パラダイス

Windowsはもうダメじゃない?と、作っていて思うことがある。
Java, ruby, pythonで仕事をしていて、あれこれ検索すると、プログラマ向きに出てくるのはQiitaとか、StackOverFlow、あるいは個別に有名なプログラマのブログなど。特にQiitaなどは「この記事は、1年以上が経過しています」とちゃんと表示が出てくるし、StackOverFlowや個別のプログラマのページでも環境については明記してくれているのに、Windows系の場合にはそれこそ、Windows 98の頃の記事がWindows 10の記事とほとんど見分けがつかない感じで表に出てくる。
そりゃ、多少は僕にも予備知識があるから、「これはかなり古い」とかある程度見分けがつくけれども、今や「エラー」を量産するサンプルが堂々と、識別できずに検索されてくるのには辟易する。一言で言わせてもらえば、Windowsはとにかく古い。
かと言って、rubyやrailsなど、とにかく変化が激しすぎる。どっちもどっちだけれども・・・でも、10年一昔どころではい、3ヶ月ひと昔っていうのは、実感かも知れない。Windowsですら、いきなり始まる「更新」の頻度を体感していたら、3ヶ月ひと昔は、ご理解いただけると思う。
でもね、スマホ(iOS、Android)やWEBアプリ(LINUXなど)より、何よりもWindowsが好きなのが、おじさま方で・・・。

ただね。Windowsのコードを触らせていただいていて、なんだかとっても懐かしくなった。BorlandではなくてVisual C++なのは、ちょっとミソがつくけれども、しばらくエラー潰しをしていて、何となく感覚が戻ってきた。

ふと外に出たら、月が出ていた。台風、まだ通過してるんでしょ?NHKは大雨だって言ってるんだけれども、この辺はもう雨は上がった。こうして、ふと、一息つくのに外に出て月を見上げられるのが、とても心地よい。ただ、今日はもう、あがる。疲れた。

小川町の駅そばの「なおちゃん」で、「ランナーズ・パラダイス」だとか「ウォーカーズ・パラダイス」みたいな話を(酔った勢いかなぁ・・・)した、という話を書いた気がする。走るのも歩くのも、どっちも気持ちがいい。僕はエピキュリアンかも。(ギリシャ哲学の「快楽主義」は、本来は飲食性欲などの肉体的な快楽ではなく、精神的な充足を表す言葉だったと理解しているんだが・・・)間違ってたら、すみませんの一言で済ませます。済みません、済ませます。
走るのも歩くのも趣味。仕事はプログラミング。で、できれば「プログラマーズ・パラダイス」が作りたい。何となく今、そんな感じで仕事をしているけれど、ふと煮詰まった時に、アウトドアみたいな、キャンプ場のコテージに籠っているみたいな気分で仕事に集中できる場所で、不要な情報は時に遮断してロジックだけに集中したい、と、同時に、外の景色や空気で癒されたい。そんな仕事場を「提供」する側になれないかなぁ、なんてことを思った。
同業者に興味を持ってもらえなかったら意味ないんだけれども、プログラマーに限らず、デザイナーなんかでも同じかなぁ、切り分けが欲しいんですわ。チームで仕事をしていれば、仲間と「ああでもない、こうでもない」という議論ができる場所も欲しいし、机を並べて突き詰める場面も欲しい、その一方で、「今から三日間、籠ってロジックを書くから」っていう時に、上司からの電話すら遮断できる環境は欲しい。(文学系の作家みたいなものか?)そんな時に、バンガローみたいな場所でマシンと向き合って、側にはすぐに眠れる場所があり、腹が減ったら出前をすぐに頼んで、片付けを気にしなくていい食堂があって、あるいは、タクシー呼べば、小川にも玉川にも結構いい温泉がある。疲れたら、木陰で、本当に(整備された)山の中で鳥の声や虫の声を聴きながらぼんやりして、また、マシンの前に戻る・・・と、そんな仕事環境が作れたらいいな、なんてことを、ここんとこ思っている。(いや、半分それに近いところで仕事をしてるが。)
大手町の「シェア・オフィス」も、あれはすごく魅力的だ。大都会で、同業者と接することができて、それはそれで新鮮な刺激だけれども、多分、両方欲しいんだ。今日は大手町。今日は小川町みたいに、大都会と、自然の中とを行ったり来たり、荷物の移動とかあまり気にせずに、気軽に使える「コテージ・オフィス」みたいな、とにかく「他人から自分を遮断して、設計に集中できて、なおかつ、リフレッシュできる空間が隣にある仕事場」の方を、作れたらいいな、と思っている。気持ちとしては、半分くらい、「有限会社シグナリス」の仕事場は、そういう場所を作れるところまで頑張りたい。(目標は、欲しいもんね。)さらに枠を広げて、「クリエーターズ・パラダイス」みたいな感じで、NPOを立ち上げて、小川町に「受け入れぐち」を作れたらいいんですけどね。
(いや、たぶん、越生町だったか、毛呂山町だったか、日高市だったか、あの辺で、武者小路実篤さんとかが立ち上げようとした「理想的な村」も、それに近いコンセプトだったのかも知れない。この辺は、とにかく、そういう気分にさせる自然がある、ってことは、先人のお墨付きなのだろうと思う。

「村」というよりも、自分にしっくりくるのは、パプアニューギニアの「ワントク」かなぁ。(説明するのが面倒臭い、文化人類学系で、パプアニューギニアを検索してみて下さい。)同族、同部族、厳密に言えば同一言語族による助け合い社会。これが「社会」の原点だろうと思った。その大元は「家族」かも知れない。助け合い社会。(昨今は、「家族」内でも助け合いが成立しなくなってたりするから、話が面倒だけれども。)それが、「村」では収まりがつかなくなって、(途中をすっ飛ばして)今の「国家」に落ち着いた。ところが、もはや、「情報」という「巨大潮流」に流されて「国家」すらも小さくなっている。言わせてもらえば、「国家」にこだわったら、もはや次に進んでいけないと思う。いや、Windows全盛の世界で、人類の大半がどれほど保守的かはわかってるし、「安心なのはWindows、安心なのは自民党」も、わからんではない。けど、今話題のAI(人工知能)は、Windowsは必要としない。古い概念にこだわっていたら、「情報化の波」は乗り越えられないと思う。何が言いたいか。「独立」に関する話題です。昨日今日でいうならば、カタルーニャ。既存の「国家」を「Windows」に置いた。

大切なのは、アイデンティティ。「文化的自我」ってなやつだろうか。それと、「社会」との接点の調整なのだろうと思う。いいじゃない。「国家」がどれほど細かくなったって。最後は「個人」にまで落ちる。
国連が定める基本的な「人間」としての最低基準は、「衣食住」に加えて「教育・労働・医療」が加わった6本柱だと思うけれども、「国」がカバーしきれなければ、「EU」とか「ASEAN」とか、拡大地域連合がカバーする。そこがカバーできなければ、最後はUNがカバーする。当然、上にいけば行くほど、EUにしたって、UNにしたって「責任を持て」ってな話になるんだろうが、できなきゃ、「公的な手続き」をすっ飛ばして、国際NPOなんかに責任を任せたって、いいじゃない。「これこそが大事だ」と思う人たちが、指図されずにNPOをバックアップする。そんなことをしたら、世界が不安定になる?って言われそうだが。

システムは、不安定(unstable)だからこそ、外的撹乱(external disturbance)に対して、より堅牢な(robust)安定性を確保できる制御(control)メカニズムを持てる場合があるし、例えば、SonyのWalkmanなんていうのはそういう設計思想で作られた画期的なデバイスだったと自分は理解している。

もっと、NPOとかに任せてしまったらいい。一般人は、相手が「国家」によって権威付けされた超国家的組織(Super National Organization)である国連なんか以上に、国境なき医師団だとか、少なくない数の国際売春/買春被害者救済NPOだとか、そうした国際NPOに、信を置いていたりする。「国」にこだわるのは、頭が固すぎるんだ。

「戦争」だけは、絶対にやめましょうね、と。あるいは、戦争で使われる「道具」の供給を遮断することの大切さは、きちんと理解しましょうね、と(安倍のバカや、金儲け主義の商社、公明党なんかには、それが通じない)地獄に落ちそうなあのへんは放っておいて、人間として一番大切な(殺し合いはやめよう的な)共通認識だけ、(日本がそこから除外されるのは寂しいけれども)世界的にも共通認識を熟成していって、もっと自由に、「民族」が、「言語族」が、そして最後は「個人」が、世界中で安心して生活できるような社会を構成していって欲しいなと思う。(今更だけれど、日本人の多数は、「核兵器禁止に反対」した。悲しいね。)
具体的な平和共存環境の構築なんて、誰がやったって、いいじゃない。UNとか、ノーベル賞の誰とかじゃなくて、NPOでも、無論どこかの国の最高責任者でも、あるいは、YouTubeでたまたま有名になったどこかん若い子でも、誰がやったっていい。こだわるなと思う。世界を一つにして欲しい。

僕は、小川町に、「ランナーズ・パラダイス」とか、「クリエーターズ・パラダイス」が欲しいから、(いや、ただ単に、途中3km以上、コンビニもトイレも水場もない区間があったから、その時に思っただけだけど)本業で稼げたら、自前でNPOを立ち上げたい。ハイキングコースって言ったって、自力サバイバルのハイキングだから、「安心して」のおもてなしじゃないし。町が本気になってくれたら嬉しいけど、だいたい僕は、政治とか、上司とか、そういう「上」の方に頼った時点で負けだと思ってるから、基本は自分でやりたいと思っている。どうせ、聞く耳持たれたことがないし。(だけど、誰かに先を越されても、どうぞどうぞで、怒る気はありません。)

という、「仕事環境」の「パラダイス」は、目的じゃないんだよな。
僕が、一番やりたいのは、「心臓発作の予知」で、これは、学位論文のテーマでもあったし、数十年、ずっと掲げていた看板でもあるし、死ぬ前にこれだけはなんとかしたい。でもね、仕事はしやすい方がいいから。

いや、僕がやらなくてもいい。今や、主導権はコーリンからOmronに移っちゃったのかな?トノメトリは優れた技術だと思う。あれを完成させたら、心臓発作の予知の精度は、かなり高まると思う。だから、できる人がいるなら、誰かがやってくれたらいい。
でも、誰もやらないなら、いつか、きっと、「有限会社シグナリス」で、Omronの技術責任者を口説き落として、トノメトリを完成させるために、有限会社シグナリスとの共同開発にご協力いただけるように、「耳を傾けてもらえる」程度に、会社をしっかりしたものにしたい。

本当に、もう、30年前の敵討ちです。気の長い話。

「パラダイス」の妄想をしてしまった。お月様をみて、今日の仕事の整理をして、気持ちを少しリフレッシュして、目の前の、今windows環境で引き受けた仕事を頑張ろう!

松山千春さんのOn the Radioが始まったから、仕事を打ち切って、そのうち、自分も言いたいことを言いたくなって描き始めたけれども、え?もう2時間半経っちゃったのって感じ。授業2コマ分近く、ブログを書いていたんだ・・・。毎回毎回、すみませんね、長文で。ごめんなさい。疲れた。寝ます。(でも、自分だけは、書きたいことを書いてスッキリした。)