程度の問題

戦時中の高級売春婦の話題が、またとんでもないことになっているみたいで。
あの人たちが、(細かいところは忘れたけれど)中尉とか大尉クラスの士官クラスの収入を得ていた、なんていう話題は、ものすごく事実認定が容易なのに、もはや全く話題にすらならない。
哨戒機へのレーダ照射問題を見ていて、そういうやり方なんだと理解した。都合の悪い話はすり替えて、一切触れなくなる。やめとこ。事実認定の話まで遡って何回書いたか。くどい。

やはり天皇陛下への謝罪要求なんて、日韓関係はもう修復不能としか思えない。マッカーサーですら、皇室に手をつけるのは避けたらしいのに。
占領軍の賢明な判断だったんだろう。もし皇室を断罪していたら、日本中で生麦事件のようなテロが起きて、治安維持のために占領軍のアメリカが日本の民間人に向かって発砲したり、どう考えても「占領政策」は失敗していたと思う。結果的に、日本が再び「主権」を取り戻すのが、何十年も遅れたりもしたかも知れないし、当然、日米が友好関係を構築することもなかっただろうと思う。
それほど微妙な問題だ、ということを、全く理解していない。かの国会議長は「なぜ、こんな騒ぎになっているのか、まったく理解できない」とか仰ったらしい。理解できないんだから、理解しなくてもいいんじゃなかろうか。いかに自分たちの主張だけを繰り返して、相手を理解しようとしていないか、その典型だと思う。

例えば、車どうしで接触事故を起こしました。10:0で、こちらが悪かったとする。(そういうことに、しておく。)一度は示談が成立したのに、後になってから「やっぱり不十分だ」と騒ぎ出し、ついには、「お前の親が、一千万円俺に支払ったら、納得してやる」とか言いだしてきた、なんだか、そんなレベルの気分がする。
韓国の国会議長?なんだろうか?本当に?「程度」っていうものがわかっていない。「それをやったら、解決する」とか言ってるが、確かにそれだけの額を受け取って、新車が買えるくらいの補償をされれば、受け取った側は、「とりあえずは納得した」とか言うだろうが、そんな額を請求された側がホイホイと応じる、とでも思っているんだろうか?
そういえば、日本にもそう言う人たちがいる。道を歩いていて、肩が触れたら(というよりも、向こうからぶつかって来て)お前が悪い、謝れ、財布を出せ、金さえ出したら許してやる。そういう人に関わっちゃったら、もう、どうしましょ、だよなぁ。
そういう相手だという前提で、今後は付き合うしかないんじゃないだろうか。もはや、友好国ではないし、修復不能だろうと言う気がする。

そもそも、100歩譲って、と言うか、あり得ないとは思うけれども一万歩くらい譲って、陛下の謝罪があったとしたって、彼らの方は、ほんの三歩歩いたあたりで「謝罪が不十分だ、新天皇も謝罪しろ」とか言い出すか、何をしたって収束なんかしそうにない。この要求が、どれほど異常なレベルか、あの国会議長は理解できないとおっしゃる。

普通、国会議長なんて務めるくらいの政治家だったら、こうした交渉ごとのレベルとか、程度とか、さじ加減とか、見極めができないものなのか?自分たちに都合の悪い「事実認定」を一切せずに、一方的にエスカレートさせる。本当に目的が「沈静化」だとして、本気で理解できないとしたら、余程能力がないのか?そうでないとしたら、もう一つ可能性はあるような気がする。

私の仮説ですが、話題が持ち上がったタイミングは、ちょうど日本で「北朝鮮は素晴らしい国だ」と喧伝を始まった時期、のように思う。そもそもが「従軍慰安婦の強制連行」は、金日成が仕掛けた巧妙な対日工作で、見事に花を咲かせて、完全に韓日の分断には成功した、ように見える。
見た感じ、文大統領よりも金正恩氏の方が賢い。韓国の動きは、完全に北朝鮮の思惑に沿っていると思ってもいいのかも知れない。だとしたら、かつての韓国ではない、北朝鮮を相手にしていると考えて、透かしてみて、文字通りの「傀儡」を相手にしていると考えるべきじゃなかろうか。韓日関係を分断することが最重要であって、それ以外の選択肢には韓国政府は決定権を持てない、そういう相手だと思って付き合うしかないんじゃないだろうか。


最初は、タチの悪いジョークだと思っていた。
韓国の人は、黄河文明よりも1000年古い5000年前に韓国で文明が発祥し、それが中国にやインダス地方にも伝わった、と信じている、と。そんな遺跡があるなら、見てみたいけれども、根拠を示す必要がないのが韓国流。だと、言いたくなった。
韓国の人は、日本のものを、何でもかんでも、韓国がルーツだと言うよ、と誰かに聞いた時に、そんな中傷をするな、と思ったんだけれども、どうも実際にそうらしいと理解してきて、特に最近、僕自身も相当に嫌韓に傾いている。そう言う発言ばかりが、やたらと日本でも流れる。

日本で教科書問題(戦争をどう次の世代に教えるか、で、右と左で喧々囂々の議論)が起きた頃、それならば、中国や韓国はどんな歴史を教えているんだ、と言う話題を目にして、何だか、海外でもひどい教え方をしていると思ったこともある。アメリカですら、「歴史」は、「戦後軍事裁判の正当性」に誘導するために作られた世論に基づいていると感じる。

大学時代、学習塾でバイトをしていた頃、確か社会科を教えていた先生が、早稲田の政経の人で、国際政治学専攻だったと記憶している。その人と飲んだ時に、言われたことがある。政治では、「何が事実か」なんて、問題じゃない。相手にどう信じ込ませるか、世間をどう誘導するか、世間一般にどう受け入れさせるか、そちらが問題なんだ、そうだ。理系の自分は反論した。「事実に基づいていないなら、いつかはバレるんじゃないか。」「そういうところが、理系だよな」その時は、こちらも折れなかったけれども、今ならすぐに折れるかも知れない。
「学識がある」のが少数派で、ない方が多数派だとしたら、その多数派に、いかに「思い込ませて、誘導するか」が政治の根幹なのかも知れない。
これも昔何かで読んだ話題で、金日成は、愚鈍だったからソ連が傀儡にするのに都合がいいと思って、祀り上げた、と。ところが、結果だけから見たら、かなり優れた「政治家」だったのかも知れない。(いや、「政治屋」と呼ぶべきなのか?)
話が逸れた。

教科書問題に話題を戻すなら、相当に左寄りで政府に批判的な人も加えてもらって、その上で日本で「日本史」として通用している内容と、韓国の教科書の内容を比べる、なんてことを、一度やってもらったらいいのに、とも思うんだが、もうたぶん、遅いんだろう。
欧米ですら、第二次世界大戦後の「戦争裁判の正当性」を演出するために創作された「歴史」が、結構紛れ込んでいて、特に学習能力の高い有識者ほど、それを事実として信じている、そんな気もする。

文大統領が、韓国で教えられた内容が事実だと信じ切っていたとしても、それは仕方ないのかも知れない。
ただ、明らかに迷惑だ。自力で修正できないのならば、文大統領が大統領で居続ける限り、日本との関係修復は不可能だと思う。
日本も、悪いことを悪かったと謝ることはすべきだ。ただし、事実に基づかない話題に関して、なぜ謝る必要があるのか、その「事実認定」に遡った時点で、もはや、議論は成立しなくなる。もう、そう言う国だとしか言いようがない気がしている。いや、捕鯨問題の欧米だって、同じかも知れない。日本の言い分に耳を傾ける欧米人は、少数派だと思う。鯨が可哀想だ。それなら、牛や豚は可哀想じゃないのか。完全なる決めつけ、だと思う。

やり切れない話題を思い出した。僕がどうしても「心臓発作の予知」だけは、仕上げたくて、「科研費」の申請を出すために、コンプライアンス規定に法って、兼業届を出した。だって、「会社の経費」でパソコンなんかを買っていたから、かろうじて大学の仕事も続けられていたんで、会社を畳むつもりなんか毛頭なかった。研究開発だけは、今でも降りる気は無い。
ところが、その「兼業届」を却下されたその理由が、「自分で会社をやりながら、科研費を申請するなんて、絶対に悪いことをするに違いない。だから却下」だそうで、やり切れないと言うか、なんと言うか・・・あの時に気分に似ている。
言わせてもらえば、まだ俺は何も悪いことなんて、してないでしょうが。まだ何もしてない。なぜ、まだ何もしてないのに、悪いことをするなんて、決めつけるんだ。この一言に尽きるだろうな。
(あんまり、まだ、まだ、とか言うなよ。)

こういう、思い込み、とか、決めつけ、とか、多すぎる気がする。インターネット時代。フェイクニュースもそうだろうか。噂の拡散。事実認定よりも、「面白いかどうか」が問題。あるいは、見た目がそれっぽいから本物だと信じる。あるいは、売春婦だったおばあちゃんたちが可哀想。可哀想な人に同情したから、自分たちはいい人。みんなと一緒に騒いで、いい人になった気持ちを味わいたい。そういった群集心理はあると思う。いや、韓国の人を責めているんじゃない、一般論として日本だってこれは多いし、世界中で同じかも知れない。

蒸し返したくないけれども、あまりにしつこいから、繰り返せば、従軍慰安婦は売春婦であって、一回の行為にも、日本兵は相当な金を支払っていた。(情けないよなぁ、本当に男って。他人のことは全然言えないけど。)そういう「史料」はいくらだって、ある。男の情けなさを象徴するように。
決して、売春婦という職業を見下すつもりはない。親に売られた、他に金を稼ぐ手段が見当たらない、特に昔は事情は様々だったと思う。(いや、現代でもその事情に大差がないという話もある。)泥棒をするよりも、よほどまともだと思う。むしろ、プライドを切り売りしているんだから、正当な対価だと言えなくもない。ただ、洋の東西を問わず、そうした職業を見下す文化は少なくない。そちら側の感覚も、「常識」的にはわからなくもない。要するに、何が正しいとか、悪いとか、そういうことじゃなくて、ただ人間ていうのはそういう生き物なんだ、と、それだけじゃないか、という気もする。
話が逸れた。

ただひたすら、その場の雰囲気に流されて、事実関係を確かめもせずに、騒ぐのだけは自戒したい。特に、インターネット社会で、これは怖い。フェイクニュースのいくつかには、僕も騙された。騒ぎはしなかったけど。フィッシング詐欺も、会社のサーバにウイルスを仕掛けるためのメールも、まさしく思い込みで騙される人間の心理を突いている。
元々の李承晩政権が、将来を見通して、当時の「歴史教科書」を作ったとは思わないけれども、一方でそういうのを信じ切っている人たちとは、もはや会話が成立しないんじゃないだろうか。信じたのが詐欺ならば、自分に実害があるから、すぐに間違いだったと気づく。だけれども、間違っていたって、自分に実害がなければ、軌道修正は困難だ。

大元の事実を、証拠に基づいて確認する、たったそれだけで解決する問題も、相当に多いんじゃないか、っていう気がする。だけど、感情的になって、事実確認を迂回して騒いだら、もう、どうにもならない。

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