正義って、何なんだろうか?

アムネスティが、韓国の従軍慰安婦問題に言及した、その論旨に、いささかショックを受けている。
アムネスティの活動は、現在進行形の「人権侵害」に関しては、傑出して評価されるべきものだと理解している。その認識には今でも変わりはないけれども、「過去」の認識については、あまりにも、一方の主張に流されすぎていると自分は考える。

韓国の従軍慰安婦問題。激しく表面化するきっかけになったのは、「強制連行」の話題だったと理解している。1980年代終盤から1990年代からだと思う。それ以前には、そんな話はカケラもなかった。ちなみに、私は1959年生まれで、中学高校の頃から、ある程度どんなニュースや話題が流れていたかは、あやふやながら記憶はしているが、こんな話題を見聞きした記憶は全くない。
戦後、40年以上経ってから、突然「問題」が起きた。

戦後の韓国は軍事政権で、根深い「反日教育」は軍事政権の頃からだったのだろうと自分は理解している。正確な理解かどうか分からないが、多くの場合、国内の不平不満をそらすために、海外に「仮想敵国」を設定して、どこかに敵意を向けて、国内の統一を図ろうとする手法は、独裁的な国家ではしばしば用いられてきたと、理解している。
十年程前の中国も「反日」を指導していた。アメリカですらトランプが、ヒスパニックや有色人種に対する差別意識を、しばしば発信して、支持基盤を固めようとしている。どこの国でも、しばしばやっている。韓国の「反日」は徹底していて、教えている「歴史」の内容と日本側史実との相違が、すごい。その韓国ですら、40年以上前までは一切「強制連行」の話題が出てこなかったことを、どう説明するんだろうか?
もし、「強制連行」の事実があったなら、1980年以前の韓国の「歴史」の教科書に、当然「強制連行」に関する「日本による犯罪行為」の記載があって、あるいは、日韓請求権協定を締結するその際にも、この話題が出たであろうはずなのに、一切出てこなかった。その事実をそう説明する?なぜだろうか?考えられる理由は2つ。一つは、そんな事実がなかった、ということ。もう一つは、韓国にとって「女の人権」など気にする必要もないほどの話題であって、「問題」ですらなかった。そのいずれかだろうと、自分は考える。是非、韓国の「歴史教育の歴史」をどなたか調べてみて欲しい。(あたしゃ、こんなもん、書きたいことを書くだけで、基本どーでもいいと思ってる人間だから、確認する気もないし、何もしませんけど。)

1980年代、僕は大学生になって、人と接する機会が格段に増えた。そんな中で、朝鮮半島出身の方と知り合う機会もあった。朝鮮総連(北朝鮮系)なのか、大韓民団(韓国系)の、どちらの方か、なんてことは、全く意識していなかったので、覚えていない。そうした知人もいた。おそらくだけども、家宅捜査(?、きっと非合法の不法侵入)で僕の手帳にそうした名前があって、早稲田出身で、平気で警察に文句をつけるような人間だったから、僕にとってのあの「歴史」が始まったんだろうな、とも思う。神戸での警察官への襲撃なんて、あんなもん、偶然でしかない。(そういった類の「偶然」が、あまりにも多いのが、僕の悩みの種。)
危うく、話題が逸れそうになった。あの頃から、「パソコン通信」というカルチャーが始まった。まだインターネットもない頃の、ネット社会のあちこちに「掲示板」が立った。様々な話題のスレッドを訪れると、かなりの頻度で「北朝鮮は優れた国だ」という書き込みをしている集団があった。僕は、そういうのは嫌い。北朝鮮だけじゃなく、宗教でもなんでも、盛んに喧伝しなければ存続できない人たちがそういうことをやってると、僕は思ってる。色々と、ツッコミポイント満載の内容を真顔で伝えてくるから面倒くさい。その同類項で、北朝鮮の話題もスルーしていたけれども、今にして思えば、「日本軍による従軍慰安婦の強制連行」の話題が持ち上がったのは、正しくその当時だったと思う。

僕のブログは、書きっぱなし。根拠も提示しないけれども、試しに1970年以前に「従軍慰安婦の強制連行」という話題が、新聞なり、韓国の歴史教科書なりに、記載されていたかどうか、調べてみて欲しい。一切、言及がなかったのならば、なぜ、あれほど激しく「反日教育」を行っていた、当時の韓国の軍事政権が、その話題を取りあげなかったのか、日本政府を叩き、金を引き出すの、これほどうってつけの話題はなかろうに、なぜ、「それ以前」の韓国政府が話題にしなかったのかを、考えてみて欲しい。
僕の出した結論は、「強制連行の事実はなかった」。読んだ記憶のある記事では、韓国を支援しようと、ある人が強制連行の裏を取ろうと本に書かれた場所を訪れて聞き込みをしたら、「そんな話は聞いたことがない」という現地の証言があった、という内容が書かれていた。日韓の分断を画策したどなたかが、おそらくはカトリック教会系の人脈(ニューギニアでも、日本兵による残虐行為の証拠集めで動いていたカトリック系の人たちがいた)を通じて日本側に(広めて欲しい)「情報」を流して、それを「人道に反する」と信じ切った素直な日本人が、「本」を書いたんだろうか。(「本」だったか、「記事」だったかは、はっきりとは記憶していない。)それを朝日新聞が拾い上げて、韓国に逆流した。おそらく、悪意はなかったのだろうと思う。だけれども、完全に利用された、とも思う。おかげで、今現在、日韓関係が大変な騒ぎになってる。

従軍慰安婦の方々。気の毒な方々も少なくないと思う。新聞の公募などの記録は残っている。自分で、自発的にその、大金を稼げる「ビジネス」に身を投じた方も、少なくないと思う。言わせて貰えば、今現在、アメリカだって、欧州だって、あらゆる国でこのビジネスが成立している。アムネスティは、そこを問題にしないのか?根底に貧困があるから、全否定したら、餓死するしかない人たちも多数いるのだろうと思う。テロリスト集団が自然発生するのも、同根だと思う。それなのに、なぜあえて、日本と韓国の話題に首を突っ込んだのか?世間の関心を惹きたかったのか?現在進行形の問題の解決ですら難しい、それ以上に、過去の、主張する側は証拠も提示できない話題に首をつっこんで、いかにも自分たちは「人権問題に関心を持っています」と主張したかったのか?僕はそう解釈した。知らなかったのなら、言わせてもらうが、従軍慰安婦が「売春婦」だという記録なんて、もう、数え切れないほど残っている。韓国語で記された内容だった山ほどある。韓国の方々は、都合の悪い情報は無視するだけ。いや、アムテスティが面子を失おうがどうしようが、そんなことはどうでもいいけれども、売春婦の存在一切を非合法化できるほど、世界は恵まれているのか、是非、アムネスティさんも考えて欲しいと思う。皮肉抜きで書くならば、政治もNPOも全員をサポートできないならば、むしろ、売春も「生活の手段」として容認してしまったらどうなのか?それほどの経済的な不均衡が世界には存在していると、まずそこから見つめ直して欲しい気がする。

当時「売春」は非合法ではなかった。貧しい家庭の幼い女子が、「金」のために売られるなど、日常茶飯だった。それは、日本でもそうだったし、日本だけじゃないと、僕は思う。従軍慰安婦として今訴訟をしている方々、あえて冷たい言い方をするならば、年齢的に「自分の意思」でビジネスとして応募した方の場合には、結構な嘘もあるのかも知れない。その一方でまだ幼い頃に「売られた」方の場合、「売った」のは、親かもしくは、親族、親を欺いた近所の人など、本人周辺の誰かが、目先の金にするために、あなたを「金」で売ったんだと思う。そうした「誘拐」に十名前後の日本人が関与したのは、記録には残っているようだ。ただ、その「誘拐」の検挙者数でいうならば、隣人の子供などを「慰安婦」として売り飛ばした朝鮮半島人の数は、日本人より一桁以上多かった記録が残っている。頼むから、当時の「記録」を精査して欲しい。

日本政府の関与があったか。おそらく、まだ「合法」だったそうしたビジネス集団に、軍隊への同行を認めたり、指示したなどの経緯はあるんだろうけれども、強制連行などする必要など、全くなかった。大正から昭和にかけての世界恐慌などの結果、身売りする貧困層からの「供給」は十分に足りていた、それほど日本でも貧困層が厚かったと、自分は理解している。当時の文学や、資料を調べれば、たぶん裏は取れると思う。

だから、主役が日本軍ではない理由は、はっきりしている。当時の日本には、「花魁」だの「吉原」だのの検索ワードでググれば山ほど出てくる「合法化された売春ビジネス」が存在していたから、強制連行なんてしなくたって、公募すれば金のために応募する女はいくらでも確保できた。だから実際、従軍慰安婦として一番多かったのは日本人だった。そうした記録が残っている、と(克明に調べたサイトがあって、それを見た上で、自分は信じたから、)断言する。日本人同士で、持ちつ、もたれつが成立していた。朝鮮半島人でも、同様の経緯だった人が大半だろうと自分は推測する。その一方で、そうした「金になる仕事」に食いついて来て、さらに言えば、簡単に拉致できる女の子を売り飛ばして金にしようとする悪い大人がいて、それが実際に起きたのは、日本人よりも韓国人の方が多かった、ということじゃないかと思う。自分の意思で慰安婦になったのではない、無理やりそうさせられた、としたなら、その経緯に「日本軍」が関わっていたのか、本気で調べて欲しい。調べたって、たぶん、出てこない。「誘拐」を取り締まった記録は残っているが。

そして、ここから先が一番の論点だけれども、「強制」かどうかの経緯はともかく、彼女らは「売春婦」であり、つまりどういうことかと言えば、相当な「料金」を受け取り、上からのピンはねを差し引いても、相当額の所得を得ていた、という、その部分に、かなりの証拠を提示できる日本側と、そうした根拠を一切無視する、欧米を含めた海外との「見解の相違」の溝は、簡単には埋まらないと思う。結局、私もきっと「ネトウヨ」にカウントされるんだろうが、多くの日本人が無駄と思いつつも、コツコツと歴史資料を調べてネットに上げている、けれども、全く効果がない。最初から決めつけられているんだから。

流れとして、もう一つ挙げられていたのは、元慰安婦の方たちの「孤独」があったのだろうとも思う。当時の人たちは、慰安所が売春施設だと知っていた。そうした施設で働いていたことが分かれば、どれほどお金があっても、特に儒教思想の根強い韓国社会ではそうした人々を受け入れようとしない。結果的に、過去を偽って生活するか、生まれ故郷を離れて生活するか、いずれにせよ孤独な生き方を強いられたに違いない。
ところが、「強制連行」の話題が降って湧いた。この話に乗っかれば、「売春婦」ではなく「被害者」として、韓国社会から受け入れてもらえる。そう考えて「被害者」として名乗り出た方が大勢いた、のだろうと、推測して書いていた週刊誌の記事があった。自分も同感で、孤独な老後が一転する絶好の機会に乗ったのだろうと、私は考える。

その流れで書かせてもらうなら、「売春婦の日」を「国民の記念日」にした韓国は、一体どういう人権感覚を持っている国なんだろうか、というのが、可笑しくてならない。なぜ、自分に都合の悪い「史実」を調べようとしない?「王様は裸だ」の現代版だと思う。

慰安婦の方々が気の毒だとも思うのは、今現在だって、東南アジアに「体を張って」出稼ぎに行っている韓国女性は少なくないらしいけれども、韓国の倫理的な解釈では、「売春をするような女は、社会では受け入れられない」という建前があって、太平洋戦争が終わっても、長い間彼女たちはありのままの「自分自身」をさらけ出すことができなかった。今はどうなんだか知らないが。
今現在は、当時の世相を知る人などほとんどいない。僕だって直接は知らない。70年以上が経って、人口の大半が入れ替わっていいる。その結果として、慰安所が売春施設だなどという「常識」は、もはや消え去ってしまい、どこかの国が情報戦略ででっち上げた「強制連行」の話題が膨らんで、欧米の教科書にも載る騒ぎになった。
一体、どこの国が「売春施設」の存在を教科書で教えるだろうか。戦後生まれの世代は、誰もそんな事実を知らずに育った。その「白紙の状態」のところに虚偽の情報が流れたから、一気にそうしたストーリーが「事実」の如く広まってしまったのだろうと思う。

繰り返す。今現在の「若い人たち」は当時はまだ生まれていなかった。その「昔」は、「従軍慰安婦」が「売春婦」だという認識は、一般常識だった。だから、彼女たちは、自分の生き様を表に出すことすらできなかった。ところが、時代が変わって、自分たちは「被害者だ」と主張しさえしたら、社会から受け入れられ、さらには「ヒロイン」にすら担ぎ上げられることを感じた。その変遷が、哀れでもあるし、世の中の大騒ぎが滑稽でもあるし、一人の人間としては、慰安婦の方々に「大変でしたね」と声をかけたいとは、確かに思うが、記録の残っている「事実」は曲げて欲しくない。アムネスティなどにも、きちんと史実を調べてから便乗して欲しいと、自分は思う。

しつこいようだが、当時の「一般常識」がなぜ現代は残っていないのか。あのさぁ、男が性的な欲求を満たすためだけに存在している「裏のビジネス」を、学校で教えたり、表立って語り継いでいる国が、世界中のどこにあると思います?韓国は「被害者」を看板に掲げて騒いでいるから、「語り継ごう」としているけれども、その語り継ぐ実態が「売春婦」だという証拠は、山ほどあるのに、なぜ目を背ける?「売春婦の日」を「国民の記念日」として制定した、全世界で唯一の国として、ギネスブックに登録したいのか?とにかく、しつこいようだが、僕が絶句したのは、アムネスティがそれに乗っかった、ということだった。

さて、何が正義なんだ?

ちっちゃ!見にくい!

まだ、昼を回って少しなのに、早くも目が疲れてきた。メンテをしてるのは、Ruby on Railsのプロジェクト。以前はAptanaを使っていたのが、更新されなくて、Githubとの親和性の理由で、Atomに落ち着いている。
Djangoだったら断然PyCharmなんだが、Railsは最近ずっとatom。

で、Atomの編集域はフォント設定とかできるからいいんだけれども、問題は、左側のプロジェクトペイン。

右側のコード領域は、デフォルトが14ポイントのところを16ポイントに設定変更して作業中。背景色も、デフォルトの色指定でほぼ問題ない。この大きさなら、一日中コードを読んでいても全然疲れない。けれども、プロジェクトペインとかは、指定ができない(と思う)。探し方が悪いのかなぁ。ライトグレイの背景色に、黄緑色の文字、ってのは、やめてもらえないかなぁ。なんだか、保護色っぽく見える。しかもたぶん、10ポイント位だと思う。若い人には良くても、このジジイにはキツイ。
変更できるようにして欲しいなぁ。

ロジックだけの時はいいけれども、メンテナンスの時って、かなり、あちこち、多くの種類のファイルを同時並行で修正するから、それだけプロジェクトペインを見る回数が増える。ファイルを探す回数が多いと、目が疲れて、筋肉痛みたいな感じになる。ってか、今なってる。

Macの option-command-8のズームは愛用しているものの、やはり、基本的にこの辺りも、「設定」で変えられるようにして欲しい。探しても見つからなかった。ググっても、それらしいページがない。あるいは、コミュニティパッケージなんかで、あるんだろうか?あるとしたら「atom 老眼」でググると出てくるようにタグを入れていただくとかすると、とっても有難いんだけれども・・・
要するに、あれか?老眼が始まってからも、まだコードエディタを開くような人は、世間にはいない、と、そういうことかなぁ?

この、プロジェクト・ペインや、プロパティ・ペインなどの属性を変更できない、っていうのは、他のIDEにも共通している気がする。それでも、PyCharmなんかは割と見やすい。かなり長時間使っていても疲れにくい。最悪なのは、Mac版のVBAのExcelマクロの編集ツール。(Windows版は知らない。)プロパティペインなんて、7ポイントか8ポイントじゃないか、という字の小ささで、本気で凝視すればきちんとピントは合うんだけれども、長時間続かない。無論、いずれのツールも、エディタ領域のフォントの大きさは変えられるんだけれども、属性領域とかプロジェクトペインなどは、全く文字サイズも色も設定変更不能だから、そういう意味で使い勝手が悪い。

Atomなんかだと、自分で解決策を見つけて、コミュニティに提供して、貢献するべきなんだろうけれども、すみません、余力がありません。

余談だけれども、ExcelのVBAのマクロ編集のエディタ、キャレット位置の計算が半角文字専用になっているらしく、漢字が含まれている行は、キャレットの表示位置が実際の文字の位置とずれてしまっていて、Back Spaceで文字を削除しようとすると、キャレットとは全然違う、かなり右の方の文字が消える。これは、使い勝手がどうこうというよりも、はっきり言ってバグだと思う。Microsoftも、やきが回ったか?(すみません、僕のMicrosoft嫌いは結構筋金入りで、表現にオフセットが乗ってる点については、予めお詫びいたします。)

昔だったら気にもならなかった「不自由さ」っていうのが、歳とともにだんだんと出てくるもんですね。特にここにきて急激にあれこれと、目立ち始めている。

現役寿命を一年でも延ばしたい私としては、どなたかに解決して欲しいと懇願いたします。

コンピュータっていうのは、僕らの「不自由さ」を解消するための道具だと思うから、そのコンピュータで作業をするために「老眼鏡を作る」なんていうのは、ちょっとシャクな気がする。

今までずっと裸眼で生きてきた。でもなぁ、潮時かなぁ。それでもやっぱり、もう無理だ、限界だってなるまで、これからも、可能な限り裸眼で過ごしたい。

走馬灯の如く

納期のある仕事を抱えているから、学校の授業準備はさっさと片付けたい。
来週の教材の準備をしていたら、今週の授業中のシーンが何度となくリフレインされて、どうにも落ち着かなくなった。
瞬間に走馬灯の如く、起きた一連の出来事が意識の中で再生されて、って、違う違う、まだ早いし、お迎えも来なくていいってば。

公衆衛生学の国家試験問題。人口動態統計のところで、一年間の出生数が100万人を切ったとか、「一年間の死亡数は、100万人よりも少ない」という文章があって、○か×か。学生から「わかりません」という返事が返ってきたので、諦めるなと言った。国家試験の本番だったら、とにかく粘れ。「日本の人口は何人?約でいいよ。」「1億2千万人です。」「じゃぁ、平均寿命を80歳として、80年で人口が入れ替わるとしたら、毎年何人ずつ死んでる?」質問の仕方が悪かったかと、思った。「1億2千万人の人口が、80年の間に均等に死んでいくとしたら、毎年何人が死んでるでしょう。小学校の算数の問題。」150万という返事が返ってきた。正解。ということは、「100万人より少ない」は明らかに間違い。

と、言ってしまってから、非常に気になった。こんな問題を、もし小学校の算数で子供に提示したら、ほぼ間違いなくPTAからクレームが来る。だろうなぁ。気分が妙にワサワサした。(ザワザワほどでもないし・・・微妙な気分。)気になって仕方ないから、口に出して言っちゃったよ。「こんな問題、小学校の算数で出題したら、絶対にクレームが来るとは思うけど。」ここで、妙にシニカルな笑いをしてウケてた学生もいて、ブラックな話題に反応しがちな年頃だとしても、ますます気が滅入った。
あくまでも、人口動態統計の話題なんですが。

発した一言が、相手には全く違って伝わることは、よく経験している。
ずいぶん昔、ハードウェア実験で、学生にハンダ付けをさせた時、T君が「先生、こんなことやって、何かの役に立つんですか?」とか言うから、「医療機器だって中身は電気回路だから、壊れた時に修理する場面だってあるでしょうが。」と言ってから、ふと自分でも、そうかなと気になって、「ただ、実際には、今はもう配線が細かすぎて、基板交換で、基板ごとメーカーに送って交換したり、っていうケースがほとんどだとは思うけれど。」と、余計な一言を付け加えた。
この時のハードウェア実験は、大御所のT先生とペアを組んでいた。T先生は、CDとかDVDのフォーマットを決める国際会議の座長を勤めたりされた大御所で、エンジニアとしては尊敬すべき「頂点」にいる方の一人だろうと思っていた。そのT先生が、この後「小林先生、学生になんてことを教えるんですか!」と本気で怒ってきた。「何のことですか?」「半田付けなんか覚える必要はない、とか学生に言ったんでしょう?困りますよ。カリキュラムで・・・」「先生、そんなこと、言った覚えはありません。」「いや、T君がサボっていたから指摘したら『小林先生が、こんなこと役に立たないから覚えなくていいって言ってました。』とか言ってましたけど、困りますから・・・」(以下省略)
「やられた」と思った。あの話が、そういう形に化けて、サボる口実にされちゃうんだ。T先生に私の言い訳を聞き届けて頂けたかどうか、あとで、結構ヘコんでた。
そういうつもりじゃ、なかった。と言っても、誤解されるような言い方をした方が悪い。あるいは、相手を見て伝える内容を選ばなきゃ。

さらに追い討ち。血液浄化療法の問題。「空気送血をしてしまった時、とるべき対処法」。
えらく悠長なことを書いていた選択肢の、次の選択肢の表現が「ポンプを停止する」とあったので、つい、「何だよ、まだ止めてなかったのかよ」とボヤいたら、なんだか結構学生にウケた。ウケ狙いでボヤいたんじゃない。ちょっと、真剣に考えて欲しかった。

前の学校の、卒業生たちがOB会で交わしていた会話を思い出した。医療過誤の保険に、いくら入る、という話。何千万とか、億まで届くような話もしていたなぁ。そういえば、交通事故の対人保険の上限が、「億」になり、いつの間にか「無制限」というクラスが出来た。億まで届いてるのか。
「あのね、空気送血って、致死的な事故になりやすい。過去の事故事例でも、患者が死亡したケースとかがある位だから、君ら、ちょっとしたミスで人を死なせてしまうかも知れない職業に就こうとしてるんだよ。」ここまで口にしたら、怯えたような表情をした女子学生がいた。「だから、絶対にミスはしないっていう覚悟でやらなきゃいけない、そういう場面があるんだよ。」ここで止めときゃよかった。
「以前いた学校で、卒業生たちが、こんな話をしていた。医療過誤の保険で・・・」あぁ、全くもってもう、余計な話を・・・
しかも、話の切り方が不自然だった。保険に入っていれば、医療過誤を起こしてもお金で済ませられる、そんなことは一言も言っていない。言っていないけれど、悪意を持って話題の切り口を拾うと、そう解釈されかねない話題の切り方。
ここから先は、その後の頭の中でのシミュレーション。大切なのは、誠意。心を込めての謝罪でなければ、「誠意のなさ」は相手に伝わる。(いや、ちょっと待て、誰も事故なんて起こしていないでしょうが。)ダメだ、ますますドツボにハマるなぁ。
結論:余計な話はするな。いや、だけど、こういう余計な話をするから、時には、良い方に振れて、「すごく、わかりやすかった」とか「とてもやりがいのある仕事だと思いました」とかいう反応がある、ことも時にはある。全ては、話題の流し方次第。今回のは、悪い展開例の典型だったかも知れない。反射神経が鈍った。

もういいや、良かれ悪しかれ、これが僕のスタイルだ。

と、思いつつ、一番収拾のつかない話題に踏み込んでいないか?
ここ。「心を込めての謝罪でなければ、『誠意のなさ』は相手に伝わる」、ってとこ。ほれ、他ならない韓国。
私、韓国がらみの話は、一切していませんから。なんて言ったって、これまでがこれまでだから、絶対に何かにこじ付けて、難癖つけられるって。(大丈夫、あんたは全然偉くないから。それに、被害妄想じゃねぇか?お前のページなんか、読まれてねぇよ。)僕のこの、ネガティブ・スパイラル、始まっちゃうともう、歯止めが効かない。

だいたい、日本からの謝罪なんて、何度やったって「日本は謝ったことがない」とか言われる。韓国側が覚えてないだけでしょうが、とも思う。僕ら、テレビで偉い人の謝罪を何度もライブで見てるのに。「何度も」なのに。一度も、とか言われる。
最近は、「謝罪したことがない」とは言わなくなった気がするが、「心がこもっていない」って、心がこもってること、なんて証明のしようがない。そこに話を持ってくるか、とも思う。だいたい、事実と異なる主張すらしているのは、どっちだとも思う。それを押して謝罪した挙げ句が、「こんな金は受け取れない」という返事。もはや、謝罪しても無駄、金を出しても無駄、という気がしている。
(やめときゃいいのに、どうして、こうやって、どんどんとドツボの底を掘り進めるんだ?)

書きついで。毒をくらわば皿まで。

徴用工問題で、日本企業が謝罪していない、という主張があるけれども、日本企業が主体的に徴用した訳じゃない。賃金未払いの対象となった半島出身者の大半は、自分の意思で職業として日本に来た人が多かった、と何かで読んだが、まず、その部分で主張が噛み合っていない。(韓国側からは、全員が強制的に徴用されたような主張ばかり。)当時の状況は、「徴兵」で働き盛りの日本人の多くは戦争に駆り出されて、多くの企業で深刻な「働き手」不足に直面していた。ところが、軍需企業は戦争を遂行するために「生産」を厳しく命じられ、それならば朝鮮半島から人をかき集めよう、と決めたのは、おそらく「大本営」であって、個々の企業ではないだろうと思う。「大本営」の意向に逆らうことの出来た日本人なんて、おそらくいない、そういう時代だった。
この話題には直接関係はないけれど、こんなページも見つけた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5

とにかく、軍需工場での生産を急かしたい軍部が、「働き手不足」を口実にさせないために、人手をかき集めたというのが当時の状況だと思える。加えて「終戦後」に関係が断絶して、直接弁済する手段がなくなったとしたら、「未払い賃金」を精算するためには、日韓請求権協定などを通じて行うしか、方策がなかったんじゃないかとも思うし、軍部に軍需品の生産を命じられていただけの企業側に「謝罪」するべき必然性があるとは、到底思えない。負けて関係が突然断絶したから、混乱の中で払えなくなった。それを意図的に支払っていないとされたら、身も蓋もない。本来、謝罪すべき当事者の大半は、軍事裁判の結果処刑されているんじゃないかとも思う。

パプアニューギニアの、ちょっと奥まったアフアという村に慰霊に行った際、持ち歩いていたラジオから流れたNHK国際放送の中身は、これ。一緒にいたご遺族の方々も、感動されていたよ。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
この村山談話。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

確かに、人対人で向かい合った際、心のこもっていない「謝罪」などは、見透かされるし、そんな「謝罪」をされても、むしろ一層許せない気持ちになることもある。
ただ、この談話、村山総理という人柄。本当に「心のこもっていない謝罪」なんだろうか。

この談話ばかりでなく、何度となく、これに近いレベルの発言があるにも拘らず、韓国からは「心のこもった謝罪がない」の反応ばかりが返ってくる。もはや、何を言っても、何をしても無駄。だと思う。(個人の感想です。)

さすがに、ここでやめておく。これ以上書くと、話がどこにどう転がっていくか、まったくわからないのが、私の悪い癖で。

言葉を発するのが怖くなりました。
授業中、一言も言葉を発せずに、教壇に立ったままじっとして、1時間半が経ってしまいました。なんてなったら、学校から責められ、学生から責められ、父母から責められ、あぁ、もう、人生の破滅だぁ・・・
なんて、そんな心配ないか。だいたい、僕が、1時間半も黙っていられる訳がない。いいや、もうやめとこ。

発端は、「公衆衛生学」の問題を扱った授業中での一言でした。その同じ日に、「金さえ払えばそれで済む」とでも、受け止められかねない話し方をして、「やっちまった」の大量連発。

いいです、馬鹿です、私は。はい、終わり!

大根1本70円

本当にいいのかなぁ、申し訳ないなぁ、と思いながら、買ってきた。

想定外の仕様変更。データを受け取る先のシステムで、出力仕様が変わったため、玉突き式に私が作った納入済みのソフトも仕様を変えざるを得なくなった。(しかも、出力されてるデータに漏れがあって、明らかなバグだと思う。)こちら側でリカバリをかけられる部分と、そのまま表示せざるを得ない部分が出てきて、「そのまま」の部分については、うちのバグじゃありません、と納得していただかないと・・・。(見れば明らかなんだけど。)ただ、こっち側で使うデータは、プログラムさえ書き換えれば、拾い上げられるから、機能そのものは、きっちり提供できる。

作業見積もりを連絡して、一区切りつけて、さすがに頭が疲れて、農協の直売所へ。そうしたら、楽に40cmはある、(測ってないけど、もしかしたら50cmはありそうな)大根が、ほとんど税抜き120円台とかで売られていた中で、税込70円くらいの値段で置かれていた1本を見つけた。なんでだろう、なんでだろう、って眺めていて気がついた。ちょっと、「く」の字っぽく曲がってる。それでほぼ半値?スーパーじゃない、直売所なんだから、遠慮せずに堂々と120円とか値段をつければいいのに、とか思ったんだけど。ありがたく、買わせていただきました。日本って、こういうところがあるんだよなぁ。野菜が曲がってるのは、不具合でもなんでもないと思うんだけど。

こんなん、丸々1本買ってきて、どうするのって、実は事務所でぬか漬けを始めてる。漬物にハマり始めて、ついにここまで来ちゃった。だって、自分で漬ければ、安いんだもん。それと、もう一つ。あの「ぬか」をかき混ぜる時の、感触。幼稚園の頃の泥遊びを思い出す。なんだか、「ぬか」に手を突っ込んで、かき混ぜて、中からよく漬かった大根とか、ニンジン、カブとかを取り出す時の感触がたまらん!まんま、泥遊びっぽい。コーディングの合間の、煮詰まった時の気分転換には最高です。タバコとコーヒー、よりも、ぬか漬けを取り出して、日本茶を淹れて、お茶とぬか漬けでブレイクしてから、また、コーディングを再開する。面倒なロジックの時にも、延々と続く単純作業の時にも、どっちのブレイクにも、これはいい。糠漬け好きだし、気分転換にもなるし、一石二鳥の「オモチャ」を見つけちゃった。
システム設計、プログラミングの休憩に、ぬか漬けと日本茶は、最高です!タバコとコーヒーよりも、たぶん、多少は健康にも良さそう。

泥遊びで、思い出す。この間の中学校の同窓会、「なぁ、俺のこと覚えてる?幼稚園の時から一緒だったんだで。」覚えていた。なぜか、幼稚園の頃から一緒だった子たちのことは(「子」って、みんないい歳したオッサン、オバサン、だけど)結構、すぐにわかった。空白なのは、小学校1、2年の時かなぁ。「ごめん、思い出せない。」名乗ってもらって、言われてから、あ、そう言われてみれば、っていう感じで思い出した。でも、これで幼稚園の時から、この年になるまでの記憶が、一本に繋がるかさぁ。

泥だらけで遊んでたよな。泥がついた野菜を、ちょっと水ですすいで、そのまま食べても全然気にしなかった。(今でも気にしない。女性の知人とレストランで食事した時、床に落ちたレタスの葉っぱを拾い上げたら、「良かった、食べちゃうかと思って、冷や冷やしてた。小林くんなら、食べかねない。」ニューギニアからの帰国直後でしたからね。)でも、そのシチュエーションでなければ、食べてたかも。人に食わせるために漬けてる訳じゃないから、色は綺麗じゃないけど、人参も、カブも、皮は剥かない。皮を剥けばきれいな漬物になるけれど、皮の方が栄養がありそうな気がするし、泥が落とし切れていなくたって、多少は雑菌を体に入れてた方が、健康を維持しやすい気がする。インフルエンザの予防接種を一度も受けていないけれど、もう20年間以上、もしかしたら30年近く、インフルエンザにはかかっていない、というか、風邪もほとんどこじらせてない。「衛生環境」に関する感覚が、世間とはずれてるんだろうなぁ。でも、台所のフキンとかは、定期的に煮沸している。(事務所では、の話であって、管轄が違う台所には、干渉しないけれど。)

自分で漬物を漬け始めてから、実は、微妙に体重が減り始めてきてる。絶好腸だし。

それにしても、見た目が曲がった大根が、安くなるって、本当におかしな文化だと僕は思う。安く手に入るから、ありがたいですけどね。

行き着く先

トランプが、「アメリカ第一主義」を掲げたお陰かどうか、わからないけれども、世界中で「過去の蒸し返し」が起きている気がする。

翻って、もし、周辺国から日本にそれが飛び火して、世界からその「周辺国」への援護射撃があるなら、日本も、東京大空襲だとか、原爆投下に関する人的被害に関する損害賠償を、改めて、アメリカに請求する(第二次世界大戦当時の客観的な基準で、民間人を殺すことが正当化されるのかどうか、という一点にかかると思うが、)という状況に、シフトしないか、なんていうことを思ってしまった。

「あり得ない!」そうかも知れない。ただ、その一方で、ひたすら騒ぎすらしたら、謝罪、というよりも、金が取れる、というそういう流れが定着するのならば、日本だって、それに乗っかっていいんじゃないかな?

中国とか、ロシアがどうか?知らん。トランプ流で、Japan Firstで本気になったら、ガチで賠償請求できると思うな。そもそも、トランプ大統領は、東京大空襲なんて、知らなかっただろうと思うな。日本がアメリカに本気で喧嘩腰になったらら、相当に世界規模で、「面白い」状況になるかも知れない。あおれ、煽れ、ってな感じか。

だって、歴史が大事なんでしょ?

アムネスティに物申す

人権は、とにかく尊重されるべきだ。あらゆる迫害は、コツコツと、排除していくべきだ。
この点については、同感だけれども、思うことがある。

ヒトは嘘をつく生き物だと、思う。自分を守るため、より自己の利益を拡大するために、時として平気で嘘をつく。
最初は戸惑いながらも、嘘をついているうちに、その嘘に固執して、「事実」など、どこかに消し飛んでしまう。
そうしたヒトの本性を、ご理解いただいた上での活動なのか、という点について、一言書きたいと思った。

根拠があって、書いている。第二次世界大戦に関連して書けば、裁判でどれほど罪のない日本人が裁かれたか、日本側にはそれなりの資料はある。一方で、民間人を焼き払うような空襲を仕掛けた側には、一切の咎めがない。そうした状況を受け入れてきた私たちの、上の世代がいた。そこは、蒸し返さない。ここを蒸し返していたら、どこかの国と同じ、低俗なところに日本が留まると思う。(あえて、「低俗」と書いた。)アムネスティが問題にしそうな、「非人道的な扱いを受けた」そうした日本人を探そうとしたら、80歳、90歳を超える方々の中にも、数十万人の該当者が挙げられると、僕は思う。相手となる「国家」は、今でも存続している。バカな大統領を担いで。

アムネスティが取り上げようとしているあの話題に関して、いささかの憤慨を感じつつ、書く。事実に基づいて物を言え、と言いたいところが、感情的になってしまっている相手には、何も通じない。それが日本の状況だと私は考える。そもそも「証言」が頻回に翻る。その都度、日本を責めるように内容が変わる。その「変遷の歴史」を指摘したって、聞く耳を持たない。もはや、なす術もない。願わくば、客観的な第三者に、せめて、その「証言の変遷の歴史」だけでも検証してもらえれば、多少は日本の立場をわかってもらえるかと考えるのに、最後に出てきた最も過激な内容にだけ、世界もアムネスティも反応している。この状況が、極めて苛立たしい。言葉を選ばずに書けば、嘘がエスカレートした極致にだけ、反応したがる人たちがいる。そうやって、乗ってくれる人たちがいるなら、嘘をつくことが快感にすらなる、というのは、私自身も経験したことがある。今改めて、自戒しているが、それが現状だと僕は思う。

欧米の歴史教育では、物理的には考えにくい数字を平然と扱った「教科書」で、日本人の過去を糾弾する。だいたい、歴史学者も社会科学者も、数字とか、物理的な状況解釈には無頓着で、同時に、学習する側はステレオタイプこそ楽な処世術で、そのあり得ない記述を「事実」として受け入れる。その影響が全く消し去れない状況があると思うから、私は不快に感じる。自国の過去の暴虐を正当化するために、根拠のない数字を「事実」として教える、そうしたカリキュラムを組む。再び、言葉を選ばずに書くなら、理系の感覚で言ったら、文系はバカか、と言いたい。そうやって、民族差別を助長する。

あの「協定」は、紛糾しそうなら、第三国の調停を求めるという記述もあったはずなのに、その部分を頑なに無視している他方の当事者がいる、と、日本側べったりの私は考える。客観的な事実を羅列されると、自分の主張が外には通じないことが明らかになることを自覚しているからだと、私は解釈している。そうして、感情的に、ヒステリックに叫び続けていれば、アムネスティのような団体が、乗ってくる。それが狙いかと、僕は思う。

思うに、300年前に遡ったら、欧州だって、いや、全世界で、「他人の子供」なんて、うまく捕まえて売り払って、その後、女なら性の奴隷になろうが、男ならひたすら肉体労働に酷使されようが、知ったことかで、人身売買が横行していたと思う。そうした行為が、「悪いことだ」と理解され始めたことは、素晴らしいことかも知れない。だからこそ、今こそ、どこの国も、まず自国の歴史を丁寧に調べてみたらどうか?当事者が生きていないから、どうでもいい、そういう問題か?どうでもいいなら、問題にするな。
次に、そうした事実がどこの国にもあったとして、「誰」が「誰」を捕まえて売り払ったか、というその「誰」が問題になるんじゃなかろうか。実際には、自分のご近所さんだったり、親族だったりする場合がかなりの比重を占めているだろうに、そういうのを全部「日本が」とすり替える。どこかの国の政治的な情報戦略が、という部分は、かなり否定されつつあるのに、感情的な騒ぎだけはしっかり残ってしまっている。まず、根拠を示せ、客観的な証拠を示せ、と言いたい。ご本人に、かなりの苦痛があったことは理解する。だからと言って、騒いで嘘をつくことが許されるとは思えない。苦しい経験をした者は、どんな嘘をついてもいいのか。

アムネスティは、どこを見ているんだと、僕は思った。以上。

身の丈

「身の丈にあった受験を」なんて言う発言だったか、聞き流していたので覚えてないけれど、それで大学入試の英語の制度変更が先送りになったらしい。
制度についての是非は、よくわからないから言及しないけれども、金銭面に関して「身の丈にあった」受験をするように、と言う発言は、むしろ「常識的」かも知れない気がした。ただ、制度設計する側が、想定すること自体に問題があったのだろうか。「身の丈に合わない挑戦ができる」ように、制度を設計するべき側がこうした発言をしたから問題なんだろうけれども。その文脈では、麻生大臣の方が遥かに問題発言は多い気がする。何を言っても無駄だと、突っ込まなくなっただけのような気もする。

採点する学校側でも、「身の丈にあった学生」しか受け入れられない、そんな気もする。もう、専任の立場は離れたから言いたいことを書けば、学生数に対する教員数で、もう、回せる下限ギリギリのような学校で、受入学生の質を高めたいとか言って凝った問題を作ろうとしたって、採点する頭数が足りなくなるだろうし、そうして、頭数が足りないことになって民間事業者に投げたら、採点の質が確保できませんて、そもそも教育の質が確保できないから外部委託って話になったんじゃなかろうか。
日本の人口あたりの、国による教育支出は、先進国で最下位らしい。その結果ではないのか。

民主主義国でなければ、国が国民の身の丈をどんどんと下げる。ミサイルを作る金はあっても、国民を飢餓から救う金はない。人口が減る一方だろう。
日本は民主主義国家だけど、戦闘機を買う金はあっても、凝った入試問題を採点する教員の頭数を揃える金がない。もう、質にはかまってられない、って話なんだろうか。

民主主義国家では、身の丈にあった政府しか持つことができない。これも、昔から言われていた「常識」であって、どこでどう、目くじらを立てる話になってるのか、僕にはよくわからない。「貧乏人は麦を食え」とか、あれも、誤った解釈が広まったと言う説を聞いたけれども。

「身の丈にあった生活」って大切だと思うな。僕らは、日本経済が回ろうが回るまいが、一円でも少ない支出で生活する。それだけのことだと思う。金なら、麻生さんたちが使ってくれる。安倍さんが掲げた「シャンパンタワー」は、全部途中で消えている気もするし。

交通安全

昼のニュースからのNHK付けっぱなし。どこかの政党さん、別に、NHKから守ってくれなくてもいいですけど。ラジオならタダ。

ゴゴラジの武内陶子さん、「交通安全に気を付けて」の一言、言わなかった?。あれ?え?

気を付ける、「安全に気を付ける」って表現はアリなのかな?「安全に配慮する」ならアリですよね?気を付けるのは、事故?「車に気をつけて」は言うよなぁ。「安全に注意して」は、アリ?なんだか、よくわからなくなった。自信ない。若者言葉の「それチゲぇだろ」(=違うだろう)の表現の違和感が半端なくて、やっと馴染んだと思ったら、なんだか自分の感覚が、ちょっとおかしくなって来た気がする。(元々か?)

「交通安全に気をつけて」とか言われると、交通安全で取締中のパ、パ・・・パパイヤ鈴木さんが交差点に立っていても、脇見運転するのはやめましょう、みたいに聞こえる。(苦しい)

とかって、ラジオに突っ込んでる暇ないでしょうが!

あぁ、もう、プログラミングの「こんせんとれーしょん」が・・・。最近、スイッチの切り替えが下手で下手で。

ニュースも一切聞かない、のが、正解かも。

思考回路

日曜日は師匠の講演会。

Djangoの実装が大詰めで、本当は、そちら「も」とても大切ではあるんだけれど。うまく、優先順位がつけられない。その都度、目の前にあることが「一番」大切で、できるだけ素早くチャンネルを切り替えたい、んだけれども、どうしても、若干引きずる。
で、とりあえず、漠然と考えていたことを吐き出して、次に行こうと思った。いいとか悪いとかじゃないし、正しいとか間違っているとかでもない、とにかく考えたことを吐き出しておかないと、次に行けない。

昨日は、想定外に自治会絡みの用事があり、来週の(今週の、か)授業教材の準備を片付けて、そうこうしている間に、ついにプログラミングに頭を切り替えることができなかった。
本当なら、Djangoの公式文書に全部目を通してから設計すればいいんだろうけれども、Tutorialから読み進めると、英文でたぶん、400ページは超えると思う。無理だ。それならば、とにかくググりまくって、とにかく作り始めて、うまくいかなかったら、そこで初めて、公式文書を読めばいい、そんな安易な考えで始めたところが、何箇所もドツボって、松尾君にHELPを投げた後、自分は学校で授業したり、自治会の用事を片付け、そして今日は師匠の勉強会に参加したり。そんな中で、松尾君から「問題解決」のメールが入っていた。タイムスタンプは、午前3時。申し訳ない。
彼の指摘で、僕も、理解した。これでかなり(いや、もしかしたらほとんど、)僕の設計ミスが解消する。彼と知り合えた「偶然」に感謝。たまたま、僕も松尾も、パプアニューギニアに足を運んでいた時に、たまたま顔を合わせる、という「事件」が3回も起きた。最初はPort Moresby。次はMaprikだったかな。確か3度目はWau。よくもまぁ、いく先々で、と、思った。しかも、それぞれが前日までは全然違う場所にいたのに。とても不思議な縁だけれど、少なくとも僕は、仕事上の知人にはとても恵まれている。ただ、これ以上彼に迷惑をかけたくないし。
さっさと、頭をクリアにして、プログラミングに戻りたい。

相変わらず、話の枕が長い。こういう時は、きっと、まとまりのつかない長文になる。だから、読まなくていいです。と、最初に書いておこう。

もう80年近く前だったと思う。かなり残酷な、ある「科学的な実験」が行われた。生まれたばかりの子猫を、縦縞模様しか見えない部屋に、目が開いてから一週間程度閉じ込める。そうして育った猫は、柱を避けて歩く(※1)ことができない猫になる。(※1:すぐ後に続く話と、ちょっと逆だったかも知れない。)今度は、横縞模様しか見えない部屋に、目が開いてから一週間程度閉じ込めると、テーブルの上に飛び乗ったり、階段のような段差のある場所をうまく歩けない猫になる。(改めて、縦線、横線が逆だったかも。)つまり、生後1週間程度の間に、視覚画像から「縦線成分/横線成分」を分離抽出して理解する「神経回路」が形成され、それ以降では形成できない、という結論が記されていた。
これは、人工知能ではない、「自然知能」の、動物の脳の神経回路網形成の話題で、この実験から、脳の「認知機能」は、それぞれ数日から十数日スパンで形成される何層もの「認知層」が、段階的に積み重なって徐々に、複雑な対象物を「認知」できるように形成されてくる、ことがわかったらしい。僕が、いわゆる「ブラックボックス化」の、”Hidden Layer”に頼り切っている、Back Propagationなどに基づく「機械学習」に懐疑的な根拠は、この「自然知能」との根本的な「学習プロセス」の違いにある。
今、日本は「人工知能後進国」になったと、孫正義さんが講演されていたらしいけれども、僕は、それは「産業用」に、実用可能な「上澄み」だけを手っ取り早く実現しようというアプローチに、乗り遅れているだけの話ではないか、という気がする。もし日本が、「人工知能」についての「基礎」を固めるということならば、時間をかけて、一見、無駄とも思える「基礎的な事柄」(例えば、縦線、横線、基本図形、基本的な動き、明暗、色調、テクスチャー、などなど)の特徴を学習をさせた「学習済み回路網の係数セット」などを蓄積させることかも知れない。(いや、案外中国なんかは、既にそれをやっているのかも知れないけれど。)
この話題は、ここまで。

別の話題。人間の脳は「サボって」余計な情報処理を簡略化する傾向がある。つまり「似たようなもの」を、同じ回路を使って処理する傾向がある、という話題を何かで読んだ。(たぶん、学術誌)

枕が長すぎるので、いきなり本題。
まず、師匠の講演会からの話題で言えば、生まれたばかりの子どもの「魂」は、「上」から降りてきているから、全く汚れがない。親に虐待されて亡くなった女の子がいたけれども、彼女が親を「憎悪」していたとは、どうしても思えない。当然、幼い子どもたちの魂は、あまり汚れないまま肉体を去るから、地上に留まって誰かにチョッカイを出すなんていうケースは、まずない、と、私は理解している。

ところが、そこそこ成長したあたりで、大人がおかしな教育をする。「あの子は、人種が違うから、遊んじゃダメだ」と。例えば、何十年か前のアメリカの黒人差別。日本でも、部落差別があったし、朝鮮半島出身者や、中国人に対する差別も確かにあった。その反動が出ているのならば、日本側も甘んじて受け入れるしかないとは思うが、他方では「反日教育」が、幼児期から徹底されていたりする。時には、「あの民族は劣っている」という虚構が混じり、「あの民族はこんなことをした」と、針小棒大の「歴史の捏造」があったりもする。そうした、相当に「話を盛った」題材を持ち出して、誰かを「侮蔑する」とか、「憎悪する」などを子どもに教育している、そうした国や地域が、世界中に少なくない、という事実があると、僕は思う。
ふと、今日考えたのは、そうした「教育」に晒された時に、人の脳は何を「学習」するんだろうか、ということだった。

おそらく、「日本人を憎悪」するように教育された脳は、まず単純に「他を憎悪する」思考回路を増強させる、と、私は考える。なぜならば、ターゲットに関する学習と、感情を励起する部分の学習とは、メカニズムが別で、そもそもが「他者を憎悪する」思考回路が十分に形成されていない、あるいは、形成する必要もない子どもに対して、そうした教育を行えば、当然のことながら、憎悪だけ強調されるような思考回路がまず特化して強化され、そこに「ターゲット」として日本人がくくりつく、という回路網が形成されるように、自分は考える。
この辺は、Artificial Intelligence(人工知能)とか、Neural Network(神経回路網)の話題ではなくて、Cognitive Science(認知科学)の領域の話題から、その結論が出せると思う。
結構リキ入れて書いたつもりだけど、本職の「脳科学者」に言わせたら、「全然違うぞ」なんて、なるかも知れない。そこはそれ、所詮は好き勝手かけるブログですから。読み流してください。

そうして成長すると、社会経験を通じて、自分の生存に不都合な相手に対して、対処法として「憎悪する」という感情形成を、身につけてくるように、自分は感じる。そうなった時に、「憎悪する」という感情が異常に特化して形成されていると、子供の頃に「あの人種は」とか、「あの人たちは」と、「学習」対象としてきた相手以外に対しても、容易に「憎悪」の感情を抱きやすくなるのではないか、と、自分は考えた。
間違っているかも知れないけれども、その結果として、どういう状況で、どういう事件が起きやすくなるかという、国とか地域による「社会現象」の違いが、帰結すると思えてならない。
こうした思考プロセスが「顕在化」したなら、まだ御し易い。「潜在化」して強化形成されたとすると、怖いことが簡単に起きるようになる気がする。

もし、日本で、大災害などがあっても「暴動」は起きにくい、あるいは、起きていない、そうした実態があるのだとしたら、「大災害」という自分の生存に「不都合」な事態が発生しても、(現代はわからないけれども、)江戸、明治、大正、昭和の初期へと儒教思想から、相手が誰であっても「憎悪」はよくないことだ、刷り込まれてきたおかげで、大多数の平均として、そもそも「憎悪」についての思考回路を強化せず、結果として「憎悪」の対象を隣人にすり替えるという行為そのものも、起きにくくなったり、しているのではないか、そんなことも、ふと、考えた。

「あいつらは、悪い奴らだ。だから、何をやってもいい。」こうした「思想教育」は、憎悪の思考回路を特化して形成し、その矛先が容易に「あいつら」から「隣人」に置き換わる、そんな気がした。ここまでが主題。

ここから先は、蛇足だけれども。
200人教室で、100人近い学生を相手に授業していた時は、とても一人一人について、理解しきれなかった。当然、何か「間違った答え」を出してきても、間違いを指摘するのが精一杯で、彼/彼女は、なぜそう考えたのか、そんなところまで思いを及ぼす余裕なんかなかった。
今、専門学校では、一クラス30名くらいの人数で授業をやっている。この人数だと、顔を合わせるのが週1回、1コマしかなくても、2年もやってると、ある程度一人ひとりの「個性」が見えてくる。
ただ単に、「これが正解、これは間違い」というのを伝えるだけならば、100人教室どころか、ネット配信で十分だと思う。だって、フィードバックをかける必要がないんだもの。当然、そういうポリシーの学習塾なんかもあるんだろうな。それ以前に、知識を伝えるだけならば、そもそも「教師」だって必要なくなるかも知れない。

だけど、「答えを導き出す過程」に習熟することこそが、教育の成果なのだとしたら、100名の教室では何もできない、そんな気がする。
そして、実際には違うかも知れないけれども、もし、文部科学省が「どんな知識を持っているか」だけに主眼を置いているとしたなら、「間違える」ことは「恥ずかしいこと」になり、「劣った人間」として扱われる「理由」になり得る。同級生がいる中で、間違った答えをする、ということが、「劣った人間」だと判断して良い根拠になると、子どもながらに直感したならば、怖くて何も発言できなくなる。そうして、まず「答えを出すプロセス」を学ぶ機会を失うことになるだろうし、次に、「あの子は、あの問題を間違えていた」ということを、「あの子は劣っている子だ」と勝手に誤認識した同級生が、(これは「憎悪」ではないけれども、)侮蔑したりする理由になってくる、そんな気もした。

「イジメ」の構造は、複雑だろうなぁ。こんな単純ではない、とは、無論わかっているけれど。少なくとも、小学校から始まる「イジメ」の構造解析は、現場で向き合ってみないとわからんだろう、という気がした。あ、俺、プログラミングとか英語なら教えられますから(プログラミングは、自称プロ。英語は、TOEICで865点しかないけど。すみません、道具だから、これ以上は目指してない)そんなんで良ければ、「イジメ」が深刻なクラスで、週1日の臨時雇いとか、僕を使ってみません?(あんた、いくら仕事が欲しいからって、今度は小学校か?「浮気」するなら、目先の仕事を全部片付けてからにしろって。)相当に話題がズレて来てるぞ!?

話を戻して、(というか、主題は既に終わってるけど、)「正解を出せること」ではなく、「正解を導き出す過程を、一人ひとりが掴み取ること」を教育の目標とするならば、一クラスの人数っていうのは、やはり30名、いや、20名とかかも知れない。

数日以内の過去、テレビの番組で誰かが言っていた。「日本は、このままだと後進国になる。その一番の原因は、教育にお金をかけていないことだ」と。さらに、「国民一人当たりの教育予算の水準は、先進国では最下位レベルだ」とも言っていた。児童・生徒一人当たりの教員の数をもっと増やして、成長期の子どもたちの「思考力や理解力」をいかに鍛えるか、個々の子どもたちの個性に向き合う教育ができるように、政治を変えて欲しい気がする。(いや、選挙民ももう、政治には無気力なんだ。違う?魅力的な代案を出せる政党がない?それにしても、投票率低いなぁ。ほら、もう、話題の展開が支離滅裂。)

少なくとも、F35とかっていうステルス戦闘機、100機1兆円投入、なんていう安倍総理には、あまり共鳴できない。
アメリカ史上最高に優れた頭脳を有するトランプ大統領のような(アメリカの偉大さに、ただただ脱帽)、能力ある日本人を量産するためには、F35戦闘機100機は極めて有効なんだろうけれども。僕は、あれ、もし安倍総理に外交力があるなら、あんなにもは要らないお金だと思う。

でも、日本国の文部科学省も、さすがに「憎悪」を子どもたちに教える、なんていうことをしていない、そのお陰で、どんな大災害に晒されても暴動が起きない、そういう日本は、やっぱり好きだな。

話が逸れまくってるけど、もう、これで、吐き出し尽くした気がする。あともう、出てくるのは、胃液だけ。(ほれ、もう、書くの、やめな。)
おっと、今日の講演内容、他にも、もうあと二つ三つ「テーマ」があった気がする。ダメダメ!忘れる。忘れな!
いいじゃないの〜、ダメよ〜、ダメダメ。(だからぁ、とにかく書くのをやめろってば。)

ここから先は、プログラマ。読むのも書くのも、日本語じゃなくてPython。
松山千春さんの番組が、始まっちゃった。日付が変わる頃には、頭の中がプログラム一色になっていることを願いつつ。今日は残った時間、とにかく、プログラムの全体構造を頭の中に広げ直すのに、集中します。

スズメバチ

数日前、我が家から10mくらい離れた路上で、スズメバチの死骸を見つけた。
2〜3cm。車に轢かれた感じではなかった。

と思っていたら、今日、角山から飯田に抜ける県道陸橋の路上に、やはり似た感じのスズメバチの死骸があった。通り過ぎる途中の路上だったので、轢かれたのかどうかとか、そこまでは見ていないけれど、大きさは同じくらいだと思う。黄色と黒のシマシマ模様とか、黄色い頭とかの特徴は同じ。こちらも、3cmはなかったと思う。google mapによれば、直線距離にしてたぶん800mくらいかな?

2匹目を見つけて思った。たぶんこの辺のどこかに、巣がある。うちの自治会の域内か、でなければ、木下病院の裏山の方とか。わからんけど。

我が家には、しばらく前まで毎年アシナガバチが巣を作っていた。ところが、3年位前、若いカップルが営巣を始め、「今年は、ここかぁ」とか思っていたら、ある日、庭から蟻が列をなして(まだ、5cmくらいの、作り始めて間もなかった)小さい巣を、襲っていたのか、餌にしに来ていたのか。見る間に「廃墟」にしてしまった。うちの庭の蟻は、5mmくらいのクロヤマアリか、そんな感じので、小川小学校の校庭にいたオオクロアリとは二回りくらいサイズが小さい。けれども、うちの庭に、こんなにアリがいたのかと、ちょっと驚くような「行列」で、アシナガバチの巣をターゲットにしていた。おかげで、ここ数年、我が家の軒下にはアシナガバチは来ない。

話を戻して、スズメバチ。あまりこの辺ではスズメバチの話は聞かなかった。もう、活動の時期は過ぎているから、ずっと遠くから餌を探しに遠征して、力尽きたという希望的観測もできなくはないけれども、進出してきたのかも知れない。そんな気がした。

思い出した。そう言えば、夏場の暑い時期、庭のそばでタバコを吸っていたら、スズメバチが私のすぐそばを「探索飛行」して通り過ぎていく、ということがあったっけ。夏場の餌の多い時期の話だから、案外、うちの自治会の地域内かも知れない。

今度会った時に、自治会長に言っとこ。