お化けが怖い・・・

NHKの渋護寺(シブゴジ)に反応。
師匠がこの番組をご覧になっていたら、絶対何か、講演会の内容なんかで、コメントがあるだろうなと思いつつ、取り急ぎ弟子の私が反応。師匠の講演会内容で、再三、「注意喚起」というか、僕らの心構えを説かれていた内容で、私程度の記憶からでもかなり自信のある部分だけ、抜粋。

まず、いわゆる「お化け」(=妖怪)の類は、人類の恐怖心からの妄想で、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だと言えます。ゾンビ?貞子さん?あり得ない。恐怖心を煽るエンターテインメント。これらの映画製作が、「誤った神の教えを解く」だとか、「人の心を惑わす」に該当するかどうかは、私にはわからないけれども、「エンターテインメント」を看板に掲げているなら、信じる方が未熟だと個人的に私は思う。

ただし、悪霊は実在します。それは、何度となく言われている。実際に訪れた人を殺すような悪霊が居着いた場所は、世界中に何十箇所も存在していて、師匠が浄霊した場所などは限られている。強い憎悪を抱いたまま死ねば、その人は悪霊になって、地縛霊とでも言うべきか、訪れた人を殺す場合もあるし、(詳細は、師匠が実際の浄霊経験を著書に書かれているので、そちらを参照して欲しい。僕が強引に会の規約を無視して、師匠のお名前とか著書をネットに出しました。指摘されたので掲載したWEBページは消したけれども、インターネットだからどこかに残骸が検索できると思います。ルールの範囲なら「無知という名の泉」で、検索して拾えるかなぁ。この書籍名なら、書いても規約に反していない気がする。ルールを破る悪智慧だけには、自信がある。話を戻して、)「あの心霊スポットはヤバイ」と言う場所は、本物がいる場所だとしたら、訪ねるのは止めるのが無難だと思います。おそらく、海外でも、ベテランのエクソシストの方でも命を落とされた方がいらっしゃる。映画もフィクションではない、と私は理解しています。

それ以外にも、どこぞの宗教が、「墓が死後の住居」だとかなんだとか、教えているもんだから、それを信じ込んで、古くは室町とか、新しいところで江戸時代あたりから墓石に住み着いた霊体さん、なんかがいて、その墓が土石流だとか自然災害で流され、「なんとなく形のいい石」になって河原に転がる結果になった。その河原の石をこの石綺麗、とか思って、拾って帰った方が、その墓石に染み付いた霊体の意識に取り憑かれた顛末、なんて言うのも師匠が著書に書かれている。(NHKに便乗した宣伝になってしまった感があるけれども、師匠の著書を買う金を払いたくないなら、私の伝聞で我慢して下さい。)

人間は本来「無垢」だと思う。僕もそうだけれども、権威が「こうだ」と教えこめば、簡単にそれを信じてしまう。それを疑うことが難しい。信じた内容が間違っていれば、天に戻るどころか、地獄に落ちるし、地獄に落ちるそれ以前に、この物質世界に漂流して(日本の仏教の考え方で言えば、「成仏できない」だし、キリスト教の考え方は完全には理解していないけれども、地獄に至る前の「煉獄」なんだろうか、イスラム教は本は持ってるけど本質を理解してないから、スルーして、)とにかく、現世に止まって、生きている人間に悪さをする。いや、亡くなったご本人は、「生きているつもり」なんだろうし、自分のありのままなんだろうけれども、「あなたのありのままは、迷惑極まりない」なんて言う隣人は、ご存知ありませんか?それがそのまま、霊体になる。
現生に止まって、「自分と意識の近い人」に働きかける。僕なんかは、いいカモです。酔っ払いが死んで、自分が死んだことを自分で理解できないと、酒飲みに取り憑く。酒を飲んでいい気分になりたい。その意識だけは(執着って言うんかなぁ)しっかりしているから、酒を飲んで今を忘れたい生きてる人間に取り憑く。そう言う「霊体さん」が「常連」にしている人は、泥酔していても霊体さんが体を操って時にはタクシーの運転手に目的地を告げて、自宅まで連れ帰って、カモに「また、よろしく」なんていう意識を送っているから、翌日もまた無事出社して、そうして終業のチャイムが鳴ったら即酒を飲みに帰社する、なんてしていても、取り憑かれた本人は結構無事だったりする。酒飲みの場合はその程度、だけれども、それが憎悪ということになったら、どんなレベルなのか、私は理解したくない。肉体を操って、誰かを殺す、なんていうことは、普通に起きているようにも、ニュースを見ていると感じる。

大川隆法氏。あの方は、紛れもなく9次元が肉体を持たれた方で、「釈迦」です。師匠がそうおっしゃっていた、だけではなく、もしかしたら僕自身、誰の「チンドン屋」を務めるか、もしかしたら、大川隆法氏の下に仕えようとしていたかも知れない。だって、釈迦の直属の部下ですよ?でも、頼れたのは、自分の「違和感」だけだった。ただ、間違いなく、あの方が書かれた最初の一冊だけは、上の意識を受け取って書かれた本だったと、師匠がおっしゃっていた。「太陽の法」だったかな。(それ「だけ」ね!)
汚れた心は、汚れた霊を引き寄せる。それを避けたいなら、自分の心をきれいにしなさい。それだけ、なのだと思う。「渋護寺」に出られていた住職も、おっしゃっていた。「南無阿弥陀仏」を唱えただけでは、憑依霊は避けられない。具体的に、私自身を例にして言えば、酒が飲みたい一心でいれば、いくら「南無阿弥陀仏」を唱えたって、酒を飲みたい心が優って、そういう憑依霊は簡単に私に取り憑く。取り憑かれたら最後、あとはもう、失禁しようが、道路に寝ころがろうが、勢いで崖から落ちようが・・・これ以上は、ご想像にお任せしますが、誰に取り憑かれるかは、運次第、ってな感じだろうか。小中学校の担任が誰か、なんていうのに、似ている気がしますけれども・・・。それが嫌なら、「酒を飲みたくてたまらない」自分の心をどうにかするしかない。
ただ、霊体さんの意識を引き寄せる、引き寄せない、それは、ご本人の意識次第。

師匠は、悪霊には気をつけないと怖い、ともおっしゃっていた。その点は別にして、普通の、いわゆる(自殺なんかの)自縛霊、とか(墓こそ自分の住処、みたいな)地縛霊、とか、(「人間、死んじまったら何も残らねぇんだよ」なんて本気で思った挙句の)浮遊霊、とかの方々は、自分の意識が共鳴しなければ、全く影響を受けることはないから、安心していてもいいんじゃないかな、と個人的には思う。自分で気づくまで、放っときゃいい。人畜無害。本人が時間を損するだけ。ただ、憎悪を持って死んだ悪霊だけは、別格。

私自身は、(もう、数え切れないほど書き続けた、盗聴とか盗撮のおかげで、)自分を守ろうとか、自分を良く見せよう、なんていう意識は、カケラも無くなった。お陰様で。「思いたいように、言いたいように、お好きに私のことを語ってください」なんていう心境は、やはりあの、盗聴・盗撮のおかげかも知れない。私を殺す?お好きにどうぞ。ってな感じか。私の私生活では、適齢期に結婚し損ねたし、子供もつくりそびれた。今のヨメは?ノーコメント。いや、俺、思い残すこと、何もねぇから。仕上げたい仕事はあるけど、出来なくたって、僕が困る訳じゃない。殺したいならお好きにどうぞ。そんなところか。そもそも、「自分を守りたい」と思うから、「恐怖」が生まれる。守らなければ、いいじゃん。それだけ。「何かが怖い!」羨ましい。守りたい自分の生活がある、なんて、素敵じゃない!?失うのが怖いのなら、最初から、持たなきゃいいじゃんか。

「お化けが怖い!」ですか?いわゆる妖怪はいないけれども、「霊体さん」たちはものすごく、多数、この世界に「残留」しています。知らぬが仏。知らぬか放っとけ。死ぬから放っとけ。死ぬから仏。
その「残留意識」に同調するかどうかは、我々自身の心の在り方次第、だと私は理解しています。意図的に共振して、「テメェ、何だこのやろ」なんていう喧嘩を売れる自信がないなら、あるものをただありのまま受け入れて、殺されようがなんだろうが、なされるがまま為されて、できることは全力でやる、ただそういう生き方をされたらいいのかなと、私はそう思う。その意識があったら、霊体さんなんて、一体も怖くないと思います。
以上。