自分の言葉で

ひたすらレポートの採点。この時期恒例の苦行です。集中力が途切れると、最初に採点した人と後の方で採点した人の基準がブレるので、メモを残し、サンプルにマークをつけ、可能な限り公平な採点になるように頑張ってはいるけれども、やっぱり主観は入るなぁ・・・
というより、プログラミングというロジックの塊を扱ってるのに、判断基準は、これまでプログラマとして仕事をしてきた自分の直感とか、もう理屈じゃないところでかなり判断している。いや、クレームがついたら説明するだけの根拠は示せると思うけれども、・・・今日はもう、疲れた。

文科省については思う。「問題解決能力」を「養う」のではなく、素材を発掘するためにプログラミングを学ばせるならば、成果は出ると思うけれども、僕は教えることの限界を感じている。素質がなかったら無理っていう領域は、どんな仕事にもあると思う。頭数にはなっても、そういう頭数は時には足手纏いになる。現場を知らない役人の発想だと思う。加えて思うのは、子供が出したバグに、適切な「考え方のアプローチの指導」なんて、できる小学校教員がいるんだか、なんなんだか。

思い出話だけれども、僕の中学校1年の時の英語教師、”This is a pen.”の発音で、Thの音がDになっていて、舌を挟むべきthがsの方になっちゃっていたから、”Death is a pen.”としか聞こえない発音を、クラス全員に復唱させていた。教員用のアンチョコは、多分「ディス、イズ、ア、ペン。」で、「舌を噛むようになんちゃら」とか書いてあったんだろうな。すごいですね。クラス全員で、大声で唱える。”Death is a pen!”僕らの頃の英語教育。こういっちゃなんだけれども、学生が書いたバグを見つけだして指摘するなんて、プロだって生半可なプロにはできないと思うな。他人の書いたプログラムを読むこと自体が難しい。相手と同じ発想を辿らなけりゃならない。その上で、論理の瑕疵とか、凡ミスを見つける。毎回授業でやってるけど、小学校の教員にそれをやらせるのは、残酷だと僕は思う。役人が現場を知らなすぎるんだよ。実際に自分で体験してから、「教育要綱」を書けって、僕は思う。

それはいいや。本題じゃない。学生のレポート、「あぁ、的外れだな」という内容は、相当数にあるけれども、必死で考えている的外れと、何も考えていない的外れは、読めばわかる。基本は自分の言葉で書いているかどうか、だと思う。さらに思うのは、まともに日本語を書けない奴にプログラムを書ける訳がない、っていうことかも知れない。

「指示に従わない」それは、しつこく指摘はしているけれども、だいたい僕だって、指示に従うのは嫌いな方だから、大目に見ている。(ただ、企業では無条件にはじかれることがあるから、処世術として、とにかく理解できないなら指示に従え、と指導はしている。)指示に従っていないのに、コードを読んで走らせて見たら凄い奴。そういうのがいるから、かろうじて持ちこたえて、採点作業を続けていられる。いるんだわ。毎年5%くらい。「あ、俺負けてるかも」みたいな学生。センスがある。教育でセンスを身に付けさせられるか、っていうのは、過去の経験では、挫折しかない。初対面での直感での評価が、ほぼ1年経った後でも、まず覆らない。センスって、なんなんだろ。

自分なりに書いてきている学生の言葉は、通じる。ロジックの理解度も辿れる。ただ、借り物の言葉は何かおかしいと、直感的に感じるものがある。この作業を延々と繰り返していると、グッタリして、こちらも言いたい言葉が山ほど積み上がって来るけれども、半分の希望と、半分の絶望とが入り乱れる、ある意味では楽しい年中行事かも知れない。

とにかく、自分の言葉で吐き出す訓練をして欲しいと思う。読む方も疲れるけれども、それは仕事だからな。気にするな、バンバン自分の言葉を吐き出せ、と思う。

そうして、読み疲れて、溜まったものを吐き出している僕の言葉が、ゲロになっていないことを祈るばかり。