忖度

ニュース配信を見たけれども、不思議なくらい、レーダ照射だの哨戒機低空飛行だのの話題が止まった。一体何が起きたんだろう?よくわからんけど。

日本は、こういう事態での「情報発信能力が低い」とか、よく言われる。自分が思うに、根底にあるのは、やっぱり武士道っていうか(海外ウケを狙って書くなら、サムライ・マインドっていうか、)あれ、忖度だとか、惻隠の情だとか、敵の事情を慮って、トドメを刺しにいかないことを上策とする、というか、逆の言い方をすれば「詰めが甘い」ということになるんだろうか。サムライどうしならそれでもいいとして、相手がサムライ(同じ文化的ルーツを持つ相手)でなければ、それは通じない。その認識が欠けているのかも知れない。

思い出すのが、未だに問題がくすぶっている従軍慰安婦問題。
軍による強制連行は、現地で調べた結果として、「そんなことは、ここでは起きたと聞いていない」という証言があって、「起きた」事実を必死に探したのに見つからなかった、という報道があってすら、「起きた」ことが無条件に史実となって、拡散した。もはや、止める術がない。海外に濫立する慰安婦像は、自分の親に金で売られた気の毒な女の子たちの像だと自分には思える。日本でも同じ状況は江戸時代以来綿々と続いていた。ただ、海外に濫立している像の「金で我が子を打った親」は、少なくとも日本人じゃない。その事実を、アジアの文化を知らない海外の人たちには、伝えようがない。加えて、日本国内のイデオロギー対立が盲目的に、「事実検証」の過程をサボって「起きた」「起きた」と騒いだ結果が、今なのだろうと思える。
左系の記者には、歴史学者級の検証責任は求められていない。あ、そう言うことか。でも世間には、メディアの記者と歴史学者の見分けがつかない。

類似の事例は、南京大虐殺だと思う。最初は、「あぁ、日本はそんなにひどいことをした歴史を隠していたんだ」と、素直に信じていた。ただ、パプアニューギニアでの遺骨収集を手伝った後、ニューギニアでの「レイプ被害」の、朝日新聞系の雑誌の記事を読んで、数字に違和感を感じた。

二つの話題が重なるので、先にパプアニューギニアの話題を書くなら、僕が遺骨収集を手伝っていた頃、「日本兵による戦時中の被害を申し出る、申し込み用紙」なる紙切れがばら撒かれていて、「お前、これを預かってくれるか」という感じで現地の人に話しかけられた。その「申し込み用紙」を見たら、「肉親が殺された」「家財を焼かれた」「レイプされた」などのどれかにチェックを入れて、あとは、補償を受けたい人(またはその親族)の住所氏名を記入すれば、補償金を受け取れる、的な文章が書かれていて、その時は「なんじゃこれ」と思って、「悪いけど、俺には関係ないから」と突き返しただけだったのだけれど、帰国して、雑誌の記事を読んでから、あ、あれか、と思った。合算した数字を見たら、それこそ、赤ん坊からおばあちゃんまで、根こそぎレイプされていなければ成り立たないような数字が、日本の雑誌に掲載されていた。これが海外に逆流したのか、とも思った。
いや、ゼロとは言わない。実際に、母親が日本兵にレイプされたという知人がいる。彼の話をとことん聞いた。「夜な夜な、日本兵が家まで来て、母親を連れて行った。ある夜、母は股関節が外れた状態で、まともに歩けない状態で、日本兵に家に連れて戻された。」そうした話も聞いている。ゼロじゃないのは知っている。凄惨な現場だったのだろうと思う。ピジン語でよければ、当時の会話の一部は再生できる程度にまだ記憶している。いずれにせよ、数字は数字としておかしい。

話題が一つ前に戻るけれども、韓国の従軍慰安婦問題。「強制連行」があったとしている人の誰一人として、「現地踏査」の強制連行の現場を説明していない。慰安婦の方々を責めたくないから、あまり書きたくなかった。韓国では、「貞節」は大切なものとされ、一度でも「レイプ」などされたら社会から受け入れられなくなる、と聞いている。それは日本も同じだったから、理解できる。だから、かなり長い間慰安婦の方々は、売春を恥じて社会から距離を置いて生きてきた。その「売春」が親によって強制されたものだとしても、結果が全てだった。そこに、「強制連行」の話題が降って湧いた。(金日成の情報戦略だと思う。)故郷に帰りたい、もう一度社会に戻りたい、その一心で嘘をついて、(日本のWEBサイトでは、慰安婦の方々の証言の二転三転を取り上げているけれども、)もう一度生まれ故郷に戻って、もう親はいないにしても、少なくとも後ろ指を指されない状態で、社会に戻りたい、その一心で、必死で「報道」から流れてくる話題に話を合わせた。その慰安婦の方々の「証言」を切り捨てたくない。自分を自分として生きるために、必死の方々なのだから。だけれども、それを「日本」という国家に対する「敵対心」の根拠とされることには、自分としては抵抗したい。
あなた方、韓国の社会が、慰安婦のような人間を隣人として受け入れないから、日本を悪者にして彼女たちは嘘をつくことになったんでしょう?と言いたい。「強制連行」の事実があったのか、現地踏査で、もう一度徹底的に聞き込みを行なって、証言を集め、その上で今後の議論を進めて欲しいと思う。あれは、金日成氏の戦術が成功した事例だと、私は考える。加えて言えば、李承晩の教育施策で教えている内容が、どの程度歴史的事実と合致しているか、徹底検証して欲しいと、韓国には願う。
話を戻す。

そういう(パプアニューギニアでの経験での)「疑い」の目で、南京大虐殺の数字を見ると、100万人が殺されたという数字どころか、20万人だって、どう考えても多すぎる、と思った。
逆に、「殺す側」の立場で考えてみたらどうなるか。ヒロシマに原爆を落として14万人。東京大空襲では、東京が焼け野原になった。それで死者は10万人以上、とされている。正確な数はわからない。それほどに焼け尽くされた。(相手はアメリカ、ですけどね。)
カンボジアのポルポトが虐殺した数が、4年間に300万人以上。これは確かに多い。で、南京にいた日本兵の数が、約20師団で10万人、らしい。ざっくりと。この辺は(ネットでは)日本人が山ほど書いているけれども、10万人の兵力で20万人を殺す?仮にそれを「ノルマ」として課せられたとして、どうするか。いや、雑誌ベースなら、大した弾薬、経験もない10万人の兵隊が、100万人を虐殺?どの程度の期間で?どんなゲームの世界設定?と思える数字を、全米が信じた?
映画の宣伝で「全米が興奮」とかあるけれども、「全米」ってどんな単細胞なんだ?

当時の南京市民に「日本兵が虐殺を始めた」という噂は立たなかったのか?普通なら逃げると思う。局所的に数百人が殺されることはあったとして、そうした噂が広まったなら、誰もが必死に逃げようとして、20万人も殺される事態にはならないんじゃないか、と思えた。そもそも、20万人という人口が、10万人の日本兵に囲まれるように居住していたならまだ可能だと思うけれども、そんな都市の人口分布が、あの広大な面積のある中国の都市に存在するか?という疑問もある。で、そうなっていたとして、日本側の「行くぞ」で、一斉に南京市民が殺される事態になった?それがあり得たというのが中国とか、在外中国人の主張だと思うが、一度シミュレーションしてみたらどうなんだろうか、と自分は思う。山羊や羊だって逃げると思う。それを人間が逃げなかった?それなのに、100万人とかいう本が出版されると、欧米人はすぐにそういう数字を信じる。従軍慰安婦もそう。フェイクでもなんでも、叫んだもの勝ちなのか、とそんな気がする。

東條英機はポルポトとは違う。確かに「戦犯」には違いなく、日本が勝つと信じて戦ったのは間違いないとして、それでも虐殺のために戦争を継続したのではなく、ただ状況判断や、視野の広さが至らなかったのだろうと自分は思う。
視野の広さというならば、韓国の文大統領だって大差がないと思う。今回韓国の軍部に何を言わせたか、それを見たら、ほとんど違いが見えない。あれは、韓国の軍人が気の毒だ。私たちゃ、腰抜け集団です、ってのに匹敵する発言をテレビで流している。つまり、シビリアンコントロールで、大統領が逆らえない軍人に記者会見させた。
国家指導者なんて、誰もが一応は「国益」を必死に考えて動いている訳で、誰が「戦争犯罪人」か、なんて、結果だけの問題だという気がする。歴史の流れで、東條英機に全責任を押し付けられていたりするけれども、私にはトランプの方がよほど「国家反逆罪」の首謀者に思える。文大統領だって、大差がない。「戦争」しないから、「敗戦の将」にならないだけ、じゃないかな?

いわゆる「極東裁判」は、ほとんど「見直し」はされていない。今時、「和食」として納豆やゴボウを食ったことのある外国人も多いと思うが、その納豆やゴボウを「捕虜」に食わせた料理当番の当番兵は、極東裁判で(腐ったものや木の根を食わせた、として)「捕虜虐待」で死刑にされた、と聞いている。(細かいところは、調べて書いていない。)少なくとも、そうした話題が日本では語り継がれるほど、極東裁判は欧米に一方的に「善悪」を押し付けられ、一方的に「あれは犯罪」とされ、時には、欧米側を正当化するために、一方的に日本側の「悪行」を(裁判で)「認定」された。「南京大虐殺」の「発端」は、その裁判資料にある、と、自分は理解している。そこにつけ込んだ中国共産党が、話を膨らませて、「南京大虐殺」に仕上げて、「反日」で世論操作に使った。いい迷惑だ、と思う。全ては「敗戦国」になってしまったから、というのが発端にある。と自分は理解している。

せっかく、韓国がチャンスを作ってくれた。
今回、韓国が全世界に(6ヶ国語で?8ヶ国語で?)日本による「挑発行為」を発信したけれども、どう見てもあれは、韓国軍による、北朝鮮への瀬取りの支援だったんじゃないか、と思う。それを、ああして「自分たちには非がない」的に情報発信して、哨戒機が写真撮影することを必死で妨害しようとした。
それを、頭ごなしには叩かない、その日本の「忖度」の感覚が、(そんな、冒頭にも書いたサムライ・マインドというか、惻隠の情というべきか、日本的な感覚が)海外には通じないという事実は、僕らは自覚すべきなのかもしれない。
通じていないならば、「なぜ反論しなかったか」を世界に知らしめるべきだと思う。

重ねて言えば、せっかく、韓国がチャンスを作ってくれた。
今回日本は、韓国の攻撃用ロック・オン・レーダの周波数も何もかも、詳細を(韓国メディアにどれほど叩かれても)公開しなかった。それが、韓国の国益を損なわないためだという日本側の論理は、おそらく、韓国のメディアには通じないのかもしれない。それでも、公開しなかった。それが、日本側の「倫理観」としては間違っていなかったと、その日本側の「サムライ」的な感覚に基づくことだけは、何としても、全世界に伝えるべきだと、自分は思う。
今回の「レーダ発射」では、日本は何もしていない、何かしていたのは、韓国軍で、それは北朝鮮への競取りの支援だ、と、それは事実を世界に伝えるべきだと、僕は思う。立場が悪くなったら、日本的な「忖度」などやめて、韓国軍の機密情報だろうが、全部世界に公表すべきだ。サムライ・マインドなんて、どこにも通じないと思う。

僕がニューギニアに行ったのは、青年海外協力隊員として。システム・エンジニア隊員として、州政府の教育局に就いた。いや、パソコンにデータを入れるだけですよ。任務は。日本では、VAX/11も使ったし、日立製作所の独自テープフォーマットを、バイナリレベルで読んで画像を取り出すみたいな、「力技」を余儀無くされる状況で卒論も書いた。それなのに、おそらくはCOBOLを使ったことがない、っていう理由だけで、データ入力だけすればいい任地に割り振られた。それはそれで、「運命」だったんだろうな。そんなところにも、僕の「鬱憤」の鬱々とした文句の源泉はあるけれども、それはさておき、パプアニューギニアでは、太平洋戦争での、数えきれないほどの「遺骨」とか、「全滅の現場」に立ち会った。彼らが「望郷」の思いだけを残したのか、「怨念」まで残したのかは、なんとも言えない。
だけれども、彼らが「人」として残した思いに感情移入すると、なんとも黙ってはいられない感情が吹き上げてくる。そして、(もしかしたら、千鳥ヶ淵墓苑にも、すでに大量に納骨されてしまったに違いない、)日本人ばかりではない、韓国人、北朝鮮人(当時は、どちらも日本兵だった、だから、大量に千鳥ヶ淵にいる、)そして、ニューギニア人、オーストラリア人、フィリピン人などなどの、どさくさ紛れのその遺骨達の、その主の思いを重ねるに、もう、「戦争」は言うまでもなく、トランプだとか、文だとか、あの辺の「対立」を煽るだけの国家元首は、どうにかしてくれと、その辺の思いが吹き出して、自分として曰く御し難い。感情が吹き出した。Out of Control.かな。

僕は日本人だ。だから、日本人としての立場で物事を考える。だけれども、日本的な感覚で物事を考えても、海外には通じない。それがとにかく悔しい。フェイクを叫び続けること自体が、悪だ、そんな感覚よりも、執拗にフェイクを「事実だ」と叫んで、世界がそれを信じれば、事実なんていかようにでも書き換えられる、そうした現状が、悔しい。従軍慰安婦、そして南京大虐殺。

書いていて、気づいた。今日は、相当に僕自身「壊れて」いる。もう、収取がつかない。書くのをやめる。アメリカンコミックみたいな状況を簡単に世界が信じることが、僕には信じられない。

要するに、「サムライ」なんて時代遅れだね。これが結論かな。「忖度できる」そんな日本文化は、要らないだけ、だと思った。