残飯担当

70歳以上独居高齢者食事会。無事終わった。足元が覚束ない方が多く、靴を脱ぎ履きするだけでも手助けが必要な方もいらっしゃった。広義の医療機器で出来ることも多いのかなとか、あるいは衣類、履物でも工夫できる事は多いのかなという気がした。
何よりも、今介護用に登場して間もないロボットスーツ。膝や股関節だけに簡単に着脱できて、日常動作を支援する器具の開発、いわゆる「喫緊の課題」っていう奴だろうか。うちらあたりでも、できる事はあるかなぁ。

一昨年は、転倒して骨折・入院でのドタキャンがあり、今年は役員の親族に急の法事があって、当日のドタキャン。なんだかね、式服には黒いネクタイしか最近は使わないというボヤキにも思わず共感している。で、火の通った食べ物は「お持ち帰り用」にしていただけるんだけれども、お刺身とかお寿司とかは、お店側としても(食中毒なんか一人出ても大騒ぎだし、とっても理解できるが)お持ち帰りはご遠慮・・・だろうな。という事で、僕が胃袋に収納してお持ち帰りさせていただきました・・・。全体として二人前以上は食った気がする。浅ましいね・・・ってか、僕は食べ物を残すのを異様に嫌うってのを、他の役員さんとかもそろそろご存知で、「小林くん、これ食う?」って皿ごと回ってくる。流石に、同じ種類を三皿目になると、ちょっとしんどい。「ほら、遠慮せずに」って、あのぉ、僕が遠慮なんかしてると思います?

食べ物を捨てる行為は、犯罪行為だ、と思っています。これは本当に、子供の頃から一貫して。見苦しくても、浅ましくても、食べる事で捨てることを回避できるなら、何が何でも僕は食べる。えぇと、その結果として一時期どういう体型になったかは、ご存知の方も多いと思います。
全ての食べ物が、生き物由来だ、と思っている。だから、食べ物を捨てることは「食料」に姿を変えた生き物たちの、生命に対する冒涜だとしか思えないでいる。君たちの命を僕が引き継がせてもらう。そう思って食う。
日本人がクジラを食うことに、欧米では反発が多いらしいが、伝統的にクジラもイルカも、産業上の括りとしては「漁業」だったと僕は認識している。イルカについては詳しくは知らないが、クジラについては骨も皮も歯も、何から何まで、余すところなく生活に活用したのが日本人のクジラに対する接し方だったと理解している。それは(クジラに限ったことではなく)生き物であるクジラに対する日本人の敬意の表し方でもあったと、私は思う。
僕は、別に手を合わせて、神様、今日も食べ物を、一日の糧を与えて下さってありがとうございました、と祈ることもしないし、ハラルのような認証も求めてはいないけれども、ただ目の前にある食材に対しては、「元は命」の認識を捨てきれない。君たちの命は、今度僕の体になるから、僕を支えてほしい。だって、紛れもなく、元は命でしょ?

この、「元は命」ってな言い方もね、こうやって高齢者の方々と接していると、「元娘」だとか「元美少女」だとか「元好青年」の皆様方との間でそういう表現が飛び交うこともあって、(「元美少女」とか言われても、全然ピンと来なくて、ごめんなさい、なんだけれど、)姿形は色々と変わるけれども、生きていたもの、生きているものへの敬意は、日本人的な感性の中にあるような気がする。「宗教」でもなく、当たり前の生活感覚の中で捨てたくない、日本からなくなって欲しくないと、思った。と思っていたら、「恵方巻き、大量廃棄」とか「今年は、恵方巻きを昨年実績しか作らない」とかいうニュースも流れてきて、あれこれと思う事は多い。

なんてね、色々と偉そうに書きつつ、でもね、「残すのはもったいない」と、ひたすら食べるっていうのは、毎度のことながら、とっても意地汚く見えるし、見苦しいし、浅ましいし、そういう見え方するよなぁ、って理解しながら、意地で残飯をほとんど出したくない私がやっぱりいた。きっと、死ぬまで変わらない。そういえば、92歳の最高齢の方、全ての料理を残さず召し上がっていた。拍手したかったよ。
太るかもね?って、いや、レポートの採点が終わったら、走って泳いで、動きまくって、贅肉にならないように対処は心がけます。明日からね・・・。

今日の分、ツケは大きそうだ。