暴力

最近、電車内で見かけるポスター

昔だったら、「ぶたれたら、痛いよね?」「○×くんは、痛くてもいいの?」「だったら、ぶっちゃダメだよね。」なんて流れが成立したと思う。
今は、教師が手を出したら、下手すりゃ新聞に名前が出る。そもそも「ぶたれたら、痛いよね?」の部分が成立しない。いや、子供は大人の顔色を読むから、「観念的」にぶたれたら痛かろうと頭では理解していても、実際の痛みがどんなものかは知らない子どもに、この流れで指導をしなきゃならないんだろうなぁ。

いうことを聞かない子どもに、言葉だけで注意をしても、最近は結構子どもが教師の足元を見ているらしい。観念的に「手を出すな」で徹底するならば、そこから先、相手の立場に立って暴力に訴えないという「指導」は、限界があっても、教員には責任を負えないんじゃないか、という気がする。

その一方で、DVの家庭で育っている子供は、おそらく、シャレにならないくらい痛みに耐えている。
両極端。むしろ、「言葉によるいじめ」なんかの、心の痛みの側から導入する方がやりやすい時代になったんだろうか。小学校とか、中学校で教えている方々は、大変だ、と思う。

ただ、明らかにこのポスター、大人に訴えていますもんねぇ・・・
「あんた、情けないと思わないかい」ってな流れなんだろうか。今、1日に全国で平均2件だとして、でも多分、昔はもっと多かったような気がする。実際、足を踏んだ踏まれたで、いきなり手を出した人のすぐ側に乗り合わせたことがあるもの。昔の山手線。かなり混んでいて、僕の目の前の人がいきなり殴られていた。でも、当時の山手線、誰に足を踏まれたかなんか分からないくらい混んでた気がするが、「テメェ、足を踏みやがって」みたいな声が聞こえてからパンチが出るまで2秒もなかったように記憶している。

明らかに言えることは、暴力は問題の本質的な解決には繋がらない。
それが理解できない大人が少なくないのも事実だ、というのがやはり寂しい。

でも、例えて言えば、軍事力の行使は暴力の延長であり、軍事的な解決も問題の本質的な解決には繋がらないと自分は思う。負けた側に遺恨を残す場合もある。両方が傷ついてどちらが「戦勝国」か分からないような終わり方をする紛争や戦争も、歴史上少なくない、と理解している。それなのに、軍拡競争が止まらない流れに切り替わった。相手よりも優位な「防衛力」、というのがキーフレーズだろうか。
しつこいようだが、軍事力の行使は暴力の延長であり、軍事的な解決も問題の本質的な解決には繋がらないと自分は思う。(上の文章をコピペ。)
どうして、発想が切り替えられないんだろうか。大人がそういう発想なんだから、子どものいじめだってなくならない気がする。

じゃぁ、って言って、例えば、この記事の、この人
米独立記念日の軍事パレードでトランプが浪費する驚きの額
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/07/post-12465.php

「人をぶっちゃダメなんだよ」と子どもに言われたら、なんと答えるだろうか?
「ぶってもいいんだよ!」と答える?

トランプさんだと、「こうすれば、ぶたなくても済むよね。」と言って、子どもの顔面にピストルを突きつけそうな気がする。