誤った知識

Nack 5の夕焼けヘッドラインで、黒田さんが「自殺するな」と呼びかけていた。

昨夜だっただろうか、やはりラジオで、夏恒例の怪談話が流れていたのだけれども、突っ込みどころ満載。
今日の話題は、100%師匠の受け売りですが・・・何となく霊を感じる程度の人があれこれ書くと、「群盲象を撫でる」的な状況になるから、この辺から誤った知識が拡散するのかも知れない。

幼い子供は、まだ心が汚れていないから、自分をあやそうとする霊体さんの姿が見えることがあるらしい。親父が死んで間もない頃、お隣さんの子供(幼児)が「おじちゃんが、こっちに手を振ってる」とか言ってたと、その子のお父さんが僕にその話をしてくれた。(親父、子供は好きでしたからね。)霊がそれだけはっきり見えるということは、それだけ心が汚れていない、ということで、そういう子どもは死んでも地縛霊になったりしないし、生きている子供にちょっかい出して「おいで、おいで、する」なんてことはなく、真っ直ぐ上に帰れるから全く心配ない、と私は理解している。でも、それだと怪談にならないんだろうなぁ。

大人が、「子どもが危険なことをしないように」作り話で、「あそこには子どもの幽霊がいて、おいでおいでするから、あの辺で遊んじゃダメだよ」と、教育的な目的で作った作り話がやがて一人歩きして、怪談のネタになったりするんだろうか。「群盲象を撫でる」どころではなく、見たことも触ったこともない象の話を他人にするような状況な気がする。
そうやって、幽霊を怖がったりしている一方で、「死んだらそれっきりで、霊なんざいねぇよ」と言う人も少なくない。自殺もその発想の延長の最たるものかも知れない。

霊体さんは、肉体を抜ける直前の「意識」の状態を引きずる、らしい。だから、死を目前とした人には、「後のことは心配ないよ、安心して。お疲れ様」と声をかける。その意識で肉体を抜ければ、大半の人はそれですんなり次に行ける、らしい。ところが、「死んじまったらそれで終わり」と思っている人は、自分が死んだことがわからないから、いつまでたってもウロチョロしている。普通の人も、1〜2ヶ月は家に留まっていたりして、「さて、帰ろう」が仏教の節目の四十九日頃にあたるらしいけれども、自分がまだ生きていると思っている相手は、始末に負えない。脳がない相手だからなぁ。この辺、「思う」と「考える」の間には、とてつもないギャップがある。

もっとも悲惨なのがやはり自殺だろうか。死ぬ直前の意識は、「死ぬんだ、あの電車に飛び込むんだ」と、それしか考えない、かなり「意を決して」という感じなんだろうか。そして、おそらくは「死んだら全て終わりだ」と思っているんだろう。そこが大きな間違い。電車に飛び込み、肉体を抜けて、しばらくすると「意識体」として覚醒する。その「肉体を抜ける」直前の意識は、「死ぬんだ、あの電車に飛び込むんだ」だから、結局「あ、まだ死ねなかった。次の電車に飛び込もう」と、もう意識体でしかないのに、延々とそこから無限ループに入る。もし、死ぬ直前に「辛い」という思いがあれば、ずっとそのまま、らしい。電車でなくて、七輪でも、首吊りでも、同じこと。

師匠が講演会でおっしゃってた。「だから、下りの電車に飛び込んだ人は、上りの電車には目も向けずに、延々と下りの電車に飛び込み続けて、それを何十年と続けている人もいる」らしい。原爆とかと違って、本人に100%責任があるから、自分で気づくまで師匠も放っておくらしい。(冷たいんじゃなくて、愛の鞭なんだろうと、私は解釈しているが・・・)死にたい、一番辛い、その辛さのピークの意識のまま、何十年とそこでループしたいなら、どうぞ、としか言えないんだが・・・。知らないってことは恐ろしい。
「人間なんて、死んだらそれっきり」という誤った知識(?)が定着してしまっていることが、そもそもの誤りの始まり、じゃないかと思う。

せめて、怪談屋が「死んだらそれで終わりじゃなく、全員が霊になる」(っていうよりも、そもそもが、生きている人も「霊体」が「肉体」に「乗っている」だけだから、霊になるという言い方もおかしいとは思うけれど、)という認識を広めるために、頑張ってくれたらいいのに、と思いつつ、怪談屋は怪談屋で、エンターテインメントビジネスだし、聞く側もエンターテインメントとして聞いているから、教育的な効果はほとんどないし、むしろ、誤った認識を拡散しているだけのような気もする。

ねぇ。自然科学的に解決して、「霊が見える機械」とか作れればいいんだろうけれども・・・それは当面無理だとして、せめて、騙されたと思って、自殺はやめた方がいいと、僕は思います。
一番悲惨な状態で無限ループに陥る。