思想・信教の自由

自治会の総会でも、ちょっと面倒な話題が出たことがある。
いわゆる氏神様。地元の神社が例大祭の資金を氏子(地区住民)に求めてくる。慣習として。
以前はそれを、隣組の組長が一軒・一軒を回って集めた。かなり面倒くさい。その手間を省くために、自治会費の中から「氏子拠出金」として予算を組んで支払えるように、自治会規約を改定して、隣組長が集金に一軒・一軒回らなくても済むようにした。(僕が会計になった時には、もう、そうなっていた。まさか、親父か?仕掛けたの。)

そうしたら、当然のことながら住民には、キリスト教徒もいるし、特に学校関係の方は「宗教」的な話題には敏感だから、「自治会が、あたかも地元住人が全員神道に帰依しているような、氏子負担金の拠出というのは、憲法に定める思想・信教の自由に反しませんかね?」という指摘を、自治会総会で、して来た。
それは、前自治会長(地区の区長)が織り込み済み。(さすが、と思った。)
「そういう、拠出には反対される方もいらっしゃるはずなので、全世帯の軒数ではなく、(正月に、初詣に神社に足を運んだり、隣組長が集金に回った際に、負担金を支払った軒数の過去の実績から)軒数を設定して、全世帯ということではなく、あくまでも、隣組長になった方の負担軽減という視点で、一定比率を掛けて、それで支払っています。」という、そういう応対だったかな。(厳密に言えば、この回答だけでは、突っ込みどころはあるけれども、あえて、突っ込める論点は書かない。)
突っ込まれた時のために、ちょっと考えた。いや、別に神社だけが特別扱いじゃないと思うから、もしキリスト教会とか、お寺が金払えって言ってきたら、その時は会計の僕が応対しますが、一円も払わないとは言わない。
計数工学的な対応というか、社会慣習に照らし合わせてというか、諸事情を勘案して、神社と同レベルの扱いで、だいたい地区全体で2000円から4000円の範囲でなら、規約上も会計の権限で対応可能だと思うから、区長とも相談して支出するので、その金を受け取ったら、二度とごちゃごちゃ言うな、という対応をするだろうな、というシミュレーションをしてみた。
すみませんね、乞食扱いして。いや、神社を乞食扱いしていないとは、言わないとも言えなくもないとは言い切れないと言うか、やはり言えなくもないのか、言えないのか、よくわからんけど。(僕の本音?あ、もう書いた。)

宗教って、本当に神の教えなの?というのが、師匠の講演会の別主題でもあるように自分は考える。そんな行きがかり上、どうも私は、既存の宗教に、喧嘩をふっかけてしまったような気もするが、読み返す限り、というか、書いた内容を記憶で反芻する限り、やっぱり喧嘩を売ってますね。どうも、ごめんなさい。越権行為、だろうな、と思います。

何をどう信じようが、それはその人の勝手。横から口を出す話題じゃない。ただ、もし、死んだ後の魂(磁場を伴う意識を持ったエネルギー体)が、多次元空間でどのような推移を辿るか、その現実に起きている事象と大きく食い違う内容が「教え」として多くの人に信じ込まれているならば、やはり、結果は見えている気がした。
最後は、何を信じるかに行き着くけれども、厳然として起きることは、すべてのヒトに共通に起きるだろうな、と思う。僕は、あらゆる宗教の信者に、「解剖学の知識」が当てはまると思っているし、今はまだ証明出来ていないだけで、これは自然科学の話題だと思っている。だから、そういう書き方をしている。
磁場って言ったって、そもそも心磁図や脳磁図のレベルがピコテスラのオーダーで、SQUID磁束計の検出限界ギリギリなんだから、霊体の発する磁場の証明なんて、今はやりようがないでしょ、と思う。動物の神経に直結できる有機磁性体の発見がなければ、無理だと思う。

宗教関係者の方々、そんなこと考えてないだろうな。「これをやっていれば、天国に行けます。」その「これ」のハードルがどんどんと下がっていって、懺悔すれば罪は消えます、とか、イエス(様)を信じているといえば、それだけで救われます、とか、メッカの方角に(やめておこう)・・・とか。「だから、お金を払ってね。」の方が本音?知らんけど。
キリスト教に関して言えば、聖書に書かれているのは、ほぼ全編が弟子の言葉じゃないのか、イエス(様)は絶対そんなこと言ってないはずだ、なんてのが満載。今回ばかりは、この部分に、あえて、師匠の講演内容の引用はしない。合理的に否定はできるけれども、証明ができないから。
それに、僕は、師匠と違って「検知能力」がゼロだから、これ以上は書きようがない。

聖書が編纂されたのは、4世紀くらいでしたっけか?その時点で既に、イエスが伝えたほとんどの言葉は、原型を留めなくなった。どういう生き方をすべきか、という部分が、どれほど原型のまま残っているのか。仏教やその亜種に喧嘩を売るのは、もうやめておく。釈迦=大川隆法氏が再誕してやるべきだったことが、どうなったんだか、集金組織を作って、何をするつもりだったんだか。結局、信じたければ、勝手にどうぞ、ということのような気がする。そんな生き方していたって、「進化」は出来ませんよ、と思う。同時に、何も信じずに、どんな生き方をしていても、大半の人がまた「天国」には戻れますよ、とも思う。おかしなことを信じこむよりも、何も信じない方が、まだマシなのか。信じて欲しいのは、ただ一つで、神は実在するということと、ヒトの実体は魂だ、という、ただそれだけだと、自分は考える。後は全部、各論。総論は、これだけ。(各論も、かなり大事だと思いますが。)

結局、「信教の自由」というよりも、「思想の自由」の方なんだろうな、と、自分は理解する。何を考えるか、神はすべてのヒトに「自由」を与えた。ただし、その結果はすべて本人が背負うことになる。こんな単純な話はない。だから、どんな「思想」を持とうが、それは本人の自由だ。その思想によって、結果も決まる。平等だ。そして僕は、そうした宗教には「その思想は、間違っていないか」と言いたいだけ。これは僕にも与えられた「思想の自由」だ、と主張しておく。

あらゆる「宗教」が、神の教えじゃなくて「思想」になってしまった。と、ある方がおっしゃった。「ある方」って、どなただよ、ってそんなのは、もう僕は散々書いたし、このページでも途中で書いてる。一応、理由があって、このページでは「どなた」の一言かは書かない。
喧嘩を売っているのは、僕ですから。矢面に立つ腹は、出来てます。僕を殺したければ、ご自由にどうぞ、と言いつつ、どうやら、そんな単純な話じゃなさそうだ。
改めて、落ちるところまで落ちたとしても、行けるところまで行く。

なんだかなぁ・・・トランプに、滅茶苦茶、感化された気がする。書いたものを読み返したら、きっと、(この言葉遣いに)哀しくなる気がしてきた。

終わり。

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