温めますか?

コンビニでタバコを買ったら、速攻で「温めますか?」と聞かれた。気がした。ホット・タバコ?

どうやら、隣のレジでした。当たり前ですね。音の聞こえる方向がわからない僕の欠陥。

いや、ちょいネタでしたけど、もうあんまり、意味のあることは書きたくない。仕事一色にしたい。もう、長い文章を書くことは卒業したい。

なんて、宣言しても、続いた試しのない私。
怖いもの見たさで、ついつい、ニュースサイトとか見ちゃうんだよなぁ・・・

ペテルギウスの最期?

アップされたのは2013年みたいだけれども、見てみたい気もする。そろそろ?なんて、星のそろそろは、何百年後だか、わからんからなぁ・・・
でも、僕ら人間の意識体の寿命は、星(の肉体)よりも長いらしい。そんなことも、ふと考えたりしている。
オリオン座の大星雲?いや、実は、誰かが(あなたが?)前いた場所だったりなんかして。その可能性も、学問的に扱って欲しいなぁ。

あ、そうそう。今日学生がTOKIOを、学校のすぐそばの「すき家」で見かけた、とか言ってた。TOKIOの国分さんとか、(あれ、長瀬さん、って言ってたっか?松岡さんって言ってたか?忘れた、どっちか)と、この距離で(その時の、僕と学生の距離は1mくらい)会ったんですよ!すごいと思いません!?僕も、授業ほったらかして、速攻で行ってみたかったりなんかして。ジャニーズ、かっこいいもんね。

なんて感じで、僕のブログも収束させたい。

人工知能考

今日僕は、手袋を失くした。
大人になってから使い続けていた、二つ目の手袋だった。

子供の頃、親に編んでもらった毛糸の手袋は、なんとなくデザインも覚えているけれども、いつ頃どうやって失くしたのか、あるいは、使わなくなって親がいつどうやって捨てたのか、思い出せないし、わからない。中学校時代は、軍手を手袋にしていた。大した防寒効果はなかった。高校時代は、親に買ってもらった黒い革の手袋を使っていた記憶がある。
確か、大学の1年か2年の時に、サークルの部室で同じサークルの仲間のK君が、アルバイト先に「友達に売ってくれ」とノルマで押し付けられたとかで、当時で800円くらいだったかな、手袋をいくつかテーブルの上に並べて、「買ってよ」とかいう感じで、せがまれた。わかったと、一つを買った。軍手とは比べものにならないくらい暖かかった。これが、僕の記憶にある、自分で買った最初の手袋だったと思う。

これをいつ頃、どんな風に失くしたのか、思い出せない。そして、次の手袋をいつ頃買ったのかも思い出せないけれども、社会人になってから、4年目(転職した後)には、2回目の手袋を買って使っていたと思う。それ以来だから、たぶん最低でも30年以上は使っていた手袋だったと思う。そいつを今日失くした。
冬しか使わないし、定期的には洗っていたから、見た目は全然古びていなかった。それを僕は今日、脇の下に挟んで歩いていて駅のホームで落としたか、トイレに置き忘れたか、とにかく、気付いた時には失くしていた。
今、結構、切ない思いが自分の中にある。
で、表題は「人工知能考」なのに、なんで手袋の話?って、まぁ、そう急かないでください。

このストーリーを、人工知能が理解できるか?いや、それもない訳じゃないけれども、全然本論には、擦りません。確かに、たったこれだけのストーリーから、「切なさ」を人工知能に理解させられるか、類似の事例をどれほど学習させても、たぶん、わかってはもらえないと思う。ヒトだったら、Ass Holeみたいな金持ちのボンボンは別にして、わかってくれる人も、人工知能よりは多いかな、ってな程度の期待感で、そんな程度の話の枕だから、今日の話題の本質ではないです。大切な伏線だけれども。(で、ほとんどの場合、話の枕を口にしたところで、黙れ、関係ない話をするな、とか、止められる。だから、WEBが好きなんですが。)

ここは明らかな脱線。たぶん、小学校高学年の頃か中学の頃、傘を置き忘れてどこかに失くしたことがあった。親父に激怒された。親父の学生時代の話をされた。親父が弁当箱を電車の中に置き忘れて帰ったら、おじいちゃんが親父に怒って、「そんなに、ものを大切にしない奴は、うちの子じゃない、なんちゃらかんちゃら。とにかく探してこい!」と駅に行かされて、(見つかったかどうかは覚えていないけれども、)散々な目に遭った、という話を聞かされた。その後すぐに親に買ってもらった新しい傘には、20m先からでも読めるほどの馬鹿でかい文字で、傘の(裏ではなく)表に僕の名前を書かれた。傘を広げると、何ポイントだろうか、一文字の一辺が楽に10cm位はあるでっかい文字で、僕の名前が書いてある。これはとにかく、雨が降った時に差して持ち歩くのが恥ずかしかった。拷問みたいな気もした。親父は、実は中身がAIだったのか、「どうだ、これなら絶対に失くさないだろう。安心だろう。」と、こっちの恥ずかしさなんて果たして理解していたんだか、なんだか。
これ以来、ほとんど公共の場での「忘れ物」はしなくなった。(かなりでっかいのも含めて、ない訳じゃないけど。)おかげさまで、手袋をなくしたのは、これが40年間で2回目。傘だって、25年目の傘をまだ現役で使ってる。ほとんどモノを失くさない分、ダメージが大きい。以上、脱線終わり。話を本題に戻す。

今日、法政大で内村先生にAIの話を振った。東洋経済のニュース配信で、「人事考課制度をAIに任せた失敗談
」的な記事が流れていて、Amazonでの話題を持ち出した。AIに任せたら、やたらと男性を登用するようなAIの判断が出てきたそうな。そりゃそうでしょ。「学習データ」を忠実に再現する訳だから。どこぞの会社では、やたらと保守的な人材ばかりを登用するような判断をして、リスクを冒して新規ビジネスに挑戦するような人材は、全くAIに拾われなくなった、みたいな感じの内容もあった。
内村先生に、今日の授業教材、学生のレポート(今日は発表会だったらしい)の、学生配布用のプレゼン資料のコピーをもらった。そうか。僕が4限目にPythonのプログラミング演習のコマを持つ前、3限目には同じ学生たちが内村先生の授業を受けていたのか。採点したばかりのレポートの名前を、幾つも見つけた。いや、AIのなんたるかをわかっていないな、なんていうレポートもあったけれども、考え方としては否定はしない。勉強中だもの、もっと勉強しようね、という感じだろうか。そんな中に、MicrosoftやFacebookでのAIの失敗事例を引用していた学生もいた。そうだね。あの話題なんか、結構笑えた。無理でしょ、と思っていたけれども。AIにヒトは理解できない。僕はそう思っている。
ヒトを理解できないまでも、何十年か先にはヒトに近い判断をさせることはできるかも知れないけれども、実用化するのに必要な「理想的な学習用データ」を用意できる場面なんて、ほとんどないだろうとも思う。だから、やたらと男性ばかりを登用したり、やたらと保守的な人間ばかりが昇進させられるような判断しかAIにはできない。
最低でも、きちんとした意味付けを提供された7層から10層程度の学習レイヤーを完璧にモデル化し、かつその完全な学習教材データを提示できなければ、(たぶん、物理空間の認識、意味、価値、価値を付与する主体の分析、効果、相手側主体の対象理解、そして感情などの)中間的具象認識の学習が、その業界ごとに定義させられなければ、実用化は無理だと僕は思う。そもそも、モデル化そのものが困難な具象ばかりだとも思う。それほどの期待値がないならば、そこそこの結果は出せるとは思うが。

話題が、かなり「表題」に近づいたけれども、これも本論じゃない。続ける。

だったら、アイボとか、ヒト型ロボットなどが「独居高齢者」なんかの「話し相手」として重宝されているのは、なぜなんでしょうね、という話題。ここからが本題。

僕は、30年近く愛用していた手袋を失くして、やはりなんというか、喪失感というか、自分の体の一部分を失くしたようなそんな感覚がある。「価値」って、そりゃ、僕のことだから、買った時の値段なんて、千円そこそこだったと思う。いや、バブル期だったから、2千円くらいのを買ったかも知れない。だけど、値段ではなくて、ずっと僕自身と一緒にいてくれた、そこに僕はたぶん、感情移入している。
自分の体の一部、って、そもそも、僕自身の肉体は、僕がこの世界で活動するための道具であって、それが僕自身っていう訳ではない、と理解している。(この部分は、相当に異論がありそうだけれども・・・)「人の実体は、意識体」それが、今僕がたどり着いた結論で、そうは言いつつ、この肉体がなければ「僕」という人格がこの世界に存在することができない、大切な道具だから、限界まで使いたい。自分自身の体に対する「思い」と、自分自身が使っていた道具に対する「思い」と、どれほど大きな差があるか、というならば、実は「延長線上」でしかない、そんな感覚も持った。

例えば、アイボを「愛犬」のように大切にする、その感覚はどこから来るんだろうか。少なくとも、仮にAIがヒトを理解できなくても、ヒトは「人工物」に対して感情移入して、それが生き物であるかのように、あるいは、自分自身の一部であるかのように認識し、そして扱うことができる。ヒト自身がそうした感覚を持つことによって、ヒトがAIに歩み寄ることはできても、AIの側がヒトに歩み寄ることはまずできないだろうという気がした。

AIが人の仕事を奪う?そうかなぁ。AIが「やらかしたチョンボ」を、人が尻拭いするために、かえって人手がかかる、まだまだ10年近くはそうした状況が続きそうな気がする。ヒトが、過度な期待を寄せて、なおかつ、AIに対して擬人化した感情移入をしているからこそ、AI元年なんていう表現が出てくる。「元年」って、僕らに言わせれば、第3波到来、だと思う。「僕ら」と書いた。今日内村先生ともお話させていただいたけれども、僕らは、かつて「鉄腕アトム」のようなロボットを、いつか作りたい、と思って、コンピュータに興味を持った。僕の場合には、それが、石森章太郎のサイボーグ009で、サイボーグ(生体工学)の方にシフトして来たけれども、人工知能への興味は「神経回路網」の頃から全く失っていない。そして、俯瞰していると、時々ブームが来ただけであり、「要素技術」に多少の進歩があったにせよ、本質的には何一つ学問的な進捗はないんじゃないの?というのが、個人的な見解である。ヒトが、勝手に、そうした錯覚をしているだけ。そう、ここが本論です。長ったらしい枕を読まさせて、どうもすみませんでした。

今年一年、随分と、老いを感じることがあった。こんな、長いこと使ってきたものを簡単に失くす、なんていうのもそうだし、そもそも、今年の2月、3月は、肺炎ぽい症状を起こして、5月くらいまで肺が荒れていた。そのあとは、不注意にも三脚から落ちて、頚椎を痛めて、ここに来てようやっと左足の痺れが取れかけて来た程度の回復の遅さ。自覚はしている。生きていること自体に、これまで感じて来た強烈な「義務感」が急速に薄れている、それははっきりと感じている。

盗聴だの盗撮だの、散々な目に遭った。国家権力だのマスコミだの、個人の人格権なんてほとんど気にしてなんていないひどい時代だった。リークされた私生活を見ているはずの「識者」も、「見られるような生き方をしている」私の方が悪いような扱いを受けていた(そういう描かれ方をした)気がした。そして、確かに僕は、そこに便乗して、ただひたすら書き続けて来たけれども、このページのバックナンバーにいくつか書いた、それを一人でも多くの人に読んでもらうことが、僕の生きて来た目標の一つだった、だからこそ、この状況に耐え切れたのかも知れないと思った。ようやっと、このページを書いた、あるいは、その前のいくつかの「渾身のページ」書いた、その時点で、頑張って生きなきゃ、というモチベーションが急速に衰えた。その挙句、肺炎になったり、注意力が散漫になったりした。やはり僕は、ここから先数年以内に「いつ死んでも構わない状態」にまで、身辺整理をして、学会も全部やめて、家の中の荷物を全部片付けて、綺麗サッパリと後を濁さずに、次に備えたい、そんなことも強く感じるようになった。
僕に「ハンドパワー」があるか?って?なんだか、そんな話があったような、なかったような。答えですが、もし僕が本気になったら、結構不思議なことが出来ることもあるし、出来ないこともある。それだけ。出来たとしたなら、それは、こうしたページを一人でも多くの人に読んでいただくために、「人目に付くことが必要」という状況に置かれたから、というだけだと思う。人間の実体は霊だ、と、それだけ多くの方にご理解いただいたなら、僕の役目はそれでもう十分過ぎるくらい果たした気がする。(が、目を通してもらっても理解してはもらえていない気もするから、書きっ放しで逃げるには、まだ早そうだ。)こういう「義務感」がない分、宗教屋は楽そうで、羨ましい。
IEEEも生体医工学会も含めて、学会をやめたり、身辺整理をすること自体はもうその流れに乗っているけれども、あとは身軽になって、残りは、どうしようか、それは書かないけれども、今は多少の生きるモチベーションは持ち直しています。老いるということはそういうことなのかも知れない。老いを意識する前、あるいは、意識してしまった後、その両方を含めて、こうした「生きる」ということへの感覚をAIが理解できるか。ここがそもそも、無理であって、だとしたら当然AIにヒトを理解することはできないと、僕は思っている。そもそも、たったの一言「生きる」という言葉の意味を、AIが「理解」出来るとは思えない。それで会話が成立すると思っていたAI研究者が、浅はかなんだろうと僕は思う。

「ヒトの実体」は「意識を持ったエネルギー体」という、ようやっと伝えるべきたった一言の「核心部分」に辿り着いて、それを言葉にして、なおかつ、その「知識」に基づいて書くならば、AIはそもそも、自分自身の「肉体」すらも「意識」できていないし、さらに、「ヒト」が機械に入り込むこともできないと理解する。「ヒト」がAIを「人型ロボット」としてあたかもヒトであるかのように錯覚することはできるとしても、AIの側がヒトになることはあり得ない。ということは、「ヒトの側が錯覚しさえすれば済む程度の役割」は果たせても、本質的にヒトの機能を置き換えるまでに進化することはない、と私は考える。いや、「補佐」はできると思うけれども、それは「コンピュータ」がやっている仕事の延長に過ぎないと、私は考える。学生のレポートを読んでいて思った。「手続き型プログラム」による「コンピュータ」の仕事と、「人工知能」の違いを、さすがに学部の1年生には理解できないかな。その同じ誤解を、新聞記者なども結構やっている気がする。ヒトが普通に行なっている「認知」処理を、いわゆる「AIの開発者」が「ヒト」における重要な要素だと認識していない以上、AIが、一昔前にブームになった「ファジー推論マシン」の延長を抜け出すことはない、と私は考えた。
私のは単なるブログだけれども、多少は「かつては学術分野に足を置いた」程度の書き方をするならば、ここが本題、ということになるだろうか。

話の枕の延長。今日僕は、手袋を失くして、2時間も経たないうちに、なんとなく寂しくなって、駅前のコンビニで「大人になって3回目の手袋の買い物」をした。千円しなかったけれども、いつまで失くさずに使えるか。死ぬまでか、それとも案外、年内とか、どちらかはわからないけれども、失くした喪失感を捨てるべく、新しいのを手に入れて、頭を切り替えることにした。

もしかしたら、「あ、失くした」と気づいた時点で、最終的には大学まで、帰り道を逆に辿って、駅のホームやトイレ、道路などを探せば、あの30年来使って来た手袋にまた会えたかも知れない。だけど、ちょっと考えて、「いいや、次に行こう」と思った。確かに、僕自身の皮膚の一部みたいに使って来た手袋だったけれども、逆に言えば、僕の体だって、時間の問題で「消費期限」が過ぎる。そうなった時に、執着せずに捨てる感覚の「慣れ」は、そろそろ必要かな、とも思った。常に「次」を考えたい。だから、あえて、「ごめん、さようなら、これまでありがとう」と、ひたすらその手袋にお別れの思いを念じた。でも、そう遠くないうちに、同じ思いを僕自身の肉体に伝えることになる、そういうこともあるんだろう。意識を切り替えて、「次にどうするか」考えて、モノへの執着は捨てようと、あえてその「学習課題」だと考えることにした。

でもなぁ。あの手袋くん。今頃、道路ぎわのどこかで、冷たくて寒い思いをしているとしたら、ごめんね、手袋くん、なんてことも、やっぱりちょっと、思ったりなんかしている。

こんな感覚、理解できるAIなんて、ないだろうな。

CoffeeScript vs JavaScript

明日の院生の授業教材、今年はClient Sideの画面制御などに興味がある学生が何人かいて、日本人の学生もその辺はあまり経験がない人が多いみたいなので、終盤に向けて動きのある画面の作り方を導入することにした。毎年少しずつ教材を書き換えるのが、自分にとっても勉強になる。

それはいいとして、Railsだと何だか今はCoffeeが主流。世間ではやはりJavaScriptがメジャーだと思うんだが、後々「役に立つ」方にするのか、授業ででも扱わないと、もしかしたらその後知る機会のないかも知れない方(CoffeeScript党の皆様、ごめんなさい)にするか、しばらく迷った。(いえ、私はCoffeeScriptぼちぼち、実戦投入で使い始めています。)
結局、Coffeeで行こうと決めた。両方対比して説明する?実はそこに問題があって・・・

言葉を覚えるって言ったって、最初は子供のオーム返しと同じで、とにかく表現を使って何が起きるか試してみる。ようやっとコンピュータ君が言うことを聞いてくれるようになってから、文法の細かいところを覚える。と言うのが自分流だろうか。そうして、最近ようやっと、Ruby on Rails, Pythonで学生の出すバグのトラブルシューティングが出来るようになった程度で、CoffeeScriptの場合には、まだトラブルシューティングにかなり時間がかかる。でも、前に進むしかないんだろうなぁ・・・「完璧を期して」いたら、何年先になることやら。

実戦投入している、とは言え、まだ理解が完璧じゃない。スコープ、演算子の優先順位、スタックの使い方などなど、本当なら「超入門」から始めて、じっくりと文法書を読み込まないといけないはず、なんだが。そこから始めていると、8割、9割方は「わかってるよ、そんなこと」なんだけれども、問題が起きるとしたら残りの1〜2割、「え?そうだったの?」の方だ。相当量のコードを書いちゃってから、構造をごっそり作り変えるリスクは抱えたままの見切り発車。

どこかで仕事を止めて、「超入門」からじっくりと時間をかけて細かいところまで頭に入れる。明らかにどこかでいつか必要なプロセスなんだけれども。結局時間が押していて、焦ってネットに頼って、僕は今ショートカットしようとしているんだろうか。大丈夫かなぁ。

壁にぶつかって、ネットで検索しまくっていると、「猿でもわかる××超入門」なんてのを見かけて、時々「俺は、猿以下か」なんてぼやきたくなる。

猿だけじゃなくて、豚でも、タヌキでも、理解できるように説明してくれ、なんて思ったりもする。
最近なぁ、脳みそがミジンコ並みになってる気もするし。

学問分野によっては、教材を10年以上書き直さなくても通じる、なんてこともあるらしいのに、なんか不公平な気もするが、自分で選んだ商売だから、愚痴っても仕方ありませんね。

猿は無理でも、ミジンコから、せめてタヌキか、豚くらいには進化したい私でした。

善処

英語にしたら、最も誤解を招く表現が「可及的速やかに善処します」らしい。
日本語の解釈は、「ちょっと、考えては見ますが、具体的な行動は何もしません」ってな意味らしい。そりゃ、通じないよな。

移民法、僕の商売の感覚から言ったら、「実装」Installationなんだけれど、「具体化」の段階はまだ先みたいで、官房長官とかのコメントが真摯なものであるならば、信じたい。信じるしかない。

だいたい僕は、他人の「言葉」を無条件に受け入れるところがあって、バブル崩壊で「社長命令」で加入した「従業員持株会」の株式が借入金を大幅に下回った挙句に、「絶対にすぐに値上がりします」ってな口車に乗って、商品先物取引に引き摺り込まれて、一時期年収350万で、持株会がらみの借金が350万、サラ金の借金残高300万円だった、あの頃は地獄だった。2年でなんとか出来たけれども、本当にいい経験をしたとは思うが、未だに、他人の口車にすぐに乗っちゃう癖は、改まっていない。
昔いた大学の2期生の女の子に言われた。「私、コールセンターのアルバイトしているんでるけど、先生って、すぐに騙せるタイプに見えて」と、おぉ!その通り、鋭い観察眼だね、なんて思ってしまった。師匠の講演会であれこれ勉強させてもらって、最近、ようやっと「真意は何か」を探る習慣が出来ましたけどね。いや、時々はやってたけれども、とにかく「相手の発する言葉は、相手の真意だ」みたいな、すぐに騙される根っこは、そう簡単には消え去っていないかも知れない。騙せるもんなら、騙してみろ、なんて言えない自分が悲しい。
騙されてっから吠えるくらいなら、最初から回避しろ、と思うんだが。

とにかく、信じるとして、移民法関連で、日本人がその仕事に就く際の待遇も改善されるなら、嬉しい。なんとかして欲しい。
行政が総じて無視するのは、やめて欲しい。日本人が従事している仕事だって、悲惨な環境は山ほどあるんだから。Ass Holeなんて、偉そう発言する前に、現場を経験しろと言いたい。

話が変わって、ノーベル平和賞。僕はつい、ザイールと書いてしまったけれども、あの意味不明な夢はコンゴのことだったか。合点がいった。よかった。ポジティブな話題なのか、ネガティブな話題なのかもわからなかったけれども、あの被害者の女性たちが、いずれ国を立て直す原動力になるとしたなら、よかった。そういう夢だったのかと、安心した。何の話?少し前に、夢の話を書いた。それです。解説しません。

そして、僕自身の話。今いくつ「納期」を抱えている?二つ、割れた。一つは、「善後策」の検討中。もう一つは、ごめんなさい、東京電子さんから頂いた「既存システムの文書起こし」の仕事で、これは遅れまくっている。いや、東京電子専門学校さんの学生が、「全員合格」できるようにする方が最優先だと思うから、授業がある時期はそちらが本気で、泣きついて頂いた仕事なのに、本業がどうにも、副業の「非常勤講師」に食われてしまって、納期が割れに割れている。いや、一人でも多く、学生が合格するようには頑張りますけど、本業のシステム屋の仕事の方は、どうにも・・・

実家では、あれが壊れて、これも壊れて、すごいことになっていて、現状維持に結構な金がかかる。(ニューギニアの、すぐに壊れてもすぐに作れる家で生活していた人たちに、憧れる。帰ろかな。)金に棹して、仕事をあれこれと請けさせていただきました。結構な仕事密度で・・・。ありがたいことで。自営だからな。信じられるのは自分しかいない。誰一人として支えてなんてくれない。とにかく、踏ん張って、頑張るしかない。

善処します。頑張っているので、どうか、納期については、すべての約束を守れ切れない部分、ご容赦願いたく、平にお願い申し上げます。

交戦権

引用元の記事を誤っているかも知れない。

「元徴用工判決」への誤解を正す ICJ提訴は必ずしも有利にならない
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/12/icj_4.php

僕が読んだ記事の概要は、韓国大法院の「元徴用工判決」の趣旨は、日韓請求権協定の有効性は認めつつも、個人慰謝料の請求権までは消滅していない、と言う趣旨だ、と言う記事だった。その記事によれば、明らかに、韓国大法院は「日韓請求権協定によって、個人賠償権は消滅している」ことを認めつつも、戦争、植民地化という「不法状態」によって発生した諸被害による「慰謝料」の請求権までは、消滅していない、という趣旨だったと理解している。

つまり、「植民地化」が非合法的なプロセスによって行われて、特に軍事力の行使による、すなわち戦争行為によって韓国を植民地化し、その結果として「徴用」行為が行われて、韓国国民が不当な労働行為に従事させられ、様々な苦痛を受けた、とするのが韓国大法院の主張だと、自分は理解する。(当時の、韓国併合のプロセスは、一般的な韓国人の理解とはかなり異なる経緯を経ている、という日本側の主張は、この際伏せる。)「植民地化」単体による慰謝料請求?欧米はどんなのさ?

戦争行為そのものが「不法行為」であるとするならば、当然国家としての「交戦権」は「不法行為」だとするべき根拠が必要だと思われるが、日本の場合には、憲法で「交戦権を持たない」ことを明言している。無論、当時の大日本帝国憲法は、そんなことは書いていないが現在の日本は、少なくとも、交戦権は否定している。
それでは、韓国は、交戦権を否定しているのか。韓国では、否定していない、と理解している。したがって、当然のことながら、「韓国軍」の存在は「合法」であり、韓国という国家が他国と戦争状態に突入することを「非合法」とは認めていない。従って、韓国の基本的な法制度で「合法」として認められている「戦争」による付帯行為も、韓国においては「合法」であるはずなのに、なぜ、他国がその「合法」行為を行なった結果を「非合法」であると指摘できるのか、その、法的根拠を知りたいと、私は思った。すなわち、「支配下に置かれた、新規参入の国民」に対して、母国の国民に対して行われていたのと同等の「徴用」が適用されたことが、「非合法」なのか、どうなのか、という点である。

(すみません、ニュース配信は、片っぱしから目を通しているから、引用記事の元ネタが、このサイトだったかどうか、ピンポイントでは思い出せない。もし間違っていたなら、「韓国大法院の判決は、日韓請求権協定の有効性は認めているが、個人慰謝料の請求で、新日鉄住金に賠償請求をしているのに、日本のマスメディアの報道は、朝日も読売も、みんな、韓国大法院が日韓請求権協定を無視したかのように報道しているのは、マスコミのミスリードだ」という主張の記事で、多分、過去数日以内に、僕がSmart Newsで見出しをクリックして読んだ記事だと思う。引用元が不適切かもしれなくて、ごめんなさい。僕のこの書き込みを、本気で読んでくださるなら、すみませんが、元ネタを探してください。(中間試験の答案用紙が上がってきていて、加えて、レポートの採点があって、それ以前にプログラミングが最優先なのに、もう時間がない!))

もし、この記事の筆者の方(大学教授だったと思う)の指摘が正しいならば、そもそもが、「日韓請求権協定」を韓国は遵守していることになる。それならば、話はかなり楽にならないだろうか。次に、請求の根拠が「戦争という不法行為による云々」の部分が、もし、その韓国大法院の表現がその通りならば、そもそも「戦争が不法行為かどうか」を争点にできると思う。日本は、現時点において、「交戦権」を否定している。あらゆる「戦争行為」を「非合法なものである」としている、はずである。だから、日本国内では自衛隊が「合法か、非合法か」で、もめ続けている。「自衛のためにのみ、存続が許される」その主張には、僕は賛同する。国は国民を守るべきだ。ただ、自衛隊の銃火器は、他国民に向けられるべきではない。それが紛争の調停であったとしても、一歩国を出たならば、全ては弁論だけで日本の主張を通すべきで、銃火器を携行しての主義主張は、(仮にそれが、他国民の防衛であったとしても、)認められるべきではない、と私は思う。主権の侵害である、と考える。要請されたなら?「おい、お前、腕力強いんだから、あいつを殴ってくれ。」そういうのは、嫌いだ。(論理的でなくて、すみません。)話が逸れた。かなり。

ところが、韓国は「交戦権」は否定していない。無論、ムン大統領が大好きな北朝鮮を「仮想敵国」として創設された軍隊なんだろうけれども、その法改正には一切着手していない。ということは、今後も「交戦権」を否定する、という流れにはならないはずだ、と考える。戦闘行為が行われたなら、当然、国際法的な「戦闘状態のにおける相互の国民の取り扱い」つまり、捕虜協定だとか、あれや、これやが適用されると思うが、それでは、日本はロシアによる「シベリア抑留」に対して「慰謝料」とか「保障」を請求したか、というのが疑問だ。なぜ、日本は、ロシアに「戦争という不法行為に基づく、捕虜の扱いに関しての違法な取り扱い」に対して、慰謝料請求を行使してこなかったんだろうか?何か、国際的な法的な根拠があったのか?疑問が膨らむ。(いや、当時の認識では、「戦争」は「不法行為」ではなかったから、なんだろうな。)ここから先は、時間をかけて調べないと、答えが出なそうだ。だけど、そんな時間はないから、書きっぱなしで僕は終わるつもり。

ここまでは、韓国が「交戦権」を否定していない、かつ、日本は「戦争そのものを非合法化している」という前提に、基づく議論。

よくわからないのは、国際法的な「時効」の問題、というか、請求権対象の「被権利継承者」で、「政体」が変わった場合に、どこまで持続的に責任をおい続けなければならないか、という部分だろうか。
これを言っちゃったら、韓国なんて、「政体」が変わった途端にそれまでの条約だの、あらゆる「国際的な約束事」を「見直す」とか言って、全部ひっくり返している訳だから、ましてや日本の場合には「大日本帝国」と「日本国」とはそもそも国体も政体も違う。継承するべき義務がない。そこに「義務」を押し付ける根拠が、一体どこにあるんだろうか、と思う。しつこいようだが、韓国の場合には政権が変わった途端に、あらゆる国際的な約束事を破棄できる権限が認められているらしい。その基準を日本に当てはめるならば、「大日本帝国」の頃に起きたことなど、遠い過去の話であって、一切の義務を負わないように思えるのだが、この国際的な「慣習法」に基づく「一貫性の原則」は、どの部分にどう適用されるべきなんだろうか?僕は日本人だから、明らかに日本側のバイアスがかかっているけれども、韓国は数年前の約束事を勝手に破棄してもいいのに、日本は数十年前の事象を未だに破棄できない、その根拠がどうしても理解できない。
ムン大統領の主張には「法的拘束」とか「時効」という概念がない。自分たちは自分たちが破棄したいと思ったら破棄してもいいんだが、相手には時効がない、というのが、韓国民の総意らしい、そうとしか思えない。なぜ日本は70年も前の「大日本帝国」を破棄してはならないのか。その理由がそもそもわからない。

なんてことを、鬱々として考えていたけれども、冒頭の「韓国大法院判決」について、そもそもが、「日韓請求権協定」を無視しているのならば、国際司法に訴えるのが、一番手っ取り早いと思うし、以後、韓国とのあらゆる契約ごとは行わないのが得策だと思う。もし、冒頭に引用した記事のように、韓国大法院判決が、「日韓請求権協定」を遵守しながら、「戦争という不法行為」に基づく慰謝料を請求している、というのならば、「戦争」を「合法」としている(すなわち、国家の交戦権を容認して、韓国軍を保持している)韓国に、「戦争という不法行為」を主張する権利があるのか、そこを争点とする戦いもできるんじゃないか、と自分は考えた。

「戦争」なんて、すべて、「非合法」でしょう?国際法に則って、「宣戦布告」したなら、どんな殺し方をしても認められる、そんな馬鹿げたルールを誰が作った!?国家としての「交戦権」の否定は、僕は、日本人としての誇りだと思っていた。アベとか、自民党のバカが幅を利かせるまでは。

もういいじゃんか。「日本を戦争をできる国にする。」と、それが、あなたの政治家としての使命だと思うならば、そうして、韓国と泥沼の試合を展開したらいい。交戦権だけは、絶対に放棄し続けろ、と僕は思う。なぜ、日本がその先鞭をつけた国だと堂々と主張できないのか、それをアベ、とか、あのムーミン顔の元防衛大臣に言いたい。

切れた。つなぎます。すみません。本件、アベも、ムーミン顔も、関係はありません。
日本時間だと一昨日か?昨日か?何十年か前に日本は真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた。アメリカへの「宣戦布告」があったか、なかったか、歴史的には、「事務手続きの不手際」で、公式な「宣戦布告」が届かなかったことがある程度は検証されたらしい、けれども、「宣戦布告」が「合法的」に届いていたならば、その戦争は「合法」だったのか?

最後に言っておきたい。韓国では戦争は合法でしょ?日本では、非合法。合法としている国が、なぜ、日本の過去の「非合法」を取り沙汰できるのか?論理的な整合性を求めたい、そんな気がする。

現場実習

反対するなら、文句を言うなら、代案を出せ。
それは絶対に思う。それが出来ないなら、(せいぜい、ネットでボヤくだけに留めて)表立って発言するのはやめろ。それは確かに思う。ただ、ネットでボヤくだけだって、貴重な「少数意見」だったりする訳で、決して意味がない訳じゃないとは思うが・・・クソみたいなアイディアしか出なくても、それがベースで別のアイディアに繋がることは、いくらだってある。あらゆる感情、あらゆる思考を捨てたらいけないと、個人的には常に考えている。(実際、かなり馬鹿げたアイディアも、書き残してはいる。死ぬ前には、ってか、次に繋がったら、全部焼却するけど。)でもなぁ、「反対のための反対」みたいな国会運営は、見ていて情けないし、なんだかすごくモヤモヤする。もう見たくねぇ。

中国の方達にとっては「悪夢」みたいな時代だったかも知れないけれども、かつて、毛沢東による「文化大革命」の頃の中国では、大学に入学するためには、1年以上地方の共産党組織の下で、たぶん主には農村部などで農業実習とか「労働」を行なって、共産党地方組織の推薦がなければ大学入学資格が得られない、そうした制度があった、と、何かで読んだ気がする。正確な記憶じゃない。ただ、今生きている方々にも直接関係する程度に新しい中国の歴史で、そうした「時代」があったのは間違いないと記憶している。
この制度、ある意味で「有益」なんじゃないか、と言う気もしている。

国家公務員の卵、あるいは、卵から国家公務員になった人たちを、高校の同級生でも、本郷の居酒屋でも、結構な人数知っているけれども、会話をしていて現場の泥臭い話をどれくらい理解しているんだか、と、感じることは何度もあった。(でも、10回はない。)個別には全部はすぐには思い出せないけれど、その会話をした時の状況を思い出せれば、きっと会話の内容も全部出てくる気がするんだが、ダメですね。歳のせいか、記憶力が滅茶苦茶衰えてる。

毛沢東の地方組織推薦制度、結構、いいやり方なんじゃないか、とふと思った。日本の国家公務員でも、省内手続きとか、仕事の流れを理解し始めた「2年目」とか、あるいは、民間で言うところの「課長」クラスに昇進する要件として、とかで、例えば、厚生労働省ならば、「介護福祉」の仕事の現場で、下働きの研修を半年くらい行う。例えば、経済産業省の役人ならば、中堅以下の製造業で営業職か何かの業務を(無論、実習中であることをを伏せて)実習として行う。例えば、農林水産業の役人ならば、中規模程度の専業農家で、(繁忙期のスポットでもいいとは思うんだが、)2ヶ月程度実習するとか、文部科学省ならば、普通の小中学校に「臨時教員」として(身分を伏せて)勤務するとか、そうした「受け入れ先」は、地方公共団体とか地方の商工会とか、そうしたところの助言を得て、後々「癒着」の原因にならないように(これが一番、「制度」として反対が出そうな部分かなぁ)注意深く準備して、現場実習を受けさせる。
自治会の仕事をしていて、あちこちで挨拶して言葉を交わして感じたのは、「町役場」には県庁からの「出向」がいる。県庁には国家公務員の「出向」がいる。なるほど。既に、そうした発想はある訳だ。(常識でしたかね?研究・開発系だから、あまりこうしたことには縁がなかった。)だったら、役所に留まらず、もっと「下」まで降りて来てくれ、と思う。

現場を知らなかったら、まともな行政判断なんて出来ないでしょうが。書類を出されて、「面倒臭いなぁ、また仕事が増えた」なんて頭で判断されたら、現場はたまったもんじゃない。一旦、その書類を出す側の、あるいは陳情する側の立場に身を置いて、しっかり経験してから、どうしたらいいか考えてくれ、と思う。
どんなアイディアが出るかは分からないけれど、実際にそれを経験しなかったら、まともな行政は出来ないとも思う。

僕らの感覚で言えば、ハードウェアなら、実際に試作回路を組んでみて、動作を確認する、ソフトウェアなら、そのプラットフォームで簡単な試作アプリを組んでみて、開発性能とか使いやすさの感触を試す。とにかく実際に試してみなければ、何も分からない。ところが、現場のことを何も知らない人間が、机上の論理だけであれこれと決める。これは危険すぎる気がする。その「危険性」に振り回されないように、例えば、商工会議所だとか、経団連だとかが政府に圧力をかけて来たんだろうけれども、そんな生易しい、回りくどいやり方だと、「変化の激しい」時代には通用しないんじゃないか、と言う気がする。

若い人たちの「感性」に賭けるしかない、と思う。20代の入省間もない人たちを若いと言えるのは、「本郷時代」からそうだったけれども、「課長に昇進する」レベルの30代とか40代を指して「若い人たち」と感じるようになっちゃったのは、いかに自分がジジイになったか、ですね。でも、みんな馬鹿じゃない。そもそもが、国家公務員試験に合格した人たちだもの。足りないのは、現場の経験だけじゃないか、と思う。そして、足りないのは、ずっと本質的でディープな体験なんじゃないか、と、すごく感じた。

なんだか、モヤモヤする。ずいぶん前になるけれども、あれが武器輸出三原則を、閣議だけで廃棄した時は、かなり「来た」。その後ももう、平和とは何か、そんな議論をすっ飛ばして、自衛隊の海外派遣の「法整備」を進め、あれやら、これやら(中略)、いや、それなりに仕事も忙しいからニュースなんて「水面」に出たものしか見ていないけれども、あっという間に「移民法」が成立した。
たったの2ページ分だけれども、噛みついた以上は「具体案を出せ」ってなことになるんだろうと、自覚しているから、「頼むから、こうして欲しい」と言う自分なりの具体案を書いてみた。

役人でも政治家でもいいから、海外からの実習生を受け入れている現場に、現場の人間として仕事をしてみてから、制度の詳細を決めて欲しいと思う。

以上

全ての職業を魅力あるものに

こんなページを見つけた。

水道法・入管法改正、なぜ野党の批判には説得力がないのか
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2018/12/post-1051.php

本質的な部分は、いつだって議論されない。なんか、そんな気がする。
あれね、ご飯論争。
元ネタを見てはいないけれど、あれか?盛り蕎麦も、かけ蕎麦も食っちゃったけど、どっちも「ご飯」じゃないから、「あたしゃ、ご飯なんて食ってない」ってな感じか?いや、確認する気もないので、間違ってたらごめんなさい。

専任教員時代、大学のPRで、高校の進路指導担当の先生に入試案内を渡すために「営業」に行かされたことがあった。とある高校で、進路指導の先生がおっしゃっていた。卒業生には、介護福祉士の資格を取って、介護の仕事に就く人もいるけれども、私はあまり勧めたくない。卒業してから、「生活できない」という愚痴をこぼしにくる卒業生がいる、とか、そんな感じの世間話だったと記憶している。
高卒の介護福祉士の「給料」がいくらかは知らないけれども、かなりハードに働いても、月額10万円とかで、結局、結婚も出来ないし、将来への不安が拭えない、そんな感じの話もあったように記憶している。うろ覚えなので、数字も漠然としか覚えていないけれども・・・

言い訳ですが、訪問するのに自家用車の使用を禁止されていたから(万が一の交通事故の際に、大学が責任を取りたくないからなんだろうと理解するが、そんな感じの責任逃れのルールばかりが多い職場だった気もする。で、)最寄駅から結構な距離を歩いて、汗だくになりながら、ボーッとした頭で当たり障りのない世間話をして、入試のパンフを置いて、そんな状態での会話だったから、印象には残っているけれども、記憶はかなり危なっこしい。でも、確か、こんな感じの会話だった。

看護師さんも大変だという話はよく聞く。なんでなんでしょうね?行政機関にとっては、介護も福祉も看護も、大して大事な仕事だとは思っていないから、そういう行政になるんだろうか。根本的な「人手不足」の原因は、ここにあるとは思わないんだろうか?日本人にとって魅力のない仕事ならば、それは外国人にとっても同じでしょう?そこから改善する、という努力を怠ってきたから、今のような状態になったんじゃなかろうか。
で、安くこき使って、要らなくなったら帰国させる、なんてことをやっていたら、日本の評判を落とすんじゃないか?このインターネットの時代。すごいことになりそう。

中小企業では人手不足倒産もあると、今日もNHKラジオが何か解説を流していた。中小企業の場合には、いわゆる「下請けいじめ」で、足元を見られてギリギリまで価格を下げられる。当然、社員の待遇だって大してよくは出来ない。よほど「独自の技術」でもあれば別だと思うけれども、「世間一般」で見たら、そんな会社ばかりじゃなく、「別に御社に発注しなくてもいいんですよ。」なんていう殺し文句に泣く泣く「わかりました、それではいくらでやらせていただきます。」と答えざるを得ない会社が、どれほど多いか。誰だって、給料の高い会社で仕事をしたい。当然じゃなかろうか。
で、そういう会社の社長さんだの、人事関係者だのが、ストレスを抱えて、酒を飲んで体調を崩したりなんかすると、財務大臣なんかに、「なんで、そんな奴らの保険料を俺らが負担しなきゃならないんだ」とか言われる。何ていう財務大臣でしたっけか?確か、Ass Holeみたいな発音の人。

パワハラじゃありません?下請けいじめって。セクハラに関していえば、この間ラジオで言ってた。「チョコボール」がセクハラだって!?嘘でしょ、と思ったけど、(それで通じちゃう相手も相手だと思うんだが、)そこまでハラスメントに敏感に騒ぐなら、前出した「別に御社に発注しなくてもいいんですよ。」なんて、どうなのよ、と思う。力関係が歴然としたパワハラじゃないのか?

確かに、構造的な問題で、そう簡単にいかないのはよくわかる。労働関係法の問題ではなくて、個別契約は双方合意に基づく民法の領域だから、「契約した金額」について、殺し文句で脅されて泣く泣くだったとしても、「合意」したならそこには契約の履行義務が生じると思う。(あ、納期・・・自分のことは、棚に上げるとして・・・)とにかく、自民党だか公明党だか、どっちがどうなのかよくわからないけど、安くこき使う側ばかりが支持母体だから、もう強行採決なんて時間の問題でしょ?加えて、今回に関しては、冒頭のNewsweekの記事にもあったけれども、切迫した問題だから、現場ではむしろ歓迎されているらしい。だったら、いいんじゃないのか?強行採決。

ただし、と思う。
数日前かな、これも確かNHKでやっていたけれども、憲法で定める「教育を受ける権利」は「日本国民」に対してのものであって、外国人に対しては自治体の判断に委ねられる、らしい。国って、無責任ですね。

それならば、劣悪な労働環境から逃げ出しました。パスポートを提示したら有効なVisaがないのは歴然としているから、それ以後はまともな仕事に就けない。そういう人たちはどうするんだろうか。
あるいは、在留資格が切り替わったり、一定の期間仕事して永住権を手にしたりして、家族が来日しました。日本語はまともに話せません。子供も教育を受けられません。日本に住むことは出来るけれども、言葉がうまく話せないし、教育も受けていないから、出来る仕事が極めて限られて、結果として仕事がない若い外国人が増えたりしました。そういう人たちはどうするんだろうか。
食うに困った。金に困った。でも仕事は出来ない。さて、どうやって金を稼ぐか。いや、そういう人たちの「参入」を歓迎する「業界」もあったりして。そっちの方がスタンダードになっている国は、少なくない気がする。政治家とか役人って、そういうことは想定しないのか?
何よりも、行政機関がどこも「所在」を把握できない外国人が激増していく、そのリスクは覚悟すべきだろうなと思う。

そもそも、「人手不足」の業界が、魅力のあるものだったら、それほど深刻な「人手不足」にはならないはずで、本質的に解決すべきは、そちらじゃないのか、とは思うが、どちらかと言えば、いくら「問題視」して、いくら騒いでも、政治からは放置されてきた領域なんだろうと思う。その挙句の「外国人労働者」受け入れ。
忘れるんじゃねぇぞ、と思う。彼らだって、人間。高級官僚だの、政治家から見たら、泥臭い仕事をしている奴らは、「後回ししてもいい」という扱いで、そこに人が集まらないなら、「いつでも切り捨てられる労働力を、掻き集めたらいい」という発想なんだろうけれども、たぶん、日本の「人権」問題は、国際的なスタンダードから相当に問題視される状況になるような気がする。

なんて思いつつ、確かに今すぐ「受け入れ」が必要なら、そうするしかないんだろうな、ということも思う。
時間がかかる問題を放置した挙句の、その場しのぎ。
新しい技術を習得するのが面倒だから、ギャンブルで稼ぐ。あるいは、副業が出来ないか、副業なんてしんどいから、サラ金に手を出す。自分たちの待遇が悪くなるのは嫌だから、赤字国債の発行。全く一緒な気がする。

野党にも頑張って欲しいけれども、思わず投票したくなるような主張を展開してくれる政党がないんだもんなぁ。安倍総理がトランプに「歴史的な大勝利、おめでとうございます」とか持ち上げて、海外メディアで散々揶揄されていたらしい。その安倍さんは、「歴史的な在任日数」になりそうで、それは「日本人の選択」の結果だから、仕方ないんじゃないのかな?(私のワープロ、在任日数と打とうとしたら、「罪人日数」と変換しようとした。)

あれか。モリ蕎麦、カケ蕎麦と同じ。「省令に委ねる訳ですから、関係省庁の判断が適切ならば、ご指摘のような問題が起きないように、省令を定めればいいので、問題は起きないと言えます。」なんて答弁をしそうな気がする。(私のワープロ、省令と打とうとしたら、症例と変換しようとした。)治る見込みのないビョーキ。

場当たり的

ニュースに反応。(プログラムのテストコードを書くのに疲れた。検索疲れ。思い付いたことが、全滅状態。これを書いたら、また試行錯誤に戻る。いや、絶対に突破口は見つけるよ!見つけるけどさ、今は疲れた。)

安倍総理。あっけなく「武器輸出三原則」を放棄した。大した反対はなかったのかな?だけど、あの放棄は、100年スパンの長い目で見たら、決定的に日本の進路を誤らせていると僕は思う。もういい。書き疲れた。

かつて、初めて「赤字国債」を発行した時は、「景気が良くなったら、すぐに償還できる」なんていう議論が堂々とまかり通っていたのに、いざ、「赤字国債発行慣れ」しちゃったら、そもそも償還するなんていう発想がなくなって、各省庁、業界団体の言いなりで、何のポリシーもなく、健全性への「骨太さ」もなく、ズルズルと、赤字国債を発行し続けている。じゃなかった、名目を変えて建設国債とかにしたのか?あの「場当たり的」な最初の決断のために、健全な状態に戻るのに何年かかるんだろうか。借金は全部若い人たちに押し付けている。

いや、わかるよ。僕もサラ金の経験はある。一旦最初に「借りて」しまうと、その後は返して、借りて、という繰り返しに対する抵抗感がなくなる。「損切り」するまでにすごく時間がかかった。いい経験をしたと思う。手を出さないのが正解だと、手を出して初めて理解した。協力隊に参加する前だから、30代前半のことだった。
だから、偉そうなことは言えないけど、赤字国債に抵抗感を持たない官僚も政治家も、偉くはないんだろうな。

で、今度は「外国人実習生の受け入れ」か?

面倒臭いから、途中を省く。
いずれ、訴訟が起きた時に、「技術研修生であっても、実質的な業務が正社員などと差がないならば、正社員として扱うべき」という最高裁判決か何かが出て、過去に遡って、日本人並みの基本的人権に照らし合わせて、補償をすることになるんだろうと思う。年金はともかく、健康医療に関する会社負担も同様だろうと思う。これは、どこかの国との国際法的にも解決済みの問題と同様の次元ではなくて、これから起きる、全く「解決済みではない」話題だと思う。

政府は今回、製造業などからの圧力で成立を急いでいるんだろうと思うけれども、それ以前にも介護福祉要員を海外から受け入れる制度を作って来ていた。ぶっちゃけ、言葉を選ばずに書けば、Cheap Labor(=安い労働力)であって、3K(危険、汚い、キツイ)など日本人が嫌がる分野に人を欲しがったり、介護福祉士などのように、公に決められた賃金が安い割には仕事がキツイ領域に人を入れようとしているだけ、だと思う。
発想がおかしくないか、と思う。介護が必要な人が増えて、そこに人手が必要ならば、介護の基本的な賃金を増やせば人は集まるし、税金の投入先を見直すべきじゃないかと私は思う。オリンピックだなんだ、大規模な建築業界を潤すプロジェクトを誘致する以上に、足元を何故見ようとしないのか?看護師然り。公立学校の教員然り。(いや、公立学校の教員は、銀行の融資先では、年金などを考えたら二重丸らしいし、親父やお袋がそうだったから、文句を言っているんじゃないが、でも現役の頃は、当時ですら夜中近くまで仕事を持ち帰ってしていたことがあったし、僕もガキの頃、親父が私費で買った輪転機を回すのを手伝ったことがある。夜中まで、手を真っ黒にしてプリントを作るのを手伝ったことがあった。)
外国人を受け入れたら、公立学校も、医療関係も、それなりに仕事が増えないか?医者だってそうだと思う。医者だって勤務医の場合には、責任に伴うリスクと、勤務医としての給料を対比したら、もしかしたら大企業のサラリーマンの方が(医者ほどの責任が表に見えない分だけ)楽かも知れない。今回の法案を急かしている業界団体は、そうした関連分野への負担を一切考えていないし、政府与党にもそうした関連分野への波及効果を理解する能力がない。最初の赤字国債の発行の時と、全く一緒に見える。

結果的にどうなるか。来日した外国人労働者の基本的人権が、海外からも問題視される状況はあり得ると思う。日本人と同様に扱うことになったら、もはや、Cheap Laborとしての当初の思惑は成立しなくなる。結果として、「日本人にとっても、魅力のある職場にする」のと、「国際社会からの基準で要請される、受け入れの最低基準を満たす」のと、どちらがコストがかかるか、という議論になって、最終的には全体コストが膨らんで、かつ、そのコストを税金という形で回収するのに、日本人にとっても外国人にとっても、不満が膨らむような結果になるだけのような気がする。悲観的な考え方しかしなくて、すみませんね。日本政府には中国政府みたいなやり方はできっこないと思うから。細かい議論の途中は、長ったらしくなって、面倒臭いので省略しました。聞く耳持ってもらえるなら、頑張って、一万字くらいなら書けるかも知れないけど、時間がない。(プログラムの試行錯誤が、最優先だ!)

今、日本人の「国際結婚」の比率がどの程度か、統計をご存知かどうかは、知らない。僕は、青年海外協力隊のOBですから、右翼系の発想とは、悪いけれども一線を画していると、想定はしておいてください。元から住んでる日本人の負担が2割程度は増えても、外国人がどんどんと日本に永住するようになるのは、決して悪いことではないと思っている。もっと異文化を知るべきだ、とも思う。いずれ、「純血」の日本人が減って、海外からの「帰化人」への、受け入れコストが増える、そのことの覚悟が、政府与党にどの程度あるのか、知らないけれども、赤字国債の時と、全く一緒だな、と思った。

赤字国債も、年配者のタンス預金をうまい具合に巻き上げられれば、簡単に解消する、なんていう議論があるらしいから、そんなに心配する必要はないみたいだし、日本に混血が増えるのも、全然悪いことじゃないと思っているから、僕自身は気にしていないけれども、そうなった時に一番気にしそうな人たちが、今の段階では全然気にしていないのは、面白いな、と思った。そもそも俺、タンス預金すらも持ってないし。

武器輸出三原則は、あれをなくしたお陰で、「今度生まれるなら、絶対に日本」と考えていたかも知れない「有能な人材」が、日本を選ばなくなる、そんな気がする。いや、そんな議論、誰にも通じないと思うから、ただ単に私が思っているだけ。どうせもう、どうにもならないし。
だけど、今回の場当たり的な政府の判断は、政府与党にとっては裏目に出そうで、ちょっと楽しみに「結果」が出るのを待とうかと思う。その流れで、ね。いずれ、難民の受け入れ基準も下がると思うな。優秀な「難民」は、世界中にいくらでもいる。能力的にも優れた方々なのに、元いた国の馬鹿な政府のお陰で、母国に住めなくなった人たち。マクロに見て、そういう人たちを受け入れるのは日本のメリットになると思うし、それに付随して、「普通」の難民の人たちが日本に入ってきたって、もしかしたら、介護の現場とか、担ってくれるんじゃないの?なんてことも思う。

スワヒリ語とかタガログ語で「おじいちゃん、大丈夫?」なんて話しかけられても、体を固くするだけの、今の政治家の成れの果てを、見てみたい気がする。受け入れるならこっちだって、相手の言葉を覚えろってば。それをする気がないなら、教育に相当に金をかけるか、受け入れをやめるか、しっかりと考えて、場当たり的な政治はやめろ、と思う。

で、仕事に戻ろう。じきに日付が変わる。それまでに、チェック項目、あと三つ、片付ける!ジャスト30分の暴走でした。(じゃ、ねぇだろ!誤植を校正して、文章を読み直して修正かけていたら、1時間を経過した。あんた、デバッグの時間を見積もらないのは、本当に悪い癖だ。)

カジノ

今朝、車の中でちょこっとだけ聞いたNack 5。朝の番組。日本全国ひろし旅だったかな?大阪万博決定は、関西圏では結構盛り上がっているらしい。
関西圏は今は慢性的に宿泊施設不足で、ビジネスで出張する人もなかなか直近の宿が取れない状態が続いているらしい。海外からの観光客を受け入れるのに、民泊が活況だとか。
ぶっちゃけ、思った。これ以上、どうやって人を受け入れるんだろうか?

東洋経済のニュース配信だったかな?どこで読んだか忘れたけれども、日本に決定的に不足しているのは、「超高級ホテル」らしい。一泊数十万円、スイートだったら一泊100万円クラスの「超高級ホテル」が日本には、ない、って書いていたんだか、海外と比較して圧倒的に少ないって書いていたんだか。細かいところは忘れたけれども。

ビジネスで考えたなら、今あるホテルの何ヶ所かを、そういうホテルにグレードアップしたり、あるいは、新規に建設するホテルをそういうクラスにするとか、そういうのを勧めていた、そんな記事だったと思う。読んだのは1年くらい前か?カジノ法案が(あれ?成立したんだっけか?)話題になっていた頃、だった気がする。

いっそのこと、そういう形で海外から日本にお金を落としてもらう、っていうのは、アリかもと思った。いや、受け入れ数の「絶対数」は増えないけれども、雇用創出、需要創出には、決定的に効果があるな、とは思った。リスクは、原発事故とか、自然災害でのインフラ破壊などで、一旦観光客が激減したら、致命的なんだろうな。でも、ある意味でビジネスはギャンブルですからね。
そして、カジノも、そういうホテル内で、主には宿泊客中心、だったら、いいんじゃないか、なんてことも思った。今日本にないもの、らしいし。宿泊客以外がカジノに入場する際には、50万円くらいのデポジットを打ってもらったりして。それができるんなら、いいんじゃないかな?貧乏人は、そういうところに行っちゃ駄目だと思う。日本人で、どうしてもカジノを経験したいなら、マカオでもラスベガスでも「観光」に行ったらいい。国内では、海外から来た金持ち相手、だけにして欲しいな。
そして、彼らが「日本」を堪能して、豪華な旅行を経験したいなら、そういう選択肢も提供し、しっかりと日本にお金を落としてもらう。リスクはあっても、リターンは大きい選択肢かもしれない。ギャンブルそのものか。

発想の発端は、溝畑宏さんの番組だった。話題が逸れた。今日は一日中「防災訓練」で頭がいっぱいだった。唐突に、午前中のラジオの話題を思い出した。
関西圏でどうやってこれ以上の訪問者を受け入れるんだろう、なんてな疑問だった。住民を5%くらい追い出して、そこを宿泊施設として解放する、なんてどうかしら?なんて書きたかったんだけれども。
案外、関西圏よりも、沖縄とか、北陸とか、北海道とか、地方の方がメリットが大きいかも。

埼玉はなぁ・・・そんなん、作るったって、どこだんべ?秩父?

声掛け

自治会のDIG(災害想定の図上訓練)が終わった。町役場の防災課の方も、お二方同席していただいた。防災課の方の話によれば、自治会でDIGを実施したのは、うちの地区が最初らしい。

とにかくこれで、会計の仕事がやたらと多い体育祭、沼祭り、75才以上の高齢者食事会、防災訓練と、4連チャンが終わった。あとは来年2月の独居高齢者食事会と、引き継ぎの地区総会だけ。総会はともかく、独居高齢者の食事会はお店でやるから、僕の仕事は後は、決算報告と予算作成、総会の準備だけ、かな。もう4年やった。十分。来年度は絶対に、誰かに交代してもらう!

DIGでは、隣組長なども高齢の方が少なくはないけれども、どなたも積極的に、災害想定の意見を出したりされていた。
共助の「避難支援」の優先順位の決定では、4グループ全部が違う順位をつけたのは面白かった。現実問題として、それが必要になったら、(もし、火災が発生したら)たぶん1分を争うはずだから、意見調整をしている暇があるならすぐに動こう、ということになるんだろうか。
いずれにしても、参加者の方々はどなたも楽しんで参加して下さったみたいで、実施して良かったと思う。小学生でも参加できる「ゲーム」らしいから、ハードルも高くはない。

講師の方が仰っていた。お祭りのある地区は災害に強い、らしい。「共助」で、「普段からの心構え」として、地域での「あいさつ」だとか、お祭りなどで住民相互が言葉を交わす習慣が、いざという時にすごく役に立つ、というお話もあった。自治会の役員を4年もやってると、さすがに今日などはもう、参加された方と冗談を言える程度には親しくなってはいる、けれども・・・問題は、アパートの住人だ。

単身アパートとか、一括借り上げ方式のアパートなどでは、不動産屋さんや大家さんを経由して自治会費は支払っていただいているものの、一切交流のないアパートも少なくない。回覧板を回せないから、体育祭の選手を決めるとか、お祭りの案内すら回せない。当然、何人住んでいるか、どんな人かもわからない。今、地区内の人口の3割くらいは、自治会に「形式的」にしか加入していない(自治会費をいただいているだけの)方々、ということになる。災害時に潰れたアパートに閉じ込められていても、誰が何人いるのか全く情報がないから、完全に後回しだろうなと思う。自分でサバイバルしてください、という状況だ。

夜道ですれ違って、声を掛けるか、どうするか、迷う。ご近所の高齢の女性が、「私は知らない人でも挨拶しますよ」とおっしゃった。いや、自分もそうしたいけれども、相手が男性ならともかく、女性だったりすると、「怪しいおじさん」扱いされないか、そこが不安だ。女性の皆さんは、どう思われるか。夜道で知らない男に「こんばんは」などと声を掛けられたら、「地区の住民の、相互交流」だと考えていただけるかどうか。

さらに、帰宅途中の小学生に声をかけようものなら、「不審者に声をかけられた」と言われかねない。翌月のPTAの広報誌に「不審者に声を掛けられた子供がいるので、注意しましょう」なんてなってたりして。
声をかける側が女性ならまだ確率的に低いにしても、子供から見たら僕ら明らかに「変なジジイ」かも知れないし。
お祭りの時に、ビンゴ大会とか、ストラックアウトなんかに参加して、その場にいた大人の顔を覚えていてくれたら、まだいいんだけれども。「君は、どこそこさんちの子だね?」なんてところまで、こちらも覚えきれていない。どちらかと言えば、子供も子連れも、豚汁とか、焼き鳥、焼き餅、焼きそばに夢中だったりするし、大人はビールやら焼酎やらに夢中だったりするし・・・やっぱり、知ってる人とは会話をしても、初めての人と会話をする機会を作るのは、とにかく難しい。

カラオケ大会でも企画しますかねぇ、なんて思いつつ、いや、これ以上仕事を増やさんでくれ、とも思う。
確かに、何もしないよりは間違いなく、「顔を知っている人がすごく増えた」状況ではあるけれども、そこから先に広がらない。「継続は力」なんだろうか。
講師の方が仰っていた「お祭りのある地区は災害に強い」を、信じて、とにかく今の行事は続けていって欲しいと思う。

今年度の「初挑戦」は、隣組長と幹事さんが中心だった。来年度は、子供会と中学PTA、老人会にターゲットを絞り込んでDIGを実施するように、提案してみようか、いや、「実施してください」と引き継げるように、申し出ていようか、なんてことを考えたりしていた。(そうだった、来年度は僕はもう、会計ではない予定だから。)

子供会と大人の行事の接点を増やしたい。だって、不審者扱いされるのは、いやだもの。人相風体だけで判断して欲しくないし。って、当日参加して、顔を覚えてもらえないと意味ないか。僕はまだ、老人会には参加するつもりはないから・・・そうだった。僕は参加できないはずだから、子供会とかPTAと、無理して絡んでもらわなくてもいいかな。(自分本位)

「いきいき百歳体操」には、参加するように声を掛けられてはいるんだけれども、曜日が噛み合わないので参加できていない。あれって、結構いいみたいですね。でも、年配の方には、たぶん、「不審者」とは思われていないから、あとは僕の都合だけの問題。

僕も千葉にいた頃は、その土地の自治会行事には参加しなかった。いつかは、小川町に戻りたいとずっと思っていたから、というよりも、毎週末千葉から埼玉まで(講演会に参加したくて)「帰省」していたから、千葉では自治会に全く参加していなかった。自分がやってなかったことを、他人に求めるのは、変ですよね。だけど、講演会を休んでも自治会行事に参加する、という選択肢もあったんじゃないか、とも、思う。さらに過去に遡って、名古屋圏でアパートに住んでいた時にも、自治会に参加するなんて、考えてもみなかった。防災なんて、気にもしていなかったし、何も起こらないと思っていた。(それ以前に、他に神経をすり潰していた問題があったし。)

「声掛け」が、「安心」につながるのか、不審者として「不安」につながるのか、嫌な時代になった気もする。判断が難しい。
とにかく、大きな行事はこれですべて、つつがなく終わった。よかった。

傷口

何やってんだろ、俺、とは思う。でも、言葉が湧いてきたら、吐き出さないと仕事できない。だから書く。
「年内に仕上げます」なんて約束した仕事が、一つならずあって「年内」って、いつよ?まだまだ?
成長しねぇなぁ、ガキの頃、無限の長さがあると思えた夏休みの終わりと一緒。え?もう、12月?ってな感じで・・・

あれ、次バージョンのISが勃興しようとしているのは、ザイールかも知れない。わからない。今、エボラ出血熱が再び問題になっている地域か?
わからない、本当にわからないから、仮定の上に仮定を重ねてい書いている。師匠じゃないんだから、鮮明な知覚なんて、持ってない。仮に、「アレ」がザイール、もしくは、ボコハラムの支配権の中央アフリカだとして・・・

国境なき医師団は、撤退すべきだ、と個人的見解を書きたかった。地球意識は、今明らかに害とみなすべき意識体の存在が多ければ、容赦無く消し去る「手段」を講じる。地球意識は、その手段としてウイルスを創造することができる。かつては、ペストがそうだった。地球意識が「これで充分」と判断したなら、何も医療的な方策を取らなくても、いつの間にか消える。かつてそれは、モーゼの時にも起きた。正確に知覚する自信がないけれども、「スギコシ」と日本語に訳されている風習は、家々の扉に動物の血を塗って?災いを防いだ?もの?らしい。それは、ペストを媒介する野生生物を家の中に入れない方策を取ったものが、後の世に形を変えて伝わったものだ、と私は理解する。モーゼの意識に地球意識が反応して、ペストが産み出され、モーゼが封建的な政府に圧力を加えるのを手助けした。私はそう理解している。何が言いたいか。ある種のウイルスや細菌による病気は、地球意識が創り出して、ヒトに警告を与えるために、ヒトを正しい方向に導くために、創り出されたものだ、と理解する。

僕自身、一応はかつて「医用工学」に軸足を置こうと決めた。たったの一人でも、自分の技術で救える命があるならば、全力を尽くすべきだと信じた。その辺は、医者や、国境なき医師団に身を投じた方々と同じだと思う。ただ、どうやら、ある種の疾患は違うようだと、今は師匠から聞いて理解している。恐らくは、HIVもそうだと思うけれども、エボラ出血熱は、明らかに地球意識がヒトに警告するために創り出したものだと理解する。エボラに汚染された地域は、国境なき医師団の方々が身を投じて「一人でも命を救う」そのターゲットにすべき地域ではない、と自分は考える。自然災害とか、もっと不可避な状況で苦しんでいて、「今、生き延びれば、今回生まれて生きていることが、もっと他の人に役立つ」と信じて、生き延びた人(子供)がそうした経験をできる場所はもっと他にたくさんあると思う。その「他の場所」に移るべき。政府が腐敗している、それに反逆する側も、人の命、ヒトの尊厳などカケラも理解しない、そういう地域で蔓延する病気には、あるいは怪我にも「手を差し伸べる必要がない」のではないか、と私は考える。
大丈夫。今、その病気で、あるいは、怪我で死んだとしても、本人が死んだことを理解できさえすれば、魂はすぐにも次の経験を持てるようになる。何度でも、ヒトは、ヒトとして生まれ変わって、次の経験を積める。キリスト教的な思考に、そうした発想はないのか?

同情すべきなのは、テロリストや、あるいは、テロリストに便乗して安易に攻撃するアメリカ/NATOやロシアなど空爆に殺された方々じゃない。殺した側の方が、後が大変だと、この理解は、キリスト教徒やイスラム教徒などとも、共有できるだろうか。殺した側の方が、罪が重いケースが圧倒的に多い。この感覚って、果たして、キリスト教徒やイスラム教地に通じるだろうか。僕にとっては、別世界の方々だから、よくわからん。でも、殺した側の方が罪が重いというのは、実際にそうだと、是非、ご理解いただきたい。本当に、殺された側は大丈夫。きっちりと、殺された経験を血肉にして、次は「世界がどうあるべきか、自分はどう生きるべきだったか」その、考える題材として魂に刻み込んで、次に活かせることができると、私は断言します。

それでも、「目の前の死にかけている命を救うことに、どんな意味があるのか」は、ヒトとしての関係者各位の直感と、私の直感とは、たぶん、同じだと思う。「この子が、将来、どんな仕事をするか」それが思えれば、是。私も、医用工学関係だとしても、教育関係だとしても、この点は考える。それだけでいいじゃない。でも、やっぱり、エボラの汚染地域は、「危険を冒して、命を救うために頑張る」のではなく、「封鎖して見捨てる」のが正解、だと、私は考えます。

僕らからしたら、地球意識なんて、十分に「神の領域」だと思う。ヒトとして肉体を持ったモーゼも、イエスですら、十分に「神様」だもの。地球意識は、その上、なんだから、私にとっては、認めないわけにはいかない。。だから、「命を賭して、エボラの汚染地域でヒトの命を救う」ことは、状況に応じて、「見捨てても許される」という発想は持って欲しいと、強く願う。

海外の「医学常識」は知らない。ただ、日本では、日本褥瘡学会だったかが、「傷口は、乾燥させるべき」というかつての常識をひっくり返して、「湿潤環境を保った方が、傷口の治癒が速い」と発表してから、「常識」が逆転した。「世間の常識が変わったから、絶対この問題は、臨床工学技士の国家試験に出るぞ」と、予告して、外科学概論の出題予想をしたことがあったけど、何人まともに聞いていたか。出題予想が当たったのに。おい、K、お前寝てただろう。あの補講の時!

傷口から、血が流れ続ける。「乾かす」=「医療行為を施す」のではない、流し続けるテロリストがいるならば、その地域を封鎖して、血が流れ続けるまま、放置すべきだ。撤退してもいい、自分はそう考える。消毒なんかするよりも、長い目で見たら、その方が根本的な治癒につながる、そんな気がする。私たちだって、かつては「テロリスト」だったかも知れない。みんな、いったい今回が何回目だと知っているのか。初めて、だと思っている人が大多数。仕方ない。「アドリブ」の能力を鍛えるのに、「台本」を知っていたら、意味ないから。そして、「アドリブ」で問題解決できるのが、ヒトとしての真骨頂で、そのプロセスには、僕ら自身が殺人鬼になった経験だって、絶対にあるはずだし、かつ、殺された相手だって、「なぜ、殺されることになったのか」そのプロセスを考えて、次に活かす機会を、誰もが持たされている。ボコハラムとか、ISがらみの殺戮の現場は、私もネットで見てはいるけれども、大丈夫、きっとどちらも経験として役に立っている、と思った。

くどいね。これで終わる。

物流の仮想化

経済の仮想化、なんてことを考えていた。流れに乗り切れない個人事業者とかは、大変な時代だとも、思った。

東京のお店からXという商品を大阪のAさんがネットで買い、同じXという商品を東京のBさんが大阪の会社から買った、とすると、マクロには完全に無駄な物流が発生する。個人の購買情報のようなプライバシーを漏洩させずに、マクロにこの問題を解決するには、どうしたらいいんだろうかと考えていて、ふと思った。

物流も仮想化したらいい。そのためには、商品の「所有権」の移転を、「エンドユーザ」が購入するまでは「モノ」の移動を伴わせない形で行えばいいんじゃないか、と思った。

製造業のM社が、Xという商品を製造しているとする。付加価値を付けるかどうかは別にして、それを、商社である東京のP社と大阪のQ社が購入したとする。この時、M社は提携先の物流倉庫業のS社にXという商品を出荷し、P社やQ社は、そのXという商品のエンドユーザではないため、価格を支払い、M社に商品の保管を委託する、とする。
この時、Xという商品の所有権は、P社にN1個、Q社にN2個という「情報」が発生しただけの状態で、「どれがP社の所有」とか「Q社の所有はこれ」などと特定されない状態でS社に保管される、とする。そして、ネット経由で東京のAさんが大阪のQ社から、大阪のBさんが東京のP社から購入した際には、いずれもS社の倉庫から「エンドユーザ」であるAさんや、Bさんの元に出荷される、とする。ここで、S社が東京と大阪にそれぞれ倉庫を持っていて、どちらにも同じXという商品を適正数在庫していたとすると、「最も近い倉庫」から出荷する、とすることで、無駄な物流を省ける、と考えた。

従来の問屋に相当する中間的なバイヤーが購入する場合には、「所有権」の情報を購入した商品群に「個数分のタグ付け情報を発生させる」だけで、実際の物流を発生させず、エンドユーザが購入した際に初めて「モノの輸送」が起きるようにしていけば、マクロに見て、物流コストを抑えて、余分な二酸化炭素排出を抑えられるのではないか、と思った。

エンドユーザは、「価格.com」のようなサイトを見ながら、だいたい一番安いところから買う、ような気がする。他の人のことは知らないけど、私の場合には安いところを探して買っている。そうとなると、毎回似たようなお店になって来て、案外巨大な店舗を持っている名の通ったお店ではないところになったりする。その理由は、もしかしたら、店舗のコストが商品価格に上乗せされているから、かも知れない。だとしたら、アマゾンのように小売の店舗を持たない店が最も有利になる、ということなんだろうか。

アマゾンに太刀打ちしようとするなら、最終的な輸送コストまで含め、物流倉庫に特化した「製造元」/「販売元」と「エンドユーザ」を結び、全国に分散した拠点を持つ、前述のストーリーのS社のような存在が必要になってくるのではないか、と思った。

経済は「無駄」によって潤う、という話を以前聞いたことがある。無駄によって、お金がばら撒かれる。二酸化炭素を排出しても、全く同じものを、一方では東京から大阪に運び、他方では大阪から東京に運ぶ、そうすれば、その分の「無駄」は運送業者の収入になる。だから、この考え方が「最適解」ではないかも知れない。ただ、マクロに見て、これ以上の二酸化炭素の排出は、地球への環境負荷が看過できない状態である、そんな気もする。

個人商店でも、自分で何かを作っているところは、こうした「仮想化」にも乗りやすいと思う一方で、「シャッター商店街」のお店などは、「仕入れて売る」だけなので、アマゾンなどには相当に客を食われているんじゃないかと思えたし、結局この発想では、個人経営のような「小売業者」は救えない、ようにも思えたけれど。それに、私のところみたいに「カスタマイズと付加価値」で勝負している会社にも、全く関係ない話ではあったけれども。

荒削りな発想だけれども、とりあえず、考えるともなく考えちゃったから、書いてみた。こうして、吐き出して、スッキリして、別に考えたい話題に切り替えたいとも思っているので、書いてみただけ。

第2のIS

後藤健二さんの時と、同じような夢の見方(起き方)をした。
自分、何をやっているんだろうとも思うけれども、書くことをためらわないことにした。間違っていたとしても、覚悟する。すべては、読み手の方に委ねます。

400人くらいの犯罪集団が台頭しているかも知れない。これからまだ、勢力を大きくしそうな雰囲気があった。いや、これから規模が大きくなる。そう見えた。

中心人物は、まだ若い女性かも知れない。元々は犯罪被害者だったようだが、被害者なのに加害者をてなづけて、いつの間にかリーダー的な存在になった、ように見えた。

病院に向かう車に、4人ほど乗っていた。彼女はその4人を「病院の必要がない状態」にした。その中の一人からは、これを見ろと言わんばかりに、呼吸のチューブを引き抜いた。そう見えた。

夢の中で、僕にその夢を見せてくれた人に何かを聞かれた。思い出せない。その問いに僕は、この集団はいずれ国家を名乗るところまでいくと思います、と答えた。その人は、その答えで合っている、正解だよというように、私の答えに微笑んでくれた、そんな気がした。

自分が夢で見た光景は、そこまで。ここから先は、起きてから考えたこと。シリアの方なのか、と最初は考えた。いや、もしかしたら、中米、ホンジュラスとか、その辺なのか、とも思った。

夢の中で、この夢は特別だと思わせてくれるようなサインがあったけれども、それは書きません。ただ、とても気になった。不安を掻き立てられた。再び、俺にどうしろ、と?ほぼ、今日一日、どうしようか悩んだ。結局書くことにした。

空振りであることを、祈ります。ただもし、国境なき医師団とか、アメリカのCIAとかに、これに該当する情報が入っているのならば、警戒して欲しい、ISのようなことになる前に、未然に対処して欲しいと、強く願う。そうではない、単なる私の暴走であることを、それ以上に願う。