SIDS/オンディーヌの呪いじゃないのか!

入園直後の乳児 昼寝時も緊張状態 「突然死」との関係調査へ
このニュース。

聞いた後、あれこれ検索していたら、こんなページを見つけた。
乳幼児突然死症候群は、原因不明の病気ではない

乳幼児の突然死は、いわゆるオンディーヌの呪い症候群で、呼吸停止から心停止に至ると、漠然と思っていた。
というよりも、きちんと調べたことはなかった。
緊張状態 → 心拍数 90 で、きちんと勉強していないのでよくわからないけれども、乳幼児はまだ成人に比べて、中枢神経系の制御も未成熟、冠動脈も未発達、かな、と仮定すると、新生児にとってのHR=90は、成人にとってのHR=150にも匹敵するんじゃないだろうか。だとすると、SIDSは、もしかしたら、中学生や高校生が、部活の激しい運動で心臓発作を起こすのと原因が似ていて、心筋の機能不全が主因か、と思えた。

そうなると、気になるのは「発汗」についての記述で、暑いからかく汗と、緊張状態でかく汗とは、成分が違うはず、だと私は理解している。もしかして、心筋の再分極過程における、ナトカリポンプの、電解質の回復が追いつかず、ナトリウムが失われてカリウム過多になるとか、その辺が絡んだりするのかもしれないと、ふと思った。

成人の心臓発作。機器を開発したいという話があった、ゴルフ場での突然死。主には賭けゴルフなどで、パットを外せば何万円だかなんだか、そんな緊張状態で亡くなる人が年間何百人だかいらっしゃるらしい。ここでも、「緊張状態でかく汗」がからむ。極度の緊張状態からのHR上昇も、想像される。

僕の学位論文。「運動負荷」と心拍応答から、心臓発作を予知する、というものだった。日常動作を解析して、そこから心臓への負荷を測定し、というデータをとるのに、一人分のデバイスが当時100万円。株式会社ジーエムエスの林さんから借りて論文に仕上げた。20年前。もっとデータを取るために、稼がねば、と思っていたけど、当時は盗聴とか盗撮とか、かなりメンタル的には壊れかけていて、ある意味仕事どころじゃなかった。

学位論文の元ファイルを開こうとしたら、当時のWORDのバージョンが古すぎて、ファイルが開けない。かろうじて見つけたのが、このファイル。20年前でも、拡張子BMPは大丈夫だった。拡張子DOCは、全滅。(なんとかして、変換、再生せねば。)

あまり認識制度が良くないけれども、椅子に座る動作で「座」、椅子から立ち上がる動作で「立」、歩くと画面に「歩」「歩」「歩」と表示される。階段を上がると「昇」だし、下りれば「降」。これを仕上げて、万人の動作を認識できるものにしたかったけれども、今ならAIを使うとうまくいくかもしれない。(もっといいデータがあったんだけどなぁ・・・でも、このファイルが当時の平均的な認識精度だった。チャンピオンデータは、学会論文には向くけれども、製品開発では「お飾り」でしかない。)

これだけじゃ不十分だと思ってはいた。今日、決め手は、もしかしたら、血中の電解質濃度だと思った。経皮的にISFETか何かで汗か、または血中のナトリウム、カリウムの濃度をモニターし、そこに体温や、HRを同時計測する。最初のうちは、HRのモニターから、心停止を起こしてからの緊急通報が精一杯かも知れないけれども、データが集まったら、AIで心停止を起こす前に、アラートを流せる。いわゆる「突然死」の原因が心臓発作なら、これで9割くらいは検知できるんじゃないか、っていう気がしてきた。すごく、そんな気がしている。

医療の現場なら、データを取るのは簡単だろうと思う。デバイスメーカーにとっては、どれも全然難しい計測技術じゃない。できることなら自分でやりたいけど、僕は身動き取れない。100万だって動かせない。誰か、ぜひやって欲しい。(いや、一応は自分でやる努力はした。ところが、科研費の申請を出すための倫理基準で「兼業届」を出したら、大学から「自分で事業をしながら科研費を申請するなんて、悪いことをするに決まってる」とか言われてしまって、馬鹿らしくなって大学をやめた。そういう人材が集まってる、文科省の役人の話だろう、と今でも言いたい。一緒にしないでくれ、とは思ったけれども、権力がなければどうしようもない。そうかと言って、コツコツと稼ぐには時間がかかりすぎる。
こうやって、元ネタ(元アイディア)は全部披露したから、ぜひ、どなたかに実現して欲しい。

稼ぎ頭の壮年の方も、乳幼児も、突然の心停止で亡くなる、なんてことは、是非、なくすようなデバイスを、誰か作って下さい。僕自身は動けないけれども、本気で聞いてくれたなら、研究計画も、デバイスの構成図も、無償で提供します。っていうか、この発想を理解して乗ってくれる人なら、たぶん、研究計画もデバイスの構成図も、このページの内容だけで作れると思う。そういう方々に、バトンを託したい。

日本が無理なら、もしまだ頑張ってるなら、MIT/Harvardのグループとか、イタリアの研究チームとか、海外の方でも、是非お願いしたい。日本語で書いてるけど、インターネットだから、なんとかなるでしょ?

試したらいいのに

トランプは不動産王らしい。よく知らんけど。
ということは、例えば、日本式のアパート/団地サイズの2LDKとかをアメリカで量産しても、売りさばく自信があるのかな。
一度住んでみたらいいと思うんだが、住んだことがなくても「俺なら売れる」と豪語するなら、それはすごい。賞賛に値する。それができたら、不動産王と認めてあげよう。

例えばアメ車(念のため、Automobiles made in USA)で、日本人が普通に通勤に使う道路や、普通の生活道路を、普通に走ったらどういうことになるかなぁ。一度トランプに試してもらいたいものだ。

どうだろうかなぁ、テストコースとしては、埼玉県の三芳町とか、東京都の練馬区とか、同じく東京都の台東区とか、その辺を指定しようか。(すみません、個人的に苦手な場所です。具体的に書かないと、と思って・・・)どこでも似たようなもんだけど。僕が買い物に出る時のルートでも、無論構わない。
トランプが1時間の運転したとして、最低でも一回脱輪するか、2箇所くらいはどこかを擦るか、いずれにせよ、無傷では目的地に辿り着けない方に、1万円賭けてもいい。(え?1万?うるさいな、文句言うな。)それどころか、日本人のジーチャン/バーチャンが日本車で使ってるルートでも、例えば、8km先の目的地に辿り着く前に、アメ車だとビビって、最初の3km位で泣きながらリタイアする方ってのに、3000円なら賭けてもいい。トランプがいきなり日本に来て運転したなら、絶対にアメ車だと無傷で目的地に辿り着けない。だから誰もアメ車なんか買わない、ってな理由がすぐにわかる。はずなんだけど、絶対にトランプはそんなことしない。腰抜けだもの。

不動産王なら、試してみたらいいんだ。日本製の、日本スタイルのアパートとか団地のスペックの住宅がアメリカで売れるかどうか。売るのは無理だと気づいたなら、多少は、アメ車が日本で売れるかどうか、考えてみたらいい。

それが理解できないなら、トランプに、ソクラテスの言葉を贈ろう。自分が何も知らないことを、知ろうともしていない。普通に日本に来て、アメ車で街中を走ったらすぐにわかることなのに。
“Remember pearl harbor.”か。当時の大統領がトランプだったら、日本の楽勝だったのに。
“No more Hiroshima/Nagasaki.”とは、相当にニュアンスが違うことが、理解できるだろうか。

お仕事モード

集中したい。集中します。集中するぞ!
と言いつつ、無音だと迷走状態。ラジオをつけたら、結局新学期絡みで、この時期が自殺のピークなんていう話題から、暴走してしまった。(二つ前のページ)「イジメかぁ」なんて思っていたら、つい、安原さんに雑誌をばら撒かれたことを思い出してしまった。(一つ前のページ)

いや、雑誌をばら撒かれた記憶が苦痛なんじゃなくて、日本兵の遺骨収集の話題、もうどうしようもないだろうと思いつつ、思い出してしまうと気忙しくなって、目の前の仕事に集中しにくくなる。
何とかなる時期に放置しすぎたんだと思うけれども、戦後20年、30年ごろはまだ、外貨の準備も不十分で、遺骨収集団の派遣とかいっても予算が付きにくかったんだろうし、国内経済最優先だったのかも知れない。そして戦後40年、50年、現地の状況がわかりにくくなって、中途半端なまま打ち切られようとしていた。

そう言えば、田所さんがおっしゃってた。「生物学的解決」つまり、遺族が一人もいなくなれば、問題は「解決」すると・・・厚生省はこの生物学的解決を待ってると・・・いや、僕が言ってるんじゃないです。田所さんがそうおっしゃってたんです。

そして戦後70年を過ぎて、個人的には僕は、ジャングルの遺骨はもう無理だろうという気がしている。個人的にはそう思うのだけれども、何か気持ちがざわついて、落ちつかない。気持ちがどうにも、ザワザワしてしまうんだけれど、だけどもう、どうしようもないでしょう?
もう少し、師匠のところで学んで、慰霊ではなくて浄霊が出来るようになったら、もう一度また、ニューギニア各地を回りたい、とは思うけれど、いかんせんあたしゃ、心が真っ黒けだからなぁ・・・

ロジックに集中するぞ!こういう時はどうしようか?ラジオ?クラシック?
ハードロックか、ヘビーメタルか、その路線でヘッドフォン爆音でいくか。
演歌とかムード歌謡じゃないとは思う。たぶん。

集中したい。集中します。集中するぞ!
(掛け声ばっかし・・・)

僕が、自称右翼の方に中傷雑誌をばら撒かれた話

標題が長いな。でも仕方ない。他山の石にして下さい、ってことで・・・

自称右翼の方、安原さんと言います。故人。責める気はない。僕のどこが悪かったかは、事の発端を僕が作った時点で理解していたし、どっちかと言えば好きなタイプかも知れなかった。安原さんの気持ちはわかるけれども、僕はその状況下で最善の策をとったつもりで、現地事情を理解していない安原さんには、僕がなぜそれが「最善の策だ」と判断したかを理解してもらえないことも承知で、あえて、やった。その結果もかなり覚悟していて、その上で、日本国内で、僕の悪口を散々書き連ねた雑誌をばら撒かれた、という話です。

埼玉県の加須市に、西村さんという方がいらっしゃる。パプアニューギニアのポポンデッタに拠点をお持ちで、戦友会の方。音信が途絶えていて、もうお亡くなりかと思っていたら、今年に入って、「西村さん、まだお元気でしょ?」という噂を聞いた。戦友会っていうことは、太平洋戦争に行かれて、パプアニューギニアから生還して、まだ存命。いや、確認していないけれども、もしそうなら、100才近くて、まだ海外で自活されてる?西村さんと、僕と、安原さんしか知らない状況があった。西村さんにはご理解いただいていたけれども、安原さんにはたぶん、通じていないと当時から思っていた。でも、自分を理解してくれる人が、たった一人でもいてくれたと思うと、それだけは、間違いなく心の支えになる。胸を張っていられる。

安原さんも、戦争遺族だと伺っている。お父さんを戦争で亡くされたとか。その後、日の丸を掲げて、大音響で街中で軍歌を流す、そちら系の活動をされるようになったらしい。ニューギニア方面遺族会の田所会長にあれこれ頼まれるようになって、遺骨収集に巻き込まれた。ポポンデッタ方面で見つかった遺骨の回収の事前確認で、西村さんとコンタクトを持った。西村さんの部隊は大半がポポンデッタで戦死されていて、戦友の遺骨を一柱でも多く収集したいという思いで、一旦は日本で事業を軌道に乗せられてからも、定年するくらいからニューギニアに足を運ぶようになり、ニューギニアに拠点を持たれるようになった、と聞いている。この話は、7割方、正確なつもり。
安原さんは、安原さんの支持者の方から集めたお金を投じて、西村さんの活動を支援し、その(日本兵の遺骨を収集したという)「成果」を、ご自身が主催されている活動で、雑誌などに編纂して、そこから先は知らないけれども、そちら系の活動をされるつもりだったのだろうと、私は理解している。
社屋の玄関先で大音響で軍歌を鳴らされ、スピーカーであることないこと言われると、ついついお金を支払っちゃう大企業の方は、多いらしいから・・・そっち系でも商売になったんだろう。

西村さんは、日本からユンボを持ち込んで、ポポンデッタ周辺の「道路整備」の事業を展開するつもりだった。そのポポンデッタ周辺の、海岸から内陸に向かう道路沿いでは、少なくない日本兵が餓死している。「道路に沿って地面を掘れば、絶対に日本兵の遺骨は出てくる」と西村さんはおっしゃっていた。問題は、その道路を掘るための州政府の許可を得て、合法的に「道路工事」を展開する手順だった。現地の人を雇用すれば、州政府の許可も得やすくなる。そうして、現地の人を雇用し、「日本兵の遺骨が見つかったら、届けて欲しい」と、そちらの方が西村さんの主眼だったのは確認するまでもない。ただ、現地の人を雇用するとなれば、お金の支払いが発生する。安原さんは、そこをご自身が負担する、自分にもこの話に噛ませて欲しい、と申し出て、話がまとまる寸前だった。
西村さんのご助言で、僕は、州政府と、周辺の村村の部族長を説得するための「契約書」の英文原稿を作成し、持ち込んだパソコンと電池で動作するプリンタとで、現地で印刷し、何度となく推敲していた。「これでいきましょう」という最終段階で、西村さんが、ボソッとおっしゃった。「これは、もしかしたら、現地の人にお金だけ巻き上げられる結果になりませんかね。」

お金を払って仕事をしてもらう、って言ったって、途上国の場合「勤勉さ」は日本とは異なるし、責任感も違う。適当にその場に絡んで、お金だけ請求してくることはよくある話、だと自分は理解している。これは、国によって、部族によって、状況は異なると思うけれども、ポポンデッタではその可能性が高いと、現地に住んでいる西村さんはおっしゃった。僕もそれは、同感した。加えて、遺骨を届けてくれた場合の謝礼にしても、掘った場所を現認できないと、現地人の遺骨を持ち込まれても、受け取りを拒んだり、謝礼を拒むこともできなくなる。無事に、思惑通り日本兵の遺骨を大量に収集する、よりも、現地人に金づるとして、毟り取られる方が多いんじゃないかと、現地での居住経験のある西村さんと、僕とは、合意した。

ここから先が、僕の悪い癖、というか、配慮もなく、癖が出てしまった部分。
仕事をしていて、ミスタイプだとか、そういう印刷資料は、修正版を作成したあとは、即時、破り捨てるのが僕の癖だった。実際、サラリーマンだった時に、ミスが残っている印刷物を、「裏紙」にしようと取っておいて、机の上にあったそちらのミスタイプの方を客先に出してしまったことがあった。営業さんに、平謝り。一度その経験をしてから、裏紙にできるもったいない紙でも、ミスタイプのものは、すぐに破り捨てる、という習慣を持ってしまっていた。

西村さんと話をしながら、「この文面は、明らかにやめた方がいいですね。」という結論に落ちつき、この、州政府だとか、現地の部族長だとかと、交渉する素材となるはずだった「英文契約書」(文責は全て僕にある)は、ボツにすることにした。スポンサーとして、お金を出すけれども、成果は日本に持ち帰るぞ、という安原さんの目の前で、僕は、一旦は印刷して、あとはサインし、相手のサインを求めるだけ、という契約書の印刷物を、破り捨てた。
その、破った瞬間の、安原さんの視線を僕は忘れない。その時はまだ、恨めしそうな目つきをしていただけだったけれども、その後、慰霊のツアーに同行しつつも、なんら「遺骨情報」も、「日本兵の遺骨の帰還」も、実績を残すことなく帰国した後の安原さんは、僕を恨むことに全精力を費やしたみたいだった。

僕自身には送られてこなかったけれども、ニューギニアがらみで僕と知り合った方々、一体どうやって調べたんだろうというくらい、あちこちに、僕の悪口を山ほど書いた雑誌を郵送して、送りつけたらしい。

ご苦労様です、と思う。だって、公安調査庁だか、マスコミだか知らないけれども、明らかな盗聴と盗撮で、僕の私生活を根こそぎ周囲にリークされて、なんだかもう、メンタル崩壊寸前みたいな状況で協力隊に参加した、その挙句の出来事だから、こんなもん、一度経験したら、屁みたいなもんで、当の本人にはそれこそ、蛙の面に小便くらいにしかなってない。そんな雑誌のバラマキのために、一体いくらお金を使ったのか、もったいないというか、ご苦労様というか・・・

若い皆さん、色々と、イジメを経験しなさい。一度経験して、乗り切ったら、信じられないくらい、強くなれるから。何か言われてもされても、「え?だから何?」だもの。誰もが乗り切ったら、そうなれるって。

安原さん、気持ちはわかる。だけど、それはあなたの理解不足。そしてほら、今現にこうやって、たぶん、あなたのお仲間が、フィリピンで騙されている。ちょっとくらいは感謝して欲しいな、ってな直談判は、僕が肉体を抜けてから、先立ってる安原さんと何とか接点を持って(たぶん、間にメッセンジャーが入ることになるんだろうけれども)安原さんに納得してもらえるように、話はつけようと思っている。

誤解を招く行動があったとしたら、安原さんの目の前で、契約書類の「ほぼ完成原稿」を、破り捨てる行為、だったと思う。「自分が心血を注いだこの契約書を、この小林が、破り捨てやがった、」と思っていたんでしょうね。だけど、言わせてもらえば、この英文を必死で考え抜いたのは僕で、西村さんと同じく現地事情を知っていたのは僕で、だから言いたかった。安原さん、生活してみて下さい、と。で、実際にその後、安原さんは西村さんのところでしばらく住んでいたらしい、と聞いている。そして、元々あった持病を悪化させて、その後何年もせずに、お亡くなりになった、と聞いている。

安原さんの遺志を継いだ方が、僕への悪口三昧のWEBページを作った。僕はそれを、僕自身への戒めとして、あってもいいと思っていたけれども、嫁がそれを見つけて、中傷だと騒ぎ立てて、WEBの掲載事業者に噛み付いて、掲載を削除させた。別にあっても僕は気にしなかったのに。理由がわかっていたし、安原さんが懐かしくもあったから。

当時僕は、大学の教材を(駄作中の駄作も含めて)ネットに全部掲載していたから、僕の名前で検索すると、いつもトップに僕のページがリンクで出ていた。その後、何番目かに、Googleにも安原さんのサイトが拾い上げられていた。わかってますって。小林は悪いやつだ、とんでもないペテン師だと。だって、自覚があるもの。僕がしてきた悪いこと、あれと、これと、相手(被害者)を巻き込むと申し訳ないから書かないけれども、結構ある。別に悪口三昧のページだって、当然のことでしょ、とも思う。削除させなくても、よかったのに。だって、表向きだけ削除したって、上には全部筒抜けで、何百億っていう霊体さんたちには全部(その経過の意識が)見えていたはずだから、ジタバタしたって、どうしようもない。(いや、見る見ないは本人次第だから、何百億ってことはないとも思うが。)

安原さんには、あとでじっくり、伝えたい。あなたの同業者が、フィリピンでやらかした。細かいところまで相手を知らなければ、安易に思い通りの結論なんて得られない、その点だけは、どうかわかって欲しいと、僕は思っている。考えている、じゃなくて、そう思っている。

若い皆さん、イジメってのは絶好の経験だと思って欲しい。見てよ、僕なんか。あの頃、それこそマ×ターベー×ョンまで全部、会社内の周囲に筒抜けだったかも知れないと思えて、苦痛そのもんだった。当時、メニエル氏病で左耳が聞こえなくなり、今でも左耳は聞こえない。メンタルが一度は崩壊して、今でも戻っているんだかいないんだか。それこそ、魔女裁判で十字架に括り付けられ、石をぶつけられた方が余程楽だったという気もする。心の痛みの方がキツイと知った経験だったかも知れない。

イジメの経験も、耐えなさい。必死で記憶を探せばきっと、その「キッカケ」とか「原因」とかは、たぶん見つけられる。間違いなくあると思う。それを自分で見つけて、イジメる相手を責めずに、耐えぬき、「キッカケ」とか「原因」を挽回する機会があるならば、自力で挽回に挑戦してみなさい、と言いたい。
ただ単にイジメられているだけの経験だって、それはそれで、得がたいものだと思う。耐え抜いて、ワンランクアップして、強くなったら、僕みたいになって、「あんたんとこに、街宣車回したる」みたいな脅しを受けたって、「ご自由にどうぞ」ってなくらいに、神経が太くなれる。(嘘だと思うなら、私をご自由にお試しください。お代は無料。)逆の言い方をすれば、イジメられなかったら、いつまで経ったって、ほんのちょっと「テメェ」みたいに息まれただけで、ビビっちゃう情けない大人になるだけかも知れない。(そういう大人も、見ていて、可愛らしいけれども。いい子、いい子(ナデナデ)。大企業の社長さんも、ナデナデ。)

安原さんから「あんたんとこに、街宣車回すぞ」という電話をもらった後、ご近所迷惑かなと思って、田所さんに電話した。ニューギニア方面遺族会の田所会長も、元ヤクザだから(戦争遺児で、自分の才覚だけで、戦後を生き抜いた方だけれど)、情報を提供してくれた。他のグループに「街宣車を動員する」ことを依頼するには、一千万近く金が動くらしい。それだけの金を動かすのは、大企業をビビらせて、キンタマのない総務課あたりから、一千万以上を回収する目処が立ってなかったら、そんな博打は打たない、と聞いた。ついでに言えば、そもそも、大した金を持ってないあんたんとこに、街宣車を回したって、一円にもならないから、誰も動かない。安心しろ、と。大きなお世話だ。

その時に、田所さんは、警察庁に問い合わせてくれたらしい。安原さんのところが、「右翼団体」に登録されているかどうか。登録はないから、安原さんは「自称右翼」だよ、と教えてもらった。なんだか、右翼も暴力団も、境界線が曖昧なのが今日この頃。

死にたいと思うほど、心を痛めるのは、人間として健全な証だと僕は思う。僕だって、自殺未遂経験者だから。

耐え抜いて、生き抜きなさい。ツッパれ。きっと君も、桁外れに強くなれる。そうやって、悩む君は、抱きしめてあげたいほど愛おしい。特に、女の子なら。(あ、すみません、ごめんなさい、ベキバキ!)そう、大丈夫、上には全部見ている人たちがいるからね。肉体を持っている誰かが一人もいなくたって、真実を知っている人は、上にいます。その人たちに、胸を張れないなら、自分で見つけて、改めればいいだけの話、だと、僕は思う。そして、自分に一切の非がないと思ったら、突っ張り通して、遊んじゃえ!

誤った知識

Nack 5の夕焼けヘッドラインで、黒田さんが「自殺するな」と呼びかけていた。

昨夜だっただろうか、やはりラジオで、夏恒例の怪談話が流れていたのだけれども、突っ込みどころ満載。
今日の話題は、100%師匠の受け売りですが・・・何となく霊を感じる程度の人があれこれ書くと、「群盲象を撫でる」的な状況になるから、この辺から誤った知識が拡散するのかも知れない。

幼い子供は、まだ心が汚れていないから、自分をあやそうとする霊体さんの姿が見えることがあるらしい。親父が死んで間もない頃、お隣さんの子供(幼児)が「おじちゃんが、こっちに手を振ってる」とか言ってたと、その子のお父さんが僕にその話をしてくれた。(親父、子供は好きでしたからね。)霊がそれだけはっきり見えるということは、それだけ心が汚れていない、ということで、そういう子どもは死んでも地縛霊になったりしないし、生きている子供にちょっかい出して「おいで、おいで、する」なんてことはなく、真っ直ぐ上に帰れるから全く心配ない、と私は理解している。でも、それだと怪談にならないんだろうなぁ。

大人が、「子どもが危険なことをしないように」作り話で、「あそこには子どもの幽霊がいて、おいでおいでするから、あの辺で遊んじゃダメだよ」と、教育的な目的で作った作り話がやがて一人歩きして、怪談のネタになったりするんだろうか。「群盲象を撫でる」どころではなく、見たことも触ったこともない象の話を他人にするような状況な気がする。
そうやって、幽霊を怖がったりしている一方で、「死んだらそれっきりで、霊なんざいねぇよ」と言う人も少なくない。自殺もその発想の延長の最たるものかも知れない。

霊体さんは、肉体を抜ける直前の「意識」の状態を引きずる、らしい。だから、死を目前とした人には、「後のことは心配ないよ、安心して。お疲れ様」と声をかける。その意識で肉体を抜ければ、大半の人はそれですんなり次に行ける、らしい。ところが、「死んじまったらそれで終わり」と思っている人は、自分が死んだことがわからないから、いつまでたってもウロチョロしている。普通の人も、1〜2ヶ月は家に留まっていたりして、「さて、帰ろう」が仏教の節目の四十九日頃にあたるらしいけれども、自分がまだ生きていると思っている相手は、始末に負えない。脳がない相手だからなぁ。この辺、「思う」と「考える」の間には、とてつもないギャップがある。

もっとも悲惨なのがやはり自殺だろうか。死ぬ直前の意識は、「死ぬんだ、あの電車に飛び込むんだ」と、それしか考えない、かなり「意を決して」という感じなんだろうか。そして、おそらくは「死んだら全て終わりだ」と思っているんだろう。そこが大きな間違い。電車に飛び込み、肉体を抜けて、しばらくすると「意識体」として覚醒する。その「肉体を抜ける」直前の意識は、「死ぬんだ、あの電車に飛び込むんだ」だから、結局「あ、まだ死ねなかった。次の電車に飛び込もう」と、もう意識体でしかないのに、延々とそこから無限ループに入る。もし、死ぬ直前に「辛い」という思いがあれば、ずっとそのまま、らしい。電車でなくて、七輪でも、首吊りでも、同じこと。

師匠が講演会でおっしゃってた。「だから、下りの電車に飛び込んだ人は、上りの電車には目も向けずに、延々と下りの電車に飛び込み続けて、それを何十年と続けている人もいる」らしい。原爆とかと違って、本人に100%責任があるから、自分で気づくまで師匠も放っておくらしい。(冷たいんじゃなくて、愛の鞭なんだろうと、私は解釈しているが・・・)死にたい、一番辛い、その辛さのピークの意識のまま、何十年とそこでループしたいなら、どうぞ、としか言えないんだが・・・。知らないってことは恐ろしい。
「人間なんて、死んだらそれっきり」という誤った知識(?)が定着してしまっていることが、そもそもの誤りの始まり、じゃないかと思う。

せめて、怪談屋が「死んだらそれで終わりじゃなく、全員が霊になる」(っていうよりも、そもそもが、生きている人も「霊体」が「肉体」に「乗っている」だけだから、霊になるという言い方もおかしいとは思うけれど、)という認識を広めるために、頑張ってくれたらいいのに、と思いつつ、怪談屋は怪談屋で、エンターテインメントビジネスだし、聞く側もエンターテインメントとして聞いているから、教育的な効果はほとんどないし、むしろ、誤った認識を拡散しているだけのような気もする。

ねぇ。自然科学的に解決して、「霊が見える機械」とか作れればいいんだろうけれども・・・それは当面無理だとして、せめて、騙されたと思って、自殺はやめた方がいいと、僕は思います。
一番悲惨な状態で無限ループに陥る。

宿題代行

憂鬱になるようなニュース
「夏休みの宿題代行」が、頼む側も、引き受ける側も、エスカレートしているようで・・・何を考えているんだろうか?
小中学校の場合には、教師が「宿題」を出すのは、「休み中も勉強をするように」ということだと思うが、僕らが大学や専門学校で「課題」を出した時には、「これを自力で解決できるようになれ」という目的を持って出している。(小中学校でも、無論その意味はあると思う。)要するに、自力でやらなきゃ意味がない。
出口に「国家試験」がある場合には、自力で課題を解けなかったら、国家試験の問題を解けない、つまり合格できないということになる。学校の「合格率」なんていう数字もあるけれども、最終的な「受益者」というか、やらないことで損をするのは「本人」で、なぜそれがわからないんだろうか、と考えると、結構憂鬱になる。

いや、理屈ではわかっているんだろうか。「自分で宿題をやらない、誰かのコピーするっていうのは、言ってみれば、お腹が空いたから僕の代わりにご飯を食べて来て、とか、オシッコ我慢できないから、私の代わりにトイレに行ってきてっていうのと全く同じで、意味がないよ」という説明をすれば、一応はわかったつもりになるらしいけれども、本当に理解しているのか疑問だ。
国家試験が出口にある学科やコースの場合には、自力でやらなきゃ、自分が苦しむだけだよと、それをしつこくいうだけで、丸写しのレポートを見ても、そのレポートを0点にするだけで特にペナルティは課していなかった。けれども、プログラミングなどで、学校にいる間にその(宿題丸写しという)「原因」と(実力がつかなくて国家試験に落ちるという)「結果」の、因果関係を実感させることができない学科、コースの採点は、最近、思い切り厳しい方向にシフトするようになってきた。どうしても気になってしまう。「丸写し」がはっきりとわかったレポートは、全て「不正行為に関する正規の手続き」の方に回すように、最近、なった。

目先、「提出する」ことで、「形式だけ整えれば、それで済む」という発想は、僕は、出来ることなら根絶したい。というよりも、本人や、組織にとっても「いい結果」にならないことを、学生のうちから理解させたい。

延長上に何があるか、と言えば、東芝だとか、川崎重工のニュース。技術的に問題があった時に、書類の数字だけ書き換えればそれで済む、なんていう発想がどこから来るんだろうか?それを経営陣が知っててやってる?そこが信じられなかったけれども、あ、全員同じだと思った。子供の宿題を代行業者に頼む親。そうして、「目先」のつじつま合わせができない立場になったらどうするんだろうか?書類を偽装する?それ以外の発想が出てこないんじゃないか?そういう親が、そういう子供を量産する。

僕には実際の子供がいない。ただ、もし自分の子供が宿題をやらなかったなら、もし僕に時間の余裕があるなら、提出日のギリギリまで、ついて教えて、自分で考えながら答えを出すまでそばでヒントだけは出すかも知れない。(自分の子供がいないから、そんなことを書けるんだ、と言われたら、反論できないけど。でも、学校でも家庭教師でも、時間と体力に余裕がある時は、そうして来た。)それで最終的にできなかったなら、「先生、終わりませんでした。夏休みの前半、遊んじゃったので、自分が悪いんです。恥ずかしいです」と、堂々と教師の前で言え、と、その「結果」を「恥ずかしさ」という自分の心で受け止めるような場を作らせて、その結果と、原因を本人に考えさせたい。大事なのは、そっちじゃないのか?

宿題代行に頼んで、形だけ整えたって、それこそ、東芝だの、川崎重工だのの「書類ごまかし」の原体験を作るだけじゃないか、という気がする。そういうガキは、親がいなくなってから、退職金を全額、会社に与えた損害の賠償に当てるような生き方をすることになるんじゃないか?いや、そうなるべきなんだ。どこかで痛い目に合わなきゃ、社会が迷惑する。新幹線、人が乗ってる運行中に脱線しなくて、本当によかったと思う。

宿題代行を頼むような親。人間ドックを受診する際に「私、人間ドックの結果が、多分とても悪いから、健康そのもののあなたが私の代わりに人間ドックを受診してくれないかしら」なんて頼み方をするのかね?それで、自分の名前で出てきた「人間ドックの結果」が健康そのものなのを見て、大喜びするんだろうか?同じことだとは思いませんか?いや、この比喩が理解出来ないような方が、たぶん宿題代行を頼む。その理解力のなさも、日本の将来が憂鬱な理由の一つだ。
会社で、仕事を1000万円で受注しました。ところが、納期ギリギリまで遊んじゃって、納期に間に合いそうもない。仕方ないので、短納期で仕上げてくれる会社に2000万円で発注しました。そんな会社あるか?(いや、あるかも・・・)金で解決できる、と思ったら大間違いじゃないのか?表面を取り繕った「辻褄合わせ」で世の中なんてなんとかなるという「成功体験」(?)を植え付けるだけで、その挙句が、あの東芝、川崎重工、それ以外の数多の大企業の不祥事などなど、だと、僕は思う。(いや、そんな気がして来たから、最悪「単位没収」になるのを承知で、不正レポートは全部見つけ出して、学生のうちに「そういう行為はやめろ」とわからせたい。)

9月1日に、子供自殺が一番多いらしい。死んだって、何も解決しないよ。
親にどう怒られようが、学校でどんな恥ずかしい思いをしようが、もし宿題をやっていないことが憂鬱の原因なら、開き直って「間に合いませんでした。」と、堂々と教師に伝えて、同級生の前で「恥ずかしい」思いをしなさいと、僕は思う。それは貴重な経験で、そういう思いをしておけば、納期に間に合わずにクライアントさんの前で頭を下げる時にも、多少は苦痛が軽減する、じゃなかった、「次からは、きちんと間に合うように、工夫しよう」と(いつかは)自分で考えるようになる、はずだし、親も、教師も、子供が「自分で考えて、自分で間に合うように行動を自制する」ようになるまで、忍耐強く、ただ「そうか、わかった。次からは、間に合うようにやりなさい」と、ただ待つことが出来ないものか、なんてことは思う。
思いっきり、恥ずかしい思いをして来なさい、と言いたい。大事なことで、次からはその「恥ずかしさ」を経験しないように、自分自身に刻み込め、と言いたい。宿題代行なんて、最悪中の最悪だという気がする。

そういう経験を一切しないまま、社会人になり、辻褄合わせは部下に押し付け、時には書類を書き換えて、それでなんとかなる、なんてことを、子供の頃から親に仕込まれた日本人が増えたら、この国は、もっと悪くなる。日本製は不安だから買えない、そういう時代がきっと来る、そんな気がする。

土地収用

南ア
土地改革巡るトランプ氏のツイートに政府反発

植民地政策の残骸:わずかでも植民地政策的な残痕が残る国は、どこも苦しんでいると思う。白人が暴力的に接収した広大な土地を所有する、それが正しいかどうか横から口を出せるとは思えない。民主的な手続きと、人種間相互の信頼関係を崩さない方法が求められることだけは、確かだろうけれども。

それはそうと、戦後の日本の土地収用。日本では、アメリカを中心とする進駐軍が有無を言わさずに、大地主の土地を小作に解放した。拒否はできなかったはずだ。

戦後直後の用地補償問題

詳細は省略して書くならば、南アフリカも、アメリカがやったやり方をそっくり模倣すれば何の問題もないんじゃないのかな?二束三文で「補償金」として値段を決めたらいいんだ。いくらトランプでも、アメリカ自身がやったやり方には文句はつけられんだろう。

それよりも何よりも、沖縄などの基地問題。

補償金の金額とか、色々問題があっても、それが「民主的な手続き」に則る限りは「betterな方法」として扱われるべきだろうと私は考える。ところが、「戦争」という暴力で、「勝者のみ正義」という民主的とは言えない手続きを経て収容した、日本各地の米軍基地の「土地」の補償問題を、トランプはどう考えるんだろうか。

日本としては、日米安保で、日本の安全保障にアメリカが金と兵力を出すっていうから、差し出している感じはあるんじゃなかろうか。それが、「アメリカファースト」でもって、その前提を見直すっていうんなら、そもそも論で、アメリカが日本の基地の土地を収容した問題について、(戦争という行為も含めた)手続きとしてどうかをまず、言及してもらいたいと思う。南アフリカに口を出すより、先にこっちの解釈について説明しろ、と言いたい。

小林が多い・・・

昨日、自治会関連の行事で連絡を取った相手が小林さん。親戚ではありません。そして今日、システム関連の打ち合わせで名刺交換させていただいた方が小林さん。ミーティング参加者4人のうち、2人が小林。

僕が、パプアニューギニアの青年海外協力隊に参加(平成4年度3次隊)した後の、最初の隊員総会では、隊員40人のうち、4人が小林。

首都Port Moresbyの小林さんは、モレスビーの小林さんだから、モレコバさん。ハイランドのMt. Hagenの小林さんは、ハーゲンの小林さんだから、ハゲコバさん。Manus島の小林さんは、マヌスの小林さんだから、マヌコバさん。そして、Vanimoの小林、私はバニコバ。モレコバと、ハゲコバと、マヌコバと、バニコバで、どれが一番いいか、なんて意味ないけど、すごい略し方だ。

バニコバでも十分短いと思うんだがさらにそれがだんだんと短くなって、やがてバニコになり、ついにバニーさんになった。僕がバニーさん?悪ノリした僕は、その次の隊員総会で、バニーの耳をつけて、網タイツでタブーを踊ったんだが、後からきた隊員の皆さんには、完全におカマだと思われたらしい。断じてそんなことはないのに。私は男には興味はありません。女にしか興味はありません。キッパリ!(って、この表現も相当に誤解を招きそうだ。)そもそも、おカマの皆様に失礼でしょうが。
えぇと、網タイツでタブーを踊る私を想像しちゃった方、食事中だったら本当にごめんなさい。

これも30年近く前、中毒薬物医療のシステムの仕事で打ち合わせをした際は、4人のミーティング出席者のうち3人が小林だった。本当に、小林は多い。で、今日名刺交換した方は、名前まで同じ同姓同名の方を他に2人知っている。一人は20年前の飲み仲間で、もう一人は学者さん。会話をしていて、小林さん、小林さんって、誰のことだか・・・その点、モレコバ、ハゲコバ、マヌコバ、バニコバは、わかりやすかった。(全て、実話です。)

なんで、殺し合いをモチーフに?

別に、戦闘の殺し合いをモチーフにしなくたって、いい映画やドラマは、いくらだって作れているじゃない。ハリウッド。

「戦争」をモチーフにして、「人間愛」を表に出そうとしたって、その中にある「殺し合い」の戦闘シーンで観客のカタルシスを得ようとする安易な映画は、やっぱり嫌だ。映画も、テレビドラマも、殺し合いを見るのは好きくない。影響力大きいもんなぁ。

なんて言いつつ、今だったら文句を言うなら「ゲーム」の世界設定だろうか。殺し合いをした挙句に、領土を広げる?誰が得するの?ってな文句は、ゲームのデザイナよりも、政治家に文句を言うべきなんだろうな。

トランプは、「下品」+「安易」で、リャンファン。
プーチンと習は、「安易」だけで、イーファン。

人殺しを命じて強制しただけで、犯罪にならなかったっけか?米中露には、そういう法律はないのか?野蛮だ。

そういうのをモチーフにするハリウッドも、安易な奴らは野蛮だ。下品だ。まるでトランプだ。

ハリウッドですら、いい映画はたくさん世界に送り出しているのに、トランプが幅を利かせている。

学校で教えちゃダメでしょ!

プログラミングで、調べ物をしていて、時々とんでもなく「初歩的」なことを知らなかったことに気づいて、時々絶叫する。

ロジックの組み方はわかる。属性とかも押さえてる。ところが、何と言っても「読み方」が、ほとんど頭に入っていないことに気づかされる。だって、プログラムは日本語とか英語と違って、「音」にして読まないもの。

例えばHTMLがらみの「読み方」だとか、厳密な定義とかを確認して、唐突に、「あれ、俺、大学の授業中にこれどう読んだっけか?」なんてのを思い出して、赤面し、絶叫する。

一番多いのが、尻尾を踏まれた猫状態、「フギャー」とか「ウミャー」とか・・・、etc. etc.
瞬間的にスイッチが入って、顔が真っ赤になり、そして「フギャー」。

いや、事務所内ならいいよ、誰もいないから。ところが、電車の中で「あれ?」と思ってネットに繋いで確認して、間違いに気付くと、(そこが電車の中であることを意識していれば、赤面だけに止まるのだけど、)とっさにやっぱり「フギャー」が・・・

黙って、Macの蓋を閉めて、次の駅で降りたい。たぶん、月に1〜2度はやってる。(集中するのも良し悪しだ。)

ダメだよ、こういう人間が大学で教えちゃダメでしょ、なんてことはしばしば思う。ロジック組むだけなら速いんだけどなぁ・・・
今日もまた、「こんなの、気の利いた中学生だって知ってるだろ」みたいなのが。

何を知らなかったかは、書かない。口(指?)が裂けても書かない!
でも、このページを書いたから、この件はもう忘れる。

自主規制

さすがに、一つ前は削除。自主規制。

いや、ネットの世界だから、一度書いたら実質的には「削除不能」だけれども。それを承知で書いて、そして消して・・・確信犯。

トランプの真似をしてみたけれども、あまりにも下品だから、やめた。本家のトランプは、自分で読み返して恥ずかしくならないんだろうか。という感覚がないから、ああやってトランプ流の発言を繰り返せるんだろうなぁ。あれがアメリカ合衆国の大統領。

それにしても、と思う。遺骨情報収集を手伝い、遺骨収集を手伝い、遺族会の慰霊の旅に同行して、あれ以来、時々人格が変わってるかもしれない。トランプがらみのニュースを見聞きするたびに、スイッチが入りやすくなる。気をつけねば。


フィリピンのニュースを聞いてから、遺骨収集当時の記憶がなんだかすごい勢いで意識の表の方に湧き上がってきていて、自分でもメンタルの収集がつかない。そうして思い出してみると、記憶違いが随分あったかもしれない。

田所会長に、なんだか「そこ、違ってるよ」と言われている気もして、僕が職場からの人脈で探したのではなく、田所会長のところに手紙で届いた、その手紙の送り主の村に行く算段を立てていた際に、職場の人たちに、第一次産業局の誰それは、どこそこの村の出身だとか、そうした話を聞いて、という流れだった、と思い出してきた。20年前の記憶だ。結構自分に都合よく化けているかもしれない。

なんせ、システムエンジニア隊員だったのに、任期中、コンピュータが壊れていた期間が1年以上あって、開店休業状態だった。職場には金がない、JICAを通じて手配するにしても、手続きには時間がかかる。結局、タウンのあちこちから「コンピュータが壊れたけど、見てくれ」的なお呼出がかかったりで、かろうじてSE隊員ぽい仕事はしていたけれども、他にすることがない感じだった。田所さんから「遺骨」の話が流れてきて、やっと「すること」が出来たような隊員生活だったことも、なんだか思い出して来た。

当時は、随分と感情移入していた。「あの辺で、銃撃されて倒れたから、この辺に埋めた」という話を聞くと、リアルにその状況を想像してしまい、居ても立っても居られない感じで、突き動かされるようにのめり込んでいた。

田所さんも懐かしい。噂では、渥美清さんのいとこらしいけれども(結構似ている)、ついにご本人に確認する前に、お亡くなりになった。ご冥福をお祈りしつつ、昨日今日と、ものすごい勢いで、当時のことを思い出している。田所さんがもし、あのフィリピンのニュースを聞いたら、何をおっしゃるだろうかと、考え込んでしまった。田所さんは、戦争当時の記録をかき集めて、部隊の移動と遺骨情報を照合してから僕に現状確認してくれと言って来ていた。なんだかね、田所さんの手柄を僕が横取りするような書き方をしてしまった気がした。記憶っていうのは、本当に化けるなぁ。

日本兵の遺骨

戦没者遺骨 “日本人の遺骨なし” 鑑定結果を公表せず 厚労省

思えば、有限会社シグナリスの唯一の社員、松尾君とは、パプアニューギニアでの不思議な出会いが重なったことで知り合った。お互い日本に拠点があったのに、なぜかPNGの、ポートモレスビーのドミトリ(隊員連絡所)は、まだわかるとして、ワウの山奥とか、マプリックのタウンとか、およそ日本人が普通は居なそうな場所でバッタリと出くわす(正確な場所は覚えてないけど)みたいな偶然が3回はあって、お互い、「なんなんだろうね」という流れで知り合いになった。
そういえば、ドミトリで他の隊員(OBを含む)とマージャンをしていて、誰かに「お前、役満狙ってるのか」みたいに言われた後の僕の一言「この手が役満になるなんて、オバQが大場久美子に化けるより難しい」なんて言った一言が、なぜか、マージャンの話が出るたびに、松尾君を含む当時のOBから蒸し返された。(そんなにおかしなことを言ったか?)えぇと、大場久美子を知らない方、ごめんなさい。今なら、浜辺美波のがいいけど、でも、みなみちゃんなら断然あだち充で、あだち充ならみゆきで、って、なんの話じゃ。

なぜか、遺骨収集の時にも出会ったんだな。確か、ワウの山奥。

あの時は、理学療法の隊員OBの方が同行していた。僕が「人の大腿骨では」と言ったら、「いえ、これは豚のどこそこの骨です」と鋭いご指摘が何度も。そんな中で、現地の人が持ってきた遺骨の中に、どう見ても子供の頭蓋骨みたいな大きさのがあって、「この一角のご遺骨、おかしくありませんか?これ、子供のですよね?」と言ったら、厚生労働省の担当者(玉川さん、だったと思う)も、「確かに」と、持ち込んでくれた方に引き取ってもらうことに同意して下さった。だって、掌に乗るくらいの大きさの頭蓋骨が一つ、成人のものと思える頭蓋骨に混じっていた。一つが怪しければ、その一群は全部疑われても仕方ないと思う。

そもそも、遺骨なんてもう、形が残っていないと実感した。唯一の例外がWutung(イリアンジャヤとの国境付近にある村)の砂浜から出た7柱のご遺骨で、僕の教育局の同僚(確か、マーティン・ネラだ、ダーツ仲間)の実家のある村からの遺骨。彼に村でおじいちゃんだったかお父さんだったかに確認してもらって、上陸してきた連合軍に日本兵が殺された時の話から、そこに間違いなく遺骨があるという情報に基づいて掘った。「ここに埋めた」という当時を知る村の長老が指差したその場所から、1mくらい掘ると確かに、7柱のご遺骨が確認された。すごい記憶力。砂地だったため骨がしっかり残っていた。金歯もあった。(金歯は、日本人の遺骨と確認する決め手だった。)そこだけが唯一の例外で、後の遺骨は、ほとんど土にまみれて、骨だいうことがかろうじて確認できる程度、大きくても数cm角程度の大きさにまで腐蝕していて、原型をとどめていた骨など、セピックからは他にはなかった。

あっと、もう一つ例外があった。これも、同僚の村で見つかった頭蓋骨。遺骨収集団が来るまで僕の部屋で預かっていた。僕が頭蓋骨と同居していた話は何回か書いたと思う。それ以外は、人の骨とわかるものは、セピックではほとんどなかった。

今にして思えば、理由ははっきりしている。セピックでは、僕の勤務していた西セピック州政府教育局の同僚から、人脈を伝って、州政府の産業局だとか、東せピック州の教育局だとか、さらには、民間ビジネスの知人の知人とか、知人づたいで確認を取ったから、かなり確度の高い情報だけが集まって、僕が掘ったほとんどの場所からは、クレオソート(正露丸?大半の日本兵が携行していた常備薬)の小瓶や、ヘルメット、飯盒などが確認されたから、日本兵だと疑うことなく収集した。ただ、ニューギニア方面遺族会の田所会長の遺骨情報収集の呼びかけに、手紙を書いてきた人たちからの情報は、情報提供者との「初対面」から始まり、遺骨を確認することになった。セピックを離れたら、僕はもうただの日本人で、あるいは「日本政府の派遣した遺骨収集団のメンバー」でしかなくて、彼らはまず「日本人」として僕に接して来る。

ポリシーとして、彼らが遺骨収集に「協力」してくれる限り、薄謝であっても「お礼」はすべきだと、ずっと主張してきた。戦友会の方達は、「お願いだから、戦友の骨を『買う』なんてことはしてくれるな」と、そうした押し問答もあった。『買う』んじゃない、だって、当時の日本兵だって、荷物運びを現地の人に頼んだら、謝礼はしたでしょう。(その『軍票』が、結局紙切れになったとしても、謝礼はしたはず。)だから、僕は今、情報提供者には謝礼はしたい。そう主張した。戦後長い間、一切現地の人を信じなかったがために、遺骨の情報を集められず、遺骨収集が何回も空振りに終わったんじゃないかと僕は思う。

ただ、言わせてもらえば、僕は半分は現地の人間(よく、Mangi Sepik(セピックの男)と言われていた)で、だから「金目当て」の話はほとんどブロックできていたけれども、日本から足を運んで、「謝礼をするから、遺骨を探して欲しい」的な話をしたら、現地人の骨が「回収」されるのは、ある意味で当然と言えなくもない気がする。だって、みんなお金は欲しいもの。「金が欲しいのはわかるよ。だから謝礼は払う。だけど、僕は、日本人の同胞を連れて帰りたいだけなんだから、日本兵の情報を提供してくれ」と、そこから入って、当時どんな状況だったか話を聞いて、その村に泊まったり(ってか、他に行くところがないから、泊めてほらうしかない)夜っぴて話をしたり、そこから入って遺骨情報を集めた。情報を集めてから(遺族会を通じて、情報を)厚生労働省に流して、正式なPNG政府の許可を得てから、遺骨を動かした。
僕も、厚生労働省の「日本兵の遺骨」回収は手伝ったけれども、少なくとも、セピックから集めた遺骨については、100%日本人のものだと思っている。ただ、悪いけれども、マダン近郊やら、ポポンデッタ、ワウ周辺なんかはわからない。人的交流がない人たちとの交渉だから。そもそもが、「見るからに人骨」的な遺骨は、僕が関与した20年前、戦後50年当時でも、もうほとんど探すのは難しいんじゃないかと思えた。ジャングルでの腐蝕は速い。プラスチックとか、金属とか、「腐蝕しない」と思われているものでも、湿度と太陽光があるとかなりの速さで劣化する。普通の保存方法だと、フロッピーディスクが2年もたなかった。遺骨もそうで、よほど条件が整っているか、そうでなければ、現地の風習で洞窟などに安置された遺骨でもなければ、50年も前の骨は、原型を留めていない。

ニューギニア方面遺族会の田所会長に、「また遺骨情報収集を」と言われても、ある意味でスルーしていた理由の一つは、「もう、無理でしょ」だった。ジャングルでは、原型を留めていないのがほとんど。

当時は、もちろん(僕が通っている勉強会の)師匠の講演会には参加していなくて、師匠ご自身もまだ、講演会活動は始めていらっしゃらなかった。まだ師匠のことを知る前だったけれど、僕自身は、遺骨の収集やら、慰霊のお祈りに同席したりしながら、「もし、まだここにいるのなら、僕に取り憑いてもいいから、ぜひ一緒に日本に帰りましょう。」という思いは投げていた。いや、実際何体かには取り憑かれたかもしれない。それでもいいから、魂には日本に戻ってもらいたかった。当時はそう思っていた。

今だったら、かなりはっきりと伝えると思う。「いつまでも、こんなところにいないで、真っ直ぐに上に帰ってください。次があります。今回の経験を活かして、再び肉体を持つサイクルに戻って、戦争のない世界を作るために、声を出してください。」そう伝えると思う。師匠と違って、僕には直接の対話はできない。(師匠が、直接の対話ができる証拠?あるけど、疑いのある方がいらっしゃるなら、どなたか実際に試してみますか?生きていても、心を読める人が存在すると、僕は思います。)
肉体は、「乗り船」に過ぎない。今でいうなら、魂がドライバで、肉体は自動車という関係。自動車は、いつかは動かなくなるけど、ドライバは新車に乗り換えることができる。そう、その比喩で言うなら、「みなさん、ぜひ新車に乗り換えてください。新しい肉体を手にしたら、声高に、戦争反対を叫んでください」とそれを伝えたい。いや、実際に、すでにそうされている「今時の若い子供たち」もいるだろうと、思う。(サイクル的には短すぎるけれども、当時の日本兵の指導霊さんたちが肉体を持ってきている時期だと、僕は思う。)

肉体にこだわったって、仕方ないと、僕は思う。ご遺族の方々、向き合うべきは、スクラップになった自動車(肉体)じゃない、その肉体に入っていた魂(その人の、心、意識、その方の人格)、つまりその肉体を運転していたドライバの方で、肉体の残骸をどれほど拾い集めても、供養にはならないと、僕は今は考えています。

そんなことは、どうでもいいけど、また、ニューギニアを、ブラブラと歩きたいなぁと、思いを強くした。松尾くんとの社員旅行。稼がねば!

サマータイム

サマータイムの議論がかしましい。情報システムの改修費用が数兆円に届くとか、届かないとか・・・

最近(ってか、もう十年以上)、WEB系のシステムに関わっていて思うことがある。
基本的に、WEBへのアクセスは世界中から可能なので、ファイルの”created_at”(生成日時)フィールドはGST(グリニッジ標準時)になっていて、そこにロケール(地域情報;日時の表現形式や、使用言語、タイムゾーン)を被せた時に、ローカルな日時に換算される、という設計が一般的だと思う。というよりも、英語圏などからのアクセスを想定していたら、当然日時はGSTになっていると思える。「考える必要がない」という理由で、JST(日本標準時)だけでシステムを設計する、(そうすることで、開発コストを下げたい)というのは、自分だったら発想として却下していると思う。大した手間じゃない。View(表示)部分でGSTからJSTに変換すればいいだけ、だから、その部分に若干の手間がかかるけれども、今時のWEB環境ではGSTからローカルタイムへの表示切り替えは、関数一つ使えばいいだけになってるような気がする。

で、そのGSTからJSTへの表示切り替え部分で、他の国ではすでに採用されている夏時間対応の切り替えの仕組みが使えて、時間の切り替え自体は結構簡単じゃないかな、なんて思ったりするんだが・・・もしかして、そうじゃないんだろうか?
表示部分には、それが「夏時間」であることを明示する必要もあるのか、ないのか、わからんけど。

銀行系なんか、国際的なトランザクションも扱っているだろうから、おそらくはGSTが基準になっていると思う。(関わったことがないから、知らないけれど。)航空機などのシステムは、GSTで設計しなければタイムスタンプが滅茶苦茶になる。(離陸後30分経って、着陸したら30分前に戻っていた、とか・・・ヴァニモからジャヤプラへのフライトが、確かこんな感じだった。陸路でも2時間程度の国境越えの路線。)
え?違うの、という疑問符???が頭の中にいっぱい。世の中、わからないことだらけ。

なんだか、そんなに心配する必要ないんじゃないかなぁ、なんていう気がする。いや、世間一般の情報システムを僕が知らなすぎるだけ、かも知れないけれど。もしGSTが基準になっていないなら、この機会に設計変更すべきじゃなかろうか。

人間の側としては、きっと数日の時差ボケがあるような感じかなぁ。ただ、思う。ブラックな企業では、残業時間が絶対に延びる。「もう、夜8時だ。でも外はこんなに明るい。まだあと3時間はいける」みたいな・・・悲鳴をあげるマイノリティが絶対にいると思うな。

個人的には、個別の就業時間とか、営業時間をズラした方が、社会的には楽なのかなぁとも思うけれども、情報システムとしては基幹となる時間表示を動かすよりも、個別の(取引先)の営業時間とかに「夏対応営業時間」フィールドを追加したりする方が、圧倒的に改修の手間とかコストはかかるんじゃないか、なんてことを思った。

でもね、もう僕が大規模システムに関わるようなことは、たぶんないと思うから、他人事かな。

オリンピックが議論のきっかけ?いや、昔は「体育祭」って言ったら「秋」が定番だった。真夏に運動会をやる学校なんて、どこにもなかった。(と思う。知らないだけかもしれない。)国によって「開催時期」を変えられるように、オリンピックそのもののルールを見直した方が、よほどコスト低減に役立つような気がする。
何よりも、日本の秋は、夏よりも訪れたくなる景色の場所が多い、ような気がするけど、もう遅いわな、こんな提案。

うちの会社の就業時間は、ウルトラ・スーパー・フレックスタイムだし。

支配

ラジオから遠ざかりつつある。歌詞のある音楽もダメ。仕事のまさたげ、じゃなかった、さまたげ。
無音にしたくなる時は絶好調中の絶好調だけど、ジャズから入って、マーラー、シベリウス、ホルストとか、その辺だろうか。どんな音を出していても、文句を言われないのがありがたい。(社長がOKすりゃ、大丈夫、とか、いやヘッドフォンすりゃいいだろう、とか、色々あるけど。)いずれにせよ、歌詞がある音楽、言葉が伝わってくる音は、今はダメだな。

唯一の例外が、定時のニュースだけれども・・・。イランの次はトルコ。相変わらず忙しい人がいるなぁ。
世界を支配するつもりなんだろうか。と思っていたら、宇宙軍創設で、軍事力で宇宙を支配するとか言い出しているらしい。アッチョンブリケ!(通じなかったら、ごめんなさい。)

「支配欲」が鬼門。支配対支配の構図は、最悪の結果を招く。どこか一つが「支配」を掲げても、おかしなことになる。それは個人も同じで、スポーツ団体のトップだとか、指導者だとか、まぁ、賑やかなこと。中央官庁でも、似たような感じか。
端的に言って、力(地位、経済力、武力、腕力)などで「他人を思いのままにしようとする」全ての行為は、その人間(あるいは組織)を堕落させる。師匠の言葉を変えれば、神の思いに反する行為、ということになるんだろうか。自由の対極か。
昨今は、「パワハラ」とかいう形で、個人のは社会的に抑えることができても、国家となるとなぁ・・・手に負えない。あとは、それこそ神さまにお任せするしか・・・
いや、創造の神様はたぶん動かない。(創造主が動くときは、人類全員が一斉に消されるときか。)ただ、我々からしたら十分に「神様」クラスの存在、地球の意識が動いてくれるのは間違いない、と思う。面倒ですね。「神様」って言ったって、レベルが色々だから。「上にバラすぞ」なんて言って、「上」って言ったって、係長級から、課長、部長、事業部長、常務、専務、社長、会長と、色々ですから。「宇宙空間を支配する」なんて公言したあの人、どのレベルの逆鱗に触れるのか、楽しみだったりして。(ただ、普通はタイムスパンが長すぎて、僕らの時間軸ではなかなか「出た結果」を直接結びつけられない。そこが人間の悲しいところなのかも。)

その昔、偉大な、尊敬すべき指導者がいらっしゃった。部長級かなぁ。6番目の天使だったその方は、6つの霊能力を駆使し、6つの大罪を犯した。666の数字で描写されるその方の名は、ルシフェルという。たったの一回で、とてつもない落ち方をされた。その大罪の一つが、「他人を思うがままに操った」という罪。その意識は、封印されても地上に届くほど強大で、今でも多くの人がその影響を受けている、らしい。その意識に影響されても、別に額に666の刻印ができる訳じゃないとは思う。だけど、ニュースを聞いてりゃすぐにわかりそうな気がする。あの人も、この人も。

「支配欲」で落ちる、なんて、普通の人にはできませんよ。他人を支配するだけの力がなければ、普通はできない。私なんか「お前をクビにしてやる」って言う相手がいないもの。自分しか。

「支配欲」で落ちるってことは、それなりの「上級課題」に取り組んでいるレベルの方々の失敗、なんだろうか。「支配」はダメでも、「統治」ならばたぶん、推奨される。模範とされる方々のお話は、師匠の講演会でも時々取り上げられる。ぶっちゃけ、社員からも尊敬され、社会的にも評価され、事業としても成功した事業者の方々のような、そんな方々は、このレベルの「課題」を少なくとも今回はクリアされた方、ということになるんだろうか。

僕のちょっとした自慢話。30代なりたて、血圧計メーカーにいた頃、東洋医学に興味をお持ちだったソニーの創業者井深大さんに、社長が面談を取り付けた。東洋医学の脈診の話題だった。社長に同行したのは、技術系では私と、あとは総務課長。元々は30分の面談枠だったのが、話をしているうちに、井深さんの目の色が変わり、後の予定をキャンセルしてくれて、トータル2時間くらい井深さんと東洋医学のお話をさせていただいた。井深さんは早稲田の大先輩だし、井深さんの書かれた本を僕は読んでいましたから。その本に書かれた話題から推測できる井深さんのご興味を二つほど、会話の中で取り上げただけ、だったけれども。いや、井深さんのお時間を、他の用事をキャンセルさせて、1時間半も余計にいただいた、って言うだけの自慢ですが・・・。
どうせなら、自分自身の仕事で自慢話をしたいですけどね。他人の褌で相撲を取らずに・・・

井深さんとか、松下さんが「支配」をされていたのか「統治」をされていたのか、僕にはわからない。だけど、下とか周囲から反感・反発を多く買ったなら、課題失敗の可能性は多大にある。どこまで落ちるかは知らないけれど。

花ミョウガ

ふと見たら、家の周囲のあちこちで雑草が幅を効かせている。それに気づいたのが先週。少しずつ草むしりをして、ようやっと今日終わった。ちょっとしたご褒美があった。

思えば、今年3月頃から体調を崩し、庭も完全放置。5月頃は最悪で、授業は一度も休まなかったものの、3週間ほどはかなりのハスキーボイスで授業をしていた。肺を痛めたその後は、ちょっと無理して梅の実を採取した際に三脚から落ちて、頸椎を痛めた、かと思った。(おそらくは、ほんの数十秒〜数分間程度だったと思うけれども、一度は両足の感覚がなくなり、やっちまった、健常者人生は終わったかも、とも思った。)二ヶ月が経って、この間整形外科で「経過観察は、もう終わっても、大丈夫でしょう」とのご判断をいただいて、5ヶ月ほど止めていたジョギングを再開したいと思った。(それなのに、この気温!)家の周囲の草むしりだとか、体を動かす作業を、やっとできるようにもなった。

少しずつ作業していって、最後は家の裏の、日当たりのあまり良くない、母屋と塀との間の幅2mほどの隙間。放ったらかしなんだが、完全に放置するとドクダミのジャングルになるので、ドクダミだけにはご遠慮いただくようにムシっていると、春は蕗、夏はミョウガのジャングルになる。それ以外の雑草も相当にムシったが、よく見るとミョウガが大量に蕾を出している。そうして収穫したのが、冒頭の写真。

千葉の大学で専任教員をやっていた時の、直属の上司、E先生が「ミョウガは大好物」とかおっしゃっていたので、当時だったらお持ちしたんだけれども。収穫して、こうして綺麗に洗ってみて、さてどうしようかと、悩むことしきり。

夫婦喧嘩のタネになるので、嫁には内緒。「こんな面倒な、どう処理したらいいかわからないものを、押し付けないで!」という、思いっきり迷惑そうな顔を、何度されたことか。梅、ゆず、フキ、三つ葉、イチゴ、そしてミョウガ、ことごとく喧嘩の原因。よく洗ってあって、ビニールパックに入っていないものは、食べ物ではないと思っている節がある。土がついたままのイチゴを見せたら、以前だったら絶対に食べなかった。梅やゆず、人に分けるなら、一つずつ丁寧に綺麗に磨いてからでないと、差し上げるのは失礼だと、これだけは絶対に曲げない。だから、ものすごく手間をかけている。僕が、「ざっと汚れを落とす程度で、後は一言添えればいいだけじゃない?」と、いくら言っても聞いてはもらえない。いや、僕の方が間違ってる?スーパーで売られている果物とか、あれ、全部、一つずつ一個1分とかかけて磨いてから売ってる?梅も、ゆずも、収穫するのを止めようかと、毎年悩む。毎年大騒ぎ。喧嘩腰。ざっと汚れを落として、そのまま分けたい私。全部磨くと言って聞かない嫁。豊作の年は、思いっきり険悪な空気になる。

ただ、フキも、ミョウガも、嫁は食べ物だと認識していないから、嫁を迂回すれば一切問題は起きない。

大した量じゃない。料理好きの知り合いっていうと、親戚筋のKさんと、後はEさんか。全部持っていって、使いたい程度の量をお取りいただくとして、自分でも少しググって、楽しんでみようと思う。(仕事に支障がない程度に・・・)

風習を変えねば

「不都合な真実」の続編を見ながら、次から次へと、突っ込みが・・・

死体を火葬しない文化が、どれだけあるだろうか。少なくともパプアニューギニアでは火葬しない土葬だった。アメリカのことはよく知らないし、ヨーロッパのことも知らない。(いや、過去世の記憶がもし正しければ、どちらもしてない。自信はないけど。)

疫学的には、たぶん、日本で火葬を法制化したのは、かなり正解だったと思う。感染症への不要な心配を減らす。ただ、現状の延長線だと、土葬された死体が過去になかった感染症の源になる危険性は、少なくないような気がする。そんな気がした。

いや、別に気にしてくれなくていいです。死体が多くの人々に免疫のない新たな感染症の根源となっていることが、実際に学術的に確認されてからでも、いいと思う。それでも遅くはない、とは、言う気は全くないが、学者は学者として生活を守る権利があると思うから。トランプの国民の人口の半数よりも、学者の生活が優先すると、私は思う。

相手はトランプだけじゃない。どこの国でも文化的慣習を変えるのは、極めて困難だと思う。(日本は、やったけどね。)


いや、最近ちょっと、考え方を変えたかもしれない。地球は全体としてもっと人口を減らすべきだ。目立つところでは、中国やインド。目障りなところでは、アメリカ。地球の「意志」は、我々の知識を凌駕している。その意志の元、導かれてトランプは大統領になったのかもしれない。

AKD砲の思い出が・・・

Nack 5の Sunday Lions。ゲストにデストラーデが登場・・・嘘だろ、と思ってNack 5のサイトを見たんだけれども、デストラーデの「デ」の字も書いてない。

まったくもぉ、どこの芸人だよ、それにしても、外人のしゃべる日本語の真似、うまいよなぁ、と思って、念のためGoogleで、「Nack5 デストラーデ」で検索したら、「サンデーライオンズ on Twitter」のサイトで、写真入り、動画入りのデストラーデを久しぶりに見た。いや、(ごめんなさい)甲子園のニュースよりも懐かしい。

秋山、清原、デストラーデ。西武の黄金時代。そういや、辻監督も懐かしい。名手の辻さん。守備を見ていて安心感のあった辻さん。
あっと、逆転!?ラジオの実況だもの。7対4。このまま突っ走れーと、(球場に足を運ばない)ファンからの応援です。

いや、ホームランって聞いて、デストラーデのガッツポーズを思い出した。そして、(ソフトバンクに行っちゃった)秋山のバック転・・・。お祭り男の清原(「おい、今打ったって、後の祭りだろう」、ってのもあった)。あ、いや、清原君、キレイになって、またメディアに戻っておいで!人生に「後の祭り」なんてないから、またどこかで活躍を見たいな。

聴くともなく聴いていて、ぶっ飛んだよ。Nack 5、Twitterもいいけど、サイトの記事にも、何か書いておいてよ。本当。どこのモノマネ芸人だよ、と思った。

Sunday Lions。取引先から送られてきた産業用デバイスの、仕様書を細かく読みながら、聴き流しつつ、つい、デストラーデに反応してしまった・・・

ライオンズ、ごめんなさい。今の若い選手の名前、わからないんだよなぁ・・・勉強不足で・・・。えぇと、ライオンズファンの彼女ができたら、改めて研究します。って、何を書いとる、この既婚者が!

温暖化と寒波

え、と思ったのは「地球が温暖化しているなら、この寒波をどう説明する」という、「不都合な真実」の続編での冒頭。

緩衝機能がうまく働かないから、変動幅が大きくなる。つまり、平均レベルでは上昇しながらも、暑い方も寒い方も、極端に触れやすくなる。あるいは、かたや干上がって干ばつになり、山火事や住宅火災で広範囲を消失する一方で、そのすぐ隣(アメリカのスケールだから、数100km離れていてもすぐ隣と言えると思うが)では、竜巻やら集中豪雨やらで水浸し、なんていうことが起きるのが、いわゆる「地球温暖化」の説明だと理解している。

で、実際にそれが起こったとしても、偶然だと主張するに違いない。何年も連続して、被災者数が数百万人に届き、産業自体が正常に機能しなくなって、初めて「もしかしたら、当たっていたのかも」と考え始める、程度じゃないだろうか。

現在の異常気象の原因(温室効果ガスの増加)の影響が完全に取り除かれるまで、70年とか80年はかかると思う。だって、「排出量」を1970年レベルに戻すのに20年近くかかる?その間、森林が減少して、サンゴも死滅し、吸収するものが激減した中で蓄積していくわけだから、大気中の温室効果ガスの濃度が1970年代のレベルに戻るには、もしかしたら百年近くかかるかも知れない。

とりあえず、トランプさんが正しいことを祈る。南極の陸氷が全部溶ける、なんてことは考えにくいけれど、部分的には、既に起きているらしい。海面レベルが1m程度上昇することは、既に確実な気がする。これが、「2mは確実」とか、「3mは確実」とか、じわりじわりと、「あ、やっぱり温暖化か」と実感する前に、「最大6m上昇する」つもりで対処するのが、賢明だ、とは思うが、賢明という形容詞をトランプさんに使っていいものか。

水商売

カルピス・ウォーターを当たり前に見るようになった。子供の頃、お中元みたいな奴でカルピスが届くと、ワクワクしながら井戸水で割って飲んだ。あの原液(っていうのかな、薄める前の濃い奴)も、今ドラッグストアで、ペットボトルで売られている。
「あ、これ一本で、500mLのペットボトル○本分、作れそうだな」と思いながら、僕は原液の方を買う。ケチですみません。でも、本当のケチは、カルピス買わずに水道水を飲むと思う。

その水道水。日本じゃ、十分に飲用可能なレベルの水道水が蛇口をひねれば出るのに、わざわざ、あちこちからの「水」が売られているんだよなぁ。あの物流コスト、どうなんだろう。

麦茶もそう。水出し麦茶の、乾燥してパック入りの、お徳用50袋入り、とか、58袋入り、とかが300円しないで(これも)ドラッグストアで売られているのに、若い人たち、ペットボトル入りの2Lのミネラル麦茶とか買う。運ぶの、重いだろうに。僕は、たぶん20年くらい前に買った麦茶用の、1.2Lくらいのガラス瓶(口が広くて、麦茶の乾燥パックを出し入れしやすい奴)に、(一応は、イオン交換樹脂のフィルタをつけてある)水道水で水出しして、そこからペットボトルに移して、凍らせたり、冷やして飲んだり、時にはそのまま飲んだり。個人的なコスパが、一杯あたりどのくらい違うか、暇な方はぜひ計算してみて下さい。それよりも気になるのは、物流コストだ。水に溶かしたペットボトルで流通させれば、重いし、運送費もかかるし、その分二酸化炭素の排出量もかさむ。水だって、そう。それを言ったら、お茶だって、カルピスだって。スポーツ飲料だって、粉末があって、粉末から作るのと、予め溶かしてあって、冷やしてある奴で買うのと、個人的なコスパがどれだけ違うか。それ以上に、実は環境負荷が桁違いに多い気がする。

こういうことを書けば、どなたかの営業妨害になる、ということは理解している。経済学の話題で、「無駄が利益を生む」という話を聞いたことがある。無駄という表現は誤解を招く。「手間を省く、誰かの手間を省くことで、利益を得る」と言い換えればいいのかな。例えば、粉末のスポーツ飲料を水で溶いて、それをペットボトルに移し替えるのに、僕は1分30秒もかけてない。2分以上は絶対にかけないけれど、1L分を500mL2本に均等に入れるのに1分は切れないなぁ・・・。僕のこの2分の手間。10袋だったら20分。これで、いくらくらい浮かせられるかと言うと・・・面倒なので、細かい計算しません。麦茶、日本茶、カルピス、みんなそう。
ざっくりと、僕自身の「作業時間」から換算すると、約1分程度の手間で150円くらいは節約できている(と思う、どこか見落としがあるかも知れないけど)。時間給に換算すると、9000円くらいになるはず。皆さん、金持ちだから・・・「調理済み」とか「ペットボトル入り」を平気で買う。うらやましい。ってか、考えたことがないのかなぁ。

経済学者に睨まれそうだ。その、個人の時間の、「時間給9000円分」は、どこに行ってるかと言えば、流通業、運送業、そして、「乾燥品」ではなく「すぐに飲める状態」で売っている製造元、そこいら辺で分配しているんだろう思う。それは金の話。そのプロセスでの二酸化炭素排出量を考えたとすると、そのツケがこの「慢性化した異常気象」に回ってきている。それを承知で、水をトラックに積んで、あっちからこっちへ、運び、水だけでみんなが儲かる。これこそが水商売。

アル・ゴアさんにすっかり感化されている感はあるけれども、「経済」優先で判断した挙句は、その経済活動が困難なほどの「生活環境」が待っていることは、覚悟した方がいいと思う。ってか、既に明らかに、誰の目にも今の気候は異常じゃないかな、と思うんだが。お茶の木が育つ、麦が育つ、牛が乳を出す、電解質を粉末にする電力を確保できる、そこが危ういのに、みんな生活スタイルを変えず、すぐに飲めるお茶、麦茶、カルピス、スポーツ飲料を求める。なんて書くと、僕の同級生も勤務しているあちこちの会社に、明らかに喧嘩を売ってるけど。でも、僕は、こう思ってます。環境負荷がバカにならない。

なんて書いていると、絶対に原子力関係者が色めき立つけど、悪いけど、もっとヤバイ話なのに、理解力がない人が原子力を推進する。福島県で、人が住めなくなった土地がどれくらいある?あの程度じゃ、原子力の危険性を主張するには不十分か。国土の2割くらい、人が住めなくなったら、多少は本気で考えてくれるんだろうかな。気候変動も、8月の東京都の最高気温の平均が42度くらいに、10年くらいの間にシフトしたら、もうちょっと、本気で「真の経済効果」を考えてくれるようになるんかなぁ。環境負荷を無視したら、経済活動が根こそぎ損なわれる、と言う議論が、多少は成り立つようになっているんだろうか。まだ通じない?

いや、何を書いても無駄かなと、僕は思う。その点では、僕はアル・ゴアさんとは違う。政治家じゃないもの。だって、ウチのヨ×、夏場の冷房の設定温度が18度で、部屋が25度くらいに冷えてるのに、まだ暑がっていて、そのくせ冬場は暖房の設定温度を28度にする。同じく25度くらいに暖まっても、まだ寒がる。どういう皮膚感覚をしているんだ、なんていう議論を何回しても、聞く耳持たない。あちこち開けっ放しだとか、文句を言えば、「あなただって、この間、あのドアが開けっ放しで」って、頻度が違うだろう、ってな反論は成立しない。っていうより、これまで5回は離婚を申し出たのに、最初の1回は「何それ」で聞く耳すら持ってもらえなかった。2回目も、流されたかも。3回目になって、ようやっと条件反射的な否定の言葉が返ってこなくなった。離婚を持ち出して、やっと聞く耳を持つ気になったか。それでも、「あなたが○×したら、近所に聞こえるように悲鳴をあげるから」という一言、あの一言で、僕はもうとっくに終わってたかも。その○×程度で悲鳴をあげられるのなら、触ることすらできない。以来、埼京線の満員電車の中で隣に女性がいる緊張感を、日常的に強いられている自分がいるのに、そもそも、自分が何を口にしたか全く何も覚えていない人だから、意思疎通ができない。って、何の話でしたっけか?
あ、そうでした。冷暖房の温度の話題。夏場の僕は25度だと寒い。冬場の僕は、15度でも暑い。体がそうなっちゃってる。そもそも、僕が他人と一緒にいること自体が無理かも。何だか、哀しい。って、再び、何の話題だ?

かくして、男は、水商売の女に走る。あっと、これで「標題」と噛み合ったので、これで私のグチのページを終わります。

今年の夏は、アル・ゴアの季節

トランプが大統領になってから見る、アル・ゴア氏の映画、「不都合な真実」はまた、格別だなぁ・・・

二酸化炭素排出量が1970年のレベルに戻ったとしても、蓄積された二酸化炭素が元に戻るまでの位相のズレというのは、何年くらいあるんだろうか。森林が破壊され、サンゴ礁が死滅して、二酸化炭素の吸収力はどの程度低下しているんだろうか。形ばかりの「温暖化対策」を行っても、気温の上昇傾向が止まるまでに、数十年とかかかるレベルに達していると思う。
学生に「位相」を説明する時に、太陽の南中高度と、気温のグラフのピークのズレを、僕はよく使う。モデルを簡略化し、地球の北半球で受け取るエネルギーが最大になるのを、6月下旬(夏至)とするが、気温のピークは8月上旬になる。この約一ヶ月半のズレは、関数系が積分になっていることによる。二酸化炭素排出量と気温の間の関係式は知らないけれど、単純な積分形だとしても、今現在、年平均気温がこれだけ上昇しているということは、明らかにピークはさらに先にあって、現在も変化が加速していると考えるべきだと、理解する。映画を見て、もしかしたら、二重積分形になっているんじゃないか、というような気すらしてきた。

映画の中で、アル・ゴア氏が言っていた。学者は、「気候変動は非線形的」だ、と。非線形系(システム)の「安定平衡」状態が保てなくなって、別の平衡点に移行する時に、系のリープが起きる。つまり、全く別の「安定平衡状態」に移行する。当然、その状態が何百年か続いて、人類の人口が極小化すれば、そこからまた元の平衡状態にリープして移行することもあるんだろうけれども、積分系の「結果」部分で、過去10年のような変化の加速が起きている以上、今後の10年は間違いなく変化が加速を続けると考えるのが自然かも知れない。

アル・ゴア氏が大統領になっていたら、どこかで流れが変わったかも知れない。けれども、トランプ氏を選ぶのがアメリカの民主主義だ、ということを、この「不都合な真実」の映画を見てから、じっくり考えるべきなんだろうな。おそらくトランプは、異常気象による米国内の死者数が1000人や10000人くらいでは、「地球温暖化なんて、嘘っぱちだ」という主張を変えないし、産業界もスタイルを変えない。死者が10万人、100万人になったら、もしかしたら、あのトランプでも主張を変えるかも知れない。死者が1000万人を超えなければ、アメリカの産業界はビジネススタイルを変えないような気がする。そして、アメリカ以外の地球全体が、その影響を継続して受け続ける。日本の総理は、そうなってもアメリカに尻尾を振り続けるのかなぁ。

もしかしたら、今年、熊谷はまた「最高記録」を更新して、日本国内42度の記録が出るかも知れないと、感じていたことを、この話題で書いておく。(熊谷じゃないかも知れないけれども。別に、日本一でなくてもいい。)

という議論は、自然科学系の人間なら誰でもできる話、だと思う。
師匠の講演会の話題から、追記する。地球も意識体だから、地球自身が、好ましくない変化は排除しようとする意識を持つか、あるいは、好ましくない変化を「元に戻そう」とするかもしれない、と思った。その結果は時として、かなり過激な「変化」になる、と聞いている。何が起きるかは、書かない。

アル・ゴア氏の映画の内容は、「事実に基づいた予測」であって、すでに10年前に指摘されていたことがいくつも起きている。まだ起きていないいくつかの事柄も、これから起きるだろうと思う。いや、僕自身、たったの10年でこれだけはっきりした「目に見える結果」が出るとは思っていなかった。

ただ、師匠の場合は予測ではなくて、予知だと自分は理解している。師匠が予知された「事件」が起きるのは、僕がもう生きていないくらいの未来、まだまだ先のことだと思っていたけれども、案外近いかも知れない、という気がした。それが起きた時、どんな馬鹿な政治家でも「考え方を変える」ことは、余儀なくされると思う。それ以前に、対応に追われて、対応できずに退陣する方が多いかも知れない。

長い付き合い

お気に入りのサンダルが、ついに限界

同じメーカーのほぼ同じスペックのサンダルをネットで見つけたので、買い替えた。昨日から早速愛用。

右のは、青年海外協力隊から帰国した翌年、1996年の夏に、ニューギニア方面遺族会のツアーアテンドの際「その気になったら全力疾走できるサンダル」として、大きな靴屋を数軒、探して回って買った。本気で走らないとならない状況なんて、数回しかなかったけれど、これも僕の大切な相棒。以来、夏、あるいはニューギニアでは必ずこれを履いていた。4度目かの補修をしようかと思ったけど、底のゴムがすり減っていて、接着面の面積が確保できないので、ついに断念。ほぼ22年間、毎夏ほぼ毎日履き続けた。明日は「廃プラ回収」の日で、ついにお別れ。新旧の交代です。新しい相棒、頼むよ。

思えば、地デジ対応の時に買い替えで出したテレビは、1982年型と1989年型があって、どちらも現役だった。今乗っている愛車は、今年で18年目になる。シャツとかスラックスも、古いのは1990年ごろ買った(いま再び着られるようになった!)のがあるし、色んなモノの劣化がすごくゆっくりだから、ついつい買い換えずにずっと使っている。とにかく、我が家で、特に親父が使っていたものとかは、なかなか壊れない。僕が事務所で使っている独身時代からの家電製品は、20世紀からのものが、あれもこれも、まだまだ現役。この調子だと、僕が死ぬまで壊れなそうな・・・

親父から相続したBMW。前回の車検前は、一ヶ月乗ってると冷却水が減って警告灯が点滅する、その間隔が3週間になり、2週間になり、という状態だった。車検の際に、「漏れるほどではないんですが、冷却水が漏れている感じで」と、ディーラーさんに伝えたところが、「小林さん、すごいことになってますよ」と。ディーラーさんの駐車場に行ってみると、BMWの下に緑色の水たまり、明らかに冷却水が完全にダダ漏れ状態になっていた。この状態の車に、僕は自走してディーラーまで乗って来たんだけれども、到着するまで全く目立った「漏れ」はなかった。着いてから、ついに力尽きるような感じで、ドバッと流血するみたいに、冷却水が水たまりを作った。「何だか、本気で頑張ってくれていたんだね」と声をかけるしかなかった。使っているうちにこういう感じになってくるから、もう手放せない。エンジンとかの心臓部が限界になるまで、たぶん僕は、この車に乗り続けるかも。

30年前(1年浪人、1年留年の院卒なのでこの年齢)、最初の就職先での新入社員の工場実習中、ラジオ体操第2の上体を前に降る運動の際に、コキっと音がして腰の椎間板が外れた。激痛。体を起こせない。痛くて痛くて脂汗が出る。近くの整形外科で診てもらい「椎間板ヘルニアです。元には戻らないでしょう」と言われた。痛い、けれども、職場の方にお願いして、130kgのリール運びの現場から、研磨工程のパートのおばちゃんたちと一緒の職場に移してもらって、意地でも実習は続けた。ところが、研磨したダイスを置いて、次のダイスを手にする作業で、上体を左右にひねる動作をしていたら、そこでまたコキっと音がして、嘘のように激痛が消えた。3週間だけの「椎間板ヘルニア」体験。この話をすると、「嘘だろ、そんなことがあるはずがない」とか言われる。ただ、この間、鼠径部のリンパにちょっとした違和感があって、腫瘍だと嫌だなと思って、日赤で調べてもらった。その時に「ついで」に見つかったのがこれ。(鼠径部のリンパは異常なし。)

実は今はもう、全く違和感がない。体が勝手に治ってくれたと思っている。(実際には、痛みなどの症状がキレイに消えただけだったみたいだけれども、結果オーライ。)今は「肉体は借り物」(細胞それぞれが、僕とは違う意識体)だと思っているけれども、感謝以外の何ものでもない。今年の5月、「肺ガンの一歩手前」と言われた肺炎というか、激しい肺の痛みは、今はもうカケラも残っていない。竹沢診療所にその時のレントゲン画像があると思うので、今と比べてもらったら差がわかりやすいと思う。たぶん、まだ多少「荒れて」いるだろうけれども、かなりキレイになってると思います。ただ、撮ってもらう機会は当分ないと思う。サンダルとか、BMWと同じく、僕は自分の体も信じている。限界までは、よろしく頼むよ、っていう感じか。

そうは言いつつ、これも長年の相棒のWindowsパソコン(Core i2)がもう、スペック的に限界。隠居してもらって、Core i5の中古パソコンを購入。メモリだけは4GBから8GBを追加して、12GBに増設した。13万円台のCore i7のハイスペックPCと、メモリ増設した、今回中古で(HD別で)1万3千円ほどで手配したPC。値段は10分の一程度だけれども、計算上のスペックは7掛け程度は出せるはずだった。

ところが、滅茶苦茶リアクションが悪い。タスクモニターをみると、システム割り込みが入りっぱなしで、Watch Dogが反応するという情けない状況。「せっかく買った中古PCが思うように動かない」と、先週の土曜日から、延々と悩み続けて(Macで他の仕事をしながら、)あれやこれや、ツールを試したりしていたのだけれども、もしやと思って、8GBのメモリを追加するのではなく、4GBと換装する形で、8GBへの増設だけにとどめて試したところが、もう、絶好調です。これも、昔の相棒の3倍くらいのスピードで動いてくれる。

いや、実はこのトラブル、ようやっと「解決」して、ホッとして、力が抜けてしまった。中古ですけどね。君とも、今後5年とかは付き合ってもらう感じかな。よろしく頼むよ。いや、本当はもっと長く付き合いたいんだけれども、業界のスペックの推移が激しすぎて・・・と言いつつ、いよいよダメならバイバイしようかとも思ってた。実は。

とにかく、えぇと、喜びのお裾分けです。嬉しい!

出会ってからしばらくは、お互い色々と、細かい部分を知り合うまでに時間がかかるってことなのかな。PC君、君もよろしく頼むね。(ヒトとの対話より、モノとの対話の方が楽だ、というネクラな私でした。「会話にならない」と思うと、そこで永久シャットダウン。この癖、なんとかならんかなぁ。)