シンパシー

昨日だったか一昨日だったか、漠然とテレビをつけて見ていて、ふと感じた。
バラエティ番組の収録で死者が出るな、と。

こういった話題は、書くべきではないと理解している。師匠の講演会。人間として決してやってはならない三つのこと。誤った神の知識を伝えること、自殺すること、そして、占い師のように他人の「経験」を剥奪する行為。
見解の相違はあろうかと思うけれども、私が考える「生きている意味」の一つは、自分で考えて行動し、その結果を自分自身で受け止めて、少しでもマシな判断能力を養うこと。今回その経験を積めば次回以降にきっと役立つ。一方占いみたいに「あなたはこうです」と決めつけて、相手がその「御宣託」に従って自分で判断することをしなければ、他人の経験を奪うことになる。それは、自殺することで「肉体を持つ」という神に与えられた貴重な経験を、否定することと同格で、神の思いに背いているからだ、と理解している。

そこまでわかっていながら、この話題を書いたのは、ただ単純に、師匠の講演会の内容をきっかけに、書くべきだと思ったから。師匠ももしかしたら同じ番組を見ていたかも知れないけれども、その部分は書かない。師匠の講演内容を、鵜呑みにして、自分自身で経験せずに表面的に他人に伝える行為は、結果において「占い師」と同じことをしていることになりかねないから、それは避けたい。ただ、幸い僕は(たぶん)昨日確かに感じたから、だからこれは書いてもいいのだろうと思う。それに、冒頭の話題は、単なる話のマクラでもある。

本題も書くのが難しい。師匠の講演内容の引用は可能な限り避けたい。ましてや、今日聞いた話で、「寝かす」ことも「熟成させる」こともできない状況だから、私自身が考えたり感じたりした「持ちネタ」から言葉にする。

先週だか、先々週だか、電車内で出産された女性がいた。大変でしたね、と思う。ところが、そのニュースに「ドン引き」だとか「臨月なら外出するな!」なんていうコメントがネットにあったらしくて、その発言もネットで話題になっていた。

随分昔(高校時代かな)、大きいお腹で仕事をしていた女性に、「お産前は、ご自宅で安静にされないんですか?」と無造作に言葉にしたら、その女性は私に、噛んで聞かせるように返事をされた。「あのね、仕事ってのは休めないのよ。休むとお金が入って来ないの。だからね、いつ産まれるかって思いながらもね、こうやって仕事するしかないのよ。」僕は、高校時代から喫煙していたし、そういう場所にも出入りしていたし(まぁ、喫茶店ですが・・・)その延長でTPOは適当にご想像ください。でも、あの時のあの人の話は、今の女性にも通じる話だと思う。出産間際なのに電車に乗らざるを得ないなんて、大変だな、と思ったけれども、そんなことは前述の「ドン引き」だとか、「臨月なら外出するな」と書き込んだ方々には、たぶん通じない話題なのかも知れない。無知なのか、シンパシーの欠落なのか。

でも、母子ともに健康みたいで、良かったです。昭和初期以前の農家には、「ナスビが垂れ下がる」という表現があったらしい。農作業の途中に子供を産んでしまうことすらあった、破水せずに羊膜ごと子供がぶら下がった時の表現。農家の嫁は臨月でも仕事に駆り出されたことを端的に表した表現。ちなみに、この「言い回し」はグーグルで検索しても出てきません。僕は濫読だったのでどこかの文学小説か労働史みたいな本か、何かに書かれていると思います。引用元を明示できないのは、僕が学術論文を書こうとした際に最大のボトルネックになる部分で、でも、このWEBページは学術論文じゃないからご容赦。話題を戻す。シンパシーの欠落が当たり前になっている。
シンパシーの欠落なのか、無知なのか。

バングラディッシュでJICAの関係者が殺された事件があった。イスラム国のシンパらしいが、そのニュースに、「そんなところに出かけている奴らは、殺されても文句は言えない」というコメントもあった。あれらの発言って、僕らJICA関係者やそのOB・OGに喧嘩を売ってないか?

かつて明治時代、日本は欧米から多くの技術者や科学者を「お雇い外人」として招聘した。当時の日本は、武士道とか「精神性」では決して卑下することはない部分もあっただろうけれども、あるいは、平賀源内のような方もいたかも知れないけれども、社会全般の科学技術の水準としては、必ずしも「先進国」とは言えなかったと理解している。科学技術を教育に取り込んで、「平均」を底上げすることが大切なんだと私は考える。僕らはそのために海外に行っていた。それはスポーツの隊員にも、農林水産業の隊員にも、全員に共通したと思う。今の僕らは、当時日本に来てくれた「お雇い外人」にほとんど感謝していないのかなぁ。もしも彼らが「あんな後進国に」と言って、誰も来てくれていなかったら、今の日本があるのかなぁ・・・。歴史に「もし」はないけれども。じゃぁ、僕らが出かけて行ったのは「殺されても文句を言えない、バカな行動」だったのか?

最近のテロは、無差別の色彩をかなり強めている。殺す側にも「シンパシー」の欠落がある。殺されたのが自分の身内、大切な人だったら、あるいは自分自身だったらという「共感」など、ほとんど感じられない。それというのは、無知なんだろうか、それともシンパシーの欠落なんだろうか。もし「宗教」がそうさせているなら、誤った神の思いを伝えている以外の何物でもないと私は考える。

北朝鮮。僕は、彼らが拉致日本人を返そうとしないことにも、核武装に突き進んでいることも、容認する気は無い。彼らの言動の8割は容認できない。ただし、残りの2割、彼らなりに必死で「我を押し通そう」としている部分、「生き抜こう」としている部分については、ある程度の「理解」と「共感」は持っている。その「共感」を持った上での、残り8割の「拒絶」でないならば、今後の状況の進展は難しいかも知れない。
イスラム国についても同様で、彼らの「必死さ」について、2割は理解も共感も持つけれども、残り8割は、私には容認できない。

同様のことが、昔ながらの生き方を貫いているアマゾンだの、ニューギニア島だのの人たちについても言える。外から来た「人」を全て敵とみなし、殺すことだってある。おそらくは、番組製作の関係者は、彼らが生きるために必死になっている部分を全く理解できていない。殺されても文句を言えない状況をなぜ敢えて作ろうとするのか。極めて個人的な話題を持ち出すならば、太平洋戦争当時の旧日本兵の遺骨収集で、そこそこの「奥地」(文明と接点はあっても、生活のベースは昔ながら)の人たちと遺骨返還交渉をしたことがあるけれども、僕らの思考回路が彼らに通じていない感覚を持ったことがある。話がそれるので、その話は書かないけれども。

野生生物だって、必死で生きようとしている。面白半分で生きている訳じゃない。生まれて来た以上、必死で生き抜こうとしている。野生生物と「自撮り写真を撮る」って、それこそ殺されたって仕方ない状況をなぜ敢えて作ろうとするのか。
野生生物なども、北朝鮮やイスラム国、あるいはいわゆる「未開民族」など以上に注意すべき相手だと思う。

なんだか、野生生物とかいわゆる「未開民族」の話題に、北朝鮮やイスラム国を持ち出したものだから、微妙に論点がずれているかもしれないけれども、基本的に伝えたいことは書けたかも知れない。

冒頭の話題に戻るならば、僕らの未来には、動かすことのできない部分と、いくらでも動かせる部分とが混在している、と理解している。冒頭に書いた私の直感が、そのどちらかなのかはわからない。書いたことに意味があったのかどうかもわからないけれど、僕は書くべきだと考えたから書いた。結果は甘受する。

 

名画

ツタヤのレンタル。

子供の頃、っていうよりも、中学に入った頃から題名だけは聞いたことがあって、内容も学校の教材なんかで触れていたりして、「名画」だというのは知っていたけれども一度も見た機会がなかった映画を、片っ端からレンタルしてる。子供の頃に見たかったな、ってのもあるけど、多分子供の頃に見ても「意味」はわかってなかっただろうな、とも思う。いや、30代、40代で見ても、きっと意味が通じていない、ってなのも、確かにある。なんていう堅い話はどうでもいいや。

笑ったけど、深いね。このセリフ「私より先に死んだら、殺すわよ。」感性が論理を凌駕しているね。AIエンジンにこのセリフを「理解」させたいな。

埼玉プレシア

ちょっと特殊なケーブルを買いに寄居町までお買い物。

帰り道、ちょっと衝動買いしてしまった・・・

埼玉プレシア

今日の収穫、抹茶のムースが2個で60円。ふわふわでカスタードたっぷりのが3個で100円。160円+税で172円も買ってしまった。

コーヒーブレイクで一息。で、ふと思う。いつもコンビニスイーツを横目で見ながら我慢していたのは、カロリーを気にしていた訳じゃなくて、もしかして財布だった?値段が安いからって、カロリーが低い訳じゃないだろうに・・・

こういう自己矛盾は、気付いても気にしないことにしている私。美味しかった。シアワセ。バグのことなんか、もうどうでも良くなっちゃって、って、おい!

金に困ると・・・

先に本題を書く。

北朝鮮が楽団を南に派遣する?興行収入目当て、だろうな。モランボンだと政治色が強すぎて警戒されるから、政治色の薄い楽団なら、興行収入が得られる、ってな発想だろうか。韓国は、国連の制裁逃れを見逃すのか?って言うか、これは制裁対象外なのか?以上。

金が欲しければ、何だってやると思うな。
僕は、小学校の時の小遣いが、一ヶ月100円だった。弟に聞いてもらっても、たぶんそんな数字が返ってくるはずだけれど、姉貴は別枠だったかもしれない。さすがに親父もお袋も学校の教師がだったから、他の子供たちがいくらくらいもらってるかは知っていたみたいで、中学校に上がった途端に年齢×100円になった。中一で一ヶ月1200円。自由に使える金は、それだけだった。ただ、タネも仕掛けもあって、文房具と本だけは別枠でもらえた。そんな記憶がある。

だから、万引きも経験がある。とにかく、欲しかったからポケットに入れた。そうしたら捕まって、とっちめられて、小学校以来、一切そうした人の物をどうこういう経験はない。薬がまだ効いている。そっちが当たり前って言えば当たり前だけれどね。

外食の経験なんてほとんどない。だから、高校に入って東京に出てきて、友人が言う「パスタ」なるものがいかなる食い物か、想像もつかなかった。お祭りの屋台、欲しいものだらけだったけれども、未だに口にしたことのないのは、ミカン飴とか、バナナチョコとか、あの類。子供の頃はじっと我慢、そのちょっと後は、誘う(誘われる)相手がいなくて、さらにその後は「子どもの食うもの」を買う勇気がなくて、まだ食べたことがない。もういいや。味は想像がつく。

サラリーマンになっても、自分でプログラムを書いて売りたかった。少しでも金は欲しかったけれども、つくづく縁がない。私立大学の教員になっても、毎週20時間近くマイクを持ったりそれなりに意味のあることを話し続け、その教材を作ってレポートを採点しても、年俸制の500万円。ヨ×は専×主×なのに朝食の食器が深夜になってもシンクに置かれていて、俺一人で何やってんだろうと何度となく思った。全然、自営に戻るための貯金ができなかったな。今、家計に入る分が細くなって、×メも仕事をするようになったけど、僕は今モチベーションの維持が難しい。メンタルが弱いなと、つくづく思う。徹夜で仕上げた仕事を、医者に「タダにしろ」と言われて、押し切られてトラウマになり、プログラミングに集中しきれなくなって、どこかで馬鹿らしくなった。まだ回復してないのか。

食うのに困り始めて、やっと本気になったのかも。いや、いっそのこと、ニューギニアに戻って、寝転びながらイモとバナナで生活するのも選択肢だよな、なんてことは思う。金に縁がなすぎて、金があったら何ができるのか、生活がどう変わるのか、全く想像できない。逆に言えば、何もせずにじっとして入れば金はかからない。やりたいことを全部捨て去って、やらない選択肢の方が楽かもしれない。(言葉を発するのは、すごくコストがかからない。これ以外は、やたらと金がかかる。)

いや、立派な家には住んでいる。(雨漏りはしてるけど。)オヤジとお袋が、節約し続けて、僕なんかにはただひたすら厳しくし続けて、そうやってお金を溜めて建ててくれた家と事務所で、あぐらをかいてる。いい身分だ。そうなんだけれども、暖かいものがなかなか思い出せない。未だにね。なんか、あったっけか?

たかだか、FirefoxがQuantumになっただけでしょ?それでバタバタして、何で、たったそれだけのことで、こんなにも一気に泥沼に落ちてんだよ、と思う。自分のメンタルの弱さが情けない。

サバイバルするためなら、何でもやるさ。ってな気分の人の気持ちは、とてもよくわかる。さすがにもう、僕には万引きはできないけれども・・・

FTP接続復旧!

何とか、FTP接続は復旧した。長年一つの環境を使ってたから、思考の固着。よくない。独立ツールで良かった。要するに、環境の再構築が面倒なだけ。「お道具セット」は全部作り替え。(溜息)

どうせだったら、FTPじゃなくてSFTPにすれば、って思うんだけれども、今うちが借りてるレンタルサーバ、値段が安いだけあって、PHP走らすことしかできない。rubyダメ、pythonダメ。JSP/EJBダメ、さすがにPerlはOK。スクリプト書いて小技効かすことも出来る。けど、ってことは、FTP接続を乗っ取られちゃったら、簡単にクラックされちゃうよなぁ。ssl立てるだけなのに、やれ手続きがどうだこうだとやたらと役人的なメールが来て、大騒ぎした。安い以外に何の取り柄もない。しかも、「データベースを刷新します」ってな案内が来た後、いきなり遅くなった。理由は単純で、そのWEBサーバの会社が、データベースサーバの契約を、さらに外の「安い」ところに切り替えたらしく、ちょっとしたSQLに20秒かかることがある。絶望的にWEBアプリとしての品質が落ちた。「安さ」しか売りにしていない会社と契約している私が悪い。って、技術屋さんには、どこのサーバかすぐにバレるだろうから、名指しで悪口書いているようなものだけれども、見抜けない方はどこだろうって、悩んで下さい。「一番安い」ところに乗り換えさせたうちの財務大臣の判断は(今の僕の仕事っぷりを見てたら)間違っちゃいないとは思うが、アプリを走らせるには「激安」は「激遅」だった。

国家試験の問題演習で、「答え」をクリックしてから正解表示までに20秒かかったら、ストレスばかりがたまる。アプリとしての要件を満たしていない。「安い方への乗り換え」が致命傷になったかも知れない。

何とか年内には、rails/djangoを自己責任で建てられて、FTPじゃなくSFTPを自分で立てられるサーバに引っ越したい。もっと儲けられたら、自前でサーバを立てたいんだが、僕にはB to Cの仕事のセンスはないらしいと、やっと自覚。かといって、B to Bでは「ひ孫」くらいしかアテがないし。IoTの方に賭けて、今年こそ、今のサーバから引っ越ししたい。

ってなぁ・・・自分の情けなさが身に沁みる今日でした。

FireFTPが消えた!

なんだか、MacOSをHigh Sierraに更新したのと、FirefoxをQuantumに更新したのと、ほぼ同時期だったためか、僕自身、勘違いしていたらしい。

ブラウザ用のAdd-Onがほぼ全滅状態?Appleさん、何やってくれたんだ、と思ってぼやいたページが確かあったが、原因はQuantumだったらしい。調べて見たら、話題になってた。Appleさん、ごめんなさい。
m(_ _)m ← 日本式土下座

FireFTPが消えた、ってか、そういや確か「互換性のないアドオンを削除しますか?」「は〜い!」ってな操作した記憶がある。結果、自社サイトアプリの更新ができない。サーバでの動作確認ができない。
実は、XAMPPとサーバとで微妙にZendFrameworkのバージョンが違う。テストを自動化しようとcomposerを入れた後、あれこれ問題が起きて、何度となく微調整してはいるんだけれども、「安定性最優先」で誤差が蓄積して来ているかもしれない。確認したいのに、アップロードできない。
しばらく、このWEBがらみの仕事から離れて、PC-9801シリーズと戯れていた。

で、どうしましょ?Safariメインに戻す?FTPだけじゃなくて、FireBugは今どうなってんの?と思って、ググってたら、これが出て来た。

2017年10月30日 10時28分00秒

Firefoxでウェブ開発者に12年にわたり利用されてきたアドオン「Firebug」がFirefox Quantum登場で終了

https://gigazine.net/news/20171030-firefox-quantum-firebug/

えええええ!  Firebugが終了?  しゅぅりょぉお?

情報取るの、遅せぇよぉおオ、
何やってんだよぉ ===>>>自分 ↓↓
(T_T)\(100t 岩)
( / _ ; )

開発環境の構築、やり直し?Safari移行?それともChrome?いや、Quantumでもデバッガは動いてた。FTPだけ探せば何とかなる?あれ、PHPのツール何か入れてたっけか?そういや、domのデバッグの時、確か何か・・・どうする?あれはどうする?これはどうする?で、???の嵐。プチパニック。

で、たぶん、今日の仕事は2歩進んで20歩後退。

やられた・・・賽の河原の石積みだね。
一つぅ、積んではぁ、ちちのためぇぇ、ってか。

温泉行こうかな。それとも走ってくる?(こんな夜中に?)

南は終わったか

朝鮮戦争後、理想郷の構築を夢見た半島の優秀な人材が多数北に流れた。

下世話な話題になるけれども、日本で「三大ブスの産地」とか言われたのが、仙台、水戸、名古屋だったかな。理由は何か。江戸時代、幕府のある江戸に、域内選りすぐりの美女を送り込んだために、藩元にはブスしか残ってねぇだろ、という江戸庶民の口コミじゃなかったのか。逆に言えば、それだけ、仙台、水戸、名古屋から、江戸庶民を唸らせるだけの美女が集まっていて、藩屋敷を固めていた、ということで、仙台、水戸、名古屋は美女の産地だったという言い方もできるかなと思う。

昨日今日の報道を見ていて、ふと思った。金正恩のIQは、間違いなく文在寅よりも最低でも10は高い。トランプよりも、最低でも5〜8は高いと思った。公的機関の格付けを願う。ヨーロッパのどこかに、なんか格付け機関があったでしょ?確か。

そもそも、慰安婦問題は、売春婦だった人たち(気の毒なおばあちゃんは確かにいると思うが)を「強制連行された」という虚構を喧伝して、じわりじわりと世界に広めた金正日の戦略の成果だと思う。(なに、ロイターなんて、完全に北に騙されたのか・・・史料検証もできない欧州のマスコミ、これ見て笑ったよ。「コラム:ウォン高は韓国経済変革の好機、日本型政策に決別を」)前にもそれに近いことを書いた。面倒臭いから、自己引用しない。朝日新聞なんて、アサヒじゃなくてチョウニチ新聞じゃないかっていうくらい「朝」に偏っていて、これも数ページ前に引用した気がするが、朝日新聞のWEBサイトは、日本語版と英語版とで相当にニュアンスが異なるらしい。日本のメジャーなマスコミすら、たぶらかすくらいの成果を、北はあげている。あいつら、バカじゃない。かのアメリカですらトランプを大統領にしちゃう訳だから、「一般大衆」の思い込みほど恐ろしいものはない。その一般大衆を利用できる北の賢さと、一般大衆の域を出ないのが南のあのムンだと思う。

しつこいけれども、なぜ日本政府は、あの売春婦たちの歴史的な「史料」を日本政府の証拠として表に出さない?思いやりなんて通じる相手じゃないだろうと思う。つぶせ、と言いたい。日本人の名誉にかけて。

もう、南は北の言いなりで、IQの低いムンが、完全にキムのコントロール下になったなと思った。あそこは、南北共々、核武装化を目指すことになるだろうと思う。格下のムンにはキムを操れない。その渦中の栗を拾うつもりでいるのがプーチン。悪いけれども、プーチンがこれ以上北に肩入れするなら、米中欧日が連携して、ロシアを経済的に除外する方向に動くと僕は思う。ロシアにその体力があるのか?

かくして、そうした、米中欧日露の連携を理解できないムンが、北に飲み込まれて、大量のスポーツ選手を人質にさせてしまう。そんな気がした。以上。

自分の言葉で

ひたすらレポートの採点。この時期恒例の苦行です。集中力が途切れると、最初に採点した人と後の方で採点した人の基準がブレるので、メモを残し、サンプルにマークをつけ、可能な限り公平な採点になるように頑張ってはいるけれども、やっぱり主観は入るなぁ・・・
というより、プログラミングというロジックの塊を扱ってるのに、判断基準は、これまでプログラマとして仕事をしてきた自分の直感とか、もう理屈じゃないところでかなり判断している。いや、クレームがついたら説明するだけの根拠は示せると思うけれども、・・・今日はもう、疲れた。

文科省については思う。「問題解決能力」を「養う」のではなく、素材を発掘するためにプログラミングを学ばせるならば、成果は出ると思うけれども、僕は教えることの限界を感じている。素質がなかったら無理っていう領域は、どんな仕事にもあると思う。頭数にはなっても、そういう頭数は時には足手纏いになる。現場を知らない役人の発想だと思う。加えて思うのは、子供が出したバグに、適切な「考え方のアプローチの指導」なんて、できる小学校教員がいるんだか、なんなんだか。

思い出話だけれども、僕の中学校1年の時の英語教師、”This is a pen.”の発音で、Thの音がDになっていて、舌を挟むべきthがsの方になっちゃっていたから、”Death is a pen.”としか聞こえない発音を、クラス全員に復唱させていた。教員用のアンチョコは、多分「ディス、イズ、ア、ペン。」で、「舌を噛むようになんちゃら」とか書いてあったんだろうな。すごいですね。クラス全員で、大声で唱える。”Death is a pen!”僕らの頃の英語教育。こういっちゃなんだけれども、学生が書いたバグを見つけだして指摘するなんて、プロだって生半可なプロにはできないと思うな。他人の書いたプログラムを読むこと自体が難しい。相手と同じ発想を辿らなけりゃならない。その上で、論理の瑕疵とか、凡ミスを見つける。毎回授業でやってるけど、小学校の教員にそれをやらせるのは、残酷だと僕は思う。役人が現場を知らなすぎるんだよ。実際に自分で体験してから、「教育要綱」を書けって、僕は思う。

それはいいや。本題じゃない。学生のレポート、「あぁ、的外れだな」という内容は、相当数にあるけれども、必死で考えている的外れと、何も考えていない的外れは、読めばわかる。基本は自分の言葉で書いているかどうか、だと思う。さらに思うのは、まともに日本語を書けない奴にプログラムを書ける訳がない、っていうことかも知れない。

「指示に従わない」それは、しつこく指摘はしているけれども、だいたい僕だって、指示に従うのは嫌いな方だから、大目に見ている。(ただ、企業では無条件にはじかれることがあるから、処世術として、とにかく理解できないなら指示に従え、と指導はしている。)指示に従っていないのに、コードを読んで走らせて見たら凄い奴。そういうのがいるから、かろうじて持ちこたえて、採点作業を続けていられる。いるんだわ。毎年5%くらい。「あ、俺負けてるかも」みたいな学生。センスがある。教育でセンスを身に付けさせられるか、っていうのは、過去の経験では、挫折しかない。初対面での直感での評価が、ほぼ1年経った後でも、まず覆らない。センスって、なんなんだろ。

自分なりに書いてきている学生の言葉は、通じる。ロジックの理解度も辿れる。ただ、借り物の言葉は何かおかしいと、直感的に感じるものがある。この作業を延々と繰り返していると、グッタリして、こちらも言いたい言葉が山ほど積み上がって来るけれども、半分の希望と、半分の絶望とが入り乱れる、ある意味では楽しい年中行事かも知れない。

とにかく、自分の言葉で吐き出す訓練をして欲しいと思う。読む方も疲れるけれども、それは仕事だからな。気にするな、バンバン自分の言葉を吐き出せ、と思う。

そうして、読み疲れて、溜まったものを吐き出している僕の言葉が、ゲロになっていないことを祈るばかり。

若い人たち

「君の名は」以来、RADWIMPSにハマった。歌詞がいいね。
ふと、思った。最近、時間を遡ったりする系が映画に多いような気がする。一つには、ゲームで「セーブ」したところから何度でもやり直せる感覚を、日常に持ち込もうとしているんかな、ということもあるんだけれども、もう一つには、肉体とは別に「意識体」を感覚的に受け入れている世代、ということもあるのかな、という気がした。

師匠の講演会で、以前聞いた(結構あやふやだけれども)記憶がある。日本を選んで生まれて(肉体を持って)来る子たちが、今後増える。明確に、人間の本体は意識体だと、その意識を肉体を持っても失うまいという明確な意思を持って生まれて来る人たちが、この国を選んでくれるのは嬉しい。たぶん、僕自身もそうだったような気がする。(いや、肉体を抜けてからじゃないと、答え合わせは出来ないんだろうと思うけれども。)
理由は単純で、師匠もいるし、ちょっと唯我独尊になってしまって、連携プレイから外れてしまったRO氏は残念だけれども、高橋信次さん、谷口雅春さん、いずれも(こう言っちゃなんだけれども、後継の器の小さい方々が小さく固まっちゃうから、連携プレイが出来ないんだけれども、)名だたる方々で(っていうか、私個人は今世ではどなたにも面識はないけれども・・・)人材を集結して効果を上げようという思惑が、やっぱり肉体を持ってしまうと、どうしても現世的なところで引っかかって、結果が出ないっていうことなんだろうか。時間軸をズラしているのは、効果の継続を意図していた。それぞれが独立して動いたのは、影響範囲を広げるため、それなのに、連携のところで、(私なんかがボヤくのは、身分違いなんだけれども、上司に噛み付くのは昔からの悪癖で、)あの方々の後継者、取り巻きが・・・(以下省略)
惜しい。(余談ながら、天上天下唯我独尊の意味は、一般的な解釈とは全く違う、全く違う意図を持って伝えられた言葉だよ、というのも、講演で聞いた覚えがある。「自分を大切にしなさい」と。私は私でしかない。という歌詞を、誰の歌で聞いたか思い出せないけれども、やはり若いグループだった気がする。自分を最も大切にしなさい、尊びなさい、自分の心を汚さないようにしなさい、それが天上天下唯我独尊の本来の意味だよ、と、講演会で聞いたような気がするが、正確なところはCDを探し出して聞き直さないと、自信がない。)だけど、それ(天上天下唯我独尊、の本来の意味)と同じような歌詞を歌っているグループが、いくつもあったと思う。なんとなく、それが嬉しい。

憲法9条の不戦の誓いは、守り抜いて欲しい。その上で、どうやって日本の安全を守るか。戦争だけが手段じゃない。日本の安全を守る、ということは、日本が世界と融和できるということで、その手段は戦争以外にも数え切れないほどある。それを実現してくれるのが、「意識体」そのもの、「人」そのもの、つまり「心」を大切にしようとしてくれている、次世代の日本人かな、と思う。(いや、学校でも教えているから、若い人たち全員がそうだとは言わないけれども、)比率として増えている気はする。

僕が伝えたいのは、宗教なんかじゃない。自由に、自分の心の信じるままに行動して、その結果を全て受け止める。僕はそう学んでいる。「自分の心の信じるまま」に行動したら、刑務所に入っちゃった、とか、それはきっと「あなたの心が未熟だったんだね」と、そう言いたいだけ。思ったことを全部口にしても、誰も傷つけない、それが理想形。その理想形に近付きたいから、僕は思ったこと、考えたことを全部言葉にしている。悪いことをしたのをわかってるから、本当のことを口にできない?そういう大人が、とにかく多いんだよなぁ・・・そういう人、たくさん知ってる。大企業ほど・・・(以下省略)やめようね。何でも口にしても、全然困らないように生きようね。いや、悪いことして隠している人を困らせても、それは気にする必要ないから。

で、こういう僕の考え方を「宗教だ」と決めつけてくれる友人・隣人もいて、「どこが宗教なんだよ」と噛み付いたら、「誰かを崇拝したら、そんなのは宗教だ」と、と言われた。尊敬はしていても崇拝はしてない。表現に「霊」が絡むと、僕が尊敬の文脈で話をしていても、勝手に「崇拝」だと解釈してくる。鬱陶しい。僕は自分自身を信じているから、他人を信じることができる。他人を信じるならば、まず自分を信じきれと思う。その自己責任において、僕は、神ですら信じることはしても、崇拝はしない。文句あるか、と言いたい。
私自身を「体細胞」とする上位の意識体が神だとするならば、神の意識と私が噛み合わなければ、きっと私は「癌細胞」になる。実際に、数え切れないほどの人が「癌」になっている。
この文脈で、信じていないのに崇拝することこそが、宗教だと主張したい。(この話題は、もういいや。)

何を言いたかったんだっけか。若い皆さん、自分を信じ切れるように、なろうね。それだけかな。

で、今は大学のPythonのレポートの採点中。ふと、脱線した。自分の言葉で、必死にレポートを書いてくれている子たち、みんな好きだよ。ほぼ丸写しのレポートを出した奴もいる。(いや、見落としも多いんだろうけれども、それは肉体を持って、目と脳みそとで、必死に採点している私の限界。)コピった君には点数は出さないから。ただそれだけ。だって、プログラミングを自分で出来なかったら、社会に出て何の役にも立たないでしょ?君を採用した会社が困るだけだよ。だから僕は単位は出さない。
ごめんね。ただそれだけ。

若い皆さん、みんな、頑張ってね。以上。(って、結局長文になっちゃった。)

論理パス

今朝書いたページ、ずっと違和感を感じていたけれども、わかった。

日本政府は何度となく謝罪している。それに対して、韓国は「正式な謝罪がない」と主張している。

一方で、日本政府が謝罪したことで、韓国が主張する「慰安婦は、強制連行された」という主張を認めてしまったことになり、海外メディアが「慰安婦の強制連行を、日本政府が認めた」とする根拠にされているらしい。

なんだこれ、と思ったが、韓国が「日本政府は正式な謝罪をしていない」と主張し通すならば、日本側も態度を改めて、「その通りだ、慰安婦の強制連行はすでに朝日新聞自身が認めているように、でっち上げの書籍を朝日新聞などが騒いで広めたことによる誤認であり、慰安婦は売春婦である、だから我々は謝罪するつもりはない」という主張を新たに展開し、韓国政府が主張する「日本政府は謝罪していない」というその主張を「追認する」という、論理パスはないものかと思った。

っていうか、こういうことをやってしまうと、これまで何度となく主張してきた「既に何度となく謝罪している」という日本政府の主張はなんだったんだ、ということになるけれども、それを持ち出すなら、日韓基本条約はなんだったんだ、ということにもなる。相手の論理に乗っかるというか、この際、「そうだ、やっぱり日本政府は謝罪していなかった、慰安婦の強制連行など、一切認めていなかった」という、過去の経緯を全否定する韓国流のやり口に乗っかった展開はできないものかと思った。「修復不能な領域」に突入させてもいいんじゃなかろうか。本気を見せるべきだ。

論理も事実もへったくれも、ねぇなという気がする。これがコンピュータだったら、こういった論理ミスは「カモ」で、うまいこと使えば、そういうコンピュータは外から好き勝手できる。(俗にこれを、クラックするという。)ただ、相手が論理的な存在なら、だけれど・・・

ただねぇ・・・欧米の「歴史教育」も、「日本軍は残虐だ」という連合軍による「戦後裁判」の、事実に基づかない一方的な日本断罪の裁判が根拠になっていたりするから、もう、マスコミも含めて、全然論理とか事実が成り立つ世界じゃないなという気がするし、とにかく難しい。ドイツのメルケル首相ですら、現在の「第二次世界大戦当時の日本の非人道性」の欧米の主張に、事実無根の要素があることを認識してくれていない。

難しいとは思うが、中国や韓国が、「白髪三千丈」の主張を延々と展開してきた結果、「嘘も百遍言えば本当にな」ってしまったように、日本側もとにかく主張を続ければ、事実を事実として世界に認識してもらい、冤罪を晴らすことができるはずだと思う。

思うのだけれども、最大の問題は、外務省の官僚が、本気になっていないこと(こんな、海外に敵を作るような面倒なことはやりたくないと思い、何もしないでいること)かも知れない。内閣は行政府を動かせるんじゃないのか?動かさないならば、それは安倍総理や河野外務大臣の怠慢でもあるかも知れない。ケンカを売れよ、と思う。

蛇足ながら、野蛮人の国のケンカは、やれ、核だのミサイルだのが幅を効かせる。文明国のケンカは、情報戦で(虚偽の情報を流すことすら、戦略の一部であり、)論理的な思考回路を持たずに、雰囲気や大声に振り回される海外のメディアも含めて、事実よりもセンチメンタリズムに流される世界の「一般人」を動かすためには、歴史家だけではなく、演出家だとか、広告クリエータなどをかき集めて、どう情報戦を展開するか、相当に本腰を入れて、戦略を練って欲しい。広告クリエータと言えば、ユーゴスラビア内戦での「ethnic cleansing」という新語も、戦術の一環として軍部が依頼して作らせた言葉だと、何かの番組で見たような気がする。外務省には、そういう発想をできる人材すら、いないのかなぁ。

事実を執拗に主張し続けるべき

慰安婦合意破棄:海外メディアの固定化する日本イメージ

しつこい人間は嫌われる。相手が間違ってる、自分が正しいと思っても、そこそこに主張を取り下げて折れないと、人間関係が壊れる。それが日本かもしれない。国内にいればそれでいいのだと思う。

ただ、従軍慰安婦問題については、あれはビジネスとして(中には、親などの周囲の人間によって、本人の意思に反した人もいるだろうけれども、形式的には)本人が応募した売春婦だったと、その主張だけは取り下げるべきではなかった。あの最終合意で「韓国側の主張を認めた」という含意があったという解釈は、僕にはできなかった。そうだったのかと思う。ただ、今からでも遅くない。韓国が「破棄」するとか「見直しする」とかいうのならば、日本も見直して、事実は売春ビジネスだったと、根拠を明示して、世界に対して何が真実かを執拗に主張すべきだと思うし、政府のそうしたサイトが必要だと、上記の記事を読んで思った。

嫌われるくらい執拗に、事実は事実だと主張すべきだ。役人には一番苦手な作業かもしれないだろうが、それをやってくれなかったら、将来の日本人がというだけではなく、今現在海外に居住している方々が、どんな苦痛を味わい続けるか、想像するに余りある。

私がもし、海外で友人に「日本はこうだったんだろう?」と海外メディアの「慰安婦」報道に言及されたなら、たぶん、事実はこうだと主張はするが、その証拠を簡便に示せなかったら、結局最後は黙らざるを得なくなり、悔しくてたまらない思いをするだろう。そして、どうやらそれが、今現在起きているらしい。

韓国が「見直し」するというのならば、日本も「立場を改めて」事実に基づいた主張を前面に出すべきだ。謝罪したという事実が「慰安婦の事実の追認」になるのならば、韓国の「見直し」に合わせて、過去の謝罪の撤回を行ってもいいかも知れない。

次世代の日本人のため、ばかりではなく、今現在海外に在住している日本人のために、日本政府に動いて欲しい。

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新しい友人

年賀状を手に取った時に、相手の顔、声、思い出などがすぐには思い出せない相手・・・(失礼、ごめんなさい)との形式的なやり取りは、とにかく減らして絞り込んで来て、随分と枚数が減った。

言い訳がましくなるけれども、何かきっかけがあれば、「あ、あの時の・・・」と、かなり鮮明に思い出せるケースもあるとは思うのだけれども、いかんせん、普段会っていなければ、冷蔵庫の奥で干からびてる生姜みたいな感じで、年賀状を印刷だけしても書く言葉が思い浮かばない、どうしたらいいのかわからないので、結局さり気なく往復しなくなったら、そのまま減らしていって・・・という感じでしょうか。

そんな中で、今年は新しく二人、増えた。

お一方は小川町在住の80歳の学者の大崎先生。松尾くんの紹介。なぜか、パプアニューギニアで何度も出会ったという不思議な関係どうし。二回ほど一緒に飲ませていただきましたが、眼光が鋭い。私も相当に理屈っぽいけれども、話をしたくて仕方ない感じで、私がひたすら聞く側に回る相手というのは、なかなかいない。なんだか自分と同タイプを見ている感じで、大崎先生を敬遠したら、自分で自分を敬遠しているのと同じだなという気がしてならなかった。

大崎先生、焼畑農業を擁護する「焼畑の思想を求めて」という本を出版する予定らしい。

少数民族の熱帯焼畑は森林破壊だと批判する多くの学者に抗して

ということだけれども、これについては私もパプアニューギニアでの語学訓練中でのホームステイでの思い出がいくつかある。
このホームステイ中には、絶対にネットには書きたくない話題(経験)が一つあった。現地のコーディネータの方(女性)に相談させていただいて、とりあえず「何事もなかった」のだけれども、女性だけではなく、男でも「こういうこと」ってのはあるんだなと、そういう話題だとだけ書いておく。ブッシュウォーク(ジャングルの中を歩いて、様々な実践的な「表現」を覚えろ、ってなカリキュラム)の中で、突然案内役が「○×△□」だと主張し始めて、危うくジャングルの中に置き去りにされるのかと、相当に焦った。僕が「△□」しなかったら(この後伏せ字だらけなので中略)・・・なんて流れになって、最後の最後は「パブロン」を一袋手渡して、第一段階は事無きを得た感じだった(無事ジャングルを抜け出せた)けれど、その「パブロン」を一袋渡した事で、後任隊員が相当に迷惑したとか、報告書に書かれていた。(先輩隊員で、安易に薬を渡したやつがいたから、後任がせびられて、大変だったとか憤慨していたような・・・。)こっちだって、ただ渡した訳じゃねぇぞ、と言いたかったし、申し訳ないとも思うけれども、他に自力で何とかする手段が思い付かなかったというか・・・この話題、詳細は報告してません。(現地のコーディネータには全部状況説明して、以後配慮してもらっているが、)正式に報告していたら、現地の掟に従って、誰かの片足の足首から下を切り落とす「罰」が下されるはずで、だから「詳細」は書けない。
話が逸れてるので戻す。

“Bus i kam.”というピジン語表現がある。
“Yu katim big bus, kukim, na wokim gaden. Planim kaukau, wok pinis, na i wokim olsem wanem?”
“Rarim tasol i stap.  Noken wori.  Bai bus i kam.”
という文脈で、「ジャングルを切り開いて、焼いて、畑を作って、芋を植えて、役目が終わったらどうする?」「放っておけば、ジャングルがやって来る。(また、ジャングルになる)」という感じの言い方。この、焼畑がまたジャングルに戻る、という表現が”Bus i kam.”(ブスイカム、と発音)だった。確か、ひたすら山の中を歩いていて、ところどころ開けていて以前畑だった痕跡のような場所があって、”Dispela hap, em i wanem?”この場所は何?と聞いたら、以前焼畑だったと話してくれた。”Bus bai karamapim.”ブスバイカラマッピム、「ジャングルが覆いかぶさる」という言い回しもある。熱帯の植生は、彼らの焼畑程度ならそう簡単に屈服はしない。

大崎先生が研究されているのはフィリピン。フィリピンどころか、日本でだって、放置された廃屋に、雑草どころか木に家が壊されかけていて、後10年放置したら「森」に戻りそうな家もある。何なら、私のジョギングコース中にある、そうした「廃屋」を紹介できると思う。(一軒は、壊されて更地になっていたが・・・)植物の力は強い。

問題なのは、重機で根こそぎ巨木を伐採するやり方だと思う。20年前の話だけれども、1立米1キナ(100円程度)で伐採した木材を買い取る業者がいて、そんな中には黒檀や紫檀などの非常に高価な木材も含まれているのに・・・という話題もあった。今どうなっているのかは知らないけれども、彼らの伝統的な焼畑と、重機を入れた伐採とは区別すべきだという気がする。いや、酒が入っている状況で、大崎先生に火をつけると、消火できる気がしなかったので、あまり細かい経験談は話していませんが、大崎先生の主張にはかなり共感している。(いや、僕にも、一旦火がつくと止まらない話題というのはある訳で・・・まるで自分を見ているような・・・)

右とか左とか、紋切り型の方々とはあまり親しく付き合えない気がするという大崎先生のスタンスにも共感する。「これを書いたら、世間は僕を右と見るだろう」とか「これを書いたら、左と見られそうだ」とか、その程度は理解しているが、言いたいことがある時は、全然気にせずに主張はしている。
散々、金正恩をクソミソに貶しては見たが、もし彼が、拉致日本人を帰還させると公言したなら、僕自身は一転して、北朝鮮の「対米抗争」を支持する論陣を張り、金正恩を擁護するという、「変節」をやらかすかも知れない。
だいたい、僕自身が善人じゃないし、状況によってはどんな大悪党の擁護だってするさ。(って、全然擁護してないじゃないか。)

何はともあれ、今年一年、どれだけ新しい友人が増えるか、どこまで自分の活動の範囲を広げられるか、ちょっと楽しみになる年賀状が何通もあった。
懐かしい方々を、本当に懐かしいと思えるのは、自分自身が多少は動けている時、かも知れない。