道徳教育のお陰で、嘘をつくようになった

NHKの7時のニュース。
ガキの頃から、7時は必ずニュースを見ろと、染み付いちゃってるからなぁ・・・ニュースからずっと、ラジオをつけっぱなしていたら、表題の番組が流れてきた。教育評論家の尾木先生が話されてる。まさしく今、その会話が流れている。

どういうことか。「教科」として道徳に「点数」がつくようになった。その結果、少しでもいい点を取るために「いい子」になるための嘘をつく、という感じらしいけれども・・・。そもそも、道徳なんて点数をつける性質のものじゃないような気がする。

専任の先生に押し付けてしまったけれども、最終課題として、ある程度のオリジナリティを要求したプログラム課題に、「プログラムのコピー」をしたと思われるレポートを複数組(6組)見つけた。結果を伺ったら、大半は初犯だったけれども、他教科で前科のある2度目の学生もいて、その人たちの場合には停学処分が出ることになったらしい。

毎回、学生には言う。「演習」なんだから、自分でやり方を身につけなかったら、何の意味もないよ。他人の書いたプログラムをレポートで出すなんてのは、「お腹が空いたから、僕の代わりにご飯食べてきて。」「トイレが我慢できないから、私の代わりに行ってきて」みたいな話で、実力が身につかない。拙くてもいいから、とにかく自分でやれと。ここまでしか出来ませんでしたでも、ちゃんと中間点は出して、最後まで挑戦した限りはA+は無理でも、きちんとやってれば、場合によってはA評価だって出ているから、と、話している。けれども、だいたいそうしたコピーレポートを出す学生は、そもそもが話を聞いていない。
教師が「遅刻」の愚痴をこぼす時に、該当する学生はだいたい教室にはいなくて、真面目に時間通りに学校に来ている学生が「遅刻」した学生の分の愚痴を聞かされる羽目になる。結局この「自力でやれ」の比喩も、そもそも話を全く聞く気がなくて、いざとなったら誰かのを写す学生には、しても意味がない話のようで、それはわかっているんだけれども、でも毎年繰り返す。何か、こうした「わかりきった注意」に意識を引きつける方法はないか、と思うんだが・・・。
面白く話をするの、ってのは、苦手ですから。(学校ですので)

情報系の学生だから、社会人になってプログラムを組む場面になって「出来ません」なんて言わせたくない。できれば、「あ、自分にもこんなことが出来るんだ」と言う自信を身につけてから卒業して欲しい。教え方は決して上手ではないと思うが、質問があればその都度指導はしているし、演習中にこちらから話しかけたりもしている。それがずっとメインだった。

最近はもう一つ考えるようになった。バレなきゃ何をやってもいい、そういう「経験」を大学生にさせたくない。「不正」を行なったら処分があるということは、学生にもキッチリ経験させてから、社会に送り出したい。

そうしないと、それこそ、社会人になって結婚し、子供が大きくなって、大切な場面で安易に不正を働いて、一番お金がかかる時期に収入がなくなったり、再就職しようとしてもどこからも採用してもらえなくなったり、する、と思う。今年は、この話もした。テレビのニュースとか見ていると、偉そうな人たちが並んで頭を下げたりしているでしょう?バレなきゃ何をやってもいい、なんて思っていると、自分の中で歯止めが効かなくなって、いつかはああなるかも知れない。だから、「大目に見てあげてもいい」かも知れないとも思うけれども、僕は気づいたら全部ハネるから、覚悟しておいて。

「道徳」教育の、本末転倒がラジオで散々流れている。
まず、「ありのままの自分」がどうなのか、自分で気付かなければどうにもならないよなぁ。その「ありのままの自分」が、素直にやりたいことをやったら、結果的に「反道徳的」だった、それに気付いてしまった、としたなら、自分で軌道修正しなければ、「ありのままの自分」はたぶん変わらない。周囲に出来ることは、それが「反道徳的」だと知らせること、だけじゃないかと思う。そのプロセスに、道徳そのもので「点数」をつける、ということは、やはり逆効果のような気がする。誰も「ありのままの自分」を表に出せなくなる。結局、上辺を取り繕う術だけを身につけて、本質的な部分は変わらない、気がする。逆効果のような気がする。

ぶっちゃけ、「表向き優等生」は、ガキの頃は得意だった。「ありのまま」で居られない、なんてのは、生きていても居心地が悪いだけ。

なんて書いているうちに、8時になってしまった。際限がないので、ラジオを切る。