ご自由に

面倒臭いと思うことがある。
いや、コンピュータ相手だったら全然面倒ではない、というか、とりあえず「筋が通って」いるから、粘る甲斐があるのだけれども。

> 吹けば飛ぶような会社
意味ですが、一吹き、ふっと吹いてあげると空に舞い上がるように、ちょっとだけ背中を押してあげれば、どんどんと空に舞い上がって急上昇するような、素晴らしい会社の意味です。
本当か、嘘かは、読み手の皆様のご判断にお任せいたします。

つまり
> 吹かなくても飛んでる会社
とは、背中を押されるまでもなく、自力でどんどんと空に舞い上がるような、素晴らしい会社のことです。
しつこいようですが、本当か、嘘かは、読み手の皆様のご判断にお任せいたします。

勝手に勘違いしている人に「いや、こういう意味でしょ?」と力説しても、聞く耳を持ってもらえないと、途中で馬鹿らしくなって「どうぞ、ご自由に」と、諦めてしまう。
それが何度も重なると、もう、その人には会話を切り出せなくなる。
どうでもいいけど。っていうのは、そういう人とは、必要最小限以上の接点は持ちたくないし、持たなくなる。

なんだかなぁ、日本人の知らない歴史を、誰もが「常識」としている地域もあるみたいだし。
それを、A新聞社が受け売りで社説とか書くと、某NYT紙とかがそのまま社説に引用して、20万人の慰安婦の存在がアメリカに報道され、さらにそれを全世界のメディアが引用する。本当ならば、日本大使館なんかには、その都度、根拠を示してクレームをつけてもらいたいんだけれども、日本大使館も、税金を使ってるくせに、もう、面倒臭いらしくて、何も騒がない。この間、かろうじて、オーストリアの新聞の社説に、大使館が「投書欄」経由で抗議したらしい。(確か、オーストリアだったと思う。)何もしないよりは良かったんだろうけれども、今まで「どうぞ、ご自由に」で来た日本政府が、方針転換だろうか。

段落を一つ加筆:(この段落)
婉曲的に書いていると、通じないかも知れないので。
アメリカ在住の日本人。同じコミュニティに韓国人がいて、それなりにお付き合いしていたところが、突然「慰安婦像」が登場した。主張はご存知の通り。日本軍がトラックでやってきて、大勢強制連行したという「後方撹乱の情報操作/流言飛語」そのままの主張で、結果としてコミュニティでも学校でも、日本人の子どもたちが、あるいは日本人が非難されるようになった、というニュースがあった。それに対して、日本政府は何も対応してくれない、というコメントも読んだ。どこまでが事実かはわからないけれども、日本に住んでいる我々自身が不快に感じている以上に、海外のそうしたコミュニティに住んでいる日本人にとっては切実な問題だろうと思う。
日本の在外公館は、議員団の海外視察のアテンドなどには本気で動くものの、こうした「名誉毀損」に対しても、あるいは、バックパッカーの盗難被害などに際しても、殊の外冷淡に扱うと、20年前は聞いていた。今は知らないが、変わっていないのならば、今後はきちんと対応して欲しいと切に願う。
以上、加筆終わり。(話題がつながらなくなっている、とは思うが。)

どれだけ自分が正しいと思っていても、今時はgoogleもあるし、一応は調べてみて、相手の言い分にも耳を傾けることは、大切なことなんじゃないかな、と思う。両方向で。
もう、年寄りはどうしようもないと思うこともあるけれども。

一応、今でもまだ、パートタイムで教員を続けてるんだよなぁ。
若い人たちにも、ネットを効率的に使って、時には「調べる」ということも行なって、一応は日本人どうしとして会話が成り立つようには、なって欲しいな、なんてことを思うことも、時にはある。(そう感じることが、そんなに、いつでも、っていう程ではないけれども。)

反面教師、っていうこともあるのかなぁ。日本で「正しい」とされていることが、本当に相手側から見て正しいのか、反論する時は「相手の根拠」を十分に検証する習慣が大切、っていうことは思う。特に、今の若い世代の方達。もう、世界中の誰と、どんな形で接点を持つかわからない。使える情報ソースは全部使って、少しでも客観性の高い事実と根拠に基づき、どこかに「感情的になって煽っている要素」があるならば、年寄りの主張は割り引いて考えて、自分たちの社会の年寄りよりも、これから付き合う同世代の海外の人との相互理解を、優先して欲しいと願う。

若い人たちならば、なぜやりやすいか。理由は簡単で、「責任世代」じゃないから。年寄り世代には、「感情的な扇動」を行なった人たちが少なくない。それは、右も左も同じ。その「責任」が残っているはずだから、自分の責任を回避しようと思うと、相手の主張が正しいと理解できても、自分の主張を一切曲げようとしない。年寄りにはそういう傾向があると思う。けれども、若い人たちは、「過去についての責任」が一切ない分、柔軟に両方の立場を理解しやすいと思う。

その若い方達に、なんというか、「この程度は知っておいてよ」という表現が通じないと、がっかり来たりする。
年寄りは年寄りで、もうちょっと柔軟ならいいのに、と思うことが多々あるし、若い人たちは若い人たちで、もうちょっと、社会のこと、一般常識(確かに、疑うべき常識も多いけれど)とか、知っておいて欲しい、とか思うこともあるし。

その挙句、人間相手には主張することが面倒臭くなって、「どうぞ、ご自由に」となりがちなのは、やっぱり、ジジイになった証明なのかなぁ。

コンピュータ相手なら、「面倒」なのが仕事だし、気にならないんだけれどなぁ。