思う。そういう状況で、お互いの調整プロセスができるようになるのが「大人になること」なんだろうかと思ったりもしたけれども、今、ネット時代になって、こうした「距離感の形成」は、すごく希薄な気がする。
特に、学校なんて、その「中間的な距離」の相手がほとんどの場所のはずなのに、オールオアナッシング的な距離の取り方が一般的な気もする。

ちょっと拾って見たのが、これらのページ
http://top.tsite.jp/news/buzz/o/34832445/
http://sirabee.com/2017/01/27/20161060613/
https://matome.naver.jp/odai/2149091008365719401

一声かける。相手が、いいですよ、と言ったらそれでOKだし、状況によって、例えば駅弁を食べていたりとか、相手が「あまり倒して欲しくない」という状況だったら(相手側の立場で、こういう時に、はっきりと自分の都合を伝えるのも、日本人は下手かも知れないと思うけれども、)「それはちょっと、ごめんなさい」とか、あまり倒して欲しくない声が帰ってくると思うし、相手が「どうぞどうぞ」なら、マックス倒してもいいかも知れない。
「逆適応」っていう話もあって、帰国後しばらくの間は、こちらから「相手の都合」を確認するような声掛けをすると、不思議そうな顔をされたり、(怪しい奴と思われたのか)固まって無視されてしまったり、そういうこともあったけれども(僕のは、過剰だったのかも知れない)それにしても、日本では一般的には「声をかけない」ケースが多いのかも知れない。

ただ、座席の場合には、やはり、いきなりというのは驚く。心の準備というか、一言あれば「いいですよ」と思える状況でも、いきなり倒れてきたら「おい」と僕も思うかも知れない。それに、最初に一言声をかけてもらえたなら、通路に出たりする際にもこちらから「すみませんが」と声をかけやすくなる。

最初に「最大に倒していいですか?」と聞いて、「それはちょっとごめんなさい」だったら、「それなら、少しだけならいいですか?」と聞いて、「それならどうぞ」だったら、それでお互いの折衷案ということで、それぞれの立場で、それぞれが「ある程度快適」な状況で「共存」できるんじゃなかろうか。
「相手が異文化に属する」という前提だと、だいたい、この辺の「探り合い」から距離感をつかむ、というか、ルールを模索する。「同じ日本人だ」という前提だから、確認することすらしない、「鉄道会社や、飛行機会社が決めろ」という話題になるんだろうか。要するに、「当事者同士でのコミュニケーションが取れない場合」を想定しているとしか思えないが、「当事者同士では、一切コミュニケーションを取りたくない」という世代が、小藪さんの意見に「賞賛」しているのかな、という気もする。
僕も、協力隊参加前は、あまり偉そうなことは言えないけれども・・・
「使用前」→「使用後」という感じは、あるので、あまり強くは書けないが・・・

ルールを破る人がいる。その「事情」を聞いてみると、なるほどと思える場合もあるし、全く同意できない場合もある。それも、決めつける前に事情を聞いて見ないと「悪人」を作ってしまっている場合もあると思う、というか、あったような気がする。
明らかにルール上は正当な行為であっても、相手によってはとても「不快」な場合もある。そういう、個対個の合意形成とか、ネゴシエーションは、やはり必要な気がする。

要するに、相手によってフレキシブルに、「どこまで」と言うのは変わるはずだと思う。色々と声がある中で、「相手と折衝する、言葉を交わして、合意を形成する」というプロセスに言及している意見が、ネットであまり見られないように思えたのが、かなり気になった。

職業上というのか、つい、パプアニューギニアに赴任したての時に「マニュアルが欲しい」なんて言ってしまったけれども、現実問題として、マニュアルがあったって、どうとかなる問題じゃない。鉄道会社も、飛行機会社も、「機能としては最大限」を提供しているだけであって、例えば、スピーカー付きのCDプレーヤの音量を最大で再生して楽しんでいる人は、ほとんどいないと思うし、自動車の速度を最大で走っている人も滅多にいない(いたら、問題だ)と思う。音楽プレーヤの再生音量の方が、話題として近いかも知れない。

年上が年下に「怒る」傾向が見られる、というページもあったけれども、ちょっとこれは擁護したいと思った。もし僕が「倒された」側で、一言も声をかけずに「最大マックス」倒した相手が「若い人」だと思ったら、もしかしたら僕は「説教」したかも知れない。その「説教」を、相手は「怒られた」と思うかも知れない。案外、そういうケースもあるんじゃないだろうか。「誰かが、いつか注意してあげなければ、若い人はいつまでたっても社会性を学ばない」という「年寄り独特の思い上がり」は、もしかしたら僕も持っている。

それにしても、社会っていうのは、面白いですね。座席を倒す、倒さないだけで、これだけ話題が盛り上がる。
加えて、こういうシチュエーションを「面倒」だと思うか、「面白い状況」だと思うかで、たぶん、生きやすさも変わってくるのかも知れない。芸人だったら、相手が思わず「どうぞどうぞ」と言いたくなるような、気の利いた会話ができても良かったんじゃないのかな、という気もする。