ジュマンジ

旧作のジュマンジは好きだった。
なんていうか、盗聴っていうか盗撮っていうか、それらから逃げまくって実家に逃げ込んだ頃見た映画。ちょっと元気をもらった。

それが、すごくリニューアルしたみたい。

作りは完全に変わっているのに、どんな人たちに何を伝えたいか、だけは、きっちり伝わってくる。それが、クリエイターの感性なのかな、と思った。時代に合わせて伝え方の手段を変幻自在に変えていかなければ、伝わらない。そういうシビアさに直面しているのは、きっと、広告関係の方々、かもね。伝える事が、ビジネスに直結してくる。

それに比べて、宗教指導者って、なんなんだか。「何を伝えたいか」が見えてこない。塩を巻かなきゃダメ、とか、豚肉食っちゃダメ、とか、意識体には全然関係ないところで縛りを効かせる。「祈りを捧げる」って言ったって、心の向け方を知らずに、体と口だけ動かしたって、意味ないでしょ?心の向けかたを知っていたら、普通の人が相手でも心は届く、はず。それができない人が、体と口だけ動かして祈ったって、全然意味がない。あれね、材料が流れていないのに、オートマシンの製造機械がひたすら動いている集団的な壮観。どうでもいいや、幸い、テレビでしか見た事がない。あっと、この間、親戚の葬儀で片鱗を見かけたけれども。

伝えたいものがないから、伝える必要がない。そうなっちゃうと、教卓で、ただひたすら教科書を棒読みする「教授」みたいになってしまう。(実は、実名を出したい人が二人ほどいる。)宗教がほとんど、それに見えてくる。あ、えぇと、喧嘩は売っていません。伝えたいものがなくたって、別にいいじゃないですか。暇つぶしが必要な人は、世間には山ほどいる。

どういう話の飛ばし方、なんだか。新作のジュマンジ、旧作同様に、今の時代に合わせて、伝えたいメッセージが表現を変えて伝わってきた気がした。

中身が分かっていれば、伝え方が変えられるのに、伝え方を変えられない、ってのは、中身が分かっていない証拠。