「ちどり」50周年

本郷5丁目にある、スナック「ちどり」
この間50周年を迎えて、祝賀会が行われた。小さい店なので、メンバーを入れ替えて3日間に渡って行われた。
みなさんご祝儀を出していたのに、僕は、参加費のみでご祝儀はパス。慢性的超低空飛行。

最近突然に、なんとなくメンタル的に無風状態で、あえて形容すればひどく植物的なメンタルになっている。教壇に立てば普通に話せるけれども、これほどの低空飛行なのに、自分の中での焦りとかが全くない。(困ったものだ。もっと焦らなきゃならない状況なのに。)こんな感じの感覚は、たぶん2度目。
1度目は、専任の大学教員になって3年が過ぎた3月、臨床工学の1期生が卒業を迎えた時に「先生、ありがとうございました」と言ってもらえた時、たぶん生まれて初めて何か、自分にも存在価値があるのかな、というような、カサブタが剥がれたような、不思議な気持ちになった。まさかの「ありがとう」。女子学生だったのは覚えているんだけれども、誰だったかがどうしても出てこない。たったの一言で、得体の知れない、ずっと続いていた焦燥感が消えた。

今は何故なんだろう、と考えてみた。師匠の講演会の「総論」部分を、もしかしたら何とか書き尽くしたような気がして、これから先書き進めるとしたら、後は「各論」だけだろうと思った。各論となったら、別に全世界に向けて知ってもらいたいというよりも、僕自身が(あくまでも、私自身の問題として)上を目指して自分自身が変わるために、考えて行動する、そうした部分だけになる、と思った。誰が何を信じようが、基本的には僕には関係ない。本来は、そういう展開だけのはず、だったんじゃないか、とも思った。だったらもう、書くことはない。
あんな盗聴だとか盗撮だとかに散々悩まされて、生活そのものが何だか崩壊して、それでも、とにかく発信することだけは続けてきた。どんな意味があったんだと思うに、もしあれが、師匠の講演の「総論」を世界に向けて発信できることの伏線というか、代償なんだったとしたら、自分でも十分に納得できる。そして、たぶん、僕自身納得できたんだろうと思う。だから、焦りが消えた。
なんだか、すごく穏やかな気持ちで、すごく植物的になれている、そんな気がする。
自己満足なんだろうとは思うが、これで良かったと思う。僕の30年間に、やっと一区切りがついた、気がする。大きな節目だ。間違っているかも知れない、実は何も結果を出せていないのかも知れない、でも、出来ることは、もうやった気になれた。

再三書いているが、僕はWEBに書いた内容について、「著作権」を主張するつもりは全くない。たぶん、このページも、近いうちに消して、仮に継続しても、純粋に自分の仕事関係の話題だけに変える。このページは消すけれども、「当時」は僕が部屋の中で広告紙の裏にボールペンで書き殴った文章ですら表に出ていたのだから、どこかにコピーだの記録だのは残るんだろうと思う。それで十分。著作権主張する気がないから、パロディを書かれても、文句は言わない。そのままの形なら、完コピを転載されても構わない。ただ、僕には何も出来ないけれども、師匠をけなす内容は書かない方がいいと思う。僕を弄るのは(慣れてもいるし)全然構わないというか、オチョくられるのが僕ならば、たぶん、何も起きない。
とにかく、終わったんだ、という気持ちになれた。長かった。「書け、書き続けろ」というプレッシャーが何もない。ということは、おそらく、それほど間違ったことを書いた訳でもなく、完結してもいいんだろう、と感じている。終わった。

1996年頃だったか、1997年になっていたか、本郷5丁目にある大学で学位論文を書くために「研究生」の身分で足を運んでいた頃の話。最初は赤門前にあるお店でランチを食べるつもりが、電車がちょっと遅れて、ランチの時間には間に合わないことになった。ダメだなと思ったら、ふと「ランチ500円」の張り紙が目に入り、怪しい路地裏にある居酒屋にたどり着いた。
腹が減っていたので、店の佇まいは一切気にせずに、入って、ランチを食べた。どうみても居酒屋だから、たぶん夜もやってるんだろうと思いつつ、「このお店、夜も営業してますか」とマスターに聞いた。それが、スナック「ちどり」に通い始めるきっかけになった。もしかしたら、マスターとの最初の会話はこれだったかも知れない。

あの頃のメンタルは、かなり危なっこしくて、慢性的に切れそうな精神状況で、自分でも何故、何のために、こんな生活をしているのか、全くわからなかった。ところが、この「ちどり」の常連さんたち、会社の社長さんはいるし、大学の先生方もいるし、私のような自営業もいるし、自信を持って生きているような方々ばかりで、話がとにかく面白い。何かと口を突っ込みたい私は、話題に横からくちばしを挟むのだけれど、見事なくらいに切り返してくる。噛み合えば、卓球の高速ラリーみたいな会話が楽しめた。地理学とか、農業経済、日本文学、人類学、薬学もいたな、厚生省もいたっけ。近くに医療機器メーカーが多かったから、医療機器関係の開発の人もいた。随分と通った。あの時期、あのお店に通っていなかったら、もしかしたら、2001年だったか、2002年だったか、本気で壊れた後に元に戻れなかったかも知れない。
1998年、学位論文を書き上げて、審査も通った。「博士(工学)」の学位をいただけた。そんなこと出来るようなメンタルではなかったけれども、結構雰囲気とか勢いをもらったのは、間違いなく、あの店だった。だから、あの大学の学位論文なのに、謝辞には「スナックちどりの常連の皆様」という一言が入っている。無論、予備審査で突っ込まれたけれども、押し通した。そうしたら、マスターから後で文句を言われた。書くんだったら、「スナックちどりのマスター及び常連の皆様」じゃねぇのか?まぁ、確かに。どうも気付きませんですみません。だけど、国会図書館にもコピーが残るんだぞ、文句言うな、なんて会話を何回交わしたか。
ボロボロで大酒を飲んでいた頃だったけれども、50周年の時にどなたかがおっしゃった「思えば、酒を飲みに通うというよりも、マスターに会いに通っていたのかも知れない。」と、その感じは、確かにあったと思う。(いや、でもやっぱり、常連さんたちの方が・・・)
マスターのお母さんが始めた店から、昔の店は「終戦直後」の雰囲気だったのが、いつの間にか、綺麗なマンションの地下に入った。マスターが店を引き継いでから50年だから、大したものだと思う。よく潰れずに・・・。なんてことをしょっちゅう言っていたのだが、コアなファンは多い。

2003年に親父が亡くなり、「カタギの仕事に就け」との親父との約束で、2004年から学校の専任教員になった。その頃も、週に1日、千葉から東小金井に通う際に途中下車してよく寄っていた。
大学の専任教員を辞めてからは、かなり足が遠のいている。50周年で、1年ぶりか、2年ぶりの来店、だったけれども、帰り際にマスターに言われた。
「マスター、今日はご祝儀なしで、ごめんなさい。会費だけで。」そうしたら、「お、テメェ、いつかは必ず、ご祝儀持って来いよ。俺の店だって、みんなから、潰れる潰れるとか言われながら、今日は50周年だぞ。」
僕は、滅多なことじゃ泣きませんが、そしてやっぱり、泣きませんでしたが・・・でも、嬉しかった。その嬉しさが、今になってじわじわとこみ上げてきている。
余談ながら、僕が最後に、嬉しくて号泣したのは23年前、右翼系の「彼」の頼みごとを日本大使館の知人にお願いしたら、あっさりと「自分でやれ」と断られて、途方にくれたことがあった。その時に、隊員としての任務外の手伝いの仕事で接点のあったスリランカ人のB.D.さんという人を思い出し、FAXでHELPを流した。そうしたら、大丈夫だよ、パプアニューギニアの首相府に直接話を通すよ、と、すぐにFAXで返事をくれた。読んで涙が止まらなくなった。そして実際に日本大使館を一切通さずに、直接「彼」の寄付をニューギニア政府に行い、「首相名の感謝状」を出してくれた。僕は、それを頼んできた右翼系の「彼」に渡した。(それなのに、「彼」には、クソミソに悪口を書かれた雑誌をバラ撒かれたけど。)今回は無理かも知れないけど、来世か、いつかきっと、スリランカの方々に、出来ることをしたいと、強く思っている。上に持ち帰ります。たぶん。忘れなければ。
今回のマスターの一言も、B.D.さんの一言に匹敵するかも知れない。だって、「あの店」が50年も続いたんだぜ!

師匠の講演会で、「お酒は魂を酔わせるから、やめた方がいい」と言われている。定時になると飲みたくて仕方ないのは、「お憑きの方」にカモにされているらしく、「この人に憑依すれば、酒を飲んでいい気分になれる」という浮遊霊が、盛り場には大勢いるみたいで・・・
ちどりに通い始めた頃は、随分と荒っぽい飲み方もしていた。生き方もグシャグシャだった。特に、たぶん2001年か2002年、ある時に、メンタル的にも完全崩壊して、酒が抜けると不安とか苛立ちとかに押し潰されて、ひたすら飲み続けていた時期が1年は続いた。いいトシをしたオッサンが、東武東上線で地ベタリアンをやってた。「黒歴史」ですけどね、隠しません。ひどい話や情けない話は、もっとあるけど、さすがにこれだけに留めておく。親父やお袋にも、相当に心配をかけたんだろうと思う。僕自身の生活の立て直しも見届けずに、親父は死んだ。お袋もその2年後に死んだ。僕が師匠の講演会に通い始めたのは、その頃だった。

親父やお袋、僕が書いた内容とかを見て、今、安心してくれているかどうかは、わからないけれども、きっと自己満足なんだろうけれども、これだけは書いたよと、報告したい。一旦立て直した生活が、今はまた低空飛行だけれども、あとはマイペースでやります。

まず、生活というか仕事を立て直す。WEBへの書き込みは、もうなくなると思うけど、よくわからない。何か言いたくて仕方なくなったら、今後はWEBに書かずに、ちどりまでマスターに会いに、ターちゃんに会いに行くかも知れない。僕が言いたい放題で騒いでも迷惑にならないのは、たぶん、あの店だけ、のような気もするし。言いたいことを吐き出さないと、きっと僕はおかしくなる。そう言えば、非常勤の学校では、内村先生とかもいらっしゃるし・・・もうWEBに書いて吐き出さなくても、大丈夫かな。

もう「全世界に向けて何かを発信する」なんていう疲れることは、卒業する。今ならやめても「書きっぱなしで、言いたい放題言っておいて、逃げるな」なんてことを、思われてはいない、そんな気がすごくしている。
(なんて宣言しておきながら、また続きがあったりして。俺のことだから、有り得るかも。でも、疲れた。)

30年前に僕が書いた文章を知っている人は、限られているだろうな。でも、あの頃のは「単なる伏線」だから、本命はやはり師匠の講演会に参加して、やっと自分の中で「腑に落ちて」からの書き込みです。最近読んで下さるようになった方々も含めて、(こんな、やたらと一つ一つが長いページを)お読み下さって、本当に、ありがとうございました。ただ、「師匠の講演会」について僕が考え抜いて書いた部分は、知っておいても損はない状態になっていると思います。そうした意味では、決してご迷惑をお掛けしたとは、考えていません。これからの僕は、生涯現役のプログラマに専念して、ブロガーは卒業します。

消すタイミングは、サーバの更新が済んだ時、かな。ということは、当面この「残骸」は残ると思うけど。

読んで下さった方々の、ご健勝をお祈りします。