一区間ずつ・・・

東武東上線、変電所?のトラブルで、不通。
小川町は田舎だけれども、実は二路線が通っている。八高線で高麗川まで迂回。さてと、高麗川から先はどうしようか。高麗川についてから、様子をみて考える。

桂歌丸師匠が、お亡くなりになった。
COPDだったら原因はタバコでしょうね。これで原因がタバコじゃない、なんて強弁したら、いかに職種がエンジニアとは言え、もう医療関係とは仕事できないでしょうね。
ただ、歌丸師匠の場合には、ご本人が喫煙者だったはずだから、誰か他人を責めるということはないはずだけれども。

たぶん僕も、走れなくなったら、タバコをやめるだろうな。一ヶ月に1回程度でも、鈍足、超低速のジョギングでも、1時間とか2時間とか走ると、その後で、呼吸がすごく楽になる。気のせいかもしれないけれども、肺の奥まで空気が入る感じがする。低速ジョギングが出来ないでいると、閉塞性換気障害のような感じがだんだんひどくなって来る。最低でも一ヶ月に1回は走りに出たいんだけれども、野暮用も含めた日程の都合とか、雨だとかなんだとかで、走りに出られないと、COPDっぽくはなって来る。逆に、月に2回も走りに出られれば、確かに走っている途中、肺の奥の方からどんどん痰とかが出てきて、むせたりなんかもするけれども、走り終わってみれば、深呼吸が清々しい感じで、最高のリフレッシュにはなる。我流の健康管理。
逆に、走ることが欠かせなくなった、ってことは、それだけ汚れに対する「動作マージン」が小さくなっているんでしょうね。ってことは、さらに走れなくなった時は、年貢の納め時かも知れない。

それ以上に、思った。歌丸師匠、亡くなるちょっと前まで、高座に上がっていたっていうのは、すごい。
たぶん、僕は胃瘻などの、あらゆる延命治療を拒否します。もう肉体としての自力で生きられなくなったら、「引き上げ時」だと思う。できることなら、死ぬ直前まで仕事をしていたい。
歌丸師匠、散々「死に損ない」とかいじられながら、お見事でした。ちょっと、響くものがあった。

じゃぁ、何をやるはずだったんだ?何が僕の「生き甲斐」になるはずだったんだ?ほんのちょっとのことでも、何かがあると顔を出す、この僕の積年の「疑問」。

予定外、想定外の生き方をしているんだろうか。なんて思うこともある。目的地を目指して、当初の想定がコケて、仕方なく迂回ルートを模索しながら、それでも「迂回方法」があるなら迂回して、行けるところまでは行く。行けるところまで行ってから、次の選択肢を考える。

いや、案外僕自身が誰かの「迂回路」だったりして。誰かの「迂回路」。本命じゃないけど、目的地に到達するために、遠回りにはなるけれども使えるってな「迂回路」。いや、それでもいいけど・・・

師匠の講演会を聞いていて、考えたことはと言えば、「迂回路」も何も、生きているそのプロセスそのものが、生きている目的そのもの。肉体を抜けてから、次の「肉体を持つ」計画を立てる段階を考えてみれば、すぐにわかるかも知れない。「事を為す」のは、目的ではあるかも知れないけれども、その「事を為す」プロセスを経験することこそが、次への経験として役に立つ「目的」そのものなんだろう、と、講演を聞いて、頭じゃわかってるけど・・・

ふだん見ない景色、ちょっと新鮮かも。八高線の車窓の、見渡す限りの緑とか、雑然として、全然整理されていない、見るからに「家庭菜園」的な畑だとか、癒されるわ〜。
予期しない「迂回」も、前に進むための貴重な一区間。つなげていけば、きっと目的地にはたどり着く。いいんでないかい。(医院で内科医?違うってば・・・)

さすがにね、電車が止まっての「迂回」では、「目的地」はちゃんとありますから。
Navitimeの出番かも。

すごいね、東武の定期があるからふだんは朝霞台経由なのが、八高線・拝島経由だと、普段の経路よりも迂回路の方が、時間が短いことが判明。八高線もね、本数があれば東京都西部に出るには「最短」なのは間違いない。(JRは料金高いけど・・・)

見慣れない東飯能から先の景色。ここから先は、景色を楽しむ。