ありのままの自分

今の僕は、チンドン屋モード。講演会の後の自問自答。
言葉が飽和状態で、思考の一貫性が保てていない。というより、ストーリーとか、起承転結が組めない。
その分、普段の10倍とか20倍、「キーフレーズ」の断片を流し込むかもしれない。

僕がこういうページを書くことを、極端に嫌がる人がいる。会社のページにこんなことを書くな、と。
仕方ないじゃん、プライベートの方を消しちゃったんだから。目先ありのままの自分、たぶん明日は朝からプログラマーで、適当な「蓋」だけしておくと思う。このページがトップにこないように。

本音を吐き出さないことで、病気になる人が増えている、ように自分は感じる。特に癌。
原発性の癌ができる部位によって、原因となる「思い」は違うようだけれども、現実を直視しせず、うわべを取り繕って癌が発生し、師匠に指摘されて、考え方を変えて癌が消えた勉強会の会員が、会に今日、初めて参加した人に経験を話された場に、居合わせた。グループに分かれての話合い。素直な方だから、まず大丈夫だろうな、と自分は感じた。
僕の個人的な理解。人間の体の全ての細胞は、「ヒト」のレベルとは異なる種類の「意識」を持っている。その意識は、自分の「使命」を全うしようとしている。胃は「外から受け入れたものを、受け入れられるように、消化する」ための意識を持っている。肝臓や腎臓は「体内に入り込んだ毒を、無毒化したり、外に排出する」ための意識を持っている。女性の生殖器は「命を育む」ための意識を持っている。肺は、心臓は、皮膚は(以下、省略。)例えば、その肉体を持っている私たち自身が、(毒=攻撃性のあるも)の、を、敢えて受け入れたり、自ら発していたりしたら、真逆な意識を持つ「肉体の主人」の意識に左右されて、細胞そのものの意識が影響されて、徐々に機能停止し、時には変質して、癌になる。癌が消える、ということは、癌にならなかった周囲の細胞たちが、「肉体の主人」の意識を受け取って、自分本来の働きを取り戻すことによる、のかなぁと、自分は理解している。「気」がどうこうじゃない、大切なのは、あくまでも、一人一人の「意識」なのだと、自分は理解している。

周囲を見渡して、決めつけの多い方は、難しい結果になった気がする。明らかに取り繕っていて、ありのままの自分を決して出そうとしない人も、会とは別に、やっぱりと思うことが随分あった。自分では意識できていなかった自分自身を、案外、周囲の人は見抜いている。それを指摘してあげることが親切な場合があるし、指摘されても受け入れようとしない方は、やはり難しい。
病気に関しては、飾りを捨てることが、とにかく大切な気がする。

と、同時に、やはり厄介なのは嘘。特に、他人を陥れる嘘。
国家規模で、教育内容に嘘を盛り込んでいるのは、もはや、洗脳とかマインドコントロールのような気がする。客観的な証拠?面倒くさいから、日本にはあるよ、とだけ言いたい。
表立って騒がないだけで、思いこみで、世界中で似たような騒ぎがあった。例えば日本の旭日旗は、太陽からの光が放射状に見える光のシンボルで、日本で現在でも海軍旗として使われている、と理解している。ところがその、放射光デザインが不快だと、ハーバード大学の歴史ある教室のステンドグラスのデザインにクレームをつけたどこかの国の学生がいたらしいし、パリのエトワール凱旋門の周囲の道路も、放射状。そもそも、都市デザインに、放射状の道路と環状道路を組み合わせるデザインは、都市計画として至極一般的なものだと思うのに、ちょっとでも放射状の要素があると、世界中にクレームをつけまくった国民がいたらしい。
私自身は、思う。そういう人たちがいてくれたから、世界に対して、その国がどういう国か、ものすごく説明しやすくなった気がする。あの人たちは、そういう国民性なのだという前提で、是非、考えて欲しいと思う。欲しいのは文句を言う口実だけ。やりたいことは、文句をつけることだけ。
話が逸れた。嘘は困る。嘘を、軍事政権が国民をマインドコントロールするための手段として利用した、ということを一切受け入れようとしない人たちは、とにかく困る。マインドコントロールから解かれた方達とならば、いくらでも日本軍が残虐だった側面を、実際の被害者から聞いた話を交えてできるけれども、嘘が先行したなら、こちらも事実に基づく話題を提供できないし、会話が噛み合わない。
思い出せる限り、個人として嫌いにはなれなくても、洗脳された状態の人たちとは、会話そのものが成り立たない。国連で「虚像」を描き切った人たちがいた。あれは、詐欺と同じ。
詐欺を働いた人たちが、どんな地獄に落ちるか。ふん、地獄なんてあるもんか、人間、死んじまったそれで終わりさ!そうお考えの方には、これ以上何も書けないから、黙ります。どうぞご自由に。でも、私には決して行きたくない世界だと感じる。どうせ、聞く耳を持たないだろうから、書きませんが。
(ちょっと待った、俺、以前、詐欺を働いた人が落ちる地獄のこと、書いたこと、あったっけか?なんか、あったかも・・・)
どっちにせよ、信じなければ、そこまで。ごめんなさい、僕は、中立では今いられない。日本人ですから。

神の実在。

造物主は、「人としてのあるべき姿」なんて、一切伝えてこられていない。造物主が、人類を導くために創造された(以下、敬称略)エホバ(アッラー)、モーゼ、ナザレのイエス、ゼウス、孔子、ゴーダマ・シッダルータ、アイザック・ニュートン(アルキメデス)、オルゴン、サマトリア、アケメーネといった方々が、人類に人として「あるべき姿」を、様々な形で伝えてこられた。ある意味で、間接的に創造主の意思を伝えてこられたのだろうか、と理解している。それらの方々が伝えてこられた指針に基づいて、僕ら自身が「自分たちのあるべき姿」を模索するしかない、と言うことなんだろうと思う。
ところが、多くの場合、それらの方々が直接発せられた言葉を、直接理解することなく、それらの方々よりも霊格が劣る方々が後継として、ご自身の解釈を混じえて「これこそが創造主の思いだ」として伝えてしまわれたために、宗教に関しての途轍もない混乱が生じている、と理解している。仏教も、ヒンドゥー教も、イスラム教も、キリスト教も、ラマ教も、儒教も、どれも神の思いを伝えた同じものだ、なんて、一体誰が信じるか、ということだろうか。だからと言って、造物主の実在を否定する根拠になり得るだろうか、ということだけは、主張したい。
だいたい、チンドン屋が情けないから、師匠のこの辺の話題を発信できていない。それは僕の力量不足。

これは、僕個人の勝手な理解。例えば、生物の「擬態」で、外から見たら、大きな目玉に見えるとか、大きな魚に見えるとか、生物の世界ではそんなことは、結構な頻度であるけれども、それが蝶だとか蛾だとか、鳥だとか、魚だとかして、「外から見える姿」を誰が、個々の個体に伝えているの?ってな疑問がある。人間のマスゲームと同じ。遠くから見ていたら、こういう風に見える、と言うことを、「外」からの指令なしに、自分たちの勝手な行動の結果として、できるの?って言う疑問がずっとあった。

九次元の方々(僕の参加する勉強会で言う、前述したエホバ、以下、10体の方々)は、簡単な生物なら創造できたよ、と聞かされたことがあった。それらの生命体に、魂の核を入れられたのがどなたかなのは知らない。ただ、生命体の創造だけならば、孔子も、イエスも、釈迦も、どなたも可能だったと自分は理解している。その上で、ヒトが集団としてあるべき姿ってのは、個々の生命体を創造された造物主は無論のこと、イエスやらアッラーやら、釈迦やらが本来イメージされていた姿に近寄っているのか。多分、マスゲームにはなっていない。バラバラすぎて。と言うのは、たぶん、誰も「人類全体」なんてことは考えていない。自分さえ良ければ、と言うことなんだろうか。

この「自分さえ良ければ」も、師匠の講演会に10年もいると、別の解釈があった。ざっくりといえば、どれほど、周囲の人間が「物欲、とか、肉欲」とかに流されたとしても、自分だけは、それらに流されるな、何があっても自分の心だけは汚すな、と。どんなことがあっても、自分の心だけは汚さない。それが、ナザレのイエスが説かれた「愛」のその先、「究極の愛」だったんじゃないの?と、僕は理解した、(ここ、ちょっと、間違ってるかもしれない。内容ではなくて、誰が説かれたか、ってところで、まだ聞き返していない過去の講演会CDがある。)誰かを愛する、その「愛」って何?性欲?支配欲?ただただ捧げたい欲?(僕はこれに近い。拒絶されたら、後がないけど。)いい子いい子して、抱きしめたい欲?そうじゃないでしょ?ってな話だったかな。
愛を転嫁しない。自分の心を汚さない、と言う行為を転嫁して、他人を大切にする行為を「愛」だと錯覚する。それは違うよ、と言うことかなと、僕は理解した。他人を大切にする、それは、創造主の思いに沿った行為だと、僕は理解した。自分と他人との違いを尊重する。自分と全く違う他人がいて当然。その他人の存在を尊重する。それは尊い行為で、創造主(=イエス様などすらを創造された方)の思いに沿う、と理解していて、たぶん、そこまでは間違っていない。けれども、「押し売り」したなら、それは相手を慮ったことにならない。僕自身に照らしていえば、僕の場合には、自分が愛していたと思う心自体が、相手に対する「支配欲」につながっていた気がする。そうじゃないよね、相手だって、自由な人間なのだから。

我々にできることは、今、存在していることへの感謝、だけなのだろうと、今自分は考えている。
創造されたから、今存在している。今、存在しているから、今後も(肉体を抜けた後も、意識体として)存在し続けられる。経験を積み、自分とは異なるヒトの意識を理解し、取り込んで、これまでの自分とは異なる生き方を自分の一部として取り込めたなら、そこで意識体としての進化を遂げることができる。だからこそ、少しでも自分とは異なる他人と接し、自分とは異なる他人を受け入れことが大切になる。

横浜市の、カジノ受け入れも、今日の講演会で話題になったな。と思った。
カジノだけじゃない、ギャンブル関係は、過去の講演会で何度となく話題になったけど。
腹立たしいことに(すみません、下俗な人間です)師匠は、ロト6とかで必要な分だけ当選金を稼いでいるみたいなのに、(それ以前の師匠の悪事をバラすならば、日銀の倉庫から札束をいくつか瞬間移動させ、(中略)、バレないように、ってか、日銀の責任者迷惑が及ばないように、完全に元に戻して、急場をしのいだことがあった、みたいで)とにかく、この世界で何かしようと思ったら、「金」は必要な時は、必要。(僕らみたいな、金を稼ぐ能力のない人間が、会員に多数いるから。)それができたから、「この壺を20万円で買いなさい」とか、「この仏壇を50万円で買いなさい」とか、僕らもやられずに済んだんだろうなぁ。どっちが当たり前なのか、最近、訳が分からなくなった。とにかく僕は、金を出せ、って言われたら、この勉強会をやめてた。

その師匠がおっしゃった。「カジノ、って、なんでダメなの?あれ、100億円くらいは横浜に落ちるでしょ?今現在、横浜市って赤字財政でしょ?」とおっしゃってた。(僕は知らん。)ギャンブル依存症?それは、本人の問題。自ら、自分を律することを学べ、と、とにかく師匠はそれを伝えたいのかもしれない。目先、目の前に「金のなる木」があろうが、なんだろうが、そんなことには、一切心を左右されずに、黙々と自分のやるべきことをやる。
金のために人を殺す。亭主が金に身を持ち崩したから、女房が身体を売る。全ては、自分たちの判断。むしろ、一人一人が、少しでも多く、「意識体」として、自分を汚さないように心を鍛える環境は、大切だよ、と、そう言うことなんだろうな、と僕は理解した。だいたい、パチンコだって、競馬だって、なんだって、家を手放すくらいまで「自制心のない結果」を招いた人々なんて、いくらだっている。「自分たちは、これでいいのか!?」って、パチンコやら競馬、競輪、競艇などのあらゆる公営ギャンブルに加えて、ロト6、ジャンボ宝くじに至る、全てを容認している国家への文句なのか、それとも、すべての日本人に対する、「自制心を忘れるんじゃないよ」と言うメッセージなのか。

そろそろ、僕自身が限界。書き続ける、意識を保っていられない。(シラフだと、ブレーキが壊せない。飲みすぎると、言葉を構築し続けることが困難になる。)
ただ、これだけは。ヒトとして、ヒトらしく生きるってことは、どういうことなのか。師匠は、例題やヒントは出されても「答え」なんてい一度として提示されていない。考えるのは、僕らすべて。創造主は、「言われたままに動く人間」なんて、一切求めていらっしゃらない。「自発的に、自分の意思で動く」のに、「他人との調和を図り、誰かの迷惑になることはしない」ことを求めていらっしゃると思う。(アバウト過ぎます。わかってます。ごめんなさい、もう、眠くて。)
勉強会の会員である僕らは、会員でない人たちに、一切何も求めない。僕は、個人の判断で、(これまでお行きがかり的に、チンドン屋に徹して、書いているけど、わざわざ、僕のページに来てくださったのなら、是非、考えてみてください。)こうして書いている。指示された訳じゃないし、会員になれなんて、一言も誰にも求めない。(こんな、窮屈な会には誘いたくない。創造主も、神も、信じなくていいから、嘘をついたり、誰か(の心も、肉体も)を、傷つけるのはやめてね、ってことだけか。

いわゆる、宗教的世界観からの乖離が激しくて、もう無理。創造主は、存在します。全部ご存知。っていうのは、僕ら自身が、創造主の肉体の一部だから。感じられないのは、あんたらの責任。金儲けしか考えてなかったでしょ、っていう流れか。
ただ、細か過ぎることに、いちいち干渉するには、ご自身の意識体が大き過ぎるから、トランスポンダとか、トランプみたいな、「代表」となサンプルの採取が必要で、それで、今現在の地球系人類が救う価値があるか、ないかを判断しする、んでしょうかね。