今、生きているということ

今日の非常勤の授業は午後から。テレビを見ていたら、ニューステロップ。
オウムの死刑囚7人に、死刑執行。
自分は思う。誰かの命を奪う権利は、誰にもない。無論松本智津夫にもないはずだけれど。
そして、他人のことは他人のこと。
でもなぁ、何て言うんだろうか、復讐心。相手に報復して溜飲を下げる。遺族の心情か。その気持ちも理解できてしまう。いいことなんだか、よくないことなんだか。理解はできても、自分の中ではそれを否定しなきゃいけない、なんてことも考える。何か「答え」を出そうとしても、自分の中で「腑に落ちて」いないことがらが多すぎる。

自分は一体、何のために生きているんだろうか。
なんてことを、全く考えずに生きていけられる、羨ましい人たちがすごく多い。僕はダメだった。十代の半ば、中学校の後半あたりから今に至るまで、絶え間なくこの疑問が頭をもたげる。
育ち方の違いだと思うな。この違いをお互いが理解し合うのは、不可能かも知れない。

何のために生きているんだろうか、なんてことを全く考えない方々は、いずれ、胃瘻をして、点滴チューブに繋がれ、大勢の人の介護の世話を受けながら、ただひたすら、生きるだけのために生き続ける。そういう選択肢を当たり前のように選べる恵まれた方々だ。僕には無理だし、理解できない。でも、違うから、わかり合えないのは仕方ない。

「つまらんことを考えてないで、さっさとプログラムを書け」
という、ありがたい助言をくれる自分も育ってくれて、まぁ、よかった。ようやっとこの歳になって・・・だが。でも、「つまらんこと」なのか?なんてツッコミは無用。言い方を変えよう。
今やるべきことの「優先順位」をしっかりと考えよ、と。これならいいでしょ>>自分。

この辺の切り替えをするのに、タバコという得難いパートナーが、頼れなくなりそうで、さてと、どうする。黙って固まるか。それとも、その都度パフェでも食うか?プリン・ア・ラ・モード・スペシャル・ローリング・サンダーとかね。

何のために生きてる?パフェを食うため。いいなぁ、この答え。銀魂パクリました。

電車の中。この辺は乗客も少ない。仕事をするには絶好の場所、でもあるけれど、景色を見ながら意識があっち行き、こっち行き。「アイデアの三上」の一つ、馬上か。今日は、ロジックには集中しがたい。そういう時は、テストスクリプトの単純作業。切り替えが大事。

それにしても、お前、重たいぞ。面倒臭い奴だな。自分 >> そうだよな、重いよなぁ。

最近、リバウンドしているもんで。

あ、表題も谷川俊太郎さんの詩集のタイトルのパクリです。

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