思考回路

日曜日は師匠の講演会。

Djangoの実装が大詰めで、本当は、そちら「も」とても大切ではあるんだけれど。うまく、優先順位がつけられない。その都度、目の前にあることが「一番」大切で、できるだけ素早くチャンネルを切り替えたい、んだけれども、どうしても、若干引きずる。
で、とりあえず、漠然と考えていたことを吐き出して、次に行こうと思った。いいとか悪いとかじゃないし、正しいとか間違っているとかでもない、とにかく考えたことを吐き出しておかないと、次に行けない。

昨日は、想定外に自治会絡みの用事があり、来週の(今週の、か)授業教材の準備を片付けて、そうこうしている間に、ついにプログラミングに頭を切り替えることができなかった。
本当なら、Djangoの公式文書に全部目を通してから設計すればいいんだろうけれども、Tutorialから読み進めると、英文でたぶん、400ページは超えると思う。無理だ。それならば、とにかくググりまくって、とにかく作り始めて、うまくいかなかったら、そこで初めて、公式文書を読めばいい、そんな安易な考えで始めたところが、何箇所もドツボって、松尾君にHELPを投げた後、自分は学校で授業したり、自治会の用事を片付け、そして今日は師匠の勉強会に参加したり。そんな中で、松尾君から「問題解決」のメールが入っていた。タイムスタンプは、午前3時。申し訳ない。
彼の指摘で、僕も、理解した。これでかなり(いや、もしかしたらほとんど、)僕の設計ミスが解消する。彼と知り合えた「偶然」に感謝。たまたま、僕も松尾も、パプアニューギニアに足を運んでいた時に、たまたま顔を合わせる、という「事件」が3回も起きた。最初はPort Moresby。次はMaprikだったかな。確か3度目はWau。よくもまぁ、いく先々で、と、思った。しかも、それぞれが前日までは全然違う場所にいたのに。とても不思議な縁だけれど、少なくとも僕は、仕事上の知人にはとても恵まれている。ただ、これ以上彼に迷惑をかけたくないし。
さっさと、頭をクリアにして、プログラミングに戻りたい。

相変わらず、話の枕が長い。こういう時は、きっと、まとまりのつかない長文になる。だから、読まなくていいです。と、最初に書いておこう。

もう80年近く前だったと思う。かなり残酷な、ある「科学的な実験」が行われた。生まれたばかりの子猫を、縦縞模様しか見えない部屋に、目が開いてから一週間程度閉じ込める。そうして育った猫は、柱を避けて歩く(※1)ことができない猫になる。(※1:すぐ後に続く話と、ちょっと逆だったかも知れない。)今度は、横縞模様しか見えない部屋に、目が開いてから一週間程度閉じ込めると、テーブルの上に飛び乗ったり、階段のような段差のある場所をうまく歩けない猫になる。(改めて、縦線、横線が逆だったかも。)つまり、生後1週間程度の間に、視覚画像から「縦線成分/横線成分」を分離抽出して理解する「神経回路」が形成され、それ以降では形成できない、という結論が記されていた。
これは、人工知能ではない、「自然知能」の、動物の脳の神経回路網形成の話題で、この実験から、脳の「認知機能」は、それぞれ数日から十数日スパンで形成される何層もの「認知層」が、段階的に積み重なって徐々に、複雑な対象物を「認知」できるように形成されてくる、ことがわかったらしい。僕が、いわゆる「ブラックボックス化」の、”Hidden Layer”に頼り切っている、Back Propagationなどに基づく「機械学習」に懐疑的な根拠は、この「自然知能」との根本的な「学習プロセス」の違いにある。
今、日本は「人工知能後進国」になったと、孫正義さんが講演されていたらしいけれども、僕は、それは「産業用」に、実用可能な「上澄み」だけを手っ取り早く実現しようというアプローチに、乗り遅れているだけの話ではないか、という気がする。もし日本が、「人工知能」についての「基礎」を固めるということならば、時間をかけて、一見、無駄とも思える「基礎的な事柄」(例えば、縦線、横線、基本図形、基本的な動き、明暗、色調、テクスチャー、などなど)の特徴を学習をさせた「学習済み回路網の係数セット」などを蓄積させることかも知れない。(いや、案外中国なんかは、既にそれをやっているのかも知れないけれど。)
この話題は、ここまで。

別の話題。人間の脳は「サボって」余計な情報処理を簡略化する傾向がある。つまり「似たようなもの」を、同じ回路を使って処理する傾向がある、という話題を何かで読んだ。(たぶん、学術誌)

枕が長すぎるので、いきなり本題。
まず、師匠の講演会からの話題で言えば、生まれたばかりの子どもの「魂」は、「上」から降りてきているから、全く汚れがない。親に虐待されて亡くなった女の子がいたけれども、彼女が親を「憎悪」していたとは、どうしても思えない。当然、幼い子どもたちの魂は、あまり汚れないまま肉体を去るから、地上に留まって誰かにチョッカイを出すなんていうケースは、まずない、と、私は理解している。

ところが、そこそこ成長したあたりで、大人がおかしな教育をする。「あの子は、人種が違うから、遊んじゃダメだ」と。例えば、何十年か前のアメリカの黒人差別。日本でも、部落差別があったし、朝鮮半島出身者や、中国人に対する差別も確かにあった。その反動が出ているのならば、日本側も甘んじて受け入れるしかないとは思うが、他方では「反日教育」が、幼児期から徹底されていたりする。時には、「あの民族は劣っている」という虚構が混じり、「あの民族はこんなことをした」と、針小棒大の「歴史の捏造」があったりもする。そうした、相当に「話を盛った」題材を持ち出して、誰かを「侮蔑する」とか、「憎悪する」などを子どもに教育している、そうした国や地域が、世界中に少なくない、という事実があると、僕は思う。
ふと、今日考えたのは、そうした「教育」に晒された時に、人の脳は何を「学習」するんだろうか、ということだった。

おそらく、「日本人を憎悪」するように教育された脳は、まず単純に「他を憎悪する」思考回路を増強させる、と、私は考える。なぜならば、ターゲットに関する学習と、感情を励起する部分の学習とは、メカニズムが別で、そもそもが「他者を憎悪する」思考回路が十分に形成されていない、あるいは、形成する必要もない子どもに対して、そうした教育を行えば、当然のことながら、憎悪だけ強調されるような思考回路がまず特化して強化され、そこに「ターゲット」として日本人がくくりつく、という回路網が形成されるように、自分は考える。
この辺は、Artificial Intelligence(人工知能)とか、Neural Network(神経回路網)の話題ではなくて、Cognitive Science(認知科学)の領域の話題から、その結論が出せると思う。
結構リキ入れて書いたつもりだけど、本職の「脳科学者」に言わせたら、「全然違うぞ」なんて、なるかも知れない。そこはそれ、所詮は好き勝手かけるブログですから。読み流してください。

そうして成長すると、社会経験を通じて、自分の生存に不都合な相手に対して、対処法として「憎悪する」という感情形成を、身につけてくるように、自分は感じる。そうなった時に、「憎悪する」という感情が異常に特化して形成されていると、子供の頃に「あの人種は」とか、「あの人たちは」と、「学習」対象としてきた相手以外に対しても、容易に「憎悪」の感情を抱きやすくなるのではないか、と、自分は考えた。
間違っているかも知れないけれども、その結果として、どういう状況で、どういう事件が起きやすくなるかという、国とか地域による「社会現象」の違いが、帰結すると思えてならない。
こうした思考プロセスが「顕在化」したなら、まだ御し易い。「潜在化」して強化形成されたとすると、怖いことが簡単に起きるようになる気がする。

もし、日本で、大災害などがあっても「暴動」は起きにくい、あるいは、起きていない、そうした実態があるのだとしたら、「大災害」という自分の生存に「不都合」な事態が発生しても、(現代はわからないけれども、)江戸、明治、大正、昭和の初期へと儒教思想から、相手が誰であっても「憎悪」はよくないことだ、刷り込まれてきたおかげで、大多数の平均として、そもそも「憎悪」についての思考回路を強化せず、結果として「憎悪」の対象を隣人にすり替えるという行為そのものも、起きにくくなったり、しているのではないか、そんなことも、ふと、考えた。

「あいつらは、悪い奴らだ。だから、何をやってもいい。」こうした「思想教育」は、憎悪の思考回路を特化して形成し、その矛先が容易に「あいつら」から「隣人」に置き換わる、そんな気がした。ここまでが主題。

ここから先は、蛇足だけれども。
200人教室で、100人近い学生を相手に授業していた時は、とても一人一人について、理解しきれなかった。当然、何か「間違った答え」を出してきても、間違いを指摘するのが精一杯で、彼/彼女は、なぜそう考えたのか、そんなところまで思いを及ぼす余裕なんかなかった。
今、専門学校では、一クラス30名くらいの人数で授業をやっている。この人数だと、顔を合わせるのが週1回、1コマしかなくても、2年もやってると、ある程度一人ひとりの「個性」が見えてくる。
ただ単に、「これが正解、これは間違い」というのを伝えるだけならば、100人教室どころか、ネット配信で十分だと思う。だって、フィードバックをかける必要がないんだもの。当然、そういうポリシーの学習塾なんかもあるんだろうな。それ以前に、知識を伝えるだけならば、そもそも「教師」だって必要なくなるかも知れない。

だけど、「答えを導き出す過程」に習熟することこそが、教育の成果なのだとしたら、100名の教室では何もできない、そんな気がする。
そして、実際には違うかも知れないけれども、もし、文部科学省が「どんな知識を持っているか」だけに主眼を置いているとしたなら、「間違える」ことは「恥ずかしいこと」になり、「劣った人間」として扱われる「理由」になり得る。同級生がいる中で、間違った答えをする、ということが、「劣った人間」だと判断して良い根拠になると、子どもながらに直感したならば、怖くて何も発言できなくなる。そうして、まず「答えを出すプロセス」を学ぶ機会を失うことになるだろうし、次に、「あの子は、あの問題を間違えていた」ということを、「あの子は劣っている子だ」と勝手に誤認識した同級生が、(これは「憎悪」ではないけれども、)侮蔑したりする理由になってくる、そんな気もした。

「イジメ」の構造は、複雑だろうなぁ。こんな単純ではない、とは、無論わかっているけれど。少なくとも、小学校から始まる「イジメ」の構造解析は、現場で向き合ってみないとわからんだろう、という気がした。あ、俺、プログラミングとか英語なら教えられますから(プログラミングは、自称プロ。英語は、TOEICで865点しかないけど。すみません、道具だから、これ以上は目指してない)そんなんで良ければ、「イジメ」が深刻なクラスで、週1日の臨時雇いとか、僕を使ってみません?(あんた、いくら仕事が欲しいからって、今度は小学校か?「浮気」するなら、目先の仕事を全部片付けてからにしろって。)相当に話題がズレて来てるぞ!?

話を戻して、(というか、主題は既に終わってるけど、)「正解を出せること」ではなく、「正解を導き出す過程を、一人ひとりが掴み取ること」を教育の目標とするならば、一クラスの人数っていうのは、やはり30名、いや、20名とかかも知れない。

数日以内の過去、テレビの番組で誰かが言っていた。「日本は、このままだと後進国になる。その一番の原因は、教育にお金をかけていないことだ」と。さらに、「国民一人当たりの教育予算の水準は、先進国では最下位レベルだ」とも言っていた。児童・生徒一人当たりの教員の数をもっと増やして、成長期の子どもたちの「思考力や理解力」をいかに鍛えるか、個々の子どもたちの個性に向き合う教育ができるように、政治を変えて欲しい気がする。(いや、選挙民ももう、政治には無気力なんだ。違う?魅力的な代案を出せる政党がない?それにしても、投票率低いなぁ。ほら、もう、話題の展開が支離滅裂。)

少なくとも、F35とかっていうステルス戦闘機、100機1兆円投入、なんていう安倍総理には、あまり共鳴できない。
アメリカ史上最高に優れた頭脳を有するトランプ大統領のような(アメリカの偉大さに、ただただ脱帽)、能力ある日本人を量産するためには、F35戦闘機100機は極めて有効なんだろうけれども。僕は、あれ、もし安倍総理に外交力があるなら、あんなにもは要らないお金だと思う。

でも、日本国の文部科学省も、さすがに「憎悪」を子どもたちに教える、なんていうことをしていない、そのお陰で、どんな大災害に晒されても暴動が起きない、そういう日本は、やっぱり好きだな。

話が逸れまくってるけど、もう、これで、吐き出し尽くした気がする。あともう、出てくるのは、胃液だけ。(ほれ、もう、書くの、やめな。)
おっと、今日の講演内容、他にも、もうあと二つ三つ「テーマ」があった気がする。ダメダメ!忘れる。忘れな!
いいじゃないの〜、ダメよ〜、ダメダメ。(だからぁ、とにかく書くのをやめろってば。)

ここから先は、プログラマ。読むのも書くのも、日本語じゃなくてPython。
松山千春さんの番組が、始まっちゃった。日付が変わる頃には、頭の中がプログラム一色になっていることを願いつつ。今日は残った時間、とにかく、プログラムの全体構造を頭の中に広げ直すのに、集中します。