中国、民主化への激震

物事には、潮目があると思う。タイミングというか・・・。そのタイミングを逃したら、効果が半減どころか、1/10にもならない、そういうタイミングはきっとある。
劉氏の死去が、そのタイミングに合致するかと言えば、おそらくNOだと僕は思う。タイミングとしては力を溜めるべき状況で、共産党の言い分を黙って根こそぎ記録し、潮目が来た時に一気に共産党を攻撃する「武器」にするために、ただひたすら、牽制し、挑発し、一言でも多く共産党声明を出させて、それを記録すべき時だと、僕は思う。

国家は人を支配すべきではないと思っている。同時に、人も人を支配すべきではない。加えて言えば、神ですら人を支配しようとはカケラも考えていらっしゃらない。人が自ら律することで、人として神の思いに沿って行動できることを、ただひたすら忍耐強く待たれていらっしゃると、私は考える。これは私個人の信念。(師匠の受け売りも多分にあるけれども。師匠って誰、なんてのは、色々あって僕自身はもう全部消しましたが、適当にネットの残骸を検索してみて下さい。)
新教宗教だと思われたくないから、これ以上は深入りしません。

余談ながら、ダーウィンの進化論。物質世界における「物質としての生命体」の自然科学としては、正しいと思う。というのは、神が創造されたのは、「肉体」として生命体ではなく、「意識体」としての生命体だから、肉体としての生命体は、例えば「地球」レベルだとか、イエス様レベルだとかの、我々からしてみたら十分に「神」とも言える意識などによって、何度となくプロトタイピングが行われているから、その結果を見れば、生物学的な「進化論」には誤りはないと思う。ただ、根本にあるのは、人間を含めたあらゆる生命体の実態は「意識体」であり、その言ってみれば「精神世界」を解かれた方々(イエス、ムハンマド、ブッダ、孔子、モーゼ;敬称略、などなど)の「意識体」としてのあるべき姿を、物質世界に投影した結果の誤った解釈が、進化論に誤謬性を与えた、と私は解釈しています。物質世界での自然科学的には、「進化論」は正しい。その解釈を、精神世界的な解釈に適用しようとした時点で、おそらくは神から見た時に致命的とも言える過ちを生じたのだろうと、私は解釈しています。
いかんせん、「電子には意識がある」なんてことを書かれていた、京都大学名誉教授の「トンデモ本」を私は、「斬新で、おそらく神の意図をかなり正確に汲み上げようとした試み」だと理解しているから、私の書く「トンデモナイ話」は、まともに学術的な舞台で議論しようとする方は、全て無視するのが「正解」だと思っています。この話題は、この段落で終わり。
話題を戻す。話題がそれたきっかけとなった表現は、「国家(もしくは人)が人を支配すべきではない」という部分でした。そこから再開する。

少なくとも、思想信条に関しては、誰もが自由に表現する権利を持っていると、私は思うし、多くの国家でそうした「自由」の形態は法律的にも支持されていると思う。(イスラム圏に関しては、敢えて除外させてもらうけれど・・・)

問題となるのは、そうした個人の思想信条が「社会的な混乱」を招く場合なんだろうと思う。ただ、大半の「人」は、社会的な存在として生存、生活していれば、まず第一に、「明らかに自分個人を攻撃している思想信条」に対しては、それに対して反駁する正当な権利も同時に与えられていて、与えられた「自由」という土俵の上で、お互いに客観性を戦わせることができる、はずだと思う。中国の場合には、そうした「自由」を剥奪する権利が法律的に共産党に与えられている。そこに難癖をつけるのは、明らかに「内政干渉」であって、「内政干渉」は確かに、「自発的に、自らを律すべき」という神の思いにも背いているかも知れないと、私は考える。

ただ、これも俗にいわゆる「神の見えざる手」のような経済原則があって、共産党のやり方では、中国バブルが崩壊するのは時間の問題だと、これは、いわゆる経済アナリストの過半数が警戒しているところだとも思う。私個人的には、もうカウントダウンに入っていると思う。根拠は、大半が「経済アナリスト」の受け売りなので、私は書きません。適当にググってください。

要するに、そう遠くないタイミングで、中国バブルの崩壊によって、中国政府が経済的に、土壇場に追い詰められる「タイミング」が必ずあると思う。そのタイミングで、「共産党支配」に「経済破綻」の責任をうまいこと転嫁して、一気に共産党支配から「民主化」を成し遂げる、その責任は全て中国人の「交渉力」やら「団結力」にかかっていると思う。いや、中国人自身が「民主化」を望まないなら、それはもう知った話じゃないけれども。しつこいようだが、内政干渉はすべきじゃない。中国は、中国人自身が自らのあるべき姿を自発的に決定する権利を持っているはずだと、私は思う。

「私には敵はいない」だったかな、とてつもなく、器の大きい言葉だと思った。
「仮想敵」の多さは、器の大きさに反比例する。器が大きくなれば、受け入れる相手が多くなるから、それだけ「敵」がいなくなる。そもそも、共産党なんていうのは、支配地域、国境を隣接している地域が(いわゆる、なんでしたっけか?マルクス・レーニン的な?、俺、理系だからよく知らんけど)「共産主義」を信奉していなければ、ことごとく「敵」とみなす。結果として、中国の周辺は、ロシアと北朝鮮以外は、全てが「敵」なんじゃなかろうか。そうした事実は、中国共産党の「器の小ささ」を意味していると思う。「敵がいない」ということは、全てを受け入れているということで、それだけ桁違いに器が大きいということを意味していると、私は思う。器の大きいものを、小さい器のものが飲み込めるはずがない。ピラミアがその鋭い歯を使って、シロナガスクジラを丸呑みしようとしている行為だと、僕は思う。
劉さん、肉体は滅びても「意識体」としては不滅で、ガンで苦しまれていたのなら、もうあと一週間もしたなら意識体として覚醒されるんだろうか。意識体として覚醒されたなら、ご自身の足跡が世界をどう動かされたのか、きっと目の当たりにされて、「やはり敵はいなかった」と確信されるんだろうな、と私は思う。大丈夫。「私は、私自身が信じるままに行動したい、自分が考えたままに自分を試したい」と、そう考える人の「人数」は、中国共産党が想定する「全ての人は、国家の思うがままに行動するはずである」という前提をことごとく覆すほどに、「共産党こと我が命」という人数よりも、おそらく数千倍は多いと思う。その結果は、おそらく、中国バブルが崩壊した時に顕在化して、表に出る、と私は思う。
ただ、今は、劉さんの死を「好機」と捉えて動くべきではないと、私は思う。来るべき時のために、理論武装し、世界を巻き込み、中国を一気に「民主化」すべき時に備えて欲しい気がする。(当面が静かなら、習近平さんも嬉しいでしょ?)

ただ、ねぇ・・・。経済的には、「大津波」になるかも知れないな、という気はする。中国経済が、バブル崩壊から再起動して、市民レベルまで「ある程度の安定」を取り戻すまでは、数年から、十数年を要すると思う。その期間の長さを左右するのは、中国人の「利己主義」だろうと思う。総体的な経済的なマスの大きさは、ゲーム理論的に言えば、全てのプレイヤーが「利他的」に行動した場合の方が「利己的」に行動した場合よりも大きくなる。その、中国人の「利己主義」の程度に応じて、中国民主化の「激震」の程度は、世界的にも十数年から数年まで可変的に扱えると思うけれども、それでも、これは間違いなく、時間の問題だと私は思う。

僕がイスラム国に喧嘩を打ったのは(まぁ、グッピーがマグロに噛み付いた程度の話だけれども、)たったの2編だけ。じゃなかった、それまでにも、執拗にジャブは打っていたつもりだけれども、渾身のストレートパンチは、タイミングを合わせた2回だけ。あれ、タイミングを外していたら、あまり意味はなかったような気がする。「今」というタイミングだけは、逃すべきじゃないし、見極めるべきだと思う。その点だけは、香港や台湾で「大陸による支配」を「是」としない方々に言いたい。香港や台湾でも、大陸支配を歓迎する人が少なくないだろうけれども、「全ての人が、自由に発言し、行動する権利がある」なんていうレベルのところで、国家と言い争いをしなければならない状況ならば、喧嘩の仕掛けどころは見極めて欲しいと、個人的には思う。最大のチャンスは、いわゆる「中国バブルの崩壊」だと思う。トリガーには、中国の巨大プロジェクトの破綻だとかが、絶対に絡む。僕にはそのセンスはないけれども、経済的な破綻のタイミングを、是非、見逃さずに、そこをどう「共産党支配の終焉」に持ち込むか、考え尽くして行動して欲しいし、そのために劉暁波さんの思いをどう活用するか、シミュレーションの限りを尽くして欲しいと願ってやまない。

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