無題です

国家とは、基本は互助組織だと思った。原点は、地域の共同社会。パプアニューギニアでも日本でも共通している。社会の原点というか、最初は部族が「国家」であり、少しずつ枠を広げていって、「部族」から「村」へ、そして「都市」から現代の「国家」に至っても、基本は互助組織でしかない、と思う。

なぜ互助組織が必要だったのか。それは人間に敵対心があるから、だと思った。共通の価値観を模索する前に、相手を敵視しようとする。あるいは「王様」などが国民を搾取するのに、搾取対象が多ければ多いほどいい。そして外からの侵略があった。また、時には意図的に「敵」を創造して、内部統制を図ろうとする。カモにされたら、迷惑千万。そこに端を発して、現実の脅威以上に、異質なものに対する「恐怖心」が先行して、それに対する共同防衛組織として、国家そして軍隊が「発展」して来たんじゃなかろうか。裏を返して言えば、国家が巨大化したその根底にあったのは、人間の愚かさ/攻撃性という質の悪さだと思う。逆は真ではなく、巨大になった国家の人間が愚かだというつもりはありませんが・・・。

ところが、いつに間にか、急激に全世界に共通する「様々な軸の価値観」が形成されつつあって、外敵に対する「大きな組織」の必然性が揺らいで来た。「国家」を形成して、意図的にでも価値観を共有させることによって、その「国家」内部での対立を避けようとして来たのは、有史以来の人類の知恵だったかも知れない。ところが、イデオロギー、宗教、経済圏、言語、価値観、様々な対立軸が「地域性」に依らなくなってくると、「国対国」という対立の単位が「個対個」に降りて来ているような気がする。ミサイル、戦艦や空母、戦闘機、戦車、あるいはサイバー空間などでの「国対国」の戦争は、段階的にフェードアウトして、サイバー空間や日常空間での「個対個」の対立の方が直接的な脅威になってくるような気もする。ラスベガスの銃乱射事件が「過去最悪」らしいが、もしかしたら、銃規制のないアメリカではあの程度の事件は、一日程度しか話題にならないくらい多くなってくるかも知れない。インターネットで撹拌されている様々な価値観、対立軸に振り回されて、「個」が揺らいで来た時、他人に責任転嫁するメンタリティしか持たないなら、誰もがああした行動をとりがちになる。僕の中にも、ああした「感性」はある。加速すると思う。
北朝鮮は厄介だ。だけれども、今回の選挙の「争点」には持ち上げて欲しくない。日本を核武装しろなんて、バカ言ってんじゃないよと思う。誰もが、もっと長いスパンで考えて欲しい気がする。

やはり「安全保障体制」の役割もあり方も、違ってくるんじゃなかろうか。憲法9条の理念は、凄まじく時代を先取りしていたと僕は思う。そうでなければならないとも思う。問題は、憲法に規定する国家の国民に対する「権利」の保証が全体的にどうなのか、とか、よく話題になる「環境」(核のゴミも含む)とか、地域間格差を「格差」と扱うのか「特性の違い」と扱うのかとか、他にもありそうだ。憲法に関する議論はもっと緻密であるべきだとも思うし、例えば「憲法改正」で国会採決とか国民投票などを行うにしても、条文単位での是非を問える程度に緻密であるべきだと思う。そうでないならば、そう制度改革もすべきだ。議論が収束するとはとても思えない。最後は多数決になるんだろう。仮に多数決の強行になったとしても、条文単位での是非が問われるのならば、それなりに国民の「多数派」の意見は反映されると思う。全部まとめて是か非かなんていう「国民投票」だったら、僕はたぶん棄権する。決められない。

朝っぱらから、何書いてるんだろう。小林克也さんのファンキーフライデー、今日は冒頭しか聞かなった。安室奈美恵さんの曲がかかったあたりでラジオは切った。
そうなると、普段ならジャズかクラシックか、何か音が欲しいところなんだけれども、今日は無音でロジックに集中します。このページみたいな「雑念」はこれで吐き出した。あとは、ニュースも聞かない、スマホのニュースも見ない。授業準備の方には「蓋」!

今日は1日で、一気に5千行くらいは書きたい(自動生成も含む、けど)。バグのない奴。
20kmを走りきる決意に似た覚悟。行って来ます。

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