99%

ニュース配信に反応
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190331-00000032-kyodonews-pol
衆参同日選「99%ない」と菅官房長官

「『ない』と100%は言えない。『99%(ない)』とは言えるかもしれない」と述べた。

こういう言い方は、信頼できる気がする。

いつだったか、「120%あり得ない」なんていう政治家の発言を聞いて、残りの20%はなんなんだよ、とか思った。
なにをどう嵩上げして、120%?20%も何を嵩上げしたのか、そっちの方に興味がある。

もっとすごいのは、「120%、いや1000%あり得ない」なんていう政治家の発言もあった。10年くらい前かなぁ。こちらも誰だったか忘れたが。
事象の10倍を否定する?もはや、実数の世界では説明できないんじゃないか?でも、複素数でどういう計算したらこうなる?分母はなんで、分子はなあに?(あれ?確率論って、虚数を扱えたっけか?もしかして、あり得る?)

そもそもが、「虚」の世界の住人にとっては、こういう数字は当たり前なんだろうか?
水面下にあって目に見えない虚数軸が表に出てきて、実は目に見える世界、一般人に知らせている事象の10倍以上の「虚」の要素が表に出てくると、突然1000%という数字が表面化するんだろうか。あなた一体、10倍も何を隠しているんですか、と聞きたくなる。

こういう七面倒くさい屁理屈をこねる以前に、平気で数字を誇張して話す人は、そもそもが信頼できない気がする。
なんて言いながら、結構自分でも話を盛ってるなと、後から気づくことはあるけれども。いや、民間人は面白けりゃそれでいいんです。

衆参同日選挙なんて、全く興味はないけれども、菅官房長官の、この発言についてだけは、好感が持てる気がした。話題とは無関係ですけどね。

こくし

DBに国試の問題を取り込まなきゃ。スマホのメモで「こくし」と入力。

かな漢字変換:国士舘、国士舘大学、国士無双・・・と出てきた。

あれ、と思ってパソコンで入力:国試、酷使、国司・・・さすがに、PC側は使用頻度第一位は国試だったな。それにしても、スマホでも「こくし」を頻繁に使っていた、のは、4年前?5年前?今となっては昔のこと。

例年この時期、一喜一憂していたのだけれども、ここ数年静かだ。心穏やか。いや、責任の一端は確かにありますけど、一科目。あえて聞かないことにしておく。(ごめんなさい)
嬉しい予想外をかなり期待しているんだが・・・とにかくみんな、エンジンがかかるのが遅いんだもの。

国士無双かぁ。そんな単語もあったっけ。もう20年はご無沙汰している気がする。
基本的に、国士無双上がれる時ってのは、あんまり流れが良くない時だと思うけれども、逆転の発想ってな感じなんだろうな。十三不塔より綺麗。みんな上がってて!

史実

深夜のDVD劇場。最近の楽しみは、寝落ちするまでのこの時間。それなのに、こうして何か書いてる。貧乏性だね。

若干、仕事の進展はあった。というよりも、裏技かも知れないけれども、Python → C言語 → Pythonのリンケージを自由にできる技をマスターしました。ネットに素材が溢れている、っていうことは、相当に「時代遅れ」かも知れないけれども、Cが使えるなら、はっきり言って、パソコンのかなりコアな部分の機能もある程度自由にできる。かなり時代に追いついて来た気がした。これで、Ruby → C言語 → Rubyをマスターしたら、もうなんでも来いってな気分かも。C言語はやっぱり、母国語みたいな感じだからなぁ。
Java?あれはもう、有償になったっちゃたから、捨てます。いつからだよ、と思った。最新情報に疎い。それを言ったら、MySQLも有償になったし、アンチ・マイクロソフト陣営が、アンチ・×ラ×ルにシフトするかもね。優良なコンピュータ言語なんて、いくらだって創造できる。既存のものを囲い込んで、ビジネススケールを広げようとしても、逃げ道なんて無限にある。世界は自由な方がいい。

なんだか、いい映画を見ると、気持ちがほぐれる。創作者に拍手。レンタル料の一部が作者に流れる、本当に貧者の一灯だけれども、創作者の才能に敬意を評します。

誰もが必死に生きようとしている。傍から見たらボロボロに見えていたって、本人の内面は誠実で必死で、正直で、そういうのを拾い上げてくれるのは、政治じゃなくて映画なのかなぁ、なんてことも思う。相手の価値観や、真実を理解できたなら、憎悪なんて出来ない。それが人間性なんだろうと思う。その逆に、政治が憎悪を掻き立てようとする場合もあったりする。

ふと、最近のニュースを思い出す。あまり書きたくないけれども、この段落が主題。何が正義か、判断基準は「事実」についての知識だろうと思う。その事実が、虚構であったとしたら、そもそも何が正義かの判断が出来ないし、誤った行動をしかねない。だとしたら、教育で「事実」を捻じ曲げることは、戦争指導者が開戦を決意するのに匹敵する「犯罪行為」だという気がする。余談ながら、人道的には「戦争」は犯罪行為だけれども、国際法上は「紛争解決の手段」としての「戦争」を否定はしていないし、「合法的な開戦手続き」を定めてすらいる、と理解している。この辺の価値観も、大きく軌道修正すべき、という気がするなぁ。
話が逸れたが、教育されて信じ切っている内容に嘘があったならば、その嘘を信じ切って「正義」を貫こうとしている人たちを責める気には、とてもなれない。大元の「嘘」をなんとかしろ、と、自分の国だったら猛烈に主張したいところだが、他国のことだから、火の粉が降りかからないならばどうでもいいことだし、火の粉が降って来たなら、高圧で放水するしかないんじゃないか?残念ながら。

高校時代の世界史の、吉田トラ先生。世界史は苦手だった。僕のブログを読んでいただけたなら、一目瞭然。忘れられないのは、定期試験の答案の返却が授業中にあって、渡された答案用紙に13点(100点満点)とか書かれていた。受け取った直後にグシャグシャに丸めました。とら先生には失礼だったけれども。情けないとは思いつつ、あんな、人名とか、イメージの沸かないカタカナ語の羅列なんて、覚えられない。今でもそうだけれども、固有名詞を覚えるのはとにかく苦手。なんだかねぇ、ミハイロブナ・ヒポポタマスだとか、マルシェ・ドゥ・カルチエの惨劇だとか、そんな感じの意味のわからんカタカナ語なんて覚えきれる訳がない。世界史で90点台取るやつが、宇宙人に見えた。世界史に多少興味が持てるようになったのは、多少は人生経験を積んで、こんなことがあったからこうなった、というストーリーをあれやこれやの雑誌とかで読むようになってから、だっただろうか。もっとクリアに見えて来たのは、協力隊に参加してからだっただろうか。価値観の相違ってな奴だろうか。
歴史は、裏側から、反対側からも見て見なければ、正しい理解は出来ない気がした。

高校時代の日本史の黒羽清隆先生。黒羽先生の授業は、点数は悪かったけれども、面白かった。印象に残っているのは、大化の改新の嘘の部分。今、どういう日本史になっているのか知らないけれども、「蘇我蝦夷」なんていう人物の人名が実名なはずがない、という部分で、この辺は日本人とか中国人とか、漢字文化圏の人でないと通じないだろうけれども、「蝦夷」なんていう名前を普通つけないでしょ、という話題。それが、堂々と「日本の歴史」として教えられているのは、おかしくありませんか?という、なんだか、そんなところだけは覚えている。要するに、当時の政権が敵対する勢力に関する歴史的な公式記録を書き換えた、ということなんだろう。それを「ほう、そうですか」と丸暗記したなら、それが「事実」となる。ところが、その「名前」だけから、「おかしいんじゃない?」と気づいた人がいたら、その人にまつわる「歴史的な事実」そのものが、捏造であった可能性が指摘されるようになる。固有名詞を覚えるよりも、むしろ、どうやって歴史の捏造が起きたか、そのプロセスの方が歴史として面白い気がした。「大本営発表」がわかりやすい例だったけれども、超現代史ということなら、厚生労働省による「統計操作」、でしょうかね。歴史は繰り返す。ご都合次第で、政府の公式発表なんていくらだって書き換えられる。

その、政府による歴史教育を信じ切って、他国では通用しない「史実」を振りかざして国民が行動するようになる、そうなったら、もはや悲劇としか言いようがない。難癖さえつけられなければ、見ていて面白いから、みんな黙って見ていると思うけれど。無関係ならば、喜劇で済ませられるのに。
どこの国でも、ってか、どこの宗教でも、どこの会社でも、あるいはどこの学校でも、みんなそれに近いことをやってるような気がする。どこの学校だったか忘れたけれども、スカートの膝上何cmをめぐってバトルが繰り広げられた(かなり古いラジオネタで、どこの話だか忘れたけれども、たぶん埼玉県内の高校)みたいな話を聞くと、どーでもいいんじゃね?みたいに、つい思ってしまうが、当事者にしてみたら、どちらも必死なんだろうなぁ。これもどーでもいいけど、性差別をなくすのはいいにしても、男子高校生の膝上20cmのスカート姿は、かなり、見たくないなぁ。(個人の見解です。)

当事者心理、ってな奴なんだろう。一歩退いて、あるいは、45度とか90度視点を変えて見てみると、どこに答えがあるか結構見えてくるような気もするし、「史実」としてまかり通っている内容が、本当に事実としてあり得たかどうなのか、判断する基準になるような気がする。

ただ、ねぇ・・・モーゼ様が海を割った話。そもそも桁が違うことが時々起きていたりするのも「歴史」だから、本当に判断は難しいよなぁ、なんてことは思う。異論はあると思いますが。
私は「偏向」してますから、あまり気にしないで下さい。

道徳教育のお陰で、嘘をつくようになった

NHKの7時のニュース。
ガキの頃から、7時は必ずニュースを見ろと、染み付いちゃってるからなぁ・・・ニュースからずっと、ラジオをつけっぱなしていたら、表題の番組が流れてきた。教育評論家の尾木先生が話されてる。まさしく今、その会話が流れている。

どういうことか。「教科」として道徳に「点数」がつくようになった。その結果、少しでもいい点を取るために「いい子」になるための嘘をつく、という感じらしいけれども・・・。そもそも、道徳なんて点数をつける性質のものじゃないような気がする。

専任の先生に押し付けてしまったけれども、最終課題として、ある程度のオリジナリティを要求したプログラム課題に、「プログラムのコピー」をしたと思われるレポートを複数組(6組)見つけた。結果を伺ったら、大半は初犯だったけれども、他教科で前科のある2度目の学生もいて、その人たちの場合には停学処分が出ることになったらしい。

毎回、学生には言う。「演習」なんだから、自分でやり方を身につけなかったら、何の意味もないよ。他人の書いたプログラムをレポートで出すなんてのは、「お腹が空いたから、僕の代わりにご飯食べてきて。」「トイレが我慢できないから、私の代わりに行ってきて」みたいな話で、実力が身につかない。拙くてもいいから、とにかく自分でやれと。ここまでしか出来ませんでしたでも、ちゃんと中間点は出して、最後まで挑戦した限りはA+は無理でも、きちんとやってれば、場合によってはA評価だって出ているから、と、話している。けれども、だいたいそうしたコピーレポートを出す学生は、そもそもが話を聞いていない。
教師が「遅刻」の愚痴をこぼす時に、該当する学生はだいたい教室にはいなくて、真面目に時間通りに学校に来ている学生が「遅刻」した学生の分の愚痴を聞かされる羽目になる。結局この「自力でやれ」の比喩も、そもそも話を全く聞く気がなくて、いざとなったら誰かのを写す学生には、しても意味がない話のようで、それはわかっているんだけれども、でも毎年繰り返す。何か、こうした「わかりきった注意」に意識を引きつける方法はないか、と思うんだが・・・。
面白く話をするの、ってのは、苦手ですから。(学校ですので)

情報系の学生だから、社会人になってプログラムを組む場面になって「出来ません」なんて言わせたくない。できれば、「あ、自分にもこんなことが出来るんだ」と言う自信を身につけてから卒業して欲しい。教え方は決して上手ではないと思うが、質問があればその都度指導はしているし、演習中にこちらから話しかけたりもしている。それがずっとメインだった。

最近はもう一つ考えるようになった。バレなきゃ何をやってもいい、そういう「経験」を大学生にさせたくない。「不正」を行なったら処分があるということは、学生にもキッチリ経験させてから、社会に送り出したい。

そうしないと、それこそ、社会人になって結婚し、子供が大きくなって、大切な場面で安易に不正を働いて、一番お金がかかる時期に収入がなくなったり、再就職しようとしてもどこからも採用してもらえなくなったり、する、と思う。今年は、この話もした。テレビのニュースとか見ていると、偉そうな人たちが並んで頭を下げたりしているでしょう?バレなきゃ何をやってもいい、なんて思っていると、自分の中で歯止めが効かなくなって、いつかはああなるかも知れない。だから、「大目に見てあげてもいい」かも知れないとも思うけれども、僕は気づいたら全部ハネるから、覚悟しておいて。

「道徳」教育の、本末転倒がラジオで散々流れている。
まず、「ありのままの自分」がどうなのか、自分で気付かなければどうにもならないよなぁ。その「ありのままの自分」が、素直にやりたいことをやったら、結果的に「反道徳的」だった、それに気付いてしまった、としたなら、自分で軌道修正しなければ、「ありのままの自分」はたぶん変わらない。周囲に出来ることは、それが「反道徳的」だと知らせること、だけじゃないかと思う。そのプロセスに、道徳そのもので「点数」をつける、ということは、やはり逆効果のような気がする。誰も「ありのままの自分」を表に出せなくなる。結局、上辺を取り繕う術だけを身につけて、本質的な部分は変わらない、気がする。逆効果のような気がする。

ぶっちゃけ、「表向き優等生」は、ガキの頃は得意だった。「ありのまま」で居られない、なんてのは、生きていても居心地が悪いだけ。

なんて書いているうちに、8時になってしまった。際限がないので、ラジオを切る。

支払い義務と、執行責任

JICAの国際援助で、こんな話を聞いたことがある。

現地政府からの要請に基づいて、数百万円規模の少額資金援助を行った。
現地政府では、そのお金をどう有効に使おうか、どのように予算執行しようか、入念に検討する会議を開いたらしい。連日、ホテルで飲食を交えながら。

結局、中間報告の段階で、JICAからの支援金は残り三分の一になっていて、大半はホテルでの飲食を交えた「会議費」に消えたらしい。その後、JOCV(青年海外協力隊)に「プロジェクトマネージャー」という職種が追加されたらしい。僕が協力隊に参加した随分前の話らしいけれども。
使い方を誤った。三分の二は飲み食いしちゃった。だから、もう一度金をよこせ、という話にはならなかったらしいが。

日韓基本条約に基づく日本政府からの賠償金は、本来的には北朝鮮も含めたものでありながら、当時の韓国の軍事政権に支払われた。韓国側からの強い要求で、韓国政府が細かい支払先管理を行い、北朝鮮の分も管理する、ということで、日本側からの主張を韓国が押し切って、韓国政府への一括支払いという形で賠償金を支払ったらしい。
直接確認してはいないが(いちいち、国会図書館とかなんて、行ってられるか!)ネットの記事によれば、この辺の史料は結構調っているようだ。要するに、従軍慰安婦だろうが、未払い賃金だろうが、誰にいくら支払うか、そうした細かい部分は、当時の韓国政府が責任を持つからという条件の下で、日本からは一括して韓国の当時の軍事政権に支払った。この時点で、日本側の賠償責任は終わっている、というのが少なくとも、日本側の言い分、ということになるだろうし、文句があるのならば、その辺の史料を調えて、国際司法裁判所での仲裁を求めましょうよと、日本側からは提案していた、と記憶している。その、国際司法での仲裁を拒否したのは、韓国だった、とも理解している。

徴用工訴訟の原告、国連機関にアピール
https://www.sankei.com/world/news/190314/wor1903140034-n1.html

これは、願ったりかなったりではないか、という気がした。
「日韓基本条約に基づく賠償金」の性質について、条約交渉の経過史料を提出して、当時の韓国政府が分配責任を負うことを、客観的に精査してもらえると思う。

ただなぁ・・・国連の人権委員会も、証拠の提示がない一方的な主張だけを取り上げて、証拠を提出できる反論に耳を傾けない、なんていう実績があるから、何が起きるかわからないけれども。(とにかく、世の中は理不尽がまかり通る・・・)

そもそもが、韓国は日本の植民地だった。国連で中心的に活動する主だった国で、植民地を持っていた国は多い。1975年頃を境に、どんどんと独立していった。それでは、大戦当時、そうした植民地の宗主国が、本国以上に植民地に対して、手厚くしなければならない、なんていう判断があったかどうか。もし、韓国が何らかの証拠を提示したとしても、日本本国でも同様の状況があったとして、それを断罪するならば、国連を構成する大半の旧植民地支配国は、かつて植民地であった国家から、現代の基準に照らし合わせての損害賠償をされた際に、それを拒めなくなると思う。

言わせてもらえば、某国とか、某国なんかに比べたら、日本ははるかにフェアに朝鮮半島を扱っていた。軍事政権が「日本は悪だ」という教育をしてきたから、それが定着しているだけだと、私は理解している。

とにかく、国連には、事実と客観性のある史料に基づいて、判断して欲しいと思う。

想定外?想定内?

東電の旧経営陣、改めて無罪主張し結審へ 強制起訴裁判
https://www.asahi.com/articles/ASM3D35LBM3DUTIL002.html

弁護人は「予見可能性が認められないことは明らかで、3人は無罪だ」と述べた。具体的には、「3・11以前にマグニチュード9クラスの地震を想定する知見はなかった」と強調。

ところが、原子力規制委員会では「今後起きうる可能性があることは、すべて想定済み」との立場を貫いていた、と記憶している。「予見可能性がある」どころか、すべて「予見して織り込み済み、だから原子力は安全」との立場だったと思う。だから再稼働の判断をしたんでしょ?矛盾していない?

「予見可能性が認められないことが明らか」なのならば、今後何が起きるかも予見できない、ということではないのか?予見しているのならば、いつ何が起きる、あるいは起きないと断言して、それが覆されたならば、それを「予見」した国の責任者、有識者などなどは、損害賠償額が何兆円になろうが、それぞれが個人で責任を分担するべきではないのか?それほどの責任を負っていることを自覚しての「今後起きうる可能性があることは、すべて想定済みとの立場」なんだろうか?逃げるなよ。国がその立場を貫くならば、この弁護人の主張は国の主張に矛盾するから、言い訳でしかない。東電の旧経営陣だけではなく、歴代の通産省の関係者、有識者も処罰対象ではないのか?

別に、3人は無罪でもいいけれども、だったら原子力は危険なんじゃね?

価値観の変遷

時代が変われば価値観は変わる。
昔は問題視されなかったことが、今は問題視される。逆に、昔は問題視されていたことが、今では誰も気にも留めない。

僕が高校に通っていた頃は、電車の中に普通に灰皿があった。駅構内禁煙どころか、電車の中ですら禁煙になっていなかった。
社会人になって数年、生命保険の勧誘の方(女性)が、女性のヌードカレンダーを配っていた。会社の机の上に置いておいても、特に誰も何も言わなかった。セクハラ、なんていう言葉すらなかった。

アメリカだってそうだっただろうと思う。
映画「疑わしき闘い」の1930年代アメリカ。約束の給金を払わない。「雇用者」に逆らった人たちが随分殺されている。字幕で最後に、「最低賃金法」成立のきっかけになったようだったけれども、「それ以前」は「最低賃金」とか「被雇用者の権利」なんていう「価値基準」はなかったのかも知れない。(あまり正確な記憶ではないと思うが、悪しからず)
そもそも、イギリスやアメリカだって、女性に参政権がない時代が長かった。100年前はどうだったんだろうか。誰かが声をあげて、世の中を変えてきた。
近世のイギリス人女性が参政権を獲得するまでの映画も見た。最近の映画だけれども、タイトルを忘れた。(毎回、寝落ち寸前のブツ切りだから、印象しか残ってないけれども、)勇気のある人がいたんだな、という感銘が残っている気がする。あれ、同じ時代にいて、同じ経験をしたとしても、同じ行動が出来たかどうか・・・自信はないなぁ。

1940年代の日本では、「赤紙」一枚で徴兵されて戦場に送られた日本人は大勢いた。徴兵を逃れたらどうなるか、誰もが知っていた。社会全体が「戦場に追いやる」という意味では実質的な「強制連行」だけれども、「強制連行」という表現はなかった。女子学生も「勤労奉仕」として、企業での労働力として駆り出された。賃金なんて、出ていたんだろうか。「徴用工」という言葉があるけれども、日本でも同じ時期に工場で仕事をさせられて、まだ生きている人は大勢いると思う。「私はあの工場で働いた。」結構、年配の方から聞いた記憶がある。韓国人だけではなく、日本人でも同じ経験をしていて、日本人の場合には「あれは、そういう時代だったから」と諦めているのだろうと思う。憲兵がどういう存在だったか、どんな時代背景だったかを知っているから、とても文句を言えた時代ではなかったという歴史認識」を社会で共有しているから、その企業を責めることの無意味さがわかっている。

テレビドラマの「おしん」は(実は、私は全く見ていない。噂は知っているが、見られる時間帯の放映じゃなかったけど、)世界的にも有名らしい。ただ、「おしん」が丁稚に出された、「丁稚奉公」とは、形式を整えた「人身売買」ではないか、という気もする。「金を払ったんだから、働け」ということになる。「おしん」が韓国の話ではないことは、韓国人もご存知だと思う。それでは、もしも「おしん」が働くことになった先が「花街」のような業界だったとしたら、これほどまでに世界で知られることになっただろうか、という疑問がある。ただ、実際には「おしん」と同じようなプロセスで、その後、戦時中に「慰安婦」と呼ばれるようになった職業についた人たちもいただろうと思う。戦後の混乱の中で、性病で亡くなった方も相当にいたに違いない。生き延びたとしてもおそらくは、大半が日本では沈黙していると推測する。

「私は慰安婦と呼ばれています」…裁判所に届いた手書きの手紙
https://japanese.joins.com/article/006/251006.html?servcode=A00&sectcode=A10

このニュースの「時代背景」を正確に理解しなければ、本人が「強制連行」と感じているその実態が、本当に強制連行だったのかはわからない。
少なくない人数の「おしん」が、強制的に連れて行かれたと感じていると私は思う。そして、子供の知らないところでは大人どうしの金の流れがあった、とも自分は理解している。「違法行為」があったという記録もある。摘発されたから、記録が残っている。いわゆる「人さらい」、現在で言えば「誘拐」。身代金要求の誘拐ではなく、転売目的の誘拐。それらは当時でも「違法」だったが、金を払えば「合法」だった。
当時には当時の「価値観」や「行動基準」があり、大半の人はそれを正しいと信じて生きていたと思う。

誰かが声をあげて、世の中を変えてきた。その変える前の社会に現代の人間が飛び込んだ時に、同じことが出来るか、今と同じテンションで騒げるか、私には疑問だ。周囲に流されていたら、何もできない。それ以前に、当時に生きていたら、周囲が「正しい」とする価値観を当然のごとく受け入れる人が大半だろうと思う。
同時に思うのは、「今現在の価値基準」に基づいて、過去を断罪して当時の人を極悪人の如く扱う、その無意味さ。そもそも、価値基準が変わってきたことに全く気付いていない。ということは、裏を返せば、今現在の社会の「価値基準」を理解していない、ということにもつながる気がする。流されているだけなのだから、過去に遡って生まれていたら、その極悪人のような行動をその本人も平気で行う、ということになるんだろう。

今から、ほんの数十年前、100年前に遡っただけで、今とは全く異なる「価値観」の世界に突入すると思う。それが「正しかった」などと言うつもりはない。人種差別、性差別、人身売買。まだ、完全に変わった訳ではなく、現在でも残っていると思うが、少なくとも「人種差別」「性差別」「人身売買」を容認しない「価値観」に変遷しつつあると思う。
それらが誤りだったと考えるならば、今後を変えればいいだけの話、だと思う。

ただ、韓国が日本に「謝罪しろ」を連呼する、国会議長だったかが「盗人猛猛しい」などと発言する。どこまで、当時の時代背景を理解しているのか、疑問だ。韓国が日本に「謝罪しろ」と叫んでいる「慰安婦」も「徴用」も、他ならない日本人自身のほとんどが、この日本国内でも経験していて、「過去の歴史」として押し流していた。

その同じ話題が韓国では、ほんの20年ほど前、民主化後に降って湧いて、正確な時代背景を知ることもなく、あたかも韓国人だけがそうした目に遭ったかのように理解して、「謝罪しろ」を連呼し始めた。そもそも、大半の日本人が謝罪なんてされていない。何よりも1945年8月15日の「玉音放送」(で、正しかったかな?)で、「これで、この悪夢のような時代が終わった」と感じたようだと、自分は理解しているし、祖父母や両親の話から、「終戦」はある種のリセットだったと感じている。

確かに、韓国の場合には好んで日本の統治下に入った訳ではないと思うが、そこの至る時代の伏線というものがあり、例えば朝鮮王朝の腐敗など、朝鮮側に起因する歴史的な要素が、どの程度加味されているのか、私には疑問がある。
日本人だって、軍部の独走を容認することになった政府には思うことがあったとしても、「治安維持法」以後、急速な社会の変化の中で何が出来たか、今、過去を糾弾して叫んでいる人たちのどれほど多くが、当時の社会にそのまま身を置いたとして、同じように声を出せるのか、それを考えた時に、日本人は「リセット」を「リセット」として受け入れたのではないか、という気がする。

何よりも、こうして自由に今の自分の価値観を叫べるような時代になった、それだけでも、凄まじい社会の「価値観の変遷」の恩恵を受けていると思う。変えてきたのは、過去の人たちであり、この「慰安婦だと名乗り出たおばあちゃん」のような、歴史の中で辛い思いをした人たちの、思いだとも思う。軽んじるつもりはないが、ただ、当時の時代背景を、正確に理解して欲しい、それだけは思う。

日本は、日韓基本条約に基づいて数億ドル(忘れた。ググれ!)の賠償金を支払った。それは「リセット」を完全に行うための措置だったと、現在の日本人も大半がそう理解していると思う。「個人請求権」は「消滅」ではなく「移行」だとするサイトも、すぐに出てきた。

現在進行している、「特許差し押さえ」などの動きは、日本にとっては「過去の清算」ではなく、「今現在を起点とする、新しい韓日関係の象徴」になるだろうと、私は思う。相当に尾を引くと思う。


嫌だな、と思うのは、発してしまった言葉の「反芻」で、牛の反芻の如く、4番目の胃袋から先に進むまで、何度となく意識の表層に湧き出てきて、仕事の邪魔をする。盗聴やら盗撮やらに苛まれたことは、抗いながらも、自分の中からのこれで相当に仕事の邪魔をされた。黙っていられない。だからますます泥沼にはまる。
ただ、後悔はしていない。理由がある。

きちんと脳が「認識」してくれてはいないけれども、僕自身の「意識」はたぶん、過去において「何かをすべき時にしなかった」痛烈な後悔を持っていて、「今、これを黙って流したら、絶対に、肉体を抜けた後に、『また、やっちまった』という後悔をする」という確信のようなものがある。大半の読者の方には恐縮だけれども、僕自身は自分に前世があったことも、おそらく来世があることも、ほぼ確信に近い感覚で認識しているので、やはり、今よりも今後のことを大切にしたい。だから、とにかく後悔したくない。肉体を持っている間に「後悔」しなくても、それで良かったのかどうかは、本当のところは肉体を抜けてみなければわからない。死んだらそれまで、とお考えの方は、そういう生き方をされたらいいし、どうぞご自由に。ただ、僕は自分で納得できるように生きたい。
肉体を抜けた後で、「何故こんな生き方になったか」それを振り返った時に出てくる思いは、アーメンと叫ぼうが、南無阿弥陀仏と唱えようが(以下省略)もう、どうにも出来ない。そして次回に繰り越そうとする。結局、出来るようになるまで似たような経験をする。自分でその伏線を張って、そういう時と場所に生まれてくる。

「なんで、こんな悲惨な目に遭わなきゃならないんだ」という思いをお持ちの方も、多いんだろうな。この記事のおばあちゃんもそうだろうし、最近ニュースでよく流れる、親に殺された心愛ちゃんも、拉致被害者のご家族の方々もそうだろうし。そして、ただ「なんでだ」と愚痴をこぼすだけだったとしても、間違いなく1回の人生分の経験値としては蓄積されていく、と、自分は認識している。もし、それだけではなく、可能な限り客観視して、自分がその当事者になってしまったという「偶然」(実は偶然ではなく必然だと思うが)以外の要素が、どう絡み合って、なぜそういうことになったのか、自分のような「当事者」が今後現れないためには、自分以外の誰がどう動いてくれたら良かったのか、そこまで膨らませることができたなら、おそらく、単なる「1回分」ではなく「5回分」にも「10回分」にも、経験値を膨らませられるんだろうと思う。何も慰めになっていないかも知れないけれども、逆に言えば、順風満帆で何の辛い思いもしなかった人生なんて「1回休み」みたいなものだから、何かあった方が、余程「人生」の価値がある。きっと肉体を抜けてから「この課題は卒業できる」という自信や確信につながるだろうし、周囲の人が「この人、こんなに恵まれた生活をしているのに、なぜ私の苦境を理解できるんだろう」みたいな、その回の人生では経験していない裏側への理解力みたいなものが格段に身に付いて、いわゆる「格の違い」につながってくるような気がする。(師匠の受け売り、みたいなもんですが、私の解釈が間違っていたら、ごめんなさい。疑問のある方は、ぜひ勉強会にご参加を。)
(偉そうに、よくもまぁ、イケシャーシャーとこんなこと書いてるな、とは思いつつ。反芻が終わるまでは、仕方ない。)

誘われちゃった・・・

朝、郵便受けを見たら元自治会長のSさんから、老人会の名前で封筒が。

3 月16日に会計監査。もうそろそろ、期末決算で伝票はもう出ないはずだと思っていたのに・・・。ナンジャラホイ。

開けてみたら、グランドゴルフ(ゲートボール)のお誘いでした。
「是非、ご参加ください。」
うわー、誘われちゃった!

でもなぁ、一応まだ仕事してるし、仕事辞めて昼間っから飲みとかにお付き合いできる身分でもないし・・・お誘いは、とっても嬉しい(!?)んですが・・・

どちらかと言えば、スキーに誘って欲しかったんですけど。(太って、ウェアが着られなくなってやめたのが30年前・・・)いや、トレッキングとかトレイル・ランニングでもいいけど、スキューバダイビングもPNGのマダンで潜って、マンタの群れを見たのがもう25年も前かなぁ。何もしてない・・・BBQすら、誘う相手が・・・誘うだけなら誘えるけど絶対に断られるし。興味あるのがアウトドアなんて、もう25年以上看板だけ。
もう、ゲートボールくらいしか、選択肢がない?
それは、ちょっと、なぁ・・・

なんて、朝っぱら書いてないで、しっかり頭を切り替えて、これからPythonでリング・バッファとsqlite3のデータベースとの同期を取る部分をコーディング。それが終わったら、今度こそ最終動作確認。

楽しみは取っておこう。(来世に?)

元祖「そこら辺の草」

埼玉県民にはそこら辺の草でも食わせておけ!
翔んで埼玉
http://www.tondesaitama.com/

いっやぁ・・・(照れ笑い)

「そこら辺の草」と言ったら、何と言っても埼玉県小川町の
「のらぼう菜」でしょ!
その名も「野良坊菜」=そこいら辺に勝手に生えてる菜っ葉。(諸説あるかも)

正統派「そこら辺の草」です。
元祖「そこら辺の草」、いや
本家「そこら辺の草」、とにかく
「そこら辺の草」!

ちなみに
JA埼玉中央 小川農産物直売所
http://ja-sc-market.org/ogawa/
では、3月23日(土), 3月24日(日)に
比企のらぼう菜部会(比企伝統野菜)
のらぼう菜の試食販売
「元祖そこら辺の草」の試食販売!

を実施するそうです。同日
詰め放題&いちご試食販売
も実施するらしい。
何の詰め放題か書いてないけど、いちごだろうなぁ?でも、潰れるんじゃね?

ただ、よそもんが来ると混むから、来るこたぁねぇだんべ。

錯覚

ラジオを聴いていて、と言いつつ、あまり集中して聞いているわけでもなく、ふと「あれ、韓国の人かな」と思った。日本語のザジズゼゾの音が、微妙にジャジジュジェジョになる。もしかしたら、「これか!」と思った。この文章を書き始めて、ラジオは止めた。Nack5の中村あゆみさんの番組の後、韓国観光公社が番組を持ったんだ。

日本人は、RとLの使い分け、聞き分けが苦手。今時の子供は、かなり小さい頃から耳を慣らしているらしいけれども、脳がこの辺の音を当たり前に認識するためには、たぶん、小学校では遅い。2歳児くらいから「言葉」としてその音に接しないと、難しいと思う。

僕は絶対音感を持ってる。一時期微妙に半音ズレていたのが、最近またきちんと聞き取れるようになった。たぶん体調管理とか蝸牛管の関係だと思うけれども、それはそれで別の話題なので切り捨てて、話を戻せば、対数計算ができる電卓があれば、聴いた音のスペクトルピークを五つくらいまでは数字で出せると思う。実証実験には応じます。(ただ、暗算は苦手。対数の電卓は欲しい。)高校時代、陸上部の仲間だったFくんと、B組のT君なんかと、たった一度だけだけれども、試したことはあった。親父が音楽の教師で、3歳からピアノをやらされていて、そのお陰と言うべきか。一度だけ、小学校の低学年の頃、親父の「研究授業」でサンプルAにされた記憶がある。今でもね、四重和音くらいはチョロいもんだけど。
ところが、これが6歳になると難しいらしい。親父の受け売り。

以前いた会社で、MITのDKくんが日本に来た時に、ずっとアテンドした。雑談の中で彼の子供の頃の話をしてくれた。アメリカのテレビドラマで、clawを持った登場キャラが現れる子供向けの番組があって、その話を親とする時に、clawの発音がどうしてもcrowになる。それを親が笑ったので、一生懸命発音してもどうしてもうまくいかない、と言ってた。あ、たぶん僕の発音のことを言ってるのかな、とも思ったけれど。
何が言いたいか。「大人の発音」が出来ない音は、「幼児の発音」に聞こえる、と言うことで、日本人が英語圏で(英語圏に限らず、RとLが完全に別な音の、日本以外のかなり多くの国で、)LとRがうまく発音できない時に、現地の人にはその音が「幼児語」に聞こえている、と言うことだろうと、思った。

今日、ふと思ったのは、日本語のザジズゼゾを韓国の方が発音する時に、音でジャジジュジェジョに聞こえるケースが多く、それがどうしても日本人の耳には「幼児音」に聞こえてしまう、もしかしたら、そんなところが、これは認めざるを得ないけれども、日本にいる朝鮮半島出身の方々を「見下す」差別意識の原因になっていたんじゃないか、と言うことだった。このページの主題は、この段落。

別にいいじゃない、と言うよりも、僕ら日本人が海外でRとLをゴチャゴチャに発音している時の、現地の方の「当惑」は、同情に値する。あるいは、非常に幼稚に聞こえている可能性が大きい。今でこそ、日本人が大勢海外に出て行っているから、「発音」とその日本人が幼稚かどうかは、切り分けて受け入れて頂いているに違いないが、20年前、30年前だったら、欧米人の耳には、日本人の話す言葉が相当に「幼児語」に聞こえていたに違いない、とも感じる。どうでしょうかね?それはもう、現地の方に聞いてみないとわからないけれど。

オーストラリアで3週間ほどぶらついた時に、日本人の旅行者に出会った。「日本の方ですか?もう、5日間も日本語の通じる人に会わなかったんですよぉ。」って、俺が任地にいた時は、1年近く半径160km以内に日本人はいなかったぞ。って、それは、どうでもいい。
彼の雑談。「バーで飲んでてね、仕事を聞かれたんですよ。Public Servantって答えたら、みんなから大笑いされちゃって。」(彼は、市役所の職員だそうだけど、それを名乗るなら、City Officerとかでしょ、とその時は答えたけれども、今ググったら、City Hall Officialsと出てきた。)「公園の便所掃除でも、やらされてるのか、とか言われたけれど」と、彼。公僕ねぇ。その彼が続けた。「選挙の度に大仕事になる」と言いたかったらしい。必死で説明しようとすればするほど、大爆笑だったらしい。僕の耳にも、彼のRとLはごっちゃ。選挙はelection。以下省略。

こう言う話をしだしたら、際限がない。タイ語にもザジズゼゾの音はない。タイの方の場合には、ダディドゥデドになるのかな?試しに、フランス人にハヒフヘホを発音させてみたらどうか。逆に、ようやっと英語のRとLを発音し分けられたとして、フランス語のRとドイツ語のRをきちんと発音できるか、と言う問題もある。巻き舌で舌の先端の方を緊張させるか、それとも、喉の奥を震わせるか。ちなみに僕は、ロシア語もスペイン語(rrの方)もドイツ語も、あの辺の言語のRの音はきちんと発音できない。

こんなのが、「民族差別」の原因になっていたとしたなら、哀しい。発音の違いで相手を差別する。じゃぁ、逆に差別される側にたったらどうなのか。今時、これだけ世界中で、あらゆる国の人々が自由に行き来して(軍事力に頼っている一部の国は除外して)身近に外国人と接する機会が増えた。もはや、「発音」が「差別」の原因になることもないんだろうか、とも思うけれども、僕らのごとき、ジジイ、ババアは手強いからなぁ。若い人たちの感性に頼るしか、ないのか。

どこかの「語学教育塾」だったかな、多国語を看板に掲げていた。「言葉」としての「音」は、かなり小さいうちから慣らさないと、脳はその「音」を「言葉」として認識しないと思う。英語だけじゃ不十分な時代になるかも知れない。どう言う教育方法がいいのか、それは僕の商売には関係ないので、どーでもいいけど。

ただ、これだけ人が入り乱れる時代になって、「発音」が差別の原因になる、そんなことがなくなるとしたら、そうした「錯覚」は過去の歴史に押しやって、もう忘れることにできないか。(過去を蒸し返すことに、全将来を賭けている人たちもいるけれども。)

あ、忘れてた。どこかの国の大統領、人種差別主義者に、肩入れしていたっけ。ため息。このページ、終わります。

穴馬

敵の敵は味方、ということなんだろうか。
「共通の敵」を前にすると、連帯感が生まれる、ものらしい。文政権と金正恩氏の北朝鮮にとって、明らかに日本はこの「共通の敵」であるらしい。
北朝鮮にとって、文大統領が頼みの綱であるとしたなら、北朝鮮メディアが日本のことを良くいう筈がない。残念なことに、拉致日本人の問題は「その存在を認めること」すら、希望薄な気がする。

文大統領の韓国、そして北朝鮮の両方に共通する「特徴」は、「事実」をメディアが公表することができない、という点だろうか。そもそも両者とも「歴史的な事実」など大して重要視していない。国民に「何をどう思わせるか」だけが重要という、日本にとっては非常に厄介な問題が、両国に共通している。韓国の場合、それは韓国が民政化する前の軍政当時からの教育が根付いた結果として、そう簡単に変えられるものではないだろうし、北朝鮮の場合には、「真実」を国民に伝えることなど、致命傷になりかねない。日本による両国への「関与」は、事実を拾い上げたら必ずしも「良いこと」だけではなかったが、両国にとって都合の悪い「歴史」は、何一つ国民に伝わっていないんだろうと思う。日本は永遠に「共通の敵」のようだ。

そこへ、このニュース
米に「北朝鮮亡命政府」、脱北エリートが樹立計画
http://japanese.donga.com/List/3/01/27/756266/1

最初、ニュース配信の見出しだけ見た際、中国がバックアップするのか?ついに中国も、北朝鮮を見限ったか、と思った。配信記事をよく読んでみたら、ワシントンで樹立するとなっている。となると、これはちょっと、無視できないと思った。
北朝鮮の人権問題は、世界的にも知れ渡っている。既に25年前、パプアニューギニアにいた頃に、州政府の同僚が何かの話題で「北朝鮮みたいな国」という表現を使っていて、え?と思ったことがある。PNGはオーストラリアの影響を強く受けているから、ピジン語の新聞や、英字新聞でも、確かに北朝鮮が問題の多い国だという認知は、PNGの知識層には広まっていたんだろうと思う。その国の「民度」の変化は、メディアが担う。マスメディアが使うフィルタによって、民度は高くも低くもなるように感じる。北朝鮮はニューギニア人から見ても「好ましくない劣った国」だった。

北朝鮮が、そう簡単に核を手放さない、としたなら、既に2回の米朝会談を終えた今、トランプも表立っては動けない上に、欧米もそう簡単には金正恩を容認できない、そのタイミングでの「時が来た」は、目を離せないかも知れない。
つまり、トランプ政権になって、一気に北朝鮮との距離が縮まった、その逆も起きる、ということではなかろうか。

韓国が文政権になった途端に、日本との慰安婦合意を覆した。トランプ政権になった途端に、京都議定書から離脱したり、大幅に流れが変わった。それでは、トランプが次期大統領にならなかったら、米朝会談の「成果」は次に引き継げるのか、これが問題だろうと思う。朝鮮半島の非核化に何も「具体的な動き」がなかったなら、引き継ぐべきものが何もない、ということになる。トランプ自身が、北朝鮮の譲歩を引き出せなければ、制裁の解除自体が次の選挙戦の足かせになる、と判断したんだろうか。この流れの中で、北朝鮮への経済制裁を解除すべき口実が何かあるのか。金正恩体制が継続することに、中国は何らかの「メリット」を見出しているのか。ロシアの場合は、どうなんだろうか。つまり、「北朝鮮の亡命政権」に北朝鮮の人材が集まってきたとしたなら、それでも金正恩体制の後ろ盾となるメリットが、中国にあるか、ロシアにあるか、ということになるんだろう。ロシアにとっては、アメリカに近い「新体制の国」が半島北側にあることは、好ましくないに違いない。「旧社会主義国の連携」は、「反米連合」に形を変えて、ロシアを核としてイラン、シリア、ニカラグアを連携させ、北朝鮮をその連携の輪に取り込もうとするんだろうか。そこに少し距離を置いて中国?

「敵の敵が味方」という論理ならば、金正男氏の長男を擁護する「北朝鮮亡命政府」にとっては、日本は味方になり得る存在、かも知れない。金正恩が、再び核やミサイルをチラつかせれば、明らかに「敵の敵」ということになるが、仮に日本にその意思がなくても、北朝鮮が勝手に日本を敵対視しているということは、日本の意思に関わりなく、日本は「亡命政府」にとって、敵の敵になる。
間違いなく言えることは、金正恩氏が拉致日本人を返す可能性は極めて低いが、「亡命政府」が金正恩から「政権」を奪い取った場合には、日本と友好な関係を築くために、拉致問題の全面的な解決に協力してくれる可能性が、極めて高いような気がする。つまり、日本にとっても「北朝鮮亡命政府」は、貴重な「交渉可能な相手」となるように思う。文大統領も、金正恩氏も、「歴史的事実」を持ち出しても、そもそも日本的な感覚で「史実」を正確に認識した上での交渉することが、もはや、両国とも両国国民の手前不可能な状況に陥っている。少なくとも「亡命政府」には、まだそれがない。「事実に基づいた判断」という西側諸国で一般的に「正しい」とされている感覚で交渉が可能だ、ということだろうか。

そして、トランプが次期大統領になりそびれて、北朝鮮がアメリカとの「終戦」の糸口を失った時、おそらく中国は「金正恩の北朝鮮」を堅持するためになりふり構わないバックアップを行うんだろうか。その北朝鮮が、再びミサイルや核の保有をチラつかせた場合、中国はどんな選択肢を取るんだろうか。
もしかして北朝鮮の「西側化」を受け入れ、アメリカとも良好な関係を持とうとして、切り捨てるか、それとも、あくまでも「特別扱いしたいのは経済関係だけ」とばかりに、「金正恩の北朝鮮」をバックアップして、ロシアを核とした「反米連合」に加担するか。
トランプ後に世界貿易はどうなるんだろうか。中国やロシアが、「経済」で世界に関わろうとしている時、日本に何ができるんだろうか?イギリスのEU離脱のような、各国の「揺れ戻し」は、続くんだろうか。

グローバル化する経済、全てがボーダーレス化に向かって動いているようにも見える。好ましいか好ましくないかに関わらず、変化に対しては変化抵抗がある。何かが変わろうとしても、「変わりたくない、変えたくない」という心理的な反応が必ず出る。機械系で言えばダッシュポット?オーバーシュートというのは、こんな感じの波形。


ステップ入力(ベースラインが、0→1に変化した)のを、インターネットの普及だとしたら、上向きのオーバーシュートは、氾濫する(信頼性の低いものも含めた)仮想通貨だとか、「行き過ぎ」の部分だと自分は見ている。下向きのアンダーシュートは、各国で起きている「内向き」の変化、各国の右傾化、などだと思う。
http://ysserve.wakasato.jp/Lecture/ControlMecha1/node15.html

イギリスによるEU離脱が、イギリスにとって「良い結果」をもたらすと思うか?ホンダの撤退はおそらく正解。グローバル化への逆行は、アンダーシュートとなって現れる。ただ、十数年、数十年かけて、オーバーシュートもアンダーシュートも落ち着いて、一定のレベルに安定していくに違いない。

「未来」を操作することなどできないかも知れないが、できることがあるとしたら、このグローバル化後の安定ラインに、どんな「要素」を付け加え、取り除くかという「人類共通の意思」の形成のようなものだろうかと思う。
例えば、グローバル化後の世界に「軍事的均衡」を関与させるか、させないのか、もし国境を超えた世界的なコンセンサスが持ち込めるのなら、人類が望むようになる、と思う。それは、例えば、草の根の運動のような民主主義が勝利するのか、各国政府、特に超大国の政府がしがみつく「軍事的均衡」という自国の優位性なのか、どう変わるかは、「望む」か「望まないか」だけの違いかも知れない。
また、「望む」多数派がどちらの多数派か、も、大切なんだろうな。トランプ政権は、アメリカにとってトランプを望むのが多数派だった。歴史は、そういう変え方もするんだろう。

歴史のことは歴史に聞け、なんていう言い回しがあったっけか?なんだか、あったような気がする。
北朝鮮の「亡命政府」は、もしかしたら、既に拉致被害者帰国の「穴馬」的な存在かも知れない。いつ、どんな形で、「対抗馬」となり「本命」になるのか、目が離せない気がした。

ボーダーレス

結果的に、シーケンス制御のプログラムを書いている。
いや、仕事を請けた時は「シーケンス制御」になるとは思っていなかった。仕様書を書いているうちに、これができたら便利かなと思っていたら、シーケンス制御になっちゃった。まぁいいや。使ってみて、喜んでいただけたなら。

オシロスコープで波形を見て、OK。実機接続が3週間前。ところが、ウンともスンとも言わない。

あれ?と思って電源周りの「接続」を見て、よく見たら、Raspberry Piは3.3V動作、制御デバイスは5V動作。そりゃぁ、動かんよ。なんで、こんな根本的なところを見落としているんだ!?いくらソフト屋だって言ったって、デバイス接続やってるんだから・・・粗忽すぎる。時々こういう、根こそぎコケるミスをやらかす私。orz

慌てふためいて、ネットで3.3V/5Vのロジック接続用のコンバータを購入。大半が「在庫なし」。Raspberry Piで外付け用の基板も「在庫」がなかったりで、「即日発送」で値段が安いところに飛びついた。ポチッ。しばらくしたらメールが入った。「本日発送しました。」よしよし、これでなんとかなる。2週間前。

3日経っても届かない。あれ、と思って「追跡」ボタンをクリックしたら、配達業者が「China Post」となってる。あっれぇ、もしかして、と思ったら、中国の業者だった。確かに発送は「即日」だったけれども、到着まで2週間。一昨日、届きました。ちなみに、元々の納期は昨日。画面をどう見ても、国内発送の業者としか思えない。どこかに中国からというのが書いてなかったか?Digi-Keyはアメリカから。それは既に知っているが、アメリカからでも3〜4日あれば届く。案外、国内の業者は在庫を持っていなかったりする。最近は在庫をあまり持たないのか。海外から手に入るからなぁ・・・それでも、2週間。

ちなみに、ボルテージコンバータは入荷が3月15日とか・・・他の業者も在庫なし。今日、秋葉原で探してみる。ってか、仕方ない、手持ち、2SC1815とかがあるから、作って、間に合わせしかないなぁ。つい、こういう場面では2SC372が、なんて言いたくなる。2SC372なんて、今時の方はご存知ないんじゃなかろうか。でも、これも、国内入手だと2SC1815がメインだったのに、海外ではまだ使ってる?よくわからんが。

もう、何がどこの国からなのか、ネットで見ただけだとわからなくなってきた。そういう時代なのかも。

ところがね、インドとパキスタンでは、戦闘機を落としただとか落とされただとか・・・国境線争いでしょうね。

軍事力に頼って、国土を広げる、もしくは領土を維持することの、メリットとデメリットを、それぞれ1200字以上、1600字以内で述べよ。