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まとまった内容を書ける頭じゃない。テキトーかつ、思いつくまま。

【罹災】
定年まで、地道に会社の仕事を勤め上げました。
ようやっと年金で、落ち着いて暮らせると思ったら、家が壊れちゃった、修復するのに金がない、もう人生おしまいだ。
そういう考え方もできるし、共感しようと思ったらできない訳じゃない、けれども、それは違うよと言いたい。

みんな、生まれてから死ぬまでだけが「人生」だと思ってる。そうじゃない。「誕生」と「死」は、永遠に続くことのできる「意識体」が、予め相談していた母親の受精卵に入り込むプロセスを経て、肉体を持っている世界で活動を開始し、様々な状況で肉体にそれ以上留まれなくなったら、肉体から抜ける、という、その二つのプロセスを、「肉体を持っている間」だけを認知しているから、そこに「始まり」と「終わり」を見出しているだけ、に過ぎない、と理解している。
客観的な証拠を提示できないから、強弁はできないけれども、(少なくない比率で、装っている方もいらっしゃるみたいだけれど、)現実に、純粋に「意識体」として存在している意識を、感じて、肉体だけが人間じゃないと感じていらっしゃる方も、世の中には少なくないと僕は感じる。

何のために「肉体を持つ」なんていう、ある意味でかなり不自由な条件での生活をしなければならないのか。目的は一つで、意識体としては全く異なるレベルで、普通だったら接点を持ち得ない、あらゆるレベルの人と「同じ人間」として接し、経験を積んで「意識体」としてのエネルギーレベルを上げて、進化を重ねること、だと、私は理解している。なぜ、そんな面倒臭いプロセスを課されているのか。これは僕の理解に過ぎないけれど、創造主ご自身は、我々すべての存在をご自身の肉体の一部、言ってみれば体細胞として持たれていて、感じとってもいられる。僕らが何故か自分の遺伝子を引き継ぐ子供を欲しがり、その子供の成長を自分と対比しながら見つめるように、ご自身の肉体である我々を見ていらっしゃる。
例えば、創造主が、(例が適切かどうかは自身がないけれども、)健全であるためには、普通に20kmを1日で歩けるようなご自身でありたいと感じられたなら、僕らが一日20kmを歩こうとするように、歩かれるかと思う。当然、その過程で、創造主の体細胞である僕らは、負荷を与えられて、時には痛みを猛烈に主張しながら、それでもその状況に適応しようとする。表現しきれない、端的に言ってしまえば、アスリートの筋肉細胞が悲鳴をあげつつも、鍛えられていつの間にか「この程度の負荷は、全然苦ではない」と感じるようになって、以前は「拷問」に思えた苦痛が、何も感じないほどに、「細胞」として成長を遂げる、そのプロセスを我々に課しているのか、と、私は理解している。意識体がスケールアップするためには、自分とは異なるレベルの意識と接し、どれ程上の方でも、どれ程下の方でも、相手を理解した上で自分のあるべき姿を模索して、適応して調整する能力を身につけるために、こうして「肉体」を持たされているのかな、と、自分は理解している。

細胞によっては、適応しきれずに、そのまま「再生」できない状況に陥るのかも知れない。一方で、周囲と連携しながら、とてつもない力を発揮できるように成長する細胞群もある。

運動経験のない方には通じにくいかも知れないけれども、自分が「楽だ」と思える生活をしていると、肉体がどんどんと衰える。それまで普通に歩けた距離を、苦痛に感じるようになったりする。逆に、少しずつ「大変だ」と思えるような距離を、走ったり歩いたりしていれば、これまで「大変だ」と思えた距離が、苦でもなくなる。この一回のウォーキングと同じことを、僕らは肉体を持つ都度、繰り返していると理解する。

新しいことを何もしませんでした、でも、楽でした、生活に困らないお金は十分あります、後は何を楽しんで生きようかな。
これは、自分ではウォーキングしているつもりでも、距離が短いか、平坦な道か、実はあまり意味がなかった人生かな、と私は理解する。
「こんな大変なことが起きてしまった、」それは、解決するべき課題、であって、肉体的な「楽」に固執したら難しくても、いつかは肉体を抜ける「自分自身」がどうあるべきかを考えたなら、たぶん、「ローンが残ってる家を、もう仕事をする年齢でもないのに、壊されて、住む家がない」としても、最適な答えは転がっている気がする。強制的に一ランク上に上がるための「課題」をつきつけられ、その課題をクリアできたなら、普通の言葉で言えば死んだ後、僕の理解で言えば「肉体を抜けた後」、きっとスケールアップして、それまでよりパワフルな自分を実感できるに違いない、とも思う。それを何百回、何千回繰り返せば、(無論、数千万年が必要だろうけれど、)それこそ、誰かと接していて、何を言われようが動じないどころか、瞬間的に切り返せる程度の(ここは、剣道か?)能力が身につくかも知れない。

全ては経験。その経験は、肉体が滅びても次に引き継げる。そこだけは、どうか理解して欲しいと願ってやまない。

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後三つは、書きたいと思った。何を言いたいか、言葉もまとまった。残り三つ。
だけど、時間との戦い、です。僕は僕の仕事がある。これで打ち切る。続きはまたいつか。

最後っ屁みたいに書くなら、今回の千葉の災害。情報収拾が全然出来てなかった。工夫がいくつも必要でしょうね。これは、全国的な課題。千葉県だけじゃない、埼玉も、日本国にも共通すると思う。昔だったら、「狼煙」なんかだって、あったんだから。今時だったら、「車を動かせる場所」の誰かが、「現地に入る」なんていうレベルまで規定してでも、何があっても情報取集できる仕組みを考えるべきだ。「のろし」レベルまで含めたなら、10通りくらいは案は出せると思う。
でも、眠いし、明日があるので、終わり。(ブログのトップページに被せるネタを、先出ししちゃった。)