もうちょい南

もうちょっと南に落ちていたら、中国・台湾の漁船が大量に出ていたんじゃないのか?(サンマにはちょっと早い?)

ちなみに、前回の2発が落ちたあたりには、北朝鮮の漁船がいたはずだと思う。

当たらなかったんだ。残念、ハズレだね。台湾船に当てちゃいかんが。

北朝鮮がミサイル発射、日本上空通過:識者はこうみる
http://jp.reuters.com/article/northkorea-japan-finance-idJPKCN1B907D

サンマ争奪戦 ~どう守る“日本の秋の味覚”~
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3701/1.html

sanma

 

あれこれ

面倒くさいから、書こうか、書くべきじゃないんか、とか、そういうことを考えるのはやめた。思いついたら、とにかく書くだけ。と、アップする前に眠ってしまった。朝起きたらミサイル発射・・・。再び、面倒くさいからほとんどそのまま。

花咲徳栄。
少し前のページで、埼玉に夏の甲子園優勝旗が「来たぞー」って時に、高校名を間違えた。埼玉徳栄って書いた。
花咲徳栄の高校関係者の皆様、高校名を間違えてごめんなさい。加須市の皆さん、ごめんなさい。こう言っちゃなんですが、僕は学生の名前も間違ってばかりで、固有名詞を覚えるのはとにかく苦手で・・・埼玉栄がどこかに引っかかっていて、埼玉・花咲徳栄→埼玉栄→埼玉徳栄になっちゃったかも・・・。申し訳ない。腹は切りませんけど。とりあえず、気になっていたので、訂正とお詫びを兼ねて・・・

クルド人の独立国家。
煽っちゃった。ごめんなさい。独立を問う住民投票は時期尚早だと思う。
とにかく、「国土面積が広い」ことが「優れた国家」だという錯覚が根強い。その錯覚に基づいて、「国家が分断して、自国の一部が別の国家になる」ということに抵抗感を持つ人が、圧倒的多数だと思う。
煽っちゃったけれども、僕自身の感覚の時間軸は、たぶん相当にズレている。気長に主張を続ければ、必ず実現するとも思う。

ただ、たった今、インターネットの普及が現在進行形で劇的に世界を変えている今、「文化」の違う相手を「一つの国家にしておく」ことが不自然だという感覚は、徐々に、だけど、確実に世界中に浸透していると感じる。10年単位で。イギリスからのスコットランドの独立の動きとか、スペインからのバスクとかカタルーニャの独立だとか、申し訳ないけども、僕は、どんな文化がクルド民族らしいのか、カタルーニャらしいのかとか、そういうことは全く感覚的には理解できていないけれど(ごめんなさいって、謝ってばっかり)、「違いがあるんだから、それぞれが別々の道を生きようよ」という流れが、あるなら、「それならわかった。仕方ない、別れよう。」ってなる時が来てもいいんじゃないかとも思う。(なんだか、別の話みたい・・・誤解のないように。)でも、「無理して一緒にいるのは、やめようよ」ってなことになるのに、そんなに時間がかからない気がする。

「観光」なんていうのは、確実に「武器」にできると思う。人は、日常の”mannerism”に飽きる。だから日常を抜け出すために、普段とは違う「文化」を求めるものだと思う。イラクやトルコの「国内」に、「非日常」の、イラクやトルコの文化とは異なる「生活空間」があることを知れば、そこに足を運んで、「違い」を「楽しむ」ことができると思う。それは、中国の「新疆ウィグル自治区」だとか「チベット」とかも同じだと思う。そうした「非日常」の中から、違いを理解して来たなら、クルドの人たちが、チベットの人たちが、ウイグル族の人たちが、あの人たちは自分たちとは違う価値観で生きているんだと、自分たちとは「違う社会を求めているんだ」と、ゆっくりと、自然に理解して行けたなら、きっと、(とりあえずは、イギリスや、スペインで、)例えばトルコ全土の住民投票でクルド独立を問うたとしても、”those area”の”independence”を認める票が上回る、それが自然だという状況に持ち込むことは、可能だと思う。というよりも、それが「平和的な独立」を世界中で実現するための「一般的なプロセス」になって欲しいと強く思う。

北朝鮮。
言いたいことはただ一つ。日本人拉致被害者を返せ。それだけ。目的は、ただそれだけ。
その目的を実現するためには、金正恩に「実権」から降りてもらうしかないかな、と数年前に思った。
私なんか、市井の一ブロガだから、何を書いたってどうせ関係ねぇだろ、ってな感じで(別のサイトで)煽ったけれども。とにかく、動き始めたな、という気がする。中国やロシアなど、まだ自分たちが北朝鮮をコントロールできるつもりでいるかもしれない。ただ、金正恩は自分以外の存在が何を求めているかなど、全く気にしない。
言いたいことはただ一つ。日本人拉致被害者を、日本に返せ。それだけ。ただ、日本が何を言おうが聞く耳など持たない。無論、中国もロシアも日本の立場など考えもしない。金正恩が動くことで、ようやっと事態が動き始めたと思う。アメリカも中国もロシアも、ようやっと本気で動き始めた。その意味で、ここまでは理想的な展開かも知れない。難しいのはここから先の舵取りか。
北朝鮮上空からの物資投下なんて、手っ取り早いと思うんだが、結局根気よく締め付け続けるしかないんだろうな。再三繰り返すが、拉致問題を解決するためには、金正恩を排除する以外の選択肢はないと思う。どこかで臨界点を超えた時に、「国連軍」が再結成されるまで、これ以上の日本人の人的被害を出さない(拉致の過程で殺された人が何人もいるはず)こと、だと思う。

アメリカンヒーロー。
ハリウッド映画なんか見ていると、最後は殴り合いの格闘技。あるいは、銃での殺し合い。見飽きた。
北朝鮮が口にした「悪の総本山」(日本語訳)でしたっけか?あ、当たってるかも、と、思った。だって、そういう殺し合いの暴力を描いた映画を、世界中に輸出して、そういう思考回路の人たちを煽っているんだもの。似た者同士だとは思うが。

1945年から1980年頃にかけて、世界中で多くの植民地が独立した。今、世界が一気に「小さく」なって平準化し、価値を共有して共通点が目立つようになったからこそ、世界とつながる中で多くの国が「独自性」を求めるようになっているのかも知れない。だとしたら、これから数十年かけて、「独立国家の誕生」の第二波が来るのかも知れない。

寝る。と、一通り書いてから朝読み返すつもりで寝ちゃったんだっけ。ミサイル?知らね。仕事しよ。

一次データ認証制度/プロトコル

ロシア人がスターリンが何者かをあまり知らなかったらしいのには驚いた。

プーチンのおかげで高まるスターリン人気
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8294.php

ヒットラー以上の、ポルポトに匹敵する独裁者じゃないのか?と思っていたら、記事を読んでどうやらこの辺りに原因がありそうだと思えたのは、これ。

70年代にモスクワで育ったジャーナリストのマーシャ・ガッセンは、スターリンについて「学校では教わらなかった」と言う。「まるで存在しなかった人物のよう。スターリン時代は丸ごと歴史から消されていた」

歴史を直視して、ありのままを教え伝えることの大切さ。

前にも「僕は、朝日新聞頭だった」と書いたけれども、日本の教科書は「正しい歴史を伝えていない」という主張を、比較的そのまま信じていた。ところが、インターネットであれやこれや、資料が取れるようになってみると、最も象徴的なのが「強制連行」だったけれども、日本の教科書などかなり「まとも」で、「日本の歴史教育は嘘を教えている」と騒いでいる中国や韓国の「歴史」の方が、よほど「史実に基づいていない」という「現時点での理解」に振れている。そうか、ロシアもか、と思った。共産圏と軍事政権の「教育」における「歴史」は、全く信じるに値しない。それが現時点での私の結論。韓国は今は「民主化」しているけれども、軍事政権時代の「歴史の捏造」が全く改められることなく現在も生きている。

こんな話

小池百合子都知事、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文断る
http://www.sankei.com/life/news/170824/lif1708240029-n2.html

があったけれども、これは私は、小池都知事の判断を支持する。数字がどこまで「盛られて」いるのかわからない。6000人という数字。いや、数字さえそれなりに「根拠がある」なら、これは日本人の恥ずかしい過去だと思うし、絶対に忘れてはならない事実だと思うけれども、「数字の捏造」の可能性があるなら、そもそもがその行事自体に関わるべきじゃないという判断も、(それがベストかどうかは別にして)自分にとっては支持できると思った。(東京都民じゃないが・・・)公的な立場の人がそこで6000人を追悼したならば、仮に「捏造」があったとしても、その「捏造された史実」を認めたことになる、という論理は、(いや、理系的にはよくわからないけれども、これまで世間で聞かれる「慣例」的な根拠としては、)有り得てしまうから、危険なので、関わるべきではないと思えた。

ここまでは、「話の枕」であって、本題ではない。「起承転結」の「起」の次の、「承」に移ろうか。

こうした「歴史的事実の捏造」は、今後どうなるのだろうか。今のように、誰もがYouTubeや、Facebook, Twitterなどに動画などをアップできる時代、現場の映像は、ことごとく「歴史的な証拠」として記録を未来につなぐことが可能だろうから、例えば、「天安門事件」の当時にYouTubeがあったなら、「今現在」の中国の「歴史」にも相当に影響を与えていただろうなと思う。

映像記録もそうだし、リアルタイムにアップされ続けている「一人一人のつぶやき」は、重要な歴史資料になり得るだろうと思う。ただ、あまりにも数が多すぎて、そこから「史実」を抽出するのは、逆に資料が多すぎて困難、なんてことになるかもしれないけれど。

ただ、技術屋のはしくれとして思った。今でこそ、リアルタイムにとか、一旦写真にしたものをアップする、なんていう手段を使う過程で、「偽造する」ことはそう簡単ではないとは思う。ただ、ここにAIとか使えば、例えば、ドライブレコーダで交通事故を起こして、100%自分が悪いのに、まるで相手が信号無視して突っ込んできたみたいに「記録」を改ざんして「証拠にする」なんていうことが、簡単にできる時代が10年もしたら来るだろうと思えた。もしかしたら、そんなに時間はかからないかも知れない。それができる技術屋は、今や世界中にいる。
ドライブレコーダに限らず、「防犯カメラの映像」に、犯人に仕立て上げたい人を写り込ませて、それを警察に提出することだってできるし、今の技術でそれは簡単にできる。

いや、僕の師匠の講演会。YouTubeなんかに投稿されている「心霊映像」の、半分以上は「編集」で「作り上げた偽物だよね」という話があって、ということは、裏を返せば、何割とかは、本物が存在している、ということになる。その本物と偽物の見分けがつく人が、どれくらいいるんだろうかなぁ。僕には自信がありません。いや、わからない人に「霊の存在」を証明する手段はないと思っているから、技術屋としては深入りはしないけれども、僕には「真実」を100%見抜く能力は、悲しいながら、ありません。「皆さん、全員が中身は霊だよ、」という話もあるんだが・・・それはさておき。(このあたりで、「起承転結」の「承」は終わり。)

今はまだ、「誰にでもできます」という時代ではないと思う。だけれども、こうした「動画投稿」だとかが、「捏造」の温床になる危険性は孕んでいると思う。現実問題として、警察や裁判所は、映像の「真実性」をどの程度、あるいは、どんな根拠を持って認定しているんだろうか。「捏造できる人がいない」という前提に立っていないか?だとしたら、いずれは裏をかかれる時が来ると思う。(こういうことばっか書いてるから、犯罪者扱いされて、人生を壊されたんだろうけれども・・・いや、今はもう公安・警察などを恨んじゃいませんし、仕方ねぇかなと思うことにはしているが、またしても話が逸れたか・・・。)

もし、「犯罪抑止」の視点で「防犯カメラの映像」だとか「ドライブレコーダの記録」などを警察や司法で使いたいならば、その「一次データとしての正確性」を認証するメカニズムが必要になると私は考えた。
いくつか考えられる範囲で言えば、「記録デバイス」などが公的機関などの認証キーを用いて「編集不能」な形で保存する機能を持つこと。あるいは、リアルタイムで「公的な記録システム」にデータ伝送し、ローカルな保存ではなく、クラウドに記録データの本体を置き、そのクラウド側のシステムに「公的な認証メカニズム」を組み込むこと。(これは、トラフィックが膨大になる上に、サーバのキャパシティが実現可能な範囲を超えるように思えるから、実現はできない気がする。いずれできたりする世の中になったりするかも知れないが・・・)決定的な「具体策」は思いついていないけれども、何らかのこうした「公的な、一次データとしての証明」のメカニズムは必要だと考えた。それができなければ、「防犯カメラの映像」も、「ドライブレコーダの記録」も、裁判の証拠として使えない時代がすぐに来てしまうと思えた。

もし、テロリズムなどの国際的な犯罪に対応するならば、こうした「公的な機関」が国際的に中立なものでなければならない、と考える。なぜならば、例えば、共産党政権の某国政府だとか、元共産党政権で現在はスターリン崇拝者が増殖している某国だとかの場合には、自国の政権に都合のいいように画像データを書き換えた上で、改めて、タイムスタンプを改ざんして「これは、間違いなく一次データです」と認証するシステムを作ることなど、朝飯前だろうと思えるから。言わせてもらうなら、すぐそばの売春婦の国でも事情は同じ。「事実の偽装」など、国家レベルで平然と行う国もある。というよりも、国家にその「認証」を任せていたら、少なくとも「国家がらみの犯罪」については、技術的にには、「改ざん」してから「一次データです」としてデータベース保存する、なんて、朝飯前だろうと思えるから。SSLの認証局以上に、客観性や中立性が担保されている「国際的機関」が必要になる気がする。

リアルタイムにAIで「記録映像を捏造する」なんてことは、論理的には可能だと思う。目の前で人が殺されているのに、何も起きていない画像を配信する。(そういや、キアヌ・リーブスの「スピード」で、バス内のモニター画像を編集して、犯人にループ画像の映像を流すなんてのをやってたなぁ、もうずっと昔。)

ある意味で、「ブラックボックス化」されて「封印」されて、「無編集」であることを製造段階で「証明された」撮影機材、以外は、「裁判の証拠」などにはならない、そういう時代は、すぐそこに来ているような気がした。

えぇと、どこまでが「転」で、どこが「結」か(途中で寝ちゃったので)わからなくなったが、これで思ったことは書き尽くした気がする。スッキリしました。

紫の上

さても、少し前のページの補筆。素人による日本文化論(文学論)。

The Tale of Genji
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Tale_of_Genji

源氏物語。約1000年前の日本文学の名作。Kindleのおかげでタダで読めるようになってから、とりあえず真ん中あたりまでは丁寧に読んだ。(まだ、最後までたどり着いていないけれども・・・一応、要約だけは高校時代に定期試験前にさらってはいます。)

もしかしたら、だけれども、日本の遊郭の文化は、この源氏物語の影響を受けているかもしれない。(いや、文学の専門家はそんなことはおっしゃらないかもしれないけれども・・・)
どの部分かと言えば、源氏が幼い若紫(紫の上)をまず養女にし、教養を授けて躾けて成長させ、何年もかけて「理想の女」に育て上げてから自分の妻にした、という部分です。気の長い話。まず形式的に養女にして教育してから、自らの妻にする。いや、もっと露骨な言い方をすれば、時間をかけて「育てて」から性的な対象とする。江戸時代の遊郭で、今で言えば幼稚園か、小学校低学年くらいの幼女を「買い取って」遊郭で躾けて「完璧」に仕上げてから「上玉」の商品として客を取らせる。何か、源氏物語の影響を受けているような気がしてならない。いえ、素人考えですが。(後でも書くが、誰でもって訳じゃなかったと思うが。)

なぜ、この話題を持ち出したか。少なくとも、この仮説が間違っていなくて、遊郭でこうした行為が広く行われていた根の部分に「源氏物語」の世界観が存在していたとしたなら、おそらく、「女をこうやって育てる」という考え方は、少なくとも昭和初期までの日本には、日本文化の一つとして根付き、(主に男によって)受け入れられてきたのではないか、という部分を主張したかった。

そして、もう一つ日本文化の底流にあったのは、これだと思う。

Bushido
https://en.wikipedia.org/wiki/Bushido

武士道は、たぶんだけれども儒教精神に基づく。虚飾を嫌い、質素を尊び、忠誠を説く文化だと私は理解している。旧日本軍の中にも、この武士道は深く浸透していたと、実際に元日本兵の方々と知り合う機会を得て感じた。一方で、現実には暴力行為も少なからずあったからしい。それは否定しない。全ての人間が理想的な振る舞いをする社会など、考えにくい。

卑近な例としては、3.11の大地震/大津波の後、略奪などの社会的な混乱は全く見られなかった、その一方で、東北の津波の被害現場で、廃墟と化した街の空き家に、金庫などを収奪する人たちが現れたというニュースがあった。わかりやすい。皆無ではない、けれども、日本人のマジョリティはそちら側には走らなかった、と言いたくて引き合いに出した。

同じように、旧日本軍の中にも、理不尽に部下に暴力を働く「上官」たちが多くいたことは、様々な文学(創作物)で読めるけれども、同時に底流に武士道があったことも読み取れると私は思う。美しく描きすぎるのもおかしいが、やはり少数派は少数派でしかない。そうした国民性があったからこそ、関東大震災でも、東京大空襲でも、阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、略奪行為は相当に少なかったと私は理解している。(正確なところは、別のサイトで確認していただくとして・・・私は自説を自分のブログで書いているだけ。)

韓国であれこれと主張されている話で、「従軍慰安婦の強制連行」の、「強制連行」の部分は、朝日新聞が広めた一人の作家の虚構だと、すでにほぼ、十分な証言が得られていると思う。右寄りの方々の言葉を借りれば「捏造」である。幼女、童女を日本人のバイヤーが買った。(たぶん、「誰でも」って訳ではなく、不細工な女の子は買っていないと思う。商品の仕入れと同じ。「性的な対象」なだけではないから。)それは、おそらく事実としてあったと私は考える。但し、本人にとって「強制」でも、「商取引」だったと私には思える。同様に、朝鮮戦争の際に「ジープで女の子を連れて行った」話も、事実としてあったんだろうけれども、「日本軍」はそこには関与していないとも思う。時間が経ちすぎているから、様々な話が入り混じったけれども、ちょっと旧日本軍の話として考えにくい話題が展開されて、どう見ても「フィクション」にしか思えないのは、当時の日本人の生活感、行動規範とかけ離れている描写が少なくない点で、それは、(たぶん、朝日新聞の記者などにも、日本文化の源流を全く知らない人があれこれ書いているということもあるからだろうけれども、)海外での創作(フィクション)が加わったからだと思える。そうした海外での創作という状況が、顕著になったのが映画「軍艦島」で、軍艦島については、現実に韓国からの徴用工だった方からも「脚色が過ぎる」旨の指摘を得ているらしい。日本人からしたら、違和感があり過ぎる。それなのに、日本文化を知らない人が見たら、「事実」に見えてしまうことが数多く描かれ、そして主張されている。特に、明らかに「一次資料」として残された内容と矛盾するストーリーが横行している部分で、日本人にとっては「どう考えたって、おかしいでしょ」が、海外の方々に通じないことが我々から見た苛立ちの原因となる。
「論理的な正しさ」や「事実に基づく主張の正当性」が、必ずしも通用しない。それは、トランプ大統領の就任で証明された気がする。だからこそ、余計に危機感を抱く。そうした「嘘も百遍言えば本当になる」が「本当」になっちゃった今となると、日本政府の「放置」を責め立てる「右翼」の主張に、どうしても共感してしまう。

愚痴っても仕方ない。

どんな物事も、いい方に考えなきゃ。韓国が大量の売春婦像を世界中に立てまくっているお陰で、海外から日本への注目が集まっている。(韓国人が、どれほど日本からJICAなどを通じて金を受け取っていても、金をもらったことを一切認めないのは、相当にわかりやすい周知の事実。これも「慰安婦」は「売春婦」だと説明する材料にしやすい。)一方では、大震災などの際に略奪が起きなかった事実は、かなり知られているようで、それとあの「売春婦像の碑文」に書かれた内容とのギャップにも、やはり注目されているんだろうか。
そもそも、日本人がどんな人種か、なんてことは考えてもいなかった、知りもしない海外の方々が、先にあの碑文を読んだとすると、それがまかり通ってしまう。日本人の有志の団体が今、対抗措置を講じて、双方の動きがそれなりに注目が集まっている今こそ、その「注目が集まっている」という部分をチャンスと捉えて、海外の認識を改めていただくべきだと考える。主張しなければ、何も変わらない。
チャンスだと思えるのは、今主張すれば、もしかしたら、戦争中の「日本兵による残虐行為」だとして戦後裁判で処刑されたりした多くの日本兵の、冤罪も晴らせるかも知れないという部分である。「注目されていない」としたなら、話題にすら上らなかった行為が、注目されている今だからこそ、表に引っ張り出せる「好機」だと思えるのである。中国や韓国がくれた「千載一遇のチャンス」だと認識して、今こそキャンペーンを張るべきではなかろうか。幸いなことに、中国も韓国も「慰安婦問題」だの「南京大虐殺」だのに対して「歴史的な根拠」を示すこともなく一方的に主張するばかりで、その「主張を続ける」声の大きさ」は衰えることもなく、多くの海外の方々の「注目」を集める絶好の機会となっているし、今後もなり続けるだろうと思う。それを利用すべきだ。彼らは絶対に「国際司法」に話を持ち込まない。持ち込めない。だけれども、騒ぎ続ける。この流れを利用しない手はない。「注目される」ということは、やはり「チャンス」だと思う。

もう一つかぶせるならば、どんないいことも、どんな悪いことも、「これが日本の文化だった」という部分をどんどんと表に出して、相手に伝えて、その一例として私は源氏物語の「紫の上」を引き合いに出したけれども、世界に「日本」を理解してもらう好機とすべきだと、私は考える。

客観的にみて「誤っている」考え方は、改めるべきだ。50年以上前に日本では売春は非合法化された。他にもし改めるべき部分があるなら、今後改めたらいいと思う。それだけのことじゃなかろうか。

以上。

お手並み拝見

ここんとこ、完全に右に寄っちゃってるなぁ・・・
世界的な傾向として、右傾化傾向にある、なんて論評を読んで、トランプのことだね、イギリスのEU離脱のことだね、なんて他人事みたいに思っていた。ところが、気づいて見たら僕自身がベタベタに右寄り。インターネット、Google,(YouTube),  Facebookなどなどで、一気にグローバル化が進んで、アイデンティティを喪失しないための自己防衛なのか、その「自己防衛」で攻撃されて(?)、こちらも自己防衛で右傾化せざるを得なくなっているのか・・・。

でも、「右傾化」が「軍事行動容認」に傾くのだけは、注意深く回避しないと大変なことになるんだろうなとは思う。今現在の状況では、もう、自衛隊に頼るというのはかなり強力な「選択肢」の一つになっていると思うんだが、その自衛隊は、「平時」では「存在しないことが望ましい」存在であるという主張は、理論としては私自身も理解しているし、以前はそういう議論を展開したこともある気がする。(今、勝手に右に寄ってるけれど、この文脈では、僕は結構左に寄っていた気がする。)ま、あたしゃ、節操がありませんから。

課題は、今現在の状況で「自衛隊」に頼らずに、というよりも、「軍事力」に頼らずに「日本を守りきる」という「目的」をどうやって実現するか、だろうか。
武力に依らずに対抗できる強力な「道具」は、おそらくは「言葉」であり「知恵」だろうか、と思う。

「商店街入り口に植木鉢」有効…豪が車テロ対策
http://www.yomiuri.co.jp/world/20170823-OYT1T50027.html

このニュース、すごいなと思った。例えば、大きめのプランターを歩道の途中や、歩道と車道の境界などに置いていけば、確かに自動車テロには効果的だと思う。日本の「歩行者天国」のような、時間帯によって、という環境では、大きめのプランターに車輪をつけて(キャスターをつけて)簡単に移動できるようにしたものを規制のある時間帯に車道で、車の移動を遮るような形で十数メートルごとに並べたりしていけば、突っ込んでくる車があったとしても物理的に動きを阻止できる可能性が大きいと思える。すごい「知恵」だなと思う。
「武力頼み」なら、銃を構えた警官を配備することになるんだろうが・・・あるいは、情報戦でアジトを突き止めて、武装警官が突入し、なんていうのも有効だろうけれども、これなら、より確実に被害を軽減できる。「武力に依らずに問題を解決する」手段の一つだと思える。北朝鮮情勢が緊迫する中で、こうしたアイディアが出てくるというのは、すごいことだという気がする。

確か、共産党とか朝日新聞とか、「防衛予算の増額」なんかには猛反発したり、そうした記事を書いたりしていたと思う。今こそ「チャンス」じゃないかという気がする。武力によらずに、言葉や知恵だけで「北朝鮮情勢を収束させる」ことができるのか。できるなら、これまでの主張が正しかったことが証明できる。もし、言葉(「記事」)によっても「知恵」によっても、共産党自身や朝日新聞自身には、問題解決に近づけることができないならば、状況に応じては、防衛予算の増額とか、自衛隊の存在そのものとかに対して「理解を示す」必要があるような気がする。いや、無論、「自衛隊」に依らないばかりか、「言葉」にも依らず「知恵」にも依らない、それ以外の「解決策」を提示できるのならば、それでも「左寄り」の方々の主張の正しさの証明はできると思うけれども、何よりも今、この情勢において、(「赤旗」なんかも含めて)「言葉」だけ、あるいは、知恵だけで問題を解決することが「課せられている」ような気がする。それができないならば、右寄りの方々に「あんたら黙れ」と言われても、反論できないんじゃなかろうか。

僕は、傍観します。(関わっている時間的な余裕がないし・・・/その割には、こうして書いているけれど。)傍観しながら、「左寄り」の方々が、「一切、軍事的な手段に依らずに」事態を沈静化できるかどうか、お手並み拝見、という感じで見ていきたい、という気がした。以上。

祝!埼玉・夏の甲子園初優勝!

いやぁ・・・やりましたね!

埼玉徳栄!おめでとうございます。

なんか、素直にすごく嬉しい。だって、57年間生きてきて、夏の甲子園の決勝で埼玉勝利なんて初めてだもの。

えぇと、それだけ。

いや、ついさっきから、gccの(char)NULLのキャストでエラーが出ちゃって、NULLがヌルヌルして、とっても気持ち悪い現象が起きていて、この書き方やめて’\0’にしました。LINUXはご無沙汰だから、なんかスタイルを忘れてしまった。ここはとにかく、動きゃいい。確かに、LINUXではこんな感じだった気がする。

ここは動いた。今日は上がり。あとは寝るまで、チャンネル変えながらスポーツ番組の高校野球を見続けるだけ!

(ラジオの途中経過すら聞いてなかったから・・・)

新しい放送局の提言

眠る前、テレビを見ていたら、例によって「グルメ番組」のオンパレード。

僕の親父は、胆管癌で死んだ。亡くなる半年くらい前から、思うように食べられなくなって、ある意味で「食べる」楽しみを奪われていたかも知れない。ウィダーインゼリーだとか、ヨシケイさんのおかずだとか、柔らかい食べ物をと思って、出来ることはしたつもりだったけど、お袋が無頓着で、親父はひたすら我慢。

ついに亡くなる三ヶ月前に入院したけれども、退屈しのぎに見ているテレビが、時間帯によってはどこのチャンネルに合わせても「グルメ番組」ばっかりだと、散々愚痴っていた。「食べることができない」人にとってのグルメ番組は、ある意味での拷問かも知れない。

この放送局なら、「グルメ番組フリー」で、食べ物関係は一切番組にしないから、「安心してご覧ください」みたいな、要するに、特定のメンタル的なアレルギーも含めて、例えば、「人が死ぬシーンを見るのが何よりも嫌だ」という(割と僕もそうだけれども)人が、もし少なくないならば、「このチャンネルでは、一切殺人描写は放映しません、」とか、「このチャンネルでは、一切強盗とかレイプなどの描写はありません。」みたいに、トラウマとか病気とか、色々ある人が安心して見られる「放送局」があってもいいかな、と思った。
無論、今だからいわゆる「テレビ」ではなくて、インターネット放送局でもいいかも知れないけど。

あるいはね、一つ前に書いたページに関連するけど、「不快」なニュースは見たくない。だから「コリアフリー」のニュースチャンネルがあってもいいんじゃないかな?なんてことをふと思った。要するに見なきゃいいんだけれども、ニュースはやっぱり見たいし、だけど見てると目に飛び込んできちゃうんだもん。結構、不快かも知れない。

上位互換性

産経新聞の引用は不本意だが・・・

徴用工の懸念 韓国・文在寅大統領は黙殺 額賀福志郎日韓議連会長と会談 日韓合意も「国民受け入れられない」と主張
http://www.sankei.com/world/news/170822/wor1708220006-n1.html

大韓民国2017
これがまた、大韓民国2012との上位互換性を全く保っていない。旧バージョンで作成したファイル、じゃなかった、合意事項なんて、全部無効だから(「再交渉」って言ったって、あの売春婦像の増殖状況を見たら、実質的な破棄、すなわち無効だろうと思う)バージョンアップされたら、過去の作業なんて、全部一からやり直し、という感じだろうか。

要するに、旧バージョンと契約を締結して、例えば「借款」しました、って言ったって、次のバージョンになったら、もうファイルが開けなくなるんだから、「借金?そんなもん、納得できないから知りません」ということになる訳だし、通貨スワップだろうが、平和交渉だろうが、補償だろうが、バージョンが変わったら全部無効になる。最たる例が、大韓民国1963のバージョンとの「基本条約」だろうか。あれなんて、もう完全に形骸化して、Windows 10にMS-DOS2.5あたりのバッチジョブファイルを読ませるような騒ぎになってる。
大韓民国は、政権が変わったらもはや「別国家」として対応しなければならない、ということなんだろうと思う。それならそれで、いいじゃない。そういう対応をしたらいいだけ。
つまり、大韓民国1963の頃に作成した全てのファイル、というか「作業」は、もう意味がない。新しいバージョンに合わせて、仕事をし直すしかない。但し、今後の労力を考えるなら、そういう上位互換性のないシステムは、使わないのが一番だと、僕は思う。

「未来志向」って言ったって、おそらく次のバージョンになったら、また全部引っ繰り返る。もはや、関わりを一切持たないのが「正解」じゃないんだろうか。だって、継続性がないんだから。それが日本にとっての「未来志向」だと僕は思う。
きっと、平昌オリンピックだって、会場のいたるところにあの売春婦像が立ち並ぶ。世界にアピールしたいんだろうから、きっと売春婦像に囲まれてスポーツ観戦することになるんじゃなかろうか。大韓民国2017はあの売春婦像の増殖には一切歯止めをかけないつもりらしいから・・・

村山談話も、河野談話も、あまり好きじゃないけど鳩山さんの発言にしたって、政権が変わってバージョンが変わったら、すべからく「日本は心のこもった謝罪を一切していない」ことになっちゃった。だとしたら、文政権にまた何か謝罪したって、次にバージョンアップしたら、また「なかった」ことにされてしまうのは目に見えてる。意味ないでしょう?こんなOS使って仕事したって。じゃなかった、こんな国と関係を持ったって。
そもそもが、大韓民国1963との「条約」が、今では完全に無効化されている。大韓民国2017での司法判断を見る限り、「法律」に関する概念が、諸外国は知らないけれども、日本とは明らかに異なる。「契約」の概念が成立しない。ということは、「契約」したってバージョンが変わったら意味がない、ということだろうか。つまり、交渉するだけ無駄。

大韓民国1948が、およそ、対外的には証明できないような「歴史教育」を始めた。なぜかわからないが、そのカーネル部分だけはずっと生き続けているから、通信プロトコル(一般的な「外交儀礼」=プロトコルの意味も含めて)が一切成立し得なくなっている。言葉も事実も通じない。顕著なのは、竹島(大韓民国のいわゆる独島)の領有権問題を「国際司法裁判所」に申し立てることに、大韓民国が旧バージョンから一貫して執拗に反対している、ということだろうか。対外的な「客観性」が存在していないから、だから国際司法に問題提起することに反対している、という現実を、あの国の国内では誰も理解していない。あるいは、理解している人がいたとしても「親日派」だとレイベリングされて沈黙せざるを得なくなる。なんで「国際司法裁判所」に問題提起できないのか、なんて発想は、ないんだろうな。
現実を直視するならば、北朝鮮もそうだけれども、大韓民国など朝鮮半島の人間と「外交交渉」など成立しない、という前提で全てを考えるべきではないかと、私は思う。「交渉」したって意味がないもの。どさくさまぎれに書けば、日本人拉致被害者は、金正恩が死ななきゃ帰ってこれない。その前提で考えるべきだと、個人的には私は思う。

世界には色んな国がある。それは、ある程度は感覚的に理解するけれども、まるで一貫性のない国と関わりを持ってしまった、という前提で、日本も「反省」して、今後は関わらないことにするしかないんじゃないかと、個人的には思う。

こう言っちゃなんだけれども、平昌オリンピックなんて行こうものなら、行く先々で売春婦像の出迎えを受けそうな気がする。そのうちに、日本の「ゆるキャラ」みたいに、「売春婦像」とか「徴用工」の着ぐるみが、抱きついて歓迎してくれるかも知れない。もう、やりたい放題やったらいいんじゃないだろうか。日本は、忍耐強く「事実に基づく資料」だけを英語(だけじゃ、不十分かも知れない、スペイン語、フランス語、中国語、アラビア語、ロシア語などなど)に翻訳して、第三国に発信を続けるしかないと思う。

時代の変遷

午前中、シェルプログラミングをしていたのだけれども、インストーラを書きながらどうにも集中できない。

一度何かを書いてしまうと、(僕のページは、カウンタは持っていないけれど)エコーというか、何というか、体に絡みつくように何か意識の中にリアクションが戻ってくるような気がして、反応が大きい時はまったく仕事に集中できなくなる。
学校の授業なんかはでは、ノッてる時にはリアクションを皮膚感覚で感じながらやったりしてるから、便利といえば便利だけれど、こういう時はどうも、邪魔な気がする。

何となく感じるのだけれども、右翼系の方も、左翼系の方も、戦前、戦中の日本の社会をあまり知らずに書いているんじゃないかという気がする。これは、韓国の方が戦前、戦中の韓国の社会をあまり知らずにあれこれと騒いでいるのに似ている。特に、WEBに自由に書いたりする世代というのは割と若い人も多いだろうから、時間が経ちすぎたという以外にないかも知れない。

僕の両親は昭和一桁で、祖父祖母共に明治の生まれだった。子供の頃に聞かされたじいちゃん、ばあちゃんの話や両親が語った若い頃の話は、文字通り大正から昭和初期にかけての戦中、戦前の「世間」の話であるし、僕自身は「昭和中期」に育ったことになるんだろうか。「戦後文学」なんていうジャンルがあったくらいだから、文学作品だって明治、大正、昭和初期のものが少なくなかった。こういう作品群なんて、今WEBであれこれ書いている人たち、右の人も左の人も、読んだことがないんじゃないかなぁ。日本の社会も今とはかなり違っていた。

もしかしたら今でもそうかも知れない、それは私の目線ではわからないが、(自分のことで必死なもんで)女性の社会的な地位、という意味では、おそらく戦後もかなりの間、相当に低かったと思う。
儒教から来た「三従」で、
コトバンク – 三従
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%BE%93-70783

婦人は〈いまだ嫁せずして父に従い,すでに嫁して夫に従い,夫死して子に従う〉べきものとされた。

確か、恋愛結婚より見合い結婚の比率の方が圧倒的に高かった、と思う。(前のページにも書いたけれども、そうあるべきだと言って書いてる訳じゃない。そういう時代だった、と言いたいだけ。)

だから、女衒(ゼゲン)とコンタクトを取ったり、慰安婦を募集する新聞広告を見たりしたであろう「親」の権限は「絶対的」であって、そこで「親」が決めたなら本人がどんなに不服でも「売られて」しまったら文句も言えないような状況が珍しくなかった、そういう時代だったと、私は理解している。
少なくとも、昭和の初期、戦中まで、「親に逆らう」なんてことは相当な「大事件」だったという気がする。こんなこと、今の若い世代には想像できないだろうけれども。

そうした時代を生きていた人たちの、当時の生活感覚を知らなければ、何か「議論」が空回りしている気がしてならない。そうして、慰安婦のハルモニたちもそうなんだろうけれども、そうした時代は既に過去のものとなり「現在の社会的風潮」の中で生活する中で感覚がシフトして来ている、ように思う。

少なくとも、僕自身はもう、子供の頃感じていた「倫理観」とか「価値観」とかで、随分と変わって来た部分があるように思う。例えば「物に囲まれた生活」に憧れ、「物を大切にする=捨てない」なんていう「価値観」は、180度変わりつつある。確かに「大切にはする」んだけれども、リサイクルしたり、要するに断捨離とかで少しでも自分の周りの「モノ」を減らす方向に来ている。簡単に手に入るからこそ、本当に必要か考えて、本当に必要になった時に手に入れればいい、という感じになっている。貞操感も随分変わった。生涯、一人の相手しか知らなくていい、という価値観は、たぶんもうカビが生えている。というよりも、結婚したら「元に戻せない」部分も少なくないから、実際に、様々な感性が合致するか確認してからの結婚の方が無難じゃないか、と最近思えているし、社会全体がそうした考え方を受け入れているならば、貞操感が変わってもそれはそれで、より、誰もが「失敗の少ない人生」を選べることになっているのかも知れない。

但し、昭和初期、戦中、戦前を語る時、当時の価値観を根の部分で理解していなければ、議論が空転するように思う。戦前の遊郭など、「親」の(経済的な)都合で、無理やり「貞節な、社会的にもリスペクトされる女性としての生き方」を捨てさせられ、名誉は捨てて「実利」だけの世界に身を置いた人が大半だったろうし、特に「女性の行動パターン」は今と昔とでは随分違ったはずだと思う。何か「違う」ということしか、どこがどう違うとかは、私にはわからないけれども。何か、あちこちのサイトを読んでいて感じた違和感の正体が、エコーを感じてわかったような気がした。

自営業といえども、12時から1時が「昼休み」で、それは自分なりにきっちり守りたい。1時になった。30分書いて、分量的にはこんな程度が「適切」なのかなぁ?いや、こうやって頭の中で引っかかっている物を少しでも吐き出して、スッキリして仕事に集中したいだけ、なんだけれども、次から次へといろんなニュースについつい反応してしまう自分がいて・・・諦めた。

ここから後は、シェルスクリプトとインストーラを、このページと同じスピードで書きたい、いや、書くんだと、自分に言い聞かせながら、閉じます。

女郎うなぎ/遊郭、そして、慰安所

わが故郷小川町の名品。
女郎うなぎ 福助
(http://joro-unagi-fukusuke.jp/index.php)

ただ、「割烹」とある通りで子供の頃などは全く食べる機会もなく、(大学卒業→大阪→名古屋→東京→パプアニューギニア→地元(引き籠り)→千葉→今(低空飛行))という流れ方なので、コメントはしようがない。福助さん、すみません。ただ、地元の人間としては「これが有名」というのは知らないはずがない。

この「女郎うなぎ」の名前の由来は、かなり古い。
細川紙
(http://www.town.ogawa.saitama.jp/0000000261.html)
がユネスコに記載されて有名になったが、江戸時代には小川町が和紙、酒、絹などで「商業都市」として栄えた頃に遡る、と理解している。

以下、福助のホームページから転載

今からおよそ160年前、黒船の襲来した天保安政の頃の事です。当家の先代善兵衛の親友某氏が、宿望の「伊勢神宮」へ行った帰りに後日の思い出にと、江戸は吉原の廊に立ち寄った所、相手の花魁があまりにも気品高く美しいのでたちまち虜となってしまいました。そこで男は大枚を投じて身受けをして小川の町に連れ帰ったまではよかったのですが、我家には妻がおりますので思うにまかせず、思案に余り当家先代の善兵衛の侠気に委せたのでした・・・。

この吉原、そして花魁の文化、紛れもなく日本の文化である。念のために書いておくが、決して私は女性が春を売る文化が良いなどと言っているのではなく、かつてそうした文化があった、とそれを書きたくてこの話題を導入した。

さて、このページ、大半の女性にとっては相当に「不快」とも思える内容が含まれると思う。まさしく、そうした世間の(世界的な)女性の反発を煽るような「慰安婦」の説明に対する私なりの反駁もあって、「売春」の歴史についての記述のオンパレードとなる。

これも、念のために引用しておくなら、以下のようなことになっている。何を言いたいか。「今」とか「こうあるべき」と言う話をしているのではない。多くの人が「今」の基準を勝手に当てはめている「売春が合法だった過去」の話を書いている、と言う点だけは、理解しておいて欲しい。

Yoshiwara
(https://en.wikipedia.org/wiki/Yoshiwara)

The area was damaged by an extensive fire in 1913, then nearly wiped out by an earthquake in 1923. It remained in business, however, until prostitution was outlawed by the Japanese government in 1958 after World War II.

Oiran
(https://en.wikipedia.org/wiki/Oiran)

江戸時代は、日本全国各地から「女の子」が売られてきた。(そのために、地方色を消すために「ありんす」などと言う吉原言葉などが生まれたとされる。)多くは一家が食いつなぐために「前金」でお金を受け取り子供を差し出す。その際には、韓国やアメリカで増殖している売春婦像のような12〜13才どころか、10才に届かない「幼女」といってもいい年齢の女の子も売られていたらしい。但し、その年齢でいきなり客を取らせる(男に抱かせる)のではなく、まずその遊郭での手伝い仕事を覚えさせるところから始まり、「礼儀作法」その他、一通りのマナーを教え込んで、「十分に客を取れる状態」になってから客を取らせた、と理解している。また、こんな記述があった。

以下、Wikipedia(花魁)から引用

禿(かむろ)
花魁の身の回りの雑用をする10歳前後の少女。彼女達の教育は姉貴分に当たる遊女が行った。禿(はげ)と書くのは毛が生えそろわない少女であることからの当て字である。

留袖新造(とめそでしんぞう)
振袖新造とほぼ同年代であるが、禿から上級遊女になれない妓、10代で吉原に売られ禿の時代を経なかった妓がなる。振袖新造は客を取らないが、留袖新造は客を取る。しかし、まだ独り立ちできる身分でないので花魁につき、世話を受けている。

以下、Wikipedia(花魁)から引用
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%AD%81)

花魁には教養も必要とされ、花魁候補の女性は幼少の頃から禿として徹底的に古典や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などの教養、芸事を仕込まれていた。

彼女たちが「自分の意思」でそうした人生を選んだなどと言うつもりはない。おそらく大半は「親の都合」か、食うに困った親が泣く泣くバイヤー(女衒)に金で売ったか、どちらかだろうと思う。念のために書くならば、少なくともここまでは全て、江戸時代までの日本人の話で、大正・昭和の占領地の話題は関係ない。
推測するに、「売られた」自分の運命を受け入れた子の中には、上り詰めて「太夫」となって、どこかの大名家とか、豪商の元で囲われることを「希望」として持った人もいたに違いない。と言う話は、石森章太郎の漫画で読んだか・・・。

この辺、江戸文化に詳しい本職の学者先生の授業か何かの「レポート」として書いたとしたら、あちこち赤ペンが入るに違いない。私としては、「自分なりに、かなり自信を持って覚えているつもりの話題」を記憶の底から再生し、Wikiなどを参照しまくって書いているけれども、正確なところは、各自が「確かな日本の江戸文化」の資料などからご確認ください。

そして、注目すべき点は、福助さんのページにもあった「大枚を投じて身受け」という部分で、日本における「女郎さん」(売春婦)たちは、「高額商品」であり続け、いわゆる「立ちんぼ」(街娼)とは格が違った、という点だろうか。
12〜13才どころか幼女とも言える年齢から引き受けて「教育」して、高級商品に仕上げた後、特に太夫となると、豪商や大名などは、太夫を相手にできる(客になれる)こと自体が「社会的なStatus」となる。今の金にしたら、数千万円の「商品」となる。実際、江戸時代には「あの太夫を抱いた」などと言うことが、江戸っ子(男)の自慢話だったりもしたらしい。(本人にはそれだけの稼ぎがある、と。しつこいようだが、当時の女性がそれをどう受け止めていたか、ご存知の学者先生はいらっしゃると思うが、私は知らない。)

時代は下り、明治、大正、昭和に至る中で、吉原に象徴される遊郭の文化は日本文化の一断面として生き続けた。東京ばかりでなく、日本全国に「有名どころ」があったと理解している。大阪(大坂)は新町、京都は島原であるらしい。

しばらく前から、例の「慰安婦像」の関連で、結構あちこちのサイトを読んでいてふと気づいたことがある。従軍慰安所についての記述で、その「料金設定」とか、「娼婦自体が客を断れる」設定とか、「制度設定」としては、この辺が江戸の「遊郭」にかなり似ていると思えた点だ。
また、韓国の従軍慰安婦の方が日本に返金訴訟を起こした「預金通帳」の額も、「数千万円の高額商品」と被ると思えたけれども・・・

話はそれるがこのサイト
Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

2-8 文玉珠(ムン・オクチュ)さんはビルマで大金持ちになった?


には、こんな記述があった。

慰安婦の月収が1,500円ほどあっても、楼主に月750円を渡していました。また「多くの楼主は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしたため、彼女たちは生活困難に陥った」とあります。つまり慰安婦の生活は、「多額」の収入にもかかわらず楽ではなかったことが書かれています。その一因は業者による収奪ですが、それだけにはとどまりません。
(注:この後、インフレの話が続く。)

推測でしかないけれども、「遊郭」の経営サイドが「従軍」させることにビジネス上の利益を見つけ、そこに兵士たちの「不満解消」の糸口が欲しい「軍部」と利害が一致したため、「楼主」(遊郭の設営業者)のビジネスであるのに、まるで軍が主体的に行なっているように見えたのではないかと、私は思う。日本政府の「軍は(経営主体としては)関与していない」と言う主張は、おそらく正しい。おそらく、巧妙に「責任者」の立場は逃れていると思う。そして、「ビジネス」としての主体は、明らかに遊郭経営者であり、その文脈でも現在の日本政府の主張は間違っていないし、歴史を誤魔化してもいないと思う。

そして、多くの「ビジネス」と同じく、「楼主」の経営者としての人間性次第で、働き手である「遊女」にとっては、ブラックな「搾取される」現場もあれば、居心地のいい現場もあったに違いない。十把一絡げに、どちらかに結論を誘導しようとすること自体が誤りで、このページ、上の方を修正したり下の方を修正したり、右寄り、左寄り、両方のサイトを見ながら思うことは、どちらも部分的に正しい、部分的にはどちらも誤り、と言うことのような気がする。(個別に、このページはここに無理がある、と言うことはあれこれと思うけれども・・・際限がないので、引用を打ち切った。)
また、「楼主」によっては、吉原のような「上の上」をモデルとするか、地方にある「中の中」かで、事情は全く違っていただろうと思う。それは、今現在の「ビジネス」のあり様から推測する以外ない。一口に「高級ホテル」と言っても、「高級」の中でもピンからキリまである。一口に「うどん屋」と言っても、あるいは「ラーメン屋」と言っても、そして一口に「慰安所」と言っても、様々な違いはあっただろうと思う。

いずれにせよ、従軍慰安所の設置には、かなり古い職業として各地に存在していた「遊郭」の経営者が乗り出したのではないかと思える。(その設置に関する資料など、おそらくは東京大空襲でかなりが焼けているんだろうなぁ・・・)それが残っていれば、決定的だったのに・・・。

そして、これも「推測」に過ぎないけれども、「すぐに戦地に送るための頭数を揃える」と言うことになれば、「即戦力」すなわち、すぐに「商品」として店に出せる年齢でなければ、「採用」(仕入れ)しなかったのではないかとも考える。

で、ここでももう一つの「但し書き」がついて、江戸・遊郭の文化の流れを引き継いだビジネス、として考えるならば、昭和の初期まで、女性の初婚年齢は十代半ばだった、と言う事実も忘れてはならないかもしれない。

日本の童謡の「赤とんぼ」
http://j-lyric.net/artist/a00126c/l001059.html

十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

ここで言う十五は「数え年」だから、今の満年齢ならば13〜14歳。18歳で結婚していなければ「行かず後家」と言われ、平均余命は40歳と言う時代の話なので、昭和初期の「遊郭」経営者が「即戦力」と判断する人の外見がどんなだったか、私にはわからないけれども、今「従軍慰安婦像」の幼い姿を見て「こんなに幼い子を」と言うコメントは、時代背景を考慮するなら「的外れ」だと私は思う。

あまり話を逸らしたくないが、医療とか統計に詳しくない方のために補足すれば、いわゆる「平均寿命」とは0歳児の平均余命なので、新生児死亡率を勘案すると、平均余命が40歳なのに60歳、70歳のおばあちゃんがゴロゴロいても、全然おかしくない。その「統計的な数字の読み方」に基づくこの段落の説明は、自分で解決してください。いずれにせよ、江戸時代から大正にかけての、35歳はもう老女だと言う時代背景だけは、忘れてこの「慰安婦問題」を語るべきではない。
現代の価値基準で過去の話を云々するから、どうしようもなく「誤解」が拡大するのである。

話題を変えて、こんな記述があった。

娼婦
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%BC%E5%A9%A6)
また、世界各国の軍隊では兵士の強姦事件や性病、機密漏洩の防止のために売春婦を多数雇い入れる例がある。
(但し、Wikipediaでは「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。」のコメントがつけられていた。この「世界各国の軍隊」がどこを指すのか、このページだけからはわからなかった。)

英語版のWikipediaを見たら、こんな記述があった。

Prostitution
(https://en.wikipedia.org/wiki/Prostitution)

Originally, prostitution was widely legal in the United States. Prostitution was made illegal in almost all states between 1910 and 1915 largely due to the influence of the Woman’s Christian Temperance Union. On the other hand, prostitution generated much national revenue in South Korea, hence military government encouraged the Prostitution for the U.S. military.[80][81]

米軍と韓国。そうなると思い出すのは、慰安婦が日本軍の「ジープ」で「強制連行」された、と言う話。
ジープ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%97

この車のデザインは、普通は一度見たら他の車とは混同しない。日本軍には「トラック」はあっても「ジープ」は存在し得ないと思う。このページには、こう書かれていた。

同年(1942年)中に日本陸軍がフィリピン作戦にてバンタムMk II(BRC-60)を鹵獲、内地に持ち帰る。これをコピーするようトヨタ自動車に命じ、1944年8月にトヨタ呼称AK10型として試作車5台が出揃い、御殿場で試験された。その結果、陸軍・四式小型貨物車として制式採用されるが、極度の資材欠乏と労働力低下から生産が間に合わず、ジープのような活躍の記録はない。また、このAK10型と戦後のトヨタ・ジープ、のちのランドクルーザーとの設計面でのつながりも一切ない。

以下のページを書かれた方の、以下の記述は、勇み足だと思う。
嫌韓流に告ぐ(57) すでにジープに乗ってた日本軍(慰安婦強制連行)
https://ameblo.jp/s080226/entry-11816738276.html

残念。戦争中すでに日本軍はジープに乗っています。
「大日本帝国の国家戦略 武田知弘著」より
ジープと断定するのはまずいが、日本はすでにトラックに乗っています。1933年、陸軍は熱河作戦の際に、初めて本格的な自動車部隊を投入しています。この熱河作戦では、日本製のトラックのほかに、アメリカのフォード、シボレーのトラックも大量に購入して投入されています。フォード、シボレーのトラックは、日本製よりもはるかに頑丈で性能も良かったため、日本軍に人気がありました。

私なんかも、ネットで無責任にあれこれ書いていて、悪いよなぁと思うけれども、やはり「ジープ」はないんじゃないかなぁ・・・。

以下、強烈に私の主張。

少なくとも、客観的に見たなら「昔からの『商慣習』通り」に、合法的なビジネスとして女の子を買った、そして、日韓併合下の朝鮮半島に「遊郭」が進出していたのならば、10代の女の子を「仕入れ」て、数千万円の高額商品とするために先行投資した可能性はあると思う。当時の日本国内(本土)で行われていたのと全く同じように、もしかしたら「慰安婦像」よりももっと幼い女の子が売られていても全くおかしくない。そして、そうした女の子たちが「自分の意思」でそうした人生を選んだかと言うならば、まず、9割以上(ほぼ100%?)が「泣く泣く」だと思う。
つまり、軍は関与せず、女衒も「強制連行」などしていない(正当に金を払って身柄を買っている)のに、本人にとっては「無理やり連れて行かれた」=「強制連行された」となる。

「強制連行」はなかった、そして、あった、それはどちらも正しいと言うのは上記の文脈である。女衒にとっての「正当なビジネス」は、女の子にとっては受け入れがたい。逆に、女の子にとっての「強制連行」は、女衒にとっては受け入れがたい。どちらも正しいし、どちらも誤っている。立場の違いによる表現の違いを一律に扱おうとするから、もう議論が噛み合うはずがない。

そして「従軍慰安婦」は「売春婦」。
はっきり言わせてもらえば、外務省も良くないと思う。

「慰安婦は売春婦」米アトランタ日本総領事の発言が韓国で波紋=「これが日本の考え」「日本が先に慰安婦合意を破棄」
http://www.recordchina.co.jp/b182584-s0-c10.html

なぜ、はっきりと「慰安婦は売春婦」だと言わなかったのか。それを裏付ける資料は多いのに、また「奴隷」だから「金銭的な支払いがなかった」資料があったと言う記事は、読んだこともない(ないと思われる)のに。
また、今と当時では、全く時代背景が違う。アメリカでは1910年から1915年にかけて非合法とされたが、それ以前は「売春は合法」だった。日本でも1958年に非合法とされるまでは「合法」だった。当時合法だったのだから、堂々と「慰安婦は売春婦」だとアメリカメディアに言えば良かったのだと思う。妙に否定したりした挙句に、発言テープを表に出され、それがこう言う形で韓国のメディアに流れる。
最低の展開だと思う。
「当時は合法だった」と言うこと。そして、その「合法的な手続きによって集められていた」と言うこと。この二点だけは、何としても外務省は主張すべきだったし、韓国人がどう思おうと、事実は事実として伝えるべきだった。金を受け取っている以上、「売春婦」とか「娼婦」という表現には何の誤りもないと私は思う。

ここまでの説明、「遊女」が売られる過程は、確かに「人身売買」としか見えない。ただ「遊郭」の客は金持ちなどの上流階級であり、いずれ「身請け」され(「楼主」(売春宿のオーナー)に、先行投資した費用、食費、その他その遊女の付加価値を全部支払ってもらって、前払いされた金額に対する契約を満了して「楼主」に対しては自由になって)富豪の家の妾となったり、場合によっては正妻となったり、そんな話は江戸、明治、大正時代の文学などにはゴロゴロと描かれている。
欧米人などがイメージする「奴隷」と同じだと考えたなら、それは大きな間違いだと私は思う。文化背景の違う国/世界の出来事を、自分の文化背景で使われる「言葉」で無理やり置き換えたなら、どうしようもない誤解が生まれる。

日本人がイメージする「遊郭」の(かつての)文化や、「遊女の身請け」などの数多くの「歴史的な背景知識」がなければ、おそらく日本人の主張は全く「感覚的」には欧米人には受け入れられないかも知れない。

こんなふうに問題にするのならば、もっと早く、慰安婦の方々が90歳とかになるもっとずっと前に問題にすべきだったのだ。そうすれば、もっともっと、数多くの証言が集められただろうし、資料だって集めやすかったと思う。

ところが、この「慰安婦問題」が問題になったきっかけは、
朝日新聞の慰安婦報道問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%A0%B1%E9%81%93%E5%95%8F%E9%A1%8C
だった。

ところが、対外的にはこのフィクションがそのまま「事実」として広まってしまった。「強制連行はなかった」と、日本政府や日本人がいくら叫んでも、海外ではもはや「事実」から「フィクション」への「訂正」も「修正」も叶わない状況になった。
我々、今現在の日本人もその「被害者」だけれども、将来世代に多くの日本人が被害者となる。
朝日新聞や外務省にあれこれと文句を言いたいところはあるけれども、そちらが主題じゃない。
「問題」などはなかったのに、戦後40年以上経過してから、突然「問題」が現れたから、その「時間的なブランク」の間に世界は大きく変わってしまったのだ。

以前のページで、日本兵による食人があったこと、それを旧日本兵の方々からも直接聞いた話を書いたけれども、それは、絶望的な食糧不足の中で起きていたことも書いた。補給線を確保せずに前線に送り出された日本兵(ここでは日本兵と言っているけれども、朝鮮半島出身者も少なくない)には、どうしようもなく悲惨な死に方をしている人が少なくない。
それを、今現在の社会背景の中で「日本兵による食人」を解釈して、まるで「グルメ」であるかのような、あるいは「残忍性の象徴」のように扱おうとする、そういうとんでもない誤解が発生する。そこが我慢できない。

そもそもが、戦後裁判の「報復」の都合で、「日本兵は残虐」という「鉄板の形容詞」で(日本以外では)戦争が描かれる。そのバイアスがかかった上に、今とは全く違う「時代」の背景を無視して、70年前を解釈しようとする。
100年前の日本、100年前の韓国が、まるで今の日本、今の韓国と全く同じであったかのように昔の話を掘り起こす。アメリカですら100年ちょっと前は売春が合法化されていた。さらに遡ればアメリカでは「奴隷」ですら合法だった。親権者である「親」が子供を売った金を受け取る。あるいは、本人が「前払い」を受け取る。それが「奴隷」という概念と合致するか、議論はしない。私にはわからない。

過去の社会における価値観が、皮膚感覚で感じ取れないのならば、もはや感覚的な議論は全く意味がない。おそらく、何百年か前のアメリカ南部では、「いつか何人も奴隷を使う大農場主になる」ことを夢見た「真面目な人」もいただろうと推測する。今の我々が、その人を裁くことはできないとは思いませんか?

今後を変えたらいいだけだと思う。
今は、「奴隷」が非人道的であることには、全世界的に共通認識ができていると思う。同じく、「女の性」を商品として扱う「ビジネス」が許されないことも、表向きは全世界で共通認識ができている。

英文のWikipediaのProstitutionのページでは

Although illegal in modern Japan, the definition of prostitution does not extend to a “private agreement” reached between a woman and a man in a brothel.

なんて書かれていた。この「表向き」と「ビジネスの実態」をどう裁くか、それは今や未来の女性の方々にお任せします。私なんかが「少なくとも、昭和初期よりは今の方がいいでしょ」なんて書いたって、それで納得する女性がいるとはとても思えない。「今」や「未来」を女性にとって生きやすい形に変えたいなら、それは「今」の女性が頑張るしかないと思う。私は別に頑張りませんが。
いずれにせよ、100年前の人たちの価値観に対して、今の我々が何をどう騒いだって、もうどうしようもないとは思いませんか?

70年も経ってしまえば、もう当時の価値観を持って生きている人間など一人もいない。それなのに、70年前の時代の出来事を、当時の価値観、社会、文化的背景などを一切無視して今の我々に対して騒がれたって、しかも「事実」認定の時点で取り消しや謝罪がなされた記事を引用して騒がれたって、もはやどうしようもない。
「今」や「未来」を日本人にとって生きやすい形に変えたいなら、それは「今」の日本人が主張を続けるしかないとも思う。(だから書いているんだが・・・)

いわゆる左翼の方々のページも多々参照している。自分が相当に「右寄り」になっていることは理解するが、この話題に関しては、私は右に寄る。

やはり思う。世界中で増殖を続ける「売春婦像」の勢いを止めるのは、もう無理だろうなぁ。
せめて、「理解力」のある韓国以外の海外の方々に、日本の持っている歴史資料を一つでも多く読めるようにして、確かに、我々の人身売買の「歴史」はあまり誇れるものではないかもしれないけれども、ありのままに、「全て」を理解してもらうか、その「理解」が無理であるならば、例えば、今現在のアメリカ人に、かつて「奴隷制度」を持っていたことを責め立てて、何か意味があるのか、それと同じことを日本に対して行なったって、意味なんかないでしょう、ということを理解してもらうまで、外務省なんかには頑張って欲しいと思う。全員なんて、これも無理。6割程度の外国の方に、韓国の主張で捏造記事に基づくものが、全く訂正されていないことが通じれば、それでもう十分とするしかない、とも思う。
(朝日新聞には、もはや何も期待していませんが。)

この約18,000字、3時間かけて書く間に、引用先をあちこち拾って、上の方を修正したり、下の方を修正したり、途中に書き足したり、相当にいぢくった。結構、論理の乱れがあるかもしれない。謝っておく。すみません。