各論

各論を書くのって、難しい。
ってか、おやじギャクのキレが悪い・・・「各論を、書くのって・・・」ダメだな、こりゃ。シャレになってない。

嘘をついた方々は、どなたも追い詰められているみたいで、往生際が悪いなぁ。なんだか、どのニュースも見苦しいというか、聞き苦しいというか。いつまで続くんだろう。日大は完全に自爆している気がする。
安倍総理も、もうあと一つか二つの新事実で、完全に自爆状態じゃなかろうか。
米朝会談までは、持ちこたえてほしいものだと思うが。シームレスな外交を切に祈る。

昨日のいわゆる「閻魔様」の話。例えの書き方が悪いなぁ・・・とんでもない誤解を招きそうな例えを書いた気がした。エネルギーレベルの違う意識体どうしの話。エネルギーレベルの小さい波動は、エネルギーレベルの大きい波動に吸収されてしまうから、近づけないし、「次元」が異なれば物理的な状態の「自由度」が異なるはずだから、そもそも「住む世界が違う」ということになる。イワシとマグロはないよなぁ・・・。単に食いたかっただけじゃないのか?

なんだか、とっても残尿感のあるページの終わり方になってる。キレが悪い。だったら、消せばいいって、そうやって「明らかな間違い」でないのを消してしまうと、「一旦表に出してしまった言葉」を訂正する際に、かえって面倒なことになるから、むしろ残しておいて、そこから「誤解があった部分に修正をかける」方がやりやすい。そもそも、嘘は書いていないし、比喩の展開があまり適切ではなかっただけだから。
嘘の場合にはね、嘘を誤魔化すために嘘を展開すると、次第にとんでもない化け物が育つ。経験がない訳じゃないから、わかるけれども、生きる選択肢を狭めるだけだから、やめた方がいい。若い方々はね、是非、何らかの立場を持ってから嘘をつくとどうなるか、よく見ておいたらいいと思う。

相変わらず「いっちゃってる人」的な話題。さらりと自然体で話を流してもらえたらありがたいんだが・・・

師匠がよくおっしゃる。「なんでみんな、霊を怖がったりするの?一人残らず、中身は霊だよ。」いえ、霊を怖がっている訳ではなく、突然霊が現れました、突然物陰から人が現れました、たぶん、どっちも怖い。そういうものではないのかと・・・霊は確かにいます。怖がるのは変でしょ?皆さんも中身は霊です、と、この話はもう、10回以上聞いた気がする。さらりと、あ、いるなと、それでいいんじゃないか、と。

「あの世」とか、天国とか地獄とか、いつの間にかどちらも誇張されすぎて伝わっているような気がする。どちらかと言えば、いわゆる「天国」の方が退屈な世界だという気はする。誰も「汚れ」がないし、見られて困るような心は持たないし、ある意味で裏も表もない。「意識を向ける」「意識をそらす」ということはあるように理解しているけれども、意識を向けて、相手がこちらに意識を向ければ、意思疎通はストレートだから、飾りはない。

天国ってのは「退屈」な場所だろうなと思う。「刺激」というのがないから。天国が退屈だという方にとっては、地獄はとても楽しい場所かも知れない。この世でこだわっていたモノゴトに、肉体を抜けてもこだわり続けている。それが意識の中で具現化されてくるから、いわゆる「血の池地獄」のような世界もあるし、ひたすら奪い合う世界もある。でも、本人たちはたぶん、熱中してやっているんだろうなぁ。
肉体を持って知覚できるこの世界は、刺激に満ちている。ここで「欲」の使い方を間違えると、とんでもないことになる、というのも、勉強会のメインテーマの一つで・・・。

私の立場で強調したいことは、たった一つ。医学的知識が、白人にも黒人にも、我々黄色人種にも、同じように当てはまるように、「霊」に関する現象も、生まれる前、死んだ後の世界も、自然科学的に「当たり前の自然現象」として存在している、と、それを示したかった。(できてないけれど。)「超常現象」とかいう言い方はおかしい。知覚できない人が多すぎるから、「いっちゃった人」の話になるか、でなければ、「宗教」にされてしまうか、どちらかなんだろうけれども、そうではない、いずれは自然科学の教科書で、「霊が知覚できない人」向けに「こうなっています」というのを教わるような、そうした話題に過ぎないと思う。
言わせてもらえば、波動方程式やらマックスウェルの方程式を解いて、量子力学的な世界の説明を出来る人など限られていると思うけれども、「素粒子が存在する」ことを疑う人はほとんどいない。そこが「自然科学」の「常識」に与えられた「世間の評価」だと私は思う。

一方で、神、天国、地獄などの単語は、宗教によって全く異なる説明が与えられている。師匠の講演会はそれらを再構築したものではなくて、上位の意識体から送られたものを、私たちが理解できるように伝えてくれているから、「改めて、神、天国、地獄の説明をし直している」と、私には感じられた。私は「無宗教」の人間だから、こだわりがないだけの話で、これも30年来同じことを主張し続けているけれども、私は「無宗教」だが「無神論者」ではない。このフレーズも、もう何十回となく書いた。最初に書いたのは、たぶん1991年か1992年だと思う。だから逆に、すんなりと受け入れられる。
別に、既存の宗教に対してどうこうというつもりはない。少なくとも、否定するのは私の役割ではないから、「こういう違いはある」という書き方はするけれども、それ以上のことは書かない。そもそもが、「既存の宗教」では全く説明のできていなかった部分が、相当に合理的に、繋がっている、繋げられるように、説明を書いたつもりだ。生まれる前と、死んだ後の世界は同じ。師匠の講演内容の説明は、もっと細かい。
この部分が、いずれきちんと「客観的なメカニズム」として受け入れられたなら、「生きていることの意味」がかなりはっきりしてくるのではないかな、と思われた。

最近、結構若い方々でも、僕のこのシリーズを読んでくださっている方が増えているような気がする。この「師匠の受け売り」シリーズ。しかも、海外でもね。しっかりと書かねばと思う。
不思議だなぁ、インターネット。

イスラム教や、カトリックを信じている方、ご自身の信仰を継続されても、問題はないと僕は考える。そんな中で、もし「なぜ人は生きているのか」とか、「なぜ不平等が存在するのか」など、きちんと答えてもらえていない問いがあるならば、師匠に投げると全部、各論レベルで細かい答えが返ってくる。
「なぜ人は生きているのか」は「なぜ人は肉体を持つのか」と読み変えます。肉体を持たなくたって、霊体としてはすでに「永遠の命」を持っていて、一時的に肉体を持っているだけだから。なぜ肉体を持つのか。エネルギーレベルの異なる様々な人たちの混在する世界を経験して、「考え方」の「視野」を広げ、そうすることで自分自身のエネルギーレベルを上げることが出来る。そのために、肉体を持っている。
その肉体を持つ際の課題が、人によって千差万別だから、条件だって様々。貧乏だとか、能力の有無だとか、そうした条件そのものが課題の一部だというケースがほとんど全てだと私は理解している。

イエスも、ムハンマドも、そもそも最初から、現在の師匠のように「生き方」や「人は霊である」ことを教え、伝えられた、と師匠から聞いている。それを「伝え続けた」方々が、いつの間にか「宗教組織」を作り上げてしまった。「国家」にまで組み込まれてしまった。
神も、天国も地獄も、知覚的ない人が圧倒的多数だから、「こうです」と言われたら「あぁ、そうですか」としか言いようがない。師匠のお話は、十分に「万人に理解できるもの」だけれども、それを私なりに、チンドン屋の流儀で書いているだけ。

話を「盛って」いないか?って言われると、そこはね。はい、盛ってます。でも、どこをどのように、どの程度というのは、書きません。これも、師匠にはバレてる。上にもバレてる。っていうよりも、僕は、上にそそのかされた気がする。実際には私がやったことではないことも、一部をさも、私がやったように書いている。だから、しつこいようだけれども、「どこをどのように」というのは、書きません。細かいことを言えば、他にも色々とあるけれども、でもね。上には全て意識を晒した上でやっていることだから、「嘘」だとは思っていません。「脚色」だとは思っています。(師匠のお話には、その「脚色」すらない。)

「嘘をついて」一番困るのは本人だから。それはたぶん、肉体を抜けた後で気づく。基本的には、つきたくない。

話が飛んで、中国が主張する「領海」を、米軍の艦船が通過したらしい。「航行の自由作戦」か。
国境なんてものは、いらないでしょ?というのが、上の意識だそうで・・・「そりゃまぁ、そうだ」という程度のご理解をいただければありがたい。でも、現実問題としては、それは難しい。

そこで、わたしら如きが「色」をつけて、あれこれと考え方を当てはめて説明しようとすると、きっといつか、それがとんでもない「間違い」の元になるんだろうと思う。この辺なんて、もっとも書きたいところの一つだけれども、書いたが最後、とてつもない「罪」を犯すことになる領域の一つでもあるような気がする。
そうとなれば、もう「原則論」を繰り返すしかない。「国境なんてものは、いらないでしょ?」僕ら、青年海外協力隊OBの立場だと、それなりに「こじつけ」はできるけれども、いずれ、インターネットなんてものが「国境」を無価値化してくるのを待つしかないだろうな、とも思う。

ICTがこのまま発展を続けると、いずれかのフェーズで「国境」が障害になってくる。もし、わたしに何かできることがあるとしたなら、「国境」が「障害」となるような、新しい概念やサービスを提唱すること、だろうか。一切、「神」とかいう概念を持ち出さずに。

閻魔様の話は、明らかに「書き損じ」た。でも、いずれ、修正する必要があるならば、修正するために残す。
終わる。以上。(今、仕事がもう、グダグダで、当面は書きません。)

閻魔様

いないってば。そんな人。閻魔大王なんて信じてるのは、日本とあとは中国?
似たようなストーリーってのはあるのかなぁ。キリスト教圏では、「最後の審判」でってな話か?どなたかが「全ての真実を知っている」という前提で、裁きを下す方を想定したんだろうか。イスラム圏の場合には、やはり、アッラーだろうか。えぇと、アッラーの神様、ちょっとした嘘をついたとかついていないとか、そんな細かいところに首を突っ込んでいらっしゃるのかどうか、僕は知らない。存じ上げない。

でも、もっと怖い話は、あるみたいで。

師匠の受け売り。我々が肉体を持っている間に経験した全ての事柄が、事細かに全て記録されている。「想念帯」という、それこそ我々が肉体に入った(受精卵レベルで)起点から、肉体を抜けた瞬間までの、ドライブレコーダーみたいなものが、僕ら自身(意識体)に付属して、存在している。人は、肉体を抜ける直前に、肉体を持っての記録として、ほんのわずかの時間に(40秒くらい、とか聞いたかなぁ)一生分の記録を再生して見る。意識の世界だから、言語表現も映像表現も、直接的に意識が拾うから、とてつもないスピードで全編を再生する。余談ながら、「想念帯とは何か」について、僕に突っ込まれても、そんなには正確には師匠の講演内容を再生できません。結構、講演中も寝てますから。この辺の話が好きな会員さんとかなら、かなり正確に説明できると思うので、詳細の解説は私以外の、師匠のフォロワーにお願いします。

個人的な、無理無理の解釈。DNAの二重螺旋には、凄まじい密度で遺伝子情報が畳み込まれる。三次元空間内で、一次元的な表現が畳み込まれる二重螺旋。ソリトンみたいな、「波動粒子」みたいな構造が、畳み込まれるのかなぁ・・・。そもそも説明が無理だと思うので、もう「自然科学的な解釈」はギブアップしたい。
200年前の誰かにドライブレコーダを見せて、説明しようとしても無理だと思う。いや、言わせてもらえれば、ドライブレコーダで使われている、固体ディスクの動作原理を説明できる現代人が、一体何パーセントいるのか。俺はできるぞ!あんたはどうだ、って、何を威張っているんだか。説明できないなら、それでも現代人か、っていう理屈は通じているんですよね?「想念帯」なんて、そんなのマヤカシだ、嘘八百だ、って、それを2000年後の最先端の知識を持っている方に主張してみたらどうだろうか。いや、その時の「最先端の知識」も、我々現代人の延長のはずだけれども・・・(何を言いたいのか、訳が分からなくなってきた。毎度のこととして)あなたに説明できないから、じゃぁ、ドライブレコーダなんてインチキだと言えるか、それと同じくらいに、想念帯だって存在するんだ、って、喧嘩するには、無理があるか。理解できない範囲を理解できた例えで説明するのは、無理だ。

話を戻して、誰も他人を裁かない。神ですら、裁かない。神の場合にはただ、見守るか諦めて全てを消し去るか、どちらかだと理解する。裁く、という概念を導入しなければ、ヒトは自分を律しえないとお考えになったどなたかが、「裁き」という概念を持ち込んだんだろうなぁ。その文脈で師匠の講演内容を解釈するなら、自分を裁くのは自分でしかない。

意識体の世界は、心がそのまま相手に見えている世界。お互いにそうした状況で、お互いに存在を認め合っている世界。だから、複雑な思考を理解できる人とできない人とでは、住む世界が異なる。言葉でお互いを理解し合うのがこの世界。概念が通じるかどうかで限界はあっても、少なくともお互いの存在は確認できる。この肉体の世界での意思疎通では言葉が全てだけれども、意識体の世界では、「心」=「思い」=「意識」がすべて、ということになる。

もともと、同じ世界にいた仲間たちのところに帰ります。「肉体経験が終わった。」あれですよね、西城秀樹さん、本当にお疲れ様。そしてありがとう。多くの人にそう思ってもらえたなら、安心して元いた世界に戻ろうとする。さて、想念帯(ドライブレコーダ)の記録は、自分なりに全部再生チェックをするから、自分自身で嘘をついていたことを忘れていても、肉体を抜けた後「意識体100%」になったら、もう全てを自覚せざるを得ない。嘘を言葉で伝えて誤魔化せるのは、肉体の世界だけ。肉体を抜けたら、もう誤魔化せない。さて、嘘をつきました、そのまま「あの嘘は、仕方なかった」と自分は思い、周囲の意識体には、その後の結果までくくりついて見えている状態で、上に戻りました。周囲はどう思うか。心を全て晒し合う状態で共存していたところに、肉体を抜けてホヤホヤの人が戻ってきた。ご都合で、かなりはた迷惑な嘘をついてきたことすら、筒抜けになっている。肉体を持っていた時の癖で、ご本人は隠せると思っている。どうなるでしょうか?相手にされない。居場所がなくなる。どこに行こうか、似たような人たちがたくさんいるところ。それが俗にいわゆる「地獄」だろうか。(様々な描写方法ができると思う。すみませんね、群盲象を撫でるみたいな説明で。師匠の講演内容から必死で再構築しているんだけれども。文句があるなら、直接師匠の講演を聴きに来て下さい。)

要するに、裁かれていると感じるのは自分。結果的に判断を下す際に裁くのは自分。周囲は裁いてなんかいない。単に無視するだけ。(いじめじゃないのかって?濡れ衣ならいじめでも、根拠があるならいじめじゃ、ないんだろうな。わからんけど。)

ちょっと、考えてみて欲しい。この説明は、日本人には通じても、ニューギニアの一部の部族の方々には通じない説明かもしれないけれども・・・、それでも日本人には通じると思うから書く。一日中仕事して、泥まみれ、汗まみれ、冷や汗まみれ、垢まみれで家に帰りました。自分は、とにかく風呂に入って、泥も汗も、冷や汗も、垢も、綺麗に洗い流しました。あとは明日に備えて寝るだけ、っていう時に、泥まみれで帰って来た家族がいました。その家族が「ただ今、帰ったよー」と、その泥まみれ、埃まみれの格好で抱きついて来たら、逃げませんか?ちょっと待て、その埃を落としてこい、と思いませんか?その埃が嘘。
汚れが落ちていて綺麗なのが当然だと思っているから、汚れているくらい当然自分で気づいているだろうと思うから、わざわざ指摘しない。汚れている側は、シカトされたと思うんでしょうね。嘘以外にも「埃」とか「汚れ」の種類があるんだろうけれども。「油汚れ」に「皮脂」に「醤油」「血液」「ペンキ」あれやこれや、様々な汚れがあっても、汚れを落とした側から見たら、十把一絡げに「汚い人」。

やがて、「元いた世界には、すぐには、そのままでは戻れない」と自覚して、汚れを落とすために作られた世界に滞在する。その決断を下すのは誰かと言えば、自分でしかない。閻魔様なんかいません、結果的に、いわゆる「地獄」しか自分には行く場所がないという決断を下すのは、自分だというお話でした。あるいは、アッラーの神様は、ジーザスは、そんな細かいところにはいちいち口を出しません、というお話でした。大丈夫。アッラーを欺こうと思ったら、そもそもがそんな細かいことは気にされていないから、騙せます。
ただ、記録は残っているし、周囲は知っているし、それを全く悪いことだと思っていないなら誰からも相手にされないし、アッラー(アール・エル・ランティ様)が黙っていても、自分でそれにいつまで耐えられるか、ってな話だろうと思う。

いや、自分はこんな低次元ではない、もっと次元が高いはずだ、と確信して、無理やり上に上がろうとして、できるんだろうか。私にはわかりません。ただ、イワシの群れを離れてしまった、「一匹オオカミ」ならぬ「一匹イワシ」が、マグロの群れに「仲間に入れて下さい」って行って、近づいて行くみたいなもんなんだろうか。うまい例が見つからないけれども、マイクロバブルみたいな小さいシャボン玉が(おぉ、物理の話題だ)濃度的に、表面張力のレベルでも安定している大きなシャボン玉に近づいた時、何が起きるか、っていう話に近いかも知れない。(イメージできない方は、是非実験して見て下さい。)答えは、聞いているけど書きません。

自分を大切に思うなら、背伸びは厳禁。いや、上に戻れば、たぶんみんな思い出すはずなのに。

結局行く場所がなくて、落ち着けるのは、同じような汚れを身にまとった仲間のいる場所。「地獄」ともいうけれども、「自分がついている嘘が心地よくてたまらない」という方にとっては、たぶん「天国」だと思う。どうぞ、いつまでもいて下さい。もう、戻ってこなくていいから。(いま、自分は嘘をついているという自覚のない、どなたかへ。)

忘れるところだった。「虚栄心」が根っこにあって、ただただ、自分を大きく偉く見せたいがために嘘をつき続ける人の末路は、もう一つあった。僕は聞いているし、多くの会員の方が、師匠の同じ話題を聞いていて覚えていると思います。
そもそもが、師匠の講演会の話題は、直接師匠の講演を聴きに来てもらえればわかる話で、私には説明する義理はない。興味がある方は、ぜひ、会員に聞いて下さい。あ、あの方々には、別の結末もあったな、とふと思い出しただけ。

師匠の講演会、あの人がそうだったんだよ、という実在の人物が、講演内容のエピソードから抽出した「検索語」の与え方を工夫するだけで、Googleで特定して「個人名」が得られてしまうところがすごいな、と思った。(要するに、エピソードは嘘ではない、ということで。)ちなみに、その方は、もはや「人格霊」としては存在していません。地獄よりも怖い世界。だと聞いている。

でも、誰も我々を裁かない。閻魔大王なんていない。アッラーも、イエスも、僕らを裁かずにじっとご覧になってる。
何よりも、自分で自分を裁けるんだから、とっても安心できますね。よかったですね。よかったですね。本当によかったですね。以上

 

Contents Control

NHKラジオ番組で、フェイクニュース対策の話題を扱っていた。
Fact Checkをどう行うか。「正解」は出ていないものの、インターネットが世界的な技術として成熟する過程で、避けては通れない課題なんだろうと思う。

思えば自分は、「インターネット」の草創期から、まずはEthernet/Gateway、OSIなどを通じて関与することができた。世界が大きく動く現場を生きることが出来たのは、得難い体験だったと思う。

同時に、「主記憶2キロビットのミニコンピュータ」だとか、スーパーミニコンのVAX 11だとかを使う機会があり、コンピュータ技術がまだ、芽を出したばかりの頃から同時進行でビジネスに関与することが出来た。ここでも「世界が変わる」状況を、リアルタイムで経験できた。一生を通じて、目立った変化などない時代も、かつては多かったのに、これだけ一気に世界が小さくなる時代に生きることができたのは、やはり「幸運」だとしか思えない。

いつの頃からか、「いつか、僕自身がサポートするべき人に出会って、その人の存在や言葉を、全世界に発信する時が来る」みたいな漠然とした予感は持ち続けて、結局そこから離れることが出来ずに、ビジネスとか人生の選択肢を選んで来た。直感による選択だったと思う。

馬鹿だよな、と思う。出会うかどうかわからない「師匠」を思い浮かべ、できるかどうかわからない「世界への発信」なんて大それたことを考えるなんて。「師匠」のことなんか一切考えずに、インターネットやコンピュータにどっぷりと浸かり、ビジネスを展開していたなら、もしかしたらそれなりのIT起業家になって、今よりもよほど「恵まれた人生」を生きられたかもしれなかったのに。(本気でそう思っているかは、あえてコメントしません。)

話を戻して、インターネットもコンピュータも、起承転結の「起」がようやっと終わって、「承」に差し掛かった程度なんだろうか。

防衛省だったか、ようやっと「サイバー防衛」に本腰を入れたらしい。国立の研究機関なんかも含めて、あらゆる研究機関の総力を上げなかったら、防衛なんか出来ないと思う。数千万人のIT技術のプロ、そのうちもしかしたら何十万人という単位の「悪意を持った攻撃者」が世界にはいるかもしれない。ちょっとした「標的型メール」配信なんかも含めたら、たぶんそういう数字になると思う。対応が遅すぎる。

変化を先取りする、ということならば、Fact CheckなどのContents Controlの技術が欠かせなくなるだろうと思う。Fakeニュースを信じる人がいる。デマが拡散する。そのデマの拡散過程で、悪意のない記事が断片的に切り貼りされて、悪意のある使われ方をされてしまう場合がある。何の過誤もないのに「加害者」になってしまうリスクがある。ネット「いじめ」で炎上する。
これら、悪質なFakeや、悪意のある誹謗中傷、あるいはリベンジポルノのようなプライベート情報のリーク、などなど、Controlし、排除すべき「情報」をどう扱うか、「サイバー防衛」と同じくらい重要だという気がする。

Contents Controlという考え方は、諸刃の剣だとも思う。例えば、某国政府のように、特定のキーワードを検索できないようにする、という使い方は、社会の成熟には有害だと思える。「表現の自由」は重視されなければならないにしても、Fakeニュースの拡散や、誹謗中傷などは「犯罪行為」だという認識を持つ必要があるような気がする。「犯罪行為を行う自由」は、ありえないと思うのに、「表現の自由」がFakeニュースの拡散による「悪影響」より優先されるという理屈が、私にはよくわからない。議論は成熟しているんだろうか。

子供の「いじめ」という表現。「いじめ」という表現が軽すぎるから、本格的な対応が出来ない。少なくとも、サイバー空間での「いじめ」の対策が取れるように、「裏掲示板」監視オンブズマンのようなNPO組織の活動も、必要かも知れない。

コンピュータ技術やAI技術は、これは純粋にテクノロジーの問題。ただ、インターネットに関しては、Contentsをどう「管理」すべきか、少しでも早く取り組まないと手遅れになるような気もする。社会科学系の話題として、対応を考えるべきじゃないだろうか。

余談ながら、公的機関が「一次情報」として良質な行政情報を(即時公開できるものは、可能な限り即時で)公開する、という慣行が定着しなければ、Fact Checkもスムーズに進まず、Fakeが横行するような「世界の混乱」は避けられない、とも思えた。

 

習慣性アルコール中毒

TOKIOの山口さんだっただろうか。
「酒のせいにするな」という声があったけれども、あれも痛いニュースだった。僕も、この「習慣性アルコール中毒」に該当すると思う。もう40年近く、だろうな。ニューギニアにいた頃すら、そうだった。現地の人に”Em i man bilong spak.”(あいつは酒飲みだ)と言われていたし。任国がイスラム圏だったら、違った自分がいたかもしれないけれど、こういう「もし」は意味がない。

師匠の講演会。アルコールは厳禁だと何度となく言われている。理由はいくつかあると、頭では理解している。アルコールが入ると「意識体」そのものが麻痺してくる。脳だけではなく「意識体」そのものが影響を受ける。それに、お酒を飲んで「いい気分になる」その肉体的な快感を求める習慣というのが、良くない。肉体的なものや物質的なものに何らかの「重み」とか「依存性」を持ってしまえば、その分本来意識体が持てる「ヒトとして持つべきエネルギー」の部分が減って、結果的に肉体を抜けた時に軽くなる。(この辺、もしかしたらカトリックとかイスラムよりも師匠の求めていることは厳しいかも知れない。)人間関係を構築する上で、必要だと自分で判断するなら、仕方がない部分があるにしても、それでも「私はお酒を飲みませんから」と断れば済む話でしょう?ということもある。
じゃぁ、タバコはダメじゃないの?師匠も喫煙者だけれども、別にタバコを吸っても意識体そのものは全く影響を受けないし、師匠の場合には上位の意識体からの意識を受け取るのに、タバコは一向に支障がないのに対し、アルコールが入っていると、ほんのわずかでも上の意識が受け取れなくなる。らしい。なるほど、と、頭じゃ理解しているんだが・・・

師匠には、明らかにバレバレなんだけれども、そこはそれ、「あくまでも自分自身で、ダメなものはダメだと判断しなさい。それが出来ないなら、勝手に落ちなさい」という、師匠の講演の「総論」での基本中の基本の部分で、あーしろ、こーしろと命じられない分、かえって辛い気持ちはある。

最悪なのは、自分自身の「意識体」が麻痺していると、「魔が入る」ことがある、という理由だろうか。実は数日前に「やっちまった。」飲んでいるうちに、過去の辛い思い出のようなものばかりが吹き出してきて、凄まじくネガティブな気分に陥った。過去の様々な出来事での恨みつらみが(一度は消化したつもりだったことまで)吹き出しかけたあたりで、「あ、魔が入った」と自分でも気づけた。滅多にないことではあったけれど、今の心のどこかに魔を誘い込むタネがあったんだろう。
普通だったら、そこそこアルコールが入っていても、(量さえ間違えなければ)論理的にもミスのないプログラムだって書けるし、文章がくどくなる傾向は否めないものの、一応は筋の通った文章だって、書けているのに。あ、「魔が入った」と自分で気付けたというのは、どっちだろう。今までは魔が入っても、自力では気付けなかった?

40年来の習慣。浪人時代を抜けて大学に入った頃、とにかく何をやっても親とか誰かに「認めて」もらえたことがなかった。オール5の成績を取っても絶対に褒めない親で、努力をやめればうるさく責める。恋愛だってうまくいったことなど一度もない。早稲田の理工だったから十分だろうって、第一志望ではなかった。自分を責めてばっかりの中で、酒を覚えて、アルコールが入るとすごく楽になった。それ以来ずっとの習慣。何とかやめなきゃ、と思い始めたのは、師匠の講演会に通うようになってからだった。
頑として、日が上っている間、外が明るい間は飲まないというルールだけは守り続けている。自治会のお祭りとかでは、適当に周囲に合わせているが、それ以外は日中は飲まない。
ただ、夜になって一日分とか、過去の記憶が吹き出してくると、もう一人でいると耐えきれなくなる。

僕は、いわゆる「鬱陶しいやつ、くどいやつ、しつこい奴」で、何だか変だと思ったら、特に仕事の関係だと、うるさいくらい文句を言うタイプで、黙っていることが出来なかった。当然、人間関係はそんなに潤滑じゃなかった。50代になって、最初から「どうでもいい」と思えるようになって、ようやっと「文句を言う」と言う行動パターンが抜けた。それでも、人間関係は難しい。師匠の講演会で、「様々な人との人間関係を学ぶ、それは肉体を持たなきゃ出来ない経験だよ」と、それを理解していても、露骨な敵意を向けてくる人がいると、激しく痛い。過去に何人も、一緒にいるだけで、露骨な敵意を感じてしまって、苦痛なくらいの人と知り合った。本当は、今でも一つずつ思い出して消化しなけりゃならない記憶が、未だに痛みを伴って思い出される。(今やっておかないと、たぶん地獄に持ち込む。)仕事関係だと、結局はそういう職場には居られないんだけれども。

もう一つは、知り合って間もないうちに、やはり明からさまな敵意というか、拒絶を激しく投げて来た相手。何とか、自分をわかってもらいたい、などと、もがけばもがく程、おかしくなったりする。過去の人生を振り返って、いかに自分の「人間関係」の導入部分が下手くそだったか、かなり自分なりに理解はして来たつもり、だけれども・・・。そうこうするうちに、自分の中で頑丈なシャッターが降りてしまって、はっきり言えば、自力ではもう、どうにも出来ていない。条件反射的に、相手が何も言わなくても、相手が「拒絶の言葉」を投げて来るような感覚を持ってしまって、一緒にいるだけで苦痛を感じる相手がいる。こうなると、もうどうしようもないんだけれども、毎日顔を合わさざるをえない相手だったりすると、どうしていいのかわからなくなる。どうして、最初の3〜4年の「そういう言い方はやめてもらえませんか?」という、こちらのお願いに耳を傾けてくれなかったんだろうか。もう、どうしようもない。

かなり、過去の自分の生き方の「過誤」を見つけて来たつもり、なんだけれども(師匠から厳しく言われている。いわゆる「反省」で自分を責めてはいけない。自分を責めればエネルギーが小さくなる。そうではなく、自分のどこに間違いがあったか、それを気づかせてくれた相手に、感謝しなさい、と。それができれば、相手も自分も、責める思いがなくなる、と。)、頭じゃわかっちゃいるけど、自力ではどうしても、この壁が壊せない。自分を守るな、という理屈もわかるんだけれども・・・あぁ、言い訳だ。
これも、課題なんだろうなぁ。盗聴や盗撮にも、結局は勝てなかった。最後はメンタル的に潰れた。あの頃は、一日でウイスキー1瓶くらいは空にしていた。今はもう、仮に今も続いているとしても「気にしない」ことで、なんとかなってはいるけれど、「課題を克服」出来たとは思えない。
でも、シラフで満員電車に乗るのなんかも、嫌だ。怖い。逃げてるけど、無理な気がする。

僕の母親のように、ただひたすら無関心ということなら防壁を作ることもなかった。お互いにただいるだけの存在だったと思う。必要に応じて、普通に会話はできた。いい思い出もあまりないけれども、悪い思い出もあまりない。ただ、敵意を剥き出しにして来る、そこまでいかないにしても、歩み寄ろうとしても激しく拒絶して来る相手、いい加減に自分も叩かれ過ぎて、ブロックが下ろせなくなってしまった相手に、自分がどう変わったらいいのか、やはりわからない。やりきれない時の逃げ場は、40年来変わっていない気がする。あぁ、もう逃げっぱなし。だけど、「あなたって、僕が何を言っても否定して来るよね」って言ったら、間髪を入れずに「そんなことはない」とかいう返事を返す人だったりするから、逃げる以外に他に方法があったんだろうか。

師匠の講演会の話題。やはり、書き続けたいな。全世界に発信し続けたい。毎日のニュースを見たり聞いたりしていて、「これは絶対に書かねば」という話題は絶えない。ようやっと、総論は書けた。あとは「各論」だ。この「各論」が難しい。断片的な伝え方をすると、誤解を招く。だから緻密に伝え続けたい。伝わり方が間違っていると感じたら、修正をかけたい。それは出来る気がする。
幸いなことに、師匠は「肉体の脳」で理解できる言葉で講演をしてくれているから、「意識体」が麻痺していても、他の人の「脳」に訴えるように伝えることは、プログラマの、あるいは教員の自分の経験から、たぶん出来るとは思う。

だけど、こんなダメダメな自分が師匠の言葉を伝えていて、いいんだろうかという自戒の思いは、ないはずがない。破門されるのも、時間の問題か。

もう、思い残すことは何もないけれど・・・(いや、ここ数ヶ月、この意識がベースにあるから、魔が入りやすくなってる。頭じゃわかっているのに・・・)決して鬱状態ではないんだが・・・

よかった。明日は授業がある。

ジェンダー

ちょっと、仕事に疲れた。
気分転換という訳ではないけれども・・・
これまで、「世間のウケ」があまりよくない話題は、避けてきたけれど、一応は書いておこうかと思った。師匠の受け売りの話題です。

基本的に、私たち人間は、何度でも人間として肉体を持つ。その過程で、特に肉体に入る際には何度となく「霊体」の世界とほんの数ミリメートルの受精卵の間を行ったり来たりしてエネルギー体を受精卵に押し込め、さらに「白紙」の状態の脳に基本的な制御を委ねるから、ある意味で「意識の不連続」が生じるのは、ほとんどの場合のようで・・・。前世を覚えていた子供が、世界では何人も話題になっているらしいから、稀ではあるけれども「意識の連続」は説明できるんだろうか。

私自身は、漠然とではあったけれど、自分が今回の課題として、何をするつもりだったか、必死で考え続けた。raison d’êtreなんていう言葉が消えなかった。二十歳代からずっと。重かったけれども、ようやっとこの歳になって、スッキリした。

ほぼ100%の方が、肉体を持つ前には「何をやるつもりか」決めてきているらしい。ただ、その内容はレベルによって異なる。だから、「肉体を持つこと」そのものを目的にしているレベルの方々も少なからずいる。それでも、それはそれで立派な「目的」だと思う。

ヒトの生命体は、最初4次元空間のエネルギー体として創造される。経験を積んでいくに従って、最終的には8次元にまで上がる。日本では空海とか聖徳太子、イスラム教を伝えたムハンマド、リンカーン、などなどの方々は、ヒトとして最も進化したレベルの8次元の方々。このレベルの方々になると、もはや「男」とか「女」とかの区別はなくなる。必要に応じて、女として肉体を持つこともあるし、それは「どんな仕事」をするために肉体を持つかによって選ぶらしい。ところが、基本的に、4次元から7次元までは「男」の霊体と「女」の霊体とは異なる。「霊体」のレベルで男女が別れている。そして、男の霊体は基本的に男となる受精卵に入るし、女の霊体は女となる受精卵に入る。

ただ、何度も肉体を持つ過程で、「あらゆる経験を積む」ことが求められていると、肉体を抜ければ理解していて、その都度課題を変える。(残念なことに、肉体を持った途端に、人生は一回限りだと誤解し、モノの世界に振り回されて、全く課題を消化できない方が、どんどん増えているようで・・・)そんな「課題」の中に、男の意識体が女として肉体を持ち、女のジェンダーで人生を全うする、あるいはその逆で、女の意識体が男として肉体を持ち、男のジェンダーで人生を全うする、そうした課題がある、と理解している。
そもそもが、「男として生まれるか」「女として生まれるか」受精卵に入る段階で「意識体」は知っている。知っていて入る以上、生まれた後の「性」が男か女かは、わかっているはずで、それなのに、男の意識体が女として生まれて来るならば、8次元の方が使命を全うする都合で女を選んでいるか、でなければ、まだ空海さんなどのレベルには到底到達できない未熟な魂が、異性として肉体を持つことを「課題」として選んでいるか、そのどちらかしか、自分には考えられない。

男の霊体が女の肉体を持つ、女の霊体が男の肉体を持つ、その際の違和感は理解できるけれども、「課題」でしょ?と自分は思う。師匠は簡単に心を読める。「性同一性障害」を主張する方の中には、男になったら楽かもしれない、女になったら楽かも知れないという、明確な逃避というケースもあるらしい。性的な倒錯、あるいは異性と理解し合う面倒臭さをただ単に回避しているだけの場合。おそらく、会えば師匠にはそれがわかるし、上にも筒抜けで状況は把握されている。私にはわかりませんが。だから、伝聞としてしか書けない。

LGBTの話題。

師匠の講演会に参加するまでは、私自身比較的リベラルに、「物分かりのいい」方の立場だった。ただ、霊体として、肉体を抜けている部分まで含めたサイクルの中で、どういう「生き方」をしているのかを考えたなら、今のLGBTの扱いは、必ずしもいい結果は生まないと思えた。男でありながら女の肉体を持って、女として生涯を終える。今のように性転換手術などが容易でなかった頃は、この「課題」は成立していたんだろう。それが、社会の物分かりがよくなり、性転換手術が可能になった結果として、肉体を抜けた後で、「また課題放棄をしてしまった」と、空振りを後悔するケースも多いと思う。そういう方は、また、男の霊体なのに女の肉体を選んだり、女の霊体なのに男の肉体を選んだり、また、何度でもそれを繰り返す。「課題をクリア」するまで、そうした課題設定を自分で決めて行う、と理解している。

男なのに、女なのに、なぜか異性の立場や都合などが、「理解できてしまう」方々と、「全く理解できない」方々の、両方がいる。その違いは、この「経験」の違いだと私は考える。

社会が完全に成熟して、「性別」ではなく、「社会的な性」であるジェンダーのレベルで、男であっても、女であっても、生きる上での困難さに大差がないということならば、残る「課題」の要素は「出産経験」くらいだろうか。これが、「その程度の経験」と呼べるものなのかどうかは、女性の判断にお任せする。逆に、男であることによる困難さ?あるんかな?よくわかんね。

先天性の奇形の方々。これも師匠の受け売り。何とかなりませんか、と相談を受けて、師匠は「何とか」できる。けれども、やらない。なぜか。先天性の奇形があることは、受精卵に入った時点で、霊体にはわかっている。それを敢えて異常のある肉体を選んだとしたなら、何らかの「課題」を自分で決めてきたはずだ、と私は理解している。師匠の講演で、「もし、私が治療して完全な体にしてあげたとしたら、間違いなく次に肉体を持つ際は、さらに過酷な課題を選ぶだろうね。」という師匠の言葉があった。今回の課題は、今回解決するのが、それが一番の近道なのだと私は思う。肉体を持つことの意味を、イエスも、ムハンマドも、誰も伝えなかったのかなぁ・・・。

学校教育現場でも、LGBTの扱いで「本人の主体的な意識」を尊重する、という方向にシフトしてきている。幸いなことに、私は非常勤講師になって、現場の責任ある立場からは離れた。もし、専任教員で現場にいたとしたら、もしかしたら、私はかなり保守的に上記のような考え方を本人に伝えたかも知れない。それは、もしかしたら、学校とか本人には「差別」として受け取られて、何らかの処分を下されたかも知れない。それはそれで、「一つの課題消化のチャンス」を逃したのかもしれないけれど、自分には師匠の言葉を世界に伝える方が重要だと思えたから、学校を辞めた判断に、悔いはない。

面倒な部分は、理解してもらえなくても一向に構わないけれども、全ての人は、自分の肉体を選んで来ているということは、知っておいていただいた方がいいように、自分は考えた。だから書いた。
最初の三ヶ月で、大体の決断を下す。「この肉体では課題を遂行できない」と思ったら、その受精卵に入り込むことを断念する。三ヶ月が「安定期」の目安だというのは、意識体の(こちらは、霊体が肉体から抜ける方の話題ではなくて、入る方の話題だけれども)サイクルの中で、説明できる。

話が逸れる。凍結受精卵は、まだ意識体が入り込むための前段階だから、「解凍」すれば妊娠は可能なんだろうけれども、いわゆる「コールドスリープ」というか、一旦意識体が中に入った肉体を「凍結」したなら、意識体は中に入っていられなくて、抜け出してしまう。そうなった時点で、解凍して元に戻しても「植物状態」になるように自分は考える。未来世界で「不治の病を治療しましょう」と、肉体を凍結保存された方もいらっしゃるらしい。「意識」とは脳の神経活動だ、と考える理解力不足の産物で、ある意味で、ダーウィンが創ったコメディのようにも思える。いや、実際に私は鼻で笑っている。

太陽系外の惑星に移住?光の速度で?まず、光の速度で宇宙船を動かすことが無理だと思えるけれども、コールドスリープして肉体だけ運んだら、植物状態の肉体が積み上がるだけだと思う。それならば、我々は「意識体」なのだから、肉体の制約から離れて神の思いに自分を預けて、高次元の意識体として「神の肉体」の中を自由に行き来した方が、楽しいように自分は思っている。
そんなことがあるはずない、と言う方のお考えを、否定する気は毛頭ありません。ご自由に、コールドスリープされたらいかがかと。
スクラップにしたいような肉体が、解凍されるまでじっと待ってるのかなぁ。僕だったら、さっさと見切りをつけて、次の「新車」に乗り換える方を選ぶけれども。(いや、金があったら、だけれども、って、車の話じゃないだろ。)

話が逸れた。「人は何度でも、人間として肉体を持って、生まれかわる」という話と、肉体に入る際には、「このままその肉体を選ぶか」どうかを、受精卵の三ヶ月くらいまでの間に自分で判断してから、決めて来ていると、その2項目の、師匠の受け売り。

LGBTに関する昨今の話題からは、逆行しているような話題の展開になった。だからこそ、一応は、書いておくべきだと自分は考えた。

以上。

あれやこれや

完全に暴走状態。いえ、書き尽くして疲れて眠ったら、起きていきなり仕事を始めます。私と仕事で関係を持たれている方、大丈夫です。自分なりのやり方で、コントロールはできてます。

意識が暴走している。僕は、師匠と違って「上の意識」は受け取れていない。たぶん。僕が受け取れているのは、おそらく僕の指導霊さんの意識と、おそらくは親父の意識だけ。ただひたすら、師匠の講演会の内容を反芻している。師匠の講演会に参加しようという方は、限られていると思う。その師匠の講演会の内容を、少しでもわかりやすく、少しでも多くの人が読める環境に流して、一人でも多くの人が、最低限「あの方」の意識や思いを知る、そもそもそれ以前に、「あの方」が実在していることを確信できるような材料を、一つでも多く提供すること、だと思う。一番厄介なのは、自然科学系の方々かな、と思ったので、というよりも、自然科学系の方々が一番厄介だとわかっていたから、僕は肉体を持って、軸足を自然科学に置く計画を立てた。インターネット、パプアニューギニア、医療機器、教育関係の仕事、盗聴と盗撮、全ての僕の経験が、一つに繋がって来た気がして、ようやっと「エンジン全開」の環境が整ったんじゃないかと、それも思った。

At Random.無作為、なんの脈絡もなし。全部吐き出す。

少し前に書いた公共交通機関の乗り物に、片っ端から撮像機器を取り付けたら、犯罪抑止になるんじゃないか、と書いた話題。書いてしまった後、何度となく、読み返してはいないけれども、自分の吐いた言葉を反芻した。師匠の講演会の話題。本来ならば、鍵がかかっていなくても、誰も盗まない。それが「当たり前」の世界のはず。画像記録装置があるから、犯罪を犯さないというのは、間違ってる。あるべき姿じゃない。だけれども、その一方で、師匠は講演会でこんな話題も持ち出されている。
「詐欺で、騙される人間と、騙す人間と、どちらが悪いと思う?」これ、言葉の断片だけを切り出すと誤解が生じると思うので、講演会の長い文脈を聞いて、あるいは、聞いた内容を正確に覚えている方だったら思い出していただけたならわかると思うけれど、「騙される」側の人間は、「感情に流されて、考えて検証するという意識がない」ことが問題だと私は理解する。人間は、本来ならば、相手の発する言葉や動作から、相手が何を求めているか、感情に流されずに、冷静に判断して適切な対応をするべき状況というのが多々あるのに、「騙された方々」は、概ねその「感情に流されずに、冷静に考える」という部分が出来ていない。その部分を師匠は、「騙される側が悪い」という文脈で話されたと、私は考えている。この「感情に流されて、状況を冷静に判断できない」結果として、時として戦争が起きたり、国家規模の殺戮事件が起きたりする。振り込め詐欺に騙される方々も、国家元首も、「感情に流される部分」があれば、問題の根は同じなのだと、私は考えた。
自転車が盗まれる。鍵をかけることによって、「盗もう」という人の出鼻をくじくことはできる。「鍵をかける」行為は、盗もうとする人に、犯罪を起こさせない行為、とも言える。自分の欲のためじゃない。他の人が落ちないための愛情、配慮、だとも考えられる。じゃぁ、(駐輪場以外に停めた自転車は別にして)自転車に鍵をかけるべきか、かけないべきか。答えを出すのは一人一人の自由だけれども、「鍵がかかっていないなら、盗んでも構わない」という判断をする人が総人口の20%以上は(国によっては50%以上は)いる現状では、現実問題として「犯罪抑止」によって「最低限の社会のルール」を経験させることも必要なのかも知れないと自分は考えた。全然、上級課題に進める現状じゃない。殺さない、奪わない、その程度のことが学習できない人が、とてつもない数いる。法律を活用して奪うことのは「正当な経済活動だ」と考える人は、多少は進化していても、人としてあるべき姿からはかけ離れているし、あの方の意識からは「十分に成長した」とはとても思えない、未熟な魂でしかない。
本来あるべき姿じゃない。だけれども、現在の地球では、「犯罪抑止」は現実問題として必要な行為なのか、という、行って、戻って、また行ってという結論にたどり着いた。この話題はもう、思い出さない。

言葉の重み。「あんな奴、死んじゃえ」と思った相手が、本当に死んでしまったことが、何回あるか。私は、とりあえずは片手で数えきれる程度。だけれども、何度もあった。そのほとんどが二十歳前。最後が、盗聴法を成立させた小渕総理。小渕さんの時は、何度となく、盗聴法そのものに猛烈な敵意を示した。(その理由?もう書きません。)その後は、そうした意識そのものを持たないように、かなり厳しく自戒もしているし、感情をむき出しにした「憎悪」の意識を持てなくなってきたのは、師匠の講演会に参加してから、だったと思う。
ただ、「昔ほどではなくなった」と自分で感じた変節点がある。「言葉」をストレートに解釈しなくなってから、意識が直接暴発することはなくなって来た。
前にも書いた。大阪に住んでいた頃、阪急電車で何回か満員電車の中で周囲の誰かの意識が、全くブロックできずに流れ込んで来たことがあって、辟易したことがある。上司から罵倒されている臨場感のある意識。昨夜の情事を反芻している女性一人称の意識。満員電車だと、もう身動きできない。ブロックもできない。以来、満員電車は極力避けている。今は、始発駅だから座れるし。ただ、その後は、あの頃ほど意識が流れ込んでくることはなくなった。以前と今と、どこが違ったか。決定的な違いは、「社交辞令」という「言葉」を、感覚的にも理解できて来たことだろうか。大阪にいた頃は京都人とも親交はあったけれども、彼らほど「言葉」に意味がない人たちは(すみません)いない。「どうぞ、お上がりください」という表現には、全く言葉としての意味がない。ほとんどがそうかも知れない。そして、その「社交辞令」は、京都だけではないと理解して来て、相手の発した「言葉」を、ストレートには受け入れないようになれたのは、たぶん、ニューギニア以後、だろうか。言葉そのものを「意味のあるもの」とは考えなくなってから、意識も流れ込まなくなった。おかげさまで、というべきなんだろうか。
肉体を持っている限り、「意識」だけで意思疎通できることは、普通はない。明確に私に意識を投げてくれたら、たぶん拾うけれども、普段は全く取れないし、時々経験する満員電車でも、昔のようなことは今は全くない。逆に言えば、それだけ僕が他人を信じなくなったから、だとも思う。言葉すら意味を持たない。これはある意味で、自分の人生経験で、得難い変節点だったかも知れない。
おかげさまで、というべきなんだろうな。今は僕は、金正恩さんも、トランプさんも、「憎む」ことができない。そもそもが憎めないし、加えて言えば、「お前なんか、死んじゃえ」と思っても、たぶん、何も起きない。昔と今と、何がどう変わってしまったのか、そこの違いを自分なりに読み解けたなら、もしかしたらということはあるけれども。

ピラミッド話。
ピラミッドは、人が作ったものじゃない。乾燥地帯における「貯蔵庫」として、UFOで飛来した、いわゆる「宇宙人」が作った。それを、「奴隷に働かせて作った」という説が今は主流なのか。
あれ、石の加工精度がどうなっていたか。今の技術で表面研磨ができるのはともかく、当時の工具だけで現存しているピラミッドの石を加工できたのか。できたとして、その熟練工を教育するのにどれだけの日数が必要となったか。そこに「熟練工」なんていう概念を持ち込まず、「誰でもいいから」でかき集めた奴隷が加工して、現存している精度の「石」を切り出せた、というシミュレーションが、まず、荒唐無稽に思えた。
次に、「石」の移送技術。映画なんかで、奴隷が「えんやこらさ」で運んでいる、そういうのを何編も見たけれども、運送会社の関係者の方々に聞きたい。あんなやり方で、石の「角」とか「面」とかに傷をつけずに運べるものなのか。移送途中にクラックが入って、いざ現場で石を積もうとしたら、突然割れたなんていう事態は起きないものなのか。直感的に思うのは、映画で見たような、あんな運び方をしていたら、石の「角」は取れるし、面には傷が入るし、下手すりゃ、自重でコロとの接触面に荷重がうまく分散せずに、クラックが入って、途中で壊れるなんていうのがすごい数あったに違いない、と思うのだけれども。建築工学系、機会工学系の方々、もしくは、クロネコとか、FEDEXの方々、どうなのよ。あれ、無理だと思いませんか。
そして最後が、石の積み上げ。クレーンがあれば、そこそこの精度で石を詰めるだろうけれども、奴隷に働かせて、図面を見て指示をだす技術屋がはいたとしても、測量機器もなく、かき集めの奴隷の方々に「積み上げ」をさせて、あの完成形を作れるもんだろうか。
そこまで考えて、シミュレーションをしなおしたら、奴隷の頭数とか、日数とか、根本的に成り立たないくらいの数字になる、つまり荒唐無稽だと、私には思えた。
あれ、いわゆる「宇宙人」の制作物、だと、師匠は講演で話されていた。こういう話題は、世間一般的には、眉唾で済ませられちゃうけれども、百歩譲って、UFOとか宇宙人は忘れていいけれども、奴隷に作らせるのが無理だ、っていう所に、技術的な検証は加えられないもんだろうか。考古学者だけじゃ、扱い切れない話題だと思うんだが。

そして、質量。
いわゆる「物理量」として質量。これは、三次元的な「物理」モデルでしか存在しないと、自分は感じた。ごめんなさい、自然科学に軸足を置く、と言いながら、今僕は、左脳は使わず、右脳だけで言葉を発しているかも知れない。もっと言えば、脳じゃなく、自分の感性だけで書いているかも知れない。
三次元空間では「物質」が存在する。ただし、(しつこいな)超ひも理論では「重力」の扱いが極めて厄介だったと思うけれども、少なくとも六次元以上では「質量」をもつ「モノ」の存在を否定しないと、理論が成り立たないんじゃないか、と感じた。考えてはいない。ただ、もし何か考えているとしたら、師匠の講演内容からの逆算。六次元は、神の実在を確信した方々の世界で、六次元以上でなければUFOには乗れない。UFOに乗るということは、神の肉体を自在に行き来できる、ということで、意識体としての純粋さがなければ、まず無理だと理解する。いや、神の実在は信じないけれども、宇宙には出たい、ということならば、亜光速で移動したらいいんじゃないでしょうか。ただし、肉体の「凍結」は無理。すでにアメリカなんかで肉体を冷凍保存している方がいらっしゃるようだけれども、肉体が「意識体」を受け入れ可能でないならば、その意識体は抜けざるを得ない。受精卵ならいざ知らず(受精卵に、どのタイミングで「意識体」がどのように入り込んでくるか、という話題も、講演会では細かく聞いているけれども、)一旦成熟した肉体を「凍結」したなら、それは、自動車事故で肉体が激しく損傷したのと同じで、普通の「意識体」さんは、入っていられなくなる。自動車事故、と書いたけれども、我々の「肉体」と「意識体」の関係は、運転している「自動車」と「ドライバ」の関係に極めて似ている。車が大破したら、ドライバはそこに留まれない。それだけの話か。
超ひも理論で扱う「質量」を、多次元空間に持ち込むのは、アプローチとして間違っている可能性が大きいと思う。重力場の扱いが、一番やっかい、なんだと理解しているけれども、むしろ、重力場とか「質量」は、多次元宇宙のエネルギーの投影として扱うのが正攻法だと、私には思えた。

次に、大槻先生。大丈夫です。神様、ちゃんと大槻先生の意識も読まれているし、ご本人がテレビでプラズマとかあれこれおっしゃっていても、大槻先生がちゃんと「霊」とか「神」の存在を信じていらっしゃることは、伝わっているみたいで・・・。ただ、営業的に、テレビであれこれ話されていることも、伝わっているみたいで。
自然科学っていうのは、デカルトの弁証法ではないけれども、「否定して、否定して、否定し切れないものだけを真実と認める」みたいなところがある。他に可能性があるならば、その可能性を潰すことが先になる。その辺の事情すらも、神様って方は、我々とは桁違いだから、完全に理解されているみたいでして・・・
だから、「不存在の照明」に対する「反例」をたった一つ示すために、モーゼ様とか、イエス様とか、(イスラム教徒の方、ごめんなさい、ムハンマド様は格下で、)アッラー様だとか、そうした方々が、あれこれと、「簡単には、神を信じようとしない人間」に対処するために、四苦八苦されてきた。(師匠もたぶん、四苦八苦されている。)僕は、全然苦しんでいませんけど。(仕事の納期が、気になるだけで。)
話がそれて、もしも僕が、ピンポイントで金正恩に(いわゆる「呪い」を)仕掛けて、あの人を排除出来たとする。でも、たぶん、拉致被害者の帰国には直結しない。あの国は、そんな単純じゃない。

さらに話が逸れて、北朝鮮。
僕が今一番気になるのは、在日北朝鮮人。韓国は、とりあえず脇にのける。事実とか理論とか、そうした議論は出来ないので、除外。拉致被害者が帰国できなければ、在日朝鮮人の方々が「割りを食う」と思う。順番逆だろう。拉致日本人が帰国すれば、日本国内の世論がかなり変わる。そうなりゃ、外務省の「人道支援」だって動けるのに、金正恩、今まで、北朝鮮がどれだけ在日朝鮮人のお世話になってきたか、理解しているんだか。

で、なんの話でしたっけか?呪い?重力場?

あ、支配欲。
これも、師匠の講演会で、過去600時間の間に、5回以上は話題になったと思う。(不確かな記憶ですが。)
人類が持つ、最悪の「欲」の一つが支配欲。ルシフェル様、偉大な天使が堕ちた時に、肉体を持たれたお名前が、モンゲール・アウル・サウタンで、6番目の天使が、6つの霊能力(予知、心を読む、人を操る、動物を操る、などなど)を駆使して、6つの大罪を犯した、っていう、あの、キリスト教と、イスラム教と、ユダヤ教の、共通経典に書かれている奴か。(間違っていたら、ごめんなさい。)
この支配欲。今の日本人が、一番気にしなけりゃならないのはこれ、だと思う。最悪のわかりやすいサンプルは、トランプだと思うけれども。
金正恩の支配欲と、トランプの支配欲と、この喧嘩、どちらが勝つか。ぶっちゃけ、頭のいい金正恩が負ける。トランプの方が頭が悪いから(バカ、って書くと、差別語らしいから「頭が悪い」と書いた)自分の行為の影響範囲を、より「読めない」のはトランプ。だから、なんでも出来る。そういう人が、過去何人も戦争を起こしてきた。この類の喧嘩は、頭のいい方が負ける。
誰がどんな支配欲を持とうが、僕はそれを「否定」する立場にない。神ですら、「否定」はされない。「いつか気づく」ことを、信じられないほどの忍耐強さで、待たれている。それを知らないのは、人間だけ。神ですら、人間を「支配」してはいない。あらゆる「自由」を与えられた。国民の自由を制約しているパンダの国があるけれども、あれは、かなり「問題視」されていると自分は感じる。おそらく、何を言っても通じないから、最後は「強硬手段」になるのかもしれないけれども、それは神様次第。私にはわからない。

米朝はどうでもいいが、拉致日本人を日本に返さなかったら、日本の総理は、トランプよりは賢いと思う。話題を変える。

全てのヒトは、自分自身の判断で、行動すべきだと、その「自由」を与えたはずだと、神がお考えだと自分は理解する。自分の経験から、他人に助言する程度は許されていても、明らかな誤りは「お前はこうしろ」と命じること。ところが、宗教そのものがそうした「神の思い」に背いている。「あなたはこうしなさい」と指図しない宗教がどれだけ多いか。って、宗教の話じゃない、金正恩の話だったっけか?訳が分からなくなった。バチカンも、金正恩も、バグダディも、どこが違うのか、よく分からない。この文脈では。
で、じゃぁ「自由」を勝ち取った国で何が起きているか。結局殺人に強盗。ヒトには、その程度の「自由」の享受しかたしかないのか。

で、何を言いたかったか。

別に何も。
いや、師匠にはとっくの昔にバレてるけれども、今日のこの文章、アルコールが入った状態で書いています。シラフだったら、僕は多分、全ての言葉を飲み込んで沈黙する。ガキの頃から、ずっとそうだった。何も言えなかった。話題が飛びまくっているのは、もう仕方ない。(黙っているだけで、いつもそう。)願わくば、一応は言葉として成立していることだけを祈る。

明日は、明日こそは、朝から仕事に全力集中したい。

結果

一週間が終わった。一つだけ、大幅に予定を遅れている仕事がある。その話題は、いずれ書く機会があるんだろうと思う。割り込み処理の最中にも割り込みが入る。疲れた。土曜の夕方。走りに出たら、膝と腰にきた。体が固まってしまっていて、ほぐしきれない。途中でUターン。妙な疲れ方だけれども、妙に充実している感もある。変な感じ。

しばらく前に見た映画。遠藤周作さん原作のあれ、です。信仰って何なんだろうかと思い出しながら走った。いや、異論があるのは承知で書けば、師匠の講演会では、時々直接ある方の言葉を伝えてもらうことがある。イエス、モーゼ、多くの方が、その方の「言葉」や「思い」を伝えようとした。内容は書けないけれども、感じたままに考えたことを書くならば、結果について極めてシビアな方だという気がした。(「方」という言い方はおかしいかも知れないけれども、人間の「意識体」の大元だから、やっぱり「方」なんだろうか。)

「その方」の思いに従って日常生活をしているならば、殺すことはもちろん、他人を傷つけることもないはず。自分が傷つくことがあっても、その原因を考え抜いて、自分を変えて行けたなら、必ず器が大きくなって上に戻れるはず。それが「結果」の一つだと私は理解している。誰かを傷つけるような言葉を発しない。自分を守るだけのための嘘はつかない。それら全てができていることが「結果」であり、肉体を抜けた時にその「結果」は歴然とする。逆の言い方をするなら、肉体を抜けるまでわからないかも知れない。

無論、私も(一応・・・、基本的には・・・)今自分が存在している、そのことだけで、その方への感謝の祈りはしている。(一応・・・と書いた理由?適当に推測してください。)けれども、別に特別の場所にいく訳でも、どこかに向かって頭を下げる訳でもない。相手が誰かを理解した上で感謝の思いを持てば、そのまま届く。で、実は形式的に「ありがとーございますー」なんて感じで思いが伴わない言葉だけ投げたりしていると、「鬱陶しいからやめろ」と言われたりもする。逆に言えば、届いている証拠なんだろうけれども。
結局、毎日どこかに向かって祈ってます、とか、そういうことではなく、日常生活で自分がいかに「あるべき」かを考えながら生き続けていくこと、その結果として、前述したように誰も傷つけることなく、一人でも多くの「異なる考え方」を受け入れて理解し、そして肉体を抜けて上に帰ることができれば「それが結果」だし、その「結果」が出せなければ、いくら「毎朝、神様ありがとうございますと、祈り続けました、」と言っても、一応聞く耳は持ってもらったとしても、事実として器が小さくなった分、「進化」ではなく「退化」してやりなおすことになる。なんとなくだけれども、最近その辺が妙に細かく理解できて来た気がする。何と言っても、我々自身があの方の肉体の一部だから、誤魔化せるはずがない。

決して、他の方の信仰を否定するつもりはない。ただ、今私が聞いて理解しているのは、こういうことだ、ということを書いただけ。なぜ、なんのためにという部分で根本的な違いはあるものの、やっていることには、遠藤さんが描かれた信仰などに重なる部分もある。

なんのことはない、仕事と同じ。納期が割れているのに、「ごめんなさい、今一所懸命やってます」なんて言い訳して、一応は聞く耳を持ってもらったとしても、それこそ、一刻も早くモノを仕上げなかったら「結果」を出したことにはならない。

最後まで「あの方」で通すつもりが、結局何ヶ所か例のあの単語を書いてしまった。走りながら、ぼんやりと考えていたんだか、感じていたんだか・・・。なんだか、これも仕事と似ているなぁと思った。ただ、それだけ。なんやかやと意識がそちらに向いてしまって、目の前に仕事に集中しきれなかったのは事実で、少しずつ、モヤモヤがスッキリしつつあって・・・多少は好転するかも。

ごちゃごちゃ書いていないで、すぐにも「結果」を出さなきゃならない仕事が一つあるんだが、走って来て体がほぐれて、他の優先順位が高かった仕事をなんとか片付けたので、これから集中します。今、生きていて、こうして仕事があるだけで、感謝。

空乏層

以前、電子工学の補修教材を書いていた時、「空乏層」を変換したら「食う暴走」と表示された。
以来、鉄板ネタとして授業で使っているんだけれども、「食う暴走」止まりで・・・

40年前か。黒羽先生の日本史で、「甘樫丘のトイメン(対面;麻雀用語)に」と言うフレーズ、「絶対に黒羽、ここでトイメンって言うぞ」と、生徒たちは結構授業中にワクワクしながら待っていて、黒羽先生がこの「甘樫丘のトイメンには」と言った瞬間、「キター!」みたいな感じになったのを覚えている。それ以外の部分は全部忘れているのに。(この程度で盛り上がっていたんだから、可愛いもんだな。)
僕のこの、ダイオードの「食う暴走」も、たぶん時間にして30秒程度の脱線なんだけれども、そろそろ語り継がれていたりして・・・だとしたら、わざとこれを外して、別のネタを放り込む、なんて工夫して、期待を裏切らないと・・・(あんた、なんのために授業をやってる?)

この空乏層、逆バイアスをかけても、電流は流さない。持ちこたえて、持ちこたえて、電流は流さない。
ちょうど、コンビニで「アイスまんじゅう」だとか、「エクレア」だとか、「チーズケーキ」だとか、あれやこれやと並んでいても、こうした逆バイアスには一切屈せず、頑としてタバコとコーヒー以外は買わずに出てくる。

ところが、妙に疲れていたり、逆バイアスが大きすぎると、一気にブレイクダウンを起こして、逆向きの大電流を流したりする。これを「降伏現象」と言い、ダイオードによってこの「降伏点」が決まっている。空乏層で食う暴走を起こす瞬間。

ただ、この現象を有効に使っている素子がツェナーダイオードなどで、飽和させてしまって、安定化電源などに使われている。(と理解している。)
いいなぁ、食う暴走で飽和させても、逆バイアスを解消すると元のOFF状態に戻り、リバウンドは起こさない。そして、使い方次第で役に立つ。

大切なことは、有効活用方法を工夫することなんだと思う。だから、全然気にする必要はないと思った。シュークリームとチーズケーキと、温泉まんじゅう。

このネタを単なる「食う暴走」から広げられない理由はただ一つで、ツェナー効果とアバランシェ効果だとか、きちんと理解していない。いつか勉強し直して、ちゃんと理解して、と思いながら、直接仕事なんかで関係することがないもんだから、先送り、先送りで、今に至る。突っ込まれたら、何も答えられない。学生時代にはもう戻れないし・・・。体型的にも。

聖地?

ユダヤ教徒っていうことは、モーゼが連れ歩いた方々の末裔?(以下、敬称略。)

いや、私は上司にだって食ってかかるから(だから、出世とは縁がない)、言わせてもらえれば、実弾を使って罪もない人を殺した時点で、モーゼの弟子を名乗る資格はないはずで、ユダヤ教徒であることを放棄してないか?もし、それでも頑なにユダヤ教徒を名乗るのなら、ユダヤ教は既に神の教えに背いた存在になっていると理解する。モーゼの教え方が悪いんだ。(いや、そうじゃない、「これがモーゼの教えだ」と伝えた人たちが伝言ゲームで教えの原型を壊して伝えるようになった、それだけのことで、モーゼは偉大な方だと聞いてはいるけれども。)

トランプはキリスト教徒?興味がないからどーでもいいけど。で、イエスは自らの責任は認めずに、他人に責任を押し付けろと教えたのか?あんなのがもしキリスト教徒を名乗っているのなら、(そもそも、十字軍の時点で完全に崩壊していた気がするが)イエスの教えなんかどこにも残っていないんじゃないか?
もしトランプが、キリスト教なんか信じていないと言うのなら、「私は神の存在など信じない」と明言したらいい。その方がスッキリするし、その後の扱い(扱われ方)も容易だと思う。そもそも、誰かが誰かを殺さざるを得ないような状況を作ることを、神が望んでいるとでも思っているんだろうか。と言う疑問を投げても、トランプの頭で質問の意味が理解できるとは思えないが。

今残っているのは、形骸化して、集金団体のビジネス集団として存在しているユダヤ教や、キリスト教。それを言うなら、仏教なんか戒名の相場が何十万とか、イスラム教だって宗教指導者が宗派間で争いを煽っているし。もはや、神の教えなんか宗教の中には残っていないんじゃないのかな。ユダヤ教もビジネス集団だから、トランプとは相性がいい訳だ。理解しやすい。

聖地がバッティングしている?一体どなたが、祈りを捧げるのに場所が大切だなんてことをおっしゃったのか。(ここは、僕も間違えた。一応素直に白状しておく。)ただ、私の場合には金銭は要求する気(著作権主張)は一切ないけれども、あの「聖地」なる場所は、ただ単に、信者から金を集めるビジネスを展開する上で、都合のいいエピソードがあった場所だ、と言うだけのことで、要するに登録商標が類似している程度の問題のように私には思える。宗教集団は、ビジネス集団だし。いや、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関して言えば、そもそも、教えを伝えた(意識をこの世界に送った)方が全部同一人物なのだから、商標が似通っているのも仕方なかろう。どの団体に献金するかが違うだけなのに、なぜ争う?不思議だ。

医学。人間の肉体を治療する学問では、キリスト教徒にも、ユダヤ教徒にも、仏教徒にも、イスラム教徒にも、同じ薬が使え、解剖学の知識は同じように適用できる。これは肉体の話。抗がん剤を使っていいかどうか、どこかの宗教で教えていましたかね?使っていいと教えてもらっていないなら、使っちゃいけないんじゃないの?じゃぁ、合成麻薬は?教えの中に何か言及はあるの?「教義に基づく判断」が仮にあったとして、それが宗教によって異なっていたとしても、結果は同じなのが人間の肉体。理由は単純で、どちらも神が創造したものだから、全ての人間に対して同じような薬効が発現する。
そこに収まっている霊体さんの振る舞いも、極めて自然科学的に共通していて、死んだ後どうなるかなんて、全ての人間に同じことが起きているはずだと考えるのが自然じゃありませんかね?たぶん、99%の人は(こうして肉体を持ってしまうと)理解できない領域になるから、いくらでも好き勝手を言える余地が生まれる。それで、ビジネスが成立する余地が発生する。

元々は、とてつもなくシンプルな話題だったはずだと思う。殺すな。憎悪するな。殺し合いが起きるような言動をするな。そんな簡単なことが、なぜできない。その理由もシンプルだ。神を信じていないから。事実と行動が全てを物語る。ユダヤ教徒は神を信じていない。

なぜ、トランプが大統領になったのか。考え抜いて私が出した結論。東日本大震災と目的は同じ。天災に見舞われた時、人は協力して困難を乗り切ろうとする。日本では「絆」というスローガンが掲げられた。人間自身がそうした判断をし、そうした行動を取ることができるように、天災は起こされている。
だとしたら、トランプが大統領になった理由と目的は、(一応はアメリカとイスラエルを除外して)全ての人々が力を合わせて困難を乗り切る環境を創り、宗教に頼らずに自発的に考えて行動し、異なる宗教、異なる国家の人々が、協力、強調しなながら、それぞれが住みやすい世界を作ろうと努力するようになる。そのための「素材」として、トランプは大統領になれたんじゃなかろうか、と私は今、考えている。

でなきゃ、あのバカが大統領になんかなれるはずがない、と私は思った。

余談ながら、誰かをバカにすれば、それだけで、どっぷりと心に垢がこびり付いて、それだけで地獄行きの切符になるそうでして・・・。私はもう覚悟しているけれども、地獄に行く覚悟がない方は、相手があのトランプであっても、「あのバカ」なんて言う思いを持つのはやめた方がいいと思います。それだけで確実に「地獄行きの切符」になります。でも、そうした思いを持つことが「人として誤っている心の在り方だ」と自力で気づけたならば(脳に頼るのはやめて、心に判断を委ねて、心でそう思えるならば、)地獄に落ちても抜け出すことはかなり容易になるらしい。なんて言う、この辺の話題は、様々な宗教で説かれていると思うんだが、誰も守っていないのなら、宗教と神の教えは別物になってしまった、と、自分はそう考える。

トレインレコーダ

新潟の事件、解決したらしい。
一本前の電車の運転手が、車を目撃していたらしい。近隣の方々、安心しただろうな。

タクシーなんかには、ほとんどドライブ・レコーダがついているらしいから、事故にしても事件にしても、画像解析すると何か見つかることとか、あるんだろうな、と思う。電車は、追突事故とかはないにしても、かなりのスピードで、かなりの範囲を移動する訳だから、電車が通過する時間帯の周囲の画像を、電車用のドライブレコーダのようなもので記録しておくと、結構「捜査情報」として役に立つんじゃなかろうか。正面や背面だけではなく、左右に向けての画像も記録しておくと、「動く目」としては結構な監視能力になるような気がする。ついでに言えば、都会だとバスの側面とかにレコーダをつけてもいいだろうし。いっそのこと、公共交通機関を全部「動く記録ポスト」にすれば、犯罪の抑止力にもなるんじゃないかな?なんてことを、ふと思った。

いや、監視社会は嫌ですよ。でも、公共の場だったなら、普通は「他人に見られることを意識して生活している」はずだから。家の中とかは、話が別。「のぞき」は、良くない。公権力だとしても、認められないとは思うが、その話は別。

生きている意味

とにかく、一つでも多くの経験を積むこと。かな、と理解している。
他人の痛みを一つでも多く知る。殴る側ではなく殴られる側に回る。今回は、結構あちこちで虐げられて来た気もするけれども、きっと次に役に立つ気がする。消化できてくると、結構あれこれ見えてくる。次に肉体を持った時、「自分はなんで、こんなことがわかるんだろう」というくらい、役に立つ気がする。自分を殴ろうとする相手の行動、気付けなかった誰かの痛み。

拉致「既に解決」と強調 北朝鮮、安倍政権を非難
https://www.sankei.com/world/news/180512/wor1805120030-n1.html

拉致被害者の方々の思いが、痛い。結局、金正恩氏ご自身の妻、妹、子供など身近な人間が、理不尽な奪われ方をしてみないと、あの人には理解できないんだろうな、と思った。

ということは、拉致問題を本質的に解決するためには、金正恩氏が、そうした経験をすることが避けて通れないと、私は考えた。私には「政治の駆け引き」なんてことは理解できない。露出の多い横田さんとか、あの人たちの、痛みが辛いだけ。

人は、憎悪の念をたった一度持っただけでも地獄に落ちる。地獄っていうところは、周囲に似たような思いを持った人が大勢集まっていて、お互いに憎悪を発散し合う、さぞかし居心地のいい空間かも知れない。他人を憎悪してはならないと、心の底から魂として思えない限り、抜け出せない。僕はたぶん、そこには行く。ある意味で、一度手を汚したら「ついで」っていうこともあるかもね。って、何を書いてるんだろうか。いや、もうノーズダイブする覚悟はできてるから。あまりハメを外す前に、さっさと帰った方が良さそうな気もするんだが。

僕はこういう気性だから、たぶんもう、何十回もこういう生き方をしている。ここだけは自信を持って感じる。(次のメインイベントに間に合わないかも知れないのは、悔しいけれども・・・イエスの再誕にも、その時代に生まれたいんだけどなぁ・・・)今書いているこの言葉は、僕の脳から出ているのか、それとも僕の魂から出ているのか。それすらもわからない。でも、書きたいから書いた。後は、理性ではなく感じたままに意識を発散しよう。

だから何?ただそれだけ。大した意味はありません。自分の生きている意味を、ちょっと考えてみただけ。

ゴラン高原

イランの誰かが、ゴラン高原で何かをやったとか、ニュースで言っていた。(説明になってないな。かろうじて、イランとゴラン高原だけ固有名詞が入ってる。)

こう言っちゃなんだけれども、ケンカを吹っ掛ける気があるなら、何をどう話して来てもケンカにできる。極端な話、挨拶されただけだって、ケチをつけることはできるし、挨拶しなけりゃしないで、ケンカは売れる。普通は、それをしないだけ、だと思う。
難しいのは、ケンカにすることじゃなくて、何があってもケンカにしないことなんだろうな。
英語でなんて言いましたっけ?肩の上にポテトチップを乗っけてる?服に油が染みそう。

子どものイジメも同じなんだろうな。大人のハラスメントも同じ。相手の人格を尊重していれば、ハラスメントなんてことには普通はならない気がする。こどもどうしでも、それは同じだと思う。
ただ、子どもの方が顕著かも知れない。大人は「社会経験」から、相手を尊重することを学ぶ(学ばない人もいるみたいだけど。ゴネて給食代を払わない大人とか、悪いことの原因を、全部他人のせいにするとか・・・やれ、メキシコが悪い、中国が悪い、イランが悪い・・・)
直感的に感じるのは、子どもでも大人でも、二〜三十パーセントの方々は基本的に「他人を尊重する」という発想そのものを持っていない、そんな気がする。成熟した社会ならば、「他人を尊重する行為」を実際に経験することで、自分自身もそうした考え方を身につけていくのかも知れない。師匠の講演会を聞いていて思うに、そのmix upこそがこの世界が創造された目的なんじゃないかと、自分は考えている。(これは、私個人の理解。同じ講演を聞いて、別の考え方をする方もいらっしゃって当然。)

ところが、こどものイジメの場合、大人がうまく介入しない、あるいはできないなどの理由で、元々他人に対する思いやりを持っているような子供が標的にされ、結果飲み込まれて、「他者を尊重する」という元々持っていた発想に封印したり、捨ててから大人になったりする。こうした現状で社会が良くなるんだろうか。ハラスメントにしても、たったの一言でいい、「相手の人格を尊重しよう」それだけのような気がする。なぜ、学校現場とかで、たったのこれだけのことが子供に伝えられないんだろうか。っていうのは、教師もそうした発想を元々持っていなかったりするから、なんだろうか。

相手がミサイルを打ってきた。これは、確かに難題かも知れないけれども、そこで敢えて武力では応じないのが「大人の対応」じゃないか、という気がする。原則は、子供対子供でも、大人対大人でも、国対国でも同じような気がする。

それはそうと、標題はなんだっけか?ゴラン高原?あ、そうそう。トランプ大統領って、何歳?

含意の命題

論理学で、「AならばB」という命題の判定。AはBの十分条件で、BはAの必要条件であるなどというと、やたらと難しく感じるけれども、簡単な例を見ればわかりやすいかも知れない。

以下、全文削除。書いた直後から、何か違和感があったけれども、出した例文が全部「含意の命題」になっていなかった。きっと、読まれた方も「間違ってるぞ、」と相当に突っ込まれたに違いない。

いや、トランプ大統領が何を言おうが、何をしようが、悪影響を最小限に抑えるように、みんなで努力しましょうよ、と言いたくて引っ張り出した「例文」が、大間違いで・・・(お恥ずかしい。)いや、こんな「例文」を書くと、「論理学」でDか何か、もらいそうです。

これが、呆けてしまった今の私の「論理展開能力」でして・・・考えているようで、あまり考えられていなくて、ロジックを追い詰めきれない現状。

ホーキング博士

配信ニュースネタ
「宇宙人に侵略される」ホーキング博士が生前に強く警告したワケ

影響力の大きい方がこういう発言をされると、上が動いて早目に引き揚げさせるということはあるらしい。ごく最近のことだけれど、何かやったのかな、と思っていたら、そういうことか、と納得した。「意識」を「量子」で説明しようとする試みにも、反対していたらしいし。反論の文章を読んでみたら、ダーウィンの影響を受けている。最初に何か警告はあったはずだと思うが、自分自身について言えば、なかなか気づけない。やっちまってから、「あぁ、あれが警告だったな」と気づいても後の祭で、必死に訂正しても間に合わない場合もあるし。ただ、逆の言い方をするならば、致命的なミスを重ねていれば上が引き揚げてくれるから、それ以上傷口を広げなくて済む。温情かも知れない。禁錮何百年かは覚悟しないとならないかも知れないけれど。

真逆だ。40年くらい前の話、全米で放映される全てのテレビ番組の中で、一週間に殺される人の数が1万人に達している、という何かの記事があった(私の記憶違いで、1千人だったかも知れないが、戦争映画とか、侵略映画などを含めたら、たぶん1万人で合っていると思う)。以後、一切改善の兆候はない。むしろエスカレートしている。そうした意識体の集団が一体どれほど他の星系に悪影響を及ぼすか、その懸念があって地球は隔離されているそうな。

地球外の生命体が指導のために地球に建設した建造物などはいくつもあるだろうに。例えばピラミッド。あれ、本当に「奴隷を働かせて」とかで、作れると思っているんだろうか。シミュレーションの説明、読んだことがあるけれども、なんだか数字が荒唐無稽な気がした。誰か検証実験してみたら?何度目かの人類再建を指導するため、外からわざわざ来てくれた人たちがいたのに、「人類の歴史は戦争の歴史」なんていう言い方すらある。来なくなったんじゃなくて、怖くて来られなくなった、という言い方が正しいらしい。

宇宙空間が(この地球上の物理空間も、だけれども)神の肉体そのものだ、という大前提を否定されてしまったら、もう後が続かないし、否定したい方はどうぞご自由に、とも思う。結果として、宇宙空間を移動するため、UFOに乗るためには、絶対的な条件がある。師匠の流儀で、その条件は書かない。この段落最初の文章から演繹すれば、その条件が何か、容易に答えは出ると思うので。説明の途中を飛ばして、結果として殺戮を好むような方はその星系から外には出られない。地球系霊団の頂点にいらっしゃるガブリエル様とかは100億年以上(具体的な数字は、聞いたけど忘れた。たぶんあまり意味ない。)「意識体」として生きていらっしゃるそうだけれども、太陽系の寿命だけではそれだけの経験を積めない。

それにしても、と思う。あれほどの「発見」をされた方ならば、一度は「有資格者」になられていたはずなのに、肉体を持っている間に「殺戮するのが当たり前」という次元の意識に感化されてしまう。そうやって、次から次へと落ちられて、指導層が崩壊する。特に、インターネットなんかで爆発的に「情報共有」が進んだ。ということは、地球をリセットしようとしたら、昔と違ってどこかの大陸を沈ませる程度では済まない、ということになるんだろう、と理解している。その危機感がこの世界には全く伝わっていない。

師匠は、間に合ったのかなぁ・・・(何という、他人ごとみたいな書き方。)

それにしても、ふと我に返り「会社のページ」にこんな話題を書いていたらまずいよなぁ、とつくづく思う。社長が激怒しそうな・・・バレなきゃいいか。あ、あたしゃその程度の倫理観の人間ですから。全ては師匠にお任せ。

只今、暴走中

開き直って、書く。昨日の講演会の第2部(自分の考えを話す、勉強会のメインか)の最中に、トラブルの電話が入った。講演中だったら受けられなかったから、どういうタイミングなんだろうとは思う。ソースコードを頭の中で広げて、戻ってからは直接読んで、確認しないといけないんだけれども、コードがどうしても辿れない。意識がこっちの話題に食われてしまって、全然集中できない。

開き直って、書く。
神とか言うと、白い服着てヒゲを伸ばして、杖をついて、みたいなイメージを持ってる人が多いんだろうけれども、要するに巨大な意識体だから、ご都合で人間の肉体を使うだけであって、そもそも形なんかないんだろう。と言う以前に、銀河系宇宙を肉体としている人格霊、と言う理解以外、イメージが追いつかない。これ以上の詮索は無用、かも知れない。

師匠の講演会。話題の振れ幅が半端ない。実際に、エネルギーがどうとか、波動がどうとか、そう言う話題もあって、自分は自然科学系の頭で理解しようと試みて、必死でマッピングしている。こうして自分なりの理解を書いておけば、もし誤りがあるなら、少なくとも師匠が肉体を持っていらっしゃる間ならば、訂正が間に合うように、改めて講演の中で取り上げてくれるに違いない。そうした意識を送ってくださる、桁違いのエネルギー体がいらっしゃる。ご自身が宇宙を創造されたならば、我々人類が「自然科学」と称して必死で解き明かそうと考えている内容の、十の何十乗倍もの知識をお持ちだろうし、それを伝えたいともお考えかも知れない。

それならば、なぜ、少なくとも今回の文明では、せいぜい「雑欲に支配されてはなりません」程度の内容しか残っていないんだろうか。と考えていたら、ふと気づいた。イエス・キリスト様が重力場がどうこうとかお話になったとして、当時の方々はそれをどう聞いただろうか。基礎となる(自然科学の)知識が追いついていないから、説きようがなかったんじゃないだろうか。ムハンマド様に光量子仮説を伝えようとしたって、そんな単語すら存在していなかっただろうとも思う。その時代時代で、理解可能な最大限のところを伝えて来られたんじゃなかろうか。そうして、今現在、多くの方の「神」のイメージが出来上がり、今に残るから、やたらと古臭いものだけが残っている。
そして昔と同じように、今は今で、今の人類が受け入れ可能な「自然科学」の知識の上限ギリギリいっぱいのところで寸止めして、師匠の講演会の内容の中に紛れ込ませていらっしゃる、そんな気がした。古いイメージで考えること自体、間違っているような気もする。我々は、宇宙を何%知っているか、もしかしたら、十の数十乗分の一程度、近似したら0%の知識しかないのかも知れない。
何百年か、何千年か先、もし現在の文明が滅びることなく、争いもなく、調和を保って、自然科学的な知識もいくつものブレイクスルーを経て膨らんだならば、きっとその時は、その時の人類に理解できる「さらに先」の知識が伝えられたりもするんだろうか。それで、何十倍か何千倍かに知識の量が膨らんでも、やっぱり近似したら0%だったりするのかも知れない。

僕自身、ギリギリ目一杯背伸びして、昔科学雑誌で読んだり、せいぜいブルーバックス程度の「読み物」として仕入れた知識で解釈を試みているけれども、これが限界。師匠の講演会、勉強会で聞いた話題に被せて書くなら、神の肉体についての知識と言う文脈にどうしてもなってしまう。これで、もし間違っていたなら、たぶん僕は、二度と人間として肉体を持てない。ヤバいことになる。なので、お願いですから、「意識を量子論で語れるか」と言う程度に留めて、神なんていう、必死で僕が持ち出している単語は使わない、聞かなかったことにして欲しい、なんてことも思うんだけれども、何という自己矛盾。どっちなんだよ。
考え抜いた末に書いたつもりでいて、実は単に暴走しているだけかも知れない。

とも、考えたけれども、「神」なんていう単語を持ち出してそれを受け入れてくれるほどサバけている物理系の学会なんかがあるとは思えないし、そんな無謀なことをする学者もいないだろうし、杞憂であって欲しい。ただ、ちなみに、チャールズ・ダーウィンさん、「進化論」が訂正されるまでは地獄から出て来れない。理由は聞いている。「肉体」の進化では確かに、類人猿とか「雛形」を利用しているけれども、「意識」まで肉体に付随するものとして神の関与を否定するような生物学の常識を作り上げてしまった。その罪らしい。そういう方もいらっしゃる。ヤバイんだよなぁ。決して踏み込んではならない領域に、僕はもう、踏み込んだかも知れない。余談ながら、ヒトの意識体は「神格霊」とも言える、神の一部が最初から入れられている(性善説が正しい)けれども、それ以外の動物には入れられていないから、ヒトだけが別格だと聞いている。ダーウィンさんはそれを否定する「常識」を作られてしまった。他山の石。怖くはないけれども、畏れはある。

もういいです。腹は括った。いつか肉体を抜けて、帰ろうとしたら、ペナルティでエネルギー体として解体されちゃって、他の方々のエネルギーとして「部品」に戻されちゃって、「そんな人は、どこにもいません」なんてことになったりしても、いいです。(肉体の有無にかかわらず、こうして「僕」という意識が存在している、ということは、まだセーフ。と思いたいけど・・・)神という文脈から離れて、自然科学という枠の中だけで精進するならば、いつか人類は、我々の立場での上限いっぱいの「知識」を上から受け取って、科学を発展させる人が現れるに違いない。いわゆるUFOの話も、講演会では何度も出ている。書きたい、伝えたい話題は山ほどあっても、さすがにUFOに関しては、私の実体験とか、必死で考え抜いても「聞いただけ」の話としてしか書けないから、思わせぶりに話題を持ち出すだけ持ち出しておいて、何も書かないということになるんだろう。
こうして、唐突に「常識」が頭をもたげたりするから、やりにくい。暴走するならしたままの方が、気が楽。

今度こそ、リセットしてプログラムを読める状態に戻りたい。ここ数週間で、何回地雷を踏んだかわからないのに、肉体を抜けるまではわからんからなぁ・・・「お前はもう、死んでいる」っていう感じなのかもなぁ・・・

それにしても、連休中はコーディングの稼ぎ時だったのに・・・ものすごい誤算だ。どうしましょ。走りに行っても、今は逆効果な気がする。温泉も効果なし。クライアントさんに呼び出されて、「このプログラムをなんとかしろ!」と詰められたら、間違いなく効果はあると思うけれども、その前になんとかしたい、のに。
集中できない・・・干上がっちゃうよ。(■■さん、お願いです、助けてください!)いや、「自力で解決しろ」とか言われそう・・・

多次元宇宙

師匠の講演会。クーリング・ダウンして、SE、プログラマの方に意識転換しようと思いつつ、暴走が止まらない。「ヒトの実体は意識体」という師匠の総論は、もう8割方書いた。後は各論で、それについては、折に触れて書くだけにしよう、何かが起きて、突っ込みたい時に書くだけにしよう、と思いつつ、だめだ、止まらない。
どう考えたって「開発者モード」じゃなくなってる。事情があって「閑話放題」の方を根こそぎ削除したけれども、本当は「仕事」と「それ以外」のWEBページを分けたかった。ただ、仕事の都合で、再編なんてしている時間の余裕がない。それなのに、それなのに、こっちにトラップされっぱなしだ。

師匠の講演内容は、だいたい三通りくらいに話題が分類出来るかな、と自分は考えた。一つは、「落ちない」ため、広げれば病気にならないため、人間関係で問題を起こさないために心掛けるべきこと。この辺は、既存の宗教であれこれ言っていることと重なる部分もある。平たく言って、物質世界のモノやコトに意識を執着させれば、自分自身のエネルギー体の分が侵食されて減ってしまい、霊格が落ちる。
二番目は、「上がる」ために考えるべきこと。物質世界は神が創造されたから、多次元宇宙の生命体「ヒト」が、意識体としての次元を上げるためには、人としてどうあるべきか、という話題。人格霊は人間だけで、神はご自身を模してヒトを創造された。(これも、様々な宗教で説かれている。)ただ、案外この部分は、宗教書よりも、実用書、ビジネス本などで書かれている内容に重なる部分が多い。周囲との調和を図り、周囲の人を尊重し、結果を出す。結果を出せない行為は、自己欺瞞であまり意味がない。などなど。師匠の講演内容で最も違うのは、その大元に「神はこうした意識をお持ちだから」というその部分の説明が、(実にわかりにくく、婉曲に)加味されていることなんだろうか。(いきなり答えをもらうと、脳には入っても死んだら消えてしまうから、いきなり「答え」はもらえない。だから直接的な「答え」は講演で話されない。)
そして、三番目は「神の理念」で、この内容そのものは会員どうしでも「話題」として口にするな、と言われている。何故ならば、もしほんのわずかでも間違っていたなら、その内容を「神の思い」として口にする限り、とても重い罪になるからで、「既得権者の利益を守るため」に密教を守ろうとするのとはニュアンスが異なる、と自分は理解している。ただこの「神の理念」は、滅多に講演会で話題にしてはもらえない。年に数回程度、だと思う。

ふと気づいた。(困ったものだ・・・それで暴走している。)師匠の講演会で、「神の理念」としてではなく自分で考え抜いたなら口にしても支障がない一般のテーマとして話題にされたことに、「重力とは何か」という話題があった。師匠は、「重力は、引力ではなくて圧力だよ」と話されていた。多分、一昨年くらいの講演会での内容。おそらく9割以上の会員の方が「なんのこっちゃ」だったと思うのだけれども、ニュートン力学では重力は質点の間に働く「引力」として定義されている。師匠が講演で話された「宇宙を設計した際の設計思想」としての「理念」の部分(ここは書けない)から、私なりの理解で演繹すると、「重力とは、多次元物理空間における圧力が、三次元空間に投影されているもの」かな?と。圧力は、単位面積当たりの力。力とは質点に働いて加速度を与えるもの。ここから先は、師匠の講演内容とは完全に離れて、私自身の理解だけれども、「質点」はこの三次元空間に投影された、超ひも理論ではおそらく、5次元から10次元までの「畳み込み」が起きている部分の「意識体」の意識のエネルギーが投影されて、三次元空間での「質点」として観測されているんじゃなかろうか、「力」とは多次元空間でのエネルギー体の相互作用、「単位面積」は、3次元では単位面積だけれども、多次元空間では単位「体積(っていうか、なんて言葉?n次元のvolume)」と、考えた。この考え方って、何かのヒントになりませんか?もうあと40年若かったら、理論物理学専攻で大学に再入学したかったところなんだけれども・・・

一般的に4次元といえば、3次元空間に時間軸を加えて扱う。けれども、この「時系列」という概念が意識体の世界では成り立ちにくいように、(師匠の講演内容から考えると)思えてならない。ヒトとして生まれて間もない意識体は、まず4次元から成長していく。この4つ目の次元は、「時間」ではなく、別の畳み込みが起きている「意識体」からの投影であって、「時間」という軸は11次元目、と考えないと、師匠の講演内容が読み解けない気がした。物理空間では神からの干渉の余地があり、それが11次元目の時間なのかな、と・・・高次元のヒトにとっても、「空間」操作はお手の物。でも神は時間すら操作できるのではないか、と。(ね、暴走してるでしょ!?何言ってるんでしょ、あたし。)

師匠の講演内容から考えると、銀河系宇宙の次元は11次元で、それを創造した、我々にとっての「創造主」の意識体の次元は12次元、もしくは13次元。(すみません、私の理解を超越している話題なので・・・)ただし、「創造主」は「人格霊」であって、神はご自身の「意識」を唯一ヒトに持たせた、つまり「人格霊」という言い方はあたかも人間が先みたいだけれども、ヒトだけが「神格霊」である、つまり、「意識体」として「ヒト」が共有しているヒトとしての意識は、神が持たれている「意識」と同質のものである、と私は理解している。この辺は、確か、キリスト教(イエス様/アモール様)なんかでは説かれていたと思う。その「人格霊」が、「意識体」として住んでいるエネルギー空間は、4次元から8次元まで。9次元は神が人類を指導するために最初から高次元として創造された霊体の方々(イエス様(アモール様)、とか、モーゼ様/(モーリヤ様)、とか、エホバ様/アッラー様(アール・エル・ランティー様)など)が住んでいる世界なので、我々、4次元からスタートしたヒトは、9次元までは上がれない、と理解している。ヒトとして進化できるのは8次元が最も上。意識体として10次元なのは地球意識。(こうやって書いてると、「なんだこいつは」と思われるだろうな、っていう気がした。キチガイ集団だと決めつけてもらって構わないけれども、多分、10次元までは僕にも議論できます。キチガイと決めつけて議論をふっかけるなら、最低限、微分や積分、テンソルの変換やマックスウェルの方程式程度は理解してから、絡んで下さい。議論のベースは、超ひもです。でないと、会話が成立しないので。僕は、そこに師匠の講演内容を被せているのだから、ベースとなる部分が議論できないと、次へ進めない。)大切なことを忘れていた。「意識体」は「光」の性質を持っている、という師匠のお話もあった。つまり、「意識体」とは、超ひも理論の中で「高次元の波動が量子化したエネルギー体」として定義できるなら、僕らのごとき理系頭にはかなり理解しやすくなる。

「師匠の受け売り」をそのまま書く。この辺は師匠の著書に書いてある。4次元は、ヒトとして生まれたばかりの意識体。肉体を持っても生きることに必死で、現状で言えば、肉体を持つたびに美味しいものを食べたり、宝石で自分を飾ったり、性交渉に邁進したり、そうしたことに意識の大半を向けているから、一向に進化できないレベル、かな、と自分は理解している。5次元は、いわゆる「いい人」で、多少は他人に対して気配りができる程度に次元が上がった方。この4次元と5次元だけで、地球系人類の過半数を占める。(どこかの国の大統領の支持層。)この4次元と5次元の間ですら、肉体を持ってすら「意思疎通」が困難なケースが多々あるんじゃないかという気がするけれども、意識体の世界に戻ったなら、そもそもが相手の存在を認知できない(エネルギー体として、交信ができない)程の違いがある。肉体があるから、4次元と5次元が意識を交流させられる(会話できる)。ついでに書けば、6次元は「いい人」から抜け出して、他人の役に立つような、一般的には専門職を極めているレベルの方々。7次元は、一通り全ての分野での「専門職」経験を卒業して、「総合職」としてそれこそ、法律、医学、薬学、数学、人間関係、宗教、などなど、あらゆる分野で隙間なく専門性を発揮できる程度に進化された方々。(何回も6次元として肉体を持ってから、進化する。)そして、8次元になると、「ヒト」という生命体として、もはや人間の形をしていない、それこそ、ミジンコでもゴキブリでも電子でも、全ての生命を「神の創造物」として認知して、純粋な「生命体」として存在し、その意識エネルギーを電子や原子など全てに投影できるほどに進化して、ただ光の玉として存在しているような、神が求める「ヒト」としての最終形の人間、ということになる、と私は理解している。(ここまでは、たぶん書いても許される範囲。)

それはそうとして、じゃぁ、ここをどう「物理学的な世界」に重ねるの、っていうのが、(突っ込まれた際に)議論していて難しい部分かな、と思った。4次元のヒトが、意識体として、ほんのわずか神の思いに近づいたら、ある時突然(っていうか、肉体を抜けて、地獄で汚れを落として、上に戻ったら、4次元はスカスカで、そこに居られなくて、5次元と同じエネルギーレベルの世界に戻る、つまり、)5次元に進化する、っていうことになる。
似たようなことが、電子の世界では起きている。電子エネルギーの励起。連続量ではなく、離散量。その離散的な変化が連続量の蓄積で起きる。数学的には、カタストロフィのような、線型エネルギーの変化が、一方の推移の極大点から、他方の推移の極小点に推移するような現象が、魂の進化で起きている。と、私は理解。これで、精一杯わかりやすく説明したつもり。しつこいようですが、私たちを「キチガイ」扱いするならば、位相幾何学とか、量子力学の基礎的な用語が通じる程度に理解してから、喧嘩を売ってください。僕が相手します。(いや、今の僕は、「大人の映像作品鑑賞」が盗聴・盗撮されてリークしていたあたりから、だいぶ怪しくなって、まともに議論するには相当に「おさらい」しないとならないけれども、悪いんだけれども、今回は私が立ちたい土俵に立って欲しいと願う。普段の僕なら、あなたの土俵に立って、あなたのルールで喧嘩したいところなんだけれども・・・その余裕がない。)

あれこれ、書いてはいるけれども、言いたいことはたった一つ。神は実在します。ヒトの実体は「意識体」。ただそれだけ。別にシューキョーじゃないから、壺を買わせることもないし、僕らは師匠に「お話」をしていただいている立場だから、講演会場の会場費だとか、講演内容を録音してCDに焼いて配布する経費だとか、「勉強会」の団体として持続する組織維持費だとか、そういった諸々の経費を賄うために、月額3千円の会費は支払ってる。(会員でない方は、一回の講演会参加費用が3千円、だけれども。)それを高いって言われちゃったら、坊主の読経なんて、どうなのよ。坊主の読経を聞いて、「あぁ、いいお言葉だなぁ」って、意味わかって聞いてる人がどのくらいいるんだか。我々、肉体を持っている人間にとって意味が取れない言葉は、霊体さんにとっても同じように意味は取れない。(だいたい、自分が死んだことに気づいていない霊体さんだって少なくないんだから。それくらい「意識」は持続している。だから、自殺はやめようね。自殺ほど意味のないことはない。話がそれまくっているのは、僕が暴走しているからだけど。)「意識」はエネルギーとして抽象化されている、と私は理解しているけれども、「読経」として口に出された言葉は、単なる言語であって、その真意に至る意識が送られていない限り、霊体さんにはBGM以下だと私は理解している。そういう意味がない行為ですら、3千円で来てくれる坊主が一体何人いる?いや、この3千円が「高い」って言った人がいたもんだから、つい書いてしまった。
おっと、やめよう。まるで×教界全体に喧嘩を売ってるみたいな書き方をしてしまった。すみません。気を悪くしたらごめんなさい。この「坊主」とか「読経」とか書いたのは、ゾロアスター教のことであって、決して×教のことではありません。お間違いのなきよう。
って、俺、何書いているんだろう。(暴走し続ける私。)

もう、明日こそ、プログラム書かなきゃ、干上がるんだってば。終わる。やめる。以上。思考のカーソルが飛びまくっていて、収束する気配なし。

静電容量

僕が学校で教える時の、持ちネタの一つ。こういうのを晒してしまうと、新鮮味がなくなるかも知れないけれども、行きがかり上、使ってしまおう。

電気回路の部品、平行平板コンデンサは「電荷」を蓄える部品です。「電荷」にはプラスとマイナスがあり、プラスの電気とマイナスの電気は引き合う性質がある。そのプラスとマイナスが引き合う性質を利用して、「電気」という形のエネルギーを蓄積する部品。どのくらい電気を貯められるか、という指標がこの「静電容量」で、英語のキャパシタンスから(C)という記号で表し、真空の誘電率ε0に、平行平板の表面積Sを乗じて、平行平板の距離dで割った値として定義されている。臨床工学の学生には、どうしても覚えて欲しい式。これを教える時の僕の定番の例え話がこれ。

例えば、合コンというか「集団見合い」の場では、男と女が向かい合わせになる。この向かい合うテーブルの幅が広ければ広いほど、大勢の男女が参加できる。極板面積が広いという状態は、この合コンのテーブルの幅が広い、という状態に例えることができて、テーブルの幅に参加者の人数が比例するように、キャパシタンスは極板面積に比例する。
そして、男女間の距離。例えばどの程度の距離で向かい合う設定になっているか、その距離に参加者のテンションは反比例する。例えば、2メートルの距離よりも1メートルの距離の方が、テンションが2倍になって、その距離の設定が近ければ近いほど参加者が大勢集まりやすい、という説明をして、これがもし20メートルとか、30メートル、あるいは100メートルくらい離れていて、双眼鏡を使わないと見えないくらいの距離の合コン、集団お見合いだと、たぶん、誰も参加しないんじゃないかな、つまり距離が開くとコンデンサには電荷はほとんど溜まらない。という説明をする。近づける方の例え話にすると、危険な方向に話が行ってしまうので、「あくまでもこの例えは、静電容量、キャパシタンスの公式の説明だからね」ということで打ち切る。一歩間違えるとセクハラになり兼ねない危険な例え話だけれども、今の所、他にうまく当てはまって、学生も興味を持ってくれそうなネタを見つけていません。
品が無い、っちゃ品が無いけれども、僕の授業に品があるか無いかよりも、学生が静電容量の式を覚えてくれることが何よりも重要だから、このかなり際どい例え話を今年も使った。一応、「わかりやすかった」というリアクションがあったので、セーフだったかな、と思ってます。

なんでこんな話を持ち出したか。「師匠」の講演会の話題。「師匠の講演会」の「総論」は、「人間の実体は意識体」という一言だろうか。ただ、なぜ我々は生きている?何故、この世界ではこんなことが起きる?という「各論」レベルでは、師匠のお話は時々、とてつもなく難しくなる。何故難しいか、と言えば、私の授業では「静電容量の例え話だよ」と前置きしてから前述の合コン話を展開するのだけれども、師匠はこの「静電容量」の部分を伏せておいて、例え話だけ、前述の例で言えば合コンの話だけして、それが「静電容量」の例えだと理解させる、というような話の持ってき方をする。普通は、わからんでしょう。講演会で合コン(例え話の例えです)の話をした後、それでは皆さん、なんの話をしたのか考えてみて下さい、という流れになり、散々考えた挙句に、「今日のテーマは、静電容量(例え話の例えです)でした」みたいな種明かしがあって(無いこともある)、持ち帰って自分で考えましょう、みたいな感じになるから、答えが出ないままの話題も少なくない。ただ、「あ、これか」というのに気付いた時は、かなり楽しい。
逆に、これが何かの例え話という部分が理解できていないと、今日は料理のお話、今日は自動車ラリーのお話(かつて師匠はプロのレーシングドライバーだった)とか、一体なんの勉強会なのということになるかも知れない。実際に、その部分が理解できずに会を離れた方もいらっしゃる。なかなかわからないと思うけれども、わかった時は面白い。そうして自分で理解した内容を、いくつか前のページに書いた。

神についてのお話だと明示してお話をいただくこともあるから、他の人にこの勉強会の話をすると「宗教じゃねぇか」と言われたりもすることがある。ただ、「師匠の講演会」という言い方をしてはいるけれども、師匠のお話を聞きたい仲間が集まって、師匠に講演会をしていただいている、というのがこの勉強会だから、師匠は「教祖様」ではないし、なんなんだろ?(今更ながら・・・)やっぱり、師匠は師匠としか言いようがない。(いつ破門されるかと、ヒヤヒヤしながら書いてはいるんだが・・・)勝手に自分はチンドン屋だと思っているから、師匠のお話から自分で考えたり、実際に日常生活で試してみたりして、私なりの理解した内容をこうして書いているけれども、参加した方が何を思い浮かべるかは、たぶん、百人百通りなんだろうと思う。

長いこと(と言っても、まだ20年は経っていないんだな)教員をやっていると、同姓同名もいるし、顔立ちや雰囲気が酷似した学生に出会って、以前教えたことのある学生を思い出すこともある。ただ、同姓同名でも、どんなに顔が似ていても、他人は他人で、それぞれにそれぞれの個性がある。どうして人間には個性があるんでしょうね?なんていう話題の答えも、講演の中であった。

私自身が理解した「総論」の核心部分を、ようやっと書くことができた。(少し前のページ)30年来、「なんで俺、こんな生き方をしているんだろう」という答えも、見つけることができた。なんだかホッとした、というか、気が抜けたというか、安心したというか、もっと書いてしまえば、これでもう帰っちゃってもいいかななんていうことも思ったりした。いや、読む読まないは、このページを開いた人の勝手。聞く耳を持つ持たないも、その人の勝手。一切強制なんてない。(ただ、やってはならないことは、いくつかあると理解しているけど。)勉強会がそういうスタンスだから、僕も勝手に書きたいから書いているだけで、読み流してもらっても全然構わない。勉強を教えている学校と違って、こっちは「結果が出る出ない」にはほとんどこだわりはないので・・・学校の方は、一応は、全員に国家試験に合格して欲しいっていうことがあるから、何が何でも結果を出そうとは思うけれども。あえて「結果を出す」という言い方をするならば、他人に伝えることが目的ではなく、僕自身が肉体を抜ける前に、少しでも自分のエネルギーのキャパシタンスを増やすこと、かも知れない。

本当は、「もう帰ろうかな」なんて言ってる場合じゃないんだろうな。師匠の講演会、総論は総論として、各論レベルになると、とんでもないボリュームがある。今ちょっとみたら僕が参加してからだけでも600時間を超えていた。積み重ねっていうのは大きい。脳がなくなれば、「知識」は全て消える。ただ、体を動かして経験し、心を動かして悩み抜いて魂に落とし込んだ内容は、持って帰れる、と聞いている。その経験こそが肉体を持つ意味なんだと。経験をどれだけ蓄積できるかが、課題であるらしい、と自分は理解している。
それにしても、師匠が肉体を持たれている同じ時代に、今こうして肉体を持っている「偶然」なのか自分で決めてきた「必然」なのか、このチャンスを絶対にモノにして、少しでもスケールアップ出来たらとは思っている。みんなで一緒に大きくなりましょ、と思うからこうして書いているけれども、本当は直接師匠のお話を聞いていただくのが、一番確実なんですけどね。(他人のことはいいや。とにかく自分を大切に、ともおっしゃってるとも、私は理解している。)
ただ、なんとなく、師匠の「総論」を書いた後、エコーではないんだけれども、私なりの意識で「師匠のお言葉の到達範囲」を漠然と感じ取ろうと模索しつつ、漠然とではあるけれども、30年間もがき続けてきて、良かった、一つの節目に辿り着いたかな、という気がして、この連休もあって、少し呆けてしまった。

師匠の講演会は、「総論」よりも「各論」が本丸。機会があればその各論も書き続けたいけれども、他人に伝える前に、まず私自身が経験し、考え抜いて自分の中に落とし込まなければならない、とも理解している。自分で経験したり、落とし込んでいないのに、ただ「師匠のお話」として他人に伝えるのは「間違いの元だよ」とも聞いている。その「間違い」については、もう腹を括った。それでも、自分の中に落とし込んでから、話題として持ち出すためには、講演会以外の日常でも考え続けて答えを出さなきゃならない訳で、そうそう話題に持ち出せるかどうかはわからない。一旦区切りをつけたのだから、今後は「開発者モードのブログ」ということで、徐々にクーリング・ダウンして、地に足をつけて行かなきゃ、という気持ちの方が大きいかな。

いや、本当にもう、呆けちゃって・・・ここで気を抜くと、「テメェ、言ってることとやってることが違うじゃねぇか」みたいな欲ボケをやりかねない自分を自覚しているもんだから、ほうけるのもほどほどにしておかないと・・・

それにしても、連休っていいですよね。なんだかすごく、無重力感。

GIMPの初回起動

Mac OS Xに更新がかかった。今、10.13.4。

そうしたら、GIMPが応答しない。何回起動しても、途中で止まって、全然応答しない。右クリックすると、「アプリケーションが応答しません」となっている。え?

何回か「強制終了」して再起動。結局同じ。再インストールしようと、ダウンロード。3秒ほどでダウンロード完了。再インストール。結局1分待っても起動しないから、「強制終了」

使っているGIMPは2.8.16で、最新版は2.8.22。更新しようかなと、ダウンロードを始めたら、これがもう、恐ろしく遅い。50KB/sで、残り22分とか15分とか・・・。最新版を取りに行く人が多くて、サーバ側がビジー状態なんだろうなぁ。落とせるだけで、OKとしようか、と思っていたら・・・

何度目かの再起動で、強制終了もせずに放置していたGIMPが、3分ほどしてから画面が開いた。おぉ、生きていたか!

ネットで検索、と。どうやら初回起動と同じ動作になったみたいで・・・。OSが更新されると、何かとこれがあるみたい。こうしてWEBページ更新してるのに、GIMP2.8.22はまだダウンロードをやってる。ダウンロードが終わった頃には、GIMPでの画像変換は終わっていそう。そして、ダウンロードしたことも忘れて、次に行っていそう。だんだんせっかちになってる。

訂正しきれない訂正

恐ろしいことに気づいてしまった。私ごとながら。

30年ほど前、おそらく1988年頃に盗聴と盗撮が始まった。予知めいたことをわざと口にする。それで興味を惹きつける。なぜか、それが的中することがある。あの頃の私は、おそらく30年後の今を予感していたのかも知れない。目的は「師匠の言葉を世界に伝えること」だと、わかっていたのかも知れない。

人間っていうのは面白い生き物で、「ねぇねぇ、聞いて聞いて、見て見て」なんて言ったって、なかなか聞いても見てももらえないのに、「聞かないで、見ないで」って言われたことは、やたらと聞きたがるし見たがる。そうした意味では、盗聴・盗撮されることから始めたのは、正解だったんだろうと思う。ただねぇ・・・一応は、年頃(まだ30才前後)のオッさんが健康な肉体を持っていれば、Nack5のゴゴモンズで言うところの「大人の映像作品を鑑賞」しながら、○×を△□して・・・なんていうのも我慢できずにやってて、それも全世界に流れていたかも知れない、なんてことを考えてしまうと、ちょっと気が狂いそうな日常だった。その上で、何を言われても無反応で、普通に人間関係を維持すべく応対していた訳で、師匠と知り合う前にはメンタル的に完全に潰れていた気がする。それでも、「今につなげる」ために、ただひたすら、意味があると思う内容も口走り続け、その後は書き続けて来た。それで、せっかく勝ち取った「世界に言葉を届けるポジション」を、維持し続けて来た。(めちゃくちゃだな。体当たり芸人並みか。)

小池都知事が、豊洲に建設する集客施設の事業者に、会いに行ったらしい。そのテレビのニュースで、「今朝、仏壇に手を合わせましたら、父が、直接会ってこいと言っていたような気がしたものですから」とおっしゃっていた。それを聞いた瞬間、冒頭にも書いた「恐ろしいこと」を思い出した。

小池都知事のお話、あり得るとは思う。普通の人だって、死んだ肉親からの意識は、受け取れても全然おかしくない。(お会いしたのはいいにしても、絶対に自分が正しいと言う意識は見直された方がいいのではないかな、と言う気もするが。あまり、他人のことは言えないけれども。強気で押し通すことが必要な場面も確かにある。ただ、それだけでは他人は説得できない。相手に合わせて、自分を変えることも必要じゃないかな、と。)

話を戻して、言葉を発するのにWEBを使うようになった1998年頃だろうか、あの頃の僕のブログは「閑話放題」と言うページで、通し番号で1000編を超えるページを書いていた。20年前には、かなり明確に「霊体の世界」の話題を書かなきゃいけないと言う使命感みたいなものもあって、書いてしまったページの内容に、おそらくは、こんな記述があると思う。「お墓とか仏壇とかは、霊界と繋がっているアンテナみたいなものかも知れない」これが大きな間違い。師匠の講演会を500時間以上聞き続けて、一つ一つの内容の整合性をプログラマの流儀で緻密に考えながら、今ではかなり「霊界」の仕掛けが理解できていると思う。総論だけでは描き切れない、500時間以上の各論の積み重ねで、ようやっと理解しつつあるのかも。それでわかった。強い意識で念じれば、別にお墓や仏壇の前でなくても、その意識は(相手が聞く耳を持っている限り、あるいは、相手が、生きている自分を心配したりしている限り)届いている。どこにいても。
さらに言うならば、神がいかなる存在か理解した上で神に祈るならば、閉じ込められた地中深くだろうが、海の中だろうが、電車の中、トイレの中、自分の家の居間のソファ、あらゆる場所から、その意識は届く。そういうものだと理解する。送る意識に「宛名」がなければ、届かない気もするが。ってか、宛名を知らない=神の存在をイメージできない、ならば無理かも。

師匠と知り合ったのは、2003年。その後一旦僕はWEBに「意識体の世界」について書くことをやめた。見極めたかったから。見極めるのに15年かかってしまったことになるんだろうか。そして今、思い返すと、師匠と知り合う以前に書いた「閑話放題」には、かなりの間違いがあると、気づいてしまった。それが冒頭に書いた「恐ろしい間違い」です。

霊道が開いていない私ごときが、本来霊道が開いて初めて書ける内容を言葉にして、それが間違っていたなら、とてつもなく重い罪になる。ただ、今肉体を持たれている師匠の言葉を、今世界に伝えなければ、僕自身が今回肉体を持ったこと自体が無意味になる気がした。このジレンマに、何年間も迷っていた。この機会を逃さないべきか、自分を守るべきか、いまでも迷っているけれど、この程度の危機感で、今は書いているけれども、20年前も全く霊道が開いていない状態で「言葉を伝えるポジション」をキープしたいがために、「今現在、広く知られている宗教の内容」から判断する、と言う、とてつもないミスをやらかしてしまった、と、気づいてしまった。
全部、訂正したい。今は、師匠の霊道が開かれているから、「師匠の受け売り」を書いている限りその内容の方が正しい。20年前頃から私が「閑話放題」に書いた内容は、特に意識体に関する部分は全部破棄したい。個別に訂正できるボリュームじゃない気もする。

師匠は、地方での講演会に関東圏から参加する会員の旅費の一部とか、師匠の自腹で負担されている。その原資は「ロト6」だ、っていうことがあって、まずちょっと、真似ができない。あれなら、広く浅く、誰にも迷惑はかけていないと思う。腹立たしいことに、(なんて言ったら(いいです、怒られても)問題あるけれども、)1等の数億円を狙うんじゃなく、毎回毎回、必要とする分だけを当てるように買って、微妙に数百万円の当選金で、ご自身の言葉を直接全国で伝えるための活動の資金にされてる。なんなんだ、あの人は、とも思うけれども。師匠を見てしまうと、信者から金を集める宗教指導者なんて、金を集める行為自体が偽物の証明だとしか、思えなくなってくる。僕が以前、「あの人は桁が違う」と書いた根拠の一つは、これ。さらに言えば、ちょっと離れた場所のタバコの箱を瞬間移動で取り寄せるように、その気があるなら、日銀の倉庫から現金を瞬間移動して手元に取り寄せるくらいのことはできるだろうし、(会員の落し物が瞬間移動で戻ってきた、なんて話は、うんざりするくらい経験談を聞くけれど)流石に日銀にはちょっかい出していない、とは思うんだが。あんな真似は、ちょっとできね。心酔してるんじゃなく、畏敬してる。手段はともあれ、目的がブレてもいないし。僕もそうありたい。

話が逸れた。一度でも書いた内容が案外どこかに残っちゃったりするのが、WEBの世界で、この20年前から今に至るまでの間に亡くなられた方が、万が一僕の書いた内容を信じて、その結果として迷ってしまっていたなら、それは僕自身の責任になる。20年前に僕が書いた内容が原因で迷われた方がいらっしゃる限り、僕は上には戻れない。それがこの世界の「掟」だと理解している。やっちまった。霊体に関する話題を口にする、あるいはそれを教えめいて書いてしまう、その結果、普通の方でも何気なく犯してしまう最大級のミスを、僕もやっていた。「他人を惑わしてはならない。」さすがに、20年前は「誤った神の思いを伝えてはならない。」の方には抵触していない、と思うんだが。

腹をくくってはいるし、怖いけれども・・・それでも、師匠の言葉を世界に伝えたい。それだけは続けたい。いずれ過去20年程度の間に僕の書いた内容が原因で迷ってしまった方々への責任は、無論取ります。

やっちまったけれども、もういい。やっちまった、は、ピーナッツ。以上。