傷口

何やってんだろ、俺、とは思う。でも、言葉が湧いてきたら、吐き出さないと仕事できない。だから書く。
「年内に仕上げます」なんて約束した仕事が、一つならずあって「年内」って、いつよ?まだまだ?
成長しねぇなぁ、ガキの頃、無限の長さがあると思えた夏休みの終わりと一緒。え?もう、12月?ってな感じで・・・

あれ、次バージョンのISが勃興しようとしているのは、ザイールかも知れない。わからない。今、エボラ出血熱が再び問題になっている地域か?
わからない、本当にわからないから、仮定の上に仮定を重ねてい書いている。師匠じゃないんだから、鮮明な知覚なんて、持ってない。仮に、「アレ」がザイール、もしくは、ボコハラムの支配権の中央アフリカだとして・・・

国境なき医師団は、撤退すべきだ、と個人的見解を書きたかった。地球意識は、今明らかに害とみなすべき意識体の存在が多ければ、容赦無く消し去る「手段」を講じる。地球意識は、その手段としてウイルスを創造することができる。かつては、ペストがそうだった。地球意識が「これで充分」と判断したなら、何も医療的な方策を取らなくても、いつの間にか消える。かつてそれは、モーゼの時にも起きた。正確に知覚する自信がないけれども、「スギコシ」と日本語に訳されている風習は、家々の扉に動物の血を塗って?災いを防いだ?もの?らしい。それは、ペストを媒介する野生生物を家の中に入れない方策を取ったものが、後の世に形を変えて伝わったものだ、と私は理解する。モーゼの意識に地球意識が反応して、ペストが産み出され、モーゼが封建的な政府に圧力を加えるのを手助けした。私はそう理解している。何が言いたいか。ある種のウイルスや細菌による病気は、地球意識が創り出して、ヒトに警告を与えるために、ヒトを正しい方向に導くために、創り出されたものだ、と理解する。

僕自身、一応はかつて「医用工学」に軸足を置こうと決めた。たったの一人でも、自分の技術で救える命があるならば、全力を尽くすべきだと信じた。その辺は、医者や、国境なき医師団に身を投じた方々と同じだと思う。ただ、どうやら、ある種の疾患は違うようだと、今は師匠から聞いて理解している。恐らくは、HIVもそうだと思うけれども、エボラ出血熱は、明らかに地球意識がヒトに警告するために創り出したものだと理解する。エボラに汚染された地域は、国境なき医師団の方々が身を投じて「一人でも命を救う」そのターゲットにすべき地域ではない、と自分は考える。自然災害とか、もっと不可避な状況で苦しんでいて、「今、生き延びれば、今回生まれて生きていることが、もっと他の人に役立つ」と信じて、生き延びた人(子供)がそうした経験をできる場所はもっと他にたくさんあると思う。その「他の場所」に移るべき。政府が腐敗している、それに反逆する側も、人の命、ヒトの尊厳などカケラも理解しない、そういう地域で蔓延する病気には、あるいは怪我にも「手を差し伸べる必要がない」のではないか、と私は考える。
大丈夫。今、その病気で、あるいは、怪我で死んだとしても、本人が死んだことを理解できさえすれば、魂はすぐにも次の経験を持てるようになる。何度でも、ヒトは、ヒトとして生まれ変わって、次の経験を積める。キリスト教的な思考に、そうした発想はないのか?

同情すべきなのは、テロリストや、あるいは、テロリストに便乗して安易に攻撃するアメリカ/NATOやロシアなど空爆に殺された方々じゃない。殺した側の方が、後が大変だと、この理解は、キリスト教徒やイスラム教徒などとも、共有できるだろうか。殺した側の方が、罪が重いケースが圧倒的に多い。この感覚って、果たして、キリスト教徒やイスラム教地に通じるだろうか。僕にとっては、別世界の方々だから、よくわからん。でも、殺した側の方が罪が重いというのは、実際にそうだと、是非、ご理解いただきたい。本当に、殺された側は大丈夫。きっちりと、殺された経験を血肉にして、次は「世界がどうあるべきか、自分はどう生きるべきだったか」その、考える題材として魂に刻み込んで、次に活かせることができると、私は断言します。

それでも、「目の前の死にかけている命を救うことに、どんな意味があるのか」は、ヒトとしての関係者各位の直感と、私の直感とは、たぶん、同じだと思う。「この子が、将来、どんな仕事をするか」それが思えれば、是。私も、医用工学関係だとしても、教育関係だとしても、この点は考える。それだけでいいじゃない。でも、やっぱり、エボラの汚染地域は、「危険を冒して、命を救うために頑張る」のではなく、「封鎖して見捨てる」のが正解、だと、私は考えます。

僕らからしたら、地球意識なんて、十分に「神の領域」だと思う。ヒトとして肉体を持ったモーゼも、イエスですら、十分に「神様」だもの。地球意識は、その上、なんだから、私にとっては、認めないわけにはいかない。。だから、「命を賭して、エボラの汚染地域でヒトの命を救う」ことは、状況に応じて、「見捨てても許される」という発想は持って欲しいと、強く願う。

海外の「医学常識」は知らない。ただ、日本では、日本褥瘡学会だったかが、「傷口は、乾燥させるべき」というかつての常識をひっくり返して、「湿潤環境を保った方が、傷口の治癒が速い」と発表してから、「常識」が逆転した。「世間の常識が変わったから、絶対この問題は、臨床工学技士の国家試験に出るぞ」と、予告して、外科学概論の出題予想をしたことがあったけど、何人まともに聞いていたか。出題予想が当たったのに。おい、K、お前寝てただろう。あの補講の時!

傷口から、血が流れ続ける。「乾かす」=「医療行為を施す」のではない、流し続けるテロリストがいるならば、その地域を封鎖して、血が流れ続けるまま、放置すべきだ。撤退してもいい、自分はそう考える。消毒なんかするよりも、長い目で見たら、その方が根本的な治癒につながる、そんな気がする。私たちだって、かつては「テロリスト」だったかも知れない。みんな、いったい今回が何回目だと知っているのか。初めて、だと思っている人が大多数。仕方ない。「アドリブ」の能力を鍛えるのに、「台本」を知っていたら、意味ないから。そして、「アドリブ」で問題解決できるのが、ヒトとしての真骨頂で、そのプロセスには、僕ら自身が殺人鬼になった経験だって、絶対にあるはずだし、かつ、殺された相手だって、「なぜ、殺されることになったのか」そのプロセスを考えて、次に活かす機会を、誰もが持たされている。ボコハラムとか、ISがらみの殺戮の現場は、私もネットで見てはいるけれども、大丈夫、きっとどちらも経験として役に立っている、と思った。

くどいね。これで終わる。

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