ウケる〜

自分でも、訳のわからんメンタリティをしてるな、とは思う。

論理構築がどうにも上手くいかない、あと少し。
例外処理を矛盾なくさばくテーブル設計・処理構造の設計のところ。時間がかかり過ぎてるだろうと思いつつ、作っちゃてから上手くいかないことに気付くよりはマシだろうと、例によって例の如くの自己ツッコミと、その返し。
意識がそこにずっとトラップされていたから、火曜日の大学院の授業では、とんだ大ボケもやらかした。

その自己ツッコミの途中で、どこかのテレビで見た(いつどこで眺めたか、全く思い出せない)、女子高生が同級生をイジメるのに使った、この「ウケる〜」というフレーズと場面を思い出した。
確かに、かなりおバカな設計を書きかけてはいたんだけれども、この言い回し、面と向かって言われたら腹立つだろうなぁ〜と・・・傷つくよな〜とも思った。「やって見なけりゃ、わからんだろう。」(誰に言い返してるんだ?)

実際に、こういう設計をしてみたらどうなるか、必死でシミュレーションをしている。(あのぉ、よくシュミレーションっていう人がいますが、シュミじゃなくてシミュですから・・・趣味レーションじゃなくて、シミュレーション。)このデータがあそこに入って、ああで、こうで、あ、ダメだというのに気付くのに、やはり結構時間がかかった。(老けたね。)最初から結果が分かっているなら、確かに「ウケる〜」なんだけれども、最初から何もかもわかってる奴なんて、いるのかよ。

誰かの行動をバカにする。確かに、バカにされても仕方のないような行動をする奴はいる。だけど、本人は必死だったりするかも知れない。それを「ウケる〜」とか言って、バッサリ切られたら、どうにもやり切れない。こういう表現が出てくる流れっていうのは、やっぱりイジメなんだろうなぁ。

と、考えていて、ふと思った。原因は教育にないか?教育現場が「正解」しか求めていない。理解する「プロセス」を重視していない。むしろ、大切なのは実際に失敗して、これでは違うと自分で気付く過程なんじゃなかろうか、その失敗する過程を、教育現場で受け入れない。間違っている、そのこと自体を低評価する。その結果として、児童・生徒どうしで(時には、学生と呼ばれるところまで上がってきても)「ウケる〜」という評価をしたりする。もしかして、週2日、この「教える」立場に立っている僕自身も、そういう姿勢を持っていないか、何だか非常に、自分の中でざわついた。間違いを「それは違うよ」と切り捨てていなかったか?教師がそういう姿勢を持っていたら、そりゃぁ、子供どうしだって「ウケる〜」ってなったりするんだろう。
結果として、間違うことに萎縮して、あまり人前で堂々と意見を言えない、何か他人と違うことを怖がる、そういう日本人が量産される。逆に、意見を言ってもいいと感じている場面では、自分が間違っている可能性を一切排除している。

なんとなく、そんなことを考えてしまった。

それにしても、自己ツッコミに、ここまでイラつくか?

たぶん、アレだろうなぁ、老けた自分自身にイラついているんだね。ここから先、こういうことってのは、増えるのかもなぁ。どんどんと劣化していく一方だもの。これを受け入れるっていうのは、結構ハードルが高いかも知れない。
あんまり、慣れたくもないし、そうかと言って、逆らっても限界があるし。