GIMPの初回起動

Mac OS Xに更新がかかった。今、10.13.4。

そうしたら、GIMPが応答しない。何回起動しても、途中で止まって、全然応答しない。右クリックすると、「アプリケーションが応答しません」となっている。え?

何回か「強制終了」して再起動。結局同じ。再インストールしようと、ダウンロード。3秒ほどでダウンロード完了。再インストール。結局1分待っても起動しないから、「強制終了」

使っているGIMPは2.8.16で、最新版は2.8.22。更新しようかなと、ダウンロードを始めたら、これがもう、恐ろしく遅い。50KB/sで、残り22分とか15分とか・・・。最新版を取りに行く人が多くて、サーバ側がビジー状態なんだろうなぁ。落とせるだけで、OKとしようか、と思っていたら・・・

何度目かの再起動で、強制終了もせずに放置していたGIMPが、3分ほどしてから画面が開いた。おぉ、生きていたか!

ネットで検索、と。どうやら初回起動と同じ動作になったみたいで・・・。OSが更新されると、何かとこれがあるみたい。こうしてWEBページ更新してるのに、GIMP2.8.22はまだダウンロードをやってる。ダウンロードが終わった頃には、GIMPでの画像変換は終わっていそう。そして、ダウンロードしたことも忘れて、次に行っていそう。だんだんせっかちになってる。

訂正しきれない訂正

恐ろしいことに気づいてしまった。私ごとながら。

30年ほど前、おそらく1988年頃に盗聴と盗撮が始まった。予知めいたことをわざと口にする。それで興味を惹きつける。なぜか、それが的中することがある。あの頃の私は、おそらく30年後の今を予感していたのかも知れない。目的は「師匠の言葉を世界に伝えること」だと、わかっていたのかも知れない。

人間っていうのは面白い生き物で、「ねぇねぇ、聞いて聞いて、見て見て」なんて言ったって、なかなか聞いても見てももらえないのに、「聞かないで、見ないで」って言われたことは、やたらと聞きたがるし見たがる。そうした意味では、盗聴・盗撮されることから始めたのは、正解だったんだろうと思う。ただねぇ・・・一応は、年頃(まだ30才前後)のオッさんが健康な肉体を持っていれば、Nack5のゴゴモンズで言うところの「大人の映像作品を鑑賞」しながら、○×を△□して・・・なんていうのも我慢できずにやってて、それも全世界に流れていたかも知れない、なんてことを考えてしまうと、ちょっと気が狂いそうな日常だった。その上で、何を言われても無反応で、普通に人間関係を維持すべく応対していた訳で、師匠と知り合う前にはメンタル的に完全に潰れていた気がする。それでも、「今につなげる」ために、ただひたすら、意味があると思う内容も口走り続け、その後は書き続けて来た。それで、せっかく勝ち取った「世界に言葉を届けるポジション」を、維持し続けて来た。(めちゃくちゃだな。体当たり芸人並みか。)

小池都知事が、豊洲に建設する集客施設の事業者に、会いに行ったらしい。そのテレビのニュースで、「今朝、仏壇に手を合わせましたら、父が、直接会ってこいと言っていたような気がしたものですから」とおっしゃっていた。それを聞いた瞬間、冒頭にも書いた「恐ろしいこと」を思い出した。

小池都知事のお話、あり得るとは思う。普通の人だって、死んだ肉親からの意識は、受け取れても全然おかしくない。(お会いしたのはいいにしても、絶対に自分が正しいと言う意識は見直された方がいいのではないかな、と言う気もするが。あまり、他人のことは言えないけれども。強気で押し通すことが必要な場面も確かにある。ただ、それだけでは他人は説得できない。相手に合わせて、自分を変えることも必要じゃないかな、と。)

話を戻して、言葉を発するのにWEBを使うようになった1998年頃だろうか、あの頃の僕のブログは「閑話放題」と言うページで、通し番号で1000編を超えるページを書いていた。20年前には、かなり明確に「霊体の世界」の話題を書かなきゃいけないと言う使命感みたいなものもあって、書いてしまったページの内容に、おそらくは、こんな記述があると思う。「お墓とか仏壇とかは、霊界と繋がっているアンテナみたいなものかも知れない」これが大きな間違い。師匠の講演会を500時間以上聞き続けて、一つ一つの内容の整合性をプログラマの流儀で緻密に考えながら、今ではかなり「霊界」の仕掛けが理解できていると思う。総論だけでは描き切れない、500時間以上の各論の積み重ねで、ようやっと理解しつつあるのかも。それでわかった。強い意識で念じれば、別にお墓や仏壇の前でなくても、その意識は(相手が聞く耳を持っている限り、あるいは、相手が、生きている自分を心配したりしている限り)届いている。どこにいても。
さらに言うならば、神がいかなる存在か理解した上で神に祈るならば、閉じ込められた地中深くだろうが、海の中だろうが、電車の中、トイレの中、自分の家の居間のソファ、あらゆる場所から、その意識は届く。そういうものだと理解する。送る意識に「宛名」がなければ、届かない気もするが。ってか、宛名を知らない=神の存在をイメージできない、ならば無理かも。

師匠と知り合ったのは、2003年。その後一旦僕はWEBに「意識体の世界」について書くことをやめた。見極めたかったから。見極めるのに15年かかってしまったことになるんだろうか。そして今、思い返すと、師匠と知り合う以前に書いた「閑話放題」には、かなりの間違いがあると、気づいてしまった。それが冒頭に書いた「恐ろしい間違い」です。

霊道が開いていない私ごときが、本来霊道が開いて初めて書ける内容を言葉にして、それが間違っていたなら、とてつもなく重い罪になる。ただ、今肉体を持たれている師匠の言葉を、今世界に伝えなければ、僕自身が今回肉体を持ったこと自体が無意味になる気がした。このジレンマに、何年間も迷っていた。この機会を逃さないべきか、自分を守るべきか、いまでも迷っているけれど、この程度の危機感で、今は書いているけれども、20年前も全く霊道が開いていない状態で「言葉を伝えるポジション」をキープしたいがために、「今現在、広く知られている宗教の内容」から判断する、と言う、とてつもないミスをやらかしてしまった、と、気づいてしまった。
全部、訂正したい。今は、師匠の霊道が開かれているから、「師匠の受け売り」を書いている限りその内容の方が正しい。20年前頃から私が「閑話放題」に書いた内容は、特に意識体に関する部分は全部破棄したい。個別に訂正できるボリュームじゃない気もする。

師匠は、地方での講演会に関東圏から参加する会員の旅費の一部とか、師匠の自腹で負担されている。その原資は「ロト6」だ、っていうことがあって、まずちょっと、真似ができない。あれなら、広く浅く、誰にも迷惑はかけていないと思う。腹立たしいことに、(なんて言ったら(いいです、怒られても)問題あるけれども、)1等の数億円を狙うんじゃなく、毎回毎回、必要とする分だけを当てるように買って、微妙に数百万円の当選金で、ご自身の言葉を直接全国で伝えるための活動の資金にされてる。なんなんだ、あの人は、とも思うけれども。師匠を見てしまうと、信者から金を集める宗教指導者なんて、金を集める行為自体が偽物の証明だとしか、思えなくなってくる。僕が以前、「あの人は桁が違う」と書いた根拠の一つは、これ。さらに言えば、ちょっと離れた場所のタバコの箱を瞬間移動で取り寄せるように、その気があるなら、日銀の倉庫から現金を瞬間移動して手元に取り寄せるくらいのことはできるだろうし、(会員の落し物が瞬間移動で戻ってきた、なんて話は、うんざりするくらい経験談を聞くけれど)流石に日銀にはちょっかい出していない、とは思うんだが。あんな真似は、ちょっとできね。心酔してるんじゃなく、畏敬してる。手段はともあれ、目的がブレてもいないし。僕もそうありたい。

話が逸れた。一度でも書いた内容が案外どこかに残っちゃったりするのが、WEBの世界で、この20年前から今に至るまでの間に亡くなられた方が、万が一僕の書いた内容を信じて、その結果として迷ってしまっていたなら、それは僕自身の責任になる。20年前に僕が書いた内容が原因で迷われた方がいらっしゃる限り、僕は上には戻れない。それがこの世界の「掟」だと理解している。やっちまった。霊体に関する話題を口にする、あるいはそれを教えめいて書いてしまう、その結果、普通の方でも何気なく犯してしまう最大級のミスを、僕もやっていた。「他人を惑わしてはならない。」さすがに、20年前は「誤った神の思いを伝えてはならない。」の方には抵触していない、と思うんだが。

腹をくくってはいるし、怖いけれども・・・それでも、師匠の言葉を世界に伝えたい。それだけは続けたい。いずれ過去20年程度の間に僕の書いた内容が原因で迷ってしまった方々への責任は、無論取ります。

やっちまったけれども、もういい。やっちまった、は、ピーナッツ。以上。