マグカップ

今僕が事務所で使っているマグカップ。

保温構造になっていて、蓋もできる。暖かいコーヒーや紅茶が冷めない、だけではなくて、冷たいものがずっと冷たい、それも思い出して夏場も活躍するようになった。

これ、大学の専任教員だった時に、確か3期生の謝恩会の二次会、だったかなぁ。確かビンゴの景品で当たったんだと思う。選んだのは確か、卒業後に行徳の病院に勤務したS君、だったかなぁ。あ、先生、それが当たったんですか?選んだの僕です、みたいに言ってたのは、確かS君だったと思う。記憶がかなり、不鮮明になってきた。
でも、このマグカップは、ずっと愛用していて、3期生のことを思い出す。一学年120名近くいて、レポートの採点は地獄だった。破茶滅茶な感じだった学生が、今やあちこちの病院で中堅だもんねぇ。学生を見た目で判断してはいけない、ってことかな。そう言えば、もう学校を辞めて5年目になるんだ。

で、蓋ができるマグカップを、蓋をして使うようになったのには訳があります。その理由は、法政大学で僕のコマを履修した大学院生達がよくご存知で・・・。学生によれば、F教授も同じことをやっちゃったそうで・・・
泣きますよねぇ。なぜ今、Macを新調せねばならんのじゃ、って。財布が悲鳴、どころか、悶絶・絶叫してる。そそっかしい自分が悪いんですけどね。だから、誰にも文句は言えない。


心のスイッチのON/OFFってのは、時差があるのかなと思う。最初に非常勤の教員として法政大学でオペレーティングシステム演習を(UNIXのカーネルを大学2年生に読ませる、という、かなり無茶な設定だったと、今は思うけれど、)担当した時は、もう必死の手探り状態で、学生を見る余裕なんて、全くなかった。非常勤だから、週一度しか顔を合わせない学生相手。ただ、大学で教えるということがどういうことなのか、少しずつ「体で覚えた」気がする。それでも、板につくまでには結構時間がかかったかもしれない。

そうして親父が死んで、是も非もない、親父が死ぬ数週間前に、専任教員の紹介の話は絶対に引き受けろと、言われた。それがあったから、無条件に専任教員になった。僕自身が医療機器の組み込みソフトウェアをやっていたし、大学も医用工学だったから、医療機器系の授業担当だった。

痛感したのは、やはり、非常勤講師と専任教員とでは、学生との距離感が全然違うということだった。専任教員になったばかりの、最初の1年、その大学での一期生から担当したけれども、僕自身のメンタルがまだ、「教員」になりきっていなかったのかもしれない。教師になりきれていた時期は、自分の仕事がTeaching Profession(教えることが仕事)として、ある意味で結局親父やお袋の血筋を引いたのか、教員になりきれていたから、学生は、男子学生も女子学生も、みんな、「自分が教えて、少なくとも教えた内容は習得させるべき相手」として認識できていた。

ところが、今にして思う。教員になりたての1年目、と、もうその職場で専任教員を続けることに限界を感じた最後の1年、僕は普通のオヤジだった気がする。
「オヤジ」の定義もよくわからんけれど、Nack 5のゴゴモンズの「オヤジいらんかえ?」のコーナーの、あの「オヤジ」です。(知らない人は是非、ラジコでもなんでも、Nack 5をどうぞ、お聞きになって下さい。)端的に言えば、こういうことだ。専任教員時代の最初の1年目と、最後の1年間は、女子学生が、「学生」(男も女もない、ただ単に、知識やスキルを伝えるべき相手)ではなくて、世間でいわゆる「ジョシダイセー」に見えていた、ということなんだろうか。僕は教員じゃなかった。内面は、単なる一匹のオスだった気がする。どちらも現実逃避だったんだろうな。人数が多いから、中にはド・ストライクだっているさ。

仕事に支障が出るから、念のために明言しておけば、非常勤講師程度の距離感なら、「教えること」に専念できるし、男も女もない(ある意味で、冷たいくらいに)突き放して、なんでこの程度のことがわからない、くらいの勢いでやってる。ブログはある意味で「ストレス解消」の場所だから、思う存分書きたいことを書いているし、本でもそこそこには、自分の書きたいスタイルでも書いている。ただ、実際の授業は、「普通じゃない比喩」は使うけれども、ほとんど冗談なんて言ってない。気にしているのは学生が国家試験に受かるだけの知識をつけているか、とか、お客さんの好き勝手な仕様要求に応えられるだけのスキルを身につけたか、だけで、案外聞いていてつまらない授業かも知れない。決まった時間内に、伝えるべき内容を全部伝えきるのに必死。冗談を言うのは簡単だけれども、伝えたい知識を冗談に食わせちゃったら、受けは良くても、Teaching Professionとしては失敗だもの。この辺の切り替えは、非常勤講師だったら、大丈夫。

やっぱりとは思っている。形ばかりの「教員」としての最後の一年の、残像を引きずってる。もう、大学を辞めて5年も経ってるのに。何が言いたいか?ここまで読みゃ、わかるでしょうが。現実逃避したい状況だったから(中略、後略)。両親のおかげで、何かとブレーキだけは効いていて結局(後略)。その両親の記憶が(後略)。
妄想ってのは便利で、一緒に地中海、アンダルシアのあの景色とか(中略、後略)。もし、男の子だったら(省略)。自分の子供どころか、もうジジイの年齢でしょうが。こうして、逃げてばかり。最後に辿り着くのは、30年前の愚痴。「あるべき姿」を考えるならば、きっと、国家権力に対して「得難い経験をさせていただいて、ありがとうございました。」と感謝すべきなんだろう。頭じゃわかってるけど(後略)。
100%の妄想ならば、話が楽だ。全てを切り捨てられる。それが、生半可、実現できるかも知れない「可能性」なんてものを考えてしまうから、妄想から抜け出せなくなる。どうやって、自分の脳ミソとか「意識」に、妄想が妄想でしかないことを知らしめるか、これが難題だ。

とりあえず、暑さのせいにしておく。仕事の勢いを取り戻すのに、どんな「ニンジン」を自分の目の前にぶら下げるか、なんだろうなぁ。

3期生の学生の、結構大勢の顔を思い出している。(直接会っても、もしかしたら名前が出てこない学生も多いと思う。けど、名簿があったなら、名簿から顔は出てくる。)マグカップをいつ入手したか、の記憶から、思い出すべきではない「思い」を、思い出してしまった。

本当にこればっかりは、10代半ばから、延々と、そして悶々と、40年以上続けている意味のない、僕の「落とし穴」で、一歩間違えると、俺なんて、生きていてもいいのって、そこに辿り着いてしまう。こうやって、こういう自分を客観視できた時点で、多少は進歩したと自分に言い聞かせておこう。