Contents Control

NHKラジオ番組で、フェイクニュース対策の話題を扱っていた。
Fact Checkをどう行うか。「正解」は出ていないものの、インターネットが世界的な技術として成熟する過程で、避けては通れない課題なんだろうと思う。

思えば自分は、「インターネット」の草創期から、まずはEthernet/Gateway、OSIなどを通じて関与することができた。世界が大きく動く現場を生きることが出来たのは、得難い体験だったと思う。

同時に、「主記憶2キロビットのミニコンピュータ」だとか、スーパーミニコンのVAX 11だとかを使う機会があり、コンピュータ技術がまだ、芽を出したばかりの頃から同時進行でビジネスに関与することが出来た。ここでも「世界が変わる」状況を、リアルタイムで経験できた。一生を通じて、目立った変化などない時代も、かつては多かったのに、これだけ一気に世界が小さくなる時代に生きることができたのは、やはり「幸運」だとしか思えない。

いつの頃からか、「いつか、僕自身がサポートするべき人に出会って、その人の存在や言葉を、全世界に発信する時が来る」みたいな漠然とした予感は持ち続けて、結局そこから離れることが出来ずに、ビジネスとか人生の選択肢を選んで来た。直感による選択だったと思う。

馬鹿だよな、と思う。出会うかどうかわからない「師匠」を思い浮かべ、できるかどうかわからない「世界への発信」なんて大それたことを考えるなんて。「師匠」のことなんか一切考えずに、インターネットやコンピュータにどっぷりと浸かり、ビジネスを展開していたなら、もしかしたらそれなりのIT起業家になって、今よりもよほど「恵まれた人生」を生きられたかもしれなかったのに。(本気でそう思っているかは、あえてコメントしません。)

話を戻して、インターネットもコンピュータも、起承転結の「起」がようやっと終わって、「承」に差し掛かった程度なんだろうか。

防衛省だったか、ようやっと「サイバー防衛」に本腰を入れたらしい。国立の研究機関なんかも含めて、あらゆる研究機関の総力を上げなかったら、防衛なんか出来ないと思う。数千万人のIT技術のプロ、そのうちもしかしたら何十万人という単位の「悪意を持った攻撃者」が世界にはいるかもしれない。ちょっとした「標的型メール」配信なんかも含めたら、たぶんそういう数字になると思う。対応が遅すぎる。

変化を先取りする、ということならば、Fact CheckなどのContents Controlの技術が欠かせなくなるだろうと思う。Fakeニュースを信じる人がいる。デマが拡散する。そのデマの拡散過程で、悪意のない記事が断片的に切り貼りされて、悪意のある使われ方をされてしまう場合がある。何の過誤もないのに「加害者」になってしまうリスクがある。ネット「いじめ」で炎上する。
これら、悪質なFakeや、悪意のある誹謗中傷、あるいはリベンジポルノのようなプライベート情報のリーク、などなど、Controlし、排除すべき「情報」をどう扱うか、「サイバー防衛」と同じくらい重要だという気がする。

Contents Controlという考え方は、諸刃の剣だとも思う。例えば、某国政府のように、特定のキーワードを検索できないようにする、という使い方は、社会の成熟には有害だと思える。「表現の自由」は重視されなければならないにしても、Fakeニュースの拡散や、誹謗中傷などは「犯罪行為」だという認識を持つ必要があるような気がする。「犯罪行為を行う自由」は、ありえないと思うのに、「表現の自由」がFakeニュースの拡散による「悪影響」より優先されるという理屈が、私にはよくわからない。議論は成熟しているんだろうか。

子供の「いじめ」という表現。「いじめ」という表現が軽すぎるから、本格的な対応が出来ない。少なくとも、サイバー空間での「いじめ」の対策が取れるように、「裏掲示板」監視オンブズマンのようなNPO組織の活動も、必要かも知れない。

コンピュータ技術やAI技術は、これは純粋にテクノロジーの問題。ただ、インターネットに関しては、Contentsをどう「管理」すべきか、少しでも早く取り組まないと手遅れになるような気もする。社会科学系の話題として、対応を考えるべきじゃないだろうか。

余談ながら、公的機関が「一次情報」として良質な行政情報を(即時公開できるものは、可能な限り即時で)公開する、という慣行が定着しなければ、Fact Checkもスムーズに進まず、Fakeが横行するような「世界の混乱」は避けられない、とも思えた。