Version Wrapper

Mac OSが、OS X Mojaveになった。Version 10.14

安定を望むなら、バージョンアップしないのが一番。だけれども、仕事の上で、最新環境でないと何かと困るので、Mojaveにアップした。そうしたら、案の定、MarkDownのエディタは突然落ちるし、今日、教材を書いていたらpygameが固まった。pygameのサイトで見たら、インストール方法が変わっていて、それに従ったらすんなり片付いたけれども。Mac OS, Python, pygame, 三つ巴のバージョン調整なのか。

Railsで自動合成されるコードで、継承元のスーパークラスにrailsのバージョン番号が入るようになっている。rails 5からかな。どのバージョンのクラスを使うかの明示宣言。もしこれで動作が保証されるなら、これは、かなりいいアイディアだと思った。

OSなどのシステムが更新された時に、以前だったらOSが変わるたびにアプリも再コンパイルし直さないと、動かなくなって、大騒ぎでライブラリを更新して、システムコールのパラメータの見直しをしなけりゃならない、とか、やってた。その反省からか、Windowsなんかは上位互換保証に相当に気を使ってくれていたんだろうけれども、上位互換が犠牲にしているのは、セキュリティホールなんだろうという気がする。

思うに、Mac OSでもAndroidでも開発キットの更新があるはずだけれども、システムコールの部分に、「現在開発しているバージョン」をパラメータとして増やして、あるいは、アプリ単位で一括指定できるようにして、システムコールにアプリ側のバージョン番号が伝わるようにできないか?不可避な場合を除いて、Argumentの個数とか順番とか、それが変わっても、例えば「過去5世代」については、「下位からの互換を保証します」的に、旧バージョンにも対応できるような、マルチバージョンのOSのWrapperは作れないものかな、と思った。

こういうのが出来てくれると、アプリ屋にとっては嬉しいと思う。カーネルのバージョン、OSのバージョンが変わるごとに作り変えをしなくて済む。例えば、過去5世代ならば、適応修正のサイクルが5倍に延びて、その「過去と向き合い、未来に対応する」だけのための開発時間の浪費が5分の一に減らせる。ユーザにとっても、しばらくの間はアプリが「落ちずに」動いてくれるので、そして、流石に5世代見ておけば、どこかのタイミングでアプリ側も上位互換対応する時間的な猶予が取れて、こうしたOSのバージョンアップを、アプリが落ちる心配をせずにできるので、とてもありがたい気がする。

Androidにそうした仕掛けがあるのかどうかは、調べていませんが、Mac OSに関して言えば、特にオープンソースの開発屋向けのツールが、結構あちこちで落ちた。有用なアイディアかどうかは、現役世代の若手のSEの皆さんに、託します。(あ、お金は要りません。笑)


全く関係ないが、「新元号」の公表が2ヶ月前だと、改めて発表されたらしい。だとしたなら、例えば戸籍なんかも含めた「公文書」も、コンピュータシステムを行政が利用している限り、「西暦だけでも構わない、あるいは、平成34年とかいう数字が表記されても、有効な公文書とする」、というような、行政側からの保証がなければ、システム屋が大騒ぎになる、と思った。速攻で成立させろ、と思う。

「修正は無理です」という現場からの主張を、上に届かせるメカニズムがなけりゃ、結構な数のSEやプログラマが、死んだりおかしくなったりすると思った。下手人は与党の政治家だ。SEやプログラマを雇っている会社の皆さん、損害賠償請求(避けられるリスクを、一切顧みずに、悲鳴を黙殺した、という趣旨の主張)をして、死んだSE/プログラマ一人当たりどんなに少なくとも1億円くらい、鬱になったSE/プログラマには最低でも3千万円くらいは、国から奪い取れるように、今から準備しておきましょうね。
大事なことは、今、「そんな直前の公表だと、システム改修の対応が追いつかないから、業界として大変な騒ぎになります。現場のSEやプログラマが死ぬかも知れません。それを承知の上で、新元号の公表時期を遅らせるんですね。」と、業界団体からの申し入れを、政府や与党に送りつけるか、直談判しておくこと、じゃないかな、と思う。こうした伏線を張っておけば、いざ、SEやプログラマが死んだ時に、国からの賠償金を取りやすい。僕は、そんな風に思います。

それがね、ワンマン経営の組織だと、そういう「まっとうな(つもりの)主張」をしただけで、反逆分子だと扱われたりして、とんでもない冷遇をされたりもするけれども。さすがに国が相手だったら、もう少しは、マトモじゃないかなぁ。
僕みたいに、直属の上司だった3人の方が、それぞれ何年かおきに定年で辞められる都度、准教授への推薦を出してくれていたのに、全部却下される、っていう(給料が年収500万で一切変わらないなら、肩書きなんてどうでも良かったけど)そういう対応をする組織も世間にはある。いや、肩書きもどうでも良かったけど、年収とか、肩書きだけで露骨に見下してくる人が山ほどいたからなぁ・・・。
悪口みたいになったので、一応擁護しておく。僕は「まだ」悪いことをしていなかっただけで、いつ悪いことをしてもおかしくないだけの人間だった。そういう意味では、とても「人を見る目」を持ったトップの揃った組織、だったんだろうなと理解します。だってね、教育機関のトップに「人を見る目」がなかったら、致命傷だもの。ましてや、政府機関が、正当な主張に聞く耳を持たない、主張の是非を判断できないって、なんなのよ、って、なんの話だっけ?

あ、そうでした。安倍総理のケツの穴の大きさ。全然見たくもないけど、あの人が平然と人を見殺しにするのかどうかは、結果を見ればわかると思うな。(すみません、私がブチ切れてるのは、Mac OSのせいです。)

以上、蛇足終わり。

訂正 >> 心霊現象

さっそく、リアクションが来たような気がする。この部分。

少なくとも、直接師匠の講演会を聞いている会員の皆さんは、そこを目指してください、と、そういうことなんだろうか。師匠のように「会話」が出来なくても、相手の話す「意識」がクリアに受け取れなくても、こちらからの「想い」が届くとしたなら、「悪想念」ではなく、「辛かったでしょうね、でも、上にお帰りください。」という愛を注げば、浄霊はできるはず、だと、私は理解している。

これは、僕の理解の誤り。詳細に霊と対話ができなければ、「実在界」(霊体さんたちの世界)の仕組みをきちんと理解して、説明できなければ、「浄霊」は出来ない、と講演でおっしゃっていた。
何か、指摘されたような気がして、そんな記憶を掘り起こした。前後の関係する部分に、全部修正をかけます。

この話題、書いてしまった後、何か思い荷物を下ろしたような気がして、ようやっと久々に、目の前の仕事に集中できる気がした。

それだけ、「誤り」があったら結果が重い気がする。特に師匠の講演会の根幹に関わる部分だけに、普段だったら「訂正」は出しても、本文は「原文」のままにしておくんだけれども、このページだけは、何回でも、何十回でも間違いがあった箇所は修正する。「心霊現象」として書いたページ単体で「誤りがない」状態にしておかないと、問題が大きすぎる。

いや、好き好んで落ちるつもりはないので。


余談ながら、これは本論と関係ないけれども、師匠は手を当ててのヒーリングにも、浄霊にも、一切お金は取らない。私の考えは、お金を取るのは「商売」だからで、見えない、知らない人の無知につけ込んでいるだけ、だと思う。
その師匠の言葉を伝えたい私のページにも、一切広告は貼り付けていない。そこは、お金のために生きているのか、目的があるから肉体を持っているのか、そこの違いだと、私は思っている。

心霊現象

ホラー映画の「死霊館」を見た。
というのは、現時点(草稿を書いた時点)では嘘。ただ、このページをアップする時点では本当になっているはず。つまり、今日レンタルして、近日中に見て、それからこのページをアップする。と、書いたのは日曜日の夜で、12000字の長文をこれから加筆修正して、アップする。(最終的には、15000字になっちゃった。)

なぜ、そんなややこしいことをしたか、と言えば、師匠の今日の講演会、前半はずっとホラー映画だとか、悪魔払いとか、そんな話題ばかりだった。右から左で「こんなお話を聞きました」と、それを他人に伝えるな、自分で経験してつかんだもの、自分で直接見聞きして確認し、考えたことならばセーフ、という約束事があるので。
ホラー映画から「何を学ぶか?」なんて、どうやって答えを出すんだ?とは思うが、とりあえず、簡単に答えが出るところから一つ、手を付けることにした。

実は、しばらく前にホラー映画だとか、テレビの心霊番組の虚実の話題を書いたのだけれども、文脈がつながらないのと、論点がボケるのとで、何段落かをまとめて消した、ということがあった。
僕らの日常生活とか、何を考えたかなんて、全部上に筒抜けで、当然そこから師匠も把握されている。あれも、これも。
監視されている、なんていう言い方も出来るけれども、逆に言えば僕らが交通事故に巻き込まれたとしても、瞬間に助けてもらえたり、最悪の状態を避けるように上に動いてもらえる、ということは、何人かの体験談を聞いている。僕が三脚から落ちた時の頚椎損傷、たぶん、相当に軽くなるように動いてもらえた気もする。そういう意味では、迷惑というより、ありがたいとも言える。当然、僕が一旦書いて消した「心霊話」の展開も、師匠はご存知だったんだろうか、と今日思った。
だとしたら、いいから書け、と言われたようにも感じた。間違っていたら?もういい。落ちるところまで落ちたとしても、行けるところまで行く。
気合いを入れて、「世間の多くの誤解、勘違い、無知」などなどに、「正しい情報」を流せるように。(もし、間違った部分があったら、後から訂正する。)

仏教で言うところの「成仏できない」タイプには、何種類かある、と理解している。
まず自殺。死ぬ直前の意識のまま固まるから、辛い意識を抱えたまま、電車に飛び込むなんて言う行為を延々と続ける。脳がなくなってしまうから、「これはおかしい」と気づくのは相当に難しいらしい。ある意味で自殺したことに対するペナルティかも知れない。
次に、「死んだらそれっきり」と思っている方々。肉体を抜けて数日したら、生きている時とほとんど差のない「意識」があるから、自分が死んだことがわからない。あるいは、死んだことがわかっても、どうしたらいいかわからないから、お墓に住み着いたり、あるいは聞きかじりで「恐山」のような場所に集まったり、そうして浮遊霊や地縛霊になる方々。この人数は相当に多いらしい。

多少話題が脱線するが、浮遊霊とか地縛霊にならないために、どうしたらいいか、講演会で教えていただいた。書いてもいいか、以前だったら悩んだけれども、もういい。書く。まず、「あ、俺死んだんだ」と自覚すること。そうしたら次に、「私は、どこに行ったらいいんだろうか。」と思う。意識する。これだけだと伺った。「どうしたらいいか?」ではない。「どこにいったらいいか?」らしい。
「ちゃんと、心でそう思えますかね?」言葉として記憶しても脳がなくなっちゃうんだから、「難しいよ、」と言うのが師匠の思いか。でも「どこに行ったらいい?」と思えたなら、「ここに行けばいい」という方角を意識で指し示してもらえる。らしい。あるいは、指導霊さんと言うか、守護霊さんと言うべきか、同じグループの仲間が迎えに来て、行く先を示してもらえる。
大丈夫、どなたももう、何千回も何万回も、経験済みだから。そのはずなのに、一旦肉体を持って、「死んだらそれっきり」という意識で上書きされたら、今回は迷うんだろうか。

以前「脚色」して書いたことがある。ニューヨークを舞台にした「ゴースト」と言う映画。「だいたい、あんな感じ、らしい」と言う書き方をしたが、今ほど「予備知識」をネットに書き込んでいない段階で書いたページだったので、大切なところをいくつも飛ばして書いた。
殺人犯が地獄に落ちるシーン、肉体を抜けて、すぐに意識体として動き、地獄に吸い込まれた。あれはさすがに、ちょっと違う、と理解している。善人も悪人も同じ。肉体を抜けました、すぐには「霊体」として覚醒しません、数日以内で覚醒しました、そこで自分が死んだことに気付かなければ、あるいは気付いたとしても行く先が分からなければ、浮遊霊になってしまう。そうではなく(if / elseのelseの方です)あ、俺、死んだんだけれども、どこに行ったらいい?と思えました、そうしたら、まず「元いた世界」(実在界=霊界)に戻ろうとします、戻りました、とする。中には、いきなり上に戻ろうとして、戻る人もいるらしい。

脱線した話題から、さらに脱線し、そこからさらに脱線。深さ3の脱線。
新潟だったかな、ある実業家の方がいらっしゃった。孤児の施設の子供たちをフレンチのフルコースに招待して、ふだん経験したことのない豪華な料理を振舞って、喜んでもらったらしい。結果として、その子供たちは、ふだん施設で出されていた当たり前の食事が、ひどくみすぼらしいものに思えて、自分たちを卑下するようになった。明らかに、子供たちの心に傷をつけた結果になったことに、その方は全く気付かなかった。むしろ、「自分は、こんなにも良いことをしている、偉いんだ」という自負・虚栄心の方が強く、「自分は、こんなにも良いことをして生きてきたんだから、上に戻って当然」と思って、いきなり上に戻ってきたらしい。

ところが、実在界に戻っても、周囲が誰一人として相手にしてくれない。肉体を持った時の「意識の汚れ」がビッシリとこびり付いている。その方以外でも、直接上に戻ると、あれが欲しい、これが欲しい、あの女(男)とヤリたい、俺は(私は)偉いんんだ、いいもの食いたい、あいつが憎い、俺はこんな勲章をもらった、etc. etc.で、そう言う物質世界にどっぷり染まった「意識」が、汚れを落として実在界に戻っている方々には、どうにも不快でやり切れないから無視される。居ても、居ないものとして扱われる。

結局、「ここは自分のいる場所じゃない」と遅かれ早かれ気付いたなら、改めて「どこに行ったらいい」と考えて、自分から「地獄(=自分の意識に合致した世界)」に向かう。

そうした「虚栄心に固まったりした人」以外の場合には、自分が死んだことに気づいて、どこに行ったらいいか、次の行く先を考えた時点で、自分のして来た行為に気づけた辺りで、「地獄」の周辺にたどり着く。

これも仏教の「閻魔様」の話題。「閻魔様というのは、自分だよ」と師匠はおっしゃった。天国に行くか、地獄に行くかを決めるのは、すべて自分。「天国」を選んでも、汚れたまま上に戻っても全く周囲に相手にされないから、結局「じゃぁ、どこに行ったらいいんだろうか」と考えて、最終的には全員が地獄に行く。行く、と言うんだろうか、夢の中のストーリー展開のようなものだと私は理解する。ここはどこだろうと思ったら、色々な世界が見えてくる。意識体どうしで引き付け合うんだろう。興味を持ったなら、その瞬間にその世界に足を踏み込む。興味を持ったその瞬間に、その世界の住人になる、と講演会で聞いている。これで、深さ3の脱線終わり。深さ2の脱線に戻る。

ある世界では、人を殺してでも金品を奪って、奪えた時に「達成感」(=充実感)を感じるような方々が集まっている。血まみれになりながら、それぞれが殺し合い、奪い合いを続ける。自殺した霊体さんと同じで、すでに死んでいるのに「死んだ」と思ってもしばらくするとまた意識が戻って、「生き返って」またその殺し合い、奪い合いに参加する。それが「餓鬼界」らしい。その亜流の、もうちょっとマニアックな方々が集まっているのが、仏教で言うところの「血の池地獄」だろうか。私はそう理解している。私が見た訳じゃなく、師匠の講演会の講演内容を、可能な限り私本人としては正確なつもりで再描写すると、こうなる、と言うのを書いている。ディテールが違っていたら、いずれまた訂正します。こればかりは「経験してから書け」と言われても、その世界に行くつもりはないので、伝聞にしかならない。このやり方に問題があったら、僕が別の世界に落ちるだけ。

美味しいものを食べて、着飾って、時には参加者どうしでセックスを楽しみ、そういう世界に興味を持ったなら、その世界にどっぷりとはまって、「ここが自分の居場所だ」とご本人は確信するんだろうか。この辺は天国と勘違いしている方も多そうだ。そのまま「これは何か変だ」と気づくまで、何百年でも、延々とそれをお続け下さい。ということだろうか。その「時間」の間に、他の方々は、上に戻って、次に肉体を持つ「計画」に着手する。楽しくないことも、少なくない、肉体を持つのは「辛い」経験でもあるけれども、経験値を積めば、魂として進化する。自分自身のエネルギー量が大きくなるから、出来ることの範囲がどんどんと広がる。だけれども、目先の「楽しい」にトラップされて、「こんなことをいつまでも続けていいのか」と気付かなければ、ずっとそのまま。私自身がこの世界に興味を持たないかどうか、わからんなぁ。

ある世界では、参加者が延々と「勤行」と称して、念仏を唱え続けている。それも、絶え間なく無限に、延々と。ご本人たちは「これこそが天国だ」と思っているから、そこから全く動こうとしない。その方々は、相当に手強いらしく、まだできて数十年も経っていない地獄らしいけれども、抜け出せない方はこれから一体何百年続けることになるのか。

最近できたと言う新しい世界。居心地の良さそうな「洞穴」のような場所に、一人一人が篭って、何をするともなくじっとしている。あるいは、ゲームでもしているかも知れない。「あぁ、なんて居心地のいい場所なんだろう」と思えば、ずっとその場所に居られる。それなら、さっさと死のうと思いますか?でも、自殺はダメだと思います。自殺したら、こうした種類の地獄にたどり着く前に、現世に地縛霊として留まって、まずは延々と自殺を繰り返す、と言う状況に陥ると思う。そうですね、何も食べずにゲームを続けて、部屋の中で餓死する、なんていうのがいいかも。そうしたら、比較的、この世界に行きやすいかも。(無責任に書いてます。)いや、経験したことないから、わかりませんが、師匠の講演内容を組み合わせて、「演繹」してみた。ここも「経験」してから書く、というのはやりたくない。というよりも、一旦抜け出して、上に戻ってから再び肉体を持ったなら、自分がかつてそこにいたことすら、忘れているんだろうな。そもそも、上にいたことを忘れている人が大半だし。ましてや、それ以前のことなんて。

どこもかしこも、ご本人はそこが「地獄」であることに気付かない。今、肉体を持って生きている「自分」の意識体としての、ありのままの姿のまま、一番「居心地がいい」場所に引き寄せられて、その世界を垣間見て、「あ、ここが一番居心地がいい」と思うなら、そこに居続ける。そして、長い人は何千年も、何万年も、そこに留まる。そうして「これはおかしい」「ここは自分の居場所じゃない」と、「意識体」として気づく、ということは、すでにその汚れを落とせていることになるので、やっと上に戻れる。

どこかで「俺は(私は)、何をやっているんだろう」と気付いて、「何かここは変だ」と(脳がないのに、意識体それ自身が)気付いたなら、ここは、師匠が何度も講演会で話されている表現のそのままだけれども、上から「光」が差し込んできて、上から差し込んだ光に吸い上げられて、実在界に帰れる。自分で気づくということが「汚れを落とす」ことにつながる、らしい。

上に戻った際に、どうにも周囲が「幼稚」に思えて、なんとなくここは意識が噛み合わない、と感じたなら、元いた世界よりも上の世界に上がる。エネルギーレベルが上がっていて、そこで時には「次元」が一つ上に上がれる。逆に、上に戻りました、元いた世界に戻りました、だけれど、なんだかみんな自分とは違う「偉く見える」人たちばかりで、どうにも居心地が悪い。もっと自分が自分らしく楽にいられる場所はないんだろうか、と思ったなら、そう言う意識体に引き寄せられて、居心地のいい場所に辿り着く。気付いてみたら、そこは元居た「次元」よりも下の世界だった、だけれども、自分にはこちらの方が居心地いい、と言うことになる。進化とか、退化とは、そうことだと私は理解している。微妙に自分自身の波長がズレてきて、最もクリアに交信できる相手が多くいる世界が、自分の所属する居場所、ということになる、らしい。ここまで書いて、深さ2の脱線終わり。

こうした「次元」は、せいぜい4〜8次元の(9次元は別格で、ヒトではあっても神が直接、すべての知識を予め持たせ、最初から9次元として創造されたbotと言うか、指導的な存在だから、僕らに4次元から始まったヒトにとっては8次元が一番上、だと聞いていますが、)5段階の次元だけ、だけれども、さらにそれぞれの「次元」の中が、何段階にも分かれていて、師匠は講演会の中で、「誰それさんは、7次元の中段」だとか、「あの方は、6次元の上段」だとか、そうした表現をされている。以前は、ザックリと100段階だと聞いていた。今後は、多少「簡略化」と言うか、一つの「段階」の幅を広げて、上でも意識交流ができるように、段階の数を減らされるらしい。(こんな話、書いてしまって、どんなペナルティがある?いえ、明日肉体を抜けさせられても、後悔はないけど。)ただ、師匠は以前おっしゃった。「いつか、学校で世の中の仕組みを習うように、学校でこうした霊界の仕組みをきちんと教えるようになったらいいのに。」他の講演内容から考えるに、おそらく遅くとも1000年後には、そうした時代が来ると思う。その時のために、今こうして、可能な限り正確に師匠の言葉を綴って、伏線を張りたい。

そうして、生き様次第で、自分自身の霊体としてのエネルギーを上げたり、下げたりしながら、地獄から上に戻ったなら、また次に肉体を持つ計画を立てて、自分より先に肉体を持つ方に「親になって下さい」とお願いしたり、次は「私と結婚して下さい」と、事前に約束を取り付けて、そうして全てを決めてから肉体を持つ。そうは言いつつも、結婚するべき相手と出会うとか、計画通りの親に想定外のことがあったり、色々あるらしいけれども、基本的には、親や結婚相手、性別、さらには「親友」なんて言う相手も決めてから肉体を持ち、次の「経験」を積む。前回はあの国に生まれたから、今回はここにしよう、と生まれる場所も決める。ただ、人気の高い国は、そこに生まれることができるとは限らないから、別の場所になることもある、ようだ。これを繰り返しているのが、ヒトのライフサイクルであるらしい。
霊体としては男なのに、女の肉体を持つとか、そう言うのも「経験」として自分で決めていることだから、いざ肉体を持ってしまってから「これは違う」と気付いても、昔だったら肉体のままの「性」で一生を押し通して、「男であっても、女としての生き方の経験」を持ってから上に戻ったりしていた。逆もそうらしい。だから、男なのに女の生活感覚が多少は理解できたり、その逆もあったりする。昨今の性的マイノリティへの対応で、医学の進歩が逆に魂の進化の妨げとなっている、と私は理解している。ただ、師匠も、創造主も「あまり、いいことじゃないな」とお感じになりながらも、ただ黙ってその経過を観察していらっしゃるような気がする。決めるのは最終的に本人次第だけれども、少なくとも、意識体としての自分と異なる性別の肉体を選ぶのは、その経験を積むため、だと聞いている。男女の差がなくなるのは、8次元まで進化してから。なぜ、意識体なのに男女の差を作ったか。理由は聞いているが、別の機会に。

そうして、いざ肉体に入る際には、受精卵に自分の意識体を押し込める。中絶したらどうなるか、などなど、その辺も細かく聞いているけれども、これも詳細を書くとこのページではあまりに話がそれまくるので、割愛。

話が、逸れまくった。地獄のところで、脱線しまくった。本題は、「心霊現象」だった。
成仏できないケースの、2番めまでは書いたっけ。最初は自殺、二番目は「死んだらそれっきり」と思っている人たち、とか、どこに行ったらいいか知らない方々。

三番目は、悪霊。肉体を抜ける直前に、強い憎悪の念を持っていたりすると、その方は悪霊になる。悪霊の場合には、人を殺すこともある。講演会で、これも様々な例を聞いている。これで深さ1の脱線終わり。

今日の講演会。
「死霊館」の映画を見た。
そう言えば昔、本を読む前に斜め読みだけで「読書感想文」を先に書いてしまって、書いて期限に間に合わせてから、慌てて丁寧に本を読んだ、なんてこともあったかも。あの時は、読み返してからの書き直しをしなかった、気がするけれども。今回は、完全な加筆修正。最初から見て書いたことにしておこう。

死霊館に出てきた霊体さんは、地縛霊で、悪霊じゃないよ、と師匠はおっしゃっていた。本物の「悪霊」だったら、「家族全員殺してやる」なんて言う前に、全員死んでいる、それくらい怖いらしい。何よりも「登場人物が一人も死んでいないでしょ?」と。「あの怖さ」でもいわゆる「悪霊」ではなくて「地縛霊」なのだから、悪霊の凄さを想像・・・したくありませんね。実は、途中から結構安心して見てしまっていた。もう一つ、おっしゃった気がする。死霊館の映画に出てきたオルゴール。実話の時は、少女ではなくて少年が「こっくりさん」をやって、それで霊体さんを引き込んでしまった、らしい。厳密には「こっくりさん」の欧米版、なんだろうけれども。(もしかして、別の映画の解説だったとしたら、この記述は「間違い」になるかもしれない。死霊館に結びつけずに読んでおいて下さい。)
これも師匠がよくおっしゃるけれども、脚色が過ぎると現実にはあり得ない心霊現象の描写になるから、かえって白けてただ単にグロテスクなだけの映画になる、ようだ。私自身もそんな気がするので書いたけれども、私はそんなにたくさんはホラー映画は見ていない。あまり興味がないので。師匠が「課題」に取り上げた時だけ。

魔の国道4号線。国道の東北道だろうか。白い自動車ばかりが電信柱に激突して、何人も亡くなっている場所が、かつてあった。知人に頼まれて、師匠が浄霊したらしい。その霊体さん、その国道で跳ねられた女性だった。跳ねられた後、まだ生きていて、すぐに病院に運んでもらえたなら助かったのに、跳ねた運転手は、一旦車に乗せた後、その現地のそばにその女性を放置して立ち去ったらしい。その結果、その女性は亡くなった。それで、「白い乗用車」に対する強い怨念が残って、側を通りかかった「白い車」を引き寄せて電柱に激突させ、運転手を殺す。そういう悪霊になり、現場付近が「魔の国道4号線」と呼ばれる場所になったらしい。師匠は、頼まれてその場所で浄霊したらしい。その際に、会話してこの経緯を聞いたらしい。
この話題の「教訓」は?これは簡単。「白い車に乗るのはやめましょう」ですね!(自信たっぷり!)

随分以前の講演会でも、何度もこの話題は取り上げられていた。ちょうど、テレビ東京のクルーが取材に来ていたそうで、取材させて欲しいと頼まれて快諾したところが、撮影したビデオテープの肝心な部分が全部真っ白になっていて、使い物にならなかったと、後から「お詫び」の電話がかかって来たらしい。そのテレビのクルーは、自分たちのミスだと思っていたようだと、聞いている。
この方は、地縛霊というよりも、「悪霊」なんだろうと自分は理解する。何人も人が亡くなっている。

師匠は、講演会活動を始められる前に、頼まれてあちこちで「浄霊」をされている。その中の一つが、新潟県新発田市。師匠の友人の親戚、らしいけれども、14基(だったか)とかのお墓があったらしい場所が造成されてしまい、「住宅地」として売りに出されて、その土地を買った。そこに越してきた翌日に、その家のおばあちゃんが亡くなられた。奥様もしばらくすると「原因不明」の病気にかかり、さらにもう一人家族が亡くなったらしい。さすがに二人も死んで、おかしいと思い、その後ツテをたどって師匠のところに話があって、行ってみたら、「地縛霊」と言うよりも「悪霊」が4体住んでいたらしい。浄霊の際に、噂を聞きつけて、ご近所の方が見に来ていた、そのご近所の方々の目の前で、家の扉を開いたら、いきなり包丁が空中に現れて飛んできて、師匠の目の前で直角に落ちた、らしい。ご近所の方々も、目撃されていて、震えていた、そうな。普通の人なら、そのまま包丁が刺さっている。結局、地縛霊なだけだった方々が、「自分の住処に、勝手に住み着いた他人」に対して腹を立てて、悪霊になった、ということのようで(この理解、違っているかも)、「ヒトは、死んだらこの世界にとどまらずに、上に帰るんだよ」と時間をかけて対話して、諭して、上に帰らせて、この件は解決したらしい。私は、聞いてそう理解している。
ちょっと話はそれるが、この新発田市の話でも、死霊館の実話の方にしても、「事故物件」の情報がないと、怖いとは思う。このプチ脱線は、終わり。

テレビでよくやる「除霊」で、気合を入れて気合いで追い払う、というやり方でも、確かにその場から除くことはできても、それだけでは、その霊体さんは他の場所に移動するだけ。「浄霊」をするならば、対話をして、相手がどういう経緯でそこに居着いたのか聞いてあげて、いつまでもここにとどまっていたらダメだよ、と諭して、上に帰らせてあげて、それができなければ「浄霊」にはならない。意味のわからない「念仏」とか「ラテン語」を唱えても、相手の意識体によっては言葉が通じない。これは、生きている人間に対する行為でも同じだろうと思う。
そして、もう一つ。気合いで追い払う「除霊」の場合、運よく相手のエネルギーレベルが自分より小さければ追い出せるけれども、自分よりエネルギーレベルが高い相手の場合には、殺されることもある。エクソシズムのように「追い払う」やり方では、力関係だけが問題になる、ように自分は理解する。

寂しくてたまらないから、他人の関心を引きたくて、友だちに乱暴な行動、あるいはイジメを繰り返す。そんな児童に「イジメは、他の人を傷つけ、なんちゃら」と説教しても、たぶん、通じない。話を聞いてあげて、その子供の「寂しくてたまらない」部分を理解してあげなければ、その子供の「イジメ行動」の根本原因は取り除けない。悪霊の「浄霊」でも、全くそれと同じプロセスが必要なんだろうと、自分は理解する。残念ながら死霊館で行ったのは「除霊」なんだろうか。憑依された方の除霊ならば、憑依された本人の意識で「悪霊と共鳴する部分」を取り除けば、簡単に(?)その悪霊も憑依できなくなる、はず、なんだけれども、心から「憎悪」とか「恐怖」を取り除く、なんて、そう簡単に出来ますかね?というのが、この「死霊館」の課題なんだろうか。心の中に「共通の意識」がなければ、憑依したくてもできないはず、だと理解する。

師匠は、講演会活動を始める前に、埼玉県の秩父周辺で、手を当てて病気を治す「ヒーラー」として数万人以上に手を当てられたらしいし、頼まれて「浄霊」を何件もこなしている。その一部は師匠の著書にも書かれている。この界隈では、師匠のお世話になった方も少なくないはず、なのだけれど。「悪霊」は、素人にはとても太刀打ち出来ないレベルの強さで、エクソシストでも手が出せないレベル、らしい。「魔の国道4号線」だけではなく、日本全国いたるところに、そうした場所があって、成仏できない霊体さんがいる、らしく、師匠は場所を教えてもらえたなら浄霊されるとおっしゃってましたので、書き添えておきます。ただし、あくまでも、僕ら会員に対して「場所を教えてもらえたなら」とお話になったので、世間一般の方へのお話ではない、という点だけは、申し添えておきます。

なに分にも、私を含めて不謹慎な会員が多く、会員の「真っ黒に汚れた意識」のせいで、師匠も相当に体調を崩されることが少なくない。申し訳ない限り。
僕らのような霊感のない人間でも、「あの人のそばにいるだけで、吐き気がしてくる」なんていうことは、ありませんか?悪意を剥き出しにしている人の側にいるだけで、痛みを感じたりしませんか?それがもし、師匠のようにその気があれば100%意識が読める状態で、そうした相手と接したらどうなるか。そんな訳で、会員相手ですら体調を崩される師匠だから、一般の方が師匠と直接お話しするのはやめて欲しい。そもそも、勉強会は「もっとヒトについて知りたい、という有志」が集まった団体で、師匠が「この人なら、いいよ」と認めてくれた場合に、正式な会員になれる。病気を治して欲しいとか、そういう参加は、あまり好ましくないよね、ということにはなっている。浄霊の場合には、「迷っている人たちが、可哀想だから」と師匠はおっしゃる。ここから先は、もう書きません。適切に演繹してください。師匠の「浄霊」の話題はこれで閉じる。

悪霊にまでは至らない、地縛霊や浮遊霊は、これももう、「肉体を持っている総人口の数パーセント」に相当するレベルが、あちこちにいる、らしい。「人間なんて、死んじまったらそれで終わり」と本気で思っている人の比率が、何パーセントか、どなたか統計を取られたことはありますか?坊主が読経を唱えたって、タイミングによってはまだ霊体として覚醒していないし、そもそも、念仏の梵語を聞いても理解できない。自分が死んだと思っていなければ、他人の葬儀だと思っていたりする。ここで気付ければ、ラッキー。気付けなければ、その大半は、地縛霊や浮遊霊になる。そして、その大半が人畜無害。ただ単に、居るだけ。「死んだらそれで終わり」と本気で思っていたり、あるいは、変な宗教にゴチャゴチャ言われて、訳も分からずにどうしていいかわからなくなって(脳が、ではなく、「意識」が、です)そのまま浮遊する。人畜無害だから、勝手にそうしてろ、とは、個人的に私は思う。その方が信じちゃった指導者だの占い師だのが、真実を何も知らなければ、そうなるだけ、なのだろう。どこに行ったらいいかわからないから、どこにも行けないし、「どこに行ったらいい」という疑問すら持てない。急増しているらしい。いわゆる「科学技術」とか「文明」の進歩に、比例しているのか。悪いのは、科学や文明?そうは思わないけれど。

家に住み着いたり、墓に住み着いたりする地縛霊は、映画の題材にもなるような「悪さ」をすることがある。別の映画の解説でおっしゃっていた。たかだか地縛霊の「悪さ」に「サタン」なんて出てこない。そもそもサタンは、地獄の最深部に幽閉されていて、その意識が地上にも漏れ出ているだけ。普通の地縛霊や浮遊霊が、肉体を持っている我々自身が陥りがちな「悪想念」と、その霊体さんも持っている「悪想念」の部分が共鳴して、磁石のように引き寄せられて、時には憑依され、時には攻撃される。(僕も、つい数日前にひどい「うつ」に近い状態になった。)
師匠はおっしゃる。「被害者」は、生きている人間の悪想念に引き寄せられてしまった浮遊霊の方だよ、と。
愛を持って接して、「どんな生き方をされたんですか?辛かったんでしょうね。でも、ここはもう、あなたの居場所ではありません。上にお帰りください。」という思いを、怖がりもせずに伝えることができれば、おそらく憑依はされない。ただ、会話できなければ、浄霊はできない、らしいけれど。実際に「心霊現象」に直面してしまうと、まずは怖がる人がとても多いらしい。
少なくとも、直接師匠の講演会を聞いている会員の皆さんは、霊体さんに出くわしても動じないことを目指してください、と、そういうことなんだろうか。師匠のように「会話」が出来なくて、浄霊ができなくても、相手の話す「意識」がクリアに受け取れなくても、こちらからの「想い」が届くとしたなら、「悪想念」ではなく、「辛かったでしょうね、でも、上にお帰りください。」という愛を注げば、憑依はされないはず、だと、私は理解している。

タネも仕掛けもわかっている「お化け屋敷」なんて、一切平常心を乱さずに通り抜けられるくらいの方なら、たぶん、本物の霊体が目の前に現れても、対応できるんだろうと思う。ところが、「あ、霊だ」と気付いた瞬間に、鳥肌が立ち、怖がって固まる。そうなったら、ますますその霊体さんに「恐怖」(=「相手を忌避して拒絶する想い」)で意識が通じ合う状況になる、かも知れない。いや、意識の相互性、こちらが相手を意識したら、その意識は相手に通じる。通じているんだから、怖がらずに、「どうか、上にお帰りください。」と念じ続ければ、まず、大方は大丈夫なのに、キャー、来ないでー、ってなったら、時には相手は、相談相手や「自分を感じてくれる相手」を探しているだけ、だったかも知れないのに、拒まれることで腹をたてる場合もある、と理解する。元はヒトです。私たちも、そうなり得る、同じ感覚。話し相手が欲しかったのに、拒まれたらどうなるか、ご想像にお任せします。というよりも、各論中の各論で、それぞれの個性次第で組み合わせは無限かも知れない。どうなるかなんて、わからないし、書けない。そういう性質のものだと理解する。
書くことが難しい。自分でも「間違い」に気付けない、そういう性質の話題を扱っている。間違えることが怖い、けれども、とにかく最後まで続ける。

肉体を持っていた時の「意識」がこびりついているから、「悪魔」とはこういうものだ、という想いがキリスト教のものならば、十字架を敵対視することもあるだろうし、日本の地縛霊は墓石に住み着いたりする。結局は、その人の生き様、死に方を理解することが必要になるんだろうか。私にはわからない。わかることは、ただ、恐怖を持たずに、ただ「上にお帰りください」と、その思いだけ持って普通に接すること、なんだろうかと、自分は考える。
学校の教員として、教師が私である場合と、別の先生である場合とでは、違うし、児童・生徒・学生がAくんの場合とBさんの場合とでも、対応方法が違うだろうと思う。「教育学概論」で各論は扱えない、と私は思う。相手が霊体さんでも、ヒト対ヒトの関係を崩さず、ただ誠実に対応するだけなのかな。
ただ、「悪霊」だけは別格、だと、私は理解している。師匠じゃあるまいし、見分けなんてつくわけがない。殺されちゃったら相手は悪霊で、殺されなければ悪霊じゃない。結論が出ましたね、めでたしめでたし、ってことなんだろうか。難しいですね。
霊体さん側の誤解が生じて、ねじれている例は、上記の新発田市での事例だろうか。他にも、色々と講演会で聞いているが、詳細略。思い出せたとしても、とても正確に伝える自信がない。

今の人類には、まず、こうした心霊現象が起き得るということを理解してもらうことが肝要なんだろうか。ニーチェの「神は死んだ」に始まり、「霊なんて全部人間の恐怖心が作り出した架空の存在」なんていうのもある。確かに「枯れ尾花」も少なくないだろうけれども、それだけではない、ということを知ってもらうことが重要なんだろうか。知らない人が多いから、迷う霊が増える。だったなら、仮に多少の「間違い」が含まれていたとしても、このページは伝える意味があるんだろうと、信じたい。

宗教も、最初に説かれてから長い年月を経て、原型を留めなくなっているものも多い。「死んだらお墓に住む。」そんなことを言われて、信じた方は、実際にお墓に居着く。十字架を持っていれば守られる、そんなのは仏教やイスラム教を信じて生きた地縛霊には通用しない。そうしたことも、肉体を持っている間は「脳」が機能しているから、せめて「知識」として知っておいてもらうことも、もしかしたら大切なのかも知れない。

確かに、何よりもまず既存の宗教が「誤った知識」の源泉となっている場合も少なくない、とは思うが、そちらは最初に宗教を説かれた方がいずれ次々と肉体を持たれて問題の解消を図られる、と聞いている。アメリカのトランプ支持の福音派協会の方々は、キリストの再誕を心待ちにしているらしいが、イエスが何のために肉体を持って再誕されるか、目的をご存知だろうか。トランプがらみは、別にどうでもいい話題だけれども、師匠が何をお考えかは別にして、私はこの話題に触れたくない。完全な「越権行為」になるはずなので、怖くてこれ以上は書けない。
ただ、師匠の講演内容を、できる限り正確に伝えて、伏線を張るところまでは、自分の判断でやる、ことにした。

昨今は、実際には知覚出来ていないのに知覚できているかのように、誤った知識を広める人もいらっしゃる。これも、ものすごく迷惑な行為で、何も知らない無垢な方々はその「誤った知識」を信じてしまう。この部分を、師匠はすごく気にされているように私は思う。オーラの色の話、だとか、「前世は蜘蛛」だとか、いい加減にしろとお感じのようだと、一応この話題は、私自身が言葉にしておく。特にテレビなどを通じた場合には、信じた方への影響力が大きすぎる。それを信じて迷った人がいたなら、その最後の一人が地獄から上に戻るまで、相手を迷わせたそのご本人自身が幽閉されることは、知っておいたほうがいい、と、私は考える。自分の意思で地獄に行くのではなく、幽閉されるから、上からの光が差さず、ずっとそこに留まることになる。落ちるところまで落ちる覚悟が出来ているなら、話は別ですが。

マスコミや、映画の「心霊現象」の描き方。これが問題だと、今日の講演会で私は理解した(この先の「今日」は日曜日)。
このWEBページも、師匠の講演内容を伝える「まとめ」的なページとして、もしかしたらかなり長期間参照されるページになる、そんな気もする。もし間違っていたなら、速攻で訂正しないと後が怖い。同時に、マスコミや、映画制作関係者の方にも、それだけの真剣さを持って、読んでいただけたらと思う。

エンターテインメントのための脚色が、一般の方の理解を歪めて、意味もなく恐怖させる原因となったり、「地縛霊」だの「浮遊霊」だのを増やす原因になったりしていたなら、それは「人を惑わす行為」として、創造主の「罰」の対象となることは、理解しておく必要があると思う。「罰の対象」になったら、どういうことになるか、と言えば、結果的に広まってしまった「誤った理解」が地上から消え去るまで、地獄に落ちた後、上からの救いの手が差し伸べられない、ただ単に、それだけのことではあるけれども。そして、その「地獄」も本人にとっては居心地のいい世界のはずだから、苦痛はないかも知れないけれども、あなたがその地獄に何百年と足踏みする間に、他の方は何回も肉体を持って、「進化」のチャンスに挑戦できる。

「エンターテインメントが認められないなら、世の中の面白みがなくなる」そうかも知れないが、そもそも、肉体を持つこの世界は、ある意味で「修行の場」そのものでもあった。それなりに楽しく生きる生き方の模索は「あり」だとは理解するが、そこに「他人を惑わす行為」があってはならないのだろうとも、私は理解する。

師匠が、「本物の悪霊が出演する映画を、撮ってみようかな」と、これまでも何度か講演会でおっしゃった。登場人物は、人間がただ一人で、悪霊が「友情出演」。ただ、本物の悪霊が映されている映画を放映したなら、見た人が恐怖を感じた時、その方が実際に亡くなったりする、ってことも、起きるだろうね、ともおっしゃっていた。現実問題として、こうしたホラー映画の撮影では、関係者が実際に亡くなっていたりしていませんか。「あの映画は、主演の二人以外で、スタッフの死者が何人・・・」なんていう話も、今日の講演内容であった。神が存在するのと同じように、本物の悪霊は実在する、映画の最後に字幕が出ていた。僕らは、悪霊にならないための心構え(死ぬ前に他人に憎悪や恨みの念を持たない)ことも大切だけれども、悪霊になってしまった方への愛情も忘れてはならない、と、今日のところは理解している。テーマが難しすぎて、答えを出すのに時間がかかりそうだ。
話を戻す。リアリティに近ければ近いほど、本物の霊体さんたちを巻き込む。そうも思う。

「自称霊能者」の、現実を無視した解説を視聴者が信じ込めば、見た人たちの魂を汚して、不要な恐怖心を植え付けて、あるいは、避けるべき悪霊を回避する機会を失わせて、意味もなく人を殺すことにつながる、と私は理解する。
「霊感がある」と思われることは、知名度を上げるのに貢献したり、あるいは周囲の関心を惹きつけるのに役立つかも知れない。実際にあるならば構わないけれども、ないのに適当なことを言って、怖がって見せたり、どうせわからないと思って適当なことを言えば、後が怖いと思う。実際に霊感があったとしても、自分が知覚して知っている以上の内容を創作したなら、結果的にやっていることは霊感がないのに適当なことを伝えたのと同じ、だと理解する。師匠は、丹波哲郎さんが「大霊界」という映画を作成された後、人を惑わすから、やめて欲しいと、事務所を通じて抗議されたらしい。丹波さんのお答えは、「色々な本を読んだり、調べたりして、あとは自分の想像で作りました」というお返事、だったらしいけれども、とても危険な行為だというご理解があったかどうかは、わからない。

「死霊館」の映画。「課題」としてみるならば、何が起きているかを客観的に観察しつつ、自分ならその「霊体」さんとどう接したらいいか、加えて、どんな映像を見せられても、一切平常心を乱さないような「心の状態」であり続けることが、できるようになりなさい、と、そこなんだろうか、と自分は理解する。
極めて個人的な見解。「死霊館」の若干の「脚色」はあったようだけれども、師匠はそこは、あまり気にされていなかったように感じた。むしろ、字幕に出た主題の方が大事。僕自身、突っ込むつもりで「脚色」部位を探そうとしたけれども、「誇張」の程度のような気がした。結果的に、講演会で「課題」として取り上げられたということは、そういう性質の映画なのかな、と思った。この段落、私の個人的な見解です。実際に、見える方が見ている世界が描写された映画なんだろうと、私は思う。(前にも書いたけれども、私には「見る」ことはできません。)

僕の指導霊さん、僕がまだ「無名」だった頃、何かと「こんなことが起きるかも」と意識を送ってくれて、僕はそれを周囲に口にしたりして、それが「予知能力」みたいになってしまい、その挙句の盗聴・盗撮の中で、部屋の中での独り言。仕掛けが済んだらもう、ほとんど「予知」みたいなことは受け取れなくなった。30年前の出来事だけれども、「今」の「影響力」の布石にはなったんだろうか。
今回のこの話題。師匠の存在や、師匠の言葉を全世界に伝える「チンドン屋」としての使命は、無事果たせたのかな?
後藤健二さんが殺された時は、叩き起こされた。「たった今、後藤さんが殺されました」と伝えられたけれども、だから何じゃ。俺は何をしたらいい。たったそれだけの情報が、何の役にたつ?(いや、長文を受け取れない私が悪いんだけれど。)結局、たったそれだけの素材を料理して、Facebookに二つの書き込みを書いた。当日と、二日後。だったと思う。詳細は僕のFacebook参照。

このページも、同様のインパクトは持つのかも知れない。うまく、師匠の伝えたいことがらが伝わればいいのだけれど。
とりあえず僕は、指導霊さんとは、そこそこ、「いい関係」は築けているんだろうか。霊体さんたちとも、なんとかうまくお付き合いさせていただいているんだろうか?

無事、(ミスなく)仕事を出来ましたかね?よくわからないけれど、これでページを閉じます。
以上。