新しい友人

年賀状を手に取った時に、相手の顔、声、思い出などがすぐには思い出せない相手・・・(失礼、ごめんなさい)との形式的なやり取りは、とにかく減らして絞り込んで来て、随分と枚数が減った。

言い訳がましくなるけれども、何かきっかけがあれば、「あ、あの時の・・・」と、かなり鮮明に思い出せるケースもあるとは思うのだけれども、いかんせん、普段会っていなければ、冷蔵庫の奥で干からびてる生姜みたいな感じで、年賀状を印刷だけしても書く言葉が思い浮かばない、どうしたらいいのかわからないので、結局さり気なく往復しなくなったら、そのまま減らしていって・・・という感じでしょうか。

そんな中で、今年は新しく二人、増えた。

お一方は小川町在住の80歳の学者の大崎先生。松尾くんの紹介。なぜか、パプアニューギニアで何度も出会ったという不思議な関係どうし。二回ほど一緒に飲ませていただきましたが、眼光が鋭い。私も相当に理屈っぽいけれども、話をしたくて仕方ない感じで、私がひたすら聞く側に回る相手というのは、なかなかいない。なんだか自分と同タイプを見ている感じで、大崎先生を敬遠したら、自分で自分を敬遠しているのと同じだなという気がしてならなかった。

大崎先生、焼畑農業を擁護する「焼畑の思想を求めて」という本を出版する予定らしい。

少数民族の熱帯焼畑は森林破壊だと批判する多くの学者に抗して

ということだけれども、これについては私もパプアニューギニアでの語学訓練中でのホームステイでの思い出がいくつかある。
このホームステイ中には、絶対にネットには書きたくない話題(経験)が一つあった。現地のコーディネータの方(女性)に相談させていただいて、とりあえず「何事もなかった」のだけれども、女性だけではなく、男でも「こういうこと」ってのはあるんだなと、そういう話題だとだけ書いておく。ブッシュウォーク(ジャングルの中を歩いて、様々な実践的な「表現」を覚えろ、ってなカリキュラム)の中で、突然案内役が「○×△□」だと主張し始めて、危うくジャングルの中に置き去りにされるのかと、相当に焦った。僕が「△□」しなかったら(この後伏せ字だらけなので中略)・・・なんて流れになって、最後の最後は「パブロン」を一袋手渡して、第一段階は事無きを得た感じだった(無事ジャングルを抜け出せた)けれど、その「パブロン」を一袋渡した事で、後任隊員が相当に迷惑したとか、報告書に書かれていた。(先輩隊員で、安易に薬を渡したやつがいたから、後任がせびられて、大変だったとか憤慨していたような・・・。)こっちだって、ただ渡した訳じゃねぇぞ、と言いたかったし、申し訳ないとも思うけれども、他に自力で何とかする手段が思い付かなかったというか・・・この話題、詳細は報告してません。(現地のコーディネータには全部状況説明して、以後配慮してもらっているが、)正式に報告していたら、現地の掟に従って、誰かの片足の足首から下を切り落とす「罰」が下されるはずで、だから「詳細」は書けない。
話が逸れてるので戻す。

“Bus i kam.”というピジン語表現がある。
“Yu katim big bus, kukim, na wokim gaden. Planim kaukau, wok pinis, na i wokim olsem wanem?”
“Rarim tasol i stap.  Noken wori.  Bai bus i kam.”
という文脈で、「ジャングルを切り開いて、焼いて、畑を作って、芋を植えて、役目が終わったらどうする?」「放っておけば、ジャングルがやって来る。(また、ジャングルになる)」という感じの言い方。この、焼畑がまたジャングルに戻る、という表現が”Bus i kam.”(ブスイカム、と発音)だった。確か、ひたすら山の中を歩いていて、ところどころ開けていて以前畑だった痕跡のような場所があって、”Dispela hap, em i wanem?”この場所は何?と聞いたら、以前焼畑だったと話してくれた。”Bus bai karamapim.”ブスバイカラマッピム、「ジャングルが覆いかぶさる」という言い回しもある。熱帯の植生は、彼らの焼畑程度ならそう簡単に屈服はしない。

大崎先生が研究されているのはフィリピン。フィリピンどころか、日本でだって、放置された廃屋に、雑草どころか木に家が壊されかけていて、後10年放置したら「森」に戻りそうな家もある。何なら、私のジョギングコース中にある、そうした「廃屋」を紹介できると思う。(一軒は、壊されて更地になっていたが・・・)植物の力は強い。

問題なのは、重機で根こそぎ巨木を伐採するやり方だと思う。20年前の話だけれども、1立米1キナ(100円程度)で伐採した木材を買い取る業者がいて、そんな中には黒檀や紫檀などの非常に高価な木材も含まれているのに・・・という話題もあった。今どうなっているのかは知らないけれども、彼らの伝統的な焼畑と、重機を入れた伐採とは区別すべきだという気がする。いや、酒が入っている状況で、大崎先生に火をつけると、消火できる気がしなかったので、あまり細かい経験談は話していませんが、大崎先生の主張にはかなり共感している。(いや、僕にも、一旦火がつくと止まらない話題というのはある訳で・・・まるで自分を見ているような・・・)

右とか左とか、紋切り型の方々とはあまり親しく付き合えない気がするという大崎先生のスタンスにも共感する。「これを書いたら、世間は僕を右と見るだろう」とか「これを書いたら、左と見られそうだ」とか、その程度は理解しているが、言いたいことがある時は、全然気にせずに主張はしている。
散々、金正恩をクソミソに貶しては見たが、もし彼が、拉致日本人を帰還させると公言したなら、僕自身は一転して、北朝鮮の「対米抗争」を支持する論陣を張り、金正恩を擁護するという、「変節」をやらかすかも知れない。
だいたい、僕自身が善人じゃないし、状況によってはどんな大悪党の擁護だってするさ。(って、全然擁護してないじゃないか。)

何はともあれ、今年一年、どれだけ新しい友人が増えるか、どこまで自分の活動の範囲を広げられるか、ちょっと楽しみになる年賀状が何通もあった。
懐かしい方々を、本当に懐かしいと思えるのは、自分自身が多少は動けている時、かも知れない。