ギャップ

師匠の講演会の受け売り。
ヒトの意識体は、(たぶん、物理的にもマッピングされた形で、)4次元から9次元まで、6つの次元に存在する。あの人は何次元、という言い方は、具体的な固有名詞も含めて何度も講演で聞いているし、そのうちの一部は師匠の著書にも書かれている。既に、このページのバックナンバーでも書いてしまった話題で言えば、田中角栄氏は7次元。そして、9次元は別格。イエスキリスト、釈迦、アッラー、モーゼなどなどの方々は、最初から人類を指導するために、直接創造主によって創造された意識体、だと聞いている。それ以外の、我々その他大勢は、全ての人が4次元として、意識体として「生まれ」て、何度も肉体を持つうちに、経験を積んで、「進化」を重ねていく。ただ、同時に「退化」もあって、次元が落ちることもある。

この段落は、師匠の受け売りではなくて、私の考え。
超ひも理論では、3次元から上の空間は11次元目まで「畳み込まれて」いると読んだ。もう僕のトシでは無理だと思ったし、数式を辿る元気も無いから、直感だけで読んだけれども、畳み込まれている次元、ということは、コンボリューションだろうか。多重積分の結果が、次元の落ちたベクトル量になる。そこで起きる現象は、システムエンジニアの発想で言えば、マッピングとか、キャスティング。日本語にしたなら「投影」であって、そこから英語に戻したなら、プロジェクション。つまり、3次元の物質世界は、より高次元のエネルギー空間からの「投影」によって構成されている、その結果として、4次元から8次元という次元の異なる「意識体」が相互に意思疎通し、言葉を交わして、一緒に生活できる。

直前の段落の「私の考え」を受けて、師匠の受け売りから「私が考えた結論」は、(師匠も講演会で、ほとんど同じ内容のことを話されているけれども、結論に至るプロセスに私の考えがあるので、こうした微妙な書き出しをしているけれど、)創造主は、全てのヒト(すなわち、創造主と同じように、「地球」の意識とも違う、「電子」の意識とも違う、自分たち中心の表現で申し訳ないけれども、創造主と同じ「人格霊」としての意識を持つ意識体)を、最初は4次元として創り出しておいたけれども、まず自力で8次元までは進化して欲しい、とそれを意図して、投影(プロジェクション)によるこの3次元世界を創造された。と私は理解している。

そして、この話題の本題。何を「きっかけ」にして、このページを書いたか。ツタヤのレンタルで「マディソン郡の橋」を借りて、今見ていて、クライマックスか?クリント・イーストウッドと、メリル・ストリーブの朝の会話を見ていて、ふと重なった。(僕が、どういう生き方をしてきたかは、書かないけど。)
メリル・ストリーブの演じるフランチェスカのモデルは、おそらくは4次元か、5次元。クリント・イーストウッドの演じるロバートは、たぶん6次元。
この会話の断片。「地球を家とする」とか、「人生を数日で生きる」とか、あれやこれや、DVDを見ていて思った。心から理解し合えるはずがない。違うのだから。ただ、6次元なら4次元や5次元の感覚に「共感」を持つことならできるはずだ、とそう感じた。

この段落は、師匠の受け売りがベースで、私流の解釈が加わる。
4次元は、まず「肉体を持つ」ということがどういうことか、その経験をするために肉体を持つことを課題とする次元。この1文は、私なりの見解で表現を私の流儀で書き加えるけれども、5次元はいわゆる「いい人」で、「自分がこうしたら、この人がこう困るだろうから、こうしてあげよう」という気配りが、完全に身についている人。5次元以上は、当たり前のようにそれができる。けれども、4次元から見たら「偽善者」だとか「上から目線だ」とか「鼻につく」とか、自分にはそうした感覚がないから、5次元以上が当たり前のように周囲に気配りすることが、不快でたまらない。ここに、「感覚」的に埋めることのできないギャップがある。極めて、個人的な経験の記憶から。
6次元は、一言で言えば「専門職」だと師匠から聞いている。どんな仕事でも「プロフェッショナル」を目指すレベルで、一つの仕事で「極める」ことを毎回課題とする次元。ところが、「一番、誤りやすいのは6次元」だと師匠は講演会でおっしゃる。(以下、私の解釈)まず、他人を見下すようになる。わかりやすい例が官僚だろうか。あの人たちは「社会運営のプロ」だと思っているらしく、自分たち以外を「指導されるべき下賤の民」だと思っているのかもしれない。

これも師匠の受け売り、からの、私の表現。(いちいち、面倒臭いから、皆さん、直接師匠の講演会を聴きに来てくれたら話が早いのに・・・)創造主から見て、最も良くない「欲」は、「他人を思い通りに動かしたい欲」らしい。いわゆるパワハラか。創造主は、6次元の人が4次元や5次元の人に対して、「先輩」として、あるべき姿を見せながら、指導することを期待されたのかもしれない。ところが、ほんのちょっと専門性を高めると、すぐに大上段から振りかぶって、押し付けて、思い通りに動かそうとして・・・ってな具合で、どうも、「振り出しに戻る」人も少なくないようで。個人的に考える。「気配り」すらできないなら、4次元からやり直せ、ということなんだろうか。あるいは、「気配り」ができない時点で、意識体のエネルギーレベルが落ちて、5次元にすら戻れないことになるのか。「あ、この人たぶん」ってなことは、最近時々感じる。大丈夫。落ちても、よほど欲にまみれていなければ、また肉体は持てるから。

7次元まで上がると、そう簡単には落ちない。全ての人を平等に見ている。極めて個人的に、私は天皇陛下ともお会いする機会があった(青年海外協力隊の隊員は、みんな謁見しているみたいです)し、ソニーの創業者の井深さん、MITの教授、あの人、この人、普通のサラリーマン、そして、あの人、この人(アゲイン)、路上生活者、ヤクザ、元ヤクザ、自称右翼、パプアニューギニアの元強盗、などなど、誰とあっても自分も変わらないし、自分からの相手への接し方も変わらない。それだけは自信を持って。だとしたら自分の次元は、ということも考えるけれども、そして、8次元のあり方を描写できない時点で、だいたい見当はついてる。

私は「チンドン屋」なので、師匠の講演内容を、少しでも多くの人に伝えたい。その手段は人(勉強会の会員)それぞれ。直接会いに行く人もいる。私は、WEBページを使っている。
他にも、盛り込みたい話題、派生的に言及したい師匠の講演内容(だって、もう600時間は聴いてる)もあるけれども、論点がボケるので、これで終わる。

ギャップは、あります。それは当然。そのギャップを埋めるために、僕ら全てのヒトは肉体を持ってる。この点は、伝えたいと思った。

「マディソン郡の橋」を見て、こんな感想文を書く奴、絶対に他にはいないだろうな、とも思ったけど。

以上。