ほや

生牡蠣は、結構いくつでも食べられる。
ほやは、これまで一回だけ食べたことがある。ただ、いくつでもっていう感じではなかったかなぁ。どこででも食べられる、っていう訳ではないから、慣れてないせいもあるかも知れない。

なぜか日本人は、「ナマ食」を好む傾向がある気がする。特に海産物。確かに僕も好きだけれど、もう少し簡単に流通させられる加工品、保存性の高い加工法を工夫してもいいような気がする。

そういう育ち方をしてしまっているから、仕方ないと思うけれども、二度目にアメリカに行った時のことを思い出した。アメリカの油に当たった。というか、注文した食事がことごとく脂っこくて(料理の英文名と自分のイメージとが結びつかなくて)、トドメを刺されたのはパスタだった。「もうダメだ、パスタなら軽くしのげるかな」と思って注文したのが、日本で食うのとは全然違っていて、パスタがオリーブオイルの中で泳いでいるような、本格的な(!?)イタリアンで、腹は減ってるから食ったけれども、すでに脂に耐えきれずに疲れ切っていた胃腸が、これでノックダウンした。でも、仕事の予定はある。ボストンの、とある有名大学との共同研究のコーディネータの方が、気を利かせて日本料理店に連れて行ってくれた。(たぶん、あの経費はコーディネータさん経由で、会社に回ったんだろうなぁ。)刺身があった。これなら食える。もう、30年前かなぁ。まだアメリカでは日本食がさほど注目されていなかった頃、マグロの刺身、アメリカ人から見たら、生の血の滴るような魚を、猛烈な勢いで口に運んでいた僕の姿は、きっと野蛮人そのものだったかも知れない。でも、あの時は相当な量の生魚で生き返った。

だから、「ナマ食以外」を強調するのは、日本人としてどうか、なんてことも思うんだけれども。

もっと新しい、流通しやすい保存食形態の魚介類が多くても、いいような気もする。立花萬平さんのように、試行錯誤をしていけば、何かきっとできるような気がする。

最近僕は、漬物にハマっていて、いわゆる「腸内フローラ」って奴で、乳酸菌ベースの、ぬか漬けのような、あるいは味噌漬けのような野菜を、瓶に移し替えて、事務所で、おやつ代わりにつまみながら仕事している。(こういう、好き勝手できるのが、自営業のいいところで・・・)だって、ポテトチップや「たけのこの里」なら良くて、瓶詰めした漬物がいけない、なんて法律はないでしょ!?
最近、乾燥冷凍の野菜スナックが結構多くて、豊作の時の野菜の値崩れを防ぐのに、こういう加工流通は、結構役立つんじゃないか、なんてことは思う。

寿司の原点は、なれずしのような発酵食品だろうか。もう一歩進めて、干物とはまたちょっと違う新しい保存食としての魚介類、なんて開発できないかなぁ。「ほや」は、乾燥させたら、あの独特な水っぽさの旨さが失われるかも知れない。でも、味噌とかチーズのような発酵食品と相性がいいようで、例えば、生牡蠣のパックみたいな感じで、もう少し、万人ウケする発酵させた「健康食」みたいに仕立てて、加工流通させられないものかなぁ。それができたら、韓国への輸出に頼らずに、国内向けに、もっと出荷の引き合いを増やせるんじゃないかなぁ、なんてことを思う。

フルーツでも、ナマ食よりも缶詰の方が美味しい、なんてのも結構あったりしたような気がする。(あれは、添加物の味だったのかなぁ?)

こういう突破口を開くのは、年寄りじゃなくて、高校生とか中学生とか、既成概念に縛られない人たちじゃないかな、なんて思う。例えば、ホヤをコーラで漬けるとか(いや、適当に書いてるけど、)「腸内フローラ」+「新鮮魚介類」、みたいな組み合わせで、何か保存食として「ホヤ」を食えたら面白いのに、なんてことを思う。

福島県沖の魚

房総半島から東北にかけての沖合では、親潮と黒潮のぶつかる潮目が、季節によって南下と北上を繰り返していて、いい魚が取れると理解している。

当時、3.11の後、いわき市出身の学生にボソッと、「しばらく光りものが食えなくなるかなぁ」とボヤいたら、そっちか!みたいな感じで苦笑いしていた。いやぁ、生活が大変になるだろな、ってのは十分に理解はしていたけれども、コトが深刻であればある程、軽く受け流す癖がありまして、申し訳なかった。理解してない訳じゃなかったんだけど。

現在、基準値を超える魚は出荷しないように、厳密に管理しているらしい。あたしゃ、イワシもアジもサンマも、大好物ですからね。回転寿司では、マグロとかハマチじゃなくて、最初はまず光りもの。いきなりケーキを頼む誰かよりもマトモだと思ってる。

まず、日本国内で普通に受け入れるのが先じゃないかな。風評被害からは、まだ十分に回復してないと思う。
でも、こんな美味いもん、わざわざ海外に輸出することはない、と思うな。食いたきゃ日本に来たらいいし。