歴史に残る

チラッと、テレビのニュースで、トランプがエルドアンに送ったていうレターを見た。
(時代が変わったなぁ・・・)
思った。歴史に残る品性のなさだね。

せめて、オブラートに包めよ、って、アメリカにはオブラートはない?
トランプに、上品とか下品とかいう概念はない?

エルドアンのやってることは、気持ちは理解できなくもない。6割5分は、難民をシリアに追い返したい。残りの3割5分は、次の選挙かなぁ。まだ、「公益」の方が「私益」に優っているような気がするから、僕個人的には許せる。唯一許せないのは、戦争という手段、だろうか。無条件に、他人の命を奪い、あるいは自由を奪う、そういう方策は、許せない。相手が誰でも、噛み付くと思う。
いや、ISにも噛み付いた記憶があるけど、歯が立たない、じゃなかった、歯が届かなかったら、負け犬の遠吠えでしかないけど、いいんです。言いたいことを言いさえしたら、無論結果は全部自分で受け入れるけど、自分としては納得できるから、それでいい。ただそれだけのこと。

トランプには、「公益」なんていう概念がない。私益しかない。それなのに、大統領をやってる。僕にはそう感じられる。演説の全文にそのツッコミを入れたいし、トランプ支持のアメリカ人には、世界が見えてない気がする。彼らの世界観は、アメリカを一歩でたら、そこはジュマンジの世界、なんだろうかなぁ。
(ジュマンジのリメイク、レンタルしたけど、僕には前作の方がしっくり来た。年齢の違いだろうなぁ。若い子たちには、間違いなく新作の方がしっくりしただろうな。)

アサド大統領は、何を考えているんだろうなぁ。全ての「公人」は「公益」を最優先にすべきだ、と思うのだが、実際のところ、よくわからない。むしろ僕自身はテロリストと呼ばれている人たちの方が、感覚的には理解できる気がする。自分たちの誇りのため、という部分がどこかにあって、誇りを蔑ろにされた積年の思いが手段を問わずに吹き出している。私欲というのがあまりない・・・のが発端だったのに、暴力的な手法に染まっているうちに私欲の塊にシフトしていく。そうなってしまったら、もはや共感はできないけれども、発端だけは理解できる。ただ、トランプも、アサド大統領も(なんで、片っぽは職名抜きなんだ?)、どこにどうチャンネルを合わせたら理解できるのか、僕の中には合わせられるチャンネルが見つからない。
どうでもいいけど。

プーチンさんは、好きだな。あの人、なんだかんだ言いながら、柔道の「礼に始まり、礼に終わる」なんていうあたりを、表向きは押さえてきてくれてる。ただ、裏でどうこうっていうのは、わからんけど。トランプの書いたレターを見ていて、唐突にそんな気がした。トランプに、「礼儀」ってもんを教えてやって欲しいね。プーチンさんに。

結果において、ロシアが動いてくれたおかげで、民間人の死傷が防げたなら、その行動は称賛されるべきだと、個人的には思う。結果がすべて、だと、自分は考えている。
上の理解は違う。そこに至る心の動きすべてが、筒抜けだし、上から見ていて動機が受け入れられないものなら、上に帰ろうとしてもシカトされるだけなんだろうけど、そう言うのは、肉体を抜けた後の話で、直接関係するのは本人とか当事者だけだから、僕には関係ない。僕は、直接把握していないことには首は突っ込みたくない。
言いたいから、書きたいから書いてるだけ。何の責任もないから、気楽なもんです。

でもなぁ、シリアの内戦、何とかならんものか。「国を捨てる決断」っていうのは、余程の思いだろうという気がする。(なんか、矮小化されてるけど、日本にもいるんだよなぁ。原発事故避難民。結果において言うならば、東電はアサドと同じ。)
今日、ニュース配信で安倍総理が自衛隊の中等派遣を検討、なんて出ていた。難民キャンプ設営のための、インフラ整備のためならば、僕は賛成。でも、アメリカあたりから、臆病者と言われようが、手を汚さないと言われようが、軍事行動がかなりの確率で想定される場に自衛隊を派遣することには、反対。
ただひたすら、誰もがひたすら「自分の生まれ故郷で生きる」ことができる世界であって欲しいと願う。アサドがそんなことを考えてるとは、とても思えないけど。あの人に「同胞意識」はないのか?

表題はなんでしたっけ?「歴史に残る」?
そうそう、トランプがエルドアンに送ったと言う手紙。高校生の作文の方が、まだマシじゃない?「これぞ、歴史に残る名レター!」ってな感じで、残したいね。世界中の博物館で。

それと同時に思う。あぁ言うのが、あっという間に全世界の人々の目に触れる。この「歴史的」な時代。

あたしゃ、もっと書いちゃえば、世界のことなんかどうでもいい。
可能な限り、師匠の言葉を、さらに言えば、師匠がその言葉を口にされた「真意」を、この情報氾濫の中で発信し続けて、一人でも師匠の「思い」に興味を持ってくれる人がいてくれたら、いいなぁなんて思いながら、このページも書いてみた。(このページは、「上に筒ぬけ」って、ただそれだけだけれど。)

ぶっちゃけ、「死んだらそれで終わり」と、本気で考えている人に対しては、何を言っても無駄だと思うし、本気でそう思っているなら、敢えて何も主張しない。僕は押し売りが大嫌いだし、だから僕も押し売りはしない。

それはそうと、明日は19日。
利根川の水位が気になる。

安倍総理が、八ッ場ダムのおかげでああだ、こうだと、おっしゃってたけど、たまたま貯水を本格的に開始する前だったから、氾濫防止に役立っただけ。既に貯水率が高まった状態で豪雨が来たら、八ッ場ダムだって、どんなダムだって、「危険を先送りしているだけ」の存在だと僕はおもう。
気象庁のスーパーコンピュータが予想する「降水量」を反映させて、まだ放水しても影響が少ないうちに貯水率を一気に下げる、なんて言う操作をできるなら、あるいは、そうした決断を誰かが下せるならば、そうすべきだと思うけれども、責任者が逃げていたり、それができなかったら、出来立ての八ッ場ダムだって「緊急放水」がトドメを刺す事態は起きるような気がする。

同じページ内で自分が書いた内容に矛盾するかも知れないけれども、「住む」(dwell)ということの意味を、考えるいい機会になったなら、いいなとは思う。「土地を追われる」んじゃない。状況に合わせて、生活圏を柔軟に変えていくだけ、という発想に慣れたなら、「災害」が災害ではない、単なる「移転のきっかけ」に過ぎなくなる、そんな気もする。
(土地、家屋の「資産価値」にこだわっていたら、やはり、無理か。)

僕は、台風19号も、ほんの序の口だという気がする。