二国間

仕事頭になってない。電車の中では、ニュースサイト三昧だった。

池袋駅のゴミ箱が使えなくなってた。G20対策らしいが・・・テロ対策?
誰が、何のために、テロを働くのか?
G20はそんなに誰かから恨まれてるのか?

数日前にラジオで、元事務次官が子供を殺したニュースにコメントして、鬼丸師匠が「身につまされる」みたいなことを言ってた。
その話を聞いて、思わず思い出してしまった。僕が高校の頃から、酒は飲むし、タバコは吸うし、ってな具合になって来た頃、親父は「よほどお前の首を絞めて殺そうかと思った」らしい。酒飲んで、タバコ吸ったくらいで、殺されてたまるか、と思った。
どうもあの頃から、「帰りたい場所」ってのがない。
どう記憶を掘り起こしても、母に甘えた記憶がない。小学生の頃から、僕が親父に説教される時に母は必ず父に便乗した。そういう場面でお袋の顔を見ると、頭の中にムソルグスキーの「禿山の一夜」の旋律が流れた。でなければ、ハチャトゥリアンの「剣の舞」。僕の母のテーマミュージック。
確かに、攻撃的な性格だけれども、モノに当たったことはあっても、人に当たったことはない。誰かに噛み付くにしたって、無差別に噛み付いている訳じゃない。殺されなければならないほどの性格か?俺は?

社会人になってからも、何かあっても一服して気分を取り直して、「しゃあねぇ、頑張るか」って感じで、タバコは手放さなかったけれども、ビバリーヒルズ州でタバコ販売を禁止?ニュースを読んでて何だか、笑ってしまった。
何だか、どこまで行っても、否定されるか、拒絶されるか、無視されるか、この歳になっても「自分の居場所」を見つけられないのが、あまりにも情けない。タバコ絡みではニュースを見聞きするたびに切なくなってくる。タバコだけじゃない、私もよほどの能無しか、でなきゃ余程性格がねじ曲がっているんだろう。いや、わかってるよ、全然関係ない?だけどね。もがいてみても、何一つ好転しない気がして。何だか切なくて、笑うしかない。
確かにタバコは自傷行為の一種かも知れないが、もしタバコがなかったら、僕は今より数倍直截的に攻撃的だったろうと思う。

東京に出た日、だいたい私はブラリーマンである。電車に乗る前に、池袋駅周辺の公園で、一服してしばらくボケーっとしてから、ちょっとばかり気合いを入れて「さてと、帰るか」と電車に乗り込む。実家に親父とお袋がいた頃も、今も大差がない、と気づいて、何だか情けなくなる。ところが、その池袋周辺の公園では、公園そのものが工事中で喫煙所撤去だし、ボケーっとする場所もない。ここでも居場所がなくなった。
ゴミをポケットにねじ込んで、電車に乗ろうと池袋駅の改札を抜けたら、ゴミ箱に蓋がされていた。いや、全然関係ないよ、ビバリーヒルズなんて縁がないし、公園の喫煙所撤去とG20は関係ないよ。わかっちゃいるけど、ここでもかよ、と思って、つい笑ってしまった。もう、笑うっきゃない。今後はどの辺をさ迷うかなぁ。
ゴミ箱の口が塞がれてるのを見て笑う、なんて、変な奴だ。

それはそうと、ニュース三昧で思ったこと。

あぁ、そうかと思ったのは、トランプの「二国間交渉戦略」。これ、南沙諸島の件でフィリピンが国際司法に訴え、その判決を中国が無視した後の中国の交渉戦略。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM12H6C_S6A710C1MM8000/
南シナ海、中国の主権認めず 国際司法が初判断

ベトナム、フィリピン、台湾、マレーシア、ブルネイなどが中国と合同で協議して結論を出せば、中国に不利な結論が出るのは目に見えている。だから、「合同協議」を迂回して、すべて「二国間交渉」に持ち込んだ。二国間の交渉ならば、力関係で相手に自分の主張を通して、「多数決」で押し切られるのを防ぐことができる。中国の国力を考えたならば、どの相手に対しても思い通りの主張ができる、という判断だったんだろう。そして、今アメリカがやってるのは、まさしくその「二国間交渉戦略」かも知れない。

多国間交渉に持ち込むと、アメリカのエゴは通らない。エゴを通すためには、すべてを二国間に置き換える。なるほど、中国のやり方をパクったのか。と気づいた。(だからなんだ?)

イランの核保有を認めない。その一点には同意するけれども、だからと言って、アメリカやロシアが核を保有していていい、ということにはならない。アメリカやロシアにも核保有を認めない。それなら平等だろう。
アメリカが今は、あのトランプが大統領。そうなると、ロシアや中国がしっかりしてくれないと、世界が相当におかしなことになる。中国は、サウジアラビアにミサイルを売りたい?何をさせたいんだ?習近平氏はプーチン氏との会見では「国連を重視」する姿勢を見せた。そうして欲しい。国際司法も尊重して欲しい。

トランプが今中国に対してやってる手法は、かつて習近平が南沙諸島でやった手法じゃないかと思う。「二国間」で問題を解決するべきなのか、「多国間」にすべきなのか。

確かに、「多国間」なら良くて「二国間」は良くない、なんて法はない。ただ、二国間だと「力の論理」がまかり通る。10年前の中国は、「力の論理」で押されることに反対していたはずなのに。いつの間にか立場が変わったのか。

「核保有」の問題だって、本質的には「多国間」で考えるべきだと思う。日本のように「核の傘」にしがみつくのは、全く未来志向ではない、と思う。けど、変わらないだろうなぁ。

なんてことを考えていたって、1円にもならないのに。

今日こそ、僕は、サーバを復旧する。ただそれだけ考える、ことにする。できるかなぁ。