子供の心の闇って

ニュース配信に反応。(反応しすぎ!)
拳銃が奪われ、学校が襲われた事件で、新たに襲撃を予告するネット書き込みがあって、授業再開が見送られたらしい。書き込まれたのは、企業のサイトだそうだ。

SEの立場で言えば、一般的に企業のサイトでは「発言者」を特定するメカニズムを持たない掲示板があるんだろうけれども、IPアドレスを保存してあれば「発言者」の特定につながるケースもある。「社会的な責任」として、書き込み元IPの保存などの仕掛けは、持つように設計すべきなんだろうな。自社への犯行予告などに対処するという意味でも。本当に嫌な世の中だ。

書き込んだ「彼」(「彼女」ではなく、「彼」だという気がするが)の気持ち、こういうのも、何となく「理解」できるような気はする。だいたい僕は、共感しすぎるのかも知れない。いいのか悪いのかわからないけれども、その学校に対する逆恨みなのか、「学校というもの」への逆恨みなのか。誰かを恨むことで自分を支えようとする、そうした時期は、間違いなく僕にもあった。

子供の頃から抱えている「心の闇」なんていうものは、大人になれば解決するかって言えば、全然解決なんかしない。そんな気がする。僕自身は、行きがかり上自分の恥部さえもほとんど全部曝け出している気がするけれども、いきなり「心の闇」ができる訳じゃなくて、必ず何らかのきっかけや、原因はあるものだと理解する。

よく言われる、交通事故を起こしやすい年齢は二十代前半で、後半になると「事故率」が低下するらしい。最近は、高齢者が加わっているらしいが。三十代に近づくと、徐々に客観視の能力が高まってくるんだろうか。自分の「心の闇」が自分だけのものではなく、割と誰にでもある「恥部」だということにも気づいて来る。

そうした「共感」から、「じゃぁ、一緒に犯罪を犯そう」という方向に向かうのか、「一緒に、自分たちの心の闇に立ち向かおう」という方向に向かうのか、結果は全然違って来る。という話題が通じるのは、ある程度「客観視」が出来るようになった人で、渦中にあって、もがき苦しんで、引きこもって社会と途絶している人たちには、なかなか通じないような気もする。

子供の頃、学校で受けたイジメや、辛い経験、あるいは親から受けた傷、とかを、どう消化していったらいいのか。僕などは、それらすべてを「経験」として、「感謝」に切り換えようと、「経験」として活かそうと考えるようにしているけれど、それだって、辛い真っ最中の子供たちには、言葉としてだって、たぶん、届かない。いきなりそんなことを言われたら、たぶん「無理だ!」って思うだろうな。

届かないとは思うけれども、やはり、思う。必死で考え抜いて、「自分にできること」に何があるか、何かができれば、他人はその「何か」で自分を必要としてくれる。自分を必要としてくれる「誰か」を見つけることができれば、ポジティブに、堂々と社会を生きることができるチャンスにもなるんじゃないか、という気がする。

きっと、NPOとか、そうした「心の痛み」を分かち合う場所とか、機会も、ネットなどで見つけることができるような気がする。「闇サイト」とか「暗い方」にばかり目を向けないで、上を向くきっかけになる何かを、探して欲しいと思う。

僕自身も、相当にドロドロした「心の闇」は書き出しています。僕のサイトのバックナンバーも、凄まじいページがあるとは思う。実は、可能な限り、最後はギャグにして、笑いにして落としたいんだけれども、なかなか心に余裕がなくて、笑いに落としきれていない。全然、笑いに落とせなくて、ドロドロのまま終わったページもあるけれども・・・

辛い思いとか、ひどい思いとか、色々あっても、世の中もっと悲惨な状況に置かれたりして「恐れ入りました」みたいな人はすごく多い。もっと、子供の頃から、そういう人たちの話を聞く機会を持つことも、「心の振れ幅」の「動作マージン」を広げるのには、役に立ったりするのかもね。わからんが。

こんな、ニュースを聞くたびに、いちいち心を動かしているようでは、未熟だなぁ・・・
ごめんなさいね。未熟は未熟なり、半熟の温泉卵として、死ぬまで美味しく召し上がっていただければ、とは思うことにしておきます。