持ち家?

今日は、のっけから。敢えて、挑発的な文章を書くと思う。

予想以上に、台風19号の被害が大きかったようで、我が町でも槻川沿いの遊歩道が抉られたらしい。あちこちで、土砂の流入があったとも聞いた。困難な状況だと思う。

自宅に住めなくなった方は、避難所での居住ということになるんだろうか。家財道具が泥をかぶった方々も、多いと聞いていた。資産、財産の多くを失われた方々が、今回の災害でも多数出た。

日本の場合には、自然災害。ただ、海外では戦争で生活の基盤を奪われて、結果的に資産も財産も奪われて、帰る場所のない方々が多数いる。(74年前前後、日本でも経験したはず。)戦争と違って、避難所では命の危険は少ない。リスク自体が既に去っているから、戦争による避難民とは状況はかなり良いのだろうとも思う。ただ、共通しているのは、個人で築き上げた財産も生活の基盤も失って、帰ることのできる場所がなくなった、という点だろうか。

この年齢になると、ぼんやりと思う。親父から相続した家が頑丈だから、居住環境には私は恵まれているけれども、今の延長だと、いずれ仕事が出来なくなった時に、年金では固定資産税を払いきれずに、家などを手放してどこかの貸家に入る、ということになるかも知れない。それは悲しいことだろうか、と想像してみた時、案外セイセイしている自分がいるような気もした。
例えば、資産に恵まれて豪邸に住み、有り余るお金で調度品も家財も一流の品が揃っていた、としても、目が衰えて見ることができなくなり、筋力が衰えて自力では触れることすらできなくなった時に、自分はどう感じるだろうか、とも想像してみた。そうした「恵まれた環境」に、心が満たされているだろうか。逆に、そうした「恵まれた環境」にこだわればこだわる程、情けなさで一杯になるような気がしている。

日本では、「持ち家」というのは、ある種の「人生の目標」でもあったかも知れない。けれども、貸家という「シェア」の物件であっても、肉体を抜ける時には、むしろ面倒もなく、気軽にこの地を去れるような気もしてならない。
だとしたら、避難生活とか、難民生活というのは、果たして絶対的な不幸なんだろうか、という疑問も湧いてくる。

青年海外協力隊でパプアニューギニアに赴任して、一旦州政府から支給された住居に落ち着き、赴任して2ヶ月頃に「隊員総会、兼、健康診断、兼、懇親会」でもって、国内移動の飛行機に乗った。その時に、預け入れ荷物から、ごっそりと持ち物を抜かれた。(聞いた話では、アメリカなんかでも結構あったらしいから、決してパプアニューギニアを馬鹿にしていることにはならない、とは思う。アメリカ並み、ってのは悪口ではないと、僕は理解している。)
その時、まず猛烈な不快感に襲われた。腹も立った。ところが、しばらく生活しているうちに、持ち物なんか、どうでもいいんじゃないか、という感覚に陥ってきた。なんの魔法だったんだろうか。
今、今現在の記憶と知識にかぶせて思い出している当時の気持ちと、当時実際に感じていた気持ちは、違うかも知れないけれども、今にして思う。最も大切だったことは、その時に、僕がその場にいたこと、だったんじゃないか、あるいは、僕が何をしたか、だったんじゃないか、ということだった。

無論、持ち家じゃない。間借りである。荷物。僕は、相当に荷物が多い方だった。特に、かなり金はかかったけれども、本はかなりの数をアナカン(Unaccompanied Luggage;別送手荷物)で送った。それでも、家財道具は全て「レンタル」(州政府の貸与;家への備え付け)だった。それでは、その生活が不自由だったかと言えば、何もそんなことはなかった。
結局、自分が何を持っているか、なんてことは、最低限仕事に必要なもの以外は、全然大切ではない、ということなんだと、気付かせてもらえたのかも知れない。それで、なんだか生き方そのものが「気楽」になりすぎてしまって、それまでは、生まれてこの方ずっと拘っていたものが、一つきれいに消えた。荷物を盗んでくれて、ありがとう、ということになる。

今時は、本がなくたって、ネットに繋がれば、かなり活字は読める。知識も仕入れられる。これだけでも、相当に持ち物が減る。
仕事は、Mac一台、場合によっては、Windowsパソコンが一台あれば、どこでも仕事ができる。

今、「シェアオフィス」というのがあって、僕らのような零細はかなり安く、机一つだけで仕事は続けられる。家も、家財道具も、シェアであったとしても、どこに不自由さがあるのか、ニューギニアでの一件以来、自分の中でボヤけてきた。大切なことは、どこにいて、何をするか、それだけ。

食材。僕自身は(同居人は知らん)乾燥食材が中心で生きていけるから、あとは、生野菜とかを適当に栽培するか買うかするだけ。夏場は、冷蔵庫も欲しいけど、井戸水程度の「冷たさ」でも十分な気がするし。
ふとん。とりあえず、畳一畳の広さがあれば、なんとでもなる。
プライバシー。これについては、僕はこれまでも、猛烈な勢いで噛み付いてきた(本当に、誰かを呪いたくなるくらい、根こそぎ、ってな経験談を、もう何度もしつこく書いてきた)話題があるけれども、お陰様で、最近は特に何かを隠そうという気には、全くならない。わからんもんはわからんし、知らんもんは知らん。できないもんはできない。できないもんも隠さんけど、できることも隠さん。

恥ずかしいこと?まぁ、してるけど、それは書かない。(悪いことじゃないはず。)見苦しいから隠してるだけ。だから敢えて言えば、飯を食えば当然出るもんは出るし、あれやら、これやら、それらは、敢えて人目に晒すこともないけれど、寝姿だって、なんだって、誰もがやってることをなぜ恥ずかしく思う必要があるの、なんてことは考える。いや、エチケットという概念は大切。ただ、環境や状況に応じて、「当たり前のことなんだ」というその「当たり前のこと」を必要以上に、恥ずかしがったりする、そういう部分ってのは、考え方を変えた方が、生きるのが楽になる気もする。
人間なんて、「生物としての生き方」については、解剖学的構造と同じく、おそらく世界中で、かなり同じ部分があるし、むしろ、自分だけが特別だから、なんていう感覚は捨てた方がいいような気がしてならない。

確かに、「私」にとって、「私」は「特別」である。他人ではないから。私は他人ではないし、他人は私ではない。その区別において「特別」という意識は、人間存在の根幹に関わるかも知れない。でも、その「特別」は、「私」という人間の生き様とか、どこにいて、何をするか、にだけに関わるものであって、誰もが人間として同じ「生き物」なら、恥ずかしがる必要がない物事は、相当に多い気がする。
(念のために書けば、エチケットが不要だとは、言っていません。環境や状況に応じて、考え方や、感じ方を、少し見直してみたら、と言いたいだけ。)

自然災害で、戦争で、自分の家、土地、財産を奪われた。それは確かに、間違いなく悲惨な経験だと思う。ですけどね、いずれ年老いた時に、必ず手離さざるを得なくなる時が来る。それらの価値を愛でることができなくなる時が来る。それが今来た。でも生きてる。だったら、生きてることの方を優先したっていいかも知れないと、僕は思う。

馬鹿だなぁと思うのは、「経済」というか、喧嘩腰で書くなら「金儲け」だけを考えている人たち。原子力発電所の建設で、「想定外のことは起きない」なんて主張がまかり通る。その一方で、裁判では「あの津波は想定できなかった」ということになった。(事前に、津波の可能性を指摘されていたらしいのに。)「想定外のことが起きない」ならば、「起きてしまったことは、全て想定内だった」ってことになりませんかね?どっちも、行政、司法の主張。
加えて言えば、活断層の上に原子力発電所が作られた。それを主張する、とある学者先生(というか、僕が行き付けだった飲み屋の常連さんだけど)が、日本の某国営放送の取材を受けて、根拠を提示して原発が活断層の上にあることを(たぶん、学者生命を賭けて)主張し、きちんと取材されたのに、直後に原発推進派からイチャモンがついて、挙句に、「原発が活断層の上にある」くだりは、全く放送されなかった。以来、その先生は、某国営放送からの取材を、一切拒否しているそうな。

僕らが知るべきは、政治とか政府というのは、そういう存在だ、ということかも知れない。
自分の身を守るためには、疑ってかかる必要がある。彼らのいう「安心」がどの程度安心なのか、実際に経験して、体験してから考える、か、もしくは、自分以外の方々の苦悩に想像力を馳せて、自分の身に何が起きるかを想定し、その上でなおかつ、自分の人生を納得して生き抜く方策を模索することが大切なんじゃないか、という気がする。(この段落あたりが、このやたらと長いページの本論。)

ここから先は、私の尊敬する師匠が、私などには想像もつかない知覚を駆使して、講演を組み立てられて、その内容を私なりに必死に理解し、可能な限り「正確」に伝えたい内容を書く。そういう話題だから、そういうのが嫌いな人は、ここで読むのをやめてください。読んでから文句を言われたって、そんな、読んでるあんたの好みにまで、私には責任を負えない。

200年というスパン、正確には、180年±数年の範囲で、大陸が一つ沈み、新しい大陸が一つ浮上し、その際に国家が一つ消滅する、と、私は想定している。その際には、埼玉県で言えば、川越市の辺りまで津波が到達する。太平洋側で川越市に到達する津波、が、日本各地でどの程度のレベルになるか、あるいは、日本よりも距離が近いハワイや欧州で、どの程度になるか、逆算で、計算はできると思う。その頃まで、この文章が残っていれば、だけれども。大丈夫。今を生きている読者の皆さんは、書いてる私を含めて、誰もその時には「今の私たち」ではいないから。中には、気の早い人が、「次の自分」でその場にいるかも知れないけれども、「今の自分」との接点を脳に持ち込める方なんて、おそらく皆無だから、「自分自身」であっても、「他人」扱いしていいんじゃなかろうか。
さらに、800年というスパンならば、数十の国家が、というよりも、現在数十の国家が存在している「陸地」が海に呑まれる。土地の所有者が土地と一緒に海に呑まれたならば、むしろ話は簡単かも知れない。運良くなのか、運悪くなのか、土地が消失した際に、その土地の所有者が生き延びてしまったなら、その方はどうなるんだろう。避難民になる、以外に、生き延びていく方策はないだろうなぁ。

悲観する必要があるの?

思うに、中国民族、現在の中華人民共和国の、漢民族も含めた多くの方々は、その文化的な遺伝子の記憶に、今回の過去4000年の歴史の教訓を刻んでいる気がする。
「私有財産」を持とうとしても、捨てざるを得ない、故郷の土地すらも捨てざるを得ない、そうした歴史の繰り返しがあった。今のシリアみたいなものかも知れない。多くの人が、「私有」に憧れつつ、その根底で、共有とか、生活共同体の中での「生活資材の共有」による安心感にも憧れた。共産主義が中国によって大々的に取り入れられたのは、そうした歴史的な記憶によるものではないか、と私は思う。たぶん、だけれども、2回くらいは僕も中国で経験をさせて頂いている。土地も、家も、誰のものでもなく、あ、今困っているならこの家にどうぞ、畑を耕すなら、あの区画を使ってください、そうした自然で緩やかな共有意識が、当然のようにあって、それがあったからこそ、多くの人々が力強く生き延びた。歴史的、遺伝的な、民族の記憶なのかも知れない。その流れだけならば、「共産主義」は非常に優れた「社会システム」になり得たんだろうと思う。ところが、実態としては、習近平国家主席が「腐敗撲滅」に腐心しているように、地方幹部の汚職が国家の根幹を揺るがしかねない事態に陥っている。
私見だけれども、それは「共産主義思想」の誤りじゃない。「共産主義」を具体化する、システムの、制度設計の誤りであり、性善説的な発想の誤りでもあり、器の小さいものが出世すればすぐに個人の欲得で、制度の名を借りて奪って自分のものにしようとする、その部分の見誤りだと思う。
地球系の全人類の6割、霊体の数にしてざっと300億体は、まだ未熟な意識体で、「集団の利益」を考えることができない魂だと、僕は理解している。トランプを見たらすぐにわかる。今肉体を持っている「ヒト」の数にして、40億体くらいは、「社会性」が貧困だと僕は感じている。(文化的な歴史によって、偏在しているとは思う。比率の低い社会でどうなるか、それは、地震や大災害の際のどこかの国の国民性を見ていたら、多少は参考になる気がする。略奪が起きない。そういう国は、築こうとしなかったらできない。)中国の場合、現実にはそうした未熟な方々が、地方組織の長として汚職や腐敗構造による国家予算の漏出を引き起こしている。それを防ごうとした場合、地方組織の絶対的な権力を奪う以外に方策が見当たらない。原子力発電をやめない限り、原子力からの安全がないのと、同じ構造だと、(私には全く同じ構造に感じる)私は考える。その「共産党」であることの絶対的な権力を奪う結果が、最終的に何を引き起こすかは、言及しない。つまり、地方組織の腐敗や汚職を看過し続けるか、もしくは、という状況にあると思う。

今、中国で進んでいると思えるのは、例えば「自転車のシェア」だと思う。自転車を私有することなく、必要な時に使える。この「ビジネスモデル」は、自然災害に対しても、戦争のような人為的な悲劇に対しても、かなり有効な施策であるようにも、私は感じる。積極的に「私有」ではなく「共有」する。昨今急速に普及しているインターネットの「WEB文化」における「知識の共有」もそうだと思うけれども、実社会で、今はたった「自転車」だけかも知れないけれども、シェアすることによって、リスクも分散し、「機能」を利用することを必要最小限のコスト負担で実現する、優れたシステムの実装のように、僕には思える。

日本のレンタルオフィスも、そんな気がする。「シェアハウス」も、かなり優れたアイディアのように感じる。

いくつか段落を戻して、時間の問題で、「ここは、我が国の土地」ということを、その国の国民が言えない時代が来ると思う。例えばシリア。どういう理由で、シリアの方々が母国を捨てようとしたのかは、当事者じゃないのでわからないけれども、余程危険な国になったんだろうな、とは思う。誰がそうしたのかは知らないけど。その程度なら、戻ろうとしたら戻れるはず。ところが、国土が海に沈んでしまったら、「ここが我が国」がなくなる。今後1000年スパンでは、それが全世界で起きる。そうなった時に、例えばクルド民族は「国家を持たない民族」だと言われているけれども、「日本列島が存在しないけれども日本人」だったり、そうしたケースは、数多く出てくる。
ぶっちゃけ、それを経験したことある人は、少なくないでしょう?と、言いたいんだけれども。例えば、今すぐに日本列島が沈んだら、歌舞伎の舞台の構造だの、日本刀の鍛錬の方法だの、日本にまつわる全てが、「地球史」からは消えてしまう。そうやって、消えてしまった文明のことを、今の僕らは知らない。同じように、今の僕らが忘れ去れれる事態が、間違いなく起きるんだと、そういう考え方はできないものだろうか。
そんなこと、起きっこないさと、言いたい訳ね。「想定外の事態は起きない。」とか、「原発の下には活断層があるはずがない」と、そう言いたい訳ね。別に、どうでもいいけど。

思い出せる訳ないよなぁ。一切の我欲がないくらい心が澄んでいないと、そんな自分自身の魂の記憶すら、辿れない、らしい。僕はもう、我欲に肉欲、色欲でいっぱいだから、師匠の講演会を引用して書いてるだけ。自分自身で掴み切れていない話題を書いた時にどうなるか。とりあえず、落ちるところまで落ちて、今後数千年は出てくれないとか、そうなるのかも。どーでもいいし。

土地とか、建物とか、そういうのは「不動産」(real estate)とか称して、動くことも、消えることもない資産だと、誰もが考えていますよね?無論、国土も。本当にそうかな、と僕は言いたい。絶対に地形が変わらない、という理解は、正しいの?知らんけど。

ここに来て、かなり文章が荒れてるでしょ?今僕がどうなってると思います?シラフでいると、書く勇気が持てない。飲まなかったら、無難に仕様書を書いてるか、プログラムを書いてる。だけども、何か書かなきゃ、今自分がこうして生きている意味がないんじゃないの、なんていう気がして、ひっかけてから、書き出す。あとは適当にお任せします。完全に、仕上がっています。明日イタリアで記者会見したら、泥酔状態の顔を全世界に晒すくらいに・・・(おっと、故人を引き合いに出しちゃったか、)いえ、書き尽くしたかどうかはわからないけれども、もう、かなり書きたいことは書いた気がする。こうなっちゃうと、2Lの焼酎なんて、すぐだもんなぁ。

大丈夫。もう、十年以上やってます。明日、っていうか、数時間後、東武東上線の中で眠って、1限の最初の30分は、もしかしたら、呂律が回っていないかも知れないけれども、その頃には、今、この指が動いている程度には頭も働いているだろうから、普通に授業ができるだろうと思う。

考えてみれば、こうやって、「雇われて」数コマ教えるっていうのも、「シェア」と言えば「シェア」かも知れない。ありがたい制度だ。

全世界で、一人でも多くの人が、「今自分は、こうやって生きている」と、実感できる環境で生活できますように。

何を書いてんだか、訳がわからなくなったので、これで終わります。
せっかく、読んでくださったかも知れない方に、最後屁を。
「あんたも、好きねぇ・・・」

(こんな、訳のわからん話を、よくぞここまで、目を通して下さったな、という意味です。)
途中で警告しましたよね?あの段落から下の話題は、忘れてください。

継承か承継か

世間が「昼休み」の時間、ちょっとだけラジオをつけていた。久々に、鬼丸師匠のゴゴモンズのイントロを聞いた。

今日の話題。「こんな引き継ぎ、承継の記憶」みたいな感じの話題。引き継ぎ話には、これも「ビジネスあるある」が流れるんだろうなぁ。聴いてもいいけど、仕事がなぁ、と思いつつスイッチを切った。さよならぁ、鬼丸師匠。

で、切りぎわ、鬼丸師匠が結構強調していたのが、「承継」ですからね、「継承」じゃないですよ、っていうお話で・・・そういえば、プログラミングの話題で、Inheritance = 「継承」の話題を書いたっけか。Overrideも書いた気がする。でも、コンピュータ用語では、間違いなく「継承」だと思う。一般的な日本語は「承継」なのかな?それが、いつの間にか「継承」になった。いいじゃん、もう。プログラミング用語は「継承」なんだから。

こういう話はよく聞く。例えば、筋弛緩薬。普通の漢字の読み方ならば、「キンシカンヤク」と読むんだけれども、麻酔科のお医者さんとかは、これを「キンチカンヤク」と読む人が少なくなかった。医者と話をするときには、使い分けで僕も後者の読み方をしていた。なぜかは、わからない。何か理由があったんだろうなぁ。今は、どうなんだろう?

神経線維。なぜ「繊維」ではなくて「線維」なのか。nerve fiberの訳語なんだろうけれども、医学系の教科書なんかでは「神経線維」となっているものが多いのに対して、普通の辞書とかだと「神経繊維」になってる。
この理由、もしかしたら、都市伝説かも知れないけれども、以前聞いた説明。「あるえらいお医者さんが神経線維と書いたんだけれども、お弟子さんたちが誰も正しくは繊維だと指摘できずに、神経線維が使われているうちに、こちらが正しくなった」んだそうな。ありがちな話だなぁ、とは思ったけれども。

もしかしたら、オブジェクト指向言語の継承が承継でないのは、似たような理由なのかも知れないけれども。でも、僕の業界では「継承」です。

なんて、自分のブログではボヤいても、投稿しないのは、サイレントリスナーですから。って、最近聴いてないけど。

パプアニューギニアの海岸で、口を真っ赤にしてbuaiを噛みながら、ボケーっとしながら、ゴゴモンズとか聴いてのんびりしてみたい気がする。(けど、1時間で飽きるかも・・・)

進化

今日、ちょっと嬉しいことがあった。本来なら、多少は恥ずかしがらないと、いけないんだろうけれども。

Ruby言語では、定数(Constant)とか、(String Literal)は存在しない。数字の65もIntegerのインスタンスだから、
65.chr # => “A”
なんていう書き方ができる。

“ox”は、文字列(String)で、Java言語とか、C言語では String Literalだった。しかも、Cの場合には、文字の配列で、pointer演算を知らないと扱い切れなかった。

「それが、rubyではString Classのinstanceとして扱われるから、
“ox”.pluralize
なんていう書き方ができる。これは、Rubyが本来のObject Oriented programmingを実現したからで、Javaではこんな書き方はできなかった。」(大学院の授業だから、一応、全部英語)
Well, with Ruby language, “ox” is an instance of String Class, therefore, we can write the program like:
“ox”.pluralize
But, old so-called object-oriented language defined the literals and constants, so, “ox” is just a string literal, and, we cannot …
なんて感じで、話していたら、学生がJava language handles “ox”, as an instance of String, and you can write “ox”.pluralize also, in Java.
なんていう感じのツッコミをしてきた。日本人の学生だった。おっと。

え?そうなの?いや、少なくとも僕がJavaでプログラムを書いていた頃は、こんな書き方はできなかった。自信を持って話していたら、突っ込まれたから、”Then, just try. Seeing is believing.”と返したら、すぐにパソコン上でサンプルを書いて実行結果を見せてくれた。絶句。

いや、いつの間に、Javaがここまで賢くなった?以前のバージョンのJavaでは、こんな書き方はできなかったよ、と言い訳するのが必死、っていうか、僕の場合には「少なくとも15年前は」だから、学生もそれ以上は突っ込みようがないだろうし、Javaがバージョンアップで進化したんだ、以前のJavaだったら、僕の説明は間違っていない、というのが、せめてもの、言い訳。

そうなんだ。言語自体が、凄まじい勢いでversion upしてくるから、その知識にcatch upしないとこういうことになる。だけれど、どちらかといえば、PHP、ruby, pythonあたりで精一杯で、javaなんていうfade outしかけている言語についてまでfollowできなかった。

驚いたのは、いつの間に、Javaがこんな表現を受け入れるようになったの?っていうことだろうか。
と同時に、というよりも、それ以上に、日本人の学生が英語でこのツッコミをしてきたことだろうか。
去年の授業でも、英語で普通にprogrammingについてのpresentationをできた学生が一人いた。(一応、院生だけど。)そして、今年も。しかも、僕の言語仕様についての勘違いを指摘してきた。
この姿勢も、嬉しかった。「あんたは間違ってる」と思ったら、どんどんと声を出せ、と思うし、時々学生にもそう言ってる。僕らだって完璧じゃない。(いや、完璧な先生方は少なくないと思うけど、僕は、かなりイビツに不完全。)だから、僕に関しては、いくらだって突っ込んで構わない。と言っていたら、本当に突っ込んできてくれた。いいじゃん。

これ、相手を間違えると、人生を棒に振るから気をつけたほうがいい、とは思うけれども、普通に間違いを受け入れられる相手だったなら、指摘すればするほど、全体がよくなるし向上する。時には、桁違いに全体がscale upする。上の方の人間の器次第、なんだろうけどなぁ。どんな大組織だって、とんでもないところがあるから。
これもなぁ、小学校、中学校なんかでも、大学でも、教師によっては「出る釘」をhammerで叩き潰す(せめて、真っ直ぐに打ち込んでくれたら、まだ見てくれが良いのに、捻じ曲げて叩き潰す)ような教育をしている方が、今でもいるみたいだし、いくら「正しいと思ったら発言しろ」と言ったって、本当に言葉を発してくれた学生なんて、皆無に近かった。日本で生まれて育ったら、当然の防衛行動かもしれない。それが、今日は、英語で返されたもんだから、これは、めちゃくちゃ嬉しかった。
と、書いていて、ふと、気づいた。あれ、まさか海外帰国組で、海外で小中学校の教育を受けた子、だったのかな?それならば、理解できるし、そんなに喜ぶほどのことでもないんだけれど。
何れにせよ、日本人の学生からでは、皆無に近い経験だった。

なんにしても、やっぱり、こういうhappeningは嬉しい。
Programming Languageが進化しつつある。それはそれとして、仕事の上ではcatch upがしんどいから、半分歓迎、半分敬遠。
ただ、学生が、どんどんと正しいと思ったことを授業中にでも発言してくる、しかも英語を使いこなしている。これは、やはり、滅茶苦茶嬉しかった。

こうして日本語で書きながらも、実は半分日本人には期待していない部分もあったりする。大学に来る頃には、萎縮してるか、社会や世界への興味を全く持たずに自分の世界に籠もるか、分極化している気がするから。「何が正しいか」を見極めようともしない、どこかの国と比べても、日本の方が優れているように見えなかったりもする。
いや、僕はもう、終わってるし、もがいてはみても、やはり、若い人たちに頑張ってもらうしかない、ようにも感じる。ただ、自分自身が「正しい」と思ったら、仮に実際には間違っているとしたって、まず一応確かめて、次には、思ったことをどんどんと声を出して欲しいと思う。

書きすぎたな。最後の方の駄文は余計だ。書くべきは事実だけで十分。
とにかく、今日は嬉しかった。

mixed up!

Ruby on Railsの授業教材を書くのと、Python / Djangoの仕事のプログラムが半々。

ところが、もう、RailsのHashとか、member変数へのアクセスと、Pythonの setとか、Listとか、特にdjango周りの書式とかが、もう、頭の中でグチャグチャ。バグで動作が止まって、どっちのプログラムを書いてるのか、フィーリングで掴みきれてなくて(ブロックの書式を見れば、一目瞭然だけど)無駄な動きが多すぎ。
でもまぁ、ようやっと、多少は指に馴染んできたかなぁ。

材木屋ですもんねぇ(キが多い)。本当は、やることを絞った方がいいに決まってるんだけど、手数で稼ごうとした当初の方針が、完全に裏目ってる感じ。ま、何とか納期には間に合わせます。(松尾くんに頭が上がらんなぁ。)

19日

中学校の同窓会。予定があったっけ。来週だ。
忘れてた。しばらく前に、電話をもらったんだっけ。

「イックンにさぁ、頼みたいことがあってさ。」
そういう呼ばれ方をするのは、何十年ぶりだか。この呼ばれ方は、中学校まで。

例外は、高校の時の陸上部の同期の、FとNとMの3人。
彼らはそれなりに陸上部でも予選突破とかあったからね。陸上部員を名乗る資格があったに違いない。
僕はと言えば、万年ブービーだった。予選で、常に最後から2番目。ビリではなかったけれども、必ず僕より遅い奴が一人はいた。今にして思えば、良く続けてたよなぁ。全然、自慢できる成績じゃない。
400mは、ベストが確か58秒台。800mも、かろうじて2分を切る程度だった。1500mは・・・一回だけ、5分を切ったかなぁ。こんな恥ずかしい数字、昔だったら絶対に書かなかった。黙ってれば「陸上部でした」ってだけで、勝手に速そうだと想像してくれるし。でも、実態は、こんなもんでした。
今は? 100mに1分かかる、ってのだけは避けたいなぁ。

それが、一週間前の体育祭では、初めてビリを取った。40才以上の砲丸投げ。7mに届かなかった。ギリギリ、7mくらい。あと、数cmかな。一番飛ばした人は、10m以上飛んでた。
言い訳ですが、ブッツケ本番。一度も練習してない。砲丸を持って、ずっしりとした重さに、あ、砲丸ってこういう重さだったっけ。「どうやって投げたんだっけか。」40年ぶりか?いや、一回だけ「試投」で練習があった。あとは本番。それでも、7mは飛んだけど。
いいんです。目標は5m以上。ファウルじゃなかったし。自治会からのエントリーが、一種目増えた、ってだけで、それ以上の意味はない。せめて、ブービーを、と思っていたけど、無理だったか。ビリでした。参加することに意義がある。
投げる順番が僕より一人、前だった、みどりが丘の選手の方だったかなぁ。「年寄りには、ハンディが欲しいよね。」あ、僕もそう思う。1才増えるごとに、10cmとか。40才以上って言ったって、40才と59才では基礎体力が違うって。ゴルフみたく、ハンデをもらえたら、40才の人と本気で競えるかも、ってな気分にだけは、なれるのに。
って、何の話だ?

FとかNと、久しぶりに会って話をしたりすると(陸上部のOB会で、卒業後も何度か会った)彼らも、イックンとか呼んでくる。たぶん、1年の時に、Fに「何て呼ばれてた?」とか聞かれて、正直に答えた。僕の側は、FもNも、苗字の呼び捨てだったんだけど。M君はどうしたかって言えば、彼はあんまり練習には出てこなかったし、卒業後も、少なくとも陸上部のOB会では会ってない。この呼び名を使うのは、高校以後は、彼ら3人だけだったなぁ。

それが、中学校の同窓会となると、ほぼ全員だもんなぁ。電話でいきなり「イックンにさぁ」って言われて、いきなりタイムスリップしてしまった。
「頼みごと」ってのは、「乾杯の音頭」だった。「乾杯の音頭」って言ったって、ただ単に「じゃぁ、乾杯〜!」ってだけじゃなくて、ちょっと挨拶をするんでしょ?

困るよなぁ。俺、クドイから、マイクを持たされたら、1時間半だって、ぶっ通しでしゃべっちゃう。
この間なんか、「おい、○×起きろ」って、寝ている学生を起こして話し続けたし。「乾杯の挨拶」って、長いとたぶん嫌われるんだよねぇ。(他には、長くても嫌われないモンが、なんかあるのか?)

ブランクが長い。みんなの今のことを、良く知らない。(だから集まるんかさぁ。)
何を話そうか、全くイメージが湧かない。困った。

19日でしょ?まさかダジャレ?イックンの日。19とか、190は、以前は良くパスワードの一部に使ってたなぁ。(今でも使ってるかどうかは、明言を避けます。ネットだぜ、これ。)イクだから19。イクオだから190。ついでに言えば、アレのパスコードは、地名の後に5884190(コバヤシイクオ)って、そんな、いくら私がバカでも、ネットにパスコードは晒しませんってば。本当か嘘か、さぁ、どっちだ。

天地真理が「恋する夏の日」をヒットさせてた。アグネスチャンの「おっかの上、ひっなげし〜の、は〜なで〜」って、タイトルなんでしたっけ?女子たちの人気は、西城秀樹に、フォーリーブス。フォークは、ガロ。郷ひろみとかももう、デビューしてたっけか。
河口湖畔のキャンプ場。あのキャンプは、中学2年の時だっけか、3年の時だっけか。どこまで、何を思い出す?修学旅行?体育祭?
ま、長すぎて嫌われない程度なら、せいぜい1分だね。

苦手だなぁ。短くまとめるの。この話題、既にどれだけ書いてる?フリートークになったら、こうなっちゃう。

大丈夫。短く、コンパクトに。出来るってば。強く念じれば、必ずそうなる。後はもう、念じ方の強さの問題だけ。
ま、なんとかなるっしょ。19日。

失敗したら、こう言う。
「次からは俺に頼むなよ。これでもう、わかったんべ。」

避難民の子供の声を

日本では難民は馴染みがない。ほとんど受け入れないから。
日本語の「難民」という表現が良くない。英語ではRefugeeなのだから「避難民」という表現にすべきだ。と思うのだけど。

難民の中には、逃避行の間に家族とはぐれ、子供だけで「目的地」に着いて、慈善団体などに引き取られたりする子供なども、珍しくないらしい。彼らにどんな罪があるのか。そもそも、日本では、そんな話題には無関心かもしれないけれど。

なぜ、「避難民」が発生するのか。だいたい、内戦など戦闘行為が原因で、今回も10万人以上のクルド人の民間人が避難を余儀なくされた、とされている。昨日検索した時は、「7万人以上」だった。

良く言われる話で、「避難民」とか言っても、戦闘行為で逃げざるを得なくなる前には、医者だったりエンジニアだったり学校の教師だったり、要するに普通の人たちなのが、生活基盤を根こそぎ奪われるから、「何も出来ない人」にされてしまう。状況によっては、子供達は教育を受ける機会を奪われ、難民に対して寛容な国に避難できた場合でも、社会に溶け込めずに、「反社会的」な生き方をする子供も出てくるのかも知れない。

世界の難民・避難民、7000万人を突破 国連調べで過去最多
https://www.bbc.com/japanese/48686573

大切なことは、避難民が生まれるような状況を、止めることだろうと思う。つまり、内戦にしても、今回のような「軍事侵攻」にしても、止めることじゃないかと思う。エルドアンに言葉で言っても聞く耳を持つとも思えない。だったら、とにかく徹底的に武器の移動を禁止することではなかろうか。だって、やめろやめろと言いながら、武器を売って金儲けしてたりするんだもの。変でしょ?やってることがナンセンスだと、自分たちで理解出来ないんだろうか、とも思う。

独仏、トルコへの武器輸出を一時停止 対クルド作戦の人道的影響に警戒感
https://www.afpbb.com/articles/-/3249306

これが正解なんだろうなぁ。国際的な「常識」になってくれたらいいのに、と思うが、アメリカも、ロシアも、中国も、止めないだろうなぁ。アメリカ人、ロシア人、中国人の思考回路は、「弱者の命は、金儲けのネタ」だと思う。

侵攻前のエルドアンのツイート

トルコ、シリア北東部への軍事作戦開始 クルド攻撃で民間人の死者5人
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13156.php

ツイッターへの投稿で「トルコとの国境に向けてテロリストの回廊が創設されることを防ぎ、同地域に平和をもたらすことが目的」とし、「シリアの主権を擁護し、地域社会をテロリストから解放する」と述べた。

テロリスト、テロリストって、確かジョージ・ブッシュも似たような表現を使っていた。テロリストって言いさえしたら、戦争が正当化されると思ってる単細胞。語彙の貧困だね。エルドアンにしても、他の単語を知らんのか。

トルコに滞在するシリアの難民は、360万人?

「占領と呼ぶなら難民送り込む」、トルコ大統領がEUに警告 シリア攻撃
https://www.cnn.co.jp/world/35143854.html

難民を量産しているのは、シリアのアサド大統領だという気がする。
シリア内戦は、ロシアの外貨獲得の飯の種か。改めて「弱者の命は、金儲けのネタ」
ロシアは、シリア難民を受け入れないのか。その気は無いだろうな。プーチンも、金儲けしか興味がない。他国民に殺し合いをさせて、自分たちは金儲けをする。元KGBが一番得意そうな分野だ。

日本がなぁ、ロシアやイランに働きかけて、アサド支援をやめさせられるくらいの外交力があれば、すごいんだが。もし、それが出来たら鳩山由紀夫を見直してもいいけど、あの人、妙なところで太鼓持ちに化ける。安倍総理には、ポリシーも骨もなさそうだし。

エルドアンは、クルド人を追い出して、シリア難民の居住地を用意するつもりなのか?仮にそれが理由だとしても、結果において、エルドアンのやってることの方が、よほどテロリスト的だという気がする。
自覚がないんだろうなぁ。爆弾を降らしている人間は、降ってくる爆弾の下に住んでいる人間から見たら、テロリスト以外の何物でもない。避難民の方々に、聞いてみたらいい。今回の件で、エルドアンをテロリストと呼んで良いかどうか。

既に「街」が存在しているところを奪い合う。そうではなく、人が「居住」できるような街を、ゼロから作ってしまう、なんてことは、出来ないものか?そのために、日本が金や技術を出す。シリア人にはシリア国内に住んでもらう。

多くの場合、「水」のある場所に自然発生的に街ができた。中近東の場合にどうなのかは、私にはわからない。
海水から飲料水を作る技術は、ない訳じゃない、と思うし、アサドとかエルドアンとか、知恵も人道的な感覚も持たない方々を説得するだけではなく、何か、実現可能な代替案を出せないものかと思う。

日本は、避難民をほとんど受け入れない。避難民の声を、普通の日本人がもっと見聞きできる機会が必要な気がする。その上で、日本には、ロシアなどとは真逆な、人道的なアプローチが可能なはずだと、僕は思う。
いや、そうあって欲しい。民間ベースっていう手もあるんだろうか。

どうか、戦略的思考を!

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191012/k10012125991000.html
漁船衝突事故 北朝鮮が日本に賠償と再発防止を要求

賠償の請求、ってのが、いかにも北朝鮮。
水産庁の取締船が、救助した船員を仲間の船に「引き渡した」のが、失策だったのかも知れない。
そういう、考え方、シミュレーションが必要なのかも知れない。
政府は、あらゆるレベルで、横の連携を密にすべきなんだろうと思う。例えば、水産庁の担当者は、すぐに外務省に連絡をとったんだろうか。連絡を取ったとして、「面倒を避けるために、全員北朝鮮船に引き渡した方がいい」という判断を外務省が下したんだろうか。
あるいは、外務省だけではなく、海上保安庁なんかにも連絡を取ったんだろうか。
既に、ニュースで「違法操業が多い」とは、随分前から報道されていた。どういう状況の時に、どうしたらいいか、関係者間での「方針決定」はあったんだろうか。

何よりも、既に60年も日本で生きていて痛感するのは、「責任者」とか、職責上上位の方々の「決断力のなさ」。
自分に責任が降りかかるのを恐れるから、例えば今回は、救助した北朝鮮の船員を、相手に引き渡した。本来は「違法操業の疑い」か何か、口実をつけて、一旦日本国内に移送するのが正解だったんじゃないだろうか。その上で、北朝鮮が「拉致した」とか騒いだならば、「温情を持って、帰国を許す」などの判断だって、出来たんじゃないかと思う。
「決断力」がない上に、横との連携を嫌うから、逆に北朝鮮側だったら、絶好のカードを手に入れたと喜ぶような場面で、相手に切り札を渡してしまう。もっと上に遡るなら、政治力のなさかも知れない。小泉元首相の息子さんの、縦割り丸呑みの発言には、落胆したけれども、もっと、戦略的に緻密に、対応策を考えるべきだと思う。「再発防止」はともかく、「賠償請求」なんて、半分以上、日本側の対応の下手さが原因だと僕は思う。

いや、こういう喧嘩の売り方をいつもするもんだから、仕事をしていても、だいたい、上からいい目で見られた試しがないから、日本の社会で「老後の安定」を考えるなら、上には何も言わないのが賢明なのかも知れないけど、そういう社会だから、こうした話題が出てくると思う。現場が声を上に上げない。上は下の声を聞かない。しかも、横の連携を取らない。必要な情報を仲間にすら流さない。それが当たり前。
そして、その挙句に、偉そうな人たちが、テレビカメラの前で頭を下げる。様々な不祥事が露呈しだしただけで、昔よりは多少はマシなのかも知れない。

日本が「生産性が低すぎる国」になった五輪イヤー 衰退への一手を打った法律とは?
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2019/10/post-13163_1.php

「守りに特化」した経営は暴走していく

とにかく、徹底して「事なかれ主義」を排除すべきだ。でなけりゃ、落ちるところまで落ちる。

トルコ軍がシリア北東部クルド人支配地域に侵攻 6つの問
https://news.yahoo.co.jp/byline/itomegumi/20191012-00146524/

安倍総理に何を言っても無駄だとは思う。トランプの顔色しか見ていない。

どんな友好国であったとしても、こうした「軍事行動」に対しては、断固として抗議すべきだ。

国内にある「異民族地域」は、例えば中国にとっても、どこの国にとっても、極めてsensitiveな問題だとは思う。ちょっと扱いを誤ったならば、このトルコのようになる。
だからこそ、経済とか、ビジネスの「ご都合」で、非難したり、しなかったりではなく、人道的に「これは誤っている」という場面では、間髪を入れずに「抗議声明」を出せるような、日本の国家としての「判断基準」を持つべきだと、僕は思う。

もっとも大切なことは、目先の利益ではなく、国家としての信頼を得ることだと思う。トランプは、それができる人物ではないし、そんな器でもない。ところが、一気に進行してきたglobal化の反動で、国家エゴとも言えるような偏狭なnationalismが、世界中で吹き荒れていて、そうした国家元首があちこちで騒ぎを起こしている。
安倍が、そこまでcorruptしていないのは、まずは日本人としてよかったとは思うが、bestどころかbetterにも程遠いという気はする。何よりも、globalな視点での日本の立ち位置についてのvisionがない。

政治は、学歴じゃないと思うな。田中角栄がいい例だと思う。その一方で、東大やら早慶なんかにも、少なくとも、今の年齢では、「世界のあるべき姿」を純粋に考えられる人たちも、いるような気がする。(それがなぁ、歳を食ってくると、平気で自己保身に転じたりする。哀しいけれど、そうではない人たちも、今後は出てくると信じたい。)

ぶっちゃけ、高額な退職金を手にしなくたって、生きて、言葉を発し続けるのに、100均があれば十分っていう時代にはなってる。自分が何のために生きているのか、ただ単に漠然と、歳をくって、金持ちになって、リタイヤしたら海外旅行を楽しみたいとか、そういうことではなくて、何か生きて、世界に引っ掻き傷をつけられるくらいに生きた証を残す、そういう生き方を貫く若い人にも、どうか、出てきて欲しい。
そう思う。

トルコ軍の行動を止めよう!多くの人に、声を出して欲しい。興味を持とう。トルコ軍に関しては、ユスフザイさんもいなければ、トゥーベリさんもいない。女の子ではなく、むさくるしいジジイが声を出しているだけだけれども、全世界の若い方々に望む。どうか、「世界のあるべき姿」を、みんなで必死で考え抜いて欲しいと思う。

大自然の歓迎か

今日僕は、地元「老人会」の会員資格を得た。
昔だったら、赤いチャンチャンコ。(誰が着るか!)

ある意味で、かなり「節目」の記念日なんだろう。これも、昔だったら「よくぞ、ここまで生きた。」という感じか?加えて言えば、「もうやるべきことは、全部済ませただろうな。」ってな感じなんだろうか。何も大した仕事はしてねぇよ。無駄に長生きして、悪かったな。

これから僕は、名実共に「高齢者」の仲間入り。既に老人会からは「回覧物」の回覧ルートに名前が入ってる。(会費なんて払ってないのに。自治会会計を4年間もやってるから、もう相当にどなたとも「面識」はあるんだけれど。)まぁ、歓迎して頂いて、「誰が、あいつになんか声を掛けるか」と思われるよりかは、マシかな、とも思う。なんだか、おいでおいでって、手招きされてる感じだもんなぁ。
気が早すぎるでしょ、Sさんに、Wさん!?資格取得は、今日なんだから。

それにしても、この節目の日。大自然から、手荒い「歓迎の意」を表して頂いて、有り難い限り。極めて、symbolicな節目の日になったみたいだ。何か俺、怒られるようなことしたっけかなぁ。なんだか、半端ない「怒り」の表現だもの。何も、この日に来なくたって・・・。

どうでもいいけど、某社のメッセージ配信アプリの(たぶん自称)「AI」が自動合成したメッセージに、「未読」マークがついていた。

「そろそろお出かけですね」(<<=== 予定は、中止になりましたよ!)

出不精ですみません。今日は、どこにも行きません。太るから、ケーキも食べません。っていうよりも、あちこちでお店が閉まってると思います。
あ、飯田のファミマは、ずっと開けてるって言ってました。

偉い人たち

https://www.cnn.co.jp/usa/35143819.html
クルド人は「第2次大戦で米国助けず」 トランプ氏、攻撃容認を説明

このニュース、嘘だろと思った。
直近で、ISとの戦いでは最前線で犠牲を払った事実よりも、おそらく当時誰も関与していなかっただろう第二次世界大戦の話題を優先させた。アメリカがこんな判断をする、ということ自体が、ただ crazy だとしか思えない。

遂に、funny とか stupid を突き抜けて、crazy の領域に突入したか、と思った。
トランプの判断で、これから一体、何人の罪のない民間人が死ぬことになるのか。無論、直接的な判断はエルドアン大統領だろうけれども、状況から考えると、責任はエルドアンよりもトランプの方が重い気がする。

ルビオ上院議員は「クルド人は米政権の要請を受け、シリアでの対ISIS作戦において主要な地上部隊の役割を果たしていた」と指摘。そのうえで、政権は「エルドアン大統領と取引してクルド人排除を容認した。我々の名声や国益への損害は計り知れず、長年にわたり影響が残るだろう」と述べた。

影響は残るだろうなぁ。まず第一に、クルド人がアメリカを今後信じるかどうか。第二に、世界的な問題に関する主体的な役割(role)を、アメリカに負わせることに、国連も欧州も躊躇するようになる気がする。

確かに、歴史を捏造していないだけ、平気で歴史を捏造する国よりも遥かに信用はできるにしても、それは単に比較の対象が不適切なだけで、国際的に見て常識的な判断をする国家の中では、「名声や国益」以前に、「信用」が落ちて来ている気がする。
トランプは、第二次世界大戦の話題を持ち出すことで、今後何十年にも及ぶアメリカの信用を毀損したように思う。

それにしても、と思うのは、エルドアン大統領の「民族意識」は、どこを向いているんだろうか。

https://www.afpbb.com/articles/-/3233421
トルコ大統領、中国非難から一転「ウイグルの人々は幸せに暮らしている」

このニュース、一体何だったんだろうか。

さらにエルドアン大統領は、過激思想と対峙するにあたって、中国との政治的な相互信頼を高め、安全保障上の協力を強化する用意ができているとも述べたという。

過激思想?例えば僕は、マルコムXを過激だとは思わない。新疆ウイグル自治区に関して言えば、中国共産党の考え方や行動の方が、具体的な結果において、遥かに過激かつ、多くの人を傷つけていると思う。

https://www.sankei.com/world/news/190806/wor1908060001-n1.html
【中東ウオッチ】トルコ大統領、試練の夏 求心力低下…経済・安保にも不透明感

時系列的に、どこかで騒ぎを起こして、国民の目を逸らしたい時期、ということなんだろうか。
こういう「ケンカをするのに手軽な相手」を探して、戦闘行為を起こす「大人」を、若い世代がどう見るか。また、それを看過するトランプに対しても。

僕が、インターネットでこのニュースを読んだ。CNNやAFP、あるいは産経新聞がフェイクを流すニュースソースかどうかは、トランプさんを含めて、読み手の方々にご判断いただくとして、全世界で数億の方々が、これらのニュースに接しているんだろう。
「大統領」っていうのは、いわゆる「偉い人」なんだろうな。その「偉い人」であり続けるために、自分の国でなければ罪のない民間人が犠牲になっても気にもしない、そういうニュースの読み方をする人も、また、何億人もいるに違いない。

そして、この段落以後は、別に共感していただかなくても結構だけれども、どんな風に思われたって、死んだらそれっきり、だと思っていたら大きな間違いで、地上でニュースを見ている数億人の他に、上で「地上」に興味を持っているギャラリーも、地上を遥かに上回る人数がいる。
ローテーションですからね。ざっくり上には6〜7倍くらいだと聞いている。(下から上がってこれない人が、結構増えているらしい。地上での「誘惑」の種類だけ複雑化して、下での滞在期間が長くなった、と私は理解している。)
それら、上にいるすべての方に「あの時のあの人ですね」という受け止められ方をする、ということになるんだろうなぁ。
特に、上が把握している事実というのは、誤魔化しようがないから、地上でうまく誤魔化せたとしても上には通用しない。

僕が大学教員をやっていた時の、2期生のK君。「何か、先生と初めて会ったような気がしないんですよね。」と言っていた。僕自身、初対面のはずなのに、全く初対面とは思えない、かなり大昔から付き合いがあったような感覚を持ってしまう(案外、向こうもそう感じていたりする)相手というのは、時々いて、最近、多分、以前何かあったんだろうなと、素直に自分の感覚を肯定することにしている。
逆も無論ある。逆の場合の対処は、僕自身の課題。他人に話すような話題じゃない。ただ、出来るだけ返せるものはできる時に返したい。

国境とか、民族とかの垣根がどんどんと低くなってくる時代。それを犯罪に利用する人も増加してくるんだろうし、逆に、誰とでも、どんな国の人とでも、同じように接する、そういう感覚で生活する人も、激増すると思う。両極端。

僕だって、次も日本に生まれるとは限らない。というよりも、日本に生まれるのは今回が最後かも知れない。誰についても同じことが言える。だからどうだとか、こうだとか、言いたいことはあるけれども、そういうのは、もしこうした「世界観」を信じるならば、自分で考えて答えを出したらいいだけなんだろう。

爆弾を落とし、ミサイルを飛ばし、戦車を進軍させ、あるいは、相手の話す言語を禁止し、誰かの自由を束縛し、逆の立場に生まれたとしても、同じことが正しいと確信しているのならば、勝手にやったらいいだけだとも思う。

トタン屋根

テレビのニュースで、千葉のブルーシートの家々を見ていて思った。

ブルーシートで、仮の応急措置 → 業者を手配して、きちんと瓦を葺いてもらう。
っていう発想なんだろうか。
ところが、瓦が足りない、業者が足りない、らしい。

僕が生まれたのは、昭和三十年代。当時、トタン屋根は珍しくなかった。きちんと瓦を葺いている家の方が、珍しかった気がする。瓦屋根のお宅っていうと、それだけでお金持ちの家に見えた、なんかそんな記憶がある。

トタンを打ち付けて、ブルーシートよりも頑丈な雨除けにする。それで急場を凌ぐ、なんていう発想にはならないのかな?今度の台風、ブルーシートが軒並み飛ばされて、すごいことになりそうな気がした。
藁葺きよりも脆そうな気がする。

ニュースを聞いていると、雨で、家の中にカビが生えてきたらしくて、それならせめてトタン屋根で、なんて思ったんだが。いや、トタンが手に入らないとしたら、ベニヤ板だって、ブルーシートよりはマシだと思えた。2〜3年は持つでしょ?ブルーシートは、強風が吹いたら一発でアウトだと思える。

何よりも、重石を乗せたブルーシートなんて、紐で固定してあっても、釘で打ち付けたトタンとかベニヤに比べたら、はるかに風の影響を受けやすい気がする。「きちんと修理しないと、気がすまない」んだろうか。それならば、
「ブルーシート」→ 順番が回ってくるまでは、「トタン」→ 最後、瓦
なんていう、中間段階を設けたら、多少は家の中の劣化が防げそうな気がした。

僕自身、千葉にいた時、実家が8年近く空き家になった。丘屋根から雨漏りして、仏間の畳の上にキノコが生えてた。その後、根本的な対応が取れなくて、今でもイタチごっこ。

瓦葺きっていうのは、伝統家屋の造りとしてはいいんだろうけれど、今後は、瞬間最大風速80mとかも想定しないと、どうしようもないんじゃなかろうか。

だったら、スレート板とか、波型強化プラスチックとか、工期を最短にして、ついでに言えば、外観にも配慮して「暫定」ではない、新しい「永続的」な屋根のデザイン提案だとか、瓦より風に強い耐久性の強い「代替屋根」の提案、なんていうのが、そろそろ出てきてもおかしくない気がする。

どうしてそんなに、瓦屋根の復元にこだわるのか、わからない。「瓦職人」でなくても施工できる代替技術、なんていうのの提案があってもおかしくないと思うのに、誰もそんなこと、考えないんだろうか。

あれこれ

久々の、4コマ連チャン。6時間ぶっ通し。話し通し。龍角散のど飴のお陰で、声は全く枯れなかった。今日も元気で、タバコがうまい。喉も痛くない。後半、まずまずの出だし。龍角散に感謝。(そっちか?)

でも、老けたなぁ、と自分でも思った。前期、2コマ連続の3時間過ぎ辺りから、なんだか、低血糖みたいな感じで、頭が働かなくなってくるので、コマとコマの間の休憩時間に、あれ「Soy Joy」とか「一本満足」とか「Kit Kat」とか、あんな感じの手軽に200kCalくらい取れる奴を食べるようにしたら、大丈夫にはなった。
けれども、食べなきゃ持たないんだもん。スタミナなくなったなぁとは思う。ラクダ並みのコブが、体の前面にあるのに。

一週間、ひたすらコーディング。そして金曜日は授業。今日は暴走するかも。

訳の分からないことが、多すぎる。言いたいことが山ほど。
訳がわからん、と思っても、だいたいプログラミングの上の問題は、調べていけば解決するけれども・・・

香港オフィス街、会社員らが「覆面禁止」に抗議デモ
https://www.afpbb.com/articles/-/3247955

中国本土の「顔認証」はすごいらしい。どこからどこまでが真実かは、確認しようがないけれども、街中あちこちに「監視カメラ」があって、それらがサーバに直結していて、「指名手配犯」がどこかの駅を歩いていたら、すぐに連絡が行って逮捕されたとか、そんなニュースをどこかで聞いたあやふやな記憶がある。
その「指名手配」が、窃盗とか殺人だったらまだわからんでもないけど、「政治犯」だって含まれるみたい。
だから、香港のデモで顔を隠したって、それは「正当防衛だよなぁ」なんていう気もする。

そもそもが、中国共産党の批判をしたら、それだけで「犯罪扱い」されるんでしょ?よくわからんけど。そもそも、そこがおかしいと思う。

批判や非難を受け入れない「体質」というのは、絶対的な腐敗につながる。それは、個人でも組織でも同じだと思う。よくいるよなぁ、ちょっと「そこ、違ってるんじゃない」とか指摘すると、まるで全人格を否定されたかのように怒ったり、あるいは、その後、裏には回って嫌がらせをしたりする人。僕の場合、世間ってのはそういうものなんだと気づくのが遅すぎた。相手に合わせた指摘の仕方が問題。個人だったら、そういう対応も可能かもしれない。でも、言わせてもらおう。器が小さいんだね。

だけれども、組織なんかでも、一切下からの意見を受け付けないところがある。
勤めた職場がそうだったらもう、「チャイコフスキーの弦楽セレナード ハ長調 第1楽章」が流れる、と。(曲名が出てこなくて、ググっちゃった。)
だけど、自分の生まれた国、となったら、そういう訳にもいかないだろうし。

粉飾決算で潰れた会社は経験している。僕は潰れる前に、パプアニューギニアに逃げた。じゃぁ、粉飾決算している国家は?顕在化が遅れる、というよりも、例の貿易戦争のせいに、問題のすり替えが起きるかも知れない。その「問題のすり替え」をそのまま信じる国民が多ければ、香港のデモも「原因」にされてしまうかも知れない。大変な騒ぎだと思う。

顔と実名を晒して、堂々と意見を述べる。それは大切だと思うけれども、後々のしっぺ返しが面倒だ。特に、国家規模で「政治犯」に仕立て上げられたら、もう、なぁ。「国家こそ絶対」だとか信じ切って、好き勝手やる人たち、絶対にいるもの。

これは、香港の民主化運動を国際社会がバックアップするしか、ないんだろうな。グレタ・トゥーンベリさんに世界中の若者が連携したように、香港の若手のリーダーがもし、中国当局に拘束されたりしたなら、中国製品の不買運動を展開する。そういうバックアップは可能かも知れない。(中国製品を避ける、ってのは、全世界規模で結構大変かも知れない。アメリカなんか、どうなることやら。)世界中の若い経済学専攻の人たち、今から知恵を絞るべきだね。「中国の民主化」は、世界の若者が動かす。なんて、どうかしら。いや、「歴史を動かす」んだよ!?

ちょっと前に、こんなことを書いた。

缶詰の蓋の裏を舐めている時、ぼーっとしていて、危うく舌を縁で切りそうになった。
反省しました。考えとか行動とかを改めねば。
教訓:缶詰の蓋の裏を舐める時に、考え事をしていてはいけない。

覆面を禁止するってか。覆面しなけりゃ政府非難を言えないような、そういう政治体質を改めるべきだね。そっちを改めるんが、先だろう?
だけど、本土絡みは手こずるだろうな。逮捕者が本土に連行されたら、すぐに世界中で反応できるように、僕はもう何もしないけど(ズルくてごめんなさい、)シミュレーションをしておいたらどうかな。(いや、マジな話、年金受取額がヤバイから、必死で仕事しないと、あんまりいい見通しが立たない。疲れたらもう、終わりでいいんだけど。そんな訳で、若い皆様、頑張ってください。)

きっと、中国本土でも、「こうなって良かった」と、共感する若者が何人も出てくると思う。自国の政府非難をできないなんて、おかしいと思ってる人の人数、少なくないもの。だから、そこから、じわりじわり、じゃないかなぁ。中国政府が香港政府を動かした時が、その時かも知れない。

https://news.livedoor.com/article/detail/17183125/
ガンジー生誕150年記念日に遺灰盗まれる 肖像に「裏切り者」の落書きも

ガンジーさん、ご本人は何も気にされてないような気がする。問題は、ガンジーさんを尊敬している、今生きている人の側だろうか。
ヒンドゥー教の方々、ご自身の主張を「全世界」に通せると思うんだろうか。牛肉にかかる税率で揉めてる国と国だってある。牛が、食用に飼育されている国は少なくない。そういった国々と、インドは今後どうつきあうつもりなんだろうか。

別に、ヒンドゥー教にもイスラム教にも、何も物申すつもりはない。ただ、自分はこう思うという意見を述べるならば、人と動物の間で、「命」の尊さについての差はない。それは、牛や豚だけじゃなく、犬でも、木登りカンガルーでも、ゴキブリでも、カマキリでも、ミジンコでも、ミドリムシでも、すべて同じだと思う。
パプアニューギニアのセピックの一部の言語属では、「食用の犬」と「ペットの犬」を異なる単語で認識していた。同じ犬なのに、扱いが違う。同じくパプアニューギニアのマーケットでは、日本では動物園で「珍しい動物」として珍重されていたクスクス(木登りカンガルー)が、食用として45キナ(当時で5000円)くらいで売られていた。それって、「悪い」ことなの?何か、どこか、おかしいの?

どんな生き物の「命」にも、同じ尊さがある。その尊さを、僕らは「分けていただく」という感覚で殺して食用にするべきなんだろうと思う。イスラム法の「ハラル」の基本的な考え方は、そこにあると僕は理解している。それが、形骸化してしまったなら、「儀式さえしていれば、いくら何を食べてもいい」という捉え方をする方もいらっしゃるかも知れない。だけど、僕は「そうじゃないでしょ」と思う。人が、その人の置かれた環境で、自分たちの命を生き永らえるために、何かを殺して(仮にそれが、弱った仲間の遭難者であっても)、食用にする。それは、多くの動物たちが行なっているように、神によって認められた行為だと僕は理解している。ただし、人類にだけは、人類だけが神に近い存在だから、創造主への感謝と敬意を持った上で、「必要最小限」の殺生を行なって、その生き物の命、肉なり、脂肪なり、希少な栄養素なり、そうした人類にとっての「恵み」をいただく、そういう考え方をするべなんじゃないかな、と、私は理解している。
それは、ミドリムシだって同じだと、僕は理解している。今、多くの方が陥っている誤りは、宗教によって殺して食してもいい動植物を「決めて」しまい、あるいは「宗教」なんて関係ないなら全ての生き物を勝手に殺していいと考えて、それらはいくらだって、ビジネス化して殺して流通させても構わないと、そういう考え方になっている部分だと、僕は理解する。
そのビジネスも、人として生き続けるために必要な範囲を超えて、もっと潤い、もっと贅沢な生活をするため、ということになってしまったなら、殺す相手がミドリムシだったとしたって、それは許される行為ではない、と私は考える。(たぶん、説明しきれてない。あとから「先生、わかりません」なんて学生に言われそうな表現。だけど、今日はこれ以上は無理。)

たった、それだけのことを伝えずに、形式的に、牛だとか豚だとか、殺していい動物の種類を巡って、宗教どうしで争う。神の思いなんて、どこにあるんだろうかと、私は感じる。どちらの宗教も、ただビジネスとしての拡大を図って、あろうことか、殺人まで犯す。無論、どこぞの宗教団体のテロも同じだと私は思う。いい加減に、そういう宗教ビジネスはやめろと、私は思う。どこの宗教指導者も、アメリカのトランプ大統領と大差がない。(あ、「トランプさんは偉大だ」という意味です。全ての宗教指導者を、褒め称えている表現です。誤解のなきよう。)

こんなことを書いている私を殺したい?どうぞご自由に。もう、言いたいことはその都度書き尽くしているから、何も思い残すことはない。年金をあてにせずに生き続けるために、仕事するのが、しんどいと思うこともあるから、いつだって構わない。改めて、どうぞ、ご自由に。生きていたら、今以上に言葉を選ばずに、書き続けると思うから、今のうちに黙らせた方がいいんじゃない?
話が逸れた。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50560820T01C19A0PP8000/
北朝鮮ミサイルは新型SLBM 河野防衛相が断定

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57807
中国建国70周年軍事パレードが示す本音と虚構

まぁ、よくやるわなぁ、と思う。
で、いつ、どうやって使うの、なんてことを思う。

実際に使うあてのないものに金をかける余裕がある、ってことを誇示しているのか?
国内に、貧乏人は一人もいない、ってことを誇示している訳?金の使い道を間違っていないとでも言いたい?どちらの国も、貧乏人が一人もいないと、信じている人が世界中にどれだけいるか、アンケートを取らなきゃ、指導者には理解できない?あ、そうかもなぁ。

実際、ああいうミサイルとかを使ったらどうなんだろうなぁ。それは核ミサイルも同じ。ってことは、トランプも、プーチンも同程度ってことなんだろう。だって、使うあてがあると思うから、備蓄してるんでしょ?「もしも」ね?
若い人たち、自分たちには何もできないと思ってる?「不買運動を徹底する」ってのは、できると思う。それは、それこそ部品レベルでも一切買わない、という意味で、「相手が自分たちを理解できないなら、徹底的に排除する」という応対は可能なような気がする。あんまり書きたくないけど、身近な「いじめ」なんかで、よくやってるじゃない。(あ、これは日本だけか?)
自分たちの視野を広げて、「自分の主張が正しいか」を自問自答しつつ、誰から何を指摘されても、それを受け入れた上で「自分は間違っていない」と信じるなら、突き進めばいいだけだと、僕は思う。その結果が、正しいか、誤っているか、きっと周囲のリアクションがある。「お前は間違っている」と指摘されたなら、決して中国共産党のようになることなく、自分の誤りを改めるべきなんだろうと思う。正しいと応援されたならば、例えば僕が、「君のやってることは、間違っていない」と感じたなら、僕は個人的に、全面的に言葉で応援するし、いけるところまでいけ、と思う。(でも、金がないから、できることは限られてるけど。)

問題は、ね。トランプさんにしても、習さんにしても、プーチンさんにしても、あの辺の方々に、若い人の声を尊重する意識があるかどうか、っていうあたりだろうな。いいじゃない、無視できるならしてみろと、いけるところまでいくのも、若い人たちの特権だと、僕は思う。
僕もね、もう、間違ってるか正しいか、あまり気にしないことにした。

この話題の展開、軍事パレードに対するリアクションとして、間違っていますか?間違っていると思う人、右手上げて。そして、左手あげて。次に左足あげて。右手降ろさないで、左手下げて。右手下げて。左足降ろさないで、右足上げて。
あとは、ご自由に。(決して、「右」がアメリカとは、僕は言いません。)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019093000824&g=int
旭日旗禁止求める決議採択=東京五輪で韓国国会

不思議だ。なんだこれ?

そもそも、韓国が旭日旗を忌避しだした発端は、どこかのサッカー選手が何かを言った、ってそこだけの問題で、それ以前は、何一つこうした話題も、記録がないんじゃなかったっけか?
あのサッカー選手以前に、旭日旗を問題視した「記録」が、韓国にあるのかどうなのか。少なくとも、日本にはそれ以前に旭日旗を「問題視」された記録がないみたいだ、と、僕は理解しているけれど。
「国際社会を説得」できる根拠を、持っていると、信じているんだろうか。あ、そうか。韓国国内では、自国独自の「歴史教育」をしているから、韓国人にとっての「歴史的事実」なんて、いくらでも、どうにもなるんだ。問題はそのあと。「国際社会」が韓国の主張する「歴史」を信じるかどうか、ですね。そこは、日本も頑張らなきゃならない。ある意味で、「韓国の主張する歴史」を国際社会に問う、とてもいい「試金石」になるみたい。

なんなんだろ。この盛り上がり。国会で、ほぼ全員賛成で可決?「記憶力」なんてものを、持ってるのかなぁ。記憶力のない人たちが、歴史を語る危険。
日本が、「韓国は、反日教育をやめるべきだ」と国会決議して、韓国にとって何か意味があるの?内政干渉、って言うだろうな。言わない?それなら、日本もやってみたらいいかも知れない。

疲れた。なんなんだろ、このページ。

きゃりーちゃんの、なんだコレクションを聴きたくなった。
持ってねぇけど、ダウンロードすっか?