二重基準

懸案のソフトが一つ、とりあえずデモンストレーションできる程度には6割方仕上がった。学生の点数でも6割ならとりあえずは合格点だけれども、6割で喜んでいたら仕事にならない。10割が無論原則。
これで、なんとか「自称システムエンジニア」の面目が立つか。

この「自称SE」だけれども・・・、随分昔、社会人になりたての頃、勉強して「特種情報処理技術者試験」なる試験を受けて、合格した。(特殊じゃなくて、特種です!)転職の際に、この資格を持っていると主張した。情報系の会社だと、この資格を持っていたら2万円くらいは基本給が違う、という話を聞いたことがあった。バブルの頃だったけれど。
ところが、上司とか同僚の反応は、「資格を持っているっていうのと、実力があるってのは、全然別問題なんだよね。」だった。なんだかガッカリした。
そうこうしていたら、その半年くらい後、その一言を口にした同僚が、嬉しそうに「この間、ME(医用工学)2種」の試験を受けて、受かったんだ。」と言ってきた。なんだよ、資格とか検定に受かるのと実力があるってのとは、別問題だと言ったのは、あなたでしょう、と言いたかったけれども、さすがに口にはしませんでしたが・・・自分のこととなると、話は別、なんだよな。

ある意味わかるのは、「技術」と「知識」は別物だ、という点。そう言えば、以前大学教員だった時に、こんな話をした。「技術は優れていて、知識も完璧だけれども、心が伝わらない、自分の辛さをわかってくれない医者(A)と、とても優しくて安心できて、技術もしっかりしているけれども、知識がおぼつかなくて誤診が多いという噂の医者(B)と、入院していると気配りが細かくて優しいし、知識もすごいと評判なんだけども、不器用で手術中によくミスをしているらしい医者(C)と、医者にかかるなら、あなたは誰を選びますか?」なんていう問いかけ。言いたいことは単純で、「技術」と「知識」と「心」の、どれが大切、ってな話でした。医療の現場は「技術系」だと思うけれども、技術/知識/心の三つは、どれも欠かせないんだろうなと思う。ってな話を何度かしたけれど、聴いて欲しい奴は隣と何やら夢中になってて聞いてないし、一番聞いて欲しい奴(ある意味、目をかけているのに本人わかってなくて残念な奴)になると、そもそも教室にいない。
何の話でしたっけ?そうでした、私がME2種を受けなかった言い訳。今にして思えば、「知識」も大事。

で、若かった僕は、意地でもME2種なんか受けてやるもんか、なんていう妙な意地を張ったんだけれども、結局きちんとした勉強をしなかったおかげで、損したのは自分だったかも知れない。あの頃は、若かったなぁ・・・っていうか、そういう視点では、今でもまだ若いかも知れない。(さらに、濁点がついたりする。まぁ、日本人の耳には、VとBは聞き分けられないことにしておいてもらって・・・)

話がとんで、プーチンさんが、国家の独立に関して「欧米はダブル・スタンダードだ」と発言していたらしい。私もそう思う。ご都合主義だ。論理的、客観的に明確な「独立容認」の基準が存在していない。で、野蛮な人たちは、最後は武力を持ち出して独立派を殺すことで領土を維持しようとする。いつまで経っても進歩のないのが人類。自分たちが独立しようとした時と、その内部が独立したいという時とでは、基準が完全に異なっている。

さらに、話がとんで、もっと言えば、主題からも離れそうなくらいに話が飛ぶが、習近平主席の演説の中に、「漢民族の団結と、国家の一体化」という一節があったと思う。(仕事しながらのラジオだったので、細かいところは覚えていないが、聞いた瞬間、論理矛盾を感じた。)中華人民共和国は、漢民族の国家ではないでしょう?漢民族が多数派だけれども、国家全体が漢民族だという訳ではない。漢民族としての独立国家だと主張したいのならば、チベット族も、ウイグル族も、別の国家だと見なすべきだ。それなのに、チベット族も、ウイグル族にも、「あんたらは漢民族だ」と主張して独立を容認しない、ということが成立するならば、かつて大和民族が漢民族を「あんたらは大和民族だ」と主張して併合した事実も、容認されるべきじゃありませんか?いや、細かい論陣は展開しない。暇があるなら、ニュースソースを確認して、突っ込めるとは思ったけれども、自営業者の私には暇はないです。中国全体が漢民族であるような演説をするならば、今後一切、日本の戦争犯罪を持ち出すなと言いたい。あんたらの方が、はるかに残忍な民族排除をしている。どうして、自分のしていることを他人がすると、ヒステリックにわめくのか。基準がない。というよりも、自分が他人にしていることが、その相手の目線に立てば、自分が誰かに対して怒っている行動と、全く同じだと、気づくだけの理解力がない。

さらにさらに話がとんで、米軍が、核を投下できる爆撃機を配備したとか、なんとか。断片的にしかニュースを見てないので、細かいところは理解していないが・・・。いずれにせよ、ダメでしょう!「朝鮮半島非核化」を口にするならば、当然のことながら、朝鮮半島に核を投下するなんてあってはならないし、朝鮮半島ばかりではなく、あらゆる場面で「核」は使ってはならないと、私は思う。それを口にすべき日本が、米軍がらみになると「核容認」になる。なんなんだ、この基準は。ってか、基準が存在していない。本当に思い付きのご都合主義。

「核」が「存在意義」を主張している「脅しの論理」では、日本は「核」を支持している。ところが、核廃絶の話になると、自分のことを棚に上げるどころか、自分の都合の悪い話はコンクリート詰めにして東京湾に沈める勢いで、なかったことにして、核は廃絶すべきだと口にする自民党。「基準が存在しない」ことにすら気づいていない。濁点のついた若さですね。そうなるともう、広島や長崎でどんな演説をしようが、選挙目当てに「核廃絶を掲げる日本の首相」を演じているだけに過ぎなくなる。(さすがに、これは選挙中は書かなかった。)と思っていたら、小池さんが同じ路線を歩みそうで(元防衛大臣だってのを忘れてた)、基本は「リベラル」側のつもりの私としては、残念極まりないけれども、希望の党が崩れたのは、むしろ良かったかも知れないという気がしている。この辺は、私は志位さんの主張に近いと思う。
いや、安倍総理は、筋金入りの政治家だと思った。「一般民衆は、論理的な思考ができない」ことを熟知している。それは、政治家としての必須要件なのかも知れない。(共産党は論理的に整合性を取ろうとするから、「大衆」には受け入れられない。)小池さんには、××にはなって欲しくなかったから、むしろ良かったかも。安倍総理が、一旦落とされてから(いい意味か悪い意味かはご自由に判断していただくとして)「変わった」ことにより長期政権を手に入れたのを、参考にして欲しいな。でも、まずは都知事で「成果」を出しましょ!?

「基準」ってのは何なのか。技術屋の立場で言えばシンプルで、「誰がどう判断しても、同じ結論が出るための、判断材料」ってな感じかな。スポーツの「判定基準」なんてのは、どうとでもなるらしく、ビデオカメラの使用を拒否している種目もあるらしいけど。政治はどうなの?「核」みたいに人が大勢死ぬかも知れない分野においてすら、「国際政治」なんてのは「基準」すら設定できない。僕ら技術屋に言わせて貰えば、「国際政治学者」なんてのは、バカの集団か!と思う。あ、いや、濁点が余分でした。国連の事務屋も含めて、国際政治学者の方々は、濁点を冠した上で、若い方々の集団ですね。若くあって欲しい。老獪にはなって欲しくない。

この表現は、「今でしょ!」の林先生がよく持ち出されるらしい。「対立軸」というのが非常に重要。
こう言っちゃ何だけれども、自民党なんて、内部では「対立軸」なんて無数にある。各論レベルまで細かく煮詰めるのが政治じゃないのか?その利害調整をきちんとできて、最大多数が納得して受け入れることのできる「着陸点」を見出すのが政治、なんじゃないかと僕は思う。その細かい「各論レベルの相違」を、自民党は器の大きさで吸収している。それが「排除の論理」とかで(今は)できていないことを小池さんが露呈しちゃったのが、やっぱり痛恨だという気がする。「総論賛成、各論反対」では、何も決まらない。だからと言って、各論を切り捨てていたら、それは「政治」じゃない。極論したら、トップに各論の調整をする能力がないトランプとか、トップが各論の議論が面倒で全部殺しちゃうナス頭と、どこが違うんだろうと思えてしまう。あの方々が「政治家」だと思える人、立ったまま両足上げて!
小池さんは、それをやっちゃった。「対立軸」を内包しながら、全体としての調整を図れなかったら、「二大政党制」どころか、「国家の安定」とか「国家の独立」すら危うくなると思う。
重要なのは、「基準」の存在だと、(技術屋としての)私は思う。そして、「少数派」は「多数派」を尊重し、「多数派」も「少数派」への気配りを忘れない、そういう「日本的」な何かを、日本では生み出して欲しい。

いや、絶対に政治でも「議会運営のノウハウ」とか、「社会現象(統計/技術など)の知識」は客観的な基準を満たした上で、その上に「信念」をかぶせて、それら三つを「各論の微細な違い」にはこだわらずに、大きな器でまとめてくれる人に、登場して欲しいと思った。それは、海外(ってか、「国際社会」)についても、同じ気がする。

で、結論として、「政治」と「学問」てのは、相容れないもんなんですかね?僕はもう学者じゃないから、ドーデモいい話だけれども。
ついミスタイプしちゃって、「学問」のちゅもりが「ガキ問」になっちゃった。五色訂正しましたが。五色どころか虹色の世界。結果が虹色なら天国だけど、解釈が虹色なら地獄。