未来志向

日本戦犯企業からの製品購入 条例化で制限へ=韓国・ソウル市議会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190129-00000062-yonh-kr

あ、いや、Yahooより、こっちにリンクを貼ろうかな。
http://blog.esuteru.com/archives/9260702.html

これが「未来志向」か?未来って言葉の意味をわかってるのかな?
っていうより、語るべき未来を持てないと、「未来志向」がこうなる、っていうサンプルか?

日本を「仮想敵」扱いして準備してきた韓国軍
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190130-00055339-jbpressz-int

そうか。納得した。そういうことか。
合点、合点、合点!

現在の日本人で、朝鮮半島に恨まれるようなことをした人間(責任者)が一体何人いる?責任のあった立場の人なんて、もうみんな死んでるし、その世代が補償金を払ったはずなのに、なぜこれほどまでに恨まれなきゃならんのか。

友好国ではなくて敵国なのなら、北朝鮮と同様に、武器に転用可能な電子機器一切、武器を製造可能な工作機械一切の禁輸措置を取るべきじゃないか?

すぐやれ!って思う。

最近、僕は、発言を聞いただけだと、北朝鮮と韓国の区別がつかない。
双子っていうか、さすが同一民族だなぁ。

最近驚いているのは、僕は自分なり、かなり左寄り、いわゆるリベラルだと思っていたんだが、こんなに右寄りにシフトした発言を、書かずにいられない自分を再発見したこと。

データの読み方

専門学校の3年の授業が終わった。今日が最終回。
みんな国家試験対策で本気になって、言い方は悪いけれども、ようやっと話を聞いてもらえるというか、これまでも試験対策に役立つ事をずっと話してきた、ということが通じてきた、というべきか・・・。どこの学校でも、学生のマジョリティは、「何のために勉強しているのか」という根本的なところで、答えを持っていない、そんな気がすごくして、今日もその思いが強かった。けれども、ようやく学生と同じ方向を向いて授業を出来たというか・・・

言い方は悪いんだけれども、どうしてもっと早く、「今日聞いた話は、今日吸収するんだ」ということに気付いてくれなかったのか、その「残念感」はあるものの、最後の最後に同じ方向を向けて良かったかな、なんてことは思う。本当に、試験が目の前にならないと、なかなか本気にならないんだよなぁ。

一度やってみたい授業は、「科目」とか「課題」に囚われず、「何を学ぶと何がわかるようになるのか」「何を勉強したらいいのか」「何をしたいなら何を学んだらいいのか」「何をできるようになるには、今何を学べばいいのか」そこのところを話してみたい、そんな気がする。僕の引き出し。青年海外協力隊の経験、自分で会社をやろうとしている経験(未だに「やろうとしている」という言い方しかできないのは、引っかかるが・・・)、医療機器メーカーでのサラリーマン経験、その前の「社会人一年生」経験、学位を取るために「研究」を志した経験、自営業での「開発」の経験、その他諸々、一度、とにかく「シラバスに則った授業」という形で学生に接する前に、「君らは何をやりたい?」「どうありたい?」「どうなりたい?」「どう生きたい?」そこから始めて「だったら今、学校という場所をどう活用したらいい?」「何を学んだらいい?」そこにつなげる授業をやってみたいと、今日すごく感じた。

2年生に喝を入れた。最近、「説教めいた話」もするようになった。一言で言えば、俺も老けた。でも、真剣に聞いてくれるから、話した。「そもそも、君らは、金を払って学校に来てるんでしょ?だったら、『先生の授業、わかりにくい』とか『先生の話し方、退屈だ』とか、言っていいんだよ、遠慮せずに。極論すれば、『金返せ』っていう資格があるんだよ。」なんてことも話した。ただ、その前に、金返せって言いたくなるほど、「何かを身に付けたい」と思って学校に来ているかどうか、そこに問題があったりする。黙って座れば、ピタリと当たる、じゃなかった、黙って座っていれば、ひとりでにスキルアップする、そんなことはあり得ない。能動的に、これを身に付けたい、今の3年生がいい例だけれども、絶対に国家試験には受かりたい、それでいい、何か強烈なモチベーションがなければ、あまりにも、受動的すぎて、日本の持っている教育制度も悲しくなってしまう。そのモチベーションを持ってもらうことこそが、全てに先行すべきなんじゃないか、そんな気がすごくした。

大学でも、「プログラムを書けるようになりたい」というモチベーションを持っている学生は、レポートを読んでいて伝わるものが何かある。一喜一憂して、感情移入しながら読むっていうのは、あまりいいことじゃないのかも知れない。淡々と、成績評価して点数をつけていく、そういう作業の仕方をしないと、身が持たない気もするし、その方が客観的に説明しやすい評価になる。だけれども、「プログラムを書けるようになりたい」と本気で課題に取り組んだ学生には、やはりそれなりに・・・甘くなったりしているかも知れない。うまく説明できない。微妙な言葉の使い回しで、そんな気がする、それだけなのだけれども。(でも、やっぱり、読んでいてい疲れる。)

テニスの大坂選手の一言に、すごいと思った。「感情のスイッチを切った。」なんていう一言をどこかの番組で耳にした。(耳にしたんだから、ラジオか。)それはそれで大事。だけどなぁ。この場合、どっちがいいんだか。

表題は、なんでしたっけ?
昨今統計問題でモメているけれども、教育で欠けているものに、「データの読み方」なんていうのがないかい?なんてことも感じている。数字やデータから何を取り出すか。どんな数字から何がわかるか。逆に言えば、何を知るためにどんな数字が必要か。大学の科目によってはそういう授業も展開されている気がするけれども、さらに抽象化した言い方をすれば、「情報をどう捌くか」という辺りが大切なんじゃないか、とも思う。

子供たちが日々接するネットの情報や、周囲の友人知人からの情報から、実はこんなことが抽出できる。裏サイトみたいなところで流れる情報も、読み方を変えれば、こんなことがわかる。そうした「情報に対する免疫」みたいな部分を、もっと教える必要があるんじゃないか、そんな気もしてならない。料理方法がわからなければ、勉強だって「意味のない暗記競争」になってしまう。何か、統計問題で世間が揉めているのを聞いていても、ふーん、っていう感じしか湧かないのは、「何か大変なことが起きた」という騒ぎの大きさと、具体的に「何がどう大変な事態なのか」という意味付けの希薄さと、その辺のギャップがあるから、なのかも知れない。情報にしても、データにしても、意味付けっていうのは大切。ただ、一人ひとりにとっての「意味」は、その人の価値観に根ざしたもので、漠然と流されて生きていたら、意味なんてない、ということは、データも情報も統計も、どれにも共通で、一定の「価値観」にかざさなければ、何も意味は出てこない、そんな気もする。

もう、何度も蒸し返している。週刊朝日だったかが「日本軍によるレイプ被害が、10万人以上」(確か、十数万人だったと思うけれども、正確な数字を思い出せない)なんていう記事を掲載した時、ニューギニア方面遺族会の田所会長に、すぐにFAXを流した。あまりにも、あり得ない数字だ。僕はニューギニアの州政府にいたから、日本軍の動線沿いの人口データを持っていたし、人口増加率などの数字の推移も把握していた。重ねてみると、人口増加率から遡って当時のラバウル、ポポンデッタから、MoMaSe(モロべ、マダン、セピック)地域の人口を逆算したら、概算で50万人から100万人。そのうち、日本軍の動線に重ならない地域を除外すると、総人口でも15万人から、多くても40万人の範囲、とか、ざっくりとそんな数字を試算した。(今は、細かい根拠の数字を思い出せない。)結論から言えば(極論すれば、かなり誇張して書くけれども、)人口30万人の地域で15万人がレイプされた、という報道が流れたら、どう判断するか。「え?日本軍て、そんなに残虐だったんだ!」というのが世界の反応か?あなたもそう思いますか、という疑問である。バカバカしくて、ここから先は書く気にならない。
ところが、そういう数字が流れても、「ほら、日本人はこんなに残忍だ」というのを、雑誌に書く記者がいる。あちこちで演説する人がいる。南京大虐殺の100万人という「書籍」から流れ出た数字で、世界は「やっぱり日本人は残忍だ」と信じたらしい。欧米でも。未だに、それを口にして記事を書いている人がいるみたいだし。
データの読み方の教育が必要なのは、日本だけじゃないのかも知れない。加えて言えば、フェイクニュースへの免疫も、(僕自身も含めて)あまりない。悔しいけれども、ローマ法王がトランプ大統領への支持を口にしたというニュースを、僕は信じてしまった。迂闊にも。バカだよなぁ–> 自分!「日本人のうち、生きていて面白くないと思っている人が2億人もいる」なんて誰かが書いたら、「そうか、日本人てのは、なんて不幸な民族なんだ」なんて結論を出したりするんだろうか。

データの読み方っていうか、情報の捌き方、っていうか、その辺のところが、今一番大切なんじゃないか、なんてことを、学生と接していて、すごく感じたりした。なんだか、もっと、そちらにシフトした授業をやってみたい、なんてことを、すごく思った。生体計測っていう科目の都合上、出そうと思えば数字満載の授業もできる。ただ、国試対策だと「暗記科目」ではある。その辺にギャップはあるけれど。
そう言えば、大学にいた頃、「フレッシュセミナー」なんていうホームルームみたいなコマがあって、結構そういう授業をやったことがあって、その時に担当した学年が、その時既に僕は大学教員を辞めていたのに、謝恩会に呼んでくれたりした。嬉しかったです。とっても。

ただまだ、漠然と、具体的にどういう展開で話が出来るか、なんて、そこまで具体的に見えている訳じゃないけれども、なんとなく、最初に学生に伝えるべきだったことは、こちらなんじゃないか、なんて、そんな気がすごくした。勉強内容を伝えきれたかどうか、以前に、もっとずっと早くから、どういう姿勢で授業に出てきてくれと、そちらで伝えることができたはずの事を、僕は伝えなかったのかも知れない、なんだかそちらの方が、妙に思い残された、そんな気がした最終回、だった気がする。

漠然としすぎていますが・・・

いずれにせよ、もう少しで3月までは会社の仕事に専念できる。プログラマ100%で仕事に集中できる。もう一踏ん張りで、頭を切り替えたい。
これも数字だけれども、年金が全然頼れない。だから生涯現役のつもりで会社中心に戻そうとしているんだから・・・現実を見据えて!

忖度

ニュース配信を見たけれども、不思議なくらい、レーダ照射だの哨戒機低空飛行だのの話題が止まった。一体何が起きたんだろう?よくわからんけど。

日本は、こういう事態での「情報発信能力が低い」とか、よく言われる。自分が思うに、根底にあるのは、やっぱり武士道っていうか(海外ウケを狙って書くなら、サムライ・マインドっていうか、)あれ、忖度だとか、惻隠の情だとか、敵の事情を慮って、トドメを刺しにいかないことを上策とする、というか、逆の言い方をすれば「詰めが甘い」ということになるんだろうか。サムライどうしならそれでもいいとして、相手がサムライ(同じ文化的ルーツを持つ相手)でなければ、それは通じない。その認識が欠けているのかも知れない。

思い出すのが、未だに問題がくすぶっている従軍慰安婦問題。
軍による強制連行は、現地で調べた結果として、「そんなことは、ここでは起きたと聞いていない」という証言があって、「起きた」事実を必死に探したのに見つからなかった、という報道があってすら、「起きた」ことが無条件に史実となって、拡散した。もはや、止める術がない。海外に濫立する慰安婦像は、自分の親に金で売られた気の毒な女の子たちの像だと自分には思える。日本でも同じ状況は江戸時代以来綿々と続いていた。ただ、海外に濫立している像の「金で我が子を打った親」は、少なくとも日本人じゃない。その事実を、アジアの文化を知らない海外の人たちには、伝えようがない。加えて、日本国内のイデオロギー対立が盲目的に、「事実検証」の過程をサボって「起きた」「起きた」と騒いだ結果が、今なのだろうと思える。
左系の記者には、歴史学者級の検証責任は求められていない。あ、そう言うことか。でも世間には、メディアの記者と歴史学者の見分けがつかない。

類似の事例は、南京大虐殺だと思う。最初は、「あぁ、日本はそんなにひどいことをした歴史を隠していたんだ」と、素直に信じていた。ただ、パプアニューギニアでの遺骨収集を手伝った後、ニューギニアでの「レイプ被害」の、朝日新聞系の雑誌の記事を読んで、数字に違和感を感じた。

二つの話題が重なるので、先にパプアニューギニアの話題を書くなら、僕が遺骨収集を手伝っていた頃、「日本兵による戦時中の被害を申し出る、申し込み用紙」なる紙切れがばら撒かれていて、「お前、これを預かってくれるか」という感じで現地の人に話しかけられた。その「申し込み用紙」を見たら、「肉親が殺された」「家財を焼かれた」「レイプされた」などのどれかにチェックを入れて、あとは、補償を受けたい人(またはその親族)の住所氏名を記入すれば、補償金を受け取れる、的な文章が書かれていて、その時は「なんじゃこれ」と思って、「悪いけど、俺には関係ないから」と突き返しただけだったのだけれど、帰国して、雑誌の記事を読んでから、あ、あれか、と思った。合算した数字を見たら、それこそ、赤ん坊からおばあちゃんまで、根こそぎレイプされていなければ成り立たないような数字が、日本の雑誌に掲載されていた。これが海外に逆流したのか、とも思った。
いや、ゼロとは言わない。実際に、母親が日本兵にレイプされたという知人がいる。彼の話をとことん聞いた。「夜な夜な、日本兵が家まで来て、母親を連れて行った。ある夜、母は股関節が外れた状態で、まともに歩けない状態で、日本兵に家に連れて戻された。」そうした話も聞いている。ゼロじゃないのは知っている。凄惨な現場だったのだろうと思う。ピジン語でよければ、当時の会話の一部は再生できる程度にまだ記憶している。いずれにせよ、数字は数字としておかしい。

話題が一つ前に戻るけれども、韓国の従軍慰安婦問題。「強制連行」があったとしている人の誰一人として、「現地踏査」の強制連行の現場を説明していない。慰安婦の方々を責めたくないから、あまり書きたくなかった。韓国では、「貞節」は大切なものとされ、一度でも「レイプ」などされたら社会から受け入れられなくなる、と聞いている。それは日本も同じだったから、理解できる。だから、かなり長い間慰安婦の方々は、売春を恥じて社会から距離を置いて生きてきた。その「売春」が親によって強制されたものだとしても、結果が全てだった。そこに、「強制連行」の話題が降って湧いた。(金日成の情報戦略だと思う。)故郷に帰りたい、もう一度社会に戻りたい、その一心で嘘をついて、(日本のWEBサイトでは、慰安婦の方々の証言の二転三転を取り上げているけれども、)もう一度生まれ故郷に戻って、もう親はいないにしても、少なくとも後ろ指を指されない状態で、社会に戻りたい、その一心で、必死で「報道」から流れてくる話題に話を合わせた。その慰安婦の方々の「証言」を切り捨てたくない。自分を自分として生きるために、必死の方々なのだから。だけれども、それを「日本」という国家に対する「敵対心」の根拠とされることには、自分としては抵抗したい。
あなた方、韓国の社会が、慰安婦のような人間を隣人として受け入れないから、日本を悪者にして彼女たちは嘘をつくことになったんでしょう?と言いたい。「強制連行」の事実があったのか、現地踏査で、もう一度徹底的に聞き込みを行なって、証言を集め、その上で今後の議論を進めて欲しいと思う。あれは、金日成氏の戦術が成功した事例だと、私は考える。加えて言えば、李承晩の教育施策で教えている内容が、どの程度歴史的事実と合致しているか、徹底検証して欲しいと、韓国には願う。
話を戻す。

そういう(パプアニューギニアでの経験での)「疑い」の目で、南京大虐殺の数字を見ると、100万人が殺されたという数字どころか、20万人だって、どう考えても多すぎる、と思った。
逆に、「殺す側」の立場で考えてみたらどうなるか。ヒロシマに原爆を落として14万人。東京大空襲では、東京が焼け野原になった。それで死者は10万人以上、とされている。正確な数はわからない。それほどに焼け尽くされた。(相手はアメリカ、ですけどね。)
カンボジアのポルポトが虐殺した数が、4年間に300万人以上。これは確かに多い。で、南京にいた日本兵の数が、約20師団で10万人、らしい。ざっくりと。この辺は(ネットでは)日本人が山ほど書いているけれども、10万人の兵力で20万人を殺す?仮にそれを「ノルマ」として課せられたとして、どうするか。いや、雑誌ベースなら、大した弾薬、経験もない10万人の兵隊が、100万人を虐殺?どの程度の期間で?どんなゲームの世界設定?と思える数字を、全米が信じた?
映画の宣伝で「全米が興奮」とかあるけれども、「全米」ってどんな単細胞なんだ?

当時の南京市民に「日本兵が虐殺を始めた」という噂は立たなかったのか?普通なら逃げると思う。局所的に数百人が殺されることはあったとして、そうした噂が広まったなら、誰もが必死に逃げようとして、20万人も殺される事態にはならないんじゃないか、と思えた。そもそも、20万人という人口が、10万人の日本兵に囲まれるように居住していたならまだ可能だと思うけれども、そんな都市の人口分布が、あの広大な面積のある中国の都市に存在するか?という疑問もある。で、そうなっていたとして、日本側の「行くぞ」で、一斉に南京市民が殺される事態になった?それがあり得たというのが中国とか、在外中国人の主張だと思うが、一度シミュレーションしてみたらどうなんだろうか、と自分は思う。山羊や羊だって逃げると思う。それを人間が逃げなかった?それなのに、100万人とかいう本が出版されると、欧米人はすぐにそういう数字を信じる。従軍慰安婦もそう。フェイクでもなんでも、叫んだもの勝ちなのか、とそんな気がする。

東條英機はポルポトとは違う。確かに「戦犯」には違いなく、日本が勝つと信じて戦ったのは間違いないとして、それでも虐殺のために戦争を継続したのではなく、ただ状況判断や、視野の広さが至らなかったのだろうと自分は思う。
視野の広さというならば、韓国の文大統領だって大差がないと思う。今回韓国の軍部に何を言わせたか、それを見たら、ほとんど違いが見えない。あれは、韓国の軍人が気の毒だ。私たちゃ、腰抜け集団です、ってのに匹敵する発言をテレビで流している。つまり、シビリアンコントロールで、大統領が逆らえない軍人に記者会見させた。
国家指導者なんて、誰もが一応は「国益」を必死に考えて動いている訳で、誰が「戦争犯罪人」か、なんて、結果だけの問題だという気がする。歴史の流れで、東條英機に全責任を押し付けられていたりするけれども、私にはトランプの方がよほど「国家反逆罪」の首謀者に思える。文大統領だって、大差がない。「戦争」しないから、「敗戦の将」にならないだけ、じゃないかな?

いわゆる「極東裁判」は、ほとんど「見直し」はされていない。今時、「和食」として納豆やゴボウを食ったことのある外国人も多いと思うが、その納豆やゴボウを「捕虜」に食わせた料理当番の当番兵は、極東裁判で(腐ったものや木の根を食わせた、として)「捕虜虐待」で死刑にされた、と聞いている。(細かいところは、調べて書いていない。)少なくとも、そうした話題が日本では語り継がれるほど、極東裁判は欧米に一方的に「善悪」を押し付けられ、一方的に「あれは犯罪」とされ、時には、欧米側を正当化するために、一方的に日本側の「悪行」を(裁判で)「認定」された。「南京大虐殺」の「発端」は、その裁判資料にある、と、自分は理解している。そこにつけ込んだ中国共産党が、話を膨らませて、「南京大虐殺」に仕上げて、「反日」で世論操作に使った。いい迷惑だ、と思う。全ては「敗戦国」になってしまったから、というのが発端にある。と自分は理解している。

せっかく、韓国がチャンスを作ってくれた。
今回、韓国が全世界に(6ヶ国語で?8ヶ国語で?)日本による「挑発行為」を発信したけれども、どう見てもあれは、韓国軍による、北朝鮮への瀬取りの支援だったんじゃないか、と思う。それを、ああして「自分たちには非がない」的に情報発信して、哨戒機が写真撮影することを必死で妨害しようとした。
それを、頭ごなしには叩かない、その日本の「忖度」の感覚が、(そんな、冒頭にも書いたサムライ・マインドというか、惻隠の情というべきか、日本的な感覚が)海外には通じないという事実は、僕らは自覚すべきなのかもしれない。
通じていないならば、「なぜ反論しなかったか」を世界に知らしめるべきだと思う。

重ねて言えば、せっかく、韓国がチャンスを作ってくれた。
今回日本は、韓国の攻撃用ロック・オン・レーダの周波数も何もかも、詳細を(韓国メディアにどれほど叩かれても)公開しなかった。それが、韓国の国益を損なわないためだという日本側の論理は、おそらく、韓国のメディアには通じないのかもしれない。それでも、公開しなかった。それが、日本側の「倫理観」としては間違っていなかったと、その日本側の「サムライ」的な感覚に基づくことだけは、何としても、全世界に伝えるべきだと、自分は思う。
今回の「レーダ発射」では、日本は何もしていない、何かしていたのは、韓国軍で、それは北朝鮮への競取りの支援だ、と、それは事実を世界に伝えるべきだと、僕は思う。立場が悪くなったら、日本的な「忖度」などやめて、韓国軍の機密情報だろうが、全部世界に公表すべきだ。サムライ・マインドなんて、どこにも通じないと思う。

僕がニューギニアに行ったのは、青年海外協力隊員として。システム・エンジニア隊員として、州政府の教育局に就いた。いや、パソコンにデータを入れるだけですよ。任務は。日本では、VAX/11も使ったし、日立製作所の独自テープフォーマットを、バイナリレベルで読んで画像を取り出すみたいな、「力技」を余儀無くされる状況で卒論も書いた。それなのに、おそらくはCOBOLを使ったことがない、っていう理由だけで、データ入力だけすればいい任地に割り振られた。それはそれで、「運命」だったんだろうな。そんなところにも、僕の「鬱憤」の鬱々とした文句の源泉はあるけれども、それはさておき、パプアニューギニアでは、太平洋戦争での、数えきれないほどの「遺骨」とか、「全滅の現場」に立ち会った。彼らが「望郷」の思いだけを残したのか、「怨念」まで残したのかは、なんとも言えない。
だけれども、彼らが「人」として残した思いに感情移入すると、なんとも黙ってはいられない感情が吹き上げてくる。そして、(もしかしたら、千鳥ヶ淵墓苑にも、すでに大量に納骨されてしまったに違いない、)日本人ばかりではない、韓国人、北朝鮮人(当時は、どちらも日本兵だった、だから、大量に千鳥ヶ淵にいる、)そして、ニューギニア人、オーストラリア人、フィリピン人などなどの、どさくさ紛れのその遺骨達の、その主の思いを重ねるに、もう、「戦争」は言うまでもなく、トランプだとか、文だとか、あの辺の「対立」を煽るだけの国家元首は、どうにかしてくれと、その辺の思いが吹き出して、自分として曰く御し難い。感情が吹き出した。Out of Control.かな。

僕は日本人だ。だから、日本人としての立場で物事を考える。だけれども、日本的な感覚で物事を考えても、海外には通じない。それがとにかく悔しい。フェイクを叫び続けること自体が、悪だ、そんな感覚よりも、執拗にフェイクを「事実だ」と叫んで、世界がそれを信じれば、事実なんていかようにでも書き換えられる、そうした現状が、悔しい。従軍慰安婦、そして南京大虐殺。

書いていて、気づいた。今日は、相当に僕自身「壊れて」いる。もう、収取がつかない。書くのをやめる。アメリカンコミックみたいな状況を簡単に世界が信じることが、僕には信じられない。

要するに、「サムライ」なんて時代遅れだね。これが結論かな。「忖度できる」そんな日本文化は、要らないだけ、だと思った。

CMさま様

採点シーズン。疲れた。

飯食って、ぼーっとテレビを見てた。難しいのは嫌だ。バラエティ、かな?アフリカのヒョウの密漁。なんか、このまま尻に根が生えそうな感じ。え?原因は?対策は?ワクワク・・・って、いいところで CM

CMが1本、2本、3本・・・なんだかイライラしてくる。次もCMだったら、もう立って事務所に戻ろう。次もCM。いや、もしかしたら、次は続きをやるかも。で、やっぱりCM。なんだか、イライラしてきた。やることあるんだもん。で、そこで踏ん切りをつけて、事務所に戻った。ってな具合にはいかず、椅子から立ってトイレ行って戻ったら、続きをやってた。フェイクのヒョウ皮を儀式に使ってもらうことで、ヒョウの密漁の「需要」を絶ったらしい。めでたしめでたし。そしたら、次のトピクス?いや、つい見ちゃう。え?15歳の男の子の失踪?どうしたんだろう?ってなところでCM。

既に、椅子からは立ち上がってたので、そのまま事務所に戻った。あれ、CMがあんなに長くなかったら、ずっと続きを見てたかも。テレビの前にかじりつかないためには、CMって結構いいかも。

レポート採点の再開。そうしたら、こんな記述に出くわした。

課題の目的:ゲームの開発をマスターすることである。

ちが〜〜う!違う、違う!

いや、どうせなら楽しく学んでもらいましょう、ってな視点で、ブロック崩しだの、マインスイーパだの、ゲームを題材にしたプログラミング課題満載ではあるけれども(僕が構成したんじゃなくて、専任のS先生です!)、別にゲームの開発をマスターしてもらいたくて、ゲームを課題に掲げているんじゃない!

だからって、減点はしないけれども・・・最終レポートだから、「構想力」だとか、「物理モデルの設計」だとか、色々あるんだから・・・なんか、勘違いしてるよなぁ・・・

一喜一憂の採点作業。いいレポートを読むと、疲れが吹き飛ぶ。でも、逆もあるし。CMは流れないから、気分転換では、当然一服。コーヒー、紅茶、お茶でお腹がガボガボ。

なんか、こう、CMみたく、受動的なブレイクが欲しいね。
ついでに、CM見てあげるんだから、いくらかお金にならない?

経済制裁

早朝からNHKラジオ。
韓国の軍部が「新指針」。冷静になるようにと、日本側、とのニュース。

朝鮮半島周辺で今問題なのは、北朝鮮による「瀬取り」だと、韓国はわかっているのか?
【韓国レーダー照射】北朝鮮の瀬取り支援疑惑浮上…韓国、日本が金融制裁なら通貨危機に発展も
https://biz-journal.jp/2019/01/post_26230.html
これだ、と思う。

さらに言えば、ことの本質は北朝鮮経済の危機的状況、なんだろうとも思うが、駆け引きに明け暮れて実質的な進捗がなければ、経済制裁を解除するキッカケがない。そこに遡らずに、目先、北朝鮮の瀬取り支援という形で「経済支援」をしている韓国の現状を、証拠映像とともに国際社会に出すしか、現時点では方策がないような気がする。

引用した記事にあった

また、たとえば文大統領が「SDNリスト」(アメリカの経済制裁の対象となる人や国、法人のリスト)入りすれば、韓国内の文大統領の銀行口座などは凍結され、それに応じなければ韓国の銀行はドル決済ができなくなって経営危機に陥ることになる。

これは、あり得るシナリオじゃなかろうか。

僕は政治家でもなければ、評論家でもない。一個人として思うことは、拉致日本人の帰国だけ。次に、北朝鮮の人たちがこれ以上飢えることがないように、経済封鎖解除の口実を北朝鮮が作ること。望むとしたら、その程度だろうか。韓国が前者に興味を持たないのは仕方ないとして、後者について言えば、韓国の行動は、問題の本質的な解決から遠ざかる方向に向かっている気がする。

ストレスと恐怖と

夜9時には眠くて、テレビをつけたまま眠っちゃって、目が醒めてしまった午前4時。
これぞ、ジジイの証!

やることが多い。細かく分解したToDoが20項目を超える。今日中に、なんてつもりのがそのうち二つ。次に急ぐのは、定期試験の問題作成か。専門学校は、大学より一ヶ月遅い。
やり方のわかる仕事でも、規模が大きくなり数が増えると、面倒臭いと言うか大変と言うか、手をつけるのがシンドイと思うことがなくはない。だけれども、「面倒」だとか「大変」だとか思った瞬間に、「あ、負けてる」と思うようになった。気持ちで負けると、仕事は仕上がらない。
昨日、学生のプログラミング発表会があった。性格の明るい子、暗い子、色々で「プレゼンテーション」としては評価は分かれるけれども、コンテンツはどの子も素晴らしかった。「楽しい」と感じられるなら、面倒なプログラミングも苦にならない。それが仕事となってしまうと、同じことをやっていても、ハードルがものすごく高くなる。「仕事だ」から「やらなきゃならない」になり、それが「面倒臭い」となったら、それだけで勢いが止まる。
勢いだけで仕事をして、勢いだけで言葉を発している僕にとっては、もうこれは致命傷で、どんなに面倒臭いと思っても、コンスタントにアウトプットを出せるように自分を仕向けるのが、自己管理の第一歩だ、なんてことに気付いたのは、「ジジイ」にまで至らないまでも、もう「いい歳した大人」になってから、だったかも知れない。

これって、子供の頃、親に褒めてもらった経験があるとか、ないとか、そういうのも関係していて、人によってはもっと早いのかも知れないけれども、少なくとも僕自身は、自分自身で「面白い」と思えなくなると、いい歳した大人になっても、何もできない傾向は強かった。

スキーで言えば、急斜面に挑む、って言うか、なけなしの格闘経験で言えば、柔道で試合に臨むとか、そういう時にも、もしかしたら似たような気持ちがあるのかも知れない。
この場合には、「面白い」と思えるかどうか、よりも、「恐怖」とのちょっとした戦いもあるような気がする。未知の相手に挑む。不思議と、多少なりとも経験を積んでくると、相手が未知であっても、例えば、初めてのゲレンデであったり、初めて組む相手であったりしても、それほど恐怖は感じなくなったりして、自分はどうすべきか、冷静な判断っていうか、「ここは、あのコブを右から回る」とか、「この人は、押されると弱そうだ」とか、「冷静な判断」ができるようになってくる、ような気がする。

さてと、長すぎる前戯、もとい、長すぎる話の枕。(いかんなぁ、午前4時とかだと、ついこういう単語が・・・)ここからが本題。

日本には軍隊はない、と信じている。自衛隊は、言ってみれば「護身術」というか、身を守るためのものであって、攻めるための組織ではない。それは憲法で定め、ちょっとでも外に出ようとすると、鬱陶しいくらいの議論が国内で湧き上がる。それでいいと僕は思っている。あくまでも、Self Defence Forceであって、それを看板にしているのは日本だけだと思う。仮に、国連のPKOに参加するに障壁があったとしても、むしろ誇らしいことだと自分は考えている。個人の考えです。
PKOったって、戦闘やめさせるのに武力が必要っていう前に、武器の流通を止めろ、と。蛇口を全開のままで、水を汲み上げるポンプを世界中から集める、っていう発想が間違ってると思う。水商売の方々に議論が翻弄されているんだ。いかん、話を戻す。

自衛のためであっても、いざという場面に遭遇した際には、冷静に状況分析して次に何をすべきか判断し、あって欲しくはないけれども、いざとなったら命をかけてでも戦うという行為をしなければならない人たちだと思う。敬意を評したい。恐怖や、ストレスを感じる前に、やるべきことを冷静に判断し、戦わなければならない。

ところが、徒にやれ「恐怖を感じるほどの距離」だとか、「威嚇だ」とかいう感情的なリアクションをもし自衛隊が口にしたとしたら、「あんたら、自分たちの職業をわかっているのか」と言いたい気がする。「この腰抜け」と。

マスコミに出てきて「怖かった」とか「恐怖を感じた」とか、ごちゃごちゃ言う前に、なぜそうした状況になったのか、なぜ相手がそこにいたのか、それを冷静に分析すべき立場だろうと、自分は考える。そうした分析ができないのなら、そうした職業を名乗るな、と言いたい。それで給料をもらうな、と言いたい。
戦闘状況になるなどは、絶対に避けるべきだ。それを避けるために外交がある。いかにして、他国と友好関係を築くか、自国の感情のままに相手を翻弄する、それは外交ではなく、幼稚な自己主張だと自分は思う。

翻って、外交機関に「友好構築」という機能を委ねた上で、国防の最前線では、可能な限り抑制的に、ちょっとでも危険的な接触があっても、感情的になるのではなく冷静に、なぜ、その場でコンタクトが起きたのか、分析すべきなのだと思う。自国の民間人が相手国のEEZを犯していないか、原因は色々とあるはずで、その分析もせずに「恐怖した」とか「怖かった」とか、そんなことをマスコミで発表するような「腰抜け」とか「能無し(脳無し)」は、日本には要らないと思う。
日本の自衛隊の話です。念のため。外国の軍隊のことだったら、腰抜けとか脳無しの方が、ありがたい。

いずれにせよ、仕事として行うなら、相手の立場を尊重し、というよりも、歴史も事態の背景も、すべて正確に相手を理解して、友好関係を築くことを外交の主目的とすべきだ。どんな仕事でも似たようなことが言えるという気がする。そもそも、相手を正確に理解せずに戦うなど、目隠ししてコブ斜面に挑むに等しい。独裁者は平気でそれをやるから、やたらと自国民が死に難民が増える。

子供の頃はとにかく、相手の主張に耳を傾けることができなかった。自分は、どれほどジジイになってから、多少なりとも相手の立場を理解できるようになったのか、自分はとにかく遅かったけれども、やっぱりガキには難しいんだろうな。
それでも、職業としてその立場についたら、面倒なことでも「面倒」だと考えずに出来るようになるのが、大人、なんだろうな。なんてことを、自分に言い聞かせている。

ToDoが多すぎる。目がさめちゃった。(朝が早いのは、ジジイの証!)
今日の仕事、始めようか。
ほんと、「暇」がない。時間に余裕があったら、あのニュースを耳にした次の瞬間に、このページを書いていたんだけれども・・・

庇(かば)い手

高校2年の時、体育祭の行事で騎馬戦があった。僕は馬の上に乗って、相手と取っ組み合いする騎手っていうのかな?その役だった。
3年生の馬と組み合って、押し倒した際、地面に相手が後ろ向きに倒れる直前、相手の後頭部が地面に直撃しないように、とっさにかばい手というのか、相手の頭の下に手をついて、体重もそれで支えるような落ち方をした。(当時はまだ軽かったし、当時はまだ反射神経も良かった・・・)

ところが、それをみていた3年生の審判が、僕らの方が先に地面に落ちたから、負けだ、と主張した。だって、手を出さなければ、後頭部直撃でしょうが、と食い下がったけれども、ルールはルールだと、お前らの方が先に地面に触れた、と、押し切られて、負けた。
馬になった仲間に、ごめん、相手を頭から落としてやれば良かったんだと、何度も謝った。その時の、何とも釈然としない、モヤモヤした気分をまた思い出してしまった。昨日のことのように。

そもそも、今は、こんな「危険」な競技は、運動会ではやらない、みたいだけれど。

ニュース配信
韓国紙「日本が稚拙な世論戦」=レーダー電波音公開方針で
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019012100223

韓国は、遭難者を探索するためのレーダ照射だと主張する。
だったら、「音」に変調をかけたものではなく、日本側が受信したレーダの波長、パターンの全てを公開しても、韓国軍への実質的な迷惑は一切ないはずだと思う。下手な「加工」をせずに、そのまま出しても、韓国の主張に沿うならば、一切韓国軍の、つまりは同盟国の軍事情報を漏らしたことにはならないんじゃなかろうか。

今更、攻撃用の照準のレーダだと主張を変える可能性などないと思う。だったら、日本の選択肢は二つに一つ。黙って、相手の言い分を呑むか、そうでなければ、そのままの情報を出してしまったらいい。

こういうモヤモヤは、ずっと尾を引く。日本側が黙って終わったなら、このまま同盟関係を続けるなど、国民感情としてもう無理じゃなかろうか。無理して続けても、いざという場面でこういう過去の「事件」が必ず顔を出してくる。
それだったら、韓国の主張する通り、「遭難者の探索用レーダ」だとして、受信した周波数情報、パターン情報まで全て暴露しても、懸念材料などないだろうと思う。一切、韓国軍には迷惑をかけない。
そのパターンや周波数を見た他国の関係者が、それをどう判断するか。軍事用のレーダだとわかっても、きっと黙っているでしょうね。何も起きない。その上で、日本側の主張を続けたらいい。そうしたら、日本側も溜飲が下がるんじゃなかろうか。

余談ではあるけれども、こんな記事も目にした。
韓国艦のレーダー照射、本当に海自P-1哨戒機は「脅威」だったのか? 検証する
http://news.livedoor.com/article/detail/15843502/

直線距離で522m、豆粒大にしか見えないはず、らしい。P-1の長さは38m。対する韓国艦は135mらしい。やや誇張すると、ビルが大きく見える距離に自動車で近づいても、ビルから自動車はそれほど大きく見えない。4倍の大きさの差でも、似たようなことは言えるはず。522mに対する135mの視野角と、522mに対する38mの視野角の違い。それを韓国は「脅威を感じる距離」だと主張し、謝罪を求めている。さらに、その主張を何ヶ国語にも翻訳して世界に発信したらしい。

今後韓国の軍隊は、他国の船舶に対して、哨戒機などを500m以上に接近させることは一切ない、それをやった途端に、相手国から謝罪を要求されるべき「危険な行為(と自認する軍事行動)」を行なったことになる。
なぜ、そんな、自らの首を絞めるような強弁をしたんだろうか。しかも、全世界に発信してまで。

遭難者の探索用のレーダを照射しただけ、だったなら、「脅威を感じるほどの距離を飛行したから」などという主張は不要だったんじゃなかろうか。この主張があったなら、次に続く文章は、「だからレーダを照射した」のような気がする。「だから遭難者探索用のレーダを照射した」?それだけなら、「脅威を感じる距離」などという主張は不要なはずなのに、どういうことなんだろうか?

日本の選択肢は、二択。庇い手で「負け」を取るか、でなけりゃ、相手の後頭部を地面に叩きつけるか。
もう、後者でもいいんじゃないか、という気がする。ニュースを見ているだけで、ストレスが溜まる。そういう日本人は、僕だけ?

ホゲ、フガ、モゲ・・・

以前ベテランのSEさんから、こんな話を聞いた。
「プロジェクトで新人のプログラマを受け入れて、この部分をプログラムしてみろと、仕様書を渡して書かせて、コードレビューをして絶句した。hoge, fuga, mogeが満載・・・」

プログラマの皆さんにはお馴染み。
javaなどの「サンプルプログラム」では、「意味のある変数名に置き換えてね。」という意味を込めて(?)あえて全く意味のない「変数名」として、hoge(ホウグではなく、ホゲ)、moge(モゲ)、fuga(フガ)などを使って、ネットの記事を書いたりする。

だって、
hoge = moge + fuga;
「ホゲはモゲ足すフガ」なんて、読んでるだけで肩の力が抜けて、いいじゃないですか!?
亜流で、hogehoge(ホゲホゲ)とか、funga(フンガー)とか、色々、様々。そりゃ、アイディアというか「まとめ」記事をネットに書いてもらえるだけでありがたいから、変数名なんて、その方のお好きなように、っていう感じだろうか。
こんなサンプルプログラムに、credit.balance(貸方残高)なんてのを書かれた日には、サンプルプログラムを読んでるだけで血圧が上がる。いいの?なんて思ったりもする。

英語圏では、foo, bar, zotらしいんだが、本場(?)のstackoverflowでは、何の仕事を請けてるか一目でわかるような、生々しい変数名がそのまま「お悩み相談」に出ていたりして、なんか、直截的すぎる気がする。そういや、季節柄、ネットの「相談」サイトに、入試の問題がそのまま、しかも試験中に出ていたことがあったよなぁ。
仕事が止まるよりも、相談して前に進む方がいいんだろうけれど。話を戻して。

あのね、新人プログラマの皆さん、ホゲも、フガも、モゲも、SEやプログラマの皆さんが日々絶叫するセリフ、といういう以上の意味はなく、本番用のプログラムを書く時には、与えられたミッションの中で、ちゃんと仕様書に定義されている変数名を使いましょうね、なんていう一言は、例年の授業では、絶対に話していた。
Kさんという、あのベテランSEさんの「お話」(思い出)をシェアして、「あまり、年寄りをいじめないでね(余計な仕事を増やすんじゃねぇよ)」というお話を、授業でもしていた・・・それなのに・・・

ふと振り返ってみて、今年はこの話、一度も持ち出さなかったような気がする。
プチ「やっちまった」、半期分授業の反省?でした。

内包表記

Pythonだと、この書き方ができる。
>>> def is_valid(a):
>>> △△△△return True if (a % 3) else False
(↑未だに、WordPressでの空白挿入がわかってない… orz)

通常だと4行で、
1行目:もし、aが3で割り切れないなら
2行目:     Trueを返し、
3行目:そうでなければ、
4行目:     Falseを返す。
だろうか。(なぜかこっちは、空白が挿入できてるのに… orz)

C言語なら
return (a%3 ? true : false);

(追記:そもそもreturn (a%3)とかで十分、ってな議論は承知。if / elseを1行にまとめる話を持ち出したかっただけ。)

最初、「え? ( ? : )構文が使えないの?」と思っていたけれど、その悩みはすぐに解決。

いずれにせよ、1行か。この、Pythonの後置ifが、今一つしっくり来なかった。
なんだか、トークンの並びが(慣れてないせいか)不自然な気がした。

ところが、これにさらに内包表記を組み合わせると、こんな書き方ができる。
value = [v for v in range(10) if is_valid(v)]

なんだか、これも慣れるまでは変態的な書き方な気がして・・・
でも、慣れてしまうとすごく便利かも。内包表記を使わなければ、4行
1: value = []
2: for v in range(10):
3:     if is_valid(v):
4:         value.append(v)
プログラムがすごくコンパクトになる。と思っていたら、後置ifにelseが加わると、内包表記の語順が変わる。よく言えば「変幻自在」なんだろうが、ぶっちゃけ、失礼を承知で言わせてもらえば、Pythonは変態的だ!

>>> value = [v if v%3 else “hoge” for v in range(1,10)]
>>> print(value)
[1, 2, ‘hoge’, 4, 5, ‘hoge’, 7, 8, ‘hoge’]

でも、たった1行でこれだけの表現なら、やっぱりCの時代から比べたらスゴイことなんだろう、という気がする。時短ですね。でも、この変態的構文に慣れるまでが・・・「慣れ」なんだろうなぁ。

CやJavaなら、もう枯れているというか「新しい」ことがほとんどないから、一旦教材を作ればそのままずっと使える。ところが、Pythonは3.7から@dataclassが使えるようになり、今その辺がホットらしくて、ごっそりと教材の書き直しを余儀なくされた。

Railsなんてもう、毎年作り直すぐらいの勢いで教材を書き換えている。この辺の代謝の速さには、いささか辟易している。
ずいぶん前は、before_filterが使えなくなって、before_actionになり、しばらく前はFactory GirlがFactory Botへと名称変更になった。「推奨コード」も、どんどん変わる。ボーッとしていると、”XXXX” is now obsolete.”(あんたもう、時代遅れだよ!)なんてメッセージが出てくる。

そうなんですけどね、前述の例題。
「3の倍数の時は『hoge』、そうでない時は普通に1, 2, 4, 5とする」という例題。
これ、元ネタが何かと言えば、あの方。単なる例題としてみれば、課題としては「こうしろ」という指示を出すだけだから、別にどうってことない例題だけれど、元ネタが何か知っている人に言えば、同じ例題でも、ちょっとだけ楽しみながらプログラムを書いてもらえる。そんなつもりで例題設定した。

そうなんですけどね。とっても失礼な話題の持ち出し方だが、これって、落ち着いて考えてみると、「だから何?」「だから、それがどうした」みたいな話題な訳であって、「3の倍数だけ”hoge”にする、それはわかったけど、何か特別な意味でもあるの?」みたいに受け取られてしまうと、結局「例題のための例題」でしかなくなってしまう。

オペレーティングシステムで使うコマンドの、tarは、”Tape Archive”で「テープ」ってなんですか?ってな質問があったとしたら、「昔はね、磁気テープってのにデータを保存していたんだよ」ってなことになり、未だにコマンド名としてはTapeは生きている。新しそうで、意外と古臭いものが生き残っている世界。そんな中で、この「3の倍数」は、今どうなっちゃったのか・・・いつまで、この「例題」に「特別な意味」を嗅ぎ取ってもらえるのか、わからない。

もしかして、もう既に「3の倍数の時だけ・・・」って、何ですかそれ、って人、いたりして。

コンピュータがらみのこの業界も、新陳代謝が激しくて、しんどいな、とか思うけれども、もしかしたら、あの「3の倍数」の業界の方々も、大変なんだろうなぁ。そもそも、冷静に考えてみると、あれって、一体なにが面白かったんだろう、なんて気分にもなってくる。不思議。

で、既に賞味期限切れの話題を持ち出して教材に埋め込んで、あわよくば授業で笑いを取ろうとしているあんたは、何なんだと、言われてしまうと・・・

やっぱり、そこに来るよなぁ・・・

拉致問題

本当なら、すぐにでもプログラムを書きたい。ほとんど頭の中で組み上がってる。あとはプログラムとして吐き出すだけ。
なんだけど、2時間だけ、脱線する。いいよね、と自分に言い聞かせつつ。数日前にテレビで拉致家族の集会の映像が流れた。流れ的に、今なら書けることがあるかも知れないと思った。

ロシアのプーチン大統領が、北方領土問題で、「北方領土を返還したとして、米軍基地が置かれない保証がなければならない」と言った趣旨(正確な文脈は覚えてない)の発言をされていた。無理もない、ロシア、中国、あるいは北朝鮮から見たら、日本は「アメリカの要塞」なのだと思う。
沖縄問題では、プーチン氏はこんな言葉も口にしていた。「日本が本当に独立国なのならば」(正確な表現は覚えていないが、この意味の言葉だったと思う。)要するに、ロシアなどからみたら、日本が本当に独立国なのか、そうは見えないと言うことでもあろうか。

北朝鮮がしばしば国営放送で言葉にする「アメリカの傀儡」は、実体としてそれに近いものがロシアなどからは「見えている」と言うこともあるんだろうか。

かつて中曽根元総理が、「日本を不沈空母とする」という発言をして、物議を醸した。不沈空母。戦闘機・爆撃機が出撃可能な、前線基地機能のある空母が、沈まない状態でそこに存在している。日本のアメリカに対する立場を明確に表した言葉だったと思う。

田中角栄氏はなぜ失脚したか。言うまでもなく、あのロッキード事件。僕の高校時代だったのかな。「ピーナッツ、ピーシズ」と言う言葉が新聞に流れていた。なぜ、あのロッキード事件が表に出たか。
田中角栄氏は、日本を「アメリカから独立」させようとした。日本は、進駐軍による占領以来、再び独立を取り戻すまでは、ほぼアメリカの言いなりだった。そこから脱却しようとした、とも考えられるけれども、ロッキード事件の構図はなんだったのか。日本の、と言うよりも、自民党あるいは政府と、アメリカの軍需産業の癒着が根底にあり、日本がアメリカの要求を拒めば、いつでも「癒着」カードを切って、その政権を潰せる、という見せしめでもあり、また、田中角栄氏を失脚させなければ、アメリカによる日本のコントロールを失うという切迫感が背景にあって、強力なカードを一枚切られてしまった、ということなんだろうか。自分はそう理解する。

ということは、それ以後の日本の自民党政権でも全く同じ構図が続いている。ということは容易に想像できる。わかりやすいのは安倍総理で、なぜあれ程までにアメリカ追従の姿勢を示すか。トランプ大統領への「中間選挙の歴史的勝利、おめでとうございます」は、全世界でニュースになった。僕個人的には、あの「不沈空母」発言に匹敵する、あるいはそれ以上のニュアンスを感じた。ワンちゃんが後ろ足二本で立ち上がり、前足を体の前にぶら下げて、舌を出して、尻尾を振っている感じ。日本なだけに二本立ち、って、おやじギャクですけど。

いや、ある意味で恐怖もあるんだろう。田中角栄氏のようになる。アレをバラされたらどうしよう、コレはバレないよな。モリカケどころじゃない、その挙句が、垂直離着陸可能なのを42機?これか。

F35戦闘機 105機購入へ 「空母対応」は42機
これだけ長いこと自民党を支えているということは、キックバックはあの政党にも流れているんだろう。それが「口封じ」となって、結局支持基盤の強化にもつながっているようにも見える。

ジャパネットタカタの通販。かつてパソコンを売っている時のCMで、こんなのを目にした記憶が、あやふやだがある。「今回、ジャパネットタカタがお届けするのは、お年寄りの方にも安心なパソコンで、いざという時は、スタッフが遠隔操作で面倒なパソコンの設定を全部やってくれる、お任せパソコンです。」いや、嘘でしょと、思ったけれど。
Windowsパソコンに限らず、LINUXでもMacでも、リモート操作に切り替える機能は持っている。それは、例えば札幌支店や福岡支店に設置されたサーバを、東京にいるエンジニアが操作してメンテナンスしたりする、そういう場面には不可欠な機能で、どんなパソコンにもそれはある。それを最初からONにして出荷する?ってことは、接続先のアドレスがわかってさえいれば、簡単にいつでもどこからでも、そのパソコンを自由にできるってことですよ、それをわかって売ってますか?なんて思った。あれ、たぶん、やめさせられたんだろうな。こんな話題をおおっぴらに書いたり、口にしたりすると、ロクな結果にならない。「お前、やってるんだろう」なんて疑われるだけ。
ただ、パソコンがそういう設定になっている、というだけだったら、そう簡単に特定の誰かのアドレスがわかる訳でもなく、「常識」的な枠の中ならば、大した問題じゃなかったんだろう。

僕自身が盗聴、盗撮されていた頃の話。あの頃は、曰く言い難い(思い出したくもない)出来事が(偶然としか言いようがないことが)山ほど括りついていて、僕が言葉にした内容は、なぜか、国内よりも海外の方に多く流れていたように感じる。予知とか預言が出来るとか思われそうな、そういう「行きがかり」があった。(だから、僕は「チンドン屋」であって、主役は「師匠」だ、と何度も書いてる。僕の役目は、目立って、「師匠の言葉」を拡散させるのに、とにかく目立ち続けていること、だけ、だとその頃漠然と自覚はしていた気がする。話を戻す。)なぜ、国内よりも海外の方に、より多く流れたんだろうか。おそらく、海外の情報機関も関係していたんだろうか。状況から考えると、消去法で国内の通信事業者も、意図していたか、意図していなかったかは別にして、関与していたはずだ、としか思えなかった。

そう思っていたら、確信したかのように、小渕元総理が「通信傍受法」の成立を強行した。「成果を実証できた」から、なんだろうか。小渕さんには本気で怒りを感じた。その小渕さんがどういう辞め方をされたかは、忘れることにする。

HUAWEIの交換機の問題。HUAWEIが事業者として意図していたか、意図していなかったかにかかわらず、交換機のプログラムをバイナリであっても入手できたなら、それを逆アセンブルし、アセンブラでほんの10〜20行程度、バイナリに戻して数十〜100バイトになるかならないか程度のコードを埋め込んで、またバイナリのプログラムに戻し、交換機に書き戻せば、おそらく情報収集端末が出来上がると思う。いや、原理的には間違いなく出来る。それが出来なかったら、交換機として機能しない。そして、通信事業者に勤務する人間の全てが善人かと言えば、おそらくはそうではない。「いくらいくらあげるから、これをやって」と言われて、応じる人はいくらだっているんだろう。たぶん、HUAWEIに限った話じゃない。

そこから派生的に「リモート操作可能なパソコン」の情報に辿れば、世界中に一体どれだけの「目」があるか、ということになる。

それが、スノーデン。アメリカもやっていた。というよりも、それが簡単に出来ることなんて、もう30年も前からわかっていたことで、「そういうことが簡単に出来るのに、大丈夫なんかなぁ」なんてことを平気で口にしていたから、余計に「盗聴・盗撮して、全部をさらけ出しておかないと、危ない奴だ」と思われていたのかも知れない。
言うまでもなく、出来ると思ってやっていたのは、アメリカだけじゃないだろう。

結論に至る、一つ前。ロシアも、中国も、そしておそらく北朝鮮も、現在の日本が(と言うよりも、自民党、もしくは安倍総理が)「アメリカの言いなりにならざるを得ない」経緯を、ある程度把握しているに違いない。そうした情報を握っているから、プーチン大統領は余裕であの「日本が独立国であるのなら」的な発言をされたんだろうと、自分は感じた。スノーデン以前か、スノーデン以後かはわからないけれど。

アメリカの軍需産業にとって、一番迷惑なことはなんだろうか。おそらく、北の「核の脅威」がなくなること、だと思う。つまり、自民党は、一方で「朝鮮半島の非核化」を表に掲げつつ、裏では、その真逆の立場の存在に糸で操られている、という見方も出来る。そして、その真逆の立場、「核の脅威の存在は、アメリカの軍需産業にとって必要」が、いざとなったら安倍総理を潰せる情報を握っている、それも知られている、ということになるんだろう。

北朝鮮にとって、トランプ以前のアメリカは「歴然とした敵対国」だった。無論、例の口約束戦術で国際援助を引き出す、その交渉の相手国でもあったのかも知れない。アメリカという国家も、アメリカの軍需産業も、区別すべき状況ではなかった、と推測する。
そこから、トランプ大統領になり、昨年の「歴史的な首脳会談」に至った。如何せん、相手がトランプだから、今後の交渉の流れなんて、読みようがない。結果的に今、トランプは軍需産業からの要求を日本に丸投げして、安倍総理は前述の「防衛予算」で応じた。キックバック目当てというより、やはり田中角栄氏の「ロッキード」が怖かったのかも知れない。そして、応じたことで、さらに別のカードを相手に与えたのかも知れない。

現在の北朝鮮にとって、アメリカや、日本はどういう存在だろうか。おそらく、日本は相変わらず「アメリカの傀儡」としか見えていないようにも感じる。日本が拉致問題をいかに騒ごうが、いざという時の「不沈空母」であることには変わりはない。
韓国の場合、大統領が変わったら「国体が継続していない」と言ってもいいくらいの事態になるから、文大統領がどれほど北朝鮮に入れ込もうが、大統領が変わった後での北朝鮮の安全を保障することには、全く繋がらない。韓国が法的継続性のない国家である以上、北朝鮮を含めた周辺国が、それ相応の警戒心を持って接せざるを得ないことは、自明の理だと思う。

テレビで拉致家族の集会を目にして、書き始めたと言いながら、こういう結論を書くに、忸怩たるものがあるというか、あんた、人としてどうなのよ、的な流れだけれども、少なくとも日本の政治がアメリカの軍需産業と切れない限り、拉致被害者の「人質としての有用性」とか、「最後の切り札」的な位置付けは全く変わらないように考える。

表向き、「拉致問題を優先」と言いつつ、その問題解決を妨げる構造的な癒着が全く切れていない。いや、切れない。切ろうとした瞬間に、ロッキード以上のカードを切られる危険がつきまとう。それが沖縄の問題でもあり、安倍総理には出来ない「戦後政治の総決算」なのだろうと思う。

日本とアメリカの軍需産業との癒着が切れて、そうなった時に、対中国、対ロシアとどんな関係を構築できるか、その流れが確立されて、北朝鮮にとっても「もはや、人質は要らない」とならなければ、拉致被害者は解放されない。その「拉致日本人カード」を切る直前まで、「拉致問題など、存在しない」「拉致など、日本のでっち上げだ」という、日本人にとっては相当に苛つく発言が繰り返されることになるんだろうと思う。ここまで書いておいて、ただ一つ願うことは、大切な人質なんだから、万が一にも健康を害するような状況には置かず、一人でも多くの日本人が健康で存命する状況を作って欲しいと、そのことだけかも知れない。

そしてやっぱり、トランプを見ていて思うことは、アメリカは「力で押す」国だよなぁ、ということかも知れない。
切れないんだろうなぁ。スノーデン氏に頼らず、Wikileaksに頼らず、野党が独自に尻尾をつかむしか、ないんだろうか。

浪費したのは、1時間半、だけで済んだかな。今日もひたすらプログラミング。祝日は、自営のプログラマにとっては、貴重な稼ぎ時。30年前だったら、5000行書けるか、1万行書けるか、それとも2万行?なんて豪語したんだけれども・・・
悩みどころは、とりあえず3000行は書いて(生成させて)、その後、これ以上体が老け込まないように、走りに行こうか、それとも、机にしがみつくか、どっちが(体も、懐具合も)長持ちする?って、その辺に判断基準が来ていること、かなぁ。血圧もまた高くなって来たことだし。仕事もそうだけど、体のメンテも、って感じか。
時間的な制約があって、typo、誤植があっても修正しない。書いたことも忘れる、ことにする。

拉致ご家族の皆様、本当にごめんなさい。こんなページ書いて。

個人請求権

日立造船にも、戦時中の未払い賃金についての最高裁判決に相当するものが出たらしい。「個人請求権は消滅していない」らしい。

だとしたら、だけれども、日本人が朝鮮半島から引き上げた際に半島に残してきた資産についての権利、正当な手続きを踏んで韓国に引き渡したということではないらしく、普通に考えたら時効が成立していると思えるのだけれども、せっかく韓国の司法の最高機関が「請求権が消滅していない」という判決を出した訳だから、日本からも韓国に残してきた資産についての請求を出したらどうだろうか。韓国の司法判断を判例としてそっくり使えるんじゃないだろうか。強制執行が行われたのならば、それもそっくり日本側も行えると思う。資産価値に相当する金額を支払うか、そうでなければ、日本側に資産の引き渡しを求め、拒んだならば立ち退かせて資産を取り戻すなどの強制執行を行なったらいい。

注意深く判決を読んだなら、全く同じ論法を、日本人の多くの個人が韓国に残してきた資産についても当てはめる、そんな論理パスがあると思った。

大切なことは、相手の論理をそっくりそのまま使うこと、だと思う。

情報戦

1990年代前半、インターネットが成立する前、パソコン通信が「情報交流」の主流となっている時代があった。私はNifty Serveを使っていたけれど、他にも何社かあった。
興味のある分野の掲示板には、かなり専門性の高い方々の参加もあって、活発に活動する掲示板サイトもあった。文字中心の文化。そんな賑やかな掲示板(イタとか言ってたかな)には、決まって顔出ししてくるグループがあった。

北朝鮮の文化は素晴らしい。ユートピアが、そこには・・・的な書き込み。複数の掲示板に参加して、おそらくは組織的に、計画的に、同志を勧誘する目的があったのだろうと思う。金日成による「情報戦」だったのだろうと思う。
従軍慰安婦は、当時の共通認識は売春婦だったにも関わらず、済州島で強制連行があった、という出版があったのは、その少し前?だったのかな?時期的には重なっていたと認識している。僕の20代前半から後半にかけての時代だった。(もう少し前かな?)外に出て、人にあったりすると、中には朝鮮半島出身の方もいて、僕の電話帳にはそうした数名の名前もあった。韓国はまだ軍事政権で、北がユートピアだと信じている人たちもいたのかも知れない。部分的には、その「情報戦」は成功していたのかも知れない。オウム真理教に染まり、未だに麻原彰晃に心酔している人がいるように、その人は金日成様のために、伝えられたままに済州島で強制連行された人たちが従軍慰安婦になった、と、本に書いたのだろう。

後日、その本の内容を検証するために、本に書かれた場所で聞き込みをした人が書いていた。「そんな事件は起きていない。」もし、そんなこと(日本軍がトラックで来て、住民の若い女性を連れ去った、という事件)が起きていたら、誰もが知っているはずだけれども、そんな話は聞いたこともない。その検証記事が出てから、震源となった本を書いた人に疑いの目が向けられ、あの「強制連行」はでっち上げだ、とやっと「公式」にも認められるようになったにもかかわらず、まるで都市伝説のように、未だに強制連行という言葉がメディアには出てくる。そう信じてしまった人の疑いを解くことは、オウムの呪縛を解く以上に難しいのかも知れない。金日成の狙いが、日本に北朝鮮のシンパを作ることだったのか、日韓の分断だったのかはわからないけれども、後者だとしたら、今になってようやっと蒔いた種が巨木になろうとしている。

同じ時期、韓国の軍事政権は、韓日請求権協定の内容を公知する訳でもなく、ひたすら日本の「悪行」を教育で刷り込んだ。目的は、おそらく非難の矛先を軍事政権から逸らすためだろうと思う。憎悪があれば、共通の敵があれば、多少の困難は乗り切れる。中国政府がよくやる「反日運動」で、相当に話が盛られた「史実」が意図的に広められたりする。

ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争の時は、民族浄化「Ethnic Cleansing」というキャッチコピーで、世界にその「蛮行」が伝わった。のちに、そのEthnic Cleansingという言葉は、広告代理店に依頼してキャンペーン(そもそも、このCampaignという言葉は、軍事行動を意味すると理解しているが)用に考え抜かれた言葉だったらしい。どちらがどちら、だったか思い出せないけれども、「相手国の蛮行」を全世界に訴えるために、この「民族浄化」という言葉が全世界を駆け巡った。終わってみれば、どっちもどっちじゃないか、と思う。
戦争なんて、始めること自体が野蛮でしかないが、特定の民族を劣ったものと決め付けたり、憎むべき敵だと決めつける行為は、いつ戦争が起きてもおかしくない土壌を醸し出す。

北朝鮮の日本での情報活動は、おそらく、いずれ来る南北決戦の際に、韓国の後方(日本)を撹乱し、あわよくば、日韓を分断することが目的だったのだろうと私は考える。

1988年5月、僕は、スピード違反で捕まった後、片側3車線の道路の速度規制が40km/hなのはおかしいと、公安委員会に噛み付いた。時を同じくして、警官が銃で打たれる事件があった。この時代背景で、僕の手帳には朝鮮系の人の名前が何人かあった。そして私は早稲田出身。公安にとって、マークするべき条件は整っていたんでしょうね。そして、あの盗聴・盗撮が始まった。私の私生活をリークして、何か、面白いことありましたか?どんなにパフォーマンスをしても、吉本興行には負けてると思うんだが・・・。多少つまらなくたって、僕は一円ももらってないんだから、いいじゃない。

南北が融和しようとしている今、ようやっと金日成の「情報戦」は花開いて、「偉大なる勝利」を獲得したのだろうと思う。そして、日韓が分断すれば、いや、分断しなくても、この状況で日本が、北朝鮮を支援しようとする韓国に対して、何らかのバックアップをする、ということは極めて困難になり、日韓を完全に切り離すことに成功した見返りとして、韓国を通じた北朝鮮への経済的なバックアップは全面的に不可能になった、ということなんだろうな。金日成氏も、その後の日本がこれほど経済的に発展するとは予測しなかったのかも知れない。

韓国の軍事政権が受け取った補償金は、労働者ばかりではなく、北に対する補償も含めたものだったと理解している。韓国の歴代政権は、この途轍もない「時限爆弾」を軍事政権から引き継いだことになるのだろう。原資なんてとっくに使っちゃった。さて、どうしよう。
唯一無二の解決策は、「そんな補償金はなかった」と思い込むこと。そして、日本にもそう思い込ませること。なのだろうな。自分でそう思い込んでいるから、だから、嘘をついているという自覚はかけらもない。「1年前に、確かにお前に100万円、貸したよな。」「気のせいでしょ」「この証文をよく見ろ。お前のサインだ。」「そんなのは、でっち上げだ。」こういう論争だと思う。そして、韓国は「強制連行:をでっち上げだとする日本が嘘をついていると、本気で信じている。金日成の高笑いが聞こえそうだ。

こういう「情報戦」は、ある意味で、日本が一番苦手な分野かも知れない。

同じ条件で!

ちょっとした待ち時間、ニュース配信を見ていたら、すごい論理があった。

「1965年に締結された日韓請求権協定は、当時の軍事政権が締結したものであり、韓国国民を代表したものではないから、無効だ」という論理。さすがに、マジョリティの見解ではなさそうだけれども・・・ただ、政権が代わるたびに前政権の国際的な取り決めを反故にするあたり、実質的にはこうした思考が韓国を支配しているのか、という気もする。

こんな論理がまかり通るのならば、そもそもが太平洋戦争は「大本営」が突っ走ったもので、当時の日本人を代表したものでないことはいうまでもなく、我々一般の日本人は誰一人として責任を負うべき立場にはない。従って、戦争に対する責任を負うべき日本人は一人もいない、という同じ論法、同じ立場での結論が出るはずなんだが・・・要するに、韓国の論理に基づけば、韓国にも中国にも、戦争責任を云々される義理は何もない、ということになる。

念のために書いておく。あくまでも、韓国のレトリックをそのまま日本に当てはめただけで、「詭弁を弄した」だけ。

平和を希求する基礎に戦争の時代を忘れてはならない、という自分の考えを翻すつもりなど毛頭ない。

同じ条件で議論すればこうなる、という話題を書いてみただけで、もし、論理的に考える能力があるなら、話題の趣旨は通じるとは思うんだけれども、韓国には何を言っても、言葉が通じる気がしない。このページを拾って、「日本に戦争責任はないと主張する日本人がいる」とかなんとか、書かれるのかも知れないなぁ。

前もって、「蕎麦に入れ歯」という話題を書いておいたんだけれども。

3年A組-卒業まであと10日・・・でしたっけ?

家に寝に戻った。テレビがついてた。「3年A組」やってた。

俺、広瀬すずと土屋太鳳の見分けがつかないんだよなぁ。って言ったら、どっちも出てない、「半分青い」が出てる、って、永野芽郁か・・・菅田将暉はすぐにわかったのに。情けね。

つくづく思う。学生名簿や答案の手書き文字から学生の顔を思い浮かべる方は、30人教室の専門学校ならほぼ完璧になんとかなってるけど、その人数でも、逆向き、顔を見て顔から名前を思い浮かべる方が、とにかく苦手。

エレベータの中なんかで、カップ麺ばっか食ってると、体壊すよ、とかなんとか、一対一で言葉を交わすと、かなり(しつこいくらい昔のことでも)覚えていたりするんだけれども・・・one of themで授業中に当てたくらいじゃ、どうしても顔から名前が出てこない。何かインパクトのあることしてくれたら、すぐに覚えるんだけど・・・(いや、おとなしくしていてくれた方が、授業としてはありがたいが・・・)名簿から顔は、かなり簡単なのに、顔から名前がどうにもならない。これが僕の記憶特性なのかなぁ。

で、なんか展開が気になって、寝室でテレビをつけた。最後まで見てた。連続ドラマなの?で、そうしたら・・・

撮影協力 – 埼玉県小川町
ってのが、一瞬見えた。え?本当?

さっそく、ネット検索。旧上野台中学校か。まだ新しいのにもったいないよなぁ、って、あそこ?(子供の数が減ってるからなぁ)

あるじゃん。小川町の観光資源!旧下里分校も、アニメの聖地らしい。いい町なんだけどね。もっと、この町の景色、楽しみ来て欲しいな。

走りに、歩きに来て欲しい。町にはぜひ、半径3kmに一ヶ所くらい、トイレやベンチのある公園を整備して、外から来た人が安心して町中を歩けるような、「設備投資」をして欲しいな。(いや、そうしてもらえると、ジョギングしていて、僕が助かる、って、それだけだけど。)

そういう公園に、屋根もあって、弁当も広げられるようなテーブルやベンチも整備して、ついでに、町内の飲食店から「出前」ができるようなメニューとかも置いたりして、町に歩きに、走りに来た人が、ちょっとばかり町にお金を落としてもらえるような仕掛け、なんかできないかなぁ、なんてことは、ちょっと考えてみた。

いや、100出して99がスカ、みたいな、そのスカの方のアイディアだとは思うけど。

よくある話

今日は朝から、大野勢太郎さん。ここのところ、ラジオを聴いてると集中できない系の仕事が多かったので、無音が多かった。土曜日なんだよなぁ。ラジオの番組で、時間や曜日を体感する学校のない長い休み。授業がない時は、プログラミングの稼ぎ時で、純粋にプログラミングの時は無音がいい、だから、逆にラジオが聴けない、という状況だけれども、今日はレポート採点を一気に片付ける!数分おきに別人格の書いている文章やプログラムを読む状況だから、ラジオから流れるヒトの声が邪魔にならない。むしろ捗るかも知れない。不思議な感じ。

会社にいた頃は、バグに悩んだ時は誰かに相談したらいい、という解決策があった。その誰かに、バグの潰し方を教えてもらうため、ではなくて、相談するために順を追って説明していくと、説明しているうちに自分でミスに気づく、っていうのが、割とよくある話だった。今は、そうやって相談する相手がいない、けれども、こうやってブログにアップするために順を追って「やってきたこと」を辿っていると、不思議と「あ、あそこで変なことやってた」的なことを思い出したりする。これも、ブログの効能だったりして。なんか、味をしめて来た。

大野さん、「老害となるキャラ」を自認しているらしい。三遊亭鬼丸さんもそうだけれども、結構攻めてるもんなぁ。公共放送でギリギリ、ってか、時々超えてるような気もするけど、そこがまぁ、売りなんでしょうね。結構、あちこちのブログで、突っ込まれてるみたいだけど。どっちも予定調和にならないとNack5のヘビーリスナーとしては、寂しい。寸止めして欲しいね。

ラジオは聴視率で広告収入も変わると思うけれども、私のブログは広告のリンクが一切ないし、弾けすぎると自分に返ってくるだけ。ただ、まぁ、何かしらこうやって、「世間との接点がある」的な刺激は、ラジオもそうだし、ブログもそうだし、あり、ということでいいかな。なんて思う。

さてと、今日は採点!

Java 1.6

どこで見たか思い出せなかった。インストールからやり直してたら、これを見つけた。

親玉: https://developer.android.com/studio/install?hl=ja

Mac で Android Studio を利用する際に JDK 1.8 を使用していると、安定性が低下することが知られています。これらの問題が解決されるまでは、古いバージョン(JDK 1.6 以前)の JDK をダウンロードすることで安定性を改善することができます。

こいつかぁ・・・ 大元が1.6を要求してるんだったら、もうどうしようもない?

Java 1.6 のruntimeをダウンロードすることはできたけど、SDKが入らなかった。それでもいいのかなぁ・・・ダメでしょ?たぶん。
と思っていたけど、Gradleの同期がうまくいった。解決されたの?

Android Studioのトラブルシューティングの「診断」機能が見事だった。ブーブー言われたメッセージを見ていたら、原因の一つは、ADTをたどるPathに空白があったこと、のようだ。空白のあったMac上のパス名をCamelStyleに変更して、インストールをやり直した。(snakeでも同じだろうけど。)今回はトラブルシューティングのリンクをクリックするたびに、状況がよくなる。最終的に、ビルドまで全部通った。
\^o^/  \^o^/

その代わり、Path名を変えちゃって、コケるツールがどこかに出てきそうな・・・

いいんです。こういう「借金」は、全部未来の自分に押し付けちゃえば!
コケたらコケた時にスクリプトを修正すりゃ、何とかなるでしょ!

出先でも仕事をしたかったので、MacBook AirにもAndroid環境を構築した。(なんせ、東武東上線では、一日2.5〜3時間は、改札の中にいますからねぇ・・・)僕がMacBook Airを手放せない理由の一つ。

もう何度も書いたけど、ってか、何度も話しているけど、総武線快速、八幡宿で電車に乗って、東京駅まで仕事をしたかったから、せっかくグリーン券を買って、座って、Windows PCを立ち上げた途端に、「更新」が始まっちゃって、ついに東京駅まで何もできないまま(教材が仕上がっていないまま)授業に臨んだことが、何回かあった。機嫌が悪いと、千葉駅で電源を入れたのに、操作できるようになった時には船橋駅に近づいていた、とか。錦糸町あたりでハーバーネーションをかけないと、東京駅までにPCをしまえない、とか、もう辟易していた。
ところが、MacBook Airは、Sleepではなくシャットダウンされた状態から立ち上げても、7秒で仕事が始められた。あの時の感激が忘れられなくて、以来、仕事は全部Macに移した。(最近だいぶ重くなったが。持ち主と一緒か。)

9月の半ばから手つかずのままフリーズしていた仕事が一件、ようやっと前に進む。あとは、TDM(時分割多重)のオーバヘッドをギリギリまで小さくして、私自身の分身の術を完成させるだけ!?単価を上げられないから、手数で攻めるしかないもんなぁ。

今年の「初泥沼」も、何とかなった。もう少し先に進めたら、次は、レポートの採点かなぁ。その次は、制御系Python。その次はRailsのWEB。仕事の気分転換に、別の仕事をする、という、理想的な状態!あはは!(意味不明なハイテンション)

ブログも貴重な息抜きです!

Gradle

Android Studioを使うなら、Gradleも、ってことか。

自己レス。

一つコケて、そこから原因を辿っていくと、最後の最後にとんでもない「そもそも、ここからやり直せ」ってのに辿り着いたりする。はいはい、わかりました。頑張ります。ボヤキつつも、自己完結しちゃった。


そもそも、っていうならば、なぜ「文書起こし」の仕事をわざわざお金を出して、発注して下さったのか。現行のシステムをメンテナンスするにしても、更新するにしても、コードの内容が把握できていなければ、出来ないから。だとしたら、目的は「メンテ」とか「システムの更新」とか、そっちでしょうね。だとしたら、新しい環境で再コンパイル出来なければ意味がない。新しい環境に、どんどんと追随させられなければ意味がない。だとしたら、Java 1.6を使えるようにする、なんていう選択肢は有り得ない。だとしたら、1.6を使わざるを得ないパーツそのものを更新して、新しくしなければ意味がない。だとしたら、そこのコードを書き換えればいい。

Gradleを使うのはアリだとして、「そもそも」っていうならば、古いツールを使っているコード部分を、ごっそりと書き直す、というのが「正解」なんだろうな、という結論にたどり着いた。

なんなんでしょ。木を追っかけているうちに、森を見失ってた感。だって、1.6だもんなぁ。こういう時間の無駄遣い、嫌だなぁ・・・もったいない。こっちの自己完結は、たぶん、正解だと信じたい。信じるしかない。

Javaはどこへ行った?

Javaがどこかに行っちゃった???

ジャカルタがあって、JKT48がいるのがジャワ島で、英語だとJavaなのにインドネシア語ではJawaで、動きようがないだろうって、そっちのJavaじゃない!
Suda pergi ke sana!

僕の記憶だと、確かMac OSXの
/System/Library/Frameworks/JavaVM.framework/Versions/
の下に、
1.6とか1.7とかがあって、Currentがここにあって、っていう感じだったのに
AとCurrentしかない?
いや、もしかしたら、/usr/localとか、/usr/libの下だったか?rubyやphpと勘違いしてる?ほら、もう、昔の話はどーでもいいから。今どうなの?ってことでしょ?

Qiitaのこれ
https://qiita.com/qoAop/items/d2c85183863970f93577
あっちこっちにJavaが・・・
/Library/Java/JavaVirtualMachines/の下、確かに入れた覚えのあるJavaVMがあったけど、中身はJava仮想マシンで、コマンドがない、って、名前からして仮想マシンか。当たり前だな。でも、仮想マシンとコマンドは、ワンセットじゃないのか?1.8のコマンドから1.6のVMを叩けるの?

実は、1.8よりさらに古い1.6で動作を試したい、ツールがなんか文句を言ってくるから仕方ない、1.6で付き合ってみたらどうなるか、確認したいんだけども・・・
javaって、こんなにも、コマンドと仮想マシンとが切り離されていたっけか?

ツールが古い?だけど、Android Studioの最新版から派生的に辿って入れたんだよな?
え?俺の勘違い?いや、確かにポップアップが「1.6じゃないから、動作保証しねーぞ」と、最初に言い訳して来たのを見た(気がする)んだが、どこをどう操作した時だったっけか?気に留めずにOKしたから、思い出せない。わからん・・・
この辺、bundlerってないの?
Android Studioは最新でも、APIレベルが古いから、AVD(仮想デバイス)の都合でこうなるの?そっちか?

そういえば、昔は必ずJAVA_HOMEを設定しなければならなかった。
ところが、最近はこの「JAVA_HOMEの設定をしましょう」という説明を見かけない。
ふとみたら、Macでも、Windowsでも、環境変数にJAVA_HOMEがない!なんてこった!いつの間に?
(—>嫌だねぇ、俺、いつの間にかJava原人になっちゃったか?)なくなった経緯を理解してない!Oracleが買収してからか?
と思っていたら、Macの場合コントロールパネルにJavaの項目があるらしい。確かに。
なんだか、景色が変わっているのに気づかなかった自分に、気づいてしまった。

/usr/libexec/java_home -v 1.6
などとコマンドを叩くと、古い環境に切り替えられるらしい。試したんだけれども、VMは残っているのにコマンド群がなくなってるから、リンクされない。
>> 勘違いなので、訂正:切り替えられない。パスが参照できるだけ。いや、リンク先がわかれば、スクリプト書けばいいだけだから、参照できれば切り替えられるってのは間違いじゃないけれども・・・
煮詰まった。again。 >>> 今年の「泥沼始め」ですね。

C言語もそうだけれども、javaなんかももう十分に「枯れて」いる言語だし、なんていうか、例えば、International Computer Language Federation(国際コンピュータ言語連盟)みたいな団体を作って、どこかの会社の利益ってことじゃなくて、業界団体の代表団体の管理下、みたいなところに置いて欲しいな、なんてことをふと思ったりする。あ、GNUやApacheがそうか!

CはGNUのおかげで公共財に近くなってる。C#は、Microsoftのもの、だけれども、gnu-Cは完全に公共の言語資産になっている気がする。どこかの組み込みチップの言語が、最終的にgnu-cに落ちているとホッとする。
あ、そうか、gnu-javaが出来ればいいんだ!誰か作って!と思って検索したら、あるじゃない。GCJか?で、2015年からメンテナンスモード?ってことは、この試みは失敗?
もしかしたら、Oracleは、囲い込みを試みているんじゃなくて、必死でメンテナンスしてくれてる?それだったら、古いバージョンへの切り替えも、rbenvとかpyenvみたいな、簡便な切り替え環境を提供して欲しい。java_homeコマンドは、インストール済みが前提なのに、Mac OSをバージョンアップした後、古いJava環境が探せなくなって、どうにもならない。(と思っているのは、私が勉強不足だから、かも知れないけど。どこをどう、調べたらいいのさ!)

どうでもいいんだが、MySQLがOracleに買収されて、(という言い方は正確じゃなくて、Sun MicroがOracleに買収されて)MySQLはフリー、Oracleは滅茶苦茶に高い、というイメージがどうしてもこびりついている。中小規模のデータベース開発は、なんとなく悲観的な気分が・・・。何も考えずに、PostgreSQLを第一選択にするようになった。僕の認識の間違いかなぁ・・・。もっと外に出て、ユーザ会とかにも参加してみないといかんなぁ、とは思うんだが。

いや、わからんでもないのは、JavaもMySQLも、無料の環境で、僕らはその恩恵をこうむっていた。それなのにSun Microには何らの貢献もしていない。Oracleはライセンス料が滅茶苦茶高い。貢献するも何も、大企業の新人プログラマの数十分の1以下のコード単価で仕事をしてる僕らのようなペーペーは、SunもOracleも、手の出しようがない。申し訳ないけど、無料のオープンソースに頼らざるを得ない。(うちは、安いですよ!ソフトウェアのコード単価が、そもそも大手より一桁安い。スピードと体力と気力だけで勝負してるから。)

いまだに、Javaを基幹に据えたシステム開発、多いもんなぁ。その割には、バージョン管理が遅れまくってる気がする。しばらく、rubyやpythonでコードを書いて、javaに戻ってみたら、この面倒臭さをまた思い出してしまった。Ruby on Railsが掲げるCoC(Convention over Configuration)の有り難さは、Java開発を経験しないとわからない。
Javaも、何とかならんのか。

いっそのこと、GoogleがGoogle-Javaを提供してくれたら、話が早いのに。

と思うと同時に、これまでの経験が役に立たないどころか、むしろ邪魔になる開発環境って、何なんだよ、とも思う。プンプン。

泥沼始め・・・ 気を取り直して、もう一度!
次は、どこから攻めようか。ってか、1.6なんていう言い訳は無視して、1.8で突っ走ろうか。(それで問題ないことを確認する、ってな攻め方もあるなぁ。)

そうそう、このページ書きながら、途中で一服して血圧測ったら、138/76mmHgでした。やや高めとは言え、喫煙直後だから、高血圧の問題は、どうにかなったみたいだ。問題は一つずつ潰せば、いいってか。

節電、お休み中

12月中旬から下旬にかけて、とんでもない高血圧にシフトしていた。
仕事中は175/90mmHgとか、煮詰まってくると200/120mmHgとか出て、なんじゃこりゃ!クラクラする訳だ。自分の血圧が200mmHgを超えたの、初めてみた。
夜間降圧もない。唯一風呂上がりに143/66mmHgとか、あ、まともだと思えるのはその1時間前後だけで、あとは全部、最低血圧が90mmHgを下回らなかった。

松尾くんと忘年会。「小林さん、鳥肌たってませんか?」と言われて、自分の肌をまじまじと見た。鳥肌じゃないんだけれども、皮膚が全体的に黒ずんできていて、ガサガサになってる。確かにまともじゃない。
末梢循環が、とんでもなく悪くなっている、気がした。気のせいか、皮膚感覚もちょっとおかしい。全身冷たくなってる実感もある。

と、気づいたのは、室温設定。エアコンの設定は22度。ただ、床から冷気が上がってくるので(扇風機でも回せばよかったのかな?)足元付近が13度とか15度で、ここ数週間、ずっと足がこわばるくらい、冷たい感じはしていた。(もっと気にすべきだったのか。)全身の体温も、結構低かったのかも知れない。風呂に入ろうとすると40度が熱湯に感じられるほど体が冷たくなってるのが、日常だった。しかも、ほとんどシャワーだけ。12月中で、どっぷり湯船に浸かったのはたぶん3〜4回。いや、寒いのも全然平気だと思っていたんだけど。

室温の設定を25度にしてみた。床のあたりも20度くらいになるように設定。あ、それと年末は3回ほど、10kmほどのジョギングに出た。(なかなか、気持ちの余裕がないと、走りにも出られない。)
そうしたら、今日、仕事中にちょっと休んで測っても153/78mmHgとか、昨夜横になって布団の中だと132/66mmHgとか、これなら、特に心配するほどじゃないかな、と一安心。皮膚も、心なしかツヤツヤして来た感じ。春になったらもっと下がるだろう。

良かった。一ヶ月で、なんとか回復。これなら、医者のお世話になる程じゃない。200/120mmHgなんかで医者にかかったら、間違いなく降圧剤を処方される。下手に薬を使われると、どんどんとバランスが崩れるかも知れない。
でも、こんなんで脳内出血なんか馬鹿らしいですからね。室温設定は、ちょっともったいないけど、25度に上げることにした。
なんか、とってもリッチな気分。差が出るって言ったって、月1000円は違わないだろうし。ケチるのやめた。

脳血管疾患は、日本人の死亡原因の第2位, 第3位だった。昔は、こんな感じで、頭の血管とかが切れたんだろうな、なんてことも思った。
とにかく、去年から体があちこち壊れまくって、注意力も散漫。それにしても、老けた。実感。今年は還暦。