水商売

カルピス・ウォーターを当たり前に見るようになった。子供の頃、お中元みたいな奴でカルピスが届くと、ワクワクしながら井戸水で割って飲んだ。あの原液(っていうのかな、薄める前の濃い奴)も、今ドラッグストアで、ペットボトルで売られている。
「あ、これ一本で、500mLのペットボトル○本分、作れそうだな」と思いながら、僕は原液の方を買う。ケチですみません。でも、本当のケチは、カルピス買わずに水道水を飲むと思う。

その水道水。日本じゃ、十分に飲用可能なレベルの水道水が蛇口をひねれば出るのに、わざわざ、あちこちからの「水」が売られているんだよなぁ。あの物流コスト、どうなんだろう。

麦茶もそう。水出し麦茶の、乾燥してパック入りの、お徳用50袋入り、とか、58袋入り、とかが300円しないで(これも)ドラッグストアで売られているのに、若い人たち、ペットボトル入りの2Lのミネラル麦茶とか買う。運ぶの、重いだろうに。僕は、たぶん20年くらい前に買った麦茶用の、1.2Lくらいのガラス瓶(口が広くて、麦茶の乾燥パックを出し入れしやすい奴)に、(一応は、イオン交換樹脂のフィルタをつけてある)水道水で水出しして、そこからペットボトルに移して、凍らせたり、冷やして飲んだり、時にはそのまま飲んだり。個人的なコスパが、一杯あたりどのくらい違うか、暇な方はぜひ計算してみて下さい。それよりも気になるのは、物流コストだ。水に溶かしたペットボトルで流通させれば、重いし、運送費もかかるし、その分二酸化炭素の排出量もかさむ。水だって、そう。それを言ったら、お茶だって、カルピスだって。スポーツ飲料だって、粉末があって、粉末から作るのと、予め溶かしてあって、冷やしてある奴で買うのと、個人的なコスパがどれだけ違うか。それ以上に、実は環境負荷が桁違いに多い気がする。

こういうことを書けば、どなたかの営業妨害になる、ということは理解している。経済学の話題で、「無駄が利益を生む」という話を聞いたことがある。無駄という表現は誤解を招く。「手間を省く、誰かの手間を省くことで、利益を得る」と言い換えればいいのかな。例えば、粉末のスポーツ飲料を水で溶いて、それをペットボトルに移し替えるのに、僕は1分30秒もかけてない。2分以上は絶対にかけないけれど、1L分を500mL2本に均等に入れるのに1分は切れないなぁ・・・。僕のこの2分の手間。10袋だったら20分。これで、いくらくらい浮かせられるかと言うと・・・面倒なので、細かい計算しません。麦茶、日本茶、カルピス、みんなそう。
ざっくりと、僕自身の「作業時間」から換算すると、約1分程度の手間で150円くらいは節約できている(と思う、どこか見落としがあるかも知れないけど)。時間給に換算すると、9000円くらいになるはず。皆さん、金持ちだから・・・「調理済み」とか「ペットボトル入り」を平気で買う。うらやましい。ってか、考えたことがないのかなぁ。

経済学者に睨まれそうだ。その、個人の時間の、「時間給9000円分」は、どこに行ってるかと言えば、流通業、運送業、そして、「乾燥品」ではなく「すぐに飲める状態」で売っている製造元、そこいら辺で分配しているんだろう思う。それは金の話。そのプロセスでの二酸化炭素排出量を考えたとすると、そのツケがこの「慢性化した異常気象」に回ってきている。それを承知で、水をトラックに積んで、あっちからこっちへ、運び、水だけでみんなが儲かる。これこそが水商売。

アル・ゴアさんにすっかり感化されている感はあるけれども、「経済」優先で判断した挙句は、その経済活動が困難なほどの「生活環境」が待っていることは、覚悟した方がいいと思う。ってか、既に明らかに、誰の目にも今の気候は異常じゃないかな、と思うんだが。お茶の木が育つ、麦が育つ、牛が乳を出す、電解質を粉末にする電力を確保できる、そこが危ういのに、みんな生活スタイルを変えず、すぐに飲めるお茶、麦茶、カルピス、スポーツ飲料を求める。なんて書くと、僕の同級生も勤務しているあちこちの会社に、明らかに喧嘩を売ってるけど。でも、僕は、こう思ってます。環境負荷がバカにならない。

なんて書いていると、絶対に原子力関係者が色めき立つけど、悪いけど、もっとヤバイ話なのに、理解力がない人が原子力を推進する。福島県で、人が住めなくなった土地がどれくらいある?あの程度じゃ、原子力の危険性を主張するには不十分か。国土の2割くらい、人が住めなくなったら、多少は本気で考えてくれるんだろうかな。気候変動も、8月の東京都の最高気温の平均が42度くらいに、10年くらいの間にシフトしたら、もうちょっと、本気で「真の経済効果」を考えてくれるようになるんかなぁ。環境負荷を無視したら、経済活動が根こそぎ損なわれる、と言う議論が、多少は成り立つようになっているんだろうか。まだ通じない?

いや、何を書いても無駄かなと、僕は思う。その点では、僕はアル・ゴアさんとは違う。政治家じゃないもの。だって、ウチのヨ×、夏場の冷房の設定温度が18度で、部屋が25度くらいに冷えてるのに、まだ暑がっていて、そのくせ冬場は暖房の設定温度を28度にする。同じく25度くらいに暖まっても、まだ寒がる。どういう皮膚感覚をしているんだ、なんていう議論を何回しても、聞く耳持たない。あちこち開けっ放しだとか、文句を言えば、「あなただって、この間、あのドアが開けっ放しで」って、頻度が違うだろう、ってな反論は成立しない。っていうより、これまで5回は離婚を申し出たのに、最初の1回は「何それ」で聞く耳すら持ってもらえなかった。2回目も、流されたかも。3回目になって、ようやっと条件反射的な否定の言葉が返ってこなくなった。離婚を持ち出して、やっと聞く耳を持つ気になったか。それでも、「あなたが○×したら、近所に聞こえるように悲鳴をあげるから」という一言、あの一言で、僕はもうとっくに終わってたかも。その○×程度で悲鳴をあげられるのなら、触ることすらできない。以来、埼京線の満員電車の中で隣に女性がいる緊張感を、日常的に強いられている自分がいるのに、そもそも、自分が何を口にしたか全く何も覚えていない人だから、意思疎通ができない。って、何の話でしたっけか?
あ、そうでした。冷暖房の温度の話題。夏場の僕は25度だと寒い。冬場の僕は、15度でも暑い。体がそうなっちゃってる。そもそも、僕が他人と一緒にいること自体が無理かも。何だか、哀しい。って、再び、何の話題だ?

かくして、男は、水商売の女に走る。あっと、これで「標題」と噛み合ったので、これで私のグチのページを終わります。