幕引き

固まってしまって、仕事にならない。
随分と凄惨な殺され方をした人が、どこかにいたみたいで・・・。恐らくは宗教の法の定めによる処刑が日常化し、血の海を見慣れている人たちなんだろうとは思うが、想像したくないニュースを読んでしまった。真実は知らない。口を突っ込みたくもない。ただ「公平性」だとか、「人間性」だとかとは程遠いところで、見せしめが慣習化している国もある、と聞くと、耳を塞ぎたくなる。

ただ、思うに、心を傷つける言葉というのが確かに存在していて、誰かの心をグサグサと刺すような表現(以前は僕も、普通に使っていたと思う)で、心を刺された人、もし心が傷ついているとしたら、同じように見えない血の海が広がっているのかも知れない。
最近自分には、どちらも同じに思えて来ている。偉そうなことを言う資格がないと思うのは、たぶん僕自身、特に10代・20代の頃、平然とこれをやっていた。「意図的に」と「無頓着に」とでは、落ちる先が違う気もするけれども、よくわからない。

「いじめ」などは、たぶんその典型で、いじめる側が言葉を発して、それが突き刺さるごとに心から出血する様は、もしその心象風景が見えたなら、どこかの領事館で展開された景色と似ている気がする。その血の海で苦しむ「同級生」とかを見て快感を感じている児童、生徒がいるようだ、とニュースなどで見聞きすると、「血の池地獄」を連想する。

今回のニュースが、何よりもやり切れないのは、なぜアメリカが出てくるのか分からないけれども、落とし所を見つけて「幕引き」するらしい点かも知れない。早々と「落とし所」がネットニュースに流れていた。どう見ても、人道的な問題よりもビジネス優先。そうした政治が容認される国では、「あの国の資源が欲しい。領有すればいい。それなら口実を作って開戦させて、戦争を起こして支配しよう」という発想も容認されるんだろうか。自国の経済優先なんだから、当然「正当化」される。近代の世界史には、それが多かったんだろうけれども、時代が逆行しているのか。もう、止めようがないのかも知れない。何よりも、対イランと判断基準が違いすぎないか?

いや、国内の「いじめ」報道なんかでは、例えば教育委員会とか学校なんかが、同じことをやっている、ような気もする。そうか、トランプもそれと同じか、と思うに至る。片や、選挙目当てで「ビッグビジネス」を成立させ、「経済政策は成功した」と主張したい。片や、自分の立場を優先して、見て見ぬ振りをする。私たちは何も悪くありません、と主張する。嫌だなぁ、と思っていたら、思考のカーソルがワープした。

大人の世界でのパワハラ、なんかでも、随分と乱暴な言葉で部下を追い込んだりする。あるいは、ラジオを聞いていたりすると、聞きようによっては相当なトゲのある言葉を応酬する大人もいる、みたいで、子供の社会は大人の社会の縮図、なんていう表現に妙に納得してしまう。それが「法を犯した犯罪」でないならば、「何をしてもいい」みたいな風潮は、逃げ出したいくらい痛い。再び、何もいう資格ないよな、と思うと、そのトゲが自分に戻ってくる。逃げ出したいなぁ。そうか、だから幕引きするのか。

心の「澱」を吐露し、頭を切り替えて仕事をする、には、重すぎる。自分もたぶん、かつてやってた。ただ単に攻撃するだけの毒舌癖。辛いね。