きのこ狩り

キノコ狩りで亡くなった方が、今年はやたら多いとか。
70才代とか年配の方が多い。らしい。他人のことは笑えない。

今年は、完熟の梅が見事なくらい、たわわに実った。木に登って取れるところだけで済ませればいいのに、手が届かない、体重をかけられる枝がない先端の取り残しを、残さず取ろうと、狭い場所に三脚を置いて、三脚の脚を広げきれない状態で、バランスを取りながら取ろうとして、落ちた。頚椎を痛めてる。
冷えてきたら、足のしびれが出るようになった。治すよ、自力で治すってば。ただ、この冬は結構キツイと思う。時間がかかるようになった。それ以前に、ほんのちょっとでも状況が違っていたら、死んでいてもおかしくなかったな、とは思う。
欲張り爺さん、首の骨を痛めるの巻。

ときがわ町の西平のあたりにある農協の直売所(だったかな)で、以前、キノコフェアみたいなの、やってた。珍しいキノコとかがたくさん。ただね、出遅れて10時くらいに着いたら、残っているのは種類を書いた値札ばかりで・・・。まぁいいや。スーパーのパックに入っていない「得体の知れない食い物」なんて、買って来た日には、やたらと面倒なことになる。シイタケとか、エノキダケ、マイタケ以外は、食い物ではないということで、納得することにして・・・。僕の人生は、こういうことになってしまった。首を痛めるよりは、多少はマシな話か。でもなぁ、キノコに目がくらんで転落する人の気持ち、今はとってもよくわかる。

師匠がいつもおっしゃる。人間の実体は、肉体じゃないよ、意識体だよ。心を汚したら、いくら着飾ったってなんの意味もない。上の方々は意識しか見ない。なんてな話で。
「あれ、美味しそう」なんていうのも「適度」ならなんの問題もない。人生をエンジョイする、っていう意味では、肉体を持っているからこその楽しみ方もある。キノコを味わうのも、完熟の梅の甘さを味わうのも、肉体を持っていてこそ。肉体を持っているなら、生きているなら、楽しまなきゃ、もったいない。その点については、師匠のお墨付き、だと思う。
ただ、それが「欲」になっちゃうと、結局心を汚す原因になる。「欲」になっちゃったらまずい。

以前、勉強会の会員の方が、こんな話をされていた。ある日、自動販売機の釣り銭受けに、何枚ものコインを見つけた。「これは、儲けた!」と、内心喜んだらしい。次から、自販機で買い物をする度に、釣り銭受けに手を入れると、「また、あった。儲け!」なんてことが、何度も続いた。5回だか、10回だか、それが連続するうちに、「なんか、変じゃないか」と思い始めたらしい。もしかしたら、俺は試されてるのか?と思って、「儲けた」と思って喜んでいた自分の気持ちを見直して、師匠に直接確認されたらしい。そうしたら、師匠が笑って「そうだよ。」とだけ、返事をされたとか、そんな話を聞いた。
ぶっちゃけ、似たような話は自分も経験があるし、いろいろなバリエーションで話は聞くけれども、はっきり言わせてもらえば、師匠も試し方が、かなりエゲツない。あ、と気付いた時に思いっきり赤面するような経験を、それも、普通はあり得ないような偶然を、平気で突きつけてくる。確かに、ありがたいっちゃ、ありがたいけれども・・・

ちなみに、師匠の「そうだよ」の後は、釣り銭受けに手を入れても、もう何もなくなって、むしろほっとしたらしい。実は、これが「地獄」の再現経験らしくて・・・。肉体を持っている時に、本人の意識が「執着」しているって言ったらいいのかな、ハマってしまって抜け出せない「思い」があると、そしてそれが「物欲」だったりすると、意識体だけに戻ると外界からの歯止めが効かないから、似たような意識体の方々が集まって、本人が「これはおかしい」と気付くまで、その状況が続く。前にも書いた、セックスもそうだし、飽食もそうだし、夢の中でそれを続けている状況を想像したらわかりやすいかも知れない。そういうのは、本人たちは「天国」だと思っているかも知れない。人を殺すことや、奪うこと、騙すことに快感を感じる人たちは、そういう人たちどうしで、殺し合いを延々と続ける。「血の池地獄は、実際にあるよ。行ってみる?」なんて話もあった。価値観の違いで、傍から見たら地獄でも、本人にとっては天国、ってなことはあるかも知れない。結局、脳がなくなった「意識体」の状態で、「自分で気付くことが、どれだけ難しいか」ということの、ある意味で「課題」なんだろうとも思う。
僕が何で赤面したかは、書きません。自分のセコさだけは、悔しいけど、自信がある。

梅の実取りで、三脚から落ちて、頚椎を痛めた。これから寒くなる。今年は、結構シビレとか麻痺にも、悩まされそうだ。自戒の念を持ち続ける程度に、後遺症を残していただいて、感謝すべき、なんでしょうね。あの時に死ななかったのは、まだ生きて、何か仕事しろ、ってなことなんだろうと、解釈しておくことにする。

それにしても、と思う。肉体を持っているからこそ楽しめること、ってのは、ものすごく多い。キノコの味覚もそうだし。だけど、それが「欲」にならない、「欲しい」っていう気持ちに棹さして、安全を軽んじてしまうってのは、全く他人のことを笑えない、と思ってしまったニュースだった。

ただね。もう、今回やるべきことはやり尽くした、もう、思い残すことはない、と思えたなら、なまじっか、胃瘻か何か作られて、チューブに繋がれて生き続けるよりは、こうした事故で、サッパリと「人生を終える」ってのも、ありかな、なんていうことを考えるようにもなった。逆に言えば、肉体を抜ける際に、何も悔いを残さないように、今回自分で「課題」に掲げた内容だけは、きっちりと仕上げてから帰りたい。