活け造り

欧米人が拒絶するものに、日本料理の「活き造り」がある、らしいと聞いている。残酷だと。生きている魚を目の前で捌いて、食べる。ただ、これにだって、理由があると、書きたくなった。あんまり書きたくない韓国の話題。「牛の反芻」が始まっちゃって、眠れん。派生的に、あれやこれやと、思考のカーソルが飛びまくってる。

江戸時代の日本。冷蔵庫なんかなかった。動物性タンパク質、と言うと、哺乳動物が中心なんだろうけれども、仏教の影響で、江戸時代の日本では「四つ足」の生き物を食べる習慣がなかった。それでも、ウサギなんかは食用にされていたらしい。但し、あれは四つ足。そこで詭弁を弄して「あれはトリの仲間だ」と、お互いに言い聞かせて食用にした。だから、ウサギの場合には、一頭、二頭ではなく、一羽、二羽と数える。そう理解している。
クジラは「四つ足」ではない。あれはもう、日本人にとっては、骨も歯も、何から何まで使えないものはない程、捨てるところがない程、食料から生活必需品にまで、活用されていた。肉が貴重だったのは言うまでもない。その日本の食文化。牛や豚のように「飼育」している訳じゃないから、資源保護に問題がある、と言う視点ならば、理解できる。けれども、捕鯨に反対する理由が、可哀想だからと言うのならば、なぜ牛や豚は可哀想じゃないのか、その違いが僕にはわからない。似たような反論をする知人は、大勢知っている。ただ、反論と言っても、日本人どうしで話をするだけだけれども。
鯨肉は、だいたい加工食品として流通していた。一体から採れる量が多いから、その場ですぐに加工する必要もあったのかな?たまにしか食べなかったけれども、鯨肉は「ご馳走」だった。小学校の給食にも良く出た気がする。誰かが日本人のソウルフードだとも言っていた。資源保護のためならば分かるけれども、残酷だという指摘は、どうしても納得できない。

ちょっと話が逸れた。

江戸時代以前の日本。魚は貴重な、日常的には唯一と言ってもいい動物性タンパク源だった。ところが、魚は傷みやすい。獲れてから時間が経てば、腐り始める。刺身で食える、なんていうのは、海に近い町でしか経験できない贅沢だった。古い魚を食えば、中る人だっていただろう。鮮度がいいか悪いか、目利きもいたに違いないけれども、庶民は、魚売りを信じるしかなかったんだろうな、という気がする。腐った売れ残りの魚を買って、食あたりで死んだ人なんてのも、いたんだろうなという気がする。

地方によっては、サメなんかも食用に工夫したらしい。サメの場合には、死ぬとすぐにタンパク質の分解が始まって、アンモニアが発生するらしい。そのため、とても食えたものじゃなくなるらしいんだが、それを何か工夫して食用にした地域があると、うろ覚えに覚えている。アンモニアのお陰で内陸に運び込んでも、腐りにくい。それが珍味になった。どこの何だったか、思い出せないけど、ググるのはやめておく。いずれ、もっと老けた時の楽しみに、ということで。記憶違いならそれはそれで、何が化けたか、図書館とかに籠って探す楽しみとかもありそうだ。
アンモニアって言えば、ニューギニアで食べたコウモリの燻製のアンモニア臭が、って、話が相当に脱線してるだろう。

埼玉県は海なし県。うちが貧乏だったから、ということもあるんだろうけれども、大学に上がる頃まで魚は塩鮭の切り身くらいしか食べたことがなかった。安心して食べられるのは、塩漬けにした鮭くらいで、他の魚は値段が高かったから買わなかったんだろう。干物もあまり食べなかった。肉もたまにしか買ってこない。その代わり、我が家の裏に養鶏場があって(風向きによっては、鶏糞の匂いが家に充満したけれど)卵は一籠50円で(たぶん、20個とか30個くらいか?子供の頃の記憶なので、誇張があるかも知れないけれど)いつも僕が買いに行った記憶がある。卵かけご飯は朝食の定番。鮭の切り身だって、たまにしか食べなかった。だから、成人してもかなり長い間、魚はうまく食べられなかった。ほとんど経験がないもの。大学時代も仲間と居酒屋に行く、なんてことはなかったなぁ。誰かの下宿に転がり込んで、レッドとかで、ほとんどツマミなしで潰れて寝るまで騒ぐだけ。
話を戻して。

鮮度の高い魚が買えない庶民は別にして、多少「格式」の高い割烹とかなんかでは、刺身にする魚の鮮度が高いことを、はっきりとわかりやすく伝える必要もあったんじゃないか、と想像する。一番わかりやすいのは、客の目の前でまだ生きている魚を捌くこと、だったんじゃないだろうか。たぶん、だけれども、魚の「活き造り」の文化は、まだ冷蔵庫とか冷凍庫、冷凍車両などが普及するはるか以前から、「鮮度の高い魚」を提供していることの「証明」のような行為だったんだろうと、私は推測している。生きたまま運ぶんだから、コストがかかり、金持ちじゃないと食べられない。刺身を食う行為も、港町を除けば、ステータスシンボルだったかも知れない。暇があったら調べて、確認してみたいけれども・・・

オーストラリアのどの州だったかな(ニューサウスウェールズ州だったかな)「残酷な方法で魚介類を調理すること」を法律で禁止している州がある。あれなんか、中国料理を標的にしているんじゃないか、なんていう噂もしていた。ロブスターなどのエビとかカニとかを、生きている状態からいきなり揚げたり焼いたりするのは、法律違反。同様の法律は、欧米でも地域によってはあるらしい。あまり調べていないけれども。ただ、中華料理の場合でも同様の事情はあったんじゃないか、という気がする。なぜそういう習慣が定着しているのか、理由を調べれば、必ず理由があるはずだと思う。鮮度とか別の理由があるのに、「残忍だ」と括られるのは、釈然としない。

日本の刺身も、盆栽も、みんな「残酷だ」という議論を聞いたことがある。中華料理で、生きた魚を気絶させて、胴体だけを揚げる。魚が息を吹き返すと、口はパクパク動くのに、体は揚がっている。確かに、やりすぎのような気がするけれども、鮮度が高いものを料理したことだけははっきりと伝わる。この鮮度のアピールが理由だったんじゃないかと思う。

確かに、冷蔵庫も冷凍庫も普及している今現在は、流通が良くなって埼玉でも鮮度の高い魚は買える。でも、それならすぐに冷凍したり氷水に入れるのは残酷ではないのか?残酷でない殺し方って、何?牛や豚の屠殺、一撃で脳天を割るんでしたっけか?麻酔はしないの?

これも思う。日本語の「いただきます」の一言には、生き物の命をいただく、その命に対する感謝とか、畏敬の念も込めている、そんな話も聞いたことがある。鯨だって、あらゆる部位を「無駄にしない」(無駄にしたら「もったいない」)それが、鯨の命への敬意だと、それは当たり前のように(少なくとも昔は)日本では親から子へ教えていたことのような気がする。

何にせよ、「事実誤認」に基づく「誤解」は、訂正可能になったなら、誰かがいつか、きちんと訂正していかなければならない、そんな気がする。

話題の発端は何?「従軍慰安婦の強制連行」は、事実無根で、おそらくは北朝鮮の対日工作が発端だと(数多くの状況証拠は、日本国内では広まってきたが、)それが話題の発端だった。あれなんか、まことしやかに、国連でのアピールまであって、決議まで出たんだっけか?金日成の亡霊の仕業か?ってな話題が、どこに脱線したんだか。世界中に売春婦の銅像を建てまくる国なんて、歴史上、初じゃないだろうか。

かくして、脱線に次ぐ脱線で、元の話題が何だったか訳が分からなくなるのが、私でした。

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