小仙波の伯父さん

母の兄弟姉妹の最後の一人が、亡くなった。葬儀に参列。
母の母は、本家の僕のいとこのお父さんのお母さんとは違う人だと聞いていた。母の兄弟姉妹、母の二人の妹は、二人とも母にすごく似ていて、法事で顔を合わすたびにドッキリするほど似ていた。三人とも母親は同じ。ただ、比較的母と親しくしていて、僕も子供の頃何度となく連れて行ってもらった旭町の伯母さんとは、母親が違うと聞いていた。母の本家の伯父さんはかなり若くして亡くなられていて、その本家の伯父さんと、旭町の伯母さんとは母親が同じらしく、母のすぐ上の兄である今日亡くなられた小仙波の伯父さんと、私の母とで、母親が同じかどうかが、ずっと疑問だった。こうした話を、父も母も、全くしてくれなかった。母が実家に寄り付かなかった理由が何かあったのかも知れない。
今日、本家のいとこに聞いて見たら、歴史的な話をしていただいて、長年の疑問が解けた。要するに、昔は女性にとって出産が命懸けの大事業で、出産で命を落とす女性が少なくなかった、ということらしい。大正時代どころか、明治時代を感じさせるストーリー。小仙波の伯父さんは、母にとっては両親ともが同じ兄にあたる方だった。
結局、今日わかったことは、僕の祖母は、父方の祖母も、母方の祖母も、どちらも後妻で、その前妻にあたる方はどちらも出産で命を落としていた、ということだった。昔は「家」を継続させることが至上命題で、後妻を娶るのが当然だったという時代背景もあるらしい。

この歳になってみると、親戚とのお付き合いというのは、面倒臭いというよりも、自分とルーツを共有する数少ない人たち、という気がしてくるんだが、そう感じてしまうのは、子供がいないからかも知れない。よくわからん。

それにしても、今日の葬儀は、自分にとっては初めてのパターンだった。なんだかすごく違和感があった。

古代サンスクリット語で、Namの意味は「〜の仰せの通りにいたします」の意味だと理解していた。英語だと、followとかobeyに近い。この状況で、これは変だろうと、すごく違和感があった。

念のために、Oxfordの辞典(Editted by John Browker, The Oxford Dictionary of World Religions, 1997)でちょっと調べてみたら、色々と書いてあったけれども、こうあった。(P678、全25行のうち6行を抜き出した。)

Names of God are approximate characterizations of some aspect of his nature, but Nam lies behind these approximations. How can Nam be known? Nam is within us, yet how can Nam be reached? Nam is at work everywhere, permeating the whole of space.

ヒンドゥー教、シーク教の調査に基づき、古代サンスクリット語から現代サンスクリット語に引き継がれた意味についての解説、ということになるんだろうか。
これは、私自身の解釈だが、古代サンスクリット語では「〜の仰せの通りにいたします」の意味だったのが、定冠詞的に、言ってみれば英語のTheなどのように、優れた指導者の名前や、教典の名称がその後に続く。その結果として、時代を経てNamそれ自体が「神性」を意味する単語としてサンスクリット語に引き継がれた、そんな気がする。

もしやと思ってAmenを調べてみたら、こうあった。(P56、冒頭のみ)
Amen (heb. “So be it.”) An individual or congregational endorsement of a prayer or blessing.

実はこれも、古代アラム語では「神の意に沿うように振舞います」で、ヘブライ語に引き継がれた(とここに書かれている) “So be it.”に意味が近い、と聞いている。南無も、Amenも、教えが解かれた当初は「神の(仏の/あなたの)思いに沿うように、教えられた通りに行動いたします。」(FollowとかObeyが近い)の意味で唱えられていた。言わば、決意表明だった。それが、何世代も何十世代も経るうちに、意味が失われて形骸化したのではないか、という気がする。

そして、日本の仏教での南無の解釈は、「おすがりします、助けてください」であるらしい。これはわかりやすい。室町時代など、戦乱、飢饉など苦難の中での衆生救済が前面に出て来た、ということなんだろう。おそらく、Amenも同じように変遷したような気がする。

師匠の受け売り。肉体を持っている間にできる「経験」は、肉体を抜けてからとは桁違いに多い。サラリーマンの通勤。電車の中で隣に誰かが立っている。そこでちょっとした「気を使う」だけでそれも「経験」だし、道を歩いていてちょっと体をよじって、相手とぶつからないようにする、それも「経験」。あれも経験、これも経験。肉体を抜けたら全く出来なくなる貴重な経験。その経験を、なんども繰り返すことで、ある時突然、自分のエネルギーレベルが上がる。肉体を抜けてしまうと、自分と同じ意識レベル、エネルギーレベルの人たちとしか意思疎通できない。考え方も同じ、行動パターンも同じような人たちばかりが集まっていると、ほとんど新しい「経験」はできない。だから、肉体を抜けている間は「進化」はできない。それなら、何をどう心がけて生きて(肉体を持って)経験したらいいんですか、と、それが解かれていたのが仏教の経典で、そうした古代サンスクリット語に忠実に翻訳は、ほとんど残っていない、らしい。

だとしたら、先週肉体を抜けたばかりの人に「蓮華経という素晴らしい教えの通りに行動いたします」と、いくら唱えても、もう遅いはずなんだが・・・。鎌倉時代、室町時代、隣人を殺して食って生き延びた時代なら、衆生救済でも良かったのかも知れないけれども、戦乱も飢饉もない現代の、このタイミングではもう、意味がないでしょうと、感じざるを得なかった。それが「違和感」の理由だった。

なんだか、思った。納期の直前まで、プログラムも書かずに「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と唱え続けていれば、立派なシステムエンジニアになれます、みたいな・・・。ついに納期が来ちゃいました。客先でも「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と唱えたら、「ご苦労様、請求書出しといて」と言っていただける。そういうのって、すごくいいなぁ。憧れる。だから広まるんだ。これで日本のプログラマ不足は問題が解決するね。

こんなことも思い出した。昔、アメリカ人の部下がいた時、来日して間もない彼が別れ際に「お大事に」と僕にいった。「え?俺ってビョーキか?」とまず思ったんだが、たぶん英語の”Take Care!”を日本語にしたら「お大事に」と書いてあったんだろうと理解。言葉の意味が変わった瞬間。

えぇと、これで僕の小仙波の伯父さんの葬儀がどんなだったかが、たぶんバレた。伯父さん、ごめんなさい。

でも、伯父さん以前ボヤいていた。母の一番下の妹が統××会で結婚して、しばらくしたら何十万円だかの壺を売りに来た。ウチにも来た。親父とお袋の対応を覚えているけど、それは書かない。その前後の法事で伯父さんにあった時に、「ウチにも壺を売りに来たんだよ、参っちゃうよなぁ」とかボヤいていたのに。別に、いいだけど。なんだか、故人の話ばかりだ。やめよう。(もう俺も、そういう歳か。)

蓼食う虫も好き好き。蓼食わぬ虫はギスギス。

今日から僕は納期まで、もうプログラムは書かずに毎日「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と、唱え続けようかと・・・